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北関東も梅雨明けが時間の問題。案の定、軒の下の葵も咲き始めた。自分の駐車場の一角に高砂百合と立葵が同居している場所がある。高砂百合はキムラな性格で環境等が一寸変わると直ぐに他へ移住する。しかし、5年以上も立葵と高砂百合は隣り合わせに棲息している。*その場所はアスファルト敷地に立つ電柱の周辺で過酷な環境である。高砂百合と立葵が馬が合うのかどうかわからないがチト不思議。最近の人口減少に対応して各行政は定住策を真剣に施行中である。立葵も市の「定住自立圏構想」に高砂百合と協力しているのかもーー。
2018.05.31
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今年の宮城野萩はいつもよりも早く、しかも色鮮やかに咲いた。それに通路にはみ出さず車庫外壁に張り付いてお淑やかに鎮座した。袋田ドライブの際店の隅で枯れあがっていたものを買ってきたもの。此処へ来たら抜根されない限り生き続けて思い出を綴るに違いない。
2018.05.31
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馬酔木の実 偕楽園の遊歩道に馬酔木の木があちこちに生垣状に植えられている。 公園樹として定着していても有毒樹の注意書きがないのは心配だ。 馬は先天的に嫌悪しても幼児は教えられなければ有毒と認知しない。 それにしても偕楽園敷地にはなぜか猛毒植物が多いのが気にかかる。
2018.05.30
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宮城野萩、今年最初の花、例年になく色鮮やかに開花した。傍に設置の化け灯篭に覆い被さり簾の様に日除けの役目をしている。化け灯篭は自然石を組み合わせたもので飾らなくて萩に合う。宮城野萩は晩秋まで散っては咲きを繰り返しアプローチを飾っている。
2018.05.29
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昨日、フェイジョアの開花に気を良くして夕刻にも撮った。早朝に撮った画像との違いは雌蕊が膨らみ隆起した点だ。花弁に変化がなく、野鳥も蜂も虫も来なくても意気揚々と咲いていた。昨年はたくさん結実したので蜂たちが来なくても心配はないようだ。
2018.05.28
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2018.05.27
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路面にはみ出したものはまだ咲き続けている。満開の時期に立てられてあった標識がいまだに建てられている。偕楽園、月の池周辺の花畠は夏向きに衣替えされた。ネモフィラーは刈り取られたがはみ出したものはまだ咲き続けている。北アメリカ原産、花言葉は「成功、愛国心」。歴代の大統領に似つかわしい。特にトランプさんは北鮮に翻弄されても毅然とした態度を顕示して頼もしい。
2018.05.26
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忙しくてウォーキングは午後4時過ぎに出発した。偕楽園構内の行々子を撮りたかったが不発に終わり隣の花畑に行った。蜻蛉が何かの昆虫をゲットして夕餉とし今宵もここで休むのであろう。それを見て夕食の準備を思い出し急いで帰宅。主夫は辛いぜ。
2018.05.26
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こぼれ種から葵が芽生え、たくさんの蕾を用意している。葵は万葉の頃から人々の生活の身近にあって親しまれてきた。特に農耕文化の中で梅雨は人の喜怒哀楽をほしいままにしてきた。葵が頂上まで開花すれば梅雨は終わると訓えたのもその名残であろう。
2018.05.25
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上はさつきの花、下に山紫陽花の花遅い昼食が終わりまどろんでいるとキッチンの水道の音がした。妻がキッチン作業をしておりキッチンデビュウだネと声を掛けた。すると無言で笑顔で返してくれた。2年前の室内転倒でいろいろな病名を告知され一時は愕然とした。*痛いと言っては寝ている時間が多くこのまま認知症かと心配した。しかし今は入浴、洗濯、身の回りを自分でできるようになった。買い物も付き添えば危険なく行えるようになった。その都度、○○デビュウと名付けて激励し二人だけの祝宴をした。
2018.05.22
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小学校は桜川を渡って登校し、帰りはその川で川遊びをした。増水した激流に飛び込んだり、水遊びしていて水死した友もいた。櫻川の岸辺のエゴの木はこの様子をつぶさに見ていた違いない。晩生のエゴの花を見ると幼くして逝った友が思い出される。
2018.05.20
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公園の花壇にカッコウアザミが咲いていて蜂がたむろしてた。花の中央の黒い突先は何なのだろうか。蜜のあり場所を示し蜂をおびき寄せようとしているのだろうか。人は全く関心がなく花壇を設置した団体名のみ目立っていた。
2018.05.20
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昨日も桜川に沿って6千歩を歩いた。もうじき葛の葉で覆われる荒れ地にキウイの花が咲いていた。崖の上は田畑が広がり果樹も栽培されて不思議ではないがーー。この分では葛とキウイの生き残りを賭けた戦いが想定されそう。
2018.05.19
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2018.05.17
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立派な建物が建つ住宅地の一角に廃物置き場がある。今年も一面にスイカズラの花が蔓延り芳香を漂わせている。忍冬の花は別名ゴールデンラッシュを思わせる金銀花と言う。白く咲く花が順次金色に変わることをもって名づけられたという。
2018.05.17
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花擬宝珠は欄干の擬宝珠に似ていると命名されたという。しかし、蕾は間延びし垂れ下がり似ているのかと疑問に思っていた。この写真を撮ってからは花も生々流転があるのかもと一応納得した。マニアは花を付けると葉の美観が殺がれると花茎をカットするらしい。
2018.05.16
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梅まつりも躑躅の見ごろも終わり閑散とした偕楽園。好文亭崖下の藪に蛇イチゴが輝いていた。決して有毒ではないのに野鳥も虫も蛇さえも寄り付かぬ。でも、彼は彼なりに生き甲斐をもって正々堂々生を全うしている。
2018.05.13
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偕楽園の南崖、正岡子規が「梅ことごとく斜めなり」と詠った辺り。ムクドリが盛んに雨上がりの芝生を突っついていたがーー。老木に上がり目を閉じ樹木に耳を宛がって寄生虫の音を探索し始めた。宛ら、樹木医として梅の老体ぶりを心配している図と見た。
2018.05.12
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雪ノ下 花穂の頂に咲く花は大きな花弁2枚を上に立てている。(普通は下へ垂らしているのに――)ハルユキノシタは大きな花弁を3枚持っているものもある。(普通は、上に3枚の小さな花弁を立て、下に2枚の大きな花弁を垂らしているのに―ー)雪ノ下は籠薬として重用されたが今は庭の片隅で見向きもされない。でも、良く観察すると変わった習性に気付く。兎の耳の様に大きな耳を傍たてているものがある。近縁種のハルユキノシタは3枚の大きな花弁を蓄えているのもある。
2018.05.10
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約50年前に植えた棕櫚の苗、10メートル高さで花を付けている。キリスト入場の際、人々は棕櫚の葉を道に敷いたという。棕櫚は当時から人々に優しさを分かち生活上いろいろ利活用させた。棕櫚の花を見るにつけ人は植物によって生かされていると実感する。
2018.05.09
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八重のハマナスの花。大切にしすぎて軒先に植えてしまった。気付いてみると3メートルを超えてしまい移植も不可能になった。でも、室内で目線の高さで花を見ることは一味違う楽しみがある。特に、庭に出なくても室内で花の様子が観察でき一石二鳥である。
2018.05.06
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シジミ蝶が休むことなく絶えず飛び回っていた。暫し飛ぶ姿を追っていたが咲いている花には見向きもしなかった。花水木の落下して腐朽してしまいそうな花弁を座布団にしている。花水木が食草なのか、産卵場所としているのか後日の宿題とした。
2018.05.04
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2018.05.03
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