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もしあなたが、人生のすべてにおいて 100%豊かさを感じることが出来ないとしたら、あなたのどこかに 豊かさの流れに逆らっている部分があると見て 間違いありません。 具体的にいうと 「宇宙は豊かなもの」という 真実と反対のことを 信じているのです。 豊かになるには がむしゃらに働かないといけない。 倹約しないといけない、何らかの資格が必要、などといった信念がその代表です。 金持ちになるには その代償として 嫌な仕事をしないといけないと信じている人は どんなに多いことでしょう。 このような思いこみがあるために 次から次へと 不満足な仕事を引き寄せるという結果をまねいているのです。 物が足りないという考えが常識ですから、それを「宇宙は豊かな場所」という真実に塗り替えるには 確固たる意志が必要です。 私たちは、欲しいと思うものの大半は 実際すでに手にしているものです。 自分が どれだけ恵まれているかに 気づかないだけなのです。 わたしたちは 恵みを当然のごとく扱い、かわりに じぶんの持っていないものに意識の焦点を当てているのです。 このことは、別の法則とも関わってきます。 それは何かに意識を集中させると それは ますます拡大発展していく というものです。 つまり 豊かさに意識を集中させれば さらにたくさんの恵みを受け取るようになり 持っていないものに意識を集中させれば さらに欠乏を体験するということです。 一つの事実があるわけではなく 一つの解釈があるというのが この世界。 その 解釈は個々人の想い通りであって、それが「想いが現実である」ということだ。 想い=現実 この世界は 個々の心象風景、心のなかを 覗いているようなものです。 苦しければ 苦しい現実を経験し 楽しければ 楽しい現実を 経験する。 その 原因は 世界に生じた事実にあるのではなく その 解釈、すなわち 心の持ち方にあり 原因=結果。 私=世界、原因=結果。 意識の空間の鏡、時の鏡。 意識は いまの現実空間に写るとともに、過去や未来にも写る。 いまの 想いが いまここの現実と これから来る未来に 写るので いま この瞬間の想いに 意識を向けてみる。
2010.02.14
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真似である。 内田樹さんのラカンの解説本に、じゃんけんに勝つ少年のことが書いてある。 その少年は、相手の表情を真似るのだそうだ。 そうすると、相手がなにを 出すかわかるという。 心が 表情に表れるので その表情をまねすることで 相手の心を読むというのだ。 僕は、テレビで ものまね~歌マネ 番組が好きだ。 微妙に違うことが楽しいのだけれど、彼らは 本人になりきっていると思う。 子供の頃、僕たちがウルトラマンになりきったように。 マネをするには 心から、真似をしないと 似ることはないだろう。 マネをするとは、相手の鏡となること。 僕たちは 無意識に他者の鏡となるが 意識的に 他者の鏡となることもできる。 ミラーニューロンもあるわけで、ものまねをして その能力をコピーしてしまう。 昔の作家は 作家修行として有名な小説を書き写していたという。 マネをする~相手の鏡となる~と、 マネーになるかもしれない やっぱり書いた親父ギャク 自己実現の方法に すでにそうなったと思うということがある。 それは その ふりをする、まねをするということだ。 すでに いま 浜崎あゆみになってしまうこと、 すでに いま お金持ちになってしまうこと、 まねでいい ふりでいいのだ。 楽しいふり 楽しい表情 幸せなふり やさしいふり お金持ちなふり 今日は ちょっと 幸せなふりをしてみよう。 幸せでないのに 幸せだと思うと辛いけれども 幸せなくとも 幸せのふりはできる。 やさしくないのに やさしいふりは疲れるが やさしいふりは できる。 お金持ちでないけれど 寄付をして お金持ちのふりをすることはできる。 なりたいものに すでになるとは ふりをすること まねをすることでもあるのだろう。
2010.02.08
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二元論から一元論へ りんごという言葉は、りんごとそれ以外を二つに分けるように、 言葉というものは混沌とした世界から あるもの(りんご)を創造する。 以前、アメリカには肩こりを表す単語がなかったため、肩こりがなかったという(今はある) シスターは姉妹であり、姉とか妹とか区別がない。文化によって くくり方~分節のしかた~が違うので ものと言葉が一対一の対応をしているわけではない(詳しくは ソシュール) 僕たちは、お金や幸せを求める。 「お金がほしい」という想いは、いま お金が無い状態を創造する。 幸せになりたいという想いは、いま 幸せでない状態を創造する。 ですから、想いと現実が 逆になる。 実際 いま 幸せである人は、幸せになりたいとは思えない。 食事をしたあと 食事をしたいとは、思わないものです。 いま すでにあるものは、求めようとはしないものです。 だから、逆に 不幸せを求めれば いま 幸せになれるわけですが、 なかなか そういう風に思えない。 考え方としたら、「すでに 幸せである」ということが前提にあればいい。 求めれば 逃げる。 貧乏で病気で職もない、不細工な私を どうして 幸せで満たされていると思えば良いのか? 言葉はすべて 価値観でわけたものですから、そのもの自体の言葉 及びその想いがなければ 存在しない。 あなたは 絶対的な貧乏でも 病気でもない。 誰かと比べて あなたが そう想っているに過ぎない。 そのあなたの想いが、あなたの世界を創り上げている。 なかなか この点に気づかない。 「私は誰もが認める貧乏なブス」と思っていても、自分でそう思っているに過ぎない。 だって、そうでしょう、他人の心の中は絶対にわかりえない。世界が違うのですから、価値観や視点が違うのですから あなたと同じ見方はできない。 世界はいしきの表象。 あなたは 価値観の奴隷なのです~津留晃一 何故 幸せになりたいのか どうして お金を求めるのか 最初に問いがあるはずなのに、盲目的に求めることばかりしている。 方法を探しているのだ。 お金が無いから、努力して働いて お金をためて幸せになろうとは 思わないでください。 無理です、変わろうとしても 変れません。 ハツカネズミが円柱の中を走っていても まったく移動できない。 思考(円柱)の外にでることです。 満たされない想い=欲望ですから、これらは相対的なものであると同時に 他者の欲望です。 あなたは 成功したいとは 思えない。 だって、あなたはすでに 成功している。 あなたは 幸せになりたいとは 思えない。 だって、すでに幸せなんですから。 すでにあるものを ないものとしているのが、他者の鏡なのです。 あなたが 他人の価値観という鏡になって、他者の欲望を欲望しているだけなのです。 他者の鏡を 割り、自分を世界に投影してみるとは、 私は世界だと 知るだけでいい。
2010.02.03
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我々は、小学校から競争の概念を植えつけられている。 クラスで一番になれ、100点を取れ、頑張ってほかの生徒にまけないように 自我そのものの発生は、他我と同じころで4歳ころといいます。 4歳くらいで、他人と自分が違うことに気がつく。 つまり、自分のことを「さっちゃん」といっていた女の子が 私とはあたし といい始める。 自我こそが 他者を写す鏡ですから。 ほおっておいた目の前にある電車を、違う園児がその電車に手をかけたとたん 「僕が 遊んでいたんだ~」といって 取り合いをする。 それは、コマーシャルで有名なタレントが 「私は この化粧品を使っています」という効果と同じである。 その化粧品がほしくなるから、企業はテレビで宣伝をするのである。 その自我は、もともと 他者と区別するものなので 比較の概念を持っていますが、学校や家庭・マスコミのよって強固にされる。 いい高校にはいって いい大学にはいって いい会社にはいって いい給料とって いい嫁さんもらって いい家庭をつくって 盛大な葬式をする 一つの価値観しかないような 世界に住人になる(他者の鏡) しかし、比較ですから 上をみればきりがない。 この間 三菱地所の人を話をしたのですが 「三井のリハウスほどではないですから」と比較している。 いいと悪いというのは、相対的なことですから ・・・だけど くらべてしまう。 たくさん お金があれば 幸せなのに だけど 10万が20万30万になっても 満足できない。 なぜなら 他人との比較においてしか 幸せをかんじることができない。 尺度を 他人においているから、何時までたっても満足が得られない。 良いと悪いというような 思考作用が、 限りない欲望を作りだしている。 ここからが、重要な点ですが あなたは すでに成功している 満足していることに気がつくこと お金が無いのに 成功して満足しているわけ無いでしょう というあなたの考え方こそが、あなたの世界を創っている。 比較がなければ、いまが 満足している状態で 問題は無い。 巷にあふれる成功本には 「~すれば 成功できる」と書いてあります。 こうすれば 成功したり 運がよくなったり お金が入ってきたり 願いが叶うという。 この世界は あなたの心象世界です。あなたなしに 存在しません。 観ている世界と脳が感じている世界は 一対一の対応をしているので X=Y Y=X ですから、取り替えて考えても同じことです。 私たちが見ているのが 私たちの心の中で 世界 とは 私の ことだった。 まあ 鏡なので 当たり前といえば 当たり前の話ですが ここで大切なのは、私と世界が二つあるわけではないということ。 意識を変えれば世界は変わりますが 意識=まなざし=世界 だから 変わるわけで、 意識を変えた結果 世界が変わるわけではない。 私とは 見ている世界そのものなのです。 ということを 3年前の他のブログで書いていた。 何年も書いているのは 同じことなんだなあ
2010.02.03
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私を映す鏡 他人の嫌いなところは、たいてい自分が持っている自分の嫌いなところである。 嫌いな上司がいて、転職しても 同じような上司に出会う。 「あの人は、人の気持ちを無視するのよね」という あなたが、 人の気持ちを無視していたりする。 つまり あなたが短気な人を嫌いなのは あなたが短気であることが多く 「今日の洋服にあっているわね」と相手にいうときは あなたの 新しい洋服を見てもらいたいからでもある。 相対する鏡 私が笑えば あなたも笑う、 泣けばなき、たいくつも 移り、あくびでさえ写る。 相手が早口になれば こちらも早口になるし ゆっくり 話せば お互いゆっくりな口調になる。 おじいさんと話すときは、大声になり 赤ちゃんと話すときは 赤ちゃん語 「いい子 でちゅ ねえ」と 赤ちゃんになってしまうのだ。 作用反作用の鏡 年賀状が欲しい人は 年賀状を出せばいい 愛が欲しい人は 愛すること 学びたい人は 教えること 結婚式やお葬式に来てもらいたければ たくさん出席すること 友達が欲しい人は 友達になればいい お金がほしいひとは お金を握り締めないで 出すこと(寄付) 時の鏡 いま 幸せであれば 過去も未来も幸せ いま 不幸であれば 過去も未来も不幸 過去も未来も いま 存在し いま 決まっているとは、 過去の出来事は 現在の出来事が中立であるように 中立であり いまの 意識の反映ですから 過去は いまの意識によって変わる。 いまの 意識を映し出す鏡です。 そして、時の流れは 未来から過去へ流れているということは いまは 未来の結果。 未来において 幸せな原因があるから いま幸せという結果があるともいえる。 つまり いま幸せな人は 未来においても幸せであり いま 不幸を感じることは これからも 不幸。 いつかは ない、いま しかない。 いまの努力は いつか実を結ぶと信じてきて トイレ掃除で お金持ちになると信じてきて いままで 来ました。 努力が実を結ぶのでしたら、とうに結んでいるだけの 努力はしたのではないでしょうか? いままでの努力の結果が、いましている努力なのではないでしょうか? 空間においても 時間においても 世界は あなたの意識を写す鏡だとしたら~そう仮定しても いいじゃないですか~ いまの 感情 意識の向き 価値観 が、 あなたの世界に反映されているだけ。 何もしないでといっているのではなく、 どうぞ したいことを してくださいと 申し上げている。 したくないことを 頑張ってするのではなく したいことを するのに ためらうことはない。 世間の目は あなたのもう一つの目であって、誰も他者の心は覗けないのです。 あなたの 視線しかない。 この世界は あなたのまなざしによって 創造される。 世界を やさしく見るのか 恐ろしくみるのか あたたかくみるのか 愛いっぱいとみるのか 幸せだらけとみるのか その 見方の数だけ 世界は存在しているのです。 (
2010.02.03
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起きている 事情に 問題はなく 起きてくる 感情が 問題なんだ。 ある 出来事は、中立で、それを どのようにとるかということに 個々の世界がある。 その 思いを 世界に投影しているだけ。 こういう事情だから このように思うに決まっていると 勘違いをしているのです。 誰だって、私と同じように思い 感じると思っているに過ぎない。 これだけ お金が無ければ これだけ 問題があれば 誰だって 不幸と思うわ と、あなたが 思っているに過ぎないわけで、 まさに その 思い通りの現実を いま 生きている。 想いが 現実であるとは、 いま まさに 想いが現実になっているということです。 お金が無いと 想う人は まさにその現実を 幸せと想う人は まさにその 現実を 創りだしている。 世界は 鏡ですから いま のあなたの 想いを そのまま 写している。 いつか じゃなく て、いま この瞬間に あなたの想いを 写している。 ですから、世界は あなたの思い通り。 そんな世界を 思っていないというかたは どうぞ 想いを 変えてみてください。 (全角2000文字以内)
2010.02.02
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