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夫婦大喧嘩をしました。 ことは玄米をコイン精米にいきましたら、先客の女性が居て精米をしていました。 米が出てこなくて困っています。JAの職員が出てきて機械の故障でダストのほうにいってしまったといいます。平然としていますのできちんと弁償しなさいよと言ってほかのコイン精米所に車で向かいました。 家内いわく、おせっかいだというんです。 「2人できちんと話すだろうから横からどびんぐちさしなさんな」 「困る人がいたら手助けせねばならないだろう。本当はも少し居たかった」 と言うと関係ないのに加わるなでした。 終戦時、電車の中で戦勝国民だと2,3人から殴る、蹴るを受けてる日本人を周りの日本人は知らぬふりしてたそうだ。そんな国民性は好かぬと極論をいってしまった。 すかさず、そんな危険なことに巻き込まれたら損をすると応酬してきました。 もっと相手の立場になって考えてやらねばならないだろうと言うと、相手がそうなのかどうかを考えなさいと言う。考えを押し付ける癖がある、それでは、こむつかしい爺さんときらわれますよでした。 自分の身ばかり考えず、年取ってそろそろ人のことを考えるようになれと大声あげてしまいました。 親切心をおせっかい扱いにされたのが発端でしたが方向が断絶の方へいっています。 「そうですね」とはなかなかいわなくなりました。 怒ってる自分もなんだかあほらしくなってしまいました。 今までは喧嘩後は、いつも2,3日は物言わぬ習慣でしたが、話題をあえてかえ何もなかった気分に切り替えました。年もセブンティになれば変わらなくっちゃね。
2006年10月31日
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久方ぶりに山の友達が遊びにきました。 今年の農作の出来はまあまあであるが、猪の被害のため上流部山裾の稲は全滅とのことでした。 夜いのししがでてきて、稲穂をくわえて歯でしごいて食ってしまったそうです。子供ずれらしく田んぼを走り回り、台風のあとみたいだとなげいていました。 熊が人家近く出てきて騒動になったニュースが最近多くなりましたが、猪も稲のほかに里芋なども鼻で掘って食ってしまうそうです。 行動範囲が広いらしく昨日はここで今日は隣村、神出鬼没とか。 来年から、休耕田だとおこっていました。 猪や鹿の天敵が狼だったらしく、狼に頼り狼に感謝していたんでしょう。 生態系の頂点にあったようで、狼の絶滅によって崩れた生態系の被害がおおくなったようです。 大陸から狼を移入して放す計画もあるやに聞きましたが、そんな気を起させるでしょう。 「三徳山の古狛犬が白い狼で、三徳山に祈願に来た大久保左馬之祐が助けたのも白い狼で、三朝温泉は白狼のおかげで発見された」と仮説に浸っていた昨日でしたが、今日は狼の恩恵を受けていただろうとの証拠を聞かさせてもらいました。
2006年10月30日
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圧巻の一言。立ち上る白煙に続き束となって舞い上がる紅蓮の炎。 三徳山開山1300年祭のフィナーレとも言うべき祭典に参加しました。 投入堂落慶法要。採燈護摩法要。火渡り神事が、1300年の深山杉木立の間で行われました。 普段深閑とした境内が、人又人、修行姿の老若男女にあふれかえっていました。 ホラ貝の音が断続的に響き、息はずませて登る階段横からも読経が放送されていました。 山伏行者が作法を奉納していきます。 斧、弓矢、刀、が厳しい山岳での修行の生き様を偲ばせます。 祭場の前にうず高くつまれた青い杉葉に祈祷のあと火がつけられました。 もくもくと造形かと思わせるうねりあがる白い煙、時を移さず赤い炎が顔を出し、火柱に取って代わる様は祈りの原点を示唆するようでした。 家内安全、身体健全、良縁成就、忌祭消滅、商売繁盛、事業繁栄、当病平癒、交通安全、学業成就、願望成就、合格祈願、海上安全、安産祈願、子宝成就、先祖供養等の願い、悩みも消散させるのでしょう。 願いをが書かれた護摩木を一つひとつ山伏が読み上げながら炎のなかに投入れます。 幾万とも投げこまれた護摩木は火の粉を舞い、炎を躍らせます。 護摩木がなげおわるや横に火の道が作られ角材が並べられその上を渡ります。 まさに火の上の道、両手を合わせ精神統一してみな渡っています。 祈りとこの雰囲気は願望成就させることでしょう。 順番を待つ列は延々と続き後2,3時間はかかるといいます。 下界での約束時間も守もらねばならず心に炎をだいて帰りました。
2006年10月29日
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「犬の中でも日本犬は狼に近いとされているのではちく2394の説は正しいと思います。 絶滅した種の悠久のロマンを感じます」。 とブログに書き込んでくださったたけぞうさんありがとうございます。 狼の狛犬が船上山の智積寺にあると教えてくださったのは三徳山のお坊さんです。 かつてこの智積寺に従事していたとのこと、今は村中に移住しだれも居ない荒れ寺になっているお話でした。 話もそこそこに船上山の近くという智積寺の狼探しにアクセルふかしました。 船上山案内のコース板が多くなり山並みも迫った感がしいよいよ近くなってきたと思ったら、一天にわかに曇り雨がふりだしてきました。 カッパをきた農作業かえりのおばあさんに道を聞きましたら1丁ほど先の民家の合間の道をおしえてくれました。行くと小さな案内板があり、左に折れ 軽の車でようようの道でした。 坂道を上がっていくと大きな農免道にでてしまいました。 どうやら通り過ぎたようです。 またUターンして探しました。 藪の中に石段らしき道があります。よくみると道端に地蔵さんや石塔があります。 でも雨が篠付くように降り出しました。 傘はなし、意を決して雨の中を登りました。 いますいます、 細長い顔、まさしく狼の狛犬です。 雨がやまないのでそうそうに帰るしかありません。なごりおしく振り返りながら階段をおりました。 帰路3分も走らぬうちに雨はなくなり空は明るくなりました。道路は埃がまっています。 どうやら狼のところだけの雨でした。髪はたしかに濡れています。シャツもだいぶ乾いていますが雨のあとがあります。 智積寺は船上山の山岳修験道の中心で、後醍醐天皇が隠岐から脱出され、名和長年公旗揚げし幕府軍を破ったときここに80日滞在されたと知り驚きでした。 場所は変わっていますがれっきとした智積寺、かつての栄華のおもかげはなく、人訪れるものもないようすです。 山岳地の微気象でしょうが、この雨は狼を探す者に「あわれを教えたのかも」なんてセンチになってみたり。 船上山の山岳修験道と智積寺と狼の狛犬。石ですのでいつの時代なのかわかりませんが、どうやら山岳修験道と狼は関係あるようです。 さて、ここで推論です。 三徳山の狛犬像に白い彩色が所所に残ってるのが認められました。 現在、像は風化で素地を呈していますが、当初は彩色仕上げであったろうと考えられています。 もし下地ばかりでなく上塗りも白だったら白い狛犬です。 狛犬が狼であったなら白い狼です。 白い狼なら三朝温泉発見の祖大久保左馬之祐が助けた狼も白狼です。 妙見菩薩のつかいめで、たすけたお礼に妙見さんが温泉を教えてくれました。 これが三朝温泉の起源の話です。 白狼と大久保左馬之祐の銅像が温泉中心に鎮座ましています。 源氏お家再興を三徳山に祈願にきて白狼を助けた大久保左馬之祐、その三徳山は狼神社の秩父三峰神社で修行しておられた役の行者が三徳で投入堂を造られた。そして行者が顕現された蔵王権現像の前の狛犬も白狼だった。 法力で投げ入れた投入堂、300年、400年を飛翔する物語。それを木材の年輪で検証する近代科学の解明。大胆にしてかつ細心の物語です。 3000万年のむかしの溶岩の貫入で出来た天然要害で、おりなす1300年の人間模様。 動があり、静があり、争、幸があざなったであろう1300年、よくぞ続きました。継続は力なり。 敬意を表します。三徳山に幸あれ。
2006年10月28日
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役の行者(えんのぎょうじゃ)開山より1300年記念で三徳山が熱く燃えています。世界遺産登録にかけて意気軒昂という所です。 三仏寺の宝物殿が公開してあると聞きでかけました。 蔵王権現菩薩像、仏像、諸展示品もさることながら、木造の古狛犬像におめにかかりたかったんです。 それは狛犬が狼ではないかを確かめたかったのです。 古狛犬像の写真全体がかもしだす雰囲気が獅子でなく狼に思えました。 面部が割れてなくなり、阿吽1対の口をあけた方だけが残っているだけですので判事ものですが。 もし狛犬が狼だったら歴史の定説を変えるやもしれません。 科学的な木の年輪年代測定が可能になったことで歴史解明が容易になりました。 木造なるが故によかったというべきでしょう。 石なら到底わかりません。 本尊蔵王権現は1087年と辺材年輪年代が得られました。その前におかれた狛犬が問題の木造古狛犬です。年代が1099年で投入堂木材の1098年と同じ時期に造像されたと解明されました。 仮説の理由として次のようにあげられます。、 蔵王権現は役小角(えんのおずぬ、役の行者)が祈念して顕現たもうた神仏です。 役の行者は狼神社といわれる秩父の三峰神社に伊豆から修行に通っておられた。 投入堂は役の行者が造られました。 投入堂の本尊蔵王権現の前に鎮座する狛犬が狼であってもおかしくない。 又、鳥取博物館の木造狛犬解説にも興味深々なことが書いてあります。 {口髭を口脇に表し、たてがみは前肢付け根付近まで伸ばす。後肢は屈臂して前方に突き出し、前肢の内側に接するように置くという、他の狛犬には見られない珍しい体制を取る。 動きの少ない直立した姿勢や、毛先を巻き込まない鬣などの形式的特長ーーー。 数少ない平安時代の狛犬と比較しても、本像はぜんたいに細身であり、前につきだした長い前肢が全体の軽やかさを一層際立たせる作品である。} もし三徳山の古狛犬が狼であったなら。 「日本書記で狼が貴神(かしこき神)とよばれた理由だけで古代から現代までを一気に結んで、昔から狼は神として崇められてきたというのが今までの狼信仰である」とこれに反論がでています。 「1727年三峰神社で日光法印が静かに座しける時、山中五町四方に狼群がり来てみちみちたり。 これより猪鹿ふせぎの神札をだせばことごとく霊感ありて国々より日々乞い望みきたれり。」 狼神社で名高い三峰神社でも狼とのかかわりは、上記のように日光法印の江戸時代からだとして、役の行者の8世紀は勿論、鎌倉時代の古い狼型の狛犬を持った狼神社の存在はありえないとしています。 日本武尊命を道案内した狼が由来の三峰神社、役の行者伝説が味気なく感じていましたが、古狛犬が狼であるなら、狼の狛犬が平安時代にすでに存在していたことを証明します。 山岳宗教のメッカが大山寺、三徳山と並び船上山にもあります。 ここに智積寺があり、狼の狛犬が居ることを和尚さんに聞き急遽三徳山下山して船上山めがけ、車を発進しました。 狼、大神、おおかみや。 {狼に引かれて智積寺参り}
2006年10月27日
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大実カリン『桐一葉落ちて天下の秋をしる」 NHKの大河ドラマは秀吉死して天下分け目の跡目争いにはいりました。 桐の家紋と落葉の桐を栄枯盛衰にたとえたうまい表現です。 それでなくとも舞う落ち葉には哀愁があり、シャンソンでもくちずさみたくなります。 風もないのにカリンの実がボトッとおちました。 まだ青い部分が多いのに此れで3個おちました。 虫がはいったものもありますが収穫してカリン酒つくりをすることにします。 のどが痛いとき、風邪のひきはじめにカリン酒を含むようにして呑みますとすぐなおります。 我が家は氷砂糖はいれません。水でうすめてのみます。 昨年剪定したので今年は10個ほどしかなりませんでした。カリンの剪定はよくないみたいです。 庭の片隅に植えてみるのも又よいものです。 春は花、秋は実、成長が早く楽しみなものです。
2006年10月25日
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適度なストレスを身体にあたえ刺激効果で身体の活性化を図ることをホルミシス効果。 ホルミシストなるホルミシスで健康を支持する人マガジンをいただきました。 三朝の湯がラジウムの放射線で毛細管が拡張され新陳代謝が向上しホルミシス効果で免疫力や自然治癒力が高まります。よって三朝地域はがんでの死亡率が統計上全国平均1/2のようです。 ウラン残土問題で放射線には敏感な所です。 微量な放射線は身体にいいが、多すぎると害になることを細かく説明しています。 毒と薬は同源、用い方のようです。 ラジウム温泉とは、天水が地面に浸透して地下水となり、地中のウランがラジウム、ラドン、鉛に原子が崩壊する系列でのラドンガスを溶解したものが湧き出したものです。 自然放射線を私たちは年間平均1,3ミリシーベルト位うけているそうです。 ちなみに2,500シーボルトから生殖線がやられ永久不妊、3500ミリシーベルトで皮膚、脱毛し、5000ミリシーボルトで全身被害50%は死亡、7000から10,000ミリシーベルトで100%死亡するようです。 胃の集団X線検診で1回0,6ミリシーボルト、CTスキャンが6,9ミリシーベルトのようです。 超ミネラルが身体に効果あるのは、全ミネラルに対し25メートルプールに胡麻粒1個割合の程度といいますから量の存在は不可秘なものです。 ラドンは気化してしまいますから、温泉場でのホルミシス効果が最高のようです。 持ち帰ってからは効果半減のようです。 心も身体も癒やせる地としてこれから期待上昇の街が三朝かもしれません。
2006年10月24日
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三朝湯のゆたかなるかな こころさえ この新しく沸くよ学ばん 与謝野寛(昭和5年) 水と灯の作る夜色のめでたさを 見んは都と渓あひの湯場 与謝野晶子(昭和5年) 三朝よいとこ日本の名湯 四百四病も皆治る 野口雨情(昭和11年) 御幸行列で興奮の本通りから裏通りにぬけると山すそに小道がありました。 温泉客がくつろぎの一瞬をあてもなく散策するに適した小道です。 いつもはなやかな通りだけしか来たことがなかったので新しい発見でした。 杉の木立の中に湯をめでた歌碑が建っており、お湯が流れてる真新しいお地蔵さんが微笑んでいました。白狼の縁で温泉を発見した大久保左馬之祐も白狼と一緒に像として温泉を見守っています。 最近37年間の統計解析でがん死が少なく三朝温泉地域は全国の1/2と発表されてから俄然注目されています。ラジウム温泉でラドンの含有量が世界屈指だそうです。 1300年の歴史をもつ三徳山を世界遺産登録に向けて町はもとより県も力をいれているようです。 御幸行列には、総合庁舎の所長さんも紋付袴で参加しておられました。
2006年10月23日
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三徳山開山1300年に沸く三朝町。 室町時代より行っていた御幸行列が50年ぶりに復活し三徳の御山から温泉街に降りてくるという。 三徳縁御幸行列を参拝に午後でかけました。 一見は百聞に勝る。 ほら貝の音あり、山伏が行き交いし道行を整理しあり。 やがて大幟を掲げた山伏を先導に三仏寺住職、神官、お神輿、京都聖護院、大峯山からの修験者が多数参加されて延々と行列が続きました。その数500とも。 仏さんと神さんが一緒になったお祭りは珍しく、馳せつけた修験者連の行列は圧巻でした。 大峯山は役の行者の生い立ちの山で、蔵王権現さんを顕現されたところです。 1300年の後に大峯と三徳が一緒に行列してるとは壮大ではなはだ愉快です。 イベントめいた最近の村祭りに一喝を与えた感がありました。 神輿を担ぐ人がいなく車に乗せたり、アルバイトをやっとって行う祭りがおおくなっています。 神も仏も信じることができたのが日本人です。 色でいう白か黒でなく、灰色も信じれる国です。 日本文化は融合の文化で、長所をうまく取り入れて成長しました。 殺しあう宗教戦争の仲介は日本の役目かも。 靖国問題も中国、韓国首脳を三徳山に呼び2,3日泊まってもらえば了解できるかも。 そんな気持ちで行列に黙祷しました。
2006年10月22日
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野外観察図鑑 秋は今まさに本番。博物館の秋の山散策に参加しました。 年配のご夫婦、小学生つれた若いお母さん、若いジーパン姿のご夫婦等々、約50人ほどあつまっていました。 趣味で集まった方々の顔はゆったりとして微笑ましいものです。 「おはよう」と挨拶交わしたら、もう旧来の友達のようにとけこんでいきます。不思議なものです。 山を登りながら、先生が花、木をご説明になります。 ゴンズイ、カブニッケイ、タブ、コバナゴマズミーーーーおっしゃるものをみんなメモしてみました。 人知れず咲く花、生きる木々にみな名前をつけ、分類してあります。 きれいな名前が付いたものおかしな名前などありました。みんな先生は知ってられるのに感心です。 スダジイ、コジイ、キクバヤマボクチ、カブニッケイ、タムシバ、ツルリンドウ、、ヤマシブキ、ツルキシミ、コマユミ、クロキ、ツクバネウツギーーーー。 なまえをつけた人はどんな心境でつけたのかなとおもいました。 シロダモには花があり、この花が来年の今頃に実になるようで、去年の花の実が今年の花と一緒にある、花と実が一緒にある不思議な木でした。 又、普通葉っぱが交互についているのにイソノキは2枚並びで交互についてるふしぎな木でした。 大きなモミの木を長老の先生が計ってみようと言うことになり、博物館の兄さんが巻尺の先をもって木をまわりました。3メーター2センチ。 「100年越してるだろう?」「いやそんなものじゃない300年はこしてる」「いやもっと500年はあるだろう」話は世紀が単位でエスカレイトします。 先生はうかつなことはいえませんと調べてからということでお預けでした。 久方ぶりに身近なところに宝の山があることを発見させられた半日でした。原色牧野日本植物図鑑(2)樹と花の絵図典
2006年10月22日
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現代病・生活習慣病はミネラル不足が原因だった 玄米食はもう定番の私の食事です。 圧力がまで炊きます。うまいです。うまくないという人の気がしれません。 糖尿病と診断され、糖尿手帳を貰い脳梗塞で入院した時は、わが人生最低で真っ暗でした。 「精進して糖尿病をなおします。なおるでしょう?」担当医にすがるように決意をのべるのを、冷ややかに若い医師は悪くならないように付き合って行けと言うだけでした。 退院してインターネットで糖尿病を片っ端から調べました。 そして超ミネラル水の存在を知りました。 野島尚武先生に電話し、病状報告し相談しました。 こちらの担当医の言に反し直るとの心強い判断をうけました。 100%此れに掛けました。勿論病院の治療は受けながら併用です。 ミネラル水と直る信念で勝ち取った現在と思っています。 3年目を迎える今、本当に糖尿病だったんだろうかと生意気な考えが起きるほどです。 お薬もいらなくなりました。血圧も平常になりました。 ナマスを吹いて食べる気持ちは忘れまいと想います。 野島先生に感謝申しあげます。
2006年10月21日
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「秋の星座をみよう」の博物館の催し、天気晴朗ならず雲おおし。 電話にて開催有無を聞いてみました。7時までなんとも決しがたしとの返事です。 7時半が集合時間です。残念ながら1,2の星は見えますが、雲量一向に減ぜず。 家からでて夜空を何度も仰ぎますが回復の兆しありません。 ついに天候には勝てず中止のはめ、残念。 天体望遠鏡も計画し夢は夜開く目論みは延期です。
2006年10月20日
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「血圧134,78.好調です。この調子でいきましょう」 昨日、検診日でお医者さんは笑顔で言って下さいました。 8月18日から血圧降下剤はやめてビタミンE剤だけになっていました。 どうやら薬に頼らなくても平常の血圧になる事ができました。 参考に8/18 152 76 9/4 142 82 10/18 134 78 (医師検査) 「高血圧の薬を呑み始めたら、一生薬は手放されない」と皆から聞いていたので、とうとう高血圧の薬を調合されてから、来るべきものが来たと観念しました。 それは、8年前のちょうど今時分、地区文化祭を参観して、冗談まぎれに健康相談員の血圧測定を受けたことから始まります。 「もう1回計ります」と笑顔のきれいな相談員さんが顔をひきつっています。 結果190、110、 「すぐ病院で検診をうけてください」ということになり近所の医院に駆け込みました。 高血圧の診断を受け薬をいただきました。 健康は私の代名詞。酒は百薬の長。無口で酒3合呑んだら話だすと言われるのが自慢の酒呑みでした。 健康診断もお医者さんも縁遠い状態で少々のことは酒呑んだら直りました。 一転して血圧降下剤に頼り、薬がなくなっては通院の生活になりました。 血圧測ってもらい平常値でも薬のおかげと健康の実感は無くなってしまいました。 お医者さんも問診して、「血圧計りましょう」と看護士のお姉さんにまかせ待期室にかえっていきます。お客がいるとお次となってしまう状態でした。 血圧が上がったり下がったりしてもコメントなしで、いつもの降下剤のカルテで薬屋さんから薬もらってかえる通院でした。 高血圧は病院の収入源にあるみたいと思ったほどでした。 15年11月11日の出先で倒れ、救急車で病院に搬送、脳梗塞と糖尿病の診断受けベッドに横たわるまで、高血圧を自然の成り行きぐらいにしか感じていませんでした。 倒れてから3年の歳月がたちました。糖尿の手帳も不用。血圧も正常になりました。 なにがよかったのか、なにが効いたのか特定できません。 お医者さん(勿論前の医院ではありません)が良かったのは勿論ですが、総合的に効いたのでしょう。 勿論野島先生の指示で超ミネラル水は今もかかしていません。馬ぶどう液もかかしません。 最近忘れがちになりだした夜の散歩も「奥の細道」完歩くらいにトータル歩きました。 万歩計が羽黒山過ぎて故障し又「深川」の振り出しからやりなおして計測しています。 かつて80キロに到達した体重も63キロになりました。 ややもすると欲しがり過ぎになる食事をコントロールし、栄養表を見比べる我が家の怖いお神さんの存在も大きな成功要因です。 のど元すぎれば熱さ忘れる。 つらかった日々の感覚が薄らぎ、とかく夢幻だった錯覚になることがあります。 割れてくっつけた茶碗、地すべりの山の例えの如。 今落ち着いていても力が加わったり、雨水が加わると、割れたり、滑り出します。 既往症が出ないように注意が肝腎という所でしょう。 脳梗塞も突然くるものでありません。 前触れがあります。ただそれが初めてで何なのか本人が分からないだけです。 私も顕著な前触れは1ヶ月前からありました。 その間、飛行機で九州にとんだり、大阪に行ったりしました。今考えたら冷や汗ものです。 大難は小難に、小難は無難にする気使いをしましょう。 入院中、記憶新しい時に、あれが、あの時の症状がと書き留めた手帳がでてきました。 参考なら又紹介します。
2006年10月19日
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秋の星座 博物館から「秋の星座の観察会」と「秋の木の実を食べる会」の案内がきました。 抜けるような秋の夜空、いつも散歩で吸い込まれるような錯覚を覚える幻想の世界を感じていました。 古の方々の神話の夢を織り込んだ星物語を聞きにいきましょう。 これからの散歩が一層楽しくなります。20日です。天気になーれ。 2日おいて木の実を食べよう会。木のみ調べも又子供心が帰ってきて楽しいものです。 博物館が積極的に知識の収得を先導していただくのは有難いものです。 専門知識豊富な先生方のお話は有意義です。 先日は隣県岡山に化石収集がありましたが、人数が多く学生さんたちに権利をゆずりました。 博物館の展示催しも、内容がよくなったこともありますが、参観者が多くなったようです。 博物館の方々の能動的な努力に皆が敬意を評しはじめたようです。
2006年10月18日
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小春日和といっても少し陽気が強いt上天気、来るっ冬将軍に備え、屋根にのぼり雪止めの点検をしました。パイプにペンキを塗りトタン部の鼻先もトタンをぬりました。これで雪には大丈夫。 大雨も大風も身にうけて守ってくれる大屋根に感謝。 間伐材で作ったログハウスの外壁もよごれがめだつので水荒いして、乾きを待ち、ここにも茶色の水性塗料をぬりました。コロのはけで塗ったら面白いように早くきれいになりました。 工具が素人でもできる便利なものが次々にできて、楽しいものです。
2006年10月17日
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江戸川乱歩賞受賞作家、井沢元彦氏の役の行者と投入堂の講演が昨日ありました。 「逆説の日本史」『言霊」など独自の境地を拓いている氏の講演とあって、会場は満員でした。 一番前の席に陣取り演壇を、仰ぐ形で聞きいりました。 急峻な山肌に国宝投入堂があり、夏でも寒い深山のたたずまいは皆知っていますが、歴史、由来については定かでなく、この機会に是非知りたいものだとの想いが大方だったようです。 1300年の機会に、世界遺産登録運動の一環としての試みはありがたいものでした。 日本古来の神統に仏教、文化が渡来して日本流にアレンジして神仏習合の日本独自の文化を形成した先進の地が三徳山で、日本のルーツを確信しました。 未開発で現代文化に遅れをとり恥ていた事が、かえって自然が残り、心の住家の郷土つくりに適す地となりました。 行者は日本書記にも記録のある実在の人物で、修験道の開祖です。 修験の場をこの地に求めた霊験厳かな地に生活できる私たちは、幸せです。 乱れかり、情が薄くなりかかった日本の活力を発信せねばなりません。 それが、現代の心の投入堂、世界遺産だろうと思いました。
2006年10月16日
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大山神社(だいせん)の狛犬さんが獅子でなく、犬か狐みたいだとききました。 大山は山岳修行のメッカで三徳山と覇を争った所、もしや狼では? 役の行者が、秩父三峰神社の狼神社から狼を連れてきたんではなかろうか?の謎が解けるかも。 思い立ったら気もそぞろ、大山まで車を飛ばしました。 雪待ち時のスキー場は、がらんとした駐車場がひろびろとしています。 ゲレンデ整備をしているのかダンプがだけが砂利をつんで忙しいそうには死っています。 『大山神社はどちらでしょう」と土産売りのお店にたちよりました。 大きなお店なのに誰もいません。2回も3回も呼べど返事がありません。 ようやくして、50をすぎた女将さんが眠たげな顔ででてきました。 途中まで車がいけることを聞いて坂道を登りました。 つま先のぼりならぬ前輪が見えるほどの坂道です。車は大きな音をだしています。 宿坊の「関係なしの車駐車禁止」のがら空きの駐車場に止めさせてもらい徒歩に切り替えました。 行けども先が見えてきません。 ここは自然の参拝道が一番長い所です、ご堪能くださいとの立看板があります。 半分ほどの笑いがでます。半分は息がきれます。 山門をくぐりしばらくいきますと狛犬さんがいました。 でもどうみても獅子の顔、毛並みです。 狐、狼、ひいきめにみてもちがいます。 社殿に行き参拝をすませ、ちょうど神主さんがいらっしたのでお聞きしましたら境内横に狐の像がある「下神神社」を教えてくださいました。 さっそくいってみると大きなしっぽを跳ね上げた狐の狛犬?さんが阿吽のポーズ。でも顔が片方はかけています。下の部落にあった神社をお告げがあって移転したそうで、大山神社とは関係ないそうです。 神さんの眷属にいろいろあることを知りました。 ねずみ、牛、とら、うさぎ、龍、へび、ひつじ、さる、いのしし、きつね、しか、たぬき、おおかみ、うそ、うぐいす、はと、からす、かめ、かえる、むかで、にわとり、さぎ、きじ、うなぎ、はち、かっぱ、などがあるそうです。 おおかみは三徳山で一応ストップのようです。
2006年10月13日
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これを越え行けば大いなる窟あり。内暗くして奥を知らず。この窟を奥の院と称して人倫足を絶つの地なれば山僧も見る事なし。(伯耆民談記) 蔵王権現の除阨延命の信仰とともに、呪術、法力練磨の道場として、現世に及んでいるのも、この複雑な地膣構造の所産といえよう。 三徳山三仏寺写真集の解説の一部ですが、古文調の筆致が見事に神秘を表現しています。 拡幅された写真パネルと展示物をながめ、修業の場を当地に求めた先人の心根が納得させられました。 と同時にこんなすばらしいところが身近にあることを改めてしりました。 投入堂の写真は建物のすばらしさもさることながら背部の地質状況も、安山岩の貫入が鮮明にとらえてあり、既堆積の凝灰岩との接触部も観察できます。硬軟の岩質の侵食の差で硬い安山岩が屋根となり、軟の火山砕屑岩層が侵食され自然の洞窟となっています。 1000年余の星霜を建物は経ていますが、洞窟は自然の要塞として、まだ幾千年、幾万年も残りましょう。 中生代末白亜紀、7000万年前、日本列島が大陸の一部のころ、花崗岩が貫入し基盤となり、800万年前の新生代、中新世の火山活動で凝灰岩類が堆積しました。500万年から200万年前の鮮新世に安山岩類がトロイデ状に貫入して地球的大激動をくりひろげています。 地球の老齢化もあり断層による洗礼をうけ硬きものは残り、軟らかきものは流され選択侵食をうけ、三徳山は急流、渓谷を生み、急勾配の山腹に随所に断崖ができ、巨岩が横たわり、鋭い稜線が走って険阻で変化に富んだ地形をつくりだしました。 峻険さが、俗人の入山を厳しく拒み原始景観をよく残しており、昭和9年7月に国の名勝史跡に指定されました。今世界遺産登録に向け準備中です。 役の行者が法力で投入れたという投入堂、科学がすすんだ現代有りうべきか無きかを問う事も忘れさせる神秘さと感動を覚えます。修験の場を求めたのはむべなるかなでしょう。 大三徳山展を企画なさった関係者に敬意を表します。 来年はきっと六根清浄、懺悔、懺悔で三徳山に登頂御参りしようとおもいます。
2006年10月12日
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此れの山は、吉野葛城を移して往古国峯の山なりと言えり。 一躰の巌山にして、而も鋭く、左右を臨めば百尋の豁谷、見るに眼精を暗冥し、後は層山峨々として、白雲岫を出せり。 山上の社閣は片々なる厳岩を窄彫して懸作りにし、峪を刻みて経峪となす。 日本に聞こえたる嶮難の山なり。 投入堂の置くに仙人窟と言うあり。当山の奥の院と称す、投入れ堂の笠岩を上り、百歩あまりの岩径ありて天狗岩という。(1742年伯耆民段記より)
2006年10月11日
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晴れたと思えば、一天にわかに曇り台風まがいの豪雨注ぎ、忘れたかのように又晴れ渡り、この連動を数回くりかえした不思議な天候が2,3日つづきました。 せっかくの名月も分厚い雲間に少し明るみを見た程度でした。 一転して好天秋を満喫する体育愛好の日和となり、全国から集まり来たる若人の駅伝競走が街を歓喜にまきこみました。 この日のために努力し選ばれて走ってる選手の顔は、順番の早き遅きに関わらず皆美しく感じました。 特に後に人なき離されて走っていく選手に沿道の人々の応援は、いっそう大きなものでした。 判官びいきという、虐げられた義経に同情する国民感情は失われていません。 今はびりっけつでも次の選手が頑張って順位を上げるかもしれません。 マラソンの個人力に対し、チームの総力戦、日本で生まれたエキデン、わくわくしました。 蔵王権現さんも日本で生まれた権現さんです。 役の行者(えんの行者)が迷える衆生を救う仏として顕現させました。
2006年10月10日
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「懺悔懺悔、六根清浄」 山伏の唱える掛け念仏です。 前に進むのが困難な険しい山道で昭和すると言います。 六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意のことです。 この念仏を唱えることで今までの自分の罪を清めます。 山伏たちは、一心不乱に念仏を大声で唱え、苦しい自分を奮いたたせて困難に立ち向かいます。 ひたすら体を進めるうちに身も心も掛け念仏と同化して乗り越えることができるのです。 修行を繰り返すことで霊体一致の聖なる世界が開け神仏の世界に近づいてていきます。 昨近生活習慣病で苦しんでいる人が多くなりました。 治癒するんだという掛け念仏がまず病人に必要です。 次に六根清浄は、血液をきれいにすることです。 これには食養、五穀米(米、麦、豆、あわ、きび)、菜食をを心掛け、咀嚼して腹8分を心がけ、運動を忘れないことです。 千島学説にいう「気血動」の原則遵守でしょう。
2006年10月09日
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吉岡温泉に所要があってでかけました。温泉地だけあって街角に湯が出る噴水があり、また格好の足湯の場があり、若い娘さんが嬉々として裾をからげて足をつけていました。 所要を終え鹿野でそばを食べることになりたちよったら広場の片隅に足湯があリおばあさんたちが楽しそうにばちゃばちゃやって足をつけています。 山を越え三徳山を通り、役の行者を偲び投入堂、三仏寺に黙礼をし三朝にたちよりました。 ここでも足湯があり、夫婦とおぼしき中年が2組、足をつけながらお話していました。 肌寒くなったので、足を温めると気持ちよい季節になりました。 鳥取県は温泉地、そして足湯王国で温泉地の15箇所に無料の足湯施設が存在してるそうです。 足湯がリラクゼーション効果をはじめ、医学分野での有効活用が期待されると鳥取大学医学部で科学的に調査にとりかかられたようです。 実験は25度から45度までの5段階の足湯温度で心拍数、血圧、皮膚温、直腸温等測定調査。 副交感神経の働きが高まる傾向がみられ、リラックス効果が期待できることを確認、心臓への負担もすくないこともわかりました。 さらに研究の範囲をひろげ、対象者、体の調査部位を広げ解明にとりかかられるようです。 足の血流が悪い患者の病状改善など医療現場での有効利用も期待でき、又温泉地の足湯の付加価値がうまれ、観光効果もあがるでしょう。 まさに産官学の連携で観光即健康県めざしというものでしょう。 がんばってください期待しています。
2006年10月08日
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狼が神様の眷属(けんぞく、お使い)として、神様の霊力を受け、神様の働きをするものとして崇められました。 農耕を荒らす、猪、鹿、猿などが天敵として恐れていたものが狼であったようです。 人を襲うことよりも、日本武尊命が奥秩父で道に迷っているのを導いたとされる三峯神社の狼伝説、参拝をおえて鳥居まで狼が送ってくれるそうで、後ろを振り向かずに歩くさまは怖さ、有難さ半々だったでしょう。 昨日、山田が猪に荒らされたと聞き、いってみました。 県道が大山に通じる横に段々と小さくなる田んぼがならんでいます。 その田んぼの稲が見事に踏みにじられ、なぎ倒されています。みると千刃でそいだように稲穂をそいで食っています。 「去年も荒らされたんで止めようと思ったんですが、」と豊作であるが故に残念そうな農夫さん。 畑の里芋も鼻で堀だして食われたそうで、人里近くまで来るようになったとなげいています。 「若いものは街のほうに住んでいるので、年寄りじゃどうしようもありません」 植林したヒノキを鹿が食いあらして困るという話も他地で聞きます。 狼が追い払う。お犬さまが守ってくれる。 切実な願い、救いをもとめるのは昔も今も同じようです。
2006年10月07日
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狼は今日本にはいません。 赤頭巾の狼、送り狼など悪い印象をもちますが、昔は神様のお使いとして、崇めていたんです。 狼神社として狼の狛犬が鎮座している神社が多くあるようです。 1300年の歴史をもつ三徳山は世界遺産登録にむけて尽力中ですが、ここ三朝も狼とのかかわりが幾つかあります。 山岳信仰の修験道を開いたという役の小角(えんのおずぬ)が法力でお堂を断崖の洞窟に建立しました。これが慶雲3年(706年)となっています。 役の小角は、この前に秩父の三峯神社に伊豆から往来して山岳修行をしていました。 三峯神社は、狼神社の最右翼なる神社です。 時は流れて450年後、長寛2年(1,164年)源義家の家来大久保左馬之祐は主家再興祈願を三徳山にするためここ三朝まできました。白い狼にあい弓で射ようしましたが殺生を止めました。 この狼が妙見菩薩の眷属(お使い)でした。妙見菩薩は夢枕で左馬之祐にお礼として温泉のありかを告げました。 これが三朝の温泉の起源のいわれになっています。 役の小角は、修行の邪魔をする悪魔押さえの守護神として蔵王権現を顕現させました。 三徳山三佛寺にはゆかりの蔵王権現が7体も奉納されています。 その中の本尊蔵王権現の狛犬像が顔が欠けていますが、三峯神社の狼札と比べると似ています。 恐らく狼像ではないでしょうか。 小角の狼は蔵王権現、左馬之祐の狼が妙見菩薩の眷属で別なものなのはなぜか、あるいはどこかでつながりがあるのではないか興味があります。 でも昔物語に年代がキチンとついているのは山陰の几帳面さと人のよさを物語っているかのようです。 三朝神社には、温泉発見の大久保大明神と荒神様(素盞鳴尊)、妙見山正八幡宮が合祀され違い矢の紋がかかげてあります。そして手水所は温かいラジュウム温泉が流れでています。
2006年10月06日
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三徳山のはじまり むかしむかし、大和の国(現在の奈良県)に役行者(えんのぎょうじゃ)がおりました。 役行者は、たいそう熱心な修業者で、毎日、山の中で厳しい修業をしていました。 ある日のことでした。 役行者は蓮の花びらを3枚手にとり、「この花びらを、神仏にゆかりのあるところへ落としてください」と空へなげました。 すると1枚は、伊予のくに(現在の愛媛県)の石鎚山へ、1枚は大和の国の吉野山へ、残る1枚は伯耆の国(ほうきのくに現在の鳥取県)の三徳山へ舞いおりました。 さして、それらの山を修験道の行場として開いたことが、はじまりとされています。 写真は投入堂で修験道の本尊、蔵王権現を安置するお堂です。 役行者がふもとで造ったお堂を法力によって断崖絶壁に投げ入れたと言い伝えから投入堂とよばれるようになったといわれています。 三徳山開山1300年です。 継続の灯が美しい日本を照らしだしましょう。 戦後生まれの総理大臣、国も人心も美しい国にしましょう。 そして、それらの山を修験道の行場として開いたことが、はじまりとされています。
2006年10月01日
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