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ルールと判定 幕末、大相撲は各藩お抱えの力士が、江戸を中心に興行していたのですが、薩摩藩お抱えの横綱陣幕(じんまく)と、徳島藩お抱えの小結鬼面山(きめんざん)の慶応3年(1867年)の対決は、陣幕が元徳島藩お抱えだったこともあって、さながら遺恨試合の様相だったそうです。 土俵周りには両藩藩士が、刀の柄に手をかけ、無礼などあればいつでも切って捨てるという状態で、行司の式守伊之助は顔面蒼白、結局2回の待った、2回の水入りの末、引き分けに終わったのですが(Wikipediaより)、陣幕はほとほと嫌気がさしたのか、まもなく引退しました。 それにつけても、そのときの行司さんは大変でしたなあ。差し違えなどあれば、間違いなく切って捨てられる。立行司は今でも短刀を帯び、いつでも切腹の覚悟で土俵に上がるのだそうです。 有名なところでは、25代木村庄之助の1972年1月場所の「北の富士-貴ノ花(先代)」差し違い事件ですね。北の富士のかばい手か、貴乃花の体が生きているのかの判定で、行司は貴乃花の生きをとり、審判員は北の富士のかばい手をとったのです。 この時の庄之助の必死の形相は、今でもよく覚えています。結局彼は場所後、辞表退職ということになりました。 日本では判定は、常に絶対性を求められているところがあって、その根底には物事の事実は1つしかありえない、という前提があります(量子力学的にはこれは×?)。したがって判定の誤謬に対する批判は強烈で、これは野球の審判に関しても同様ですね。常に絶対的正しさを求めるあまり、明らかな誤審に対しては罵詈雑言、ほとんど人間扱いされない状況になります。 ここのところ、メジャーリーグの中継を見る機会が増えてきて、アメリカの審判や判定の仕方が、どうも日本と違う、根本的なところで選手観客(アメリカ人)の物事のとらえ方が、日本と違うんじゃないか、と思うようになりました。 技術的には、どう見てもおかしな判定というのは、むしろアメリカのほうが多い。イチローなんか、ときどきバッターボックスで吹き出してるじゃないですか、笑わなくちゃやってられないみたいな。 1つ1つの判定の正確さよりは、何か試合の進行を円滑にして、ゲーム全体を仕切っている、そういう感じがするのですが。判定で選手や監督ともめたとき、お互いに罵り合いますが、審判の態度が、試合進行係としてものすごく大きく見える。下僕のような、と云ったら失礼かな、まあ基本的に黒子に徹せよ、という日本の審判の態度とは全然違います。いったいこれは何なのか? 簡単に云えば、それぞれがその役柄で最大限のパフォーマンスをしている、ということでしょうか。審判の役柄、監督の役柄、選手の役柄(観客の役柄?ときどき試合進行を妨げる観客に対して、退場を命じる場面があります)、給料年俸に関係なく(たぶん天文学的大差)、その役柄に関しては一切口出しさせないという、矜持があるのです。罵詈雑言の中味もセーフかアウトかの事実の争いではなく、ようするにちゃんと仕事しろ、ってことでしょう。 日本の場合は、このとき必ず「お前の目は節穴か」、その言い方も含めて上下関係の確認みたいな口ぶりです。「俺のほうが偉いんや、俺のほうが上や」なんてね。まるで下僕に対する口ぶりです。まあ最近はさすがに少なくなってるみたいですけど。 ここで大事なのは、ルールとか判定というものが、人間同士の約束事で成り立っているという、市民社会の共通認識です。神様の作ったものではないから(これは契約、いずれ触れます)、絶対性はない、当然、誤謬も起きるが、人間同士の約束だから仕方がない、とりあえず折り合いをつける、という例の大阪人の考え方とちょっと似ています。でないと物事が(試合が)進行しなくなってしまう。 これで有名なのが(1978年)阪急-ヤクルトの日本シリーズ第7戦、ヤクルト大杉のホームラン判定に対する、阪急上田監督の1時間半にわたる抗議です。ホームランかファールかの事実関係ではなく(子供の目で見てもファールでした)、パ・リーグ、セ・リーグの上下関係みたいな話になってしまい、試合進行など何処かへ吹っ飛んでしまいました。上田監督は審判団のセ・リーグに対するお追従(上下関係)に抗議していたのです(土下座までして!ほんまに)。― つづく ―
2006.06.29
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宇宙戦争 ワールドカップサッカーを見ていると、オリンピック以上に国際性とか国民性とか、世界が民族のごった煮で成り立っていることがよく分かる。貧しい国、豊かな国、紛争中の国、新教、旧教、イスラーム教、仏教?ブードゥー教?白人、黒人、黄人?各民族というより、各種族が寄り集まって、原初的闘争心を爆発させている、という感じです。 ドイツの誇り高きゲルマン魂、 イタリアのやっぱりちょっと小狡いサッカー、 イングランドのジョンブルとは程遠いノルマン的野生、 フランスの前時代的宗主国の面影、 オランダの植民支配の荒っぽい残滓、 スウェーデンのバイキング的血生臭さ、 スペインの闘牛場の華麗、 スイスのラテン的傭兵戦士の底力、 クロアチアの民族的憂愁、 ブラジルの人種混交の仕合せ、 アルゼンチンの前世紀的オペラ座の栄華、 ガーナチョコレート?の太鼓の音、 イランのジハード戦士、 韓国のキムチパワー 日本のたくあんパワー?(ダメだ、こりゃ)、 アメリカの失敗からの反攻、 オーストラリアのラグビー的衝突と突進、 ちょっと並べても、さまざまな種族や集団が、国家という重い地理、歴史、文化を背負って、参集している、正しくこれは異文化、異宗教、異世界のぶつかり合う宇宙戦争です。 この中に「スタートレック」に出てくるクリンゴン星人やロミュラン星人が出てきても、何ら不思議じゃない雰囲気で、昨日のガーナなんか正しくクリンゴンの誇り高き戦士(Warriors)の感じがしてしまいました。 思い出すのは、昔、国境紛争中の南米のエクアドルとホンジュラスでしたかワールドカップでぶつかって、微妙な判定が出た、それがきっかけとなって、本当の戦争が両国で起こったという話です。史上最悪の愚劣な戦争というレッテルが貼られているのですが、戦争というのは大抵愚劣極まりないという感じもしますが(イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争など、死んだり傷ついた戦士がかわいそう)、どうも人類は数年に一度は、大量の血を流さないと気が済まないみたいです。 スポーツのカタルシスには、この血の匂いが不可欠のようで、そういう意味でもワールドカップは、オリンピックのように先進国にメダリストが独占されないぶん、4年に1回の各種族間の戦争に代わる大ガス抜き大会なのかもしれません。 こんな中で、ルールとか判定とか、闘いを仕切り、進行させていくのは審判なのですが、これにも各国各様の考え(思惑、概念)があって、試合中にいろいろ出てくる。 明日はこの話。 ― つづく ―
2006.06.28
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野球はスポーツか? この昔から、巷間出てきては消えていく疑問を、考えてみたいのです。 サッカーやラグビーは云うに及ばず、体力勝負のすべてのスポーツ競技からみて、野球ははたしてスポーツといえるのかどうか?という、ささやき声が私の子供時代にもありました。いわく「ピッチャーはともかく、他の野手はほとんど何もしてないじゃないか、「各ポジションの体力の消耗度に差がありすぎるんじゃないか、「ホームランだと走らなくていいというのはおかしい、「プレーが切れ切れで持続性が乏しく、緊張感がない、「時間がかかりすぎてスピード感に欠ける、等々 野球を一生懸命やっている人からは、いっせいに大ブーイングがおきそうな話ではあります。(私もそのくちでした) プロや高校野球は云うに及ばず、野球選手はそれこそ、むちゃくちゃトレーニングする、連続ノックなんて取れないとわかっていても、取りに行かないと怒られる。 確かに野球の練習量はゴルフの練習量をはるかに勝ります。あるプロゴルファーがプロ野球の練習に参加して、その過酷さに舌を巻いたという話があります。 しかしそれを云うなら、ゴルフやボウリングがスポーツなら、ビリヤードだって、チェスだってということになるので、一応競技場の本番で発揮される体力の消耗度という点にしぼって云えば、野球がちょっと分が悪くなるのは事実かな。(まあだからこそプロ野球が、年間で140試合以上もやってられるってことになるんでしょうが) ここはやはり野球の起源である、クリケット競技を思い起こさなくてはなりません。クリケットはイギリス貴族のスポーツでした。例の汗と泥を忌み嫌う貴族たちも、野原でボールを追いかけて楽しむ農民、労働者たちの球技に憧れを抱いたのでしょう。 そこで考えついたのが、汗と泥を極力排した球技でした。同じフィールド競技であるにもかかわらず、クリケットにはMoc Combatにみられる接触プレーや体力の消耗がありません。あきらかに乗馬やゴルフ、テニス(今のパワーテニスとは違います)に近いスポーツです。 しかしアメリカは英国と戦争をして独立した国ですから、もとより貴族は存在せず、イギリスのスポーツを、ことあるごとにアメリカ流に改造してしまいました。改造の要点は、1 誰でも参加できること(民主的であること!)2 多人数をできるだけ参加させる3 プレーを寸断して作戦的妙味を加える4 見ていても楽しいゲームにするといったところでしょうか?相当乱暴な意見ですが。1と2は関連しますし、3と4も同じことかもしれません。 野球にしてもアメリカンフットボールにしても、大前提は大きい奴も小さい奴も、それぞれのポジション(役柄)で活躍するチャンスを与えられているということです。さらに選手の交代は無制限です。(選手の総数は決まっているが、何回でも交代はできる。) 短いプレーを寸断してやることで、作戦タイムを作る(見ているものにも参加させる)。 もうひとつ数字的な明示性を、各プレーに持たせることで、勝ち負けとともに、各記録に歴史性を与えました。野球なら打率、打点、ホームラン、勝率、防御率、守備率などなど。アメフトも攻撃、守備各セクションでさまざまな記録が示され、歴史が与えられますね。 サッカーやラグビーにも数字はありますが、不思議なくらい少ないですね。勝ち負けだけが伝説となって、あとは文学的表現で各選手の功績が称えられます。数字的記録ではなぜかほとんど語られないのです。 このあたりはアメリカの国民性を何やら表わしているような気がするのですが、一時期アメリカではやった分析的文学批評(New Criticism)と一脈通じるところがありますね。何事も(文学芸術も)明瞭に分析できて、明示され、誰にでも(努力さえすれば)分かるようになっていないと意味がない、とは機会は均等であるべしという民主主義の根本精神の現われにもみえます。 話が逸れてしまいました。野球のもうひとつの原風景は、草野球に見られる牧歌性でしょう。R・レッドフォードの映画「ナチュラル」の冒頭で、野原で草野球をやっている中に、ホームランバッターが入ってくるというシーンがありました。これは私の子供時代にもよくあった話で、小学生の野球に突然大人が参入して、でかいホームランを打つ。われわれは羨望のまなざしで、それを眺めるという図式です。 メジャーリーグの球場は、何となくそういう牧歌性を残しているところがあって、新しいといわれるマリナーズのセーフコフィールドでも、レトロな感じがありますね(とくに屋根を動かす大車輪)。東京ドームなどがボールパークというよりは、劇場(国技館みたいな)に近いのと対称的です。 野球というのはおもしろくて、やってても見ててもいろいろ楽しめる、草野球でも少年野球でも、うるさい解説者は必ずいるのです。云わば寸断された瞬間芸の連続(アメフトも)みたいなもので、プレー以外の時間がやたらと長い。ということは、監督コーチ、外野の解説者が、いろいろ口を挟む余地があるわけです。サッカーやラグビーのように連続したプレーのスポーツには、プレーヤー以外の入り込む隙はあまりなくて、一度プレーが始まれば見ているしかない(私がジーコを援護するのはそのため)。 それに対してサッカーはともかく、ラグビーなんかはどちらかというと、私の経験では見るよりやったほうが面白い。とくにスクラムやラック、モールなどの密集戦は、くんずほぐれつの中でいろいろ駆け引きがある、これはやったものの楽しみでしょう。 ともあれ野球はスポーツか?ということよりスポーツが、それぞれの国や歴史を背負っているということが分ったみたいな、一体何を話していたのかな。 ようするに野球のルーツは、英国貴族の趣味で、本来汗かきスポーツではないのが、アメリカ的民主主義で、すこし汗と泥をミックスして大衆化されたもの、ということになるでしょうか。 国民性といえば、ワールドカップサッカーほど、それを反映したスポーツもないようで。― つづく ―
2006.06.27
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Moc Combat 丸くて転がるものを見ると、むやみやたらと追いかけたくなるのは、人間もイヌやネコと同じ動物種(ものを狩って糧にする)のDNAを引いているためでしょうか。 ついでに云うと、競い合うものがいると、絶対にどう出し抜いてでも、それを自分のものにしたくなる、というのはほとんど原初的な本能であるようです(でないと食えなくて死ぬ)。 2ヶ月ほど前でしたか、例によってNHKのBSで、イギリスのとある村同士の、Moc Combat(模擬戦)の儀式をやってましたね。 二つの村の屈強な者たち、数百人が寄ってたかって、1つのボール(木か石か、とにかく丸いもの)を、獲り合う壮絶な戦いでした。獲ったボールを教会かどこか、神聖なところに収めたほうが勝ちなのですが、なにしろ手も足も何でもありで、場所も人数も時間も無制限ですから、何日間も村と村の間の丘や川で、延々と数百人の組んずほぐれつの争奪戦が繰り広げられる。ルールもあるような無いような、すさまじい戦いの儀式なので、かつては死者やけが人も出たようです(今でも?)。 領主や王様貴族は当然何度も禁止したそうですが、そうした儀式(祭り)が今も頑として、こうして残っているということは、物を追いかけ奪い我が物にするというのは、まことに人間のSavage感覚に訴えるものであったようです。 こうした野生のまんまの模擬戦をSportsとして飼いならすのは、イギリスのお家芸で19世紀中ごろに、手を禁じるサッカーと、手足を認めるラグビーに分かれました。いずれにしてもこの2つは王侯貴族の趣味とは対極をなすスポーツで、被支配階級の宣撫策として用いられたのです。王侯貴族のスポーツとは、云うまでもなくキツネ狩り、乗馬(ポロ)、ゴルフ、テニスであります。 汗と泥は農民、労働者の象徴であり、貴族階級の最も忌むところでした。西欧は今でも厳然とした階級社会であり、サッカーやラグビーは被支配階級のガス抜きとして、きわめて好都合でした。今のワールドカップにもその残滓は色濃く残っていて、村同士の戦いの跡は地域対抗戦として、イギリスだけはイングランド、ウェールズ、スコットランド3地域別々に、それぞれの代表として登場します。 ラグビーにも5カ国対抗戦というのがありまして、この5カ国とは上の3地域にフランス、イタリアを加えて5つという意味です。 いずれにしても、そのサッカーが世界でもっとも認知度の高いスポーツとなっているのは、単純なルールやチープな道具で出来るということのほかに、やはりそのもともと持っている原初的なSavage感覚と、帰属意識(Identity村、民族)からでしょう。イスラーム諸国やアジア、アフリカ諸国も巻き込んだスポーツ大会というのは、オリンピックでもそうあるものではありません。 思想宗教をはるかに超えて、よほど人類の属性にマッチしてるんでしょうね。
2006.06.25
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格闘技 ドルトムントは一部のファンには神聖な場所でありました。フィギュアの荒川さんが2年前の世界選手権で、初めて優勝した場所だったからです。前にも書きましたが、そのときの荒川さんはトリノのリファインされた静けさを感じさせる演技とは対称的に、火の出るような凄味をみせました。 難度の高いジャンプをことごとく決め、1番滑走者であるにもかかわらず、技術点で満点を出した審判もいました(1番滑走は相対評価だった当時の採点法では、満点を出しにくく不利といわれました)。ドルトムントの観客は総立ちで荒川さんを拍手喝采したものです。 元祖ジャパンブルーの日本サッカーチームには申し訳ないけど、何だか神聖な場所を汚されたような気がするのは私だけでしょうかね。 まあしかし、この結果はこの試合に関しては順当でしょう。どうしても2点以上で勝つ、という前提に立てば、攻撃的布陣を取らざるを得ず、そうすれば当然防御は薄くなるという、あたりまえのセオリーが待っているわけで、負けるときは大差にならざるを得ない。 またまた犯人探しがしばらく続きそうですが(もうその元気もないか)、これだけは何度も云いますが、ジーコは関係ないですよ。重い重い日本の歴史と文化のコンセントを抜けなかった、選手が悪い(マスコミも)のです。韓国やオーストラリアを見ていると、いよいよ技術論作戦論ではない、もっともシンプルな意味で格闘技というものを分析する必要があるのではないか、という印象を強くします。 彼らは決して前評判の高いチームだったわけではありません。さらに監督は本戦前まで、交代を繰り返してました。ヒディングにいたっては、本戦の1年前でしょ。作戦技術を練り上げてなんて、そんな悠長はなかったはずです。 もし彼ら監督に役割があったとすれば、選手たちのモティベーション(闘う意思)を最高に引き上げることだけでしょう。作戦技術はモティベーションをひきあげるための手段であるに過ぎないのです。主役はピッチに立って闘う戦闘員である、選手のはずなんですが。 格闘技(Moc Combat)の世界において、技術とかセンスとかに何か魔術があるかのような、幻想が日本をおおっているのです。王、長嶋の技術センスの権威にすがるのと同じく、ジーコの技術センスに権威的に追従すれば安心という幻想が(で、それが適わなければ、その権威である監督が悪いと)。 頼られる王さん、長嶋さん、ジーコはもどかしいでしょう。肝心なのは闘争心、闘う本能を解き放たなければ、必ずやられる。 アルゼンチンのかつてのスーパースター、マラドーナが来てましたが、彼に知性を求めても仕方がない。ハッキリ云って動物Savageですよ、彼の雰囲気は。日本人はこれになれるのかなあ、韓国、オーストラリアはなれますよ。 もしそれでもセンスというなら、闘争心を解き放つ(動物に戻る)センスだけなんですが、できるのかなあ。このやさしい文化国家で。 またまた昔、格闘技とは無縁といわれたテニス界にJ・コナーズやB・ボルグ、J・マッケンローなどきら星のごとく現われた選手たちは、ことごとくSavageの匂いを周囲にまき散らしてました。延々と繰り返されるハードヒット、短距離走(ダッシュ)と長距離走(ランニング)を繰り返しながらの(場合によっては4時間、5時間!)ハードパンチの応酬は、まさしくネットをはさんだボクシング(格闘技)でしたね。 これはまた別の話。
2006.06.23
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記憶と想像力 古代の都というものについて、いろいろ空想がひろがります。今の京都の都市風景から、1000年前の都(みやこ)の語感で表わされる都市のイメージを膨らませることは、至難の業です。 1000年前の都人、周辺の住人は、京(都)をどのようにイメージしていたか、彼らの心象風景にどのように映っていたのか、今の私たちには、どこまで想像力で迫っていけるのでしょうか。 ここで記憶と想像力について、やはり一つの重い話をしなければなりません。 11年前の阪神大震災の記憶も、考えてみれば、おびただしい映像の記録が残っているにもかかわらず、直接体験者の方の記憶を、追体験することは不可能だという気持ちが強い。 私は当時京都市内におりまして、自宅の前の電柱の電線が交錯してスパークし、青い光が2度3度障子越しに輝いていたのを思い出します。家の方向とゆれの方向が良かったのか、家具等が倒れることは、なかったのですが(伏見区などでは方向が悪く、家具が倒れたり食器が落ちたり大変だった地域もあったそうです)、窓から外を眺めるとJRの貨物列車が徐行運転しており、まもなく停まってしまいました。このあと終日その列車は停止したままでした。 最初のゆれの直後に、神戸の友人から電話が架かってきました。しばらくは電話がつながったのです。その人は東灘区の住人で、あとでわかったのですが、最も死者のでた地域の1つでした。 その友人が「そちらは大丈夫か?京都が震源と聞いたんだが。」というのです。 半壊したマンションからパジャマで飛び出して、最初に出てきた近所のうわさが、京都が全滅したという話だったそうです。 ゆれの最中の記憶は、例のNHKの局内映像と同じで、自分ではどうしょうもない力で翻弄される、テレビが3回転して頭の横に転がってくる、ファンシーケースが倒れる、ひび割れした天井から噴出す水を眺めながら、死ぬとはこういうことなんだな、と思ったそうです。 ドアを開けて(幸運にも開いた)、周りを見たところ、隣の住人もドア越しに外を見ていて、その顔が総毛立って真っ白なのを見て「ああ自分もこういう顔になってるんだ」と思ったそうです。 その友人の体験は、本人に聞いてもらうのが一番ですが、私は他人の体験というものが、どこまで追体験できるのか、記憶というものが、どこまで共有できるのかということで、この話をしています。 その人は水浸しの自宅(階上の部屋から水が入って、部屋の衣類その他はほとんどダメになったそうです)にもどって、着替えると近所の土建屋さんの車に乗せてもらい、倒壊して燃えている家並みの間(東灘は倒壊火災の最もひどい地区の一つでした)を、大阪へ、さらに京都の親戚の家まで、当日のお昼には避難してきました。 大阪で友人は不思議な体験をしたそうです。土建屋さんの車を降りて(その車はまた引き返したそうです)、休憩しょうとしたとき、大阪の町が何事もないかのように(実際はそんなことはなかったのですが)、朝の準備が粛々と進行していることにです。一見して被災者とわかる自分たちが、喫茶店で休んでいても、逆にそれが現実と思えない。何か別の写真を貼り付けたような違和感があって、信じられないことですが、お茶代を払って出てきたそうです。その後JRは停まっていたので、地下鉄と近鉄で奈良を経由して京都へやってきました。 私のほうは地震直後から、例によってテレビに釘付けになっておりました。文字と音声の死者数の発表から、現地の倒壊映像に切り替わってから、死者数の伸びと映像のギャップに苛立っていました。第一報は、倒壊した2階建て文化住宅の、延々とつづく映像でした。そのときはまだ、あとあとくりかえし放映された火災映像はなかったのです。(実際火災が本格化したのは午前9時ぐらいからで、その後延々と翌朝まで燃え続けました。) 倒壊映像の規模からテロップで流れる死者数では、とても収まらないだろうと直感しました。午前7時段階で発表死者数はまだ数十人の単位でした。 今、この最初の累々たる倒壊住宅の映像を思い出すたびに、ある種の痛みが走ります。例えば事故で体が傷ついた瞬間、血が噴出すまえの一瞬間に生じる痛みの感覚です。そのとき倒壊した家々の中には、まだ生きている人が多数いたということを思い出すからです。 後から何度も放映された、圧倒的な高速道路の倒壊映像や、長田区の火災現場でなく、私自身のナマの記憶として、そのときの感覚は今も残っています。 その後、彼の友人からは何度も震災の体験を聞かされました。また私の感覚を確かめるために、他の知人友人からも、いろいろと聞いたりもしました。そのうち私には、これは以前、別の場所で聞かされたこととよく似ている、という感覚が芽生えました。 それは父が繰り返し語っていた戦争体験です。その体験話を聞かされる私には、これはとても自分の感覚と共有できないだろう、という一種のあきらめのようなものがあったのです。― つづく ―
2006.06.22
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都市と文字 今日はちょっと変な話をします。 私が事務所に出かけるとき、なぜか途中に田畑があります。田植えどきの田は水をはっていて、一年を通しても、最も美しく自然の活力を感じます。 しかしよく考えてみると水田というのは、ヒトが自然に加えた、もっとも古い人工物であるかも知れず、私たちが普段イメージしている自然というのは、里山もふくめて人智(人工)を究めた日本人の長い歴史の映像であることに気づきます。 30年ほどまえから、米の獲れすぎで減反政策なるものが実施され、全国的に放置された水田が見られるようになりました。子供心に放置された水田の荒れようを見るにつけ、本当の自然の映像というものが、普段の見慣れた風景とは異質の、殺伐とした荒廃のイメージだったことを思い出します。 「古事記」などの神話では、天孫降臨以前の「葦原の中つ国(アシハラノナカツクニ)」は、アシ(悪し)中(中間)を意味し、葦の繁茂する沼地(陸上でも水上でもない場所)という荒蕪の印象がありますが、降臨後、そこは「豊葦原の瑞穂の国(トヨアシハラノミズホノクニ)」と、みごとに水田風景(人工物)に転換され、この神話が人間、自然を平定統治していく物語であることを、よく表わしています。 このことはヒトが狩猟採集から定置農耕に移っていく、当時の社会の変化と平行していて、神話は祭祀と一体で、自然と人間の統御をすすめていきました。当時言葉は存在しましたが、文字は社会的には存在しませんでした。神話は常に祭祀と一体で語られ、あるいは舞踊に合わせて詠われて、見せ聞かせることで、機能していました。 天皇(スメラミコト)が一面で、神社(自然を祀り、統御する)の最高の神官としての役柄を担っているのは、そのためです。 社会の転換点には、こうした神話や思想が世界的にも各地に現われるので、K・ヤスパースは人類史的には紀元前5、6世紀前後が、定置農耕社会を推進する思想の始まりとしました(中国の孔子、インドのガウタマ・シッダールタ、ギリシャのソクラテス等) 以後2000年以上、ヒトは根本的な社会変動なく過ごしてきたわけで、20世紀以降の急速な工業化と都市化に対する人類史的な思想は、まだ現われていないと彼は云います。 してみれば、私たちは2000年来の人智の風景の中で暮らしているわけです。竪穴に葦藁の屋根をかぶせた古代の家屋は、日本人の生活の原風景として今も生きています。 ここからは私の空想です。 しかしその中にあって、都市だけは定置農耕と別次元の思想を必要としました。 たんに物資消費地としての都市の特色だけなく、統治者、被統治者が直接接触する場所として、祭祀以外の言葉を都市は必要としたのではないか、ということです。都市とは文字を必要とする場所だったのです。奈良の平城京以来、おびただしい文字文献が出てくるのは、都市が文字の使用と不可分で成り立っていたことを表わしているので、コトバから呪術的要素を切り離し、文字を生活の手段として使うのが、都市の特色だったのかもしれません。 平安京以降、それまで特権階級の男の独占物だった文字が、ひらがなの登場で急速に女や庶民に広がったのには、あらためてそこに存在した平安京という都市を考える必要があるんじゃないでしょうか。 何だか妄想に近くなってしまいました。今、私たちが使っている言葉とか文字が、現在の都市的風景(養老孟司さんの云う脳化社会)とどう絡み合っているのか、かつてヒトはコトバとか文字をどのように捉えていたのか、ちょっと考えてみたくなったので、むつかしくなりました、すみません。― つづく? ―
2006.06.21
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二都、三都?物語 大阪人が権威を信用せず、利用することだけを考えているんじゃないか、ということを私の独断と偏見で書いてきましたが、もっと云うと、反権力、反権威指向が反東京、反関東と勘違いされてるのではないかということです。これは当の大阪人自身も勘違いしているところがあるんじゃないかと。 阪神タイガースはメジャーであって、地方のマイナー球団じゃありません。早い話、今、東京にメジャーな球団はありませんよ(巨人ファンの方、ごめんなさい、今の巨人どう思います、メジャーに見えますか?)。コアな阪神ファンは不満でしょうし、寂しいのかもしれませんが。 またまた昔の話ですが、江夏、田渕の時代、コワイ阪神ファンは数多くいました。負けたら無事で済まされん(実際よく負けました)、外野から野次罵倒、空き瓶、弁当箱、家庭ゴミ?の投げ込み、何でもあり、逆に田渕がホームラン打つと、ステテコ腹巻のおっさんが飛び出してきて土下座する、という時代でした。 今は何だか応援も統制されて、Jリーグみたいに、お行儀が良くなってしまいました。吉本が東京へ進出して、本体自体が変質したみたいのと、よく似ています。全国的に阪神風応援のパフォーマンスを楽しむのがメジャーになったみたいな。 良い悪い、好き嫌いは別として、メジャーであるということは、こういうことでしょう。反東京、反関東と気張っている限りは、永久にメジャーな都市にはならないでしょう。 話は別です。大阪の歴史が、商売を中心として動いてきた以上、政治、行政に無感覚(鈍感)になるのは、あたりまえで、京都のように政治向きによって、焼け野ヶ原になったり、人斬り御免が横行したりといったことは、大阪にはありませんでした。 京都は1000年の都を東京に奪われて、いまだに権威に対して独特の屈折した感情があります。都である以上、政治向きと無関係で居ることは、普通の住人にとっても不可能で、外からやってくる人たちとの付き合いで、独特の習慣が生まれました(大坂のようにヒトを経済人として割り切れない)。 京都が外からの政治向きの人々によって、繰り返し焼かれたり、戦争の舞台であったことを忘れるべきではありません。(市内には1000年前の建物はほとんど残っていません。主な観光名所は、ほとんど明治以降のもの、このとんでもない策略!今や静岡の市街地規模にも及ばない地方都市であるにもかかわらず!) というわけで京都の話をするのですが、何しろ重たい歴史を背負ってる二都だけ取り上げるのは、私も気が重いので、JR西日本風に神戸もまじえて「三都物語」にしましょうか。神戸は歴史がないので(失礼!軽いぶん明るいイメージがありました、しかし10年前の震災で重い歴史を背負ってしまいました。これはまた触れます。)バランサーとしてはちょうど良いのですが。 これくらい都市のイメージがくっきりとしていると、話がしやすいです。― つづく ―
2006.06.20
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強い韓国、やさしい日本 それにしても日本は勝てないですね。勝たないと云うべきか? ジャパンブルーのブログとして、サリエリ的視点で勝つための処方箋を、そろそろと提示してきましたが、どうも間に合わないみたいで、いまだに脳みそフリーズ状態で、野生の開放には程遠いみたいですね。 中田英寿の発言が何となくWBC途中の(2次リーグ韓国戦敗退後の)イチローの発言に近くなってきました。クロアチア戦まえの練習で、先発組の元気の無さを指摘する記事がありました。それに反比例する形で中田の発言が浮いた感じになっていくのは、イチローのときと、まったく同じシチュエーションです。「勝てる試合を2度落とした。」というクロアチア戦後の中田の発言を、他の選手はどう受け止めるのでしょう。 オーストラリア戦敗退後、ジーコに対する批判がまたまたマスコミをにぎわしました。これもWBCのときと同じ流れです。(ただしWBCのときは批判の矛先をイチローに向けようとする動きがありました。イチローもそれをなかば意識して発言していました。) 勝負に勝つ嗅覚、野生の本質のようなものを本当に理解しているのは、サッカーではジーコと中田の2人だけに見えます。 WBCでイチローの「今後30年間は日本と試合をしたくない、と思わせる試合がしたい。」という発言を理解した選手、マスコミがいなかったように。 それにしても釜本がいたらな、と思いますね。ストライカーはやはりサッカーの中でも特殊で、俺が決める、俺がすべてだ、みたいなキャラクターが絶対必要です。 まえにも云いましたが、これは育てて出てくるものじゃなくて、かってに生まれてくるものです。ただしどういう天才を生み出すかは、やはりその国の歴史文化に左右されます。国民がどのような天才を期待するかで、そのタイプが決まる、今MFに天才が集中しているのは、日本の現在の歴史文化の反映そのものなのだと。 野球でピッチャーだけは特殊なポジションといわれますね。お山の大将じゃないですが、天下は俺のもんやとばかりに、大抵のエースといわれる選手は投げてます。 考えてみればあたりまえで、野球はピッチャーの投げる球で試合が成り立っているのですから。バッターが攻めているようにみえますが、野球というのはピッチャーの投げてくる攻め(球)を、バッターがどう守るか(打つか)というゲームですよ。金田にしても江夏にしても(古いなあ!)、それこそハナモチならないエースでした。マスコミには叩かれることしばしばでしたが、現役時代は平気でしたね(平気を装ってた?) 今や日本は冷暖房完備で、教育が行き届いて、野生の発露には住みづらい国なのかもしれません。動物園の飼い殺しのライオンみたいに。凄味のないフォワードなんて形容不適ですよ、猛獣の殺気とフォワードは一体です。 ジーコ批判がなぜか頻出します。しかしMoc Combatの構成員は誰ですか。ジーコがボールを蹴るわけではないでしょう。アメリカは例によって相手を挑発することで、自分たちの士気(Moral)を高めましたね。 韓国は偉い国ですよ。ワールドカップ直前まで監督が次々と入れ替わってMoralなんて揚がりようが無かったのに、本番になればちゃんと仕事をしている。彼らは誰が当事者(戦闘員)なのかちゃんと理解していますよね。これは彼の国が、野生の開放を認める歴史文化を持っているからです(だからテポドンも飛んでくる!?コワ~)。 マスコミや一部のフリックは選手をかばい、作戦を批判します、とくにヒディングと比較して。しかし選手は間違ってもそんなことを考えてはいけない。戦闘員の凄味を見せなけりゃ、どこと闘っても勝てませんよ。作戦とかチームワークとか技術とか、いったんそうした理性のコンセントは外して、猛獣の殺気を振りまいてピッチに臨んでほしいですね。 WBCで日本がルールのマジックで決勝トーナメントに出られたように、奇跡的な逆転を望むのなら、ライオンの(トラでも!)殺気を持った選手だけをピッチに送るべきです。 もしジャパンブルーの幸運がまだ残っているとしたら、われわれもそろそろアイーダはやめて、トゥーランドットにしたらどうなのかなあ、ヴィンチェロ、ヴィンチェーロ!とかね、あーあ。
2006.06.19
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折り合いをつける 京都在住のアレックス・カー氏が、大阪人を評して「大阪の人は、相手を理解するしないは別として、取りあえず折り合いをつけるのがうまい。」とか云ってましたね。これは商人感覚の付き合い方です。良いとか悪いとかではなく、取りあえず決着をつける、ご飯粒の糊で貼りつけたような、いい加減な解決(すぐ剥がれる)であっても、白黒つけないと事が進まないみたいな。 その場合の行動基準は、事の善悪(倫理)ではなく、どっちが得か損かという経済感覚です。ヒトを経済人(経済合理性のみで行動する存在)と見なし、モノを商品(財、金に換算できるもの)と見ることは、近代経済の第一歩です。 ただし、それがすべての判断基準になると、なにしろ取りあえずつけた折り合いだけでは、すぐ剥がれてしまので、これを統御し推進するには、その経済合理性を裏付ける倫理基準が必要でした。西欧の場合は、M・ヴェーバーが云うように新教(プロテスタンティズム)が、経済行動を推進する倫理基準でありました(金儲けが神への奉仕であって、個人の浪費、利己的行動とむすびつかない)。 大坂にはそれはなかったので(かつてはあったのかも)、今の「八戸ノ里」や「村上ファンド」になるわけです。折り合いがついていれば、何をしてもよいというような。 日本では大坂の周辺も一歩出れば、牢固とした殿様、農村社会でした。そこは濃密な農耕倫理社会であったわけです。農村の行動基準は紛れもなく自然であって、全員に同じ行動を要求します(でないと食っていけない、四季を通じて行われる祭りは、同属集団の意識づけの場でもありました)。 太閤さん以降、大坂は商業の中心都市として、江戸期を通じて、なぜか武士のいない社会でした(いたのですが、いないも同然)。町のしくみは町人がかってに造ってました(そのほうが商業行動に便利なので)。大坂商人は大名(幕府にも)に金を貸すことで、権威の裏側を知り尽くしていたはずです(権威を利用する発想も当然出てきました、今でも!)。 江戸にも豪商はおりましたが、幕府(武士)の権威は、近くてあまりに大きく、独立した社会構造を築くには至りませんでした。 結果として大坂ではヒトを、もっともプリミティブな意味で、経済人として見る傾向が生まれました。この相手は自分にとって損か得か、この事柄(商品)は自分にとって損か得か、の判断力をつけるには、相手(ヒト、モノ)を権威や装飾をはがしてナマで見つめる必要があります。 こうしてみてくると、尾張で発生した織田信長の「楽市楽座」の制度は、近江、大坂とすすんで、いずれも近代経済の先駆けになってますね。(トヨタの企業倫理は、ちょっと違うような気がしますが。) いい意味でも悪い意味でも、大阪人は今でも権威をヘとも思わず、ナマな人間として見る傾向がありますから、外国人との付き合いも平気なところがあります。(そういえば大手商社は、近江、大阪で発達しました。今でも海外の汚い仕事は関西人がやっていることが多い、汚いとも何とも思ってないので?) 昔、南海ホークスの鶴岡一人氏が、自チームで使っている黒人選手を、差別用語で呼んでいたことがありました。「ウチの○○○ボは」とかね。わりと大阪ではそういう感覚があるのです。 逆にそうした権威づけを厭う性向が、大阪が地方都市に成り下がった原因とか、確か花森安治氏(暮らしの手帖の)が云われてましたね(これは別の話)。 大阪の悪口を云うはずのが、何だか話がまたまた別の方向へ向かってるみたいです(ええかげんな!)。 京都の独特の権威主義を、しゃべる予定だったのですが。 サッカーがジャマして話がすすみません。― つづく ―
2006.06.17
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コンセント抜いたら! またまた20年ほどまえの話になりますが、ある脳科学者が(名前が思い出せません、すいません)実験で、虫の鳴き声を脳のどこで聞いているのか、日本人と外国人で比べた本がありましたね。要は日本人は一般的に、虫の鳴き声を脳の言語野で聞いているのに対し、外国人は中国、韓国も含めて、雑音(ノイズ)として認識している、というものでした。当時、安部公房氏が画期的な日本人論として、ずいぶん興奮して論評されてましたし、その後の例の右脳左脳論の先駆けともなったものでした。 ただしその後の脳の研究は、そうした右脳、左脳の区分けができるほど、単純でないことが分かってきて、下火になっています。 しかし私の単純な感覚からいっても、鈴虫やカナカナ蝉の鳴き声は、明らかにコトバに聞こえるし、何も右脳、左脳を持ち出さなくても、江戸時代以来の高度な識字率が、日本人に異常な言語偏重脳を形成し、その思考性や行動様式に影響を与えているのは間違いないと思います。 こうした日本人の言語に大きく偏重した特性は、反面で感性とのアンバランスを生み出したようで、ときに統御できない感情の激発が、国民全体に起こります(民族ヒステリア)。 江戸時代の「ええじゃないか」も、大戦前の日本も、一種の民族ヒステリア状態であって、言語偏重(理性過重)状態で、データ過重のパソコンがフリーズしたようなものです。フリーズを解消するためにパソコンの電源を引っこ抜くように(私の場合は!)、日本人はそのつど、過重な理性をひっくり返して(カラにして)バランスを取ってきました。この間、日本人は理性をカラにしているので、一種の思考停止状態になります。(今でもその現象はちょくちょく現われます) 言語偏重(理性過重)の大脳皮質を持った国民は、必ずしも理性的国民にならないのです。 これは国境を接した大陸の国々のタフな思考過程とは違って、往々にして日本人が陥る、純粋培養の思考性(良い悪いは別として、吉田松陰や北一輝のような)につながっていきます。 島国で純粋培養でも成り立っていく思考性は、ひとたび海外とのヤスリをかけあうような、交渉ごとには何の役にも立ちません。国境を地面で接している国々は、自分が激発すれば、たちまち国を失う(こっちの負け)ので、取りあえずの落としどころを、心得ています。 どうもこのたびのサッカーを見ていると、言語偏重でフリーズした選手の戦いを見ているようで、スポーツとしてはまことにカタルシスに乏しい、たまには理性を統御して、野生を開放したら(コンセント抜いたら)どうかと思うのですが。外国の選手は間違いなく、野生(Savage)のまんまですよ。 もちろん理性がカラでは思考停止状態になりますから、あくまで統御して感覚脳で戦ったら(宮本武蔵や鈴木大拙みたいに)、やってる選手たちも見ているわれわれも、もう少し気分が開放されるんじゃないかと思うんですが、どうなんですかね。
2006.06.16
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知性を統御する、野生を開放する 昔、ペリーが浦賀にやってきて、砲艦で恫喝外交をやったとき、彼自身の見聞録が残っていて、「彼らは貧しい、しかしその立ち居振る舞いや文化は、わが国よりはるかに洗練されている。国民は好奇心にあふれていて、温和であり、基本的に充足している。この国が海外の文化や技術を知ったとき、いずれ間違いなく世界の強国の1つになるであろう。」とか。 彼の予見は当たっていたのですが、自国に対する揶揄や、恫喝外交に対する言い訳も含んでいて、そのまま鵜呑みにするわけにはいきません。 しかし当時の日本が鎖国状態で、充足し完結した文化を持っていたことは間違いなくて、よく言われることですが、世界史レベルでみても、まれに見る洗練された文化国家でした。江戸中期で国民の識字率が60%ですか、読み書きができるというのは、大変なことで、それができたということを、肝心の日本人自身が何とも思ってないのは、どういうわけでしょう。読み書きというのは、訓練(教育)機関の存在によって、はじめて身につくのであって、西欧諸国ではむしろ教育を忌避する国もありました。(アジア・アフリカ諸国では、いまだに教育には無関心ないし消極的な国が多いです。)読み書きは情報の独占を不可能にするからです。 情報の独占がどんな利益をもたらすかは、先日の村上氏、堀江氏の事件にみられるとおり、まして国単位で情報を独占すれば、どうなるかは想像するに足るでしょう。施政者は常に情報の独占、不可能ならば統御に躍起になります、それくらい利益は大きい。(パソコンのネット情報を、ある種の国が今でも忌避するのと同じですね。) 西欧では、教育は長く教会の独占物でありました(大学のような教育機関は、教会の内部で、統御された形で発生しました)。新教は教会の独占物である聖書を、直接人々に与える(印刷物でバラまく)ことで、これは同時に教育を受ける(情報を得る)権利を獲得する運動でもありました。 しかし日本では、はたして国(江戸幕府)が教育に関して、どれほど関心を払っていたか、はなはだ疑問ですね。江戸期は今の日本では想像しにくいほど、各藩の経済的独立性が強く、貧しい藩ほど教育に熱心でした(藩単位での自給自足が前提で、だれも助けてくれない。食えなければ、お取り潰し、となれば必死になるでしょう。豊かだったらそんなことに投資しない、比較的豊かだった天領からは人材や文化は、あまり発生しませんでした)。 それと各藩の独立性とは裏腹に、物資の交易は大坂を中心として極めて盛んでした。物資の交易と、読み、書き、そろばんの素養は一体ですね。この素養を持ってないと商売はできません。しかし手段としての読み書きは、同時に娯楽文化の範囲を大幅に拡げました。上方浄瑠璃を手始めに、庶民娯楽としての読み本が江戸期のように多数現われた時代は、西欧にもなく、現在の週刊誌文化は、これが源流じゃないかと思わせるほどです(良い悪いは別として)。 18世紀末から19世紀初頭の同時代、例えばモーツァルトの「魔笛」を観劇していたウィーンの庶民は、おそらく20%の識字率もなかったでしょう。オペラという大衆演劇はひょっとすると、文字を読めない庶民の娯楽だったかもしれないのです。(語りと歌と音楽で楽しむ、には読みは必要ありません、読み書きは依然として貴族階級の独占物でした。一部新興市民階級が現われてきました。フランス革命とベートーベンの時代でもあります。) 話が長くなります(例によって)。読み書きは、すぐれて知性の作業です。音楽や詩がより感性に直接訴えるのに対し、文章(散文)は理性の透過を経なくては、理解できません。江戸後期、庶民の大半に文章(読み書き)が共有されていたということは、その後の日本の文化的特性(民族的特性、立ち居振る舞い)に大きく影響したと思われるのです。 今日中に昨日の話とからめて、知性の統御と、野生の開放が、今の日本人に可能なのかどうか、話しようと思っていたのですが、間に合いそうにありません(やっぱりね)。 でないとクロアチア戦に間に合わない!?何やそれ。― つづく? ―
2006.06.14
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釜本邦茂という人 触れないでおこうと思ってたのですが、ジャパンブルーのブログを張ってる以上、やはりサッカーをしゃべらないといけませんね。 日本にはかつて釜本邦茂という天才ストライカーがおりました。スポーツの国際競技では(サッカーに限らず)何かと、ひ弱な日本というイメージが、はびこっていた時代(ひょっとすると今でも?)、彼だけは外国人に伍して戦える選手でした。当時は野球では王、長島、相撲では大鵬、柏戸の全盛期で、決して国内スポーツが不振だったわけではありません。むしろ今より、ある意味で隆盛を極めていたかもしれません。まだ娯楽の種類が少ないなかで、スポーツ中継はテレビによくマッチして、みんな興奮したものです。 天才とは何かを考える場合、今まで取り上げてきた、荒川静香やイチローでも触れたことですが、何か周囲から隔絶した雰囲気、今ふうにオーラというんでしょうが、釜本はそういう匂いを多量に漂わせている人でした。相手の外国人選手が、呑まれてしまう、そういう雰囲気だったと思います。 実際のプレーでは、瞬発的なスピード、爆発的な右足のシュート、正確なヘディング、ストライカーとしてのすべての要素を持っている選手でしたが、何よりもシュートに対する嗅覚のようなもの、動物的な激しい闘争心を感じさせましたね。 こういう才能というのは、訓練して生まれるものじゃない、もって生まれたものだということは、実際にかつて見た人でないとなかなか分からないかもしれない。真のストライカーというものが、どういうものかということがです。 もう一つ云うと、かつてそんな世界に通用する(プロでヨーロッパのクラブチームに行くという話は、何度かありましたが、肝炎でしたか、病気でそのチャンスは失われました。日本人初の世界的プロサッカー選手としてはドイツ・ブンデスリーガの奥寺康彦選手、この人はMFでした。ストライカーではありません。)ストライカーが日本にいたということを、今の若い人たちとは永遠に共有できないということです。 ストライカーの本質、闘争本能とか嗅覚とかいったことではなく、基本的な事柄になりますが、ストライカーに求められる要素とは、ひじょうにシンプルで、シュートしたボールは、ことごとくゴールの枠を捉えていないといけないということです。これが意外と認識されていないのではないか?枠の中ならば相手は反応せざるを得ないし、こぼれ球をねらうチャンスも出てくる。 イギリスのアーセナルでしたか、との親善試合で放った釜本選手のシュートは相手のキーパーに跳ね返されましたが、こぼれ球をさらに蹴りこんだときの彼は正しく闘争本能の塊、まるでボクシングの左右フックの打ち合いのようでした。(これで火のついたイギリスチームは、怒涛の攻撃を発揮して日本を破りました、私のイギリス認識はこれが原点です(Savage感覚、Johnbull魂とは無縁のノルマン的野生、野蛮!これをイギリスは洗練されたアングロサクソンの文化の裏に持っている、ということ)。それにしても子供のころの記憶というのは、映像ばかりが鮮明に残ってますね!テレビの見過ぎじゃ! 釜本選手がボールを前線で持つと、どんな体勢からでも、ゴールの枠を捉えるという期待感がありました。彼には人に任せるとか、フェイントを咬ませるといったケレン味はなくて、非常にシンプルに俺が決めるという凄味を感じさせる人で、チームが負けても自分のシュートが優先するみたいなところがありましたね。 今こうしたシンプルな天才ストライカーは、いなくなってしまいました、というより忘れられている、というべきでしょうか。天才がMFに集中するというのも、何やら日本的なものを感じます。(中田英寿については、また改めます。)ゴール枠を捉えるという意味では、ケガで代表落ちした久保がやはり一番でしたが、それでも釜本選手の野性味とか、とは程遠いものです。その凄味を言葉で表現できないのが残念です。トリノの荒川さんが出していた、周囲を払うような殺気のことです。 彼の84年でしたか、引退試合ではペレやオベラート(ドイツのストライカーでしたか?)もわざわざやって来ました。今考えると大変なことですよね。海外に出なくても釜本のもつオーラは、同じ天才たちの共感するところだったのでしょう。 天才は間違いなく出現します。ただしどんな天才を生み出すかは、その国の共有された文化で決まると思うのです。今の日本の文化というものが、はたしてむきだしの野生や闘争本能を許容できるのか、日本で受け入れられるのか(あまりにも洗練された平和国家なので!?)、どうなのかなあ。
2006.06.13
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ベン・ハー! 大阪の町に来て、最初にカルチャーショックを受けるのが、ご存知、道路事情です。法改正で今のところ、おとなしくなってますが、最近まで片道三車線が、二重駐車で実質一車線というのはあたりまえ、夜の御堂筋なんてタクシーだらけで、どこが本線なのか分からない、という状態でしたね。 私がはじめて仕事で大阪に来たときは(もう20年以上前ですが)、阪神高速から市内循環に入ったのですが、北浜で高速を降りようとしても、危なくて降りられないのですね。ベン・ハーの戦車競技場を疾走しているようなもので、池田神戸方面(西)や、守口門真(東)や、松原(南)から市内循環に、高速で流れ込んでくる車のスピードに圧倒されたものです。 高速どうしで、車線を変更する場合、大阪には独特のカルチャーがあって、スピードは絶対落としてはいけない、点滅で合図すると同時にスピードを上げて、一台やり過ごして(割り込まれる側の車は、必ずスピードを上げるので、その後ろに一瞬空く2台めとのスペースに)割り込むのですが、この呼吸が分かるまで、市内循環を3回周ってしまいました。思わずわめきながら、下道に降りましたが、今度は例の駐車違反の列です。空いているところに停めて何が悪い、という感覚が丸見えで、どう見ても2台のスペースしかない場所に3台停める、歩道には平気で乗り上げる、2重の縦列駐車もハザードを点滅させてOKみたいな。 今あげているのは、すべて法令違反であります。しかし大阪では、そんな硬いことを云ってみても仕方がない。警察が取り締まっていないかというと、もちろん取り締まっている、しかし大抵痛い目にあっているのは、他所の人でしょう。警察も大阪のカルチャーで動いているのですから、ドライバーはその空気を嗅ぎ取らないといけない。で、それでもつかまったときは、例の吉本流の泣き落としですわ。 考えてみると、大阪府警も地元の採用ですから、大阪人の文化を共有しているわけです。船場あたりの駐車違反のおっさんと(おばはんも!)、警官のやりとりなんか、そのまま吉本ですよ。他国者はそんな呼吸なんか、分かるわけがないんで、泣きを見るしかないのです。 府警もそうですが、最近問題噴出の大阪市役所や大阪府全体も、みんな地の人が役人をやっているのですから、おのずと問題の中味も大阪のカルチャーに絡んでいる場合が多いようです(これはまた触れます)。 というわけで、取りあえず、道路の悪口を云ってしまいました。次に取りかかるまえに、前回予告したように、公平を期するためにも、京都の悪口を語りたいのですが(どちらかというとこちらが本題?)。― つづく ―
2006.06.12
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大阪という町 もうすでにご存知だと思いますが、私は京都周辺(東、南、西、北?)の住人であります。こんな駄文を書いていても、つい関西弁の呼吸がほしくなってしまうときがあり、それがなぜなのか、またまた私の中の詮索癖が頭をもたげます。 京都方面から見ていると、近隣府県のことが気になる、というのは、琵琶湖の水資源問題や福井の原発をはじめとして、経済社会的には、利害が直接絡み合っているからです。その範囲で、となりの悪口を云うのは許されるのではないかと(意見などと、たいそうでなく)。 これは司馬遼太郎さんでしたか、おっしゃってましたが、「大阪人は身内の悪口を平気で云う。こんなに自分の町をボロクソに云う住人は知らない。」 となり町戦争を、仕掛けるわけじゃありませんが、私はその理由がよく分かります。 実際に司馬さんの住んでいた、近鉄八戸ノ里に行ってごらんなさい。ガチャガチャですよ!ほこりっぽい町並みに、穴だらけの歩道、一歩路地に入れば、道に物干しが並んでいる(この大阪的風景!)。 しかし「そんなことは他人に云われんかて、自分らが一番分かっとるわい。ほっとけ!」というのが、大阪人の反応でしょう。これは大阪の言葉の経済感覚です。他人に云われる前に、自分から身内の悪口をボロクソに云ってしまえば、他人に云われる筋合いは無いということでしょう。これは裏返しの自負心の表れで、強烈な排除の論理でもあります。 歴史的にみれば、お役人(武士)がほとんどいない世界で、庶民同士が付き合ってきた町ですから、もともとお上の感覚が薄い(というより無い)。君臨する大阪の役所は、江戸時代と同じで、利用するものではあっても、見えないところでは何をしても良い(どこかの国みたいに)。したがって公共の感覚なんて、もとよりハナにも引っ掛けないところがあって、もちろん議員など(国会議員も含めて)、格別尊敬されてもいない、役人も含めて、たんに利用すべき存在に過ぎないのです。 しかしとなりの悪口だけを云うのは、不公平ですから、ついでに京都の悪口も山ほど云いたいのです、他人から云われる前に! 私は京都が大嫌いなのです!!このお上意識、公家感覚が! 大変ダ!― つづく ―
2006.06.11
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フルベン派という人々 ベートーベンが当時、パトロンの貴族でしょうか、宛に送った書簡に「第一バイオリンは少なくとも4人、チェロは3人用意したいと思います。」というくだりがありました。 ということは、今私たちが聞いている100人前後のオーケストラは、当時はありえなかったということですか。とするなら当時の交響楽の響きはどんなものだったのか、おのずと考えてしまいますね。私たちは今日のオーケストラの響きに慣れきって、何となく最初からこんなものだったという、先入観で聞いてしまいます。 弦楽器の人数もそうですが、他の楽器も今と同じだったのか?という疑問は当然沸いてきますね。というわけで、80年代あたりから古楽器によるバロック音楽の再現のようなことが盛んになってましたが、正直云って、私はあまり関心がありませんでした。「何でそこまでして、古い楽器を聞かんとあかんのか。」と。 昨日ふれたNHKBSの「英雄交響楽」は陳腐なドラマは別として、当時のオーケストラがどういうものか、ひじょうに丁寧に見せてくれましたね。弦の人数はもちろん、使っている楽器、びっくりするような木管楽器、ローマ時代のようなラッパ、文字どおり角笛のホルン、そして演奏している会場(貴族の館でした。彼の音楽が、いかに当時の貴族社会とかけ離れた響きであったかが、よく分かります。)、いずれも古楽器の持っている、云わば野放図な力強さ、洗練とは程遠い響きが、なぜかベートーベンには良く似合うのです。 今の私には、その面白さがよく分かります。清潔なシンフォニーホールでなく、まるで中学校のブラスバンドのボックスのような、その雰囲気が、音楽に力を与えていることがね。 しかし当時、耳触りの良い「四季」や、リファインされたベートーベンの交響楽に浸りきっていた私には、なぜわざわざ音の濁ったモーツァルトを聞かなければならないのか、理解できませんでした。 当時はカラヤン、ベルリンフィルの最盛期が過ぎて、爛熟の気配が強くなっていました。フルオーケストラで室内楽のような精密な響きを表現する。個々のパートに普通のオーケストラではありえないスターがいて、それぞれに名人芸を披露する(ベルリンフィルの12人のチェロ奏者のLPは凄い、名人芸の極みです。)。 カラヤンはバロックから現代音楽まで、とにかくほとんどのヨーロッパ音楽を、自分の響きで手中にしようとしていたフシがあって、全部カラヤン節、ベルリンフィルのカラーになってしまい、元の音楽はいったい何やったかな、と思わざるを得ないものもありましたね。 先に話した反カラヤン派は、常にこれに対抗する代表としてベームや、フルトベングラー(SP時代!の人、とっくに死亡しているのに)を、持ち出しました。復刻版もよく出てました(今でも)。私の友人にも筋金入りのフルベン派がいまして、戦前からのフルトベングラーの「運命」を時代別に5枚6枚と集めてましたね。 「この運命は、ベルリン陥落直前の演奏や、すごいやろ」とか「この40番(モーツァルト)、疾走しとるやろ」とかね(それにしても、なぜTannoyの大スピーカーでSPの復刻版を聞かなければならないのか、私には理解できませんでした)。 確かに!音楽に対する共鳴というのは様々であります。(蛇足、彼は今、某県警の係長をしてます。県警初の学卒警官でした。)彼が私の力説を認めたのは、クリュイタンス、ベルリンフィルの「英雄」の葬送行進曲まででした。このときだけ、私は何もしゃべってないのに、黙って聞けと怒られました。第2楽章の再現部、弦の呟きのような響きが、彼の感性?をいたく刺激したようで、あとでこのシリーズの全集版を、彼が買ったことを知りました(Aho!)。 話はまたまた逸れますが、アンドレ・クリュイタンスはベルギー出身のフランスの指揮者で、彼とパリ音楽院管弦楽団のフォーレやラベルはすばらしいですね。その出自がらか、演奏がしなやかで、しかも感性が豊か、カラヤンとは対称的な意味で、ヨーロッパの精神を代表する指揮者だったかもしれません(指揮者としては若死にでした、62歳。残念!)。彼の演奏は、さきほどの「英雄」第2楽章もそうですが、ゆったりしたテンポで弱音の和声の進行が上手い。ちょっと退屈になりがちなシューベルト「未完成」第2楽章も、ひょっとしたらクラシック音楽最高の瞬間の1つじゃないか、と思ったりします。 彼があと20年生きていてくれたら、私のカラヤン熱ももう少し解毒されて、西欧を見る目が、多少は変わったかもしれません(大げさな!) 話がどんどん拡散してしまいます。何だか熱力学のエントロピー拡散の方向に向かっているようで、熱的死を迎えないためにも、いったん休止!― つづく? ―
2006.06.10
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フルートと尺八 学生時代に、ある友人は学生オーケストラでフルートをやってました。私は根性が曲がってましたので(今でも!)、人が誰もやらないだろうと、尺八をやってました(Aho!)。クラブのボックスが近くて、個人で練習するときは、いつも階段の踊り場でバトルでした。 彼のフルートは純銀製で、恐ろしくよく響く、対して私の尺八はもちろんただの竹ですから、音量では完全に負ける。少し気張ると今度は音割れする。ちなみに尺八の修練は、首振り8年、音出し3年とかいいますが、これはウソで、竹との相性もありますが、音出しはおおむね1ヶ月、首振り(バイブレーション、ユリと云います)も半年くらいで出来るでしょう。 やっかいなのは、その素朴さからくる楽器としての難しさで、なにしろ運指の穴が5つしかない。これは日本の基本旋律が5音で出来ているからで、陽旋法、陰旋法の半音階はすべて、唇と歌口の角度(メリ、カリ)と、運指のかざし方で調性するのです(7穴尺八も、作られてますが、私に云わせれば邪道)。 というわけで、彼のフルート奏者は豊かな楽音が出れば、あとはひたすらに運指のトレーニングに励むのですが、われわれは4年かかっても、まともな楽音さえ出せないという景況を呈します(もちろん例外的な奴もおります、どこでもそうですが)。 ところで西洋の楽器というのは、歴史的にひたすら楽音と響きの豊かさを追求してきたところが、あるみたいで、楽音以外の響きを雑音として排除する、ピアノなど100人のオーケストラと対抗できるまで巨大化する、フルートも均質化された材質によって、たった1本で50人くらいの弦楽器と対抗できる響きを獲得しました。一時期純金製のフルートが大半を占めたことがありましたね。たぶん金がもっとも均質な材質で、純粋な楽音を追求していけば、必然的に行き着く地点だったでのしょう(間違ってたらごめんなさい)。 学生時代の尺八は最初、本物の竹ではなく(高いので)プラスチック(!)の模造品で練習しました。これが面白くないのです。ある程度音が出ると、必ず飽きてくる、音に味が出てこないのです。本物の竹(仲間内では尺八のことを竹と云います)は、眼が飛び出るほど高いですが、吹き込めば、吹き込むほどに音に味(竹の味と吹く奴の味)が出てきます。したがって下手くそな学生でも、竹だと、いともたやすく自分の音色(個性のようなもの)が出るのです。上手い下手は別として! 奏者が楽器と一体となって(身体の一部と化して)、武満徹風に云えば、音が云わば垂直に立ち昇っていく。海童道尺八の横山勝也氏の「産安」など、まさしくそれで、まるでバレエを見るようです。普化尺八(虚無僧)の至上の音とは、竹林の中を吹きぬける風の音だそうです。 これなど、音楽へのアプローチとしては西洋と逆で、人が事物に擦り寄っていくような、楽器を改変せずに、人を改造する、修練する。早い話、キー付きの尺八(サックスみたいな)なんて考えられませんね。 正確な音階と楽音だけの豊かな響き、これは何だか西洋音楽の19世紀から20世紀にかけての流れとパラレルで進行しているようで、やはりオーケストラのハーモニーの洗練や巨大化と一体でしょう。ヴィオラダガンバやハープシコードにこれらを求めても無理だったでしょう。 それにしてもモーツァルトやベートーベンの時代、第一ヴァイオリンの数が4人とか、チェロが3人とか聞くと、やっぱり衝撃ですね。いったい今まで私たちは何を聞いてきたのだろうと、彼の時代のオーケストラはどんな響きだったのかと思ってしまいます。 先日NHKBSでBBC製作のドラマ「ベートーベン、英雄交響曲」をやってましたね。ドラマ仕立てで、古楽器による「英雄」の全曲演奏だったのですが、いろいろ面白かったですね。― つづく ―
2006.06.09
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音楽の世界性 イギリスの詩人で批評家のハーバート・リードでしたか、「音楽は幸せな芸術である。世界中の人々の感性に、直接訴えかけることが出来る。詩はおのずからその言語に制約される、厳密に同じ言語、民族にしか、その力は正確には伝わらない。」とか。 要するに「古池や 蛙飛び込む 水の音」を、そのまま英語に訳しても、何にも伝わらない。詩とは一語一語の言葉の喚起力を極限まで利用して、その連なり(衝突)で思想なり世界観を表現しますから、1つの言葉の背景にたいそうな歴史に刻印された、言語世界が広がっているわけです。 早い話が「古池」はイギリスでもフィンランドでもなく、間違いなく日本の池(それも京都かどこかの大きさも限定された)でないと、何の喚起力も持たない(あたりまえです)。「カリフォルニアの青い空」の色は、ミラノの青い空でも、バルセロナの青い空でもなく、カリフォルニアという言葉で喚起された、他に置き換えられない歴史と地理と空気の匂いまで背負った青色でしょう。 リードは詩というものが、翻訳可能かどうか、疑問を投げているわけで、対称的に音楽の軽やかさのようなものを強調しました。果たしてそうなのか、パイプオルガンの最強音をドイツの教会で聞いた場合、はたしてブルックナーは日本で聞くことが出来るのかみたいなね。 さてカラヤンです。彼はどうも音楽から、そうした歴史的刻印を、こそぎ落として自由に振舞おうとしたようなところがありますね。もともとトスカニーニのような、できるだけ譜面に忠実な(即物的)演奏スタイルで出発した指揮者なんだそうですが、ベルリンフィルとの長い付き合いの間の膨大な録音を聞いていると、第一に「響き」にとてつもなく力を費やしたという印象があります。 どんな全オーケストラの最強音でも音が濁るということがない、何だか底が抜けたような響き(対称的にウィーンフィルの古びたホルンなんか、割れたような強音で量感が出ますね)、弱音では私は長くローター・コッホの透明な音色のオーボエが、ベルリンフィル最大のお気に入りでした。そう云えばカラヤンの音色の好みも、透明感の強い響きだったと思います。フルートのジェイムズ・ゴールウェイや、ソプラノのグンドラ・ヤノヴィッツ(R・シュトラウスの「最後の四つの歌」は素晴らしい!)、バスのワルター・ベリーなど、すべて共通した音色を持ってますね。 というわけで、私は彼の演奏スタイルではなく、彼の指揮するベルリンフィルの音色に、長い間惹かれていたのでした。演奏スタイルは当時世評でも言われていたハナに付く部分、演出過多とか、強音のソステヌートが引きずるようで重苦しいとか、確かにありました。ブラームスの第一交響曲、冒頭の部分、ベームが同じころ指揮したのを聞くと、もう歴然であります。(ニュアンスたっぷりなカラヤン、決然としたベーム!) とはいえ、洗練されつくした、その音色はシベリウスの透明感を際立たせていて、これは大変な音楽を聴いてしまったと思ったものでした。「タピオラ」や「交響曲第7番」のコーダを聞くと、今でも当時の気分が、ありありとよみがえってきて、笑ってしまいます。(友人の1人はそれに惹かれたのでもないでしょうが、フィンランドに遊びに行って永いこと帰ってきませんでした。もう1人はスペインに行って、こちらは今でも完全に行方不明です。これは別の話。) さて次は音楽の世界性のようなことについて話しましょうか。― つづく ―
2006.06.08
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それにしてもカラヤン 音楽といえば、今でもそうかもしれませんが、学校で習う音楽と、自分が家で楽しんでる音楽につながりが無くて、まったく別世界のことがらでしたね。 小中学時代の音楽室といえばバッハ、ベートーヴェンをはじめとして、いかめしい肖像画が周囲を取り囲んで、とてもじゃないが楽しむなどという場所じゃなくて、どちらかというと「教室の怪談」に出てくる理科室のおどろおどろしい雰囲気に近いものでした。なぜこんなに面白くないのか、家でケルテッシュ、ウィーンフィルの「新世界から」(「暮らしの手帖」で酷評された盤、ちなみにそのときのイチ押しはアンチェル、チェコフィル盤でした。今でも忘れもしません!)を聞きながら思ったものでした。 大学受験時代というのは、勉強も忙しいですが、派生して興味を持った事柄や、気分直しで逃げ込んだ書物や音楽、スポーツにも、あきれるほどの時間を割いている。今では考えられない馬力ですが、それが出来た時代(年齢)でありました。当時はまだ大学紛争華やかなりしムードが、色濃く残っている時代で、高校にもコワイ生徒がおりました。 私および私の友人どもが、そうした喧しい周囲から距離を置いて、クラシックやオーディオや小説、評論、スポーツ(とくにテニス、ボルグやコナーズの時代でした)に熱中したのは、何がきっかけかは今となっては分かりませんが、友人と違いを競う(相手が知らないであろうネタを仕入れてきて、自慢しあう、けなしあう)のに、どれだけ時間を費やしたか分かりません。 なぜカラヤンか、ベームか、(フルトベングラーか?)、バーンスタインとニューヨークフィルを認めるかどうか、ダイヤトーンかビクターマーク2か、ヘッセかカロッサか、ボルグか、ビラスか、なんてね。 バーンスタイン、ウィーンフィルのマーラー「大地の歌」は、私のそれまでのクラシック音楽に対する、固定観念をひっくり返す衝撃だったことは、先にも云いましたが、このマーラーのデカダンな雰囲気が当時の自分の気分にはとてもマッチしていて、それこそレコードの溝が擦り切れるほど聴いたものです。友人たちはすでに(!)「復活」や「交響曲第5番」に進んでいて、したり顔で私を見つめたものです。 私のほうは対抗上、別の部分で失地を回復する必要上、自分の感性とは関係なく、よりアドバンスな音楽を求めて、バルトークを手始めにして、一気に武満徹や黛敏郎に奔ったりもしました。武満は以前、小澤征爾ニューヨークフィルと尺八、琵琶の「ノヴェンバーステップス」をテレビで見て気になっていた作曲家でした。黛は当時すでに「題名のない音楽会」で売れっ子でしたが、J・ヒューストンの「天地創造」の音楽で知っていました。 友達との対抗で追っかけている音楽とは関係なく、家でひそかに自分用に聞く音楽がもう一つありました。カラヤンのシベリウスです。 カラヤンという指揮者、本当に守備範囲の広い人で、いかめしい交響楽からオペラ、バレエ曲に至るまでなんでもあり、しかもそれぞれがことごとく名演奏(全部ドラマティックな交響楽に聞こえてしまう)という、文字どおりのクラシック界の帝王であります。したがって当時でも人気の高さに比例して、その演奏振りやパフォーマンスにいろいろやっかみや批判が(とくに音楽批評家から)ありました。まるで人気があることがクラシックに対する冒涜であるかのように。 今でこそウィーンやベルリンでの批判やスキャンダルが、ヨーロッパ特有の一種の芸能ネタであったことが、私には分かるのですが(小澤さんもあちらの芸能ネタで顔を出すのがうまい人だったようです。こういうことがいやみなく出来る個性というのは日本にはあまりいません。)、少なくとも日本の音楽批評家にはカラヤンを認める雰囲気はなかったと思います(少なくとも当時の私にはそう写りました)。 ところが実際にカラヤン、ベルリンフィルのシベリウス「トゥオネラの白鳥」「タピオラ」「交響曲7番」を聞いていると、自然と涙がこぼれてきたのです。(友人には絶対見せられない涙が!)― つづく ―
2006.06.07
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LPレコードの時代 20年ほど前にCDが現れるまで、音楽はカセットテープかLPレコードで聞くのが主体でしたね。(私の友人のようなマニアックで、オープンリールのテープレコーダーを使う人もいましたが。) CDが現れてから、音質や録音の質が何となく等質化されて、手軽で聞きやすくなった反面、それ以前のようなレコードを買うときの、ドキドキ、ワクワク感が急速に薄れていきました。 私などLPレコードに針を落とす瞬間の、緊張とスリルはいまだに忘れられません。当時LPに対応して数多のステレオコンポーネンツが店や雑誌を飾ってました。アンプはどこ、スピーカはどれ、プレーヤーは、チューナーは、挙句にカートリッジは、針はというように。友人と無い金を絞って、いかに違いを競い合うか、みたいな。 同時にオーディオ評論家みたいな人が、毎月雑誌を賑わしてまして、レコード書評と並んで、食い入るように読み漁ったものです(主として立ち読みで)。CDが現れてから私のオーディオに対する興味は急速に薄れてしまいました。それが同時にLPの帝王の死と同じ時期だったこともあるのかもしれません。カラヤンのことです。 小学生時代に「暮らしの手帖」という雑誌(今でも出てる?)に、レコード書評があって、毎回のテーマもズバリ「ベートーベンの運命とシューベルトの未完成は、どのレコードを買ったら良いですか?」みたいな。吉田秀和さんや門馬直己さんが書いておられたと思うのですが、今思い出しても、演奏や録音に関して、相当辛らつな批評で、自分が買ってきたLPが酷評されていてがっかりしたり、批評を当てにして買ったLPが、全然良くなくて頭にきたり(LPは当時相当の買い物だったので)してました。 その中で毎回出てくるのがウィーンフィルとベルリンフィルに対する礼賛と、ニューヨークフィルその他のオーケストラに対する酷評でした。音が不ぞろいだの、強音で音が濁るだの、録音に関してはプツノイズがあるとか、音割れしているとか。そのおかげで?私の中にクラシックに対する一つの固定観念みたいなものが、ずうっと出来上がってしまいました。カラヤン、バーンスタインはダメ、クリュイタンス、ベームはすばらしいみたいな。 友人が買ってくるカラヤン、ベルリンフィルの「第九」やバーンスタイン、ニューヨークフィルの「復活」が、結構良いじゃないかと(実はものすごく良い)、内心思いつつも、どうやって難クセをつけるかに奔走していたことを思い出します。 これは当時の「暮らしの手帖」のレコード批評を批判しているのではなくて、自分自身の判断力とか感覚とかいうものは、多かれ少なかれ上のような体験と、その反発で成り立っていくみたいなところがあると思うのです。私の反動というのは(他の要因もあったのですが)、きわめて直截的にカラヤン、バーンスタイン礼賛に結びつきました。バーンスタインがウィーンフィルで「大地の歌」をやって大喝采を浴びたときからです。 世評云われていたことが、一場の演奏会でひっくり返される、というのを中学高校時代に知ると、その反動もすごい。私はその時以来、カラヤンとバーンスタインのフリックになりました。 それにしても、LPというのはアナログの清華というか、面白いですね。同じオーケストラでもレコード会社によって音が違う。ロンドンデッカ、ドイツグラモフォン、CBSコロンビアそれぞれが録音に関して、うるさい哲学をもっていましたね。 同じウィーンフィルがロンドンデッカですと、音量たっぷりのドスンとした迫力、ドイツグラモフォンだと、高音域の冴えた透明な音色、CBSコロンビアだとステレオ感満点のドンシャリ型というように、これが同じオーケストラかと思えるほどに、個性を争っていたものでした。
2006.06.06
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優勝杯の中味 こうした空想は、2次リーグで敗退し、そのまま日本へ帰ってきたら、という仮定を前提に話しています。無意味と思われるかも知れませんが、日本のマスコミ、日本人の思考過程を考えるのに、面白い空想かもしれません。 その場合、間違いなく監督スタッフには、非難の眼が注がれたでしょう。王監督はそれに対して、すべての非難を引き受けようとしたでしょう。監督としての職責上、これは当然のことですし、王監督の生真面目さからいっても、当然想像されるところです。マスコミはそれに対して、ストレートに批判することは多分なかったでしょう。なにしろ王さんは世界のOH!ですから。こうした権威に対して遠慮するのは、いつものことです。 そのときイチローは、おそらく日本へは戻らなかったし、どういうコメントをしたかも、まったく分かりません。しかし韓国に敗れた後の、イチローの発言と行動はすでに伝わっていましたし、それに対する日本人選手の違和感を伝える記事が、なぜか決勝トーナメント進出決定後も、週刊誌に載ってましたね。これはあきらかに、イチローをスケープゴートにするための、前置き記事みたいなものでした。(イチローの日頃の発言、行動を理解せずに、快く思わない記者は、たくさんいるのです。理解しない読者に追従するかたちで) 一番大事なことは、イチローはそのあたりもほとんど意識して、発言、行動をしていたのではないかということです。イチローが何時ごろから、そういった意識を持って発言したか、行動したか(そもそもそんな意識は持っていなかった、という前提も成り立ちます。笑、その場合はこの長話は完全に無意味ですよね!)、WBC開催直後からかもしれないし、松井選手の出場辞退からかもしれないし、他の日本人メジャー選手の出場辞退からかもしれません。 どちらにしてもイチローは日本には戻ってこなかっただろうし、2次リーグ敗退直後のイチローの荒れまくりだけが、記事を飾ったことでしょう。ついでに、それまでの彼の一連の挑発発言も、取り上げられたかもしれません。現に他の日本人選手の間の、違和感を伝える記事が出ていました。 その結果、敗退バッシングの格好の標的が出来上がりかけました。イチローはあえてダーティーヒーロー(悪役)をかってでたように見えます。良くも悪くも結果を引き受けるのは、自分だと豪語しているように見えます。 これは王監督をかばうとか、尊敬するとか、ということではなくて、当事者としての意識、実際にグラウンドでプレイするのは自分たちだという矜持に見えます。他の日本人選手に対して最も言いたかったのは、このことじゃないでしょうか?黙然とプレイだけに専念するのが選手であって、その結果は当事者でない監督スタッフが引き受ける、これでは本当の当事者ではないと言いたげです。(サッカーの中田英寿なんかも多分にそういう面があります。これは別の話) 2次リーグ敗退後、もしイチローはじめ、選手全員が黙っていたら、非難の矛先は間違いなく王監督に向かったはずです。良いも悪いも結果は全部自分たちのせい(自分たちのもの)、自分たちの責任という感覚を、日本の社会(選手)は感じ取ることが出来たのでしょうか? WBCの優勝杯贈呈の前後でしたか、イチローが日本の国旗を携えて王監督に近づきました。国旗に包まれた中で、2人がどのような会話をしたのか、何だか興味の沸くところです。― おわり ―
2006.06.05
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敗退の汚名 イ・スンヨプのホームランで、韓国は苛烈な闘争心をストレートに表現できるようになりました。対して日本は絶対に負けるはずのない1次リーグアジア予選で、1敗する意味を厳密に分析しませんでした。アジアの野球の盟主としての驕りや権威が、短期決戦の大会においては通用しないことを、一番感じていたのは王監督とイチローの2人だけでしょう。王監督は現役時代の日本シリーズ9連覇で、イチローはメジャーのポストシーズンの経験で。 これは日本だけではないのかもしれませんが、権威やオーラに幻惑されずに、正確に相手を見、自身を分析し、100パーセント力を発揮するというのは、1つの能力だと思われます。各国各人それぞれ、能力の表現の仕方にバリエーションがあるにしても、これがなければ勝ち進むことは出来ません。(アメリカは例によって一発痛い目にあわないと、眼が覚めないという失敗をやりましたね。逆に失敗をうまく利用するのは、彼の国のお家芸みたいなものです。次期のWBCでアメリカが最強であることは間違いありません。) アメリカで2次リーグが始まっても、日本は本当の意味で、本気を出していたとはとても云えませんでしたね。世界の野球の位置づけで、彼ら自身が自分たちのポジションがどれほどのものなのか、何となく探っているようなところがあって、とても戦いのモードにはなっていませんでした。これは裏にアメリカやドミニカ、キューバにはとてもかなわない、という権威への追従ムードがあるのです。 韓国は1次リーグが日本相手であったことが幸いでした。敬意を払う必要のない、むしろ最も抵抗すべき権威だったからです。結果、100パーセントの力を発揮して2次リーグ全勝の快挙を成し遂げました。これは賞賛されるべき事柄です(ピッチャープレートに国旗を立てるというルール違反で、値打ちを下げました。これも彼の国によくある話)。 日本は途中、例のアメリカ戦での誤審問題などもあって、ますます水をかけられたようなところがありました。(誤審ということではなく、ジャッジとかルールとかのとらえ方が、日本と他の国とで微妙に違う、どうも文化的な背景があるようで、これは例によって別の話題になります。乞うご期待!) イチローの発言や行動が、他の選手や日本のマスコミにどう映っていたか、私にはどう見ても浮いているように見えましたね。かえってアメリカのマスコミやファンのほうが、イチローと王監督に敬意を払っているような気がしました。(二人とも歯がゆかったでしょう。) 今でこそ、WBCで日本は世界一になったのですから、イチローや王監督は絶賛されていますが、途中経過で振り返っていくとき、もし日本が2次リーグで消えていたら、という仮定を想像してみることは無意味ではないでしょう。なぜなら2次リーグ突破は実力でも何でもなく、ルール上のマジック、偶然だったわけですから。 死に体から起き上がったということを、一番理解していたのは、やはりイチローと王監督でしょう。このまま2次リーグで消えた場合、敗退の汚名を着るのは誰なのかということです。 ここから先は、イチローや王監督とは関係のない、私の空想と思ってください。2次リーグ韓国戦に負けたあとのイチローの行動を見ていると、彼はなぜWBC開催直後から積極的に行動し、発言してきたのか?の答えを見たような気がしたのです。 敗戦の汚名を、王監督に着せるわけにはいかないという、イチローの意思をです。― つづく ―
2006.06.03
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Momental Sports WBCのアジア予選では、イチローの挑発が功を奏したのか、台湾、中国とも明らかにビビッてましたね。 彼の発言は、「格下といえども容赦はしない、ボコボコにする。」という意味ですから、ビビるのはあたりまえです。いわゆる国際大会における親善試合の要素なんか、薬にもしたくない。そんな意識を根こそぎ取っ払わないと、本当の戦いなんかできっこない、と云っているようです。 ところが、日本選手の中には、そうでない選手もいたのではないか。成しうるならば、ケガ無く適当にカタチをつけて終わりたい(世界一でなくても)、という選手が。 韓国は、その点では常に終始一貫していて、それこそ国を挙げてのチームを作り上げてきました。イチローの発言は、したがって彼の国にとっては好都合のタイミングで、国中を沸騰させましたね。 韓国の国民性や文化の特性については、また別の機会に触れたいと思ってます(できるかな?)。 韓国との第一戦でも、前半は明らかに韓国は硬かったですね。ひとつの超ファインプレイ(韓国のライト)がなければ、中国、台湾戦と同じワンサイド大量点のゲームになったかもしれません。 日韓戦というのは、野球でもサッカーでも、いつも思うのですが、日本は常に意識で引いたところがあって、逆に韓国は捨て身の苛烈さを発揮する、極端なことを云えば「日本相手なら何をしても良い」というような(云いすぎかな、これは別の話)。 「国家の品格」の著者は、日本人の特性として、武士道にかこつけて、弱いものに対する「思いやり」の心を強調していますが、おそらく著者本人も気付いてないのは、戦闘の最中は一時でも相手に対する思いやりなど、あってはならない。それはたちまち自国の(自チームの)崩壊につながるし、相手に対しても失礼ということです。一度冷めかけた闘争心というのは、なかなか火が付かない。 結果であれこれ云うのではなく、スポーツ(実際の戦争も)は、途中経過の勢い(Momental)の推移を、嗅覚のように嗅ぎ取っていく、そういう感覚が必要なのです。 イチローはそうした嗅覚をWBC開幕前から、メジャーで充分嗅ぎ取っていたでしょう。メジャーと日本の野球の違いは、いろいろ山のようにありますが、一番感じるのはMomental Sports(勢いが勝ちを征するスポーツ)ということではないでしょうか?アメリカはアメリカンフットボールのほうが人気がありますが、これの一番大きな特色はMomental Sportsという点でしょう。日本では考えられないような連勝や連敗が、メジャーでは日常的に起こります。 日本の野球はなぜか作戦や、技術や、采配が強調されますね(これはコーチや監督や野球解説者にとって都合が良い、試合の直接当事者でないのに、権威的に出しゃばる余地がそこにはあるからです、これはまた触れます)。今、日本人の共通認識のようになっているのは、野球の総合的な技術に関しては、日本が一番という感覚です。しかし大事なことは勝敗は、時の勢いで決まるので、それを推進するのは個々の闘争心だと。 イチローはイ・スンヨプのホームランを仰ぎながら、それを感じていたでしょう。もし本当の采配があるとすれば、それは選手個々の苛烈な闘争心に火をつける采配だと。― つづく ―
2006.06.02
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挑発、反応 イチローの発言に真っ先に反応したのは、ご存知のとおり韓国でした。それも韓国の選手ではなく、マスコミだったと思います。選手たちは一様に戸惑ったことでしょう。台湾、中国は選手もマスコミも戸惑いました(イチローはそれまで、アジア各国でも敬意をもたれているアスリートだったので)。 実は日本の選手とマスコミが、いちばん戸惑ってました。どう反応してよいか分からない。そうこうしているうちに、韓国のメディアが騒ぎ出したので、それに追従するかたちで、恐る恐る、なぜか批判めいた記事が現れました。イチロー発言に対するコメントではなく(どうコメントしてよいか、分からないので)、韓国メディアの反発を伝えることで、コメントを回避した形になりました。 日本の面白味は、自国の事柄を自身の判断を回避して、他国の反応で判断するという、妙な癖です。それもたいてい他国の極端な反応だけを、よけい増幅して伝えるというメディアの癖に、いとも簡単にのせられる。 私はこれの推移を興味を持って見守りました。 イチローは例によって、すましたものでした。「いろいろな解釈があっていいんじゃないですか。」 彼は、なかばこうした反応を、予想していたフシがあって、そういう反応が、どこでどう出てくるか、という経緯を楽しんでるみたいなところがありました。 考えてみれば、人をバカにした話ですが、例によって彼は説明(釈明?)など一切しないので(すれば、よけい騒ぎが大きくなるのが分かっているので)、メディアはますます戸惑いましたね。 彼の発言は、ボクシングや他の格闘技の選手たちがよくやる、挑発でした。 相手を挑発することで、こちらのモチベーションも揚げていく。モハメド・アリなんかが(古い話ですが)本番前に、口で相手をののしる、挑発することで、云ってる本人が逆に勝手に興奮していく。ミロス・フォアマンでしたか、口でアリに負けるのは分かっているので、ずうっと黙って相手を睨んでいる(この鬼の形相も見ものでした、彼は今、牧師やってるんですよね)。アメリカのメディアは、こうしたやり取りに慣れてるみたいで、要はみんなで楽しんでるんです。 スポーツを模擬戦(Moc Combat)として、みんなで楽しむという文化が共有されてないのが、日本です。より楽しむためには、より激しいプレイが求められる。真剣勝負が面白いのは、それが実際の戦い(戦争、決闘他)をどれだけなぞっているか、ということで決まるので、その極北がローマ時代のグラディエーターでしょう。アメリカの球場やリングサイドの歓声は、何となくコロセウムの歓声に聞こえませんか?(日本や韓国の球場の歓声は、応援であってファイトを楽しむというのとは、どうも違うような、これはまた別の話で) というわけで、イチローは自国の選手に対して、WBCはお祭りじゃない、真剣勝負だというメッセージを、挑発的に送ったのでした。ただ最近の彼の悪い癖で、昨日も言いましたが、彼独特の茶化し(しかも残念ながら、充分冴えた茶化しになってない)で表現するので、文化を共有していない日本人はことごとく戸惑ったのでした。 (そんなことを云ったら、韓国が怒って闘うじゃないか、黙ってれば,おとなしくしていたかも知れないのに!?) これって真剣勝負を楽しむ文化じゃないですよね、やっぱり。― つづく ―
2006.06.01
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