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何かをえようとするとき 変わろうとするとき どのようして それをしようと方法を考える。 まあ 思考しても うまくいくことは少ないが、 そうではなく、逆に考える。 どうしてではなく なぜ なぜ それをほしいと考えるのか どうして 変わりたいと思うのか 逆に 問いを立てる。 すると なにもないことがわかる。 理由なしに ほしい。 理由なしに 変わりたい。 なにかをするのに 理由をつけるのに ほんとうはその理由さえない。 お金がほしい~家がほしい 旅行に行きたい~なぜ~借家だし 遊びたいし~なぜ~ そんな あたりまえじゃないというように 理由を考えることができないのだ。 ほんとうは 望むものは、すでにある。 あるものしか望めない。 しかし、それに気づくことなく、さらに空気を入れようとしているだけ。 息を吸いたければ だせばいい。 取りたければ 手放せばいい。 意識を逆に向けてみる。
2010.07.30
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息でも 出せば自然に入るが、最初に入れようとしてもたいして息は入らない。 あるからだ。 お金も 出せば入るけれども、最初にため込もうとしてもたまらない。 あるからだ。 僕たちは、ないものではなく あるもののみを欲望できる。 しかし、手に入れようとしても、なかなか手に入れられない。 あべこべの パラドックスのこの世界というのは 鏡だから逆になるともいえる。 先生は 教えることにより学ぶ。 商売も最初に どのようにお客様に儲けてもらうかを考える。 面白いのは 頭でわかっても 実行しない人がほとんどということ。 寄付なんか ねえ 何に使われるかわからないし お金がある人がすればいいのよ、 こっちが寄付をしてもらいたいのに なぜに寄付なんてしなければならないの たいていそう思っている。 そして、例外なく その方たちは 貧乏である。 そして、どのようにすれば お金が入るかを考える。 が、たまることはないし 入ることもない、ただ 黙々と考えている。 いまのままでいれば なんとかなるだろうと思って 数十年 なんとかなるなら とうになっていると思うのだが・・。 気づくことがない。 出したもののみが かえる。 息も出す息より もっと吸える。 返ってくるものが大きいということを知っているから、お金持ちは寄付をしている。 する人は より与えられ、しない人は もっているものまで 取り上げられるだろう。
2010.07.30
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悪くない~子供はよくこの言葉を使う。 僕は、悪くない、まちがっていない。 自我が芽生えてくると、良いことと悪いことを判断するようになる。 そして、いいことをすることを 選択の規範とする。 世の中には、いいことと 悪いことがあって、いつもいいことはできないけれど 電車で、お年寄りがいたら いいことだから 席を譲る~お~テレビでこういう宣伝をしていましたね 良い子供から 良い大人へ 良いことを しましょうねと。 しかし、このことが あなたを苦しめる原因であるとは、まったく思っていないはずだ。 いいことと 悪いことなんて ないのだ。 いいことと 悪いことというのも お金持ち貧乏と同じようにそうたいてきなものである人にとっていいことと ある人にとって悪いことは 同じことでもある。 わかりやすいのが 戦争だろうけれど、 席を譲るのだって、いいことだからするという考えなしに したいから 譲る、したくないときは しなくてもいいだろう。 良いことというのは 誰にとって? 廊下をはしってはいけません。 誰に とっていいことだろうか~先生の管理にいいこと この 良いことをするという考え方を ずっともっていくと 努力は必ず報われると思うようになる。 努力の結果 成功があると思う。 しかし、社会にでて、努力の結果が出るとは限らない。 むしろ 努力以外の結果が あるようだ。 努力して 努力して 気づいたころには、よたよただ。 したいことをしないで したくない努力をしていれば 報われるというのは、間違いだろう。 自分で自分をしばっているだけだ。 良いことがあると思っている人に いいことはない。
2010.07.29
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想いが現実化されるということがある。 つまり、お金持ちというう思いがあれば、お金持ちであるということ。 まあ、至極当たり前のことでもある。 しかし、そうではなく お金持ちであると、思うことになり、お金持ちに変化していくという考え方もある。 いまは、お金がないが、お金があると思うことで、お金持ちになる? しかし、そういうわけにはいかない。 そういうわけには、いかないのに なれるという本が乱立している。 お金がないという思いとお金があるという思いは、相反するので実現しようがない。 あるのか ないのか、どっちなんだということ。 心裡留保(法律用語)と同じ。 宝石をあげるつもりがないのに、あげるということを いう。 いうことと、想いが違う。 相手は、もらえるのか もらえないのかわからない。 想いは 相反しては実現しようがない。 じゃあ、貧乏な人はどうすればいいかというと、 一つは、ほんとうは貧乏ではないということに 気づく。 あるないは、相対的概念だから、あなたは世界で一番の貧乏ではない。 一つは、お金持ちの振りをする。 貧乏だけれども、お金持ちの振りをすることはできる。~寄付をする。 これをしていくと、最初のこと~お金持ちであることに気づくようになる。 嘘から出た真。 一つは、お金持ちの概念を変える これは、最初のことと同じ。 お金持ちの定義を書き換える。狭くではなく、自分の位置まで広げる。 まあ、こういうことを考えてくると、ばかばかしくなり、どうでもよくなる。 ~どちらでもいい これで、OK きづいた ときに寄付をし、貧乏とかお金持ちとかいうように世界をわけなくなる。 わけないとき いまにいる。 理由(わけ)ないとき いまにいる。 いまは 無限です。 いまにいるときのみ 世界は変わる。 ~過去と未来に執着していない~意識の鎖がない~ 世界のほうが 変わる。状況が変わる。世界が回りだす。 いわいる 運のいい人になるということです。
2010.07.29
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僕たちは、たいてい何かをせざるを得ない。 なにかをしないと、成長しない。 変わるように努力することに 価値がある。 お金をもうけて、良い仕事について どんどん大きく成長することが大切なんだと思う。 だから、いまに いられない。 いまを 否定することが、変わること。 何かをしなくても 大丈夫なんだけど、自我は いまここにいられないから何かをしようと考え 何もできない自分を 非難する。 何もできない 仕事もない 怠けてばかりいる そんな人間なんて価値がないと 否定する。 否定するのは、自我の本質ですから、しかたがないですが そういう自我を 認めてあげる。 そうだね そうだね という。 自我は、あなたに認めてほしくて努力し頑張ってきた。 いままでも これからも 頑張ろうとするだろう。 いまに いられないのだから、仕方がない。 だけど、それでは ハツカネズミが空き缶を回っているようなもので満足する日はない。 小学のときは 中学になれば 中学になると 高校になれば 大学にはいれば 仕事をすれば 家庭を持てば お金があれば 幸せになれると思うが、いつも 幸せは未来にあって いまにない。 幸せになるために 努力をしているのに その努力のせいで いま の幸せに気づかない。 努力が悪いわけではないが、努力をしないことも悪いわけでもない。 まんなかに 戻していくこと。 二つの比較の差を 小さくすること。 いまの ままでいい、変わらないでいい、このままでいい むしろ 変わらない、だって いまが満たされていることに気づいたから。
2010.07.28
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僕たちは、腹が減ったから飯を食うと思っている。 しかし、飯を食う時に、毎回毎回 腹が減ったという理由で、飯を食うことにしようとは考えないものです。 なにがいいたいのかというと、たいてい何も考えず飯を食うし、くそもする。 なにかをするのに、理由なんてないことが多い。 ただ、している。 たとえば、誰かを好きになるとき、やさしいからとか美人だとか かわいいからとか、足がきれいとか、思うけれども まず、最初に好きになって、あとから理由をつける。 つまり、理由はあとから、自我が勝手につけている。 最初にあるのは、結果なんです。 それを、自我は逆に考える。 だから、自我は時間軸で、努力の結果を求める。 最初に結果があると、自我はわけがわからなくなるので、そのつじつまを合わせるために理由をつける。 いまの想いが世界に反映されるわけなんですが、多くの人は 過去の想いを世界に反映させているから、同じ日常を繰り返す。 もう、その箱から抜けることはできない。 ハツカネズミが まわっている空き缶のなかにいて、一生懸命走っているようなもの。 たいてい 好きになって、後から理由を考える。から、 最初に、結果としての想いを世界に反映させることというか、 いまを否定してないで、認めることで、その反映が投影される。 そうすると、そのつじつま合わせに自我が世界にその反映を 生じさせる(世界は自我の創造の産物) 言い方を変えると、まず 結果があって、それから理由(原因)が生じる。 だから、今の想いが大切で、わくわくすることをすることをすることのみ、世界が変わっていく。
2010.07.25
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辛いとき、苦しいとき、嫌になるときというのは、 変わろうとしているからである。 つまり、いまを否定しているから、変わりたいと思う。 しかし、変われないから、辛く苦しい。 どうしたら、いまの苦しい状態から 辛い状態から逃れられるかを 考え続ける。 が、堂々巡り。 いまを、否定している自我がいることに気づかない。 病気であれ、肥っていても、仕事がなくても、怒られても その状態を、否定しない。 変わろうとするから苦しく、 変わろうとするから、変われない。 海でおぼれて、じたばたしているようなもの。 だけど お金がないし 仕事もない、彼女もいないし 年もとっている 変わりたいと思って当然だと・・・自我は考える。 自我の本質は 比較・二元性。 だから、そのように思うことは至極当然でもある。 だけど、そこにいては、抜け出すことはできない。 いつか 苦しさから抜け出すのではなく、 いまこの瞬間に 手放すこと。 そんなこといっても、状況は変わらないし・・・ 世界は、あなたの価値観・視線でなりたっているのですから、 その見かたを変えるだけ、見るものを変えるだけ。 本当に苦しいときでも、悲しいときでも、腹は減るし くそもでる。 年がら年中そのことに、意識を向けているわけではない。 あなたが、意識的にその 苦しみ・辛さに意識を向けていることに気づく。 そして、その意識を別の方向・・つまり 楽しいこと・したいこと 面白いことに向けるだけ。 とても、そんな気になれないというだろうが、 苦しさの生み出すものは、苦しさであり 辛い感情は、さらに 辛い世界を創造する。 そして、その感情の多くは、過去の反映。 どういうことかというと、今苦しんでいることは、過去にも同様な苦しみをしていること。 つまり、何度も同じ経験を 違う立場で経験しているにすぎない。 心の癖というか、同じ体験を 繰り返す。 「いつだって 私はこうなの」 そういう想いを、繰り返さないためには、いまの 悩みを 認める=愛すること。 つまり、いまのままでいいんだ、このままでいいんだと 許すこと。 そうすると、その想いが 浄化される。 責めるのは、常に自分自身。 傷つけるのは、常に自分自身の想い。 自分で自分を縛って、自分で自分を傷つけている。でしょ。 でも、悩みが悪いわけではなく、悩みが出ているというのは熱なでているようなもので、 熱が出ることにより、病気だとわかる。 悩んでいて、変わりたいと思うときに、変わらないでいいと認めること、薬は これでしょうね。楽になりますよ。
2010.07.25
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世界が鏡であると仮定すると、何かになろうとすると、なれないいまを創造するので、すでになる必要がある。 この、振りをするということが、苫米地さんの本以外にも結構有用であると書いてあります。 根拠は違いますが、なにかになろうとするより、いまここでなる。 本当は、やさしくないけれども やさしいふりをしてみる。 本当は、パイロットでないけれども、すでにパイロットであると考える。 その パイロットの概念を、免許を持っているというように限定しなければいい。 で実際に、ふりをしているわけですから、想いと行動に不一致はない。 世界はいまにいるときにのみ変わる。 反映する意識(自我)がないので、世界のほうが動いてしまう。 僕は、世界というのは、 自我で見ているときは 意識の反映で 自己で見ているときは 無意識の反映ではないかと思う。 だから、無意識的にこうありたいとか 手放してしまった欲望とかが、無意識にはあるのでそれが 意識的にではなく、実現化されていく。 それは、想いの実現なんだけど、 目標の達成ではなく、過去に思っていたことが 創造されてしまうということなんだろう。 何かに夢中でいるとき どんどん変わり 何かしなくてはならないことをしている限り どんなに努力をしても、毎日同じ日常を送ることになる。 昨日と同じ今日の 繰り返し。
2010.07.23
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いまにいるときは、望みさえもないが、いつもいつも 夢中でいるというわけにはいかないものです。 ~がほしいとか ~したいという思いは でるものです。 そういうときは、 結んで開いてというように、 手放すことに、意識を向けるとか、実際に手放す。 ほしいものは、差し出す、与える、出す。 ほしいものを手に入れようと努力するのではなく、 ほしいものを だす。 隣人にあなたにしてもらいたいことを しなさいとは、キリストの教えですが、 ほしいものは、だすことによって、その場で手にすることができる。 愛されたい人は、愛すること やさしさがほしいひとは、やさしくすること、 お金がほしい人は、お金を出すこと きっと、考えるべきは、手に入れる方法ではなく、どのようにしたら 出せるかということなんだろう。 息でも 出せば入るし、うん子も出せば、腹も減っておいしく入る。 考えでも、想いでも 出すことによってはいる。 どうしても自我は、手に入れる方法を見つけたがる。 方法があって、原因があって結果を求めるのが自我。 すでに結果を、今味わうのが自己 原因は後から付いてくる。 というか、意識の反映として世界に映し出される。 求めるものは、求められず 出すことにより、すでに 手に入れていることに気づく。 それが 探して見つけられなかった青い鳥が、家にいたということ。 変わろうとして変われないことに 気づく。
2010.07.20
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世界が、鏡であると仮定する。 これが、最初の前提。 なぜ、鏡なのかはわからないが、経験上そのように仮定しても構わないと思える。 それは、実際に世界に意識が写るからである。 笑えば笑い、泣けばなく、あくびも映る鏡の世界。あくびだって 写っちゃう。 他人の嫌いなところは 自分の嫌いなところである。 情けは 人の為ならじ 鏡であるというような経験は、誰にでもあるとおもうが、鏡であるとは思わないものです。 ということと 変わりたいとか 成功したいとかいう思いがあって、努力をしているとしたら、どうだろうか。 その、変わりたいいまを いまこの瞬間に写してはいないだろうか。 そして、毎日同じことの繰り返しの仕事 毎月同じ繰り返し 毎年同じ。 しかし、この繰り返しをしていれば、世界は変わるはずと 勝手に思い込む。 こんだけ、努力しているのに、変わらないはずがない。 ・・・ 同じことの繰り返しのなかで、変わることがあるのだろうか? そのいまの思いを世界は、反映しているから、変わろうとしないことで、初めて変わることができる(世界のほうが かってにかわる) なにかしないでは 進歩がない 成長がないという恐れが、あなたを鎖に縛っている。 したいことをしないで 努力をしているのに・・という思い したいことをしないから、変われない事実・現実。 それが、鏡の世界。 他人の鏡に映っている(他人の価値観を生きる)ことをやめるには、したくないことをしないで、 したいことをする、夢中になることをする。 それが、いまにいきることです。
2010.07.19
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私とは 起きる出来事のことではない。 出来事の起きるスペースそれが私である 世界のいろいろな出来事を、経験しているような私であるが、 世界は、私の外にあるのではなく、 世界は、私の内部にある。(内面、内側) 世界を見つめている私は、見つめられている私でもある。 むしろ、みられている世界が私なのだ。 この、位置の転換が反転であり、変換人 プサイ3への入り口。 世界の中に我々がいるのではなく、 世界は、我々の中にある。 我々は、みてもいない かんじてもいない どこにもない世界を想像して、大きな世界のなかにいる ちっぽけな存在としてみているけれども、それこそが、自我の幻想。=外側にはなにもない。
2010.07.19
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変わろうとするとき 何かを求めようとするとき その方法を自我は考えるが、そしてそれを達成しようとして努力するがたいていうまくいかない。 つまり、問題は解けないのだ。 問題の解答は、問題を解こうとすることにはない。 なぜ そのように思うかが 問題なのである。 変わりたい しかし 変わったとしても(変われないが) 問題が解決することはない。 お金持ちになりたい。しかし なれないが なったとしても その慾が消えるわけではない。 いまそのように それを 思うことに、気づく。 いまが楽しくないから、今が幸せではないから、それを達成すれば、幸せになれると思ってしまう。 それが いまにいないということ。 いまにいないときに、自我が活動し いまにいるとき 自我はいない。 夢中になること。 それにより、問題を考えることも、解くこともない。 変わろうとする方法 お金持ちになる方法を解く本や人はいるが、 それは、心の持ち方の問題であって、外の世界を変えることではない。 もともと そとの 世界などないのですから。
2010.07.19
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成功できないわけは、成功したいと思うから、できないいまを創造していることに気付かないこと。 まあ、わけのわからない○○の会とかいう自己啓発セミナーにはいるのは、大馬鹿を通り越しているが、 普通に、オホノボノでも シークレットでも、そういう本を読んで幸せになれるとか、成功できると思っている。 まさに、惰眠をむさぼっている。 いい加減 目を覚ましたらどうなのでしょう。 こうすれば、成功できる本と この金投資を買えば 絶対もうかりますよとかかってくる電話のセールスに違いはない。 いつか幸せになるのではなく いつか成功するのではなく 今ここでこの瞬間に なることができるのに、 そういうものを、追いかけることで、それから離れていくことに気づかない。 もう セミナーにはいかない。 成功哲学の本も読まない。 誰かが あなたを幸せにしてくれるわけがない。 あなたの 幸せを決めるのは、常にあなt
2010.07.13
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悩みを解決する唯一の方法は、悩みを手放すことである。 それを、悩みを解決しようとするから苦しい。 悩みとは、解決できない問題であるから、悩んでも仕方がないのですが、悩みを悩むことで解決できると勘違いをする。 生きるべきか死ぬべきかと悩んだのは、ハムレットだが 彼は、悩むことで苦しんでいたといえる。 悩む事で 心が凶になり、その反映として現実をいま体験する。 悩みに意識を向けないこと。 悩みを解決しようとしないこと。 それが、唯一の解決策である。
2010.07.12
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内側を見ているのに、外を見ていると勘違いをしている。 われわれがみているものは、すべて我々のほうに向いている面。 後ろ側(外側)を見ることはできないのだ。 そして、この 内側=内面である。 内面を変えることで、内側が変わるのは、もともとそれが等しいからである。 だから、 求めるものは 求められず、願いは すでに 叶えられている。 お金がほしい と思えば、その状況を いま創造している。 そのままの 状況を 映し出す鏡が内面。
2010.07.10
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日本代表が帰国して、誰かが話していたが、 チームの状態がよくなり、笑っている時間が増えた。 そうしているうちに、どんどんチームが一つにまとまり結果がでるようになった。 笑うって大切ですね・・ そうなんだろうと思う。 笑う門に 福がくるわけで 福が来たから 笑えるわけでもない。 一つにまとまるとは 同じテンポで呼吸をすることでもある。 まさに 息が合う。 笑って 息があって 一つになった。 何がいいたいかというと 最初にあるのは 笑い。 笑っているときは いまにいる。 考えているときは いまにいない。 今は 未来の結果であって、原因ではないのだ。 だから 笑う門に 福が来る。 笑いは 結果。
2010.07.01
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したいことをして、したくないこと しなければならないことをしない。 これが、一番楽な生き方だろう。 子供のころは、みんなそうしてきたのは、それが一番楽だからだろう。 ほかの生き方なんてできなかった。 ところが、他人に迷惑をかけてはいけないという教えのもと、 他人の目を気にするようになってきた。 どう思われるだろうか? 他人の目=自己の目であるが、わかりもしない他人の目で自分を制限するのはまさに、鎖で自分を縛っている状態。 意識でこの鎖を作っているから、他人に外してもらうわけにもいかず 何年もの間鎖につながれているので、鎖のあることが当たり前になっているから、鎖があることすら忘れている。 だから、したくないことをすることをして、他人の目によく映るように行動することが選択の指針となる。 これが、いいこと だから、何かをするということ。 何かをするのに 理由はいらない。 金八先生は 人の為とかいて 偽りと読むといったが 人の為とは 他人ではなく 自分のことでもある。 ~のために 何かをするということは、したいからしているわけではないのだ。 したいからするのに 理由はない。 むしろ 理由をつけることは、したくないことなのだ。 そして、たいてい 楽しいのは しなくてもいいこと。 映画を見るのでも 鉄道の写真を撮るのでも デートにしてもしなければならないわけではない。 それ以前に 理由を考えてするわけでもない、 自分が ~ためというとき、偽りとなる。
2010.07.01
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