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怒りの本質シリーズがなんと10回めにもなってしまいました。私が日々、怒ってばかりの人間だから、感じること、深めることができるのでしょう(苦笑)恥ずかしい限りです。さて、もうそろそろ最終回とします。この世の中に本当に必要のないもの、というのはあるのでしょうか?自分にとって必要のないものでも、他の人、他の分野では必要な場合があります。また、ある分野では天敵のように、迷惑な存在も、生態系という大きな範囲では、どこかで必要とされます。もし、今、「本当に必要とされることが一切ないただ害悪なもの」があるとしたら、まだそれの活用法が私たちには気づけていないだけ、なのではないか、と思います。そう考えると、「怒り」にはプラスの働きが必ずあるはずなのです。「怒り」と言えば、ネガティブなイメージが先行し、怒らないことが人格者、人徳者かのように言われている風潮がありますが、「怒り」には大きなプラスのエネルギーがあるはずなのです。ですから、怒りを下等なものと思ってはいけません!そこで私は、ハッと気づきました。「カチン!」とくるのは天からのメッセージと思えば良いのではないか!ということです。・カチンとくるときは自分の秩序を人に勝手におしつけているときです。・カチンとくるときは自分が怖れて不安になっているときです。・カチンとくるときは自分が余裕がなくなっているときです。・カチンとくるときは「べき」「べし」で生きているときです。生きている中で、人によっては1週間に一回、人によっては一日に100回、カチンとくるでしょう。それは天が「おいおい、またI wantを忘れた生き方をしているんじゃないですか?(笑)」「おいおい、まだ、べき、べしで生きているのか?」と優しく、頭をノックしてくれているのかもしれません!僕は人一倍、天から頭をカチンカチン、カチンカチンをノックされていたのですが、ようやく天からのメッセージを受けとることができるようになりました!相変わらずカチンカチンときている日々ですが、カチンカチンのあとにニヤリとしてしまう日々になりました。1年後、僕はどんなことを考え、どんな表情になっているのでしょう??さて、大変長い連載?になってしまいました。感想をコメント欄にいただけたら幸いです。よろしくお願いします!
2006年04月11日
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怒りというと、どうしてもネガティブなものとしてとらえられています。「喜」「楽」よりも、どうしても「怒」「哀」は悪いもの、と考えられているのです。そのため、「怒」「哀」の人は、無理やり、感情を表現することもなく、自分をおさえこみ、ニコニコしようとします。また、「怒」「哀」の人は善人であればあるほど、そんな自分にダメ出しをしてしまいます。でも・・・・「怒」や「哀」も、自分の感情でそう思ったら、発散すればいい、と私は思います。自分の本能が「怒」「哀」と感じているのに、本能とは裏腹に別の感情の言葉や行動をしていると、本能と実態が乖離していき、自分が自分でいられなくなっていってしまうのです。本当の自分がどれだかわからなくなっていってしまうのですこれはいつでもどこでも、感情のままにいればいい、と言っているわけではありません。TPOを考える必要もあるでしょう。でも、自分がありのままの自分に帰る瞬間がまったくないと、病気になってしまうのではないでしょうか。でも最近、いろいろな勉強会でいろいろな素晴らしいお話をしてくださる人の言葉をたくさん聞いてきている人たちの中に「いつも笑顔でなければいけない」「いつもニコニコしているべき」「いつも感謝すべき」「人に怒ってはいけない」と心身の隋にまで刷り込まれている人たちに会うことがあります。そういう人たちは、みなとてもいい人たちです。いい人たちで、そこに苦労もない人たちであればそれは構わないのですが、本当は「感情の障害者」でもあるような人もいます。私は喜怒哀楽、それぞれの感情には意味がある。それぞれの感情には良いも悪いもない。それぞれの感情と戯れよう、と思っています。怒りを勧めるわけではありません。怒ったら怒ればいいのです。でも、怒らなくなる自分に自然となっていた、というならそれはもう本当に最高ですね!
2006年04月09日
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「怒り」はネガティブなもの、と言われていますが、ある意味本当だし、ある意味嘘です。世の中を変化させてきたのは「怒り」です。「怒らず、全部を受け入れようよ」という人だけの集まりであれば、変化にも脅威にも従順に服従するだけで、人類は生き延びてこれなかったことでしょう。「怒り」のパワーを活用した人が世の中を変化させてきたのです。腑抜けになるな!怒りのパワーを活用せよ!上司や部下や伴侶にぶつけるような小さな怒りではありません。社会に怒れ!政治に怒れ!不自由さに怒れ!既得権益に怒れ!ヤマト運輸の小倉社長は不自由な運輸業界に怒りました。ダイエーの中内社長はメーカー主導のあり方に怒りました。松下幸之助も本田宗一郎も世の中に怒って、自分の組織で世の中の役に立つようにがんばりました。大きな大きな会社を創り上げた人は「現状の世の中への憤り」を上手に活用したのではないか、と思われます。上手に怒りを活用しましょう!
2006年04月08日
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リーダーと言うと、チームのキャプテンであったり、会社の社長、部長、課長であったり、いろいろな組織があれば組織の数ほどリーダーはいます。家族のリーダーであれば、父親だったり母親だったりします。それぞれのリーダーが大切にしないといけないことは、組織の人間の「I want」を大事に大切にする、ということです。「should」や「must」が組織には必要ではありますが、個人個人が「I want」を心に描いているかぎり、「should」や「must」を守ることが苦痛ではありません。また、「I want」を大切にしている人間の集まる組織は明るく快活な組織になることでしょう!「いつも部下や子どもを「should」「must」でがんじがらめにしばっていないか」「I wantを持たせてあげられているか」を時々振りかえってみましょう!
2006年04月07日
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本義的には「プライド」の日本語訳が「自尊心」なのかもしれませんが、今日は勝手に僕らがイメージしているプライドと自尊心のイメージについて書きます。(私自身はプライドが高い人が大好きです。ですが、だいたい「あの人、プライド高いよね」とプライドが高い人というのは、マイナスの評価の言葉として使われることが多いようです)怒っているときに、自分を守るために「専守防衛」ならぬ「専制防衛」をする人がたくさんいます。自分を守るため、自分のプライドを守るために、先手をとって、相手の悪口を言ったり、多数派工作をしたり、攻撃的になったりします。それも善人の仮面をかぶり、相手に同情したふりをしながら、巧妙に自分の立場を守りながら相手の株を落としていく人がたくさんいるので、本当に危険です。この人たちは「自分のプライドを守るため」という他人からの視線、評価を気にしている(悪しき意味での)プライドに従属しています。ですが、自尊心というのは「自分を尊ぶ心」です。そこに他人は一切介在しません。他人にどう思われるか、他人の評価も一切気にしません。自分が自分を尊んでいるからです。この自尊心を持っている人は、他人の視線や、他人の心を気にしながら毎日をイライラ過ごしている人とは全然違う生き方をしています。自分の生き方、言葉、動作、表情、仕事に誇りを持ち、尊んでいる人は、他人に対する「べき、べし」が少なく、寛大な生き方をしているのでしょう。
2006年04月06日
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では、今日は「怒るとき、誰に怒るか」です。それは・・・「自分のことをナメられたとき、ナメてきた相手に怒る」これもひとつあるでしょう。でも、実はもっと深い部分があるのです。それは「相手をナメているときに怒る」のです。どんな理不尽なことをされても、自分の秩序を壊されても、ナメていない相手に怒ることはしません。このナメているかどうか、というのは相手が社会で成功しているか?資産をいくら持っているか?世の中で偉い人と言われているか?など一切関係ありません。「別に相手にどう思われたっていいよ」「別に縁が切れたっていいよ」とナメていたり、「たぶん、あの人は許してくれるだろう」という甘えのもとにナメているときなのです。「相手をナメているとき」人は怒りを表現してしまうのです。
2006年04月05日
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気づくと「怒り」について長期連載になってしまいそうですが・・・(笑)昨日のブログで「I want」を掘り起こせ、ということを書きましたが、皆さんの「I want」ってなんですか?すぐに出てきますか?最近、私はすごいことに気づいてしまったのです。世の中の多くの人が「I want」を見失っていたのです(苦笑)。最近の時代の流れからか、夢や目標を紙に書いている人も多くなってきました。でも、その目標が書いてあるから「I want」で生きているのか、と言うと・・・それはNOなのです。いい人ほどここで罠にはまります。ずばり言いましょう。質問:あなたが「I want」と思っていることは、実は「you want」「He want」「○○ want」なのではありませんか?あなた自身が心の底から(繰り返しますが「あなた」「自身」が)求めているのなら良いのですが、自分は楽しめていなかったり、心の底からwantと思っていないのに、「これが、自分のI wantだ」と思っていたら、それはいずれ自分を苦しめ、行動渋滞を引き起こします。「親のため」「顧客の為」「社会の為」の前に、「自分の為」という自分の「I want」を掘り起こすことが大切なのです。自分のI wantが親のため、顧客の為、社会の為、家族のため、○○のため、となっていたら、それは理想ですね!質問:あなたの本当の「I want」はなんですか?
2006年04月04日
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気づくと「怒り」について長期連載になってしまいそうですが・・・(笑)昨日のブログで「I want」を掘り起こせ、ということを書きましたが、皆さんの「I want」ってなんですか?すぐに出てきますか?最近、私はすごいことに気づいてしまったのです。世の中の多くの人が「I want」を見失っていたのです(苦笑)。最近の時代の流れからか、夢や目標を紙に書いている人も多くなってきました。でも、その目標が書いてあるから「I want」で生きているのか、と言うと・・・それはNOなのです。いい人ほどここで罠にはまります。ずばり言いましょう。質問:あなたが「I want」と思っていることは、実は「you want」「He want」「○○ want」なのではありませんか?あなた自身が心の底から(繰り返しますが「あなた」「自身」が)求めているのなら良いのですが、自分は楽しめていなかったり、心の底からwantと思っていないのに、「これが、自分のI wantだ」と思っていたら、それはいずれ自分を苦しめ、行動渋滞を引き起こします。「親のため」「顧客の為」「社会の為」の前に、「自分の為」という自分の「I want」を掘り起こすことが大切なのです。自分のI wantが親のため、顧客の為、社会の為、家族のため、○○のため、となっていたら、それは理想ですね!質問:あなたの本当の「I want」はなんですか?
2006年04月04日
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何かを成し遂げよう、と思ったら、自分なりの「べし」をたくさん持っていて当然です。たくさんのことを成し遂げてきた人なら、自分なりの「べし」をたくさん持っていて当然です。でもここで考えたいのは、「べし」が多い人ほど、「侵されるとカチンとくる秩序」をたくさん持っている可能性があるということなのです。「こうあるべし」がひとつもない人は、カチンとくることがないはずです。自分(相手)はこうあるべし、と思っているからカチンとくるのです。「べき、べし」が多いと生きていて、失敗や間違いは少なくなるかもしれませんが、とてもルールの多い窮屈な人生になっていってしまいます。質問「あなたは「べき」「べし」が多くありませんか?」でも、冒頭で書いたように、何かを成し遂げよう、と思ったら、自分なりの「べし」をたくさん持っていて当然です。では、どうしたら良いのか???それは・・・・「I want」に気づくことです。「I want」を忘れているとき、「should」「must」に生活と心を支配されているのです。shouldをなくそうとしていけば、ただのだらしないかっこ悪い人間になっていってしまいます。shouldの何倍もの「I want」を見つけたとき、「べき、べし」は引っ込んでいくのではないかと思うのです。
2006年04月03日
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次に「怒りはどこからくるのか?」というと、「自分の秩序を壊されるとき」なのです。「普通はこうだ」と思うルールや秩序を誰もが持っていることでしょう。いろいろな経験を積んできた人間は多くの失敗をしてきていますから、「本来、こうあるべし」という無意識のルールをたくさん持っています。そのルールや成功法則をたくさん持っているからこそ、上手に成功してきたわけでえす。ですから、経験不足の人間などを見ると「わかってねーなー」などと見下したり、カチンとくる場合があるのです。親が子どもを叱る場合も同様です。親は生きてきた中でいろいろ「こうあるべし」というルール、秩序を持っています。ですから、子どもがそのルールに外れていると怒ってしまうのです。自分が何かをやるときに、自分独自の成功法則を誰もが持っていて当然です。ですが、その自分の中の秩序や規範やルールを、勝手に相手に対して求めているのが実情です。それでカチンカチンきているのです。自分の生き方に自信を持っている人でもカチンカチンくるわけです。自分の秩序を押し付けられたら、嫌ですよね。逆に自分の秩序を押し付けている毎日をしていないかを精査する必要があるのです。ただし、目標に向かってまっしぐらなとき、同じ秩序を共有できない人に対しては言ってもわからないときには、怒るのではなく、別れるのが良いと思います。同じ目標を追うのなら、共有の秩序が必要となります。それなのに、「同じ目標をおいたいけど、違う秩序がいい」ということはありえないからです。例えでいうと、「麻布中学に合格したい」という目標があるのなら、その目標を達成するための外せないノウハウ、ルール、秩序があるわけです。それを守れないのなら、違う秩序で違う生き方をすれば良いのです。麻布中学に行かなくても素晴らしい素敵な人生はたくさんありますから!
2006年04月02日
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この二日間、突然、まるで天からの啓示を受けたかのように(笑)、「怒りの根源」について気づきました。次から次へと湧いてくるかのように、いろいろ気づきました。本一冊分をゆうに超える内容がひらめきました。・怒りは「不安」「恐れ」からやってくる。・どんな不安や恐れからくるかと言うと、「壊される」「奪われる」「失う」などからやってくる。・それはどんなものかと言うと・・・・・人間関係、チャンス、プライド、組織、大切な人、金、資産、時間、・・・・などを「壊される」「奪われる」「失う」ときのおこる無意識な「不安」や「恐れ」からカチン!とやってくるのです。小さなカチンというのも、実は上記の恐れが根源にあるのかもしれません!皆さんも「カチン」ときたときに、「あれ?今、自分は何を恐れたのだろう?」と心の中を精査してみると良いかもしれませんね!
2006年04月01日
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