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◇黒部ダムの続きです。見るポイントはいくつかあるみたいです。ダム展望台。(1508m)新展望台広場。ダムの上の通路などですね。新展望台は階段で130段ほど下に下りないといけないので、あまり訪れる人は少ないですね。「ふぉっとダム撮影場所」があります。(有料写真場所です、今は特別価格で1200円らしいです)撮影はしませんでしたけどね。ここからは、ダムの放流が目の高さで見えますね。ダムの上の通路からは、放流が上から見えます。黒部の湧き水も汲んでペットボトルに入れていたのですが、落としてしまいました。残念・・・。他の所でも湧き水は飲めますけどね・・。殉職者慰霊碑を見るのを忘れていて探しました。少し上側の面にありました。おおかた見逃しそうになりましたけど、見れて良かったです。今回、扇沢で暇だった時にチケット売り場でもらった「黒部ダム・案内」にスタンプを押しました。けどね、すべて押そうと思えば、その案内の欄では足りないんですね。初めてスタンプ帳を買いました。昔は、こんなの恥ずかしいと思っていました。ここまで来て何にもしないで帰るのはと思うと、スタンプでも記念になりますね。全部で14個押しました。同じ所で2~3個ありますけど、駅ごとにありました。これも一つの楽しみかなと思いました。また訪れる事が出来るかな?まだこれから登っていきます。美女平立山黒部ダムダムの事黒部ダム信濃大町から黒部ダムまで
2004/10/31
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◇9月の上旬ですが、少し小降りの雨の中、黒部ダムに行ってきました。この時は、雨がやむ予定はなかったので、黒部ダムまでは最低でも行きたかったです。どうにか雨が降らずに黒部ダムまで行けました。JR信濃大町駅でバスに乗って扇沢へ行きました。駅で切符を買っていたので、扇沢で切符の交換をしました。記念切符になるみたいですね。朝一だったので、1時間ぐらい待ちましたね。もう寒くてたまりませんでした。夏場ならもっと早く出るのがあるのでしょうね。カッパを忘れていたので、雨合羽の一番安いのを買いました。関電トンネルトロリーバスへ乗って黒部ダムまで行きました。電気のバスは初めてでしたね。この時期は人がいっぱいにならないですが、何台もバスがあるんですね。初めて訪れたので、バスからの通路で道が分かれていて、人に道を聞いてしまいました。どちらからでも行けるみたいですね。バスのアナウンスでも言っていましたが、まあハッキリ覚えているわけがありませんね(笑)。展望台の方へ始めは行きました。見た瞬間は、これが黒部ダムって思いました。ここから後は、『地上の星』を口ずさんでいました(笑)。黒部ダムは、まだ続きます(笑)。美女平立山黒部ダムダムの事黒部ダム信濃大町から黒部ダムまで
2004/10/30
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◇上諏訪の駅の観光案内所で観光案内の地図をいただきました。お勧めルートを聞いたのですが、ちょっと自分には合わないので、道を外れていきました。すいません。高島城へ訪れた後です。諏訪湖。湖沿いに機関車があるので、見に行きました。連絡線乗り場近くにも訪れました。本朝二十四孝狐火の段。湖畔公園足湯。諏訪湖欠泉センター。諏訪湖欠泉センターで温泉の噴出を見ました。裏からも見えるので裏に回ってみました。ほんの一瞬で終わるんですね(笑)。別府温泉で昔見た時は、長かったですね。みんなが見るのを止めるぐらい吹き出ていましたね。ここのは人工的なのでしょうか?ここは温泉街らしく、その様な所もありましたね。まだ見る所はあるみたいですが、お堅い所が多かったみたいなので訪れていませんね。上諏訪を後にしました。駅の足湯には入った方が、心残りではなかったと思いますね。
2004/10/29
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◇上諏訪へ訪れました。上諏訪駅には足湯があったのはビックリしましたね。ここにも観光案内所がありました。高島城は駅から少し距離があります。今は平城なので、近づかないとわからないので場所がわかりづらいですね。 変わった感じの城ですね。当時もこんな感じだったのでしょうか?今は鉄筋コンクリートです。入所料は150円です。眺めは、あまりよくないですね。昔は諏訪の浮き城として勇名だったらしいのですが、今は諏訪湖は1kmぐらい向こうですね。当時は近くまで湖だったのでしょうか?高島城へ訪れてよかったですね。
2004/10/28
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◇西武が中日を4勝3敗で勝ち、優勝を決めました。どちらかと言えば、西武に優勝してほしかったと思っていました。昨年の中日の山田監督の解任の仕方が、嫌だったからです。プロ野球では良くある辞めさし方ですが、見た目には良いと思いません。特に、自球団出身でない監督には、よくありますね。最後まで監督として続けても影響ないのと思います。次の仕事を見つけるために早めの解雇でしょうか?日本シリーズは、テレビで見ていましたが、個人的には盛り上がりませんでした。リーグのだらだらした感じが抜けない感じです。プレーオフの方が、見ていて楽しかったですね。西武優勝おめでとうございます。来年は、どうなることやら・・・。
2004/10/27
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◇『感染』『予言』の2本立て上映です。ネタばれはあるよ!『予言』ですが、リングですね。この映画は、予告の方が怖かったですね。見てみると、最初は期待できるのですが、途中からね・・・。ストーリー的には簡単です。でも、何でこの人だけチャンスがたくさんあるの?ご都合主義になってませんか?三上さんの演技はすばらしいから、酒井さんの演技の下手さが目立ちましたね。感動作品と言う人がいますが、どうなんでしょう。予言と言うよりも、脅迫的な新聞だと思います。その新聞が来れば、その人は確実に死んでしまうのですからね。まあ、お粗末な映画でしたね。
2004/10/26
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◇『感染』『予言』の2本立て上映です。ネタばれ有かも・・・。場所によっては、間に休憩がない所があるみたいですが、ここは休憩が5分ありました。『感染』ですが、音で脅かすだけですが、普通かな?最後の結論が言う所が、短くて後で繋がっていたんだと思うぐらいわかりにくかったですね。『シックスセンス』みたいに、もう少し話につながりを持ってほしかったですね。どう繋がってるか考えないと、わからないのと、繋がりがない所が多すぎます。豪華な出演者ですね。『宿主』がって言葉が出ますが、いないと思ったほうがいいのかもしれませんね。『宿主』を探していますが、その時には感染していると思った方がいいですね。いつから感染というのはわかりませんが、だいぶん最初からだと思います。死がきっかけになっているのはわかりますが、それに関係ない人にも感染しています。その現場に全員いたのかもしれませんが・・・。『宿主』と『霊』がごちゃ混ぜになっているみたいです。『霊』が『宿主』になったと考えられますが、無理があるかも・・。最後のブランコの二つ目が揺れ始めたのが、『霊』だと思うんですが・・・。すべて錯覚だったという話ですが、殺し方に繋がりがないんですよね。だから矛盾してしまうんですね。ん~~、ホラーとしての怖さはあまりありませんでした。グロな映像を見せずに演技で乗り切ったのは良かったと思いますね。音で脅かすのが多かったですね。病院は嫌いですから、不気味でしたよ(笑)。よくわからん所が多かったかな?リメイクの権利が、もう売れているみたいです。外国のリメイクは、駄目になるのが多いからな~。
2004/10/25
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◇下諏訪の他の所を書いときます。桜の名所が多いみたいです。時期がずれれば、ただの樹ですね。東町の伏見屋宅中山道五十五里塚龍の口(水飲み場)矢除石(天柱和尚が、この石の上に立ち武田信玄が、弓の名手に射させたが、すべてこの石に当たったと言う伝説の石)慈雲寺(1300年県立の古寺、天柱松の赤松が見事です)大石灯篭(江戸時代)魁塚(相楽塚、赤報隊の相楽総三がニセ勅旨の汚名をきせられ、ここで刑死された場所)少しですが、見る所はあります。場所が良くて晴れていれば、富士山が見えるらしいですね。そんな近くまで来ていたんだと、自分に感心しましたね(笑)。でも、富士山は見えませんでした。諏訪湖が見えた時は、お~っと思いましたね。下諏訪はこれで、終わりです(笑)。
2004/10/24
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◇諏訪大社下社秋宮からは1.2kmぐらいあるそうです。徒歩で訪れると30分ぐらいですね。少し道が上り坂になっていたために、少し疲れました。慈雲寺へ寄ったので、急斜面を下って諏訪大社下社春宮へ訪れました。御柱が両方ともありますね。ここには訪れる人が少ないみたいですね。諏訪大社は4つのお社で1つの諏訪大社だそうです。あと二つには訪れていません。どこにあるのだか・・・。少し歩いた所に下馬橋があります。舗装されたアスファルトの道の真ん中にあります。5mぐらいの曲線の橋です。徒歩で歩くのは禁止ではないのかどうかわかりませんが、そういう看板はありませんでしたね。歩いてみました。こんな感じですね。
2004/10/23
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◇松本は、あまり見るものがなかったので移動しました。下調べをせずに、訪れていますので、行き当たりばったりですね。下諏訪駅には、観光案内所がありました。そこでパンフレットをもらいました。徒歩ですが10~15分の少し上り坂で、諏訪大社につきます。 神楽殿の大注連縄は出雲大社と同じ大きさで、長さ8mだそうです。 出雲大社の方が大きかった気がしますが・・・。青銅製の狛犬は日本一の大きさだそうです。霞ヶ城址があるそうです。 看板はあったのですが、途中から看板もなくわかりませんでした。七不思議があるそうです。訪れただけではご利益はないかな(笑)。
2004/10/22
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◇秋の京都競馬場・快晴でした。暑かったですが、訪れた人は少なめでしたね。見るのには少ないほうがいいですね。G1の時に、パドックからレース場へ移動はなかなか出来ないのですが、余裕でしたね。マイルチャンピョンシップより少なかったのかも知れたせんね。 ちょっと機嫌悪そうです。パドック中ですので回っています。レース中、後方から一気にスパート中です。 ぽりぽり・・。ゲストは若槻さんでした。服が地味なので、友達がブウブウ言っていました(笑)。秋華賞・勝馬・スィープトウショウ。◇これだけ空いていると、早く帰れました。でも途中で、電車が止まってしまいました。前の快速が、走行中にドアが開いて確認が終わるまで停車しました。誰がドアを開けたのかわかりませんが、そんな事するなよ!晴れていて良かったですね。
2004/10/21
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◇台風がまたきました。香川は台風の西側なので風が強いかと思いましたが、雨が多かったですね。そんなに強風ではなかったですね。自分の家の周りはそんなに被害はなかったのではと思います。テレビでの報道では少し被害があったみたいです。友達の家辺りが浸水していたみたいです。香川は元々海の地域や川辺を埋め立てているところが多いのかもしれません。これからも続くでしょう。対策にはお金がかかるので、対策は不可能だと思いますが・・。舞鶴でバスの上まで水が浸水していました。どういう場所なのか、わかりませんね。とても信じられない映像でしたね。また台風24号が発生したみたいです。またくるのかな・・・?
2004/10/20
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◇夜も時間があったので、訪れて見ました。昼間よりは人の数は少ないですが、少しはいましたね。昼間も有名な城の割には、訪れる人が少ないと思ったぐらいですから。 姫路城・高知城・宇和島城・伊予松山城・丸亀城・備中松山城・松江城・彦根城・犬山城・丸岡城・松本城・弘前城が天守が実在する城だと思います。まだあるのかもしれませんが・・・。半分ぐらいは訪れた事がありますね。全部は無理でしょうけどね(笑)。少し本を読むと、天守頭部が大きくなったのは、冬に厳寒な地域なので、天守頭部を寒さから守る為に覆ったためだそうです。ん~、納得!
2004/10/19
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◇松本城へ訪れました。この城は、天守が現在の城で訪れていない中では一番訪れてみたかった城です。松本駅からは徒歩20分ぐらいですね。松本駅の観光案内で地図をもらい、見て歩くと迷う事はないと思います。でも、平城だから、近づかないと天守が見えないので、まだ着かないのか不安にはなりますね。その間には見るものはほとんどありませんね。 松本城を見た瞬間、ボロボロだな~と思いました。他の城が綺麗過ぎるから、そう思いますね。松本城は天守の上の方が大きいからバランスが悪いんですね。肉眼で見るよりも、写真で見ると上が大きく写り大きく見えます。他にはないと思いますね。実際にはそうは見えないのですが、広角レンズを使わないと、その様に映ってしまうそうです。現在は城の天守出口辺りが工事中です。でも、ここ最近では訪れたい城でしたので、うれしかったですね。訪れる事はないと思っていましたからね。もう一度訪れる事が、出来るでしょうか(笑)。
2004/10/18
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2004年10月17日貴船口駅 ↓貴船神社(工事中)奥院 ↓奥の院魔王殿木の根道鞍馬寺霊宝殿(入場料200円)鞍馬寺本殿由岐神社鞍馬寺山門(きんつば饅頭110円、山椒饅頭110円など) ↓鞍馬駅三条駅 ↓弥次喜多像池田屋騒動の碑酢屋豊臣秀次?のお寺高山彦九朗像小川亭跡辰巳大明神一力亭建仁寺(拝観料500円)六波羅蜜寺(無料)幽霊飴(500円)清水寺(拝観はせず、胎内めぐり100円)智積院(庭園350円)豊国神社方広寺(拝観料200円)耳塚 ↓七条駅淀駅 ↓京都競馬場 優勝馬スイープトゥショウ ↓帰宅◇まだ紅葉には、早いですね今までいけていない所を回りました。ガチャガチャで新撰組ピンバッチがあったので、買いました。紅葉の時期でないのに、もう人が多かったですね。この日は、暑かったですね。160 貴船神社 貴船神社奥の宮161 魔王殿162 鞍馬寺163 由岐神社164 三条周辺 高山彦九朗像、新撰組関連165 瑞泉寺 豊臣秀次菩提寺166 建仁寺167 六道珍皇寺 井戸 幽霊飴168 清水寺 胎内めぐり 前回28の清水寺&夜間169 智積院庭園170 方広寺 前回27の方広寺171 耳塚秋華賞 京都競馬場
2004/10/17
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◇日本シリーズで誤審があって50分近い中断がありました。その時をテレビで見ていなかったので、後の経過で見ただけですね。ドラマで言うと、最初の事件を見て最後の結果を見た感じでした。よくわからん~。問題って途中経過が大事なんだよね。審判には、その状況を見ていた意見が聞きたい。テレビで見ていると、リプレイで状況はわかりますけど、球場にいた人にはわかりませんね。本当に野球ってファン不在な企業スポーツですね。結局、審判と監督のやり取りを公開しない限り、何もわからないと思います。落合監督が出てきたタイミングとか、展示と言ったのかどうかか、審判団を集めたのかとか、説明の不備はなかったのかとか、二塁走者がその場を離れなかったのかとか、セカンドに入った人のエラーは付くのかとか、間違いの変更をしていたと球審が思っていたのかどうかなど、いろいろ疑問点はあります。球審が審判団を集めて意見を聞いたら問題なかったといいますが、そのタイミングはあったのかどうかすらわからない状況です。審判団を集めた話した所で、爺の妥協でしかなく、談合して言いくるめてしまおうと言う方向に走ってしまうと思います。もし、抗議の前に審判団が話し合っていたらと想定すると、ツウアウト二塁から始めるのでしょうか、チェンジだったのでしょうか?どちらにしても、監督の講義はすると思います。スポーツは平等を目指すべきであって、審判のミスを正当化する事が多すぎます。ほとんどの人は考え方は違っても、ビデオ判定の導入は皆思っている事だと思います。相撲、テニス、レスリング、競馬など、ビデオの導入でもめる事はないと思います。野球はストライキだけでは、何も変わってないと言う事だと思います。次々の新聞には、きちんと説明して西武側は告訴を取りやめたと報道されていました。どのように説明したのかはファンにはないのでしょうか?開かれていない野球では無理でしょうね。後で都合よく球団側に受けが良い文面を審判が談合した可能性もありますね。すべて闇の中ですからね!プロ野球が本当に正々堂々と戦っているのなら、ビデオ導入をお願いしたいですね。しないのは、不都合な人を守る為の野球だと思われても仕方がないですね。今回の誤審もファンに公開しないと思いますね。それが正々堂々やっているスポーツと胸を張れますか?西武の井原監督が悪者になっていた様に映っていましたが、そんな事はないですよ。監督として当然の講義ですからね。変な意味で盛り上がった日本シリーズ第一戦でした。
2004/10/16
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◇『熱き夢の日・2002年ワールドカップを招致した男たち・・・日韓共催と挫折の実録秘話あの名場面、感動ゴールの裏にもう一つの戦いがあった・・・』って長々しいタイトルを放送していました。あまり期待していないで見ましたが、良かったと思います。フィクションであって、ノンフィクションではないので微妙な所もあります。どこからどこまで事実であって、どこからどこまでが作り話かわからないですね。下手に当時の映像を入れていたのは疑問に思いますね。個人的な意見ですが、W杯誘致には反対でした。サッカーの知名度を上げる為には必要だったのかもしれませんが、あの時点ではW杯出場もしていないサッカー後進国でしかなかったからです。W杯開催が決まってから、フランスW杯に出場できなかったら、これほど恥さらしな事はないと思っていました。どうにかフランス大会には出場できました。2002年W杯開催は終わった時点では、『開催は成功、共催は失敗』だと言われていました。もう少し、日韓交流があるのかと思いましたが、韓国が政治的な理由で交流をストップする事が多かったですね。ドラマの中でも昔の戦争の事を言うシーンがありましたね。そうしないといけない理由が、中国と同じ様に韓国にもあった事にはふれない国なんですね。ドラマの最後のコメントで思いましたが、その後には良い結果を生んだと思いますね。2002年W杯開催前から問題になっていた箱物の競技場は今はどうなっているのでしょうか?市町村合併で隠れていますが、赤字を生み続けていると思います。キャンプ地誘致でも大金が動きました。ほとんどの所で大赤字だったと思います。その影響で倒産した会社もたくさんありました。賄賂社会の典型的な社会でしたね。ドラマを見ていて思ったのですが、韓国ってひどい国なんだなと思いました。ドラマの作り方の問題ですけどね・・・。韓国側の脚本も入れてもらいたかったですね。「プロジェクトX」や「その時歴史が動いた」みたいにして、中途半端なドラマにする必要はなかったと思います。真実を語ったほうが、説得力あると思います。ドラマとして良かったのではなく、その当時の裏側が見えたという点で良かったと思います。美顔を出しすぎですよ。そんなのばっかりなはずないだろう(笑)。このドラマでは本当の真実は見えなかったと思いますね。まあ、ドラマとして良いとは思いますが、ちょっと不満ですね。
2004/10/15
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◇楽天の監督に『田尾安志』氏が監督就任されました。田尾氏は 出身なので応援はします。でも、独立グリーグにはとっては、ダメージが大きいと思います。香川でもどれほどの人が、田尾氏が 出身だと知っているでしょうか?中日、西武、阪神では知名度は低いかもしれませんね。発表の次の日のスポーツ新聞は、『楽天打撃コーチ候補バース氏』が一面でした。掛布氏の事も書いてありましたが、「ミスタータイガース」なので、なかなか難しかったのかも・・・。段取りがちょっと悪かったとは思いますがね。 出身の監督ならオープン戦が誘致できるでしょうか。前には、香川出身の監督の時はオープン戦を開催されましたからね。そうなると、うれしいですが・・・。野球の経営側が無茶苦茶になっています。来年開幕には、どうなっている事でしょうか?あまりにも野球にファンがいないと思います。これがファンが望んだ野球なのでしょうか?
2004/10/14
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◇京都旅行159回目です。(間は飛んでますが・・・)光明寺は乙訓寺からも駅からも離れています。少しですが上り坂になっているので、自転車でもえらかったです。帰りは楽でしたが・・・。光明寺は、少し長めの大きな階段を登らないといけません。裏道もあるみたいですが・・。訪れたのは、まだ暑い時期だったので、木が青々としています。紅葉で有名な寺らしいですね。時期は違ったけれど、雰囲気は良い境内だと思います。でも、ちょっと外れにあって遠いから訪れにくいかな?☆☆☆ 光明寺 うんちく ☆☆☆西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地であります。 法然上人が24歳の時、奈良へ学匠となるべき師を求めて叡山を降りられたとき、この粟生野の里、当時村役の高橋茂右衛門宅に一夜の宿をお借りになりました。その時、茂右衛門夫婦は、上人の真剣な求法のお気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅である事を聞き、「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」とお願いいたしました。時は流れ承安五年(1175年)3月、ついに浄土宗を開かれた上人は20年間のお約束の通り、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説かれたのです。 光明寺は建久九年(1198年)に、かの源平の戦いで有名な熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)が戦いの明け暮れから、積もる罪業を償い極楽往生の道を求めて法然上人を訪ねました。 「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず救われる」との、あまりにも有り難いみ教えに歓喜し、直ちにお弟子となり剃髪しました。法力房蓮生と名付けられ、数年のご修行の後、喧噪の吉水を離れ、静かに念仏を称えられる地を求めて、上人ゆかりの地、粟生広谷に寺を建て、法然上人を勧請して入佛落慶法要を営み、開山第一世と仰ぎ、自らは二世となり、上人からは「念仏三昧院」の寺号を頂きました。これが光明寺の発祥です。第三世幸阿上人の時、建暦二年(1212年)正月25日、法然上人がお亡くなりになりました。晩年は奈良、叡山の古い教団から迫害を受け、滅後の嘉禄三年(1227年)には叡山の衆徒が大谷の墳墓を暴いてご遺骸を鴨川に流そうと企てたので、上人の遺弟達は秘かにご遺骸の石棺を嵯峨に移し、更に太秦の西光寺に移しました。 翌安貞二年正月20日の夜、上人の棺より数条の光明が放たれ、南西の粟生野を照らすと言う奇瑞が現れましたので、同月25日ご遺骸をこの粟生野の地で荼毘に付し寺の裏山にご芳骨を納め御廟堂を建てました。この時の奇瑞にちなんでこれ以後念仏三昧院は光明寺と称される事になりました。 (光明寺HPより無断でいただきました)鳥ヶ峰の山腹に本堂、阿弥陀堂などの堂宇が回廊で結ばれている境内。◇光明寺って調べてみると、たくさんあるんですね。ここも京都の光明寺って言わないと、わからないかも知れませんね。紅葉の時期に訪れると雰囲気は違うと思います。これで少しの間は、京都旅行話は終わりです。
2004/10/13
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◇京都旅行158回目です。長岡天満宮からは少し距離はあります。それほど車の通りも多くないのに、立派な道が作られている所はありました。何の為の広い道なんでしょうか?わかりませんが・・・。乙訓寺は看板があまりなく、少しわかりづらいです。門前にいると、石田家住宅で説明を聞いていた人に会いましたね。この時期は拝観料は無料みたいです。境内も荒れていました。ボタンの寺らしいです。その時期でないと、無人の寺みたいですね。境内もあまり広くありませんので、すぐ拝観しました。お賽銭ぐらいは、しないとね(笑)。この時期は訪れる人は、ほとんどいないと思いますね。☆☆☆ 乙訓寺 うんちく ☆☆☆乙訓寺は推古天皇勅願により,聖徳太子が十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立させたのが、この寺の始まりとされる。延暦3年(784年),都が奈良から長岡に遷都された時,桓武天皇は京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築したが,翌4年,建都の長官であった藤原種継が暗殺され,天皇は皇太子早良親王を当寺に幽閉された。早良親王は淡路島への流される途中に亡くなったが,以後桓武天皇の身内に次々と不幸が襲い,疫病・天災が続いたため,長岡京は創建からわずか10年で捨てられ,平安京への遷都となった。嵯峨天皇は,弘仁2年(811年),弘法大師を乙訓寺の別当に任命したが,これは早良親王の怨霊を鎮めるためだったとも言われている。永禄年間(1558~1569年)信長の兵火により一時衰微したが、元禄六年(1693年)五代将軍綱吉は、堂宇を再建して乙訓寺法度をつくり、寺領を寄せ徳川家の祈願寺とせらる。草創から一千三百有余年、時に盛衰はあったが、祈願寺として今日に及んでいる。境内には本山の長谷寺(奈良)から移された約2000本の牡丹が植えられており,4月下旬から5月上旬に見頃を迎える。 空海自刻の毘沙門天像は重要文化財。ボタン開花時期の拝観料は300円。宝物館は100円。◇時期が違えばこれほど違うものだろうか?花寺と言われる所は、薬草寺でもあるそうだが、牡丹は薬草になるのだろうか?時期の頃、訪れるべし!
2004/10/12
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◇パリーグのプレーオフ盛り上がりましたね。たぶんですが・・・(笑)。自分はテレビで見てですが、これほど野球が大変楽しかったのは久しぶりでした。ここ最近の日本シリーズよりも、楽しく見えましたね。消化試合の後の日本シリーズなんか、まだ野球してるのって感じでしたからね。西武が優勝を決めました。おめでとうございます。ダイエーはシーズン1位でしたが、優勝を逃しました。本とかでは、優勝の確率はダイエーが高いみたいに書いてありましたが、野球を見ているのでしょうかと思いました。ダイエーは西武に相性がものすごく悪いんですね。西武が勝ち上がった瞬間に優勝確率は低く感じました。でも今回は、4番の不振が響きましたね。一人のせいにしてはかわいそうですが、監督も決断を出来なかったのは仕方のないことだとは思います。でも、野球は結果がすべてですからね。放送されなかった地域もあったみたいです。シーズンよりも楽しかったと思います。日本シリーズは、盛り上がるのかな?一様、放送はされるからね(笑)。ファン以外は楽しめないかもね。
2004/10/11
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◇京都旅行157回目です。西国街道の石田家住宅からJR長岡京駅前筋まで戻り、その道を進んでいきまいた。阪急京都線の線路を越えた所で、長岡天満宮の鳥居が見えてきました。自転車で鳥居の所へ訪れると、自電車の入り口あちらみたいな事が書いてありました。そちらからを探しましたが、看板がないので途中の急な登り坂を押して上がりました。登ると池の周りを歩ける様になっていました。池の所には木の通路がありました。地元の人らしい人に聞きました。「自転車で入っていいんですか?」「入っている人がいるからいいと思いますが・・・」そういう事のので、自転車で入りました。反対側の看板を見ると、自転車乗り入れ禁止と書いてありました。失礼しました(笑)。少し入った所に、長岡天満宮の登り口がありました。そこは歩いて登りました。急な坂なので、自転車ではちょっとね。子供達がお参りに来ていました。本殿がある所は、そんなに広い境内ではないです。ここいら全体が境内なら広いですが、それじゃ本殿が小さすぎますね。早々と、本殿を後にしました。☆☆☆ 長岡天満宮 うんちく ☆☆☆当長岡天満宮の御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深いところであります。公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立であります。 爾来皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって「八条が池」が築造されました。中堤両側に樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、その見事さは我が国随一と言われ、花の季節には多くの観光客で賑わいます。社地は元10万余坪に亘って居りましたが、明治維新の変革に際し上地のため、現今は2万余坪を有しております。現在の御社殿(ご本殿、祝詞舎、透塀)は昭和16年に京都の平安神宮の御社殿を拝領移築したもので、正面朱塗りの拝殿は既存の拝殿を増改築したもので、平成10年秋竣工いたしました。長岡天満宮のキリシマツツジが有名。◇時期が良ければ良い所だと思います。その時期ではなかったと思っておきますね。そう思うと、ちょっと残念でした。
2004/10/10
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◇長岡京駅から徒歩5分ぐらいの近くにあります。勝龍寺城からはJR線をくぐらないといけません。観光案内でパンフレットをもらっていたので、訪れました。石田家住宅は国登録有形文化財だそうです。江戸時代末の建物らしく古い感じですね。建物の中に入ると中にはボランティアの人が説明をしていました。説明によると、まだ綺麗にする前の建物らしく、以前住んでいた人の手を加えた後が見えます。それはそれでいいんですが・・・。文化財と言っても、人が住んでいたらこんな感じなんでしょうね。今しか見られないものかもしれませんね。来年3月までは、今のまま公開して、その後は、改修工事に入るそうです。工事後も訪れてみたいですね。どれほど変わったのか見てみたいですね(笑)。☆☆☆ 石田家住宅 京都新聞より ☆☆☆ 日曜日限定で一般公開される石田家住宅(長岡京市神足2丁目) 京都府長岡京市の旧西国街道に面した国登録有形文化財の石田家住宅(神足2丁目)が20日から毎週日曜日に限り一般公開される。市は来年度以降に改修工事を計画しているが、見学を希望する人も多く、公開を決めた。 石田家は江戸末期の代表的な町家として2000年、国に登録され、03年に市が所有者から買い取った。もともと神足村旧家の住宅兼店舗で、当時は「紙屋」の屋号で和紙などを商っていた。 木造平屋、切り妻屋根の母屋は街道筋に面し、格子と出格子を並べた表構えが独特の風情を醸している。大屋根の下の白壁には虫籠(むしこ)窓が開き伝統的な町家建築の様式を伝えている。屋内は、通り庭が玄関から裏庭に続き、その北側に繊細な細工が施された座敷など六間がある。陶芸家だった先代の作品も並べる。 ◇この近くの道端に電車の看板があったけど、あれはなんだろうか?ここらでは西国街道が盛んだった時の、建物があるのはここだけと言うのは、さみしいですね。今頃建物を買い取るなんて、文化財に力を入れていない町かもしれませんね。ちょっとね~~~。日曜日限定なのを知らずに訪れて、偶然見えたのは、うれしかったですね(笑)。
2004/10/09
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◇京都旅行155回目です。勝龍寺城から少し北へ行ったところに勝龍寺があります。小さなお寺ですが、ここいら一帯が古墳跡?なの?少しだけお参りをしました。それほど書くことはありませんね(笑)。 ☆☆☆ 勝龍寺 うんちく ☆☆☆真言三宝宗の末寺。洛西観音霊場第十四番札所。本堂は、十一面観音で、鎌倉時代作の重要文化財である。また、同時代作の十一面観音像、聖(しょう)観音像、持国天像、多聞天像は市指定文化財となっている。寺伝によれば、大同元年(806)に帰朝した空海が唐・長安で学んだ青龍寺の名をとって開基。応和二年(962)大干ばつ、大飢饉の際、千観和上の雨ごいの効果によって勝龍寺と改名したと言う。また、元応元年(1319)に鋳造された鐘が大阪府能勢町の真如寺に残り、大阪府の指定文化財になっている。同寺は、この鐘が鋳造された十七年後の延元元年(1336)六月と、山崎の合戦の天正十年(1582)の二度の兵火によって焼け落ちたと言う。なお、現在ある鐘は三度目に鋳造されたものである。◇この後、地図の通り行って、迷いました(笑)。近くの川に城址の碑が立っていました。勝龍寺城は、川沿いに昔はあったんでしょうね。今は住宅地ですね。犬の散歩をしていた人が道を教えてくれました。ありがとうございました。線路があって道が選択できにくいんですね。まあ、こんな感じです。長岡京はまだ続きます。
2004/10/08
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◇京都旅行154回目です。涼しくなったので、京都へ訪れてみたくなりました。少し前に訪れた話です。JR長岡京駅の東側に観光案内所があります。プレハブの建物ですが、レンタサイクルはありました。利用料は500円だったかな?観光案内所で地図をもらいました。東側に観光案内所があるのは、ちょっと不便な面もあります。それはJRなどの線路で道が限られて通れない道があるからです。わかればそうでもないと思うのですが、観光客には不便な感じがします。そこから南東へ訪れた所に、勝龍寺城跡の勝龍寺城公園があります。訪れた時は、堀の周りを地元の方が掃除していました。なんだか入りづらい感じですね(笑)。半周ぐらい回った所に門がありました。そこから入りましたが、なんだか入りづらい雰囲気です。建物は本丸の形をしています。入場料は無料ですが、資料館みたいになっているんですね。庭なんか勝手に見ていいのか、わかりませんでした。雰囲気に負けました。入り口が狭い公園は、なんだか怖いですね(笑)。これなら入場料を取ってくれたほうが入りやすいですね。少し庭を見て、帰りました。後で知ったのですが、ガラシャ像があったみたいです。見てみたかったですね~。 ☆☆☆ 勝龍寺城 うんちく ☆☆☆勝龍寺城は南北朝時代の延元4年(1339)足利尊氏に属する細川頼春が北朝方の前線基地として築いた。この地は西岡地方と呼ばれ、京都の南西部を守る要衝の地で、淀川沿いの男山、山崎方面に進出してきた南朝方に対する備えの城であった。時代は下り、応仁元年(1467)に始まる応仁・文明の乱に際して、細川勝元を総大将とする東軍が西軍の糧道遮断のため天王山に築城すると、山名宗全を総大将とする西軍は畠山義就を勝龍寺城主として陣所を張り対抗させたと言われる。戦国時代になると、細川氏の家来筋にあたる三好一族の岩成友通が城主となるが、永禄11年(1568)織田信長が足利義昭を奉じて上洛の際、柴田勝家の軍勢に攻撃されて落城。信長は陥落させた後、築城者細川頼春の流れをくむ細川藤孝(細川幽斎)に勝龍寺城を与え、藤孝は城の大修築を行なった。藤孝の築城は前方後円墳を本丸に利用したものである。細川藤孝の子忠興と明智光秀の息女玉(後のガラシャ)が祝言をあげたのもこの勝龍寺城である。(「細川ガラシャ夫人」は、名前を玉といい、明智光秀の三女)天正7年(1579)細川藤孝が丹後田辺城に移ると、矢部氏、猪子氏が勝龍寺城の守将となった。天正10年(1582)山崎の合戦で羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れた明智光秀は勝龍寺城に後退、坂本城に逃げ帰る途中、山科で土民に襲われて命を落とした。光秀亡き後はその重臣三宅綱朝が勝龍寺城を守ったが、秀吉の大軍の前になすすべもなく落城し、その後勝龍寺城は廃城となった。本丸と沼田丸の発掘調査により少し変更されて復元されました。◇少し綺麗なお城です。でも、綺麗過ぎる感じはしますが・・・。その当時の面影はどれほど残っているのかは少し疑問ですが?古墳の上に本丸と言うのも珍しいですね。今は関係ないと思いますが、どうなんでしょうか?少し、文章的には歴史がある場所でした。
2004/10/07
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◇『週刊ベースボール』を買いました。子供の時以来かもしれません。久しぶりに読んでみて、内容がないな~と思いました。野球のグランドの事が載っていないんですね。ストの影響もあったのかもしれませんが、ひどい内容だと思います。記者は何の為に試合前にグランドの入っているんでしょうか?意味がないのでは?記者のコメントは載ってても、選手の発言は少ないですね。規制がかかるのはわかりますが、それでもひどいですね。『ベースボール』の外の話ばかりではね・・・。『サヨナラ近鉄』本の中にも、その様に書いてありますけど、今の情報では、消滅状態になるのは『ブルーウェーブ』ではないでしょうか?『バッファロー』の名を残して、本拠地を大阪に移す予定ならね。まだ本決まりではないのでわかりませんが・・・。すくなくとも全選手のコメントは載せないといけませんね。ストの時も同じくね。『ライブドアx楽天』自分には関係ないので、どっちでもいいですが、楽天で決まりなんでしょう。本に書かれる前に、テレビでも読売との裏話の話は流れていましたので、本の内容は呼んでいません。背広で来ない人間は駄目だと報道は言っています。正式の場はそうかも知れませんが、そんなことどうでもいいことじゃないですか・・・。野球が好きかどうかに比べるとたいした事ではないと思います。報道の人が記者会見場に背広でしか訪れたことがないと言うのなら話は別ですが・・・。テレビの報道でも城西のラフな格好は許されるのですか?先進国首脳会議でもノーネクタイと言うことがありました。それをバッシングした人が、どれほどいますか?結局日本は弱いものたたきが好きな人種って事じゃないですか。評価の基準が低すぎます。両方を参入されるぐらいの器量が球界にほしいですね。『独立リーグ』本当に野球が好きな人はどれほどいるのでしょうか?地元に球団があっても、見に行かない人がほとんどです。強ければ見に行くみたいですが・・・。その中で、『独立リーグ』が出来ました。報道では良い面しか報道していませんでした。それは、わかりますが、本音を言ってください。本拠地の市とかは良いコメントをしていますが、どの様な協力体制をするのかは、まるで言いません。内容発表後の状態は悪い方へ流れています。早めの建て直しを・・・。『プレーオフ』地方では報道されません。なかなか良い試合ですが、見れないのは残念です。地方で放送しないのなら、国営BSに権利を売ってください。この様な時でないと、パリーグを放送しない民法は放送する権利があるわけがないでしょう。都合の良さにも限界があるんだぞ!今日はBSで放送があるみたいでほっとしています。個人的にはプレーオフには反対ではないです。6月には各リーグ3チームは優勝争いからほど遠い状態になっています。そんな中、だらだらしたプレーを見せて客が離れていくのは仕方ない事だと思います。その中で、わずかな活気があったのは、良い事だと思います。『プロ』でもね、本当の問題は、プロの選手にプロの意識がかけていることが原因だと思います。6月頃から消化試合をしている中、気合を入れることも出来ないのはわかります。お金を払って見に行く人がかわいそうですね。自分は合併反対の署名をしましたが、本当にみなさん2リーグ性を支持しているとは思えません。どっちかといえば、だとおもいます。この状態のままだと、縮小方向へ向かうのは目に見えています。報道の方もプロとしての意識は、まるでないみたいですからね。井川選手とかイチロー選手みたいに、自己管理をしている選手はつまらないと言います。日本社会(会社)でもまじめな方は駄目だといわれますね。日本人は他人を評価せずに、つまらないと平気で言います。現代風に言うと、うざいでしょうね。本人の価値観を押し付けて他人を傷つけている事には、何も注意を払いません。プロとして当たり前の事をして結果を出している選手を低く評価しすぎですね。二日酔いや、寝坊したりして仕事している人間とは違うんですよ。つまらないやうざいと言う言葉を言う人に、スポーツなんか理解できないと思います。まじめに生きる人がけなされる世の中ですからね。報道が勝手に視聴率を予想して放送しないのは勝手です。だったら、国民に聞いたわけでもないのに、視聴率が取れないというな。今までスポーツを放送したら視聴率が取れたから、あぐらをかいていたくせに、視聴率が取れなくなると手のひらを返しやがって!プロ野球はまだ続いています。放送と報道はされませんが・・・。報道がいい加減なのは、国民のせいでもあります。政治家も同じですけどね。報道は企業なんですから、プロの意識を持ってください。まあ、無理でしょうけどね。『イチローの新記録』イチローの新記録の報道ですが、日本の新聞はイチローが打った瞬間を、アメリカの新聞はイチローの喜んでいる姿を報道していました。この違いが、野球に対する姿勢だと思います。瞬間よりも大事な事だと思います。ささいなことですが・・・。独り言ですが、気にしないでください。
2004/10/06
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◇大垣の続きです。無何有荘大醒(謝?)を探したのですが、看板しかわかりませんでした。建物がどこにあるかわかりませんでした。残念!円通寺です。真っ暗だったのでよくわりませんが、門はりっぱですね。写真では真っ暗ですが、もう少し人の目では明るかったです。八幡神社へ寄って、名水を飲んで帰りました。他の所で汲んだ名水は、落としてしまいました。残念!大垣はこんな感じでした(笑)。
2004/10/05
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◇大垣は城の近くには、何々の跡がたくさんありました。当時の面影は、ほとんどありません。石碑があるぐらいですね。大垣城大手門跡大垣城西総門跡大垣城東総門跡美濃路大垣宿本陣跡 などいろいろありました。大垣って、山の中なのかな?所々に地下水が出ている所があるんですね。自分からしたら珍しい光景ですが、他県の人は思わないのでしょうか?京都にも、少し湧き水が出る所がありますね。盆地だからかな?住吉燈台と船町港跡だそうです。夜なのでよくわかりませんが・・・。燈台は金比羅さんの灯台の半分ぐらいですね。この川の反対側には、『奥の細道むすびの地』の銅像がありました。川沿いには、芭蕉の句が刻まれている碑が所々にありました。あまり芭蕉について詳しくないのでよくわかりませんが・・・。記念館もあるそうですが、夜なので閉まっていました。この辺りは、パチンコ屋のネオンで赤く川が輝いていました。ここ以外は、人気がない所ばかりでしたね。大垣はまだ続きます(笑)。
2004/10/04
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◇大垣へ訪れました。夕方に訪れましたので、大垣城の中には入場することが出来ませんでした。少しですが城の周りも外堀の跡があり、当時を思わせます。観光案内の地図には、当時と現在の町を照らし合せてありました。大垣城ですが鉄筋コンクリートだったみたいです。昭和20年に空襲で焼失したそうです。入城料は、100円か200円だったので、ここまできたら入ってみたかったですね。なかなか訪れることは出来ませんからね。夕方には犬の散歩をする人ぐらいで、ほとんど町にも人けがいませんでした。『おあむ物語』はこの城を徳川方が夜襲をしたさいの話だそうです。どの城も物語は、わずかながらあります。この話は、少し有名らしいですね。知りませんでした(笑)。城の横にある松は『おあんの松』と言うそうです。話の中に出てくる同じ人のことです。興味のある方は調べてください。 夜の大垣城も、なかなか綺麗でしたよ。大垣はまだ続きます(笑)。
2004/10/03
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◇あんまり期待をしていなかったのですが、なかなかよい作品です。内容的には、SFではよくあるロボットの反乱ですね。『マトリックス』の初期の段階ですね。アニメではよくある話です。2045年にこの様になっている時代が来るとは思えませんが・・・。この主演者は、今までよいと思ったことはありませんが、今回が一番よかったです。ロボットのCGも、あんまり違和感がなかったですね。でも、ロボットの顔がぶきみです。謎解きっぽくしたかったのかもしれませんが、なぞ解きっぽくなかったですね。『AI』の方が内容に深みはありますね。最後のシ-ンは、続編ありって事でしょうか?映画館で見て良かった映画でした。
2004/10/02
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◇昔造られた作品ではなく、現代で作られた『アラモ』です。感想は、予想通り駄目でした。何が駄目かって、ほとんどが駄目です。褒める所は、現代の作品としては、評価はしないほうがいいと思います。昔の『アラモ』を見ていなければ、わかりづらいのでは?自分も数年前ににDVDでみました。おまけもちゃんと見ました。その後は、衛星で放送しているのを見ました。その『アラモ』は、批判されながらも製作して、完成されると評価の高い作品だったそうです。今見ても十分楽しめます。現代作られた『アラモ』は、中途半端ですね。アラモ砦も最後まで話が続かないし・・・。人物のいざこざも時間不足の表現不足で、変なまとまり方をするし・・・。音楽も、ちょっと違和感が・・・。アラモ砦後も、短時間で戦争するし・・・。映画は、人間関係や勢力関係にもっと重点を置かないと戦争映画は一方的な虐殺になったしまうんですね。その通り虐殺映画でした。この映画の作られた意図はわかりますね。『アラモ』がわかっていなければ、わからないかもしれませんが・・・。政治と映画(ハリウッド)の結びつきの問題です。その時勢を表した映画が作られるということです。『ボディガード』や『シンドラのリスト』なども意図的な作品です。『アラモ』は完全な失敗作品ですが、意図的な作品です。その為か、有名な人も出ず、作られた事も評価されず、宣伝もほとんどされず、ひっそりと上映されていました。『アラモ』は、それほどめんどい話なんですね。日本人には、『アラモ』は理解しがたいかもしれませんが、価値観の違いだと思っときましょう。この映画を見ると、世界情勢のどちらを応援しているか、わかりませんね。それほどまでに、時勢に不利な映画だと思います。見ようと思えば見えますが、金を削ったと思われる撮影の仕方をしています。製作途中で金銭面の縮小があったのかもしれませんね。誤魔化しがばればれですね。映画の中では英雄は英雄でいいと思うのですが、それを否定するのも、どうかと思いますが・・・。この映画は、こんな感じかな?『アラモ』の言葉を使っただけの作品でした。
2004/10/01
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