2003.10.24
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日本シリーズでダイエーと阪神のどっちが勝つかとか、ワールドシリーズの松井がいかに活躍するかとかそういったことで今世間は盛り上がっているが、仕事仲間や友人など周囲の誰も野球の話題を口にする人間はいないから、テレビやインターネットから流れてくる情報を自分なりに処理することでしか、その盛り上がりは実感できない。テレビの画面ではどちらかというと阪神ファンが熱狂的になっていて、大写しになったスタンドでは黄色と黒の縦じまが規則正しく動いている。この観客の盛り上がりはまるで日本中を象徴しているかのようなコメントをアナウンサーはしていて、たいして面白くなさそうにテレビを見ているオレは一人だけ取り残されているような印象を刷り込まれている。インターネットの画面を開いてみても、ヤンキースにおける松井の打席だけが克明に記されていて、別に知らなくてもいいがゲーム全体の流れは掴ませてもらえない。
祭りに取り残されたくないし、野球という娯楽を放棄するつもりもないから、日本シリーズではダイエーを応援し、ワールドシリーズでは松井の動向をいつも気にすることにしている。ダイエーを応援する理由は特にない。しいていえば阪神や星野監督がちょびっとだけ嫌いだということだ。そもそも野球にはあまり興味はないほうだが、公式にはオレは巨人ファンということになっている。
スポーツとしての野球に全く興味がなくても、娯楽としてのプロ野球観戦という、日本の伝統的な文化は無視できない。子どもの頃から「巨人戦」というテレビ番組によってその存在を刷り込まれてきた。大人は巨人が勝つと大喜びし、負けると機嫌が悪くなったりしていた。機嫌の悪い大人が発する不快な波長は、「巨人が負けると危険だ」というシグナルとしてオレに届いた。いつのまにか巨人を応援する体質にオレはなっていた。親の機嫌がよくなるためには、まず巨人が勝たなければならなかった。幼いオレは平穏を願うために巨人を応援し、優勝を願っていた。それがトラウマになっていて、今でも巨人戦を見ると、無条件に応援してしまうのだ。
今より娯楽に乏しかった時代の日本人は野球にものすごく熱狂した。戦後行き場のなくなった戦闘意欲とか闘争心とかあるいはナショナリズムの代替として野球は格好の娯楽だった。親が子に与える影響力によって、日本のプロ野球観戦という伝統文化は代々受け継がれてゆく。巨人ファンの子どもには選択権はない。親の意向に従って巨人ファンになるか、反発してアンチ巨人になるかのどちからかだ。これはとても不幸な構造だ。
我々は即刻、野球観戦をやめるべきかもしれない。
オレはなんとなく自由意思でダイエーを応援しているが、それは阪神がちょっぴり嫌いだからであって、なんとなく巨人ファンだから阪神が嫌いだということは説明がつく。しかし巨人ファンであるという体質は、血が関係してくるから拒みたくても拒みきれない。
ダイエーがんばれ、となんとなく叫んでみるけれども、実利も実害もないから勝っても負けてもそれほど嬉しいとか悲しいといったことはない。ダイエーがんばれ、ということでなんとなく祭りに関与した気になっている。
不健全だ。





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最終更新日  2003.10.24 20:54:49
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