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嫌われついでに言いますと、女性なるもの、二言めには「どうせ女やし(京都ですので)…」「どうせアホやし…」と、開き直りますが、事実的には「どうせ男やし…」という言葉はこの世に存在しないし、「私はアホや」と云ってる本人が、自分がアホとはここから先も思ってないことは、数々の事例から明らかであります。 うちの美女?事務たちをひそかに窺っていると、むしろ男が(私も含めて)バカに見える場合のほうが多いと言いたげに見える。 早い話、私がこのブログに書いているようなことを、彼女たちに述べたてたら、たちまち「私、アホやし、分りません」という返事がかえってくるでしょう。これは話打ち切りの宣言であって、そんなくだくだしい(ムダな)話はやめて、今晩のオカズの話をしよう、週末の過ごし方を考えよう、ということになるのです。すぐれて女性が現実的と言われる所以であります。 先日も書きましたが、一般に女性は文化や文明の利器の使い方が上手で、ケータイなども移動式電話という観念から抜け切れない私より、はるかに進化している。出てきたアイテムをとことん享受し、楽しんでいるのは女性ばかりです。(どうも男は造ることと、壊すことしか興味がないようで、そういえば私も子供のころプラモデルは作っている最中がハイで、作った後は関心がなくなる、あるいはすぐ壊してました。おもちゃを壊すのは、おおむね男の子です。) ところで女性営業もすぐれて現実的であって、いったん外に出るとまず手を抜かない。逆に腰を上げるのは(上げさせるのは)、おそろしく手間がかかる。 男どもは、およそ対称的で、おそろしく身が軽い、ただし鉄砲玉ですから、いったん外に出たらどこに行ってるのかサッパリ分らない、ということはママありますよね。 どちらが信用できるか、という次元の話ではもちろんなくて、要は行動と思考のパターンを知っておくということが大事でしょう(すべてを知るのは不可能としても、多少でも知ってるぞと思わせることが)。 そこで私なりに考えたことがありました。女性営業には仕事の道筋を、わかりやすく目に見えるように指し示すのです(大きな声で云えませんが、女子供にも分る、という言葉がありますね。道順を教えるやりかたとよく似ています。ゲームのように楽しく道順を示せれば、安心して出かけられるわけです)。逆に男どもには数字だけを要求して、中味にはあまり入りません。ガチガチに固めても鉄砲玉ですから、どうなるか分ったものではありませんので。 というわけで、午前中の喫茶店は男の営業マンたちの溜まり場となり、昼の中間報告が入ってくるのは女性ばかりということになるのでした。彼女たちはいったん出たからには、手抜きせずに歩き回って午後5時の終礼には必ず戻ってきます。結果報告をしながらも、心はすでにアフター5に向いています。 男どもは三々五々電話報告があるだけで、いっこうに帰ってきません。最初に帰ってくるのは成果を持ってる奴だけです。午後8時を過ぎると私のかんしゃくが、腹の虫とともに頭をもたげます。 結局今日のような月末など、我が美女?事務の制止も振り切って、私も男どものフライパンに飛び乗って、一緒にピョンピョン跳びはねるという仕儀になります。なかなかうまくいきませんね。 ― つづく ―
2006.08.31
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私は1981年創刊以来の科学雑誌「ニュートン」のファンでした。地球物理学者の竹内均さんが編集長で、例の「日本沈没」の沈没理論?をプレートテクトニクス理論(大陸移動説)を援用して提唱した人です(もちろん冗談)。 「ニュートン」という科学雑誌、全ページカラーというビジュアルな取っ付きやすさとは裏腹に、記事内容をホントに理解できてる読者はどのくらいいるのだろうと(相対性理論も量子力学も、私にはほとんど理解できません)、いつも思うのですが、かれこれ創刊から25年以上になりますね。 15年ほど前に、そこで、Biosphereという言葉に出会ったとき、地球生命圏という考え方は、当時から起こっていた環境保護運動の一環として出てきた概念だと思っていました。地球を一個の生命体とする考え方ですが、当時はその意味するところを、あまり厳密に考えたことはありませんでした。 英語を直訳するなら生命の(Bio)球体(Sphere)となるのですが、例によってWikipediaによれば、生物圏と訳され、― 生物の存在する領域のこと。 生物圏は個体群、生物群集、生態系の総和であり、生物学的階層の最上位に位置する ―となりますが、地球学的にはバクテリアまで含めれば、バイオスフィアとは地球全体を指すことになります。従来、生命は存在しないと思われていた深海や地球内部の岩石の中、つまり太陽光線が届かない場所にも、原始的な生命がいることが分り、生命の領域は思ったより、はるかに広く多様性のあることが分ってきました。 私が考えるのは、環境問題でも生物圏の境界面でもなく、はじめの「地球を一個の生命体とする考え方」についてです。1991年にアメリカでバイオスフィア2と名付けた、完全な閉鎖空間での人間と動植物の生存実験が行われたのですが、100年計画だったのが、わずか2年で頓挫を余儀なくされました。 原因はさまざま多面的ですが、第1義的には慢性的な酸素不足でした。計算上の酸素量より多くの消費がおこなわれ、動植物とも繁殖活動がいちじるしく阻害されたのです。その原因は地中に棲む好気性バクテリアの酸素消費量を計算していなかったことにありました。また二酸化炭素が増えたときは、植物が光合成で酸素を産生してくれるはずでしたが、こちらは二酸化炭素がコンクリートに吸収されて、これも慢性的な不足に陥ったのです。さらに樹木は風が吹かない空間では、根が充分に育たず結局枯れてしまうということもありました。 そして参加した8人のクルーも、食糧不足が主たる原因で、満足なチームワークを図ることができなかったといいます。 あらためて生物圏を構成する微妙なバランスが強調された結果となって、環境団体などは大いに勢いづく話でありますが、私はそもそもの酸素不足の原因である地中バクテリアに注目します。 例によってWikipediaによれば、バクテリアは― 上空8000mまでの大気圏、地下5000mの岩盤、水深11000m以上の海底、南極の氷床などといった、我々には生育困難な環境からも生育ないし存在が確認されている ―さらに― 多細胞生物体内部や表面にも多数の細菌が付着ないし生育している。…地球上の生物量(バイオマス)のほとんどが原核生物に占められる ― ひらたく云えば、そこらじゅうバイ菌だらけということですが、おもしろいのは我々の身体に付着し、棲息している細菌類です。 ― つづく ―
2006.08.30
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ここまで書いてきて、何か私が女性管理術のノウハウのようなものを、語っているのではないかと思われているかも分りませんが、そうではありません。「女性なるもの」に表徴される社会学的意味みたいなものを、私なりに考えているのです、なんちゃってね。 戦後登場した最初の三種の神器(電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ)とは、家電白物を中心にして、経済復興の牽引車となりました。その後登場した3C(クーラー、車、カラーテレビ)も含めて、私はこれらは女性に供せられたものであって、男には何の恩恵も与えてないのじゃないかと思っているのです。 実は白黒テレビの前に電気炊飯器、電気掃除機あるいは電気コタツなどがありました。最近ではIHクッキングヒーター、自動食器洗い乾燥機、全自動洗濯乾燥機などがあります。すべて女性の家事を低減するための道具でした。田嶋先生をはじめとした女性開放論者の強調するところであります。(それにしても女性解放の道具立ての普及と、料理の味が反比例するのはなぜでしょう。) 車も、平日は女性に乗っ取られて、我が美女?事務たちも(いずれも40歳、50歳過ぎの2児のお母さんですが)時給1000円の仕事の通勤に使っています(私は徒歩と電車です!)。 対して男の小道具は、仕事の分量と密度を、飛躍的に引き上げることには貢献しましたが、男の解放などという話はどこからも出てきません。パソコンや携帯は、むしろ男を拘束し追い立てることに、大いに向いているのです。今や男どもはトイレに駆け込んで、出会い系サイトのチャットでも楽しむほかないのであります。 ところで、新人の女性営業を各支店に配置するときに気を使うのが、ベテランの女性営業とのマッチングであります。男はなかなか気付きにくいのですが、女性は気配とか雰囲気にとくに敏感で、どんなトップセールスの女性であっても、一般に変化を嫌がります。自分のポジションに何がしかの変化が生じることに、すごい神経質になるところがあって、私はかつてそれで大失敗をしたことがありました。新人にベテランが駆逐されるという営業所があったのです。 新人に力があったわけではなく、ひたすらにその人数がベテランの人数より多かったというのが真相でした。その営業所は崩壊状態になりました。前もって人事を女性営業に伝えるわけにはいかず、その所長ともどもため息をついたのでした。 「気持ちを察してくれない」だの「褒めてくれない」「無視している」「話を聞いてくれない」など、あげればキリがありませんが、りっぱな成績と考え方を持った女性営業の方でも、この種の言葉はしょっちゅう出てきます。各所長の仕事の相当部分は、これに対する時間に費やされます。 男は割合このあたりが鈍感で、人事も結果で、ああそうか、ということが多いのですが(中にはそうでない連中もいて、いろいろな噂を他所から仕入れてきては得意がる、この種の男で仕事のできる奴に出会ったことはありません)、女性はそうじゃないみたいですね。 これを称して、「女性は敏感だから」という言葉が、当の女性営業から発せられます。これは裏返しの「男は鈍感だから」というのと一体で、こちらのほうは女性どうしで云い合います。私に云わせれば、女性の敏感さというのは、自分自身の感覚に対しての敏感さであって、人に対する敏感さではないと思うのですが、例えば、人に贈り物をするとき、あれにする、これにするで、いろいろ迷う、そのあげくに選んだものを相手に贈って、相手から適切な言葉がなかったとき、女性は「察してくれない」「鈍感」とくるわけですが、これは相手に仮託した自己満足なんですよ、といっても多分わかってくれないでしょう。 当のトップセールスにその種のことを、ズバリと云いました(腰抜け所長が何もよう云わないので)。すると間髪いれずに、「あなたは女性のイヤなところばかり云う」と言われてしまいました。さすが! ― つづく ―
2006.08.29
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最近は多少減った感じがしますが、電車の中での女子高生たち、ドアを背に(便所座りで)しゃがんで、メールを見るか、鏡を見る。男の子もそうですが、こういうダルな感じが今風のようで、皆のどかなことであります。 このカジュアルをこえて、ダルな感じというのは、最近のアメリカ人を見ててもよく思うので、老いも若きもTシャツ、短パンで、ブヨブヨの身体をゆすりながら、iPodを耳にさし込んでマクドを喰いながら、パソコンの株価情報に一喜一憂する(いつからアメリカはこんなダルなcultureになったのでしょう)。 生き物はどうしたら(マントヒヒやイボイノシシ並みに)、ここまで醜くなれるのだろうと感心しながらも、このダルさ加減は、たぶん彼女たちを取り囲むバリアによって、成り立っていると思ったものでした。ケータイやiPodがあることで、彼女たちは通常、家の中ないしトイレの中でしか見せない表情をしているのです。これらのアイテムは公衆の中での見えないバリアの役目をしているのでした。 生物というのは通常、いったん巣を離れれば外敵を意識して、戦闘モードの表情に切り替わる(アドレナリンが噴出する)のですが、彼女たちを見ているとアセチルコリンの出っぱなしで、いわば寝起きの表情のまま、外界に出てきたように見えます。よほど満ち足りて、居心地がいいのでしょう。 ところで以前の会社で、働いてもらっていた女性営業の皆さん、仕事のできる人と、できない人の見究めは、管理者にとって最重要課題で、これを誤ると収拾がつかなくなる。山のような面接を行って瞬時に採否を決めていく、うかうかするとさっき面接した人がどういう人だったのか、思い出せないということが頻発する(これを回避するノウハウもあるのですが)。 女の人は通常ネコをかぶるのが得意ですから、話の中味や表情などには私はあまり重点をおかず、もっぱら簡単なテスト!で判断してました。彼女たちの服装と、身のこなし方を見るのです(Hな眼でチョイ見するわけではありません、あしからず)。服装がきちんと仕事モード(戦闘服)になっており、身のこなしが早い人、これは大抵OKです。面接が部屋に入った瞬間から始まるというのはこのことです。しかし営業力というのは不定形ですから、カミソリでもナタでもよいのです。したがって多少服装に問題がある人?、動作の遅い人でもOKです。(ちなみに私はこのタイプの見究めは得意なほうでした。) 次に採用した人たちのマッチングを考えます。例の8:2の法則で割り振るのですが、これはハッキリ云って使ってみないと分らない。管理者とのマッチングということもある。2週間ほど研修しながら観察します。 まず時間を守れない人、私語をする人は×です。注意2回で即、辞めてもらいます。研修は最初2日ほどはほとんど、こちら側からの説明ですから、彼女たちの表情をよく観察します。大抵眠たそうな気分を必死にこらえているのですが、給与待遇の話になるととたんに、眼が光ります。緊張感を与えるときは質問をよくします、緩めるときは小話をします。研修も3日めになると、皆多少なじみになり食事時やトイレの様子を観察します(別に見に行くわけではありません、何組ぐらいに分かれて、誰が引っ張っているかを観察する。場合によっては腹心の女子事務を行かせる、ということです)。 実習に入ると、飲み込みの早い人、遅い人の選別をします。さらにいちばん大事なことですが、仕事に対する取り組み姿勢を見究めます。女性は一般に何事によらず、防御的姿勢でものごとをネガティブに考える人が多いですが(男はポジティブか、といえばそうではありません。何も考えてないことが多い)、研修1週間で姿勢を正せているか(飲み込んでいるか)判断します。 ここまでして各営業所に配置します。事前に各所長に簡単なレポートを送ります。 ― つづく ―
2006.08.28
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中村哲という人がいます。アフガニスタンで医療活動を行っているNGOの代表で、よく知られていますね。これまでこの人についての印象は、何かキリスト教的ボランティアの精神を感じていたのですが、先日来NHKの番組に出ておられて話を聞くにつけ、自分でかってに他人にレッテルを貼り付けることの危険をあらためて感じてしまいました。 話を聞いていると、キリスト教精神とは程遠く、むしろ日本的義侠心というのでしょうか、この人はホントにアフガンが好きなんだなと思ってしまいます。 学生のころ、私にはアフガニスタンという地名が耳に心地よくて、地図を買ってきてはよく眺めていたものです。現在でもへラートだのカンダハール、パルフといった古くからの地名のほか、バーミヤンだのマザーリシャリーフだの聞くだけで、さまざまな空想が広がります(そういえば昔のアニメなどにもこれに似た命名がありましたな)。 それはともかく、中村さんの話に、医療活動を行っている最中に、薬品、医療器具を先によこせと、ある部族が押しかけてきた。当時アフガンはソ連の侵攻を受けて戦争状態であり(今もそうですが)、男たちは皆カラシニコフを持っている。よこせ、よこさないで、すったもんだしているうちに、その部族の誰かがカラシニコフをぶっ放す。 アフガンの論理では、「やられたら、やり返す(目には目を、…)。」の社会で、逆にやり返さなかったら、たんなる腰抜けなどではなく、神に対する冒涜になりますから、大義にもとづいて現地の医療従事者たちは撃ち返そうとする。中村さんはそれを止めたそうですね。 「撃ち返すのは簡単、しかし撃ち返すことで、これまで積み上げてきた苦労は、一瞬にしてすべて無駄になる、それでもいいのか。」と云ったというのですが、私が驚くのは中村さんの胆力もすごいのですが、それを受け入れたアフガン人も相当なものですね。誇り高いアフガンですから、かなり我慢したと思いますよ。 相手は撃てば当然撃ち返してくると思っていたのに、撃ってこないので一晩睨み合いになりました。翌朝になって、その部族の長老?が中村さんのところにやってきて、和議を申し出たそうです(この長老もなかなかのものですね)。 私はここのところ蔓延している「やられたら、やり返す」式の、単純な思考回路でしか、ものを考えることをしなくなっているようにみえる、今の日本に対するきわめて高度な反事例を見た思いがしました(ちなみに私は憲法改正論者です)。 前の会社では支店の営業マンを集めて、研修をよくやってました。いわゆるネジの巻きなおしという奴です。おなじみのロールプレイなどもやるのですが、なかに難しい顧客のケースと称して、無理難題のロープレを仕掛けてくる奴がおります。 「留守と云われたらどうしたらいいのですか?」とか「他のを使ってるので」とかは、ごく普通のネガの応対ですからかまわないのですが、普通ありえないような、または絶対取れるわけがないような設定をつぎつぎと仕掛けてくる。 社長が立ち上がって、例によって怒鳴りつける。「自分が最初からできっこないと思っていることを、人に対しては平気で要求する、バカモノ!」これには私も同意! ここ最近の好戦論者の要件は、この発想によく似ていて、絶対反対できないような状況設定を突きつけて、さあそれでも平和論を唱えるか、と罵倒する。これではタフな思考の回路は閉ざされているわけで、もちろんとても危険です(この発想では営業会社では、もちろん数字はあがりません。即、倒産です。)。まあそれに反駁する平和論者の論理が、あまりにナイーブにすぎるので無理もないのですが。 中村さんの胆力は、どうやらお祖父さんの北九州若松港の親分だった玉井金五郎さんの影響があるようです。どうしてもアフガン人が好きでたまらない、というのは周囲でおびただしい死者(とくに子供)が出ているにもかかわらず、彼らがウソのように明るい、いわば自然物のような生き方、その生命感に惹かれておられるのだと思いました。そうであるかぎりムハンマドもアッラーも乗り越えて、交感できる部分があると云わず語らずに示しておられるようです。 はたして好戦論者たちは、こういう中村さんのような人を前にして、「あなたの家族に銃が突きつけられた(ミサイルが飛んできた)、さあ、あなたはどうする?」なんてロープレを平気で設定できるのですかね。
2006.08.25
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今日は怪しい話の続きです。私は科学者でも、その筋の専門家?でもないので、私の知りえた範囲で理解し感じたことを書きます。いわゆるエセ科学を吹聴する気はありませんので、よろしく。(SFをまぶした妄想くらいに思っていただくと気が楽です) 癌抑制遺伝子とはこの分裂1回ごとにテロメアをはずす指令を出す遺伝子で、これが指令を出さなくなると、細胞は永遠に分裂を繰り返す(不死性を獲得する)、だったですか。有名なあるアメリカの乳癌患者の癌細胞は、本人はとっくに死亡しているのに(確か1960年代だったと思います)、癌細胞は培養器の中で栄養補給を受けながら、今も生き続けているというのですね。 それはともかく、私の興味を引くのは個々の細胞が本来的に不死性を持っていて、永遠に分裂を繰り返しうるということです。逆にそれを抑制する装置も仕掛けてあって、その永遠性(不死性)にカギを掛けることで、個体と種全体の維持を図っているというのですが。 ここには生命誕生の時からの矛盾が隠されているようで、私の妄想はどんどん広がります。 生命の定義とは案外難しくて、生命科学ではWikipediaによると1.外界および細胞内を明確に区別する単位膜系を有する。 2.自己を複製する能力を有する。 3.外界から物質を取り込み、それを代謝する系を有する。ということですが、進化とはこの3つの機能をより高度に発展させていった過程とも見ることができます。 生命が最初、単細胞生物として地球に現われたとき、生命の条件である個体維持機能を、細胞分裂によって獲得しました。しかし単体の細胞分裂では外部(環境)の変化や、遺伝子の劣化に対応できず、より高度な生命維持機能を獲得するために、多細胞生物が現われました。さらにまた同一遺伝子の分裂による維持よりは、異なる個体の遺伝子の融合(生殖)機能によって、生物多様性を獲得し、全体として生命維持機能の高度化がなされたようです。(このあたり生命科学は、まだ分らないことが多いようです) 生命が神様のような、ある意志をもって予定調和的に創られたものではなく、気の遠くなるような偶然の繰り返しの産物によってできたものであるとするなら(私たちにはそのほうが、よほど受け入れやすいです。ヒトゲノムの解読に数年前成功したそうですが、ヒトの遺伝子はほとんどが使われない遺伝子で、おそらくかつての原始生命からの遺伝子の残滓ではないかといわれています。これはヒトが偶然の産物で出来上がっていることをよく示しているように思えます。遺伝子に限らずヒトの身体は生命合理性からみれば、数多くのムダがあるようですね。)、身体には、原始単体で発生した生命がもともと持っていた、単体で永遠に個体を維持しょうとする機能と、多細胞化して個々の細胞の生命維持機能をコントロールする代わり、個体全体ではその生命多様性を維持して、種全体で永遠性を獲得しようとする機能が、矛盾する形で並存していることになります。 とすれば癌細胞とは、単体で永遠性を維持しょうとする原始生命の機能が、ある日それをコントロールする抑制遺伝子のタガが外れることで、暴走を始めるということになるのでしょうか?このあたりが昨日の癌の1つの定義「癌とは生命が本来持っている永遠性への願望の機能だ」に対する私なりの解釈になるみたいですね。 ここに私はT.S.エリオットが何かの詩の前にパラグラフで示した、ギリシア時代の説話を思い出します。うろ覚えですが、― 昔、ある村に住んでいた女が、神様に永遠の命を授けてくれるようにお願いした。ゼウスはそれを聞き届け、女に不死を与えた。さて1000年たってその女の家に人が訪ねると、女は大きな甕の中につるされており、訪ね人がどうしたのかと尋ねると、女の言うには、確かに不死は授かった、しかし不老を願うことを忘れたので、今はこうして永遠に甕の中で、つるされて生きているのだよ、と。訪ね人が何か望むことはないかと問うと、「そう、私は死にたい」 ― 私には自ら死ぬこと(アポトーシス)を禁止された癌細胞というのは、上の甕につるされた女のような(すごいイメージですね)叫びをあげている生命体に見えます。閑話休題 ホメオスタシス(homeo stasis)とは、身体の恒常性維持機能をさすギリシア語からの造語です。表題とは関係のない話になってしまいました。響きが美しいので思わず付けてしまいました。Wikipediaによれば、― 生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質、生物が生物である要件のひとつであるほか、健康を定義する重要な要素 ―とありますが、早い話がヒトの体温が外部の環境変化に関係なく、摂氏36度前後を保っているのは、その温度が酵素の活性に最適であるからとか、それより2,3度発熱するのは外部から侵入した細菌を殺しかつ生体を維持するのに、このあたりが最適だとか、とにかく生命が私たちに、ひそやかに示唆している世界は科学的興味を超えて、想像力をどこまでも刺激するという点で、私にはおもしろいですね。 ― おわり ―
2006.08.24
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先日、大学の同期と会った話をしましたが、50歳を過ぎると増えてくる話題の1つが健康です。先行き仕事も人生も何となく見えてきた感じのする歳になると、何となく自分の身体が気になる(姿形じゃありませんよ)。 この友人たちは相当過酷な仕事をしつつ、まだ健康面ですさまじい経験はしてなかったのですが、同期の前後ではやはり何人か、ひどいめにあって傷ついたり、中には死んだ人も出てきます。 ヒトというのは40歳をこえると、体のあちこちに不具合が生じて、今さらながら自分の体が新品でなく、中古品であることを思い知らされるのですが、50歳を迎えるとそれなりに、だまし運転ができる感じで、何となく安定してきます。私の場合40歳直後に尿道結石で、それまで体験したことのない痛みを味わわされ、2年後には痛風で3日ほど歩けなくなるということがありました(別に贅沢してたわけではありません。たんに野菜不足だったということです)。 男が自分の身体にどうしても向き合わざるを得ない時期というのが40代半ばで、厄年とはよく言ったものです。それにしても日本人の死亡原因の3大疾病が癌、心筋梗塞、脳卒中といわれると、そのいずれもが外部からの攻撃ではなく、いわば身体の内部崩壊による病気であることに気づかされます。 それまで私は病気とは、外部からの攻撃によって生じるもの、ばい菌だとか、ウィルスだとか、異物などが侵入して身体を攻撃する、といった漠然としたイメージをもってました。ところが上の原因は、長生きすることによって生じた身体自身の故障であって、心筋梗塞と脳卒中については、古い水道管が錆びついてくるのと同じかな、と思ったりもします。 残念なことは水道管のように、錆びたpartsを新品に取り替えることは、身体の場合たやすくはできないということです。まして身体全体を新車に乗り換えることは、もとより適わないわけで、どうしてもこのポンコツ車をなだめすかしてドライブしていくしかありません、いずれ荷車同然となったとしても。 そのなかで癌だけは、かつての私の仕事先の部下や、その配偶者で若くして発症し、亡くなった人も何人かいたことで、私の生命感のようなものに多少の影響がありました。 1人は背中が痛いということで、仕事先から病院にいったところが、骨髄腫とわかり即入院、3ヵ月後に死亡しました、38歳。1人は大腸癌で見る影もなく痩せ細り、それでも(本人には伝えてないので)入院直前まで、私の支店に通ってました。入院1ヶ月で死亡、45歳。もう一人は胃癌でポリープの発見から半年で死亡しました、57歳。 お医者さんによれば、癌は細胞の病気なので、若い人のは進行が早い。私の見るかぎり何か病気という概念をこえて、ほとんど交通事故に近い印象を持ったものでした。ある種の細胞が突然暴走をしだす、というイメージです。 それにしても若い人の癌病棟は、見舞いに行くのがつらいですね。この中の一人は死亡前日に見舞ったのですが、本人はすでに意識はなく、ただ生命現象だけが最後の呼吸と心拍を刻んでいる感じで、たまたまその日は本人のお姉さんが付き添っていたのですが、つらすぎて涙も枯れ果てているという印象でした。生命とは何でここまでして生を求め続けるのだろう、と思ったものです。 お医者さんに聞いたり、いろいろ本を読むうち、癌に対する1つの観念が生まれました。 癌細胞とは細胞の変異種であり、なんらかの刺激によって突然増殖を開始する、その指令を行っているのは遺伝子であり、その中に組み込まれた癌抑制遺伝子が外れることで暴走するというのです。このお医者さんはおどかすのが好きみたいで、人の内部ではしょっちゅう癌細胞はポツポツと泡のように発現しているというのですがね。それが大事に至らないのは、免疫が早いめにそれらを退治するからで、身体とは本来的に癌を内蔵しているというのです。 しからば癌とは何ぞや、ということになるのですが、ある本に正確には忘れましたが、「癌とは生命が本来持っている永遠性への願望の機能だ」というのですね。癌細胞は栄養補給がつづくかぎり死なないのです。というより死ぬ機能(アポトーシス)がない。 元来、生命とは1つ1つの細胞が分裂と生成を繰り返すことで、個体全体を維持しょうとしています。各パーツでその分裂の回数や生成は厳密に分けられていて、例えば皮膚とか小腸など、外部と接触する機会の多いパーツでは、分裂の回数は多くて、しょっちゅう入れ替わっている(新品にしておかないと、外部にやられる)。それに対し脳細胞などは4歳くらいで分裂は停止し、そのあとは少しずつ減っていく(最近そうでないことが分ってきたみたいで、ちょっと安心)。そしてそれを決めているのは各遺伝子の両側についているテロメアだというのですが(間違ってたらごめんなさい)。 1回の細胞分裂でテロメアが1つ外れる、分裂を繰り返して、すべてのテロメアが無くなると分裂が停止するというのですがね。 何だか話が怪しくなってきました。つづきは明日ということで。 ― つづく ―
2006.08.23
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ブログUPに難渋している犯人探しをしているうちに、時間が遅れてしまいます(実は原因は分っているのですが)。 司馬遼太郎が対談で、今後の日本の選ぶ道として、外国人就労者をどんどん受け入れて、今の経済体制を維持するか、第3の鎖国をして優雅なる停滞を選ぶのか、二つですね、と言ってましたね(どの対談か忘れました、すいません)。 はじめの選択をすれば、とりあえず戦後築いてきた日本の経済構造を変えることなく、緩やかになるにせよ、右肩上がりの発展構造を維持できるだろう、ただしその場合、日本の社会構造は外国人を近所に受け入れるという根本的な変更を迫られ、別の国に生まれ変わらないとやっていけないだろう。 あとの選択をすれば、仮借なき経済発展は隣国に任せて、平安時代、江戸時代のように日本の優雅なる文化は、純化されて細々と生き続けるだろうが、いま目の前にある戦後経済体制の産物は荒廃に任せるしかなく、想像するだに醜い国になるでしょうな、というわけです。 そして最後にどちらを選択するかについて、司馬さんは個人的には、今から隣近所の外人さんとお付き合いを始めるのはしんどいですな、という意味のことを云われてました。先日、三宅久之さんも例の「たかじんのそこまで言って委員会」で日本以外が全部沈没して、外国人が大挙して日本にやってきたらという話で、「私は家族を集めて家にこもります」とか言ってましたね。老年の方にとっては、今からもう一度生活スタイルから世界観まで、再構築するというのは大儀なことなのでしょう。 実際には外国人就労者は、目に見える現実となって私たちの前におります。前にも触れましたが、私の近所はたまたまIT関係のインド人の技術者や、オーストラリア、イタリアなどの語学教師など比較的知識労働者が多かったのですが、それでも毎日の生活スタイルやコミュニケーションは苦労することが多く、なんで私が通訳をせねばならんのか、双方がお互いの言い分を全部、仲介者にぶつけてきて平然としている。それならば分らないふりをして通り過ぎる手も考えるのですが、日常生活では早い話、ゴミの捨て方、夜のすごし方?まで(解説つきで)教える、という具合で、私のかんしゃくは否が応でも爆発寸前まで高まります。 昔、庄司薫が小説の中で書いていたと思うのですが、英会話クラブの連中がホテルなどに行って、実地研修と称して、そこここにいる外国人(なぜか白人)にさかんに話しかける、そのときの話し方、身振り手振りがすでに日本人じゃなくて、外国人のしぐさのパロディーになっている、というようなくだりがありました。確かに日本人同士で「こんにちは」と会釈するのと、Nice to meet youでは、口の開け方から身振り手振りまで違うので、私に云わせれば、根底的な世界観の変換をやらされている。 西の文化、東の文化にそのつど、身体がまるごと引き裂かれるのであれば、牢固とした京都人のイケズな感覚が頭をもたげます。京都人の他国人に対するイケズ感覚は1200年の裏づけがありますから、それはもう本人もうんざりするほどいやらしいものです(これはまた触れます)。 私としては自分の内部のいやらしさを、毎日見たいとは思わなかったので、結局引っ越してしまいました。 しかし日本の各所では、もっとcheepな外国人就労者が、ご近所に大挙して住んでいるという地域は、ごまんとあるでしょう。そこではおそらくコミニュケーションどころか、互いに没交渉でツノを突き合わせている、という場合も多いのではないですか?こういうとき、そのいちばん沸騰的地点に立つのは、おそらくその地域の負け組みと名指しされたフリーターの日本人でしょう。アメリカで黒人差別がプアホワイトとの間で沸騰したように。フランスでアフリカ移民と沸騰したのが、就労率の悪い若年労働者であったように。 国内格差の矛盾は、そのままプアな外国人就労者との対立に結びつくのです。 司馬さんの言っていた「踏み出しますか?」というのは、今の生活を続けて行くのであれば、こうした社会へ踏み出しますか?ということです。 鎖国をすれば、日本の社会基盤は荒廃し、おそらく餓死者も出し、国際的なプレザンスも失うでしょう。外国人就労者が増えれば、上のような今までの日本でない日本が現われるでしょう。社会経済文化の国際化とは、こういうネガな要素も風景として描いておかないといけないのですが、みんな分っているのかなあ。 なかなか難儀な時代になって来ましたね。
2006.08.22
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政治向きは楽しくないので、話しないという、わがブログの原則を破って、このところのご時世について一言。 私は自民党員ではないので、外からの感想になりますが、自民党の総裁が国政の中心を担う以上、無関係ではありえないわけで、これはアメリカ大統領の選出に日本が関われないのに、その影響に無関係ではありえないというのと似ています。 安倍晋三さんの次期総裁選出が、なだれ的にほぼ決まってしまい、今や党内は新内閣の人事に関心が移っているとか、せっかちな人は安倍以後の政権奪取に入っているとか、気の早いことです。 小泉政権の功罪がさまざまに喧伝されます。いわく政治をワイドショー化したとか、何でも二分法で(敵か味方か、抵抗勢力か、勝ち組か、負け組か)踏み絵を相手に押し付ける。国内的には分りやすくて、自民党員でない人はもちろん、政治にもともと無関心な人にまで、人気が出る(選挙に強い)。反対に同じ手法を外交にも持ち込んで、中国、韓国とはにっちもさっちもいかなくなる(しかもその原因は全部相手にあるという手法)。 本格的な評価は専門家にお任せするとして、一つだけ感想を云うとすれば、この二分法は9・11以後のブッシュの手法でありました。「テロリストに関わっている国は、すべて敵とみなす」という論理をそっくり真似た国が、世界で2つありました。日本とイスラエルです。イスラエルはその後の周辺国に対する予防先制攻撃に、この論理をさかんに使いました。小泉さんは国内政治に持ち込んで、もっぱら党内抵抗勢力をあぶり出すことで、拍手喝采を得ました。 二分法とは、一言で云えば排除の論理であります。敵を明確にし、それに付くかどうか踏み絵を迫る、国民から見れば、自民党も郵政省も他人事ですから、彼らがフライパンにのせられて火に焙られるのを見ているのはおもしろいのです。ショーはあくまで観客の立場であるかぎりにおいて、おもしろいのであって、観ている人はそれが自分に関わってくるということは、夢にも思わないでしょう。ショー化した政治は、民主政治の体制下では、国民に精神の退化をもたらします。思考の論理が単純化し、物事を多面的に見る眼が失われるのです。 「国家の品格」の藤原さんはその点について、民主制というのが成熟するということは、歴史的にみて絶対にありえず、最終的に退化する、したがって理想の政治形態というのは、少数の選ばれた哲人政治だみたいなことを言われてます。これも無茶な論理であります。確かにギリシア.ローマの民主制は市民の思考の退化過程で、独裁制になってしまいましたし、現在でも世界の各国で民主性が正常に作動している国というのは、実は数えるほどしかありません。 とはいえ私は、現在の日本で少数者が政治を担う、という論理は危なすぎるとみていますし、ほとんどの方がもちろん夢にも思ってないでしょう。しかし私はこういう発想が出てくるということ自体に、思考の単純化と排除の論理のニオイを嗅ぎとってしまいます。これに対抗するには、単純に夢にも思わないんじゃなく、タフで多面的な思考力がいるのです。民主制の維持には多数のタフな思考力が必要です。 小泉さんが全般的な人気にも拘らず、靖国問題で常に一般の日本人の感情に、云わばヤスリをかけ続けてきたのは、彼の政治手法を冷静に見つめ直すうえでラッキーなことでした。これがショーではなく現実の政治であることを、国民に言わず語らずに示しているからです。 そして現実の政治が国民に突きつけている問題は、実は小泉さんは靖国だけでなく、ほとんどの問題をあとの政治家に丸投げしてしまいました。小泉さんは観客の拍手喝采をあびる問題だけに手をつけて、直接観客に関わってくる問題は、注意深く避けたのです。 年金も財政も外交も、いずれをとっても自民党や役人ではなく、我々国民をフライパンにのせて焙らざるを得ない問題ばかりです。今まで政治ショーでおもしろがっていた人たちは、自分がフライパンの上にのせられていることに気づいたときどうするのでしょう。思考しなくなって(フリーズして)暴れるのでしょうか?では思考しなくなった人を作り出したのは誰でしょうか? 小泉さんは国民の拍手喝采をバックに、自民党員と各種お役人に覚悟を強いました。 しかし国民に覚悟を強いることはしなかったのです。 戦後の歴代の首相の中で、国民に覚悟を強いた首相というのは、おそらく吉田茂さんだけでしょう。良くも悪くも戦後体制の方向を決めていったのです。 戦前は政治とは国民に覚悟を強いる一方でした。戦後は国民におもねる一方です。 アメリカや韓国その他の国々の首班は、ときに国民に覚悟を求めることがあります。彼の国々では現実に兵隊を戦争に駆り立てねばならないからです。ケネディの言った「国が国民に何をしてくれるかではなく、国民が国に何ができるのか、それが肝心なのです。」というのは、現実にG.I.を戦地に送る国だからこそ、出てくる発言なのです。 安倍さんがはたしてそういう思考論理をもって、首班となり、戦後第2の国民に覚悟を求める政治家になれるかどうか、本人の真摯さはもちろんですが、極論すれば親の罪を問えるほどの真摯さ(安倍さんだけじゃありません)を、はたして示すことが出来るのか、今世紀の日本を考えるうえで大事な時期になってきましたね。
2006.08.21
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呉茂一さんの「イーリアス」の訳文で美しい語りがあったのですが、思い出せません。 それはさておき、今の西欧人はギリシア.ローマ文化をわが直系の文化のように吹聴しますが、ご存知のとおり今伝えられているギリシア.ローマ文化なるものの大半が、アラビア文化経由であることを忘れるべきではありません。ローマ帝国の分裂とキリスト教文化の伸張で、ギリシア.ローマ文化は長く西欧社会では封印されていたのです。 彼らがそれに目覚めたのは、これもご存知のとおり十字軍の遠征に始まる、アラビア文化の発見からであり、ルネッサンスはアラビア経由の古代復古だったのです。 アテネのパルテノン神殿はオスマントルコ時代に火薬庫として使用され、ヴェネツィア軍の砲撃で今は横腹が大きく崩壊しています。外壁を飾ったさまざまな装飾品も、大半が持ち去られ(ほとんどが大英帝国博物館へ)、今みれば何だか骨組みだけの外形をかろうじてとどめているに過ぎません。 ギリシアに行ったとき、大半をアテネで過ごしたのですが、パルテノンは大理石ですので、さまざまな色に微妙に変化する。夕方など信じられないのですが、ピンク色に変色するのです。そして夜、オリーブオイルとワインの匂いをふりまいて外に出ると、相変わらず横腹の崩壊したパルテノン、月に照らされて青い光芒を放っていました。大理石とは不思議な石ですね。褐色じみたその白色の崩れかかった柱廊は、私には何だか散乱した白骨に見えました。くりぬかれて干からびた肋骨のイメージです。 今ギリシアでは、持ち去られた装飾品、美術品の返還運動があるそうですが、間違ってもそれを今のパルテノンの修復に使わないでほしいと思いますね(たとえ複製品であっても)。もちろん今以上の崩壊はくい止めねばなりません(現に修復は行われています、大理石は酸性雨に弱いのです)。しかし今ここにあるパルテノンはそのまま人間の2600年間の歴史であり、この時間の刻印こそがパルテノンの放つ微光のような美しさでしょう。かつてあったであろうパルテノンはそれこそCGや映画のセットで再現すればよいのです。 私にとってこうした枯淡な感じのギリシアの遺跡に比べ、ローマの賑々しい遺跡群はあまり魅力的ではありません(別にイタリアーノがきらいなわけではありません)。すごいなあ、とは思わせつつも、かつての人間どもの所業がネガの部分も含めて、あまりにもモロに迫ってくる感じで、今住んでる我らが脳化社会と変わりがないじゃないか、という印象が先に立つのです。 枯淡といえば、ペロポネソス半島とギリシア本土を扼する位置にあるコリントスは、歴史的には例のミュケーナイの成立とほぼ同じといわれ、繁華なアテネに比べても古代都市のイメージが強い(ちょうど京都御所の紫宸殿に対して、奈良法隆寺の金堂を見るようなものです)。さらにうしろに控える小高い山はかつてアフロディーテの神殿があった場所であり、千人の聖娼!?を置いた遺跡も麓から望見できて、これはやはり東洋的豊饒神(アスタルテ、イシュタル)を祀りあげた古い都市だったのだなと、納得させられます。 そして繁華を極めたであろう手前の街の遺跡は、黒々とした大理石の敷石で埋め尽くされ、4、5本だけ辛うじて立っている、ストーンヘンジを思わせる5メートル足らずの柱廊のなごりは、私が行ったときは雨が降っていたこともあったのですが、何だか苔むしてうずくまっているように見えました。 現在のコリンソス市はここから少し離れていて、遺跡の周辺はバルカン半島特有の石組み藁葺きの農家が数軒あるだけ。私は、もし皆さんが古代ギリシア人のささやき声を聞きたいと思うなら、コリントスをお勧めします。(余計なお世話か?) T.S.エリオットが「四つの四重奏」で確か― かつてあったことと、かつてあったろうことの、交わるところはただ一つ、それは今あるのだ ―でしたか、詩を詠んでいましたが、想像力をどこまでも飛翔させられる、こうした遺跡群というのはやはり素晴らしいですね。 何だかこの前から紀行文のようになって、UPに難渋しています。ブログのおもしろさは自分にとってまず楽しいこと、人に読んでもらっても、たぶん楽しいこと?が第一義だと思うのですが、どうもここのところ自分が厳密に楽しんでない、人にも充分に楽しませられてないんじゃないかという脅迫感があります。その原因は何か(誰か!)、次回はそのあたりの犯人探しといきますか。
2006.08.18
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古い話で恐縮ですが3年ほど前に、B.ピットの「トロイ」という映画がありました。彼の甲冑姿というのは、それまで見たことがなかったような気がするので、久しぶりに映画館へ足を運びました。うちの家内はB.ピットの熱狂的なファンで、私としては大サービスのつもりです。 映画はCGも程々で、最近のCG画像氾濫のスペクタクルにちょっと食傷気味の私には、疲れない画面でした。アイデアも各所でいろいろ小気味が利いていてなかなか良し。「イーリアス」を多少読んでる人にはウンチクを傾けたくなる場面がいくつかあって、これもGood! しかし何となく欲求不満も残った映画ではありました。一言で云えば、ギリシア神話の持っている神話性を徹底して排除していることでした。神話と歴史劇とは違うのです。そして歴史劇とするならば、実際のトロイの城砦はもっと小さかったはずだし、甲冑や衣装にももう少し古代ギリシャの匂いをつけてほしかったと思うのです。 この匂いを色濃くまとった映画に、パゾリーニの「アポロンの地獄」「王女メディア」がありましたね。イタリア人ていうのは、何だかんだ云ってもイネとか麦などの農作物の香りを出すのがうまい。日本人の私としてはハリウッド製の無機質な映像よりも、こういう土着的な感じのほうに親近感を持ってしまうのですが。私の実家は田舎でしたので、農家の家など藁の匂いで満ち溢れていましたよ。 20年以上前に、たまたまギリシアに行く機会があって、ミュケーナイやコリントスを周ったのですが、トロイの敵国連合(ギリシア方)の代表がアガメムノン率いるミュケーナイでした。ミュケーナイの城は城砦といっていい規模で、有名なライオンの門も高さ5メートル足らず、幅も戦車が1台通れる程度です。敷石に戦車の轍の溝が深く刻まれていました。 エンタシスの柱廊が立ち並ぶイメージのギリシア文明をさかのぼる600年ほど前の遺構であり、アテネを中心とする古代ギリシア文明最盛期の紀元前6,7世紀においてもすでに大昔、神話的世界の出来事でした。それを詠い伝えた吟遊詩人のホメーロスも当時すでに100年以上前の人だったのです(現代の日本で換算すれば室町時代、応仁の乱の物語を、江戸時代末期の俳諧師によって語られたものを、今読んでいるようなものです)。 それにしても今をさかのぼる3000年以上前の城砦の敷石に、戦車の轍の跡が削られて残っているのには、感動を超えて打ちのめされましたね。かつて神話上の英雄や神々が、この上を確かに戦車に乗って通り抜けただろうということが、私を打つのです。今となってはトロイ戦争が史実であったか、木馬はほんとに作ったのかなんてことはどうでもいいことであり、ひたすらに私たちの想像力を刺激してくれれば良いのです。 私の興味があるのは、英雄叙事詩を詠うホメーロスはもちろん、100年後の野外劇場に集うアテネの市民たちも、詠われる神話に登場する神々の存在を信じていたということです。 「イーリアス」ではトロイ戦争の局面ごとに神々がギリシア、トロイ双方に肩入れして、いろいろちょっかいを出します。アフロディーテはパリスに最高の美神に選ばれた関係上、トロイに肩入れしてゼウスを色仕掛けで戦争から目を逸らさせる。とたんに戦局はトロイ有利に傾く。嫉妬深いゼウスの奥さんのヘラは目ざとくそれを見つけて、夫を叱り飛ばす。へクトールの最後に同情したゼウスは、父王のプリアモスをアキレウスの陣屋に連れて行くとき、腹心の神ヘルメースに道案内させるというぐあいに。 映画では、「イーリアス」のそうした神々と人間の交歓にはいっさい触れず、人間アキレウス、プリアモス(P.オトゥール)の苦悩を描きますが、神話的状況に慣れていた2600年前のアテネの人たちにとっては、アキレウスは海の精霊テティス(J.クリスティーがやってましたね)の子、つまり半神半人でなければならず、その苦悩と怒りは人間を超えた神がかりのものであったはずです。 B.ピットのアキレウスはそのマッチョ姿も一驚でしたが、さすがに彼らしくキレたときの危ない感じ、へクトール(E.バナ)との決闘シーン、アンフォラ(大型の古代の壷)に描かれた黒絵の戦士のポーズをよく研究したなと感心しました。彼なら母からあらかじめ死ぬ運命であることを聞かされた、アキレウスの狂気をもっと出してもよかったのではないかとも思いましたが、映画はそのあたりハリウッドふうに分りやすくしてしまいましたね。 とはいえトロイ戦争の定番である木馬の話、船の廃材で作ったというアイデアが斬新で、それまでのハリウッド製張りぼての木馬よりよほど古代の香りがしてましたね。 ギリシア神話がおもしろいのは、そうした神々のちょっかいがあるにしても、全体の人間の運命はゼウスといえども動かしがたいという考え方で、せいぜい神たちは人間の所業に同情するか、怒りを与える程度の存在なのです。これは日本神話の神々のあり方とよく似ていて、多神教的感覚とはこういうことなのかなと思ったりしました。
2006.08.17
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今日は京都では五山の送り火です。ご先祖様に無事あの世に帰ってもらうために、火を焚くのですが、何しろ1200年の古都ですので、送るべきご先祖様も数多く(生きている人間の数よりも)、たいそうになってしまいました、なんてね。 とりあえず私は下世話な娑婆に、家族を放り出して、舞い戻ってきたものの、仕事モードには程遠く、あい変わらず団扇の音だけがせわしなく響きます。 時節柄、日本人の死生観のようなことも考えます。靖国の話ではありません(ちょっと話が生臭さすぎるので)。虫の話です。 私のいる事務所の通りは、殺風景なビルとコンビニ他が立ち並んで、養老孟司さんの「脳化社会」じゃないですが、徹底して死の予感を排除した風景です。それでもどこから湧いて出てくるのか、街路樹には耳を弄するセミの声。先日テレビで云ってたのですが(毎日の「ぷいぷい」の天気予報)、そんなセミでもあんまり暑いと鳴かないそうですな。そう云えばわが家の周りでは明け方、夕方の涼しい頃合いだけ、ねらったようにカナカナゼミが鳴いてます。 またまた昔の話になりますが、小学生のとき見た動物図鑑で、セミは地中で5,6年を幼虫として過ごし、成虫となって地上に現われると、1週間ほどで交尾して死ぬ。これはよく考えると地中での幼虫期間がセミの人生(セミ生?)の中心で、ヒトが呼ぶセミの成虫の姿は、云わばセミの死装束みたいなものだと(やっぱり相当すごい動物図鑑でした)。 と考えれば、チョウチョも幼虫の間は、あれだけ葉っぱを食い散らしながら、成虫になれば口は花の蜜を吸うだけのストローに変形して、あとは交尾を待つだけ、やはりこれも死装束ですな。これら成虫の姿は、生殖行動と死が一体となった姿であり、何となく切ない気分になります。私は幼虫とか成虫という命名に疑問を感じます。(まあ生殖能力の有無を大人と区分するのであれば、それはそれで別にかまわないのですが) 我々の周りには、あんがい死の予感めいた音や風景が充満しているのかもしれず、昔の人々はそれらをより身近に、それこそ障子や襖に仕切られた1つ向こう側に感じていたでしょう。そこでは死者と生者(生き物と魂)は行き来を繰り返しうるという前提があり、だからこそ日常生活ではあまりやって来てもらっては困るので、年に2回だけ交歓することにする。娑婆の都合でご先祖様や恐れ多いものには、なるべく近づかないように、うやうやしく奉っておく、なかなかうまいことを考えたものですな。 日常、日本人は無宗教だの非宗教だの、ごく気軽に豪語してはばかりませんが、外国から見れば無宗教、非宗教とは非人間に他ならず、軽々に発すべき言葉ではありません。また現に日本人が非宗教的ということは、今みてきたような死生観でも、とてもじゃないがありえなくて、ただたんに意識してないだけということかもしれません。逆に山本七平さんも云ってましたが、本人が意識しないほどに完全に感化された、世界でもっとも強力でやっかいな宗教かもしれないのです。(これを「日本教」と名づけてましたね) しかし私の感覚では、そこまで大上段に振りかぶる必要もなくて、おそらく自然物に取り囲まれた多神教の世界が日本であり、一神教的世界のものの見方からは、野蛮かつ、いい加減、曖昧、理解不能の世界に見えるでしょう。何しろ世界の文明国家?で多神教が大手を振ってまかり通っているのは日本だけのようですから。 しかし古代文明は中国は別として、すべて多神教の世界でした。ギリシア、ローマ文明も多神教の世界であったことを考えると、一神教とは宗教の一形態に過ぎず、多神教が一神教にいたる発展過程の前段階とする、西欧社会の考え方は、キリスト教(ユダヤ教、イスラム教も)を頂点とする上位区分の考え方で、私はあまり承服できません。早い話、今現在が文明の発展過程などと誰がいえるのでしょう(退化過程かもしれないのに)。世界の文明は自然物のように並列的にならんで、かってに生起を繰り返しているだけかもしれないのです。 何だか難しい話になってしまいました。早く娑婆の感覚を取り戻さないといけませんね。またまた鶴瓶の「早くゥ…、人間に戻りたい!」違ったか?
2006.08.16
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前の販売会社にいたとき、販売の実際の主力は女性営業でした。300人ほどの女性営業を数人の男の管理者が率いて、数字を追いかけるのです。 この場合、数字は女性営業の人たちを、目の玉が飛び出るような低賃金で、よく使いこなせる管理者に絞られます。下手な管理者のグループは、しょっちゅうゴタゴタが絶えない。たいていどうでもいいことが発端なのですが、男の価値判断でどうでもいいことが、女の人にとって大問題ということはよくあるようで、そこの見きわめを間違うと、とんでもないことになる。逆に上手な管理者の場合、傍で見ているとほとんど何もしていないのに、数字はどんどん挙がっているように見える。それこそ「~さん、~さん(~は管理者の名前)」の世界であります。何だかハーレムみたいですね。 私は女の人については、奥手でありましたので(ほんまに!)、目の前で繰り広げられている惨状が、何を意味するのか、初めのころはサッパリ理解できず、ひたすら右往左往していたものです。あるとき女性営業のリーダーの一人が私に向かって云いました。「~さんて、いい人ね。」 この場合キーワードは「いい人」であります。女性から発せられる「いい人」とは、仕事に関するかぎり、腰抜けと同義なのです。相手に気に入ってもらうために、調子に乗ってお茶をおごっても絶対に数字は挙がらない。私は生来、人に追従するのがキライなたちでしたので、彼女たちに何とか数字を挙げてもらうために、花やリンゴといった大サービスはいっさいしませんでした。(デートでは別ですよ) むしろ酷薄なぐらい、厳しい姿勢でいたほうが、さしあたって数字は出てくる。ただしその場合、女性群からは嫌われますよ。例の辣腕営業部長がよく言ったものでした。「管理者というのは嫌われ役やで。むしろ嫌われ煙たがられるくらいでないと、管理者の存在理由なんかない。」というのです。ここで大事なことは、当の部長は女性にものすごくもてたということです。ミーティングを聞いていてもギュウギュウ絞り上げる(例の何時間でも)のに、そのグループの女性群はそのあと嬉々として営業に向かう。そして驚くようなお土産(数字)を持って帰ってくるのです。俗にいうカリスマ性とはこういうことなのかな、と思ったりしました。 もう一人の管理者がおりました。最初のころ私の直属の上司だった人で、男からみてサッパリしていて、ものすごく仕事がしやすい。ところがしょっちゅうゴタゴタが起こるのです。手法はカリスマ部長を踏襲して、それは厳しい、とことん追い詰めないとがまんできないという人でした。当然女性営業からは大ブーイングが巻き起こります。しかし数字だけはカリスマ部長と常に争っていました。 大きな違いは、そのあとでした。1つのキャンペーンが終わると(その会社は年がら年中キャンペーンでした)、彼のグループは崩壊し、さながら焼け野が原の惨状を呈していて、私はその修復に奔走したものです。よくこの人が私に言ったものです。「あの部長だけは真似でけへんね。同じことを、もっと徹底してやってるのになんでやろ。」このあたりが人間力の差と言われてしまえば、身もフタもないので、私もいろいろ考えたものです。 もう一人ちょっと変わった管理者がいました。およそ対蹠的に、物事を強く言い放つことを一切しない人で、社長や部長からはしょっちゅう「もっと強く言え、厳しくやれ。」と叱られるのですが、なぜか数字だけはキッチリだしてくるのです。そしてここではその管理者と女性営業とのキナクサイ噂がいつも立ち昇っていたのでした。 社員旅行でこの人と一緒になりました。観光バスの中で彼がギターの弾き語りをやるのです。その声は甘く切なく、素人とは思えない抑揚で、私は思わずのけぞってしまいそうになりました。この人は男のフェロモンで女性営業を使っているなと思ったものでした、あ~あ。 ― つづく ―― 追記 ―明日から、サリエリも盆休みです。先祖をあの世に無事送り返してから、私も下世話なこの浮世に戻るとしますか。乞う、ご期待!
2006.08.11
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世間が何となく夏休みモードになり、私の団扇をあおぐ、せわしない音だけが事務所の中を領しています。海外逃亡組の美人!事務と、休み中一体何をするのか、いまだに決めようとしない若年寄の男の子2人が消えて、ようやく私の天下であることを事務所内の机やコピー器1つ1つに確認しながら、一人次の作戦に頭をめぐらせます。 高校のころ友達仲間ではやっていたギャグがあります。お互いに、どこからかおもしろネタ、おどかしネタをくわえ込んできては、友達と張り合うのですが、中に全然冴えない話題しかない奴もいて、私どもはそうした友達を指差して、「あんたも話題の乏しい人やな。」 昨日、ほぼ20年ぶりに大学の同期生2人と会ってきました。 大学の同期生といえば、子供も二十歳近く手が離れかけ、仕事もまああと10年を切った年頃で、ようやく人生の先行きが見えてきた感じのする年代です。とりあえずお互いの髪の毛の白さと薄さ、額の後退度を確認したあとで、よく顔を眺めていると表情に刻まれたシワは、学生のころと変わってないのですね。(男の顔は白粉を塗らないので、なかなか荒れない、って誰かが云ってましたな) 何か全然苦労してないじゃないか、という証明みたいですが、実際はおのおのそんなことはありません。言葉の端々、お互いの気遣いのムードで、修羅場をわたってきた余情はおのづから溢れ出てくるのです。 バブル崩壊後の10年を司馬遼太郎は「第2の敗戦」と表現しました。60年前の敗戦は世の中のすべてを一挙に清算するといった意味では、立ち直りの手順もハッキリしていて、その後の回復は早かったのでしょう。バブル後のこの10年あるいは15年(大正期と同じ年月ですよ)は、物事が一挙に変わるのではなく、まだら模様に崩れていったのでした。京都の四条烏丸界隈には、そのまだら模様の敗戦の跡が、まだ数多く残っています。 この間、同期の前後の人たちで戦死した人や(病気、事故)、行方不明になった人も、何人かおります。しかし一番変わったのは目に見えない敗戦が進行する中で、荒廃していくヒトの心であったでしょう。 私の住んでいた集合住宅(マンションなどとはとても恥ずかしくて云えないアパート)には、いつのまにやらオーナー住人がいなくなり、賃貸の外国人が住みはじめました。オーストラリア人やインド人、アフリカ系の人、アジア系の人など、種が種を呼ぶ感じで、聞いたことのない言葉が、毎夜、両隣や階下から聞こえてきます。 元来、日本の集合住宅は日本的近所づきあいを忌避する、若い住人が求めて入ったと思うのですが、こうして毎夜外国語のおしゃべりに取り巻かれていると、それでも日本人同士のある種、予定調和のようなものがあったことを、理解せざるを得ません。そのとき以来、開けっ放しだった窓は閉めるようになりました。 何だか占領軍に居座られた感じで、私はマンションを買値の1/3で売却し、引っ越しました。資産と思っていたものが負債であることを知った、これが最初でした。うちの敗戦の始まりであります。 今日本の中で何が起きている、頭で想像するだけでなく、今そこにある実体験を書き起こしておかないと、たぶん誰も気づかないだろう、忘れてしまうだろうというのが、このブログを書いているもう1つの理由です。 20年間を何事もなく、レポート紙に書き起こせば20枚(1年1枚!)ぐらいで収まってしまいそうな、話題の乏しい人生をお互いに確認しながら、それはそうじゃないんだ、戦争とか地震とかに遭遇しなくても、形を変えた第2の敗戦と崩壊を生きてきた私たちには何かを残す事柄があると、思ったものでした。 3000年前のエジプトのファラオが、パピルスを膝に置いた書記官に、口頭で申し渡しをおこなったように、「斯くのごとく書きしるし、斯くのごとく執り行え」と。
2006.08.10
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いままでの自分のブログを読んでいて気づいたのですが、私というのは視覚にすごい刺激されるみたいですね。姿形とか映像とか、よく考えればほとんど視覚論といっていいような内容ばかりです。男が視覚に刺激されやすく、女の人がより触覚的なニオイとかムードに刺激されやすいというのは、前に誰かに聞いたような気がしますが、何だかそれの実例集みたいになってしまいました。 例えばよくいわれることですが、無人のフェラーリが道に停まっていたとして、男はまずその姿形やメカに関心を持つのに対し、女の人はその車の持ち主に関心を持つ(想像する)なんてね(かんしゃくもちのマントヒヒかもしれないのに!)。 男女比較論はまた別の機会ということにして(云いたいことは山ほどあります、乞うご期待!)、さて戦争気違いの話であります。 これら軍艦や戦車、ジープ、拳銃、小銃、刀、甲冑、軍服などなどMilitary Goodsに、男どもが何を見出しているのかというと、私の感覚では、いわば死の予感に縁どられた美しさだと思うのです。殺傷道具として究極まで煮詰められたその姿形は、それが本物であれば、かつてのその持ち主は人を殺したか、殺されたのかも知れず、常にその予感に裏打ちされた微光を放っているのです。男はどうもこの匂いを子供のころから嗅ぎつけているようで、ひょっとすると本来的に男=オスに刻印された属性なのかもしれません。 男=オスが遺伝子学的には欠けた存在であると、何かで読んだ記憶があります。性染色体のオスYはメスXの一部欠けた遺伝子だというのですが、確かにそう見える、かな? まあそれはさておき、男=オスが生まれたときから、一種の喪失感を引きずって生きているというところはあるようで、だからこそSEXの渇望も生じる。ただSEXで露わなように、男=オスは永久にその喪失感を充足することはないようです。(これで充分となったら、そこで男=オスはおしまい、お払い箱!?だから浮気は男=オスの甲斐性なんてね。) 生物学ではオス、メスの差が生じたのは、単体の無性生殖だと子孫のバリエーションが限られて(突然変異以外原則的には1種類だけ)、環境変化に適応できないため、2つの個体(オス、メス)の遺伝子を混ぜることで多様性を獲得した(適応性を増した、種の生存可能性を高めた)というのですが、とするとオスは無理矢理2つの個体にするために、わざと欠けた遺伝子に創られた存在ということですか(誰が創った?そんなもの)。 ということは男=オスは永遠に喪失感の中に取り残されていることになります。(SEXのあとが、まさしくそうです。男から見れば女の人はそのあと、機関車から放たれた貨車みたいに、はるかかなたまでTripして、独自の軌跡をえがいて停まるように見える。何だかヘンな話になりました、すいません。) 動物のオスのSEX行動が、闘い行動に似ている(Moc Combat)とは、よく言われることですが、私にはこれは男=オスの永遠性への渇望に対する悪あがきに見えます。その背中には死の予感(有限性)が漂っています。 昔イギリスの批評家でしたか、スティーブン・スペンダーだと思うのですが、「創造的要素」「破壊的要素」という2つの本を出していました。人間の創造行為が破壊衝動とパラレルで、表裏一体の行動であることを論じていたように思います。ひょっとすると人間の文化財産は、男=オスの永遠性に対する渇望の産物かも知れず、とすればこの世に男=オスが存在するかぎり、創造と破壊はえんえんと繰り返されるのかもしれません。 してみると堀田善衛さんの「人間とは、まことに御しがたい。」の人間というのは、男=オスのことなのでしょうか。 人間のやることなすこと、何でもかんでも性行動(性差)と結びつけるのは、ちょっと乱暴かもしれませんが、私には男=オスの属性として、永遠性に対する悪あがきとして、いわば破壊衝動の究極としてのMilitaryの創造があるような気がしてならないのです。 ある種の男=オスどもは、それを死への渇望のように美化します。(三島由紀夫は正しくそれでした。)Militaryにどうしても美を見てしまう。それが死への渇望に裏打ちされた感覚であることを、男=オスたちはもう少し意識したほうがいいのかもしれません。 ― おわり ―
2006.08.09
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男の子は大抵そうであるように、私も子供のころはSFと戦争ものが大好きで、本にせよ、テレビにせよ、宇宙と戦争と名のつくものは、かたっぱしから見たり読んだりしていました。 戦争物については、戦後教育の反映で、何となくうしろめたい感じがあって、露骨に興味を表わすことは避けていたのですが、例のプラモデルという模型造りはずいぶんやりましたね。考えてみればずいぶん好戦的な内容で、ゼロ戦や大和や飛龍といった模型群は、すべて戦前の兵器でした。雑誌も「丸」のような戦前と見まがうような本が出てましたね。 男の子のMilitaryに対する関心がどこからくるのか、今まであまり考えたことがなかったのですが、世の中には大人になっても相当コアなファンが数多くいるようです(軍事アナリストと言われる人にも、それに近い人がいますね)。 小学生のころ、学校に行こうと家の門から出たとき、生垣に沿うようにして、戦車が停まっていたことを、今でも鮮明に思い出します。別に自衛隊の演習場に近いわけでもなく、田舎だったので、おそらく部隊移動の途中で休息していたのでしょうが、その存在感は強烈でしたね。 父によれば小型戦車の部類に入ると云うのですが、子供の目には、とてつもなく巨大に見え(戦争中、日本の兵隊がシャーマン戦車を見て、その巨大さに腰を抜かしたといいます。匍匐(ほふく)した姿勢であれば、なおいっそう大きく見えたでしょう)、日頃プラモデルかテレビでしか見たことのないものが、家の前に鎮座しているというのは、どう考えても信じられず、夢ではないかと疑ったものでした。自衛官が3人、所作無げにキャタピラーに背もたれていました。 急いで帰ってきたときには、戦車はどこかへ行って、キャタピラーの痕だけが通りに残っていました。 もう一つの情景が浮かんできます。 淡路島へ行ったときだと思うのですが、明石海峡を一隻の護衛艦が通り過ぎていくのを、呆けたように眺めていたことがありました。それまで舞鶴港で停泊している軍艦は、見たことがありましたが、こうして遊弋(ゆうよく)していく姿を見たのは、初めてだったのです。そばを通り過ぎるタンカーやコンテナ船に比べても、たいして大きくないにもかかわらず、ちょっと後ろに傾いでみえるその姿形には、ほかの船には絶対にない存在感があったのです。 そしてそのスピード、決して速くはないのですが、漁船のように波を掻き分けるでもなく、貨物船のように動いているのかどうか分らないような鈍重さでもなく、別空間を行くような悠々たる走りかた。ちょうど水族館で、さまざまな魚の群の間を泳いでいくサメのような、食物連鎖の頂点に立つ、あたりを払う雰囲気です。 私の正直な感想ですが、世の中にこんな美しいものがあるのか、と思ったものでした。Militaryには、その凄惨なキャパシティーを覆い隠す、美しい装束が備わっているようです。これを人は究極の機能美と呼んだりしますが、どうも私には機能美だけでは、こんなに男の子を魅惑する理由としては充分とは思えません。 そういえば、子供のころ凝ったものに、銃がありました。これも大人になってもマニアがいますね。私のころはすでにチャンバラごっこは禁止でしたので(パチンコも)、マテル社でしたか、プラスチックの弾を発射するモデルガンはあこがれでした(結局持たせてもらえませんでした)。チャンバラが禁止されていなければ、間違いなく刀に凝ったことでしょう。その代わりバットを振り回してました(今でも)。 銃の姿形にも美しさがありましたね。友達には驚くほどの正確なスケッチを画く奴がおりました。これはワルサーP38とか、ブローニング自動拳銃だとか、コルトリボルバーだとかね。不思議なことは、女の子はこの種の器物にはあまり関心がなかったことです。銃のスケッチブックを見るときは、いつも男の子同士の秘密会のような、強面の雰囲気がありましたね。 この種の殺傷道具(軍艦、戦車を含めて)に一種の美を認めて、それに大人になっても形を変えて魅惑される、どうもこれには男の属性が絡んでいるような気がします。 ― つづく ―
2006.08.08
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その会社の上司に、有名な辣腕営業部長がいました。20代から100人以上の部下を率いて、数字を追いかけてきた人で、ひと目で見るものを圧倒するオーラを放っていました。その人の研修やミーティングは独特で、今考えても何を言っていたのかサッパリ思い出せない。ところがしっかりネジを巻かれて、気持ちだけはものすごく高揚していたことを思い出します。 あとで直属になった時期に、そのことを聞いてみました。その人の云うことは簡単明瞭でした。「ミーティングや研修の目的が何なのか、それさえブレなければ何をしゃべっても良い。」と云うのです。「逆に目的が達成されてないと感じるときは、完全に達成できたと確信できるまで、やめてはいけない。」「だからみんなの目がいっせいに自分に向いたら、すぐしゃべるのはやめる。一人でもよそ見している間はやめてはいけない。」 まあ研修は別としても、毎朝のミーティングなどそうそう話のタネがあるわけでもなし、たいていの管理者のいちばん頭を痛めるところでしょう。この人の朝令は日によって10分で終わるときもあれば、2時間以上かかることもありました(昼までやってたんですよ、立ったまま!)。 私はそれを聞きながら、ああこの人は部下に営業をしてるんだなと思いました。考えてみれば営業管理者の仕事なんて、これしかないのです。目的は数字を出させること、この一点だけなのです。現場も同じく10分で成立するお客さんもいれば、2時間かけて話し込まないとダメな場合もあります。 戦略とか戦術とか、営業についてもさまざまな作戦がありますが、結局のところ一人一人のモチベーションで数字は決まってしまいます。どんなきれいで巧みな戦術でも、それを運用する人間の気持ちが入っていなければ、空回りするばかりです。 その意味では、今や情報に関してはメールその他で共有できる時代ですから、会議やミーティングなんか必要ない、時間のムダと考える人もいますが(うちの若年寄も!)、やっぱりそうじゃないんだなと思いますね。一人一人の気持ちを束ねていくには、やはり濃密な会議が必要ですよ、誰が何と云おうと! この会社の社長は、わりとそのあたりの営業部長の考え方を理解していて、会議ではけんかを奨励していました。ときに議論が白熱すると社員同士でつかみ合いになりかけるときがあります。たいてい彼の営業部長が焚きつけたものです。私は平和主義者(!?)ですから止めに入りますと、社長から間髪を入れず、「君、何で止めるのかね!」と怒られたものです。なかなか辛いところですね。 彼の営業部長、若いときは手下の社員を追いかけまわして、営業先までついて行く、お客さんの家の前で社員がためらっていると背中を押してドアを閉めてしまうとか、挙動不審な部下をパチンコ屋でつかまえて、部下がもう勘弁してと言うまで、半日パチンコをさせる(何だか「猫いじめ」みたい)、私はようしませんが、そんな時代もあったそうです。 というわけで、私もいつのまにやら数字を追いかけるというよりも、部下との追いかけっこが仕事になってしまいました(いつも私が鬼)。今のようにケータイですぐ連絡が取れるとか、場合によってはGPSですぐ居場所を特定する(たまりませんね)とかは、できませんから、前もって訪問先に電話をいれたりする(全員じゃないですよ)。 このあたりの機微は、すぐれて人間力のなせるワザで、私には現在でも難問中の難問です。ギュウギュウに締め付け過ぎると、ポップコーンのようにフライパンからはじけ飛んでしまう人も出てくる。現に何人かそれで失った人もいます。私は人の人生を変えるほどの影響力は、こと仕事に関しては持ちたくないので(このあたり、わりと無神経な管理者は結構多いです。そこまで管理者は偉くないですよ。)、適当に緩めます。たちまち弛緩した空気が事務所に漂います。とくに女の人はこういう空気に鋭敏ですね。 何だか愚痴っぽくなって、おもしろくなくなってしまいました。まあいずれにしても、こんな人間でも仕事は何とかできるのですから、フリーターやニートといわれる皆さんも、あまり構えずにライトに行動されたらどうですか。世の中は入ってみれば意外とおもしろいかもしれませんよ。人間なんてマヨネーズくらいに可変的で、何でも出来てしまう生き物ですよ。 ― おわり ―
2006.08.07
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もともと私のような分際が、まともに採用されるなんて思っていたのが、間違いのもとで、私はいつもこうしてあとから気付くということが、たびたびありました。今でこそずいぶんと慎重になりましたが、かつての自身の浅はかさ加減には、今でも冷や汗がでます。すべからく妙な自信とかプライドがジャマしているのです。 入社後一週間もたたないうちに、仕事内容があきらかになるにつれ、いよいよ自分にとってもっとも縁遠い世界へ踏み込んでしまったと思ったのですが、さしあたってすぐ次の給料をくれそうな会社はなさそうだし、取あえずは(またまた取あえず、一応!)一回めの給料くらいは確保したいと、腹をくくりました。そしてまあその出版社の出している書籍もきらいではなかったこともありました。 さて1ヶ月がたち、営業会議なるものが開かれました。次月目標を設定するのです。実を云うと、前の会社では社長の考えもあったのでしょうが、いわゆる営業会議なるものは年に1回か2回しか開かれませんでした。会社の掻き入れ時が年度末と9月の2回しかなかったからです。実務優先で会議など時間のムダという考えでした。 ここは販売会社ですから、もちろんそんなわけにはいきません。営業会議は毎回4,5時間があたりまえ、場合によっては10時間を超えるようなことも、たびたびでした。そして成績の悪い月は緊急会議と称して、月末一週間前に営業を終えたあと、本社に全員召集されます。残り数字の再配分をおこなうのです。当然営業マンどうしで数字をめぐって争いがおこります。優秀な営業マンには高い数値が再設定され、出せてない営業マンには確約数字なるものを求めてきます。夜っぴて殴りあい寸前の会議もありました。 というわけで、3ヶ月をすぎるころには営業マンの数は半分になっていました。なぜか私は残っておりました。数字を追いかけるのが、おもしろくなっていたのです。人間とは不思議なもので、相当過酷な環境でも適応してしまうものです。それまで夕方6時をすぎると、そろそろ帰りじたくを考えていたような私でしたが、今や午前様があたりまえ、徹夜になることも再々のすさまじい会社でしたが、人間というのはそれに慣れてしまうのです。 今となっては、私はこの慣れというものに、いつも危険を嗅ぎ取るようにしています。会社環境がとんでもない状況になっていても、中にいるかぎりそれがあたりまえ、感覚がだんだん鈍磨されて何とも思わなくなってしまう、民間の会社とは常にこういうぎりぎりのラインで、(フライパンの上で焙られるように)追い立て追い立てられるシステムだと思ったものでした。 三日三月三年とはよく云ったもので、3年たって私は主任になっていました。数人の営業マンを管理するのです。数字の追いかけっこは佳境に入り、人を使いながら数字をたたき出すという役柄になりました。自身の経験からみて、この営業なるもの、相当つぶしの利く職種で(文系でも理系でも)、いってみれば誰でも出来る、ただし数字に対する執着だけは必要という仕事です。 私のもとに入ってきた人たちの中には、とくに頭の切れる子で、数字に対する考え方を勘違いしている場合がありました。いわゆる数字合わせという奴です。架空売り上げをでっち上げ、翌月取り消しを行うという、古典的な空売りであります。結局のところ営業というのは、ある意味で鈍重なまでの愚直さと、正直さが必要なんじゃないですか、もちろん外部に対する繊細な鋭敏さは必要ですが。 頭だけが冴え冴えと先行するとどうもうまくないみたいですね。(今の社会保険庁など、まさしく冴え冴えとした頭だけがそろっている組織だという感じがします、他所も多かれ少なかれそうでしょう。かつての陸軍省もたぶんそうだったでしょう。) 8年たって50人ほどの営業所をもたされました。私は割合に狡いところがあって、自分のポジションの1つか2つ上から、今現在の自分を見るという悪い癖があります。囲碁などで相手の戦法を先読みするという奴です。そうして自身を眺めると、次の一手が割合うまくいく。この会社は何でこんなに会議が好きなのかと考えました。 社内的にも批判派がいて、とにかくムダははぶいて能率よくやりましょう、という奴です(主として女子社員から)。総務や経理から見ると営業というのは、非能率きわまるバカの集団に見えるようで(現に公害呼ばわりする美女経理がいました!)、何を好き好んで夜中じゅうワイワイやっているのか、そんなヒマがあるなら一件取って来い、ということになるのです。 確かに営業とは壮大なムダの集積のようなところがあります。機械割りで毎日の平均値を出しても、数字は読めません。私の経験でも1日2日で1ヶ月分の数字が出てしまったこともあります(もちろん待っていても、そんな数字は出てきません)。 それならなぜ会議をやるのか、ということですが、ひとことで云えば、それぞれの営業マンの覚悟を聞いているのです。先日、中田英寿が引退宣言して、テレビにも出てましたね。正直云って彼のホームページの文言は、ちょっと感傷的に過ぎ、普段彼の不適な、とんがった天才性に期待していた私はあまり感心しませんでした。 しかしテレビ朝日のインタビュウでしたか、なかなか良いことを云っているなと思いましたね。「結局、チームの選手に覚悟が足らなかったからだと思います。」私はこの一言で彼を評価しますね。 ― つづく ―
2006.08.04
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今月の予算計画が何となくうやむやに決まって、営業マンたちが、やる気のなさを背中で精一杯表わしながら出て行くと(彼らがどこへ行くのか、昼ごろまで何をしているのか、だいだい分っているつもりですが)、事務所内は夏休みの計画をしゃべりあう美女!事務の人たちの、ささやき声が聞こえてきます。私はどうも8月がきらいです。 T.S.エリオットは「4月はもっとも残酷な月」とうたいましたが、彼にとって「知性と理性」をむりやり地中から掘り起こし覚醒へと導く「春」が、苦痛の季節(花粉症じゃないですよ)だったのに対し、私のような超零細業者にとっては、8月の売り上げをどうするかというのは、9月以降の予算計画にからんで、毎年頭の痛いところであります。 とはいえ、じたばたしても始まらないので、私も思い切って海外に逃亡するか!と思ったりしますが、家族もいるので(一応?)気をとり直して、やはり「日本沈没2」でも読むか、いっそ子供をつれてリメイク版の映画を見に行って、沈没の自虐的シーンに浸るか、などと思ったりします。女の人はよろしいな! いわば社会に対して、斜にかまえて仕事を始めたのですが、もちろん世間様がそんなことを認めてくれるはずもなく、いちいち人とぶつかる。出版社の場合、印刷や製本の取引先との折衝は不可欠ですが、彼らから見れば、大卒出の青二才というレッテルでこちらを見る(今でもいわゆる町の印刷所とか、製本所には中卒高卒の工員さんがいっぱいます、当時は小学校もろくに出てない社長や職人さんがおりました)。こちらは下手な交渉はすまいと、知ったかぶりをする。上手くいくはずがないので、2年ほどは登山でいうガレ場を歩いているような感じでしたね。しかも給料が安い(今にして思えば、よく云うよ)。 そのとき出版社の社長その他から、よく云われたのが「おまえは常識がない。」という言葉でした。その時の私の感覚では「常識」なんて、そもそも人間に身についているものだから「常識」というんだろう、くらいに舐めてかかっていたところがあって、間違いに気づくのに3年かかりました。 ずっと後になって、その「常識」にも一般常識や社会常識や業界内での常識、社内での常識、仲間うちでの常識などなど、いろいろな段階があって、それぞれのレベルで使い分けなければならない、ということが分ってきました。当時の私は一般常識以外は、世間の「常識」は皆無に等しく、今考えても鳥肌が立ちます。 世にいう「常識」なるものは、生得的なものではなく、訓練されてはじめて身につくものです。そしてその訓練は家や学校ではなされません、こちらが嗅覚を持っていれば世間が教えてくれます。 それともう一つタネを明かせば、社内常識とか業界内常識は知っておく必要はありますが、一応疑ってかかる必要があります。20年ほど前までは、企業内の倫理規範は一般の社会規範よりはるかに強力で、社内での業務規定は外からの干渉を許しませんでした。世間で云われる残業とか休日出勤は無給があたりまえ、従業員の首切りも日常茶飯事で、労務局(外部)がはいるスキはありませんでした(今は派遣社員、パート、アルバイトその他のアウトソーシングで、同様の社内常識=社会非常識がまかり通っています)。 5年たってその出版社を辞めました。理由はたてまえとしては、自分の思っていた仕事内容と違うということですが、実際はえんえんたるつまらない原稿の編集に嫌気がさしていたのでした。もともと民間の営業の仕事などできっこない、ということで出版編集を探していたのですが、5年もたつと生意気になるものです。(出版業を希望されてる方には、けっこうこういう幻想を持ってる人が多いです) そこで同じ出版業界でも、もう少しおもしろそうな会社を探していたところが、世間的にもわりと知られた会社が募集していたので応募したところ、採用されたのでした。ところが入ってみて、またまたとんでもないところだったことが分ったのです。ようするにそこは営業マンを集めていたのでした。出版社という名の販売会社だったのです。 ― つづく ―
2006.08.03
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美女軍団の来襲が、月が明けたとたんに予想通りハタとやんでしまい、ホッとしていたところが、これまた怖れていたとおり、月末にあがってくるべき予算表(次月目標)が、老たけた男の子から出てこず、またまたかんしゃくを爆発させて、わが美女!事務からは団扇であおられる始末。 昔見た動物図鑑で、人間は年をとると、どんどん無口になるゴリラタイプと、ますますわめきまくるマントヒヒタイプにわかれるそうで、私は立場上マントヒヒにならざるを得ず、ややもすると人間の品格まで失いそうになります。それにしても、すごい動物図鑑でした(写真つきで)。 鶴瓶が昔やっていたギャグでありましたな、「早くゥ…、人間になりたい!」 男の子よ、おまえも早く人間になれよ!でないと、こちらまで動物に先祖返りしてしまいそう。 管理職の役柄は、仕事のおおもとの方針と、仕事のいちばん端っこの、皆が見落とす部分の見張り番みたいなものです。 おおもとの方針というのは、下からあがってくる数字の裏づけがあれば、じつはそんなに難しい作業ではない(渋面をつくって取り繕いますが、基本の考え方さえブレなければたいしたことではない)、むしろ大通りの隅にあるゴミを拾う仕事が(誰もしないので)大事で、ここに嗅覚を持ってないと外側から次第に汚染される。大通りの真ん中は誰でも走れます(バカでもチョンでも)。通り全体が向かう方向を指し示すことと、通りの路面が汚染されないように気を配る(スムースに走れないと方向がだんだんずれてくる)、これがなかなか難しい。雑務を雑務と思わず、仕事の本体の1つと認識するのに、3年かかりました。それこそ机の上が整理できてないと怒る、という種類の仕事がです(クソジジイといわれても)。 何の目的意識もないまま、大学生活を満喫した(母に云わせれば豪遊した)4年間が過ぎると、友人たちは(赤ヘル学生も含めて)すべからく就職し、私だけが残っているのでした。小此木啓吾さんでしたか、「モラトリアム」の時代でした。学生時代というのは、それ自体が就職までの執行猶予期間(moratorium)で、見えない将来をえんえんと引きずりながら、生きているようなものです。 もとより私は民間の会社に就職する気など、ここから先もなかったので、どうしょうもなくなるまでは、取あえず様子をみようという考えでおりました。今なので分りますが、この「取あえず」とか、「一応」という言葉、行動基準としてはきわめて×ですね。何も解決しないで、引き延ばすというやりかた、あとになってロクなことがない。 「取あえず」が、その後2年も続いたのです。学生生活をそのまま続行しているような感覚でいたのが間違いで、親がかんしゃくを起こすまで(うちはかんしゃく持ちの家系?)引き延ばしていたのでした。 引き延ばしが何の解決にもならず、むしろ問題が借金の利息が増えるみたいに、厄介になるのはよくあることです。大学留年生を相手にしてくれる、まともな仕事口は一般ではありえず、つてを頼っての書店などでのバイト生活が始まりました。今ふうで云うフリーターであります。 大学の卒業仲間は私を見るたびに、「おまえは絶対仕事に向かへん」と断言します。あるいは「一人ぐらいおまえみたいな奴がいないと、おもろないやないか。」 いま考えても不思議なのですが、いわば世間からドロップアウトして、世捨て人を装いながらも、案外平気でいられたのは、こういう友達がいたからかもしれません。教養知識でおよそ私よりまさっているとも思えない連中が、平然と社会を闊歩している。してみれば私だっていつでもやれるわい、なんてね。 というわけで、社員3人のしがない出版社に、白旗を振るようにして就職したのでした。 ― つづく ―
2006.08.02
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先週末にかけてわが事務所に、美女軍団の営業部隊が、入れ替わり立ち替わりやってきては、さかんにプレゼンを要求します。業種はさまざまですが、営業のねらいは一緒で、もう少し気の利いた方法でやりなさいと云いたくなります。わが受付兼事務係の美女?は、手際よく追っ払ってくれるのですが、老たけた男の子どもはまことに情けなく、簡単に懐柔されて目じりを下げて、私に寄ってきます。 こちらの営業の締め切りの感覚など、ここから先も無いも同然、何で先方の締め切りの相手をしなければならないのか、とどなりまくるのですが、こういうときだけ男の子どもは、変に粘りを発揮するのです。 それにしても男というのは、美女に弱い。これは男というよりもオスの感覚であって、ミニスカートやオッパイ半出しの女性に迫られると、簡単に骨抜きにされる。それは汗臭い男の営業よりも、気持ちのいいのは分りますが、おまえたちしっかりしろよと、ついついテンションが上がります。昔は生保や広告代理店の営業で一時はやった手法ですが、私は感心しません。 というわけで、わがブログも書き込みが滞っています。結局相手をせざるを得ないなんてね、バカモノ。 しかし考えてみれば、男同士の営業でも、相手にノーと言わせない演出には、言葉だけでないプレゼンスが必要で、大阪人なんかよくやる手が、最後の決めで相手のひざに手を置くというやりかた(相手はノーとは言えないですね)、私はようしまへん。 それにしても、いつから私はこんな雑駁な営業の世界に入り込んでしまったのか、と我ながら不思議になる今日この頃です。もとより私は営業とか商売とか取引とかいった感覚からは、もっとも縁遠い人間だと思ってました。 大学時代、将来に何がしかの展望を持って入ったわけでもなく、ただとにかく日々の学生生活がおもしろくてたまらないままに、過ごしていたのですが、友人たちは案外まじめに人生設計を考えている奴もいて、私などそういう奴をみつけると、さっそく乗り込んでいって、今どき(当時は第二次石油ショックで就職難でした)まともに将来のことなど考えるのがナンセンスで、物事はなるようにしかならない、だから日々をおもしろおかしく過ごすしかないなどと、力説しまくったものです。当時も学内には留年8年めとかの、いわゆる名物学生がいて、どうかするとすでに赤ちゃんを背負っている奴もいる、片方で赤ヘルのコワイ学生もまだ健在で、民青その他とさかんに内ゲバをやっておりました。 高校時代に出来なかった終生の友人というのが、大学のときに出来ました。地方からの奨学生で、例の四畳半一間の畳部屋に下宿している、家から通っている私としては、この下宿生活というのが、まことにめずらしく歯ブラシだけもって泊まり歩いたものでした。泊まる予定の部屋が満員のときもありました、そのときは鴨川のベンチで、蚊に刺されながら寝てました。学生とは相当汚いのですが、なかなか病気しないものですね。 大学というのは、ほとんどの学生にとって勉強というよりは、ヒトとの付き合い(女の子も含めて)の場であって、これは高校までは無かったことでした。社会に出るまでの云わば執行猶予期間を、みんなそれぞれの考えで、寝たり、食べたり、わめいたりしていたような気がします。 当時他大学との付き合いも、クラブを通じてさかんにありました。私のいた尺八、琴、三弦(三味線)のクラブも、合同演奏と称して、近所の女子大!とさかんに行き来します。同じ大学の女の子には邪けんに振るまう男の子ですが、他大学に行きますと、とたんにしゃんとするのです。部長が校門に入る前に強面で「女子大のときぐらいちゃんとせえ!」とどなります。というわけで、本来禁断であるべき女子大に、わりと大手でしょっちゅう出入りしてましたね。 ― つづく ―
2006.08.01
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