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これは夢である。 ふっと気づくとわたしはひとつの癌細胞である。 新しく生まれたばかりの癌細胞のようである。既に大きな塊になって、人々から醜悪なものと思われているような仲間がいるのか、それともわたしと同じように生まれたばかりの癌細胞が他にもいるのか、わたしにはわからない。話し相手がほしいような気もするし、仲間なんかいらないような気もする。 こうして生を得たのだから、たとえそれが癌細胞であっても、生きるという強い意志を持つべきなのか、それとも、生そのものが偶然の産物でやはり偶然に身を任せればよいのか、皆目検討がつかない。そもそも癌細胞は知的活動に向いていないような気がする。 神とか仏とかはやはり存在しないようで、わたしが癌細胞としてそんなことで悩んでいても、何のお告げも得られない。 わたしが生まれたのは女性の体内で、周辺には沢山の正常な細胞が押し合いへし合いしており、それらが全体としてとても柔らかい組織を作り出している。男であるわたしが女性の内側にいるというのは不思議な気がする。外からの光を一部透過して正常な細胞が鮮やかに赤色に発色している。そんな中でわたしだけがくすんでいることを除けば、とても気持ちのよい環境である。 かつてないほどにわたしは生命体として充実している。わたし自身である細胞の内部から力がわきあがってくることが感じられる。わたしが宿っている体の若さが影響しているのに違いない。わたしは自分の内部からの力が、自分の力でありながら抑えることができなくなっている。細胞としてのわたしは鼓動し始める。その鼓動は徐々に大きくなってくる。裸体に刺青をいれた熱帯の原住民が、狩猟で獲物を得たことを感謝するために踊るような厳かで、それでいて力強い熱情がわたしを支配していく。 自分自身をコントロールできなくなるほどに激しい力がわたしを襲い、ふと気づくとわたしは分裂している。わたしがふたつになってさらに力を得たようだ。わたしはみなぎる力に歓喜した。生きるということはこういうことなのだ。善悪の概念を超えて宿命付けられているものがあり、それは変えようがなく、ただその宿命に乗じて必死で前に進むだけなのである。 わたしはもう何にも負けないだろう。結局、生きる中で負けたか、勝ったかは自分が判定することであり、精神的な強ささえ手に入れれば生きることは常に勝利なのである。 わたしを内包している彼女は、クラブ活動から帰ってきてすぐにシャワーを浴びた。これぐらいの年であると筋肉の疲労感が気持ちがいい。鏡台の前で濡れた髪をドライヤーで乾かし、彼女の癖で、眼の直前に垂れている前髪に枝毛がないか、眼を凝視させてチェックしている。この癖のためか近視が進行しつつある。 隣の部屋には父親がいるが、いつものように無視している。父親が話しかけてきたときだけ、最小限の口を聞く。それが自分に認められている特権のように思っている。 明日も明後日も放課後はクラブ活動のバスケットボールで、その意味では本当に忙しい。3年生は引退し、新しいチーム編成が行われた。そこでレギュラーに選ばれるか否かは、彼女にとっては彼女の短い人生の中での最大の関心事だった。なんとなくお互いが引かれあっているような気がしている隣のクラスの彼氏よりも、何倍も何倍も重要なことだった。そのために1年生の1学期からバスケットボール部に入り厳しい練習に耐えてきたのである。 レギュラーメンバーの発表の前日には、努力は必ず認められると自分自身に言い聞かせた。しかし、皆が努力をしていた。彼女はレギュラーになれなかった。それはとても大きなショックでバスケットボールをもうやめようと思った。それでも、踏みとどまったのは、やはりバスケットボールが好きだったからだろう。 彼女はその年に相応しい普通の青春を送っている。もうすぐに、例の隣のクラスの彼氏から電話がかかってくる。そうすれば、彼女は鏡台から慌てて立ち上がり電話の子機をつかんで自分の部屋に閉じこもるだろう。 もう夢が醒めてほしいと思う。わたしは、癌細胞として、彼女の中で分裂し増殖を続けている。
Mar 30, 2008
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これは夢である。 とても水温の低い深海の海底にいる。時間はゆっくりと流れている。 わたしの周辺で魚体がゆっくりとくねるのを感じるのは、そのときの水のゆらぎ、水圧の変化を感じるからなのだろうか、それとも、ときどき海上からゆらゆらと頼りなげに入ってくる波長の長い光のせいなのだろうか。 わたしの周囲にもたくさん魚がいるようだ。群れをなしている。誰がリーダーで、どのように統率しているのか、わからないし、そもそも群れている理由すらも明確ではないけれども、いつのまにか魚が集まっている。 彼らは同じ種類の魚なのだろうか。突然、陽光がこの深海に差し込み、すぐそばにいる魚を見てみると、自分の餌となる魚であったり、逆に自分を捕食する天敵であったりすることはないのだろうか。ただ、周囲のとろんとした水圧は、何の根拠もないのだけれど、平和な静寂を保証しているような気にさせる。 しかし、気を抜いてはいけない。狡猾な人間がいるからだ。 するすると餌が降りてくるではないか。一本の透明な糸から何本もの枝針が伸びてそこに烏賊の切り身が掛けられている。その切り身は細長い短冊型で、いかにも人間が細工をしましたという感じなのである。 群れをなしていた深海魚たちは動きはじめる。ぎょろっとした大きな眼を動かしてその餌の方に向かっていく。「その大きな眼で餌を良く見てみろよ。そんな形をした烏賊が自然界にいると思うのか。」 わたしはずいぶんと大きな声で警告をしたつもりなのだけれど、深海魚たちはその餌に群がっていく。短冊形の烏賊の端の方を咥え、反対側の端に向かって食べ進んでいくと、それで一貫の終わりだった。 大きな口に針がかかったり、喉の奥の方で針が突き刺さったりして、とてもひどい痛みを深海魚たちは感じているはずだった。それにもかかわらず、「わたしは平気だよ。何か、あなたがたは困ったことでもあるのかい。」という風に口をしっかり閉じて、とは言っても既に自分が捕らえられている証拠として枝針からの透明の糸を口から出して、ひれを巧みに動かして前にも後ろにもいかずにその場で佇んでいる。 わたしだけはそんな風にはならないぞと決心していたのに、口が、体が反射的に動くではないか。あっと思ったときには、口の中に激痛が走っている。 しばらくすると、透明な糸が巻き上げられていく。あまり大きな抵抗をすることもなく、ただ、仲間たちと自分が重量を合わせることこそが最大の抵抗と信じているかのように、体をぶらんとして引き上げられていく。 深海以外にも世界はあったのである。とても呼吸するのが苦しい世界であるけれども、確かに別の世界が存在したのである。 この別の世界でわたしたちの魚体はとても美しかった。白く輝く魚体、頭と背の部分に鮮やかな赤。この別の世界のためにわたしたちは準備されているかのようであった。 それにもかかわらず、わたしたちは人間に手荒に扱われ、バケツの中に投げ入れられていく。それに抵抗したくても、呼吸ができない。意識が遠のいていく。 早く、早く夢が醒めてほしい。
Mar 23, 2008
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どうも妻は蜘蛛になったようだ。深夜、妻はわたしのいない寝室でちろちろと白い糸を吐き出している。その糸はひどくべとべとしているのだけれどもとても細くて眼にはよく見えない。おかげでいつの間にか子供たちは絡め取られている。最近、わたしはどうも体が動かしにくい。年のせいかなと思っていたら、素直な子供たちが囁くじゃないか。妻が家庭に張り巡らせた、無数の透明の糸を切らないようにと。
Mar 16, 2008
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1)足を挟む大地アフリカのどの地域だったかはもうすっかり忘れてしまった。もしかすると、アフリカではなかったかもしれない。ともあれ、その地域は足の不自由な人が多い。男女を問わず、杖をついたり、びっこをひいている人が驚くほど多い。その地域は地震が比較的多く、その土質の性状からか、小さな地割れが頻繁に発生する。地震だからといって慌てて逃げようとすると、割れた地面に足をとられる。地割れは小さいから体全体が飲み込まれることはないが、片足がすぽんとはいってしまうことがある。恐ろしいのは、地震の振動が続くと、割れた地面が閉じてしまうことだ。時々、急激に地割れが閉じるために、最悪のケースでは足の先がちぎれてしまうのである。2)砂漠で泳ぐ魚もちろん、乾ききってさらさらした砂の中に魚がいるわけがない。何メートルも掘ると、少し湿った砂が出てくる地域ならば、その魚がいる可能性がある。砂の中でじっとしていることが多いが、ゆっくりと砂の中を移動することもある。見たことがないって?それはそうだ。砂の中だから見えないし、やはり、魚には住みにくい環境だから、この魚の住んでいる地域は世界でも非常に限られている。その個体数も少ない。砂漠で泳ぐ魚は、1990年代の初頭に大陸の砂漠で、現地の国立砂漠研究センターで初めてその存在が確認された。砂の中を移動するために胸びれを使用するので、胸びれの付け根の筋肉が異様に発達している。呼吸方法としては、えら呼吸と砂の中での呼吸を可能にしている原始的な肺呼吸の両方を行うことが知られている。食料は砂の中の昆虫を主に食しているようであるが、この魚の詳細な行動形態は今後の研究を待つしかない。3)(おそらく)南米の通信社からのニュース薬草を採りにいった16歳の少年ラキュノ村で無事保護される。 キューグロ郡ラキュノ村の山中に薬草を採りにでかけ、行方がわからなくなった少年が、2週間ぶりに警察官に発見され、保護された。手足に擦り傷があるほかは、外傷はないが、髪の毛がすっかり白くなっており、見つけた警察官は彼がとても16歳に見えなかったという。 少年は山中で空腹に耐えかね、色の鮮やかなキノコを食べた。すぐに気分が悪くなり吐いたが、意識がなくなり、気づいた時には数日が過ぎていたらしい。 夜がぎらぎらしていたという記憶があって、そのときに地割れで足を挟まれた哀れな人々や砂漠で泳ぐ魚を見たらしい。
Mar 9, 2008
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(1) 息子は身長も体重もわたしを楽に越している。息子が暴れたら、もうわたしには押さえられないだろう。 毎年、母の日の次の日曜日には、浅草の桟橋からでる隅田川の観光船に息子を乗せてやる。いつも息子はそれに乗るのがあたかも始めてのように喜ぶ。 とは言っても、息子でも少しは覚えていることはあるのだろう。そのひなびた観光船から見える風景を、時々、事前にわたしに説明しようとする。 困るのは、息子はみさかい無く他人の頭に手を伸ばすことだ。わたしはすぐにやめさせるが、その被害にあった人に頭を下げるのも、わたしの役目だ。息子のことをすぐに忘れてほしいから、その人と眼をあわせないようにして、「すみません。」とさっと謝罪する。 母子家庭であるわたしたちにとって、毎年の唯一の行楽がこの観光船に乗ることで、母の日に息子が「おかあさん、ありがとう。」とたどたどしく言いながら、クレヨンで描いたわたしの顔の絵をくれることに対するお礼のつもりだ。その絵には、それ以上上手になることはないということを証明するかのように、毎年いびつな人の顔が描かれている。 今、この瞬間に観光船に事故が起こり、ふたりとも苦しむことなく存在しなくなってしまうことをわたしは強く願っている。ここ数年、同じルートを観光船が通って浅草に戻る時、わたしはいつもそれを願っている。 まもなく船は浅草の桟橋に着く。今年も奇跡は起きない。(2) 22日午後1時30分ごろ、M市南高町無職山崎Y男さん(26)が観光船から墨田川に転落し、溺死した。転落直後に、救命用ブイが投げ込まれたが、肢体が不自由だったために、ブイをつかまえることができなかったと見られている。 それが親孝行と信じていたのだろう。 手を伸ばせば、投げられた浮き輪につかまれたのに、あの子はしなかった。あの子は水中でもがきながら耐えた。体が不自由だったから助からなかったと言われるのでは、あまりにもあの子がかわいそうだ。 わたしは確かに見た。あの子は一瞬手を伸ばそうとしたのに、それができたのに、押しとどめたのを。その水没する最後の瞬間まで、あの子の眼はわたしを探していた。 わたしの願った奇跡はこれではない。二人がともにこの世から消えてしまうこと、不幸な世界に立ち向かう力がない二人が静かに消えていくことだ。 わたしは、もはや何の希望もないというのに生き続けなければいけない。そうでなければ、あの子が最後にしてくれた、命をかけた親孝行の意味がなくなるからだ。(3) S県M市の保険金殺人事件で殺人罪などに問われた無職、山崎S子被告(52)への論告求刑公判が14日、S県地裁であった。被告は起訴事実を全面否認しているが、検察側は「金銭目当ての計画的、極悪な事件」と死刑を求刑した。 論告によると、山崎被告は夫と息子を殺して保険金をだまし取ろうと、計画。85年、元工員、山崎O彦さん(当時45歳)に大量の酒を飲ませた後、4階のマンションから転落させて殺し、保険金3000万円余りをだまし取った。87年には障害のある息子、山崎Y男さん(当時26歳)を浅草の観光船から突き落とし殺した。 わたしは自分のしたことをそれほど後悔していない。 子供の頃、男の子たちが甲虫の頭をちぎり、胴体だけになっても甲虫がしぶとくその足で宙を蹴っていたのを見たことがある。 あのときの印象が頭から消えない。最初はその無残な姿を見るのは気持ちが悪かったが、ゆっくりと足を動かし続ける様を最後までわたしは見続けた。可哀想という感情は消えうせ、その無駄なもがき自体に心がひかれた。 動きが緩慢になり、足の一本がかくんと曲がると甲虫の胴体は2度と動かなくなった。 あの子を今まで育ててきた理由がようやくわかった。あの瞬間を、あの子が水の中でばたばたともがくその瞬間を見るために、わたしはあんなに手間をかけてきたのだ。 警察には、アル中の夫で苦労し、その上、障害を持つ子供を育てるのに疲れましたと言えば、わたしの罪は軽くなるだろう。 それにしても、もしもあの子が自分の母親が誰なのかわかっていてくれれば、せめて母の日に、「おかあさん」とわたしにだけ言ってくれるのであれば、わたしはこんな罪は犯さなかったかもしれない。あの子は頭のちぎれた甲虫だった。(4) 母の日に「おかあさん」と呼ばれなくても、子供がそばにいてくれるだけで満足している沢山の「おかあさん」たちがいる。
Mar 2, 2008
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