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相場を分析するには大きくわけて2通りあって、それは「ファンダメンタルズ」と「テクニカル」というのだそうだ。「ファンダメンタ」は、会社の業績や成績を表す指標やニュースなどのことで、かたや「テクニカル」は、チャートの波形を法則と照らし合わせて未来の波形を予測したりすること。ここまででオレは3つか4つぐらい、専門用語を使った。一つめは、「相場」。「相場」という言葉は、「株」とか「株価」とか「市場」とかに置き換えても全く問題がないということがわかってきた。でもなんとなく「相場」とか「相場観」とかいったほうが、かっこいいしスリリングだ。「ファンダメンタル」直訳は「基本情報」とかそういうことらしいが、相場の世界では主に財務収支とかその推移などを表す成績表のような意味で使われていることが多い。「テクニカル」技術的、とかいう意味には違いないのだろうけれども、「グラフがこういう傾向を示しているからこの会社の株価は上がるに違いない」という、技術というよりは統計をもとにした占いや天気予報に近いノリを感じてしまう。いずれにしても、新しいことば、自分にとって新たな意味を含んで出現した言葉にたいして、まず抵抗感をなくしてゆかなければならないということが、一つの障害になっている。でもその障害をクリアしてゆくこと自体、ちょう気持ちよかったりもする。
2004.08.27
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株を始めると宣言してから3日、思い立った日から5日経った。8月25日。日付を気にすることはあまりなかったが、重要かも知れないと思うようになった。この5日の間、とにかく本を読んだ。株や経済に関する本を買い込んできて、泥縄式に読み漁った。「だまされないために、わたしは経済を学んだ」「ヘッジファンド」「東大生が書いたやさしい株の教科書」「渋沢家三代」「ネコでもわかる株入門の入門」「Yahoo!ファイナンスで始める株のある生活」「株式市場の科学」「株式用語1000辞典」「経済ってそういうことだったのか会議」「失われた10年を問う」「メガバンクの誤算」全部で11冊買ってきて、そのうち上から7冊読んだ。辞典は読むつもりがないので、10分の7、70パーセントは読んだ。1日1冊以上ということになる。読んだ端から忘れてゆくから、同じようなことが書いてある違う本で復習することになる。記憶力がほとんど皆無だから、反復トレーニングで身体に覚えさせてゆく。入門書と専門書は交互に読んだ。直近の目的とはかけ離れてるようなエッセイや対談集も織り交ぜて読んだ。前の日記は「だまされないために、わたしは経済を学んだ」の村上龍の文体を真似てみたのだったがうまくゆかなかった。とりあえず結論としていえることは、いまだに重要なことは何一つ身についていないということだ。ただ、いくつかの本を読んでみて、「ああこれは言い方違うけど同じこといってるんだな」というような感触をつかめるようになった。自分がどうしても受け入れられない方式や戦術や思想があることもわかった。まず方程式のような科学的なことは受け入れられないし、「誰でも気軽に始められる」というようなフレーズも気に入らない。あと「日本経済に貢献」とか、「集団としての利益」とかいう言葉も嫌いだと思った。競馬を始めようとしていた頃に似ている。「弱もちあい」とか「強気」とか「ローソク足」という言葉は、競馬でいう「うまなり」とか「かかりぎみ」とか「馬柱」だ。19とかそれぐらいの頃に、競馬を始めようとやっぱり本を読みあさった。実際に始めてからも、本を買って読み続けることをやめなかった。本になにか、勝つ方法が書いてあると信じこんでいたからだった。そんな「方法」自体あるはずがないとわかったのは、つい最近のことだ。将棋を始めたころにも似ている。やはり本を読むことから始めたが、将棋の本には競馬と違って、勝つ方法が書いてあった。その方法をアタマに叩き込んで実践に臨んだ。しかし思うように勝てなかった。相手が、本にはない手ばかり指すからだった。株はどうなのだろう。人の考えることだから、馬よりも確実性がありそうだ。対戦相手がいるとはいえ、1人ではなく複数だから、あまり意味不明な手は指さなそうだ。不確定要素は、ほとんどないような気がしているが、まだスタートラインにも立っていないし、わからないことがほとんどなくなるまで、何年もかかりそうだという感じはある。本の読みすぎによる急性中毒なのか飲んだ酒が悪かったのか、今日はは朝から胸焼けがして一日中ふらふらだった。明日からまたがんばろう。
2004.08.25
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株を、始めてみようと思います。こうやって宣言した以上、まず「きっかけ」から話さなければならないような気がしています。直接の「きっかけ」は、「波のうえの魔術師(石田衣良)」という小説を読むことになったからであり、友人であるmimiに薦められた本です。この石田衣良というひとは、「池袋ウエストゲートパーク」という青春小説も書いていて、テレビドラマ化されていることはわたしも知っていましたが、これまで一切接点はありませんでした。若いギャングのストーリーに、わたしの心が躍るとはどうしても思えなかったからです。「波のうえの魔術師」を、もし何のコメントもなく与えられたらわたしは彼女に借りたまま、一生読まないまま保存することになったと思います。ところがわたしはこの本の、最初のページをめくりました。どころか最後まで一気に読んでしまったわけですが、そのインセンティブは、「株の話。ちょう面白いから読んでみて」というmimiによる紹介コメントによるものでした。「株の話」と聞いたから読みはじめたということは、以前から「株の話」に関心があり、情報を受け入れられる体制があったということです。確かにわたしは以前から、それこそ「株」や経済や金融の話には関心がありました。経済危機や金融不安については、新聞やテレビなどのメディアによって日々アナウンスされていて、漠然と「不景気」の中にいるかもしれない状況を「知って」はいたわけですが、直接的な問題として、解雇されるとか給料が下がるとかいった深刻な状況を経験しておらず、つまり「不景気」を実感として捉えることがなかったわけです。おいしいと評判のレストランはいつも満席ですし、ブランド品も売れてるようです。ただ、粗末な食事を出す店はガラガラで、粗悪な商品は売れ残っているようです。たしかに景気がよかったころと較べれば、なんでもいいから売れることはなくなったようです。悪いモノが売れなくなった今の状態を「不況」というならば、非常に健全であるような気もします。「波のうえの魔術師」は、老人の投資(投機)家が大手都銀に仕手戦を挑むといった内容で、主人公はその老人に抜擢された、株のことは何も知らない青年、という設定でした。ほとんどが老人の計画によって仕手(というか詐欺)は進行してゆくのですが、青年が老人にレクチャーを受けながら、めきめきとスキルアップを果たし成長してゆく過程の中で、老人のあざやかな手際が読み手に、分かりやすく伝えられてゆきます。わたしはこの本を読み進めて半分ぐらいいったところで、もう「株をはじめよう」という決意を固めてしまいました。今まで、なんとなく株には興味を持っていたものの、行動が伴わなかったのはなぜだろうか、ということを考えました。 1.資金が無かったから 2.金に無頓着だから(武士に憧れていたから) 3.イメージがわかなかったから3の「イメージがわかない」という問題はもっとも深刻ですが、この1~3のいずれも解消できないまま、わたしは株を始める、ということを決意してしまったわけです。これでは「波のうえの魔術師」と、わたし個人の株に対する取り組みにおける問題点との間に、何の因果関係もなかったということになりますがそうではありません。「イメージがわかない」ということに関して、「イメージをわかせたい」という「意欲」を、わたしは「波のうえの魔術師」によって得たのです。わたしと株との触媒という役割をこの本は果たしてくれたわけです。この週末、入門書や用語集、専門書にいたるまでを、ブックオフで買い揃えてきました。全部きっちりアタマに入れるつもりは1ミリもありません。なんとなく「イメージ」がわいてくれるまで、ただひたすら読み続けるわけです。少なくとも2の「金に無頓着だから」は、3の「イメージがわかない」ことに依存しているような気がします。イメージさえつかめば、株は金ではなく、単なる数字に見えてくるような感触もあります。残りの問題は、「資金が無い」ことだけです。話は変わりますが、最近までわたしは、「クルマを買おうかな」というようなことを思い始めていました。必要性はまったく感じられないし、コストはかさむし、「刷り込まれた豊かさ」の象徴でもあると思っていたわたしが、その対象であるクルマを欲しがっているということの自己矛盾を、自分にどう説明したかというと、「他に金の使い道がないから」ということでした。われながら不純な動機だろうとは思いましたが、かといって高級なオーディオ機材や高性能なパソコンや、高級そうな自転車に金をかけるインセンティブはありません。あやうくわたしは、ありあまる購買意欲とわずかな余剰資金を、クルマと等価交換してしまうところでした。中古のロードスターを買えるぐらいの資金があるとして、ロードスターを買ったつもりになって、全額なくなってしまったことをイメージしました。さほど痛くはありません。「ゼロ貯金」からのスタートには割と慣れています。ロードスターを所有する優越感よりも、株を通して、日本の経済や金融に直接関わる権利を獲得することのほうが重要な気がしています。えらそうなことを長々と書いてしまっているわけですが、証券用の口座を開設したわけでも、市場のイメージがこれっぽっちでもわいてきたわけではありません。用語集でもって、「成り行き」とか「カラ売り」とかいう聞きなれない言葉を調べ始めた、というような段階です。昨日とは違う文体の理由も、未知にたいする謙虚な姿勢の表れかもしれません。ここでこうして発表したのには、目標を色褪せないようにするためと、外部からの刺激を受けることで意欲を増幅させる効果を期待するためと、そして決断の「約定」ということを意味しています。年内(2004年12月)までには最初の取引を行います。年度内(2005年3月)までには最低でも一つの取引を確定します。利益が得られるかどうかはわかりませんが、とりあえず月ベースの収益率5%を目指しています。そしてどんなに沈んでも浮かんでも、報告し続けることを約束いたします。ただし現在、限りなくゼロです。
2004.08.22
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UFJが「野武士」で東京三菱が「公家」だとするメディアの観測をそのまま採用するならば、統合ではなく「吸収合併」であることをはねのけて、ともすればUFJは、少なくともシステム部門に限っていえば、対等かあるいはそれ以上の権利を獲得することになるのではないかとオレは思いはじめている。野武士たるUFJが、公家三菱にたいして完全に屈服するような図を想像できないであろうことは、例えば彼らの暴力的恐怖政治を目の当たりにしてきたオレの直感によるものだけれども、そのことを全く考慮から外したとしても、歴史からみても、日本人の国民性といった観点から考えてみても、「野武士」と「公家」では、ゆくゆくは野武士が政権を握ることになっている。鎌倉以降、江戸幕府瓦解にいたるまで、執政を担ってきたのは武士であり、それは武士という階級そのものが消滅した明治以降も、帝国陸海軍の参謀本部が、実質的な権力を握る形で引き継がれていて、昭和20年の終戦までその体制は続いた。いい国(1192)つくろう鎌倉幕府から、終戦1945年までだから、だいたい750年ぐらいにわたって、日本はサムライによって統治されてきた。世界的にみると、確かに統治や外交の背景には軍事力はあった。多くの戦闘も行われてきた。ところが海外の場合、軍艦や兵隊といった武力をコントロールしていたのは、サムライや軍人ではなく、あくまでも「貴族」だった。つまり日本でいう「公家(くげ)」のことである。皇帝を補佐する官僚が貴族であるのとほとんど同義に、日本史では天皇の側近が「公家(くげ)」と呼ばれている。「民主主義」のようなアメリカ的価値観が日本に最初に導入されたのは明治時代からだが、だいぶ定着してきたと確信していえるようになったのは、1972年ごろからだろう。ちなみにこの年、オレはこの世に生をうけ今にいたるわけだが、主題には関係ない。話は戻るが、日本史の大半において、武士が政治を担ってきた。武士は民を「統治」するために、恐怖をあたえた。槍や刀や鎧が示す暴力への恐怖をかきたて、領民を押さえつけた。しかし押さえつけられているだけの領民の、フラストレーションをも抱えることになった武士には、便宜上の「責任者」が必要だった。それが「天皇」だ。戦国大名にとっては「天皇のかわりに世を治める」ことが大義名分だったし、戦中の参謀本部は全国民に「天皇陛下バンザイ」といわしめる作戦に成功した。武家による日本史は、領民を戦闘にかりたてるその意義と理由を、ことごとく「天皇のため」だといってきた。UFJが「野武士」で東京三菱が「公家」だとするメディアの観測をそのまま採用するならば、野武士側の強引な理由づけにより、統合後のUFJ(とりわけ三和出身)はいつのまにか、公家としての東京三菱を、くってかかる勢力に発展してゆくことになるだろうと思わざるをえない。「野武士」という自覚があるのかないのかUFJ内は、「吸収合併」であるにもかかわらず、むしろ勢いが増してきているような感じさえする。
2004.08.17
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このサイトのデザインを変えてみた。テーマを「シンプル」に変えて依頼の、2回目のフルモデルチェンジとなる。もともとは、フォントサイズが変えられる機能がついたことに反応してのデザイン変更だった。色や配置をこねくりまわした。気づくと2時間ぐらい経っていた。目指していたのは、「変わらない」ことだった。カローラフィールダーのキャッチコピーは、「変わろう、変わらないために。」だったろうか。いい言葉だ。オレの場合、逆だ。最近はテレビでオリンピックを観戦していたり、新聞や経済誌でUFJと東京三菱の統合を気にしていたり、仕事でなにかと忙しくしていたり、その合間を縫って酒を飲んだりしていて、充実はしているがあまりいつもと代わり映えしない日々を送っている。さも一大事のように、仕事でミスしたことを書いたけれども、それほど深刻ではなく、むしろおもしろかった。UFJと東京三菱に三井住友をからめた覇権争いを、戦国時代でもみるかのように見ていることも手伝って、日本人の本質をみているよう感じでもあった。オリンピックを見ても、戦時中の日本国をイメージしてしまう。メダル獲得の報に喜ぶ我々と、敵艦撃沈の報にバンザイする国民の間に、本質的な差異はそれほどない。ともあれ、デザインを変えた。変わってゆくようにみえて変わらないもの。変わらないようでよくみると変わり続けているようなこと。これにはそういう微妙な感じも含まれているかもしれない。
2004.08.16
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システムに障害が発生したこの日、10人からの人間を巻き込んで対応に追われた挙句、異例扱いでシステムに再実行命令がかけられたのは午後4時。やがて「正常終了」のログが吐き出されたのは同4時30分。ここでまたダウンしていたら始末書レベルの話ではなかったから、過度の緊張を強いられた。精密かつ厳重なチェックを施し、万全の体制で再実行依頼にこぎつけたものの、流れ出したログを見守る我々の鼻息はきわめて荒く、ジョブが一つ一つ成功してゆくたびに大きく息を吐き出してはまた止めて、ということを繰り返した。ジョブが完全に成功したという速報は、同じく自席で逐次ログを監視していたキュートな銀行員によってもたらされた。我々は何通りものログを記録しながら監視していたため、全体の進捗を捕捉する段階において彼女よりも数分遅れていた。我々も同じログを確認し、さらに全てのログの整合性を検証し、かつ文書として報告可能なレベルまで整形し終えた同5時00分、奇跡でも起こったかのような歓喜の音が、静寂のオフィスにこだました。一つのミスによる「障害」の復旧に、延べ10人以上の人員が動員され、作業は丸一日にわたった。チェックや管理体制、ひいてはシステムそのものに問題がないとはいえないとはいえ、オレのミスにより、多くの無駄なコストや負荷をかけてしまったという事実は残る。ステレオタイプではあるが「ご迷惑をおかけしました申し訳ありませんでした」という言葉を残し、現場を立ち去った。ビルを出て、右へ行ったのか左へ向かったのか今となっては記憶にない。ただ、気付いたら酒場にいたことだけはたしかだ。開き直るわけではないが、ミスは誰にでもある。しかしたった一つのミスが、金の勘定を違えたり、人の命を危険にさらしたりするような重大な事故を引き起こすこともある。11人の死傷者を出した原発事故は検査を怠った。三菱自動車のリコールは設計にミスがあった。みずほ銀のシステムトラブルでは、統合する第一勧銀と富士銀が主導権獲得のためにお互いの顧客情報を隠していた。結果として、管理体制の不備が指摘され、経営者はその責任を問われたが、つまりはどこかでミスが発生し、それを発見する工程がなかったということだ。ということは、誰もミスをしなければ、みんなが幸せになれる。ところがミスは、誰にでもある。製造・建設・運輸・流通・電力・サービス等、あらゆる分野の仕事にかかわる企業は、ミスを限りなくゼロにするため、品質管理やその分析に多くのコストを注いでいる。それは検査項目の洗い出しおよび実施ならびに人員の確保や設備投資等、全て準備段階においてのコストだ。ところがオレのこのミスケースに代表される障害パターンにおいて、銀行はどこに重点を置いてコストをかけているかというと、銀行内部の上司への説明や、申請書や始末書を含む文書の起票や、反省と責任の自覚を促す長い長い説教などといった、あくまでも事後の工程である。我々はそういった恐怖の体験の記憶をもって、次回からのシステム開発にのぞむ。そうやってだんだん、システムの精度は高まっていくのだろう。彼らは不良債権処理に追われているからシステムにはなるべくコストをかけたがらない。しかし品質だけは最高のものを要求してくる。高い要求と恐怖政治により、確かに、技術レベルは向上している。お互い、非常に幸せなこれは方法の、一つなのかもしれない。非科学的なUFJのこのやり方に、果たして東京三菱が馴染むかどうかは、また別の話である。
2004.08.08
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設計に不備があったにしろ、テストで手を抜いたにしろ、結果的に客のシステムに障害を発生させてしまうということは、我々が客にたいして「迷惑をかけた」ということになり、現場の責任者はきまって、「障害報告会議」という場で、客の責任者から、怒られる。あまりにも障害が頻発するようだと今度は、経営者側の人間が呼び出されて、怒られる。大の大人が雁首揃えて小さくなりながら、客の吐く正論を無条件に受け入れ、やがてしょんぼりなって帰ってゆかなかればならない。経営者が怒られるという事態に発展すると、給与や賞与の査定や社内の立場的問題などに影響を及ぼす恐れがあるから、現場の責任者は極端にミスを嫌うような体質にならざるをえない。実際、40%の障害発生率を記録した過去最低のシステムを作り出した当時の現場責任者は、管理者という立場を剥奪され、プリンターの風が吹きすさぶ端のほうの席でしょんぼりとなっている。今後彼が再びプロジェクトを采配する役割を担う機会は、万に一つもないだろう。ペナルティーは、将来をも左右しかねない。午前11時半。部長様が現われたことが契機となり「緊急障害報告会議」が開かれた。本来ならば我々からは、現場責任者である小男のマネージャーだけ出席すればいいことになっている。全てを掌握し、全ての責任を負うということが、この小男に課せられている最大の使命だからだ。しかし今回の緊急会議にはいち技術者であるオレも出席することになった。というより、そのようにした。ほとんど丸投げされた状態で仕事を請け負っていたという経緯もあり、小男がこのシステムの全てを把握しているとは到底思えず、システムを知らない人間が障害発生の原因を正確に説明できるはずがないという判断にもとづいてオレが自発的に参加意思を決定したのだった。小男は、オレが作成した報告書に沿って、型通りに説明を開始した。客先のシステム担当がもう一人やってきて会議は全員で5人で行われることになっていた。キュートな銀行員を含む2人のシステム担当者はどちらかというと前のめりになりながら報告書に目を這わせていている。端の席でさっきからずっと無言を貫いている大杉蓮に似た部長様は、報告書も見ずにふんぞり返っている。表情には苛立ちがにじんでいて隠そうともしていない。態度からも鼻息からも「怒っている」ことがありありと伝わってくるようだ。小男による紋切り型の報告がひとしきり終わると、部長はようやく口を開いた。口を尖らせたまま「これは、どういうことになっているのかね」というようなスタンスで、つまり原因の詳細な説明と釈明および謝罪を求めた。二言三言のうわずった声を発した小男はすぐに返答に窮した。タイミングを見計らっていたオレは、深刻な表情をつくりながらやや上目で部長を睨むような体勢で、ゆっくりと説明を始めた。-このディレクトリの作成依頼を申請からわざと外したわけですが、それはジョブで自動的に削除・再作成が行われるので、無くても勝手に作ってくれるだろう、と判断したことによるものなのですが、「それが勝手に作ってくれてなかったわけでしょ?理解不足ということじゃないの」高圧的な態度の部長は、オレの話を途中で遮り、結論を急いだ。-いえ、無くても勝手に作ってくれるという判断そのものには間違いはなくて、問題はその部分ではなく、その前段階として、データを収集するためのディレクトリがないとわざとエラーとしてジョブを落としている個所があってですね、今回は、そこで落ちてしまったわけなんです。「結局ないとダメなんでしょ?そのディレクトリがないケースのテストってやったの?」-いえ、そこまでは。。ただ、かたやなくても大丈夫と思わせておいて、もう一方では無いとダメというのは、システムポリシーが一貫されていないようなところもあり、この方式全体にそれは言える話ではあるのですが、そこでその、ややこしくなって見落としてしまったというところもありまして。。「じゃテスト不足だよね、テスト計画に漏れがあったということだね、こういうケースって普通テストするよね?テストしてたら、一発でわかることだよね」-はい、おっしゃる通りです。ただ今回は、他部署からの移管ということもあり、共通的な部分の完全なテストまでする必要はないと判断しておりまして、事実そのようにすることで承認もいただいておりますし、時間的な制約からも今回は見送らせていただいたということで、、「なんで?運用が変わったんでしょ?データ圧縮してるでしょ?全部テストしたほうがいいんじゃないの?・・・ふん、ま、わかりました。」ようするに部長は「おまえらがちゃんとしていないからこんなことになった。もっとちゃんとしなさいよ」ということを伝えたいだけであり、つまるところ我々の、とりわけオレのミスであるからその責任の所在を明確にしたということと、今後ミスがないようにあくまでも「おまえら」が対策を講じるべきだ、ということなどを強調しているだけだった。障害の原因とその対策も調べ上げ、提示するだけでは「報告会議」は終わらない。必ずこの不機嫌な部長とのやりとりがあり、これはどのプロジェクトでも必ず行われているいわば「儀式」のようなものであり、ミスを犯した者への「制裁」や「罰ゲーム」であるといっていい。これは親がしつけの行き届かない幼い子どもを叱るときに、たとえば暴力を使って苦痛を味わわせる教育方法と本質的には同じだ。不備やミスに対する危機感を、恐怖政治によって煽り、駆り立てているだけで、逆にいえばそのことでしか問題を解決しようとしてしない。似たような方法を使ったシステムでは同じようなミスが幾つも起きていて、いつもいたるところで「緊急障害報告会議」が開催されている。それでも彼らは何も抜本的な対策をしようとはせず、ただ恐怖政治を維持しているだけだ。昔から一環して変わらないこの「恐怖政治システム」にたいして、どこからも問題としてあがってこないということは、あるいはこれが最も効率的なやり方かもしれない、という錯覚に陥るあたりオレも「内部」の人間として体質が銀行色に染まってきているのだろうか。さておき、上記のような「儀式」は1時間ほど続いた。この間オレは、自分の感情と理論を完全に切り離して話を聞いていた。というよりほとんど聞き流していた。3番目ぐらいの人格が現われていたといってもいい。悪意もろとも人格を否定されるような言葉を投げかけられ、徹底して高圧的なところから不愉快なシグナルを与えられ、オレのデリケートな感情が耐えられるはずがない。しかし環境や立場上、キレるわけにもいかない。そういうときオレは、完全に感情と理論を乖離させることができる。このことによって精神は保護されるが、身体には後々大きなダメージが残ってしまうことになるだろう。申請書にハンコをついて(実際にはボタンをクリックするだけだが)、やがて承認に回ったときには午後2時に指しかかろうという時間だった。朝から水しか摂取していない。口や喉は渇きっぱなしだったが、不思議と空腹という感じでもない。視界が狭まってきたことで、血糖値の暴落を自覚した。そのとき不意に、キットカットとパイの実が、オレのデスクに置かれた。「甘いもの食べて元気出してくださいね」キュートな銀行員だった。まるでオレの血糖値を測定でもしていたかのようなタイミングだった。あるいは緩慢になってきた動作や、熱の下がった顔色などから体調が伝わったのかもしれない。跳ねるように自席に戻り、笑顔でパイの実をほうばってオレにウインクしてみせるキュートな銀行員は、もしかしてこの最悪の状況を楽しんでいるのかもしれない。と、オレは思った。
2004.08.07
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障害の原因はつまり、「ディレクトリが1個足りない」ということでたったこれしきのことであるともいえる。パソコンでは「フォルダ」と言われている概念が、UNIXではディレクトリと呼ばれていて、呼び方は異なれどいずれもファイルを格納するという点で本質的には同じだ。そのたかだか「ディレクトリ」を1個追加するために、結局丸1日という膨大な時間がかかり、一連の作業に関わった人間は通算10名を超えてしまった。大変な騒ぎになった。その大騒ぎを経て障害対応が終わったわけだが、ディレクトリを1個追加するだけなら3秒で終わるはずのところを、なぜ丸1日もの時間が費やされたのか、なぜこれほど多くの人間が、この障害に関わらなければならなかったのか、ということを説明してゆくその前に、このシステムをとりまく環境の役所的な側面や、そもそも銀行としての官僚的な体質について述べておく必要がある。金融機関の宿命ともいえるべき徹底してミスを嫌う文化とその責任の所在だけを明確にしたがる官僚的体質が、最終的に「ディレクトリ1個に10人がかり丸一日」という愚劣で非合理で不必要な仕事を生み出すことに繋がってゆくのだが、言い換えればこの一連の緩慢な動作群こそが、ぜい肉をたっぷりと蓄えた日本の銀行の象徴であり本質であるとオレは思うのである。当初、某所から某所へデータを送り届けるだけの機能しか持たないこのシステムを一見したときオレは「なんだ、チョロいな」という感想を周囲に漏らした。他の開発者は口々にこのシステムに関わることの困難を訴えていたが、このときのオレはなぜそこまで困難であるのか全くわからなかった。AサーバーのデータをBサーバーが集め、Cサーバーへ転送し、Dサーバーへ書き込む。全部で4つのサーバー間のデータフローを、1個のジョブがコントロールするという、いたってシンプルな設計だったからだ。オレはこれに、転送タイミングを速めるという機能を追加しつつ、全体を再構築するというそれしきの仕事を請け負った。再構築させたジョブは完成し、テストではいくつかの問題を露呈させたもののことごとく解消し、滞りなく終わった。あとはこの成果を、本番運用機に搭載するだけだった。しかしその搭載方法を聞いたオレは、愕然とした。本番稼動中のサーバー機に、開発者がアクセスすることは基本的に禁止されていて、限られたメンバーにしかその権限が与えられておらず、つまりその限られたメンバーが属する部署にたいして、我々開発者は「申請書」を書いて作業や更新処理を「依頼」する必要があるのだ。そういった煩雑な手続きがあるとは聞いていたが、たがか依頼申請、と楽観視していたオレは、合計10枚の申請書を書かなければならないとしても、1日あれば十分と思っていた。やがて申請書の画面を開いて書き始めようとしたときすぐ、オレの楽観が間違いであるということに気付くと同時に、仲間の開発者が口にしていた「困難」という言葉の本当の意味を悟ったのだった。申請書はおもに、プログラムやファイル・ディレクトリを配置したり、削除してもらうためなどに使われる。テストした状態のファイルやディレクトリを引き渡すことと同時に一覧表としても提出しなければならず、極端にいえば仮に提出した一覧表に記載漏れや記述ミスがあった場合、間違ったままの情報が本番に載るということだ。だからミスは許されない。許されないからこそ、慎重に書き進めなければならない。そして書き上げた10枚もの申請書は、起票→再鑑→検印→承認という厳重なチェック機構を経て、ようやく運用担当部署に届く。書き方の不手際により何度も何度も差し戻され、ようやく承認者を通過したのは、申請書を書き始めて1週間も経ったころだった。承認者はそうとう「偉い」立場にあらせられる部長様らしいが、オレはそいつの顔も名前も知らない。やがて運用担当部署のスタッフから電話がかかってきた。承認まで通過したはずの申請書の内容に不備がある、とのことだった。その後そんなような指摘を2日にわたり3度も受けた。ということは、再鑑・検印・承認という3重4重のチェック機構が、全く見落としているところに不備があったということだ。このチェック機構はほとんど本来の役割を果たしていない。ただ紙が渡ってきたからハンコをついたというだけの、ガキの使いのような仕事をするだけのポストで高禄を食んでいる男が銀行には何人もいる。ということにオレはここで始めて気付いたが、あとの祭りだった。本番サーバーに搭載するオレの成果物は、すでにオレの手からは完全に離れ、凍結させられている。あらかたのミスはチェックされることなくあらゆる関所を通過していって、今まさに本番稼動中のサーバーを侵食せしめようとしている。運用担当から3度もの不備指摘があったということは、運用担当にも見つけられない不備が残存している可能性は大いに考えられる。しかしもう書類はオレの手を離れている。オレがこの日まで持ちつづけてきた、「障害が起こるに違いない」という悲観的観測と、危機意識との間のジレンマの根拠はそういうことだったのだ。原因が判明したのちオレはテスト室にこもり、ディレクトリがある状態とない状態のジョブの動作の違いを記録した。結果は予想通りではあったが、予想が正しいということを記録しておかなければならなかった。キュートな銀行員は各所にネゴり、緊急リリースと異例稼動の手配を終えたところだった。オレは申請書を1枚書き、10ページの報告書を15分で作り、それを小男のマネージャーに説明した。これを銀行員の上司に説明するのが小男の今日の最も重要な仕事だ。書類をそろえた我々は、あとは「部長様」の登場を待つだけとなった。やがて午前11時半、部長様が現われた。「ディレクトリが足りない」という原因が判明してから、すでに3時間経過していた。オレとキュートな銀行員、小男のマネージャとそして部長様。この場にいる4人のほかに、運用担当者と技術サポートが一人ずつ。計6人の人間が関わっている。この夏オレの一番長い日は、まだ折り返し地点にも到達していない。
2004.08.06
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昨日とおととい、ひとりで飲んで帰ったのには訳がある。おとといは、システムの本番稼動初日だった。我々は、稼動監視とトラブル対応のため、実行開始予定の午前8時に、現地で待機することになった。定刻通り、システムは稼動しはじめた。本部の情報が、いくつかの中継地点を経由し、別の分析システムへ送り込まれる仕掛けがあり、今回は、転送の早期化を図るために再構築した後の、初回運用だった。何もなければ、ただログをながめて、正常にデータが送り届けられたことを確認した時点で解散の運びとなるはずだった。ところが稼動して2分も経たないうちに、システムがダウンしてしまった。最悪の事態だった。webブラウザでシステムの状態を監視していた我々は愕然となった。おそらくサーバーのコンソール端末ではサイレンとともに赤く「エマージェンシー」のランプが点滅する。監視室の黄色いパトライトがくるくると回転し、緊急事態を告げる。我々が待機しているのは就業開始時刻以前の銀行オフィスであり、すぐには緊急度は伝わってこない。しかしにわかに電話が鳴り響き静寂を打ち破ったことで、緊張と重大さとを知らしめることとなった。障害発生内容を記したメールが関係者各位へ自動的に配信される。電話は、メールを見たシステム運用統括部門の責任者によるものだった。電話を受けたのはキュートな銀行員で、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」、「ただちに原因を調査いたします」、「ご報告させていただきます」というような言葉を使っていることで、現場はさらなる緊張と恐怖につつまれた。深刻な事態だった。電話を終えたキュートな銀行員も、我々ソフトハウス側の責任者も、あるいは早めに出社して席についている知らない人も、ほとんど全員が、オレに注目しはじめた。稼動開始直後に障害を発生させてしまったこの欠陥システムを構築したのが、オレだからである。オレに向けられた視線には、怒りとか失望とか、あるいは憐れみなども含まれていたはずだが、いずれの感情も前向きではない。いくつもの感情が複雑に絡み合っている現場のこの重苦しい空気の中から、一つだけ合理的なものがあるということをオレは感じ取った。それはおそらく、迅速な原因追求と、確実な対策策定であろう。朝のだいぶ早い時刻、まだ完全に覚醒していないアタマをオレはフル回転させなければならなくなった。障害発生の報を聞きた瞬間から脳内には覚醒物質が大量に分泌していたらしく、一度に5つぐらいのことを考えながら、あわただしくキーボードを叩きはじめた。さらにその状態で銀行員と、現状の認識や今後の事務手続きに関して話をした。その間、ソフトハウス側の責任者はというと、オレの後ろに陣取ったままめまぐるしく切り替わるパソコンの画面をのぞき込みながら、「あー、まさか起こるとは思わなかったなー」とか「これはチョット痛いなー」などとまるで生産性の無い言葉を吐き散らかしているだけだった。オレにしてみれば、当日障害が起こるかもしれないということはあらかじめ予測していたことであった。それにはいくつか要因があるが、最大は、テストしたプログラムとは違うシステムが本番に載るということが挙げられる。つまり「一発勝負」であり、手をつくしたらあとは祈るしかない、というこの時世に信じられない手法を採用している環境下での初仕事だったため、ちゃんと動いてくれるという自身をどうしてもオレは抱けなかったし、障害が起きない確率はほとんどゼロパーセントという悲観的観測をずっと持ちつづけてきた。マネージメントするしか能がないこの小心者の小男にオレは、以前からこのシステムの危険性、というよりも、システム開発を取り巻く環境や技術サポート体系の不透明さからくる不安定な方式の危険性について説いていたし、本番稼動の数日前にも、「障害が起こるかもしれない」という警告を発していたが、小男は「えっ、マジ?」とか「きっと大丈夫だよ」といったような根拠のない楽観論を並べただけで、オレの警告はほとんど黙殺に近い形で切り捨てられていた。「一発目でうまく動いた例はないよ」経験者は口々に語っていた。それでも散々障害が発生し、未だ警報機は鳴り止まない。キュートな銀行員は関係者へのネゴと上司への説明と事務手続きに追われた。小男のマネージャーはただおろおろしているだけだった。そんな中でオレは原因追求に集中すること20分。やがて一つの謎に突き当たり、ある仮説を打ち出した。技術サポートチームにその仮説を伝えると、まさにそれが障害の原因であるという結論にたどりついた。オレは電話を切り、横で見守っていた小男を黙殺しすぐにキュートな銀行員のもとへゆき、オレがたてた仮説とその裏づけと、そこから導き出される今回の障害原因について説明した。オレはそのままテスト室へ向かい、事象が再現するということの証明をしなければならなかったし、銀行員はそのことをまとめて上司や関係者への報告書を書かなければならなかった。小男のマネージャーは、首を鶏のように運動させているだけだった。
2004.08.05
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楽天のデザイン機能が大きくバージョンアップしたらしい。管理画面を広げて一通りの機能を確認したが、ひとつとしてオレが待望していたという感じのものはなかった。だからことさらにこのバージョンアップのことをかきたてる必要はないのではないかと思うが、違う。一つだけ、革命的に変化したことがある。文字が、小さくなった。オレはいつもヤフーのニューストピックスを読むためにブラウザのフォントサイズを「最小」に設定している。より多くの情報を画面に配置させ、文字としてではなく全体のイメージとして俯瞰的に情勢を補足するためだ。ところがこの「最小」の設定だと、マイクロソフトのHPにジャンプしたときに悲惨なことになる。マイクロソフトにおける「最小」フォントの設定は本当に最小で、文字がつぶれてしまい何が書いてあるのか全くわからない。マイクロソフトへ行ったときだけ「中」にするが、その設定のままヤフーに戻ると、今度は非常にバカでかい文字になる。デカ過ぎる文字はメッセージとして直感的に伝わってこず、象形とか落書きのようにも思え、映画館における最前列席のようでかえって見づらい。フォントサイズの設定において各人の理想があるところにつけねらった、ヤフーとマイクロソフトのこれは勢力争いにほかならない。楽天日記のこのフォントサイズの修正は、両者の利権争奪戦に加わったという戦略的効果と、あるいはどちらかというとヤフーよりだった立場からマイクロソフトよりに転換したという政治的意図があるとみている。いずれにしてもこのフォント大作戦は、きわめて高等な革命戦術であることにはかわりはない。その証拠に、デザインは旧タイプを許しても、フォントサイズだけは、どんなことをしても設定を変えられないように、このバージョンアップではなっているからだ。つぶれた文字では読みづらいからオレは、ブラウザの設定を「最小」から「小」にした。10年ぐらいインターネットに関わってきたとして、フォントサイズを「あげる」ということをしたことをオレは一度もなかった。それを、やぶった。やぶらざるを得なかった。楽天の術中にはまってしまったといっていいが、あきらかにこれはオレにとって、歴史的革命的「事件」である。これがきっかけとなり、自分のブラウザの設定をあげざるをえないユーザーも多く出現することになるだろう。そのとき、ヤフーはどう出るか。「小」に切り替えたオレはまだまだ全体を俯瞰しているが、このことが間違っていないとはいいきれないし、よくわからない。すべては時流が決めることだ。
2004.08.04
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サッカーのアジアカップで日本代表は、準決勝でバーレーンを下し決勝進出となった。決勝トーナメント1回戦(準々決勝)における川口選手の神がかり的な活躍や、中村俊輔選手の正確無比なフリーキックなどによりこのごろすっかりサッカー日本代表にハマっているオレは今日も、テレビで日本の試合を観戦するために、仕事を切り上げて帰ってきた。切り上げたといっても、中途半端に終わらせたまま帰ってきたわけではない。熟慮し、かつスピーディーに問題を解決しながら、明日の仕事がスムーズにいくための準備も怠らず、完璧に「今日いちにち」を仕上げてから帰ってきたのだ。サッカー日本代表が45分ハーフ計90分の中で戦っているように、オレも日々4時間ハーフ、8時間という時間の中で仕事をしている。ときには12時間とか15時間とかいったような延長戦を強いられることもあるが、長けりゃいいというもんじゃない。プレイヤーとしての決め手を欠き、戦略的に策が尽きて仕方なく延長に突入する。圧倒的に強く、的確なことだけをしていれば最短で勝利が導かれるはずだ。今夜の日本代表戦を見だしたときに、すでに我が方はどういうわけかひとり少ない10人でのプレイを強いられていた。直後、相手ゴールエリアにて、我が方のフォワードのひとりが倒された。テレビ解説者のセルジオ越後と松木安太郎は口をそろえて「今のはファールでしょう」とか「これをファールにしない今日の審判はどうにかしてますね」とかいうようなことをいった。中国で開催されている2004アジアカップは、地元中国人による反日感情を世界的に公開する大会でもあるようで、放映されているテレビの音声からは、日本にたいする中国人サポーターのブーイングや、ブーイングをこころよく思わない解説者らの、被害者的な立場からの言葉などが垂れ流されている。そのことは世論はもとより国家としての感情をも揺り動かそうとしているらしく、日本のどこかの政党の政治家が中国にたいして、「遺憾」といったとかいわないとか。政治は理想や理論のためではなく、感情と損得勘定によって進行している。その証拠に、サッカーの解説でセルジオ越後や松木安太郎は、技術的な解説を一切していない。「ここでとられちゃいけませんね」「リードしてますがもう一点取る気持ちでやって欲しいですね」おまえらの欲求を聞きたいんじゃない。オレはテレビでサッカー観戦をしているんだ。取られたくない場面でボールをられてしまったり、もう一点欲しい場面で思うように点がとれない辛さは誰よりも選手が一番よく知っているだろうし、そもそもそんなことは解説されなくても、我々が切実に願っているが、これら感情的なテレビ解説は、無責任でも選手の意欲に影響を与えている。客の要求にたいしてオレは、例えば複雑なSQL(構造的な問合せ言語)を使って応えるという仕事をしている。その複雑で構造的な問合せ言語を使って、いかに困難な客の要求を満たしたところで、「よくやった」ともいわれない。どころか、客の要求はますますエスカレートしてくる。予選を勝ち進んだならベストエイト、次はベスト4、やがては優勝、といったように、客の要求は尽きることがない。オレも客の要求に応えている。時を同じくして日本代表も、観客やテレビ解説の要求に、はからずも「勝利」というカタチで応えている。今日も日本は天才的な勝ち方をした。がんばれニッポン。がんばれ、オレ。
2004.08.02
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8月になった。台風が通過したりしているせいかもしれないが、窓を開けて寝ていると、風が音をたてて部屋に入ってきて、休日の午前にあがりがちな気温をまぎらわす効果になってくれて心地よい。まだまだ猛暑や残暑は続くらしいが、暑い暑いとただ、うだってばかりもいられない。サッカー日本代表が中国の重慶でアジアカップを戦っているが、気温35~40℃という過酷な状況下でよく走りよく勝っている。川口選手の神がかり的なセーブにばかり気をとられているが、よく見ると中村俊輔のフリーキックは、つけいる隙がないほど完璧なことに気づく。99パーセントぐらいの確率でいいフリーキックを蹴っているかもしれないということがオレのような素人にもはっきりわかる。しかし99パーセントのチャンスを生んでも、ゴールになるのは1パーセントぐらいしかないというのも、なかなか報われない商売だ。オレの仕事はサッカー選手ほど過酷ではないが、本質的には99パーセントではなく、100パーセントの精度を求められている。サッカーにたとえると、100通りの攻撃は全てゴールに結びつかなければ「ミス」だとされる。「勝ち」という喜びがあればミスは帳消しになるかもしれないけれども、100パーセントミスがないことが勝ちだからあてはまらない。前任者が担当した仕事がミスだらけだということをちょっと前の日記に中途半端な感じで書いたけれども、その仕事のミスの確率は40%ぐらいで、これはミスが1%でも許されない状況下であることを考えると恐るべき数値だ。その恐るべきミス確率をオレは限りなくゼロに近づけるという仕事をおおせつかった。3ヶ月かかって「完成」したようにみえた40%ものバグを含んだシステムを、オレは3日で洗いざらい調べなれけばならなくなったのだった。ほとんど絶望的だったが、どんなときでもオレは絶望したりなんかしない。まず「3日で何が出来るか」ということと「全てのバグを洗い出す」ことの接点を考えた。考えた挙句に導き出した方法は、「全てのソースコードを読む」ことと、「まだバグの出ていない箇所の再検証」だった。ところがこれをオレ1人で3日ではとてもできない。要員を追加してほしいというとナツコさんが投入されることになった。1人増員、それでも間に合わない。2人で出来ることを表にしてまとめて計画を立てた挙句、5日というラインでどうにか折り合ったのだった。限られた時間と人員でもってやれることだけをチョイスしたとはいえ、ミスを限りなくゼロにするという命題を掲げた以上妥協は許されない。たとえ目をチマナコにしてソースコードを追ったとして、バグを発見できずに今後またトラブルが起こったとしたならば、「よく健闘した」なんて言葉も虚しくオレの仕事は無に帰してしまうのだ。作業は困難を極め、単純作業とプレッシャーからくるストレスは絶頂をむかえた。挙句の果てに新たにミスが2つ、見つかってしまった。40℃の炎天下でプレイする日本代表選手の、勝ち続けたいという本能と、負けて早く日本に帰りたいという欲求が交じり合っているような「感じ」が、オレにも少しつかめたかもしれない。自分の仕事のことや生活のこととか、つらいことや楽しいことなどをそうやって当てはめて我々は日本代表選手を応援している。がんばれニッポン。
2004.08.01
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