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いやいや、昨夜はもう暑くて暑くて汗がだらだら出て大変でした。って、お風呂にお湯を溜めて腰湯をしたからなんですけどね。。。。(そりゃ、汗が出て当たり前ですよね)ここのところちょっと体がだるかったんです。疲れが溜まっている感じで、寝起きもいまいちスッキリしなかったんです。普段ならお腹と腰にお灸をするんですが、ちょうどお灸も切れてしまっていまして。暑くなってからはいつもシャワーだったんですが、そんな訳で本当に久しぶりにお風呂にお湯を溜めてみました。(まぁ、腰がつかる程度なんでほんの15センチほどですけど)「よいしょっ」と浸かること10分もしないうちに汗がダラダラと出てきます。体がふやけてきた頃に爪を立てて皮膚をこすってみると、「ウォーッ」と言うくらいに出るわ出るわ、垢の軍団。もう、体中爪の跡で赤くなるくらいにこすりまくりまして、垢男と化しました。(背中に爪の後があるくらいなら色っぽいけれどもこれじゃぁねぇ。。。)シャンプーして垢をすっきりと洗い流しまして、お風呂上りは扇風機で汗を冷ましてさっさと寝てしまったんです。(基本的にクーラーは好きではないんです。もちろん治療室ではさすがにクーラーかけますけどね)そしたら、今日がなんて快調なこと!夕食前には体力持て余してジョギングに出かけてしまいました!暑いときだからこそ、逆に汗を流してあげると体内の虚熱が出て体が楽になるんですね。☆☆☆今日のだいじょうぶ☆☆☆夏は暑いのが当たり前。暑いからといって冷やしすぎは禁物です。むしろ、お湯につかって体内の熱を外に出してあげましょう。夏野菜は体を冷やすための天からの恵みです。キュウリ、トマトなどスーパーで安い旬のお野菜を意識して食べましょう。そうすれば夏バテもだいじょうぶ。まぁ、たまにはアイスも食べるけどね。。。。この暑さでさすがにお花たちもバテ気味です。
2005.07.31
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久しぶりに都内に出ました。田舎の小さな街で仕事をしているので、普段はなかなか都内に出ることが少ないんです。でも、今日は満を持して”気合を入れて行きました。目指すはあのあこがれのSOFA。最近雑誌やマスコミなどでも取り上げられることが多い、ちょっと洒落たデリ&カフェのお店なんです。チャイニーズ・ベジをしている私にとって、安心して外食できるお店はまだまだ少ないのが現状です。そんな中でここのお店は動物性たんぱく質と五葷を一切使っていなくて、しかもお野菜が全て有機無農薬ということで、何も心配しないで食事をすることができるんです。そんなわけではるばるたどり着いたのはいいのですが、この暑さで少々バテ気味。さすがの私も「油っぽいものは食べたくないなぁ」という事で、頼んだのがこちら → (携帯の写真なのでちょっと見にくいです。。。)『菜醤麺』 まぁ、言ってみればサラダうどんなわけですが、こんな風に名前が付くとちょっとお洒落でしょ。おうどんの上にレタス、トマト、海苔、シュウマイの皮を揚げたもの、そして「テンペ」 という東南アジアの(どこの国か忘れた!)発酵食品を揚げたものが乗っていて、根昆布のだし汁をかけて食べるわけです。これがさっぱりとしていて、しかも根昆布のだし汁と豆乳」マヨネーズが絶妙な味わいを醸し出します。「遠くからはるばる来て良かったァ」しかし、最近「食べられること」に感激することが多いんです。晩に食べる”おなっとご飯”に「なんて美味しいんだ!」なんて感じです。こうやってだんだんと仙人になっていくのだろうか。。。。
2005.07.29
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今日、2年ぶりくらいの方がお見えになりました。「○○さんに診て貰ってからずーっと調子良かったもんでね」この方は腰が悪かったのですが、それは何よりですよね。(2年間も来ないんじゃ、商売は上がったりですけどね。。。(汗))そして私を「先生」とは呼ばずに「○○さん」 と苗字で呼ぶんです。以前は(そうじゃないだろ!先生だろ!!)なんて思っていたんです。以前は。やっぱり立場ははっきりしておかなくては、なんて思いもあったりして。同業の先生には上下関係をはっきりとさせる先生方もいらっしゃいます。それはそれで、その先生のスタイルだから別にいけないとは思いません。それが良くて通っている方もいるでしょうから。でも、私のスタイルではないんですよね、そういうのは。なんだか違和感を感じちゃうんですよ、あんまり「先生、先生」って呼ばれると。健康は自分自身の責任です。病気になってしまったのも、具合が悪くなったのも厳しいけれども、結局は誰のせいでもない自分自身の責任なんです。私にはその責任を取ることはできません。ただ、そのお手伝いはできます。だから私は『先生』ではなくて『パートナー』だと思っています。「ご縁のある方には精一杯できることはさせていただきますが、どう活かすかはあなたしだいですよ」そんなスタンスになってから仕事がグーんと楽になりました。そして来院される方の『質』も変わりました。おかげさまで今では毎日を楽しく過ごさせていただいています。だから私がどう呼ばれようがそんな事関係ないんです。一人でも多くの良い縁が広がっていくことが大切ですから。激しい雨降りの合間のほんのつかの間の晴れ間のお花ちゃん。
2005.07.26
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ご近所のおばさんに”葉っぱ”をたくさんいただきました。(そろそろ新鮮な野菜が食べたいなぁ)そんな時に「おばさ~ん、○○さんに持っていってあげるお野菜ないかね?」そんな風にして、訪問リハビリにお伺いしているおばあちゃんをダシにして(!)季節のお野菜をたくさんいただくんです。このおばさんもわきまえたもので、このおばあちゃん宅では食べきれないくらい(だってお年寄り二人だけの生活ですから)のお野菜をたくさんくれるんです。今日もたっくさんのプチトマトと袋てんこ盛りの”葉っぱ”(実際のところ名前を知らない)をいただきまして、もちろんおばあちゃん宅で「こんなにあっても食べきれないでしょ?少しもらっていくからね」と言いながら山分けしてきました。おじいちゃん、おばあちゃんもニコニコとしています。(そのほかにも手作りのシソジュースとかフキの煮たのとかいろいろあったけれどもそれらは全部置いてきましたから)最近、こういうお付き合いが楽しいんです。私、これでも東京生まれの東京育ちなもので(とはいっても東京のチベットみたいな所ですが。。。)ほとんど近所付き合いを知らなかったんです。(どちらかと言うと、会ってもあいさつもしないくらいだったりして)この地方の小さな街で開業した当初は、なかなかご近所付き合いに馴染めなかったんです。ある時に「この街で精一杯やってみよう」 と腹をくくってからですね、そんなお付き合いが楽しくなってきたのわ。ごちゃごちゃと言い訳せずに、自分の足元をしっかりと見つめる。そして今、目の前にあるご縁を大切にして精一杯できることをしてみる。そんな風に生きてみると毎日が楽しくなるものです。(新鮮なお野菜も食べられるし)(畑を見たらきれいにおナスが植えてありました。次回の獲物は決まりだな。。。)(ちなみに秋口にはイチジクもたくさん実るんですよね。これだって買えば高いんだから)◇◇◇◇◇◇今日のだいじょうぶ◇◇◇◇◇◇ご近所づきあいは大切にしましょう。そうすれば季節のお野菜はだいじょうぶ!(う~ん、なんだか違う気もするが。。。)そんなお付き合いでいただいた名も知らぬ”葉っぱ”です。 よく葉っぱの裏まで水洗いしないと小さな虫が付いているんです。(何しろ無農薬ですから)ざるいっぱいの葉っぱをお味噌汁に煮込んでいただきます。まだまだたくさんあるのでしばらくはお味噌汁の具は”だいじょうぶ”
2005.07.24
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「先生お覚えてるでしょ?あのおばあちゃん。亡くなっちゃったのよ」以前お見えになっていたおばあちゃんが亡くなった、というお話を聞きました。いつもお見えになっているご年配の奥様のご縁でうちに何度かお見えになったんです。ただ家が遠いのと、とても直ぐに治るような身体ではなかったので何度か見させていただいて縁が遠くなっていたんです。ほんの数日前にもこの奥様と健康ランドでご一緒だったそうです。いつもと変わらずに元気そうだった、とのこと。その数日後にご主人とパチンコに行ったんだそうです。もう、子育てもひと段落し、あくせく働かなくてもいい身です。(特に田舎の純朴なおばあちゃんという印象です。)楽しみといえば週に1度の健康ランドとパチンコくらいなものです。お聞きした話ではパチンコをやっている最中に、どうやら脳内出血を起こして激しく嘔吐したみたいです。その嘔吐物が気管に詰まってしまったための窒息死だったようです。そして、フラフラになりながらもずいぶん離れてパチンコをしていたご主人の所まで歩いてきて倒れたそうです。病院に運び込まれた時にはすでに手遅れだったとの事。「もし、倒れたその場に救命救急法を知っている人がいたならば命は助かったかもしれないのに。」初めにそう思いました。せめて嘔吐物を口の中から掻き出せればそれだけでも一命は取り留められたかもしれません。でも、それもご縁ですよね。残念ながらそういう術を持った方がその場に居なかったようです。そして、そんな大変な状態になりながらもなんとかご主人の元へ行ったその想いに、長年寄り沿って生きてきた夫婦の信頼を感じずにはいられませんでした。ご主人に対して、普段は愚痴ばかりだったそうです。でも、その愚痴も「最後に帰る所はここ」という安心感から出ていたのでしょうね。だからこそ、最後の最後までなんとかご主人の所に歩いていったのでしょう。人は生きている限り、必ずいつかは死ぬものです。そして残念ながら、どんなに立派な人であっても「いつ・どこで・どんな風に」は自分では決められないみたいです。でも、せめて心から信頼できるパートナーに看取られて逝きたいものだ、と思いました。そんな願いが叶うにしろ叶わないにしろ、全ては「縁」なのですけれどね。全ては私に合った適切な事柄が用意されているのですから。そういえば、この辺りでは今日がお盆の入りでした。(お蚕さんをやっていた昔の名残で10日遅れの入りの風習が残っているんです)ほんの何回かの短いお付き合いでしたが、ご冥福をお祈りします。そして残されたご家族、特にご主人のご健康をお祈りします。一人の命が旅立って行っても花はいつもと変わらずに咲いています。
2005.07.23
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私の仕事場はちょっと奥まった所にあるんです。表に看板も出ていないからまさに『知る人ぞ知る』 伝説の治療院なんです。(ただ、看板出すのが面倒なだけだったりするが。。。)そんな”秘境”にフラッと訪れる人がいるわけもなく、やっぱり紹介でお見えになる方が多いんです。この地で開業した時には「こんなに人通りの少ない所で本当に人が来るのかしら?」 などと心もとなく始めてしまったりしたのだけれども、やっぱり一所懸命に仕事をしていると来院される方は増えてくるんです。そのうちに紹介してくださる方がポツリポツリと増えてきて、今では新規の患者さんの8割以上は今まで来ている方の紹介なんです。私はこの仕事を始めるまで「ご縁」という言葉が理解できなかったんです。もちろん言葉は知っていたし、意味も教科書的には知っていました。でも、その本当の所を全然分かっていなかったんです。開業3年目くらいまではただ、がむしゃらでした。もう、食べるのだけで精一杯という感じで。それから少し余裕が出てきて患者さんが増えていくのがうれしいくらいによく分かるようになっていきました。開業5年目くらいからまた、壁にぶつかりました。カルテの枚数はどんどん増えるのに、どういうわけだか総仕事量が増えていかない。ということは、経営的にも楽になっていかない。「こんなに一所懸命にいい仕事しているのに何でだろう?」当時は何故だか全く分からなかったんです。「料金が高すぎるのだろうか?(この辺は田舎だからなぁ)」「田舎ではこういった治療に理解が無いのかなぁ」 「もっと、外で勉強して特別な技術を身につけなければいけないのかなぁ」etc etc.......そんな風にうまくいかない理由を外にばかり求めていたんです。でも、最近ようやく分かったんです。要は私が「ご縁」 を大切にしていなかったからなんです。結局幸せは人が運んでくるんです。その「人」を大切にできない人間が幸せになんかなれませんよね。そして、その大元の自分自身を大切にできなければ、本当の意味で周囲の人を大切になんかできないんですね。そんなことが見えてきたのが昨年ぐらいからでした。もう、開業して7年以上が過ぎていました。おかげさまで今では毎日が楽しくて仕方ありません。今、このご縁のある方に精一杯の仕事をすることが幸せの種を植えることになり、「 良い縁がさらに良い縁を運んできてくれる」ということが理解できたからなんです。今日もある方のお父さんが新規でお見えになりました。その方とももう5・6年のお付き合いになります。途中、彼の仕事の関係で間が空きましたが、最近またちょくちょく来院するようになっていたんです。「何年も一人で来ていたのに、最近その家族も治療を受けに来るようになる。」そういったケースが最近(特に今年の春先から)増えています。今ではそれが何故なのかが良く分かります。結局、自分の心が全てなんですね。私の中で”何か”が確実に弾けました。開業8年目にしてようやく大切なことが見えてきたみたいです。ずいぶん遠回りした気もします。もっと素直に人のアドバイスを聞けていれば、こんなに苦労もしなかったのに。。。なんて思ったりもします。でも、きっと今までの出来事全てが私が成長するために必要なことだったと今は理解できます。自分にとって「都合の良い事」も「都合の悪い事」も全て大切な「ご縁」として受け入れていく。「縁に沿い縁に従って生きていく」そう覚悟してから「なにがあってもだいじょうぶ」になりました。 毎日が楽しくなると、余裕を持って辺りを見ることができます。そうすると今まで何気なく見ていた花の美しさを感じられたりします。
2005.07.22
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いよいよお別れのときが来ました。あんなに信頼していたのに。。。。「もう、これ以上君とは居られない」そう告げるときの悲しさは、別れを体験した者にしか分からないでしょう。洗濯機の話なんですけどね。(。。。。。)そう、ほんの何日か前の日記に出てきたあの”子悪魔ちゃん的洗濯機”です。あれからも何度かの役目をなんとかがんばってくれていました。もちろんスイッチオンの前には「だいじょうぶだぞ。お前ならできるから」 という励ましの言葉は欠かしませんでした。きれいになった洗濯物を取り出すときには「おつかれさま」というねぎらいの言葉も欠かしませんでした。ところが、いよいよ『プッツリ』と動かなくなってしまったんです。「どうしたんだ?だいじょうぶだぞ!お前ならできるから」そんな励ましの言葉にも全然応える気配がありません。中の洗濯物は脱水されずにビチョビチョのままです。(。。。。。。)その時に私は悟りました。本当の別れの時が来たことを。お昼休みに近所の量販店に行き慎重に慎重にこれからのパートナー、最良のマシーンを選びました。(この場合、1番安いものだったりします。。。)夕方に届くと言うことでした。帰宅してもしかしたらと思い、洗濯機に語りかけてみたんです。「今までご苦労様。でも、まだ最後の仕事が残ってるぞ」そう、話しかけながら電源のボタンを押し脱水のスイッチを押してみたんです。そうすると「ウィンウィン」と音をたてながらモーターが回り始めるではないですか!もう、なんだか不思議な気持ちでしたね。まさか洗濯機に”こころ”があるとは思いませんが、何か想いと言うものは通じるのかな。。。と思いますね。そうして、この洗濯機は電気屋さんに引き取られ代わりに新しい洗濯機がやって来たわけです。ここでちょっと面白かった、というか不思議なことがあったんです。この新品洗濯機が無事に据付も終了して電気屋のおにいちゃんがテスト運転したのですが、どういうわけだか脱水ができないんです。どうも排水用の部品がうまく働かないみたいで、おにいちゃんが洗濯機を持ち上げて汗流しながらがんばってました。申し訳なさそうに恐縮しているおにいちゃんに「安物だからですかね?」そう聞いてみると「いえ、こんなことは滅多にないし、この型は良く出ているんですよ」とのこと。(あの洗濯機の未練が残っているのかしら。。。)なんてちょっぴり思っちゃいました。洗濯機君、今までありがとね。(洗濯機とかに話しかけている自分ってちょっとアブナイみたいですな。)(けっして生身の人間に相手にされないわけではないですからね。)そんなわけでそろそろ梅雨明けするかな、と思いながら『2代目クリスティ』(初代クリスティだったのか?)にはバリバリ働いてもらわねば。梅雨明け間近の”これからの紫陽花”です。
2005.07.17
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今日は久しぶりのお日様でしたね。午後の仕事がちょっと”まったり”としてたんです。(要は暇だったんです。。。)そんな訳でマリアと出かけてきました。私の住んでいる街はちょっと離れると田んぼが広がっていたりするんです。いわゆる『田園地帯』なんです。普段は来るまで通り過ぎてしまうんですが、今日はマリアと一緒に走ってみたんです。夕方になると日差しも弱まり、田んぼを駆け抜ける風が心地よいです。ここの所、仕事が立て込んでいて(それはそれでうれしいんですけどね)ゆっくりと外の出る時間も無かったんです。 「たまには暇なのも悪くないなぁ」なんて、ちょっと贅沢なことを思ってみたりしました。青々とした早苗がとてもきれいです。そういえば、昔「早苗ちゃん」と言う女性に振られたことがあったなぁ。。。(涙)もう、遠い昔の話です。全然関係ないですけどね。これからこの稲たちも成長して、秋には豊かな実りをもたらしてくれるんですね。少しこころの贅沢をした、そんな夕方のひと時でした。仕事が暇でもだいじょうぶ。それはきっと天からのプレゼントだから。(いつもじゃ困るけれどね。。。)さぁ、また明日からバリバリ働きましょう!!
2005.07.15
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今年もついにやってきました。そう、いただきもので一年の大半を過ごしている我が家でも、この時期はまた特別なものがあるんです!(来院される方からのお野菜なんかの差し入れにどれだけ助けられていることか。。。)今年の”初物”スイカちゃんです。 いやいや、こちらのお宅で毎年作られるスイカちゃんはもう、本当に甘くてジューシーなんですよ。こちらのスイカちゃんを食べちゃうと、そこいらのスーパーのなんかもう食べられませんものね。こんな手作りのお野菜とかをいただけた時って「この仕事やってて本当に良かったなぁ」って思ったりするんです。(あ、でもみなさんの笑顔がいちばんうれしいですよ。本当ですよ!!)それではいった・だっき・ま~す。そうなんです。いただきものがあれば”だいじょうぶ”(なんだか、当初の意図からずれてきている気がする。。。)
2005.07.14
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突然懐かしい声を聞きました。以前一緒に仕事をしていた後輩からの電話だったんです。もう、何年も前にとある下町のマッサージ治療院で一晩中(夕方から翌朝4時までのまさに一晩中です!)一緒に働いていました。当時彼はまだ免許も持っていないのに(いわゆるモグリです)指名を取るほどマッサージのセンスは抜群のものがありました。その後、ちゃんと免許を取るために学校に通い始め、私も開業するためにその店を辞めてからちょっと縁遠くなってしまったんです。現在どうしているのかを聞いてみたところ「接骨院で働いている」との事でした。それを聞いてつい声を荒げてしまったんです。「お前ほどの奴がそんな所で何をやってるんだ!」あの、勘違いしないでいただきたいのですが、接骨院がいけないとか言っているわけではないんです。ただね。。。結局人の看板の下で仕事をさせていただいているわけなんです。それが向いている人もいるでしょう。でも、この後輩はもっと多くの人に喜んでもらえる仕事ができるやつなんです。その事に本人がまだ気がついていないことに、つい声を荒げてしまったんですね。「もっと勉強したいから」とも言っていました。でも、それは何のための勉強なのでしょうか?この世の中で一番の勉強は「人と真剣にお付き合いする」ということだと思うんです。『人は人によって磨かれる、そして幸運は人が運んでくる。』私はそんな風に思います。この仕事の世界に入って11年、開業して8年が過ぎました。その間、本当に様々なことがありました。うれしいことばかりでなく、時には厳しい言葉を言われたり悔しい、惨めな思いをしたこともありました。それでも逃げ出さずに自分の縁ある人と真正面から向き合ってきたからこそ、たくさんの学びを得ることができたんです。勉強することがいけないわけではありません。患者さんの難しい状態や病態などを診ると今でもすぐに教科書を広げます。それも、私が「この人のために何かできることはないか」という思いがあるからこそ生きてくるんですね。彼の話を聞いていると、「何かすごい技術を身につけなければとても開業できない」と思っているみたいです。私から見れば「彼ほどの技術を持っている人間が!」結局、彼はまだこれからどういう風にしたいのかがはっきりとしていないんですね。そして、その姿はほんのちょっと前の私の姿だったりするんです。あれこれとつべこべ言わず、自分の進むべき方向を明確にして、今できることを精一杯する。そんな風に腹をくくれたときに「なにがあってもだいじょうぶ」だと思えたみたいです。う~ん、なんだかまた説教癖が出てきたみたいだ。。。。 なんだか変わったヒマワリ発見。中の種の部分が無いし、何よりみんなお日様に背を向けているの!!
2005.07.10
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今日、私が住んでいる街の人たちが主催する『介護を語る集い』に参加してきました。この会は認知症(いわゆるボケです)の家族を抱える人たちが集まって、それぞれの家庭で抱える問題を皆で話し合いながら助け合っていこう、という趣旨のものです。私が訪問リハビリをしている先の方が、この会の世話役をやっている関係で参加させていただいています。参加させていただいて皆さんのお話を伺う度にいつも思うんですけど、『介護』って本当にキレイ事では済まないですよね。いつもしっかりとしていた母親がある日おかしなことを言い始めた。だんだんとそのおかしな言動がエスカレートしてきて、とうとう排泄がうまくできなくなってしまう。しかもその排泄物を壁に塗りたくっている。。。。私の母親は幸いにもまだ認知症にはなっていないのですが(たぶん、まだだいじょうぶだと思うが。。。)そういった体験談(と言うか、今現在の現実ですね)を聞いていると、けっして人事ではないと思うんです。近い将来の我が身のことです。私は、まがいなりにも地域医療に携わる身として、やはり介護の現場、特に介護サービスを提供する側ではなく、また、受ける本人との間で一番苦労している方の現実のお話を聞くことが、これからの自分自身の仕事に活かせると思い、毎回参加させていただいているんです。私には何も偉そうに言うこともできないので、毎回お話を伺うだけです。各家庭によって様々なケースがあるので、「こういう時はこう」「そういう時はこう」とはうまくいかないのが人の生活の営みです。みなさんが様々なケースの中でご苦労されているのがわかります。時にはいけないと分かっていながら、実の母親や父親に手をあげてしまうこともあるんです。そして、たいていの方は後でそんな自分を責めてしまいます。みなさんが様々な場面で戸惑い、悩み、苦しんでいるそのお話を伺うたびに感じるのは、誰もがその家族(ご主人であったり、奥さんであったり、舅や姑であったり)のことをこころの底では大切に思っている、ということです。ただ、その変化があまりに大きすぎるから、あまりにも想像以上に現実が厳しいから戸惑ってしまうんです。誰もそのことに対して絶対的な答えを出すことはできません。厳しいけれども、その答えは自分自身で見つけていくしかないんです。でも、その前に自分自身の様々な思いや悩み、苦しみを自分自身の立場を理解してもらえる人に聞いてもらえるだけで驚くほど気持ちが軽くなるんですね。そして、気持ちをいったん持ち直してからもう一度同じ状況を見てみると、少し違った視点でその物事を見ることができるんです。みなさん、ご自分の状況をお話していると感極まって泣いてしまう方も少なくないそうです。そして、そのお話を聞いている方たちもけっして「こうしなきゃダメ」とか「あなたが悪い」なんて事は言わずにただただ聞いてあげているんですね。私はそんな場面を見ていて「これは心のリハビリだな」と思ったんです。誰もがみんな一所懸命に生きていて、でも行く先を見失ってしまって苦しんでいる。そして、ただ答えが欲しいのではなくて、ただただ自分の話を聞いて欲しいだけなんだ。そんな風に思ったんです。実際、ただみんなに自分の状況を聞いてもらっただけで、なんだか気持ちが楽になった、という男性の方がいました。誰もが本当は答えを持っています。どうすれば良いかを本当は知っているんです。ただ、時々行き先の光を見失って不安になってしまうんです。だから、そんな時に自分の立ち位置を確認するために、同じ道を歩んでいる人に話を聞いてもらうと「 ホッ」 とするんですね。私には介護のことを語る資格はありません。ただただ、みなさんのお話を聞かせていただくだけです。でも、その中には本当にたくさんの「人の命の素晴らしさ」が満ちているのを感じずにはいられないんです。すぐに私に何かができるわけではありませんし、これから何ができるのかもわかりません。でも、そんなこころの部分についてケアできることがあるのでは。今は(まだ漠然とですけど)そんな事を考えています。「介護をする人は介護される人を通して人として成長するんだ。介護は人間として心を成長させる大切な機会なんだ。」いつか、胸を張ってそんな風に言えたらと思っています。花の真の美しさは「誰のためでもなく自分自身のために咲く」からなのかな。。。
2005.07.09
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私は地方の小さな街で、それはそれは小さな治療院を開業しているんです。それは表通りに看板も出ていないような、ちょっと奥まったコーポの一室です。それでも、おかげさまで毎日何人もの方が私を頼って来院してくださいます。「ひとりひとりの体にあわせたていねいな仕事」をテーマに施術しているので、やっぱり1時間ぐらいの時間は必要です。そのために『完全予約制』にしています。今日、初めての方から問い合わせのお電話がありました。「 ぎっくり腰みたいなんですけど診てもらえますか」 容態を聞いて、幸い空き時間があったので予約を入れておきました。ところがその時間になっても来る気配がありません。5分が過ぎ、10分が過ぎても電話での連絡もありません。結局、それっきりのキャンセルになってしまいました。「無断でキャンセルした場合は正規の料金をいただきます」そんな風に患者さんに指導している治療院もあります。それはそれで結していけないことではないと思います。確かに何の連絡もなしにキャンセルされていい気がするわけありませんよね。私も以前は何度かすっぽかされたことがあるんです。そんな時はとても不安になるものなんです。何か自分自身を全否定されたみたいな気さえしてしまうんです。そして相手を否定してみたりして、なんとか自分を正当化したりしたこともありました。でも、ある時思ったんです。「もしかしたらどうしても来れない理由ができてしまったのかもしれない」もしかしたら入院したり、動けないような状態になってしまったのかもしれない。もしかしたら家族が重病になってしまったのかもしれない。もしかしたら来る途中で事故にあってしまったのかもしれない。もしかしたらどうしても外せない仕事が入ってしまったのかもしれない。そして、もしかしたらただ予約を入れたのを忘れているだけかもしれない。実際、予約をすっぽかされたと思っていた方から、後で謝りの電話があったりしました。 そして、こんな風にも思えてきたんです。「私は精一杯の仕事をさせていただいている。もし、それで予約に合わせて来れないならば、その人とはそれだけの縁だったのだろう」実際、この『縁に生きる』という生き方を知ってから人生がとても楽になりました。そして良い縁だけが身の回りに集まるようになってきました。(それはそうですよね。だって、変な縁を無理に引っ張らないんだから)すると、今日のような「すっぽかされた」人にも以前とは違った言葉が浮かんでくるんです。「来る途中で事故にでも合っていなければ良いが。。。」「 私よりも良い先生に出会えれば良いが。。。」これは別に私がすごいということを言いたいのではなくて、「縁を受け入れ、縁に生きる」 と不思議と相手を責める気持ちが無くなっていくんです。なぜなら、その縁を創り出しているのは全て『自分自身』だから。そして、その縁に沿って流れるように生きていくと不思議と物事がうまく回っていくものなんですね。だからこそ、「なにがあってもだいじょうぶ」なんです。そんな風に書きながらも、やっぱり「嫌な気分」は残っていたりするのが生身の私自身です。。。そんな縁あって住み着いた、【花いっぱいの街】での写真です。
2005.07.08
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なんだか久しぶりの日記です。今日は過ごしやすい日でしたね。昨日、うれしい電話があったんです。私はご縁のある方だけなのですが、訪問リハビリもやっているんです。その中のおひとりのおばあちゃんが一ヶ月前に胸の苦しみを訴えて入院してしまったんです。半身麻痺になっていて、そのためのリハビリにお伺いしていたのですが、どうやら狭心症になってしまったみたいなんです。何度かお見舞いにお伺いしたのですが、とても顔色も良く元気だったのですぐに退院できるかと思っていたのだけれども、思いのほか長い入院でしたね。でも、そのおばあちゃんから昨日「退院したのでまたマッサージして欲しい」とのお電話をいただいたんです。(ちなみに私はマッサージではなく関節拘縮予防のリハビリをしているのですが、おばあちゃんにしてみるとあんまり区別が無いみたいです。。。)長年、この仕事をしているとやはりお亡くなりになる方も少なくはないんですね。(なにしろ訪問リハビリは動けないお年寄りが対象ですから)人はいつかはこの世を去る時が来る、と言うことを理解していてもやはりその時はつらく悲しいものです。でも、だからこそこうやってまたお会いできる、またその人との時間を共有できることが素晴らしいことだと思えるんです。良いことも悪いこともきっと「なにがあってもだいじょうぶ」だから。明日はいよいよその訪問リハビリの日です。今日たくさんいただいたキュウリとおナスのおすそ分けを持っていこうかな。パラパラと降った小雨の滴が花の鮮やかな色合いにきれいです。
2005.07.07
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今日、私の人生の中でとてもお世話になっている方に諭されてしまいました。こう見えても(と言うかイラストから推察してくださいね)結構性格激しいんですよ、私。普段は気をつけているんですけれども、自分の考えを伝えるときや話し合いをする時に、相手から少しでも否定的なことを言われるとついエキサイトしてしまうんです。今日も初めのうちはできるだけ「こころ静か」に話しているつもりだったのが、途中から興奮してしまったみたいです。「あなた、今興奮して自分を見失っているわよ」そんな一言で「ハッ」としました。以前ならそんな風に言われたら逆に「あんたのせいだよ!」なんて言い返していたんだと思うんです。でも、今は不思議と冷静に自分の反応を見ることができるんです。そんな時に「私も少しは大人になったかな」なんて思います。一つのことに一所懸命になればなるほど、逆に大きな方向を見失ってしまうことがよくあります。そんな時に客観的なアドバイスを聞くことができなかったんですね。以前は。だから、いつも突っ走った先は身動きができなくなることばかりでした。今は、そのアドバイスをいったん冷静に聞くことが(少しは)出来るようになったみたいです。「ムッ」とはします。だって、『説教するのは好きだけど、されるのは大嫌い』な人間ですから、私(汗)でも、そんな時に思うんです。「なんだかありがたいなぁ」私に敢えてそういう事を言ってくれる人は、やはりとても大切な存在ですよね。そんな人たちに助けられて、私の『なにがあってもだいじょうぶ』な人生があるんですね。私の住んでいるこの街がこんなに花いっぱいだったなんて気がつけたのも、実はそんな『こころのゆとり』ができたからかな、と思う今日この頃です。
2005.07.03
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ごく最近なんですけど、気がついたことがあるんです。私の住んでいる街はとても花が多いなと。 各家庭の庭先はもちろん、道端や畑の隅にそれはそれは色とりどりのお花たちが咲いています。以前は全然そんなこと気にも留めなかったんです。「咲いているのが当たり前」そんな感覚でした。でもね、、、、お花たちがきれいに咲けるのも誰かがちゃんと手入れをしているからなんですよね。それは【自分がちゃんと手入れをしなかったために紫陽花を枯らしてしまった事件】で気がつけたことなんです。私の身の回りにはあって当たり前、してあって当たり前、という気がしているだけで、実は目に見えない多くの人たちのたくさんの思い、たくさんのサポートで助けられていることがたくさんあるみたいです。私も「俺がやっている」とこれ見よがしにするのではなく、様々な思いをそんな花の様に形を変えてご縁のある人たちに大切なものをお伝えできれば、と思います。
2005.07.02
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最近気持ち良いんです。若い頃はもう毎日でした。若かったし、体力もあったから。最近はちょっと疲れ気味だったので遠慮してたんです。でもね、この歳でまた目覚めてしまったんですよ!それはもう、カ・イ・カ・ンです。。。。。自転車なんですけどね。(。。。。)パンクしてホコリまみれになった自転車があったんです。もう、乗らなくなってしまったし、一度は廃品回収車の呼び声にと「処分してしまおう」と思ったことがあったんです。ところが「タイヤのインチが合わない」とかで断られてしまったんです。(知ってました?廃品回収の人って自転車は選り好みするんですよ。)そんなわけで粗大ごみにも出されずに自転車置き場にホコリまみれで置きっ放しになっていたんです。ところがある日、サドルになにやら白い張り紙が。「今月中に持ち主がはっきりしない場合はこちらで処分させていただきます」どうやら大家さんがあまりのだらしなさに業を煮やして最終通告をしてきたんです。「まぁ、このまま処分してもらっても良いかな」と思ったもののその時、こいつと出会った時のことを想いだしてしまったんです。(遠くを見つめる私の目)(ちょうど学校に入った頃で、あんな事があってこんな事もあったなぁ。。。。)よく見るとボディはまだ大丈夫だし、ブレーキもまだまだしっかりと効きそう。どうやらタイヤだけ修理すれば何とかなるかな。。。という訳で行きましたよ、わたしゃ。前後ともパンクして「ガッタンガッタン」と素敵な音を立てながら、その自転車を押して近所の自転車屋まで。「これはチューブだけじゃなくてタイヤも交換だね」自転車屋のおやじさんは尚も続けます。「片方3800円かかるけど、どうする?」なにしろ新品が1万円ちょっとで買える時代です。前後交換すると7600円です。正直「買い換えちゃおうかな」と思いました。でもね、なんだかそれよりももっと大切なものがある気がしてそのまま交換をお願いしました。(それもタイヤ取り寄せだから3日くらいかかってしまったりして)それで復活したのが『マリア二世』です。(一応リ・ボーンしたということで二世です)それからはもう、どこに行くにもこの『マリア』と一緒です。督促状を持って銀行に行くのも、特売日に98円のシメジを買いに行くのも全て『マリア』と一緒です。もう、『マリア』無しの生活は考えられないくらいです。近所の田んぼ道を走っていると「俺は今、風になっている」なんて思いますもの。(すいません、ちょっとオーバーです。。。)太ももの筋肉痛にちょっと顔をゆがめながらも、今日も買い物袋を前のかごに入れながら颯爽と街中を走り去る私です。☆☆☆今日のだいじょうぶ☆☆☆街中を自転車で走ればこころもからだもお財布もだいじょうぶ。しかし、昨日の洗濯機といいなんだか貧乏話ばかりみたいだなぁ。。。。
2005.07.01
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