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バクチに負け続けてるとか家を失うとか言われているけれども、金にたいして臆病に、極めて慎重にチャンスをうかがってるだけであって、想定されるリスクの範囲外の損失はしてないし、資金の推移も今のところ比較的フラットだから心配にはおよばない。やりたいのはバクチか小遣い稼ぎか資産運用なのかは今のところ不明だけれども、目的はとにかく資金を増やすことで、増加率は多ければ多いほどいいに決まっている。自転車に乗るのにダイエットのためか速く走れるようになるためか、あるいは移動の効率を追及するためなのかというような理由は必要はなく、ただ自転車が好きで興味があるから、新しい情報を欲しがったり、新しい自転車に乗ってみたいという欲求を満たしたりするわけで、株などについても同じことがいえる。仕組みや用語などの知識は本を買って読めば理解できる。しかし呼吸やタイミングや読みや狙いや、とにかく今はなによりも市場と証券会社に授業料をお支払いし、経験を積み技術を習得し才能を磨く段階であると思っている。ネタというのも確かに当たっていて、でもそれはいつか「昔はあんなに苦労してたけど今は億万長者になりました!」というようなサクセスドキュメンタリーを描く途中であると考えられないこともない。長い長い物語は、始まったばかりである。ところで金魚は新しく2匹投入した。夏5匹だった金魚は最終的に1匹になってしまい、ひとりぼっちで寂しかったのかのうかこの頃、端のほうでじっとおとなしくしていることが多かった。西武百貨店の屋上に都内でも有名な金魚ショップがあることを知ったオレは自転車で池袋へ向かった。屋上のこども広場は経費節減の煽りをうけて閉鎖されていた。軽食の屋台が並ぶところの椅子には学生のカップルや年配の夫婦が数組いるだけだった。ロフトの入り口のさらに奥深く、園芸用の鉢などが売られてるもっと先に、金魚ショップはあった。池袋の西武にはよく行くが、金魚を飼っていないときには気にもとめていなかった。大きな青い水槽がいくつも並べられていて、おそらく金魚の種類ごとに分けられ、段ボールの切れ端に手書きのマジックで書かれた値札が付いていた。一尾300円から2000円程度がだいたいの相場だった。ガラスの水槽に入れられて飾られている「ランチュウ」とか「オランダシシガシラ」という名前の20センチ四方もあろうかという金魚には1匹2万~3万もの値が付いたものもいた。欲しいのは金魚すくいにいるような金魚だった。それらは1つの水槽にまとめられ、3尾105円、というような売られ方をしていた。オレは2匹だけ欲しいといった。家の水槽には3匹ぐらいがちょうどいい。ビニール袋に入れられた金魚を持ち帰るとき、あまり揺れたりしないようにゆっくりと自転車を走らせた。水槽とビニール袋の水温と水質を徐々にあわせてゆき、いよいよ新しい金魚が2匹投入された。当初は2匹とも死んだようになって、ピクリぐらいしか動かなかった。しかしやがて時間が経過すると、水草やトンネルや橋や、エアーや滝といったアトラクションを一つ一つ探るようにして動き回りはじめた。やがて1匹だけになって元気のなくなっていた通称「ボス」もどういうわけか動き回るようになった。今では3匹がお互いの自由を尊重しながらも、必要に応じて連携を図ったりしていい関係をキープしているようである。そういえば今度事業所が飯田橋から江戸川橋へ引っ越すことになった。今日オフィスはその引っ越しのために朝からあわただしい。たしか輪坊の職場も江戸川橋だったはず。出遭ったときにはこんにちは。
2004.11.26
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新規公開株に手を出した。最近では「豆蔵」というふざけた名前のコンサル会社が30万の売り出し価格に対して65万の初値を付けて、一旦80万まで値上がりした後、また65万ぐらいに戻した。それでも公募の2倍圏のところでの取引が続いている。倍は極端だとしても、どの例をとってみてもほとんど上昇していることから、投資家に人気が高く、証券会社の上客にまず割り当てられ、そのおこぼれが抽選によって割り振られるが、まず当選しない。当選の確率は宝くじを当てるよりは低いかもしれないが、やはり申し込みをしないことには当選する権利も生じない。11月の初旬から全資金のうちの8割を投じ、購入申し込みをして待つこと約2週間。その間、資金は凍結され、他に全く使えない状態になった。しかし下手に投資して、目減りさせるかまたはわずかなポイントを稼ぐよりは、1発逆転のチャンスを待つのも戦略の一つだ。申し込んだのは、「イートレード証券」。40万の売り出しだった。あわよくば倍の80万で初値がついてその後100万に到達したところで売る夢を抱きながら、ただひたすら抽選日を待ちつづけた。そして今日、応募が締められ、抽選の結果が貼り出された。「ハズレ」だった。がっくしである。オイシイ話はそうそうまわってはこないことになっているらしい。その間、新しい投資商品の広告に目がいっていた。その宣伝文句に釘付けになった。「ハイリスクをお楽しみください」ゴールドマンサックス社による、為替や株価や株価指数のオプションプレミアムを小口債券化した商品「eワラント」である。オプションとは「権利」のことをいい、金融用語としては「フューチャーオプション」つまり「先物を売買する権利の売買」という、ナニ言ってるのか全然わからないような取引のことを指す。まず先物とは、今11月だとして、来年の9月とかの契約を交わすことをいう。例えば卵10個が今150円だとして、来年の9月にも同じ値段で買いたい場合、その契約を今交わしてしまえば、200円に上がろうが300円になろうが150円だけ支払えばよい。鷄の大量死などによる品薄で1個500円に高騰した場合、150円で買えるということは他の人より350円得しているということになる。逆に来年の9月が到来したときに、相場が下がって卵10個80円とかになった場合でも、150円で買わなければならないから70円、時価で買うよりも損をすることになる。反対に先物の売り手は、来年の9月に値が下がることを期待している。80円の時価で卵を買ってきて、150円で売れば儲かるからだ。「先物を売買する権利(オプション)」とは、極端な話、今日150円で売られている卵を100円で買える権利の値段が50円と思えばいい。1ヶ月後に100円で買える権利を50円で買ったとして、1ヶ月後に80円に下がってしまった場合、80円のものを100円で買わなければならない上に、すでに50円支払っているから理屈上は70円の損失になるが、権利だから放棄すればよくて、だから最大でも損失は50円となる。反対に150円だった卵が200円になった。としたときには、50円で買った「100円で買う権利」を使って、200円の卵を100円で買うことによって50円の利益がうまれる。時価150円の卵が200円めざして上昇してゆく過程の中で、170円という局面があるとして、そのとき売りにだされる「100円で買える権利」の値段は70円。1ヵ月後が到来する前に、50円で買った権利を、70円のときに売ることもできる。その場合の利益は20円。1ヶ月まてばいいじゃん、と思うところだが1ヶ月後にきっちり200円になることは今の時点では全く保証されておらず、突然の暴落で100円に下がったまま1ヵ月後をむかえることも考えられる。そしたら50円で買った権利の価値は、0円だ。150円の卵が200円になったとして、上昇率は33%しかし50円の権利が100円になれば、上昇率にして100%である。0になるか倍になるか、オプションの原理を使ったeワラントは、宣伝通りハイリスクハイリターンだ。今度はこれに手を出してみる。
2004.11.25
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前線では1円の攻防が繰り広げられている。作戦の成果により時価総額の勢力は拡大してゆく。上昇は興奮と熱狂を呼び、下落は失望を誘発し痛みをともなう。武器と頭脳を有効に使う者が軍配を握り勝敗を決める。金は実弾、相場は戦場、取引は戦闘。投機は戦争だ。とすれば誰かの相場で利ざやをかすめて大喜びしているオレのごときは、戦場で死人の刀を攫うハイエナのようにもみえる。「カラ売り」は、株を借りてきて売る。借りた株を返すために、売った株を買い戻す。そして返す。誰かからクルマを借りて150万で売る。同じ種類のクルマを100万で買い戻し、知らないふりをして返すと、差引50万の利益になる。これと理屈は同じだ。カラ売りは、株価が下がることへの期待でもある。「下がってくれ下がってくれ」と祈るのだ。むしろ呪いといってもいい。株価が上がれば誰かがきっと幸せになるだろうということは想像に難くない。しかし下がれば誰かが不幸になるに違いない。カラ売りは、誰かの不幸を期待することでもある。ちょっと不健全だ。板に貼り出された金額の変動や注文の数量、約定してゆく取引のフラッシュなどを眺めていると、人の欲望や思惑が痛いほど伝わってくる。だから非常に消耗する。そういった道義的な負の要素と今後どう折り合いをつけてゆくかが一つの大きなテーマになっている。■今週は映画をいくつか観た。「キルビル2」と、「キューティーハニー」。どちらも相当面白かった。最近見た中では「ゼブラーマン」が圧倒的だが、この2作もだいぶいい。テレビでやってた「ピンポン」を2回ぐらいみてしまった。「反応反射音速高速」のところでは思わず泣きそうになってしまった。元気が出る映画だ。■朝起きられない。冷え込みが一段と厳しくなってきて、金魚の動作も緩慢になってきたことを受けてかどうか知らないけれども、布団から出ることがものすごく辛く感じるようになってきた。宴会の翌日などにその傾向が如実に現われる。昨日深酒をした。依然と較べてそれほどじゃぶじゃぶビールを飲めなくなった。だからワインを飲んでいたが、べろべろになってしまった。翌朝、まだ体内に酒が残っていた。いつもより10分多く寝てからがんばって起きたものの、今日は一日ぼーとしている。このところ仕事運・ラブ運ともに低迷している。■それでも今日も飲みに行く。10年近く前、まだフレッシュマンだった頃に配属されたプロジェクトにいたメンバーと今でもだいたい1年に1度か2度ほど会って酒を飲むことが続いている。引っ越したりすると引っ越し祝いをしたり、誰かがなにかの大会で優勝したりすると優勝祝いをしたり、何も無いときでも忘年会や新年会といったような理由をこじつけて会う。仕事のつながりでこれほど長く関係が続いているのはこのチームだけだ、というようなことを前にもどこかで書いた。今日はその中の1人が会社を辞めることになった。いわゆるリストラの憂き目にさらされた彼を「励ます会」なのだそうだ。とにかく大正漢方胃腸薬は飲んだ。べろべろに酔っぱらってバカ騒ぎすることが果たして励ましになるかどうか。
2004.11.19
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つなみ嬢の表情や肉体はほとんど溶解してしまうかというほど不安定になっていて、座る場所も使う皿もコップもほとんど誰のものかわからないような状態だった。うっちゃんもとのさまも「あついの」といって上着を脱ぎ、11月だというのに肩をあらわにして男の視線を釘付けた。スケベ椅子がオレのわき腹をつまみ、トレーニング不足と不摂生をとがめた。オレはリレー方式で反対側にいた猫さんのわき腹をつまんでその肉付きの度合いを確かめるふりをして「最近腹ヤバいのよ」といわれセクハラをしたつもりになって大喜びしていると、スケベ椅子が手を伸ばし、わき腹でもつまむような気軽さで猫さんの乳を数回揉んだ。揉まれた猫さんは動じず「最近トレーニングしてないからね」などと奇妙な言い訳をするだけだった。このリスクテイクな椅子のパフォーマンスと猫さんのありえない対応に全員が衝撃を受けた。オレはつなみ嬢に「この人たちが東京を象徴してるわけじゃないからね」と言い訳をしたくなった。副主将がやってきた。どういうわけか大きな風呂敷包をかかえたままやってきた。家を飛び出してきたようなあわてぶりだった。連絡のとれなかった副主将は、着付教室から直行してきたのだった。とのさまは短いスカートの切れ上がったスリットから白い足を惜しげもなくさらけ出しあまねく男を誘惑せしめている。輪坊はなぜ自分がここにいるのかわからないような顔をして常に一番端の席で琥珀色の飲み物を揺らしていた。輪坊と椅子はそろって革パンを履いている。下着はいつも着けていない。ニット帽のmimiはルーズなファッションを得意としているが、連れのうっちゃんはエレガント系だ。この宴会、集まってみると20代はmimiとうっちゃんしかいなかった。しかし若さは年齢によるものではない。自分がもう若くないと思っている人間は、ここにはひとりもいなかった。「あたし一回ビリヤードやってみたいのよね、やったことないからさ」とのさまが昼、我々にそう打ち明けていた。オレは事前に、あらゆるパターンの2次会を想定していて、カラオケ・居酒屋・バー・ボーリング・ダーツ・ビリヤード等、いくつもの店の連絡先をケータイに納めていた。他の客のニーズに会うかどうか心配したが「ビリヤード」と打診すると全員が従った。とのさまの命令には誰も逆らわないのだった。店を出て風にあたった。輪坊とスケベ椅子の革パン2人組と別れた。何もしなくても、また1年後ぐらいに会うことになるだろうと思われた。地下への階段を降りて「バグース」に入った。暗がりの店内はビリヤードのテーブルのところにだけ照明が当てられていた。ダーツが2台ある個室に案内された。全員の飲み物が揃う前に、どういうわけか頼道氏はダーツ機にコインを入れ、一人でゲームをし始めた。猫さんが床にぺたんと座った。それを皮切りに椅子に座れない奴は床に座った。狭くて暗い個室の中で、初対面を含む酔った男女は思い思いのスタイルで酒を楽しんだ。猫さんとゲームをした。「スリーオーワン」という名前のゲームで、持ち点301を減らして行くゲームだ。残り32のとき賭けをした。これを獲ったら乳を揉める。200倍ぐらい集中して、投げた。するとオレの矢は、16のダブルに突き刺さった!「ワンフォーオール・オールフォーワン」というどこかの企業のスローガンがある。一人は全てのために、全ては一人のために、というような意味だ。この場でこの語が適切かどうかはわからない。しかしこの夜十数名は、つなみ嬢たった一人のためにここに集まった。そしてひとりひとりのパーソナリティーは、この場のほとんど全員に影響を与えていた。ビリヤードのテーブルが一つだけ空いたという。猫さんやとのさまとともにビリヤード台へ移行した。並行して、つなみ嬢とダーツゲームをした。果たしてオレ、また乳を揉めるかどうか。朝から奇妙な感じにとらわれていた。つなみ嬢ともとのさまとも、初めて会ったのに初めて会ったような気がしなかった。緊張もせずリラックスして話をすることができたし、一日中一緒にいても気を使うようなことはまるでなかった。それは相手が女性だからという要因があるのは多分に否めないが、頼道氏にしろ課長にしろ、最初からどういうわけか妙な連帯感があって、場に不自然さは感じられなかった。web日記という、方向としては完全に一方通行的な手段を用いて自己表現している人々が集まるということに結果的になったが、顔ぶれだけ見るとこの集団には、傾向も法則も一貫性も共通性も皆無で、見事なほどにてんでバラバラだった。しかし、日記を書くこと、書き続けること、自分をさらけ出すこと、世界中にメッセージを送り続けること、自分を表現し続けること。これらにかかるエネルギーは果てしなく甚大だ。ここに集まったバラバラな人間たちは、体内に限りないエネルギーを保有しているという点において共通している。そしてそのありあまるエネルギーの使い道を模索するきっかけが、つなみ嬢によって与えられた。彼女に吸い寄せられるようにして集束したあまねくエネルギーは消耗するどころか増幅しやがて外部に拡散してゆきそうな勢いを帯びている。今夜はとりわけ、最強のエネルギーを惜しげもなく発揮するつなみ嬢に引き寄せられる格好になったが、まだまだ使い足りない。mimiとのゲームも終わった時点で、かなりの時間が経過していると思われたが、うっちゃんがやってきて、「ビリヤード、まだ終わらないの」と困惑した表情でつぶやいた。その言葉は、終わらない夜の始まりを予感させた。(おしまい)
2004.11.13
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警部だった。どういうわけか警部は、ダークスーツに白いシャツを着、髪をきっちりセットしていた。場違いなやつがやってきた、と思ったオレは思ったままを口にした。「ああ確かに一人だけ格好が違うね、結婚式の帰りなんだよ」警部はさらっとした口調でそういった。スーツを着ているせいかどうか、去年より体格が一回り大きくなったような印象を受けた。本当はブラックペッパー。ピンクレディーの「ペッパー警部」。だから警部。オレの周囲に彼をちゃんと「ブラックペッパー」と呼ぶ人間はいない。つなみ嬢は新しく誰かが登場するたびにオレに視線を向ける。「誰?」という目だ。疲れのためか酔いのためかその目は薄く涙ぐんでいる。ほのかに赤みをさした白い肌とあいまって色情的だ。救済を求めているような上目づかいのつなみ嬢の視線にオレは一瞬狼狽したが、自らの劣情を飛散させるように彼女から視線を外しそして全員に向けて警部を紹介した。続けて輪坊がやってきた。警部といい輪坊といい、登場して一斉に我々の注目を浴びると急に、顔をしかめる。「なんだこいつらは」というような表情になるのだ。そのことは不問に伏し着席を進めるような合図をしていると彼のすぐ後に大男が入ってきた。輪坊がもう一人連れてくるといっていた人物は、「スケベ椅子」という名前の男だった。つるつるにした頭を撫でながら恐縮そうに現れたスケベ椅子ではあったが、風貌や態度からにじみ出るエキスには恐縮さのかけらもなくむしろ不遜というべきだった。ちょうど1年前彼はこの新宿で、裸に毛皮のコートだけ着て踊り騒いでいた。オレにとってはそのとき以来となる。「男の隣がいい」といって彼はオレの隣に座ったが、猫さんとスケベ椅子に挟まれたオレは、両手に爆弾を抱えたような状態になってしまった。するとスキンヘッドがもう一人現れた。名簿と出席者を照らし合わせた消去法で考えると「コジマール課長」。彼もやはり、一斉に振り向いた我々にたいしていぶかしげな、むしろ威嚇するような表情を向け、「なんだこいつらは?」というようなシグナルを発したまま立ち尽くしていた。スキンヘッドで、である。カジュアルに黒のジャケットという点では多少愛嬌のある人格に見えないこともなかったが、課長か組長かと問われるとどちらかというと組長のほうだったから、我々は断然萎縮せざるを得なかった。これら特徴的なヘアースタイルを誇る3人を並べて撮った写真がとのさまより送られてきた。なんというか、ここが新宿。
2004.11.12
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午後5時が近づくにつれアルタ前の混雑は高まり歩行すら困難な状態になっていった。「誰もこないね」つなみ嬢は心配そうにいったが、まだ集合時刻10分前だったし、たとえ誰かが早めにきたとしても、この人だかりでは見つけるのは到底不可能と思われた。ここでオレはあることに気付いた。アルタ前に集まるはずのメンバーの顔を知っているのはここではオレ一人だったのだ。しかし全員の連絡先がケータイに収まっているかというとそうではなく、また誰が来て誰がこないのかということを完全には把握しきれていなかった。待ち合わせの時刻が到来した。朝からいる3人の他には頼道氏が合流しただけだった。5分経過した。まだ誰も現われない。誰からも連絡が入らない。果たしてイベントは今日で間違いなかったのだろうか、待ち合わせの場所と時間は正確に伝わっているのだろうか、そういった不安が襲ってきてだんだん心細くなっていった。待ち人を探すためにオレはアルタ前の混雑をかいくぐりながら知った顔を探した。2往復ぐらいした時点で知った顔を見つけた。mimiだった。ニットの帽子を被り前髪で目を隠した幼くした格好のmimiに近づくと、キャッチセールスの類と思われたのか、オレを無視してそのまま通り過ぎようとした。後ろにはmimiと同じ背丈の見慣れない女がいてうっちゃんに違いないと思った。再三声をかけたり腕を掴んだりしてようやく気づいてもらえたようだった。mimiとうっちゃんとおぼしき女を連れてつなみ嬢の待つ場所へ案内し、紹介した。2人横に並んでわかったことだが、2人は姉妹のように同じ顔をしていた。リンボウから連絡が入った。仕事の都合で少し遅れるという。それからもう一人連れてきていいか、ということだった。練りからし欠席によって空席が生じていたから都合が良かった。もう一人のゲストの名前は明かされなかった。ということは知らない人物なのだろうか。あるいは女でも連れてくる気か。警部からメールが届いた。遅れてくるから店に直行するという。副主将に電話を入れるも繋がらない。コジマール課長も直行組だ。やっぱり店に集合させたほうがよかったか。しかしこの大人数をかかえて予約がないのはリスクが高すぎる。不安そうな顔をして待っているとどこかの居酒屋の呼び込みが何度も声をかけてくる。「お店お決まりですか、お安くしますよ、ただいまの時間半額となっておりまして」。それが何人も何人も我々の輪の中へやってくる。オレの目の前をわざと知らないふりをして歩き去ろうとする人物はPタンだった。スキンヘッドに着物姿を見過ごすはずはなく、慌てて声をかけた。すると後ろから胸元のあまい女性がやってきた。猫さんである。サングラスの猫さんは口元に新しくピアスを2つあけていた。そのことを言うと猫さんは「あれ、空けてから会ってなかったっけ?」。Pタンとも猫さんともだいたい1年ぶりぐらいだ。気付けば13人の集まるところに8人揃った。不在のうち4人まではもうじき到着する。副主将はいまだ連絡がとれない。午後5時20分。我々は店へと向かった。板の間に藁の座布団が敷かれたシックなインテリアの「世代屋」は、照明が極端に暗く、足元に必要以上の神経をとられながら入店する必要があった。この店までの道のりではオレが先頭になりつなみ嬢が続いた。オレの歩くスピードが速すぎるのかそれとも他が遅いのか集団は極端な縦長の陣形になっていたから、入店のタイミングもバラバラだった。オレとつなみ嬢がテーブルの一番奥に向かい合って座ると続けざまにmimiやうっちゃん、とのさまといった女性チームがつなみ嬢の側に一列に並ぶようにして席を埋めはじめ、さながら合コンのような様相を呈してきた。この合コン的配置を破壊せしめたのは猫さんで、彼女がオレとPタンの間に入ったことから男女間の見えないカーテンは取り払われた。ビールや料理が運ばれてきた。その内のおでんに着目したつなみ嬢はしばらく絶句したのち「これがあの、ちくわぶ?」といった。宮崎ではおでんに「ちくわぶ」という具は入らないという。生まれて初めて見る「ちくわぶ」を眺めながらつなみ嬢はその原材料や製法などについて知りたがった。すると猫さんが「ちくわぶというのはだね、」といって原材料はおろかその歴史や需要分布生産地に至るまで詳しく解説し始めた。まさか「ちくわぶ」に関してこれほど詳細な情報が提供されるとは想像もしていなかった一同はみな口を開けたままになった。各々のコップにビールがなみなみと注がれ乾杯の合図とともにグラスを重ね合わせた。「ようこそつなみ嬢」宴会のテーマは宮崎からやってきたつなみ嬢を迎えること。長旅と寝不足と自転車とドンキホーテで散々疲れているであろうつなみ嬢は、我々の歓迎に笑顔と「ありがとう」という飾らない言葉で応えてくれたばかりか、手提げ袋の中から酒瓶を取り出し、ちくわぶのときの猫さんに劣らぬ饒舌で宮崎から持ってきた焼酎について語り始めた。「中々(ナカナカ)」と「キロク」はそれぞれ芋と麦ベースの焼酎で、人によって好みが違うという。つなみ嬢は2本買いそれを宮崎から丁寧な包装のまま運んでくるあたり、感激するよりほかはない。焼酎といえばPタンの得意分野だった。オレにいたっては銘柄名も初めて聞いたし芋か麦かの違いすらわからなかったが、Pタンはあらゆる銘柄や製法や酒倉について精通していて、つなみ嬢の口から出てくるマニアックトークにいちいち反応し評論を下したりしているのだった。すると料理を運んできた店員が、つなみ嬢によって持ち込まれた焼酎を目ざとく見つけたらしく、ラベルを確認するや否や「キロクですね」という言葉と共にため息を漏らした。珍しい酒を置いていることが自慢の店にあっても、これら宮崎産の焼酎は希少だというとこの裏づけであろう。焼酎が開けられ、テーブルの上は次々と運ばれてくる料理を置くスペースを確保する作業に忙しくなり始めたころ、一人の男が現われた。
2004.11.11
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神保町に戻ってきた3人はグリーンチャリ東京で自転車を返却した。店主は物腰の柔らかないかにも「趣味人」といった感じ優しい表情をしていて、プライベートではクロモリフレームのロードバイクを旅用に改造した自転車に乗っていそうな印象を受けた。ネット上における10年前のデータ転送速度は、わずか24kbpsだった。音声の信号は今や光回線に変わり、その速度は100Mbpsになった。つまり10年で通信は4000倍のスピードを獲得していった。東京は今あまり自転車が走りやすい設計にはなっていないが、こういったレンタサイクルビジネスが活性化すれば、やがてインフラも整備されてゆき、自転車の速度も量も、飛躍的に向上するに違いない。地下鉄に乗り新宿に向かった。午後3時半。ほどよい疲労感が3人を襲い、暖かい地下鉄の車内は睡眠に最適な環境だったが寝るわけにゆかなかった。新宿駅西口に着いた。時間があるし街をぶらぶらしよう、という計画が即時に立てられた。このことは、つなみ嬢による「ドンキホーテに行ってみたい」という要求の解消も兼ねていた。ドンキホーテは東口から出た歌舞伎町の正面に存在する。西口から東口までの距離はだいたい1駅分にも相当する。連絡通路を経由してアルタ前に通ずる出口から外へ出た。スクランブル交差点で信号を待つ人の群れにまぎれたつなみ嬢ととのさまは「すごい人だね」という言葉を何度も口にした。確かにすごい人の数だった。特別な祭りが行われるというわけではないが、ここに集まる人々は少なからず、祭り騒ぎを期待しているから集まっているということに変わりはない。げんに我々も、これから祭り騒ぎをするために新宿に来ている。アルタ前から歌舞伎町方面に向かって歩いた。靖国通りをはさんだ歌舞伎町の正面の中央に「ドンキホーテ」は君臨していた。概観の派手さや下品さは、ほとんどこの新宿歌舞伎町を象徴してるといってもよかった。店内に入った我々はまず通路の狭さに驚かざるをえなかった。どの通路も人一人通るのがやっとで、すれ違う場合どちらかの流れが途切れるまで立ち止まっている必要があるのだった。つなみ嬢もとのさまも、「ふうん、こういうところなんだー」としきりに関心したような反応を示していたが、果たして本当はどのように映ったのだろうか。ドンキホーテはほとんど「祭りの屋台」に近い。雑多で粗悪でいんちきそうな商品が並んでいるという点ではあるいは香港の屋台通りにも似ている。客はほとんどが子どもか若者か水商売だ。彼らは商品目当てというよりも、この祭り騒ぎにつられてやってくる。何か面白いことがないか探しに、祭り会場にやってくる。そういう意味では新宿では、毎日祭りが繰り広げられているといっていい。歌舞伎町の奥へと進入した。ふらふら歩けといわれてもどう歩いていいかわからない。コマ劇場で折り返し、割といかがわしい店が多い一角にさしかかるととのさまから、「同じPTAのお母さんがさ、バイトしてるっていうから聞いてみると、キャバクラだっていうのよ。毎日昼間っからお客さんに営業の電話したりして忙しいみたいなんだけどさ、よくやるよと思ってね」という生々しい話がとびだしたりした。3丁目界隈の繁華街を経て新宿駅に戻ってくるとそろそろいい時間になっていた。コインロッカーに預けた2人の荷物を取りに行く間にベネトンで買い物させるあたり、ツアコンとしてオレもだいぶいい仕事をしているようだ。ベネトンから出てきた2人に荷物を渡すと、彼女らは「じゃあお色直ししてくるから待っててねん」と色目を使ってデパートのほうに消えていった。一人になってビルの縁石に座った。数年前ここは東海銀行だったはずだが、日興コーディアル証券に変わっていた。するとケータイが鳴った。見知らぬ番号が表示されていた。「あの、中村不思議さんのケイタイでしょうか。わたくしヨリミチと申します始めまして」折り目正しい口調とあいさつを送られてオレは恐縮した。「はいこんにちは始めまして。それにしても、早いですね」オレはつられて仕事のような電話対応をしてしまっていた。待ち合わせ時刻まであと20分ぐらいあった。「英字新聞買おうと思って早く来たんですけどね、どうやら売り切れてしまったようでして、会えないとまずいと思って電話してみました」これから仕事の打ち合わせでも始めるかというような折り目正しさを頼道氏はキープしたままだった。現在地と状況を知らせて電話を切った。しばらくするとつなみ嬢と殿様が戻ってきた。つなみ嬢はスニーカーを尖った靴に履き替えただけだったが、とのさまはどういうわけか、「勝負服」のような派手なファッションに変わっていた。ジーパンとカジュアルなシャツに白いジャケットを着た男がケータイを耳にあてながら近づいてきた。「あれ、頼道さん?」「はいそうです」アナウンサーのように折り目正しい口調は電話と変わらなかった。自称公務員というだけあって、笑顔も姿勢もきっちりしていて、思わず立って深々とおじぎをしてしまうところだった。4人そろった。待ち合わせの17時まであと15分。
2004.11.10
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「Pタンはね、かなり存在感あるよ。」「えどうして?」「だって着物着てるもん」というような話をしているときにちょうどケータイが鳴った。液晶には「練りからし」と表示されている。「あのさー今虎ノ門の交差点のところにいるんだけど、どこ?」練りからしは意外に近いところから電話をしてきていた。桜田通りを皇居から離れる方に進んだ麻布のあたりの飯倉というところにいる、というような説明をした。自転車で5分もあればたどり着ける距離だった。練りからしは「わかった」といって電話を切った。にわかにつなみ嬢がそわそわしだした。彼女のナイフとフォークの類は皿の上に置かれた。「たぶんこの道路の向こう側の車道を立ち漕ぎで駆け上ってく自転車がいたらきっとそれが練りからしだよ、あと5分か10分もしないうちにきっとくる」というような預言をオレはした。それから30秒も経っていないにもかかわらずつなみ嬢は自転車や歩行者が通るたびにその方向へ視線を向けていて、とのさまの話どころかオレの話も完全に聞いていないような状態に陥っていた。通るチャリがことごとく練りからしではないことを確認しながら待つこと数分、「あれ、アレじゃない?」「きっとそうだよ、早く電話しなよ」という声で振り向くと、片側2車線道路を隔てた目の前の緩やかな上り坂の対岸を、サドルから腰を浮かせて進む自転車がいた。ピカピカの黄色い自転車にも、銀色のヘルメットにも見覚えがなかったから、果たしてそれがからしかどうか判断に迷った。オレは軽く手をあげることで気づいてもらおうとしたが、銀色のヘルメットをかぶった黄色い自転車乗りはわき目もくれなかった。「きっとあれだよ間違いないよ」オレはまだ練りからしだという確信が得られないまま、練りからし宛に電話をした。「いま通った?」「え、わかんないけど。。」そりゃそうだ。気づいていたら止まるはずだ。「銀色のヘルメットかぶってる?」「うん銀というか白っぽいヘルメット、自転車は黄色いマウンテン」「じゃあそれだ。目先の交差点を反対に渡って、またもどってきてくれる?」丘の上の信号が変わると同時に練りからしのマウンテンが駆け下りてきた。待ち人を探す気があるのかというほどの猛スピードでからしは駆け下りてきて、手を挙げていたオレを5メートルほど通過したところで制動した。エージェントとしての仕事を終えたオレは席に戻り、ヘルメットやグローブを外しながら近づいてくる練からしをつなみ嬢やとのさまに紹介した。「着いた早々申し訳ないけど病院抜け出してきてるからそんなに時間ないんだ」といってつなみ嬢に握手を求めた。練りからしの頬は紅潮していたが、それが発熱によるものなのか、つなみ嬢に会う緊張によるものなのか、オレには判断がつかなかった。アイスコーヒーを1杯だけ飲んで練りからしは帰っていった。つなみ嬢が彼女と対面した時間はわずか数分だったが、その間に交わされた情報やシグナルの量は、出会う前に交わされていたそれらに匹敵するか凌駕するほどだったに違いない。会えないときのフラストレーションは会ったときに解消され、会ったときに交わされなかった言葉はまたネットの会話で補完される。伸縮する筋肉の躍動と同じ働きだ。負荷をかけ、解き放つ。そのことを繰り返して筋肉は肥大する。人のつながりにも同じようなことがいえるだろう。食事を終えた3人はまた皇居へ戻るルートに乗った。霞ヶ関あたりでは、財務省や外務省や警視庁といった庁舎を仰ぎ、遠方に国会議事堂を臨んだ。桜田門ではかの大老暗殺事変を偲び、少なくともオレだけは東京を満喫したような気分になった。自転車は自由で効率にすぐれている。風のリアルさや、坂を含む道のりの立体的距離感がつかめる。これらはけして観光バスにはない魅力と思わざるをえない。内堀通りの歩道をマラソンランナーをすり抜けるようにして二重橋や大手門を通過し、竹橋気象庁前の「へんなおっさん」の銅像のところで立ち止まった。聖徳太子のようなファッションをしたあのおっさんは果たして誰なのか、ということがつなみ嬢ととのさまの間で話題になったがオレは答えられなかった。竹橋から神保町へ向かうあたりは確か一ツ橋という地名だった。往路で最初に見かけたのが小学館のビルだった。ブラインドを隔てた窓ごしにドラえもんのポスターが掲げられていて「あ、ドラえもんだ」というようなことを2人はいっていた。朝と同じ窓に変わらずにいるドラえもんを見た2人は、「戻ってきたねぇ」といって現在地を把握しているようだった。ママチャリツアーの基点とした神保町はすぐそこだった。
2004.11.09
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京都へ行っては京都タワーに登り、大阪では大阪城に登った。知らない場所へ行くと必ず、ランドマークを制覇したくなる。高いところから一度街全体を俯瞰して見なければ気がすまないという欲求は、狩猟のために地形を捕捉しておきたいとか、合戦において陣形的優位を獲得したいとかいうところが源泉になっているのかもしれない。我々は東京タワーに登った。わざわざ金を払わなくても、東京には他に高い建物はいくつもある。その証拠に、地上150メートルの展望室に立った我々の目線と同じ高さにビルが幾つも並んでいた。高いところという意味では、必ずしも東京タワーである必要はなかった。しかし高層ビルならどこにでもある。東京に住んでいても、わざわざ「あれが六本木ヒルズ」とか「サンシャイン60」だとか、ビルを見て指を指したりしないけれども、東京タワーが見えると必ず誰もがうれしがり「あ、東京タワー」と声を出す。東京にしかないもの、シンボル、という点において東京タワーはいまだに絶対的な存在感を誇る。とのさまはカメラを取り出して、窓の向こう側の景色を撮影し始めた。つなみ嬢ととのさまが並んだ写真を撮ろうとカメラを受け取り、赤いウールのジャケットを着たつなみ嬢の姿を探すと彼女はすでに数メートル先に進んでいた。回転の速いつなみ嬢を追いかける形でオレととのさまは景色も写真もそこそこについて歩いた。だいたい1周半ぐらいするとつなみ嬢は「うん、全部見た」と言って先を急ぐのだった。まだ土産物屋を制覇していなかった。こういった観光地に来ると必ずキーホルダーや温度計付きの置き物が売られている。そこでオレは必ずといっていいほどキーホルダーを買って帰ることにしている。二条城・嵐山・大阪城・京都タワー。それらは今ほとんどどこにあるかわからないが、見つけたときには必ずそれらの場所へ行ったことを思い出す。忘れていたはずの景色や建物や会った人の顔や感情も同時に思い出す。キーホルダーはそれらのデータを取り出すためのインデックスとして機能してくれる。高速エレベータで展望台を降りた3人は屋上に出た。降りて屋上に着くのは不思議な感じがしたが、東京タワーの台座中央部は4階建てのビルになっており、その屋上に着いたのだった。錆びたベンチや子供用の乗り物や、古いタイプのUFOキャッチャーなどがあってそら寒い感じがしたのかどうか、つなみ嬢ととのさまはそろってジャケットを着込んだ。煤けた黄色い階段を下り4階に着くと剥き出しの変電施設があり、部外者進入禁止のような注意書きが書いてあった。それでもかまわず進入すると、奥にどういうわけかトリックアート館があった。不幸なことに我々のチケットはトリックアートを鑑賞しなければならないセットだった。今さらトリックアートもないだろうとも思ったが仕方なかった。立体的な絵画を目前にした3人の中でもとりわけつなみ嬢は「酔う」といってよくこめかみを押さえていた。最後に「乞食の少年」というシュールなタイトルの絵画を見て3人はトリックアート館を後にした。3階に降りて「忍者道場」という看板が目に飛び込んできたときにオレは一瞬目まいがしてこめかみを押さえてしまった。「手裏剣の投げ方教えます」という張り紙には少し惹かれたが、それにしてもどう考えてもここが東京のど真ん中で、シンボルタワーの内部にいるということが信じられなくなってきていた。射的や輪投げがあった。輪投げの台は回転速度が不安定で、人が手動で回しているのかと思われた。浮世絵や「一番」の文字が書かれたTシャツを売る店の目前にようやく、「蝋人形館」を見つけた3人に果たして、ここに入りたい意欲があったかどうか疑わしかった。ハリウッドの映画スターやスポーツ選手、政治家や宇宙飛行士といった偉人が等身大で並んでいた。顔のつくりや肌の色艶などは非常に精巧で迫力があった。前に来たときには確かマイケルジャクソンの人形が飾られていたはずだがすでに撤去されているようだった。長嶋茂雄と王貞治が揃って巨人のユニフォームを着て立つ作品は感慨深かった。そして奥の方へと進むと間仕切りに閉ざされた拷問部屋があり、世界のリアルな拷問シーンが蝋人形でありありと蘇っていた。オレととのさまは恐る恐るその間仕切りの中に足を踏み入れていたのだったがつなみ嬢は「わたしはいい」として拒絶した。彼女はお化け屋敷を怖がるタイプかもしれないと思った。さらに奥へと進んだ。内装や音楽が派手になっていって、何事かと思っていると、ディープパープルの蝋人形が登場した。ステージの躍動感そのままに演奏する姿で彼らは静止していた。これを筆頭にハードロックやヘビーメタルなどのマニアックなギタリストが幾つも陳列していた。リッチーブラックモアやフランクザッパ程度の知識しかないオレには残りの十数体の名前すら聞いたことがなかった。つなみ嬢は一段と不審そうな顔になり、とのさまは「なんでこんなマニアックな人たちが取り上げられてるわけ?」といって大笑いした。蝋人形館を出た3人はそろって空腹を訴えた。午後1時になろうとしていた。東京タワーの中の食堂のようなレストランでオレは食事をしたがり、つなみ嬢は早い時間に宴会を控えているからといってコーヒーショップなどの軽めのランチがいいといった。とのさまは「せっかく東京に来たから」といってオープンエアなテラスカフェを所望された。この3人の中で最も発言力が高いのはいうまでもなくとのさまだったからオレはオープンエアなテラスを探しながら自転車で2人を先導する必要があった。グリーンチャリにキーを差し込み、スタンドを外した。幸いなことにこのあたりは麻布と神谷町のちょうど中間ぐらいだから、オープンテラスに事欠くことはなさそうだった。丘を下りしばらく進むと、丸いテーブルが並んだイタリアンなレストランを発見した。店内にはフランス人のような禿頭の外人とスーツの日本人がワインを3本ぐらい空けながら、商談だか投資だか融資だかの話をしていた。キレのいい身のこなしと清潔な服装をまとったギャルソンが我々に気付き近づいてくるようなそぶりを見せたからオレは少し躊躇した。堅苦しい食事をするのが嫌だったからだ。しかし殿様は「ここを逃したら一生おあずけになるかもしれないじゃない」と我々を説得した。スパゲティやステーキを並べ、ビールとワインのグラスで乾杯した。3台のグリーンチャリは歩道の端に並べて立てられている。寒くもなく暖かくもなく、外で食事をするにはいい日よりだった。適度に身体を動かした後に飲むビールはほどよく体内に浸透していった。スパゲティーはよく塩が効いていてつまみにも最適だった。ゆるやかな風を肌に受け食事をし会話をした。つなみ嬢は昨日も誰かと会い、また明日も誰かと会うといった。そして今日宴会に来る人間の風貌や特徴を貪欲にリサーチするのだった。「Pタンさんはどんなひと?mimiはどんなコ?じゃあリンボウさんは?警部は?」オレは答えられる範囲内でひとりひとりの印象を即答していった。つなみ嬢は遠くを見るような目になり、きっとひとりひとりのイメージを頭の中で膨らませているに違いなかった。「もうすぐ会えるんだから別に今さら聞かなくてもいいじゃない」とオレはいったがつなみ嬢は、「だって楽しみなんだもん」というちぐはぐな回答をして、笑った。
2004.11.08
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つなみ嬢オフの熱狂覚めやらぬまだ月曜、システムの初回稼動立ち合いという仕事を命じられた。オレが作ったのだから命じられるもなにも立ち会わなくちゃどうしようもないんだけれども、とにかく立ち会った。案の定というかなんというか、またコケた。システム障害である。もう呪われてるとしかいいようがない。夜通しで復旧作業をした。つまり寝ずに仕事をした。そしたらまた朝コケた。またシステム障害である。もう呪われてるとしか考えられない。今日の火曜の昼ごろようやく復旧のめどがたち解放された。もう眠りたい欲求はなくなっていて、非常にハイテンションになっている。家に帰ってきてビールを飲みながら、自分の日記ページのコメントを眺めたりしていた。すると特に目をひく書き込みにひきつけられた。「ご利用、ありがとうございました。」(グリーン・チャリ東京さん)なんだこれは。絶妙な控えめさ加減である。いい感じなのでもう一度宣伝「グリーンチャリ東京」それから手前味噌ではありますが、幹事ねぎらいの言葉を多数お寄せいただいて非常に嬉しく思っております。ナントカが乾く間もなく、また次回案も提示されてるようですが、いやいやこれからの季節、スカイバスははたして寒そうです。ともあれつなみ嬢おつかれさん。それからみなさんおつかれさん。また遊ぼう!
2004.11.07
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11月6日、つなみ嬢を歓迎しての東京オフが開かれた。顔以外の情報はほとんど知っていた。逆にいえば、顔だけ知らないまま、だいぶ長い間コミュニケーションしてきていた。「顔」という、重大な情報の欠損を補完するために我々の意欲は働いていた。つなみ嬢を中心としたそういった意欲の波は、関東一円から多くの人間を集めた。この日、そのつながりによる波はエネルギーを帯び、強力な磁場を形成した。これらのことはほとんど、奇跡といってもいい。朝10時、新宿駅西口に着いたオレはつなみ嬢に電話した。「小田急百貨店の入り口の前に立ってる。きっぷ売り場とかあるところ」そういって彼女はオレを誘導したが、小田急百貨店に入り口は10以上あるし、きっぷ売り場の前には100人ぐらいが並んでいた。それしきの情報で出会えるわけがないだろうと思っていると、オレのケータイが鳴った。ケータイを持って辺りを見渡しているような不審な女の姿を探した。赤いコートの女がぽつんと立っていた。つなみ嬢に違いないと思った。とがったメガネををかけていて近寄りがたいと思ったが、近づいた。目が合った。顔がほころんだ。それでわかった。自己紹介は必要なかった。とのさまが、交番前で待機しているという情報が入った。グレーのタイルに囲まれた西口交番前に立ったつなみ嬢が電話をかけた。オレは着信した電話を耳にあてようとする女の姿を探した。青いレザージャケットを着た女に目がいった。つなみ嬢も気づいたようだった。駆け寄っていって、不審そうに声をかけた。とのさまだった。お互いにひかえめなあいさつを交わした。とのさまは、まだ「とのさまぶり」を抑えていたのかもしれなかった。西口から、都営新宿線のホームまで歩いた。2人を先導する形で歩いた。後ろの2人はこの新宿駅を指して「広いねえ」というような言葉を連発していた。確かに広いと思わざるをえない。歩けども歩けども目的の改札にたどり着けない。先導しているオレも実は都営新宿線の改札の位置を完璧には把握しておらず、しかしプライドにかけてもここで迷うわけずにはゆかず、慣れた足取りを演出することを怠らないようにつとめていた。やがて改札にたどり着いた。改札を目の前にしたつなみ嬢は、「自動改札通るときってやっぱりドキドキするね」といって我々を笑わせた。地下鉄で神保町へ向かった。空いた席に3人横並びで座った。とのさまは初対面の我々に向かっていきなり、子どもや猫や亭主の世話の話を始めた。果てには自分の結婚観や苦労話まで飛び出し、「なるようにしかならない」というような結論で締めくくられた。ほとんど奇襲攻撃のようなマシンガントークにオレはただ「はあ」とか「へえ」とか生返事を返すだけだったが、つなみ嬢にいたってはそれらの話をほとんど聞いておらず、コンクリートの壁しか写らない地下鉄の窓の外や、車内中に張り巡らされた派手な中吊り広告に目を走らせたりしていた。神保町で自転車を借りた。小さく「貸し自転車」と看板のかかった店はほとんど人目につかないところにあった。1台1時間100円。これで経営が成り立つのかどうか、他人事ながら心配になるほどだった。サービスも装備も悪くなかった。もっと宣伝に力を入れたら繁盛しそうだった。「グリーンチャリ東京」神保町から1キロも進むと皇居に着く。彼女らの目に皇居がどのように映るかわからない。なにもなくてつまらないという向きもあるかもしれない。しかし少なくともオレが東京の中で一番好きな景色はこの皇居でしかありえない。ビルと水と緑と人と空間とのバランスが最適だ。皇居前の公園ではジョギングしたり芝生の上で昼寝をしたりするような人を目の当たりにした。とのさまはそれらを見てかなり珍しがった。地元藤沢ではありえない、という。確かに東京では、ジョギングや昼寝などの光景は珍しくはない。しかし実際にやっているという人は東京でも珍しがられる。人が多い分、珍しい人も多い、ということではないだろうか。日比谷を抜けて数寄屋橋の交差点に差しかかるぐらいになると徐々に歩道には人が溢れ出てきて、我々は自転車に乗りづらくなってきていた。時刻は11時。銀座通り松坂屋で茶を飲むことにした。4階婦人服売り場の一角に設けられたティーラウンジで、茶一杯700円という金額を提示されて驚いたのはオレだけだったようだ。ここで平日の昼間から茶を飲んでる毛皮のマダムはどんな会話を展開しているのか気になった。とのさまは相変わらず家庭の話題をふんだんに織り交ぜたトークを炸裂させていて徐々にとのさまぶりを発揮し始めているようだった。しかしつなみ嬢が全く話を聞いておらず、オレが相槌を打つ係りであるという構図に変化は見られなかった。つなみ嬢は宮崎から2時間半で東京に来られるという話をした。それはオレがたとえば東京から京都へ行く時間と変わらないということに気づいた。日本は比較的狭い。距離的不利という障害は、多少の経済力と欲求にたいしての行動意欲で取り払われる。つなみ嬢の目的は我々に会うということのみだった。場所は必ずしも東京である必要はない。会いたい人に会えればどこでもいい。その一点のみで東京くんだりまでやってきた彼女の行動力には、まったくもって歓心せざるをえない。銀座松坂屋を出発して新橋の交差点にさしかかった時点でオレのケータイが鳴った。練りからしからだった。熱を出してしまい宴会には出席できないとの断りの後に、都内を自転車で廻っているのなら途中で合流したい、ということだった。自転車でやってくるという。熱があるのに自転車で会いにくるという練りからしの行動は一見矛盾しているようにもみえた。しかしそれは、なにがなんでもつなみ嬢に会う、という目的達成のために編み出された熟慮の末の結論だったかもしれなかった。新橋から浜松町へ出た緑色の自転車3台は、大門をくぐり増上寺へ向かっていった。東京にもこんな立派なお寺さんがあるのだということを認識してもらいたかったのだが、やはり京都の本願寺などと比較するとその規模の小ささは否めない。赤い塗装で統一された増上寺のすぐ後ろには、東京タワーが高くそびえたっていた。木に囲まれたわき道の中を木漏れ日を受けながら直線的に進みやがてタワーのふもとにたどりついた。すると小高い丘の上に、鋭いカーブを描いたタワーの足がひとつだけ現れた。他の3本の足はどこにあるかわからない。我々はとにかくその1本の足を目指し自転車で丘を駆け上がった。つなみ嬢が飛び出した。オレも負けずに立ち漕ぎに切り替えた。とのさまは自転車を降りた。急激にペダルが重くなった。この丘の急勾配の傾斜角は20度以上と思われた。呼吸が苦しくなった。失速しすぎてバランスを保つのが困難になった。観光客が記念撮影のために並んでいた。我々はその目の前を苦しい顔をして駆け上がった。やがてたどりついた。我々は、東京という山を征服したような気持ちになった。
2004.11.06
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さてこのところの近況報告。11月3日の日記になっているけれども、ただいま11月12日。日記スペースの都合上、さかのぼって空いてるところに書いているわけです。◇仕事今週、月・火と連続してシステムトラブルが発生した。そのためかなり精神的に落ち込み、木曜は寝込んだ。オレのハートはわりとデリケートにできている。いやそうではなく、建築にしろ車にしろ家電にしろシステムにしろ、設計や生産過程におけるミスは、必ずユーザーを不愉快にさせる。規模の大小ではなく、仕事として製品やサービスを生産することを仕事としている我々は、完璧な状態で客に提供しなければならない。客の立場で考えたとき、オレが犯したミスは、ものすごく不愉快だ。◇株開始以来ものすごくヘコんでいた株のための資金は復活した。具体的には、500株だけ買っていたライブドア株の高騰とその利食いで、原点に復帰した。JFEは思ったほどさえない。1週間ほど保持した挙句、何千円かの利益で手放した。次に「有線ブロードネットワークス」に手を出した。一度2000円未満で目をつけていて、買えないまま翌々日ぐらいから高騰が始まった。一時2400円近くまで値を上げ、今2200円まで下がった。適正株価は3000円とも3600円ともいわれているがこの企業、球団の買収に乗り出した。市場では、球団赤字を嫌気して株価が下がる傾向にある。かたや楽天は球団保持による広告費用の概算を最大で350億円とも打ち出した。市場のセオリーに反して、楽天の株価は上昇ラインを描いている。市場の心理はよくわからない。◇金魚1匹だけになってしまった。ひとりぼっちじゃ寂しそうなので、追加投入したいと思っているが、当節金魚すくいはどこで行われているんだろう。◇イラク戦争米軍がファルージャという武装勢力の拠点に総攻撃を仕掛けた。幕末から明治の日本にたとえると、昨年3月の開戦が黒船だとすれば、ファルージャ制圧は戊辰戦争に匹敵するだろう。アメリカは民主主義と世界平和を掲げイラクを統治しようとしているが、その背景には安定した石油需給への不安を払拭したいという思惑がある。民族の意志を守りたいテロリストや武装勢力と、文化や考え方の違う人たちに民主主義や世界平和といった価値観を押し付けたいアメリカと、どちらが正しいのかはよくわからない。ただ日本もたかだか200年前ぐらいは、イラクとそれほど違わない価値観を持っていた。それが内戦や外圧や革命でもって今にいたった。イラク戦争に反対しているような若者は、自分の国の歴史を知っているのだろうか。テロルが成功し、テロリストが政権を握った国だということを知っているのだろうか。
2004.11.03
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■つなみ嬢の店決定11.6に行われる宴会の場所が決定した。新宿「世代屋」。http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0101/P021223.html17:00アルタ前集合→17:30宴会開始→(2時間)→19:30マデという予定ですので、参加者の皆様はできる限り遅れないようお願いしマス。■金魚良好約1ヶ月半かけて行われた水槽の水質調査と環境改善作業は、亜硝酸塩の濃度が安全な水準に落ち着いた先週末をもって完了した。当初5匹いた金魚すくいの金魚は2匹に減ったが、残った2匹はその後いたって良好。このノウハウを活かしてもう1基、新たな水槽を立ち上げようかどうか考え中。■JFEとライブドア2日、JFEの株価はもちなおした。この上昇が中国の利上げによる不安材料を全て反映した結果なのかどうかはどうだろう。同日、ライブドアが大幅高。プロ野球参入落選見込みと中国ポータルサイトの買収が好材料になっているらしい。今日の寄り付き369円で買い、終値は393円だから24円のアドバンテージは悪くない。今度こそ、波に乗れるかどうか。■楽天イーグルスに決定楽天VSライブドアのプロ野球参入対決は楽天に軍配があがった。近鉄の買収に失敗し、仙台の争奪にも失敗したライブドアだが、かなりの宣伝効果が得られと思われる。落選が決定的となって以降、株価は上がり初めている。落選したということは、数十億もの赤字も同時に手放すということだからだ。■スーパーチューズデー11月2日、日本時間同日夜から3日未明にかけて、アメリカ大統領選挙の投票が行われる。開票結果は日本時間3日午後にも判明する見通し。予想によればブッシュ51対ケリー49と接戦ながらもわずかに現職有利の情勢だ。イラクのことわざに「知らない善人よりも、知っている悪人のほうがマシ」というのがあるとテレビでいっていた。どちらでもいいが、どちらかというとブッシュ。■木曜の深夜システムの初回稼動立会い。過去3回の初回稼動はことごとく失敗しているから、今度ミスしたらもうクビが飛ぶ勢い。ちょっとドキドキしている。株といい金魚といいこのシステムといい、必ず3回(3匹)失敗している。金魚の死が3匹で止まったということは、他も3で止まるはずだ。しかしこの頃、根拠のないジンクスや神がかり的なことに期待しすぎているような気もする。■つなみ嬢上陸週末、つなみ嬢がやってくる。昼は女性2人に囲まれてサイクリング、夜は新宿で大宴会。体調を整えて、気持ちをたかぶらせておく必要がある。
2004.11.02
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