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すべては 満たされているが、 欲望するときに 完全さが 欠ける。 そして、完全な円になろうと 努力する。 求めることによってのみ、円が欠けるのだ。 求めなければ、完全なんだけど、 他者の欲望を、見ることによって、比較して、比欠くする。 つまり、世界は自分の心の反映であることを忘却する。 自我=欲望、、言葉、記憶、時間、空間、であり 大人の思考 あるがまま=幼児の思考であり、客体世界や他者と分離していないので、 時間、空間、記憶がない。ただ、在る状態。 自我=身体であるとも考えていて、身体の成長とともに自我も成長し、身体の成長が止まるとともに、自我の成長も止まる(思春期)。 で、思春期に悩むわけです、どのように生きていけばいいかと、いい悪いの判断ができるのが大人だと教わるので、いいほうを選択しようと、努力をする。 そして、いい学校、いい会社、いい配偶者、いい子供、いいお墓を目標にして 毎日したくないことを、しなければならないと思い、しているのだ。 しかし、いいと悪いがないのであれば、したいことをしてかまわないわけで、子供のように、毎日なにをして遊ぶか、考えることも楽しい。 決まりきった、日常茶飯事、ルーティンワークは、慣れてしまえば、簡単であるけれども、意外性、創造性、楽しさはない。 穴を掘って、埋めるようなものかもしれない。 一番大きな 概念は「仕事をしなければならない」だろう。 しかし、僕は 2年間も仕事をしないでいる。それでも、問題は生じていないし、 友人と会うたびに、うらやましがられてもいる。 人より努力していないし、頑張ってもいない、仕事さえしていないのだ。 それがいいとかいうのではなく、仕事をしないでも 全然平気どころか、朝から晩まで仕事をしているときより、生活は楽です。 もちろん、誰かに何かをすることが 幸せなので、何ができるかを考えて、資格試験の勉強をしているのですが、これも しなければならにことでもなく、したいからしているわけです。 「世界はこういうものである」という 強い概念が、あなたの世界を構築していることに気づくこと。非常に強い考えかたで、「楽して生きられるわけがない」という思いがあるでしょう。 別に、そのように考えても、お金がかかるわけでもないし、ためしに そのように思ってみるだけでもいい。 しなければならないことは なにもない。 求めることによって、満たされず、 与えることによって、どんどん満たされる。 世界は ひとつの桶であるから、水を押し出せばどんどん戻る。 あなたの 思い通りの世界を いま 生きているだけです。
2009.02.13
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目標達成する技術 マイケル・ボルダック 「私が7歳のとき 父が母を殺しました」という 強烈な文字がありますが・・ 出来事そのものに意味はありません。 あなたが 意味をつけるのです。 あなたは どんな出来事でも ポジテッブにもネガティブにも意味づけできるのです。 悲劇的な出来事にあっても、そのことから人のために生きたり、より大きな幸せをつかむひともいます。 恵まれた出来事にあっても、それが原因で傲慢になってしまったり、自分を失って大きな失敗をする人もいます。 自分自身が作る意味以外に、意味というのは存在しないのです。 ですから、どんな出来事であっても、あなたのちからでよい解釈はできるのです。 自分自身でつくる意味しかないのです。 出来事はコントロールできません。しかし、あなたが出来事をどう意味づけするかや、その後どんな質問をしたり、行動をとるかはコントロールできます。 悪いことにフォーカスするのは やめましょう。ネガティブな感情を生む新聞記事やニュースを見るのもやめてください。 もし 最高の質問があるとしたら 「この出来事から得られるギフトはなんだろうか?」というものです。 ほとんどの人はこのようなことはやりません。 ほとんどの人は、無意識のうちに、その出来事の意味づけを行ってしまいます。 どんな出来事が起きても、恐れないでください。 いつも このことから 私はどんなことを学べばいいかということを 質問しましょう。 以上引用。 津留さんのいう「物事はすべて中立です」ということと、同じことです。 想うのですが、いろいろな方が 同じことを自分の経験から少し違った表現で話をしているに過ぎないわけで、 ひとつ腑に落ちてしまえば、わかりやすいですね。 そしてこの「出来事は 中立であり、その意味付けを我々がしているに過ぎない」ということは、非常に重要な考えかただと想います。 たいていは、世界の出来事があって それに対して このような感情が湧くのは至極当然のことで、「私以外の誰もが、私と同じ感情を持つはずだ」という 思い込みを持っています。 私が 怒るのは当然だ。 私が 悲しむのは当然だ。 私が 貧乏なのは当然だ。 私が 頭が悪いのは当然だ。 私が 不幸なのは当然だ。 という、思い込みがある。しかし、そのように 思っているのは誰かということには、意識しないものです。 あなたが、そのように想うことによって、あなたの現実をそのように あなたが 創造している。 そこに、気づかないで、「私がこのように想うのは 当然だ」と思っている。 すべてが、相対的なものですから、 上と比較すれば、必ず 下なんです。 下と比較すれば、必ず 上なんです。 つまり、そんなものは そもそもない。 貧乏は 存在していないが、あなたが 貧乏と想うときに 初めて 貧乏が世界に現れるだけ、 あなたが 貧乏とか 悲しいとか 不幸と 想うときにだけ、その現実は 出現する。 一日中 不幸とか 貧乏とかは、思っていないでしょう。 あなたが、不幸に意識を向けるときに 不幸なあなたが 出現する。 ですから、最初は そのようなものに意識を向けていることに気がついてみることです。 私は 不幸に意識を向けていると 気づくとき 気づいているのは 誰ですか? 不幸と思っている自分と それに気がつく自分がいるわけです。 不幸と想う自分=自我、それを観察するのはもう一人の自分(ハイアーセルフか?)を見つけてください。 そうすると 想念観察が楽になります。
2009.02.11
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