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いま、満足すること それ以上を必要とせずに、それ以上を求めること 私たちの多くは、今の状態に満足していません。「もう一つの○」に到達できれば幸せになれると思っています。しかし、「実際はもう一つの丸に到達しても決して満足はしないのです。すぐにまた、別の場所を求めるようになります。不満を前進するための鞭にしているのです。これではいつまでたっても、しあわせにはなりません。 いま 満足すること=それが成功の鍵です 奇跡は、いま幸せな人にもたらされます。 多くの人は、常に次の契約、次の車、次の家、次の昇給について考えていて、パワーの基点つまり 真の奇跡がいまここにあるということに気づいていないと。 次の何かが幸せにしてくれるというのは 幻想にすぎません いまもっているものに満足しないものは、ほしいものを手に入れて、も満足しない~ソクラテス>> 僕も、同じことを繰り返し書いているのですが、きっと ほとんどの方に伝わらないからなのでしょう。 こういうことは、本を読むことではなく、自らの生活において腑に落とすことができるかどうかにかかっている。 そういう考えもあるね、でも これまでもいろいろやってみたけれど うまくいかなかったし、意識で世界がかわるわけがない、 現状で満足するってことなんだろうとか、思ってしまう。 そうなんです。 まさに、現状で満足したらいいのではと書いている。 大切なのは、満足した想いであって、現実ではない。 ある出来事に感情的に反応することが当たり前と思っているでしょうが、 感情がある出来事を生じさせる。 たとえば、右に行くか左に行くかでも、最初は小さな差異だけれども まったく異なる現実を経験する。 ある意味、想いの違いというのは、最初の出来事としては小さな差異だろう。しかし、小さなことでくよくよしたり 悩んだりしていれば、 それに対して、気にしないでいたとした現実とまったく異なる経験をする。 100メートルの金メダルだって、ほんのわずかの差で大きな違いがある。 人生だって、ほんのわずかの差が大きな違いになる。 つまり、嫌なことを繰り返し思い起こすことで、新たな嫌なことを 繰り返す。 逆に 今を楽しむことで、楽しいことを繰り返し生じさせることができる。 意識をどこに向けているか 過去のつらい出来事か 未来の不安か それとも いま であるか これにより、違う世界を生きることになる。
2010.08.31
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自己観察とは、自分について考えることではありません。180度違う世界といってもよいでしょう。自分に没入するのは、野生のトラに掴みかかって格闘するようなものです。 自己観察は、トラが通り過ぎるのを静かに眺めているだけです。 どうして、自己観察が大事なのでしょうか?なぜなら、これこそがまさに自己認識のカギだからです。 こうあるはずだと考えている自分ではなくて、ありのままの自分を見ることができます。 ウスペンスキーは、グルジュフの言葉を借りて次のように引用しています 「自己観察は、人間を自己変革の必要性の自覚に導く。そして、自己を観察する間に自己観察そのものが彼の内的プロセスに一定の変化をもたらすことに気づく。 自己観察は自己変革の道具であり、覚醒への手段で圧ることを理解し始めるのだ。 自己を観察することによって、それまでの完全な暗闇の中で進んでいた内的プロセスにいわば光を投げかける」 津留さんも、自己観察の必要性を言っている。 なぜ、自己観察が必要かというと、まず第一に 感情は、あなたではない 記憶の反応ということが理解できる。 感情は、私の感情であり、私そのものであるとたいてい思っている。 その感情(トラ)を観察するのだ。 だれでも、感情にとらわれているときに、 ~こんなに 怒っていいのかな~とかいう冷めた(覚めた)ところがあると思う。 私の感情を観察する私。 私と感情は 別なのだ。 そして、その感情こそが、あなたの世界を構成しているから、自己観察が重要なのである。 私と感情とを同一しているということは、 他人の鏡で生きているということと同じことのようです。 疑うことのない、自分の感情を観る。 この感情は、どうして 生じるのか? 怒りっぽい人は、同じような出来事を引き起こしている。 そうでない人は、なんとも思わないことを、怒ってしまう。 つまり、怒りの感情が現実を引き寄せてしまっている。 幸せであれば、どんな出来事であっても幸せを感じ、 その出来事に幸せを感じない人と異なり、 幸せを引き寄せる。 しかし、これは コップの半分の水を多いと思うか少ないと思うかの話ではない。 そもそも 二つにわけないで 全体をありのままみるということ。 そして、それをただ 受け入れることができる。 世界に反応するのではなく、想いを世界に投影していることに気づく。 この本は、いろいろ引用したいところがあるので、また書きたいと思います
2010.08.30
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バカという人が バカなんだよ 以前息子に教わった言葉ですが、真実でしょうねえ。 逆に、 素晴らしいという人が 素晴らしいのでしょう。 自我は、私はすごいという想いを持ちたがるから 特に ライバル関係にあれば、ほめることより、 私のほうが すごいのに、なんであの人ばっかりということになる。 だからといって、 心にないことを 思うことはできないし 想いと言葉が同じでないと、現実化はされない。 嘘からでた 真は ありますからね。 アンケートの年収欄は、現実の年収をかかないで、これだけあったらうれしいと思う最大の金額をかいてください。 アンケートなんですから、嘘でもいいんです。 嘘をかくという内心と 書いていることが嘘だから、OKなんです。 それはともかく、 自分の口からでた言葉には、力がありますから、 必要以上に謙遜することはない。 想いと言葉が、同じであれば、口癖の魔術ではないですが そのようになることもある。 ただ、たいていそうならないのは、 なりたいという想いがあって、口癖をいうから、なれない。 想いと言葉が一致しない。 まあ わかりにくいのですが 適当がいいんです、いい加減がいいんです。 遊びでやったらいい。 形から入るということもあるしね。 親切ではないけれど 親切の振りをすれば 新設だろうし、 親切な思いだけで、一切親切なことをしなければ、親切とはいえない。 そのふりをしているという想いがあれば、行動と思いに違いはない。 お金持ちの振りをしているという想いがあれば、行動と思いに違いはない。 すでになるということができなければ、 ふりをするということは、現実化に有効。 ふりをしても 鏡は それを真実として映すだけ。
2010.08.21
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僕は、地方の街に住んでいますが、大東建託とかレオパレスとか 大和ハウスとかいろいろなハウスメーカーがアパートを建てている。 儲け話というのは、向こうから来ることはない。 見ていると、新築でも満室になることはないようだ。 いったい、何年たてば満室になるのだろうかといっても、新築で満室にならなければ古くなって、満室になる可能性はかなり低い。 どうも、ハウスメーカーが農家に取り入って立てさせているのだろう。 毎月これだけの 収入がありますよ・・ 数千万の借金をして、家賃保証とかいっても、1円の家賃ではしょうがないだろう。 たぶん、土地をもっている資産家が得する一番の方法は、アパートを建てることではなく分譲して土地を売ること。 賃貸経営は、家賃を払わなかったり、家賃が安いとそれなりの方しか入らないので夜中に電話がかかってきたり、大変です。 一番大変なのは、空室リスク。 10年で 入金より 出ていくお金が大きくなるという。 口車にのって アパート経営することはやめて、土地が負担であるならば分譲したほうがよいと思う。 いまは、土地が安いのでアパートを借りるより、買ったほうが安いこともある。 払えなければ、競売で取られるだけで それまでアパートに住んでいたと思えばあきらめもつく。 素人は、賃貸経営に目が行くが、不動産屋が新築のアパート経営をしたなんて聞いたことがない。 家賃保証をしてくれる、会社がある限り 家賃は入るだろうが・・・
2010.08.20
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先ほどまで、顧問の税理士さんと話していた。彼は、陰謀論が好きで 世界は、イルミナルティが支配しているという話しが好きである。 僕も、ある支配勢力はあると思っている。 しかし、これからどうなるのでしょうねえ ということになると どんどん 悪くなるという。 将来に対して想いをよせると 不安になり 恐れが生じる。 過去に想いを寄せると、後悔する。 そして、世界は想いの反映ですから、今の現実が苦しく 悩む。 想いを寄せなければ、今の現実は苦しくともなんともないのに 過去や未来のことを考えると、苦しくなる。 つまり、いまに意識がないと 苦しいいまを創造してしまうということ。 自我は、いまのままでは将来だめになるのがわかっているから、何とかしなければならないと思い、悩む。 将来のことは わからない、生きるのは常にいまだけ。 将来だめになることを心配することで、 いまを 確実にダメにしてしまっていることに気が付かない。 自我は、いまにいられないから 過去を後悔することと、未来を心配することが大好き。 プールに遊びにいったときまで、仕事のことを考えてしまう。 (仕事中は、遊びのことしかかんがえていないのに) 自我は、常にいまにいない。 想像的 自我。過去と未来に飛んでいる。 過去も未来も 今の鏡ですから、今により変わる。 未来のために 今を犠牲にするのではなく、 何かのために 今を過ごすのでもなく 一番したいこと 服を買う、歌う 遊ぶ 寝る 食う等々をする。 したいことをして、したくないことをしない。 いままでずっと したいことをしないで、したくないことをしていたなら、したいことを してみましょう。
2010.08.20
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幸福とはなんでしょうか?ある人は、幸福はあなたが求めるものを獲得することによって得られるといいます。 あなたは車がほしい。それで、車を得るとします。 そうすれば、あなたは幸福です。 私は洋服がほしい。あるいは、ヨーロッパに行きたい。そしてそれができれば、私は幸福です。 もしも、そうできないのであれば、私は不幸です。 だから、私たちが幸福と呼んでいるものは、ほしいものを手に入れること、目標を達成し成功すること、気だかくなること、なんであれほしいものを手にすることなのです。 私たちは、みな 金持ちも貧乏人もこのことに関心があります。 富める者も貧しいものもだれもが 自分のために、家族のために社会のために何かを得たいと願っています。 あなたは、幸福はあなたが幸福だと、たくさんのものをもっていると意識した瞬間それは 幸福でしょうか? あなたは 自分は幸福だと意識したとき、 それは幸福ではないのではありませんか? だから、あなたは幸福を追い求めることはできないのです。 それはやってきます。しかし、あなたが、それを追い求めるなら 、それはあなたの手から 逃れさるのです。 以上引用 クリシュナムルティは、難解と言われていますが、津留さんの本をよんでから、Kの言葉をかみしめるとよく理解できる。 僕は、津留さんはクリシュナムルティの影響を受けたのではないかと思って、英光舎の社長に問い合わせたところ、生前津留さんの口からクリシュナむるてぃのことを聞いたことがないということでした。 引用した文も、幸せは何かをして 獲得できるものではないと はっきり書いています。 幸せは心の状態であり、それは外界世界によって影響されるものではなく、逆に外界の世界に影響を与えるもの。 ボタンの掛け違い。 最初にあるのは、自分の想い。 鏡を先に笑わすことは、できない。 まず、自分が笑うことで、福・運を現象化させる。 追い求めても、鏡が笑うことはない。
2010.08.20
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世界が心の風景と知ると、鏡としると 世界側の他者に 幸せをみることで、自分が幸せになれると思うようになる。 だから、誰かのために なにかできないかを四六時中考える。 そして、感謝され 幸せ感を味わう。 こういうことは、少しスピ系の本を読みだすとあると思う。 だけれども、こういうことを続けていると、幸せ感を感じられなくなる。 これだけしているのに、どうして感謝されないのだろう? つまり、鏡を先に笑わせようとしてしまっている。 鏡は あくまでも 鏡であり、想いを映しているだけ。 大切なのは、まず 笑うこと 楽しんでいること 幸せでいること いまここにいること。 世界は、あなたを映す鏡です。
2010.08.18
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だれもが、心の存在を知っているのに、その場所を正確にいうことはできない。 頭のなか、胸のこの辺、・・・ あるのに、その場所がわからないというのは変ではないでしょうか。 思うに、心は 見ている世界である。世界そのものが心。 認識にはいろいろな説がありますが、 世界を脳が認識していることに疑いはない。 だから、世界=脳で認識しているもの とすると 見ている世界は 外部ではなく、内部の世界。 これが、不思議ですよね、どうしても外部にあるようにしか思えない。 でも、外にある世界として なんら不都合がないので、外の世界を 認識していると感じる。 まあ、僕は世界は風船の内部を見ているようなものと思っているので 世界はその 心象世界。
2010.08.18
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過去は変えられないが、今努力することにより、未来は変わんだよ~ だから、いま努力して、頑張ることが大切なんだと教わる。 いや~すばらしい 教育ですね。 かつては兵隊を いまは、奴隷を作る教育・洗脳。 過去は変わる。 たとえば、ラブストーリーで、苦難の末二人が結ばれるとすると、 それまでの苦労は、楽しい思いになるでしょ。 その時は つらいと思っても、今の状況が楽しければ楽しい想いに代わる。あの苦労があったから、この幸せがあると。 まあ、物語はこれで終わるから、ハッピイなんだけど、現実は 幸福は不幸の始まりだったりする・・ことはおいておいて 過去は いまの想いで変わります。 ということは、過去はいまの 鏡。 未来もそう、未来において幸せであるには、今が幸せである必要がある。 未来において、お金持ちであるのには、いまがお金持ちである必要がある。 だから、お金持ちになるために 何かをする必要はない。 何かをしないとなれないという想いこそが、なれない原因。 一つの説明に苫米地さんの時間論があって、 いまは どんどん過去になり 未来はどんどん過去になるから 時間は未来から過去へ流れる。 だから、過去は現在に影響できず、未来において幸せであれば (一分後)そのまえも幸せである。結果が今であり、原因は未来に生じる。 僕流でいえば、未来もいまの鏡。 過去がいまの 想念でかわるように 未来もいまの 想念で変わる。 本来未来はなく、過去もない いまだけ。 線分で過去と未来に分けるといまはない。 いまを 作ると、過去と未来に分けることができるから、 どんなに細かくしても 過去と未来といまに分けれない。 しかし、いまは ある。 空間が 私の鏡であるように 時間も 私の鏡なんです。 時間は 流れてはいない~そもそも幻想
2010.08.18
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自分を幸せにようとするとき、あなたは何らかの努力をするはずです。努力とは、特定の方向に力を働かせることを意味します。たとえば、建築でも商売でも料理でも、あらかじめたてられた計画に従うことは有意義であり、必要でもあります。 あるいは、物を作るプロセスで、新しい形やアイデアを思い浮かべたり視覚化したりするのには、それなりの努力が必要です。 ところが、幸せに関しては、どのような努力も間違いなのです それが、真実だとわかれば、さらに理解を深めることができるはずです。つまり、真の幸せは努力して引き寄せるものではないということです。 努力のあるところには、必ず計画があるといいましたが、その計画とは本来何かを作り出すためにあります。 この場合、あなたの幸せを作り出すことです。 あなたは、理想を追い求めるばかりで、ありのままの現実を受け入れません。人生があなたに差し出してくれるものを味わおうとしないのです。 苦痛とストレスに満ちたそのプロセスは、知らず知らずのうちに進行し何もかもぶち壊しにします。 すると、人生は楽しい冒険旅行ではなく、失望の連続になるのです。 よく考えてみてください。もともと、幸せとはこうあるべきだという 固定観念がなければ、不幸せになりはしないのです。 幸せとは、こういうものだという固定観念こそが、不幸せの原因になっているのです。要するに、幸せは作り出されるものではないということです。 つまり、幸せに なろうとすることが、なれないことであり、 お金持ちになろうとすることで、なれないということと同じ。 幸せとはこういうものだという狭い概念を、今の自分にまで広くとらえることができればいいけれど、なかなかそうは思えない。 そして、変わろうとする努力をする。 これが、逆。 まず、いまここで幸せであることに気づく。 すべては、満たされている。 この想いが、世界に反映される。 何かになろうとすることは、恐れからきているわけで、恐れから生まれたものは、うまくいかない。もの に ならない。 もの=心 であり、おそれは ないものだから 形にならない。 昨日の日記で紹介したブログのように、また、このミクシーでも 津留さんの撒いた種は、育っているんだなあと思います。いままでの 昼に晩に 熱心に集中して想いを遂げるという本より、 このままでいい 頑張らないというように 世界が、変わり始めているような気もします。
2010.08.18
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結局、現在生じる出来事は、その想念が引き起こしているということ。 子供は、泣いてもすぐ笑うでしょう。 ところが、自我が確立されるにつれ、その感情(記憶)に執着し、 いつまでも、その感情を持つ。 なんで、私がこんなめに合わないといけないのか? なんで、ひどい仕打ちをするのか、許せない。 いろいろな感情を記憶として執着する。 もちろん、記憶は薄れていくが、それが無意識(違う次元?)にあるので、同じような出来事に反応する。 その感情を手放していれば、同じような出来事があったにしても気にするこはないのに、反応してしまう。 そして、世界は想いの反映だから、 その感情が世界に反映される。 面白くない出来事に執着する結果、さらに 面白くない出来事に直面する。 なんで、こんなに一生懸命生きているのに、私ばっかりこんな目に合うのかと悩む。 当然、自分の想いが世界に反映しているのですから、まさに自己責任。 嫌な思いに執着しているから、さらに嫌な出来事を引き起こしているに過ぎない。 その感情への執着が、ミニ自我を形成している。 これを、取る。 何かを得るとか、なにかをするのではなく、これを取り、捨て また戻す。(浄化のテクニック) この、戻すというところがいいですね。 ミニ自我も自分の一部ですから、怪我を治すみたいなことかもしれない。 同じような嫌な出来事に出合うのは、あなたの性格や見栄えではなく あなたの想いが映し出している幻影。 そういう出来事は、想いがなければ生じないことですから、まさに 自らいやな目に合うことになる。 逆に、今楽しい感情であれば、より楽しいことが 世界から運ばれてくる。 それが 運。 自分の喜びの波動に同調したものが、世界に現れる。 すべてが想いですから、想念観察は重要です。 (
2010.08.17
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このままではいけない という想いがわくことがある。 このままではいけないという想いは、自己ではなく、ミニ自我である。 否定するのが、自我の性質。 そして、否定から生まれるものは、もの(物)にならない。 このままではいけないと思って、いろいろ考えて、 何かを始めても うまくいかない(物にならない) いらない思いは、消してしまえばいい。 これが最初の一歩。 だけど、こういう考え方を知らないと、 このままではいけないという想いと自分を区別することができない。 鏡の汚れというか、親や教育の刷り込みを自己と思う。 ふと浮かんでくる想い、 このままではいけない こういう想いが出たら、それを実現する方法を考えるのではなく 想いを消す。 ところが、なかなか取ろうとしても取れないのが自我。 まさに、同化している。 この取りかたは、いろいろありますが、一番簡単な例は TAKAKOさんがいう まつわりつく子供だろう。ミニ自我は、まつわりつく子供のように 頭の中をめぐる。台所で仕事をしているままに向かって「ママ 見てみて」とまとわりつく子供。 だから、「そうだね、そうだね」と見てあげると その子供は去っていく。 ミニ自我も自我も自己の一部ですから、取れない。 汚れた手というか、蚊に刺されたというか、我々の一部。 否定しないで、その想いを そうだねと肯定する。と、喧嘩にならず、去っていく。 認めることは、許すことであり、それは 愛=光で想いを浄化させることにほかならない。 だけど、たいてい「このままではいけない」という想いが生じたら、 どのようにすれば変われるのかと考えてしまう。 そして、いつも いまを否定する。もっと頑張れば、もっと努力すればという考えになるだけです。 その否定の想いが、いまを生きにくくする。 このままでいい、このままがいい、今この瞬間が最高 という想いこそが、世界を変えるのであって、 否定からは、何も生まれない。
2010.08.17
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テレビ東京で都市伝説をしていた。イルミナルティの話は非常に興味がわきました。 ツタンカーメン王の隣の部屋で見つかったミイラは、まさにエリア51で解剖されたグレイにそっくりです。 テレビで言っていましたが、宇宙人とさるの遺伝子操作。 個人的には、アウストラロピテクスとグレイの遺伝子操作でクローンマニョン人が作られたと思うけれども、テレビでこういう話しがされるとは、ずいぶん変わってきたと思う。 僕は、宇宙人の支配というのは人類創生から現代まで続いていると思っている。 人類を奴隷として、支配する方法。 ある時は、力づくで、ある時は 欲望で支配する。 この資本主義という 人参をぶら下げた馬のような仕組みを作ったのも彼らだろうし、 平気で国民を9・11のように、殺すのも彼らだと思っている。 この世界は、マトリックスのような世界だけれども、マトリックスの中を支配しているコンピューターのようなものが、支配者なのだろう。 現実が夢で、夢が現実。 歴史とは、勝ったものの歴史であるとしたなら、今の歴史は今をしはいしている者の歴史であるに違いない。 つまり、歴史が嘘ということではなく、都合の悪いことは歴史から消えている可能性が高い。
2010.08.16
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現実を幸せと感じることができたとしよう、 いや、もはや幸せとか幸せでないとか思うことなく、 あるがままに 夢中に生きることをしているとする。 しかし、それは同じ現実を違う見方でしているに過ぎないから、現実が変わったわけではないというかもしれない。 もちろん、物質的な世界に変化が起きることではなく、内心的想いが変わったに過ぎない。 ところが、世界は想いの反映なので、 ついている人は さらにつき もてる人は さらに もて 幸せな人は さらに 幸せになる。 逆からいえば 不幸せな人は さらに不幸せを呼び 貧乏な人は さらにお金が出ていくことになる 想いが 映写機で スクリーンが現実とはよく聞くと思いますが その通りです。 幸せな思いに エネルギーを充てることで、どんどんそれが大きくなる。 それをもっと具体的に書くと したいことをして したくないことをしない。 ヴァシャール風にいえば わくわくすることをする。 すること自体が楽しい。 していることが 目的であり結果だから、すでに成果を手にしている。 それは、個人の数だけある。 歌を歌うことが好きなら、歌手でも歌手に関係のあることでも、 いいのでしょうし、絵を描くことが好きなら、絵をかくし お金儲けが楽しい人はお金儲けをする。 これが、わくわくであるとは言えない。 わくわくすることは、あなたの内部にある(それが現実なのですが) わくわくにおいては 苦しいことも 楽しい。 マラソンやサウナは そうだろう。国家試験もそう。 したくないことでは、苦しいことは、苦しさしかない。 したくない仕事等々。 嫌いな上司ということになると、また別の話になるけれども、 いま 幸せであると感じることは、いまのままでいいやと なげやりになることではない。 いまが 最高と感じることができること。 このように感じられない人が多いわけで、それがどうしてかというと たいてい比較からきている。 他人や過去や未来の自分。 比較は、自我の本質ですからね。
2010.08.16
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とりあえず、毎日口にいれたものはメモを取ること ああこれは食べてはいけないとか考えなくていい。 罪悪感や反省からはなにも生まれない。 これで、私の体重はなぜか10キロ落ちた。原因はおそらく 無意識のうちに太る行動をさけていたということだろう。ここ、重要だから注意してほしい。 なぜ記録するだけで10キロ落とせたのかがポイントではない、太る行動を無意識に避けるだけで痩せるのである。 太っているのは、毎日毎日「太り続けるための行動」を繰り返しでいるせいかなのだ。 要約ですが、なぜか津留さんのいうこととリンクしている。 罪悪感や反省からは、なにも生まれない~恐れから出発したことは、うまくいかない 太っているのは、太るための行動を繰り返ししている~不幸せでいるのは、不幸せであるための努力を日々繰り返している 不幸せや貧乏という思いが、その状態を創造しているのですが、ある現実が不幸せや 貧乏というものを創造していると思い込み、それを 変えようと努力して、変えられない今を創造する。 幸せは いつも自分の心が決める ~みつお はわかるのに不幸せは いつも自分の心が決める という風には考えることがない。 不幸せや貧乏は 現実が決め、幸せだけを 自分の心が決めると思っている。 これは 確かに変だ。 いままで 貧乏や不幸せであり、それが続いているとしたら、デブがデブであるために 努力しているように貧乏が貧乏であるための努力をしているといえる。 デブであるためには 夜中にカップラーメンやポテトチップを毎日食べる必要があり、同様に貧乏や不幸であるためには、毎日、自分の不幸の数を数えなくてはならない。 変わろうとして、変わらないという努力をしている。 したくないことを努力して毎日続けることで、この苦境から逃れられると思う。 それは、デブが毎日夜食を食べることをやめられないのと同じように繰り返ししている。 夜食をやめれば、痩せるわけですが、それをやめようとすることは眼中にない。 想いを変えれば、現実が変わるわけですが、想いを変えようとすることはない。 いや、想いを変えることは知っていても、想いを変えればいいんだとその方法のみを鵜呑みにしているに過ぎない。 僕が言いたいのは、不幸せの自分を幸せと思えばいいということではなく、貧乏であるがお金持ちであると思うことでもない。 すでに 幸せであると気づき、すでにお金持ちであることに気付くということ。 ここに、大きな壁があります。 世界は想いを映す鏡ですから、そのまま映る。 幸せになるためには、すでに幸せである必要があり、何かをして幸せになるわけではない。 なぜそのように思うのかを 問うてみる。
2010.08.16
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http://jitsugenkun.jugem.jp/?eid=126#sequel 僕は、かれのブログを見て津留さんを知ったのか、知ってはいても 本を読んではいなかったと思う。 実現君は、月収を10倍ではなく、100倍にした奇跡の人です。 その辺の、本を読むよりよほどためになることが書いてあります。 運がいい人とか 運が来ない人っているでしょう、 何をしても うまくいく人とそうでない人。 それは、能力の違いではなく、(営業力、賢さ、等々) 想いの違いなんですね。 興味のあるかたは、実現君のブログを読むことをお勧めします。
2010.08.11
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これが、津留さんの考え方の主流である。 たいてい、こういう自己啓発系の本を読むと、メモを書き、毎日唱え、集中するとか書いてあるが、 津留さんは、想いは実現しない という。 想いは、すでに実現している。 あるDVDで、 仕事をしていて 昇進のチャンスがある、しかし、やりたいことがあって、それは 経済的に 成り立たない状態である。どうしたらいいですか?という質問があった。 やりたいことは、ただすればいいことなんですが、やろうとすると恐れがでてくる。 昇進のチャンスがあるのに、経済的になりたたないことをしていいのかという恐れが出てくる。 やりたいことは、やり始めているのですが、経済的に成立しないので・・・ 私が、講演会で必ずいうのは 想いは実現しない、いまは 想いの結果なんです。 そのやりたいことが うまくいかないという現実は、想いの結果であり それをいま、体験している。 そういう、想いはいらないでしょ、そうしたら捨てることです。 自我は、悩みそして なにもしようとしない。そして、それは恐れへと変貌する。 自我は、日常茶飯事の繰り返しロボットから 逃れることを見張る警察であり、鎖。 他人と同じであることを 求めている~鏡だから。 うまくいかなかったらそのとき 考える。 明日の心配は、明日したらよい。 したいことをすることが 目的であるなら、しているときに 結果はすでに手にしている。 これをもっと 具体的に書くと 幸せになりたい人はなれません ということです。 なにかに なりたいという思いは、その想いをいまここで 実現している。 つまり、幸せでないいまを、なりたいという思いで実現していること。 だけど、その人は 幸せになりたいわけですから、その幸せという思いは実現していないし、その想いがある限りこれからも、幸せになることができない。 幸せになる人は、いまここで 幸せを感じることができる人に限られる。 いまは 想いの結果であり、今の想いが原因となって、将来実現するわけではない。 まず 結果を手にすること。 モーツアルトや福山雅治が、曲を作るときはすでにあたまにメロディが完成してそれを 写しているいるだけだという。 いろいろ考えた結果できるわけではない。 最初に結果がある。 それは、ゴルフのパターもそう。入るイメージができたときに入る。 まず 想いで入れてしまう。 いつでも いまが結果、結果を先に出す。 出すものはすべていい。
2010.08.11
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人生で最大の皮肉といえば、みんながほしがるものは、誰もがすでにもっているということだ。 豊かにほしいと思うものはなんでも、すでに豊かに持っている。 あなたには、あるいはあなたの知る人たちには、ほんとうだとは信じがたいかもしれない。 それでも、これが真実なのだ。 「そんなことはない」と思うから、「そんなことはない」ように見える経験をしているだけだ。 人生をどんなふうに経験するかという点で、ものの見方や考え方が非常に大きな役割を持っている。 ある人が足りないと呼ぶものを、ある人はたっぷりあると呼ぶ。 それぞれの個人の定義が個々の経験を創造しているのだ。あなたの定義と選択のエネルギーが退場となる物事を増幅させ、拡大する あなたが、「現実だ」というものが、あなたの現実になるのだ。 実際、私の経験からいうと、自分が持っている真の豊かさを総ざらいして、そこに見つけたものを手放すことを決心したとたん、これまで豊さだと思って切望していたもの~お金~が向こうから勝手にどんどんやってくることに気づくことになる 以上引用 なんども 書いているように、僕たちが望むものはすでに持っている。ないものは望めない。 そして、目標を達成するために努力をするのではなく、いましていることこそが、目標となればいい。 つまり、いましていることが 今一番したいこと。 こう決心してみる。 働かなければならない~さぼって休みたいなら、休む。 努力しなければ 頑張らなければ~したくないことは しないで したいことをする。 何かをしなければならないと思っていま なにかをしても、それは 面白くないこと。 すると 面白くないことの結果を 今体験する。 やっぱり 思った通りうまくいかなかった。 そして、ふと 頭に浮かんだことは 取り消さないで、する。 電話をすことに 気づいたら、あとでではなく いまする。 それも 気づきですし、天使のささやき。 そういう 直観に従ってみる。 大切なのは 想いや感情であって、出来事ではない。 それを、こういう出来事があるから こういう感情が生じるのは当たり前だと思う。 それが、記憶の反応とは気づくこともなく。 記憶の反応=同じ体験の繰り返し 毎日 違う日を過ごしているのではなく、 同じ一日を 毎日繰り返している。 違う出来事であったにしても、受け取る感情が一緒だから 同じ一日を繰り返している。 そういう、記憶~感情~反応の一連の鎖から抜け出さない限り 同じ日を生きるという、環から抜けることができない。 想いの観察 感情の観察 記憶およびその反応の観察により 同じ出来事が、起きていることに気づく。 だって、我を観察しているのは 我ではないわけですから。
2010.08.03
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