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クロニクル 山手線に冷房車登場1970(昭和45)年7月31日酷暑の日々ですから、涼しそうな話題を…。45年前のことです。今ではあたり前になった通勤電車の冷房。私はもっぱら弱冷房車を利用するよう心がけているくらいです。そんな冷房車。当時は新幹線を中心に、別に特急料金が必要な長距離電車にのみ設置されておりました。乗車時間の短い通勤電車には要らないと考えられていたのですね。関西の事情には疎いので、もしかしたらそちらの方が早かったのかもしれませんが、首都圏で最初に冷房車を導入したのは、1968(昭和43)年の京王電鉄でした。新宿から京王八王子や高尾山口に向かう1部の特急(特別料金不要)に設置したのが最初です。この好評を見て、当時の国鉄が山手線に導入を試み、45年前の今日、その第1号が登場したのです。当時の冷房車は新型車輌の1部の電車だけでした。私は、赤羽線の板橋駅が最寄り駅で、池袋・新宿間を良く利用していましたので、夏場に時たま、冷房車にめぐり合うと、何か得した気分になったものです。今はあたり前になっている、ラッシュ時間帯の女性専用車輌の導入も、京王電鉄が最初に踏み切っています。そういう点で、京王電鉄は通勤電車サービス改革のパイオニアでした。
2015.07.31
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クロニクル 小渕恵三内閣成立1998(平成10)年7月30日17年前のことです。7月24日の自民党総裁選で勝利した、小渕恵三自民党総裁を首班とする小渕内閣が、この日成立しました。内閣の目玉は、首相が三顧の礼を持って迎えた元首相の宮沢喜一蔵相と、民間から迎えた堺屋太一経済企画庁長官でした。この2人の積極財政論者による、財政の大盤振る舞いで、落ち込んでいた景気は多少持ち直しましたが、赤字財政に苦しむ中、隠しおおせなくなった不良債権のヤマの中で、資本の毀損が著しい大手金融機関への公的資金の注入が不可避な状勢になっていたため、継続的な財政資金の投入は躊躇われる事となりました。こうして、やがて経済の減速が明らかとなり、他方で蔵相が是非にと拘った長銀の救済は、相手方と頼んだ住友信託銀行の足並みが揃わず、遂には、一時国有化という荒療治が仕組まれるなど、日本経済は、やがてどん底へと落ちていくことになりました。
2015.07.30
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クロニクル チャールズ・ダイアナの結婚1981(昭和56)年7月29日ダイアナ元妃がフランスで事故死して、間もなく18年になりますが、34年前の今日は、イギリスのチャールズ皇太子(当時33歳)とスペンサー家の令嬢ダイアナ(当時20歳)との結婚式が行なわれた日です。それはイギリス王家にとって、大変喜ばしい日でした。2人の結婚の翌年には、長男ウィリアム王子が生まれ、さらに2年後の84年には次男のヘンリー王子が誕生するなど、当初の夫婦仲は円満でしたが、13歳の年の差と、2人の生育環境の違いから、次第に不仲となり、1992年には公式に別居、96年には、遂に離婚に至りました。ダイアナ妃の事故死は、その翌年のことでした。
2015.07.29
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クロニクル アムステルダム五輪開幕1928(昭和3)年7月28日87年前の今日、日本はまだ前年の金融恐慌の打撃から回復していない時期でしたが、アムステルダム五輪が開幕しました。この五輪は、五輪に始めて聖火が登場し、閉幕する8月12日まで絶やされることなく、ずっと燃やされたこと、コカコーラが初めて導入された大会スポンサーとなって、大会関係者全員に配られたこと、女子の陸上競技が始めて実施されたことなど、五輪の成長を辿る上で記念碑的な大会になりました。また日本選手が、初めて表彰台に上ったのもこの大会です。記念すべきメダルの第1号は、三段跳びの織田幹雄選手。15m21cmの堂々たる成績で1位となり、見事に優勝金メダルを獲得したのです。続いて、陸上女子800mで人見絹江選手が銀メダル、水泳200m平泳ぎでの鶴田義行選手の金メダルと、3個ものメダルを獲得したのです。この3人のメダル獲得は、日本国内は勿論、日本選手団の中でも想定外の出来事で、選手団は、表彰式であげる日の丸も、優勝者の栄誉を讃える演奏用の国歌の譜面も用意しておらず、大慌てとなったのです。その結果、国旗は他国の旗より4倍も大きな応援用の国旗が掲揚され、君が代にいたっては、国旗掲揚の途中からようやく吹奏されました。原発の想定外など、無責任極まりないいいわけもありますが、こういう想定外は、嬉しい悲鳴で、恰好は悪くても、笑って許せますね。
2015.07.28
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クロニクル 田中角栄前首相逮捕1976(昭和51)年7月27日39年前のことです。この日、東京地検は、ロッキード事件に絡んで田中角栄前首相を逮捕しました。取調べの結果、8月16日に受託収賄罪と外為法違反の2つの容疑が固まったとして、起訴しました。この事件は、2月に米国でロッキード社の幹部、コーチャン副社長の証言によって問題が暴露され、米国発で日本のマスコミの注目を浴び、それから検察が動くという、珍しい手順で暴かれた事件でした。事件の特異性から、対中関係の改善を米国の意向を無視して積極的かつ素早く進めるなど、戦後米国の意向を無視した初めての首相の登場に危機感を持った米国が、今後の首相となる人達への警告の意味も込めて、積極的に暴露したのではないかという、うがった見方をする人達もかなりの数に上りました。
2015.07.27
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クロニクル スエズ運河国有化1956(昭和31)年7月26日59年前の今日です。54年4月に実権を掌握し、この年56年にエジプト大統領に就任したナセルは、この日スエズ運河の国有化を宣言し、即日実施しました。スエズ運河は、フランス人技師のレセップスの計画によって着工され、7年の歳月を経て、1869年に完成しました。エジプトは、当初スエズ運河会社の株式の43%を所有していましたが、財政上の理由で、その株式をイギリスに手渡してしまい、利益金の取得権もフランスの金融資本に売却していました。こうして1956年まで、スエズ運河は、イギリスとフランスの所有物のようになっていたのです。こうした事情がありますから、大統領に就任したナセルは、思いきってスエズ運河の国有化を宣言したのです。困った英・仏は、軍の派遣を模索しました。そこに渡りに船とばかりに、10月29日にエジプトに侵入したのが、イスラエル軍でした。翌30日には、英・仏軍もスエズに進撃。ここに第2次中東戦争(スエズ戦争)が勃発しました。ナセルを中心にエジプト軍は、良く奮戦して引かず、侵略軍は何の成果を上げることもなく、12月22日の国連決議を受けて、撤退に追いこまれました。ここにナセルのエジプトは、一躍中東地域の政治的リーダーにのしあがったのです。
2015.07.26
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クロニクル 山陽本線の全線電化完成1964(昭和39)年7月25日ちょうど東京オリンピックの年ですから、51年前のことになります。10月1日には、東海道新幹線が営業を始める事になる2ヶ月と6日前のこの日、山陽本線の全線電化が、ようやく完成を見ました。ここに、高度経済成長を続ける日本経済の大動脈、太平洋ベルト地帯の貨物輸送のスピードアップが、ようやく実現を見ることになり、70年代前半までの高成長の持続が、短期間の適度な調整を鋏みながら、続けられることになったのです。
2015.07.25
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クロニクル 東京教育大学、筑波移転を決定1969(昭和44)年7月24日46年前のこの日、東京教育大学(現在の筑波大学)の評議会は、政府が推進を決定していた筑波研究学園都市への移転を決定しました。この構想については、移転を承諾すれば、旧式の設備を一新でき、しかも大型の研究用機材を大量に新規購入できることに魅力を感じた理工学系の教員が概ね移転推進派となり、人文、社会科学系の教員の多くは、人事等で国家管理色が強まることを嫌って、移転反対を強く主張するなど、学生をも巻き込んで学内を二分する大問題になりました。この年1月には東大安田講堂を占拠した全共闘派の学生を、機動隊が排除するなど、全国的に学生の反乱が続いており、東大闘争以後も、各地の大学でのストライキや授業ボイコットが続き、全国学園闘争と称された事象は、なお衰えをみせていませんでした。当時は、そんな時代環境にありました。それゆえ、移転反対派の学生たちは、移転を決定した評議会の議事録の公開や移転賛成の根拠の公開を求めて、ストライキや全学封鎖を繰り返し、一時は騒然たる空気に包まれましたが、70年代に入って全共闘運動の退潮と共に、移転へ向けてのスケジュールが進むことになりました。しかし、移転反対派の教授陣の多くは、民主的手続きを踏んでの移転決定手続きが採られないことに抗議して辞職の道を選び、文系の名物教授の多くが、他大学に転籍する事態を招きました。こうした事情から、移転後しばらくの間、筑波大学は文系スタッフの確保に四苦八苦する状況が続きました。
2015.07.24
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クロニクル 「ヤマが動いた」発言1989(平成元)年7月23日26年前のこの日は日曜日でした。どうして曜日まで分かるかというと、参院選挙の行なわれた日だったからです。この年4月1日、3%の消費税徴収がスタート、そこに前年明らかになったリクルート事件への批判が高まり竹下首相が辞任。有力候補に次々就任を辞退されて、消去法で選んだ宇野首相は、女性問題が暴露されて、これまた散々の悪評を蒙り、そうした中での参院選のスタートでした。開票の結果、自民党は過半数を大きく割り、当時まだ健在だった社会党が大きく議席を伸ばし、野党第1党となりました。当時の社会党委員長の土井タカ子氏が、「ヤマが動いた」と勝利の感想を述べ、この言葉が大流行となったのも、記憶に新しいところです。しかし、その社会党は、今や見る影もなく、何度か政権の座を離れた自民党は、自己改革を怠りながらも、敵失に助けられて、その都度復権、今も我が世の春を歌っています。「驕る平氏、久しからず」なんですがね…。困ったものです。
2015.07.23
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クロニクル 日本基督教連盟軍国主義に協力を表明1937(昭和12)年7月22日78年前のこの日、日本基督教連盟は「時局に関する宣言」を発表、軍国主義の国策に協力することを表明しました。この日の約2週間前に当たる7月7日、盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争が始まっていました。日本の軍部は戦争の拡大によって、華北から華中一帯を占領する計画を立て、統帥権の独立を楯に、政府の命令を無視して戦争拡大路線をひた走ります。そうした目論みの下、信者数がそこそこ多い宗教団体に対し、国策に協力するよう圧力をかけてきたのです。基督教連盟もまた他の宗教団体と同じように、残念ながら軍部の圧力になすすべもなく屈服し、国策への協力を表明したのです。こうして基督教会の多くもまた、一定の戦争責任を免れない存在となったのでした。
2015.07.22
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クロニクル 「上を向いて歩こう」誕生1961(昭和36)年7月21日誕生から今年で54年になります。故坂本九ちゃんの代表作として知られる、「上を向いて歩こう」がこの日、初めて公の場で披露されました。といっても、まだ九ちゃんが歌ったわけではありません。この曲は、54年前の今日開かれた、作曲者の中村八大さんのリサイタルのために書かれた曲で、この日初めて演奏されたのです。作詞はコンビの永六輔氏でしたが、この時点では、レコーディングの話は出ていなかったのです。坂本九によるレコーディングは秋に行われ、10月に発売となりました。レコード発売と時を同じくして、この曲はNHKの人気番組『夢で逢いましょう』の10月~11月の今月の歌として紹介され、61年11月~62年1月までの3ヶ月間、レコード売り上げのトップを独走する、爆発的な大ヒットとなりました。当時はまだCDはなかったのです。
2015.07.21
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クロニクル マクドナルド日本上陸1971(昭和46)年7月20日44年前のこの日、日本マクドナルドのハンバーガーレストラン1号店が、東京の三越銀座店内で産声をあげました。手頃な価格と、調理に時間のかからない、すぐに口に出きるお手軽さが受け、瞬く間に若者の間に支持を広げたことはご存知の通りです。ファーストフードの隆盛はマクドナルドによって準備されたと言っても、言い過ぎではなさそうですね。それから44年、ファーストフード業界は乱立による超激戦状態。昨日の勝ち組は明日の目け組の様相。日本のマクドナルドは、どうやら負け組の道をひた走りだしたようですね。トップに人を得ないと、落ちるのは早いですね。
2015.07.20
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クロニクル 日本もボイコットしたモスクワ五輪開幕1980(昭和55)年7月19日35年前のこの日、第22回目の近代オリンピック、モスクワ五輪が開幕しました。モスクワ五輪については、前年79年12月27日に始まったソ連軍のアフガニスタン(以下アフガンと略記)への侵攻に抗議して、英国、中国、西独(当時)、日本などが、ボイコットを表明、参加を見合わせました。この結果、五輪出場を目指して、厳しい練習に明け暮れていたアマチュアの選手達、とりわけ80年前後が選手生活のピークであった、マラソンの瀬古選手など、当時の代表選手たちが、泣きをみることになりました。ソ連のアフガン侵攻から、1ヶ月も経たない1月の中旬に、人権外交というスローガンを掲げた米国のカーター大統領が、ボイコットを表明、対米従属を国是と考える日本にとっては、ボイコットに追随する以外の選択肢は、事実上無くなっていたのです。スポーツが政治に従属している事実が、余す所なく映し出された、考える事の多い出来事でした。
2015.07.19
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クロニクル ヴェトナム国連に加盟1977(昭和52)年7月18日38年前になります。この日、ヴェトナム民主共和国の国際連合への加盟が決まりました。ヴェトナムは、1945年8月15日の日本の敗戦を機に、当時占領中だった日本からの独立を宣言しましたが、翌1946年に、日本占領以前の宗主国だったフランスが再占領し、以後対仏独立戦争を展開し、1954年に独立を達成しました。しかいなお、北緯17度線の南側(南ヴェトナム)は、フランスに替わったアメリカの傀儡政府が支配する分断状態に置かれました。このため、その後も南ヴェトナムの解放戦争が続けられ、国連への加盟は果たされなかったのです。1973年にようやく米軍が撤退。75年に南ヴェトナム全域の解放が実現、翌年の南北合併を経て、この日、ようやく国際連合への加盟が実現したのです。
2015.07.18
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クロニクル ウルトラマン登場1966(昭和41)年7月17日誕生から49年になるのですね。49年前のこの日は日曜日。日曜夜の7時から7時半のゴールデンタイムに、この日TBSから登場したのが「ウルトラマン」でした。「ウルトラマン」の制作は、円谷プロダクション。同プロの得意な特撮を駆使したTV劇映画でした。1966年(昭和41年)の7月17日から1967年(昭和42年)4月9日まで、全39話が放送されました。放送開始直後から、大変な人気を集め、当時の調べでは、平均視聴率は36.8%、最高視聴率は42.8%(1967年3月26日放送の第37話。ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した超人気番組でした。放送終了後もその人気が衰えることはなく、最初に行われた再放送でも平均視聴率が18%台を記録しています。「ウルトラマン」の前作だった「ウルトラQ」の実績を参考に、TBSは本作の商品化収入を74万円と見積もっていたそうですが、関連商品が大ヒットし、商品化収入は何と1億5000万円に膨れ上がったそうですから、TBSとしては、嬉しい誤算となったようです。この作品は、日本のテレビ局にとって画期的な作品となったのですが、それは従来の子供向け番組が、漫画を原作としたものばかりだったのに対し、この作品は初めてのTV局のオリジナル作品として制作されたことにありました。本格的なテレビの全盛時代は、ウルトラマンと共にやってきたといえましょう。初放映から50年近くが経過した現在でも、「ウルトラマン」は世代を超えて根強い人気を保ち、日本の特撮番組の基本フォーマットの一つとなっています。
2015.07.17
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クロニクル 米国原爆実験に成功1945(昭和20)年7月16日70年前のこの日、米国はニューメキシコでの大気圏内核実験を行いました。離れた観測地点から閃光のきらめきが確認され、史上初めての原子爆弾の製造に成功したことが確認されました。トルーマン大統領には、「赤子は正常に生まれた」という暗号で知らされたのですが。大統領はただちに、日本への投下準備に入ることを指示したのです。その結果、実験成功の21日後には広島に、24日後には長崎に、製造から1ヶ月足らずで、2発の原爆が投下されました。最初に投下あり気だったことは、疑う余地がありませんね。
2015.07.16
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クロニクル 宝塚唱歌隊誕生1913(大正2)年7月15日今年は宝塚100周年とか、記念公演が目白押しだそうで、私の友人のシニア女性たちも、チケットの入手にあれこれ知恵を絞り、抽選の口数を増やそうと躍起になっているようです。相変わらずヅカの人気は凄いのですね。その宝塚、宝塚音楽学校の前身宝塚唱歌隊が誕生したのが、102年前の今日だったのです。宝塚新温泉での集客のための余興として、少女たちに歌を歌わせようという計画が立てられ、誕生の運びとなったのです。その後歌だけではなく、少女歌劇も取り入れようと言うことになり、早くも同年12月には、宝塚少女歌劇養成会と名を改めて、特訓を開始、少女たちには社員として高給を支給して優遇、代わりに厳しい練習を課したのです。計画は図に当たり、翌1914(大正3)年4月1日からの初演は大好評で、5月末までのロングラン興業は、1日平均1100人の観客を集めたと記録されています。私立学校としての宝塚音楽歌劇学校が正式に認可され、スタートしたのは、1919(大正8)年のことでした。
2015.07.15
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クロニクル リカちゃん人形発売1967(昭和42)年7月14日48年前の今日が、今も人気のリカちゃんが始めて発売された日、いわばリカちゃんのお誕生日です。リカちゃんも48歳になるのですね。誰ですか、私と同い年だなんて、呟いているのは…。リカちゃんは、ビニール玩具メーカーのタカラが発売したものです。企画にあたり、日本の少女たちがより身近に感じられるようなファッションドールとすること、小学生の女の子で、小さな女の子の手の平に収まるサイズとすること、この2点から身長を21cmとすることが決まったそうです。さらに、当時流行していた少女漫画のヒロインのような顔立ちが、牧美也子さんの原案から採用されました。また「リカちゃん」という名前は月刊少女漫画雑誌「りぼん」の1967年7月号誌上の一般公募で決められたそうです。発売2年後には、人形の売り上げでトップとなり、90年代に2年ほど、当時の人気アニメの主人公、セーラームーン人形にトップの座を譲りましたが、その後は再びトップの座を奪い返し、現在に至っています。累計の出荷本数は、5,300万本を超えているそうですから、凄い数ですね。
2015.07.14
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クロニクル 第1回ワールドカップサッカー大会開幕1930(昭和5)年7月13日女子サッカーのワールドカップ、終わりましたね。追われる立場で臨んだ今回、よくぞ決勝まで進んだものだと、選手たちの頑張りと、精神的な強さに感心しながら、見ていました。そこで、今回は、話題のサッカーワールドカップの始まりの話です。85年前の今日、ウルグアイでサッカーの第1回ワールドカップが開幕したのです。第1回FIFAワールドカップは、以後の大会と異なり、出場権を賭けての地区予選は行われず、全ての参加チームが招待されて参加しました。船での長旅のため、ほとんどのヨーロッパのチームが出場を辞退し、開催2ヶ月前の時点でユーラシア大陸からの参加チームは1つもありませんでした。そのため、当時のFIFAの会長、ジュール・リメが参加を呼びかけた結果、ベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国が参加に踏み切りました。大会には13チームが参加しましたが、4グループに分かれた予選の各組1位が決勝トーナメントに進出する仕組みでした。準決勝には、ウルグアイ、アメリカ、アルゼンチン、ユーゴスラヴィアの4チームが進出、7月30日に、ウルグアイ対アルゼンチンの決勝が行なわれ、ウルグアイが4対2で勝って、初代王者になりました。今や大人気のワールドカップも、創世記には色々な苦労があったのですね。
2015.07.13
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クロニクル そごう倒産2000(平成12)年7月12日15年前のこの日。1兆円を大きく超える借入金を抱えたそごうグループが民事再生法の適用を申請して、事実上倒産しました。借入金総額は、何と1兆8700億円ということでした。1997年11月の拓銀や山一証券等の破綻、98年の長銀・日債銀の破綻を経て、日本の金融危機は頂点に達した感がありましたが、なお多額の不良債権を抱えた問題企業は山済みになっていました。そうした一群の問題企業の中に、そごうやダイエーが含まれておりました。当時そごうの会長は、「借金が1千億円を超えると、貸主の銀行より、借主である企業の方が強くなる。銀行が倒産による回収不能を怖れて、追加貸しや利息の減免に応じるようになるからだ」とマスコミに堂々と語っていました。そして借りも借りたり1,87兆円も借り続けたのです。しかし、長引く金融不安に、膨らむ一方の公的資金という名の税金の投入に、もう借り得を許容する雰囲気はどこにもなく、金融機関も不良債権の処理を進めることを迫られ、無謀な拡大路線を取り続けたそごうを見放すしかなくなっていったのです。こうして、この日、遅きに失したのですが、ようやくにしてそごうの倒産が日の目をみたのです。先送り体質が損失を大きく拡大し、事態を大きく、複雑にした倒産劇でした。その先送り、今や欧米で大きな問題となっているのですが、やっていることは、当時の日本とあまりに良く似ているので、不謹慎ですが、思わず笑ってしまったのですが、それを今度は中国が真似しているようです。ヤレヤレ…。
2015.07.12
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クロニクル iPhone(アイフォーン)日本で発売2008(平成20)年7月11日7年前ですね。iPhone(アイフォーン)の日本での発売がスタートしたのが、7年前の今日でした。発売窓口となったのは、ソフトバンクモバイル(=旧ボーダフォン)でした。ソフトバンクモバイルは、iPhone(アイフォーン)の発売を通じ、契約件数の増加を狙ったのですが、その作戦は、見事に的中しました。
2015.07.11
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クロニクル 岩波文庫創刊1927(昭和2)年7月10日88年になるのですね。88年前のこの日、岩波書店は、分売可能な小型本叢書(後、岩波文庫と命名)を創刊、ただちに発売しました。これは、当時流行の円本に対抗する狙いを篭めたもので、第1期刊行は、夏目漱石の『こころ』など22点、定価は★印、1コにつき20銭という手軽さでした。因みに『こころ』は★2コでした。岩波文庫は、手軽さと、値段の安さで強い支持を受け、文庫本ブームの火付け役となり、やがて角川文庫や新潮文庫が後を追うことになりました。私の中・高時代、文庫といえば、この3社のものだけでした。親書は岩波新書に光文社のカッパブックス。中央公論の中公新書や講談社の現代新書の刊行が始まったのが、大学生の頃でした。それが今では、あちこちの出版社の文庫や新書が溢れています。しかし…書店に本は溢れていても、本の売れ行きは落ちていて、町の中小の書店の店じまいが今もなお続いていて、寂しい限りです。電車内の若者がケータイやゲーム機をいじくるのではなく、せめて文庫本でも読んでくれたらなぁと願うのは、私だけではないと思うのですが…。言葉は文化そのものです。自分たちの言葉を失くした民族は、次第に自分たちの文化を失い、民族としての寄って立つ基盤を失います。韓国との間で強制連行云々が話題になっていますが、私は自分たちの言葉を持つ誇り高い民族に、日本語を強制したことこそが、最もやってはいけなかったことであったと、受け止めています。
2015.07.10
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クロニクル キッシンジャー隠密裏に訪中1971(昭和46)年7月9日44年前のこの日、米国ニクソン政権のキッシンジャー大統領補佐官が、隠密裏に中国を訪問、周恩来首相と会談しました。国際政治学者で、ハーバード大学教授だったキッシンジャーは、乞われてニクソン政権の外交顧問を兼ねる形で、大統領補佐官に就任、精力的に膠着状態の国際関係に風穴を開ける仕事に専念していました。この時も、公式にはタイとビルマを訪問すると発表しながら、ビルマ政府の協力で、国境を接する中国に渡り、北京へ飛んだのです。会談の結果、米中関係の改善のために、翌72年5月までに、ニクソン大統領が訪中することで意見が一致。キッシンジャー補佐官の帰国後の同月15日に、米国と中国で同時に発表されました。この決定を下に、ニクソン米大統領は、翌年2月21日から27日まで中国を公式訪問、両国関係の改善に努めました。この時、日本の佐藤首相は、米国に追随して中国敵視政策を取っており、国会審議中に米中の発表を受けて、議場はしばらく混乱に陥り、佐藤首相は終始、苦虫を噛み潰したような渋い表情をしていました。
2015.07.09
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クロニクル 三宅島噴火 2000(平成12)年7月8日15年前のこの日、三宅島の火山、雄山が大きな噴煙をあげて、噴火しました。噴火の規模も大きく、火山性の地震も続き、さらなる大噴火が心配される事態が続きました。有毒ガスの発生,噴出も続き、次第に島内に安全な場所を確保することが難しくなって行き、ついに三宅島の人々は、全島避難を受け入れざるをえないところにまで、状況は悪化しました。長年暮してきた生活の場を離れ、見知らぬ町での生活に適応しなければならないのですから、大変な決断だったろうと思います。それでも、生き長らえるためには、受け入れざるをえない結論でした。こうして、噴火発生から55日目にあたる9月1日、全島避難が決定しました。三宅高校の生徒は、親戚等の家に寄宿した一部生徒を除いて、全員が寮設備のある都立秋川高校に受け入れられるなど、受け入れ側の東京都も大変でしたが、住み慣れた島へ、いつ戻れるのか、避難生活がどのくらい続くのかも分からない、三宅島の皆さんのご苦労は、この後も長く続きました。全島避難指示は、4年5ヵ月後の2005年2月1日午後3時に解除されました。島に戻ることが出来て良かったですが、4年半も留守にしていた島での生活再建は、大変なご苦労の連続だったのでしょうね。昨年来、国内のあちこちで火山の噴火が続いています。地球の内部で大きな動きが続いているのでしょうか。心配ですね。
2015.07.08
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クロニクル カルピス販売を開始 1919(大正8)年7月7日「カルピスの味は、初恋の味」のCMで有名な、乳酸菌飲料のカルピスが、今から96年前の今日、発売されました。世界初の乳酸菌飲料であるカルピスの創業者は、僧侶出身の三島海雲。名付け親は山田耕筰と、当時芝学園校長だった渡辺海旭の2人でした。創業後順調に業績を伸ばしましたが、少子化の進行と、M&Aの隆盛をつぶさに見聞きした結果、カルピスは2007年に「味の素」の完全子会社となることを決断し、今日に至っています。
2015.07.07
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クロニクル リクルート事件政治家に波及1988(昭和63)年7月6日27年前になります。リクルート事件、覚えていらっしゃるでしょう。リクルートの江副社長が、同社の不動産部門の子会社、リクルート・コスモスの未公開株を政・財・官界の要人にばら撒き、便宜を図ってもらっていた事件です。事件そのものは、同社が川崎駅前再開発に絡んで、川崎市の助役に未公開株を渡して利益を供与していた事実が、既に87年に朝日新聞にスクープされていました。それがこの日は、一方では日本経済新聞の森田社長が、同社株の売買で8千万円の利益を得ていたことが発覚して、社長を辞任する事態がおき、他方では、未公開株の譲渡が政治家に及んでいたことが明らかになったのです。しかもその譲渡先には、自民党の派閥の領袖クラスが網羅されていました。中曽根康弘前首相(配布当時首相)、竹下登首相、安倍慎太郎幹事長、宮沢喜一蔵相、渡辺美智雄通産相、藤波孝夫官房長官などです。このため、事件の波紋が広がり、翌89年4月に、竹下首相が責任を取って辞任した時、派閥の領袖クラスは、全員謹慎中のため、次の総裁に困った自民党は、派閥の親分ではない宇野宗佑を総裁に担がざるを得ないという、体たらくに陥りました。首相の座が軽くなったのは、この時からな気がします。
2015.07.06
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クロニクル 三和、東海、東洋信託合併へ2000(平成12)年7月5日15年前のこの日、三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行の3行の頭取が会見し、翌年4月1日を期して経営統合する旨を発表しました。ここにUFJグループの誕生が宣言されました。不良債権の増加に悩む都市銀行,信託銀行等は幾つかのグループへと再編されることとなり、三井系のさくらは、系列を越えて住友と合併、三井住友銀行となり、富士・第一勧銀、興銀はみずほグループとなり、ここに誕生したUFJはさらに東京三菱と経営を統合するに至ったのは、周知の事実です。残されているのは、2003年4月に公的資金の大量投入を受けて破綻を免れ、昨今ようやく投入された公的資金を完済したりそなグループが、どこと組むかです。生保の雄日本生命、証券界の国内トップ企業野村などが候補に挙がるのでしょうが、さて3社の経営統合がなるのか、3社でなく2社になるのか、まだ先が読めないでいます。いずれにしてもTPPの妥結が近づいています。発効すれば米国系の銀行、証券、生損保の攻勢が新たな黒船になりますから、それに備える意味でも、私は3社の経営統合が望ましいと考えています。
2015.07.05
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クロニクル 米艦イラン旅客機を撃墜1988(昭和63)年7月3日昨日間違って3日でなく4日のクロニクルを書いてしまいましたので、今日は逆に3日のクロニクルとしました。27年前になります。この日、ペルシャ湾で米国の艦船がイラン旅客機を誤って撃墜、乗員・乗客290人全員が死亡する痛ましい事故がありました。米艦船は、旅客機を戦闘機と誤認して攻撃した模様で、米国政府の速やかなお詫びで、事態がさらに悪化することは避けられました。しかし、戦闘機が旅客機ほどの大型であることはありえず、戦闘地域に派遣された兵士の精神状態が、いかに過度の緊張のために、破綻に瀕していたかが浮かび上がった事件でした。この事件には、後日談があります。1988年のこの時期は、なおイラン・イラク戦争が続いていました。イランの革命政府を嫌うアメリカ政府は、フセインのイラクを支援し、そのために艦船をペルシャ湾に派遣していたのです。そこへこの事件です。事件をきっかけにイラン・イラク戦争への介入に、世論と議会の反発が強まり、結局米国は、イラン・イラク戦争から手を引かざるをえなくなるのです。この事件は、結果としてイラン・イラク戦争の幕引きの原因になったのでした。
2015.07.04
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クロニクル 東海興業更正法申請1997(平成9)年7月4日18年前のこの日,東証一部上場の中堅ゼネコン、東海興業が東京地裁に会社更正法の適用を申請し、実質的に倒産しました。一部上場のゼネコンとしては、初めての倒産でした。この後、青木建設、国土開発、佐藤工業など中堅ゼネコンが次々に倒産に追い込まれますが、ゼネコンの過剰状態は変わらず、生き残ったゼネコンもまた、受注競争から採算割れ寸前の工事が多く,金融機関から利息の減免や、一部債権の放棄を受けて、辛うじて倒産を免れている、綱渡り状態が続いたのでした。東日本大震災の復興事業と、2020年の東京五輪と言う二つの特需が、ゼネコン各社には神風となって、今は好調なようですが、残り5年という限られた期間を過ぎた頃に、もう一度この業界には大嵐が吹き荒れるのでしょうね。
2015.07.03
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クロニクル タイ バーツ危機本格化1997(平成9)年7月2日18年前のことです。この日、タイの通貨バーツがドル・ペック制を止め、管理通貨制への移行を表明しました。バーツは厳密に言うと、主要国通貨との通貨バスケット方式をとっていましたが、円やマルクは申し訳程度に、バスケットに加えられていただけで、バスケットに占めるドルの比率は80%を超えていましたから、実質的にはドルペック制と呼んで良い性格を持っていました。そのため、対ドルレートで円やマルクが安くなると、ドルにペックしたバーツは、対ドル比で値下がりしないため、円やマルクに対して、実力以上に高く評価されてしまうため、輸出競争の面で著しく不利になっていたのです。当時日本は、バブル崩壊後の経済危機の最中にあり、公定歩合は史上最低の0.5%になっていましたから、大口の資金は低迷する日本を離れ、金利の高い海外での運用を目指したため、円は売られ、構造的な円安状況になっていました。マルクもまた、経済の論理を無視した政治的な判断で、東ドイツとの統一(実質的な併合)を果したため、東ドイツの不良債権や不良国有企業を1手に抱え、大変な経済不振に陥っていましたから、これまた金利水準は非常に低く、構造的なマルク安状態に陥っていたのです。当然対ドルでのバーツの交換レートを切り下げ、円やマルクに対するバーツの割高感を是正する必要があったのですが、その措置が遅れている間に、バーツ切り下げ必至と見たヘッジファンドが6月下旬に入って、猛烈なバーツ売りを開始、タイ政府は1971年8月の、ニクソンショック時の日本政府よろしく、外貨準備を取り崩して、バーツの防衛に乗出しましたが、当然焼け石に水でした。こうして、270億ドルの外貨準備の内、180億ドルをバーツの買支えに投じた段階で力尽きたのです。それが、18年前のきょう発表された通貨バスケット(実質ドルペック)制を廃止し、管理通貨制に移行するとした、市場実勢に応じたバーツ切り下げ宣言だったのです。翌日からバーツは暴落しました。しかし、話はここに留まりません。バーツの暴落が連鎖的に他のアジア諸国に波及し、アジア金融危機と呼ばれる大きな経済危機に繋がっていったのです。
2015.07.02
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クロニクル EC発足1967(昭和42)年7月1日もう48年も前になるのですね。この日欧州共同体(EC)が発足しました。ECの前身は、1958年発足のヨーロッパ経済共同体(EEC)です。そのEECの前身は、1950年にフランスの外相が提唱し、ドイツの外相が積極的に賛意を表明したことから具体化し、1952年に実現をみた、ヨーロッパ石炭・鉄鋼共同体(ECSC)でした。このECSCが経済の全分野に広がり、それが経済のみでなく、政治面にまで広がり、さらには通貨統合にまで踏み込んだ欧州連合(EU)にまで、成長するとは、まだこの時点では、考えもしませんでした。参加国も、当初はフランス、ドイツ、イタリアにベネルックス三国を加えた6ヶ国。そこにイギリス(通過統合には未参加)が加わり、スペイン、ポルトガルが加わりと、次第に参加国も増えていったのですが、その中心は、長く争いの続いたフランスとドイツの連携にありました。欧州統合の象徴ともいうべき、18か国の共通通貨ユーロが揺れていますが、劣等性の駄々っ子ギリシアを切り捨てたほうが、逆に「雨降って地固まる」のではないかと、私は見ています。ところで、世界が驚いた独仏の連携でしたが、そのアジア版となると、日中の和解と連携が不可欠なのですが、独仏に比べると対立期間は短いのですが、小異を捨てて大同につくのが苦手な、双方の国民性からすると、こちらの方はまだまだ難しそうですね。
2015.07.01
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