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今回、初めて小学生向けの講座を担当しました。もう、このような機会は2度と巡って来ないかもしれませんが、もし、次回があったなら、主催者に対して、現在、他の武道を学習している者の受講は遠慮してもらうように提言しようと考えています。自らがそうであったように、多くのものを学ぶ機会が得られるならば、それらを最大限に活かし、自らの修練の足しにしたいと願うのであれば、拒絶するものではありません。しかし、自流が最高、他流は馬鹿にする、と、いう姿勢が顕著であり、このような姿勢は礼を失する行為であるとともに、純粋に取り組もうとする他の受講者に迷惑な存在なのです。いっそのこと欠席してくれれば良いとさえ思うのですが、これがなんと、常に出席率9割台というのが逆に頭が痛いところでもあります。おそらく、家庭での教育、そして、各道場における指導の成果が子供たちの姿に如実に反映されているのでしょう。保護者の立場にある者は、礼儀作法や躾を武道に期待することはやめるべきです自分は20数年の間に多くの武道・武術の方々に出会いましたが、礼儀正しい人に出会ったのは極めて少数でした。老いも若きも強い者に従順で、弱い者に強硬な態度をとる、そんな方々がほとんどでした。前者を以ってその組織内で礼儀正しいことになるのでしょうか?だとしたら、武道・武術など習わずともできることです。あえて暴力の手段を教える必要などありません。社会にとって有害です。躾は家庭教育で行われなければならず、その責務を放棄して他人にそれを押し付けるべきではありません。
2005.06.26
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開始時刻。前回迄と比べると異常に静かでした。「おや、元気がないね。疲れているのかなぁ~?」なんて言いながら稽古を始めます。まずは、柔軟体操に足の振り上げ。今日はやけに皆”いい子”です。よしよし、調子いいぞ、と思いながら、馬歩の練習に移ります。「えー、また変な恰好するの?」という声がするものの、まだざわつく程度。「そう、よく覚えているね。その変な恰好だよ。」飽きると騒ぐということが分かったので、1セットのみにしました。ここで皆に話をしました。前回、大騒ぎをしたために、予定の内容が消化できなかったこと。そのために技を教えるところまで進めなかったこと。だから、今日はしっかり学習しよう、と。五歩拳の独立穿掌以降が残っていたので、これを消化する予定でした。動作をひとつ追加し、全員で号令をかけながら数回、その後、各自で練習させます。その間にこんなことがありました。空手有段者の少年Aが近づいてきます。トイレへ行きたいのかと思って持ち受けていると、少年A「みんな、きびきびとした素早い動きが好きなんです。」善信「そう?でも、ここは太極拳をすることになっているからね。」少年A「じゃぁ、太極拳の中から速い技だけやってください。」善信「…。」少年A「ゲームを採り入れたらいいと思います。」善信「うん、それはそうだね。本当は組手をやりたいと思っているんだけど、技を覚えていなし、この状態では危ないからね…。」少年A「すごろくでもやって、止まったところでポーズをとるのはどうですか。」善信「すごろく…!」絶句しました。どのように、解釈するべきでしょうか。側面から寄ってきた少年Bが質問します。「名前なんていうの?」善信「名前?何の名前?」少年B「自分の。」善信「そういう話はあとでね。」少年B「○○(某道場の師範の名)って知ってる?」善信「えっ?」少年B「○○」善信「どこの?」少年B「××道場」善信「う^ん、会ったことあるかもしれないけど。」少年B「○○先生は六段なんだ。」善信「あ、そう。」30分を過ぎた頃から、例によって、あいつが突いたとか言って小競り合いが始まり出しました。最前列にいる金髪少年のグループがなかなかたちの悪い連中です。そもそも頭髪や服装の奇抜な奴にろくな人間はいません。少なくとも、自分のこれまでの人生の中では出会ったことはありません。二列目で真面目にやっている子が、そのグループのメンバーを分けて列の後ろへ下げてくれるように頼んできました。頼まれるまでもなく、金髪ボーイに言いました。「おまえ、うるさい。真面目にやろうとしている人に迷惑だから後ろへ下がれ。」すると、金髪少年はあごを突き出してガンを飛ばしながら、「やだ。」これ以降もこのグループの態度は変わりませんでしたので、巡回指導に際しては”通過”、その分の時間を先刻の勇気ある少年のところで使うようにしました。そうこうしているうちに、少林寺拳法を習っている少年(最高学年)がその辺の者に関節技や投げ技をかけて得意になっています。その彼に近づいて、声をかけます。善信「ほぅ、関節技が得意なんだ。どれ、かけてみな。」すんなりと、その誘いに乗り右腕を差し出す少年D。右手でその手首を握ります。すかさず、小手投げの技をかけてきます。力の入れ具合から本気のようです。が、まったく効きません。うんうん唸りながら力を入れても我方のバランスを崩すことさえ出来ず、ついに諦めました。善信「じゃあ、こっちならどうかな。」左手で相手の左手首を掴みます。先ほどと同じように、やはり効きません。善信「今度はかけてみおうかなぁ。」と、言うと右手で我方の左手首を掴んできましたので、送り小手風の技で右方に崩し、彼が左手を着いたところを左膝を使って右脇を攻めます。どの辺までやるか、一瞬、ためらった隙をついて彼は我が技から逃れようとしましたので、小手投げからの固め技に移行、床にねじ伏せます。周りを取り囲んでことの成り行きを見ていた高学年の子たちはこれでおとなしくなり、口々に驚きの言葉を発します。今だから明かす黒い過去ですが、自分も十代の頃に学んでいたことがありまして、黒い色の帯まで頂いたことがあります。それゆえに、彼の”宗派”の教義については多少の心得がありますので、それにのっとり、理解を促してみたのです。後半の時間も終わりに近づいてくると、半数以上が床に寝そべったり、座ったりしていましたが、今日は注意をしませんでした。やる気のない奴に無駄な時間は使いたくないからです。終了時刻になりました。整列させて、終わりの言葉を述べていると、数人が勝手に列からはなれ、壁際へ行って帰り支度を始めました。さすがに、主催者の方がそれを見かねてが、彼らを列に戻しました。で、最後に言いました。この講座の人気が高く、定員よりも若干多めに人数をとっていること、そして、それでも希望が通らず受講できなかった者がいること、さらに、ここに来ている全員が自らの意思で希望して来たはずであること。次回から、ちゃんと取り組むように言って解散しました。今日、帰りに挨拶をして帰ったのは先の勇気ある少年だけでした。でも、今までで一番大きな声で、元気のいい「さようならー!」でした。その一言でどんよりとしていた気持ちが晴れました。その後、ロビーに出ると何人かがすぐに帰らずに残っていました。主催者の方がそのうちの一人を指して、覚えがよくまじめにやっているとのことを教えてくれました。いつも列の後ろのほうにいて他人の陰になっていたのでしょうか、さっぱり印象にない中学年くらいの子でした。帰っていこうとするその子の背後から、声をかけます。「名前は?」「□□××。」「そうか。がんばれよ。」その友達が出入口で大きな声で呼んでいて、彼は何も言わずに駆けていってしまいましたが、次回へのなんらかの動機付けになれば幸いです。
2005.06.25
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最近、物騒になってきたためか、小学生も防犯ブザーを持ち歩いているようです。しかし、登・下校時、歩道や裏通りのあいちこちで、ビーヒョロと電子音が鳴り響くのをよく耳にします。それは、別に不審者が多発しているわけではなく、誤って作動させてしまったり、ふざけて友達のブザーを鳴らしたりしているのです。これではイソップ童話『羊飼いと狼』のように、いざという時に役に立たなくなってしまうのではないかと心配しています。
2005.06.20
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近年、一緒に飲む相手がいません。今のメンバーは別にしても、それより少し前の練習生もあまり飲む人がいなくて正直なところちょっとつまらなかったです。いや、「(ノンアルコールで)付き合いますから、どうぞ心行くまで飲んでください。」なんて言う者もいるにはいたのですが、それじゃ、なんか興ざめしてしまうんですね。時々、飲んで武術について午前まで語りあう者がいた頃が懐かしく思い出されます。
2005.06.19
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E「Eです」善信「おお、思い出した。」E「センセイ、聞きたいことがあるんだけど、チンカやってますか」善信「え?」E「チンカ」善信「やってないよ」相手がぞんざいな口の聞き方なのでこちらもちょっと崩す。E「太極拳やってるよね」善信「まぁ、やっているといえばやっているけど。」E「カンカだけ?」善信「ん-…簡化もやるけど、自分、伝統のほうだから…」E「○○センターでやっているんじゃないですか。」善信「知らないね。今は市内ではたくさんの人が教えているから。」E「前に○○会館でやってたじゃないですか、そこ行ってもいいですか。」善信「今は募集していない。」E「教えてないの?」善信「一部の人には教えているけど、表立っては教えていない。」E「誰かチンカ教えてる人知りませんか?」善信「本見て教えている人がいるから、いるかもしれないよ。」E「だって、あの人、知らないって言ってたよ。」善信「いや、今、勉強中なんだ。」誰のこと言ってるんだよ、おもえは、なんて突っ込みは置いといて。さらに、対話は続きます。E「Lって人知ってる?」Lとは、当地の中拳界を牛耳る人物で、表向きは賛辞を述べる方が少なくなく、信者も多数いるのですが、裏話を聞くと…、まぁ、色々あるお方で、市民なら誰でも知っている御仁であります。善信「知ってるよ。」E「チンカ知ってる人いたら、紹介してください。」善信「○○(←都市名)行けば?」E「どうして紹介してくれないんですか」善信「どこの誰とも分からん奴に紹介なんてできないな。先方に迷惑がかかる。」E「太極拳は健康法ですか」善信「9割方そうじゃないの」E「喧嘩強くならないの」善信「さぁね。そういう目的で練習している人もいるだろうけど。」E「シンイは健康(法)ですか、喧嘩ですか。」善信「…」E「シンイ教えてくれますか。」善信「今は誰にも教えていない。」E「前にいたコはどうしたんですか」善信「もう、やめた。あれは、つらいからねぇ。」E「どうしたら習えるんですか。」善信「とりあえず、L先生のところへ行って習ってみなさい。L先生はサイキョウだから。で、よく習って、その上で、よく考えて、(話は)それからということで。」E「でも、チンカ…」善信「いや、きっと出来るから。」と、たたみ掛けてようやく話を終えました。疲れましたよ。何年かしたらまた電話をかけてきそうな気がします。
2005.06.18
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映画の影響を受けて武術・武道を始める人は少なくありません。自分自身、要因のひとつであったことを否定できません。例えば、中国。香港映画を例にとりますと、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リーあたりはしばしば対比して挙げられる俳優かと思います。先般、深夜に放映されていた『燃えよドラゴン』を録画したものを知人に送ってもらい鑑賞したのですが、自分はさっぱり"燃え"ませんでした。もし、20数年前にこれを観ていたら、中国の武術は避けて通っていたかもしれません。あるいは、これは今だからそのように思う感想なのかもしれません。
2005.06.17
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当方の主宰団体はかれこれ2年くらいは、「新規会員受付中!」なんていう記事を地元紙/誌に掲載されていないのですが、なぜか問い合わせの連絡がありました。早口な上に一音一音が聞き取りにくい声でした。E「ゼンセイテデスカ?」他人にセンセイと呼ばれる筋合いはない。怪しい!善信「はぁ?」E「ゼンセイテデスカ?」善信「はぁ?」E「ゼンセイテデスカ?」善信「誰?」E「Eです」すぐに思い出しました。数年前に見学に来た奴です。なぜ、「奴」呼ばわりなのかといいますと、こんなエピソードがあるのです。4年前の夏のある休日の夕方、稽古のために某公共施設のある部屋を借りていました。その日は当時4、5名いた練習生がたまたま全員欠席する旨の連絡をしてきて、自分は久々にこってりと自主トレをしようと思っていました。誰もいないはずのその部屋に入ると、うす暗がりの中、部屋の奥のほうに誰かが待ち構えていました。それが、Eだったのです。部屋の明かりをつけ、そちらを見ると、「ケンガクシテモイイデスカ」善信「どうぞ」着替えをして練習を始めましたが、相手が何も言わないので、こちらも黙って単式練習を開始。休憩を兼ねて高式の站椿を挟みながら、もくもくと練習していました。Eは立ち上がって室内をぶらぶらしたり、備品を物色したりしながら、人の技を見て勝手に解説していました。そして、だんだん近づいてくるのです。なんか不快なので、歩幅などを調節しながら路線を平行移動させて退くと、さらに進出してきます。Eは背丈も横幅も自分よりずっとあり、体型を見るとなにかの格闘技の経験者のようにも見えました。しかし、だからと言ってここで退くわけにはいきません。不測の事態になった場合に、第三者がいないのがまずいなぁ、なんてことを考えながら、先刻とは逆に路線を徐々に移動させて、Eのほうへ近づいていきました。すると、どうでしょう。なかなか距離が詰まりません。ついに、Eはぶつぶつ言いながら。廊下へ出て行ってしまいました。やれやれ、と、思って元に戻ってしばらくすると、また、Eが入ってきて、先ほどと同じ事をしています。また、同じ作戦で彼を追い出します。これを3,4回ほど繰り返しました。E「ナンダ、クダラネェナ。コンナモノノタメニ金ヲ払ウノハ勿体ネェナ。」おいおい、誰が教えてやるって言ったんだよ。お前なんか要らないよ。って、練習を中断してEの方へ向き直りました。すると、また、廊下のほうへ。残り時間があと2、30分くらいだったので、鶏行歩を始めました。単式練習の技は直線またはジグザグの往復で、これも標準は直線往復なのですが、練習用に部屋の壁に沿って室内をグルグルと歩きます。Eは入室できずに出入り口の所でぶつぶつ言っています。E「ナニヤッテンダ」それでも、鶏の歩みは止まりません。E「バッカジャネェノ」なおも、鶏の歩みは止まりません。この頃は毎回20分行っていましたので、それをただ見ているのはきっとつまらないと思います。突然、Eが悲痛な声で言いました。E「ナンダヨゥ。コイツ、俺ヲ馬韓ニシテルゥ!」この日、彼が発した言葉の中で一番大きな声でした。そして、どこかへ行ってしまいました。実はこの者、これ以前にも2度、見学に来ているのです。しかし、同一人物だったことに気が付いたのは彼が帰ってからでした。ただし、初回に見学に来た時点で、彼には教えないことを決めていました。なぜかというと、見学中にあくびをしたり、時計を気にしたりしていたからでした。と、いうわけで、Eは奴呼ばわりされることになったのでした。
2005.06.16
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これまでに何名かに学び、その時々、ともに学んでいた方々が何人もいました。しかし、毎度、師が欠けことをきっかけに内輪もめが始まり、袂を分かつたり、自然消滅していきました。自分が団体を起こした時に賛同してついてきてくれた人。しかし、自分に学ぶ者が増えてきて、彼らは去っていきました。一部、元同門の敵対団体へ寝返って紛争の火を拡大させた人もいました。きっと、あの時、新人の面倒を見るのに精一杯で、古い人たちに充分に目をかけられなかったのが悪かったのかもしれません。主宰団体の賑わいはあの頃が頂点でした。その後、急成長したのは同門内で抗争と分裂により体力を消耗した我々ではなく、書籍とビデオで独学した人の組織でした。まぁ、世の中ってこんなものでしょう。ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが漁夫の利ってところでしょうかね。
2005.06.15
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武術の修練は趣味などではない、と信じていた頃、先の大戦にて実際に戦われた方と話す機会がありました。ある方からは銃撃戦のお話。「いいか。射ち合いなんてものは映画みたいに格好いいもんじゃないんだぞ。」その言葉は今もカッコいい戦争映画を観るたびに蘇ってきます。ある方からはいわゆる白兵戦のお話。ありがたいお言葉は記憶に残っていませんが、その話をされていた時の鬼気迫る雰囲気は今なお忘れられません。混沌とした時間を経て、己のやっていることが単なる遊びに過ぎないことを悟りました。そして、10年近く経ってより一層理解し、心の中の力みが溶け出していくのを感じました。自分はお釈迦様の掌中でいきがっている孫悟空みたいなものでした。
2005.06.14
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武道・武術にのめり込んでいた頃、そう、20代半ば位までは、他人からこれらを「趣味」と言われると、それだけで憤慨してしまったものです。あれから久しく歳月が流れ、わけの分からない人には笑顔で、「趣味です」とか、「健康体操です」と、答えられる様になりました。
2005.06.13
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前回同様、準備体操を行ったところまでは良かったのですが、その後がもう収拾が付かない状態になってしまいました。五歩拳の”挿歩して歇歩”になる動作を追加したところ、分かりにくかったのがきっかけになったようです。2回で飲み込む者もいれば、数回やって見せても理解できない者もいます。そんな者に近づき手取り足取り直していると、あちこちで”格闘ごっこ”が始まってしまいます。黙って突っ立っている少年に、「おや、もう出来たかい。早いね。」と、声をかけると、「難しい。空手のほうが簡単。」と、言って、拳や肘を繰り出して誇らしげにしている。無視。今日はポン、リー、ジー、アンを行う予定だったのですが、最終的にはジーまでしか進めませんでした。今日は全体的に集中力がない。前列の子が話を聞いているのに後ろのほうから騒ぎ始め、それが拡大して、やれあの青い服の人が突いただの、あの金髪野郎が嫌なことを言っただのと報告に来る。しまいには、トイレに行ってもいいですか”攻撃”が始まる…。単に、難しいというだけではなく、なにが違うのかと思ったら、決定的な違いがありました。前回まで会場の後方に立っていた主催者が今日は仕事の都合で来ていないということ。うぅ、なんて分かりやすい奴らなんだ!何人かがジーの動作についての質問をしてきたので、それに対して説明する。うち一名が、空手の肘打ちをしながら反論する。「こうしたほうが効く!」心行くまで語り合いたいところだが、ここで議論をすると他の2十数名が蜂の巣を突いた状態になるので、無視。正面に戻って、静かにするよう言ってから、口頭で動作についての説明を開始。突然、二列目にいた高学年の少年がいきなり飛び出し、我方のみぞおち目掛けて右拳の逆突きを放ってきました。自分は後列のほうへ向かって声を出していたのでその姿は視界の下限ぎりぎりでした。無意識のうちに右手がその手首を捕え、右斜めに引き崩しました。もちろん、話を中断することなく、ヤスメの態勢のままで右腕だけが勝手に動いていました。練習の成果って面白いものですね。同じことをもう一回やってみろ、と、言われても多分再現できないでしょう。突きがヒットしなかった彼は列に戻りおとなしくなりました。それを周りの子がはやし立てていました。終了時刻15分位前に、自称有段者の少年が近づいてきて言う。「今度の日曜日、空手の試合があるのでこれからその防具を買いにいくので早く帰ってもいいですか」善信「あ、そう。じゃ、終わってから行ってね。」「何分に終わるんですか?」善信「あと○分。それじゃ、間に合わない?」「いえ。」おとなしく列に戻る少年。前回の”ろーきっく少年”は今回は静かで、真面目にとはいえないまでもそれなりの態度で臨んでいた。要するに、彼らはそれぞれの方法で当方を試しているのだろう。こちらもはじめての経験なのでどの程度厳しくして良いのか、悪いのかがなかなか掴めない…。推手を行う。前回同様、単手の平円を行ったところ、数分としないうちに数組が飽きできたのか格闘ごっこを始める。「出来た。」なんて言って練習をやめる奴を捕まえては、「何ぃ、出来たぁ?ちょっと、手ぇ出してみな。」と言って、手を合わせる。自信満々がバランスを崩してふらふらになる。「なぁんだ。バランス悪いなぁ。まだまだ練習しないと駄目だなぁ。」と、言って離れる。これを数人続ける。あちこちで殴る・蹴るが勃発している。もぐら叩き状態で手が回らないので、特に白熱しているところをチョイスして、注意。「おら、そんなに喧嘩したいなら相手になるぞ。かかってこいや。」しばらくはおとなしくなるものの間もなく”喧嘩ごっこ(?)”再開…。今回は定刻に終了。今日は挨拶して帰った奴は2割位(前回よりも少し少なめ)。素直な反応が返ってくるのが成人と異なった面白いところです。
2005.06.12
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最近、少年たちが誤って理解していることが身にしみてよく分かりました。彼らの主な情報源はコミック、アニメ、ゲーム、映画なのです。これらから得られる”間違っていない”情報は一体何パーセントあるでしょうか。白紙の状態ならまだしも、最初に誤った情報が先入観として記録されてしまっている彼らがこの道を志す可能性は極めて低くなるでしょう。そして、志す者は楽をして神秘的な強さが得られるとか、単なる健康体操だとか、コミカルで面白おかしいものだとか、勝手に決め付けてやってくるわけです。いい大人が双掌打(双按や双把など)を見て、「カメハメハ」と言ってゲラゲラ笑う現象がよく分かりました。巷には、ごみ情報が氾濫しているようです。
2005.06.11
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主宰団体での指導は気楽です。大きな声を張り上げなくてもいいし…。なによりも、やる気のない奴がいないのが何にも替えがたい…。時々、身体を動かしたり、動作を忘れた人に演示したり、皆の練習するのをぼんやり(!?)眺めたり…。これは、その時に在籍しているメンバーによっても大きく左右されるんですが、現在、全面協力している某事業で(過去記事参照)、受講生の皆さんにさんざん"痛めつけ"られているもので、なんか、自分の会に戻ってくるとほっとします。
2005.06.10
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目的を問われても正確に答えることができません。仕方がないので、一般的な”目的”を答えます。昔、持っていた目的は思い出せるのでが、今の自分にとってそれらは既に目的外のものとなってしまいました。そそて、時々自問自答します。いつのまにか、答を求めることさえもしない自分がいました。
2005.06.09
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素質のある良い人物だけを選んで教えたい。指導する立場にある者なら誰でも思う本音です。しかし、残念ながら、なかなかかなうものではありません。ほとんどの者が武道や格闘技を学びます。それらに挫折した者や最初からそれらに届かない者が流れてきます。まず、こういった者達は概ね駄目です。一方、ストレートにやってくる者。これは、すごく良いです。教えていても楽しい。両者の違い。後者のような人材がひとりで得も多く現れることを希望してやみません。だから、自分は原野に出て荒地を起こします。
2005.06.08
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頂上を目指して一心不乱に進んでいく。まさに、憧れの姿です。では、お前もやればよいではないか。と、言われるでしょうが、どうも自分は右に左に分かれている道があるとそちらを覗いてみたくなるのです。後を振り返り、登り口の辺りで右往左往している人がいると、手を差し伸べにいってしまうのです。それが己の甘さであり、時に自らを窮地に陥れる原因にもなっています。分かっているのに抜け出せない。
2005.06.07
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現在、携わっている講座の受講生の中に、大変真面目に取り組み、覚えも比較的早い者がいます。さる筋から、その少年が昼夜逆転した生活を送り、家から出ない、学校へもほとんど行かない、いわゆる引きこもりであることを聞かされました。それが、太極拳を学ぶようになってから、登校日が増え、日常生活も少しずつ改善しているとのことです。これは太極拳の効能ではありません。たまたま、彼が関心を持ち、触れ、そこから何かを感じ取ったものが太極拳であり長拳であっただけのことです。また、主催者にも当方にもなんら功績があるわけではありません。これが縁とか運命といわれるものなのでしょう。
2005.06.06
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大騒ぎの会場に入る。“殴る・蹴る”し合っている奴。ブレイクダンスみたいに床に転がる奴。フィギュアスケートみたいにくるくる回っている奴。…まずは整列させて、一同に聞いてみました。「前回、やったところは練習しましたか?」すると、前列中央の少年Aが練習してきたという。「よぉし、偉い。前出てやってみるか?」と、言うと、すんなり出てきて、前回行った五歩拳の最初の部分を演武しました。前回、時間の関係で5,6回しか行えなかったのですが、順番をちゃんと覚えていました。「お、いいねぇ。」当然、拍手して褒めました。今日は、まず馬歩。きついので、不平の声が上がる。また、例によって、武道やっている少年たちは真面目に練習しません。皆の間を巡回しながら、手直し…、と、いきたいところでしたが、残念ながらさっぱり練習しません。「おい、ちょっとやってみな。」と、姿勢をとらせようとするもの、立つことすら出来ません。武道経験者は馬鹿にしたような態度をとってへらへら笑ったり壁にもたれていたりしています。「なんだ。○○(←武道の種類)やっているから、簡単すぎて面白くないかい?」と、問いかけてもろくに返事をしません。頭に来るが我慢する。一回りして正面位置に戻ってくると、先の少年Aは必死に踏ん張っていました。なんと見所のあるやつであろうか!姿勢が異状に前傾しているので修正の上、当然、褒めました。「今度は楽なヤツだからちゃんとやってねぇ!」肩幅に立って、両腕で大木を抱えるような形を作らせます。松静椿とか三円椿などと言われるあのポーズです。肩、腕、手について注意するように言いながら巡回する。馬歩の時よりはポーズをとっている子が増えました。で、一巡して戻ってくると、例の少年A、そして、その隣の少年Bが姿勢を維持しています。巡回中の間、ずっと腕を降ろさずに耐えていたのはこの二人だけでした。当然、二人とも褒める。身体が温まった頃なのでここで柔軟体操をします。二人組でやっているわけではありませんが、あちこちで、「イテェ、イテェ」の声が上がっています。小学生の割には異常に固い奴が多い。続いて、[足易]腿。会場が狭いので、その場で正面、内回し、外回しの3種類をしてみました。武道経験者は一様に態度が悪いのですが、その中で、最高学年に最悪の輩が1名います。動きから見て、直接打撃制の○○を学んでいるように見受けられます。巡回中、その少年の近くに行くと、正面に立って、「ろーきっく、ろーきっく」と言いながら、寸止めで我方の足を蹴り、少し離れて突きの連打をしながら挑発してきます。当初は無視していましたが、あまりしつこいので、かなりムカッときて、言ってしまいました。「そんなに蹴りたいか。だったら、蹴ってみろ。」少年C「いや、いいです。」「遠慮しなくていい。さぁ、思いっきりやってみな。」少年C「いいです。」そして、別の少年の方を向いて、「おい、蹴っていいって言ってるぞ。おまえやれ。」言われた子がそれを断ったため、この一件は終わりました。向きを変えて別の子の方へ向かうと、背後でまた少年Cが我方へ向かってシャドーをしているのが感じられましたが、無視。五歩拳の前半部分、弓歩、弾腿、馬歩を復習したのち、いよいよ、”密かに太極拳を教える作戦”を実行に移しました。その場で四六(後屈)から弓歩(前屈)への歩型変換による重心移動を練習した後、手法として分靠を”搭載”してみました。かなり、難しそうです。皆、腕だけを動かしていて体幹部が作動していません。これも、巡回しながら直していきましたがなかなか理解ができないようです。ここは成人でもなかなか分かりにくいところです。これは、次回、対練を行って理解を深めてもらうことにします。。続いて、ペアを作って推手。平円の単推手ですが、これまた、小学生の分かる言葉の範囲で教えるのがなんとも難しいんですね。それでも、ごく一部を除いてなんとかそれらしき形になりました。言葉や動作には出さないものずっと馬鹿にした態度をとり、時々、鼻先で笑っていた伝統派の○○をやっていると見受けられる少年Dも、これには関心を示したので、「○○やってるんだっけ?これはね、太極拳の約束組手みたいなものなんだよ。」と、言うと、空手にもある、とのこと。それに対しては深く追求せずに、手合わせしてみる。自称有段者というのは嘘ではなさそうで、なかなか筋が良い。終了時刻を10分ほど経過しこの日の講座は終了。退室する受講生を見送る。何が功を奏したのかは分かりませんが、3分の1位が、「ありがとうございました」、「さようなら」と、言って出て行きました。前回とは見違える変化でした。ところで、立場上、来るなとも、帰れとも言えないので、不真面目な連中は無視することにしました。自分は教育については門外漢であり何も分かりませんが、おそらく、このようなやり方は教育の専門家には非難を受けることでしょう。ただ。このような状況に直面して己の確信するところは、やる気のない者に費やす時間は、やる気のある者のために充てるべきだということです。
2005.06.05
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講座の第1回目でした。会場に入ると、もうすでに大騒ぎの状態で、どいつもこいつも勝手に大きな声で喋り捲っていました。主催者に紹介されて、受講生たちの前に出ました。その紹介の言葉がまたこっ恥ずかしくなるようなものでしたが、とりあえず気を取り直して、「タイキョクケンって知ってますか?」と問いかえると、ハーイ、ハーイと手を挙げてこれまたどいつもこいつも勝手に喋り始める。「じゃあ、空手とか柔道とか剣道やったことある人は?」予想以上に多く、半数近くがなんらかの武道の経験者でした。続いて、「じゃあ、喧嘩の好きな人はいるかな?」と、いう問いかけに、場内、また、蜂の巣を突いたような大騒ぎ。半数以上が喧嘩大好き少年だった。「いいですか。絶対に喧嘩に使ってはいけません。」ブーイングの嵐。少年A「どうして駄目なんですか」善信「危ないからです」少年B「じゃあ、高校生になってから使います」善信「高校生になっても駄目です」少年B「そしたら、いつ使うの?」善信「自分を鍛えるために使ってください」再び、ブーイングの嵐。実は、内心では、よしよし、元気があって大変よろしい、と思っていいたのです。しかし、主催者がいますので、本音を語るわけにはいきません。引き続き、ちょっとだけ表演。提手上勢、白鶴亮翅、手揮琵琶の箇所に来ると、何がおかしいのか、爆笑。床を転がっている奴もいる。善信「はい。で、こんなのを練習します。どうですか。」少年C「ぼくたちもそれをやるんですか」善信「そうだよ」三度目の嵐。次に、長拳の歩型練習用の短い套路を表演。今度はそこそこの手応え。「じゃ、これを練習しようか」と、いうことで、【低い位置での正面、側面方向への圧腿】小学生にしては随分硬い奴が多い。【劈方向と撩方向への腕回し】なぜか大喜びでぶんぶん回している。【馬歩站椿】空手経験者が、「空手でやってるから簡単だ」といってうるさい…。あとは痛いとか何とか言って騒ぐ。3名ほど頑張っている子がいる。しかも、初心者!これは見所ある若い衆ではないか!早速、近寄っていって、姿勢などを手直ししながら、「うーん、いいねぇ」と、褒める。しかし、その後ろでは殴ったり、飛び蹴りなんかしてじゃれている奴がいるし…。【弓歩衝拳→弾腿衝拳→馬歩架打】ポピュラーな技が連続するパート。今日のメニューはこんなもんでしょう。一所懸命練習している一方で、悪ふざけしている奴がいる。空手をやっている子はさまにはなっているが、形がやっぱり似て異なる。概して武道経験者は馬鹿にしたような態度をとってろくに練習しようとしない。やる気がなければ来るな、と言いたいところですが、ここでの立場上、自分にその権限はないので我慢。級や段を云々したり、俺のほうが強いとか言っている姿を見ているうちに、ふと思い出しました。そう、成人してもこんな感じの連中が少なくないってことです。巡回しながら、まじめに練習している奴にだ動作の意味を解説したり、実演したりしているうちにあっという間に時間が過ぎてしまいました。「じゃ、今日はこれで終わろうか」と、言うと、「えー、もう一回やろー」と、いう声が2,3…。お、いい手応え。
2005.06.04
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