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大野隆之

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Jan 27, 2012
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: カテゴリ未分類
 一体何のことやらと思われるかもしれない。どこから説明すべきなのかも難しいのであるが、これはいわゆる「集団自決」(当時はそんな言葉ありえないのでいわゆるという)関連の話題である。

 現在沖縄では二転三転を経て、「集団自決」は軍命によってなされた、ということになっている。これは沖縄県民の総意である。多数がそう思う以上、事実はそうあるべきである。・・・・歴史ってそういうものなのだろうか?

 私は歴史がどうあるべきかとは考えない。私が知りたいのは単純に歴史がどうだったのかということだけである。

 軍命があったという主張の典拠は「鉄の暴風」という書籍である。これによると座間味部隊隊長の梅沢少佐はとっくに死んでいることになっている。だがこれは間違いである。少なくとも2009年時点で梅沢少佐は生きている十分な証拠がある。
http://www.youtube.com/watch?v=Pn3MqD_9Fdk&feature=relmfu
私の目には、この人物が亡霊とは思えない。どう見ても生身の人間である。しかもこの一連の主張は説得力と迫真性があり、嘘をついているとは思えないのである。ただ疑問点もある。この動画の11分以降に展開する「昭和19年11月3日の沖縄県民集会」である。仮にそのような集会が本当にあり、そこで米軍が上陸するような状況になれば、老人・女・子供は自ら死ぬという申し合わせが本当にあったとするならば、沖縄における「集団自決」の原因は非常に明瞭である。実際日本軍の関与が希薄であった読谷でも「集団自決」は起こっているのである。

この集会の存在については、既に桜井よしこ氏のブログにも書かれており、
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2009/08/06/
ここでは「消えた沖縄新報」と論じられている。「沖縄新報」とは1940年12月20日一県一紙化の指示にともない「琉球新報」「沖縄朝日新聞」「沖縄日報」の三紙が統合した新聞である。通常出典と日時が明らかな場合史料の特定は容易である。要するに昭和19年11月3日以降の「沖縄新報」を見つければいいのである。






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Last updated  Jan 28, 2012 12:38:03 AM
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