2005.09.22
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 ジャージは四間飛車から穴熊へ玉を運び、私は居飛車のまま中央の位取りをを目指した。駒組みが進められてゆく。生身の人間と相対して将棋を指したのはいつぶりだろうか。盤上がやけに広く感じられる。妙な緊張感がこみ上げてくる。
 ジャージの駒運びはバランス感に長けていた。守備側の陣形が定まらないまま歩をぶつけて開戦の合図を出したのは私だった。ジャージは仕掛けられるのを待っていたかのように衝突の混乱をさばいていった。いつのまにかジャージの金銀角桂は、一斉に後手陣内をうかがう好型になっていた。飛車を負われて尻すぼみになっていった私にはもはや為す術なく、相手に主導権を渡したまま防戦一方となった。相手が強引な攻めでも発動してくれれば、混戦にまぎれて千載一遇のチャンスを拾えるかもしれないと思っていたが、しかしジャージは優勢になっても決して浮き足立つようなことはなかった。慎重な差し回しでじりじりリードを広げられてゆくだけとなった私の玉は、さしたる抵抗もできぬまま詰んだのだった。
 悔しくて泣きそうになった。ゆるやかな指し回しからは圧倒的な実力差を感じられなかったし、言動からも気迫は伝わってこなかった。失敗手もあったがなんとなく劣勢に追い込まれて負けた。結果は、完敗だった。
「ジャージ先生、もう一回お願いします。」
 頼み込んだ。すでに負け犬を自覚していたのかもしれなかった。次に勝てる自信はなかった。ただ絶望を紛らわすために、希望をつなぎとめておく必要があった。ところがジャージが、2度と席に着くことはなかった。
 そろそろ次の支度を始めなければならなかった。自由時間のリミットはとっくに過ぎていた。

 外には人数分つまり7脚の椅子や、アルミ製のテーブルやバーベキューコンロが用意されていた。別荘の敷地スペースは40度近い斜面を直角にえぐりとったところに敷かれ、一方は岩壁、もう一方は絶壁の森林の中にあった。地面は背の低い雑草が土を覆い、鳥や風や川や虫の音たちが澄んだ空気を震わせていた。
「バーベキューの支度が済んだら温泉いこうや」という計画が提案された。
 火をおこしてから炭が安定するまで結構な時間がかかるはずだったし、温泉浴も悪くはないがこのまま森林浴でもいいんじゃないかと思ったし、別荘で遊び暮らす雰囲気を満喫したり、昼間からビールを開けるよろこびもかみしめたかったりしていた。

 それら一連の思惑を集約させた言葉を捜していた私がふいに口にしたのはそれだった。
 温泉に行くか行かないかどうするかを棚にあげて、状態や気持ちを表現する。それを汲んだ周囲が勝手に方向性を判断してくれるだろうことの期待を含ませた言葉としての「面倒」。問いかけに対するYesかNoかの決断を他人にゆだね、それとなく否定の意思を示しながらも、否定した責任も放棄してしまう「面倒」という言葉。
「面倒」は、日本以外の国にはない言葉だということをどこかできいた。つまり外国人は「面倒」という感情を持っておらず、「面倒」という言葉を使った取引は行われないということだ。いつも2者のうちどちらかに決め、自分の意思をはっきりとしめさなければならないのだろうか。そんな面倒な国に生まれなくて本当によかった。
「確かに、かったるいな、」
と珍しくこすりつけが同調した。行きたい人だけが行くかとか、そういうことなら行かなくてもいいとか、複数人の意見をすりあわせることが面倒になってきたりして、温泉行きは立ち消えになった。

 ミミとカラコがバドミントンを始めた。風に流されてかラケットが斜めを向いているのかどうなのか、羽根は観戦者の頭上やクルマのフロントガラスをめがけて飛んだりした。疲れたほうが休んだ。すると身体を動かしたくなった誰かが始めた。そういうローテが繰り返された。「さっきからな、ずっとやっとんねんもうええわ。」こすりつけが悲鳴をあげPCBに変わった。
 PCBは、他の誰とも身のこなしが違っていた。踏み込む前足にかかる重心のバランスや、バックハンドのときにラケットをささえる左手の動きや、羽根をミートさせるタイミングや腰のひねりやら、どれをとっても素人の動きとは思えなかった。
「PCBさんバドミントンやってたの?」
「いやテニスをちょっとだけ。」
カラコの質問にPCBはそう答えたが、その後すぐに誰かにラケットを渡したきり、2度とコートには戻らなかった。
「だいぶ息あがっとるみたいやな」

 自分の身体をいじめ、鍛えることを快感とする人もいれば、精神的、肉体的なストレスから逃げてラクな風に流されることが快楽と思う人もいる。人はそのどちらかに分類されるわけではけしてなくて、両方をバランスよく極めるのがいいにきまっている。

 ふと見ると、なにか特殊そうな装置が置かれていた。
 平たく地面に置かれたその装置は、ベルトコンベアのベルトを付け忘れたようなような形をしていて、その上に自転車が乗っていた。自転車は横のクルマに立てかけられることで姿勢を維持していて、装置には自転車を固定する金具のようなものはなかった。彼らはこの奇妙な装置のことを「ローラー台」と呼称していた。スポーツジムによくあるルームランナーのような装置だった。
 ルームランナーにはベルトが敷かれているが、ローラー台にはそれがなかった。後輪を2本、前輪は1本のローラーが支えているだけの、きわめて不安定な構造だった。
「シロウトには無理やな」

 こすりつけとPCBが掛け合う。これを乗りこなすにはたしかに曲芸のようなスキルが必要なような気もする。
「よしやったる、かしてみ」
 フランスが名乗りをあげた。スポーツジムのエアロバイクと同じ要領とでも思っているのだろうか、と胸中悪態をつきつつ、奴がコケる姿をみせてくれることを期待した。
 しばらくは補助役にささえられながらのスタートだったが、「とおくを見て走る、遠くを、あーまた左や、左よってるゆう感覚がわかるようになってきた、あ、どや今ええやろ、まっすぐ走ってるよな、まっすぐ、とおくをみて、まっすぐ、」と独りごちてゆくにつれ、スピードとバランスが保たれていった。やがて補助の支えが外されても、それを知ってか知らずかフランスは鼻息も高らかに全力でペダルを回し続けた。そうして発揮した強大な推進力をフランスは、すべからく空中へと拡散させてゆくのだった。

 こすりつけとPCBが火をおこしている。
 着火材の上に木炭を置き火が移るのを待つ。点火した木炭を別のかまどに移し火が灯るのをまつ待つ。待っている、という感覚はない。炎は刻々と変化していって2度と同じ形にならないし予測できない。火を見るということ自体が支配していることになる。だからいくら待たされても飽きない。
「中村、ヒコーキ雲あるやろ、たそがれどきや、どやここで一句」
 炭をひっくりがえしながらこすりつけがいう。風流な。前田慶次郎のような心境に違いない。(大空に、赤松と雲・・・むにゃむにゃむ)そんなような句を考えていた。
「『これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 大阪の関』。どや、いい句やろ」
 私の思考に割って入ったこすりつけは、禅僧か世捨て人のような句を詠んだ。見知らぬ人が出会っては別れ、また出会っては別れ、そういうことが繰り返されてゆく。賑やかさと寂しさや、ミクロやマクロを同時に詠う、いい歌だった。
「なんだそれ、百人一首か」
「ばれたか」
 黒い木炭の表面は白く変色してゆく。たそがれの空は次第に色を落としてゆく。
 ジャージが将棋盤を持って現れた。リベンジのチャンスが与えられた。森林にふたたび駒音がひびきわたった。ワゴンの屋根から2機のハロゲンが照らされた。野菜を切り終えた女どもがエプロンのまま外に出る。日が暮れる。森は闇につつまれてゆく。
「ふたりの将棋が終わったら焼き始めようか」
 カラコが最も切実な秒読みをする。肉や野菜が運び出される。炭は完全に出来上がり、遠赤外線を放出している。対局はなかなか進まない。待ちきれないフランスが肉を焼きはじめた。盤上は千日手の様相。肉の匂いにつられて思わず駒をぶつけた。「ニヤリ」とジャージは口にした。肉の焼ける音がする。
「後悔するなよ、すぐになくなるで」
網上でも真剣勝負が繰り広げられていた。指しては返し、翻し、差されて食われてまたやりなおし。一手指しては肉をうかがい、うまくゆかなくて夏。もうすっかり暗くなった。受けっぱなしも好きじゃない。照明に照らされた崖っぷちのステージ。無理筋気味に攻め立てた。玉砕してもかまわない。しかしすぐに事切れた。「負けました」今日2度目の屈辱をかみしめた。意外とすがすがしい気持ちだった。負け慣れる、とはこういうことか。
 牛肉が、ほとんどなくなっていた。






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最終更新日  2005.10.09 00:09:29
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