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40過ぎるとなかなか痩せない。これはよく聞く話で身をもって体験した。ジョギングを1年続けようが夜は米を抜いて炭酸水を飲もうがカーヴィーダンスをやろうが何をやっても続いているのに痩せない。それでも諦め悪くがんばっていてたがつい最近、入ってはいけない領域にまできた。もう、私はこのまま太くなっていくだけなんだろうか。。そんな思いが混沌と私をとりまく。だが、そんな私も1週間で3KG以上痩せる出来事が。地味なダイエットをを踏み倒す勢い。その名もマイコプラズマダイエット。ああ、あの恐ろしい日々。あなたは痩せたいですか?過酷な思いをしてでも痩せたいのなら私がすぐに飛んでいって菌をうつして差し上げます。夏休みの終わりに私たち家族は能古島にキャンプも行った。楽しかったキャンプのあと、iphonの画面は割れるし、体の調子もおかしい。私をとりまく全てが狂い始めていた。そしてそれはキャンプのオプションについていたバナナボートによる筋肉痛で首が回らないとか腰が曲がらないとかそんな類のものでもなく体調が明らかにおかしい。熱を測った。38.5度はあった。普段から35度台の低熱の私が38度超えるともうフラフラである。休みはあらかじめ予定していた用事のためにとっていたがその用事もキャンセルし、病院へ。かかりつけの病院の対応が最近悪いので病院を変えた。初めてのところだ。ここならよさそうだ。看護師さんも先生も優しいl。病院で熱を計ると39.0あった。病院からは漢方薬と解熱剤が処方された。しかし、これがなかなか効かない。熱はどんどん上がる一方だし、カロナール(解熱剤)で下げても一時的なもので数時間たてばまた熱が39.5に戻る。その繰り返し。人間、熱があると何故悲しくなるのだろう。重い病気の方が読んだらイライラするかもしれません。ごめんなさい。でも、高い熱があるとマイナスな気持ちになるのは事実です。私は必要以上に自分の行く末を想像しては涙し、このまま死んでお葬式を挙げ、自伝書の発行を友人に託すところまで想像、旦那と子どもの傍に霊となって現れるところまで想像しては涙。悲しいテレビを見ては涙。どうやら高熱は私の涙腺を破壊したようだ。そんな状態でもカロナールで熱が下がった時は良くなった気がして洗濯など回すのだが、何故かこんな時に限り、お風呂から組み上げる水のホースが暴れ洗面所が湖になりかけたり、その湖にそびえたつタオルの棚の足がこんな時に折れたり予定外の生理痛が襲ってきて私の腰を激痛に陥れたり、私は色んな「いじめ」に会いながら高熱と戦った。下がらない熱。解熱剤を飲めば一時的には下がるが汗びっしょりで目を覚まし、やっと眠れたと思えば今度は咳で目を覚まし、そして次は寒さで目を覚ます。そして寒さが収まったころ割れるような頭の痛さで目を覚ます。もう、これはただの風邪じゃない。ずっとその繰り返しで眠れない。翌日また、同じ病院へ行った。先生は私に「時間をください」と言った。昨日から熱が出たばっかりだからすぐには治りませんよ。少しずづ下げていくんですと言う。先生、私はすぐに直して欲しいんですよ、それが患者の願いといえば贅沢でしょうか。心でそう思った。そして先生は私に咳が出てないか効いてきた。咳が出てますと言うとああといって感染系ですねといって抗生物質と解熱剤を処方された。しかしそれでも下がらない。何も変わらないのだ。そのとき、ふと頭によぎった。「マイコプラズマ肺炎」セイイチロウが3週間前にマイコプラズマ肺炎にかかった。ググってみたらマイコプラズマの菌は3週間潜伏するという。どうやら、今がちょうど発症の時期にあたる。そうか、私、マイコプラズマ肺炎なんだ。それからマイコプラズマをネットで調べた。なかなか治らない、咳がひどいなど今の私の症状にぴったりなコトが出てくる、出てくる。耳が痛くなったり、足もしびれてきた。全身の倦怠感。マイコプラズマにより、中耳炎を引き起こす人もいるらしい。私の耳も定期的にジンジンしてきたので心配して耳鼻科に行ったが何事もなかった。熱が出て、もう8日がたとうとしていた。私は知人から頼まれていた仕事もあったのでその仕事を休むわけにもいかず、なんとか解熱剤で下げてその手伝いの会社に行った。旦那は猛反対したが、納期のある仕事なので無責任に離れるわけには行かなかった。でも、周りの方に病気を移しても迷惑だし、悩んだが薬を飲んで熱を下げ、マスクをして会社には通った。不思議と会社ではしゃんとしていて家に戻るとグッタリする。そんな私を気遣ってか旦那はずっと家事をしてくれた。普段は家事は頼めばしてくれる程度の夫。でも私が病気になると率先して家事をしてくれる。それが、どれだけありがたいことなのか。今回、本当に助かった。そしてそんな時に今度はセイイチロウまで具合が悪くなった。なんてこと、不幸は連鎖するのか。しかし、かかりつけの小児科へセイイチロウを連れて行った時に私はふと思った。そうか!もとを正せば子供の病気。小児科でみて貰えば治るかも。そして先生に相談して診てもらった。一発だった。出された薬で熱がさっと引いた。続いて咳もとまった。なぜ、このことにもっと早く気がつかなかったのだろう。最初に出された内科のアジスロマイシン(抗生物質)ではまったく効かなかったのに小児科で出されたミノマイシン(抗生物質)ですぐに効いたのだ。先生いわく最初に内科で出されたアジスロマイシンはマクロライド系の抗生物質だが今のマイコプラズマにはなかなか効きにくいらしい。マイコプラズマは本当にきつかった。もうインフルエンザが可愛く思える位。そうね、例えれば、インフルエンザの3倍きついかな。何がきついかといえば熱もそうだが咳。咳が本当にきつかった。もし、長引く咳の風邪をひいたと思ったらマイコプラズマを疑って欲しい。そしてこの手の感染症は小児科が強い!こればかりは経験しないとわからない。そして、病気により体重が3Kg痩せた。体調が戻って三日ほどたつがまだその体重はキープしている。痩せたいとは願ったがまさかこんな過酷なダイエットになるとは・・・・。でも、あんな苦しい思いをして、たった3KGしか痩せないんだねって旦那は言う。私20代なら6Kg痩せてのかな。。。なんて邪な思いが脳裏をよぎる。いやいや、1KG痩せるだけでも大変なこの年齢。マイコプラズマはもうゴメンだがおかげさまで軽くなりました。
September 15, 2014
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女は抹茶味が好きだ。と私の旦那はずっとそう思い込んでいる。だから私も抹茶アイスが好きだと思われ、数年前は彼がアイスを買って来る時は私用には抹茶アイスをよく選んできてくれていた。確かに抹茶アイスは好きだけど、補足するならば、スイーツに関しては女はきまぐれで時にはバニラが、時にはストロベリーが、そして時にはレアチーズがといった具合にその時々で食べたい味は変化するもの。ところが私の場合、ほか弁(ほっともっと)に関しては何故かいつも唐揚げ弁当。迷ったら唐揚げ弁当、そう決めているからかもしれない。だけどやはり抹茶味は好きで抹茶クリーム、抹茶ミルクなど見かけると確かに気になって選択肢の中に入る。そんな私を見て旦那は言う。「女は抹茶味が好きだよね。美味しいとは思うけど俺はあえて選ばない。バニラやチョコレートがあればそっちを選ぶかな」数年前、確かにこう言っていた。時がたち、最近のこと。加齢による体重増加のため、私たちは運動や食事制限をしている。まあ、全然痩せないのだがそういう理由で旦那の朝食は味噌汁と子供用茶碗に一杯だけの白ご飯とふりかけ。他のダイエット方法はいくらでもあるでしょうというアドバイスはここではおいといて、そのおかずとなるふりかけの話。男の好きな食べ物によく、おふくろの味の「肉じゃが」があげられる。それもまんざらウソではないらしく、私の家族も「肉じゃが」「肉味噌」「すきやき」みたいなこってり、甘辛い味が大好き。だから、そんな私の旦那はふりかけの「すき焼き味」も大好き。ふりかけの買い置きが切れた時に旦那に会社帰りに好きなふりかけを買ってきてと頼んだら買ってきたのが「大人のふりかけ」と「すきやき」の大袋。しかも大人のふりかけの種類の中にも「すきやき」は存在している。よっぽど「すきやきふりかけ」が好きなんだねってセイイチローは笑って言った。私も久々なんでその「すきやきふりかけ」をかけて食べてみたら、うーん、甘い。40をすぎた私の味覚には、甘すぎて嫌いではないけど、他のがあれば他のふりかけをかけたいと思うでもそれは、心の中にしまうべきだった。コトはある朝食時に起きた。普段はお弁当の用意などでなかなか一緒食べれないけどこの日ばかりは時間の余裕があったせいか旦那と一緒に朝食を食べていた。真っ白いごはんと味噌汁。そしてふりかけ。その時、気をきかせた旦那が私の茶碗にすき焼きふりかけをかけようとした。「ちょっと待って」すると、旦那が不思議そうに私を見る。「すき焼きふりかけじゃない他のにする」旦那がなんで?と聞いた。「私、あまりすき焼きふりかけ好きじゃない。嫌いでもないけど」というと旦那の顔に一瞬曇りが。「なんで、美味しいのに。」とと不満げの様子。そこで、納得ができない旦那に私はこう説明した。「いや、嫌いじゃなくって、そうだ、あなたにとっての抹茶アイスなんだよ。嫌いじゃないけどあえて選ばない。そんな感じかな」そういうと旦那はちょっと腑に落ちない顔をして、そしてどこか寂しげだった。てっきり私も征一朗もすきやき味が好きだと思って家族が喜ぶように選んできたそうだ。それからというもの、なかなか減らないすきやきふりかけ。旦那がさみしそうだったので私もすき焼きふりかけを好きになろうと努力はするものの、嫌いではないけど、やはり好きにはなれない。私にとって「すき焼きふりかけ」は学生で言うならクラスメイトの関係。けして「気になるアイツ」ではない。皆で一緒にマックは行けるけど、二人きりでアイスを交換出来るような自転車の後ろに乗れるような淡い恋の関係ではない(古!)旦那よ、あなたにとっても抹茶アイスはそうでしょう?それから、2週間ほどたった頃大量にあったすき焼きふりかけも命の灯火が消える朝が来た。「ふりかけなくなったよ。」と旦那「あ、じゃあ買ってこなきゃね」「イヤ、まだあるんだけど、ママの嫌いなすきやきふりかけが終わったよ」・・・どうやらまだ、根に持っていたらしい。普段はさっぱりしている性格の旦那も食べ物に関して違うようだ。そこで私は子供に反復練習させるように「いや、だからね、嫌いじゃなくてパパにとっての抹茶アイスなんだよ」ってもう一度言った。すると、旦那は言い返せないらしく、ちょっとだけぷいっとして、そして他のふりかけでご飯を食べるのであった。
June 11, 2014
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私がまだ、二十歳そこそこ位だった時通っていたスポーツジムのジャズダンス教室である女の子と仲良くなった。彼女はショートカットで目がパッチりとした荻野目洋子風の美人でダンスも上手く、彼氏以外からもよくモテる女性だった。だが、彼女は自分がモテることをよく知っていて、自分なりの恋愛論を持っていた。しかし、よく聞いたら私が嫌いな著者Aの恋愛本を愛用していた。聞いててヘドが出そうなありきたりの恋愛論。そこで全くモテない私が勧めるのもなんだが、街で見つけた「絶対値の法則」を取り入れたユニークな視点で書かれた恋愛本の方が絶対に面白いよって言って、友人に本を貸してあげた。それはこういう内容だった。人の感情にも絶対値の法則は成立する。恋愛に例えると30%好きだった人は何かをきっかけに30%だけ嫌いになる。つまり、ちょっとだけ好きだった人は何かをきっかけにちょっとだけ嫌いになるということ。ところが、100%大好きな人が何かのきっかけで瞬時に100%嫌いになる。つまり俗に言う100年の恋も冷めるという、そんなことが起きる。逆も然り。嫌いでたまらなかった人のちょっといいところをみつけてしまうとそれからその人が気になって仕方ない、つまり大好きになる。つまり感情の世界でも起点を0として針は動いた距離分、反対側に動くというのだ。まるでメトロノーム。-100%の愛⇔100%の愛-50%の愛⇔50%の愛0%はもともと感心がないから変なとこをみつけても心は動かないということだろうか。興味がない人間の目を覆うようなシーンを見ても特に嫌いにはならない。でも片思いで憧れの男性のそんな姿を見つけたら嫌いになるかもしれない。そういえば若い頃、清潔感があって都会的でスタイリッシュな男性だなと思っていた会社の先輩が食後に爪楊枝でシーシーやっているを目の前で見てがっかりしたことがある。そのように感情の世界では絶対値の法則が成立する。-100%が30%だとか10%が-100%にはならないと言うことらしい。キャリアウーマンのの女性上司の可愛くて家庭的な一面を見た時清純なな可愛い女の子と思っていたら夜は女豹だった時ナヨナヨしたイメージの男性が脱いだら細マッチョだった時そんなギャップを感じた時、人は恋に落ち美人で憧れの彼女の家に行ったら部屋がで汚部屋だったとか超カッコイイと思っていた男性が挙動不審なエスパー伊東みたいだったとかクールなサラリーマンの家中の物が全て質屋に入っていたとかそんな時に恋は冷める。(※表現はすべて私の想像であり著者はそんなこと書いてません)まあ、人によっては色んな理由で覚めたり燃えたり。私はうろ覚えだがそう解釈している。だからその本によれば惚れた相手を大好きにさせるには、まずは100%嫌われろ的なバクチ的なこともありだというのだ。友人はその本をたいそう気に入り、私が嫌いな著者Aの本と交換されいつのまにか絶対値の法則が書かれた本は私の手元から離れていった。そしてその友人はそれ以来も沢山の恋愛を繰り返し、やがて安定した収入の男性と結婚した。その当時私は心で舌打ちしたが、今思えばあの本が役にたったなら良かったと思う。今は幸せに暮らしているといいな。最近のこと。私が愛する安いスーパーSへ行くと苺が1パック178円。しかもラベルには「あまおう」と書かれている。私は苺ジャムを作る時は色にこだわるので中まで赤い「あまおう」を使用する。それか、時期が遅くなり酸っぱくて小さな苺のどちらかを使う。まだ4月なのに「あまおう」が178円!安いと思って8パックをカゴにいれた。最近、他のスーパーに心を奪われ、浮気ぎみでしばらく来てなかったけどやっぱりここは安くて素敵なスーパーS。私の外の冷蔵庫。ジャムをたくさん作ろうと心ウキウキしてレジに向かった。ところがイチゴパックを袋に詰めていた時にコトは起きた。よく見ると苺のパッケージは別の名前。え、「あまおう」ではない?その時、脳裏に衝撃が走った。よく見るとこのコたちはお尻部分がほんのりと黄色い。まさかの「あまおうではない苺」を8パックも買ったのか。私の中で葛藤が走る。これは本当に「あまおう」なのか聞くべきなのだろうか。そして万が一そうだった時は交換してもらえるのか。しかし、答えが出ないまま、スーパーの中の野菜屋さんに足は向かった。「すみません、これは本当にあまおうでしょうか?」率直に聞いた。野菜屋の店員さんたちは一瞬顔が凍りついた。そして出た言葉は「誰だろう、このラベル貼ったの」と身内を疑っていた。そんなことはどうでもいい。ラベルを誰が貼ろうと私には関係のないこと。今知りたいのはこの苺が「あまおう」であるかそうでないか。あの、「あまおう」ではないんですね?「はい、大変申し訳ありません」と店員さんは申し訳なさそうに言った。私は途端に腹が立った。そして私のこのスーパーSへ愛のメトロノームの針が100%から-100%にコチっと移動した。つまり、もう二度と来るものかと思う位に信用度が無くなった。「すみません、今後はこのようなラベルのつけ方はやめてもらえますか?」私は怒りを押し殺してそう言った。そして続けて「私、ジャムを作るのに中まで赤いあまおうじゃないとダメなんです。ラベルにあまおうと書いてあったから信用して8パックも買ったんですよ」と私のジャムのこだわりとは関係がないスタッフ達に誠意をこめて訴えた。これが肉だったらが外国産に神戸牛ラベルをつけてるのと同じことだ。そうなったら食材偽証表示とかで世間にかなり騒がれるではないか。それが野菜だとか安いものだと許されるっていうのか。そして値段に相応する分で良いから「あまおう」と交換できますか?と訪ねた。すると店長さんが現れ、快くあまおうと交換してくれるという。だが通常、「あまおう」はこの倍の値段はするはず。私はいちご8パックが4パックになっても仕方がないと諦めていた。すると店長さんはこれは198円分のあまおうですがこれと交換させて下さいと言ってそれを8パック詰めてくれた。え?いいんですか?というと「ハイ、ご迷惑をおかけしましたので」といってこのこだわりクレーマーに親切に対応してくれた。苺178円と198円の差額20円20×8パック 160円のちょっとしたお得。冷静な状態で計算したら分かるはず。なのに、この時興奮していたのか、なぜか「本来は苺4パック分のあまおう」だと脳が思い込み、その苺を8パックにしてくれたと勘違いしてた。そのせいで私の脳内メトロノームの針がコチっと動き出し、このスーパーSへの愛のマイナス100%はゼロを飛び越え100%に戻った。丁寧にお礼を言い、私はスーパーをあとにした。帰宅後、セイイチローに経緯を話し、イチゴが安かった自慢をしながらめちゃめちゃ得したんだよと言って苺ジャムを作り出した。だが、値段を説明した時のセイイチロウの微妙な表情にも気付かず、私は「どれだけ得したか自慢」をセイイチローに聞かせ続けた。旦那が帰ってきてから、お、いい香りがするねと微笑む旦那に対してターゲットを見つけた私は嬉しくなり、またイチゴ自慢を繰り返した。しかし、気持ち的には少し冷静になっていて「178円の苺8パックの値段のまま198円の苺8パックに交換してくれたんだよ」って話した時にハッと気づいた。あ、8パックは当たり前か。差額160円だった。160円の差額でもありがたいこと。だけど一度198円×4パック=792円のお得だと思い込んでいただけにがっかり度が高まる。もともと悪いのは向こうだし。すると、私の気持ちは一気にスローダウン。私の脳内メトロノームの針がコチっとまた傾きかけた。でもスーパーSへの愛は-100%ではなく30%にとどまった。あれ?絶対値の法則が成り立たない。そうよね、交換してくれたし、ちょっと得したし。そもそも198円で「あまおう」は店頭に出されてなかった。倉庫から出されたもの。そんな気持ちがあったから針は0にすら行かなかったのだと思う。購入した「あまおう」を量ったら2.6Kあった。そしてそのうちの1.6Kでジャムを作った。出来たイチゴジャムは私ごのみで最高だった。その時にまた、私のスーパーSへの愛のメトロノームの針はゆっくりと動き、徐々に100%に近づいた。
April 17, 2014
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「贅沢・・それは言葉の魔法なのかもしれない。」数年前、雑誌かテレビかある芸人さんが奥様になられた方(女優)のご自宅に初めて遊びに行った時の話でその女性宅のトイレに入り、「お花の香りがする花柄のトイレットペーパー」を見て衝撃を受け、この女性はやはり儲かっているのだなと感じたとコメントしていたのが私の脳裏から離れず、ずっとその存在が気になっていた。言われていみれば、生まれてこの方そんなものでお尻を拭いたことがない。実家もそうだし、お金持ちの友人宅でも、儲かってそうな病院でもどこにいっても「お花の香りがする花柄のトイレットペーパー」なんて使わせてもらった事はない。とても気になっていた。とはいうものの、それは珍しいものでもない。いざ買いに行っても、そのタイプは量が少なく、やはり高め。だからといってけして買えない額ではないのに何故か躊躇する。やはり、お尻をふいて流す消耗品だと思ってしまう。だから、ついつい一番安くて大量でお得なものを選んでしまうのだ。それは収入が多少増えたとしても変わらないだろう。給料が上がったからトイレットペーパにかけるお金の比率も上がったよって聞いたことがない。あくまでも価値観の問題。だから私にとって流されてしまう「消耗品の贅沢」はいつも出番がなく私の脳裏にだけしっかり根付いていた。そもそも贅沢ってなんだろう、エステやいい車、素敵なマイホーム、海外旅行に外食三昧?その人にとってそれがモチベーションを高め、このおかげでお仕事も家事も育児もすべて頑張れるって言えるものは贅沢なんだろうか。贅沢って何?収入に見合わない生活をすることが贅沢なんだろうか。その贅沢のために目標を持って頑張れるならそれは「贅沢」ではなく「ご褒美」だと思う。お尻をふいてサヨナラするものにお金をかけてる人ってどれくらいるのだろう。私のお尻を拭くのはバラの香りじゃなきゃダメっていう人を私は知らない。人はトイレットペーパーでお尻を拭くためにお仕事を頑張れるのか?だからご褒美とは言えない。私のなかで「お花の香りがする花柄のトイレットペーパー」はやはり「贅沢品」。そう格付けされていた。ところが最近、愛用の「安物のお得なトイレットペーパー」の減りが激しくなった。お通じのよい主人と子供がいるから仕方ないのか。よそのお宅のトイレットペーパーの減りを聞いたことないから比べようがないがすぐに無くなる。しかし、たかだかトイレットペーパー。それを口うるさく言う自分も嫌なんで黙って見過ごしていた。で、残り1コになってたことを忘れ、食料品の買い物に行った時にレジでそれを思い出した。いつも買うお店ではないので多少高い。でも、いつものお店に行く時間が無いから仕方なくそこで買う事にした。でも値段を見るといつもの同じものなのに100円も高い。いつもと同じものに100円高く払わされるのは主婦としてのプライドが許さない。シャクだ。負けた気がする。そのとき、目に止まったのは花柄のトイレットペーパー4個入り。私が買っているものは無地の白、12個入り安物。そして両者は同じ値段だった。条件は違いすぎるが。一瞬、迷いが生じた。どうせ同じ値段払わせられるならシャクに触るより「贅沢」を選んだ方がストレスもたまらない気がした。4個しか入ってないから、あきらかにコストが高くなるのはわかっていても。そして、私はゆっくりと白をもどし、素早く花柄を持ってレジに向かった。あれから一週間近くになる。うちのトイレは花の香りがする。嗅覚ってすごい。家族が皆すぐに気がつき、笑顔で私に「トイレットペーパーからいい香りがするね」って言ってきた。私の髪型が変わってもすぐには気づかないのに。そしてよく見たら3枚重ねだったこの紙は拭き心地がよいのかそれとも「贅沢なもの」でお尻を拭かせているせいか減りが急激にスローダウン。というか1週間近く一度も交換していない。今までで初めてだ。以前は二日に一回か三日に一回交換していたのに。。驚くべき効果というか嬉しい誤算だった。言葉で伝えられないことってこういうことなのか。トイレを花の香りで包むことも、拭き心地の良い紙も、見た目のキュートさも無言で彼らに「節約」を制したようだ。私はもう、花柄香り付きトイレットペーパーを「贅沢」とは言えなくなった。彼らは良い仕事をする。あ、でも貧乏性のうちのルールですからあくまでも。
October 9, 2013
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5月の中旬ぐらいにひどい風邪をひいた。本来、私は体が強く、めったに風邪をひかない・・。はずだったのにGWにひどい風邪にかかった旦那から回ってきた風邪はそんな私を追い詰めた。GWの旅行で出費したのでちょっと節約したかった。だから病院へは行かず気合いで治そうとした。それは間違いだった。風邪はどんどんひどくなっていった。鼻づまり、咳、、痰と一般的な風邪の症状ではあったがどんどんひどくなっていった。そんな時に以前から友人達頼まれていたパン教室の日が近づいてきた。その日までになんとか治さねばならない。というのも前回も私が調子悪くお断りさせてもらっていたからだった。あれから数ヶ月も日にちが決まらずやっと決まった日を変えるわけにはいかない。皆さんに迷惑がかかる。そのためにあらゆる努力をした。風邪に良いというしょうが紅茶、キンカン、家にあった常備薬。なのにいっこうに治らない。当日、鼻水は出るものの、なんとか無事に教室は成功。しかし、ホッとしたところにサッと病魔がと別のカタチで私を襲う。夜中、私は期日間際の仕事にとりかかっていた。気づいたら、あきらかに声がかすれている。もはやもう私の声ではない。嫌なな予感がした。目が覚めたら声が出なくなる危険を感じたにも関わらず私はタバコを吸う手を止めることができなかった。翌日の朝、とうとう声が出なくなった。それはまるで、鳥が首を絞められた時に出るような悲痛の叫びに近しき声だった。無理して出そうと思えば出るのだが、拡声器のような響く声になる。絶望だった。声が出るというのはなんて幸せかつ便利なものだろう。インターネットやスマホが主流の世の中であってもFBやラインやアプリがコミニュケーション伝達に素早く便利な世の中であっても「声」にはかなわない。リアルを生きるには「声」が一番の伝達方法なのだと思いしらされた。はじめ、家族には言いたいことは紙に書いて伝えていた。しかしそれもだんだん疲れてきた。一番困ったのが買い物など簡単なことですら店員にちょっと訪ねるのに「声」なしでは難しいことだった。私は声が出ないだけでそれを相手に伝えていても、家族を含め私と接する方は耳まで不自由だと勘違いするらしくみなさんついつい声を大きくゆっくり話して下さる。諦めてとうとう病院へ行った。医師には声帯が傷ついて声がでなくなったのでしょうと言われた。治るまで声を出す事と禁煙を命じられた。禁煙、これが一番つらかった。確かにタバコは体に害だし、続ければ高価だし、辞めるにこした事はないが仕事上ストレスがたまるもので、ついつい手を伸ばしがち。禁煙を成功させた周りの方々を横目にいいなあと思いつついっさい禁煙する気がなく生きてきた。しかし声が一生出なくなったらという恐怖感からここは、やむを得ず禁煙を決意した。しばらくの間だ。声が出るようになったら吸えばいい。そんな気持ちだった。最初はすっと辞めれた。しかし時間がたつと吸いたくなった。仕方ないから我慢して「エアータバコ」を吸った。指先を口に近づけ、タバコを吸うふりで空気を吸う。ゆっくりと立ち上るタバコの煙を想像。私は自分のパントマイムと想像力の素晴らしさに自画自賛するくらいタバコを吸った気分になれた。なわけがない。タバコをとるか声をとるかの葛藤の日々。それにしても、つい最近1カートン買ったばっかりだったのでタバコは8箱位残っていた。旦那が4箱吸ったが銘柄が違うので吸わなくなり、いまだに残っている。タバコというのは厄介なもので好きな銘柄は個人の嗜好で人それぞれ。銘柄が違うともらってもあまり吸いたくないもの。私は悲しさのあまり旧友達に私の悲劇を伝えると一人、全く同じ経験をしたことがある言ってきた。その彼女もやはり1週間くらいで声が戻ったと言った。急に私の心は晴れやかになった。今は言われないが、幼いころはよくその彼女と似ていると言われていたもので会わないときは三ヶ月のスパンで彼女が夢に出てくる程それくらい多分私の中で「近しき存在」なのかもしれない。そんな彼女が「経験した」といった一言で私の未来は明るくなった。希望が出てきた。それと同時に少しずつ声が戻り始めた。そして10日たつと声が完全復帰していた。でも意外なことにタバコに手を出さない自分がいた。気持ちとしては10日も吸わずにいれたから、今もとに戻すと勿体ない。これから禁煙を続ければ浮いたタバコ代分貯金ができるし、好きなものも変える。そう思ったからだ。だから吸わないことを続行した。しかし次に襲ったのが「体重の増加」だった。タバコを辞めると太るという科学的な根拠はない。しかし、何故だろう。日増しに太っていく。水を飲んだだけでも空気を吸っただけでも体重が増えるような妊婦の時代を思い出した。そこでダイエットを開始。ジョギングを決意。しかし、世の中そうは問屋が許さない。三日もすると足の付け根に痛みが走った。原因は靴だった。ジョギングは体に負担がかかるから靴は重要らしい。今までの靴はコートシューズらしく走るには不向き。おまけに良く見ると靴底がとれかかっていた。こんな靴で走ってたなんて。。そこでその靴は捨て、新しい靴を新調。おかげで痛みはぴたりと止まった。ところがそれから数日もしないある日、ジョギングを終えて汗だくになった私は入浴後脱衣所ですべって転んで、腕を思い切り強打。「イタタ」あまりにも激痛なので腕も見るとぼっこり腫れていた。それはまるでポパイのようだった。いや、ポパイは筋肉で盛り上がるのに対し私のは、ただ腫れて盛り上がってる。思えばその日はセイイチロウもジョギングについてきたので私より先にお風呂に入りビショビショのまま脱衣所にあがったのだ。それに気付かず転倒した私。そうか、足にマッサージクリーム塗っていたっけ。それで滑ったんだ。そしてある不安が私を襲った。私はその日に限って旧友達との飲み会を控えていた。ちなみに私が幹事。ネットで調べると打撲した日はお酒は控えてと書いてある。お酒により決行が良くなり痛みが激しくなるらしい、骨折していたら尚更だ。そこで整形外科へ行った。その事実を確かめたかった。レントゲンをとってもらったが骨折はしてなかった。こんなに腫れているのに痛いのにそんなはずはないと思い私は医師にレントゲン写真を最大まで拡大してもらったがやはり骨にヒビすら入っていなかった。そこで若い医師に恥ずかしながらも質問。「今日飲み会があるのでお酒は飲んでいいですか?」「少量ならいいですよ」「少量とはどのくらいのことですか?」こいつ、飲む気だなと苦笑した表情を浮かべた若い医師は「1杯くらいですかね・・」とはっきりは分からない様子。なぜ、こんな日に転倒したんだ。私の旧友達の飲みっぷりは半端ではない。飲み放題でお店を潰す勢いで6人が6人とも飲み続ける。そんな中で1杯が許されるというのか。もはや私の心配は腕ではなくなっていた。そこで私は立ち止まって考えた。心配事は本来の問題よりずれているのは承知の上。【まとめ】風邪→病院代の節約→→声帯痛めてひどくなり結局病院→禁煙→体重の増加の為ジョギング→ジョギングシューズ費用の発生→→好調になったが計算外で転倒のため病院代発生って節約したつもりが逆に費用が発生している。やはりうちには貧乏神が。。。そしてそれから三ヶ月が過ぎた。今もなお、禁煙、毎朝のジョギングは続いている。それに加えてカーヴィーダンスも。もう、タバコはもう吸おうとも思わないし、お酒を飲んでも欲しくなくなった。あれからいろんなタイプの飲み会に出席し、喫煙者に囲まれて精神的にM状態になったとしてもタバコに手を出したことはない。ストレスはジョギングやカーヴィーダンスで消化されているようだ。だからといって体重は激やせしたわけではないが久しぶりに会った友人には「やせたね、小さくなった」と言われた。最初は声が出なくなったことからいろんな事が起き結果禁煙とダイエットに繋がったのだから生きていくことで起きる障害はけしてマイナスではないのだなと思う今日この頃。そして太鼓腹になりつつあった旦那も私の影響でジョギングを始めおなかがスッキリしてきた。これでタバコ辞めてくれたらタバコ代浮いて貯金増えるかなってそんな訳はない。だってうちには☆貧乏神くん☆がいるもん。数日前、カーヴィーダンスの後ろ蹴りで扇風機1台倒してあの世行きになったしね。
August 30, 2013
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子供は親の背中を見る」昔からよく耳にする言葉である。そして「言われたことはすぐしなさい」とか「宿題は帰ったらすぐにしなさい」とか「間違いに気づいたらすぐに謝りなさい」とか子供は親という大人からその言葉を嫌というほど聞いていると思う。果たして、それが何故なのか、自分で理由を見つけて大人になれた人はどの位いるのだろう。いや、分かってるくせに忘れてしまったりめんどくさくってやらない大人になる人が大半ではないだろうか。私もその一人である。先日、セイイチローの大事なカブトムシの「カブ一朗」が息を引き取った。前日まで元気だった。「9月過ぎてもがんばって生きてるねっ」てセイイチローはいつも嬉しそうに話していた。その日、カブ一朗はひっくり返って死んでいた。セイイチローがどれだけこの夏、彼を愛してやまなかっただろうか。彼は目に涙を溜め、私にこう言った。「ママ、カブ一朗を標本にして」私は忙しかったので、うん後でやるねといった。次の日も言われた。でも私は色んなことを理由にやらなかった。そうして気がついたら三日たっていた。その日もセイイチローは怒りもせず、こういった。「ママ、カブ一朗がダニに喰われてるから早く標本にして」そこで、はっとして彼が学校へ行った後、お湯を沸かしカブ一朗を標本にする準備を始めた。標本はすぐにしないと体がバラバラになり、嫌な臭いを放つ。だから、死んだらすぐにやらなければいけないのに。お湯をかけると、体についた汚れやダニが落ち、固まった虫の体も柔らかくなるので標本にしやすい。しばらくして、お湯が沸いたのでカブ一朗に注いだ。その瞬間、頭と体が分裂。し、しまった。。。しかし、まだここまでなら、標本の段階でどうにかごまかしが効く。どうにか気を取り戻し、もう一度お湯を注いだ。そして、セイイチローが愛を注いだ分だけ、私がお湯を注げば注ぐほどカブトムシはどんどん自由になった。お湯を一注ぎで羽が取れさらに注いで腹が取れしまいに何か出てきた。・・・・・・・・・・って、分裂してるやんけ!!!!「カブトムシバラバラ事件」私は一瞬にして、凶悪犯になった。ああ、すぐにしておけばこういう事にはならなかったのに。私は、深く深く反省した。もう、セイイチロウに「すぐにやりなさい」って言えなくなってしまった。ああ、私はダメな大人の代名詞。夕方になり、学校からセイイチローが帰ってきたので心から詫びると意外にもあっさりと受け入れてくれた。でも、その遺体はどこにあるの?と聞かれわたしはすごすごとゴミ箱からティッシュごと出してきた。セイイチローは悲しみの表情を一瞬だけ浮かべたがしょうがないって言ってくれた。次の日、私が外出している間、セイイチローから電話があった。市政だよりで見つけたドラえもんのモーター工作教室があるのでそれに応募してくれって言ってたようだ。私はとりあえず、「わかった、あとで見ておくね」って言った。でも、懲りもせず、その日はまた忘れていた。かろうじて翌日の朝に思いだしたので、セイイチローに何を言っていたかもう一度訪ねた。「ママ、早く応募しておいてね」彼はそう言って登校した。私はあわてて市政だよりをチェックした。すると、え~店員4名!無理!もう、うまってるハズ。しかも1300円。高!ここの工作教室は無料が多いというのに。でも、カブ一朗のことが頭によぎった。これで、また逃したら親としての立場が。。。だから、私は大好きな韓流ドラマの始まりを数分逃しつつネットから応募した。ところがセキュリティがどーのこーのでなかなかすんなりいかない。結果、韓流ドラマの話の行方が少々分からなくなった事と引き換えに工作教室の席はゲットできた。下校後、それを聞いたセイイチローは大はしゃぎで喜んでくれた。カブ一朗のことがなかったら、私は工作教室に応募しなかったと思う。そうやって、今まで自分の都合で子供を振り回してきたのかもしれない。なのに、セイイチローは何の疑いもなく、私から言われたことをすぐにやってくれる。だからこそ、私は深ーく、深ーく反省した。「今やるべきことは今やろう。明日では遅い」しかし、それを胸に刻んでも時がくれば、また、忘れてしまうかもしれない。だから、その時は、カブ一朗が身をもって教えてくれた事を思いだそう。自分の体を犠牲にしてまでも、私に大事なことを教えてくれたカブ一朗。大好きなセイイチローのお母さんの背中が正しくいれるよう導いてくれたのね。ありがとう、カブ一朗。でも、腹から出てきたモノまで思いだすので記憶から一旦封印することにする。
September 12, 2012
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セイイチローは現在8歳。私は一人しか子どもを育てていないから子育てについて何が正しいのかとか偉そうなことは言えない。ただ、セイイチローが成長する度にいろんな発見があることは確かだ。セイイチローはとにかく、知識を語りたがる。小学生の男の子は皆こうなのか?「ママ?知ってる?」おはようの次はこの言葉から1日が始まる。その99.7%位はカブト虫だのクワガタ虫の話。こちらがうんざりするくらい語りたがる。例えるならば、ひと夏の恋。そんな感じ。夏になるとカブト虫に恋をする。そして秋・冬になると冷めるのだ。彼の心は秋になると、クリスマスや誕生日プレゼントのおもちゃへの関心に向く。それを毎年繰り返すこと5年。だから、彼が恋したカブト虫、そしてその子どもたちは結局、秋以降、私が面倒をみなくてはならなくなる。おかげで、私までも知らなくてもいいような知識ばかり増えてくる。以前、美容室のお兄さんと話しているときに、カブト虫の生育について詳しい自分に驚いた。そして春になり、幼虫が蛹に変わる頃、セイイチローはまたカブト虫たちに恋をする。何がいいの?と聞くと、強さとカッコよさとお顔が可愛いからという。男の子の脳みそはよく分からない。とにかく、キャンプの最後の日は捕まえたコクワの話ばかりだった。こっちは帰る支度で忙しいのに、コクワを眺め「かっこいい~」とうっとりしている。そして、忙しい私についてまわって、そのコクワについて語る。しかし、そんな彼にも悩みがあった。どうやら、大好きな友達のT君にキャンプのお土産として捕まえた虫をプレゼントする約束をしてきたらしいのだ。「1匹しか捕まらなかったんだから訳を話してあげなければいいのに」とこっちがいくら言っても聞かない。「約束したからあげなきゃ」と言う。なんて律儀な子。予定では2匹以上捕まえられると思っていたのに想定外だったと。でも、私は分かっていた。もう一匹捕まえられない時は買ってほしいのだと。はん、そんな悲しい顔されても買ってやるものか。旦那のi-phoneは、ガムテープの跡がなかなかとれずにいた。キャンプ場の窓ガラスも。それらを犠牲にしてまでも、捕まえたコクワをいとも簡単に友人にあげるのか。反対してもきかない。でも、気持ちもわかる。男の約束というやつだろう。相手の子も旅行のお土産を買ってきてくれるらしいのだ。天気予報では雨マークだったけど、その日は晴天になった。今頃、あのテルテル坊主が効いてきたようだ。しかし、山の気温は低い。川に入って風邪ひいたらいけないので川遊びは諦めて帰ることに。セイイチローは親切にしてくれた昨日の管理のおじさんに挨拶をしたがっていたが、おじさんは河童滝の流れた橋をかけに行って管理棟にいなかった。さよなら、遊水峡。川遊び出来なかったのが残念。また行きたいと思える場所だった。帰りは私が運転。途中道の駅にお土産を買うために寄った。あまおうソフトがとても美味しかった。さあ、高速。高速は私が最も苦手とするもの。変わらぬ風景に、もし、眠気が来たらどうしようとか事故をおこしたらとか、ビクビクする小心者の私。それなのに、乗った傍から寝ようする旦那。寝ないでと言うと、だって他にすることないやんって言うので「365日の1日の数時間くらい、私のために起きて」としりとりを提案。それから2時間弱、永遠としりとりが続いた。私は運転しているのでありきたりの言葉しか返せなかったが旦那とセイイチローは面白い言葉を返していた。2時間弱もよくネタが尽きないなと思うくらい。旦那を寝かせないためにしりとりを続けていくうちにその効果あってか、リラックスして運転は平気になった。レンタカーを返すのにあと1日ほどあるので昼食をとり、そのまま西へ向かった。せっかく車があるのだからと糸島半島まで行き、去年も行った「カブトムシ農園」に足をのばした。なぜカブトムシ農園かというと、去年、ここのおばあさんがカブトムシは終わりだけど、来年、もしかしてクワガタの販売はしてるかもと言ったので、それを確かめたかったのだ。カブト虫農園の話そして、予算がいろいろと浮いたので、セイイチローがコクワをお友達に譲ってもさみしくないようにミヤマクワガタのペアを買ってあげた。結局甘い親。セイイチローはたいそう喜んで、ますますクワガタに熱をあげた。キャンプ場で獲れたコクワ、今年生まれたカブト虫2匹、買ってもらったミヤマクワガタ(この先、ミヤマに省略)のペアに囲まれ、セイイチローは幸せそうだった。でも夏の恋は長くは続かない。翌日、Tくんから遊びの誘いがあった。セイイチローとしては、T君が1週間後に旅行から戻ってからコクワを渡すつもりだった。それまではコクワと一緒にいたかったと思う。なのに、Tくんから「今日欲しい」そう言われ潔く、コクワとサヨナラをした。「本当にいいの?」「うん、大丈夫。ミヤマがいるから」そう言ってコクワとミヤマを持ってT君と遊びに出掛けた。その日の午後。セイイチローが青い顔をして戻ってきた。「ママ・・あのね、ミヤマがね、木にのぼってT君が手で押して・・」言ってることが支離滅裂だった。要は、二人でミヤマを木に登らせ、捕まえる遊びをしていた。そこで落ちてきたクワガタをT君が捕まえようとした時に木に登っていたセイイチローも足を滑らせ、T君の足を踏みその下にミヤマクワガタが。。。ミヤマはじっとして動かなくなった。触角は少し動くものの、動きが鈍かった。しかし、しばらく時間がたつと次第に動き出し夜には普通に動き回っていたのでセイイチローは安心して眠った。翌日、ミヤマは全く動かなかった。やはり、天に召されてしまいました。セイイチローは泣いた。ポロポロ涙を流し、泣きじゃくる彼を見て旦那がカンカンに怒り、そもそもi-phpneを犠牲にしてまで捕まえたコクワをたやすく人にあげるからだ!と怒った。そして、クワガタやカブトを外に持ち出すのを禁止した。それでもセイイチローはコクワは返してもらわないと言った。一度あげたものだからと。男気だ。可愛そうで、どうにかしてあげたいが簡単に与えてしまえばまた同じことを繰り返すだろう。そして生きものの命のはかなさの現実も知って欲しい。だからここはぐっとこらえ、なだめるしかなかった。そして、命を落としたミヤマは綺麗な姿のままだったので私は旦那に標本を作ってもらうようお願いした。私が作るより、旦那の方が器用だし、彼はとことんやるので自分で標本の作り方を調べ、綺麗に作成してくれた。ミヤマは足のふしが取れることなく、一番美しい形で標本となった。それから数日が過ぎた。Tくんからは外国の旅行のお土産を頂いた。それは夜になると光る白くて綺麗な飾りだった。それは蝶だのクワガタだのいろんな昆虫の形をしていて付属の両面テープで冷蔵庫などに腫れるもの。セイイチローは喜んでそれらの虫の飾りを冷蔵庫に貼って楽しんだ。今年の夏もまだまだ暑い。今朝、カブト虫の幼虫ケースを開けると幼虫達が大きくなっていた。セイイチロウはその幼虫の成長をみて来年の夏を想像しワクワクしていた。去る者追わず。来るもの拒まず。セイイチローは今日も元気にT君と遊びに出かけた。
August 2, 2012
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人生は自分が思うようには行かないものだ。思うように生きたいならば、努力しろと神様はいっているのだろうか。以前、クリスチャンの友人からマザーテレサの名言のプリントを頂いたことがある。良い言葉だったのでトイレに貼り、入る度に名言を眺めた。その名言のひとつに「目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。」こんな言葉がある。セイイチローがカブト虫orクワガタ虫を捕まえたくて毎回キャンプの場所に山奥を選んでいるのだが捕まえたことがない。絶対にいるはずなのに捕まえることができない。ただ、去年はコクワのメスが自ら私にダイブしてきた。しかしそのコクちゃんという名のコクワも翌日炎天下の車のもとに置き去りにされ、ひっそりとこの世を去った。今年こそ、今年こそはと願うが、もうキャンプも4回目。「2度あることは3度ある」とか、「3度目の正直」とかことわざには「3」という数字をよく用いられるが「3」を過ぎると何もないのか?「三つ子の魂百まで」と言うが3の次は100まで待たねばならないのか。わたしは140歳まで生きる自信がない。私たちは昼間ワナを仕掛けた雑木林に行った。夜も更け、辺りはしんと静まり返っている。私たちのキュッツキュッツというサンダルの音だけが闇夜に鳴り響く。セイイチローの心の鐘も高鳴っていた。目的地についた。鳴ったのはゴーンという除夜の鐘だった。虫一匹捕まっちゃいない。バナナのしかけごときに騙されない高等なカブト虫なのか。セイイチロウは獲れなくてがっがり。私達もがっかり。大人は自分が使った労力に対して惜しむ生きもの。それでも、マザーテレサは言う。「目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。」そうよ、諦めてはいけない。任務は墜行しなければ。そう思い、次なるしかけを。ちょうど、コテージの玄関あたりに大きなライトがあった。このあたりに白い布をかければ、虫がよってくるはず。私ってあったまいいわ~と思ったが飛行してきたのは、蛾、つぎに蝉。まるで、HPをみて営業してくるWEB業者のよう。「お引き取り下さい。」言葉が通じるものなら、そう言いたい。しかも、玄関あたりなのでドアをあけると入ってこようとする。これはダメだといい、旦那がi-phpneの懐中電灯アプリを使い内側から外に向かって照らし、外側に白いタオルをかけた。そしてあろうもことか、自分のi-phoneにガムテープをつけて窓に貼った。ガムテープの跡が残るよと言う私の忠告もきかず、「セイイチローの為に俺は犠牲になるよ」といってガムテープを貼っていた。それからトランプゲームをして夜が更けるのを待った。それでも飛んでこないので諦めてセイイチロウは寝た。それから再び、あの槇ぶろに入ろうとしたが、まだ熱い。熱いけど水をどんどん入れていくうちに入れる熱さになった。とっても気持ちが良かった。夜中になると、何度も腰が痛くて目が覚めた。布団代をケチったために、アルミシートを持ってきたが1枚では何の役にもたたず、3枚重ねるとやっとマシになった。来年は布団代はケチらない。私はそう心に誓った。やっと眠りはじめた朝方5時位にセイイチローに起こされた。彼はすぐにしかけたタオルがある窓辺を見に行った。すると、「ママー、いたよ!!」と歓喜の声。見るとツノが二股に分かれた陰が・・セイイチロウが慌てて外に捕まえに行った。珍しい色のコクワのオスだった。それはもう喜んだ。キャーキャーいってるので旦那も目を覚ました。ああ、やった~達成感!!そこでちょっと欲が。。あの仕掛けにも、もしかして、いるかも。私たちはワクワクして雑木林に行った。相変わらず虫1匹すらいなかった。もう、いいよね、もう諦めてもいいよね。私は頭の中のマザーテレサの言葉にふたをした。つづく
August 1, 2012
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河童滝に一匹のカエルがいた。セイイチローがそれを追いかけていた。連れて帰るというので断固として反対した。セイイチローがしぶしぶ、そしてしつこく「カエルさん、欲しかった」とつぶやく中、私たちは素晴らしき秘境・河童滝を後にした。~いきはよいよい、帰りは怖い~そんなフレーズをはねのけながらまたあの川を渡った。私たちがすがすがしい顔で川岸を下りていくので下流から登ってくる親子は少し安心したように見えた。彼らは無事に辿りついただろうか。その間、雨が降ることなく、キャンプ場に戻ることができた。そして。ちょうどチェックインの時間になったので予約していたコテージにやっと入れた。管理の方によると、夏はテントは受け付けてないらしく宿泊はコテージのみ。しかも2棟しかない。どうやら、今日目にしたお客さん達は日帰り客のようだった。小雨がふってるから、このくらいに人数だけど、普段晴れた日は1日に1000人位お客さんが来るらしい。コテージのカギを開けてもらい中に入ると広々して綺麗だった。とても3人じゃもったいないくらい。そして、キッチン用具やお皿やコップまで殆どそろっており包丁以外は持ち込み道具を使わなくてよさそうだった。私の1週間の準備期間の労力はは川の水と共に流れ去った。ガスコンロの2つのうち、ひとつはつかなかったがあとは問題なし。なにせ、ここにはお楽しみの槇風呂がある。荷物をおろし、一度水着に着替え川に行ったが水かさも増してるし流れも早く水も冷たい。とても遊べそうにないし、誰も遊んでいない。しぶしぶコテージに戻り、何もすることないから3人ともお昼寝をした。キャンプにきてまでも昼寝なんて、のび太じゃないんだからと思ったが旅に休息は必要。とりあえず、休むことした。布団代をケチったので床で寝たが昼寝するくらいなら問題なかった。どのくらい時間がたったのだろう。私は静けさの中でふと、目を覚ました。すると雨は止み、少し晴れていた。疲れもとれた気がしてなんか調子良い。玄関のドアを開けると切株で作った椅子と樽でつくったテーブルがある。そこで一服し、また戻り皆を起こした。そして、管理棟へいき、槇風呂の準備をお願いした。槇風呂はその名の通り槇でお湯を沸かす。ガス風呂と違い、一度沸かすと朝まで熱い。火が消えるまでつけっぱなしらしい。そして、板を一枚ひいて入る。火が消えないうちに、風呂の栓を抜くとカラ炊きになるので栓は朝抜いて下さいと注意された。しかし、管理のお兄さんがいくらやっても、湿気のせいで槇になかなか火がつかない。ガスバーナーで付けてやっと付くくらい。だからお湯がなかなか沸かず、これは入れるのかと心配したが旦那が、がんばってくれたおかげでやっと火が付きお湯がわき始めた。その間、セイイチローはまたカエルをみつけ管理のお兄さんの子どもさんと追いかけまわしていた。私がバーベキューの用意をする頃には風呂は熱湯になり、とても入れる状態ではなかった。水を足しても足しても熱い。風呂場は風景を楽しめるようにだろうか、大きなガラス張りの窓はカーテンすらかかっていなかった。林はあるものの、これって向こう側の下の道から見えないのか?私はヌードショウに参加するほどの美しいスタイルを持ち合わせいない為、入浴するか躊躇したが、ガラスは次第に曇って行き、向こう側から見えなくなったので安心して服をぬぎ、お湯だけかかった。熱くて、ふろがまには入れなかったお湯が気持ち良かった。私がお風呂からあがると、お肉の良いにおいがした。うちは肉奉行の旦那がバーベキューの火をつかさどる。いいかんじに焼けてきたので缶ビールで乾杯し、食べた肉は最高だった。安い肉すら美味しく感じる。バーベキューは魔法だな。同じ肉でも炭で焼いた肉はなんて美味しいんだろう。お肉も美味しいがエノキを塩コショウしてアルミで包んだものがものすごく美味しかった。雨も止んだし、最高。明るいうちに飲むビールの美味しいこと。私たちはひとたか、バーべキューを楽しんだ。つづく
July 30, 2012
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もはやカーナビと私たちの信頼関係はゼロだった。ナビは誘導したのは、キャンプ場でなく民家の集落だった。多分、キャンプ場に登録されている番号は管理人の家の番号なのだろう。私たちは唖然とし、舌打ちするようにさらに山を登った。でも一向に辿りつかない。仕方なく、先ほどの民家にもどり、庭先で作業していたおばあさんにキャンプ場の場所を聞いた。聞いたけど「そこの道を右に行って数百メータ先を右」と言われても目印が分からず、やっぱり辿りつけなかった。そしてウロウロすること30分。ようやくキャンプ場を見つけた。しかし唖然とした。キャンプ場の駐車場へ行くのに川にかかる橋を渡るのだがこの橋と川までの距離が近く、もしハンドル切り損ねたらアウト。数日前の大雨の影響で川の水も増し、勢いもある。私は降りてビビりながら車を誘導。なんとか着いた。管理人のおじさんはとても親切でおしゃべりな方だった。セイイチローは早速おじさんに昆虫のことを訪ね、たくさんクワガタやカブトムシが獲れると聞いて大喜びしていた。ふと見ると、私が、先月デザイン制作に関わった「asolulu」という情報誌が置いてあった。おお、ここにもあったか。それくらいの感動だった。デザイナーも15年もすれば、最初の時のような感動は薄れる。まあ、全部自分でデザインしたのではなくチームでやったからだろうか。でも、どっちにしろ、あまり良い傾向ではないなと思った。しばらくすると小雨が降ってきた。管理人のおじさんが、快くレストランのコテージを貸してくれたのでそこで持参したお弁当を食べた。福岡の猛暑を忘れるくらいの自然の涼しさは、不器用に握られた私のおにぎりですら美味しく感じさせてくれた。雨はさらに激しく降ってきた。晴れ男のセイイチローや、彼の力作のてるてる坊主の効果ももはやここまでなのか。山の天気は変わりやすいからしばらく雨宿りして様子をうかがった。その間の時間を使って昆虫採集のしかけを作った。ストッキングネットとバナナと昆虫蜜。そのしかけを3人で車の中で作った。そして、雨が止みかけたのでコナラの雑木林にしかけてきた。セイイチローはワクワクしていた。彼はキャンプがどうであれ、クワガタやカブトさえ取れれば100点なのだろう。それでもチェックインまで時間があるので周辺を散策することにした。どうやら川の上流に「河童滝」という名所があるらしい。それを見ずに帰るのはもったいないので勢いのある川を横目に細い道を登って行った。道は途中で川と合流していた。でも浅いのでビーチサンダルでジャブジャブ登って行った。途中で「出会いの滝」という名所があった。滝と滝が合流していた。通常の姿「落差は2m程?「滝」というほどの物ではないです」とあるブロガーの方はそう書かれていた。しかし私たちが目にした姿はこれどれだけ数日前の大雨が影響したかよくわかる。呑みこまれそうだ。また、途中で県名を小石で飾った岩の階段があった。石川県、三重県。。どうやら全国ありそうだった。意味は分からないが面白いので写真に収めたかったが、先を急ぐ旦那に怒られそうだったので我慢した。しかし、河童滝の画像をとりたくて持ってきたi-phoneが邪魔で仕方ない。しかも貴重品まで入れた小さな手提げまでもってきていたので、もし川に落としてしまえばうちの財産とともに流れてしまうだろう。そんな危険を冒してまでも見る勝ちのある滝なのか。私は迷いながら、川の上流をどんどん登って行った。途中途中で、旦那は何度も私を振り返り、手を差し伸べてきた。ああ、10年たっても愛されているのねと思いきや彼が放った言葉は「なんでバック持ってきた?危ない、気になってしょうがないやろう」どうやら、気になったのは私ではなくi-phoneという名の近代的電子機器と財布のようだった。やっとの思いで上流についた。途中、何度も雷がゴロゴロ鳴った。いつ雨が降ってきてもおかしくないその状況はまさしくギャンブル。おまけに、最終目的の河童滝まできたというのに橋がかかってない。管理人に後で聞いた話だが数日前の大雨で橋は流されていたらしい。川はところどころ深かった。旦那はどうにかして渡ろうとしていた。セイイチローも行く気マンマンだった。私だけが怖がって、というより私はどうにかなるけどセイイチローが流されたら怖いので渡るのを反対した。そんなに行きたいなら、「一人で行ってきて。」旦那はためらいもなく、一人川をジャブジャブ渡り緑の木々の中へ消えていった。まるで三途の川だな。。そう思った。しかし、ここで勇気を出さなければ一生後悔する気がした。このシチュエーションはまるで私の人生ではないか。これまで勇気がなくいくつのチャンスを逃してきただろう。セイイチローはすごく行きたがっている。どうにか方法を考えたがやはりこの川を渡るしかないようだ。旦那が戻ってきた。「もの凄かった!!」この一言で私の脳裏にロッキーのテーマが流れてきた。行け、行くべきだ。セイイチロウの手を引き、旦那に渡した。しかし、あっさりとセイイチロウは渡っていった。あれ?今までの悩みは何?そう思うほど川はあっさりと渡れた。緑の木々を渡るとそこは天国そのものだった。通常はもっと穏やかな滝らしいが私たちが目にした滝はすごい勢いで流れ落ちマイナスイオン(死語?)に溢れていた。河童滝・通常の姿私たちがみた河童滝雷が鳴り響く空の下、私たちはしばらく見とれていた。つづく
July 29, 2012
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子どもが生まれてキャンプに行き始めて今年で4回目になる。思えば、今までのキャンプは、いろいろありすぎた。【五島家初めてのキャンプ】←長文平気な方は覗いて下さい。【3回目のキャンプ】←長文平気な方は覗いて下さい。今年は何事もないよう、5月あたりから策を練り、キャンプ場をあたりやっと念願の熊本県南阿蘇の「遊水峡」をおさえることができた。ここは天然のウォータースライダーが有名で、なにせクワガタ、カブトムシがたくさん獲れるらしく、ずっと前から行きたかったキャンプ場。遊水峡ここのウォータースライダーで楽しく遊ぶために姉からのお土産・アメリカ育ちのレインボー水着とおさらばし、水着を新調した。その水着を着用するために半年前からダイエットしている。この件に関してはあまり効果なし。仕事が暇だったのも手伝って、1週間前から徐々に段ボールに必要なものを準備していった。たった1日、別の場所で生活するだけでこれほど荷物が必要なのかと疑うほど持ち物を減らしても減らしても減らない気がした。なんてったって軟弱キャンパー。私たちは車すら持たない。だから今回もレンタカー。巷でよく書かれているキャンプブログに掲載されているような素敵なキャンプ道具は持ち合わせていない。実家から持ち出したはんごうだけはある。でも30年たって気付いたが、はんごうは良く見ると、幼き同級生の名前が彫ってあった。車はレンタカー、テントはコテージ、バーベキュー道具もレンタル。あとは家庭のやつを持ち込む。紙皿紙コップはゴミになるから頂き物のプラスチックのコップだとか食器代わりにタッパなどを用意する。野菜は実家から送られてくる。肉などは安い時に買って冷凍しておいた。毎回準備が大変なので準備リストを来年用にとっておく。今年はご丁寧にエクセルでリストを作ったが結局手書きで足していったため、これも無駄な作業だった。今年は今までで一番コテージ代にお金がかかったので、他を節約するために布団を借りずにこちらからアルミシートや薄いマットを用意した。これも何の役にも立たなかった。ごつごつして痛かった。水着、衣服、キッチン道具、懐中電灯から虫よけ・・書けばこの日記に二度と目を通さなくなるであろうほど長くなりそうなのでこの辺にしておく。とにかく荷物が多かった。でも今年はぬかりはないと自信に満ちていた。去年もそう思ったが肝心のセイイチローのパンツを忘れていた。ここまで準備したのに・・連日の大雨で日ごとに天気予報は変更を遂げていった。最初は曇りのに晴れのマークだったのに前日にはオール雨マークになった。ニュースでは筑後地方八女などが水であふれている映像を目にしていたし通り道の日田もその影響で通行止めかもしれない。ネットで調べたら、この地方は無事だった。その先やまわりはやられていた。以前いったことのある上津江などはやられていた。念のためキャンプ場にしつこく確認。無事だった。だが前日になると止みそうになかったので日にちを変更できるかレンタカーとキャンプ場に連絡したがどちらとも繋がらず、仕方ないから行くことにした。そこで五島家の唯一の晴れ男であるセイイチローに望みを託し、彼にテルテル坊主を作って頂いた。彼は3つ作った。パパとママ、せいちゃん、彼はそう言った。テルテル坊主は優しい顔をしていたがその中はティッシュではなく、雑巾にしようとしていたはぎれだった。そのテルテル坊主をベランダに下げて朝を待った。テルテル坊主はぶら下げられくるくると回りながら通行人を癒し私たちに希望を与えてくれた。夜中に確認したが天気予報は一向に雨マークだった。ところが朝起きてみると晴れていた。効いた!せいちゃんのテルテル坊主が効いた!そう喜びながら出発。行く先々で晴れていく。だから会話もはずむ。晴れたので調子よく南阿蘇に入った。カーナビはよく嘘をつくので私たちはナビを信用していない。ナビをつけつつ、地図はかならず持っている。今回もナビは何度も私たちを山道に誘導したりしようとしたがすべて無視したので気を悪くしたのだろう。さすがに山深くなってくると地図に載っていない。看板をたよりに探したがキャンプ場が分からない。しかたなくカーナビに頼った。ナビは快く案内してくれた。民家に。どうやら登録された電話番号は管理人の家らしかった。つづく。
July 28, 2012
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人は見るものによって気持が変化する。それは例えばどんなにその事柄に興味がなかったとしてもある事柄や場面を見てしまうと気持は常に変化するものなのだ。そしてそれによって今まで知らなかったことに興味がもたれその人の人生を変えてしまうことも人生に広がりをもたらすこともある。私は常にそう感じている。たとえば、1年前の朝、韓流ドラマを一瞬目にした時にそれまで「朝から韓流なんて私は見ない」とつらぬいていた私の信念は一瞬にして打ち砕かれた。朝の韓流ドラマは、いまや私の生活の一部となり、見ないときは気持ちが悪い。納期で徹夜になろうと韓流ドラマは見ずにおられず、そのドラマをみたいがために是が否とも仕事を終わらせようとする行動によって仕事は完結する。他にも、朝一で入る打ち合わせをずらそうとしたり、ずらせなかった時は舌打ちをする。旦那のお弁当づくりも遅れがちだったが韓流ドラマのおかげでドラマが始まる前には作り終えている。それくらい、私の人生の中で朝の始まり方が変わった。そしてそれを横目に馬鹿にしていた旦那ですら彼の興味をそそるドラマシリーズを目にした時から彼もまた釘付けとなり、出勤前の10分足らずしか見れないため夕食時に「あれどうなった?」と聞くのが彼の習慣となっているようである。我が家の夕食時はその話題から始まる。だが今のドラマがたまたま彼の関心をひくものだっただけでつぎのドラマシリーズがそうなるとは限らない。そうやって人は興味がないと思えば無視もできるが、そこから何も広がらない。興味をもてば世界が広がる。そんなこと、わざわざ書かなくてもだれでも知っていることだ。昨日動物園に家族で出かけた。久しぶりに行くとゾウ園が新しくなっていて綺麗になっていた。大きくて可愛いぞうさんは例えそこが臭くてもそれが気にならないほど人の関心をひく。気持はファンタジー。そしてそこを後にし、次へ進むと次に足を長く止めたのはトラとライオンだった。私達はしばらくそこを動かなかった。というのもトラは勇ましく美しかった。完ぺきなるトラ柄のデザインにまるで大阪のおばちゃんのように心を奪われ立ち振る舞いのカッコよさは子どもでなくても魅入ってしまう。そしてそれをわかっているかのようにトラは「俺ってかっこいいだろう」といわんばかりに観客の前をウロウロ、目の前に来てくれる。それは観客の前を分け隔てなく動き回ってくれるのだ。ライオンにしてもメスはボールで遊んでいて、まるでネコのようにしぐさがかわいくオスは神秘を感じさせるいでたち。美しい。歩くだけで心をひきつける。ライオンが動くたび、観客の心は躍るのだ。あまりそこで時間をつぶしてはいけないので私達は次へ進んだ。その人気スポットから少し離れたとこにシカが集団で同じ場所に首をつっこんでいた。おそらく餌を食べていたのだろうがその姿をみて旦那はこう言った。「バーゲン?」私は吹き出した。私たちは動物園にくるとお互いに発する言葉にウケをねらったりする時があるのだがその言葉は不意打ちでズルイと思った。シカが集団で何かをとりあっている姿はバーゲンそのものだった。しばらくするとカモやコウノトリが出てきた。彼らは群がることもなく皆自由だった。水遊びするもの、寝ているもの。かわいらしい姿は観ているものをほのぼのとさせた。「自由だね」と旦那は言った。それから色々見回ったが、カンガルーの方へ向かった。私は嫌な予感がした。確かセイイチローが赤ちゃんの頃、友達と来た時目の前で交尾されたからだ。それはもう盛んで2匹のオスがメスを追っかけまわしていた光景だった。ああ、セイイチローも8歳になった。目の前でそれやられると交尾だと騒ぎたてるだろう。親としてはどう説明したら良いものかと。ところがカンガルーの檻の前にくると先ほどの不安を消し去るかのように衝撃的なシーンを目にした。交尾どころではなかった。カンガルーはでろんと横になり、ぼけーっとして糞を出しながら寝ていた。その表情ときたら忘れられない。まるで、家事のやる気をうしなった昼下がりのおばちゃんのようにもしくは職を失い公園や地下鉄で寝ている方々のように。そのような姿のカンガルーは1匹だけでなく、大人カンガルーは皆そうだった。子どもカンガルー達だけが懸命に餌を食べていた。テレビの画面で見られるような子カンガルーを可愛くポケットにいれて元気にピョンピョンと飛び回るような姿はどこにも見られなかった。私達があまりにも笑うのでどうやら一匹のカンガルーがこっちを向き始めた。でも上半身だけ。下半身は寝そべったままである。私は動物研究者でないのでカンガルー達が何故そのような行動をとっているのか説明することは出来ない。しかし、あんまりにも仕事を放棄しているので可笑しくしばらくその場を立ち去らずにはおられなかった。私達がずっと見ているせいか、カンガルーは少し動いてる様子を見せ始めたがやっぱり上半身だけこっちを向いていた。体制はそのままだった。私は場所が悪いと思った。なんとなく通り過ぎてしまうこの場所でカンガルーはトラやライオンのように人から感動されたり絶賛されることもなく通りすぎられてしまうのだろう。それとも、気候的にたまたま今日だけなのだろうか、それは分からない。とにかく仕事をしておらず、怠けているように見えた。反面教師だなって思った。私も韓流ドラマをみてる時このようにデロンと横たわっていることがある。朝イチからテキパキ家事や仕事をこなさなければならないのだろうけどついつい「モチベーションが」と言っては、韓流ドラマを観るいいわけを探している日々。私はカンガルーを見ながらこれからの我が人生を心配した。それからそこを後にして、他を見回った。求愛のため羽を美しく広げたクジャクは美しかった。ガチョウをみると生命保険は今の会社でよいのかと考えた。帰るとぐったり疲れていて子どものように早く寝てしまった。夜中、目を覚ますとまだ隣の部屋の電気がついていたので起きると旦那が一人でワインを飲んでいたので私も飲み始めた。そして話題は動物園の話となり撮ってきた写メを見て、あらためてあのカンガルーを思い出して吹き出していた。あのぼけーっとした姿が目に脳に焼きついて離れない。もう、動物園の話題はあのカンガルー一色だった。そこで私はハッとした。一番仕事をしていたのはライオンでもトラでも美しいクジャクでもない。あのぼけーっとしたカンガルー達だったことに夜中になって気がついた。こんなにも人の心にいつまでも宿り、楽しませてくれていたなんて。そうこじつけながら、私はまた、韓流ドラマを見るいいわけをみつけたのかもしれない。きっと明日からも平日の朝8時から1時間、私は家事も仕事もせんと私達が観てきたカンガルーのようにデロンとなってしまうのだろう。しかし、それも悪くないなって思った。
May 27, 2012
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最近はさっぱりブログの更新をしなくなったせいか、気付いたらアサリのことばかり書いているので、今年は書かないでおこうと誓ったが先日あった友人からアサリのことを書いて欲しいと言われ、書く気になった。今年も、合計6回ほど出かけた。しかし、明らかに今までと異変が。それは、貝が小さく無数にあること。まるで石ころなみに落ちている。掘ればざくざく、小粒の貝の山。おかしい。以前はほってもそう簡単にはいなく、いたら一箇所に固まってザクザク大きめの当たりもといった感じだったのに。それが楽しかったのに。手探りで砂に縦にささる大きめの貝を探すのが楽しかった。四センチ以上の貝を見つけると心が踊った。貝の群れを見つけるとまるで宝くじに当たったような嬉しさだった。(貧乏の感覚)なのにいまはその当たりを探させないように小粒が沢山いて、守られている感じがする。貝があり過ぎて、大きめの貝に当たらない。旦那曰くアサリが危機を感じ、子孫を残すために繁殖してるのではないかと。そう、どこで聞きつけたのか最近やたらと潮干狩りされている。潮干狩りするのはいいけど、なかには小粒の赤ちゃん貝をとっていく人達がいる。赤ちゃん貝はそっと戻してほしい。私は3センチくらいの貝を目安に狙っている。それより小さいのはなるべく取らないようにしている。とれていたら、戻す。だから、私のバケツを覗いた方々は貝が大きいですねと驚く。いや、けして大きくない。これは小さい方ですと説明するがポカンとされる。貝が大きいのではなく、小さい貝を取らないようにしてるだけだと。以前はもっと大きめの貝が取れた。今年は砂を掘ると、ザコが大量。「ほら、どこほってもいないわよ、私たちは小さいわよ、あんたの狙ってる年頃のお姉様は渡さないわよ」もしくは「親分は渡さん」とヤクザの下っ端に言われてる感覚に陥る。私も初心者でわからない時は小さい貝もとっていた。貝に取り憑かれ、乱獲した日々も。今は落ち着いて、家族に必要な分だけとるようにしている。なかには冷凍ように大量にとっていく人もいるが、冷凍はあまり勧めない。先日冷凍した貝は3週間後にお吸い物にしたら開かなかった。どうやら貝柱がくっついて半開き状態になるようだ。うちのめされた。これからその場所で潮干狩りをする人達に伝えたい。小さい貝は海に戻して。必要な分だけとって。じゃないと、貝がいなくなるかいずれ、貝とり禁止か有料化されてしまうのではと日々おびえている。まるで、過去に自分が犯した罪を忘れた元プレイボーイのお父さんが狼のような男どもから娘を守るかのようにそんな感覚に近い。だけども、私も人間。そんな可愛いあさり達を守りたいと思いつつ、何も知らずに海水をはき、身体を伸ばしている彼らをみて、「今日はなんにしようかなムード」と思う偽善者の私をアサリ様、お許し下さい。
May 8, 2012
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前期のPTA新聞コチラから約八ヶ月後、後期のPTA新聞が出来た。今度は同じ広報委員の副委員長Kさんと数ヶ月にわたり企画し彼女の素晴らしい手書きイラストと私のデザインとのコラボレーションが出来上がった。ここの小学校は読書に力を入れているのでコンセプトは「児童文学」。洋書の絵本のようなそんなイメージで仕上げた。 サイズ 1面B4判(見開きB3)小学校の春、夏、秋、冬をテーマとしている。表紙は春。冒険のはじまり、子ども達の無限の夢や希望を表現中面2-3Pは夏。「先生達のお宝発見」 先生達の宝探し。先生方の顔とイラストを組み合わせ、ジャングルの中で宝を探している。先生一人ひとりに好きな言葉と感動した本や映画の名前を話してもらっているので読み手(子どもとその保護者)は、普段知らない先生達の一面を発見できる。また、校長先生やPTA会長のご挨拶は宝の地図に織り込んでいる。 中面4-5Pは秋。「子どもたちは木の実」 果物やパンが成る不思議な大きな木に子ども達を木の実に例え、運動会の様子を伝える。子ども達の成長はすくすくと育つ大きな木となり希望の実を咲かせるという願いを込めたもの。また、同時に音楽発表会の写真も掲載。このページはKさんによる切絵を採用。シルエットではなく、生の切絵で現物はすごいものだった。だが、あまりにも多い写真の下で質感があまりわからないのが残念である。また、当初は音楽発表会は映画のフィルムに見立てていたが、写真が小さくなるからと学校側の要望により今の形となった。ここは残念である。 中面6-7Pは冬。「クリスマス」 PTAとボランティア活動のページ冒険は冬を迎える。リースにみたてた背景の装飾の中にはなぜかザリガニがいたりパンに食らいつくサンタもいる。このザリガニはKさんの台湾土産。パンは私が以前焼いたもの。綺麗な装飾の中にふっと笑えたり、子どもたちが何かをみつけたりできるようにした。ここはPTA活動の話とボランティアの中でも注目していただきたい活動を大きくもってきている。そして一息つけるようクロスワードパズルを入れた。 背表紙 春 「空からみた小学校」 学校を影で支える地域ボランティアの方のページ。ボランティアで小学校を陰ながら支えている方々をピックアップ。私自身も、素晴らしいボランティア活動をなさっている方々がいたことをこれをきっかけにはじめて知った。発案から8カ月、長い時間をかけ、企画、デザイン、制作。仕事の合間をぬいながらゆっくり時間をかけて作成した。広報委員としての活動だから当然無償。それでもKさんは忙しい仕事の合間をぬって何十枚ものイラストを提案、そして文章を作成、データのやりとりをしてくれた。この方は人間的にも素晴らしい方で広報委員を通して彼女に出会えたことが活動によって得られたなによりの宝だったと思う。また、小さな子供を抱えながら写真撮影・取材してくれたお母さん方、忙しいなか、校正をがんばってくれたお母さん方皆の力や支えにより無事に納品できた。そして感謝したのは、こんなPTA新聞らしくないものを受け入れてくれた学校側。新しいことに関心がおありの教頭先生の厳しい指導のもと何度も足を運び、提案してきたわけだが納品の日、歓喜の声をあげた教頭先生をみて嬉しかった。小学校の役員活動ほど面倒なものはない。私もそう思っていたひとりで、6年間で一度ならなければならないものでどうせやるなら仕事に近いものでやりやすそうな広報委員を選んだのだがまさか、自分が作ってしまうとは。まわりは大変でしょうと気の毒がっていたが、そこまで苦に感じなかった。面倒くさいと思ったことでも見方を変えると楽しくなるものだと改めて実感、そしていろんな出会いが与えられ感謝の日々だった。Kさんのお子さんは昨日卒業されたので私とKさんの広報委員の共演はもう二度とないがまた何かの縁で一緒にコラボ出来る日を楽しみにしている。そして私自身も、広報委員は終わったので今年は空いた時間を有効に何か新しいことに挑戦したいと思う。
March 17, 2012
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今年の春にもとキャンディーズのスーちゃんが亡くなったニュースを見ていたら自分で発見できる乳がんの触診のやり方があっていた。なにげに自分でその通りやってみたら左胸の下あたりに何かがあることに気付いた。気のせいだ、何かの間違いだと自分に言い聞かせたがお風呂のとき試してもやはりソイツはあった。決定的な判断は翌朝目が覚めた時触れてみた瞬間だった。あきらかに違和感があった。指先に残るその触感は胸の触感と違い、明らかに「コリっ」としていた。自分のなかで確定したのですぐに診断できる医療機関を探したがどこも2週間先だの紹介状がないなら別途5000円だの高額でしかも、遅いところで一ヶ月先しか検査できないという。こっちは焦ってしょうがないというのに。いろいろ探してみてひとつだけ、大きな病院で翌週の頭には診断できるところがあった。少し高額だが、命にかかわること。すぐに申し込んだ。私は当日まで不安な時間を過ごした。年齢も年齢だし、ガン家系だからあり得ない話ではない。しかしいろんなことを想像して涙する日を1日だけ過ごしたら翌日から考えることに飽きたのか考えても仕方ないと思ったのかなるようになると思い、考えないようになった。検査の日が来た。最初、マンモグラフィで乳を挟まれた。それはそれは想像を絶する痛さだった。悲鳴を上げるのをこらえながら私は重大なことを思い出した。ワキの処理が甘かった。脳裏にはそればかりがよぎった。しこり→心配→悪性だったら、でもその前にワキが。。ワキが。。どうも、脳の思考回路までいかれてしまったらしい。それは激痛だからなのか、もともとおかしいのか。何が大事なのか、人と思考がずれているようだ。しかしおかげでその痛みにこらえることができた。次なる試練はエコー検査だった。ヌルヌルとしたゼリーを胸とワキに塗られマイクのようなものでなでるように調べられる。モニターを見ながら真剣に調べる検査技師の手前ワキがくずぐったいので吹き出しそうだ。私は検査技師にそれを見破られまいと心境を隠すのに必死だった。それが終わったと思うと、医師からレントゲンや画面に映った物体が大きいので調べる必要があると言われ、針を刺す検査も勧められた。了承はしたものの、内心ドキドキだった。「ガツン」左胸に一瞬の痛みが走った。これはこらえられる範囲だった。検査は10日後の金曜日に分かります。と言われたカレンダーを見ると13日の金曜日だった。「ジェイソン・・不吉な・・」私はそう呟きそうになった。そして10日後、医師から結果は良性だろうと判断された。それから半年後の定期検診の日が来た。しかし残念なことに、そのしこりが育ち、3センチを超える位成長し切除する手術を勧められた。旦那をはじめ、親や話した友人や知人は皆心配そうに「手術がんばって」といった。私はその意味が手術台に上がるまでわからなかった。局部麻酔だし、痛みはないだろうし私は何もしないから何をがんばればいいというのか。良性だし、心配ないはずだがいや、私も逆の立場だったら同じことを言うのだろうか。しかし、1時間ほどの日帰り手術だしなあ、皆大げさな。。と思っていた。当日、病院に着くと、熱をはじめ、血圧だの酸素値だのいろんな検査をされたあと手術室に向かった。「37.1分、少し微熱ですね」と看護士は言ったが普段が35度台なので実は微熱ではないと思ったが具合は悪くなかったので黙っていた。大きなシルバーの自動ドアを抜けるとテレビや映画で見るような薄緑の世界だった。個室で着替えた後、手術室に入った。思ったより手術室は小さかった。そして横になった手術台も小さめだった。ここでも全身に心電図の装置をつけられ、両手足を軽く縛られた。なんだか不安になってきた。看護士さんに思わず「すみません、これは暴れまわるほど痛い手術なのですか?」と聞いてしまった。看護士さんらは笑いながら「大丈夫ですよ、手術台が小さいから落ちないようにしてるだけですよ」と言った。そして目の前にタオルかけみたいな白布の目隠しを置かれた。ほっとした。なぜなら見上げた天井のお花のようなたくさんのライトに自分の姿が映るからだ。担当の医師は若く、面白い先生。「Gさん大丈夫ですか?」とニヤニヤして聞いてた。「心の準備をしてて下さいね」と言って立ち去ったあと何が起きるのか怖くなってきた。医師が二人、看護士が3、4人のなか手術は始まった。姿は目隠しで見えないが声ははっきりと聞こえるので想像力は倍に広がる。麻酔はしているもののなんか感覚がある。おまけになんか焦げ臭い。え?焦げ臭い?目隠し布の向こう側に煙がたっていた。レーザーで焼いて処理するのせいなのか?目をつぶれば恐怖は倍になってやってくる。そう、これは歯医者の感覚に似ている。麻酔を打ってはいるものの、神経があるとこを切られたら怖いという恐怖だ。現になんだか、痛くなってきた。キリキリとした感じ。しかし私の恐怖とは無関係に白い布の向こう側では和やかに手術が進んでいる。時には笑い声さえ聞こえてくる。「ああ、おれ、指がやけどしそうだよ、水用意しといて」だとか研修の医師にやり方を見せてる感じだとかどうやら医師にとっては「簡単な手術」扱いなのだろう。しかし、しかしである。映画やドラマの世界の手術は患者は眠らされている。もしくは意識がない。盲腸の手術の時は全身麻酔だったから恐怖はなくとも呼吸困難で目が覚めた。だけども、今回、私は意識がある。意識がありながら胸の辺りを切り刻まれグイグイ引っ張られているのだ。「先生、ちょっと痛いです」私はとうとうそういった。先生は麻酔を1本追加した。あまりにも恐怖なので何か他のことを考えることにした。しかも上半身だけの手術と聞いていたのに心電図を付けるため下半身も看護士に見られたので恥ずかしかった。しまった、もっときれいな下着つけときゃ良かったとか次回手術することがあれば新しい下着を準備するべきだとかどうでもよいことを考えることでこの恐怖感から逃れようとしていた。それでもなんだかギリギリしてきた。え、もしかして痛いの、これ痛みかなそう思ったがぐっと我慢した。そしてグイグイ、ポンっと何か音がなった気がした。いや、実際音は立ってないが体のなかでそんな感覚が走った。それと同時に先生が「Gさん、取れましたよ~」と明るい声が聞こえてきた。「はい、音がしたのでそんな感じがしました」と私が答えると手術室は医師やら看護士達のワっと明るい笑い声が響いた。「ええ?音がした~」そんな感じでなんだか楽しそうに見えた。術後、何か質問ある?と聞かれ入浴やら食事やらのことを聞いたが本当は「タバコはいつから」と聞きたかった。大きな声で言うのが恥ずかしかったので看護士にそっと先生に聞いてくださいと伝えると先生は大きな声で「Gさん、タバコは病院出てからすぐにすえるよ~」と言った。他の看護士から「タバコやめてなかったんですね」と言われた。先生に以前聞いて局部麻酔だから大丈夫と聞いていたので禁煙していなかったが全身麻酔をする人は合併症をおこす確率が高くなるので手術をするとわかった時点で禁煙した方がいらしい。よかった。局部麻酔が効いて。先生がこれでしたと切除した腫瘍を見せてくれた。「うわっ」思わず大きな声が出た。手術では一度も悲鳴を上げないのを私の美徳としていたがそれを目にしたとき、心にたまっていたものが一気に流れ出たように感じた。目にしたものはまるで牛の角切りステーキの脂のようだった。3センチちょっとある四角い立方体だった。しかも固そう。「こんなに大きかったんですか?ろいうことは、これを取ったので50g位痩せますかね?」ととぼけて見せる私に「いや、痩せんよ。軽いけん」医師は笑いながらそう言った。先生の言うとおり、準備を含め1時間で手術は終わった。そして入院することもなく、休むこともなくそのまま歩いて帰れた。しかし、夜になりなんだか違和感を感じた。見ると左胸が腫れていた。赤ちゃんの断乳中のときのパンパンに腫れあがるあの痛みに似ていた。心配になり病院に電話するとさっきの医師が出て説明された。「野球ボールのように腫れてきたり、出血していたらまずいですがその状態ですと大丈夫でしょうがご心配ならハンカチで10分位押さえてみてください。」そう言われた。翌日になると腫れはひいていった。安心しているのもつかの間、翌々日に鏡をみて初めて気付いた。左胸の下が内出血で真紫になっていた。さすがにビビったが痛くはなかった。その翌日には左胸の上が黄色、下が紫だった。それをみて征一朗は「美味しそう」と言った。どうやら彼の小さな脳では「黄色いおっぱい」→カレー、「紫のおっぱい」→ブルーベリージャムを連想したらしい。翌日、検診のため病院へ行った。医師に胸を見せると「あら!内出血しましたね」と驚いていた。しかし問題はないらしく、1か月もすればこの色は消えるという。腫瘍の検査結果はまだ先のようだが、体はピンピンとしているので多分大丈夫だろうと思う。局部麻酔の手術は怖い。ガンバレは精神的な戦いをガンバレと意味していたいたのか。意味がやっとわかったと旦那に言うと「そうやろう、だからみんなガンバレっていうんだよ」とそう言って笑った。
November 30, 2011
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先日書いた日記のクワガタのコクちゃんを亡くし、悲しみにくれたセイイチローの話を聞いた広報委員仲間のKさんがお知り合いの方からカブト虫の蛹を譲ってくれるようお願いしてくれたらしく、我が家に新しい命がやってきた。一週間後あたりに羽化しますという話。場所を移すと死んでしまう可能性があるらしくその方も躊躇されていたみたいだが、セイイチローの姿を見たせいか気前よく、わけてくれた。コンテナの中にはたくさんのカブト虫の蛹がいた。皆、蛹室という自分の部屋の中に入っていた。その中から、その方は蛹をがさっと土ごと掴んでそのまま虫籠に入れていた。私の少ない知識の中では、蛹室を壊していけないという常識があった。一応「蛹室にいれなくて大丈夫ですか」とおずおず聞いてみたが「大丈夫です」と言われた。たくさん育てていらっしゃったのでプロだと信じ、新常識だなと思って安心して持って帰ってきた。一応、傷つけてはいけないのでそのまま何もせず、そっとしておいた。セイイチローは大喜びで羽化するのを楽しみにしていた。そして名前をつけた。その名は「かぶとくん」そのまんまや。。。。もっと他の名前はないんかい。歴代のうちのカブト虫やクワガタの名前。3匹いたコクワ 「ごくう、ごはん、ごてん」←ドラゴンボールより参照。買ったヘラクレス「ヘラクレス様」←生活に見合わない値段より採用。先日死んだ国産クワガタ「こくちゃん」←国産だからところが、話と違い、頂いたその日に土から足が見えた。え?羽化が始まってる?しかし、足だけ見るとゴキブリに見える。もし、頂いてきたのが私でなければ、そのままゴキジェットをかけたかもしれない。私達は、興奮してお礼と状況報告を兼ねてKさんに電話した。Kさんも一緒に喜んでくれた。明日には成虫が出てくる!初めての羽化。人生初めてみるカブト虫の羽化。私もセイイチロウも期待で胸を膨らませて眠りについた。翌朝、早く目が覚めたので籠の中をのぞくと身体の半分が出てきている。学校へ行く時は寝坊ぎみのセイイチロウも珍しく6時に起きてきてその様子をみて大喜び。しかし、ずっともがいていてなかなか出てこないので土をずらしながら、とうとう、かぶと虫を出してみた。カブト虫は羽化していたが、様子がおかしかった。羽の部分が足にからまり、背中がむき出しになっていた。これは固まる前に羽は閉じるのだろうか。私はずっと観察していた。飽きずにずっと、ずっと監察していた。その間、他の虫たちを世話していたセイイチローがあることに気付いた。「ママ、カブト虫農園からもらったかぶと虫、死んでる」みると、そのカブト虫は固まっていた。ピクリともしなかった。不意な出来事だった。老いていくものは去り、新しい命が生まれる。まるで、人生を物語っているようだ。「私は、年老いてしまったから、若い命を大事にしなされ。」そういってるようだ。涙ぐむセイイチローに私は「きっと、お部屋を譲ってくれたのよ」「なんで?」「お部屋が狭くなるから、広く使わせてくれるようにしてくれたのよ、死んだかぶと虫にありがとうって言おうね」と前回の「コクちゃん事件」の二番煎じのごとく、そう言ってきかせた。セイイチローは涙を目に溜め、「ありがとう」って言った。そして「これ、標本にしてね」と亡くなられたカブト虫を棚のとこに置いた。そして、私達は新しいカブト虫の子孫を残すため、雑木林の公園に♀を探しに行った。当然のごとく、♀どころか、カブトのカの字も見当たらなかった。ところが、帰ってきて棚のあたりの様子が変。何かが変わっている。セイイチローが言った。「ママ、死んだカブト虫の向きが変わってる」「そんなはず、ないでしょう」近づくと確かに動いている。ええええ??さっき死んでだはず。カブトは息を吹き返していた。足なんかぐるぐる回している。さっき、セイイチローを私が説得した言葉や自分自身悟った人生観は何だったのだろう。でも、「新しいかぶと虫に会いたかったのね」ということにした。セイイチローは再び喜んでいた。危なかった、すぐに標本にしていたら熱湯に入れた後、針で一突きするとこどだった。自らの手でカブト虫を殺めるところだった。羽化した「カブトくん」はまだうす皮がとれてなく、お尻に大きな袋をぶらさげていた。もしかして、身体が切れているのかも。。。不安になった私はネットでカブト虫の羽化の様子を検索。すると、一般のカブト虫は出てきたばかりは白い羽を閉じ、じっとしていると書いてある。しかし、このカブト君はひたすらもがいていて落ち着かない模様。そして羽もうっすら色づいている。嫌な予感がした。聞き覚えのあるフレーズが脳裏をよぎった。「羽化不全」これが、噂の羽化不全なのか。だとすると、私はなんてひどいことをしてしまったのか。やはり、人工蛹室にいれるべきだった。Kさんにも、譲ってくれた方にも申し訳なかった。でも何よりも今、目の前にいるもがき苦しむこの虫に大変ひどい事をしてしまった。「無知は罪」「無知は犯罪」これらの言葉が私を責めた。でも調べてみると、事実「羽化不全」だった。セイイチローが訪ねた。「なんて書いてあると?」「うかふぜん」「うかふぜんってなあに?」「羽が閉じれず羽化すること、弱って死ぬこともあるらしい」セイイチローの顔が止まった。でも、羽化不全の虫でも生きるらしいよと説明したが腑に落ちない様子だった。そして、その現実を知ったと同時に先ほど息を吹き返したかぶと虫も動かなくなった。諦めの悪い私はどうにか出来るかもと思い、いまさらながら人工蛹室を作りそこに入れた。夕方蛹室を覗くと「カブトくん」はもがいていた。苦しそうだったから出してあげると、あのお尻にひきずっていたものがとれてスッキリしていた。もしかして治るかも。私は麺棒を取りだし、カブト虫の足に絡んだ薄羽をとってあげようとした。しかし、羽は固まりつつあり無理そうだった。「何もせんがいいよ」横で見ていた旦那はそう言ったがいったん自分が麺棒を持ってしまうと私に放った言葉を忘れ、ひたすら羽をどけようとしていた。数日後、「かぶとくん」は他界した。「かぶとくん」は私達に教えてくれたのだろう。「蛹室を壊したらダメだよ。蛹室の中でないとちゃんと生まれないよ」身をもって教えてくれたのだ。人間のいや、私の自己中プラス思考は「かぶとくん」にとって迷惑なものだったと思うがこの失敗がきっと役に立つ日がくるだろう。昨年、義兄がくれたヘラクレスの幼虫がもうすぐ羽化するからきっとそのときにこの経験は役に立つだろう。「羽化不全」は知識不足により生じた不幸。完全羽化が当たり前って思っていたが人間のエゴによりっせっかく育った命を粗末にしてしまった。しかし、それを見たいと思っても私は故意的には出来ない。そんな残酷実験は出来ない。セイイチローにとって苦い夏休みの貴重な経験となっただろう。この失敗が今後の成功に繋がるよう、心に刻んで大人になってほしい。私自身も、貴重な苦い経験となり蛹を下さった方やKさんに感謝している。「虫も人間もずさんに扱えば、その分自分に跳ね返ってくる」私がしんみりとそんな人生観に酔っている時「うかふぜん♪うかふぜん♪」セイイチローの軽快で無邪気な歌声が聞こえてきた。
July 29, 2011
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小学校で避けられないのがPTA役員。クラスに学級委員2人、専門委員2人、合計5人の役員が選出される。そのほかに地域委員など。一度なったらそれ以降の学年は免除されやすい。私なりの確立の計算をすると6年間、免れるのはクラスで5人位。さらに兄弟児のクラスでなったりする方をはぶいていくと、免れる確率がさらに低くなる。しかも、「仕事は理由にならない」と言われる。どこかでかならずならなければいけない。私のように気が弱く、もろい人間は6年間「役員免れサバイバル対会」を勝ち抜いていく自信がない。どうせなるなら得意分野かな。。以前、印刷会社に派遣で一ヶ月勤務したことがあるがどこの学校の広報紙も堅い。印刷会社の上司から言われるままにデザインしていた経験がある。教育関係のPTA新聞は堅くて当たり前と思っていたから、学校側と戦ったり、上司に訴える情熱もなくなにも変えたりはしてなかったという記憶が蘇る。うちの息子の学校のPTA新聞もモノクロでお堅い印象。そこで、一度くらいは広報紙を面白く読みやすいものにしてみたいという願望がよぎったのは今年のはじめだった。しかしながら、その時は広報委員に自らなるにはちと難しいということを知らなかった。皆が嫌がる役だから簡単になれるって思ってた。システムとしてはまずクラスの中から委員長、福委員長、専門委員の2人、選考委員と5人選ばれる。自薦、他薦は問わない。立候補がなければクジで決まる。専門委員からさらに三つの役が決まる。そのひとつが広報委員である。ラッキーなことに、2年の新しいクラスでは学級委員、福学級委員は誰かが立候補していた。のこりは3人。しかも選考委員になるのは避けたかった。専門委員に手をあげた。何も知らず、「私、広報委員になりたいんですと暴露。」しかしながら、それは後の学年の話し合いで決まりますと言われた。専門委員に私を含め3人手をあげた。え?なりたい人は3人いたんだ。意外と皆積極的だなと思った。どうやら専門委員の中で保険委員というのがあり、わりと楽らしく人気が高い。じゃあ、じゃんけんで決めて下さいと言われた。一番に勝った。圧勝だった。もう一人決まった。私以外の二人は知り合いらしかったから譲ろうかしたけど「どうせ、バラバラの役になりますから気にしないでいいですよ」と言われたので譲らないことにした。それから学年で広報委員、保険委員と成人教育委員と決めなければならなかった。広報委員は人気がないと聞いていたのでなる自信があった。しかし広報委員に手をあげたのは3人。枠も3人。ギリギリセーフ。こうして広報委員になることが出来た。そして次なる難関は6学年のうち、さらに学級委員長、福学級委員、書記と3役を決めなければならなかった。広報誌は変えたいけど、面倒事は嫌だった。広報委員の18人の中から3人が選ばれる。私は普段からクジ運がないので自信があった。見事にハズれ、平社員の座を勝ち取ることが出来た。そうやって手に入れた広報委員の座。どうせ、レイアウト決めるまでが仕事。それにこんなに沢山いるだし、口出だけすればいいと簡単に思ってた。ところが、1回目の定例会でデザイナーということが分かった時点でデータ入稿すればその分料金が安くなるからカラーに出来る!という理由から私がデザインすることになった。まあ、自分でやっちゃった方が早いか。。。そう思って好きなように作らせてもらった。表紙はは1年生をテーマに貼り絵にした。貼り絵は自ら、フェルトや紙をアナログにはさみで切って貼った。旦那からフォトショップでで貼り絵風に加工できるのに何故わざわざアナログ式なんだと笑われた。小学生らしくちょっと下手感を出したかった。私のもろ、不器用さが出た。でもそれが狙いだった。美しく作りたいなら他の器用な方に頼む。でも、目やらまつ毛は切りながら後悔した。折り紙はすべて広報委員の一部の親子で折ってもらった。皆、素晴らしい腕前だった。お子さん方も可愛く折ってくれていた。そしてその中にセイイチローのヘラクレスや旦那のカマキリやくわがたの作品もまぎれている。折り紙にしたわけは立体感はもちろんだがみんなで頑張った感を入れたかった。私は不器用な上に性格的にしつこいので納得する朝顔になるまで折り続けた。そのせいか皆が他の作品を次々と折っていく中、一人私は朝顔しか折れてなかった。堅くなりがちな校長先生やPTA会長の挨拶をどこかに入れなければならなかったので、この地域の象徴である地下鉄に入れ込みイラストに顔だけださせて手ふらせた。ふざけているかなと思ったが意外とここがPTA運営委員会から人気があった。今回は「親子で楽しめるPTA新聞」とういうのがテーマコンセプトだったのでそれを象徴するように次ページの先生紹介のページははすごろく形式にした。子供も一緒に先生の顔と名前を覚えられるようにしたかった。学校側は以外にも理解があり、このにぎやかな新聞はデザイン面で誰にも反対されず、スムーズに発行までに至った。ただ、入稿時に何故か急にネットが繋がらなくなり、データー入稿するのに困ってしまったことを除けば。発行後、嬉しいメールがきた。広報委員のお母さんの一人からだった。「すごろく、大盛り上がりです。さいころが見当たらないからと、娘は画用紙を切って手作りし、年中の弟と12回戦まで戦ってました。すてきな広報紙をありがとうございます。」と言われた。嬉しかったのでお礼のメールをすると今度は「今日お友達が遊びに来た時も、すごろくしたんですよ。自分が作ったさいころでは、なぜか6の目ばかり出るのでサイコロキャラメルを買って準備する力の入れようです。娘がしみじみと、『知らない先生の名前が覚えられるから、ずっと大事にしよう』と言うのを聞いて、大成功だなと思いましたよ。」と返ってきた。確かに私が作ったすごろくはゴール間際でスタートに戻されるというえげつないコマがありそれが子供の心に火をつけたのだろうか。(6年生のお子さんに付き合わされ、そのコマに2回もひっかかった広報委員の大人Kさんも存在しているが)私的にはすごろくは1回やったら飽きるだろうと思っていたが意外とハマった方の話を聞く。予想以上に良い展開になれたことがとてもうれしかった。私自信、何かを企画してそれを成し遂げたことが人生の中で少ない。少ないというか、年をとるごとに流されっぱなしで、流れてきたものをうけるという感じ。自分から動ける人間になりたかった。だから今年は今までちょっぴり違うなと少しだけ、思うのであった。
July 27, 2011
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翌日目が覚めると、身体がだるかった。セイイチロウと5時に起きて虫取りにいく予定だった。去年、近くの公園でかぶとむしがとれたからそこにいくつもりだった。時計は6時半だった。-終わったな-諦めてまた寝ようとしたころセイイチロウが起きてきた。セイイチロウいわく、カブト虫やクワガタは朝6時には土に戻るらしい。なのでこの時間ではもう遅いのだ。急いで支度をして車を取りにいった。泊めていたパーキングでお金を払おうと駐車番号を入力するといくら入力しても入らない。おかしい、駐車番号を見に行くとあきらかに車の下にあるはずのバーがない。どうやら共同の月極めのとこに止めていたようだ。やばい。どうしようと思ったが神様、すみませんとつぶやき、そのまま駐車場を出た。目的の公園に着くとカブトムシはいなかった。去年はここにカブトの死骸が散らばっていて中には頭だけで動くのもいた。そして何故か松の木にぶらさがっていて合計二日で3匹捕まえた。だから今年もいると思ってきたがまったく見当たらない。あれは幻だったのか。そのとき、私の脳裏にめぐってきたものは「カブト虫農園」だった。たしか、車でしかいけない西の方にそういうショップがあった。普段は車を持ってないのでいけず諦めていたが今日はまだあと2時間乗れる。調べてみると運がよいことにその農園は8;00から開いている。車を返すのは9:00行くのに30分かかる。延長覚悟で私達は西に向かった。かぶとむし農園は糸島という地域にあった。ここは海に囲まれた半島で静かな田舎。見渡す限り、海と山と畑。ここにあるのか。今回はナビを頼った。しかし、やはりとんでもないとこに連れてこられたのでとうとう電話した。おばあさんが出た。まだ家にいるのですぐに出てきますと言われた。私達がその農園に着くと5分後におばあさんは到着した。虫がいるらしき小屋に入ると桑の木がたくさん植えられていて通常はここにカブトムシやクワガタを飛ばして、子供たちが捕まえるという演出らしいが今年は、虫が小さいので飛ばしてないそうだ。おばあさんは衣装ケースを出してきてここから好きなのものを選ばんねと言われた。見るとうじゃうじゃいた。セイイチロウは大喜びだった。その中でノコギリクワガタとヒラタクワガタを選んだ。おばあさんはしきりに、今年までなんですといった。どうやらおじいさんが71になるのでもう続けれないと言っていた。わたしは非常に残念に思い、来年また来ようと思うので続けて下さいと言った。おばあさんは他のお母さん方皆からそう言われるけどもう大変だから続けれないといった。後継者はいないのですか?と尋ねると息子はおるけど養鶏場を継いだから出来ないからねと言った。ああ、残念。大変さは良く分かる。成虫に育て上げるのにどれだけ大変なのかもわかる。おばあさんは、残念そうに話しを続けた。「おじいさんが養鶏場からこの仕事に変えて30年になるのよ。腐葉土作るのも大変だし育てるのも大変。」そうですか、大変だったですね。話を聞きながら残念に思った。いくらですかと聞くとつがいで1000円だけどオスオスでもいいと言う。しかし、選んだクワガタは大きいの1匹1000円らしく合計1500円払った。ま、いいや、今年最後だし。二度とこれないしと思い、1500円払った。セイイチロウは大喜びで何度もありがとうっておばあさんに言った。セイイチロウを気に言ってくれたのかおばあさんは坊っちゃん、これもあげるよとカブト虫をサービスしてくれた。セイイチロウは歓喜の声をあげた。それが良かったのか分からないけどおばあさんはこう言った。「来年はクワガタなら続けてるかもしれません」え?今年で終わりなのでは?「クワガタの飼育なら息子が出来るかもしれません」クワガタとカブトの飼育にそれほど差はあるのだろうか、カブトの飼育はそんなに難しいのか数々の疑問が湧いた。やられたな。。。そう思ったが、いかんいかん、悪く考えては。もしかしたらセイイチロウの言動で来年続けてくれる気になったのかも。でもさっき、息子はつがないとはっきり言ったような・・私の中のプラスとマイナスが嵐のように吹き荒れたがとにもかくにもいいおばあさんだった。このおばあさんのおかげでセイイチロウはすっかり元気になりキャーキャー騒いで帰った。レンタカーの延長代もかかるし高いクワガタ代になったもんだと思ったがまあ、こんなに喜んでくれるならいいかと思った。帰りはすごく早く感じた。地元に戻ると9:10だった。レンタカーに10時に延ばしてもらっていたので念の為の電話すると九時半までに戻ってもらえれば延長代はいりませんと言われた。ってことは1200円も浮く。ありがたや、ありがたや。それからセイイチロウはずっとクワガタと遊んでいる。彼の友達が持ってきたクワガタとそっくりでどっちか分からなくなりそうだったのでセイイチロウのクワガタの背中にに赤のビニールテープを貼った。ああ、はずさなきゃなと思いながらずっと忘れっぱなしで、いまだクワガタの背中に赤いテープがついたままである。
July 21, 2011
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以前、バナナボードと言われるものにのったのは2年前が初めてでその時は会社行事で来ていたため水着になりたくないからTシャツと短パンで乗った。絶対落ちたくなかったので取っ手を必死に掴んで翌日からしばらく筋肉痛だった。でも、そのときは丸い4人乗りのものだった。今回のボードは縦に5人乗り。そこに私達は二人だけ乗っていた。お兄さんが近くに戻ってきた。そして「すみません、エンジンの調子が悪くて。でもどうにかします」そういって後ろのボックスをあけて手動で動かしていた。演出ではなかった。ちょっと恐怖で顔がひきつってきた。「こんなとき津波きたらどうします?」友人が言った。「そのときは岸にいてもどっちみちダメでしょう」「それもそうですね」もはや怖さを通り越し、だんだんギャグに感じてきた。どうしていつもこうなんだろう。私はあり得ないシーンに出会う事が多い。友人を巻き込んで申し訳ないと思った。どうにかエンジンが繋がり、やっと岸に戻れた。戻ったとき、お兄さんに「演出かと思いました」っていうと「何のための演出ですか」と苦笑いされた。こんなに精神的にやられたというのに二度目の試練がきた。ビスケットは3人のりで2人より3人の方がバランスがいい。セイイチロウの脇をふたりで囲んだ方が安全だということで私もまた乗る事になった。しかし、これは深ぶかと座るのでさっきより大丈夫だろうと思った。それがらえらいことだった。さっきとスピードが違う。断然早い。征一朗は真ん中に座り左右に私達が囲んでいたけども順番が変わりそうな勢いで引っ張られていく。右に左に上下に揺れる。しかも、今度のお兄さん、こっちむいたまま余裕で運転している。かなり、早いというのに。しかも、旦那の依頼でさらに早くなっていく。何度もセイイチロウは手を離した。それが怖くて、落ちないよう必死だった。あとで聞けば、これでも手加減してる方らしく手加減してるときはこっちをむいて運転するらしいとのこと。本気モードのときはちゃんと正面を向いて運転するそうだ。おそるべし。怖かったけど、楽しかった。でも岸に戻ると朦朧としていた。セイチロウは本当に楽しかった~と今回のキャンプ&海を満喫していた。しかし、次の瞬間、彼は心の暗闇に落とされてしまった。帰りの車に戻るとコクちゃんが死んでいた。ピクリともしなかった。セイイチロウはしくしく泣き出した。帰りの車の中、セイイチロウはひとり暗かった。かわいそうだから、新しい虫を買ってあげようと思い家路につき、荷物を置いて、ショップを回った。それで心の隙間を埋めようとしたが残念なことにお店は閉まっていた。そして旦那は「ヘラクレスの幼虫がいてもうすぐ生まれるのにクワガタまで世話しきらんやろう、もう買わないよ」とダメ出ししていた。私もプラス思考に考えさせてあげようと「コクちゃんは車の中に虫を置き去りにしてはいけない、暑さで死んでしまうよ」とコクチャンが教えてくれたのよとなだめた。するとセイイチロウはそれが気に入ったようで「こくちゃんが教えてくれた、ありがとうこくちゃん」としきりに言った。だが、それで調子にのった私がつい「そうよ、ヘラクレスの幼虫がヤキモチ焼いたのよ、きっとクワガタが邪魔だったのねだからコクチャンは遠慮して死んでくれたんよ」と言った。セイイチロウは黙っていたが私がひとり、レンタカーを駐車場に戻して家に帰ってくると玄関先の階段で彼のすすり泣きが聞こえた。また、旦那に怒られたのかなと思ってセイイチローにどうしたのって聞くと声にならないほどしゃくりあげ何か言ってる。旦那に聞いたら、どうやら私が原因らしかった。「コクチャンは邪魔なんかじゃない、コクチャンは教えてくれたのに」どうやらそう言ってる。私がさっき邪魔といったのでそれが引っ掛かってあとからじわじわきて大泣きしているようだ。セイイチロウはわーっとないて終わりのタイプでなく後から思いだし、しくしく泣くタイプ。いったん忘れてもあとで泣く。そして私がお風呂からあがると部屋からすすり泣きが聞こえてきた「こくちゃん、ありがとう、ありがとね、虫は車においてきたら暑さで死ぬって教えてくれて本当にありがとう。ごめんねこくちゃん」彼は暗闇の中、ひとり、この言葉を繰り返しすすり泣いていた。ごめんね、ママ達が悪いかったね、海の家に一緒に連れていけばよかったねというと「ううん、悪くないよ」とつぶらな瞳に涙をためて私を見つめる。親としていたたまれなかった。すすり泣きの中、私はセイイチローをだきしめて速効眠ってしまった。
July 21, 2011
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セイイチローはクワガタの♀をコクチャンとなずけた。友人のご主人が何故、その名前なのかと尋ねると「国産だから」と答えていた。セイイチローはコクちゃんをとても可愛がっていた。どんなときも離れなかった。セイイチローが友人の子のケンちゃんとクワガタのコクちゃんと遊んでる間、私達は後片付けや朝食の用意をした。私が記念写真を撮ってると、コクチャンがぶつかってきた炊事場の写真やコクチャンと自分が並んでるとこを撮ってとせがんできた。明るい日差しの中で私はあることに気付いた。蟻の大群がバラしたハエを運んでいる。どうやら1匹1匹役目があるようで中には透明のハネを高く掲げて運ぶ蟻がいた。まるで、時代劇の戦国武将が長いのぼり旗をかかげて戦をしているかのように見えた。そして蟻たちはまさしく、私が寝ていた斜め上でそれらを繰り返している。私、ここで寝てたんだ・・。私が寝てるすぐ傍で蟻たちは獲物を運んでいた。私は運ばれなくて良かった。もう、この部屋に虫がいるのは平気だった。この部屋はログハウスで見た目は綺麗だが、あっちこっち虫がいた。蝶々もずっと窓のとこにいて逃げないし身体をヘコヘコしてる虫はいるし、とにかく虫だらけだった。もう、すべてどうでもよくなった。帰りは友人が佐賀県の唐津の海の家のバーベキュー券を頂いてきていたので山口から高速をとばし、唐津まで行った。運転は途中から交代した。私は飴を買ったり栄養ドリンクを買ったりと必要以上に眠気対策をしたが、万全を期して大丈夫だった。友人のご主人にスピードを合わせてもらい、なんとか唐津にたどり着くことができた。真っ青な空、白い雲。少しにごった海。海辺にはカラフルな水着のお姉さん、カラフルな刺青のお兄さんお姉さんがたくさんいた。キャンプ場とうって変わりこっちは別世界だった。セイイチローはこの時、友人の車に乗っていたがこのときもコクチャンを連れていた。コクチャンを海の家に連れて行こうとすると、旦那からとめられ車の中へおいていくよう言われていた。ちょっとだけ嫌な予感がした。美味しいバーベキューを食べたあと、このチケットにはバナナボードかビスケットという海面をひっぱりまわされる乗り物券がついているとういう。チケットは5枚。友人と旦那とセイイチローと私。ご主人は乗らないそうなので子守役。ということは誰かが2回乗れる。乗らないともったいない。旦那に進めると、俺は1回でいいといい断られた。バナナボードには私と友人だけだった。金髪で日焼けしたお兄さんが運転し、水上バイクでにバナナボードを引っ張っていく。友人は怖い怖いと黄色い悲鳴を上げる中、私は初めてのバナナボード、怖いけどイルカに乗った気持ちでいた(乗ったことはないけど)途中、若いお兄さん、お姉さんが水上バイクで傍を通り、思いっきり水をかけていった。「あれは演出ですか~」と友人の悲鳴と叫び声が聞こえた。途中、何度もお兄さんが振り返ってスピードを落としたりあげたりなんか様子がおかしかった。私達はもう、泳いでは戻れない位置にきていた。遠く、遠くに海岸が見える。海岸の人々は蟻に見えるほど遠い。チャプンチャプンと波が私達をなでるようだ。お兄さんが「ちょっと待って下さいね」と言ってロープはついてるものの少し遠くに行ってしまった。友人が泣きそうに「え、ニブさんどういうこと?」と動揺している。「あ、あれ演出よ、きっと油断させておいていきなり引っ張るんでしょう」「いや、マジですか。嘘でしょう。怖い怖い。」友人はビビって半泣き。私はギャグにするしかなかった。「このまま、しかの島(福岡の島)まで漂流されるのかな」そう呟いた。チャプンチャプン。波が小さく揺れる。私達二人と白いバナナボードはこの広い海にポツンと浮かんでいた。
July 21, 2011
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野生の猿を見たのは初めてだった。確かに先ほど動物注意の黄色の看板はあったが本当に出てくるとは思わなかった。猿は何事もなかったように普通にわたっていく。ここが高速だということを知ってか知らないのか普通にわたっていく。もし、対向車がいたらどうなっていただろう。夜だったら、雨がふっていたらそんな人の不安も気にせず、猿はちょと近道てきに渡っていく。猿の世界では常識なのかもしれない。でも、ここは高速だ。テメーラ!引き殺されたいのか!私はヤクザを一人雇いたくなった。でも非常時に動じないその非常識の猿に自分を見た気がした。だが、現実、その親子が過ぎたあとはもの珍しさでなんだかワクワクしていた。怖いけどワクワクみたいな。次は何が出てくるだろう、鹿?クマ?いのしし?私達の期待は膨らむ一方だった。念の為、友人に電話してこのあたりは猿が出るから注意してと言ったが友人たちは出会わなかったそうだ。途中何度も長いトンネルをくぐった。子供のころ、姉たちと車の中でトンネルで息を止める遊びをとしていたがここでやったら各実に死ぬだろうなと言うくらいに長かった。高速を降りると期待通り、ナビは嘘を教えてきた。毎回、ナビの通りに走るととんでもない山道などを行かされることが多かったため、地図は持参していた。ナビは「高速おりて右です」と言ってきたが私達は無視して左へ行った。ナビは途中であきらめたようで静かになった。そのまま左へ進んでいくと目的の交差点についた。そのすぐ先に道の駅「ピュアラインにしきの」があったのでそこで昼食をとった。ここの牛スジがとにかく美味しかった。優柔不断の私が一目ぼれでこれに決めた。直感どおり、感動する美味しさだった。昼食を終え、キャンプ場についた。結局3時間はかかった。キャンプ場では何度も電話でやりとりをしていた面白いオーナーと初対面だった。予想通りのおじさんだった、すごく親切で安心できた。私たちはなんちゃってキャンパーなので他の家族のようにテント持参やバーベキューセットも何も持ってないので椅子、テーブルセットとバーベキューセットをレンタルした。それにしても、なかなか友人家族がこない。やっと1時間後くらいに到着。私の忠告を聞かずナビに騙され高速降りて右折し、さんざん怖い山道をいかされたらしい。美しい山間を流れる清流で泳ぐ人々の姿がみえた。はじめ、旦那達も泳いでいたが皆がそろったので渓谷で釣りをすることにした。つりざおを借りた。差し出された餌は「生きたくり虫」だった。去年のマス釣りはイクラだったから良かったけど動いているくり虫をつりざおの先に付けることが出来ず旦那に託した。くり虫は針にさされ、動かなくなった。どのくらい時間がたっただろう。いっこうに釣れない。はじめは男性陣が釣っていたが交代し友人の赤ちゃんを旦那さんに託し、私と友人はどんどん先へ行った。途中釣れそうなところがあったので友人は竿をおろした。それから数秒後にすぐにかかった。天然のハヤ?ヤマメ?良く分からないが釣ったのは良いがバケツも何も用意してなかったので私はあわてて口から針を抜いこうとしたが魚が暴れて一向に針が抜けない。さっきの生きたくり虫を怖がる私はもうどこにも存在していなかった。とにかく針を抜くのに必死だった。私は友人に、偉そうに石で池をつくるよう指示した。友人は快く、急いで器用に浅瀬に石で囲んで見事なため池を作った。「出来た!」嬉しそうに友人が叫んだ。私はやっとの思いで魚の口から針を抜き、にぎりしめた魚を池に放った。魚はぐったりと死んでいた。私の手から魚の血がしたたり落ちていた。「・・・ごめん」魚はぐったりと横になりぷかぷか浮いていた。友人は大笑いで「意味ないし」と叫んだ。この友人は実は10年前に勤めてた会社の後輩で10歳下だが、仲良くしてくれる。彼女の旦那様は5歳上。私の旦那様は5歳下。共に中間地点の同年齢の旦那をもつ。友人は4歳の男の子と1歳の女の子がいる。赤ちゃんを連れてくると大変だろうからこのキャンプに一緒にいくのに迷ったが友人がそれでもぜひとも行きたいと言ったので連れてきたけど実際大変ではなかった。誰かが常に抱っこしているものの何とかなるものだ。魚はそれ以降一切釣れなかった。途中、旦那や友人の家族がここまでたどり着いたが誰がつっても一向につれなかった。川が澄んでいるので魚が泳いでいるのが見えた。よくみると、めちゃくちゃいる。そのポイントにつりざおを下しても一向に連れない。餌がそばにあっても喰いつかずスル―される。途方にくれ、せめてさっきの死んだ魚を持って帰ろうと後から旦那達に持ってきてもらったバケツに魚をうつそうとした瞬間魚はシャンとして泳いで逃げて行った。え?死んだふりだったの?私達は騙されていたのか。魚は何事もなかったように勢いよく泳いで逃げていった。「ごめん、逃がした。申し訳ない」うちの旦那から批難ゴウゴウの中、私は友人夫婦にゴメンナサイって言った。その後、釣りは諦め、近くの温泉に行って疲れた体を癒した。とても気持ちが良かった。夜はバーベキューをした。友人が買ってっきた牛肉は最高に美味しかった。槇を燃やしハンゴウでご飯を炊き、炭をおこして肉や野菜を焼いた。本来ならばさっき逃がした魚もいたはずなのに。さんざん飲んで食べて、花火を楽しんだあと、子供たちを友人のご主人が寝かしつけてくれて大人だけで二次会をすることに。しかしながらご主人も寝てしまい私と旦那と友人だけで二回目の「焼肉」が始まった。暗くてよく見えないなか、懐中電灯で確認しながら暗闇で肉を焼いた。私達はレアが好きだけど友人はレアは食べれないのでこんがり焼かねばならない。しかしながらこれがけっこう難しい。明るいならば見た目で確認の使用があるものの。それからあっというまに時間が過ぎ、お開きとなった。私と旦那はかなり飲んでいた。それから私と友人は炊事場にいき、洗いものをしていた。その時だった。何かが私の方へダイブしてきて勢いあまりそのまま、流しへ直下した。クワガタのメスだった。これはセイイチローが喜ぶだろう。友人のご主人と夕方にゼリーを木にしかけてたみたいだが、桑の木とかでない普通の何か分からない木にしかけていたのでクワガタやカブトの補かくは、おそらく明日も期待できない。私は喜んでむしかごに入れた。それを持ち帰り、自分たちの部屋のテーブルの上に置いた。明日、どんなにセイイチローは喜ぶだろう。私達は寝袋とかもってないので床に直に寝なければいけなかった。タオルケットは持ってきていたが友人宅には赤ちゃんがいるので全てかしてあげていた。なめていた。寒かった。床が痛かった。夜中、何者かが入ってきた。セイイチローだった。どうやらとなりのお部屋で寝ていたようだが私と旦那の傍に入ってきた。寒いというのでバックからかけれる衣服をすべてかけた。そしてまたひと眠りしようとしたとき何か気配を感じた。何かがいる。目をつぶっているのに人の気配を感じた。そっと目を開けると入口に人が立っている。「すみません、車のカギ、ここにあったんでさっきはいって取りました。」友人だった。かなりぎょっとした。そっか、さっき車のカギ預かって持って帰ってきてしまったんだ。私って最悪だ。。いろいろと。寒くて、身体が痛くて良く眠れなった。明日、運転しなければならないと思うとよけい緊張する。ああ、あした車の中でドカッと眠気がきたらどうしよう。そんな不安をよそに、旦那はぐうぐう横で寝ていた。よく、こんな寒い中、ここで気持ち良く眠れるものだと思った。数時間後、やっと寝着いたころ、セイイチロウの呼び声で目が覚めた。朝方5時くらいだった。入口に泣きそうなセイイチローが立っていた。何かにおう。「ごめんなさい」彼は半泣きだった。良く見ると下半身がウ○チまみれだった。「間に合わなかったの、ごめんなさい」どうやらお腹がいたくなり、外のトイレに行こうとして間に合わず出てしまったらしい。足じゅう、靴までやられている。一瞬放心状態になったが、すぐに気をとりもどしウエットティッシュで丁寧に拭いてあげた。ここで大事なことに気付いた。あんなに衣服を用意したのにセイイチローのパンツが一枚もない。パンツ、忘れた。仕方ないのでセイイチローにノーパンで過ごしてもらうことに。そして眠い目をこすりながら、汚れた衣服を洗いに行った。トイレで洗ったが証拠隠滅で着た時よりも美しく手洗い場をホースで完璧に流して綺麗にしてそこを立ち去った。そして、目が覚めてしまったセイイチローにクワガタの♀を与え私はもう一眠りすることにした。
July 21, 2011
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毎年恒例の我が家のキャンプ。もともとセイイチローがカブト虫やクワガタ虫を捕まえたくて山や渓谷を狙っていくのだが、いまのとこ一度も獲れない。あきらかに、いそうなのに、捕まえることが出来てない。一昨年は熊本へ、昨年は大分へ行った。苦い思い出はあるもののそれぞれ良い思いでだった。今年の目的地は山口県の「須川家族村オートキャンプ場」美しい渓谷の傍にあるキャンプ場だった。今年は友人家族も一緒だった。福岡を出発し、現地で落ち合おうという計画。B型のくせにこういうことにマメなのか毎年、何を用意したのか、いくらかかったのか細かく記録していたので準備はスムーズにいった。セイイチローの着がえも多めに用意し、お酒やキャンプ道具など紙にメモし、ひとつづつ消していった。性格は大雑把なのに、こういうことには細かい方なのかもしれない。シチュエーションを想像してひとつづつ用意していく。たとえば、段ボールの底が抜けたらガムテープが要るとか水着が乾かないだろうから洗濯バサミとか帰りにどの荷物か分かるように書くようにマジックとかそんなどうでもいいことまで想像するため、いつも荷物は必要以上に多い。当日がきた。でも、前日から悩まされてることがある。車の運転だ。車を持ってる時は4区ですら、らくらく運転していたがここ10年あたり、車は手放し、通常は使わない。必要な時にレンタカーを借りるので1年に1回運転するかしないかのペーパードライバー状態。もし、高速で眠たくなったらどうしようとか運転中に道路に吸い込まれそうになって気を失ったらどうしようとかビクビクしてしまう。うまく眠れなかったら明日高速で寝てしまうという不安があり私の緊張は、何故か前日の夜の睡眠から始まる。荷物を積み込み、出発。運転は旦那がした。途中で交代するかもしれないので最初のドライブインで刺激系の飴を買った。福岡から山口まで大した距離でないですよ、1時間くらいですよと友人はそういって電話口で笑っていたが地図上で見るとどうも長い。距離はかなりあるように感じた。ここは福岡の西の方だが門司にたどりつくまでかなり時間を要した気がする。関門海峡の大橋が見えてきた。素晴らしい絶景。みとれていたためカメラを出すのを忘れていた。山口県に入った。何の感動もなかった。ここに入る前は旦那が「福岡より南に下っても旅って感動しない。東の方や中国地方より先にいったら旅って感じがする」としきりに主張していたためお互い無言になった。素敵なシチュエーションは関門海峡の周りだけだった。周りみても山だらけ。何も変わらない。気をとりなおして進んでいくとそれまであった車は姿を消し、いつのまにか私達の車だけになっていた。不気味なくらい、誰もいなかった。空は青かった。青空ににすっと伸びる飛行機雲が見えた。白くて大きなパラボナアンテナが見えた。まるで宇宙ステーションのようにみえた。この静寂な空間を私達の車は走った。その時だった。何かがゆっくり横切っていく。旦那が急にブレーキを踏んだ。親子の野生の猿3匹だった。
July 20, 2011
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昨日、子供の学習参観だった。涼しい風が教室をかけめぐっていて、去年の暑い汗ダラダラの参観と違い過ごしやすい時間だった。授業がひととおり終わったので廊下に出て教室の中のセイイチローを見ていたら知らない女性が目の前に現れた。「あの、私、○○です」聞き覚えのない名前に一瞬困惑したがすかさず「こんにちは」とあたりなさわりない言葉を返した。幼稚園のころから、よくそうやって声をかけられる。向こうは子供を通してこちらを知ってるのだが、私が相手を知らないことが多い。すると、この前は息子がお邪魔しました的な事を言ったのでああ、あなたはもしかしてと思い「カタツムリもらってくれた○○さん!ですね」と私は言った。そう、今から一ヶ月前あたりに、セイイチローがでかいカタツムリを拾ってきた。私がアサリ以外の軟体系は受け付けないことを知っているセイイチローが気をきかして玄関に友人を呼んでそのでかいカタツムリをその男の子にあげたのだ。私はナメクジ以外にもカタツムリもダメ。あの、ツノと艶やかな身体がダメである。画像はさることながら絵本や教材などにに親切にもリアルに描かれたカタツムリもダメだ。こと軟体系に関しては想像力がより働きかける。「もらってくれてありがとうございます、助かりました。私、軟体系、本当にダメなもので・・」というとそのお母さんは「私もダメですよ。だから餌あげたら、サッと蓋かぶせますよ」って言った。え?一瞬耳を疑った。そのお母さんは私に言った。「まだ、生きてます」あ、あれから一ヶ月以上たつのにまだ生きていたか!しかも餌をあげて飼っていたとは。ご自身も軟体系ダメと言ったけど子供の為に餌を上げ続けていたのか。私はその方に深ぶかと頭を下げた。「すみません。。」いや、迷惑な話だっただろう。私が見たくないためにカタツムリを拒否し征一朗から泣くなくその子に渡り、そしてその母親が育てていたのだ。そして私は恐る恐る聞いた。「すみません、ちなみに餌とは何をあげるのですか」「きゅうりやにんじんです」以外に普通だな。でも想像したらおかしかった。その方は、子供のために毎日、カタツムリのかごをあけてはきゅうりを与えすかさず蓋をしめていたのか。その勇気と努力と愛情に一票。授業が終わった。私は懇談会に出席するか迷っていた。いったん、お手洗いに行き、教室に戻ろうとした時窓から涼しげな風の向こうにその方とお子さんとセイイチロウの3人が校門のところにいるのが見えた。ほほえましい姿だった。私はそのまま教室に戻り、懇談会に出席した。一ヶ月前の電話口ではわりと冷たい印象に思えたが今は、自分の気持ちを犠牲にしても子への愛情たっぷりな素敵な母親に見えた。でも、私には真似できない。せいぜい、人間の掌サイズの大きなヘラクレスの幼虫を素手で持ち上げ世話することでしか虫やセイイチロウに愛情を示せれない。そう思いながら、今日も玄関で死んでいた団子虫を外に向かって投げ捨てる私であった。
July 8, 2011
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前回の日記にも書いた我が家の家電友引き。とどまることを知らず、次々と現れる不幸。前回の日記で、最後に命のともしびを燃やしたオーブンレンジは遅く帰ってきた旦那のグラタンを焼いた仕事を終え、ひっそりとこの世を去った。私達はその現実を受け止めたくなく、何度もコンセントを抜いたり入れたりしたが戻ってこなかった。エアコンに引き続きこのような家電の負のスパイラルに巻き込まれ私は悲しみにくれていた。そしてその時間さえ、与えるのが惜しいのか運命は次の不幸を準備していた。翌日、ネットショップでどのオーブンを購入するか悩みこれだ!とキーボートボタンを押そうとした時に小学校から連絡があった。セイイチローくん、肩が痛いといって青くなって保健室にいます。喘息ではないと思いますが心配ですと担任の先生から連絡がありすぐに迎えにいった。保健室へ着くと泣き喚いたあとのセイイチローが青くなって横になっていた。保健室の先生たちが小児科へ連絡してくれていたが、あいにく昼休みでどこも開いてなかった。仕方なく、予約だけいれて一度帰宅した。しばらく横になってたセイイチローはだんだんと良くなってお腹がすいたと言いだした。突然のことだったので何も用意してなかったから仕方なく、味噌ラーメンを二人で食べた。こんな病人にラーメンはないだろうと思ったがラーメンを食べたあと、今までの状態が嘘のようにすっかり元気になった。その後、小児科へ行ったが、原因不明のまま、様子をみましょうということになった。その後、なんともなく「キツネにつままれる」感じだった。もっとも家の場合キツネでなく「貧乏神に包まれる」といった感じだが。そのごたごたでオーブンレンジ問題はいったん、闇に葬られた。その夜、旦那が帰宅した。その1件を話す前に「会社がヤバイ、失業しそうだ」といった。ふと気が付いたら貧乏神が増えていた。おそらく、双子だったのだろう。うす笑いさえ、聞こえてくる。うちのめされ、オーブンレンジは諦めた。それどころか、辞めるなら次のところを探すか私がフリーデザイナーをやめ、共働きをしなくてはいけないのか。おまけに暑く、眠れない夜を過ごした。とりわけ、職安で旦那の職業を探したらいくつかあったので少しだけテンションも上がった。だが、オーブンは旦那が落ち着いてからにしようと思った。ママはしばらくパン焼けないからねとセイイチローに言うと悲しそうだった。安いレンジならいくらでもあるけどそう何度も買い換えるべきものでないし、買うならちゃんとしたオーブンレンジが欲しかった。だからしばらく買わないって決めた。幸い、夏だからあまり温めなくていいしご飯は食べる分だけ炊けばよいし、解凍は二日前から冷凍室から冷蔵庫に移動させておけば解決する。そう、困る事なんてないのよって自分に言い聞かせた。オーブンレンジなんていらない。しばらく我慢しよう。そう決心した。次の日、小学校の広報委員をしている私はPTA新聞のデザインを任されていたので学校側との最終確認を頂く大事な日だった。出かけようとした10分ほど前から、突然の雷雨。雨風とともに激しい雷。傘差しても意味ないほど。その瞬間、電話が鳴った。「大丈夫ですか?」とお仕事中に関わらず広報委員のKさんから連絡が入った。「時間を夕方に変更すれば、学校まで送ってあげれるのですが」とありがたく言われたが、こちらの都合で学校側の約束を変更していけないと思い「大丈夫です、何があっても行きますからお仕事に集中されて下さい、私は大丈夫ですから」と伝えた。そしてレインコートと傘を持って玄関を出た。正直、雷に打たれる覚悟は出来ていた。打つなら打ってみろてきな、打たれも多分私死ないだろうし、かえって感覚が鋭くなり天才になれるかも。もしくは死んでも家族に保険がおりるし。でも、打たれて死んだら広報委員困るだろうな。せめて入稿してから打たれた方がいいかなと思いながら歩いた。すると、雷は遠のき、激しかった雨はしだいに落ち着き学校に着いたころにはすっかり止んでいた。力が湧いてきた。思い出した。私、逆境に強いんだった。反撃にかかろう。私の中に強い心が生まれ、なんでも乗り切れる気がしてきた。エアコン取り付け工事は午後から予定だった。学校との打ち合わせが終わり定刻通り業者さんは来てくれた。しかし雨の為、屋根上にある元の室外機を外すのに足元が濡れて滑り台状態で危険だからという理由で中止された。いくらなんでも1個人のエアコン工事の為に死人を出すわけにはいかない。仕方なく待望のエアコン工事を1日延ばすことになりがっかりした。ああ、落ち込んでる旦那をさらに崖から突き落とすだろうな。この日をどんなに待ち望んできたことか。それから1時間後だろうか。仕事をしていて何気に、貧乏神のうすら笑いを感じた。振り向くと洗濯機のあたりが変。床が神々しく光っている。いや、違う。水漏れだ。洗面所は水浸しだった。私は思わずつぶやいた。「洗濯機、お前もか・・・」前々から分かっていた。気付いていたのにまだ使えるって信じていた。洗濯機は半年前から脱水時に大暴れで時には数センチ前進していた。少量ずつ洗うことで一命をとりとめていたがその努力も忘れ、いつのまにか大量を洗い始めていたので怒ったのか、激しく前進する日々が続いていた。オーブン買う前にこちらなのか。一体、どこまで苦しめられれば気が済むのか。私は床を拭きながら、見つめながらちょっとだけウツになりそうだった。しかし、良く見るとホースの差し込み口から水が漏れている。どうやら原因は「洗濯機の前進のしすぎ」だった。その日は10センチほど前進していた。そのせいで差し込み口が緩んでいた。手で回すと口はしまり、水漏れしなくなった。どうやら救われた。その救いに気付いたあたりに広報委員のKさんから差し入れが届いた。うちの諸事情を知ってか慰めてくれたのだろう。昼間の心配の電話といい、なんてお優しい方。私は人には恵まれているなって心が温かくなった。差し入れのロールケーキは甘く優しく私の心を癒してくれた。その夜はさほど暑くは感じなかった。きっと感覚がマヒしてきたのだろう。旦那も長袖のヒートテックを着用して寝てるし二人ともデザイナーで感覚が財産なのにこの感覚すら、やられてきたのかなってぼんやり思った。なんか、どうでも良くなってきた。貧乏神がここで学校を開くぐらい増えても私が教壇にたち、できの悪い貧乏神は廊下に立たせてやろうかって思うくらいだ。そう思って翌日の朝前から欲しかったオーブンをアマゾンで格安でみつけてしまい気がついたら「1クリックで購入」ボタンを押していた。確認画面も出ず、「ありがとうございました」と返ってきた。キャンセルすることもできたがこれも運命だと思い、なすがままにしてみた。すっごく欲しかった分が今まで見た中で一番安かった。まあ、どうにかなるだろう。エアコン、テレビ、オーブンの買い直しに旦那の失業疑惑。しかしこれも不幸と思えば不幸だが考え方を変えれば新しい家電に囲まれ、モチベーションは上がるし今よりもっといいところに転職できるかもと希望的観測をすることもできる。「ピンチはチャンスの裏返し」ピカチュウのサトシはそう歌っていた。それが脳裏に駆け巡る。「諦めたら試合終了だ」スラムダンク安西監督の名言が脳裏を駆け巡る体重計に乗った。1kG痩せていた。なんかちょっとテンションあがってきた。その夜、会社に残り、仕事を続けることになったと旦那は言った。とりあえず、ほっと胸をなでおろした。激しい雷雨や凍りつく冬も身を焦がす夏もひとときの間。うちの貧乏神もそろそろこの家に飽きてくるに違いない。貧乏神は私の心が産んだ偶像。デジタル放送に伴いどうせ買いかえるなら大きなテレビが欲しいって思ったから暑い夏を乗り切るのに古いエアコンでは電気代がかかりすぎるって思ったからミスターマックスの新規オープン日にスチームオーブンレンジに心をときめかせたから旦那のお給料上がってほしいって思ったからすべてその心の欲求から生み出した悪魔がイタズラしたのだろう。「少しの心の緩みから引き起こる連鎖する不幸。」そう自分の名言に酔いながら台所の床をはわいていると前から使いづらいと感じていたチリトリがリアルタイムでパキッと割れた。
July 2, 2011
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うちには魔物がいるらしい。それは生後九ヶ月になる友人の娘が何度この家にあがっても母親に抱っこされないかぎり、永遠泣き続けるのだ。外で抱っこすると泣かない。きっと、貧乏神が三人くらいアグラをかいているに違いない。そういって私と旦那は笑うのだが笑えない事実が最近続く。先週、広告代理店からちょっと収入があった。臨時収入だったし。仕事のわりには良い金額だったので喜んでいたら、その夜、いきなり征一朗が喘息の発作をおこし、我が家は車がないのでタクシーで急患センターへ。なんとか間に合ったから良かったねといってタクシー代と医療費は嵩んだけどそんな問題ではないし、とにかく落ち着いたから映画でも見ようと旦那と映画をみて寝たら数時間後に征一朗がキツイと言いだし、発作がまたおきたのかまたまた急患センターへタクシーを飛ばす。着いたらセイチロウはけろっとしていてお医者さまが首をかしげ、発作出てませんよって、本当に出てたんですかって言われた。一晩に二回も急患センターとタクシーづかいで広告代理店から報酬の2/3は無くなった。そしてそれから数回小児科へ通い、報酬は全て使いきった。そして数日後、蒸し暑い夜だった。あまりの暑さにエアコンを今年初めてつけた。ところが本体のランプが点滅しやがる。何の合図なのだろうか。私達に生温かい風を送ってくる。あまりにも暑いので征一朗はもがき苦しみあせも、じんましんで大変だった。私達も眠れぬ夜をすごした。翌日、ネットで調べ修理屋さんを呼んだ。すぐきてくれたのでなんて良いサービスなんだと思いきや室外機が登れない屋根上にあることを伝えていなかったためはしごをもってきてないとかで今日修理できないと言われた。それどころか、もし基盤が悪ければメーカー出張代もいるし基盤代もいるだろうという。自分たちは修理専門だからガスを入れたりすることは出来るけど部材が痛んでたらメーカーを呼ばなければいけないし下手したらまるまるエアコンを変えなければいけなくなるかもしれないと言われた。貧乏神が私のまわりで宴をはじめた。今、何もしてもらわなくても出張代4200円かかる(電話で了承済み)だからといって修理を頼むと下手すると買い直した方がましかもしれない。でも新品を買うとすごく出費。貧乏神が私に酌をしようとする。急激のピンチ。しかたなく先を考えその方には4200円払って帰って頂いた。多分30分もいなかっただろう。しかし、何も対処しなくても出張代かかりますけどそれでもいいですかと電話口で言われていたため泣くなく支払う。まあ、その修理の方が説明されたことは嘘ではないという確信があったのでそれから様々な量販店をめぐった。しかし世の中にはいろんな店員さんがいるものだ。そこから買ったわけでないのにお客様サービスセンターに電話してくださった方もいれば特殊な場所にある今の室外機を外すのにいくらかかるのかと聞いているのに分かってくれず「さっきから何度もお客様が言われてますけど」とか「何度もいいますように」とか「おっしゃていることを整理しましょう」とか失礼を連発する店員がいた。あまりにも腹がたつようなことを言うのできれそうになったがその方の前歯を見たらまだ若いのに前歯が銀歯で柱のように細く、歯としての機能をもはやなくしそうになっているのをみて「この人、こんな性格だから他に働くとこも失い、新しくできたこのお店で就職はできたもののこれじゃあ、お客さんがつかないだろうな」と見下しと同情の念を抱いた。すると、私の同情が顔に現れ優しくなったのか店員も急に態度をかえ少し優しくなった。しかし今契約しなければ見積りしにいった日から取りつけまでが10日かかると言われた。まるでおどした。こっちがエアコンなくて1日でも早くつけて欲しいと願っているのを分かってるくせにそれだ。しゃべっただけで4200円持って帰った修理業者以上に悪どい気がした。なので今回はこいつとは契約したくないと思いその説明係とは契約せず無料見積りだけを頼みに同じ店のサービスレジへ向かった。そしておなじことを説明したけどここのおじさんたちはすぐに理解してくれた。おじさんから申し訳なさそうに取りつけまでに見積りから2日くらいかかりますと言われた。私は驚き「向こうで10日かかる」って言われましたぁ」といったら首をかしげられた。やっぱり、スタッフ間でも問題のある人だったのだろう。なのでもう一度大き目の声で「へー、あっちで10日かかるって言われましたけどねぇ」と嫌みをいうのであった。ともかく、エアコンの取り付けは今週の後半になりそうだ。うちの貧乏神たちが最高に宴を開いていた。しかし、その宴も私が丁寧にトイレ掃除をしはじめたら宴はすこしづつ無くなっていった。新しい仕事も入り、地デジ対応テレビがすごく安く買えたりと他の出費が収まったり臨時収入があったりと何とかなるものだ。そして一番は雨が降ったこと。これにより気温はグッと下がり過ごしやすくなった。このまま終末まで気温が下がったままでいてほしいものだ。とりわけ次に友人の娘が来るころには貧乏神はいなくなって欲しいと願いながら新しく買ったテレビを掃除する私だった。追記 これをmixiで書いた6時間後たった今、電子レンジも命をひきとりました。
June 27, 2011
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「今日はもう行かないように、どんどん増えるよ」朝、仕事に出かける旦那に注意された。潮干狩り三日目の朝のことである。しかし、昨日は天気もよく、大潮ももうすぐ終わる。再来週までまたなければいけない。それに皆獲ってるからだんだん貝は小さいのしか獲れなくなる。またもや落ち着かず、ついに夕方貝獲りに。昨日の収穫はアサリ 64個 赤貝(大)3個 そして本日の主役ツメタ貝1個このツメタ貝はアサリの大敵らしく、アサリにからみつき、穴をあけ食べるとういう怖い怖い貝。しかし人間の食用としても大丈夫な貝。みかけはマキガイみたいで大きい。こいつはアサリを食べるので別の容器へ。最初はコロンとして可愛いのだが徐々に足をだしてくると不気味な生物に豹変する大きな身をぶわぶわさせて泳いでるようにみえるその貝は気味悪い粘液を出してナマコのように浮いている。冗談で「脱走したりして」と征一朗と笑っていた。冗談は本当になった。今朝、のぞいてみるとツメタ貝は脱走しかかっていた。ゾッとして貝をもとの位置まで転がした。しばらく安心していたが明るいとこに置くとどうやら脱走するみたいで彼は何度もチャレンジしてはボールの外に出ようとする。その様はかなり不気味である。このままほっておくと、私は夜こいつに巻かれて食べられるのでないかと妄想するほど大きく気持ち悪い。アサリ達が可愛く見えた。美しく感じた。でも人間、不気味でも面白く、濃く、味のあるものに魅かれる。このまま観察しているとこのルックスでも情が湧いてきそうだ。この不気味かつ不思議な生物を眺めてると面白いのだ。いけない、すでに情が湧いている。しばらく目を離していたら3枚目の写真のようにボールからまさしく出ようとしていた。このままだと大きい入れ物に変えてもまた脱走するかなと思い、私は決断を下した。「サヨナラ、もうお会いすることはないと思う。あなたを眺めていたら仕事が出来ないの。」そして言葉と共ににグラグラしたお湯にツメタ貝を放った。瞬間、あんなに広げていた軟体の物体は瞬時に貝の中に入ってしまった。一瞬時が止まったように見えた。そして湯けむりから出てきたツメタ貝はタイムスリップしたかのようにもとの丸っこい姿に戻った。悪いことをしたような気がした。ゴメンナサイって心でつぶやいた。そしてネットで調べると「竹串でサザエをとるように貝の巻き方向に外す」そう書いてたあったからその通りにしようとした。一筋縄にはいかなかった。ツメタ貝は徹底的に私に反抗しようとした。ツメタ貝が私に加えた危害・竹串を折ること2本・つまようじを八つ裂き・金製の串を曲げるそしてきわめつけに私の親指をスパッと切ってくれた。私はそれにめげず、血が親指から流れるのを無視してツメタ貝を中からひきずり出し、スライスしてツメタ貝が好物なアサリ貝と一緒に炊きこみご飯の具材にしてあげた。しかし、ツメタ貝に出会い、私は潮干狩りを卒業することが出来た。やっとあさり貝をとりに行く気持ちから解放された。少なくとも今回の大潮では。親指や竹串などはやられたがわたしはツメタ貝に感謝の意を示し、今晩の炊き込みごはんを食そうと思う。味見をしたらコリコリして美味しかった。ありがとう、ツメタ貝。
April 22, 2011
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今年は例年より一ヶ月早く潮干狩り。まだまだ寒い。上着をきておかないと風邪ひいてしまいそうな寒さの中今年二回目の潮干狩り。1回目は日曜にセイイチローと一緒だったのでセイイチロウが気になってしょうがなかった。まだまだ7歳の彼はこの寒さの中、水着で入ろうとするので上着をきせて浜辺にいるように言っておいたのに無邪気に私を追いかけ粘土質の砂にはまりぬかって動けなくなり「ママー」と叫び、転んではビショビショになり寒いと凍えた。風邪をひかないよう一度上がって着替えさ海に入らないよう言った。それでも海で捕獲する私のそばに来たがる。仕方ないので浜辺に近いところで掘ると面白いように獲れた。翌日の夜バター焼きにしたらすごく美味しかった。例年より早く獲ったせいか、アサリがデカい。それで火がついたのか、物足りなかったのか翌日ソワソワしてひとりでも行きたくなったが仕事が終わらず行けなかった。だが大潮の今時期、逃したくなく、この寒い中悩んだが仕事を片付け、昨日夕方1時間ほど獲りに行った。一人で気兼ねなく獲るつもりだった。浜辺では数人潮干狩りをしていて日曜よりうんと少ない。チャンス!そう思い、一人で作業開始。思うようにはいかなかった。海の中にジャブジャブ入って獲ろうとしたが砂が粘土質のように重く重なり、手を突っ込んだところにアサリがいない。しかたなく、浜辺近くで掘るといるわいる。アサリどころか赤貝までいる。だが、砂が重いのでまるで畑仕事のようにクマデをふりあげ一心不乱に探す私はまるで業者のよう。アサリにとり憑かれた変人。集中しすぎてまるで仕事。時給700円みたいな。。一人でくるとやはりむなしい。潮干狩りは楽しくあるべきだ。誰かと話しながら獲るべきだ。分かっているのに手がとまらない。寒いし、疲れるし気分悪くなってきて作業終了。約1時間過ぎで獲れた大物アサリは54個。赤貝5個。スーパーで買うと900円くらいかな。。やっぱり時給700円(笑)にごった海水をペットボトルにつめてるとおじさんたちがそれは何に使うのかと話しかけてきた。おじさんたちも沢山獲っていたので話してると外海の方の岩場で水を汲むと綺麗だよって教えてくれた。ここには二つの海がある。内海では潮干狩りに適し外海は波がすごい。その岩場にたまった水はすごく綺麗。その水をくみ上げ自転車に乗って帰っているとさっきのおじさんたちがいたので「お水汲めました。すごく綺麗です。教えて頂いてありがとうございました」ってお礼を言って帰ろうとしたら最後に「お疲れさま!」と言われた。ってやっぱ、仕事かよ!!
April 21, 2011
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久々のパンアップ。しばらくこのブログを離れ、mixiで日常を書いていたがやはり私の気持ちとパンのお部屋はここな気がする。誰が読んでても読んでなくても自分の記録としてここは存在する。久々のパンアップ。ロールパン生地を味ロール風に成形イタリアンパセリで作ったソースやウインナー、サニーレタスなど好きな野菜をのせてケチャップかけただけの普通のホットドック。ですが、これが好きなんです。<ホットドック>3本余った生地でロールパン 6個☆ロールパン生地強力粉 300g塩 5g砂糖 30gドライイースト 6g卵 30g牛乳 50cc+水110cc(合わせて160になれば良い)バター又はマーガリン 30g一次発酵後生地を2分割片方の生地を3分割→ホットドック用もう片方を6分割→ロールパン用ベンチタイム後成形。ホットドック用・・・二次発酵後180度で17分ほど焼くロールパン・・・二次発酵後、180度で13分ほど焼くホットドック用は焼けてあら熱が冷めた位で縦に包丁で切り目をいれマーガリンを塗り、お好みのソースや野菜、ウインナーなど入れて楽しんで下さい。
April 18, 2011
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日記を書くのは去年の夏以来である。その間に、秋、厳しい冬が訪れ、年があけやっと春になったころ、東北の地震のニュースであふれ始めた。私自身も数年前の福岡の地震を経験していたのでそれ以上の恐怖や悲惨さを想像するといたたまれなくなる。それでも日々、東北の方たちは前に進み始めている。強いなって思った。でも、亡くなられた方、家、仕事、全て、親族や大切な人を失くした方。情報には映らない人の心の痛みはどれほどだったのだろうと思うと辛くなる。それと同時に風邪を患い、2週間近く引いている。その間3回病院を変えてみてやっと3回目の病院の薬で少しずつ良くなってきた。意外と精神的に繊細だもんねと旦那は笑っていたが実はそうである。でも、私なんかぬくぬくの布団で眠れ、家はあるし家族もいる。そんな恵まれた状態で病気にかかって起き上がれないなんて東北の方たちが聞いたらあきれるだろう。そう思い、わかりつつもなかなか起き上がれなかった。発熱が続き、他の病気も疑ったようやくおさまってきたので大丈夫だろう。少しずつ前にクヨクヨしてもしょうがないテレビで映ってた被災地の方が言ってた。私もその通りだと思った。うまく伝えれないけども環境や境遇は違うけども残された命を大切にして行かれる方々を見て私もがんばろうと思った。
March 26, 2011
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10年前、私がまだ20代の終わりに近いあたり、勤務先の店舗デザインの会社に1人の高校生が入社を希望してきた。その手の学校を卒業したわけでないけどどうしてもデザイナーになりたいといったその女の子はまだ若く、初々しく、生意気で入社日には黒髪のセミロングを金髪のベリーショートにしてきたので面喰った。私の下で4か月近くがんばっていたけど、忙しく、毎晩の残業とオープン前の徹也作業に家族から反対され本人も耐えれず辞めていった。しかしそれから10年たった今でも付き合いは続いている。私が結婚して久留米から福岡に引っ越したあと、数年後に彼女も近くに越してきて、その後結婚した。今は西区と東区で離れているものも週に1度は子供を連れて遊び来る。もうすっかり、大人になり、母親になった。10年前のあの少年のような横顔の面影がみあたらなくなった。その彼女が二人目を出産した。彼女は複雑な家庭環境といろんな思いがあって実家や親戚、旦那さんのご実家には預けれないので1人目の2歳の男の子を預かってほしいと依頼されたのが半年前。きっとそう言ってくるだろうなとピンときていたので心構えはしていたものの、やはりいろんな不安がとりまき、仕事もあるしまわりからも反対されたので迷った。しかし約束は約束。私は私自身のためにも、この経験を果たしたかった。とうとうその日はやって来た。陣痛がきたらしく、即入院した。父親が深夜につれてきた。大泣きして寝れないだろうし、家族と部屋を別にして寝ようとか考えていたが、以外なことに全く泣かず、すんなり父親と離れ、抱っこしてたら寝てくれた。でも、布団に戻すと目が覚めるらしく「おかあちゃんは?おとうちゃんは?」って静かに聞きはするものの、「お母さん赤ちゃん生まれるからね、おなか痛い痛いだもんね」と言って泣きはしなかった。その姿に驚き、子供ながらに分かっているんだと思うと感動せずにはいられなかった。そしてその直後、母親は無事に出産を果たした。翌日、母親の元へ連れて行くと大喜びして新しく生まれた妹を愛おしく眺め、ニコニコしていた。やきもちを焼いて大変なのかと思ったが全然そんなことなかった。しかし、帰るとき大泣きして「お母さんがいい」と鼓膜がやぶれるかと思う勢いで泣き叫んだ。それでも連れて帰らねばならないので心が痛んだが病院を出てしばしくしたらピタリと泣きやんだ。子供ながらに我慢しているその姿がなんだかせつなかった。帰った後はセイイチロウとお風呂に入ったりご飯を食べたり遊んだりで楽しそうにしていたがやはり寝るときは大変だった。また抱っこして寝かせようとしたが旦那からとめられた。旦那は抱っこせずに寝かせないかんと怒りだした。でもその子は大泣きで「抱っこして」とせがんだ。言ってきかせても聞かない。まだ3歳にもならない子が母親のもとを離れ、他人の家ですんなり寝れるわけがない。そういっても旦那は「そうやってフォローするのはダメだ、その子の為にも甘やかしてはダメ」といって抱っこを禁じた。だが、泣きやむことはなく、大泣きしていた。そして旦那がきれかかったので私は思わずその子をかばった。「出てけ」と旦那は言った。私はすんなりその子を連れて部屋を移った。しばらくして怒りもおさまったのか旦那が呼びにきた。そしてまだ眠れないでいるその子を布団に寝かせた。今度は泣きはしなかったが頭をなでる私の手が止まると私の名読んだ。そのうち疲れたのかその子は眠りについた。翌日の朝、「僕、ちゃんと寝たよ」ってその子は旦那に言いに来た。「おう」と旦那が答えると誇らしげにニコッと笑った。だが、昼間、母親のもとに連れていくと帰るときに泣いた。しかし昨日とは変わってすぐに泣きやみ、私とセイイチロウと一緒に帰ってきた。夕飯もちゃんと食べてニコニコしていたが寝るときに「おかあさんがいない」と思いだし、静かに泣いていたが抱っこされずにちゃんと自分で寝てくれた。その姿を見て、その成長ぶりに感動した。こんなに小さい子が母親のもとを離れ、1人で他人の家に泊まり我慢を覚えていく。と同時に征一朗も自由が利かなくなり、我慢を覚えた。うちは一人っ子だから何でも自分のものだし自分の時間だったものがそうは問屋がおろさなくなった数日間。征一朗なりに我慢し、涙をこらえ、その子を可愛がってくれた。他人に自分の子を5日も預けるなんて勇気がいることだ。友人も悩んだだろうし、周りに反対されたかもしれない。もしも事故が起きたら、病気したら、関係が崩れたらと不安は大きい。並大抵の決断ではなかったと思う。私は私達夫婦に信用して預けてくれた友人夫婦に感謝し二人の子供に我慢の大切さを教えてもらった。あと一晩残っているので正直言って気は抜けない。でも征一朗とその子がどれだけ変われるのか成長が楽しみである。
August 27, 2010
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石橋尚之シェフと出会ったのは8年ほど前、私が明治屋産業の企画室でデザイナーをしていたころだった。イタリア大使館のシェフをなさっていた経歴の方で料理の腕はいうまでもなくレストラン事業のプロデュース力もすごい方で、全国各地にイタリアンレストランを展開。仕事の実績もすごい方だったし、初めてお会いした時に緊張したが面白い方だった。レストランのロゴデザインでよくお世話になり私のへたくそなイラストを何故か気に入ってもらえてた記憶がある。私が辞める日、とっても大きなユリの花束を贈って下さった。見た目は少し迫力があったが心優しいシェフでした。私が出産を経てフリーのデザイナーになったとき、シェフが独立開業され、薬院にイタリアンレストラン「カーサ デ ナオ」を出店するというお話を聞いた。すでにロゴデザインは他の方が作られていたので私には外の装飾のデザインをご依頼頂いた。時は2年程たち、当時の直属の上司だったO氏より連絡があった。彼は今は印刷会社のスゴ腕営業マン。いろいろお世話になりっぱなしである。それは3件目の「ピッツエリア ナオ」を博多のリバレインに出店するのでそののロゴ作成をお願いしたいという話だった。すぐそばにシェフがいらした。翌日私はまず味・雰囲気を再確認したく、ランチを予約した。忙しいだろうから食べて帰るだけのつもりだったが石橋氏は快く「ピッツェリア ナオ」への思いを語ってくれた。「カーサ デ ナオ」は高級な感じがあり、特定のお客様や誕生日などの特別な日に来て下さるお客様が多いけど「ピッツェリア ナオ」はもっとラフにカジュアルに普段使いに来てもらいたい。それがシェフの希望だった。私は話を聞いていくうちに当時テレビチャンピオンでピザ職人対決に出演され、見事優勝を飾ったシェフのピザを回す姿を思い出した。それだ!カジュアルで親しみやすく、何のお店か一目でわかるにはこシェフがピザをまわす姿をトレードマークにすればいい。直観でそう思った。そしてその思いを伝えるとシェフは頷き、ロゴ作りは始まった。最近の私はコンセプトという難しいことよりもストーリー性を大事にしている。そのデザインのひとつひとつに物語は必ずある。ピッツェリア ナオ はイアタリアの川沿いで白いパラソルのもと、たくさんにぎわうなか皆が楽しそうにピザやパスタを味わっている。雑音とともに聞こえる笑声。昼間っから赤ら顔のお客様。みんながマナーや他人を気にすることなく楽しく食べている。でもピザは職人の手によりひとつひとつ心をこめて作られらた職人の作品。そんなイメージを勝手にもりこんだ。ピッツェリア ナオ092-409-8703福岡県福岡市博多区下川端町3-1 イニミニマニモ 1F11:00?23:00(L.O.22:30)http://www.web-soigner.jp/fair/em3/1841
August 15, 2010
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子供のころ、子供だけでクワガタ展に行き、初めて買った500円のクワガタは持ち帰りの袋をやぶり逃げ出して泣いた記憶がある。そのころは純粋で虫対する恐怖もなく嫌悪感もなかった。夏休みになるとよく幼馴染とセミを捕まえにいったものだ。大人になるとどうして嫌いになったのだろう。セイイチロウはまだ虫好きだ。今年の我が家にはカブト虫が3匹、スマトラヒラタクワガタが♂と♀の計5匹。私はカブトムシは山奥にしかいないと思い込んでいたし捕まえるに夜か早朝だから大変だし買うものだと思っていた。しかし、今年の夏、そんな数々の私の中での常識は軽く打ち砕かれた。我が家の3匹のカブトムシはなんと近くの公園にいた。はじめバッタを捕まえたいという彼の希望により、正午も回るという暑い時間帯にしぶしぶついて行った。夏休みもはじめだったのでサービス精神でこのうだるような暑さの中バッタ探しにつきあったが一匹もいない。そこは松林の中にある静かな公園。遊具は何ひとつないがテーブルやいすがあり、静かでここちよい自然な森の公園といったあまり知られてない秘境のような場所。たまに昼休みなのか郵便局員が寝てたりしている。バッタは見つからず仕方ないからここでかくれんぼをした。汗だくである。一人っ子の親は別の意味で大変だと身にしみる。かくれんぼが飽きたころセイイチロウが何故カブトムシのバラバラの死体をみつけてきた。「ひどいね、誰か捨てたのね。かわいそうに」とバラバラにされたカブトムシの頭や羽を二人で観察していたらなんとあちらこちらにあるではないだろうか。しかも中には頭だけになってるのに動いてるホラー状態。おびえつつも探し回り、死体や瀕死状態のバラバラカブト虫は5匹以上いた。ここまでくれば、誰かが捨てたものでなく、もしやここにいるのではと見上げた時に、高いところにいた。子供の図鑑や一般的な知識としてカブトムシは夜や朝方、蜜や布をしかけたり木をけったりと手の込んだ捕まえ方をしなければならないという知識だけが私の頭にあったたため、目を疑った。こんな正午にもまわる時間にふつうに木にいた。幻かと思った。でも、現実そこにいるでないか。私は地面に落ちていた3M以上ある長い枝でカブトムシらしきものをつついたら落ちてきたのでセイイチロウは大喜びでキャッチ、即座虫かごへ。初めての野生のカブトムシを捕まえたセイイチロウはもうご機嫌でその日その話ばかりしていた。翌日は大分の上津江フィッシングパークにキャンプに行った。そこでカブトやクワガタを捕まえにいくのがセイイチロウの夢だった。しかし、夕立にあい、そのせいか雨が止んだ頃も翌日の朝もそれらは姿を見せなかった。けっこうふたりで探したがシンとした森の静寂とともに彼らの姿も見ることはなかった。山奥にキャンプに行けば、クワガタに会える!そんなセイイチロウの希望や夢ははかなくも消え去り、一匹たりとも姿を見せなかった。がっかりとしたセイイチロウのために、ミスターマックスにクワガタを買いに行った。確か、つがいで980円くらいだったしと思って連れて行ったが彼が選んだのは2480円のスマトラヒラタクワガタ。ええ、予算より3倍近く。、しかもすぐ死ぬかもしれないのにと思い、拒否ってみたがセイイチロウ、絶対に大事にするといって譲らない。しかたない、安いものはすぐ死ぬし(去年は国産カブトは二日で死んだ)買ってあげることに。そうやって手に入れたヒラタクワガタは大きなアゴを持ち挟まれたら、まじで指を切られそうな位に恐ろしい。私から見たら、バルタン星人に見えない。セイイチロウ、大喜びで持ち帰り、しばらく遊んでいた。が、何か物足りない様子。子供の欲望は止まらない。まだ欲しいらしく翌日また、例の公園に行った。そして2匹ゲット。「カブトムシは蜜が出てる木、ドングリやシイタケが生える木にいます」そんなカブトムシ図鑑の常識を軽く打ち破るように彼らは普通に松の木や低い木にいた。普通にぶらさがっていた。ここは常識を打ち破る特別な区域なのか。またもや元気で大きなカブトをかごに入れて帰った。帰る最中、戦闘民族の彼らは始終戦っていた。セイイチロウの本当の目的が戦わせること。しかし戦わせたら虫たちの寿命は縮む。それを分かっているので旦那クワガタとカブトを戦わせることを禁止していた。でも、つまらなそうだし、まあ、1度や2度で死ぬことはないだろうからと許すことにしてセイイチロウの自由にさせた。1週間後、カブトムシ2匹死亡。例の公園に埋めに行った。もう、生きたカブトムシはどこにも見られない。最後に捕まえた日から数回行ったが二度と見る日はなかった。残ったカブトムシ一匹は健在でスマトラヒラタクワガタのつがいも生きている。セイイチロウは遊ぶものの、戦わせることが出来ないから前ほど虫かごを開けなくなった。私の方が、面倒みたり、時折だしてあげたり、洗ってあげたり少しずつだが情が湧いてきた。ところが、セイイチロウはこう言いだした。「スマトラヒラタクワガタじゃなくてノコギリクワガタにすれば良かった」図鑑を見て彼はそう言い時始めた。「なんで?」「だってノコギリの方が強いし、かっこいいもん」子供とは残酷な生き物だ。「そんなこと言ったらダメだよ」私は言った。まるで、やっと手に入れた彼女を裏切る浮気な男の子の将来を感じた。だめよ、移り気はせいちゃん。そしてセイイチロウのその言葉が聞こえたのか、虫にも心があるのか昨日、スマトラヒラタクワガタの♂がいなくなった。どこを探してもいない。みるとふたがちゃんとしまっていない。最後に遊んだのはセイイチロウ。「ああ、せいちゃん、ノコギリがいいって言ったからバチが当たったね。ちゃんとふた閉めないし、世話しないから逃げ出しちゃったよ」セイイチロウは「ごめんなさい」と何度も謝りがっかりしていたが一番がっかりしていたのはむしろ私の方だった。どこ探してもいない。天井も本の裏も階段も。床をみてもいない。いついなくなったのかさえ分からない。私はがっかりしている自分に少し驚きつつ、セイイチロウに二度とそんなことがないよう、次は二度と買わないと言った。私がふたが閉まってるか確認すればよかったのだろうけどそれくらいキツク言わないとセイイチロウは何度も同じことをする。いなくなれば、また買ってもらえるという考えをおこさせたくないのでわざときつく叱った。それに私が叱ればパパからひどく怒られることはない。旦那が帰ってきてそのことを言うと「怒るのはおかしくない?征一朗のせいじゃないし」と言った。「それに、うちは珍事件おおいしね。」そう、うちは何故かスプーンの数が減っていく、ウ○チがトイレのタンクに浮かぶ謎のキノコが植木に生えるなどのミステリー事件が多い。夕食時、3人で話し合い、どうやったらクワガタが戻るか考えた。きっと外には出てないはず、この家のどこかにいるはずとプラス思考の私に対し旦那はいや、小さな隙間を抜け出せるから外に出てるかもという。でも、もしいたらと思うとちょっと怖い。寝てる時あのハサミでやられたら恐ろしい。なんとか捕獲しなければ。夜、暗くして一か所だけライトあてれば来るのでは?ゼリーしかければ来るのでは?皆の意見は一致し、夜中しかけることに。ところが、私も旦那も夕食を食べ終わり、他の部屋で涼んでいたころ、まだ食べ終わってなかったセイチロウが叫んだ。「ママいた、いたよ!!」見上げると棚の上にあるパンを発酵させる発泡スチロールの上にしがみついていた。おなかがすいていたのか、皆の気持ちを聞いたのか自分の存在価値を取り戻したクワガタは自ら姿を見せた。旦那がそっと捕まえて虫の箱に入れた。「おなか、すいたやろう。」そういってゼリーを与えるとものすごい勢いで食らいついた。それをまじかでアップで見ていた私はクワガタが恐ろしいキバでゼリーに食らいつくので少し恐怖をとりもどした。家じゅう、笑い声に包まれる中セイイチロウが言った。「ママの顔がもどった」いなくなった直後、私は怖い顔をしていたらしい。旦那は箱を綺麗にし水をかけ、クワガタに話しかけていた。セイイチロウはずっと見つかったときのことを話した。私は怖かったクワガタを少し可愛く感じた。クワガタが戻ったことで我が家が前より少し明るくなった。
August 12, 2010
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朝から激しい雨が降っていた。 こんな日でも息子セイイチロウは重たいランドセルをしょって 30分以上はかかる小学校まで歩いて行く。 車があれば送ってあげることができるのに 残念ながら我が家には車はない。 チャリは3台とパソコンは4台あるというのに。(関係ない?) しかも先日、遅刻ギリギリだったらしく、雨の日は通常より時間がかかるので 学校からは10分早く出て下さいと指示が出た。 なので朝からバタバタ急いだが出るときはなんやかんやで通常通り出て行った。 仕事の確認をしようとメールを開くと学校からメールが届いていて 「大雨・洪水警報が出ています。お子様の登校時に雨が激しく危険であるとご判断されましたら、登校時刻を遅らせる等のご配慮をお願いいたします。」と 書いてあった。 急に心配になり、もしか水かさが増して大変なのではないかとか 思い、一緒に歩いて行こうと思ったが 出て10分くらいたっていたので雨の中、防水のジャージとカッパ、ノーメークで自転車で なりふり構わず家を出た。 家の前からすでにいつもに増して車が多い。 その中をカッパ姿の私が自転車で横切る。 その姿はまさしくおばさんなら良くておじさんに近い。 雨の中をチャリで進むと前方に青い傘とカッパの男の子を発見。 ああ、セイイチロウだ、良かったと思って近づくと ん、長靴が違う。 もう少しで声をかけそうだった。 しばらく進むと赤やら青いやら黄色やら目線の低いところで色とりどりな 傘の洪水に巻き込まれる。 通学路ってこんない子供の群れなんだと思いつつ 落ち着いて見渡すと重装備なのは私だけで子供も大人も皆、普通に洋服に 傘というライトないでたちだった。 私だけが重装備のくせに濡れネズミのようにびしょびしょ。 そんな私の姿を察知したのか横断歩道で旗をもつ大人は 何故か私を優先に通してくれる。 いえ、いいんですよ、子供優先でと恥ずかしくなりながら 心でつぶやき、お言葉に甘えて先を急ぐ。 しかしながら小学校に近づくほどに傘の群れはヒートアップ。 なかなか先に進めない。どこにいるかも分からない。 人間の感情なんてどこで変わるか分からない。 私は先ほどの感情に反し、今度は通れないんだから分かっているなら のけよ、と群れをなしよけようともしない子供たちにそう 心でつぶやいた。 でも考えると、それなら息子も無事なはず、 そう思って引き返したがやはり気になって別ルートから 学校まで急いだ。 セイイチロウの姿はどこにも見えない。 以外と足早いのかなと驚きながら学校へ先回り。 するとメールを見た親なのか子供についてきている人もわりといて 下駄箱近くにも親の姿があった。 でも皆、こぎれいな服装に傘。 私ははじめ傘をささずにカッパで雨の中を出たためドブネズミ。 それでも気にせず、ズカズカと門をくぐり、下駄箱にセイイチロウの靴が有るかを 確かめに行った。 予感は的中。靴はなかった。 え、いったいどこにいるのだろう。 往復して確認できず、この雨の中どこで道草しているのか はたまた何かあったのか。。不安がよぎった。 しかもあと10分位で始業ベルが鳴りそうだ。 その時、あふれる雨水を楽しんで溝の中をジャブジャブ行進する 子供たちの姿が目に飛び込んできた。 その最後尾に無邪気に楽しげにはしゃぐ息子の姿が。 拍子抜けし、思わずセイイチロウの首をつついた。 驚きと笑顔の息子の周りは女の子だらけで 「この人誰?」と女の子たちに言われた。 「ママ」不思議そうに見上げる子供たち。 私はよれた青いカッパに防水ジャージ。 あやしげなおじさんだった。 拍子抜けと同時に恥ずかしくなり 手早くその場を去ったが 嬉しそうに手を振る息子を背に給食袋を持たせるのを忘れていたことに 気付いた。 また雨の中を帰り、今度はこぎれいな格好でまた小学校へ。 すると門はしまっており、授業は始まっていたため 受付の方に給食袋を預けた。 子供は自分が心配してることをよそに成長しているのだ。 蔓延の笑みえを浮かべお友達と楽しそうにU字溝をジャブジャブ歩いていた 息子を見てそう感じた。長靴に水が入り込んでいたと思うが 怒る気にもなれなかった。 あとで聞くと同級生の母親が車に乗せてくれたそうだ。 どうりでみつからないはずだ。
July 15, 2010
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翌日の早朝、私は日課のウォーキングをしていた。 海のそばを歩くのが習慣になっていた。 ヨットハーバーそばの昼間はにぎわうこの公園も 早朝はシンと静まりかえっている。 海はすごく澄んでいて浜辺を歩いていた私は思わずスニーカーを脱いで 中に入ってみた。 思わず、砂に手を入れてみる。アサリがいないかと。 もはや中毒患者である。 アサリ収穫に手を染めて抜け出せないでいる。 やはりその日もここの海で潮日狩りをすることにした。 偶然にも姉から連絡があり午後からその海でで絵を描いているというので 私達も3時から潮干狩りしてるから向こうで会おうねと約束をした。 普段は時間にルーズな私もこと潮ひがりだけは準備がよく時間に的確だねと 旦那は皮肉をまじえながら笑っていた。 私達が浜辺へつくと海水浴をしてる子供はいるものの誰も貝をとっていなかった。 長靴はどうやら必要ないらしく、袖やジーンズをたくしあげ、 ザブザブ海に入る旦那。私も続けて入った。 水が膝のあたりにつくかつかないかのところまではいり、旦那は手さぐりし始めた。 「いた!でかい」旦那はでっかいあさり外を見つけた。 それからもう、入れ食い状態でどんどんアサリを獲っていった。 小粒のアサリは海に帰すほどの余裕。 気が付いたらあたりの人、みな海に入り、アサリ収穫を始めたいた。 私達二人がずぶぬれになりながらアサリを獲るので 廻りも獲り始めたようなのだ。 白いヨットハーバー近くの浜辺でアサリは面白いくらい獲れた。 遠くにトロンボーンの音色が流れる。練習してるようだ。 「ドレミファソラシレー」 こけそうな位の音色に笑いながらアサリを掘る。 近くのおじさんも腰までつかっていた。 「明日仕事できん」と何回もつぶやく人、 業者なみの格好のおじさん、 ずぶぬれのお父さん、 周りの人々は敵であり友であり戦友でもあった。 しだいに仲良くなる。 寒くなってきたので上がろうと旦那が言った。 しかし、何かが私を引き止める。 私はもはや引き際が分からないでいた。 アサリ獲りに夢中になってしまい 理由をつけてはまた獲りだす。 一度は上がったものの 姉の為にとか理由をつけてまた獲りに行く。 大粒のアサリはネジのように砂に埋まっている。 そこに指を入れてグイグイネジを回しながら獲っていく。 旦那が最高にデカイアサリを獲ったところで終了とした。 半身ずぶぬれで家に帰り、砂を落とし体を洗ってから 砂ぬきの準備をし、昨日のアサリはパスタにして 姉と家族で食べた。それはそれで美味かった。 今日は満足したと旦那はご満悦の微笑みを浮かべた。
May 18, 2010
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昨年からこの時期になると心が躍るようになった。 海が住んでる所から近いというのに、潮干狩りに行ったことがなかった。 山育ちの私は、そもそも潮干狩りってお金を払ってするものだと思っていた。 会社の通勤途中の橋から見下ろす室見川にたくさんの人だかりを見たことが あったが経験そのものはなかった。旦那が初めてとってきたアサリ貝は バケツにたっぷり入っていて面喰った。 それで三日間アサリづくしだった。 次の大潮までだいたい2週間あいたので そのころになるとまたアサリが食べたくなり 潮干狩りへ出かけてはごっそりとってきた。 しかし、私達を含め、地域住人の乱獲のせいか 室見川には小粒のアサリしか見受けられなくなった。 私は悲しかった。ほってもほってもアサリのいない貝殻ばかり。 季節が少し過ぎ、夏の終わりくらいに海水浴ついでに旦那はまたもや 別の海でアサリをごっそりとってきた。 何やら砂を掘るのでなく海に体ごと入り、手づかみでとったのだという。 びっくりするくらいの大きさのアサリ。すごく美味しかった。 アサリ貝は我が家ではもはや買うものでなく獲るものへと変化した。 だからこの時期になるとソワソウする。胸が高鳴る。 「あなた、この日は大丈夫よ、お願いね」とまるで子作りに励むように 「ねえ、この日は大潮よ。確実よ」と潮カレンダーをチェック。 私達は潮干狩りに励む。まるでそれが仕事のように。 土曜日の朝だった。潮干狩りカレンダーをチェックした旦那は 「今日は潮干狩りに行こう」というので喜びいさんで準備した。 一応、まだ時期的に大丈夫だろうから室見川に行こうとなった。 室見川までかなり距離があるにも関わらず 私達家族3人は長靴とクマデとバケツや着替えをもって いかにも潮干狩りへ出かけますよ的ないでたちで出かけた。 私はこの年だというのにショートパンツにサンバイザーという なりふりかまわない、ただ、潮干狩りしやすい服装で出かけた。 かなりはりきっていた。 ホームセンターで長靴を買い足し、近道だというので何度も急な坂を必死で登った。 セイチロウも自転車を下りずにがんばった。 なのに室見川についたら思い切り川が流れていた。 み・ち・し・お。 満ち潮ですか。 私達、泳ぎながらアサリとらんといかんとですか。 呆然とする私に旦那が申し訳なさそうに言った。 「ごめん、時間間違えた。」 引き潮は3時間後だった。 泣きだすセイイチロウ。分かる、分かるよ、ここまで必死でチャリこいできたのにね。 私この格好でどこで暇つぶしたらいいのだろう。 仕方がないから近くの愛宕神社へ登り、持ってきたパン食べたり ハトを追いかけたり(セイイチロウがね)して時間を潰した。 ゆっくりと2時間ほど待って階段を下り、川の方へ向かった。 室見川は引き潮になっていた。 もう、すでに潮干狩りを始めてる人たちがいっぱいだった。 しかし、貝はほとんどいなかった。 いても小さい貝だった。 それでも楽しかった。貝は藻の下にいる。とり出したら楽しくなり 手さぐりでなんとか拾ってバケツの1/3くらいは収穫できた。 しかも、こんなところでずっと会いたかった昔の知り合いに偶然再会した。 場所移動しながら貝を探していたら特徴ある声に気付き、私から声をかけた。 どれくらいの確率でこんなところで知り合いにあうんだろう。 彼女とは前職場で一緒だった。先に彼女が辞めて 最後にあったのが1年前だったので見た目も髪がのびて雰囲気が違い 声をかけるのに勇気がいったが声をかけたらビンゴだった。 かなり気になっていた1人だったので偶然の出会いに感謝し、その再会だけでも 私にとっては十分な収穫だった。 セイイチロウもカニやヤドカリを追いかけたりで楽しそうだった。 でもダンナだけが不満足気味だった。 彼は納得してなかった。 過去に栄光を手にしたものはその栄光を忘れられないのだろう。 収穫が少ないことと、小粒のアサリに彼は不満を抱いていた。 結果より過程が楽しければいいやん、仕事じゃないだからという私に 彼は「いや、俺は結果が伴わないと楽しくないんだ」 もはや、そこにいるのは職人の姿だった。 <長いので続く>
May 18, 2010
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久々に実家に帰ってきた。私の実家は静かな山の梺にある。バスは1時間に多くても2本、ないときすらあるのこの癖所は車がないと暮らせない。山のふもとにあるので1年中空気が綺麗。雨上がりは山のグリーンが際立つ。夜の星空は何の明るさにも邪魔されず真っ暗の中に星が光り、福岡市よりも数段に綺麗に見える。今はもう整備されてしまったが、家の前には柿畑があった。子供のころこっそりかくれんぼをしたり、雪が積もれば畑のちょとした坂のところでソリ遊びをして楽しんだ。学生時代は送り届けた友人から真っ暗闇に移る柿の木の不気味さがが「スラム街みたいだ」と言われたこともある。時折バス停までの抜け道としてこっそり通っていたこともある。私はここで30年近く育った。幼い頃は近所のにわとりに追いまわされ、公園なんてないから柿畑や川、小学校やお宮が遊び場だった。そのお宮の側に数ヵ月前からここににつかわしくない程お洒落なカフェができた。長い坂の頂上にあるお宮の側にある素敵な外観。アーチをくぐり、白い扉を開けると店内は白壁と木で温かみのあるお洒落な内装。通る度に気になり、姉といつか入りたいねと話していたがとうとう、旦那とセイイチローと入って見た。私は梅ジュースのソーダ割り、セイイチロウはアセロラのソーダ割り、旦那はアイスコーヒーを注文した。梅ジュースのソーダ割りが新鮮で美味しい!気さくで感じのよいスタッフの方は素敵な笑顔で話をしてくれた。オーナーは福岡の方で、カフェをだす土地は探してたもののなかなか見つからず、たまたまこっちにきた時には道を間違えてここに辿りつき、気にいって決めたそうだ。わたしはこの場所を選んでくれて、なんだか嬉しかった。そうしてるうちに2組のお客さんがきた。なにやらランチの予約をするために隣町から来た模様。どうやらこのど田舎の素敵なカフェは少しずつ広まっていっているようだ。ランチは1日限定20食らしい。雑貨コーナーもある。ケーキも美味しそうだ。今度は小学生のころの仲間と行きたいと思った。昔の話に花を咲かせて。cafe le Cing(カフェ ルサンク)福岡県久留米市山本町豊田2332-1http://www.le-cinq.com/
May 17, 2010
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先日、いつも通り日曜の朝市に出かけた。この日はあまり収穫がなく、残念だったがそれでも色々買えたのでいつも通り帰宅しようした。しかしセイイチローが公園で遊ぶというのでじゃあ、荷物を置いてくるねといい、彼を置き去りにし私だけ帰宅しようとしていた。が、途中抜ける団地で何やらパトカーが4台、警察が二人と鑑識らしき人がひとり団地の中に入っていく。何か殺人事件でも起きたのか犯人は捕まったのかいろんな妄想が始まり、不安になり嫌な予感がして公園に引き返した。セイイチロウは無事でひとりで遊んでいた。そのまましばらく遊んであげたていたがふと、自転車が気になった。誰もいない公園なので盗まれることはないのだが嫌な予感がした。自転車の方へ向かった。何やら私の自転車のそばにウインナーらしきものが落ちている。自分で転がってきたのか、私が落としたのか私は衝撃的な瞬間をみた。犯人はカラスだった。カラスが運んでいる。カラスはビニル袋をあけ、つついてウインナーを一本くわえていった。私があっけにとられているとそいつは調子にのりやがってまた飛んできてウインナーを一本持っていった。セイイチロウがこらーと追いかけてウインナーを取り替えしてきたがカラスからつつかれたウインナーは怖くて食えません。3本ほど残っていたが破棄した。それにしても私のチャリのかごからウインナーだけ取り出すなんて頭の良いカラスのようだ。
May 17, 2010
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私の日曜日の楽しみはあるスーパーの朝市。 そこにいくと、いつも手に入らない魚とか、野菜と 肉がかなり激安で売ってある。 最近新しくなった魚屋が目玉商品を良く出す。 はじめは明太入りシャケ20匹1000円! 友人と山分けしたが味はイマイチだった。 次の週は小イワシが150匹ほど入って380円だった。 すごい量なので誰も買ってなさそうだった。 これも友人と山分けした。 70匹のイワシを綺麗に洗い、わたを出し塩漬けにし、 アンチョビを作った。さすがに全部は多すぎるので 残りはフライにし、それでも余ったので冷凍室に保管している。 その翌週、50センチ位の春カツオが380円! 頭と腹だしをしてもらい、カツオのタタキにして食べれない分は 冷凍、頭とカマは吸い物用に骨についた肉は 手作りシーチキンにした。 タタキが旨かった。お茶漬けにもした。最高だった。 そのまた翌週いくと、60センチほどのハマチが500円だった。 まるで、私に挑戦してるかのように思えてくる。 即買い。 刺身用にわけ、頭と骨周りは煮付け、カマは塩焼きにした。 ものすごく旨かった。 翌日友人が遊びにきたので一緒にネギトロ丼風にして食べたら喜んだ。 毎週現れて丸ごと一匹買っていくので定員さんにも覚えられている。 私をみかけるとこの人は買うと思っているようだ。 そのまたまた翌週には全長80センチほどあるブリが 壁にたてかけてあってさすがに面喰らった。 毎週買っていく私に挑戦してるかのように思えてくる。 お値段、半身で1000円。 即買い。 店側の陰謀にひっかかる。 デカイので3枚におろして頭とカマと分けてくれた。 それを持ち帰り、刺身用と照り焼き用、煮付け用などと分けて冷凍。 値段からして天然ではないだろう。 さすがに油っぽかったので刺身はたくさん食べれず、翌日は ミルでミンチにして葱としょうがとにんにくを混ぜ ネギトロ丼風にして食べた。 それでもまだ冷凍室にたくさんある。 週ごとにエスカレートしていく。 店側もひくに引けなくなってきたのか 行く度にビックサイズになっていく。 そのうちマグロでも出てくるのではないかと思うほど。 私もどこまでついていけるか楽しみである。 まだ冷凍室に余っているぶり。 誰かぶりの美味しい食べ方知りませんか。
April 20, 2010
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私はある物体が大嫌いである。 そいつは実家の外壁に列をなし 実家の風呂場で目撃すること数十回 台所の床に窓辺にと出くわし、時には夢にすら出てくる。 風呂に入ろうとしたら 無数の彼が風呂桶にびっしりという夢をみたり、 窓をあけたら彼が無数に広がるなどの夢を見たことがある。 ある時、ドアの締め具合が悪いなと思ったら 彼はドアに挟まれていた。 受験勉強の最中、足元が冷っとするなと思った時にも足元に彼がいた。 一番最悪なのは 実家のねぎを切った時、彼は包丁の↓で真っ二つになっていた。 私の悲鳴を聞いた祖母は 「よかよか、好まれるほどおいしいとよ」と笑った。 私はそんなプラス思考にはなれない。 それ以来、私は実家のねぎには細心の注意を払う。 いまだに大きなねぎは中を確認する。 ナメクジは私の天敵である。 私は生前はナメクジに好まれた生物だったのだろうか。 それともエゴイストにナメクジによる体罰を受けたのかと 思うほど私のナメクジ嫌いは謎である。 あのセンスのない、背中の縞模様。 背筋がゾッとするほどのぬめり具合。 どれをとっても恐怖である。 だから、それに似たカタツムリもダメである。 子供の絵本にのってるカタツムリの写真も 読ませずそのページは飛ばす。 友人達との食事にエスカルゴが出た時 嬉しそうに食べる友人を見て酔いが一気に冷めた。 私は好き嫌いはほとんどないがこれだけはダメなので ごめん、食べれないというと 「なんで、おいしいのに、頂戴」と友人は言った。 その横で同じ境遇で育った幼友達の一人も 「ごめん、実は私もダメ」といった。 きっと彼女も私と同じ経験をしてきたに違いない。 私は時にナメクジを虐待することもあった。 塩を彼の体の周囲360度に盛る。 彼はどの方向に行っても溶ける運命なのだが それを見た自分も気持ち悪く一層嫌悪が増す。 昨年アサリ貝を乱獲したとき、持ち帰った貝が それは見事に海水を吐き、生き生きとしていたが あまりにもデロンと貝から身を出してる姿を見て 想像がよぎった。 ダメ、アサリ貝は大好きなのに奴とかぶってしまいそう。 そう思って思わず貝をつつく。 すると身を縮めるのでほっと胸をなでおろしたものだ。 今住んでるのは二階のコーポなので彼と遭遇する機会は この7年間ほどんどない。昔1度、一階の玄関で遭遇したくらいだ。 だから安心していた。実家とは違う。 なのに、先日風呂場に出た。 旦那が「面白いものがあるよ、目をつむってごらん」といい 私の手をひいて風呂場に連れて行った。 それはみごとな細長いナメクジが。。 私は予測はしていたものの その現実を知った時、さらりと旦那にトイレに流すよう指示。 それからナメクジによる被害が(精神的に)どれほどのもだったのか 語りつくすと旦那は人ごとのように笑い転げるのであった。 実際に噛まれる、病気をうつされる、などの被害は受けないものの 幼いころの私に精神的なダメージをもたらしたのだろう。 それがなぜなのか未だにわからない。
April 18, 2010
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昨日、1年4カ月勤務した派遣での仕事が終了した。 デジタルバランスを相方に任せ、私は派遣で某パチン企業グループの 企画室でイベントのポスター類をデザインする仕事をしていた。 パチンコはしないので、目新しいことばかりで デザインも派手だったり、激しかったり、3Dを使ったりと これまででやったことないものばかりで いろいろ勉強になった。 しかしながら、デジタルバランスの仕事がしたいという気持ちだけは 変えられず、半年ほど悩んだ結果、退職を1月頃申し出た。 それによって、職場では状況がガラリと変わったり 苦しい思いもあったがなんとか切りにけることが出来た。 企画室の送別会では一生後悔しないほどの高級のお肉を思い存分 ごちそうになったし花束やバームクーヘンを頂き 言葉に表せない感謝! 仕事は厳しかったけどみんなとは何気ない日常の会話ができなくなる 淋しさもあるが、これから変わる生活に不安がないといえば嘘になる。 しかしながら、やるしかないのだ。 自分で決めたことだ。 セイイチロウも小学生になったことだし とりまく環境や状況はこれまでとガラリと変わる。 私がデジタルバランスに復帰することで、 どうなることか分からないが もともと自分ではじめたものだし このご時世、逆境に立ち向かうことになるが 出来るところまでがんばりたいと思う。 画像は派遣先でデザインしたポスター。
April 18, 2010
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私は平日は派遣の仕事に追われるので小さな買い物は旦那に任せるが 日曜日に1週間分の買い物をするのが休みの日の1日の始まりである。 近所の激安のスーパーは毎週日曜日にくじ引きがあり、くじに 外れても子供にはおまけのおもちゃがある。 それを目当てに毎週行くのだが、くじ自体はなかなか当たらない。 過去に当たったものはお肉と刺身のみ。 そんなんでも、ま、いいかと思いながら毎週行く。 今年初めて子供が引いたくじで グレープフルーツが当たった。 子供が、ガラガラを回してる時に 食材をつめながら遠目で念じた。 何か当たれと。 すると、カランカランとベルが鳴り、 坊や、偉いねとおじさんの声。 セイイチロウは嬉しそうにグレープフルーツを持ってきた。 ありがとう、ママ嬉しいよと言うとセイイチロウは 御満悦の笑顔を浮かべ おまけのおもちゃを選び始めた。 一緒に選んでると、そこの社員のおじさんが お母さんにもあるよと、洗顔ネットをくれた。 これ、欲しかったやつやん。 なんかささやかな幸せで帰宅。 買ってきた食パンにマスタードとバターとケチャップを 塗り、刻んだ玉ねぎとベーコン、詰め放題で得たシイタケを 薄切りにしマヨネーズであえたものをかけ さらにチーズを乗せてにピザトーストを焼いた。 高カロリーなだけにおいしかった。 食後に、くじであてたグレープフルーツを食べた。 おいしい。タダだけに美味い。 お昼から三人で小戸公園に行った。 寒くなかったのでたくさんの家族がスポーツを楽しんでいた。 私たちもバトミントンをした。 もともと、球技は苦手で 若いころは3回以上続かず あきらめていたバトミントン。 旦那と練習した成果はあがり、つい最近では 連続50回が最高だった。 イマジネーションが大事だと思い 私はバトミントンの選手と思い込み 打つと上手くいくようだ。 たとえ、羽があちらこちらに飛ぼうと ダッシュで返す。 私は選手よ、この1球を逃してなるものかと 思い込み、どんな球でも返そうとする。 あきらめない。 と思い込む。 すると その成果はあり、初めはやはり3回くらいが限度だったが 昨日は79回連続で打つことができた。 人間思い込みが大事だと 改めためて知る。 記録更新で達成感を得ることができた。 といっても子供用のちゃちなラケットでの打ち合いなんだが。 帰ってから、久しぶりに手が込んだものをつくろうと 思い、20匹以上あるコアジが200円という安さで 購入したものを南蛮漬け、から揚げにした。 それとレンコン、牛蒡、銀杏を油で揚げ、甘酢であえたもとの アサリ貝の味噌汁、カブのゆず味噌添え、カブの漬物を作った。 最近、鍋でごまかし続けてきたゆえに 旦那は喜んだ。 新年あけてからの初めての休日は ちょっとだけハッピーだった。
January 11, 2010
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2010年明けましておめでとうございます。 今年も良い年になりますように。 今年はどんな年になるのだろう。 たとえ、どんな年になろうとも 自分が納得がいく生き方を しようと思う。 毎年、近くの神社ですますのだが 今年は大宰府天満宮へ行きたいと私は言った。 旦那は近くで良いじゃないかと 行ったが駅近くになって急に気が変わったらしく 大宰府天満宮へ行くことになった。 ものすごく寒い中 人の行列だった。 遠く、遠くまで人が並んでいる。 橋が二回ほど高くなっていて 橋の上に来た時に遠くまで並んでいる人の姿が見えた。 やっとお賽銭をなげれる場所まできた。 お賽銭を投げ祈りをこめ手を合わせる。 寒い、いつもなら平気の皮ジャンでさえ寒い。 お参りしておみくじを買うと中吉だった。 とにかくどこかで食べたいと思い ずらっと並ぶ露店の誘惑に負けず 梅ヶ枝餅のお店に入った。 店員さんは親切な方で何のお茶にするか 迷っていたらサービスでほうじ茶を出しますよと 言って温かいほうじ茶を出してくれた。 温かい店内で梅ヶ枝餅とほうじ茶をすすった。 久しぶりに食べた梅ヶ枝餅があったかくて甘くて おいしかった。 出来たてってこんなにおいしいんだ。 そのまま店内を出て、駅に向かった。 ずらっと続く人ごみ、寒さはつらかったが 大きくそびえたつ神社の境内、泳ぐ鯉の美しさに 正月らしい気分を味わえ、なかなか良い一年の スタートになったと思う。 家にもどり、温かいお雑煮と朝ののこりのおせちを 食べ、お笑い番組を見ていたら コタツマジックににひっかかり 長い時間そのまま寝てしまった。 コタツは魔物。 新年に学んだことはそれだけだった(笑)
January 2, 2010
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聞けば、アイランドパークにはATMがないという。郵便局は渡船場のそばにあったが祝日なのでATMが使えない。それ以外のATMは島すらないらしい。クレジットカードも使えないといわれた。なんという秘境。クレジットも使えないんですか。ああ、5000円入れたはずなのに。旦那に連絡するとここにあるよと言われた。そんなときでもお金は予算より多めに持って出かける私なのにこういうヘマを犯すとは。よりによってこんなときに。私はセイイチロウになんて説明すればよいのか。自転車でちょこんと座って待っているセイイチロウに「ごめん、お金足りなかった。お金忘れてきた、帰ろう」そういうと当然だが大声で泣き出した。受付に「すみません、お金忘れて。。あとで郵送しますので。。」と申し訳なさそうに説明してるときに横から「これ使いなよ」と200円さしだす手が伸びてきた。さきほどのチャリのおじさんだった。いえ、いえ、とんでないです、と返すと「お子さん泣いてるやん、使って」といった。受付のおじさん達は私を見て返したがいいですよ的なそぶりを見せる。私は追いかけて「お返しします、いいですよ」といったが「サイクリング仲間なんだからいいよ」と言う。なんどか断ったしが引かないのですみません、ありがとうございます。と受け取ったが、あ、5円足りない。「すみません、お返しします。・・せっかくですが足りないので」「いくら?」「あと100円、いえ正確にいうと5円ですが」そういう自分が恥ずかしかったがおじさん達はカンパ、カンパといって100円渡してきた。「住所教えて下さい、送ります。」と言ったがよかよか、使っとかんねと3人に言われ情けないやら、恥ずかしいやら、でも正直助かった。お礼を言って受付に戻ると「良いんですか?郵送でも良いですよ」と言われたが「良いです」といって切符を買った。切符を切るときにまた別の係りのおじさんにも「あれ、切っちゃうの?いいの」と言われたがいさぎよく入った。セイイチロウは喜んでいたが私は複雑だった。見ず知らずの人にお金を恵んでもらい、しかも足りないと請求。ああ、情けない。自分をうらむ。そして持ってきたお弁当でかなり遅いお昼ごはんを食べた。当然美味しさが半減。ご馳走を作ってきたのに。その後アスレチックの方に向かい、途中でトイレに入った。複雑な心境でジーンズのベルトを外した時に待ち受けていたかのように次の不幸が。ベルトは私の手により一瞬でちぎれた。ベルトを外しただけなのにバックルが一瞬で吹っ飛んでいった。私は怒りと悲しみで亡きレイカ姉のベルトをゴミ箱にたたき捨ててきた。なんともいえない気持ちだった。ベルトに下げていたウエストポーチすら使えなくなり手に持って行動。周りには沢山のお食事どころや駄菓子屋さん。寄りたいが手持ちの95円ではどこにも入れず。アイスすら食べさせてあげれない。仕方なくアスレチックへ。ほかの荷物は置けるが95円しか入ってないサイフでもカードやらは入っているので手に持ったままセイイチロウとアスレチック。ズボンは下がってくるし何かと不便。するとセイイチロウの泣き声が。どうやらアスレチックのひとつであるロープつきの坂から振り落とされた模様。親子で散々である。ここは何かとお金をとるので草スキーにも200円かかる。当然、それもできなかった。結局ここに何しに入ったのだろう。せめてものと思い、木にくくりつけてあるブランコにセイイチロウを乗せ、途方にくれながら思い切り背中をおすのであった。帰りの道はあっというまだった。自転車はバイクなみに回転が速く怖かった。ブレーキを何度もかけながら下り坂をおりるとセイイチロウは「早い、早い!!」と喜んだ。結局それを一番喜んでいた。渡船場につくとお土産屋さんで鑑賞だけした。セイイチロウはカブトムシのおもちゃを欲しがったがお金がなくてお土産すら買えないのよっていうとじゃあ、姪浜についてからお土産かえばいいやんって言う。それ、お土産にならないんですけど。パパに何のお土産買う?私が言ってることを理解していない息子。わざとですか。仕方ないのでセブンイレブンでチロルチョコを3つ買った。そして家で待つパパに「お土産」といって渡した。そしてその3つのチョコのうち二つは私とセイイチロウが食べたので「お土産じゃないだろう!!」と旦那につっこまれるのであった。お金は大事だ。出かける前にはご注意を。しかしあの3人の暖かいおじさん達に感謝の気持ちでいっぱいで忘れられない1日となった。
September 28, 2009
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世間での大型連休は私の仕事とは比例していない。派遣といえども祝日も仕事になるからだ。それでもセイイチローは幼稚園が休みなので私も合わせてお休みをとることに。久しぶりに3連休なのでゆっくりすごそうと思った。しかし、子供にとって楽しみの3連休は親にとってはいえ、私にとっては「どうやって楽して一緒に過ごせるか」このテーマになるのである。まあ、お金がかからず、手間もかからず、喜んで貰える事に喜びをもたらす。。そういう言いまわしがぴったりなのかもしれない。その連休の中日あたりに私とセイイチロウは福岡にある能古島という島にフェリーで出かけた。その日は快晴だった。朝からどこに連れていこうかと悩んだ。車をもってないためにいける範囲は決まっている。なにせ、旦那が新型インフルエンザらしきものににかかっていたため、セイイチロウは1週間ほど幼稚園出入り禁止でどこにもいけず、おうちですごしていたから朝からどこにいけるか期待していたのだ。インフルエンザの症状はもうなくなっていたが旦那は外出を控え、一緒には出かけなかった。なので私はセイイチロウを自転車の後ろにのせ渡船場まで自転車を走らせた。マリノアシティの観覧車が左手に見える見晴らしの良い橋をわたると快晴の空の下に海が見えるという素敵なシチュエーション。そして汽笛をならしながらその海を渡る白い船。のはずが、どんよりした曇り空に比例するかのようにグレーの海。そして1台の薄汚いフェリーが汽笛を鳴らしながら海上を走っていた。・・・でてるやん。1時間に1本のフェリーが。さらに追い討ちをかけるよう雨がポツリ。今日はもうやめようかとセイイチロウに言うと泣き出した。仕方なくマリナタウンでアイスを食べて時間つぶし渡船場へリベンジ。能古島には一度行ったことがある。その時は能古島までフェリー、降りてアイランドパークまではバスを使ったので自転車をフェリーに乗せるのは今回が初めてである。切符売り場で往復の切符と自転車券を購入。自転車を積み込む人は別の乗り場からだった。グリーンのテントの前で待機しててくださいねと言われていたのでそこにいくと5人家族が自転車を構えて待機していた。そのほかにも釣りに行く人、業者の方などがそこにいた。能古島からの日帰りの観光客がズラズラ行進していく。それを眺め、全ての人が通りすぎた後どうぞという声ともに自転車を押しながらフェリーに乗った。自転車を止め、二階に行くとセイイチロウはまじかで見る海を少し怖がりでも久しぶりに乗る船に大はしゃぎだった。能古島渡船場までは10分もかからないくらいだった。島に降りたつと観光案内場があったりお土産屋さんがあったりとその周辺だけはにぎわっていた。アイランドパークまで行くのに歩いて40分。バスだと結構高いので自転車で行くつもりできたから気合を入れてペダルをこぎ始めた。観光案内状で入園券売っていたがとくに割引をしてるわけでないのでついてから購入すればいいと思った。ここで買おうと思えばよかった。海岸線を自転車で走る。姪浜から海を渡り10分くらいしかかかってないはずなのに、すごく遠いとこにきた様な錯覚に陥るほど静かで、別世界だった。アサリ捕獲するには500円払ってくださいとかサザエ、アワビ捕獲禁止など看板がでているがここには沢山いますよ、儲かっているんですよとしか私の目には映らない。おそらく何かを養殖してるであろう柵の上にカモメが20羽くらいとまっていた。カモメは一列に並んでおり不思議な光景だった。海岸線をひた走るとだんだん息切れしてきた。坂になってきている。認めたくない事実だが明らかに坂になってきている。そんな私の苦労を知らずに後ろに乗ってるだけのセイイチロウはひたすらしゃべり続ける。私はゼイゼイ言っているのによく分からない質問ばかりしてくる。息切れで考える余地もないのに子供が悪魔に見える。しかも子供特有のマニアックな質問ばかりだ。知るかそんなこと!!と叫ぶ余力もないほど私は衰退していくのであった。のぼり坂は究極になってきた。さすがに降りてくれと頼んだ。子供はね、歩かないいけないのよ。でも時間があまりないのでまたすぐに乗せて自転車をこぎ始めた。「アイランドパークまであと2.2キロ」の看板がすぎ「あと1キロ」の看板にさしかかった。見下ろすと右手の海岸線にキャンプ場らしきものがあった。よっしゃ、ラストスパート。途中で坂をバイクなみに下りてくる人がいたがこの人達も登れたのだから私も登れるはずと思いがんばって坂を登る。16キロの悪魔をのせて。私から汗という名の勲章が噴出してくる。そして力つきたころ、3人の男性が目についた。サイクリングチームらしい服装。頭にタオルを巻き、皆黒いシャツ、それらしきパンツをはいたおじさん3人組が分岐点の道端でくたばっていた。「あと少しだよ、がんばろう」「社長、おれはもう無理っすよー」などの声が聞こえた。私もしばらく止まって休んでいたが、おじさん3人組を見ていると、私はふと漕がないといけない使命感に襲われた。ペダルに力をふりしぼり私はゆっくりと坂を上った。その姿を見たおじさんの1人が「すっげー」といい「がんばってるやん、俺達もがんばらないかん」と誰かが言っていた。女でしかもママチャリで5歳児まで乗せてこの長い山道を自転車で登ってくる人は多分いないのだろう。アイランドパークの門が見えてきた。さすがにつらくてチャリを押しながらのぼった。するとさっきのおじさん達がで私を追い越していった。彼らはちゃんと自転車を漕いでいたので男の意地だなー、がんばるなーと歓心した。追い越されときに笑顔で挨拶された。すがすがしい気分だった。おじさん達と私はお互いに親近感があったのだろう。しかし、そのすがすがしさを胸に抱いていたのはほんのつかのまだった。チケット売り場で係りの男性がいた。「チケット下さい」「入場料1300円」です。ここまで来て、初めて私は其の事実を知った。サイフには1095円しか入っていなかった。
September 28, 2009
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帰りの車の中、後悔の嵐だった。「ああ、貰っとけばばレンタカー修理代になったのに」と旦那が嘆いていた。私は車の中で始めて詳しい状況を聞いた。え?あの四駆に轢かれそうだったの?タイヤが目の前を轢いたの?相手はあなたが見えなかったんだ・・状況を聞けば聞くほどがっくりくる。旦那は「人が良すぎる」と私に言った。私も人が良すぎたなー。迷惑料一万円貰っとけばよかったと後悔した。でもでも、やっぱり私も悪い。だからあのお金は要らなかったんだ。二千円も貰ってるし私は自分にそう言い聞かせた。「ここでお金を全額受け取っていたら自分達がそうなったとき同じ目にあうよ。1万円受け取らなかったからきっとレンタカーが修理代が1万円で安く済むかも知れないよ」と旦那に言うと旦那は「わからんやん、3万円になるかもしれないだろう。そうなったらどうするの」と嘆く。どんよりとした車の空気と窓ガラスで仕切られた向こう側の空は青く、そしてうだるような暑さだった。レンタカーの期日は明日だし、気分を変えてこのまま北九州の恐竜博物館まで行こうかと旦那は言った。そうね、電車で行きなおすと交通費またかかるしねと言ったがなんか又、嫌な予感がした。行きはこのまま旦那が運転していくと、疲れと精神的に落ち込んでるから事故を起こすかもしれないし帰りは私の運転でぶつけるかもしれない。考えを整理したかったので一度久留米の実家に寄ることにした。このまま福岡に帰るより休憩を置いたほうがいいと思ったからだ。母に電話したあと、よく考えると時間が足りない。旦那はそのまま北九州へ行ったほうが良いだろうという。母に「やっぱり、そっちには寄らない」ともう一度連絡すると非常に残念そうにしていてご飯の用意とかしたというので北九州へ行くのをやめて実家に寄る事にした。旦那がひどく落ち込んでいるので事故でもおこしたら怖いと思い私が運転を変わった。でもその方がもっと怖かった。私の運転が危ないことは旧友の中でも有名だ。高速に乗ると緊張し妄想が襲う。途中で眠くなったらどうしようとか。なんか同じ風景を繰り返すと吸い込まれそうな気がして怖い。「俺はもう寝る」と後部座席に回った旦那がそう言っているにも関わらず私はしきりに話しかけ、なんとか眠らずに高速道路をきりぬけることが出来た。ドライブインで会社と母へお土産を買った。阿蘇に行ったわけでもないのに「阿蘇チーズケーキ」を買った。私の勤務先は皆様、甘くて美味しいものが大好きだからこの際、どこに行ったろか関係ないだろう。実家に着くと母に一部始終を聞いてもらった。そして美味しいものを食べさせて貰い旦那やセイイチロウは喜んだ。私は先ほどの汚れた衣服をここで洗った。少しでも早い時間に洗ったほうが取れるだろう。大量の台所洗剤の原液を衣服にかけこすったら取れてきた。ファンデーションは衣服にびっしりついていた。今は人間関係がこじれた方から仲が良い時にお土産に頂いていたものだったのでその人の恨みなのか嫌がらせなのかと思うほど所々にびっしり付いていた。念入りに洗ったことで汚れは綺麗に落ちた。それを見ていた旦那が「お金というより手間がかかるね」と苦笑した。旦那は旦那でほかのものについた汚れをティッシュでふき取ってくれていた。いろんなものが割れていた。でも、そろそろ捨てようかと思っていたものばかりだったのでふんぎりがついて良かったのかもしれない。化粧ポーチも駄目になっていたので母がかわいいポーチをくれた。私は人生に恩を売った、きっといいことがあるに違いないよと自分にも旦那にも言い聞かせた。母もうなずいた。「きっとこの先、あんた達にいいことが起きるよ。そこで目先のお金を貰ったとしてもこの先、自分達が同じ目にあうかもしれないよ。それで良かったとよ。」母はそういった。いい事を言うな、やっぱり母だなと思ったが二週間後に姉から聞いた言葉はあまり同情心がなく、おかしいなと思ってよく聞いてみたら「バックを人に足で踏まれたらしいね。」と言った。母は車でなく人に踏まれていたと思ってたらしい。巨人が踏まない限りそんな状況にはならないだろう。母は何を聞いてそんな勘違いをしてその言葉を言ったのだろうか。そしてそれからだろう。ちょとした運が私についてきた。朝の勤務時間に信号でひっかかる事がほとんどなく仕事先でもいいことが起きた。何回引いてもあたらなかったスーパーのくじ引きで当たったり、日常生活でちょとしたいい事が起きるようになった。会社の人たち事件を話すと私なら三万円は貰ってるとか笑われたが一人だけ「こっちも悪いからそれは貰えないよね」と言った人がいた。今ではこの出来事は旦那と私の中では笑い話になりつつある。気になったレンタカー修理代は予定の額より安くも高くもなく二万円だった。後で知ったがあの時、あの時間帯で鳥栖から福岡までの間で事故があり通行止めになっていたらしい。もし、あの時バック事件がなければ私達はそのまま北九州方面に走り、事故に巻き込まれたかも知れない。もしかして助けられたのかも知れない。そう思った。今思えば、車をぶつけたことも車に引かれたことも何かの教訓だったのだろう。私達はそんな苦い思い出も忘れ又来年はどこに行こうかと来年のキャンプに期待を寄せている。
August 10, 2009
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私の夏休みのはじまりは熊本県の山鹿にある奥矢谷渓谷キャンプ場きらりでスタートした。雨を心配し、素敵なキャンプ場についた途端に車をぶつけるなど様々なアクシデントをぬぐうかのように楽しいウォータースライダーやぽっちゃりとして目がつぶらでかわいい10歳の男の子「博士」と出会ったり美味しいバーベキューや朝ごはんで満喫したはずだった。旦那がチェックアウトしてる最中私はトイレに行きたくなり、道路の脇の広いアプローチに荷物を置いてトイレに行った。旦那に荷物を見て置くように言ったが嫌な予感がしていた。そういう時はすぐにどうにかするべきなのだと改めて思った。私がトイレから戻ると知らない女性と旦那が私の大きなバックから色々出して何かを話していた。慌てて駆け寄るとバックの中のものが色々出され私の下着まで観賞できる。そしてバックの中は一面肌色に染められていた。一瞬何か分からなかった。何が起きたのか??よく見るとそれはリキッドファンデーションだった。化粧ポーチがグチャグチャになり衣服やあらゆるものにびっしり付いている。旦那に問うと「車に轢かれた」という。そばには大きな四駆車があった。誰かまだ乗った状態だった。どうやらその女性が運転していたらしく旦那がバックの整理をしている時に目の前寸前をこの大きな車のタイヤが横切り、バックをズカンと踏んでしまったらしい。一瞬バーンと何か破裂する音が聞こえたそうだ。旦那の手からほんの何センチか前をこの車が横切ったのだから下手すると旦那も轢かれていたかもしれない。怒った私の旦那が窓を叩き「おい!何やってんだ」と叫び運転していたその奥さんが慌てて出てきたようだ。「本当に申し訳ありません、連絡先を教えて下さい」彼女は謝っていたが私の頭は真っ白だった。バック、衣服、中のいろんなものがファンデーションだらけポーチの中の化粧品はバキバキに折れている。後で知ったが買ったばかりのセイイチロウの浮き輪も破損。どうやら破裂音の原因はこれらしかった。私のペンケースも破損。化粧品関係ほとんど破損。ただ、不思議なことに貴重品バックは別にしていたせいか踏まれておらずカードや通帳関係は全て大丈夫だった。ペンケースの中の大事なものも無事だった。どうやら化粧品ポーチを一番上に置いていたため衣服関係は駄目になっていたが貴重品は守ってくれていたみたいだ。しきりにその女性が誤るのが私は自分もその場所に置いていたことが一番悪いと思った。たとえ道路でなくともアプローチだから車が横切らないとは言えない。しかし旦那がいるにも関わらず確認をせずに横切ったその方も不注意だ。下手したら旦那を轢いている。でも私はそのときは旦那が車に轢かれそうだったという詳しい状況を知らなかった。だから私の旦那もいたのに荷物を守れず何をしていたのかと思った。だからその女性が連絡先を教えて下さいと言ったがいいですと断った。しかし女性は「また化粧品を買いなおさなきゃいけないでしょうから」といい、一万円を渡してきた。一瞬私の中の悪魔が「一万円あればレンタカー修理代になるじゃん」「どうせ、ファンデーションはもらい物だし、洋服は洗えばなんとなるしさ」と囁いた。「いやいや、ここに置いたあなたが悪いのよ。バックは階段の上に置くべきだったのよ、ましては貴重品バックもあったんでしょ、不注意よ」私の中のまともな天使がそう押し切った。悪魔と天使が葛藤している中女性の謝る声が耳に何度も響いてくる。この人、帰りの車の中、ご主人に怒られるんだろうな。楽しかったはずのキャンプが一瞬で嫌なものに変わるし家族も嫌だろうな。そう思った。「いいえ、いりません。」私も旦那も断った。「私もここに置いていたのが悪いですしキャンプに来たのに嫌な思いをして帰られるのは気の毒です」と言った。しかし、奥さんは「私の気が治まらないので受けとって下さい」としきりに言う。ここは頂いたほうが相手もすっきりするだろうと旦那が言い、私に任せるという。「じゃあ、気持ちだけ少し貰いましょう」と言った。その半分貰おうかと言おうとしたが万札以外には二千円しかないのでというので二千円で結構ですと言った。これで足りるのですかと奥さんは言ったがそれで十分ですといい、二千円を頂いた。
August 10, 2009
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目が覚めたのは何時だったのだろう。早朝だろうなと周りの状況から感じ取った。それぞれのテントでは朝ごはんの支度をしているようだ。周りから聞き取れる声でそう感じた。夜と違い、山の朝は涼しい。テントを空けるとすがすがしい光景が目に飛び込んできた。木々の緑に朝日がさし、風が爽やかな空気を運んできた。そんな中、私とセイイチロウはカブトムシを探しに出かけた。案の定、どこにもいなかった。夕べ、となりの騒がしい若者のテントにカブトムシのメスがいる!!と大騒ぎしていたのが聞こえたが、カブトムシはどうしてここには来てくれなかったのだろう。世の中の無情を感じた。いろんなとこを歩いているといろんな光景が目に入る。グループで来ている子供の団体が朝からせわしく蒔を燃やし朝ごはんを作っていた。このグループは夜遅くまでケビンで大騒ぎしていた。12時近くまで小学生が騒いでても誰も注意してなかったことからきっと学校の行事ではなかったのだろう。昨日の騒いでいた若者も、もう起きていた。さすがパワフルである。まだ寝てる旦那をたたき起こし朝ごはんの支度にとりかかった。蒔がないので炭で飯ごうをたいた。炭焚きのご飯でおにぎりをつくり、余った野菜と塩で漬物やサラダをつくり、持ってきた即席味噌汁を食した。美味しい。簡単でシンプルな朝ごはんなのにシチュエーションが変わるとこんなに美味しいんだ。炭がまだ消えないのでお湯をわかし、コーヒーを入れた。これがまた美味しかった。ある程度片付けを済ませチェックアウトまで時間があったのでまたウォータースライダーへ出かけた。すると昨日の博士がいた。「おお、また会ったね」と博士はいった。博士のそばに中年の女性がいた。世話をやいていたので一目でこの方が博士のおばあちゃんなんだと分かった。挨拶をして「いろんな事知っててすごいですね」と言うと「この子は本ばかり読んでて変な知識ばかりなんですよ」と苦笑いをしていた。博士とはまたお話をしたりセイイチロウと三人で競争したり遊んでいるうちに時間が迫ってきた。博士に「もう、帰らないといけないからごめんね」というとあっさり「うん、じゃあね」と言ったが寂しそうだった。しかし、もういちど、高いところから滑って帰ろうと思い一度上まで上ってスライダーを降りてくると博士が次のターゲットであろう若いお姉さま方の浮き輪ボードに体を浮かべ幸せそうにしていた。うん、あんた、どこでも生きていけるよ。プールから引き上げ着替えてチェックアウトした。旦那がチェックアウトの手続きをしている間に私はトイレに行きたくなり大きな荷物とやバックを置いて旦那に荷物をみておくように伝えてからトイレにいった。そのときにとても嫌な予感がした。道路ではないけどもレンガの広い場所に荷物を置いたからだ。そしてトイレから帰ってくると予感は的中した。私の荷物の周りに旦那と知らない女性がいてバックからいろいろ取り出している。下着まで見える。何、何がおきたんだ??私は旦那とその女性に近づいた。そしてそこで目にした光景を見て唖然とした。
August 10, 2009
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ウォータースライダーで元気になった旦那とセイイチロウとバーベキューの支度をはじめた。炭をおこし、お肉や野菜を焼いた。なにせノンアウトドアの私たちですからバーベキューのやり方がうまくいかない。肉はすぐ焦げるし串は燃えるしハンゴウの中の米は焦げていたそれでもやはり炭で焼いたお肉は美味しかった。だいぶ慣れてきておいしく頂けるようになった。ビールを飲みながらコテージでぼーっとしていた。斜め上の広場では若者がバーベキューをしていた。男女8人くらいいるのにいま一つ盛り上がってなかった。なぜだろうと問う私に旦那はおそらくコンパじゃねえの?と言っていた。キャンプにコンパ??いきなりですか?誰かカップルがいる感じでもなかった。たしかに静かすぎる。会話がないかんじだった。斜め下のテントには4人家族がいた。5時位の夕食の準備の時からその家族は四人で薪を燃やしていた。その後そこを通るたびにその家族は何かを焼いて食べていた。通っても通っても何かを焼いていた。はじめはハンゴウを次は肉を次はシイタケをその次は焼きおにぎりだった。4時間ほどたって暗くなり私たちが花火を終え寝る準備をしていた時もまだ何か焼いて4人で食べていた。よく食べる家族だなと思った。食事が終るとセイイチロウと虫探しを始めた。いくら探し回っても虫一匹みつからない。何も採れなかった。カブトムシはいったいどこに?仕方ないからそのまま花火をした。広い草原で花火は綺麗に広がった。その夜はすごく寝苦しかった。暑いし。2時間くらい寝てからだろうかやたらと外が騒がしかった。騒がしくて目が覚めた。どうやら先ほどの盛り上がらないコンパ連中に火がついたのか今頃になって一気に盛り上がっている。若者だから夜中に騒ぐのは仕方ないがうるさくて眠れない。セイイチロウも何度も目を覚ます。眠れなくなったのでコテージに出て残ったビールをあけた。隣で騒ぐ若者には旦那が注意しにいったら意外と素直に聞いてくれた。やっと静かになったので寝ようとしたがまた寝付けない。旦那は頭が痛いといい先にテントに入った。寝付けないのでシャワーを浴びに管理棟へ行った。空を見上げると一面の星空だった。福岡から遠く離れ、こんな山の中で全くいつもと違った時間をすごす、そんな時間が私にとって必要な時間だったのかもしれない、そう思った。翌日おこるであろう悪夢に気付きもせずに。
August 10, 2009
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奥矢谷渓谷のキャンプ場のメインイベントのウォータースライダーのその上には深い滝壺がある。深さは約2M以上あるらしく、水はものすごく冷たい。その滝壺より1.5Mくらい上から勇気ある者だけが滝壺に向かって飛び降りていた。眺めてるとそうでもないがそこから飛び降りようとすると恐怖だった。だけど怖いもの見たさでそこから飛び降りたい気持ちもあった。飛んだら何か変わりそうな気がして。(そんなはずはない)飛び降りる場所は二つあった。そのどちらかから交互に飛んでいる。思い切ってそこに立つとああ、高い。やはり高い。岩からのぞく滝壺は青く緑がかっていて深そうだった。ここに立つ度にいろんな想像力が私を襲った。もしここから飛んで足がつって泳げなかったらとかコンタクトレンズがショックで飛んでしんまったらとか飛び込んでそのまま沈んでしまったらとか・・・いろんな思いがあったが思い切って飛んだ。ザッブーン、コンタクトをしているので水の中では目を開けなかったがなにさま足がつかない深さなので慌てて水面上に出る。でも、気持ち良かった。何か吹っ切れた感じ、達成感というか。たくさんの子供や若者が飛び降りる中飛び下りているオバサンは私一人だった。周りを見渡すとママ達はみな服を着てカメラを持って木陰で休んでいた。私だけ?旦那も飛び降りた。あわてて泳いで陸にあがろうとしていたが平泳ぎが苦手な夫はクロールで陸まで泳いだが最近肩を壊しているため無茶な泳ぎ方だった。溺れるかと焦った。「博士」は滝壺まではこなかった。彼はいつも三段階あるウォータースライダーの中くらいのところで一人遊んでいた。博士とは前回の記事に書いた通り10歳くらいのぽちゃりとした男の子で私に声をかけてきた子のこと。「それ水着なの?」博士は私のTシャツを掴みながら訪ねた。「そうだよ」「ふーん。ねえどっちが早いか競争しようよ。」彼は何度も私と競争したがった。男の子なので頭から滑ったりする。何度も滑ってるうちに太ももから滑るとかなりのスピードが出ることがわかった。セイイチロウはひとりで嬉しそうに滑ったり、パパと遊んだりしているので私は「博士」と遊んだ。博士は物知りで少し変わっていた。「世界で一番早い車のエンジンは何か知ってる?」とか「もうひとつのタイタニックって知ってる?」とか「赤い炎と黄色い炎の違い」など私が知らない話ばかり聞いてくる。聞くと博士は東京の子で夏休みに祖母の家にひとりで預けられるらしい。そして親は預けたまま東京に戻るそうだ。彼は小学1年生の頃から本ばかり読んでいるという。だから雑学の知識が半端でない。そりゃ同級生とは遊びたがらないだろう。というか相手にされないのかもしれない。ちょっと可哀そうに感じた。私が一番上のスライダーに行こうとすると博士は理由をつけて行きたがらない。はちが飛んでくるから嫌だとか。理由は分からないが中段から下のスライダーしか滑りたがらなかった。博士と競争しようとすると博士は「話をしようよ」といい大人顔負けで知識自慢話を永遠とするのだった。将来はどんな大物になっているであろう。あまりにも話がわからないので旦那を捕まえ話をふると博士の大人顔負けのマニアックさに旦那は驚き苦笑していた。寒くなってきたのでまだ遊びたそうな博士に別れをつげ私たちはテントに戻った。
August 9, 2009
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涼しげな森林の中そびえたつグリーンのテント村にはいろんな家族がいた。私達の近隣には4人家族や若い男女グループなどがいた。少し離れたところには大きなケビンがそびえたつ。そしてここのメインイベントでもあろうウォータスライダーがありそこではたくさんの子供や若者が滝つぼに飛び込んだり、三段階のウォータースライダーを楽しんでいた。旦那がぶつけた車は相手が石だったので保険にも入っていたため2万円程で済むであろうとレンタカーの方は言っていたそうだが私達にとっては痛い二万円。しかしこんなしょっぱなから落ち込みたくはないのでとりあえず、忘れよう、帰ってから落ち込もうとしょげる旦那をなだめ、プールで楽しむことにした。旦那がやらなくても私がぶつけたかもしれない。ここに至るまでの山道は急で細かったからもし私が運転していたら何かやらかしたかもしれない。荷物をテントまで運んだ。テーブル付のコテージにテントの中には電灯まである。私が子供のころや若いころに行ったキャンプ場のテントはごつごつした地面にブルーシートを引いたものだったのでなんて便利になったものだと思った。外には電源まである。管理室からバーベキューセットや炭、カセットコンロをかりてきたがあまり意味がなかった。なぜならば各テントごとにブロックがありそこに網さえあればバーベキューも可能でありカセットコンロ用にもってきた鍋は小さくてコンロの上に立たなかったからだ。キャンプ初心者だから仕方ない。今まで連れられていったキャンプは数回あるが自分で計画してキャンプに来たのは初めてだった。気をとりなおして水着に着替えウォータスライダーへ。旅の恥はかき捨て。その言葉のとおり私はこの体型のくせに亡き姉から10年以上前にプレゼントされたハワイ産のレインボーカラーのビキニを初めて着用した。もちろんその上にTシャツを着て。またこの水着が外人用なのか股上が深くとてもそのままで着こなす勇気がなかった。ウォータースライダーは思ったよりすごかった。三段階に分かれており一番上はスピードが出て楽しかった。ここでは子供に返り何度も何度も滑った。先ほどの勇気ある水着を着用していたため私はとある子供を弾きつけてしまったようだ。「水着あがってるよ」お尻のあたりがめくれてる私の水着を指摘してきたのはポッチャリとした10歳の男の子。ここでは博士と名づけよう。どうやら博士からナンパされたようだ。つづく
August 9, 2009
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