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29日に仕事納めの納会なぞやった後に、毎年恒例のすす払いとして1人わびしく風俗の風呂に入り1年の垢を洗い流した。振り返ってみればこの1年、どんな年だったのかよくわからない。仕事はなんとなく忙しかったような気がする。客のリクエストが高くなったことで戸惑いや試行錯誤や差し戻しが増えて大幅に時間をロスしたことなどが原因だ。何度もミーティングを重ねて資料をまとめて客に見せると一発でつき返されて説明会が5分で中止になったことが何度かある。検査忌避や虚偽記載が問題になった年だった。何十年も隆盛を誇っていた企業が敗北を認めた年でもあった。われわれ技術者にとっては、高い説明能力や、ミスを未然に防ぐ危機管理能力を問われた一年だったといえる。5月に京都へ旅行に行った。金閣寺・銀閣寺・清水寺・新撰組・嵐山、といった修学旅行のようなコースを廻った。子どものころには味わえなかった感動をあらためて味わった。イラク戦争の開戦が今年だったのか去年だったのか忘れている。そういえば911が何年の9月11日なのかも忘れている。2000年になってから2千何年なのかわからないようになってきている。京都にいると時間がよくわからない。新撰組が活躍したのも、信長が本能寺に斃れたのも、まるで15年ぐらい前のことのようだ。京都で会った友人たちも、まるで15年ぐらい前から知っていたような感じがいつもする。株を始めた。かなり本を買ったし全部読んだが、実際に買うとなると欲望むきだしの買い方を何度もして失敗した。しかし失敗だと気づいたらすぐに売ったから損失はそれほどでもなかった。10月から売買を始めて3ヶ月、投入した資金はまだ80万だが、差し引き46,000円のマイナスは、授業料としては安いに違いない。20回近く売買しているから損失のほとんどは手数料分だろうし、損失の額以上に教材や設備に金を使ったし、これから投資セミナーとか受講したいと思ってるぐらいだからもっとコストはかかってくる。「儲ける」という目的とは逆の方向にキャッシュは働いているけれどもそれでいい。金よりも技術を身につけたがっている。こすりつけとカラコが結婚して非常にめでたい。あのときはだいぶ緊張していたがフランスやコビックにフォローしてもらってありがたい。京都ではいつもとんぼりに世話になっている。54号や住職、銀さんやチャンさんを見たときにはPCBの個性もかすむほどだった。アイボクは白いスーツを着ていた。ジャージの女に目がいった。杖レのカラオケに耳を奪われた。つなみ嬢が東京にやってきた。2年越しぐらいの再会は初対面だった。小股の切れ上がったとのさまとのサイクリングはスリットが切れ上がっていた。Pタンや椅子タンはきれいに禿げ上がっていたし猫さんの乳はやらかかった。係長はビリヤードのキューを反対にもってうっちゃんにしかられた。ラジオ局の課長のお友だちのAV女優に警部が関心を示していた。職場が江戸川橋に移ったが輪坊とは一度も会っていない。ツーキニストやまろさんらとみた戦艦ひえいはでかかった。就職が決まったmimiは博打にのめりこんでいてかなり蓄財しているらしい。副主将宅の焼き鳥パーティーはだいぶ居心地がよかった。みなさんよいおとしを。来年にむけて、新しいシステム手帳を買ってみた。スケジュールや浮かんだフレーズを、いちいちメモしておかないと覚えていられないようになってきた。手帳にメモする習慣がないから、まずその習慣を身につけることが来年の目標だ。
2004.12.30
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いっそう寒くなってきた。金魚の水槽の温度がある日10度を下回った。その2日後ぐらいに3匹のうち1匹が怪しい動きをした。横になったまま浮き上がり水面までくると、横になっていた体を縦に戻すためにもがいたり、底のほうでも少し斜めになりながら、円を描くような方向にしか進めなかったり、とにかく挙動不審な動きだった。水温が下がったからかもしれないと思った。この頃皿を洗う水が手に厳しくあたる。この水温の中で暮らす金魚は辛かろうと思い、金魚の水槽にヒーターを導入した。温度計は正確に19度をキープしている。挙動不審だった奴は魚としてのバランスを正確に保てるようになった。有馬記念をとった。好きな馬とか騎手とか、嫌な買い目とか理想的な展開のイメージとか、そういうことを全て排除して競馬新聞を読んだ。成績とラップタイムと調教でピックアップし、最も合理的な買い方をした。1・4・8・9・10のボックス。1番人気の「1」は保険。オッズが安いからいつもなら切っていて、あーやっぱり1きたよー、が負けパターンの典型だった。期待しているのは1以外だったが、やっぱり1がきてしまった。保険馬券だったから、3万円ベットして、儲けは1万円に満たなかった。それでも悲しいかな株よりは効率がいい・・今年10月から始めた株は、おっかなびっくり賭けているせいで現在9万円ぐらいの損失だ。ひと月3万とすれば、パチンコですったと思えばわりきれないでもない額だからあまり問題にはしていない。しかしあまりの下手さと、たまに当たったときのまぐれさ加減がどうしようもない。煽りに乗せられて買ったところが高値で、怖くなって手放した直後に戻したり、騰がったら売り時を見計らっているうちにどんどん下がってきて、慌てて投げたりとかそういうことばかり繰り返している。あがり始めたら買う。下がってしまったら売る。「安く買って高く売る」という商いの基本とは完全に逆行していることはいたいほどわかる。でもそれはあとになってからのことだ。「あがりそう」なニュースとは無関係に株価は動く。ニュースで公表された情報はもう株価には反映されていて、現在の株価は未来の予測で成り立っているのだという。その「未来」のレンジはだいたい2日後から5年先というからもうわけがわからない。確かにニュースが株価を動かすこともある。しかし強烈なサプライズか仕手でもないかぎり、日々の値動きがどの原因によってひきおこされたのかということを、個人レベルでつきとめるのは不可能だ。そして何千人もの未来情報が反映された株価の先を読むのはもっと不可能だ。たぶんどんなプロでも、未来を予測し続けるのは不可能なんじゃないだろうか。新聞やテレビや雑誌では、アナリストとかストラテジストとかいう肩書きを持った人たちが経済動向や株価予測を繰り広げているけれども、たいがい当たらない。競馬評論家が推奨する馬券が当たらないのと同じぐらいの割合で当たらない。次の日にあがるか下がるかの確率は2分の1で、それだけだったらコインの裏表と同じ確率だが、上げ下げを繰り返して2ヶ月後どうなるかということになるとかなり複雑だ。サイコロで半丁が出る確率は1/2。しかし永久に続く賭場の流れの中で、丁が3回続くことは予測できない。丁が5回続いたら次こそは半、とも思う。しかしその期待とは無関係に、次の回に半と丁は平等なチャンスをもって出現する。これは、1000回サイコロを振ったらだいたい半と丁が500回ぐらいずつになる、という確率論に基づくイメージだが、その1000回のうちに丁が何回続くかとか、必ず交互にやってくるとかということは保証されていない。1000回投げたサイコロがだいたい半丁500ずつになるだろうということは立証されていても、実験の結果、まれに100対900とか、あるいは0対1000になることもあることは完全に否定されていない。でも1万回投げたら必ず5千5千に近くなるだろう、1億回だともっと近づく。たしかに理屈ではそうだろう。でも博打には、1億回ものチャンスはない。半・半・半・半と続いたサイコロの次の出目は誰も正確にわからないのだ。材料買い、仕手株買い、高値掴み、塩漬け、、いろんな悪手を繰り返した。あとやってみたいのは仕手株売りだが、それもやってみないと、体で覚えないと悪手かどうかわからない。目的は資産運用なのか小遣いを稼ぎたいのか博打をしたいのかということの答えがようやく見つかったような気がする。ばくち打ちでもトレーダーでも投資家でもなくオレは多分、「相場師」になりたい。「伝説の相場師」になりない。後年、「枯れた相場を張るひとだった」とかいわれるようになりたい。相場の「技術」を身につけたい。
2004.12.25
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ブルーノート東京へ行ってきた。ジャズのライブハウスで、テーブル席で酒や食事を楽しみながら演奏を聴けるというとても大人でリッチな気分も味わえることでも有名だということを聞いていた。誰が演奏するのか知らなかったが、目的は演奏ではなく「リッチな気分」だったから知らなくてもよかった。演奏が始まったが、照明も落とされていたし禁煙だったし、食事の注文も演奏前に締め切られたから、どちらかというと食事を楽しむというよりは、やっぱり演奏を聴くことがメインのライブハウスだったようだ。ただ酒を飲みながら座って聴けるという点では、かなり理想的な環境ではあった。演奏が終わっても、演奏者の名前はわからなかった。それよりも、青山の街を歩くにあたってかなり浮き足立った。まず店が違っていた。一見宝石屋だかアパレルだか美術展かわからないような店ばかりだったし、レストランは入り口がどこにあるかわからなかった。そういった店から出てくる客は決まってクルマで乗りつけてきていて、店の従業員だか店長だかに丁寧におじぎされながら乗り込むクルマは必ず外車だった。しかもビカビカにワックスが塗りこまれていて照明をいろんな角度から反射させ夜の表参道に浮かび上がっていた。車種も見たことのない形をしたBMWや年式の古いフェラーリや、東京モーターショーに出てくるような近未来的なデザインのわけのわからないクルマばかりで、日本車はタクシーだけだった。道を歩いている人は少なかった。住民はおそらく50メートルぐらいの距離でもクルマで出かけているようだった。レストランに入っても客はほとんどネクタイをしておらず、高そうなシャツとジャケットを着ていて全員が石田純一のように見えた。女はそれほど着飾っておらずどちらかというとラフなファッションだった。メイクもあまりしていなかったが、表情は豊かで、身のこなしは鮮やかだった。おそらく近隣住民に違いなかったが、彼らに生活感は皆無だった。会社帰りだったから仕事着のままだったオレは青山という街に気後れしてしまっていた。トイレに行ってネクタイを外し、ジャケットのポケットに突っ込んだ。二つ目のボタンも外し前をちょっとはだけてみた。にわか青山スタイルになってブルーノートに入った。するとオレと同じように、ネクタイだけ外したサラリーマン風情が何人もいた。急に恥ずかしくなってきて、また慌ててトイレに入りネクタイをしめなおした。
2004.12.23
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約1ヶ月かけてドラクエ8をやりこんでクリアした。発売日当日に定価で買ってしまってから、この12月はほとんどの時間をドラクエに奪われた。いやゲーム自体は非常に面白かったから、むしろ率先してドラクエに時間を提供していたといったほうが正しい。それでも終盤にさしかかってから最後の敵に勝つまでかなり時間がかかってダレて飽きてきてしまった。途中で諦めなかったのは、ほとんど仕事を最後までまっとうするときのような義務感が働いていたからだったと思う。そういった意味でもドラクエは、前向きな意欲を呼び起こしてくれる、良質なエンターテイメントであるともいえるかもしれない。今日は12月23日、天皇誕生日だ。確か皇居では一般参賀が行われたはずだ。一度でいいから皇居で天皇の姿を見てみたいとは思っていたが、昨日徹夜でドラクエをしていたため早起きできるはずもなかった。それにしても天皇家というのは非常に不思議な存在だ。日本史上いかに重要な役割を果たし続けてきた血族であるとはいえ、これほど注目され、国家予算で生活や贅沢をほぼ永久に保証されているにもかかわらず文句のひとつもいわれない。どころか国民には無条件に敬われ崇め奉られほとんど神のような扱いを受けている。政治もメディアもそうすることをむしろ国民に強いているような感じだ。ドラクエの主人公を新しくナントカ城に冒険させるたびにそんなことを考えた。ナントカ城においてはことごとく平民は君主の噂をしていたし、そもそもこのゲームの世界観が、君主が統治する国や領地を、君主の命を受けた勇者が命を賭けて戦う、というものだった。プレイヤーとしては君主に誓おうが誓うまいが、とりあえず目先の敵を倒しながら、君主を喜ばせることになるであろう結末に向かって昼夜努力しなければならない。リアルな時間経過をともなう主人公であるプレイヤーの自己犠牲の目的は、「世界平和」と「君主への忠誠」。そういった物語を、創り手は何年もの歳月をかけて製作してきて、オレを含めた何百万人というプレイヤーは大喜びで時間を注ぎ込み、平民や労働者であることの有意義さを、知らず知らずのうちに刷り込まれているというわけだ。ドラクエはさらに教えてくれる。8000円で買った武器の売却額は半額の4000円だということだ。しかも経済的に豊かになってゆくことと、目前の敵が強くなっていくことが比例してゆくから、古い武器を売却して、もっと高価な武器に買い換えなければならない。最初20円ぐらいで売られていた武器は、冒険が進むにつれ2万円払わなければ買えないようになってくる。もちろん同じ武器が値上がりするのではないが、2000倍もの値段の武器に買い換えたところで、2000倍の効果があらわれるというわけではない。「呪文を30%防ぐ」というような効果がうたわれ、消費者の購買意欲をかきたてる。出てくる敵も、弱いままの武器ではなかなか倒せず、武器を買い換えたとたんに戦闘が楽になったりする。ということがあると、武器商人と敵はグルになってるんじゃないかと疑う。強い敵がいるところで強い敵を倒すための強い武器が売られるようになるのは需給としておかしな道理ではないが、高価な武器を売りつけるために強いモンスターを配置していたとしたら、それは不当に搾取されているということだ。映画「MI:2」では、製薬会社がウイルスとワクチンを同時に開発し、ワクチンの売り上げを伸ばすという犯罪計画に立ち向かうヒーローの姿が描かれていた。もしオレが自転車修理工だったら、駅前駐輪場においてある自転車をわからないようにパンクさせていって、パンク修理工賃の売り上げを伸ばすような計画を思い浮かべる。たしかにそれは犯罪行為で、似たような不正が「MI:2」では犯罪として描かれていたわけだけれども、ドラクエでは、モンスターが強くなっていく毎に武器の値段が高騰するのはいわばシステムと化している。モンスターを配置し、高価な武器を買わせて商人を潤わせる、というシステムの中では、ウイルスとワクチンを同時開発するといった悪魔的商法は犯罪ではなくなる。自転車修理工が駅前の放置自転車をパンクせしめるのが犯罪でも、パンクしやすいタイヤを売って、パンクとパンク修理の需給を保つのは許される。そういう国家レベルの犯罪が、ドラクエの中ではまかり通っている。システムは法律を決められる。法律になれば、犯罪は犯罪でなくなる。
2004.12.22
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その後電話がかかってきた。パソコン修理のサポートセンターに、ノートパソコンが壊れた原因と、修理にかかった費用の請求額がゼロ円なのはなぜかということを問い合わせていて、その回答だった。まず「請求額ゼロ」に関しては、「部品の交換ではなく、修理だから」ということだった。前に概算見積を聞いたとき、HDD(ハードディスクドライブ)の交換には42,000円かかり、そのうち15,000円が工賃といわれていた。さらに引き取りと再配達に2,700円。事務手数料だかなにかに2,450円。これだと修理の場合、最低でも20,000円はかかるはずだ。しかし電話をくれた担当者は関西圏のイントネーションで「お客さまの場合、部品交換されてませんので金額は発生しないことになります」といった。原因について問いただした。--故障の原因はなに?「マザーボードのエラーが認められたということで、修正というカタチで対応させていただきました」--なぜエラーになったの?普段の使い方が悪かったとか?「いえそういうことはございません。マニュアル通り使っていただいておるようですし、今回の場合は、マザーボードにエラーがあったということで。」--だからなぜエラーになるの?不良品ということではないの?「いえ構造的な不良ということでしたらきちんと公表いたしますし、もしこの製品全てが不良ということでしたら、この工場には何万台というパソコンが送られてくるわけでして。」--じゃあなんで壊れたの。1年で壊れるような基盤を不良品ていうんじゃないの。「いや機械ですからね。全部が全部1年で壊れるかというとそういうことではないわけですし、たまたま壊れてしまったから、製品自体が不良品ということではございませんですし、」--新しいのに交換してもまた1年で壊れるかもしれないよね。「先ほども申しましたが、なにしろ機械のことですから、必ず壊れるわけではありませんし、逆に絶対壊れないともいいきれません。なにしろ機械ですから。」というような調子で、なんとなく煙に巻かれてしまったが、たしかに機械だから故障するのは仕方がないといえばその通りだ。そういったある程度の故障を想定したメーカーのサービスに対する姿勢を問おうにも、「無償」とされてしまっているから、あらためて問いただす理由がないのだった。その後、どんな対策をしたのかもきいた。「専門的な内容になってしまいますが、トランジスタを交換したのかもしれないですし、ハンダで直せるようなら直したのかもしれません」まるで他人事のようなふやけた内容の台詞が飛び出してきたからオレは一気にふにゃふにゃになってしまった。原因や対策をつきとめたところで「請求額ゼロ」以上の成果を望めそうにはなかったし、もしこれに不正な思惑が絡んでいたとしても、それを追求したところで誰も幸せになることはない。とりあえずパソコンが快適に動作してくれれば問題はないわけだし、今のところフリーズするようなことはなくなった。目先の問題は解決しているのにいったいオレはなにをしているんだろう。この話の通じない変なにいちゃんはいったい誰だ。こいつの顔を想像しようとしてみたが、浮かんでくるのはベージュの作業着とその襟元から見える緑色のTシャツとメガネだけで、顔はまるでわからなかった。のっぺらぼうがメガネをかけて電話している映像が浮かび、なぜ目がないのにメガネをかけているのか不思議だったし、よくよく考えてみたらそいつには鼻も耳もないから顔にメガネがひっかかるはずがないということを考えたらもっと不思議な気分になっていった。ふにゃふにゃになってゆく精神につられて肉体も軟化してゆきそうだったから相手の話を途中で遮って、電話を切った。原因もなにもわからなかったが、なんとなく「敗北」したということだけは自覚した。
2004.12.16
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壊れて修理に出していたパソコンが戻ってきた。郵便受けに宅配便からの不在票が入っていたのだったが、修理費の見積額の提示も事前になかったし、ということは見積もられた金額をもって買い換えか修理かを選ぶ意思決定もないまま、奈良の修理工場からパソコンが送り返されてきた。梱包を解くまで、「1.未修理」か、「2.修理済みで請求書が入っている」のか、「3.新品に取り替えてくれた」のかわからなかった。荷物を解いた。見慣れたパソコンが入っていたから、3.の線は消えた。「パソコンポ」の中からは、厳重に梱包されたノートパソコンと、そして封筒が1通出てきた。嫌な予感がした。金額の提示もなしにいきなり請求書とはいい度胸だ。妙な胸騒ぎがした。封筒を開けた。カーボン紙に特殊なプリンターで印刷された請求書のようなビラビラの紙が出てきた。パソコンの型番や故障の内容や施された対策などが書かれていた。内訳欄に注目した。すると明細は1行もなく、合計の欄にただ「0」ときわめて小さく書かれているだけだった。1年保証区分は「無」とある。保証期間を過ぎて無償で修理してもらえるような契約は取り交わしていないはずだ。が、タダに越したことはないし、もともと故障だったらいろいろ理屈をつけてそのようにしてもらうはずではいた。請求額「0」とは、結果として目的達成にあたる。しかし、不明な点がいくつもある。不明なところを曖昧にしたまま、「なんとなく」で済ませてもいいのかもしれない。なにしろ「無償」は魅力的だ。しかしその「無償」になんらかの裏があると思わざるをえない。テーマを以下の2つに絞って問い合わせることにした。「1.保障期間を過ぎているのになぜ『無償』修理の対象となったのか」「2.故障の原因は何か」ハードの故障であることは確実なようだった。伝票には故障の対策として、「1.マザーボードの修正」、「2.HDDフラットケーブルの交換」、「3.本体各動作テストOK」、などと書いてあったが、その原因については一切触れられていなかった。衝撃を与えすぎたからなのか、タッチタイプの圧力が強すぎたからなのか、あまりにも過度な電圧をかけすぎてオーバーヒートさせてしまったのか、あるいはもともと、部品の耐久性に問題があったのかどうか。対策として施された「マザーボードの修正」に関しても、どんな修正がされたのか、何が変わったのかわからない。ケーブルの交換にしても、交換しなければならないほど破損していたのか、あるいはもとから不良品だったのかわからない。同じ部品に交換したのなら、1年後にまた同じ原因で故障するかもしれないと思うのは当然のことだが、もともとの構造に不安があれば、新しい部品がまた1年後に故障しないともいいきれない。これは推測だが、おそらく構造的な不備があり、HDDフラットケーブルがショートするとか焼き切れるかなにかで接点があまくなって、HDDの信号をうまく他系統に伝達できなかった。その構造の不備を解消するために「マザーボードの修正」を行った。ケーブルがショートしたことが直接の原因だが、ショートする原因はマザーボードつまりパソコンの基幹部分にある。つまりこの故障は設計ミスによってひきおこされた。そして「請求額ゼロ」はその設計ミスを隠蔽するためのいわば「口封じ」だ。「こっちはタダで修理してあげてるんだから」という無言の圧力をかけることで深く原因を追求されることを回避しているに違いない。これはあくまでも推測だ。「請求額ゼロ」と「故障の原因」。この2つの謎を解くべくサポートに電話をした。担当の部署が違うということでコールバックしてもらうことになっているが、まだ電話は鳴らない。もしかしたら、戦いは始まったばかりなのかもしれない。
2004.12.13
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それにしても買う株買う株ことごとく下がっている。今度はヤフーに手を出したがさえない。もし数年前に100万円で1株買って、それをずっと持っていたら今ごろ1億になっていたといわれる伝説の銘柄だ。ヤフー株は暴騰と株式分割を繰り返し、ようやく庶民にも手が届く値になった。伝説を再び夢みたわけではないが、ずっと欲しいと思っていた株だったから、一度は買ってみようと思った。今度は、少しぐらい下がっても動じないとは思っていたものの、GDPの下方修正とかアメリカ株安あるいは景気の先行き不透明感などの影響で、日本の相場も冷え切っている真っ最中に買ってしまったらしい。「いつか上がる」と信じてはいても、そこに確信はない。で不安になって売ると今度は急に上がったりする。上がり始めたことに気付いて買うとそこがピークだったりして今度は下がる。もうなんというか、一人デフレスパイラルである。こんな素人のようなことを繰り返していたら一生カモで終わってしまう。もっとプロらしく分析に時間をかけなければダメだ。株に関しては全くのド素人だが、コンピュータシステムに関しては多少自信がある。データさえ手に入れられれば、それを使った高機能な分析システムを作ることは比較的たやすい。ちょっと仕事の合間に、Excelのマクロで作ってみることにした。それにExcelやAccessの画面をひらいていれば、なんとなく周囲に仕事をしているということをアッピールできる。なにしろ株の銘柄数は3000以上もある。そこから、業績がよくて割安で人気の株を探し出すことが最も困難な作業といえる。そこを自動化しようというのが今回の目的だ。市場で取引されている全銘柄のデータや指数をデータベース化し、数値にフィルターをかけて絞りこめば、理論上の買い目は見つかるはずだ。しかしそれはあくまで理論であって、相場は必ずしも理論通りには動いてはくれない。3000から50程度に絞り込めれば、アナログな分析も可能であろう、ということで、まずWebに散らばっているデータをExcelに展開する仕掛けを作り、次に全銘柄を縦に並べ、一括して3000銘柄のデータを取得するように改造した。そのデータを整形してデータベースに入れ、いくつかのクエリ(問い合わせ)を通してフィルタリングする。優良企業といわれる「トヨタ」の数値を参考にした。「トヨタ」以上の数値を持つ銘柄の中から、手持ちの資金で買える株でさらに絞り込む。絞り込まれた銘柄の印象によっては、数値を調整する。そういったシステムをつくってみた。一番厳しい条件で抽出して出てくる銘柄は1件のみだ。「6457/グローリー」ここだけの話、この株はいけるんじゃないだろうか。
2004.12.09
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高所恐怖症かもしれない。オフィスが飯田橋から江戸川橋に移転した。新しいビルには喫煙室がなく、階段へ続く踊場のようなところが臨時の喫煙所になった。オフィスビルの8階で、踊り場は天井があるとはいえ、外にある。腰ぐらいの高さの壁に、手すりがついてるだけの仕切りのすぐ向こう側は、地上8階の高さからの風景がある。といってもごみごみした統一感のない住宅がただ並んでいるだけの殺風景で、視覚的にあまり楽しくはない。手すりから身を乗り出すとはるか下にアスファルトの道路が見える。手すりのところにジュースの缶などを置いてタバコを吸っているが、もしこの缶が落ちて下の道を通っている人に当たったりなどしたら大変なことになるだろうな、といつも思う。もしオレがまだ分別のつかない子どもだったら、ジュースの缶を8階の高さから下に落としたらどうなるか、ということに異常なほど関心を示すだろうし、ものすごく実験してみたくなるだろう。今は、落としたらどうなるかぐらい想像はつくし、実験の成果よりも、実験によってひきおこるトラブルや問題といったリスクが割に合わないことも知っているから、やらない。でも缶ジュースを持ってタバコを吸いに行くたびに、これを落としたらどうなるのか、ということを考えてしまう。それに連動して、ここから自分が飛び降りたらどうなるのだろうか、ということも考えてしまう。なにしろ手すりは胸の高さまでしかないから、「飛び降りたい」という意志さえあれば、そこから飛び降りることは可能なのだ。タバコを吸いながら下のアスファルトを見つめていると、なんとなくすいこまれそうになる。目まいや吐き気はしないから、深刻な高所恐怖症の症状というわけではないと思うが、下を覗き込みながら、ダイブしたときのスピードや加速度や、着地のときの衝撃を想像してゆくと、腰のあたりが落ち着かなくなり、地に足がうまくついていないような感覚におちいる。サンシャイン60、東京タワーや京都タワーの展望室に上ったときも同じような感じがした。高いところから下を見下ろすと、頑丈なガラスで守られていようがいまいが関係なく、「ここから落ちたらどうなるか」ということを想像してしまう。東京タワーから落ちたらさすがにめちゃめちゃになるだろうけれども、8階ぐらいの高さだと微妙だ。トレーニングによって猫のようなしなやか身体を作れば、捻挫程度で済むかもしれないような錯覚を起こしてしまうほど、割と地面近い感じがする。加速度的な落下運動がもたらすスピードはきっと極上の快楽だ。死にたい欲求がなくても、案外これと同じような理由で、高いところから飛び降りてしまう人が結構、いるんじゃないだろうか。
2004.12.08
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パソコンが壊れた。1ヶ月ぐらい前から日に一度はフリーズするようになって、それでもガマンして使っていたところ、日に何度も何度もフリーズするようになった。運がよければ2時間ぐらいは使えるけれども、ダメなときは5分とか、立ち上げたきりとかで固まるようになってきた。再現性がないことから、修理に出しても、「ちゃんと動いてますよ?」と言われてしまうかもしれないと思い、見送ってきたのだったが、ある日長い日記を書いてる途中で固まられてしまいぶち切れた挙句、決断した。去年の9月に買ったからまだ1年ぐらいしか経っていない。ところがこの1年経過するかどうかの境界線が、意外にも重要だった。まずビックカメラの長期保証書を探す作業にとりかかった。しかしどこをひっくり返しても、該当の書類は見当たらなかった。保証書はおろか、レシートも出てこなかったから、おそらくどこかわけのわからない場所にしまってあるか、完全に捨ててしまったかのどちらかだろうと思う。延べ2日を費やして探したが、気配すら感じられなかった。やがてメーカーの保証書だけが出てきた。有効期限は、購入から1年とあった。購入は去年の9月だった。1年ぐらいではあるが、1年以上経過してしまっていた。だから保証の対象にはならない。契約とはそういうものだ。メーカーに電話して修理の依頼をした。そのときに口頭で、概算見積額をきいた。「ハードディスクの交換ということでしたら、技術料含めて42000円ですね」ビジネスのような口調で礼儀正しく話していたのだがそのときばかりは、「まじで?たかくね?」というちょっと前の若者のような喋り方になってしまった。しかし電話口の担当者はつとめて冷静に、「はい、保証期間が過ぎた修理のお客さまにはこの金額でご案内しております」というだけだった。1年前に15万で買ったノートパソコンは消耗しながらその価値をどんどん落としているにもかかわらず、1年後にまた5万ぐらいのコストをかけなければ満足に動いてくれないという。コーヒーをこぼしたわけでもないし、床に叩きつけたわけでもない。普通に使っていて動かなくなった。それで保障期間の1年が過ぎたから修理費払え、というのはいくらなんでもあんまりだ。たとえばフリーズの原因が、「コンデンサーが焼き切れた」ということになったと仮定し、修理費を踏み倒すシミュレーションを展開してみた。「内部のコンデンサーがショートしておりまして、この部品を交換すれば正常に動くものと考えられます。」「なぜショートしたの?」「基盤部分に過剰な熱がこもりまして、この回路は火災防止のため、一定の高熱が加えられると断線する設計になっておりまして」「なぜ熱がこもるの?」「CPUやメモリーに不可をかけつづけますと熱が発生します。それとこの熱を逃がす機構が磨耗しておりまして」「一年経ったら磨耗して動かなくなっていいの?そういう商品を15万で消費者に売りつけてるわけ?違うでしょ、それは設計ミスということなんじゃないの?設計ミスのパソコンならまた壊れる可能性があるから、新しいのと交換して!」新しいのと交換は無理だとしても、この勢いで不良品扱いにしてもらえないだろうかと思っている。同僚の平さんのパソコンも、液晶が割れて壊滅したらしい。液晶交換の修理費を見積してもらった彼女はなんと「11万」という金額を提示されても、「修理」の道を選ぼうとしているようだった。夏に壊れた家のエアコンは、室外機のコンデンサー部分が壊れて、その交換のために10万の見積を提示された。部品1個よりも、工事費も含めて全部買い換えたほうが安いというこの流通の構造はいったいどういうことなんだろうかとも思う。何年かで壊れるような製品を安価で売りさばき、壊れたら膨大な額の修理費を請求して買い替え以外の道を亡き者にし、消費者を泣き寝入りさせる。そりゃ買う側の立場からしてみれば家電は安いほうがいいに決まっているが、だれも安いからといってすぐに壊れることを望んではいない。これはほとんど悪徳商法といっていいような気がしてきた。
2004.12.03
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