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深夜。高速に乗って、また、日常へ。2時、到着。子どもたちを抱きかかえて寝室へ。眠れない大人たちは録画しておいた番組の鑑賞を。俗好きな夫の連続ドラマに付き合った後、私の好きな番組へ。私はそうやって世俗を知り、夫はそうやって堅苦しい番組に目を通し。案外、私たちはうまくいっていると思う。見た番組は、『戦場 心の傷 ママはイラクへ行った』。イラクへ派遣された母親兵士が帰還後、心のバランスを崩し、我が子を愛することができずに心を痛めている、というもの。母親がまたイラクへ派遣されることに「どうしてママが行かなければならないの」と、涙ながらに訴える我が子に、一般論を理論的に他人行儀に説明することしかできない姿。ふざけて石を投げている1歳の我が子に真剣に止めようと怒っている姿。どれもこれも、私の姿に重なるような気がして仕方がなかった。特に、イラク派遣から帰還して以来、イラクでの出来事がフラッシュバックされてしまって家族で外出できなくなってしまった母親が久しぶりに外出した際、子どもが何かある度に母親の様子を気にかけて、何度も何度も振り返って顔色をうかがっている映像は胸が締め付けられる思いがした。が、残念なことに、番組は終始、そういった事実を羅列しているだけで、では、どうしてイラクに行ったら、そういった心境になってしまうのか、というところには言及していない。よって、どうして、戦場に行っていない自分と、戦場に行った彼女たちに、共通の何かがあるのか、というところが分からなかったことは残念だった。戦場に行ったという経験と、障がい児を授かったという経験と、何か共通する点でもあるというのだろうか。
2008.09.21
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夫の実家に滞在中のどの日だったか。朝。たまたま目にしたテレビ番組に釘付けになった。大物女流作家と有名小児科医のビッグ対談。家だったらピッとHDDに録画するのだが、ここは老夫婦2人の夫の実家。ビデオしかないだけでなく、普段使っていないだけに、どのテープを使用していいのかさえ、分からない。そういうときは遠慮して諦めるのだが、話が四国巡礼からお互いの世界観まで興味深く、子どものようにテレビの前に座りこんで見入ってしまった。が、何気ない女流作家の話で気持ちが止まってしまった。話のコンセプトは、『自分の中のスタンダードに合わないとき、見て見ぬふりができない』というものであったのだが、その例に出したエピソードが気になった。女流作家が病院の待合室にいた際、ひと組の母子に出会った。母は子どもに薬を飲ませようとしていたのだが、適切と思えない飲ませ方を強要した上に、やっぱり飲めない子どもを大声で怒り、挙句の果てにゴツンと一発頭に見舞った。それを見ていた女流作家が、「あなた、子どもに対してそんな怒り方は間違えてると思いますよ。」と、一言注意したところ、「人の家の居間に土足で踏み込んだ。」「これは警察沙汰だ。」「本当なら、あなたの家に火をつけられますよ。」と、まくしたてられた。待合室には大勢の人がいたのだが、みな、知らん振りだった。と、こんな話だった。その場にいなかったのに口をはさむことでもないのだが、きっと、この母親の様子は尋常じゃなかったのだろう。半狂乱になって子どもを怒っていた様子が手に取るように分かる。が。子どもが病気。家に戻るのも待てず待合室で薬を飲ませようとするくらいだから、よほど心配しているのだろう。もしかしたら、何日も看病していたのかもしれない。そんな状態の母親にかける言葉として、「あなたのやり方は間違っている」は、ないのではないだろうか。それも公衆の面前で。うちの娘だって、公衆の面前で怒ってしまったら、たとえ自分が悪いと思っていても、素直になれずに、ふてくさって、さらに事態がこじれてしまう。まして、余裕がない母親であることは、注意する前から分かるだろう。だとしたら、「子どもが病気だとお疲れになるでしょう。」「薬って飲んでくれないんですよね。こんな方法もありますよ。」など、かける言葉としては、どれだけでもあるだろう。善意からくるお節介ほど、厄介なものはないな、と思う。たまたま、この母親は激しい人のようで、大きく言い返すこともできたが、きっと、大半の人は、この身なりの良い善意と正義の塊のようなお節介に、ただ頭を下げて、場から去り、陰で涙を流すことになるのだろう。この女流作家の作品を読んでみたくなった。弱者の立場を想いやってみたり、さりげなく優しさをふるまうことができず、あまつさえ、そんな自分に気づきもせず、自分が正しいとテレビで発言してしまう人が、どんな作品を書いているのであろうか。
2008.09.20
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夫の5連休に夫の実家へ行くことにした。水曜日。子どもが寝入ってから車へ詰め込んで、深夜の高速へ。子どもの気分に左右されることなく、大人の好きな歌を聴き、大人のタイミングで休憩し、ひさびさに夫とじっくり話しをすることができた。息子は、はじめての夫の実家に興奮、ひたすら探検三昧。娘は、おじいちゃんおばあちゃんに、「はかせて」「たべさせて」「こっちきて」「いっしょにやろうよ」と、もうわがまま放題。何を触っても許されているようで、おじいちゃんのパソコンを勝手に開いて、ゲームをしたり、写真を見たりしているのには驚かされた。夫は、そんな子どもたちを嬉しそうに眺めながら、のんびりしているよう。私は、「具合が悪い」ということにして、家事を最低限だけ手伝って、あとは、客間で本を読んでいた。ウソをついたわけではない。ただ、熱がでたり、咳がでたりする、分かりやすい体調の悪さではなかったので、説明が億劫だっただけだ。たまっていた『歴史のミステリー』のページを片っ端からめくったり、最近、興味がある、ローマ帝国の皇帝ネロ関係で集めた本を読んだり。思ったより息子が私から離れてくれたおかげで、また、事前に夫に、「(具合が悪いからと言って)こうやって過ごしたいからフォローをお願い」と頼んでおいたおかげで、強力な磁石で無理やり固められてしまったような心が、ほどけていくようだった。娘と目も合わさないで数日を過ごした金曜日の夜。一人でのんびりと入浴して、バスタオルで頭を拭きながら廊下に出ると、娘が立っていた。そのまま通りすぎて客間に入ろうとしたら、「ママ」と呼び止められた。「うん?」と、振り向くと何か嬉しそうな表情で見上げている。「なにかあったの?」すると、娘はおもむろに言った。「あのね。ママとはなれたらね、ママがよくみえたよ。」「…え?」「ママはさ。ママとはなれたら、△△(娘の名前)がよくみえた?」「…ママはさ。ママだからママと離れることは出来ないよ。」「あっ、そっか!」娘が笑う。「でも…。△△とはなれたら、ママも△△がよくみえたよ。」聞こえたのだろうか。聞こえなかっただろうか。娘はそのまま笑いながら、薄暗い廊下を、リビングの明かりの方へかけて消えていった。どういう意味だったのだろう。何を考えているのだろう。もっと娘と近づきたい。もっと娘のことが知りたい。この気持ちを素直に娘に届けられたら、どんなに幸せなのだろう。
2008.09.19
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そして夜。娘が帰ってきた。トンボ返りで帰るおじいちゃんを見送り、また息子と3人きりになって娘が言った。「ママ、△△(娘の名前)がいなくてさみしかった?」「うん、さみしかった…」何度でも聞きたいのだろう。何度でも確認したいのだろう。何度言ってもらっても嬉しいのだろうな。そんな娘の気持ちに応えてあげたくて私も何度も答える。そう思えるようになっただけでも、一歩も二歩も前進なのだ。「△△、もうおじいちゃんのところへいくの、やめるわ。」「どうして?」「だって、ママがさみしがるもん。」いつか。こんなやり取りがなくなったときが、彼女の信頼を得られたとき、なのだろう。
2008.09.15
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書いたか書いてないか忘れたが、今、娘がいない。敬老の日にちなんだ保育園の行事に姑が参加して、我が家に滞在し、金曜日にそのまま娘を連れて帰った。三連休の最終日の夜、舅が連れて帰ってきてくれることになっている。夫も出張中で息子と2人きりの数日間。何の問題もなく食事を食べる息子と楽しく食事をし、反抗をまだ知らない1歳児を自分のタイミングで入浴させ、21時にはコテっと寝てしまうので、後、のんびりと自分時間。二人目だから、ということもあるが、何と余裕で幸せな子育てなのだろう。娘も息子も同じ障碍児だというのに。いかに、食事が大変だったか。本当に、これに尽きるのだろう。今回、娘が自分から「おばあちゃんといっしょにかえる」と言い出した。「いっしょにいく」ではなく「いっしょにかえる」。最近、娘と私は、また負のスパイラルを駆けめぐりはじめた危険な感覚があった。もしかしたら、娘もそれを感じていたのだろう。お互いそれぞれの充電時間。帰ってきたら、また娘はきっと、自信に満ちた活き活きとした娘に戻っているだろう。私もきっと、娘に会いたいと思う、当たり前の母親を取り戻しているだろう。そうやって、少しづつ2人の距離を縮めていけたらいい。どうせ、これからまだまだ長い時間、ずっと一緒に生きていくのだから。
2008.09.14
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もう2度と2人きりで会うことはないだろう、と思っていた人が、また我が家へきた。共依存の彼女だ。メールで約束してすぐ、23時。看護師姿の彼女が玄関に立った、急患のフリをしてきたのだろう。彼女は言う。「私は人に何かしてあげることでしか存在価値がないんです。でも、○○(私の名前)さんは、子どもの親だから、とか、何かしてくれるから、ではなく、○○さん自身として価値がある。だから、私をはじめとして、子ども関係なく、親だけが会いにくる。それが羨ましいです」と。私は言う。「それは、私の子ども自身には何の価値もない、と言ってるわけで。私は、ファーストネームで呼び合って子ども同士が仲良くて、一緒に遊びに行ったりする、あなたの環境が理想だよ、…実現はしないけどね。」「明日、朝9時、××さんと▼▼さんと3家庭で待ち合わせです。皆でお弁当を持ち寄って。山遊びです。私の担当はブロッコリーとか、とうもろこし、とか。野菜関係です。羨ましいですか。」「羨ましいよ。」私はビールを片手に。彼女は飲まない人なので、お茶と、なしに手を伸ばしながら。「共依存の相手はどうなったの。」「聞きたいですか。」「うん。」「聞きたい、って言ってください。」「…聞きたいよ。」彼女の、ここまで攻めこんでくる心理は何なんだろう。この、干上がった川がどうしようもなく水を欲しているような、何かは。「くだらないって思ってます。止めたくて仕方がない。崇高さがないんです。」「…崇高さ??…たとえば?」「暇なときにも呼び出されたりするところです。私は呼び出されれば、それが例え明確に呼び出されているわけではなく、来てほしいという雰囲気を感じさえすれば行きます。でも、それは、人生に疲れていたり苦しんでいたりするときでないと嫌なんです。」「なるほど…たまに本当にしんどいときに呼び出してもらえる快感が忘れられないわけね。」「…そうなんです。でも、もっと一番嫌なのは、もう全然連絡がこないことなんです。だったら、くだらない、と思っても、連絡がきた方がいい。だから、相手のことを何とも思わないようになれることが理想です…。」そして彼女はこう言った。「本当に死んでくれたらいいのに。そしたら神格化できるのに。くだらない、と思うこともなく、ひたすら、自分の力不足で自殺させてしまった、と、悔みながら生きていくことができるのに…。」日付かわって朝4時半。5時に早朝草野球に出かける父子たちが、車がないと困るから、看護師姿の彼女は、「今から帰って、ちょっと寝て。で、お弁当の分担をつくって出かけます。急患なのにお疲れ様って、車の中で寝ても誰も責めないだろうし、また良い人にされちゃいますね。」と、言い残して帰っていった。彼女が帰ってすぐ、私も死んだように眠った。『来てほしいという雰囲気を感じたら出かけていきます』私が、彼女を呼んだのだろうか。
2008.09.13
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odd lookでショックを受けて、次の日。息子の一人目の主治医からメールがきた。半月ぶりのメールで、「どう?最近。元気?」という内容。あまりのタイミングに驚いた。2ヵ月の子どもを育てている彼女に申し訳ないな、と思いながら、どうしても気持ちを抑えきれずに、昨日のことをメールしてしまった。すると、送信して数十秒で電話。「もしもーし」と出たら、「そっか、そっか。」と、ねぎらう一言。なんか、じわっと涙ぐんでしまった。odd lookは医学用語で、どんな症候群か分からないけど何かありそうな見た目、と感じたときに使うんだよ。との説明の後、でもね、と一言。実は症候群の中には、そんなに発達に問題のないものもいっぱいあって、NICUでそういう症候群っぽいlookを何度か見かけたりしたよ。時に、その子のお父さんに会ったら、まさに父親がその症候群っぽいlookだったりすると、もうあえて説明しなかったりもするんだ。それにね。そういう自分の手から離れる患児のための紹介状って、わざと大袈裟に書くのよ。確かに、□□には遺伝子的に何かあるとは思う。でも、私も□□(息子の名前)のMRI見たし、放射線科の先生にも診てもらったけど異常はなかったし、きっと、3人目主治医の愛だと思うんだよね。次の主治医を定めず追い出そうとしているのも愛だし、わざと大袈裟に書いて、なんとか大御所の目に止まって手厚く見守って欲しい、という、愛も入ってると思うよ。その後、育児のよもやま話をして、また彼女の家に遊びに行く約束をして、電話を切った。医者の愛、か。そっか。いくらお互い気が合ったとはいえ、こうやって育児しながら元患者の親と電話で話してくれるのもまた、愛なんだよな、息子への。だからといって、息子の障碍がなくなったわけではないんだけど、こんな愛に出会える人生っていうのも、きっと悪くはないのだろうな。死ぬ直前に思い返したときに。
2008.09.12
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朝、8時。3回目の解熱剤を使って無理やり耳鼻科へ。熱なら熱に集中できないのが、あの子たちを育てる厄介なところだ。本当なら今日は保育園の行事の日。敬老の日にちなんで、子どもたちのおじいちゃんおばあちゃんを招待し、子どもたちの出し物を見て、一緒に食事をする。うちから参加は、例の姑。きっと娘は何もできまい。今日、行事が終わった後、うちに泊まる予定になっている姑のことを考えると、胃が痛いやら、掃除に精が出るやら、で、これも十分、大きな心痛であるはずなのに。幸い、なんと、娘は誰よりもきちんとしっかり挨拶をし、特技披露では鉄棒で逆上がりをくるっとやったそうで、ご飯も一人で食べたらしく、とってもご満悦で帰ってきた。(ただ、ご飯を残したらしくて、「ちゃんと食べさせてもらってない」「だから、あんなに細いんや」「大丈夫か、あの保育園で」と、いつものように、ひとしきりの文句は忘れなかったが)やれやれ。解熱剤の切れる14時になっても息子の熱も上がってこないし、何より、覇気が出てきたし、予定通り、主治医の最後の診察へ行ってきた。息子の主治医は、これで3人目。この医師の退職で、ここに、もう私が希望する医師はいなくなった。主治医も、自分の代わりの医師が医局から来ることはなく、また、ここには、この子を安心して引き継きができる医師がいない、と言った。この病院を離れた方が良い、と。今後、この病院は当直もバイトでまかなっていくだろうし、医局から新たに補充される予定もない。今は、この子を特別に救急でも診ているが、来ても事情に疎いバイトだけでは、何かがあることがない、とは言い切れない。断られることもあろう。だから、今のうちに、きちんと他の病院に道をつけておいた方が良い、と。実は、それは一番目の主治医にも言われていた。彼女、女医なのだが、は妊娠して、この勤務体系の過酷な病院を辞めていったのだが、個人的に友だちになった今でも、息子のことを心配している。あの病院は危機管理がなっていない、医師のやる気もごく一部以外低い。本当は、この病院で引き継ぎをしたくない、と。それもあって、私は娘の頃からお世話になった、この総合病院から離れることを決意した。娘の頃からいる医師は、元からやる気のない、夜勤もしない、点滴の技術だけ一級品の古株医師だけになっていた。耳鼻科や整形外科も通っているので、完全に離れるわけではないのだが。今までの経緯が、紹介状の親分のような畏まった紙に出来上がっていて、それを見たとき、なんだか、胸が詰まる思いになった。内容が見たいから、と、コピーを一部ももらい、馴染みの看護師といつまでもお別れを言いあって、(彼女もやっぱり、次のお薦め医師はいない、と苦笑していたが…)帰宅した。家では姑が気持ちよく夕食をつくってくれていて、息子も娘と仲良く遊びはじめたので、何気なく先ほどのコピーを読みだしたら、思った以上のことが書いてあった。今まで主治医と話していた以上のことが書いてあったのだ。難聴、身体的な発達の遅れ、耳介の低位置、心臓のことや、斜視、停留精巣、気管支炎や肺炎で入院した記録、酸素とパルスオキシメーターの借入など。これらは確かに話していた。が、猿線、脳に委縮ありか?、非対象の胸郭、odd lookは、そんなこと話にも出たことなかった。odd lookを調べてみたら、直訳すると、『奇妙な見た目』そんな風に見ていたんだ、息子のこと。MRIだって、異常がない、と言っていたではないか。『奇妙な見た目』が、不細工だとか、可愛くないとか、そんなことを指しているわけじゃない、と分かっている。でも、そんなにodd lookなら、いろいろなところに相談してくれたっていいじゃないか。遺伝子を調べるでも、そういった専門家を相談してくれるのでも、大きな検査を進めてくれたっていい。医師として、やってくれることもあったのではないか。数か月の3人目の主治医。この病院に残っている医師の中では、入院中のケアもいいし、母親の話もよく聞いて治療してくれるし、病気、治療法もきちんと説明してくれるし、良い医師であった。きっと、こうやって次から次へと流されていては、きちんと大きな検査もしてもらえないし、専門家にも会えないだろう、と、彼は彼なりの精一杯の誠意で、せめて、この病院から背中を押して追い出してくれたのだろう。彼を恨むまい。息子の症状と向き合おうと思えば向き合えるのに、斜視だ、耳鼻科だ、また入院だ、と、対処療法ばかりで、私も一歩踏み込めずにいるのだから。まだ。
2008.09.11
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朝。…あら、と思った。息子を着替えさせようとしたら、なんとなく、だらっとしている。それに、小さい発疹があるような…ないような…。熱を測ったら、37度3分…微妙。ちょっと悩んだのだが、今日は夫が保育園へ2人を連れていってくれる、とうこともあって、なんとなく流されて、そのまま送りだしてしまった。すると、1時間で電話が。「…あの、あの、□□(息子の名前)くんですが、呼吸が苦しそうで…顔色が悪くて…」電話の向こうで、しゃべっている保育園専属ナースに思わず言ってしまった、「私への報告は後でいいので、救急車呼んでください!!」「…いや、というほどではないんですけど、肩で息をしていて、体中に発疹が…熱は37度4分なのですが…」まぎらわしいなぁ、もう。しかし、久しぶりに肝をつぶしてしまった。一瞬の間に、朝の息子の姿、最近、ようやくつたい歩きをする姿など、走馬灯のように頭をかけめぐってしまった…全く。こういうとき、自分が案外、子どもを大切に思っているんだな、と再認識する。…こういうときじゃないときに再認識できれば、もっと良いのだけれど。。迎えに行くと、だらーーっとした息子。目も潤んでいて、何より、この細かな赤い発疹…。いきつけのクリニックの午後一16時に予約して連れていくときには、熱は39度4分。「溶蓮菌の検査」をしてみたが、シロ。この発疹自体が熱を誘発しているわけではないから、と、とりあえずは様子見。。でも、なんか、発疹って落ち着かない。病院へ行っても隔離されてしまうし。夜中には39度7分まで上がり、1回嘔吐。2回座薬。SPO2は90前半をうろうろ。本当は上がりきったところまで見極めて、本人を熱と闘わせるべきなのかもしれないのだが、もう、こわくてこわくて見てられない…こういうときにもダメな母親だ…。
2008.09.10
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今日は娘のピアノの日なので早めにお迎えに行き、息子を抱っこして娘のところへ行けば、まだ一人残って、おやつ中。一声かけて、教室に行き、私が荷物をまとめてリュックにつめて振り向けば、おやつ片手にボーーーっと窓の外を見ている。側に行って名前を呼ぶと、ハっと我にかえって残ったおやつを口の中へ。ピアノに行くからトイレに行って、と声をかけ、他の子に話しかけられて話して、トイレを見ると、便器に座って手遊びをしながら歌っている。また名前を呼ぶと、はっとして動きだし、ようやく手洗い。この時点で一回家に帰るのは無理なので、そのまま行こうと急いでいたら、玄関前の保育園の本の貸し出しコーナーで、「ほん、かりる」ピアノだから時間がないよ、と再び説明したのだが、「ほん、かりる」の一点張り。仕方なく貸し出し書に名前を書こうとしたら、「△△(娘の名前)かく」じゃあ、名前だけね、と、書かせて、あとは殴り書きで車へ。ピアノ教室へ着き、後部座席の自動ドアを開けた瞬間、飛び出して、犬のふんを踏む。ピアノ教室周辺は、犬のふんや放置ゴミが多くて、いつも確認してから降りなさい、と言っているのに。ようやく教室に入ったが、かなりのおふざけモード。娘も私が人前ではキレないのを知っていて、ちょっと怒ったぐらいでは言うことをきかず。ピアノをわざとヘンなテンポで弾いたり、立ち上がったり。18時すぎに帰宅して、体力があるうちに入浴、食事となんとかこなし、歯磨き、口腔ケアをして、さあ、寝ようか、と、借りてきた本を読もうね、と声をかけたら、「それ、読まない」の一言で、完全にブチきれてしまった。(と、何かここまで我慢したように聞こえるが、もちろん、ちびちびキレてはいた)「だったら本借りないでよ、重いし、時間がない中せっかく借りたのに」「もう、絶対に借りないから」「お迎えに行ったのにダラダラして。ピアノだから急いでって言ったでしょ」「おやつのときも、トイレのときも、何考えてるの、ぼーっとして」「ピアノ教室なんて行かなくていいよ、ふざけるために行ってるんじゃない」「お金がもったいない」「行くな、行くな」と、猛烈に怒りをブチまけてしまった。一通り怒鳴り倒して、ちょっと脅え加減の息子を抱っこして横になって目をつむったら、「ママ、ほんよんで」と、もってきた本のタイトルは『ママおこらないで』ブッチーっとまた頭にきて、「△△はママの言うこときかないのに、どうしてママは△△の言うこときかなくちゃなんないの。本なんて読まないよ、やだやだ!」と、寝たフリをしてしまった。娘はそのあと、何か歌を歌いはじめたのだが、それさえもムカついて、「寝てるんだから、うるさい。」ようやくお互い眠りについて終戦…になった。私が怒っても怒っても、それが分かっていないかのようにニコやかなのも腹がたつし、落ち込んで顔色を見ながらジメーっとしているのも腹がたつし。とにかく、ひたすら腹がたつ。絶対、この中には、そんなに腹をたてる必要のないことも入っているはずなのだ。娘の何かがこうさせる、その理由と対処法さえ分かれば、もっとお互い楽になるはずだ。児童相談所に行っても、児童精神科へ行っても、発達を専門に診ている小児科へ行っても、かえってくる言葉はみな同じ。「発達障害ではありません。」どこにあるのだろう、娘をこうさせる何か。どこにいるのだろう、こういう娘を解読してくれる専門家は。
2008.09.09
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人間って限界がやっぱりあるもので。昨日というべきか今日というべきか。日付が変更してから1週間の出張から帰ってきた夫に、ここ最近の出来事をしゃべっていたら、なんだかヒートアップしてきた。「大体さ。出張のない日は保育園に送ってくれるって言うから2人目作ったんだよね?」そうだった。2人目に全然前向きになれない私に、彼は育児の全面バックアップを具体的に約束したのだった。トイレ掃除。出張のない日の朝の保育園。節目となるような大きな通院の手伝い。などなどなど。「明日。朝8時までに診察券を出しに行くか。9時に2人を連れて耳鼻科へ行くか。11時までに息子を小児科(クリニック)へ連れていくか。どれやる。」「…んーと。耳鼻科かな。」「起きてよね。起こすだけで面倒になって自分で行くハメになった、とかイヤだから。」「それは仕方ないでしょ。そういう生活してないもん。明日も昼出だし。」「それじゃあ意味がないでしょ。手伝うならガツンと手伝ってよ、気合入れて。」「えええーっ」そう言いながらも2時前に、「もう寝よっかな。明日、早いみたいだし」と、独り言のように言い目覚ましをかけてベッドに入ってしまった。朝。7時に起き、サンドイッチを作って診察券を出しに。8時10分に戻って子どもたちを起こしにいくと、ちょうど目覚ましがなって。普段なら8時間睡眠の後でもスヌーズ機能フル活用でようやく起きる男が、さくっと1発で目覚めて子どもたちと一緒にリビングへ。一緒にサンドイッチを食べて、ひょいっと息子をかつぐと娘に声をかけ、さらっと行ってしまった。拍子ぬけ…という言葉はこういうときに使うんだろうなぁ。あまりにも、あっけなく行ってしまって、かえって落ち着かない。せっかく3人がいないのだから掃除機でもかければよかったのだが、やったことはパソコンあけて更新…。50分後。行ったときと同じように、さらーっと息子をかついだ夫は帰ってきた。診察内容など必要事項を確認しあったあと、「どうだった?」と、おずおずと聞いてみた。すると、「こんなんで良かったら、いつでも手伝うよ。」とニッコリ。あぁ、そうだったな。2人目を決意した理由、もっと大きいのがあった。『2人目に障碍がなければ娘を助けてくれるだろうし、障碍があったとしても娘が2人目を守ろうとがんばってくれるよ。大変だったら、オレが仕事辞めて育児担当を代わってもいいから、2人目をつくろうよ。』息子をクリニックへ連れていき、12時30分に戻ってくると、夫は和室で爆睡していた。娘はやりたい放題で部屋も荒れ放題。庭の砂場に隣の男の子を誘ったらしく、砂場には玩具が散乱し部屋も砂だらけ。それでも。全然、怒る気にならなかった。夫と。障碍のある娘と。またまた障碍児だった息子と。私。4人、なかなか良い家族なのではないかな。
2008.09.06
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また、やらかしてくれた。保育園でのトラブル。今日は、夜、会議だった。うちの保育園は皆、仕事をしているため、夜、会議などがある。今日は県下の保育園が集まって保育情勢について学び、それを啓蒙し署名を集める、という、保育園あげての大イベントだった。正直、子ども2人とも調子がいまいちの状態、自分は納得できた人生を歩めていない現状で、保育情勢だ?保育システムが変わる、だ?そんなのどうでもいいわ、というのが本音である。以前の私なら、こんなものに参加したりはしなかっただろう。が、子どもたちを授かって考え方は少し変化してきた。自分だけの正義や知識だけですべての社会を把握することはできない。さまざまな立場の人がいれば、その立場の分だけ抱えている正義があり、そこにはきっと、自分の知らない世界がある。お年寄りにはお年寄りの立場と正義と、そこに広がる世界が。同じだけの正義で、未婚子どもなし50代の女性の立場と正義と、そこに広がる世界が。保育園には保育園の立場と正義と、そこに広がる世界がある。もちろん、それらをすべて掌中にし、我が事のように心を痛めることはできない。それをしてほしいのは政治家であるのだが。エリート、というものは古はそうであった。民衆の利益を全く立場が違っても我が事のように考えることができ、民衆のために死ぬことができる人、それをエリートと呼び、彼らに政治を託した。今はどうだ。エリートとは名ばかり。偽エリートたちは偽エリートの利益だけを追求しようとしている。日本もエリート階層をつくればいいのだ。血であっても、能力であっても、その両方であってもかまわない。そのかわり、そこで学ぶものは一律、エリート道を学ばせる。すなわり、民のために死ね、だ。熱くなってしまった…閑話休題。だから、だ。親でさえも片目をつぶりたくなるような子どもたちを愛し、そのままの彼らを受け入れてくれている保育園の人たちが、そんなにも、保育制度改革は改悪だ、と叫ぶのであったら、その理由いかんは別として、無条件で手を貸してあげたいな、と思ったのだ。18時半に子どもたちを保育園に預けて、21時半に戻ってきたら、保育園は大騒ぎ。娘が2歳児の女の子の髪をわしづかみにして、それも3回、髪が大量に抜けた、というのだ。その子が娘と同じクラスの女の子の妹だったものだから、皆の批判ボルテージはマックス。謝れ、いやだ、とモメにもめ、で、私登場、という場面だ。場にいた保育士に問えば、どうも、娘はおしっこをもらしてしまい、それでバツが悪くなったところに2歳児の子がたまたま通りかかり、えじきになったんじゃないか、という。家を出るときトイレを確認したら、保育園でする、と答えていた。あれは、出ない、ではなかった、出るけど保育園で、だった。夜の保育園で興奮しきっていて忘れてしまったのだろう。急いでいたので、そこまで頭が回らなかった。とりあえず、相手の母親に頭を下げ、子どもを回収。家に帰ったのはもう22時を回っていた。明日は朝一で耳鼻科、その後、11時予約で小児科。朝ごはんと昼ごはんのタイミングは。あぁ、なんでよりによって、こんなに考えることが多いときに。「あんた、そんなんだと友だちできないよ」「友だちいらないんでしょ」「当たるなら自分より大きい子にしたら、そしたら、やりかえされてわかるんじゃない」などなど、だめだだめだ、と耳元で誰かが囁いてくれているのに止めることができず、ねちねちねちねちねちねちねちねち責めたててしまった。黙って聞いていた娘が、「悪いってわかってるよ」と、言ったのを聞いて我に返り私も黙ってしまった。そうだよね。友だちもほしいし、やり返されたらいやなのも分かっていて、だから、小さい子を狙ったんだし、悪いって分かってるんだよね。悪いって分かっていて、どうしてやってしまうのか。娘だって、しんどいんだよね。「△△(娘の名前)、しんどいね。いろいろあってさ、しんどいよね」「ママ」真のエリートもいない。解決策も見つからない。耳だれも止まらない。ないないづくしの2人だけど、一緒にがんばっていこうか。娘よ。
2008.09.05
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息子、発熱。息子、耳だれ。娘、相変わらず耳だれ。ひどい鼻水。朝から2人を耳鼻科。熱のある息子を連れて身体障害者手帳の相談をするために娘を予約してあった整形外科へ。ようやく息子を小児科へ。先週、予定が変わって休む旨を事務に連絡済の大学の発達相談室から、待っていたのに、と責める電話がかかり。こども病院の心療科に予約を入れたら、耳鼻咽喉科からの院内紹介状がないから予約は取れない、と言われ。耳鼻咽喉科に電話を回してもらったら、心療科ではないから判断つきかねる、と言われ。よその児童精神科の診断書で予約をしようとしたら、院内紹介状以外は新規の予約は受け付けていない、と言われ。本当に、自分の身の上に起きていることなのだろか。
2008.09.04
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夜。2通のメール。子どもたちのトラブルをわが子から聞いた親、2人から。1人は、『聞いたよ。△△(娘の名前)は大丈夫?子どもの言うことだから、いまいち何があったかは分からなかったけど、たとえどんなに相手が悪くても大勢で囲って責めてはいかん、と話しあったよ。こういう機会をくれて、ありがとね。』と。もう1人は、『先生の対応、ひどいよね。母、大丈夫?子ども同士のことだから、ある程度しかたないけど、やっぱ、そこまで責められてたらかばってあげないと、味方もいなくてかわいそうじゃん。』と。すごいことだよな、と思う。トラブルになった相手から、娘や私を気遣ってもらえるなんて。それもこれも、あの保育園でみっちり関係をつくってきたからなんだろうな。時には…レベルではなくて、かなり頻繁に普通の子どもを育てる親たちの中で、しんどくなったり悲しくなったりしてきたけど。時には、えいっとサボってしまったこともあるけど。でも、娘の障碍云々、置いておいても、自分を慕って傍に寄ってニコニコと見上げる娘のことが、嫌いにはなれないんだろうな。他人の子どもだとしても。それが障碍を持っていようとも。一人間として。こういうときに思う。娘のパワーってすごいな、と。あやつは、ただ、ニコニコとおバカなことをしているだけなのに、なんとなく周囲が動かされる。動かないのは私だけで、その他の人をゴトリと動かす。保育園自体が温かな園風を持っていることもある。私も、そりゃいくばくかは貢献しているかもしれない。でも、やっぱり娘のパワーは大きかろう。娘を信じてみればいいのかな。私には感じない、その娘のパワーを。娘の足を引っ張らない程度に、私も周囲との関係を保ちながら。
2008.09.03
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どうして、突然、みんなが作っていたブロックの家を壊したのか。娘に聞いても、わからん、の一点張り。そりゃ、そうだろう。分かるようなら、壊す、というような破壊行動をするわけもないのだ。何度か話しているうちに、ようやく、分かってきた。「…んん。△△(娘の名前)はぁ、いっしょに、つくりたかったの。」そんなことかな、とは思っていた。というのも娘はブロックが大好きなのだ。だが、皆がつくるような、戦艦だの要塞だの銃などには興味なく、家や車庫など、ごっこ遊びのフィールドとしてブロックが好きなのだ。何人か共同で家をつくっていたと聞いたときから、娘が好きそうだな、とは思っていた。「だったら、入れてって言ったの?」「いってない。」「なんで言わないの。」「だって、いったら~みんな、ダメっていうじゃん。」えっ!!それは随分と先読みな…。「でも、結局、壊したら仲間に入れないでしょ。」「……」「ダメって言われたら、なんでダメなの?って聞いてみたら。」しばし沈黙…の後、顔をあげて、「なんで?っていったら、みんな、なんていうかなぁ。。」なんだか笑ってしまった。「それはさ。ママはみんなじゃないから分からないよ。」「そっか。」娘もつられて笑った。「今度は、なんで?って聞いてみたら。」「こわすからダメっていったら?」「△△はこわすの?」首をふる。「だったら、なんて言う?」「こわさないから、いれて、っていう。」「それもいいね。」本当なのだろうか。入れてほしいけど、どうせ入れてくれないから、と、思って壊した、そんなことがあるのだろうか。不思議な人だ。
2008.09.02
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よくもまぁ、こんなに書くネタに困らない人生だな、と呆れてくる。息子の耳だれが止まり、ハサミで切られた手の傷も治ったと思ったら、今度は娘。それも、またもやMRSA。連日、耳鼻科通いが決定して、うつうつと保育園へお迎えに行ったら、クラスの子どもたちが私を見つけて駆けよってきた。「きょうね~△△(娘の名前)、ブロックこわしたんだよ」「みんなでつくったブロックこわしたの」「やめてっていったのに、やったんだよね」話を総合すると、6、7人の子どもたちでブロックで家をつくっていたら、娘がそれを突然、壊しはじめた、という。大騒ぎになり、担任も見守る中、みんなで説得し、一度は「もう、やらない」と言ったらしいのだが、そう言ってすぐにまた壊しはじめたという。「だから、みんなで△△がつくったのをこわしたの」「どんなきもちがする、って」「せんせいがね~おしいれにいれちゃえっていった」それはないではないか。いくら娘がみんなのつくったブロックを壊したからといって、みんなでよってたかって娘がつくったものを壊して、それが正義なのか。みんなに迷惑をかける行動をとった娘を押入れに入れたり、無理やり「もう、やらない」って言葉だけをもらえば、それで満足なのか。第一、娘がどうしてブロックを壊したのか、その理由を私に教えてくれるものは一人もいないではないか。息子と娘を連れて、なんとか玄関まできたところで、同じように障害をもつ子どもを育てる友だちに出会って、そこで、タガが外れてしまった。涙が後から後からあふれて止まらない。そんな中、たまたま、息子の担任が通りがかって話を聞いてくれていたところに、勤務を終えた娘の担任が帰宅しようと玄関に現れてしまった。「どうして、だれもブロックを壊した娘の気持ちを考えてあげてはくれないのですか」担任は、そのときの事情を話してくれた。みんな、一方的に娘を責めていたわけではないってこと。一生懸命、どうやったらみんなが楽しめるのか話あっていた、ということ。就学すれば、こういったトラブルはいっぱい起こる。その前に、こうやって大人の目が届く間に、いっぱいトラブって、娘に人間関係を学んでほしい、と。△△の力を信じて、保育園に任せてほしい、と。私の涙は止まらなかった。担任の言うことは正論だ。事実、そうやって成長することもあるのだろう。だが、どうして娘が皆に合わせる勉強をしなければならないのだ。皆が娘に怒った正義と同じ量の正義が娘にもあって、それでブロックを壊した。気持ちがわからなくて壊したのではない。皆が嫌な気持ちをすると分かっていて、そういう気持ちにさせたくて、娘はブロックを壊したのだ。そこまでして貫きたかった娘の正義を、誰も考えてはくれていないではないか。そういう風な方法でしか正義を出せない娘を、丸ごと個性と受け止めてくれる方法だってあるのではないのか。ありがとうございます、おねがいします、と泣きながらお礼を言い、その場を離れた。担任の目が、善意に満ち溢れていて、そのことがとても私を絶望させた。自分だって娘を丸ごと受け止めてあげられていないのに、これ以上、あの善意をくつがえせるほど説得できるような気が全くしなかった。
2008.09.01
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やっぱり見てしまった。24時間テレビ。以前は偽善っぽくて嫌いだったのに、娘を授かってからは涙なくしては見られない。結局、自分は何も分かっていなかったんだろうな、と思う。自分なら障害を持っても、こんな狭い世界に生きたりはしない、きっと今まで通り、輝いて生きていけると思う、と。経験乏しく、想像力も欠如していて、根拠のない自信に満ちていた自分。いろいろな立場の人に、いろいろな人生があって、いろいろな価値観がある。こんな当たり前のことを知らなかった。SPEEDのボーカル今井絵理子の息子、礼夢くん。彼の話は本当に泣いた。今井絵理子は歌手で、子どもに歌を歌ってあげたかった。たったそれだけの小さな望みなのに、高機能感音聴覚障害の彼の耳に届くことがない。その無念さはいかほどだっただろう。私は子どもと一緒に学ぶことが楽しみだった。科学館や美術館の子どもツアーに一緒に参加したり、理科の実験を一緒にしたり、史跡を旅したり。私のすべてを授けたいと思っていた。それが出来なくなった、と書いたらきっと、人権侵害になるのだろう。今からでも娘とそれをしていけばいい、と。そんな気持ちにまったくなれない私は、差別をしているのだろうか。差別しているんだろうな。今井絵理子は、それでも彼に歌ってあげたい、と言っていた。私も娘と学びたいと思い、実行してもいるし、心から楽しいと思える瞬間もあるが、抱いていた夢を実行している気持ちには、どうしてもなれない。
2008.08.31
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息子のクラスの母会で今、帰宅。息子のクラスは父母同士、本当に仲が良い。ほとんどの人が参加して、1次会で帰った人もどうしても次の日に仕事がある人だけで、皆と、担任の保育士まで2次会へ。久しぶりにいっぱい飲んで、いっぱい話して。その話の内容は深い話などなくて。私の本音を話したわけでもなかったんだけど、それでもいい、『普通』のパワーをもらえたから。息子の発達は遅いが、娘のように診断書があって障害児枠で入っているわけではない。だからといって、心情的にも実際にも、ついていけない会話はいくらでもある。それでも『普通』のパワーがもらえる気がするのはなぜなんだろう。数日前にもらった同窓会のお誘い。それに伴って届いた、旧友からの誘いメール。大雨を心配してくれた久しぶりの友人からのメール。隣の人からいただいた4個の梨。『普通』のパワーで少しづつ回復してきた気がする。
2008.08.30
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保育園へ迎えにいったら、娘が大切そうに何かを持っていた。よく見ると、セミの抜け殻。最近、娘が気にいっているらしい。持って帰る、というので、みんなのだから、と返させようとすると、「いいよ、持って帰って。もう、みんな忘れちゃってるんだから、ここに抜け殻があること。△△(娘の名前)だけだよ、(セミの抜け殻を)覚えてあげているのは。」と、担任に言われた。娘だけ周囲と違うとしても、娘のこういうところは、いつも私をホッとさせてくれる。利き手の左手の平にセミの抜け殻をのせて、そっと歩く姿も可愛くて、なんだか、嬉しくなって教室を後にした。玄関で靴をはき、外へ出ると雨が強かった。前抱きにしている息子が濡れないように気をつけ車へと急ぎながら、後ろからついてくるだろう娘に、「セミの抜け殻、雨に濡れたらフニャフニャになっちゃうかもしれないから、濡れないように持つんだよ~」と、声をかけた。よく考えれば、そんな自然現象に弱い殻では、セミも成長できまい。つまらないことを言ったものなのだが、その時は、娘がせっかく大切にしているものだから、と、気を使ったつもりだった。普段から意思や想いみたいなものが薄い娘が、いや、もしかしたら、本当は強いのだけれど、私がくみ取ってあげられないのか、私の前では出せないのか。常に、何が本当にしたいのか、考えているのか、が分かってあげられない娘の、ほんの少し見えた本音を大切にしてあげたくて、とことん、セミの抜け殻に付き合うつもりだった。車に息子を乗せて、娘を振り返ると、手に何も持っていない。「…セミの抜け殻は?」焦ったように、後ろを一生懸命指さしながら、「ポイしたの。」「…なんで。」「だって、ぬれちゃうっていうから。」娘の指さしたところを見やると、道の真ん中にセミの抜け殻が雨に打たれて転がっていた。「ポイしたら、もっと濡れちゃうでしょ、見てごらん、あんなに濡れちゃって…」私は自分で道を戻りセミの抜け殻を拾った。そして、娘の手に乗せて、もう一つの手で屋根を作り、「こうやったら濡れないでしょ。」と、言った。「あぁ、そっかぁ。こうすればぬれないんだ」娘はそのまま、そっと持って車に乗りこんだ。家につくと、娘は、「セミのぬけがら、どこにおこっかな~」と、言っていた。独り言なのか。それとも、そう言いながら、どこに置いたらいいのか、私の顔色をうかがっているのか。私は聞こえないフリをしてキッチンへ入っていき、娘に視線も合わす気持ちになれなかった。セミの抜け殻は、まだ家のどこかにあるのだろうか。
2008.08.29
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ひどい雨とかみなり。ノートパソコンを開いているダイニングテーブルの上の電気が、たまにチラっと消えて、また点いたりしている。停電かな。もしかしたら、途中で消えてしまうのかもしれない。水曜日は友だちと水族館へ。プールに入ってイルカに触ってきた。障害はないけど1つ下の女の子と、娘と同じくらいの発達年齢の同級生と。娘はそのどちらとも1対1では遊べる。が、こうやって3人になってしまうと、他の2人が手をつないで遊びに行ってしまい、娘は1人になってしまう。それでもいい。他の子と遊びたくなくて遊ばなかったり、遊びたいけど興味が違うのであれば。娘はそうではないのだ。やりたいことも興味も一緒。でも、仲間に入れないのだ。娘は、そのストレスで、持っていたゴミを口に加えながら、顔面蒼白にして固まって立ちつくしている。私はそんな彼女を見るのが、どんな彼女よりも一番辛い。辛くて辛くて辛くて、とても正視できない。内蔵をわし掴みされて、取り出されるような痛みに耐えられず、彼女を嫌いになってしまいたくなる。嫌いにさえなれば、彼女のことがどうでもよくなる。どうでもよくなれば、辛くない。怒りも湧かない。怒っても無駄だ、という冷静な自分を取り戻すことができる。冷静な自分は彼女のことが好きではないのに、そのとき抱き寄せてあげることが1番だと思えば、抱き締めて「ママがいるよ」と耳元で囁いてあげられる。でも、本当に本当に本当に娘のことが好きなのは、娘の行動一つ一つを息が詰まる思いで眺め、心から悲しみ、悲しんで怒り、怒っては自分を責めている、そんな最悪な自分なのだ。娘はどっちが好きなのだろう。どっちかの私でも許してくれたらいいのだが。
2008.08.27
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こんな時間に更新して…。子どもたち、夕食まだなのに。自分だけビールあおって、グダグダと日記を書いてる。娘の耳だれは絶不調で、抗生剤なんて効きやしない。まず、間違いないく、こちらもMRSAだなぁ。また、毎日、耳鼻科通いかぁ。息子の手も治りいまいち。やっぱり縫った方がいいのかな。娘の就学。手帳がなくなったからデイサービスが使えないんだった。学童もなく。来年からどうなるんだろなぁ。あぁ、誰かと一緒にいたいな。…今、一緒にいたい人が頭に浮かんで、消さざるをえなかった。そうだ。彼は、無理なんだよな。好きな人ではない。もちろん、肉体関係など、まったくもって、の人で。私は…本当に本当は貞操観念などない人で、どうして仕事のために相手と寝てはいけないのか、全然理解できなくて。今、どうして、こんなに貞操を守っていられるかといえば、ひとえに夫が悲しむみたいだから、というだけで。彼は、80点以下の女とは寝ない、と言っていた。容姿端麗な彼が言うと、まったく冗談に聞こえなかったし、ま、冗談でもないんだろうな。私のことは40点って言ってたかな…。50点に修正させたんだっけ…。でも、私が100点でも彼は寝なかったと思う。彼は夫の元職場の同僚で、夫のことを大切にしていたから、その彼が大切にしている私と寝る、なんて選択肢は絶対に持たない人だと思う。彼は、それだけ、彼の周囲を大切にする人だった。少しでも自分を思ってくれる人に対して、身を投げだす勢いで助けてくれる人だった。はじめて、彼と出会ったとき、自分と同類の何かを感じた。きっと、彼も感じたと思う。でも、二つだけ違ったことは、彼は私と違って、容姿という才能にも恵まれていたことと、もう一つ、私の先の先の先の先の先の先を歩いていた。傷ついた人生で今、彼があの人生を歩いているとしたら、私は当時、まだ、傷ついた自分を越えられないでいた。だから、なんか、彼に話しかけるときは安心できた。きっと、分かってもらえるような気がしたし、私のものにならない感じがまた、気楽だった。そんな彼は、子どもを作らないと言っていた。自分の子どもは絶対に障害児だから、と。自分のように苦労させたくない、と。今、思えば、あれは私にもあてはまったんだろうなぁ。理屈なんてないのだろう。そういう星のようなものがあるのだろう。でも、私はきっと、彼も失ってしまったのだろう。彼が私に相談してくれたとき、私はあまりにも彼の後を歩きすぎていた。私は彼に相談できても、彼の相談を受ける技量どころか、それを受け止めるどころか、その事態と向き合うことさえできなかった。そして、もっと悲しいのは、そのことが原因で彼を失ってしまったかもしれないことにさえ、気付かないで生きてきたのだ。今でも、夫の同僚としての付き合いがある。でも、このことを改めて謝罪するなんて、そんなおこがましいことをする勇気は自分にない。そもそも、こんな考え自体が間違っているかもしれないではないか。私が彼と同類だ、と思っていたこと自体が妄想かもしれないのだ。万が一、すべてが当たっていたとしても、今更、子どものように「ごーめんね」「いいよ」、というわけにはいかないのだ。失った人生。失った過去。これ以上、何を失っていくのだろう。
2008.08.26
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息子が治ったと思ったら、今度は娘が耳だれ。朝から耳鼻科へ連れていく。その後、保育園へ。娘の加配の保育士が今週いっぱいで退職することが判明する。彼女の夫が転勤するそう。去年から1年半。娘が心を開いて甘えきることができる、担任よりもなついている人だった。クラスに入ると、担任から、娘の目が悪いのではないか、と指摘される。難聴のために、いつも、最前列に座らせているが、すぐに席をたって、前までくる。聞こえないのかと思っていたら、「見えない」と。いつも、本をページすれすれで見ているし、一度検査した方がいいのでは、と。うつうつと日中を過ごし、迎えに行ったら、娘にハサミで切られた息子の手の傷が、またパカっとあいて出血したらしい。縫った方がいいのでは、と保育園のナースから言われる。よくもまぁ、次次と。どうやったら、やれるのだろうか。これ以上、どうしろっていうのだろうか。
2008.08.25
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ちょっと目を離した隙、とも言わないほdの、ほんのわずかの間に、事故は起こった。息子の、かつて聞いたことのない悲鳴が家中に響き、不安に押しつぶされながら、声の聞こえた玄関にかけよると、ハサミをもった娘と、泣いている息子と、床に血。何が起こったかは、すぐに分かった。問題は、その場所と怪我の具合。ふるえる手で息子を探ると、親指と人指し指の水かきのような部分に血。そっと見てみたら、ぞっとするほどバックリ割れていた。一瞬。あぁ、ここなら太い血管やら神経やら通ってなさそうだな、と、冷静に思ったのだが、リビングにいる夫の元へ連れていって、「こわくて見れない」と訴えた。夫は消毒をし、包帯で固定。「太い血管や神経はなさそうだし、これで血が止まれば大丈夫なんじゃない。」と言った。こういうのを甘えている、というのかなぁ。本当に本当の私は、どちらなんだろう。娘は懸命に、どういう事情だったか説明していた。どうも、私が新聞を束ねるのを真似して、ヒモを切ろうとしたとき、息子が手をだしてきたらしい。娘はもうハサミを使える年齢だし、片付け云々の問題ではない。使い方をもう1度確認し、しばらく息子は手を使えないから、あなたが手となってあげなさい、と言った。娘は、どこまで分かっているのだろう。何食わぬ顔で遊んでいる娘を見ると、そう思う。息子を傷つけたことが悪いことだと分かっているのだろうか。ハサミの使い方をこれから気をつけてくれるのだろうか。もっと怒った方が良かったのだろうか。普段、つまらないことではブチ切れてるくせに、こういうときはヘンに冷静になってしまって、というか途方に暮れてしまって、一瞬怒リそびれてしまう。これでは、彼女自身の中で事の軽重をはかり間違えてしまうのではないだろうか。私のように。自分のことも人のことも、なんだか難しい。
2008.08.23
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夜中、何度も目が覚めて。朝からだるく。やっとのことで子どもたちを保育園に預けて、家へ。ぼーっとコーヒーを飲んでいたら、ふと、誰かと一緒にいたいな、と思った。こういう感覚は、はじめてかもしれない。そういえば、彼女もそんなことを言っていたな。彼女。とは、以前、日記に書いた、月に1、2度、現れるママ友のことだ。看護師である彼女は夜勤のふりをして夫に3人の子どもを預け、自分一人で我が家へ来る。そして、家族の顔を見たくないから、と、1時を過ぎてから帰宅する。障害のない3人の子どもに恵まれ、自他ともに天職とみとめる看護師の仕事をし、夫は家事をシェアしてくれるどころか、夜勤のときは子どもをみてくれる。休みの日は家族5人で、他の家族を誘ってレジャーにいそしみ、困ったときには、自分がすすんで子どもを預かってくれて。幹事など、面倒な役職も笑顔で夫婦そろってこなす。彼女の一家を、理想の家庭、と、酔って語るママ友は一人や二人ではないのだ。そんな彼女から、ある日。突然、メールがきた。会えば挨拶を交わし、クラスのイベントでは出会う、そんな程度の仲だった。一日に少なくても3回。多いときは一日中、夜中も。メールをすぐに返さないと、今、何を考えているか不安だ、と、またメールがくる。内容はともかく、なぜ、こんな行動に出たか、といえば、彼女は『共依存』なのだ。依存相手の苦労や悩み、境遇に、依存しないと、いてもたってもいられない、のだそう。彼女の言葉を借りれば、「申し訳ないような気がする」のだそうで。今までの『共依存』の相手に逃げられて、次の依存相手を探していて、そこで、障害児2人を抱えている私に白羽の矢がたった、というわけ。そんな彼女が言っていた。「何もしゃべらないでいいから、誰か、自分を分かってもらっている人と、ただ一緒にいたい、と思いませんか。」と。正直、そんなこと思ったこともなかった。ただ、彼女が来ると、何か人の役にたっているような気がして、嬉しいような。メールも、求められていることが安心なような。数か月、そんな生活が続き、次第にこちらも心を開きはじめた、ある日。突然、メールがこなくなった。逃げていた相手とヨリが戻ったそうで、やっぱり、ふりむいてもらえなくても、あの人を追い続けてみたい、と。あの人は私が追いかけていないと死んでしまうから、と。勝手によってこられて、勝手に去られて。恋愛にもあるんだろうな、こういうの。あの人よりも悩みが薄い、と思われた、のかな。喜べばいいのかな。全く、勝手な人だったな。もう、2人きりで会うことはないだろうけど。私も会いたいと思わないし。でも、なぜだろう。恨む気持ちにはなれない。あえて沼地を選んで泳ぐ彼女が、心配ではあるけれども。
2008.08.22
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「きょうもゴーオンジャーのほん、よんでね。」いつものように息子が眠くなりリビングから廊下へつながるドアを指さしてグズりだすと、娘がそう言った。「うん。読もうね。」息子のオムツを替えながら、そう答えた。『ダッシュ豪快!ゴーオンブラック!』『蛮機族ガイアークをやっつけろ』「ねぇ。ゴーオンジャーの敵って誰か分かる?誰と戦ってるのか知ってる?」「これ。これがたたかってるの。」指をさしているのはゴーオンジャーのメンバー。「ちがうの。誰が戦ってる?じゃなくて、ゴーオンジャーは誰と戦ってるの?って聞いてるの。」「これ。これなの。」焦ったように、ゴーオンジャーたちを指さす。「ちがうの。そうじゃなくて…。ゴーオンジャーの敵はだれ?って。アンパンマンはバイキンマンと戦ってるでしょ?ゴーオンジャーは?」「だから、これなの、これ。これ。」半泣きでゴーオンジャー。「ここに書いてあるでしょ。『ゴーオンジャーは蛮機族ガイアークとたたかって…』って。」蛮機族ガイアークの写真を指さして教えると、「これ。これね。わかってるよ。」と、答える。娘の全身から汗が噴き出しているのが分かる。なぜ、こんなに私に緊張するのだ。たかだかゴーオンジャーの本の内容を質問しただけで。そんなに私の期待に応えられないことが怖いのか。なぜ、こんなに簡単な質問が通じないのだ。ゴーオンジャーの内容が分からないのか。アンパンマンのときもそうだったが、悪と善という空想の設定自体が分かっていないのか。誰が誰と、という助詞の使い方が分かっていないのか。そして、なぜ、こういう娘の態度がこんなにも私を腹だたせるのだろう。本を読み終わると、すぐに自分のベッドに戻ろとする娘に、「ちょっと。昨日、もう1回読んで欲しいって言ったクセに。さっき、質問して答えられなかったから嫌になったんでしょ。」と、言わずにはいられず。「…うん。」と、視線をそらす娘に、どうしても腹がたち、「もう質問しないから、もう1回、聞きなよ。」といって、もう1度、読んだ。娘は黙って聞いて、最後まで聞き終わると、「おやすみ」と、自分のベッドに戻っていった。これを機会にゴーオンジャーを教えてあげたかっただけなのに。少しでも、周囲の友だちと共通の会話がもてるように、と。彼女のために、と。憎くてやっているわけではないのに。怒っているわけではないのに。一度、かみ違えてしまった歯車を元に戻すのは、難しい。
2008.08.21
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息子が読んで欲しいと持ってきた『わにわにのおふろ』を、うながされるまま3回読み、さぁ、寝ようねと電気を消そうとしたとき、娘の遠慮がちな声。「…ママ、これよんで。」このタイミングで言うなよ、と思いながら、ちらっと見ると、彼女の手には『炎神戦隊ゴーオンジャー』の本。「こんなのどこ読めばいいの。こういうのは一人で眺めてればいいでしょ。」と、イライラを隠せず言い放ってしまった。この本は、数週間前。何か別の絵本を買いに行った際、こっちが買いたいと言ったもの。本やの戸口にクルクル回る本立ての、3歳くらいの子用の1ページづつがぶ厚い本で、なんだか、何かでグズグズしていた娘に「はやく」と促したら、自分のすぐ横の本立てから、見もしないでスっと取り上げた本だった。娘のそういうところが、私をよりイラつかせる。私に怒られないように、「はやく」と言われたら、自分の意思は2の次で、ただただ焦ったように急ぐ。その姿が、またイライラを増長させていると、彼女は気付いているのだろうか。6才の娘は、炎神戦隊ゴーオンジャーなるものを、テレビで見たこともないのだ。「だったら、これ、よんで」娘は、息子も喜びそうな本を持ってきた。『息子が喜びそうなものなら、私が読む、と思っているんだろうか…』「…いいよ、ゴーオンジャー読もうか。」「うん!」「ぶっちぎるぜ、ゴーオンレッド」「たおせ」写真ばかりで、ほとんど単語ばかりの本を読む。終わって、本を閉じると、「もう1かい、よんで。」3回読むと、「あしたも、ゴーオンジャーのほん、よんでね。」と言って、自分のベッドに戻っていった。あの時、買ったゴーオンジャーの本は本当に読みたかったのだ、と証明してみせたのか。息子と同じように、自分も3回、読んで欲しかっただけなのか。それとも、本当に、この本が好きなのか。娘が本当にして欲しいことをしてあげたいと願っているのに。相性が悪いのか、まだ信頼関係が出来上がっていないのか。娘の気持ちが、いまだ読めない。
2008.08.20
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お盆明け。各病院も療育もはじまって、また、いつもの平日。夫は出張。疲れる。病院や療育に行けば、いつも、大体、何かしらコトが動く。前に進むことばかりだが、それが必ずしも自分の望むような未来であるとは限らない。面倒なケアが増えたり、家庭での勉強が増えたり、手術の予定が入ったり。どれもこれも未来につながっている、ということになっている。が、本当にそうなのだろうか。どういう未来になれば、自分は幸せなのだろう。どういう未来になれば、子どもたちは幸せなのだろう。未来を考えれば不安になる。だから、予定はすべてスケジュール帳に任せて、とりあえず今日を耐えぬき、こなしてみる。やっていることの意味を考えるなら、頭をもたげ未来を見るしかない。が、頭をもたげてしまえば不安になる。そこで思考をストップして、とりあえず今日を。出口なし。やっている意味が分からないことのために、自分の時間を注ぎこみ続ける。賽の河原で石を積んでいる方が、まだ救いがあるのではないか。何度も鬼に壊されたとしても、悲しませてしまった父と母を想って積めるのだから。
2008.08.19
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娘が帰ってきた。でも、だからといって、といった感じ。今までもずっと一緒にいた感じで、久しぶりな感じも、ラブ~な感じもなく。会った瞬間、一瞬で時を飛び越した。よく、夫のことを、『空気』のような関係、と評す人がいるだろう。好きとか嫌いとか、特別な感情はなく、いて当たり前。いなかったら死んでしまうとは思うのだが、あって当たり前すぎて想像できない、みたいな。あれなのかな。娘とは。だと、いいけど。娘を連れてきてくれた義母は我が家に3時間ほど滞在して、またトンボ帰り。明日、パン教室があるらしい、彼女が先生なのだが。娘だけ連れてくるのも大変だろうに、朝から焼いたパンをいっぱい持ってやってきてくれた。もちろん、息子である夫のためとか、孫のためなのだが。その愛は素晴らしいと思う。勉強になるというか。勉強しても仕方ないんだけど。でも、こういうのを近くで見ると、凄いと思う。例えば、であるが、今回も、こんなことがあった。夫は今日、休みだったのだが、それを伝えて私では行けないような大きな駅まで迎えに行く、というと、たまの休みに煩わせたくないから、という。夫は、車を運転することは大して疲れない人だし、何より、少しでも早く娘に会いたいから、と、迎えに行くというのだが、義母は、だったら着く時間を知らせないで行く、という。私にしてみれば、何時なのか分からなければ食事を作るタイミングもあるし、何より、娘を預けている身としては、心配が全くない、ということもない。お盆のUターンラッシュの真っ最中だし、娘を少しでも疲れさせたくない。ただ、連れて帰ってきてくれるのだし、今まで遊んでもらったわけだし。義母にどういっていいか分からず、まぁ、時間が経てば気持ちも変わるかな、と、そのままにしておいたのだが。当日、の今日。お昼過ぎても連絡なし。やっと連絡があったのは、もう、最寄駅近く。夫は、そういう効率の悪い、私さえ犠牲になれば的な辛気臭い話が嫌いで、ほっとけ、と、お怒り気味。我が家についた義母は、いかにも、褒めて~と言わんばかりの武勇伝口調。それでも、夫が子どもの頃は良かったのだろう。が、今では彼も人の親。娘と会いたいし、娘が心配で、時間に追われる仕事人にもなった。そういうことは全く度外視で、子どものころの想い出だで生きていくのが、母親なのだろうな。もしかしたら、夫だって、そんなポーズをとっているだけで、いや、真剣に怒っているのかもしれないが、心のどこか、奥の奥では愛を感じとっているのかもしれない。いや、たぶん、そうなのだろうな。奥が深いな、親子愛って。…いや違うのかな。本当に怒っているのかな。私には分からない。
2008.08.17
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昨夜、…違うな。日付かわって2時半に夫が出張から帰ってきた。これで3人。明日には娘が帰ってきて4人。お盆が終われば通院や療育、保育園も復活し、また日常に戻る。一眠りした夫が朝一番。「△△(娘の名前)ちゃんに電話した?」私は今まで彼女に電話をしていなかったことに気づいた。「私が電話したら、向こうがやりづらいかなと思って。」別れ際のエピソードを知っている夫は、なんの違和感ももたなかったようだが、私には違和感があった。どうして、あんなに毎日、彼女のことを考えているのに、電話をしたい、声を聞きたい、とは思わないのだろう。帰ってくることを憂鬱に思うことはない。食事などの世話も、どうせ息子はいるのだし手間はそんなに変わらない。むしろ、娘がいると息子の気をひいてくれるし助かる。でも、会いたいか、といえば、どうなのだろう。「もしもし。あ、オレ。△△ちゃんにかわって。」電話をした夫が、おそらく義母にぶっきらぼうな声でそう言った後、いきなり声をかえた。「もしもし~??△△ちゃんですか~??おとうさんです!!」最後は、絵文字でハートマーク10個といったかんじだろうか。何かをちょっとしゃべったあと、「…うん?…うん。……うん。」と声が低くなり、私を見て一言。「ママにかわって、だって。」「…もしもし?」「ママですか?△△です!」鼻がつまったような甘く細い声。「ママです。元気ですか?」「げんきです!あした、かえるからね!△△がいなくてさみしい?」「うん…さみしいよ。はやく、かえってきてね!」「うん!」本当は、さみしくはなかった。うそをついた。でも、だましてあげた方がいいに決まってる。こちらの気持ちに余裕がなければ、彼女の想いに応えてあげようと、だましてあげることさえ出来ないできないことなのだから。夫は電話を切った後、自分としゃべっているとき、すぐにママとかわってと言われたことが、気に入らない様子だった。そして、「あ~はやく明日にならないかな~。△△ちゃんに会いたいな~。」と、絞り出すように天井を見上げてつぶやいた。娘を愛している夫のそばで、娘からの愛を真に受け、それに必死に応えていけば、いつか私も変われるのではないか。そう思った。
2008.08.16
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目が覚めたら10時だった。すぐ隣のベビーベッドでは息子がつかまり立ち。…つかまり立ち?おぉ。そんなことできるようになったのか。リビングに置いてある背の低い机や私の体などに腹をつけてのつかまり立ちはできたが、そうか、そんなところで腕だけで立てるようになったのか。本人も嬉しいのだろう。あんなに空腹には敏感な男が、こんな時間まで。こうやって人は幸せを感じるんだろうな。子育ての楽しさ、とか。子どもの成長を楽しむ、とか。もちろん私も幸せを感じる。楽しいし、息子の成長が嬉しい。でも、なんだろうかな。やっぱり、どこかで1%落としてきてしまったような。こうやって一生生きていくんだろうな。いつも、どこかで1%づつ足りなくて。それは、子どもたちが障害児だからなのだろうか。私自身の問題なのだろうか。宮崎駿のドキュメント番組を見て、生い立ちなど複雑な彼は自分自身の闇にフタをしているが、それをアニメを作ることを通して浄化させていると知った。「人を喜ばせることができないなら、自分自身に存在価値はない」という感情に追われてアニメに向かう。僭越ながら分かると思った。誰のためでも何のためでもない。自分自身の存在価値のために。あれだけのことを成し遂げた彼でも、常に1%を感じて生きているのだろうか。その1%が彼を圧しつづけているのだろうか。
2008.08.15
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息子の耳だれが止まった。また、どうせ1週間ほどで出はじめるのだが、とりあえずは決着。もう少し早く止まれば娘と一緒に夫の実家へ行けたのが、神様、このタイミングでありがとう、という感じ。というのは冗談…でもないのだが、正直、どちらでもいい、が正確かな。娘が一人で行くのも、きっと彼女を成長させると思うし、何より夫の両親は、私に気兼ねなく娘をいじることができて楽しいに決まっている。なにせ服装一つにしても私が着せる服が気に入らないのだ。そういえば以前、髪も切られてしまったことがあったな。「そろってないから切ってあげたよ。」と、褒めて~といわんばかりの笑顔で言われたのだが、まさにワカメちゃんカットに、シャツをズボンにきっちり入れ、更にサスペンダーでヘソまであげられて走りまわっている娘を見て、「ありがとうございます。さっぱりしましたね。」と言った後、辛うじて、「最近はそういう風に美容師がカットするんですよ」とだけ口にしたんだったっけ。おかげで、髪だけは切らないでもらえるようになったのだが(笑)でも、娘はずっと家族で夫の実家へ行くことを楽しみにしていた。息子の入院でいつも突然連れていかれる夫の実家に、一人で行くのはイヤと言っていた。最近では「こんどは4にんでくるね。だって、さみしいもん」と、ずっと言っていたようだし。そんな娘の想いにこたえてあげるのも、娘のために良いと思うし。一方、息子が新幹線に乗って見知らぬ場所に行くことや、おじいちゃんおばあちゃんに可愛がってもらうことも、息子のために良いと思うし。私自身も食事などの家事を義母とシェアして生活できて全く悪いことばかりでもないし。もちろん、耳はずっとふさいでおくが(笑)…あぁ、つまらないことを書いてしまったな。今日は、もっと発見すべきことや、来客なんかもあって楽しい一日だったのに。というわけで、息子と2人きりの生活。娘がいなくなって、やっぱり私に来てうるさくなったのだが、それでも、そうだな、娘がいるよりもノンビリできる。2-1=1とか。そんな楽さ、ではなくて。心の負担というのか。うーん。まだまだ私は娘との関係が改善されていないんだな。娘がいなくなるだけで、こんなにホッとできるのだから。嫌いなわけではないのだ。一時期は正直、嫌いで、側にいるだけで息苦しく感じだ娘も、ようやく、いなくなれば淋しさを感じるまでになったのだが。きっと、彼女のために私が役にたってあげられないことが申し訳ない、のだと思う。ここまで関係が改善してきた今の段階での私の気持ち。彼女の素直な気持ち、に邪推を加えたり。せっかく芽生えた彼女の自信を打ち砕いてしまったり。何かを教えてあげようとしてイラついてしまったり。当たってしまったり。彼女と母子として行動することで、眠っていた自分の幼少時期の母子体験がよみがえって辛くなったり。今、まさに咲こうとしている彼女の妨げにしかなっていないような、罪悪感を感じるのだ。息子とはいると楽しい。ただただ楽しい。家事をしていてうるさくなったら、一緒に横になる。息子はそんな私でつかまり立ちをして、「どう?」とばかりに顔をのぞきこんでくる。私が「わっ!すごいね!!」と大袈裟に驚いてあげると、誇らしげに屈伸運動をする。疲れて本を読んでると、彼も絵本を持ってくる。「あっあっ」と読んで欲しいとせがむ。読んであげると、すぐにパタンと表紙を閉じてしまう。そして、また「あっあっ」。「もう1回読んでほしいの?」と、指を1本立てたら、息子も指を1本立てて「あっ」読んであげると、すぐにパタンと表紙を閉じて、今度は指を1本立てて、「あっあっ」「分かった、もう1回なんだね~上手だね!」というと、誇らしげに、また屈伸運動。1才半でこのレベルでは発達的には遅いのだろう。でも、私には十分なのである。涙がでるほど、こういった時間が嬉しい。娘とは、こんな時間を共有できなかったから…。今からでも取り戻せるのだろうか。せっかく娘から解放された時間なのに。考えることは、いつも娘のことばかりで、我ながらバカらしいと思わなくもないのだが…。
2008.08.14
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昨日の夜。娘と一緒に寝たおじいちゃんの話によれば、娘は朝の4時に飛び起き、「もう、あさだよ。はやく、おばあちゃんのところにいこっ」と、おじいちゃんを起こした、という。朝の早い、おじいちゃんのために朝食を、と、6時に下へ降りてくると、もう、話声がしていた。ここ2日間。朝ごはんの話をしているので、ここでも朝ごはんの話を。そんな私なので、来客があると大いに悩む。自分の中にスタンダードがないので、相手のスタンダードを探ることからはじめるのである。住んでいた地方。経済状況。家庭環境。…でも、そんなのが分かったとしても、そういう風の朝が分かるはずもなく。分かったとしても、再現できるわけもなく。徒労のうちに、大体、ホテルっぽい感じでまとめてみる、ことになる。仲の良い相手だと、ダラっとさせてもらっているうちに、相手が動いてくれてたりするのだが(苦笑)そんな私だが、スタンダードが決まると結構強く。義父などは、もう大体、夫の実家のしきたりは分かっているので、まず、着がえてから朝、リビングへ下りてくる。シャッターを開け、窓もあけてちょっと換気。そうそう、朝は、6時くらい。かなり早い。朝は和食でも洋食でも必ずコーヒーメーカーで作る薄目のコーヒー。と、夫の実家マニュアル通りにふるまう。絶対、同居は無理だな。たまだから出来るだけで。朝食を終えて、8時には出発。お茶とお菓子。不測の事態用に1組の着がえと。あ、あと、紙パンツにはきかえさせる。娘は馴染みのないトイレが苦手で、数か月前、あまりにも我慢できなくてもらしてしまったのを、とっても気に病んでいて、保育園のお泊り保育も紙パンツをはいて行くことで、本人が納得したのだった。結局、一度もぬらさず、外でしたそうなのだが。お守り、なのだろう。娘にとって。最寄駅まで車で送っていくと、下りる間際に一瞬、顔が歪んだように見えた。そっと車を下りる背中を見守っていると、義父が、「ほら、ママに、いってきます、せい」と、声をかけた。あっ…と私が思った瞬間、娘は声をあげて泣き出した。おじいちゃんの手前、我慢していたものが一気に崩れおちたようだった。名前を呼びかけても、娘は車を下りかけたまま声をあげて泣くばかり。おじいちゃんは、いろいろ、楽しいことを言ったり、おばあちゃんの名前を出したり、気を引こうと必死。お姉ちゃんが行ってしまうことを察した息子までもが大絶叫で泣きだした。これはどうしたら良いのもかな、と、推移を見守っていると、数分か、もしかしたら数十秒くらいだったのかもしれない、娘は泣きながら車から離れた。そして、そのままバイバイをしながら、何歩か後ろに下がっていった。何かの1シーンみたいだな、と、思っていると、おじいちゃんが焦ったように自分のカバンの中からごそごそとカメラを取り出すと、泣きながら笑顔で手をふる孫に向け、シャッターを切りはじめた。分かる、その気持ち、おじいちゃん。何か、ドラマや小説で使いふるされた場面は、よくある出来事だからそういったものに取り入れられて、結果として使いふるされたような、ありふれたような感じになるんだろうな。でも、そういった疑似体験たちと決定的に違うものがある。それは、本当に、そういった場面に出会う当事者たちにしかわからない、夏の朝の少しだけ涼しく、でも、まとわりつく湿気と、黄緑色の空気、身体の中から湧き上がってくる想いと、こみあげてくる熱い何か。きっと、娘はまた成長して帰ってくるんだろうな。遊び相手の姉がいなくなって一気にうるさくなって辟易させられる息子と一緒に、彼女の帰りを楽しみにしていよう。
2008.08.13
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朝。やる気が全くおきない。ベッドの上で目は開けているものの、体が動かない。ひさしぶりのしんどい朝。今日は協力期間だが、保育園へ連れて行く日。朝9時予約で息子を耳鼻科へ。子どもたちを保育園へ。14時30分、娘のお迎え。大学の発達相談室へ、娘はプレイセラピー、私はカウンセリング。16時30分までに息子を迎えに行ったら、そのまま、ピアノへ。夜、18時30分に、夫の父、子どもたちにとっては、父方のおじいちゃんが来る。部屋の片づけ。食事の下ごしらえ。布団の用意。寝ている場合じゃないのだが。寝ている場合じゃないって状況が、また、のしかかってきて身体を縛りつける。もう、限界ってところで、無理やり起きて、保育園の支度、朝食の準備。8時に子どもを起こす。バブバブ遊び真っ最中の娘を着がえさせ、ただ単に幼い息子を着がえさせ。なんか、そこで疲れてしまった。どんぶりを持ってきて、ご飯を入れ、納豆を入れ、大根の味噌汁をぶっかけた。味が薄いので醤油をたらし、テレビの前の子どもたちのところへ。「はい、バブちゃん」というと、娘は喜んで口を開けた。「ここで食べていいの?」と、聞くので、「うん、いいよ。今日、ママ疲れててさ。」ふーん、と、またテレビ。「はい、オギャくん」と、口に運ぶと、いつもは自分で食べたくて口を開けない息子だが、娘の楽しそうな雰囲気を見たからか、素直に口を開けた。バブ、オギャ、バブ、オギャ、と、あっという間に朝食完了。歯磨きを促して出発した。と、こんな朝のことを、大学のカウンセリングで、いつものように一方的にしゃべっていたら、またもや次第に自分の頭の中が整理されてきた。どうして私は、朝、起きただけでウンザリするのか。それは、朝をどうしていいか分からないからである。どんな朝食を食べるか、は、もちろん、はたして、どのタイミングで着がえたらいいのだろう、とか、そんなことまで身についていないのだ。正確にいえば、違うか。自信があるのは、あの、私が子どもの頃、経験した朝だけは間違っている、それだけで、どう過ごしたらいいのか、自信がないのである。左軸で仕入れた、あの小説の一場面の朝、あのテレビドラマの朝、あのマンガの朝、あの人の家で過ごした朝、夫の実家で過ごす朝、が、ごっちゃになって右軸に流れこみ、どれをチョイスしていいのか分からないのである。毎朝。どれを実行していいのか分からなくてウンザリする。理想に突っ走って息苦しいほど頑張っている、のではなくて、頑張る前に投げだしてしまって、でも、本当は何かをしてあげたくて、結局、何もしてあげていない自分に、またウンザリして、そんな気分にさせる朝がウンザリする、と、まぁ、そんな感じなのだろうか。でも。今日の朝のことを思い出した。好きなテレビ番組を見ながら、着がえさせてもらって、ご飯を口に入れてもらって、弟と奪いあうようにいっぱい口を開けて、いつもより短い時間でいっぱい食べることができて。そんな今日の娘は幸せそうな顔をしていた気がする。いつも。こぼさないように注意して食べたり。もっと食べなさい、と言われたり。いっぱい食べる弟が褒められているのを聞きながら。イスにじっと座ってテレビを我慢して。そんないつもの娘よりも、とっても穏やかな顔をしていた気がするし。少なくても、間違いなく、私が子どものころ。毎朝、来る日も来る日も、トーストを2つ折りにして、インスタントコーヒーに浸して食べる試練を乗り越えていた私の子どものころより、今日の娘は幸せだったハズである。それで、いいのではないだろうか。試練だった朝ごはんから、幸せな朝ごはんへ。そこに、栄養のバランスだの、しつけ、だの、マナーだの、が気になったら、それは、もう、次の世代に任せたらいい。「私のお母さん、朝、ダラダラだったんだよ。」と、批判してもらって、バージョンアップしていってもらえばいい。…2人とも障害児なので、どこまで成長するか分からないし、そんな機会があるかどうかも分からないんだけど。
2008.08.12
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今日、子どもたちは保育園お休み。保育園の協力休み期間で、仕事がない人は職員が休むために、なるべく休んでくれ、というもの。うちが行けば、娘にも息子にも余計に人材がかかるので、園長から直接、頼まれての協力休みである。父は今日から出張。保育園が余計に人材がかかって大変な子どもたちを、私が家で母一人でみるのは、もっと大変だろう、とは思ってもらえないのかな。子どもが休みだと、何が一番大変か、といえば、食事である。昔と比べたら娘は何でも食べれるようになったし、息子は、とにかく意思がハッキリしている男で、食べるとなったらガッツリ。嫌いなものは、とりあえず一口食べて、あとは顔をそむけ。牛乳がほしければ、オッパイオッパイと怒り。娘よりいっぱい食べて、おなかいっぱいになれば、手を合わせてゴチソウサマ。きわめて、あげやすい。では、何が大変か、といえば、朝に朝食、昼に昼食、夜に夕食を出すのが大変なのである。私は、子どもの頃、ご飯が出なかった。中学生くらいまで、父親が家にいた頃は、父親が仕事へ行くとき、自分のついでに、私たちもパンを焼いて、インスタントのコーヒーを入れてもらえた。が、食べるのが遅い私は、食べ方を指定されて、スピードも父と同じにするように言われ、電気もつけない、テレビ、それも決まってNHKだけついた薄暗い部屋で、一日の最初の試練のように食べて家を出ていた。夕食は母親の気分次第だった。母親が自分が食べたものを残しておいてくれた日は、それを食べて。お弁当を買いに行け、と言われた時間が、夕食の時間だったり。空腹を我慢できず、冷蔵庫の中から腐っていないものをチョイスして、自分で作ったものを食べた時間が夕食だったり。いつものように一人で本を片手に食べていたら、突然、怒られて、これからは立って食べなさい、と、いきなりルールを決められて、立って食べたのが夕食だったり。ある日、突然、そのルールは改正されていて、空気を読まずにそのルール通りに食べていた、と言って怒られたのが夕食だったり。人間、というのは、2本立てなんじゃないかな、と思う。左足から体をつき抜けて頭まで1本。右足から体をつき抜けて頭まで1本。それらが、胸のあたりの横棒でつながっていて、真ん中に透明な入れ物がある。左軸は、知識。勉強したり、聞いたり、書物から学んだもの。右軸は、そういった以外のもの。家訓とか、親からの教えとか、身についたもの。真ん中は、心。どれだけ愛を受けたか。朝になったら朝食、昼になったら昼食、夜になったら夕食、というのは、この右軸のもので、私は、この右軸が空っぽなのである。食事の時間になると、仕方なく、左軸を作用させる。どうも、朝になったら朝食を食べるのが普通らしい、という指令をあえて出して行動する。何かが落ちていれば、それを拾って家に持って帰りたくなる。母親が、落ちているものをしょっちゅう、がめていて、むしろ自慢げだったからだ。すると、左軸が作用する。落ちているものには持ち主がいて困っているらしいし、警察に届けましょう、と。右軸で行動するよりも、左軸で行動する方が、アクションが大きくて疲れるのだ。発達障害の子どもも、こうやって左軸で生活しているのかな。何かの不具合で、右軸に生きていきやすい情報が入っていかなくて。でも、横軸の真ん中にある、透明な入れ物が、愛でいっぱい満たされていて、上手く、右と左がつながるようになるのかもしれないな。私は、その透明な入れ物が満たされていなくて、左軸と右軸がうまく連動できない。左軸で学んだ知識が、ヘンな風に右に流れてしまう。例えば、自然食品が体に良い、と学べば、愛の入れ物が空っぽだからか、横軸を通ってダイレクトに右軸に流れてしまう。『自然食品で食事を作らなければ』と、気負ってしまったり、ちょっとしたところで外食できなくなったり。で、それをおかしいと気付いて、また、左軸で学び直したり。いちいち、生きていくのが疲れるのだ。それでも、まだ、これで良いのかもしれない。きっと、左軸も空っぽだったら…。お腹がすいたときにしか食事をとらず、栄養など考えず、食べたいものを食べ、寝たいときに寝て。風呂は汚れたと感じたときにしか入らず。落ちているものは自分のもの。交通ルールは自分に都合の良い部分だけ取り入れて。季節を考えない服を身につけ。自分の正義だけが唯一の正義。他人の痛みは感じず。日常生活に目標を持てないので、毎日の意味もわからず、ただ過ごすだけ。夢を持っても、実のない荒唐無稽のものばかり。こんな自分がおかしいかも、と思いつく幅さえなく。犯罪をしても、自分がこんなに良いと思っているのに、どうして悪いのか、さえ分からず。生きていったのかもしれないのだから。
2008.08.11
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なんとなく誰とも会いたくないと思った、通院も、療育も、イベントもない日曜日。庭にプールを作って子どもたちを入れ、それをみながら、組立式木製ストッカーの組み立て。電動ドリルを使ってやってみるが、どうしても上手くいかない。やはり注意書き『2人で作業してください』は、ダテではなかったか。物自体が重くて支えきれず、断念…。しかし、夫は月曜日から出張で金曜日まで帰ってこず。雨が降ったらひとたまりもない状態なのだが…どうしよう。夕方。ミスタードーナッツのちらしの裏のぬり絵の提出期限が今日までだったと気付いてしまった。娘は、これを店の人に渡すことを楽しみにしていて、私は、それを提出したらかわりにクーポン券がもらえることを楽しみにしていて。息子を連れて3人でいそいそとお出かけ。車は夫が乗っていってしまったので、バスで。娘は大体のことは分かっていて、大人しくバスに乗れるし、下りれるし。どこで降りるとか分かっているのだが、ただひとつ。気が散ってしまう、のが難点で。「降ります」と言えば、いや、言わなくても、バス停が近づけば降りようとするのだが、一瞬、乗ってきた人やら、バスの運転手が触ったボタンやら、に気を取られれば、ポカンと口を開けて立ち止まり、眺め入ってしまう。名前を呼んでも、「降ります」と再び声をかけても、そうなってしまうとダメで。離れた状態で彼女を動かそうとすれば、難聴なだけに大きな声をかけないといけないし、それを避けるならば、近づいて耳元で声をかけるなり、手をとるなりしなければならない。最近、車でばかり出かけていたので、すっかり、こんな娘のことを忘れていて、息子を抱っこしていたこともあって、つい、大声で怒鳴ってしまって、恥ずかしい思いをしてしまった。そうすると、なんか、また娘が嫌いになって、なんでも娘のせいのような気がしてきて。後から考えれば、それはただ当たっているだけなんだけど、その時には、本当に娘のせいのような気がしてムカムカする。2月くらいに市から巡回して保育園に通う障害児を見回っている臨床心理士が、そういえば言っていた。あなたとお子さんには、何より、ただただ幸せだな~とまったりと過ごす時間が必要だ、と。まったりと過ごそうと思えば、こんな結果で。まったりと過ごせないのは私が悪いのだろうか。そうさせない娘が悪いのだろうか。まだ歩かない息子が重かったのがいけなかったのか。こんなメンバーで、どうやったらまったりと過ごせるのだろう。
2008.08.10
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今日も耳鼻科。土曜日は予約なしで先着順なので、8時に診察券だけ出しに行く。こういうとき、夫が、たとえ出勤でも家にいてくれると助かる。8時2分に到着して2番。1番にはいつも、同じ男の人が呼ばれる。8時が再診受付時間なのだが、その前に到着した場合、番号札をとって、8時になると、その順に並んで診察券を読み取る機械に通す。1度、その時間に行ってみたのだが、なんともいえない、みみっちい、という日本語は正しいのだろか、たかだた1、2番違う程度なのに、争いあう空気にうんざりして、私はそのあとに行くようにしている。1番の男の人は、いつも、そうやって、あのみみっちい雰囲気を乗り越えて、1番を奪いとっているのだろう。40代くらい。独身っぽい。毎週土曜日だけなのかな。きっと仕事をしているのだろう。いつも1番。私が知っている限り1番。彼を見ていると、淋しさと羨望がうず巻いてくる。私はきっと、彼だった。子どもをつくらず、もしかしたらつくっても障碍を持っていなかったら、彼のように、自分の正義だけが正義と信じ、他の立場の人を見向きもせず、傲慢に生きていただろう。今日。彼は1番をとっていたにも関わらず、9時、ちょっと過ぎに来て、2度目に名前を呼ばれたときに、診察室に入っていった。そのタイミングは、2番の私が呼ばれるほどの遅さではなくて、とても微妙で、もしかしたら、彼は名前を呼ばれた時間に間に合った、ぐらいに思っていたかもしれない。でも、10人近く待っていた待合室の人たちは、人にこんなに冷たい視線を向けるんだ、と思うほどの視線を浴びせていた。彼はきっと、気付かないだろう。もしかしたら、死んでも気付かないだろう。どっちが幸せなんだろう。彼と。私と。
2008.08.09
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今日も息子を耳鼻科へ連れていってから保育園へ。午後は12時30分に娘を迎えに行って、それから言語療育へ。言語では、サ行の練習。『し』は言えるようになったが、その他のさ行はハ行になっている、という。そうかな?私には、そう聞こえないけど…親ってすごい。言語障害の子どもの言ってることが分かるのは、まぁ、ずっと一緒に過ごしているのだから、それはそうだとしても、こんなに心から「ちゃんとしゃべってるじゃん」と、思えてしまう、というのはすごい。「家でハ行になってしまっていたら直してあげて」というのだが、…努力してみよう。14時30分に帰宅。息子のお迎えにはまだ時間があったので、せっかくだから息子がいて出来ない遊びをしよう、ということになった。娘が痛くお気に入りの『めばえ』のふろくを作って。あと、モザイク画。娘は、言語療育の大学病院のロビーから吹き抜けで屋上までつながっている細かなタイルで作ったモザイク画に興味があって、以前、「折り紙で同じようなものが作れるよ」と言ったことを覚えていたみたいで、一緒に作ろう、という。家に帰って、まず、ふろく。こういうのって、なんで親が真剣になってしまうんだろう。娘が「やりたい」というのを、熱く制してしまって反省…。そのせいか、上手にできたのに、あまり、少し遊んで止めてしまった。もし、娘にやらせてあげていたらどうなったんだろうな。本来の遊び方が出来ないぐらいの代物になってしまったとしても、そちらの方が彼女は思いいれて遊んだのだろうか。それとも、「あそべないやん」と言って、見向きもしなかったんだろうか。そのあと、モザイク画を折り紙で作ろうと思ったら、お迎えの時間になってしまった。娘は、ちょっと残念そうに、でも、時間だから、と玄関へ。モザイク画は息子がいても、折り紙を食べてしまうだけで出来ないことはないだろうから、一緒にやってみようか。こうやって、何か、娘とやると頭の回転の悪さに辟易する。でも、停滞していないような気がして、少しホッとする。もう少し、純粋に楽しく一緒の時間を過ごせないものだろうか。
2008.08.08
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朝、息子を耳鼻科へ。14時に娘を保育園に迎えに行って、口腔外科の定期健診へ。全く、通院記録か、ってほど、毎日毎日、あちらの病院、こちらの病院と行くものだ。通院や療育がある日。私の脳みそは活動が止まってしまう。朝、洗濯機を回して、とか。保育園に提出するアンケートを持って、とか。あの人に連絡メールして、とか。冷蔵庫の中身を考えて夕食を何にして、そのために何をして、とか。そういった家事全般の計画みたいなものができなくなって、ひたすら、病院のために持っていくもの、とか、そのために、保育園に伝えなければいけないこと、とか。病院や療育の場所に行ったら伝えなければいけないこと、とか。そういったことで頭が支配されてしまう。自然、家はいつも片付いていなくて、自分の理想とはほど遠くて。家の中にいると、息苦しくなる。目を開けて見えるものすべてが自分を責めているような気持ちになる。主婦の才能があったら、もう少し違う結果なのだろうか。そういえば、今日、保健所から視察にきて、私に家事ヘルプがつくことが決定した。月曜日に1時間。金曜日に1時間。水回りを含めた掃除や整理整頓など、自立支援法に基づいてヘルパーが手伝う。私の家があまりにも雑然としていて驚いたからだろうか。それとも、私の日常を知って、これでは出来なくて当たり前、と、共感してくれて、のことだろうか。いずれにしても、有難く使わせてもらおう。家事にまで手が回っていないのは事実なのだから。
2008.08.07
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精神科受診の日。私と初老の医師のカウンセリングを、市から私につけられたケースワーカーが聞いている。その内容によって、すぐに行政が動く。これを拒否する人が多いらしいが、私は自分からすすんで頼んでいる。ケースワーカーをつけてもらったとしても、どこまで本音で話せるか。本当に私が困っていることを、どうやってアピールしたらいいか。自分では大丈夫だと思っていても、人からみたらどうなのか。こんな悩みが、ケースワーカーに同席してもらうことで解決する。彼女は、私のケースワーカーは女性なのだが、とても私に親近感を抱いてくれているようで、私のことをよく褒めてくれて、なにくれとなく、よく力になってくれている。自分の個人的な悩みとか、他に受け持っている人の悩みとかを、個人情報にふれない程度ではあるが話してきたり。お役所側で40代にして未婚の彼女と、要求する側の障害児2人の母である私とは、まったく立場が違うようだが、あまりにも違いすぎて、360度回ってきてしまったのだろうか。もしかしたら、人の生い立ちや悩みに触れていると、それが自分に向けられているものではなくても、その相手に親近感を抱くのかもしれない。テレビドラマなどで、登場人物に自分を投影して入り込んでいくように。今日は医師と話しているうちに、自分でも意外な方向へ話がすすんでいった。私が、今後の人生でやっていきたいこと。大学院へ行く。これは、ずっと私の中で考えていたことではあったが、今日、医師を前に話しているうちに、自分でも驚くほど考えがまとまってきた。大学院へ行こうと思ったきっかけ。行ってからやりたいこと。行きたい大学院と、指導を仰ぎたい教官の名前と、すでに数年前、教官とは何度か連絡を取り合っている、という話をし、「現役で2人の障害児を育てている今だからこそできる研究だと思うんです。」と、言うと、医師は、「確かに、そういった視点での研究はないし、現役だからこそ出来ると思う。やってみるのは良いと思う。」と、体調面からも太鼓判を押してくれた。もし、私が大学院へ行って、その研究をすれば。それは、障害児を2人授かった私だからこそできる研究になるはずである。そうすれば、私がこの世に生まれ、今、生きている意味を見出せるのではないだろうか。障害児を2人授かった自分の人生を受け入れることができるのではないだろうか。ひいては、あの子たちが生まれてきた価値が生まれてくるのではないか。そんな価値だの、意味だの、つまらないごたくを並べなくても、心から障碍のある子どもを大切に育てている人が多い中で、相変わらず私は成長しない、どうしようもない動機で、我ながらウンザリなのであるが。それでも。そんな私で生きていくしかないのだから。カウンセリングの後。ケースワーカーが私の意見に熱く賛同してくれて、やるべきだ、と、絶賛してくれた。そのために、就学してからの娘を安心に預かってもらえるよう、システムを隈なく調べてくれる、という。こうやって周囲に恵まれていることに甘えて、ちょっとやっぱりやってみようかな。
2008.08.06
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週末。娘のお泊り保育へ。夫にも休みをとってもらって、家族4人で参加。ちなみに、娘のお泊り保育は親の参加が原則なので、障害児だけ親同伴などもめることもなく、皆と同じように当たり前に参加できるのは面倒がなくて良かったと思う。子どもたちは保育園所有の山荘へ保育士たちと泊まり、親たちはキャンプファイヤーが終わったら車で5分のところにあるペンションに移動。夜は飲み会で親も盛り上がる、というイベント。こういうイベントがあると、なかなか気持ちを回復できない。なんでだろうなぁ。非日常生活から日常生活へ戻れないのはなんでだろうな。私も娘のように切り替えが下手なのだろうか。それとも、こういうことに異常にアドレナリンがですぎるのだろうか。こういうことが私はきっと、どうしようもなく苦手なのに、こういうことに『普通』さを感じて、嬉しくて仕方なくなる。夜。ビールを片手に皆で飲んでいると、何か、興奮してくるというのか…。それなのに、そこでしゃべっている内容は、ほんと、薄っぺらくて、興味がなくて、つまらなくて、その上、お受験の話やら、子どもたちに流行っていること、など、娘ネタでこられると、ついてもいけなくなる。それなのに、どうしても、その場から離れられない。昔から、そうだ。こういうとき、夫などは、あっさり寝てしまう。輪から離れて、他の家族の連れの小学生などの子どもたちとウノやトランプを楽しみ、息子を連れて皆にニッコリ挨拶をして寝室へ行ってしまう。そういう夫が私は猛烈に羨ましい。私もそうすればいいのだ。何も、こんなに無理してこの場に身を置くことはないのに。別に、いなくなったら皆が私の悪口を言う、とか、そんなことも思っていないし。この場から去ったら、感じが悪いかな、などとも思っていない。ただ。…そう、ただ、嬉しいような、刹那な感じがするのだ。祈るような…というか…ほんと、自分でもよく、分からないんだけど…。で、次の日。つまらない話に無理に合わせている自分を思い出して嫌悪感を覚え。余計なことをいって傷つけてしまったかもしれない人のことを思って、反省し。単純に二日酔いで体長の悪さに辟易する。バカバカしいな。周囲は、最後の3人にまで残って、酒をあおって騒いでいた私を、お気楽で楽しい人だと思っただろうか。
2008.08.05
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深夜2時。夫が帰宅。寝たふりをしていたら、ベッド脇、何かを確かめるように覗き込む夫。やっぱりこれか。『あやまるだけなら、子どもでもできるでしょ。子ども以上になれない限り、許さないから。』この禅問答。寝たふりをしようとベッドにすべりこむ瞬間、分かった気がしたのだ。寝室においてある子機の充電。これさえしてあれば、夫の電話で絶対に目が覚めているハズだったのだ。しかも。この子機は、以前、夫がカギを忘れていって同じことがあったとき、夫が自ら対策を考えて、わざわざ設置したものだった、なるほど。この子機の充電を、朝の段階でまだ手をつけていなかったから怒っていたのか。朝は子ども2人を保育園へ連れていくだけで精一杯で。その後、寝室を掃除したとき、充電の電源も入れたんだけど。なるほどね。夫らしい理由だな。今回、カギを持っていかなかったのは私のせいだが、それを責めることはなく。子機の充電ができていなかったことを責めるわけでもなく。カギを持ってでなかったことを忘れていたことを責めるわけではなく。さんざん起こしたのに起きなかったことを責めることもなく。再び同じ過ちをおこさないような改善をしなかった。そのことを責めていたってことね。大人だなぁ。私なら、ただただ、締め出された事実をグズグズと怒ってしまいそうだけど。…それを『禅問答』のようにしてくるところは、なんというか、女々しいけど(苦笑)深夜3時。再び寝室に戻ってきた夫に気づく。ダブルベッドの隣にすべりこんできた夫に、抱きついてみる。驚きながらも、「なに。こうすれば許してもらえると思ってるんでしょ。」と、不満そうな表情をつくりながらも、嬉しそうにこたえてきた。世の旦那陣が奥さんと仲直りをしようと手を出すのは、こんな感覚から、なのかな。明日になったら、充電のこと、きちんと謝ってみよう。
2008.07.31
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娘を保育園へ連れていき、荷物だけ置いて息子はそのまま持ち帰り、耳鼻科へ。その後、保育園へ戻す、いつもの朝。夫は11時くらいに出勤だったが、物言わぬ夫がウザいので、家へ帰るのを逡巡。保育園の玄関でウロウロしていたが、馴染みの保育士に声をかけられて、しばし談笑。話の流れから、泡盛を買うことに。1600円で、420ml。高い!!限定量り売りの5年古酒だという。そう言われると美味しそうな気がして、購入する。それでも、帰る気になれず…。神妙な顔で、悲しんでます、反省してます、というフリだけはきちんと見せてはきたし、まっいっか。顔を見ない方がいいこともあるだろ。5%オフ日のジャスコへ向かう。まず、ワコールのブラを買う。色々、試してみたけど、私はやっぱりワコールが良い。ワコールのフルカップブラをすると、脇や背中など、ただの肉も、ブラにおさまりオッパイに大変身するし。洗濯機で洗っても壊れないのが、また素敵。また、ジャスコの5%割引の日は、なんと、25%オフで買える。もう、こういうお得感が、ストレス軽減にはもってこいなんだよね。あと、週末にお泊り保育を控えた娘のために、長いズボンを2本。これまた、半額、半額。保育園用のズボンは、あっという間に穴が開くので、こんなので十分。さぁ、行こう、と思ったところで、2000円のズボンを発見。黒いジーンズで、息子にも使えそう…。しかし、予定の2本は買ったし…。でも、半額で1000円になるのかぁ。。うーん…。30分も悩んだあげく、やっぱり、ご購入。ストレスあるときは、なんでも、買ってしまう方に気持ちが動く気がする。買い物三昧で、ちょっと気分も爽快に。家事もこなせて、お泊り保育の準備も完了。庭のプールも洗い、おまけに、娘とピアノまで弾いて、ご機嫌に夕食へ。そそくさとお気に入りの美濃焼のコップに丸い氷をうかべて、今日買った泡盛を注いだ。すると…。臭い。なんの臭いなんだろう。舌ざわりもヌメヌメした感じで。こういうのが、古酒なのか。それとも、この泡盛の特徴なのか…。とても、ロックでは飲めないので、夏前に大量に作った梅シロップで割って飲んだ。それでも、不味かったが。梅シロップと、これまた合わなくて。そう、シークワーサのような柑橘系とは合うかも。なんだか、がっかりして泡盛のビンを眺めていたら、あぁ、これって、1600円もしたんだよな、と、気がついた。息子まではけるかもしれない1000円のズボン1本で、あんなに熟考して。1600円の泡盛は即決で。人間の価値感覚ってどうなってるんだろうな。さっ。夫が帰ってくる前に寝てしまおう。
2008.07.30
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…実はいま、あまり日記を書く気になれない。コメントにレスをつけて、あちらこちらのブログをうろうろして…。それでも、書く気になれない。と、いうのも。火曜日は良い日だったのだ。子どもの病院もなく。療育もなく。第5なので娘のピアノがなかったのが残念だったが、それでも余裕のできた時間に子どもたちを庭のプールに入れてあげたりして。家事もバリっとこなせて。我ながら素敵で普通なママをやれたのだ。それが。結論からいえば、出張から帰ってきた夫を締め出してしまったのだ。子どもと一緒に寝てしまって、目が覚めて3時半。…あれ?今日、出張から帰ってくるハズだったのに…あっ!!!!出張へ行く日。夫のカギまで持って私が先に家を出てしまったため、夫はカギを持っていなかったのだ。なぜか、寝室の子機の充電は切れてるし。リビングに下り、おずおずと携帯をチェックしたら、そこにはもちろん、着信の嵐。ここは住宅街なので、近くの24時間営業の店までも遠い距離。車で迎えに行ったら、さすがに怒っていた。必要なこと以外、何もしゃべらず。朝になってもしゃべらず。昼近くになって、一言、ようやく、「あやまるだけなら、子どもでもできるでしょ。子ども以上になれない限り、許さないから。」つまり、してしまったことではなくて、別のことでお怒りのご様子。…うーん…なんだろう。そんなことを考えてくると面倒くさくなってくる。どうして面倒くさくなってくるんだろう。今回のことは本当に私が一方的に悪くて。夫が怒るのも当たり前で。私も悪いと思っているんだけど、何故だか、夫の気持ちになれない、というか。他人の痛みが分からない、というか。自分がやられたら、どれだけ怒り狂うか、とは思うんだけど。なんか、面倒なことになったな、ってな感じにしかならなくて。…もしかして、そういう私の内面を夫が読んでいて、怒っているんだろうか。…いや、夫はよく、「本当に悪いと思ってないでしょ」と言うから、普段から私がそういう傾向にあることを分かっている、とは思うのだが。…あぁ、面倒。ひどい人間だ、私。いつから、こんな人間になったんだろう。もしかして、ずっと、こんな人間だったのだろうか。それを、あの子たちが気付かせてくれたのだろうか。だとしたら、気付かないで死んでいきたかったな、楽だから。
2008.07.29
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いつものいつものいつもの朝がやってきた。息子を耳鼻科へ連れて行った後、保育園へ。その後、保育園が行っている未就園児の集まりに参加した。子どもたちの保育園は未就園児に園を開放していて、月齢に応じてクラスを分け、保育士もつけて、保育園児と同じ遊びを提供している。今日は、発達の気になる子どものための日で、2組の親子がやってきた。私はここへ、用事がないときには参加している。発達が気になる子どもを育てているから、という名目ではあるのだが、本当は、何か放っておけない気持ちになっているからだった。ここに来る人たちを見ていると、自分の昔を思い出す。「どうして、こうなっちゃったんだろう」「これからどうなるんだろう」過去を悔み、未来を憂い、息苦しいだけの毎日。少しでも、そういった人たちの役にたてたら、と、いてもたってもいられなくなってくる。それは、彼女たちのためではない。私のため、なのだ。少しでも彼女たちの役にたてたら、私が経験してきたことは無駄ではなくなる。過去の自分を認めてあげることができる。そんな気がするのだ。今日も、涙する2人の話を聞き、少しでも具体的なアドバイスができないか、と、懸命に考えた。2組が帰ったあと、保育士と一緒に片付けをしていたら、「○○(私の名前)さんと話をしよう、という日を設けようと思うんだけど、いい?○○さんがいると、みんな、今まで聞いたことのない本音でしゃべっているし。他にも、今日は来てないけど、○○さんとしゃべってほしい人がいっぱいいるんだよね。」と、言ってもらった。障害児を2人も産んだ私だけど、そんな私だからこそできることがある。実は、それは息子を授かってから、ずっと考えていたことだった。障害児を2人授かり、そして、今、まさに現役で育てているからこそ、できることが、あるのではないだろうか、と。例えば、代議士。ほとんどが、子育てが終わった、それも男性によって、地位を占められている。そうなれば、ほとんどが、そういった彼らの価値観によって、社会が作られていったとしても、仕方がないことなのかもしれない。子育て世代の、それも母親の想いを簡単に反映させるためには、現役で子育てをしている母親の代議士がいれば、いい。ただ、それが可能な人は、この世にごくごく限られているのだ。代議士になりたい、と言っているわけではない。が、何か、私でしかできないこと。今、心の中に、かたまりつつある、一つの想いはあるのだが。まだ、あふれてこないのだろう。が、今日でまた一滴たまった、という感じだ。午後は2人とも早退させて、整形外科のリハビリへ。娘も順調。息子も、ハイハイ、膝たちでつかまり立ち、順調。2人ともそれなりに順調。私もそれなりに順調。悪くない日だ。
2008.07.28
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夜中。1時にふと目が覚める。何げなく横に寝ている夫を見ると、夫も目を覚ました。2人でリビングへ行き、どちらからともなく「帰ろうか」と。行き、息子が4時間ももたず、機嫌とりながらの走行が大変だったので、帰りは寝ているときに帰りたいね、と、話してはいた。が、こんな夜中に、というつもりではなかったのだが。夫は荷物を積み、私はお茶を用意し、明日の朝食で食べるつもりだったパンと、バナナをもらってカバンへ。寝室の妹を起こすと、妹も当たり前のように起きて、下りてきて、驚くこともなく、「また、いつでも来て。気をつけてね。」「あ、お茶もった?」と。あぁ、こういうのっていいよな。実家って、こういう感じなのかなぁ。安心というか。楽というか。言葉にすると月並みだけど、幸せ、だと思った。1時30分。出発。休憩を1回とっても3時間強で帰ることができた。その間、子どもたちは爆睡…こういうところ、手がかからなくて有難い子どもたちだ。車の中ではずっと、大人が聞きたい曲を聞きながら、2人で談笑。子どものこと、仕事のこと。これからやりたいこと。最近の歌のこと。自分たちの子どもの頃のことから、出会ったときのこと、はじめてのデートのことまで、こんなに長い時間、2人きりでしゃべったのは、どれくらいぶりなんだろう。SAで夫が買ってきてくれた温かいコーヒーを飲みながら、運転席の夫の横顔を見ていたら、「今度行くときは、仕事が終わったら、そのまま夜中に出発しよっか。」彼も同じ気持ちでいてくれてるんだ…幸せだな、って、また思った。おまけに、高速料金が帰りの方が4割も安かったし。幸せな幸せな幸せなこと。こういう幸せが、まだ私に残っていることに、心から感謝した。…本当は、もっと当たり前の幸せがありすぎて、あまりにも幸せで、幸せに気づかないような、そんな人生に焦がれているんだけど。
2008.07.27
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あさ、久々の日記になっちゃったな、と、自分のページを見て驚いた。…なんと、私、金曜日にメールで更新している…。更新した時間を見て、何度思い出しても…思い出せない…。しかも、最後、文章が支離滅裂(笑)でも、面白いなぁ。あんなこと、私は考えているんだね。きっと、こう言いたかったんだろうなぁ。誰が何と言おうと私は普通に焦がれる。最期は普通に死にたい。そういえば、先日の面談で、「あなたにとって、普通の人生とはどのような人生なのですか」と、臨床心理士に聞かれたなぁ。「普通の人生を知らないの??」と、笑って聞き返してしまって、ちょっと反省して、「そうだなぁ。渡鬼のような世界かな。」と、彼女を笑わせてあげたんだけど。本当は、こう言いたかった。「朝になったら朝ごはん、昼になったら昼ごはん、夜になったら夕ごはんがもらえる、そんな幼少時期を過ごして、親とケンカしながら自分の意志を確立させていける思春期を過ごして、結婚したら障碍のない子どもを授かって、悩み愚痴りながら育てていく人生。」それが本当に幸せなのか、とか。幸せって本人の気の持ちようで、とか。そんなことは分かっていて。分かっていて、それでも、やっぱり、普通に焦がれる。普通の人生を送ってみたい。金曜日の朝から妹の家へ。土曜日は朝から庭にプールを作って、子どもたちを入れる。軽い昼食後、私の祖母、子どもたちにとっては、ひいおばあちゃんに会いにいく。母は、その再開の場所を、岬の先にある遊園地を併設したホテルを指定。ロビーで待ち合わせる。ひいおばあちゃんは母の押す車いすでやってきた。元気そう。30分ほど話をしたり、写真を撮ったりして、解散。子どもたちを連れて、遊園地へ。ここで今、父が働いているため、関係者用のフリーパスで乗り放題なのに、娘は、コインで走るトーマスの動く乗り物に夢中…。それはタダじゃないんだけど…。おまけに、う○ちをもらして、大騒ぎ(涙)娘は馴染みのないトイレが苦手で、妹の家のトイレは、うちの家と同じようなトイレだったので、なんとかクリアしたのだが、このホテルのトイレは怖かったようで…。我慢に我慢を重ねて、で…の、ようで…。最初にトイレを見せてあげなかった私のミスなのだが…。様子のおかしさに気付いてトイレに連れていっても、尚、「もらした」と言わず、私も気付かなかったため、無防備に下着を脱いで便器に座ってしまったため、被害が拡大してしまって…イラっとして、また、殴ってしまった…。…本当に、嫌になる。自分も。娘も。面倒な人生も。
2008.07.26
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今日は車を4時間走らせて、この7月に新築したばかりの妹の家へ。 初めて見た妹の家は、シンプルながらも庭も広い立派な家。 田舎だから土地こそ安いとはいえ、なかなかじゃないか。妹の夫は向上心のない平凡な人。平凡な人であることを自覚し、そこから逸脱出来ないことまでも自覚してる、平凡道を極めた人。そんな彼にしては、すごく背負ったと思う。私は彼のそこを認めてあげたいと思う。 娘も息子も、従兄弟にあたる妹の子どもと3人で良く遊ぶ。 夜には、実父と実母が合流。持ってきたお土産で3人盛り上がる。 私は別室で、これを携帯で。 しばし、普通を楽しむ。 本当に差別感あって働いてる人がどう思うか分からないけど、私は普通に焦がれる。普通で死にたい。普通で病んでみたい。出来れば私が死ぬ前に。
2008.07.25
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毎週木曜日は大学の発達心理相談室へ。その前に、今日は難聴の言語療育もあったため、昼ごはんの後すぐに娘だけお迎え。朝は朝で、耳だれ確認のために息子を耳鼻科へ連れていったため、ひっきりなしに、どっちかをどこかへ連れていった感覚がする。娘のプレイセラピーがはじまり、別室に移動して自分の担当の臨床心理士の前に座ったら、どっと疲れがでた。昨日の話。娘に感じたことを臨床心理士に話しているうちに、さまざまな考えが浮かんできた。臨床心理士、という職業の人を、私は彼女しか知らないが、彼女はほとんど話さない。私が黙ったときも、ずっと黙っている。なんとなく、それは、彼女が自分の職業に慣れていないから、にも感じるのだが、結構、今の私にとって、そのスタイルは都合がよくて、大体いつも、一方的にしゃべって、一方的に悩んで、一方的に結論づけようとして、一歩的にまとめて、一方的にスっとする、という感じである。昨日の話の前に、まず、『バブバブ遊び』の話から。数日前、加配の保育士が連絡ノート、大学ノートを1枚以上みっしり書いてきた。内容は『バブバブ遊びを一緒にやってあげてください』というもの。ざっとかいつまんで話せば、娘はご飯を食べるとき、この『バブバブ遊び』で、ご飯を一口、一口、運んでもらっている、らしいのだが、それを家でやってあげてほしい、というわけだ。他の子の目もあるし、一人で食べる力もあるのに、いつまでもこれは良くないのでは、と思って、加配の保育士が娘と話しあったとき、「△△、ほんとうは、おかあさんといっしょにバブバブあそびをしたかったの」と、言いだしたそう。「おかあさんとバブバブあそびをしたら、保育園では一人で食べる?」と、聞けば、今までにない決意の色が見えた、という。それで、下の子もいて大変なのは重々承知の上で申し訳ありませんが、と、まぁ、こんな話になったのだが。結論からいえば、今では、着換えまで『バブバブ』、つまり私が着替えさせていて、そう、赤ちゃん返りなんだろうな、回りくどいやり方だが。息子もいて、正直、面倒なことこの上ないし、なんていうのかな、そういう甘ったるいことを娘にしてあげる気に全くなれないのだが、なんと、保育園では、言われなくても自分から食事の支度をして自分で食べ、着換えもとっととやりはじめた、らしい。そう言われたら、まぁ、やってやらないわけでもないわけでもない…というか…ブツブツ。どうせ息子は着換えさせたり、食べさせたりしているわけで、もう、双子だと思って、息子を「おぎゃ」娘を「バブ」と呼んで、「はい、バブちゃん、お着替えだよ~」と、全部着換えさせてやり、「はい~次は、おぎゃ、の番ね。」と、今のところ、『バブバブ遊び』を敢行している、という話をした。話しているうちに、考えがもっとまとまってきて。確かに、『バブバブ遊び』は、性に合わない。今まで、彼女に甘えさせてあげなかった、やってあげなかった分を請求されている気がする、のも気分が悪いし、彼女自身と、こんな密なことをする気になれない、ということもあるのだが、もっともっと、根本的に、こういうやり方っていうのかな。そうだ。『バブバブ遊び』を説明していなかったのだが、単純なクイズ形式で、「バブちゃん、これは何ですか?」「きりぼしだいこん!」「ズボン!」で、はじまり、後は、やってあげる、といった感じだろうか。こういう、ひねりのない、単純なやり方が好みじゃないのである。ただ。娘とはいえ、別人格で。私が気に入らないやり方だとしても彼女が気に入るなら、そのやり方に合わせてあげてもいいんじゃないかな、と。自分は、まったく、母親にそうしてもらえなかった。母親のやりたいことをやるように仕向けられ、服装も彼女が気に入る物だけ買い与えられ、自分が気に入るものを着ようものなら、出かけようとしている背中にまで、「みっともないのが分からないのか」「みなに笑われればいい、恥をかけ、恥を!」と、口汚くののしられてきた。それと同じことを、娘にすることはないではないかな。そう考えついたら、なにか『バブバブ遊び』に対する考え方も少しかわった…気もする。そして、昨日のこと。もし、あの場、つまり、私も別室にいて紙芝居やパフォーマンスを一緒に見ていたら…。まず、間違いなくステージに上がろうとする娘を止めていただろう。少なくても、止めたくなっていたハズである。では、もし、ステージに上がることを止めていたら…。きっと、子どもたちを含めた、その場は、娘が『悪いことをしようとしたんだな』と、思っただろう。つまり、私がいなければ、独特な個性でその場を盛り上げ、人の心を打った結果になった、が、私がいて、彼女を制した段階で、彼女の行為は『迷惑行為』になったハズではないか。いや、今までもなってきたのではないか。どうして、彼女を止めたくなるのか。…もちろん、叱るときの気持ちは、彼女の行為が悪いこと、と思っているからなのだが、本当の心理はどこにあるのだろう。自分が、そんな尋常じゃない彼女を見ていられないから、か。そうやって、叱っておけば、最低限の役割をはたしている、と周囲に認めてもらえそう、だからか。自分自身、常に母親の気分で叱られていたため、確かな叱る基準を持っておらず、それが周囲にバレるのが怖くて、とにかく、それっぽい場面は叱ってみせているのか。…分からない。でも、確かなことは、少なくても昨日、娘が人の心を打った、という事実だ。もう少し、待ってみてもいいのではないだろうか。たとえ、結果として、恥をかくだけになったとしても、一緒に恥をかいてあげれば、それでいいのではないだろうか。娘自身が正しい、やりたい、と思ってしている行動に、もう少し寄り添ってあげてみても、良いのではないだろうか。そうだな。両方の話とも、つまりは、彼女に寄り添えということか。そうしてあげることで、彼女が母親に受け入れてもらっていると感じられ、で、それが自信につながることができれば…というヤツか。どちらも、私にとって、我慢大会みたいなものではあるが、こうやって、頭を整理し、吐き出しながらなら、なんとかやっていけるかもしれない。もう少しだけなら。
2008.07.24
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と、いうわけで、耳鼻科がなくなったので、普段の時間に2人を保育園へ。久々に余裕があったので、娘の副担任と加配の保育士の3人で、しばし談笑。この祝日に娘と見たテレビ番組について話した。それは、平日録画予約をしていた時間帯に祝日で番組が変更していたため、偶然見ることになった、NHKひろしまが制作の、いのちをテーマにしたうた番組だった。オープニングの新垣勉が歌ったアメージンググレイスを聞いて、娘が大号泣したのだ。「…△△(娘の名前)…このうた、すき…」「もう1かい…」15回ほど巻き戻させられた後、買ってあげるから、と約束して、ようやく解放された。「この人ね。目が見えなくて寂しい思いをいっぱいしたんだって。だから、お歌が上手なだけじゃなくて、寂しい思いの人を元気にしてあげたいな、と、気持ちをこめて歌っているから、△△の心に響いたんじゃないかな。」と、言ってみると、分かったのか分かってないのか。「めがみえないの?」「めがねかけてもみえないの?」と、何度も何度も聞いてきて、何か考えている…ようにみえたかな。みたいなことを話したら、2人とも痛く感動してくれて、こういう感覚は持って生まれた大切なものだから、こういうのを活かしてあげたいよね、と、共感してくれた。夜は、『平和のつどい』で再び子ども2人を連れて保育園へ。大人は、子育てをしながら自衛隊のイラク派遣の違憲裁判の原告から、原告弁護団に転身した女性弁護士の武勇伝と、裁判の現況を聞き、子どもは別室で、この地方ではテレビ出演もしたことのある、ちょっと有名な紙しばいのお兄さんたちのパフォーマンスに盛り上がっていた。娘はきっと乗り切れず、こちらに脱出してくるだろう、と、覚悟していたのだが、結局、最後まで現れず。娘を迎えに行くと、紙芝居のお兄さんに呼び止められた。「この子のお母さんですか?とっても楽しんでくれて、一緒にステージをしたんです。」聞けば、娘はノリノリになったあげく、ステージにあがりお兄さんに抱きつき、その後はお兄さんの膝の上で、ともにパフォーマンスをしていたらしい。『その場にいたら胃が痛くなっていたところだった…あぁ、いなくて良かった…』と、ひとりごちながらも、「この子、難聴で、テレビ番組も普通の子が楽しむようなものには興味なくて。だから、今日も、娘が楽しめると全然思っていませんでした。やぱり、対人の生ステージのパワーってすごいですね。」と、言ったところ、彼の琴線に触れたようで、以前も難聴の子が自分のパフォーマンスで今まで見たことのないような笑顔を見せてくれて、やら、こういった子どもたちに自分のパフォーマンスが少しでも役にたてないか、と、考えていて、やら、目を潤ませて語りだした。私は、彼の熱い気持ちにうけあいながらも、またか…と、思わずにはいられなかった。そう、娘である。アメージンググレイスにしても、そう。感動したから、と言って、ステージに上って相手に抱きつく、表現方法も、そう。全然、普通じゃない。けど、何か、人の心を打つのである。それは、狙ったから、といって起こせるムーブメントではなく、もう、彼女が持っている独特のもの、としか言いようがなく。もしかしたら、これが彼女がこの世に生をうけた役割、なのかもしれないし、そう考えたら、やっぱり彼女も、息子同様、この世に生まれてくるべくして生まれてきた、大切な命なわけで…理性では、分かってはいるのだが。どうして、私の心は打たないんだろうかな。…そうか、育てづらいからか(苦笑)かといって、私も他人で出会いたかったか、といえばそうではなく…。複雑な母親心…。
2008.07.23
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いつものように朝、耳鼻科へ連れていったら、なんと耳だれが止まっていた。確かに、ここ数日、少なくなってるね、と、医師と話してはいた。が、本当に止まるとは。とりあえず、明日は耳鼻科なし、で様子見。あぁ、一つでも病院の予定がなくなるって素晴らしいなぁ。この開放感。こんなことで、開放感を感じられる人生に感謝して生きることができたら、もう少し楽しいのかなぁ。午後。遅刻して保育園に連れていった息子を早退させて、今度は小児科へ。酸素を生成させる機械とパルスオキシメーターを借りていると、月に1回、通わなければならない。そこで、衝撃的事実が。今の主治医が9月に退職してしまう、ということ。これは痛い。娘の頃からお世話になっているこの病院だが、最近、かげりを感じてはいた。娘の頃は入院すれば満床は当たり前。外来は1時間待ちなどザラだった。が、良い医師が一人辞め、二人辞め。補充されてくる医師はやる気のない医師ばかり。母親の口コミやカンは鋭い。今では2診あった外来も1診になり、それでも大して待ち時間がないほどになってしまった。それでも、私がこの病院から離れなかった理由は、設備良く居心地の良い病室と、優しい看護師、そして、吐き溜めに鶴のような奇跡的にいる良い医師を主治医に選んできたからだ。実は、息子の出産直後から診てくれていた主治医が1年でここを退職するとき、「後任の医師を選びたくない。できたら、この病院をかわってほしい」と、言ったのだ。彼女、女医なのだが、とは本当に気が合って、入院中など回診に来たら1時間は話しこみ、当直の日は夜やってきて、医師と患者について、社会について、制度について、など、学生時代の合宿のように語りあった。プライベートでもランチに行ったりするのだが、未だに、あのキリスト教系総合病院に通っていることを危惧している。それでも、この病院を去らなかったのは、彼女の後、やってきた今の主治医があまりにも良い医師だったからだ。どれだけ良い医師か語ってしまったら朝までかかってしまうだろう、というほど良い医師で、私は全面的に信頼していた。が、彼もいなくなってしまう。その彼が、今日言ったのだ。「この子たちをこの病院に残して去ることが、とても心残りでね。だから、せめて最後に、この子たちのためにカルテをまとめようと思うんだ。」あちらこちらの病院にかかっている、こういう子どものためには、全てを把握して、あれこれ指示してあげる医師が必要なのに、誰もその役を担ってあげていない。このままでは、いつか、何かトラブルが起こる。だから、他に通っている病院、この病院の耳鼻科など他の科に連絡してボクがまとめたいと思うんだけど、良い?と、聞く。私は感動して声も出なかった。そう、ずっと漠然と不安に思っていたことだったのだ。いつも、どうして、専門的知識もない自分が、あちらの病院、こちらの病院の通訳をしなければならないんだろう、と。以前、一度の全身麻酔で他の処置もしてほしいと病院を越えて頼んだときなど、どれほど大変だったか。そう、彼は一般人の普通の感覚を持ち、そのための努力を惜しまない医師なのだ。彼も言った。「後任は、新しい医師が来たらその人にしたいんだけど、もう、医局はここに医師を派遣するつもりがないみたいなんだよね。」つまり、ここに彼が任せられるような信頼できる医師はいないってことだし、医局もこの病院自体を盛りたてていくつもりはないってこと。この病院から離れるときがきた、ってことかな。看護師の質だけは一級品なんだけどなぁ。入院生活も快適だし、離れがたいが。殺されてしまったら意味がない。
2008.07.22
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