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一つの円の内側を見ているのが、個々の世界と書いた。 そして、なりたい人がいれば、その人のまねをすればいいとも書いた。 これを、図でかければいいのですが、いわいる集合の絵、 円が二つ交わったものと思う。 8 こういう図形。 自分の円を見るのに、相手の視線でも、自分の円の内側を見ることができるし 同時に 相手の円の内側を見ることができる。 これが、まねをするということなんだろう。 相手の世界を見ることにより、相手の世界に同調させる。 これが、ヴアシカパイシス~魚の浮き袋 であり、神聖幾何学の最初のずけいでもあり、受精卵の最初の分裂。 つまり、内側と外側を等化したのは 卵である。 それが、相手の世界を共有することにより、(受精)細胞分裂する。~神聖幾何学の図形 生命の種の 誕生。 これが、エヴァンゲリオンでもでてくる 生命の樹になり 生命の花 ~神聖幾何学になる。 自己の世界を他者の世界に同調させていくことで~一つに向かう 覚醒に向かうのかもしれない。 内側が世界と知ることは、単に出発点(種子)にすぎないのだろう。
2010.06.30
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Microsoft Word でFontをWingdingsに、文字サイズを26くらいにしてQ33NY(ハイジャックされた便名)と入力すると パソコンの ワードで、上記のようにしてみると 飛行機が二棟のビルディングに突っ込む模様が映し出される。 有名な話らしいですが、知りませんでした。 確かに、飛行機とビル と とある マークが表示されます。
2010.06.19
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世界に生じる出来事に対しての反応というものが、 いわば 誰にでもあなたと同じように感じていると 思っている。 それは、赤を見て、誰もがあなたと、同じ赤をみていると思うように違う。 赤という言葉でしか色をいえないが、あなたの見ている赤いいろと 僕の見ている蒼い色が同じであっても、不思議ではない。 まったく、異なる色を赤という言葉で、同じ色と思っているだけ。 これは、心の中を見せられないので 同じかどうか証明のしようがないが、 能力の違いを考えると、違って当然だとは思うが。 同様に、世界に対する反応も人によりことなる、 ある言葉に反応する人、ある出来事に反応する人、みな異なる。 相手の鏡になるとは、 夫や妻が大声でどなってきたとき、無意識に大声で怒鳴り返すのが、相手の鏡になること。 相手が 怒ってこようが、どなってこようが、こちらが怒るかどうかは、こっちで決めていい。それを、無意識にしていると、相手の鏡となって喧嘩になるだけ。 うるさいお客には ゆっくりと 静かに話しをすることで、 こちらの鏡になってもらう。 ある意味 写しあいの 世界ですから、こちらの鏡になってもらう。 相手を観察することで、結構 相手の鏡にならなくてすむ。
2010.06.18
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世界を観察して、世界が意識の鏡と知ったとき、大きな勘違いが起きることがある。 つまり、世界が鏡であるならば、その鏡を幸せにすれば、 その世界にただ 奉仕して、相手のためになって、喜んでもらえれば それは、自分の幸せとなって返って来るし、私の幸せが大きくなる。 みたいな ことを考えても不思議ではない。 世界が意識の鏡で、心の世界であるなら、その世界の住民の幸せが自分の幸せとなるはずである。 ところが、そういうことを していっても なんだか 楽しくなかったりする。 相手のためということを最初に考えてばかりいると、ズレてくる。 まさしく 世界は意識の鏡であって、 自らの気持ちを 映している。 だから、大切なのは 自分がそれをすることが 楽しいかどうか、したいかどうかが最初にないと、いくら相手のためと思っても、面白くない。 いま ハガネの女というのを見ていたら「 おかあさんの 喜ぶことを するのが、楽しい」と子供がいっていた。 まさしく そうだと思うけれど、 相手が喜んでいるのは、自分が先に喜んでいるからということに、子供は気づいていない。 おかあさんは、子供が楽しそうにしているから、喜んでいる。 それを、子供の目からみると、おかあさんの喜んでいる顔を見るのが楽しいとなる。 相手の顔に映るのは、自分の気持ち。 お局さまに 嫌われているわけではなく お局さまをあなたが嫌っているに 過ぎない。 まさしく、お局さまの顔は、あなたの鏡なのだ。 嫌われるとか嫌うとかそういうことに想いを寄せないで~波長を合わせないで~ 自分の好きなことをして 楽しい顔をしていれば、 お局様に映るのは 楽しい顔。 これが、よくいわれる 相手を変えるのではなく、自分を変えろということですね。
2010.06.18
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何に意識を向けるかということは、 ラジオのチューニングと同じ。 テレビのチャンネルと同じ。 見たい番組に、意識を向ける。 我々が見ている 世界というのは、いわば、無限のチャンネルがあってそのどのチャンネルを見ようとかまわない。 見たい世界を見ていないと思うのは、 リモコンの使い方が、違う。 8を見たくないのに 8に意識を向けるから、8を見てしまう。 貧乏にはなりたくないから、お金持ちになりたい、という想いでいつまでも貧乏でいる。 仕事がないから、仕事が欲しいという想いで、いつまでも仕事がない。 幸せになりたいから なりたいと思っていて、いつまでもなれない。 リモコンの使い方が、8が嫌だといいながら 8を押し続けているだけ。 4を押せばいいだけ。 ただ、こうなりたいと思うものに意識を向けてみる。 側にいる、ふりをする、すでになる。 なりたいと 思う欲望によって、働かされるのが資本主義。 これが きんだいの誕生=自我の誕生
2010.06.18
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世界が鏡であるかどうかは、実は、どうでもいいこと。 楽に生きることができれば、世界が鏡だと知る必要もない。 生きていて、なんか生きにくいなあとか、何か違うと思ったとき どうしようもないとき 世界が鏡であると知って、ああそうだったのかと気づく。 相手の嫌いなところは 自分の嫌いなところ 人のふりみて 自分をなおせ とか、まったく科学的ではないけれども、経験上認められることはたくさんある。 それが、世界が意識の鏡であることで、 解決する。 そして、想いが世界を構成しているのであれば 想いを 観察していくと、世界を 観察していくことと同じとわかる。 そして、変わろうとするから 変れない 幸せに なろうとするから なれない。 努力しても 成功することはない。 と、わかる。 それまでは、努力すれば 何とかなると思っていた。 努力が すべてを解決してくれるから、うまくいかないのは 努力が足りないからだと思っていた。 努力の効果がでるなら、すでにでてないと おかしいのに 何年も何年も まさに 同じことの繰り返しをしていれば きっと報われると思っていた ・・・」が、変わることはなかった。 むしろ どんどん 悪くなっていくようでした。 そういう風に 感じている人は、この世界が鏡であるとして仮定してみるといい。
2010.06.17
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うちは、そとであり、そとはうち。 見ている世界は、自己の外側だと思っているが、そうではなく 見ている世界は、心の内側である。 世界の構造は、風船の内側をのぞいているように まさに 内側の出来事なのである。 外じゃない。 内側だから、鏡として 私が見える。 内側だから 二次元なんだ。 まあ、他者の存在によって 3次元に見えると思うんですがね。 外側に見えた世界を 靴下を裏返すように反転させること もちろん意識のなかですが それが、変換人になるための第一歩。 無限のなかの ちっぽけな存在ではなく 私が 宇宙というのは、まさに 見ている世界は 私のこころの中ということ 世界のなかに 私がいるのではなく 私のなかに 世界がある。 外には なにもない すべてが 内側での出来事なのですから。
2010.06.16
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できるか どうか でもなく するかしないか でもなく やれるか どうか でもなく うまくいくかどうか でもなく それを したいかどうか なんだってことだよ。 したいことだけをして したくないこと しなければならないことは しない。 掃除をしない子供の話がある。 母親が、津留さんに相談にいった。 「部屋の掃除もしない。こんなことでは 大人になって困る。子供に どうやっていいきかせたらよいか」 「掃除ができないと 困るのですか。おかあさんが、そう思っているだけでしょ。 幸せになるのに 掃除をしなければならないことはない」 うろ覚えなので 確かではないが、こういう話だったと思う。 子供のためじゃないんですよ、自分が嫌だから 子供に掃除をさせたい。 汚いのが嫌なら、自分で掃除をすればいい。 こうあらねば ならない ということが、強くある。 人様に迷惑だけはかけていけないから というのが根強い。 だから、こんなことしたんでは 何をいわれるかわからないから何もしないでおこう。みんなを同じであればいいと 思うようになる。 物事は 塞翁が馬であって、どれがいいのか 悪いのかは 判断はできない。 それを これはいいことだからという価値観を植えつけられて また 植えつける。 たかだか、数十年前は お国のために死ぬことが いいことだった国もある。 何がいいか 悪いかは わからないので、それを判断の基準にしない。 ただ 自分のしたいように する。 子供が でも、主人がでも 家族がでも なく、自分がしたいことをする。 うまくいこうが いかまいが、したいことをしているわけですから、そして たいてい、したいことというのは しなくても いいことですからね。 しなくてもいいことを するのが 楽しい。
2010.06.14
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ついてるとは、斉藤一人さんの決まり文句ですが、 斎藤さんには、ついてることしか 生じないという。 そんなこといったって、言うだけで 思うだけで、ついてくることしか生じないわけがないと思っていた。 しかし、彼はきっと、この世界を ついていることと ついていないことに、判断することをやめたのだ。 だから、ついてるというのは、すべてであって 鼻緒がきれようが、病気になろうが、どろぼうに合おうが、 ついている。 どんなことが生じてもついていることしか おこらない。 ついてる とか ついていない というのは、心の状態であって、外の世界の状態ではない。 ところが、われわれは、なんらかの出来事がしょうじると ついていない 最悪 腹が立つと思う。外の世界に 感情が反応してしまっている。 そして、想いが世界を構成するので、毎日面白くないことが起きる。 外に世界があると思っている=他人の価値観で生きる=他人の鏡で生きる=自分の記憶の反応にしたがって生きる ので、想いのままの世界を生きることはない。 そして、たいてい 奴隷のように毎日同じ仕事を 努力してしているわけです。 そして、この努力がいつの日か報われると信じて 何年も・・・ ・・・やって 変わるわけがないのだ。 苦労の結果くるのは 苦労であり、努力の結果来るのも努力。 報われることはない。 しかたがないですね、自分で選択しているわけですあから。 二つにわけて いいほうにいこうとして努力しても、アキレスとカメのように抜きさることはできない。 いいと 悪いにわけない。そんなものは、そのそもない。 ある立場で いいことは、ある立場では 悪いこと。 いいことを 追求すれば、悪いことばかりが目に付く。 すべてが ついていると思えれば~思うように努力するのではなく~ ついてくることしか 生じない。 そして、また 世界が鏡であるから~一人さんは まったく 方法のみで理由を話さない~話手もわかってもらえないと考えているのでしょうが 「あなたに 雪 なだれのように 幸せが、訪れますように」と思っている・ それは、毎日であう他者が あなたの心の中の住人でありまた、あなたを写す鏡だからですよ。
2010.06.14
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地方から、東京の大学や会社に勤めているかたも多いだろう。 都内に住んでいると、だんだん なまりもなくなってくる。 ところが、田舎に帰ったとたん なまってくる。 なまり も 写ってしまいます。 もっとも、東京にいってもイントネーションは、なかなかとれないですがね。 まあ、これは 赤ちゃんと話す 赤ちゃん言葉 老人とはなす 大声 親と話すと 子供になり 子と話すと 親になる 上司や部下への 言葉使いも 無意識に変わる。 まあ、なまりもその部類の鏡なのだろう。 以前、家内の親父さんがガンになったとき、食欲がなかった。 そこで、いったのは、病院のベットの前で、美味しそうに食べることを見せる。 そしたら、親父さんも食べたくなって、結構食べたということもありました。 お笑いの誰かが、合コンのしかたとして、 常に 相手の真似をすることといっていたが、 これは、ラポール(この言葉もしっていた)となり、共感をえる。 もちろん、合コンだけではなく、営業でも 相手の言葉を繰り返し同意するというのは、効果がある。 こういうブログだって、コメントに 私も同じように思いますとコメントをかくと ラポールが生じて、好意をもたれるでしょうね。
2010.06.13
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許すことといっても、例えば 人の心を操り 会員集めを強制するような、自己啓発セミナーを 許そうとも思わない。 思い出すたび、いまでも 腹が立つ。会費を払ったうえに 会員集めをさせる。 それを、会員たちは、心を操縦されているので、淡々と勧誘する。 法の華みたいなものが、乱立している。 許すというのは、相手ではなく、常に自分自身。 そういう会にはいった自分自身が悔しいわけで、どうして入ってしまったんだろう。 と、後悔して、やめたわけですが、それに対する想いがあるために、何度もいやなめにあってしまった。 入ってしまった自分自身を許すことで、その 過去は消えないが、過去に対する執着は消える。 入ってしまった 自分自身を許す。 相手を許そうとしても 許せるものではないし、許そうが そうしまいが、相手はのほほんとしている。 津留さんのCDに 被害にあった女性は その後も悔しい想いを引きつるのに加害者のほうは、平気でそれを気にしていないという、理不尽な話がある。 何故、被害者は事件ののちも 苦しみ、加害者は苦しまないのか。 結局、過去に執着するかしないかの違い。 過去に執着すれば、その結果として それが、今の世界に反映され いまが 幸せになることはできない。 過去の亡霊をいま 映し出している。 その感情に対する執着を消す方法が 浄化であり、 浄化とは、自分自身を愛すること 許すことである。 過去に執着しているかぎり いまの現実が 楽しくなることはない。 それを 自分で選択してしまって、それを 今の世界に映し出している。 その執着をしているのは、自分自身の分身である 自我なんですね。 その 記憶に反応する自我がたくさんついているほど、無意識に反応してしまうので いつも いらいらしていることになる。
2010.06.11
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愛とはなんでしょうか。 愛=許し=認める=受け入れる いまの 自分を 許し、受け入れる。 これを 別の表現でいうと 浄化。 いまの現実が、嫌いで 認めたくないときがある。 だけど、その現実は 心の内部。 自分で自分を 否定している。これは、愛がない状態だから、辛い。 否定しないで、認めることなんだが、それができない。 自我と それを 観察する私の違いを認識できないと、難しいかもしれない。 否定しているのは、自我であり、記憶の反映。 その自我というのは、後天的に形成されたもので、その記憶が反応して感情を構成し、世界を創る。 記憶に対する執着をけさないと 同じことがこれからも、続くだろうなあ。 誰でもない、自分自身がこの世界を創っている。 だから、自分の想いを変えないと世界が変わることはない。 心=世界 他の誰にも変える事はできない。 過去の出来事は 変わらないけれども それに対する認識が変わる。 それは、現前の世界でも、きらいなトマトが好きになるように、嫌いな上司が好きになるように 過去に対する想いは変わる。 それは、過去は いまの反映だから、いまが楽しければ 過去も全部ひっくるめて全部 Ok なのだ。 ずべて いましかない、 過去は いまの不幸 を創れない。 なぜなら、時は 今は過去に 未来は今に どんどん未来から流れている。 川の下流の過去が、上流のいまに 影響を与えることはできないのだ。 ただ、その想いを握り締めているから、それがいまに反映される。 過去があなたを 苦しめるのではなく、 あなたの想いが 苦しめる。 あとは、もう 解決しないこと。 解決しようとするから、苦しい。そして、現前の出来事を 受け入れていく。(愛していく) 愛は光ですから、浄化されるでしょう。
2010.06.11
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少し前に、宗教というか自己啓発セミナーというのにはいったことがある。 しばらくして、会員集めを強制してくるようになったので、やめるといったのですが、なかなかやめさせてもらえない。 何時間も話をして ようやく退会できたのですが、嫌な想いをしました。 そのあと、あるスーパーで 秋刀魚の頭を切ってもらいたいといったら「ダメ、そういうことはしない」といわれて、その本部に文句をいったことがる。 また、パソコンの接続ができなかったので、きいたのですが教えてもらえなくて 切れた。 僕自身は、短気でもなく、そういうことで怒ったことはないのに、どうして反射的におこってしまうのだろうかとかんがえたら、 その自己啓発セミナーを 頼んでもなかなかやめさせてもらえなかったことに意識が執着していて、 同じような出来事を 引き起こしてしまったと解釈した。 秋刀魚の頭も パソコンの件も 「あっそう」で終わったはずが、反射的に感情が爆発した。 何が言いたいのかというと、記憶=自我がこの世界を構成しているけれども その自我は記憶により、創られている。 しかし、それは 自我=記憶であって、本質ではない。 この 自我と自己の違いということが 大切なんですが、なかなかわからない。 怒っているのが、自分自身だと思っている。 だけど、怒っているときでも 冷静に見ている自分に気づくときもあるだろう。 この 怒りは 記憶の反応なんです。 そういう 記憶がたくさんあって それが、あなたの自我を構成して、あなたの世界を構成しているから、 嫌な記憶をたくさんかかえているかたにとっては、その 同じ現象がなんども起きるので生きにくい。 だけど、別の側面から見れば、そういう現象が起きるときに、その記憶に対する執着を消せる。 その執着の消し方は、必要があれば書きますが、津留晃一で検索すれば出てくると思います。 また 同じような嫌なできごとと 思ったときは、浄化をしたらいいと思います。
2010.06.11
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いい加減に 生きる 適当に 生きる 飄々といきるというのもあるが、わかりにくいので いい加減に 生きる。 こだわらないというのは、いい加減で 適当ですから、 なんでもいい どちらでもいい あるものを 頂き あるがままに生きる。 これも ある (わ)がままにいきる だと思うのですよ。 たいてい 我々に不足しているのは 吾がまま 自分を 殺して、奉仕しようとしている。 自分が辛い仕事をすることで、だれかが 幸せになり、そのための給料をもらう。 楽してたら お金なんかもらえないとか思ってしまう。 そういう 教育・刷り込みをされてきましたからね。 外の価値観に縛られるように、決まりをまもるようにしつけされてきた。 だから、いいことと 悪いことにわけて いいことを 理由に、なんでも 考えてきた。 遅刻するのは わるいことだからしてはいけないとか 席を譲るのはいいことだからしなければならないとか いい悪いの理由をつけて 判断し考える。 いいことを してはいけないの? そういうことを 言っているのではなく、 何かをするのに いい悪いの判断をしないでも かわまないだろうということ。 いいということ 悪いということは、見方の問題であって どろぼうのいいいことと 警官のいいことは違うわけで 二つにわけなくても かまわないし そもそも したいことに 理由なんてない。 誰かをすきになるのに 理由は必要ない。 笑うのにも 必要ないでしょう。 最初に 好きになって あとから理由を考え 最初に 笑ってあとから おかしかったと思うわけで 理由なんて必要ない。 理由なしに 生きる。 判断せずに 生きる。 いい加減に 生きる。これですよ これ。
2010.06.11
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親子が似ているのは、DNAからして当然ですが、 結構、夫婦も似てくる。性格も、顔立ちも。 夫婦も人間だから似てくるともいえるが、 飼っている 犬猫の顔も、飼い主に似てくる。 これは 不思議。 まさに 鏡としかいいようのない状態。 擬態についての研究はいろいろあるが、 ある研究では、擬態している虫も そうでない虫も同様の割合で鳥に食べられたという。 何故、擬態するのか? それは、近くのものに 同調するから=一つになろうとする。 まあ、男女も夜な夜な一つになろうとしているから、似てくるのかもしれないですが 歯糞も歯に同調して 歯のいろになるし、 土に埋めれば、たいてい土に還る つまり まわりにあるもの 人も 物も あなたの鏡だっていうことですよ。
2010.06.11
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自我も身体もともに、この世界を創造するためにあるのだと思う。 自己は、それに 宿っている。 多分、自我というのは自己の分身であり、この世界を経験するために自己が創設したのだろう。 一つのものから、二元的なものへ。 また、二次元的なものへ。 自我=身体 この世界を認識するものとして、自我と身体は密接に結びついている。 視線の位置によって、世界の見え方は変わるから、身体の成長の完成とともに自我も完成するのでしょう。 身体も自我も ともに成長してくる。 だから、園児の頃は、平面的な絵を描くとともに、 平面的な世界に生きている。 だから、園児は よく 転ぶ。 子供は、よく転ぶ。それは、世界を立体的に認識していないからです。 絵画を立体的に描けるようになると、もう しょっちゅう転ぶことはなくなる。 この世界は、鏡という二次元なんだけど 自我が 立体的に見させてくれる。 ある意味 光と影の二元的世界。
2010.06.10
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現代の布施が寄付だろうが、 何故 寄付やお布施をすると、返って来るのか? それには、世界が鏡であるとしらないとわからない。 たいてい、お金を出せばなんらかの対価を受ける。 それは、鏡だからでなくとも 当然ですが、 お金を出しても 対価を受け取らないと、鏡にならないわけで、 自我が、笑う理由や 好きになった理由を後から見つけるように、 世界の側でも、それに見合った理由を生じることになる。 それを、寄付が結果で 原因が生じるのか、 鏡として 生じるのかは、わかりませんが、 不均衡に なると、均衡せざるを得ない。 与えたものは 与えられるのは、 上に投げたものが、下に落ちてくるようなもの。 まずは ためしにやってみて、観察してみる。 なかなか コンビニの寄付箱に、1000円札入れる人はいませんよ。
2010.06.10
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幸せにしても成功にしても、心の状態でしょ。 それを、幸せになる方法とか、成功する方法とか言う本がでているけれども、それは書いている人が、幸せになる方法に過ぎない。 一人一人幸せ感というのは、違って当然だし、 これが あんたの幸せっていわれたって、ああ 私の幸せだった というわけもない。 自分の感じ方。 その幸せの感じ方というのを、外の世界に求めても 無理。 ~たら、幸せなのに ということは、幸せになるのに条件が必要になってしまう。 外の状態とは、無関係に幸せになる。 これには、比較・判断という思考方法がある限り、難しい。 比較をしなくなると いま でもよくなるのですが、自我の本質が比較ですから 絶望とかしないと、自我は頑張ってしまう。 まあ、幸せ探して 努力して、報われなくて どんどん同じことの繰り返しの日々を送ってもっと 辛くなり、もうだめだと思うようになってたいていのかたは、開き治ることで、気づく。 もう これ以下はないと思えたとき、なんでも受け入れる。 まさに 必死の状態。 だけど、まあ そこまでいかなくとも、比較判断しないでいまにいると、想い=世界ということに 気づいてくる。 気づきとは、ないものを気づくことではなく 目の前にあるのに 気づいていなかったことに気づくこと。 それが、幸せなんだよきっと。 すでに あるのに気づかないもの。 それを 自分の家の庭を掘るとか、幸せの青い鳥とかいう言葉で書いてあるけれどそういうこと。
2010.06.10
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世の中には、お金持ちになりたい人がいっぱいて、 お金持ちになる方法という本もたくさんでていますが、 お金持ちになるのは、あなたではなく 本を書いて講演会をしている作家だけ。 お金持ちになりたいのに、交通費払ってお金払って講演会聞くなんておかしな話で、 作家のほうが お金持ちなんだから、貧乏人からかね取るなと思う。 まあ、インチきな本が出回っていますが、 この世界には、与えたものが与えられるという法則がある。 それは、この世界が鏡だからしかたがない。りんごが 落ちるように、与えたものは与えられる。 で、最初にもどって お金持ちになるには どうしたらよいか。 寄付なんですよ、コンビニでいいんで、1000円寄付してください。 硬貨じゃだめなんんです。 効果がない。 おさつ、は お礼 につながる。 まあ、適当なこと書いていますが、 効果はあるんですよ、法則ですから。 前もこういうこと書いたら、「寄付しているのに 全然、返って来ない。やっぱり、思ったとおり寄付なんて効果がないわ」という女性がいた。 つーか、 あんたが、効果がないと思っていることが、実現しているだろが~ 寄付をしている時点で、すでにお金持ちなんですよ。 貧乏人は寄付をしない。 その想いが、反映する。 必ず、戻る。 寄付が何に使われるかというより、出すことに意味がある。 何に使われるなんてわかわないわけで、お布施ですよ。 仏陀は、お金のないところから お布施をもらえといった。 お金持ちは、お布施の効果をすでに知っているから。 貧乏人は、それを知らないというわけです。 お金がないから 寄付をしないとあなたは思うだろうが、逆で 寄付をしないから あなたは これまでも これからも 貧乏なのである。 出さないで 返ることはない。
2010.06.10
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悩みが、あるとしよう。 お金がない、仕事もない、病気で太っていて、おじさんで家族もいいない。 どんな悩みでもいいのですが、 悩みが あるなら、解決して差し上げましょう。 ・・・・ では、その悩みを出してください。あるなら、ここに出せるはずです。 悩みとは、存在していないものに意識を向けている現象に過ぎない。 だけど、明日100万円払わなければ 家が取られる。 しかし、そのことに意識を向けない限り、悩みはない。 いま 明日のことに意識を向けることにより、そのことに悩む。過去と同じ。過去も そのことに意識を向けるときにだけ いま 存在する。 過去も 現前に出すことはできない。 過去も 悩みも あなたが意識を向けるときに いま 生じる現象。 そして、その意識を向けることが 実現してしまうというこの世界なのです。 なんたって 世界は意識の鏡ですから。 悩んでいることは 悩むことで、実現する。 ですから、意識を悩んでいることには向けない。 結局、これも比較なんですがね。 100万円はらえないのなら、悩んでも仕方がない。から、悩まない。 悩みとは、悩むことでは解決しないから悩む。 意識の向け方の 問題。
2010.06.09
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欲望を満たそうとするけれども、 その欲望が、本当に自分の欲望かどうか?わからないものです。 テレビを見ていて ビールを飲んでいる姿を見て ああ そういえば ビールが飲みたかったと思う。 つまり、見ることによって、他者の欲望を 鏡に映して 他者の欲望を満たそうとしていることもある。 隣の芝生ってやつだね。 そういう 比較から欲望がでているものだから、満たされることはない。 しかも、満たそうと努力するから、苦しいいまを 作ってしまう。 見ているものに 同調してしまう。 だから、この性質を利用して なりたいものとか があったら、それを 真似るとか写真をはるとかいうのは効果的でもある。 まあ、自分のわくわくするものを わけなくしたいものを 実現してください。
2010.06.09
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まあ、超能力ではなく、能力なんだけど、 なかなか信じてもらえない。 雲っていうのは、できたり消えたりするものだよ・・・・ そういうことではなく、 トリックで上田教授ができなかったのは、不思議だけれど これは、誰でもできる。 単純に 雲を見て 雲が消えましたと 心で唱えているだけで 一分もしないで その雲が、灰色になって消えていく。 作ることはできないんだけれど、消すことは誰にでもできる。 もし、実験するときは 一人でやってください。 雲が消えると思う人と 思わない人がいると、雲はきえない。 スプーンは曲がらないけれども、雲は消える。
2010.06.09
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髪を洗う。 たいてい、指先でごしごしして髪を洗うわけですが、きれいになるのは髪だけだろか? 髪を洗うと、指先についていた垢も取れる。 髪を洗っているようで、実は洗われてもいる。 寄付も させていただく、あとで 返って来て いただくわけでね、 感謝もさせていただく、あとで、その原因となるものを いただく。 情けは 人のためならじ。 この意味を、人に情けをかけては その人のためにならないからほおって置くというような意味に取るかたもいる。 この意味は、情けはやがて自分に返るから、人様に情けをかけるというものだ。 自分にして欲しいことを 他人にしなさいとは、キリストの言葉ですし、 逆ではない。 自分の欲しいものは 求めるのではなく 出す。 そうないたい人に すでになったようにふるまう。 努力はしない。頑張ることもしない。 好きなことをすると 決める。したいことしかしない。 他人の心は、読めないのに、人様の目線を気にしているが、その目線というのは、実は、あなたの目線なんだってこと。 世間なんてない、あなたが勝手に思っているだけ。 上司があなたを嫌いなのではなく、あなたが上司を嫌いなだけ。 みんな あなたの想いが反映しているのに、そのまま映っているから、逆だと思ってしまう。 もう他人の鏡に映るのはやめ~鏡を割って~ 自分の心を世界に反映させよう。
2010.06.09
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自我は、目標を立て 方法を考える。 自己は、まず結果を感じる。 まず、笑って、後から理由を考えるように、最初に結果がある。 そして、その原因が生じる。 笑う門に 福が来る。 笑うことを目標にして、そのための方法を考えても、笑えない。 いまの感情が、世界に反映されるので、いまの感情・想念にあった世界を感じることになる。 しかし、なにか 面白い出来事の結果 笑うと思っている。 だが、その出来事が生じるのと 笑いは同時なのだ。=鏡の状態 空間の鏡 時の鏡 原因と結果が同じなのは、空間の鏡 結果が原因をもたらすのが 時の鏡 多くの方は、過去は変えられないが 未来は変えられるからいまを努力使用と考えている。 しかし、逆で、過去は変えられるが、未来はいま決まる。 過去も未来もいまの 投影なのである。 例えば、ドラマを考えてみよう。ヒロインは苦難のすえ ハッピィエンドになる。 苦難の時は、辛いが、最終回から過去を見れば、すべてがいまの幸せのためにあったことになる。 最終回からみるということ、それが ハッピィエンドであれば、必ず過去は幸せになる。 それが、いまの 感情が反映しているということです。 過去は 今決まる。 同様に、いま~過去を 未来~いま に置き換えてみる。 未来においてハッピイエンドであれば、いまは 幸せなのだ。逆に いま幸せでなければ未来において 幸せになれない。 過去も未来もいまを 写しているので、いまの感情を観察する。
2010.06.09
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http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=dngny606&prgid=35342130&categid=32655968&page=1 この最終回の19分以降、シンジが覚醒する。 いままで、他人の視線・価値観を気にして生きてきたシンジが、 いまのままで このままの自分を好きになれていった。 そのとき、ガラスにヒビが入り、われていくが、 まさしくそれば、他者の鏡。必見のテレビ。
2010.06.08
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この世界で、唯一の原則は、 与えたものが 与えられるということです。 ですから、あなたが ほしいモノを、与えればいいのです。 笑顔が見たいときは、笑えばいい 愛してもらいたいときは 愛すればいい お金が欲しければ 寄付をすればよく 年賀状がほしければ 年賀状を書けばいい 求めるのではなく 出す 食事を美味しく食べるのには まず 出すこと 出さないと 入らない トイレ掃除でも何でもそういうことをしている方の多くは、 自分のお金は握り締めて、トイレ掃除すればお金が入ると思っている。 握るのではなく 開いてみる。 たらいの水と同じで 押し出せば戻ってくるけれど 引き寄せれば 向こうに去っていくだけ。 ほしいものこそ 出してみる。
2010.06.08
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問題が 苦しめてるわけ ではなく 問題を 解こう とするから苦しい。変われない ことが 苦しいのではなく かわろう とするから苦しい。 いまが どのような状態でも かわろうとしないで 今に いる。 かわろうとしないとき あるがままに 受け入れるとき、 世界は 変わる。
2010.06.08
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多分、したいからすることには、理由はないと思います。 理由があるのは、したいからではなく、理由があるからしている。 笑うのに、先に理由はなく、後からああこういうわけで面白かったと自我が理由をつけるけれども、先に笑う理由はないでしょう。 それは、感動でも 誰かを好きになるのでも、最初に理由なくそう思う。 ぼくは、それと似たように、したいことをするのに理由はないと思います。 例えば、お金のために働くのであれば、お金がもらえなければ しないでしょうし、~のため ということで、しなければならにことをしている。 同じことというより、どちらが先にあるかということだと思います。 好きなことをしていて、それで お金がもらえるようになると、 お金のためにしなければならなくなる したいことをするというのは、トイレに行きたいときにトイレに行くような感じに近いでしょうか。 トイレにいくのに おしっこがしたからといちいち頭で納得していくことはないでしょう。 行こうと思うだけで、ただいける。 願望達成の場合は、願望が成し遂げられない理由がある。 だから、願望なわけです。だから、それは 手放す。 手放すためには、すでに叶っている必要があって、そのためにその願望の枠を広げるというか、ハードルを下げる。 そうすると、すでに叶ってしまうので、 それは、眠りたいと思うことではなく、眠れなくてもいいというように、 願望への執着を手放すことになる。 いずれにしても、すでにそれは手にしているわけですから、そのふりをしているだけでいい。 やさしくなりたければ やさしいふりをすればいい。 お金持ちの ふりをすればいい。 ふりですから、歌手になったふりを、子供の頃の変身のようにするだけ。 こういう風に 遊んでみる。 大切なのは、望むことにより、そうでないいまを創ってしまわない事。 すると どうなるか、それは パルプンテでしょう。
2010.06.07
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目標というと 焦点を当てるために、より細かく設定する感じなんですが、そうではなく もっとぼんやりとさせる。 歌手という願いを、ヒットソングを連発している歌手というように設定するのではなく、いま の自分のレベルであっても歌手といえるというように考えてもいいわけで、そうすると 願いはすでに叶っていることになります。 ゴルフのパットをいれるのに、小さい穴を目指すのではなくその 穴に一メートルの穴を想像して、パットを入れるとうまくいくように より広くとらえる。 そうすると すでにそうなっているのですから、願望自体が消えてしまいます。~こういう風に考えること自体ばかばかしくなってしまうということもありますが~そうすると、そうなっていないいまを 想像しなくなります。ある意味中和されて、執着を手放すことができる。 眠ろうと努力しても眠れないのに、朝まで起きていようと決心したとたんにねてしまうようなもので、 楽になれると思っています。 いまを否定しないで 受け入れること。 そうすると、あなたは うけれれる準備が整った。 世界は、なんでもあなたに与えようとしているのに いままで、あなたは受け入れる準備をせずに、いつも否定してきたわけです。 いまを 受け入れられるとき、世界は何をあなたにあたええるのか、 それは、いままで想いもしなかったもので、受け取って初めてこういうことが欲しかったということでしょう。 眠ろうとしないで、朝まで起きていると決心することは、 変わろうとしないで、いまのままでいいやと決心することです。 いまのままの あなたでいることを、どうぞ許してやってください。
2010.06.07
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我慢とは 我を満足させることである。なら、我慢しましょう。 僕たちは、小さい頃から、自分は我慢して誰かのためにつくしましょう。 誰かの迷惑になることが、一番いけないことだから、規則を守りましょうと、 いわば、鎖をつけて教育される。 時間を守りましょう。廊下は走らないように・・ 誰のために?それは、先生のために、先生が管理できるように規則を作る。 そして、大人になって、工場で働くときにそれは生かされる。 時間厳守・口を利かない・まじめに作業・ まあ、自分を殺して、我慢して 奉仕することを刷り込みされる。 自分はいま我慢して努力することが大切なんだ。そうおそわってきたし、この努力をしていけば、いつかは幸せになれると思う。 そう思って、数十年、いつしか 中年にさしかかり、 人生ってこんなものなんだと 諦観する。努力が報われないことを知る。 本来、多くの成功者を観察すればわかることですが、彼らは努力をしない。 好きなことをしているから、なんでもうまくいっている。 したくないことをするように 教育されて、我慢することが大切なんだと想い、そうすることが いいことなんだ、いいことをすることに何をためらう必要があると思う。 まあ、だれにとっていいことなんだかということと、 そもそも、何かを判断するのにいいことって あるの? イラクのいいことと アメリカのいいことは 違うでしょ。 誰かにとっていいことは、誰かにとっていいことでないかもしれない。 電車で席をゆずることは いいことではないかというかもしれないが、 別に、いいことだからと理由なしに、譲りたいという気持ちが生じれば譲ればいいだけで、いいことという 何か誰かによく思われたいためにすることでもない。 すべての判断の基本に いいことだからこれをする というものがあると、かならず 悪いことが目に付き、争いが生じてしまう。 正義なんて 復讐でしょう。怪獣が都市を壊さなければ、ウルトラマンが怪獣をやっつけられるわけがない。 多くの方は、自分を殺して生きることがいいことだと思って、我慢し努力している。 そして、いつかこの努力の結果を手にできると思う・・が、 その結果は、いままででないのに この先 生ずることもない。 辛い想いは つらい世界を 創造し 努力の結果は 努力しかない。 幸せになりたいのであれば いま この瞬間になるほかない。 お金持ちになりたいのであれば 今この 瞬間になるほかない。 そう思えばいい。 思えないのは、比較があるからです。 変わらなくたって いまのままで 全然Ok.そこに 気がつくこと。 そして、この変わらないでいまをいきるということが、唯一の変わる方法といつか 気づく。
2010.06.06
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目標というと 焦点を当てるために、より細かく設定する感じなんですが、そうではなく もっとぼんやりとさせる。 歌手という願いを、ヒットソングを連発している歌手というように設定するのではなく、いま の自分のレベルであっても歌手といえるというように考えてもいいわけで、そうすると 願いはすでに叶っていることになります。 ゴルフのパットをいれるのに、小さい穴を目指すのではなくその 穴に一メートルの穴を想像して、パットを入れるとうまくいくように より広くとらえる。 そうすると すでにそうなっているのですから、願望自体が消えてしまいます。~こういう風に考えること自体ばかばかしくなってしまうということもありますが~そうすると、そうなっていないいまを 想像しなくなります。ある意味中和されて、執着を手放すことができる。 眠ろうと努力しても眠れないのに、朝まで起きていようと決心したとたんにねてしまうようなもので、 楽になれると思っています。 まあ、僕なりに効果があると思うのは、 無意識につぶやく、家に帰って 疲れた~という代わりに ああ 100万円と つぶやいてみる。 マンションを見に行って、収入欄に2000万円とか書いてみる。 遊びでいいので、それになったつもりで行動してみるというのは かなり効果がありますね。
2010.06.06
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あなたは 求めるものを手に入れないし、 欲するものを得ることもできない。 求めることは、自分にはないと言い切ることであり 欲するといえば、まさにそのこと 欲することを現実に体験することになる つまり、何かを求めたり 願ったりしたら 望んだことが叶う可能性は非常に小さい。 なぜなら、 欲求を陰で支えている思考というのは、望みは叶っていないだから そちらのほうが現実になるのだ 何度か書いているが、雲消しということがある。 空に浮かんでいる雲を、意識の力で消すことができる。 これは、トリックの番組で上田教授がやってできなかったけれども 誰にでもできるものです。 これを 一人でするとできるのですが、雲消しを信じていない人を連れて行っても消えることはない。 二人の思考が相反するときは、現実化しない。 これと同じように 願いが叶ってほしいという想いと 願いが叶っていない今を想像している想いが ある。 互いに打ち消しあっている。 だから、すでに叶ったものとして 神に感謝することが、願望実現の 一番の近道でもある。 かなっていないのに、先に感謝するのである。 しかたがないですね パラドックスの世界なんですから。
2010.06.05
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まじめな実験で逆さめがねというのがある。 上下が逆に見えるめがねをつけるという簡単なものですが、当然 地面がうえで 空が下に見えるのだろう。僕はつけたことがないので・・。 最初は、上下が逆に見える。 ところが、しばらくするうちに 以前と変わらない風景になってしまう。 さらに 上下が逆転してしまうのだ。 逆さめがねをかけているのにかかわらず、逆さに見えない。 つまり、この世界は あるがままにみているというより、 こうであろうと 信じているものを見ている。 世界は 想いの反映なんです。
2010.06.05
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子供の頃~というより 幼児のころか、 知らない子供でも、すぐに友達になれた。 ところが、太郎君と自分を呼んでいた幼児が、僕といいはじめるようになると すぐに 友達となることができなくなる。 そこに、自他を分ける、自我の誕生がある。 一体だから、動物が群れをなすように 友達になれたけれど 自我が 分離(りんごを食べた)して、言葉を覚え 世界に奥行きがでるようになると自と他の区別がはっきりしてくる。 そして 大人になると友人を作るには、自我を麻痺させる必要がある。 どうするか? お酒を飲んで、自我を麻痺させる。 そうすると、知らない人でも気軽に 話せるようになるのだ。
2010.06.04
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本当は、みんな心が見ている世界だと知っている。 狭い部屋から、表にでれば 心が広くなったと感じるし 青空のもとでは 心晴れ晴れ だし しとしと 雨降り どんより 曇りではなんとなく うっとうしい心をみる。 まさに 内面 なんです。 風船の内側みたいな感覚。 我々が見ているのは、内側=心 外側なんかではなく、鏡をみている。 風船の内部が総鏡張りになっているかんかく だろうか。 そとは うち で、うち は そと。 外に世界があって、その物理的空間を移動している感覚ではなく、 見ているものが 世界。 例えば えじぷとの壁画 幼児の絵 写楽 二次元の絵なんです。 それは 世界が内面という平面だからなんです。 ところが、自我が過大かして、空間と時間が生まれた。 それが、世界ではルネサンス、日本では文明開化。 デカルト 遠近法 大航海時代 それまでは、せかいは 平面だった。 小説だって、空間を移動して主人公が活躍するのは、近代。 自我が空間と時間という幻想を創りだしている。 それは、人間で言えば 小学校低学年。 それまでの記憶ってないでしょう。自我=記憶=時間・空間 この世界は 想いの仮想空間なんです。 だから、あなたのみたいように世界はあなたに現れてきている。 いま この瞬間に 想いは反映している。 想い 想いがすべてなんですから。
2010.06.03
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世界が意識の鏡だと知ったとしよう。 そうすると、では どのように考え方をしたらいいのだろうか どのように、考えればいいのだろうかと自我は考える、 楽になる考え方に 変えればいい・・・? そうともいえるし、そうではないともいえる。 意識の鏡としったからには、 変らなくていいと 思えるようになっているだらだ。 見ているものすべてが、内的現象であれば、淡々と受け入れていくだけである。 顕れる 人やものは、心的劇場の登場人物。 つまり、すべてがあなたのものであり あなたの分身。 だから、鏡であるともいえる。 あなたが 毎日出会う他者は、あなた自身。 だから 相手の嫌いな部分というのは、自分の嫌いな部分なわけです。 他者はいない。 いろいろな あなたに出会っている。 みんな あなたなのですから、あなたの鏡なのですから、そうおもうといとおしい感じがします。 課長があなたを嫌っているわけではなく、あなたが課長を嫌っているからその顔が課長に映し出されているだけ。 みんな あなたの想いで構成されている。 ですから 変らなくていい、まず 自分の心を認めてあげてください。 子供だって ただ 愛することができるわけで、こうすれば愛するということはないでしょう。そのまま受け入れられるはずです。 ましてや 自分の心を受け入れられないはずがない。 認めてあげること(変えようとしないで) エヴアンゲリオンの最終回を 見ることをおすすめします。 碇シンジは、変らなくたっていいんだ、いまのままでいいんだ と気づいて終わります。 それが、気づきなのです。世界の中の私から、私の世界へと 気づくことができれば もう他者の価値観を満たそうとすることはしなくなり、 思い切り 自分の生きたいように生きていいと思えるようになる。
2010.06.03
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ぼくは、今が楽しいときは、過去も未来も同時に楽しいと思うが、 いまは、だめだけど 過去は楽しかったというかたもおられる。 昔は よかったけど、いまは だめだという考え方。 過去も未来も いまの鏡なのに、どうしてそのように見えてしまうのか? それは、いまの世界も、自分の鏡であるとは思えないで、 他者の価値観・鏡でみているからなのだろう。 つまり、過去を自分の価値観・鏡としないで、他者の鏡を見ている・写している。 だいたい いまが 辛いという考え方を持っていて、過去がよかったというのは 僕は苦しいが 世界の人は楽しくやっていると、現前の世界をみつめるようなもの。 汚れた鏡というか、他人の鏡を見ている。 他人の評価で、自分を判断している。 したいことをしないで、しなければならないことをしている。 そういうときは、 きっと、自分にたいする否定があるので、光(許し・愛)をあてる。 いまのままでいいんだ、いまのままでいい、変わる必要はない。 良寛の言葉で 病気のときは 病気になって、困難のときは困難の中にいる、 これが、災難を逃れる方法というようなものがあるが、 これは、もう 否定しないでいまにいるということをいっている。 だから、そもそもの 「いまはだめだけど」という発想がないのだ。 だめだといっているのは、誰でしょうか? 自分自身で勝手に決めているだけで、それが 世界に反映され ダメな自分を生きているに過ぎない。 寝たきりの障害を持つ人はだめですが、なにもできないことがだめなんですか。 みんなの世話になることがだめですか。 自分で 決めている世界を生きている、その世界が生きにくいのなら、それを自分で変えればいい。いますぐに。
2010.06.03
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僕たちは、心があることを知っている。 しかし、その場所と聞かれても、よくわからないものです。 胸でしょうか 脳のなか?心の場所は どこなのでしょう。 あるのは わかっても、その場所がわからないというのは、おかしなことです。 心の場所は、あなたが見ている世界そのものです。 心が見えないのではなく、心しか見えない。 僕たちが見ている世界というのは、まさに、心象風景。 だって、世界のものと 脳に映る世界は同じだから、取り替えても同じ。 僕たちが見ているのは、心のなか。 意識の鏡として 自分自身を見ている。 だから、笑いも 写りますし、右手を出せば 右手をだし右手を上げればあいても あげてくるt。 世界が二つあるわけではない。(現前の世界と脳の世界) 世界は一つ、あなたの意識のより構成された世界。 意識そのものだから、あなたが楽しいとき世界は楽しく感じるし、苦しいとき世界も苦しいもんだと思う。 あなたの思いと世界は同じ。 だから、変えようとしても 変えられない。 変えたいという思いが、変えられないいまを作り出す。 変えなくていい、いまのままでいい、と思えるときに初めて世界は変わる。 パラドックスなんです。 本当は、そのままだから パラドックスではないけれども、変わりたい思いは、いま 変われないいまとして実現する。
2010.06.02
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想念が世界に反映されるとして、一体いつ 想いが世界に現れるのか? 明日?一年後?10年後? そんなことはない。 想いはいつも、いま この瞬間に実現する。 想いの実現とは、何も無い空間から100万円をだすことではなく、 現前の世界に対し想いを 持つこと。 お金があると思えれば あるし 幸せと想えば 幸せだし そういう想いは、いま この瞬間に実現している。 トイレ掃除をすることなく、お金持ちになれる。 外の世界に求めるものは、すでにあるわけで、ないものは望めない。 ですから、その望みをいまにあわせればいい。 自我=時間・空間ですから、いまに自我は存在できない。 いまとは、比較ができなものだからです。 自我がなくなるときというのは、なにかに夢中になっているとき 音楽や絵にききほれるとき、ドラクエやっているときだってそう、 時間も空間もなくなって、そのものと一体となっているときに自我はなくなり 悩むこともできない。 そういうときは、想いさえない。無我夢中。 そして 我に返る。と 時間と空間を感じる。
2010.06.02
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ジェームズアレンにしても オホノボノにしても、斉藤一人さんにしてもそういった本は、売れている。 どうして売れるかというと、そういう本をいくら読んでも成功できないからである。 どれかが、本当のことを書いているのであれば、みんなが成功してしまい、買う必要は無いからだ。 たいてい、そういう類の本を読む人は いまの生活を何とかしようと思っているのですが、その本を読んでも一時の、幸せ~ああ こうすればよかったんだ~を感じるだけ。 そして、また 次の方法を探す。 しかし、こうすれば成功するという本をいくら読んでも成功しないのはあなたが一番わかっているはず。 まあ、著者も100人が100人成功することを書かないで、何故か トイレ掃除をすると お金が入るとか何故か ついているというと ついてくるんですよと、 ごまかしている。 読者は、それを信じて実行しているだけ。宗教に近い。 問題は、あなたの心のありかたにある。 成功したいという想いによって、成功できないのに、 そういった本を手にしようとすること自体が、成功していないいまを創造してしまう。 想いが 世界に反映されているだけでしょう。 あなたが 幸せと感じるとき あなたが 幸せなのであって 他の誰かが幸せを感じても あなたが感じていなければ、世界を幸せとは思えない。 外に 幸せを求めることに無理がある。 幸せは 常に内にあり、成功もお金も すでに内にある。 あなたが、足りないと思うとき、不足する。 そこの想いが、反映しているだけです。 足りないと思わなければ 満足できる。 だから、世界をかえるには 自分の心を変えるだけでいい。 いまの状態を 満足することが、不足の世界を満足の世界に変えられる。 外の世界を変えようとしても、変わらない。
2010.06.02
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都留さんは、「問題は解こうとするから苦しい」といったが、 努力するから苦しいともいえる。 まあ、したくないことを我慢してすることが努力だと思いますが したいことをするのは、楽。 だから、楽しいことをするのは努力ではなく、遊び。 きっと、足りないのは努力ではなく 遊び。 したいこといましたいことをする、自分に許す、自分を許す。 服を買いたいけれど、お金が無くなる~思い切って買ってsまう。 自分を許す。 しなければならないことはなく、したいことをする。 毎日毎日 しなければならにことを努力しても、変わることは無い。 いままで 変わらないのに、こんなに努力してもかわらないのに変わるわけもない。 だけれど、このまま努力をすれば、変れないのは、努力が足りないからだとおもってしまう。 そんなわけはない。 世界が意識の鏡であれば、あなたの現実はあなたが創っている。 どんなものに 価値を与えるかは、あなたが決めている。 すべてのものに価値を与えているのだから、神様みたいなものですよ。 いましたいことを いま する。 そして、その思いが世界に反映させる。
2010.06.02
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お笑い芸人は、僕たちを笑わす方法がわかっている。 僕たちを、笑わすには テレビの中で笑えばいい。だから、彼らはバラエティ番組でいつも笑っている。 僕たちが、ドラマで泣くときはどういうときだろうか? たいてい、ヒロインが泣いている。 無意識に 相手の鏡となっている。 おじいさんと話すときは、大きな声になり 赤ちゃんと話すときは、お元気でちゅか と急に赤ちゃんになる。 道で前から歩いてくる人を見ながらよけようとすると、相手も同じ方向によけようとする。 笑えば笑うし 泣けば泣く 怒りも写る鏡の世界、あくびだって写ります。 僕たちは、無限の宇宙のなかのちっぽけな存在として考えているけれども、そうではなく、僕たちの意識のなかに宇宙はある。 いわば、風船のなかをみているのに、風船の中が外と感じている。 その内側に意識を 映し出しているのがこの世界。 ですから、幸せになるのも お金持ちになるのも 実は簡単。 誰でも、いまこの瞬間に、幸せでお金持ちになれる。 なんの努力も、お金もかかりません。 ただ、そのように 想えばいい。それだけのこと。 そとの状況に、影響されて感情を持っているから、比較して満足できていない。 いま 幸せを感じられない人は、この先もずっと幸せを感じることは出来ない。 100万円あれば幸せと思っても、100万円出来たとき、欲望が止まるわけがない、こんどは 500万円欲しいと思うから、いつまでたっても満たされることがない。 いまここで、満たされている、幸せな感情を持つことが出来れば、世界に放射される。 想い=世界=鏡 変わろうとしないこと、いまのままでいい、いまが 最高なんです。 それが、どんな状態であったとしても。 お金持ちになりたい思いが、いまを貧乏にしているだけ。 想いが、すべて。 幸せになりたい 気持ちが いまを不幸にしている。 望みが叶うことはない、なぜなら 望みは既にいま手にしているから。
2010.06.01
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無いものを、数えると 両手でも足りないと幸子はいったが、 ないものは、ないのだから 本当は数えることはできない。 ないというのは、ゼロ。 だけど、たいてい数えているのは あるもの お金がないといっても まったくないわけではない。 つまり、 望むものは、たいてい すでにある。 あるから もっと 欲しくなる。 ないものは、気がつかないからほしがることはない。 パチンコの好きなひとは パチンコ店に気づくが、しない人にとっては風景に過ぎないわけで、 意識を向けないものに気づくことは無い。 逆に意識を向けるものが 現実。
2010.06.01
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結局、変ろうとしても変れない。 成功哲学読んで ツイテルを唱え、トイレ掃除をし、イメージしようが変れるはずが無い。 効果がないというわけではなく、そもそもの、想いが 変わりたいという思いなんだから、それがまず 反映される。 変りたい~変われない今を映し出す 努力すれば、お金持ちになれる、成功できると思っている人は多いだろうが、もし、それが 事実であれば、 長年努力をしていた、あなたは、成功を手にしているに違いない。 何年も、同じようなことをしていて、苦しい思いをして、もう少し努力摺れば何とかなると思っていても、 変ることは無い。 たいてい、うまく行っている人というのは、運がいいわけで、努力の結果じゃない。 努力しましたといっても、それは サッカー選手が練習するように好きなことをしているからであって、 したくない仕事を、毎日同じようにしている努力とは違う。 たいてい、変りたいと思っている人ほど、同じ作業・仕事を毎日している。 そりゃ、塀の中にいるように やっているわけで、「俺は、こんなに努力しているのに、報われない」と嘆く。 努力ではなく、したいことをしたほうがいい。 たまには サボってみる、仕事を休んでみる、必要なのは 努力ではなく 我がまま。 人のめを気にして、努力していると思わせたがっているだけ。 そんなんでは、したいことをして楽しんでいないから、被害者意識しか生まれない。 ないものに 意識を向けているから、変りたいのであって、 あるものに 意識を向ければ 変わらなくていい。 そして、一番大切なことは、変わらなくていい、いまが最高と思えるとき 世界は反転する、世界が変る。 これも、変わらなくていいと想えばいいというのではなく、いまの状態が最高で変らない、変りたくないと思えるかどうかなんです。 そう思えれば、変らない今を楽しめる。 努力・日常のルーティンワークを毎日しているのは、ハツカネズミが空き缶のなかを走り回っているようなもの。 いくら、努力しても、その中から抜け出すことは無い。 その空き缶は、あなたが創りだした、仮面であり、世間の目であり、他人の鏡。 そんな、他人の価値観を満たそうとしても、つまらないでしょ。 したいことを我慢して、努力してうまくいかないのに、 さらに 努力して、なんとかしようとしている。 その努力の原因は、あなたの自我が、あなたに認めてもらおうとしているのに過ぎないだけなのです。 小さい子供が、親に向かって「みてみて ぼく こんなことできるようになったんだよ」と 褒められたくて、がんばっている。 自我はこの世界を写している鏡ですが、自分の鏡ではなく他者の満足を満たそうとしている。 だから、その自我に対し よくがんばったと、認めてあげるとき(愛する)自我は努力をしないでも あなたに、愛されると思って浄化していく。 変わりたいと思うのは 自我ですから、その自我を観察して認めてあげれば、ずっと楽になります。
2010.06.01
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自我がこの世界で、思考し活動していると、 自我は、変りたくなります、もっと、よくなるぞ と思う。 ついつい、いまを 否定してしまう。 そして、変る為の方法を考え 努力を始める。 しかし、この世界は意識の鏡なので、 努力をしても、満たされることは無い。 そういうときに、気がつく。「ああ、いまを否定していた」 否定からは、何も生まれないわけで・・だって 否定しているわけですから。 気づいてみれば、住む家もあるし 健康な体も ある。家族も元気だ。 意識が あるものではなく、ないものに向かっていたと気がつく。 理由は無い。 最初に まず 好きになって あとから理由を自我がこしらえる。 最初に 怒って 後から怒った理由を考える。 最初に 笑って ああ おかしかったと いうわけです。 好きになるのに 理由はなく、怒るのにも 理由はない。 理由は 自我が作り出す。 だとすれば、いま 笑ってしまえば その笑いの原因を自我が作り出すとはいえないだろうか? この世界は、自我がつくった幻なわけでだから、自我は理由をつくらないと居心地が悪い。 そうでしょう。 誰かを好きになって、理由を考えるのに、努力することもない。 やさしそうだから、かわいいから等々、理由を後付する。 だから、いまの満足が 満足の原因を世界に反映させることになる。
2010.06.01
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