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「オレに言わせると・・・」がぼくの親父の口ぐせだった。NHKのドキュメンタリーと歴史物が好きで、バラエティ番組が大嫌い。ぼくらがテレビをみていると「くだらない」とチャンネルをかえてしまう。若い頃の武勇伝と自慢話ばかりを聞かされていたぼくは、正直うんざりしていた。経営者であるとはいえ、それぼど成功を収めたわけでもなくこじんまりとした生活ではあるが、家族と自分のプライドのためがんばってぼくの親父は非常に不器用な人間だったのだと思う。親父自身がその父親である祖父に反発心を抱きながらその祖父に性格がそっくりなぼくを自分のものさしにあてがい自分と趣味嗜好が似ていた弟を必然的にかわいがる家族の前では常に自分が中心でないと満足せずその口ぐせからも読み取れるが、自分以外をみくだした発言が多かった。典型的な内弁慶だったのだろうが、親父はえばっている姿しかみせたことがなかったため社長とはこういうものなんだ、と子供ながらに誤った解釈をしていた。そんな親父が大嫌いだった。憎んでいた時期もあった。たまの週末に家族で中華料理を食べにいくと、必ず自分のチャーシューをぼくに与えてくれた。その行為自体も『親父のポイント稼ぎ』だと思っていた。それぼどに青年期のぼくは心がゆがみねじれていた・・・。ぼくが生まれたときの父の年齢に近づくにつれ、いろいろわかってきたことがある。まだ子育ての経験がないので、自分がどんな父親になるかはわからないが人間は不完全なものなのだから、最初から完璧な親なんていない。貴乃花とちょうど生まれた年がおなじであるぼくとしては、その心中は複雑である。ぼくの親父はまだ健在だが、もう60歳を過ぎている。長男としてなにがしてあげられるのだろうか?
2005/05/31
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子供の頃、ずっと耳鳴りがひどかった。つねに「ピ~~」と超音波のような高音が耳の奥でしていた。いまになって思うと、幼少期のストレスが原因だったのだろうとも思えるが当時は原因不明で、毎週のように耳鼻科に通院して治療を受けるしかなかった。小学3年の夏休みに通院していた耳鼻科で扁桃腺の手術を受けた。すごく痛い思いをしたのだが、担当医が扁桃腺を切りたがることで有名な先生だったらしくおなじ病院で診察をしたにもかかわらず、弟は薬の投与で扁桃腺の治療をした。逃げられない状況に陥ると行動するが、逃亡できる範囲内ではとことん敵に背を向けるストレスへの耐性はあるが、踏ん張ろうとの意思がないため逃げ道をさがす物心ついた頃から18まで日々逃げ出せないストレスと対面していた結果そうなってしまったしばらく耳鳴りのことは忘れていた。つい最近、耳鳴りがしているのに気がついた。なにかストレスを感じているのだろうか?
2005/05/30
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人間ってのは欲を張るときりがない。なぜ高給取りの国家公務員が不正汚職をくりかえすのか。国民の血税を無駄にしている。官僚は基本無給にして成功報酬制にしたほうが真剣に仕事をするんじゃないか?『株式会社 日本』の役員は株主である国民の利益を無視した経営をへいきで実行している。自分たちがルールブックだから、揚げ足を取ったり不利になるようなことは絶対にしない。路上駐車の取締りを民間に委任したり、陪審員制を導入したり、民営化を推し進めているが憲法改正も市民の視点で意見を取り入れながらやったほうがいいのかもしれない。これからの日本を背負ってたつ若者が、フリーターだのニートだのと低所得、もしくは無職で年収300万時代、やれ勝ち組だ負け組だと言われ湯水のごとくカネをつかう人種と清貧の生活に身を置くしかない人種で格差が生まれますます若い世代で出産育児が困難となっていく。少子化が問題とされていても、それを解消する政策はほとんどない。そういう意味では高所得で子沢山の橋下弁護士は見習うべきである。ぼくの場合は他人をうらやむことがあまりない。運なのか実力なのかわからないが、成功者にはそれなりの転機と決断があり決断できなかった成功者はいない。過去のぼくならともかく、他人をねたむなら自分もまねしてやればいいと現在は思っている。過去に2ヶ月ほど、『ガス』のない生活をおくったことがある。さすがに電気がないと原始的でなにもできなくなってしまうがガスがなくとも冷蔵庫も電子レンジも動くし、ポットも炊飯器もあるから困らない。風呂も冷たいのを我慢すれば大丈夫、さすがに夏場しか我慢はできないが・・・。こうして考えると、こじんまりした状況でも人間は我慢することで日常となってしまうのだ。「低所得ならそれなりの生活レベルに落とせばいいじゃん」政府が国民をそう洗脳しようと企んでいるのであれば、当然だが経済は活発化するはずもなく少子化がますます進んで年金制度崩壊どころの騒ぎではなくなるのかも・・・。
2005/05/29
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やすきゅんです・・・、生まれてこの方、コンパというものをやったことがありません。『王様ゲーム』とか、宴会で盛り上がるのが苦手です。自己防衛本能が強すぎて、はじけられないからだと思います。よく、いやなことを忘れるために酒を飲むなどと聞きますが、お酒自体が好きではないのかも。それでも学生の頃は、仲間同士の付き合いで飲むことはあったので少しは強くなったほうがいいな、と冷蔵庫にリキュールや養命酒を買い込んで、ちびちびやってました。なにせ、ビールの苦味がなんとも好きになれないので「プハ~ッ」と風呂あがりの一杯とかビール通の至福の瞬間がわかりません。ジンジャーエールが大好きなぼくとしては、ビールは我慢して飲むものだといまだに思っています。昨日、近所の酒スーパーで買い物をしました。『薩摩本格芋焼酎 一刻者(いっこもん)』というお酒です。それと、缶チューハイの『-196°』缶チューハイを買ったのは、ネットで知り合った酒屋経営の友達がおいしいと薦めてくれたからで飲んでみたら、確かにおいしかった。ぐいぐい飲めてしまいました。でも、お酒を飲むことがほとんどないためすっかりアルコールに弱くなっていて一缶を飲み干す途中で顔がポカポカして、足の指までジンジンしています。『酒は百薬の長』と言います。芋焼酎を買ってきたのは健康のためで、焼酎は血栓を溶かす効果があると聞いたことがあります。肥満体型のぼくも糖尿病など気をつけないととんでもないことになってしまいます。いまの仕事はとにかく歩くので、ウォーキング効果があると思ってやってますが太っているにもかかわらず、血圧だけは正常値なのは心臓が丈夫だからなのだろうか?よくよく考えてみると、酒のなにがいやかというと、あの苦味で逆に考えると甘い酒なら飲める、ということになる。たしかにジンジャーエールが大好きなんだから、ワインやカクテルは普通に飲める。養命酒を飲んでいた頃も違和感がなかった。あまり飲みすぎるのは肝臓に負担をかけてしまうが飲酒することでリラックス効果やストレス解消として適度に飲むのはいいことなんだろう。
2005/05/28
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先日は飲酒運転の話をしたが、交通事故というものは本当に怖いものである。自分自身、何年も夜勤で長時間の勤務の不規則な環境で仕事をしていて居眠り運転で事故を何回も起こしたことがある。不幸中のさいわいにして、信号待ちでブレーキから足をはなしてしまい前方のクルマに「コツン」と当てた程度で、人身事故に至るまでひどくはないが一般人が生涯に起こすであろう事故の回数よりははるかに上回っているはずである。ぼくが夜勤は絶対にやりたくないという理由のすべてがそこにある。交通事故によってぼくの人生が狂ったといっても過言ではない。それくらいハンドルを握るということは、責任のあることなのです。中学の頃、文化部に所属しているにもかかわらず、ぼくは球技以外のスポーツが得意だった。小学校の頃に競輪選手を夢みて自転車をこぎまくり、ボーイスカウトで長距離をあるいてまわりぼくの太腿の筋肉はJリーガーと並んでも見映えするほど鍛えられていた。そうした経緯あり、とくに走ることに関しては自信があって、短距離も長距離もそこそこだった。あれは忘れもしない、15歳のクリスマス。12月25日のことである。受験生だったため冬休みも補習で学校からの下校途中だった。この帰宅途中、信号のない交差点にむかう下り坂でぼくは自転車を走らせていた。そして交差点の向こう岸へ渡ろうとした瞬間、対向車線の左手にトラックの影が見えた。それ以降の意識はなく、気がつくと天井が動いていた。不思議な感覚だった。ぼくはトラックにはねられたのだ。もちろん交差点にとびだしたぼくに非がある。しかしながら、トラックの運転手も速度オーバーした上でよそみ運転していたらしい。聞いた話では、ぼくを跳ねた事に気づかずノンブレーキで20mほどひきずられたらしい。左脚のかかとに自転車の前輪の泥よけが刺さったためだという。ぼくは左脚のかかとの関節を複雑骨折した。3度の手術で25針以上縫ったが、おかげで靴のサイズが左右変わってしまった。しかし、そんなことよりショックだったのは、走ることができなくなったこと。走れないというのは語弊があるが、昔のように走れなくなったというのが正解か・・・。走ることに自信があった人間が、走れなくなった。なんとも言いがたい挫折である。しかし、交差点を不注意でとびだした自分に責任があるのだから仕方がない。世の中には生まれもってハンディキャップを背負っている人がたくさんがんばっているのだから。ノンブレーキのトラックに跳ねられ20mひきずられた状況を冷静に判断し事情聴衆に病室に見舞いに来た警察官が「生きていることが奇跡だ」と言っていた。奇しくもこの年の夏、ぼくは唯一の理解者であった祖父を亡くしていた。世界中で、生きたくても生きれない人が大勢いる。しかしぼくは生と死の選択で生きることを選択したのである。通常では死んでもおかしくない事故に遭遇しながらも、ぼくは生還した。こうして与えられた命だからこそ、なにかを残さなければいけない。自分が生きたという証を証明できるまで、不自由な左脚を引き摺りながらも進んでいく。
2005/05/27
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最近にも飲酒運転で多数の被害者がでてしまう事故があった。道路交通法が改正されてもこの世に酒があるかぎり飲酒運転はなくならないだろう。しかし、酒の存在が悪なのではなく、車で飲みにいくヒトの意識に問題があるわけでいくら罰則を厳しくしようが、意識がないひとにいくら言っても仕方がない。校則を破る中学生のごとく、悪いことを悪いと認識していないのだから。どこかの国ではクルマにアルコールのセンサーがついていて運転者からアルコール反応があるとエンジンがかからない仕組みになっていると聞いた事がある。自動車メーカーは『エコ』だの『ハイブリッド』だの言う前に、危険予知の意味でもそういったところに力を注ぐべきではないか?『エコ』も『ハイブリッド』も事故を引き起こさないが、飲酒運転は事故を引き起こすのだから。何度も言うが、酒が悪いのではなく、運転者の考えに問題があるのです。さて、飲酒も問題だが、ぼくがもっと問題にしたいのは『ウインカー』である。運転していて、ウインカーを出さずに左折したり、車線変更するクルマが非常に多いことに気づく。申し訳程度にも出せばまだいいが、「そんな機能はついてません」とでも言いたげにあたりまえのように車線変更で目の前に割り込んでくるドライバーがいる。こんなでは怖くて車間距離もうかつにあけれない。つねに前方のクルマとギリギリの車間距離じゃなくちゃいけないのか?運転するマナーとして、ウインカーも出せない人間はハンドルを握るべきではない。
2005/05/26
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先週のパイプのつまりに始まり、その後の流しの水漏れに苦戦していたがどうやらこの築30年の建造物の排水構造はあまりにも単純でパイプの根元をみたところ、流し台の下の部分とキッチンの床が同じ高さなのではないかという推測がうまれた。つまり、排水溝というものがなく、流しからの水は流し台の下に一時的にたまってしまうのです。だから、流し台の下の板の部分から水が染み出してきていたのでした。その構造にびっくりしたが、予想していたのは流し台とガスコンロの台の間から水が漏れてきたので水が染み出しているのは横側だろう、と完全に思い込みをしており防水ボンドで流し台の横の隙間をうめてひとあんしん。ところが試しに水を流してみたら、またまた水漏れしている。そこでやっと原因がわかりました。水漏れの原因は流し台の正面部分からで、フロアマットが貼ってあるためわからなかったのです。フロアマットと床との隙間を流れ込んで、流しの横から水漏れしていたのでした。原因がわかり簡単に修繕することができましたが、ここにたどり着くまでの道のりは長かった。このことは社会生活のあらゆるところで言える。推測で原因を断定し、多大な労力を注いでみたが結果が出なかった、ということはよくあります。まちがいを早い時点で発見し、方向修正をしていかなければ結果が出せません。行動してみないとわからないこともたくさんあるし、やってみて失敗して学習できる。『言うは易し行うは難し』でも、やってみないといけない。
2005/05/25
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パソコンを再インストールしました。帰宅して立ち上げたら、何分経っても動かない。セーフモードでもだめ。せめてセーフモードで起動してくれればデータのバックアップができるのに・・・。でもショックが少ないのは、ウイルスにやられたりと何度も失敗しているので重要なデータはこまめに外付けHDに保存していたから。そうは思いながら、昨日までの状態がいちばん使いやすいセッティングであっただけにこれからソフトなどをインストールしなおして環境を整えなくちゃいけない。いちばん痛いのは、家計簿のデータがCドライブにあったためバックアップができていないこと。せっかく家計簿をつけながら毎日財布の残金と照らし合わせているのにデータがなくては何を買っていくらつかったか、正確にわからなくなってしまった。このところ、なんだか調子が悪かった。突然【カタカタカタカタ】と唸りだしたかと思うと勝手にシャットダウンしてしまう。ウィンドウもそんなに開いてないのにフリーズする。PC診断をしたら『健康』との結果がでたが、どうやらぼくの友達は老衰なのかもしれない。若い頃に無理をしたしわ寄せが老年になってからやってきたのだ。きっとそうに違いない。このままいくと、そのうちにお迎えが来てしまうのだろう。『大きなのっぽの古時計』そんな心境です。
2005/05/24
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テレビでやっていたが、Tシャツを頭から着るひとは『隠れマザコン』らしい。本人がそう自覚していなくとも行動でわかってしまうのだと言う。子供の頃、母親が服を着せるときはくびから通して、あとで腕をだす。でもこの方法は肩の部分がのびてしまい、とても非効率的。成長するにつれ、腕を通してから最後に頭、と効率的な方法を自然と身につけていく。しかし本質的にマザコンなヒトは、母親から教えられた方法からなかなか変えることができず大人になっても相変わらずの行動を無意識にしてしまうそうです。なるほど不思議なもので、幼い頃より両親が共働きであまりかまってもらった記憶がないぼくは頭から着るなんてやりにくくて思いつかなかった。保育園でも母親のお迎えが来ないため、いつも最後の最後まで先生と二人で居残りだった。そんなとき、おじいちゃんがスーパーカブに乗ってお迎えにきてくれたのを憶えている。無意識な行動に性格があらわれるものは他にもあって、携帯電話をどちらの手で使うか?むかしは電話機をプッシュするのに利き手を使うため便宜上は左手で受話器を持つしかなかったが携帯電話が普及しコードがなくなった今、利き手で持ったほうが操作がしやすい。ところがぼくの場合は携帯電話で通話するとき左手で携帯を持つ。これは『頑固で柔軟性がない』性格のあらわれなんだそうで、なるほどと納得してしまった。血液型も同様だが、あくまでデータの蓄積による統計学が関係しているのだろうが詳しく分析すればなんでもわかってしまうんだな・・・。そういう情報が判断基準としてあれば、嘘を見抜いたり、詐欺の被害にあう確率も減るのかも・・・。
2005/05/23
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『尾崎豊』がきらいである若者の代弁者として名曲を残し、カリスマとしていまもなお支持される偉大な人物である。こんなことを言うとファンや支持者には非難されるかもしれないが、ぼくにとって重要なことだ。大学生になったぼくは、ろくに学校もいかずにバイトに明け暮れた。夜になると毎日のように名古屋駅で新幹線の車内清掃。休みの日はカーナビの地図作製で現場調査のバイト。そうこうして貯金をつくり、19のとき「中型自動二輪」免許を取得した。それから65万で400ccのバイクを購入した。これは自分にとっての初めての足で、これさえあれば電車やバスの時間待ちもなくどこへでも自由にいくことができた。しかし、ある日を境に初めての愛車はぼくの前から姿を消した。事故をして壊れたのではない。学生寮の駐輪場からいなくなっていた、つまり盗難にあったのである。社会人になる前の、それほど豊かでなかったぼくがどんな想いでバイクを手にしたか・・・。尾崎豊の人格を否定しているわけじゃないが、『15の夜』この名曲のサビを聴くたび思い出す。尾崎豊ファンには申し訳ないが、若者に影響力があっただけにやりきれない。討論番組の誰かがこんな意見を言っていた。「万引き」したって簡単に言うけど、そんな子供は学校に行く必要ありません。勉強する資格がないですから。『学問』を学ぶ前に、人間としてどうあるべきかを学ぶべきです。それができてないから他人を簡単に傷つける行為をするんです。
2005/05/22
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昨日のことだが、寝る前にハミガキをしていたら足元が冷たく感じた。電気もつけず暗いままだったのでよくわからなかったが明かりをつけてびっくり!!床にみずたまりができていた。つい先日にパイプのつまりをなおしたばかりなのに、こんどは排水溝に問題があるのか?となりのガスコンロ台をどけてみたところ、流しの横側から水がしたたりでてくるのがわかった。流しの下をみたところ、よくよく考えたら築30年だけあって構造が単純すぎる流しのパイプでさえSの字じゃなく、洗濯機の排水の蛇腹ホースがつないであるだけだし・・・。とにかく、根本的な修理は不可能と判断したのでさっそくホームセンターへいって防水テープとパテで水漏れ箇所を埋めてしまおうと思う。
2005/05/21
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ブルース・ウィリスの『アルマゲドン』ベン・アフレックも出演していました。この映画をみたことが、ぼくが映画館通いをはじめたきっかけの映画だった。映画というのは『エンターテイメント』なので楽しめればそれでいい、ぼくはそう思っている。マニアの方の映画レビューとか、評論家からのコメントなどを読んでいるとやれ「時代背景が・・・」「キャスティングに問題が・・・」「専門家の意見としては・・・」などと事細かなダメ出しや批評がされている。確かにリアリティを追求するのも必要だと思います。素人が短期間の訓練で宇宙飛行が可能かどうか?そんなことは映画の世界では口にしてはタブーなんじゃないかとさえ思えます。『はだかの王様』で充分です。「映画はシアターで観賞するもの」だと常々ぼくは思っているわけですが上映時間と入場料を費やして足を運ぶわけだから、楽しまないと損してしまう。愛知万博でさえ各方面からいろいろな批判をうけてはいるが、連日入場客がいるわけです。なんだかんだいいながら食わず嫌いで、実際その環境になると案外たのしかったということもあります。嫌いだのつまらないだのと批判的な考えばかり持つのは非常に残念です。そうは言いながら、ある視点では愛知万博は名古屋市民にとっては税金の無駄遣いだと思えもします。運営側の腹黒さみたいなのが見えてしまうと胡散臭くなってしまうのも事実です。理想的なものは『ディズニーランド』なのでしょう。現実世界から解き放たれたメルヘンランド。運営側も極力それを望んでいる。『来場者は満足して帰っていき、是非また来てみたい』そう思わせることで結果的に儲かってしまう。まさに商売とはこうあるべきだと思います。自分がやるにしても、ビジネスはみんなを喜ばせて利益をあげるにこしたことがない。いまはまだ力量不足だが、必ず実現させたい。みんなの笑顔を見るのは気分がいい。
2005/05/20
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さくらも散って本格的にポカポカしてきた。いまの仕事は拘束時間がみじかいが、とにかく歩く量がはんぱじゃない。なので、汗をかきっぱなしなんです。とはいえ、そんな重労働じゃないので顔に汗が吹き出る程度だから、タオルは必需品です。ひたすら歩く仕事なので、ウォーキング気分でやると健康的ですがデューク更家のように歩くのはちょっとこっぱずかしい。まあ、午後から仕事なので終わりは夜の9時頃ですがとにかく歩くので足の裏がだいぶ痛くなります。疲れはないのに終わりに近づくと足がふらふらになってきます。毎日が遠足のような気分です。あったかくなったとはいえ、夜は肌寒いので、汗をかいたこともありせき込むことがあります。まるでぜん息の発作のようにとまらなくなることもあり、「もしや結核か?」ぼくは見かけほどカラダが丈夫でないので、いままでに経験のない症状に戸惑ったりもします。まぁ、こんな感じなので帰宅すると、ほどよい疲労感でついついうたたねしてしまうことがあります。夏も近いというのに明け方はかなり寒く、最近は雨が多いこともあり、風邪をひいてしまいそう。「ふとんで寝なきゃ」と思いつつも、机で寝ちゃったりふとんの上でちょっと横になったつもりがそのまま掛け布団せずに寝てしまったり・・・。寒さで夜中に目が覚めるのですが、こんなじゃいつ風邪ひいてもおかしくない。自己管理をきちんとできるようにならなければ。
2005/05/19
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いままで散髪は安くて待たされない、そして仕上がりの保障なし!の『クイック理容』でした。毎回のようにいまいち納得しかねる髪型で、でも散髪料を考えるとついついいってしまうまるで『家計にやさしい麻薬』のような存在のクイック理容、恐るべしです。しかし、あることに気がついたんですが、クイック理容のとなりに系列の美容院があるんです。学生の頃は氷室恭介を意識したように髪をのばしていましたが、自動二輪の免許をとってからはヘルメットをかぶるのに邪魔で、ずっとショートにしています。で、恐る恐る生まれて初めての美容院に足を踏みいれてみました。まさにそれは、心境は川口浩がジャングルに突入するときのような緊張感でした。自動ドアが開いてびっくり、男性客がひとりもいません。当たり前かもしれませんが・・・。昨今はカリスマ美容師などという存在もいて、おしゃれな若者は床屋じゃなくてヘアサロン、『これ常識』そんな風潮ですが、さすがにクイック理容の系列だけあって安さ爆発ですから頭にタオルを巻いて座っているのは、節約ダイスキなおばちゃんとおばあちゃんばかりこれまたびっくりです。ここ数年クイック理容でしか髪を切ってもらわなかったので、待たされることもひさしぶりででも、わざわざ予約をいれてくるような雰囲気の美容室でもなく、とてもビミョ~な感じで待ちました。しかしながら、今回で2度目の来店なのですが、ぼくはいつでもベリーショート派なので前回はヘアカタログをパラパラさせながら美容師さんが「こんな感じはどうでしょう?」みたいな仕上がりは大満足、そんな感じでした。クイック理容は「とにかく短くすりゃいいだろ」みたいな感じで、坊主と角刈りしか知らないようなそんなおじさん理容師がバリカン片手にサクサク仕上げていきます。値段がほとんどかわらないけど、シェービングがないだけでこんなにも違うのか、そう感心しました。すこぶる機嫌を良くしての2度目の美容院でしたが、カットの担当が新人だったようで「ベリーショート」と注文したら、いつのまにか坊主頭にされてました。ぼくは視力が弱いのでお店のカガミじゃ気がつきませんでしたが帰宅してからよくみるとカットの長さがまちまちで、ツンツンと所々長い毛が飛び出しています。坊主にするならバリカン使ったほうがきれいに仕上がるのに・・・。そうも思えましたが、『パッと見で坊主っぽいけど、実はランダムに計算されたカット』なんだ最新手法を取り入れた、じつはおしゃれなヘアスタイルなんだな!?ポジティブシンキングでそう自分に言い聞かせて、次回はほかの美容師さんにあたりますようにそう強く願うのでした。
2005/05/18
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台所の流しがパイプつまりしたようです。100均でパイプ洗浄剤を買ってきて、これでもかというほど試しましたが効果がありませんでした。ぼくの部屋は賃貸マンションだが、なにしろ築30年のオンボロ。以前すんでいたところは平成にもかかわらず江戸時代の長屋のような部屋だったのでそれに比べれば多少条件がよくなったのかもしれないが、壁のペンキがはがれたり押入れの天井から水があふれてきたり、いろいろトラブル満載です。風呂場にシロアリ大量発生したときはさすがにビビリました。そんな状況で、流しのパイプつまりをなんとかしなくちゃいけないんでパイプをはずして中を確認したら、なんと折れた箸がでてきました。どうやらそれに洗い物の残飯がひっかったのが原因らしいです。なんでこんなきたない思いしなきゃ、とも思いましたがやらずに放置しておけばパイプは詰まったままでつかえません。自分に利害関係がなければ見過ごすこともできますが、自分の生活が関与するからには自力でなんとかするか、報酬を払って誰かに依頼するしかありません。第三者に任すのは簡単ですが、自力で解決すればそれは経験として次回に役立ちます。『カネがなければ知恵をしぼれ、知恵がなければ誰かにすがれ』いざ困っているとき誰かが助けの手をさしのべてくれるよう、日頃の人間関係が大切だなと思います。
2005/05/17
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子供のころ、ファミコンに熱中していて思うようにいかなかったとき、いつもそうしていた。『えいっ!!』ボタン一発ですべてがふりだしに戻る。ボクシングなどは「13戦6KO」なんて無敗の王者もいるだろうが大相撲にしてもプロ野球にしても、めったなことじゃないと全勝優勝なんてまずありえない。ピッチャーで生まれてこのかた三振しかとったことがない、なんて超人はいないに等しいだろう。それでもヘンに完璧主義者だったぼくは、野球ゲームで負けるとリセットしてやりなおし勝った勝負はセーブして記録を保存、そんなことばかりしていた。だから結果は当たり前のように全勝試合で優勝。でもその影で無駄な時間を浪費している。『失敗は成功の種』よく言われるが、ただ失敗を繰り返すだけでは「ただのおっちょこちょい」失敗の原因を突き詰めて、再発防止と改善策を考えてこそ失敗した意味が生まれる。死にさえしなけりゃ人生何度でもやりなおせる。そう思えれば泥水をすすってでも這いあがるだろう。セミは7年間も土のなかでじっとしていながら、地上に出れば1週間のはかない命だという。しかし、考え方をかえればこれほど充実した人生はない。たった1週間でやりたいことをすべてやり尽して、人生を終える。ぼくもその輝ける1週間を迎えるまで、何年でも地中で待とう。そして7日目に、「オレの生涯、いい人生だったな」そう想いを馳せることができるよう、いまは深い地中でがんばらなければいけない。
2005/05/16
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Mr.Children の『くるみ』、PVの内容がよくて思わずシングルを買ってしまった。くたびれてうだつのあがらない、人生に希望を失いかけてた中年サラリーマンが楽器屋のショーウインドウで一本のギターに出会う。忘れかけていた熱い時代を思い起こし、学生時代の仲間に声をかけるもののそれぞれ別の人生を選択した仲間は家族の反対にあって・・・。かっこ悪くても、一生懸命にやれば感動を与えられる。このPVをみて胸にジーンときました。中年のオジサンが結成したバンドはその名も『Mr.ADULT』。シングルCDに収録されています。●MR.CHILDREN ”掌/くるみCD
2005/05/15
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実家が家業をしていることもあり、社会人になったときはいつか自分も独立してやろうと思っていた。そうはいってもこれといった目標もなかったので、漠然と「喫茶店とかいいかも」と軽く考えていた。よくドラマとかにある『若者がたむろする』気のいいマスター、みたいなモノにあこがれがあった。いま思うと、東海地区で喫茶店をやろうと思ったら『コメダ珈琲』のフランチャイズにでもならないと・・・。モーニングとか激戦区だし、採算取れるかとても不安ですよ。それ以前にお客さんくるだろうか?老後に蓄えがある程度あって、趣味でやるならいいかもしれないがビジネスとして真剣に取り組めるかと言う点では喫茶店経営は現状ではあまりない。で、根本的になにがいけないかというと、ぶっちゃけ、ぼくは珈琲好きじゃないんです。ここ数年で眠気覚ましのために缶コーヒー飲むようになりましたが、それまではおごりじゃないとムリ。「なんでコーヒー飲むのにお金払わなきゃいけないの?」って本気で思ってましたからね。カルピスとかコーラ飲んでたほうがいいですよ、冷た~いヤツを・・・。もちろんコーヒーもタダで飲み放題ならガバガバ飲みますけどね。そんなだから、ドラマとかに影響されてイメージを膨らませてただけで現実味がなかった。タバコやビールといっしょで、本当においしいと感じるモノに出会ったら価値観かわるんだろうけどビールは相変わらず苦いのがどうも好きになれません。サイダーなら大好きなんだけど。先月になりますが、ある倉庫管理会社の所長とお話しする機会があって実は所長のお兄さんが喫茶店を何件か経営していたそうです。現在は引退して息子に権利を譲ってしまったらしいですが、所長も学生の頃はよく手伝ったそうです。所長がコーヒーについて熱く語ってくれたものですから、あらためて「奥が深いなぁ」そう感じました。いろんな種類のコーヒーがありますが、なかでも『水出しコーヒー』なるものは一杯作るのにものすごく時間をかけるそうです。水を一滴ずつぴちゃん、ぴちゃんってやるんです。これぞ贅のきわみだと思える一杯です。熱をつかわないから珈琲豆の本来の旨さがよくわかるらしいです。時間をかけてゆっくり丹念につくりあげる、赤ちゃんがママのおなかで育つさまのようです。さぞかし美味しいことでしょう。機会があれば飲んでみたいと思います。
2005/05/14
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だんだん暖かくなり、おでんの季節も千秋楽を迎えようとしている。コンビニに最近めっきりいかないので最新情報はないが『肉まん』については夏場はあまり食欲をそそるものではないと思われつまり、年がら年中レジの横に肉まんの機械が置かれているとそれが死角になってしまい、なにか重大な犯罪が起こりうるのかもしれない。店員さんの視野確保のためにも夏場は倉庫にしまっておくべきです。しかしながら、おでんのシーズンオフには大反対をしたい。なぜなら『牛すじ』が食べられないから。林家木久蔵師匠が『全国ラーメン党』総裁なら、ぼくは『全国牛すじ党』総裁としてがんばりたい。これほどまで熱弁してみたが、よくよく考えるとなにかが違う、しっくりとこない。牛すじを食べたときのプルプル感とコリコリとの絶妙なハーモニーおでんにしてもよし、大根といっしょに味噌煮込みにしてもまたよしホルモンを食べるのとはビミョ~に違う。これだけ牛すじ大好き人間さをアピールしてみたが、実は気づいてしまっているのです。厳密に言うならば、牛すじが目的なんじゃなく、それにひっついている僅かばかりの『お肉』のことをなんだ、牛すじ目当てじゃなくて、ちょびっとのお肉が目的だったのか・・・。それってまるで「ワガママで高慢だけど高額支払いの客」をちやほやするホストくんみたいじゃない?それでもぼくは明言します、「牛すじダイスキ!」・・・でも『テールスープ』も好き。
2005/05/13
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人間は感情の生き物だから、日常生活を過ごすにもいろんなことを考える。配偶者や恋人と喧嘩をしたり、嫌いな上司にしかられたりもする。しかし、それらのことで一喜一憂していてはいけない。梶井基次郎を高校の授業で学び、『デカダンス』という生き方を知った。当時のぼくは親父からの虐待と5才下の弟への偏愛から、家族の存在に疑問を感じていた。「カラスは白い」と言ったらそれに従わざるを得ない、喩えれば緩やかな北朝鮮のような環境。親父はぼくを『跡取り息子』と呼び、幼い頃から自分の自慢話ばかり聞かされて育った。「こんな操り人形のように生かされる人生、自分は家畜じゃない」高校2年のとき、さんざん悩みあげた末で親父に『高校中退』の相談をした。親父は暴れ狂って言った、『いままでの学費はいったい何のために払ってきたんだ』と敷かれたレールの上を指示通りに進んでいくことにはうんざりだった。「こんな希望のない人生は嫌だ、もう折り返し地点だろう。32才で死のう」そう考えていた。あれからいろいろあって、現在32才。「こんな中途半端な人生で終わらせてたまるか」そう思っている。過去は捨て去れないし、心の傷は墓場まで持っていかねばならないだろう。でも、いまでは親父に感謝している。顔を合わすことは多分ないが、少なくともいまぼくがこうして存在するのは親父がいてくれたから。32年生きてきて、人にはそれぞれの過程か歴史があることを知った。たまたま親父はそういう接し方しか知らなかったのだと・・・。ぼくには自慢話ばかりしていたが、そういうところは不器用な人間だ。最期のときまでに親孝行ができるよう頑張らなければ。
2005/05/12
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ぼくは猫が大好き。もちろん犬も好きだが、きまぐれでなにを考えてるのかわからないところが自分と共感できる。犬は上下関係をしっかり把握し、飼い主への忠誠も厚いから可愛げがあると思う。しかし、ねこはそういう世間のしがらみとかに関係なく、自由気ままというイメージがある。飼い猫とのらネコの違いはサラリーマンと個人事業主に似ているんじゃないか?飼い猫には飼い主がいて、エサを毎日あたえられる。だから餓死することはまずありえない。気が向かなくても飼い主には愛想を振りまくのも仕事だと思えば苦にならないだろう。のらネコはというと、自分でエサをさがしてこなければ餓死してしまう。生死にかかわる問題なので、飼い猫とくらべれば当然のごとく必死さに差が出るだろう。そんなことを考えていたら、ネコも案外窮屈な生き物なんだなって思えてきた。生きるためには多少の無理をしなくちゃいけない。列車事故もそうだし、コンビニ強盗やさまざまな事件・事故が起きるが社会を混乱させようとか、だれかを困らせようと最初から思ってやるはずはない。結果がどうあれ、やむにやまれぬ状況やプレッシャーがそこにあったはずで事件をやった当事者だけでなく、それを回避できなかった周囲の環境にもおおいに問題はある。本当の福祉国家とはどんなものなのだろうか?日本はもうすでに平和な国ではなくなってしまったのか?
2005/05/11
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最近は浦島太郎のような生活を過ごしているぼくですがたまたま偶然にもこんなものを見つけましたそのうち好き勝手にブログ書けなくなるのかも
2005/05/10
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高橋ツトムという漫画家がいる。その名前をしらなくとも、釈由美子が主演の『スカイハイ』の原作者といえば理解できる思う。その高橋ツトムの作品の中に『鉄腕ガール』がある。ずいぶん過去にさかのぼるが、たまたま夜勤明けに職場の後輩がマンガ喫茶にいきたいと言い出した。なんでも店員でカワイイ女の子がいるんで見にいきたいということらしい。後輩2人を引き連れマンガ喫茶にいったが、目的のないぼくは席の横のマンガに手を伸ばした。それがたまたま『鉄腕ガール』だったのである。それまで高橋ツトムの存在を知らなかったのだが、時間のたつのも忘れ9巻全てを読破してしまった。終戦直後の日本と米国を舞台にした、幻の「女子プロ野球」の世界に材を取った作品だがなにしろ主人公の加納トメのその生き様は、読んでいておもわず目頭を熱くさせられるものがあった。戦後にこんな粋な女性が実在したかはわからないが、とにかく全力投球。中途半端な生き方しかできていない自分を反省させられる内容だった。日本の漫画文化が世界で注目されているが、人生のバイブルとして扱っておかしくないレベルの漫画がたくさんある。最終巻の締めにこう書かれている『昭和20年 日本は戦争に負けました 心は開放的で 貧しかったけれど 一人一人の個性を受け入れる 大きさがありました 女達は時代の波に乗って 動き始めました』いろんなコミックが出版されているが、『鉄腕ガール』は読んでみるべきだと思う。
2005/05/09
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生まれてこのかたレストランで食事をしたことがない。外食産業に携わっていたことから、チェーンストアの勉強も兼ねてファストフードにはよくいくが単独行動が多いぼくは99%の確率で食事はひとりでする。グルメ番組などみると「あんなの食べてみたいな・・・」と夢が膨らむし食が人生を豊かにするのは、食べることが人類の3大欲求のひとつだからなのだろう。で、レストラン。フランス料理と聞くと『高級』というイメージがある。あと、量が少なそう。そんな印象を受ける。実際コース料理だったら時間をかけて何皿もでるので満足感はあるのだろうがなにしろ経験がないのでなんとも言いがたい。なぜフランス料理が出てきたかというと、目で味わう料理の代表だと思ったからで食事というのは『空腹感を満たす』とか『栄養補給』だけでなくだれと食べるのか?というのも重要だったりする。成功者は食事は必ず誰かと会話をしながらする、と聞いたことがある。食事をしつつ、情報交換やコミュニケーションを取る。まさに一石二鳥だと思う。自炊を再開する以前はコンビニ弁当が主食だったが、空腹だったこともありレンジでチンしてもらって帰宅までに冷めてしまうので車内で弁当をたべていた。ところが、店内で見たときは『おいしそう』だった弁当も、暗い車内でたべるとあんまり味がしない。ぼくの好きなマックのチキンタツタも、夜道を運転しながら食べるとなんだか味気ない。不思議なものだが、同じ成分で構成されていてもおいしさがちがうのはなぜだろう?
2005/05/08
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子供のころ、フーセンガムを噛むのが好きだった。一個だけ噛むと、量が少なくてフーセンがうまくつくれないだから、フーセンガムをいっきに2,3個まとめて口に入れ、ひたすら噛んだ。噛み続けるとだんだんガムがユルユルになってきて、膨らますフーセンもたるたるになってくる。そんな時は噛みながら冷たいジュースを飲むと、ガムがカチカチに戻る。ゴム風船とちがってフーセンガムは膨らみすぎるとはぜてしまう。もしも割れないゴム風船があったらどうだろうか?図書館で読んだ手品入門には、セロテープを貼ると針を刺しても風船がわれないと書いてあったがタネも仕掛けもなく、しかも割れないゴム風船があったら好奇心旺盛の人は『どこまで膨らむだろう?』と試してみるにちがいあるまい。でも、ゴム風船を膨らまし続けるのは結構な労力です。風船ダイエットってのがあったくらいだから。休憩しようとすると空気が口に逆流してきます。膨らましてる間は両手を使うから、ほかのことができません。膨らましすぎると割れてしまうのがちょうどいいのだと思います。『がんばりすぎるとカラダ壊しちゃうから、ほどほどにね!』ってことなんでしょうか?おしっこ我慢しすぎると膀胱炎になるし、ストレスを我慢すれば胃潰瘍になります。ふくらみ過ぎたゴム風船といっしょで、たまには『空気抜き』が必要ですね?
2005/05/07
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気がつくと今月で楽天日記をはじめて1年になります。とは言ってもさんざん空白があきまくって、記入率は4日に1度・・・。しかも、最初のころはなるべく毎日かくようにしていたのでいちどさぼり癖がつくと継続してしまうということです。『21日がんばって継続すれば、それは習慣となる』師匠はなんども口をすっぱく教えてくれました。でもパンクした自転車のタイヤのように、なんど空気を入れてもどこからともなく抜けてしまいます。やまない雨があったらどうでしょうか?「あぁ、明日もまたどうせ雨なんだろうな・・・」洗濯物を乾かそうにも外では干せません。自慢の愛車にワックスをかける気にもなりません。せっかくセットした髪型も湿気でくずれ、おきにいりの服や靴も汚れるから着ずじまい・・・。そんな毎日ではどんなハッピーな人でも憂鬱になってくるんじゃないでしょうか?でも現実には、やまない雨なんてありません。だから明日は笑顔になろうとがんばるんです。僕は宗教には関心がありませんが、自分の苦境は自分が招いているということを認めそれは人生においての試練なのではないかと自分自身に言い聞かせます。どんなつらい状況であろうとも、それを乗り越えられなければその先の幸福はおとずれない。仲間にはげまされて応援されて、いまの自分があるんだと感謝をしたい。
2005/05/06
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