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長らくお待たせ(?)しました。薔薇シリーズの再開です。▼悲劇のバラ2オセロに続いて、シェイクスピアの悲劇に出てくるバラを紹介しましょう。すでに紹介した『ロミオとジュリエット』からの引用です。The roses in thy lips and cheeks shall fadeTo paly ashes, thy eyes' windows fall,Like death, when he shuts up the day of life;この場合のrosesも、「ばら色の顔色」とか「生気」といったシンボリックな意味になりますね。palyはpale(青白い、青ざめた)と同じで、詩的な言い換えです。the eyes’ windowsも詩的な表現ですね。「目の窓」、つまりまぶたです。訳は次の通りです。あなたの唇や頬のバラは色あせ、青白い灰へと変わり、目の窓も閉ざされる。命の日を終えるときの死のように。これは、フランシスコ会の修道僧ロレンスがジュリエットに「仮死の薬」を渡すときに、薬を飲むとどうなるかを説明した言葉です。このままではパリスと結婚することになってしまうジュリエットと、追放されたロミオを結び付けようと、ロレンスが考案した計略。ところが計画はロミオに伝わらず、「仮死の薬」を飲んで眠っているジュリエットを見て、彼女が死んだと思ったロミオは、彼女の墓の前で毒を飲んで死にます。その直後に目覚めたジュリエットは死んだロミオを見て絶望、ロミオが持っていた短剣で胸を刺して命を絶ちました。何という悲しい結末。日本だったら、「来世では、今度こそ一緒になりましょう」などと言って、絶望の中で一縷の希望(幻想?)を抱きながら死ぬのでしょうが、西洋文明にはそのような思想は根付いていません。現世を悲嘆した挙句、ただ絶望の中で絶命するのです。しかし、このような悲劇であるにもかかわらず、シェイクスピアの代表的な悲劇である「四大悲劇」に入らなかったのはなぜでしょうか。実は、ジュリエットの乳母など従者の会話がどこか抜けていて、笑いの要素がたくさん詰まっているからなのです。すでに紹介した「名前が何だって言うの」というジュリエットの名セリフも、実はライバルのローズ座を揶揄した表現ではないかとされる理由もそこにあります。四大悲劇に見られるような、荘厳な緊張感がないんですね。それでも、完成度の高い悲劇ではあります。この物語にも、他のシェイクスピアの主な作品と同様、種本があります。1562年にアーサー・ブルックが書いた物語詩『ロミウスとジュリエットの悲しい物語』が種本だと言われています。しかしブルックの物語も、もともとは15世紀にイタリア語で書かれた小説を土台にして作られています。当時は結構知られていた物語でした。そしてその物語は、シェイクスピアによって芸術の高みへと持ち上げられます。その後、シェイクスピアを超える「ロミオとジュリエット」は現れませんでしたが、現代においては、ミュージカル『ウエストサイド物語』へと形を変えながら語り継がれているわけです。ところで、シェイクスピアの作品では、ジュリエットは何歳だかご存知でしょうか。何と13歳です! 14歳の誕生日を間近に控えて亡くなったのです。一方のロミオ、何歳かはわかりませんが、おそらく10代後半の若者でしょう。親が交際を認めていない男による13歳の少女に対する淫行。今なら青少年保護育成条例違反(不純異性交遊、淫行)で補導されてしまうような事犯になるかもしれませんが、当時は15歳ぐらいで結婚するケースが多かったようですから、それほど突飛な設定ではなかったようです。むしろシェイクスピアは、若さゆえの純愛、熱愛を強調するために、ジュリエットの年齢を13歳へと引き下げたのではないかとみられています。知り合って4日ほどで、その人のために死んでしまうというストーリーは、酸いも甘いも知っている大人ならありえないことかもしれませんが、穢れを知らない(?)13歳ならありえる話なのでしょう。ちなみに種本では、ジュリエットは16歳ぐらいで、出会ってから死ぬまでに9ヶ月ほどかかっているそうです。シェイクスピアはそれを4日間に凝縮することによって、スピード感を出すとともに、刹那的な若者の激情を浮かび上がらせているように思われます。それは同時に、14,5世紀ごろから断続的にヨーロッパを襲っていた黒死病(ペスト)の流行や魔女狩りといった暗い世相の反映だったのかもしれません。そこで今日のバラは、13歳ではありませんが、花も恥らう「セブンティーン」です。可憐なバラですね。
2007.10.31
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今日でボラボラの紹介も最後にします。説明をあまりしませんので、ただ景色を楽しんでください。タヒチの代表的なティアレという白い花です。ハイビスカスです。いわずと知れた椰子の実。次は不思議な月。暗くてわかりずらいと思いますが、真ん中に月が写っています。なぜ不思議な月だったかと言うと、月の周りに暈がかかっていたのですが、暈と月の間がかなり離れていたんですね。この写真でも撮りきれていないほど離れていました。しかも右上に異様に赤い光が写っています。そのほかの赤い部分は雲ではないかとも思いますが、ちょっと不思議な写真でした。月光。最後は夕日です。トオプアの夕焼け。スノーケリング中に陽が落ちていきます。おしまい。
2007.10.30
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楽園から離れて浮世の話をすると、ホテル・ボラボラはかなり宿泊料が高いです。私たちが泊まった水上コテージで一泊800ユーロですから、日本円で13万円ぐらいでしょうか。七泊すると何と91万円!水上コテージより高い部屋もあります。それがプール・ファレという部屋で、外からも見えないプール付きでコテージで、トム・クルーズらいわゆるハリウッドの芸能人らがよく滞在するそうです。それが一泊850ユーロ。サッカーW杯の後、引退を表明した中田英寿が確かガールフレンド(?)とホテル・ボラボラに滞在したと報じられていましたが、叶姉妹も泊まったことがあるのだと支配人のリヴィオが鼻の下を伸ばしながら話していました。私たちが128号室を常泊していることをどこで聞きつけた(?)のか、シャロン・ストーンのお気に入りも128号室だとか。趣味がいいですね。そうした芸能人はどうか知りませんが、私たちは予約をする前にホテルと直接交渉をします。何泊以上するから安くしろ、と交渉するわけです。旅行代理店と天秤にかけながら、旅行代理店が取るであろう手数料分は負けろと交渉します。ホテルとしては、同じわけですからね(かなり浮世の話になってきましたが)。前回はその方法で、宿泊料の10%割引と朝食分に当たる一人一日4000フラン(6000円)のレストランで使えるクレジットを勝ち取りました。今回も旅行代理店のオファーと天秤にかけながら交渉すればよかったのですが、時間があまりなくて前回と同じ条件でディスカウントを要求しました。ところが前回の9月はハイ・シーズンでしたが、10月から3月まではローシーズンでもっと安くできたことを後で知りました。それを指摘すると、ホテル側は新たな食事プランを提示してきます。一日一人1万3500フラン(約2万円)分のミールクレジット。7泊だと二人で18万9000フラン(約28万円)になります。問題はホテル・ボラボラのレストランやバーでしか、そのクレジットを使えないことです。残ってもクレジットが消滅するだけ。つまりレストランやバーで使い切らなければならないわけです。問題はほかにもあります。実は、私たちはホテルのフランス料理がそれほど好きではありません。ホテル・ボラボラのレストランも例外でなく、唯一食べられる魚料理もメニューは限られています。その魚料理も油をたくさん使っているし、バターの量も多い。しかも味はかなり濃い。二日ぐらいは食べても平気ですが、三日目四日目となると、飽きてくる上に気持ち悪くなってきます。そこでそんなに食べきれないほどのクレジットをくれるぐらいなら、クレジットは半分でいいから、その分宿泊料を負けろと再びリヴィオと交渉します。だがリヴィオは前回(二年前に)私たちが滞在してからシェフも二回変えたし、今度はおいしいはずだからレストランを使ってくれ、と譲りません。そこでこちらも再び条件を出します。とても今のメニューでは毎日食事するのは無理だから、こちらのレシピー通りに食事を作ってくれるように要求しました。交渉成立です。シェフにはこちらからレシピーを説明し、毎日私たち用の特別料理が1,2品出されることになりました。これにワインやシャンパンを付ければ何とか、クレジットを消化できそうです。実はここまでが前段です(ずいぶん長かったですが)。こうしてレストランへ日参することになったのですが、思わぬ楽しみもありました。それがこの猫ちゃんです。私たちのテーブルの下に来て、ご飯をちょうだいと、ちょこんと座ります。人間用の料理は味が濃いので、塩気を口の中で取っておすそ分け。もう、喜んでパクつきます。にゃんだよ?別にホテル・ボラボラが飼っているわけではありませんが、レストランに棲みついている、人気者の猫ちゃんです。生後7ヶ月の男の子。ちっちゃいけど、尻尾が長いですね。この猫ちゃんの模様を見てください。背中には縦に二本線が入っています。横の模様はこうなっています。大きな渦がひとつありますね。まるで山猫ちゃんのような模様です。お腹がいっぱいになると、仰向けになって甘えます。お腹丸出しですね。この子のお母さんもレストランの周辺をテリトリーにしていいます。三歳です。模様は平凡ですね。子供の模様は父親から来たのでしょうか。父親はこの地域のボスだそうです。レストラン内は子供に任せて、母猫はレストランの外で待機することが多いです。必ず夜、子供が元気かどうか確認しに来ます。子供を呼んで鳴くので、見に行ってみると、ヤモリをくわえていたこともありました。最後は母子のツーショット。
2007.10.29
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台風一過で今日は快晴。散歩がてらに、写真を何枚か撮ってきました。まずは、お馴染みのバラです。雲ひとつない青空を背景にバラを撮ると、色が引き立ちます。今日はいつもの神代植物園ではなく、同じ調布市にある京王アンジェのバラ園です。レンガ造りの塀やバラ棚のアーチがあったり、趣向を凝らしています。かぼちゃ。ハロウィーンが近いですからね。いつの間にかハロウィーンが商業ベース(?)で定着したようですね。ラテンポップスのコンサートもありました。最後は新宿都庁の展望台から撮影した富士山と夕焼け空。今日の風景でした。
2007.10.28
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▼海の中のパンダ?今日はボラボラ島のダイビング。お魚さんの記念撮影会です。カメラを向けると、こちらを向いてくれます。ずいぶんサービス精神旺盛ですね。こちらを見て。撮りますよ。はい、チーズ。カシャ。カメラ目線。笑顔で綺麗に写っています。パンダちゃんみたいですね。歯のお手入れも行き届いているようです・・・。あれっ、鋭い歯をしていますね。もしや君は・・・サメさんです。レモンシャークといって、最大4メートルになる大きなサメですね。この子は3メートルぐらいでした。よく見ると、皮膚が黄色がかっていますね。この色がレモン色に似ていることからレモンシャークと名づけられました。いかつい顔をしていますが、それほど凶暴ではありません。比較的おとなしいサメです。餌付けをしているので、寄ってくるんですね。私はサメの餌付けは好きではありません。レモンシャーク以外に見たものは・・・バラクーダ(カマス)の群れですね。次はミノカサゴ。最後はただのサンゴです。ここは、外洋とラグーン内を結ぶパスのそばのタプというポイントでした。タプそのものは、外洋にあります。マンタが出るアナウというラグーン内のポイントがホテル建設のせいでつぶれてしまったので、次にマンタが出る可能性が高いタプに行ったのですが、サメの餌付けをしていては、マンタが出るはずありませんね。ボラボラのダイビングでマンタを見ることは、難しくなってしまいました。トップページに掲載している写真が、そのアナウというポイントで3年前に撮影したマンタです。当時は、このような光景が当たり前のように見ることができました。返す返すも残念です。
2007.10.28
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▼マンタ登場私たちがホテル・ボラボラを最高だと思うのは、マンタが船着場の桟橋に現れてくれるからです。特に夜は、桟橋の強烈なライトに誘われてプランクトンが集まり、そのプランクトンを追ってマンタがやってきます。上の写真の右に写っているのが、その桟橋です。ところが最初の4日間は夜も昼も現れてくれません。ようやく現れたのは5日目の水曜日午前9時半ごろ。ところが私たちはダイビングに出かけていて不在だったので、支配人のリヴィオがせっかく電話(事前にマンタが出たら知らせてくれるよう頼んでおきました)してくれたのに、見ることはできませんでした。6日目の木曜日午前10時ごろ、再び電話が鳴りました。受話器を取ると、マンタが桟橋に現れたと言いいます。あたふたと桟橋まで走っていくと、ああ、マンタさんが泳いでいます。これがその写真。全長2メートルぐらいでしょうか。子供のマンタです。水中ででんぐり返しを繰り返しながら、お食事をしています。白い部分はお腹です。そして、その翌日の金曜日。とうとうマンタが、私たちのバンガローの前まで来てくれました。バンガローのバルコニーから最初に見たのは、この光景です。中央、かすかに白く見えるのがマンタさんのお腹です。私たちはマンタを驚かさないように、静かに海に入りました。マンタさん。どうやら昨日と同じ子供マンタのようです。この場所がすっかりお気に入りなんですね。私たちの目の前で何度もでんぐり返し。一度、遠ざかりましたが、再び戻ってきて、プランクトンの捕食を繰り返します。およそ30分ぐらい、私たちの周りを泳いだ後、沖の方へと泳ぎ去っていきました。
2007.10.27
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▼ムーア人のアイドルとうつぼ水上バンガローからは、階段を下りれば、すぐそこがスノーケリング・ポイントです。裏庭みたいなものですね。フランスパンを持っていると、すぐに魚たちが集まってきます。このお魚君はツノダシですね。変わったお顔をしています。英語名はmoorish idol、「ムーア人の人気者」です。最初は顔がムーア人に似ているのかと思ったら、それは偏見でした。どうやらムーア人が幸運をもたらす魚として重宝したことから「ムーア人のアイドル」と名づけたようです。ムーア人といえば、オセロを思い出しますね。次はイッテンチョウチョウウオです。文字通り、点が一個あるチョウチョウウオですね。これはうつぼ。船着場の桟橋の下に時々現れます。すごい模様ですね。海底の龍? ちょっかいを出さなければ問題はありませんが、うつぼは目が悪いので、指をひらひらさせているとエサだと思って噛み付かれることもあります。嗅覚がすぐれているので、指から血が出ていたりすると大変です。大怪我をすることもあるので気をつけなければなりません。船着場の桟橋の下に広がる海の写真。桟橋の下では、お魚さんがずっと動かずに昼寝をしていることが多いです。ちょっとした沈黙の世界が広がっています。チョウチョウウオだけは、私が何かくれるのではないかと思って、海底にいる私に向かって突進してきます。この船着場の桟橋から私たちの水上バンガローまでが、ホテル・ボラボラで一番面白いスノーケリング・ポイントになっています。サンゴがきれいで、ドロップオフのように深くなっているので、大きな魚も目撃できます。スノーケリングの時、私は素もぐりで10メートル近く潜りますが、海底近くでウミガメさんと至近距離で目が会ったこともあります。ちょっと驚かせてしまったようで、あわてて逃げていきました。悪いことをしましたね。トビエイも時々、現れます。そして今回はマンタも。マンタの写真は、明日のブログで紹介しますね。(続く)
2007.10.26
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今日紹介するのは、ホテル・ボラボラの水上バンガローです。まずは海から見てみましょう。一番左端のバンガローが私たちが泊まった部屋です。端っこなので、ほかのバンガローよりもプライバシーが保てますね。この部屋の前から桟橋までが、絶好のスノーケリングポイントになっています。陸から見た水上バンガロー。桟橋にはブーゲンビリアの鉢植えが綺麗に配置されています。正面の建物は作業棟になっていて、製氷機があります。ヒナノビールやシャンペンを冷やすのに、よく使いました。その作業棟から私たちの部屋へと続く桟橋。私たちの部屋の方から見ています。手すりには鳥が止まっていますね。ちょっとアップで撮影してみましょう。カモメ科の海鳥ヒメクロアジサシだと思います。タヒチ語ではoio(オイオ)というそうです。部屋の中から外を見た風景。手前の花はハイビスカスです。朝食を頼んだりすると、必ず花が添えられています。バルコニーから北を望むと、オテマヌ山が見えます。中央がパヒアというピーク(661メートル)で、その右の台形状の山がオテマヌ山(727メートル)です。パヒアの二つのピークは、マンタの頭の部分に似ています。オテマヌ山のアップ。着いた日は、朝から雨でしたが、小鳥さんが訪ねてきたので、バルコニーでパンくずをあげました。人間をあまり怖がりません。手を伸ばせば届く距離までやってきます。きっとこの部屋に泊まった人が優しい人で、えさをあげていたのでしょう。私たちもあげないわけにいきませんね。最後はバルコニーから見た夕日です。こうして、水上バンガローの一日が過ぎていきます。夜はバルコニーで満天の星空が楽しめます。夕日と星空――。ほかに必要なものなど、まったくなくなってしまいます。
2007.10.25
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▼スナック・マティラ今日は、マティラ湾に面する「スナック・マティラ」から見た海の景色です。ホテル・ボラボラからは白い砂浜を10~15分歩いた場所にあります。スナック・マティラのテーブル。テーブルの中央から突き出ているのは、陽傘をつなぐ鉄の柱です。この日は薄曇りだったので、日傘は必要ありませんでした。常連客で訪れる日本人客も少ないので、ご主人とも顔馴染みです。これがタヒチのヒナノビール。HINANO--フランス語的にはHを発音しないので「イナノ」となりますが、ヒナノで十分通じます。えびカレーです。ホテル・ボラボラでもえびカレーは食べることができますが、野菜が少ない上に値段が高く、しかもそれほどおいしくありません。こちらのほうが野菜が多く、安くて、しかもおいしいです。安いといっても、ボラボラの物価は高く、二人でビールとえびカレーをそれぞれ注文して、4500パシフィックフラン(約6500円)します。ホテルで同じものを頼むと、6000フラン(約9000円)ぐらいでしょうか。スナック・マティラに住んでいるワンちゃん。二匹飼っているうちの一匹です。よくなつきます。食事が終わると、海岸線をぶらぶらと散歩しながらホテルへと戻ります。理由があって、普段ブログではプライベートなことをあまり公開しませんでしたが、掟破りの一枚です。コンスエロのような赤い薔薇。喧嘩もしますが、私にとってはかけがえのない一輪の薔薇です。
2007.10.24
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▼レストランからの風景今日はいきなり、「ホテル・ボラボラ」のレストランを紹介します。これがそのレストラン。ブーゲンビリアが見事にアレンジされていますね。レストランの先端部分。海に突き出たようになっています。ただし、昼間は暑いので、誰もこの席は使いません。ディナーでは何回かテーブルをセットしてもらいましたが、とてもロマンチックで静か。夜風も心地よいです。レストランから見る海の景色です。カヌーを漕いでいますね。カヌーが横切る毎に、ついカメラを向けてしまいます。レストランから階下のバーを見下ろします。茅葺き屋根の小さな建物がバーです。一番最初の写真はバーから見上げてレストランを撮っています。このホテルでは、レストランを含むすべての建物が茅葺きです。上の写真で遠くに見える島は、ラグーン内にあるトオプアです。ホテルボラボラの北西方向にあります。近くにはダイビングポイントがありますが、「ボラボラヌイ・リゾート&スパ」の建築により、二つあったポイントのうち一つがつぶれました。次の写真は、ホテルの南に位置するマティラ岬。この島の最南端の岬です。これでなんとなく、ホテルボラボラの立地場所がお分かりになったと思います。おそらくこの島でもっとも美しい場所に立てられた老舗のホテル。マティラ湾の北に位置します。私は今回で12回目のタヒチで、うち8回ボラボラに滞在しましたが、そのうち7回はこのホテル・ボラボラに泊まりました。泊まる部屋は、いつも同じ128号室。一番端にある、静かな水上バンガローです。その部屋が空いていない場合は泊まりません。3年ほど前にアマングループに買収されてから人事異動が激しくなり、今回で3人目のジェネラル・マネジャー(支配人)です。新しいマネージャーの名はラヴィオ。イタリア人のお調子者。ただし料理はシェフよりうまいです(地元の従業員もそう言っていました)。水上バンガローの写真も追々ご紹介します。(続く)
2007.10.23
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▼帰国報告本日、タヒチから無事帰ってきました。日本はすっかり涼しくなっていますね。秋らしい空気に満ちていました。今回はそのタヒチの海の写真を4枚だけ紹介します。ボラボラ島の海。ラグーン(環礁)内の海なので、湖のように静かです。雲も夏らしい感じがしますね。環礁の向こうに、陽が沈んでいきます。陽が完全に沈んだ後にやってくるのは、空を赤く染める夕焼け。ずっと見ていても飽きない景色です。明日からは、ボラボラのことを少しずつ紹介して行きます。それが終わったら、再び薔薇シリーズを始めようと思っていますので、遊びにおいでください。とりあえずの帰国報告でした。
2007.10.22
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今日は文学と薔薇のシリーズをお休みして、先日、神代植物園で撮影したバラ園の写真と秋の空の写真をご紹介します。神代植物園のバラ園です。270種ぐらい咲いていますが、それぞれに名札がついています。これは、フランスのダニエルギランと書かれています。系統のところに書かれているFは、フロリバンダローズという系統を表すFだそうです。日本語では四季咲き中輪房咲き木バラ、一枝に数輪の花を房咲き状につける種であるとのことです。ダニエルギランのアップ。次はベビーバッカラ。系統がMinとありますが、これはミニチュアローズですね。次は『真夏の夜の夢』で紹介したバラですが・・・名前はデスティニーでした。「運命」とは、なにやらいわくありげなバラです。フリージアです。メインのバラ園の脇に、新品種だけを集めたバラ園や、オールドローズのバラ園もあります。そのバラ園の小径。こちらはメインの会場と比べて、人がほとんどいません。バラは今月いっぱいまで見頃のようです。最後は昨日、私の”職場”であるテニスコートで撮影したヒツジ雲。ふわふわとしたヒツジさんが、たくさん浮かんでいます。そのヒツジさんの群れの下に見えるのは、UFO雲ですね。なんとなくUFOに見えますよね?それにさすがにUFO雲です。1分ほど目を離した隙に、どこかへ行ってしまいました。綺麗な夕焼けでした。ところで、明日からしばらくブログをお休みします。再び海の世界へ。再開は23日ごろになる予定です。
2007.10.12
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▼悲劇のバラねたみ、猜疑心、怒りの暴走――人間のもつ弱さ、浅はかさゆえに、悲劇へと転落していった武将を描いた『オセロ』。シェークスピアの四大悲劇(他は『マクベス』『リア王』『ハムレット』)の一つですが、ここにもバラが登場します。まさに悲劇のバラですね。ヴェニスの将軍でムーア人のオセロは、元老院の娘デズデモーナと結婚し、妻をこよなく愛していました。ところがオセロの部下で旗手のイアーゴーは、同輩のキャシオが副官へと昇進したことをねたみ、デズデモーナとキャシオの仲をオセロに疑わせ、キャシオを落とし入れようとします。最初は信じなかったオセロも、イアーゴーの巧みな話術の罠にはまって、猜疑心を募らせていきます。後一押しとばかりに、イアーゴーはデズデモーナのハンカチを盗み、キャシオの部屋に置きます。ハンカチをキャシオが持っていることを知ったオセロは、嫉妬に狂い、イアーゴーにキャシオを殺すよう命じるとともに、とうとう自分はデズデモーナを殺めてしまいます。殺害後、イアーゴーの妻から真実を知らされたオセロは、自分の愚行を悔い、最後には自分で命を絶つのでした。バラが出てくるのは、オセロがデズデモーナを殺そうとする場面です。Yet she must die, else she'll betray more men.Put out the light, and then put out the light:If I quench thee, thou flaming minister,I can again thy former light restore,Should I repent me; but once put out thine,The cunning pattern of excelling nature,I know not where is that Promethean heatThat can thy light relume: when I have pluck'd the rose,I cannot give it vital growth again,It must needs wither. I'll smell thee on the tree.2行目のput out the lightは火を消すことですが、最初のthe lighはろうそくの火で、二番目のthe lightはデズデモーナの命のことを指しています(lightは形容詞で使うと「軽率な」「尻軽の」という意味もあります)。3行目でろうそくに、6行目にデズデモーナにオセロが呼びかけていることからも、そのことがわかります。ろうそくはthou flaming minister(汝、燃え盛るしもべ)と呼ばれ、デズデモーナはthe cunning pattern of excelling nature(卓越した自然の巧妙な造形物)と呼びかけられています。前者は何度でも火をつけられますが、後者は一度消したら、プロメテウスの炎でもない限り二度と火をつけることはできないとオセロは言っています。プロメテウスとはギリシャ神話に出てくるタイタン族(オリンポスの神々以前に転地一切を支配していた種族)の一人で、天から火を盗んで人間に与えたことで知られていますね。10行目のneedsは「必ず」「どうしても」という副詞で、mustと一緒に使われます。最後のI'll smell thee on the treeはすごい言葉ですね。まだ枝に咲いているうちに(殺す前に)、バラ(デズデモーナ)の香りを嗅いでおこう、という意味です。訳は次のとおりです。だが、あいつは死ななければならない。さもないと、何度も男をたぶらかすことになるからな。ろうそくの火を消して、そしてあいつの命の火も消そう。燃える下僕であるろうそくよ、お前の火なら消した後でも、思い直せば、再び火をともすことができる。だが、巧妙に造られた自然の造形美であるお前は違う。お前の火は一度消したら、プロメテウスの炎の在り処をしらない私には、再びともすことはできない。バラを摘んでしまったら、そのバラの花は二度と枝に咲かせることはできないのだ。枯れるしか道はない。枝にあるうちに、お前の香りを嗅いでおこう。こうしてオセロは、バラの命を摘んでしまいます。何ということでしょう! 猜疑心と嫉妬はとうとう、怒りという激情の炎に火をつけ、最愛の妻の殺害という結果をもたらしてしまいました。・・・愚かなオセロ。この戯曲の中では、ムーア人のオセロはアフリカ出身の黒人として、デズデモーナやイアーゴーは白人として描かれています。現代的にこの劇を演じると、どうしても黒人に対する人種差別が背景にあるように思ってしまいますが、シェークスピアはむしろオセロに同情的に描いているように思われます。なんといっても諸悪の根源は、白人のイアーゴーですからね。この戯曲から、日本人が考案した黒と白の駒を使ったゲームに「オセロ」と名づけれらたのは有名な話ですね。武勇の誉れ高い高貴なムーア人と、嫉妬に狂う残忍な利己主義者という両面を併せもつオセロが、イアーゴーの言葉巧みな諌言に惑わされて、その二つの性格面を行ったり来たりする様は、確かにゲームのオセロにも似ています。病理学的にも、配偶者が不貞を働いているという妄想に取り付かれる症状をオセロ症候群と呼ぶようになりました。O・J・シンプソン事件をつい思い出してしまいます。愚かなオセロはまだ、人間の心の中で生きているんですね。(続く)
2007.10.11
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▼バラと異常気象結末はハッピーエンドであることをばらしてしまった『真夏の夜の夢』ですが、もう一箇所、バラにまつわる面白い台詞が出てきます。人間の世界では、ハーミアをめぐる結婚問題が顕在化しますが、妖精の世界では養子の扱いをめぐり妖精の王オーベロンと女王タイターニアが仲違いをしているんですね。タイターニアはオーベロンにこんなことを言います。The seasons alter; hoary-headed frostsFall in the fresh lap of the crimson rose,And on old Hiems’ thin and icy crownAn odorous chaplet of sweet summer budsIs, as in mockery, set.hoary-headedは「白髪頭の」という形容詞。二行目lapは「ひざ」とか「すそ」といった意味ですが、この場合は「重なり合っている部分」、つまり花弁のことですね。三行目のHiems(注:ヒエムスと発音します)は、ラテン語で「冬」(大文字なので、擬人化されています)の意味。その形容詞がhibernus(ヒベルヌス)。フランス語の冬(hiver)の語源になっています。old Hiemsで「長く居座った冬将軍」というようなニュアンスでしょうか。crownは王冠というよりは、thin crownで髪の毛の薄くなった頭頂部でしょう。4行目chapletは花輪、首輪。in mockeryは「あざけるように」「馬鹿にしたように」という意味です。訳は次のようになります。季節が狂ってきている。深紅のバラの、咲いたばかりの花びらに白い霜が降り、そして冬将軍の冷たく、はげた頭の上に、かわいらしい夏のつぼみの香ばしい花の冠が、まるで馬鹿にしたように載せられるのだ。真っ赤なバラの上に載った白い霜と、禿げた頭の上に載せられた花の冠のイメージが鮮明に浮かび上がります。しかし、きれいなイメージだなと感心している場合ではありません。夏に霜が降り、厳冬期にバラのつぼみが咲き始めるんですから。この気候の異変はただ事ではありません。また、現代人の私たちにとっても、他人事ではありませんね。なぜ、このような異常気象が起きてしまったのか。妖精の女王タイターニアはこう言います。And this same progeny of evils comes From our debate, from our dissension; We are their parents and original.「こうした悪い現象が続くのは、すべて私たちの口論、仲違いのせい。私たちが(異常気象の)親であり、原因なのよ」実はこの前段階として、タイターニアは「風が吹けば桶屋が儲かる」的な説明をしているのですが、それは省略します。ここで特記すべきなのは、妖精界の出来事が現実界の出来事に大きな影響を与えているという思想と、ちょっとした諍いが大きな問題を引き起こしてしまうという発想ではないか、と思います。目に見えない世界(妖精の世界や心の世界)と目に見える世界が連動しているという考えは、現在のスピリチュアリズムに通じるものがありますね。また、心の諍(いさか)というちょっとした変動が気候の異常を引き起こしているという考えは、「バタフライ効果」という現代のカオス理論を髣髴とさせて面白いです。この『真夏の夜の夢』が書かれたとされる1595~96年のイギリスは、2年続けて大雨に見舞われたとの記録が残っているそうです。人々はその異常気象の原因を、妖精たちの諍(いさか)いのせいにしたのでしょうか。あるいは人々の心の乱れが、本当に気象にも悪影響を及ぼしたのか。現在私たちが直面している異常気象も、もしかしたら根本的には、私たちの「兄弟喧嘩」や「夫婦喧嘩」が原因なのかもしれませんね。(続く)
2007.10.10
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▼バラとしての生き方恋を貫いて死ぬか、それとも愛してもいない男と結婚するか、と迫られたハーミア。アセンズ(アテネ)の公爵シーシアスは、そのようなハーミアに、親に従うように迫ります。その場面です。THESEUS Either to die the death or to abjureFor ever the society of men.Therefore, fair Hermia, question your desires;Know of your youth, examine well your blood,Whether, if you yield not to your father's choice,You can endure the livery of a nun,For aye to be in shady cloister mew'd,To live a barren sister all your life,Chanting faint hymns to the cold fruitless moon.die the deathで、「死刑に処せられる」の意。abjureは絶つ。the society of menは「男性との交際」というような意味でしょうか。親に逆らった場合にも二者択一があり、死刑か、それとも一生涯、男を寄せ付けないか、の二つがあると言っていますね。その上で、5行目のwhether以下に書かれていることに耐えられるかどうか、自分自身に尋ねてみよ、とハーミアに問いかけます。6行目のliveryは制服、ここでは尼僧の着る墨色の服のことです。7行目のfor ayeは、2行目のfor everと同じ意味で「永遠に」。cloister は修道院、mew’dは mewedのことで「閉じ込められた」、shadyと併せ「「薄暗い修道院の庵室に閉じ込められて」という意味になります。訳は以下のようになります。シーシアス死刑になるか、それとも一生涯、男との交わりを絶つかだ。だからハーミアよ、よく自分の気持ちに聞いてみるがよい。お前はまだ若い。情熱の血がたぎっているではないか。父親の言うことに従わなければ、お前は尼僧の黒い服を着て、永久に薄暗い修道院の庵室に閉じこもり、冷たくつれない月に向かって、か細い声で賛美歌を歌いながら、生涯、子を産まぬ尼僧の人生を送ることになるのだ。そのような人生を耐えることができるのか、よく考えてみよ。シーシアスはさらに畳み掛けます。Thrice-blessed they that master so their blood,To undergo such maiden pilgrimage;But earthlier happy is the rose distill'd.Than that which withering on the virgin thornGrows, lives and dies in single blessedness.thriceは「3度の」「3倍の」という意味ですが、thrice-blessedで「非常に祝福された(恵まれた)」となります。thrice-blessedとtheyの間にareを補って読むと意味がわかりやすいですね。that以下はtheyを説明しています。master は克服する。so は「かくのごとく」、つまり先に描写したような尼僧の生活のことを差しています。bloodは情熱とか欲情という意味になるでしょう。3行目のearthlierはearthly(世俗的な)の比較形です。より世俗的な幸せである、という意味ですね。何がかというと、the rose distill'dで、「蒸留されたバラの花」。つまり、バラエキス(香水)を抽出するために蒸留器にかけられたバラのほうが、世俗的にはより幸せである、となります。何よりも幸せなのかというと、that which以下のバラであると言っています。4行目のvirginには、人の手が入っていないという意味が込められていますね。live in single blessednessは慣用句で「気楽な独身生活を送る」の意。訳は次のとおりです。そのように情欲を抑え、処女のまま清らかに人生の旅路をまっとうする者は、大いに祝福される。しかし、世俗的な見方をすれば、人に摘み取られることなく、ただ独り気楽な生の中で成長し、生きて、死んでいくバラに比べたら、摘み取られてエキスを抽出されたバラのほうが幸せなのだ。かなり大胆な言い分ですね。人知れず野生の中で咲く孤高のバラよりも、愛でられるために、人間に手折られてエキスにされたバラのほうが幸せだと主張しています。あなたなら、どちらのバラを選ぶでしょうか。ハーミアは次のように答えます。HERMIA So will I grow, so live, so die, my lord,Ere I will my virgin patent upUnto his lordship, whose unwished yokeMy soul consents not to give sovereignty.2行目のereはrather thanと同じ意味。I would die ere I would beg(物乞いをするぐらいなら、むしろ死にたい)のように使います。patentは特許(権利)を与える。二行目は目的語と動詞の順番が入れ替わっています。I will patent my virgin up unto~(私の処女の特権をすべて~に与える)とすれば、わかりますね。upは動詞を強めて「すっかり~する」。3行目his lordshipは貴族に対する尊称ですから、殿方とでも訳しておきます。ハーミアいっそのこと、そのように成長し、生きて、死にたいと願っております、公爵様。私の魂が支配権を与えようと思わないような、望みもしない絆を結ぼうとする殿方に、私の処女を捧げるぐらいなら。潔いですね。一切の迷いはないようです。ハーミアは孤高のバラを選びましたね。実はこの部分、『真夏の夜の夢』の第一幕第一場、まさに最初のシーンなのです。いきなりハーミアに突きつけられた二者択一。ハーミアはどちらを選択するのかと、観客を一気に劇の中の物語に引きずり込みます。このように二者択一には、かなりの劇的効果があります。シェークスピアの常套手段ですね。ところでこの手法、文学の世界で使われる分には一向に構わないのですが、政治の世界で使われると非常に厄介です。ブッシュ米大統領は「われわれの側につくか、テロリストの側につくか」と扇動し、米国民と世界を戦争へと巻き込みました。私などは「どっちがテロリストの側だ」と、思わず突っ込みを入れたくなってしまいましたが、多くの人はあの戦争をテロとの戦いだと本当に信じてしまったようです。日本にも同じような政治家がいましたね。二者択一は、物語をわかりやすくして観客を引き込みますが、とくに政治の世界で使われた場合は注意するに越したことはありません。最後に一口豆知識。結婚式の披露宴でよく使われる『結婚行進曲』は、メンデルスゾーンがこの『真夏の夜の夢』のフィナーレの結婚式ために19世紀に作曲したものです。そう、物語の結末はハッピーエンドでした。(続く)
2007.10.09
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▼ばら色の頬2頬に宿るバラという表現は、シェークスピアの『真夏の夜の夢』にも出てきます。ライサンダーという若者が恋人のハーミアを心配して尋ねる場面です。Why is your cheek so pale? How chance the roses there do fade so fast?なぜ、そんなに青白い顔をしているのです? 頬のバラがどうしてそんなに急に萎れてしまうのですか?シェークスピアがこうした表現を広めたこともあるのでしょうが、現代英語でも、「バラ色の頬」は慣用句としてよく使われています。She has roses in her cheeks.(彼女は頬がバラのように赤い=健康である)Summer brought back the roses to her cheeks.(夏になって彼女の健康は回復した)この場合、roseはrosesと複数形になります。ところで、ハーミアはどうして元気がないのでしょうか。実は父親から、父親が決めた男性と結婚しろと迫られていたんですね。ハーミアは、自分が好きなのはライサンダーであると父親に告げますが、父親は頑として認めようとしません。ディミートリアスという若者と結婚しろと命じます。ディミートリアスもハーミアに恋しています。劇ではそのディミートリアスを愛しているヘレンという女性も出てきます。ヘレンはハーミアの友人です。ということで、『ヴェローナの二紳士』と同様に、四角関係という男女各二名の相関図が現れますね。しかもハーミアは、『ヴェローナの二紳士』と同様に、究極の二者択一を迫られます。今度はもっとすごいですよ。生きたいか、それとも恋を取って死ぬか、です。一向に親の言うことを聞かないハーミアに対して、なんと父親はアセンズ市の公爵シーシアスに娘を法によって死刑にするよう訴えたんですね。親に背く娘は死刑にしてもいいという古い法律があるのだそうです。それにしても、実の娘を死刑にしろとは、なんという父親でしょうか。訴えを受けて公爵のシーシアスは、親が決めた男と結婚するようハーミアを説得します。その際シーシアスは、バラをたとえに使いながら説得するのですが、長くなるのでその部分は明日のブログで紹介することにします。今日はその前段階として、この『A Midsummer-Night’s Dream(真夏の夜の夢)』というタイトルの訳について、簡単に説明しておきましょう。Midsummerとは真夏とも訳せますが、実は夏至(6月21日ごろ)のことで、8月の真夏のことではないんですね。ヨーロッパでは昔から、夏至の日の前夜(Midsummer-Night)には妖精たちの力が強まるという言い伝えがあります。だからこの劇にも妖精が出てきて、重要な役割を演じます。英語的には「夏至の前夜の夢」というのが正しい訳になるわけです。では「真夏の夜の夢」が誤訳かというと、そうではありません。日本人には夏至の日に妖精の力が強まるといわれてもぴんと来ません。むしろ梅雨のじめじめした夜を思い浮かべてしまいます。日本人がそのような目に見えない力に敏感になるのは、6月ではありませんね。そう、祖先の霊を祭る8月のお盆。まさに真夏であるわけです。翻訳は異質の文化を、わかりやすいように自分たちの文化へ置き直す作業でもありますから、あえて「夏至の前夜の夢」と訳す必要はないわけです。日本文化的には「お盆の夜の夢」でもかまわないことになりますね(ただし、シェークスピアのイメージと、お盆のイメージが合わないので、不採用とさせていただきます)。(続く)
2007.10.08
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▼ばら色の頬ばら色の頬、ばら色の人生、バラのような笑顔――文学ではバラはいろいろなたとえとして使われます。シェークスピアの劇でも、顔色や頬の色をバラで表現することがよくあります。シェークスピアが本当に好きか、専門に勉強している人でなければまず読むことはない初期の作品『ヴェローナの二紳士』にも、このようなバラを使った表現が出てきます。The air hath starved the roses in her cheeks.hathはhaveの三人称単数hasと同じです。starveは「餓死させる」という意味ですが、古語では「寒さで凍えさせる」とか「凍死させる」という意味もあります。すると、上の文章の訳は「外気(風)は彼女の頬のバラを枯らしてしまった」となります。文学的な表現ですね。ただ単に「顔がやつれた」とか「顔色が悪い」と言わずに、頬に宿るバラの花がしぼんでしまったと訴えるわけです。さて、この彼女とは誰のことでしょう。実はジューリアという女性で、自分のことを言っているのですね。なぜ自分のことを「彼女」と他人事のように言うのか。それを理解するために、この戯曲がどのような物語なのかをごく簡単に説明しましょう。ジュ―リアという女性には恋人がいましたが、その恋人は自分をヴェローナにひとり残してミラノに留学してしまいます。いてもたってもいられなくなったジューリアは、恋人に知らせることなく、ミラノに赴きます。ここまでは現代でも十分通用するシチュエーションですね。ただ現代と違うところは、『十二夜』もそうですが、ジューリアは素性を知られまいと「男装」して、恋人の様子を探ることにしたことでしょうか。そしてミラノで、男装したジューリアが目撃したのは、シルヴィアという別の女性に現をぬかしている恋人の姿でした。しかも恋人はジューリアが男装しているとも知らずに、ジューリアにシルヴィアへの恋のメッセンジャー役を命じます。深く傷ついたのはジューリアです。傷心のままシルヴィアに恋のメッセージを届けに行くのですが、そこでつい、自分の悲しい境遇を他の女性の話としてシルヴィアに打ち明けるのです。その場面です。SILVIA Dost thou know her?JULIA Almost as well as I do know myself:To think upon her woes I do protestThat I have wept a hundred several times.dostは二人称単数のdo。protestはこの場合、主張するとか断言するという意味ですね。シルヴィアその女性を知っているの?ジューリアまるで私自身のことのように存じております。彼女の苦悩を思って、何度涙したことか。自分自身のことなのですから、私自身のことのように知っているのは当たり前ですね。男装したジューリアに、シルヴィアはさらにどのような女性なのかを聞きます。そのときの答えが冒頭の一文を含むセリフになります。JULIA She hath been fairer, madam, than she is:When she did think my master loved her well,She, in my judgment, was as fair as you:But since she did neglect her looking-glassAnd threw her sun-expelling mask away,The air hath starved the roses in her cheeks.And pinch'd the lily-tincture of her face,That now she is become as black as I.訳だけ記します。ジューリア今よりは美しかったのでございます、お嬢様。主人(恋人)に愛されていると信じていたときは、お嬢様と同じくらい綺麗であったと思います。しかし、鏡も見なくなり、日よけのマスクも捨ててしまった今は、頬に宿るバラは、風のせいで枯れ果て、純潔な百合のような顔も色あせて、私のように肌黒くなっております。ジューリアの切なさが伝わってきますね。物語は、実は単なる三角関係ではなく、シルヴィアを愛する別の男(恋人の無二の親友)が絡む男二人女二人の四角関係の綾をなして進みます。その二人の男が「ヴェローナの2紳士」です。途中で2人は、友情か恋を取るかという苦悩の選択を迫られます。ハムレットの「生きるべきか、死ぬべきか」のように、シェークスピアの作品には劇的効果を高めるために究極の二者択一を迫られる場面が多くでてきますね。結局、ヴェローナの二紳士は、一人は友情を取り、一人は恋を取ります。この戯曲を読むかぎりシェークスピアは、恋よりも友情を取った男性を応援しています。友情は永遠だが、恋は一瞬の幻想にすぎないということでしょうか。私がそう考えているわけではありませんよ、念のために。(続く)
2007.10.07
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今日は天気が良かったので、神代植物園のバラ園へ写真撮影に行ってきました。秋のバラフェスタがちょうど今日から始まりました。バラ園には約270種類のバラが約4000本咲いているそうです。コンサートやミニバラ盆栽展などがあり、普段17時で閉園となる植物園も、14日までの土日祭日は午後7時半まで開園しています。コンサートが始まります。コリアン2世のユン・ハンシンさんのコンサートでした。韓国語の「アリラン」と日本語の「赤とんぼ」をうまくミックスさせた「アリラン赤とんぼ」など日本語の歌と韓国語の歌を混ぜながら熱唱しておりました。バラ園の向こうに夕日が沈んでいきます。夜の部のコンサートです。パソコンもほぼ復旧しました。まだ変換キーがうまく機能しないことがあるので時間がかかりますが、明日からは何とか薔薇シリーズを再開できそうです。
2007.10.06
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キーがこしょうちゅうです。しヴァらくおまちください。・・・・ちょっと復旧は無理かも。書き込みが不可です。御りょうしょうください。
2007.10.06
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最終日。金沢から能登空港までは、能登有料道路を使えば二時間ほどです。午前9時にホテルを出て、能登方面へ向かいました。そこで最初にご紹介した、渚のドライブウェーで知られる千里浜に立ち寄ったわけです(千里浜ICで降りても、別に料金は加算されません)。そのとき紹介しなかった写真がこちらです。これが三日間お世話になったレンタカー。二泊三日で1万2500円(ガソリン代別)でした。よく走ってくれました。その車の中から撮った渚のドライブウェー。寄り道をしながらのんびり運転をしても、能登空港近辺に着いたのは、午前11時ごろでした。飛行機の時間は午後3時50分ごろですから、まだまだ時間があります。そこで次に訪れたのが、二回目に紹介した曽々木海岸でした。あの窓岩がある野性的な海岸ですね。ここでは紹介し忘れた写真が二枚あります。一つはこれです。曽々木漁港そばの民家です。たまねぎを軒下から吊り下げて干していたので、写真に収めています。乾燥させるためでしょうか、でも潮風のせいで逆に湿気ないのでしょうかね。もう一つはこれ。曽々木海岸が見渡せる岩倉山自然歩道の途中で見た、がけ崩れ現場です。たぶん先の地震で崩れたのではないでしょうか。これではさすがに通れませんね。次は宝立山山頂への道。蜘蛛の巣が何度も頭に引っかかりました。あまり人が来ないようです。能登空港です。ボンバルディアではなく、エアバスでした。ジェット機ですから、なんと能登ー羽田間の実質飛行時間は40分ほどです。最後は富士山です。写真左に雲から突き出た富士山が見えますね。これで能登の写真日記は終わりです。明日からは薔薇シリーズを再開する予定です。
2007.10.05
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▼金沢観光金沢駅前のホテルに到着したのは、午後4時半ごろでした。駅前のビジネスホテルなのに駐車場は4,50台分もあるというから凄いですね。ただし先着順のため午後6時ぐらいまでに到着しなければ満杯になるとのこと。少し急ぎましたが、余裕の到着でした。当初の予定では、金沢に泊まる予定ではありませんでした。しかし、能登の交通事情が予想以上によくなっており宝達山まで簡単に南下できたので、金沢に宿泊することにしたのです。珠洲道路のような幹線道路ができたので、交通は昔(二十数年前)よりはるかに便利になりました。泊まる予定はなかったと書きましたが、実は金沢の宿を取ってありました。簡単に説明すると、羽田ー能登の往復航空運賃は通常3万6000円ほどですが、旅行代理店のパッケージツアーを使うと、実質2万円弱になります。ただし、指定された旅館・ホテルの一つに1泊する必要があります。そこで一番安い(一泊5200円、朝食付きの)金沢のビジネスホテルを選びました。合計で約2万5000円。そのホテルを使わなくても、通常料金より1万1000円も安くなります。使えば1万6000円の節約になりますね。この日は午前8時に奧能登の羽根を出発して、遠島山公園、宇出津、植物園、水族館、須曽蝦夷穴古墳、モーゼの墓、宝達山と盛りだくさんな日程でした。少し疲れていましたが、シャワーで汗を流した後、城下町を散策します。市内を流れる浅野川(女川)沿いを歩いて、昔ながらの街並みを探します。最初に撮影したのは、「あめの俵屋」。金沢で一番古いあめ屋さん。創業天保元年、百七十余年の伝統を誇るそうです。次にひがし茶屋街へ向かいます。紅殻格子のお茶屋がずらりと並んでいます。江戸時代から栄えてきた茶屋街だそうです。冒頭の写真もこの茶屋街です。高山にもこのような街並みが残っており、雰囲気が少し似ています。このような小路も。夕闇が迫ってきたので、灯りがともりはじめました。茶屋街では、くるみ煮と「ごり」という川魚(ハゼ科)の佃煮を購入。実家にお土産として持っていったら、喜ばれました。ご飯によく合います。 再び浅野川の河原に出ます。金沢市には大きな二つの川が流れています。かつては暴れ川だった、西の犀川を「男川」と呼び、友禅流しで知られる、東の浅野川を「女川」と呼ぶそうです。室生犀星が生まれたのが犀川近くで、泉鏡花が生まれたのが浅野川近くであることから、それぞれに「犀星のみち」「鏡花のみち」という散歩道があります。京都の「哲学の道」のような趣がありますね。すっかり日が暮れてしまいました。小さな橋が見えます。梅ノ橋です。この橋を渡った左岸が「鏡花のみち」となっていましたが、日没のため写真は撮りませんでした。午後6時を過ぎて、兼六園も閉園しています。「鏡花のみち」を散策して、そのまま金沢駅へ戻ります。駅ビルのなんと豪華なこと! 人で混雑しています。外国人観光客も多いですね。富山の尖山でお世話になった石田幸子さんの息子さんが、「このままでは金沢に人を取られて富山がますます寂れていく」と嘆いていたことが実感されます。金沢駅前の賑わいと比較すると、富山駅前がゴーストタウンに見えてしまいます(ちょっとオーバーですが)。でも、富山には富山の良さがありますよね。青森駅前にある「新鮮市場」のような観光名所を作るとか、もうちょっと工夫が必要かもしれません。頑張れ、富山!
2007.10.04
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▼宝達山の山頂でモーゼの墓を後にして、宝達山頂を目指します。道は舗装されていますが、途中から一車線になりますから、対向車とすれ違うときは大変です。でもさすが石川県!? 祭日にもかかわらず、対向車には2,3台しか出くわしませんでした。山の竜宮城と呼ばれている、山頂付近の休憩所に着きました。竜宮城からの風景。登ってきた道の方向です。この宝達山の北西の麓にモーゼパークがあります。次は西の方角です。遠くに日本海が見えます。山頂は、さらにここから車で少し行ったところにあります。道はもっと狭くなります。幸い対向車はゼロでした。山頂からの風景。一カ所建造物で見づらくなっていますが、いい景色です。東には、富山県高岡市の二上山が見えます。二上山はすぐ近くにあるように見えます。宝達山と二上山の間で光通信(狼煙など)をするのは簡単だったでしょうね。二上山には、竹内文書と関係が深い武内宿禰の塚があるとされています。竹内文書は宿禰の孫の平群真鳥が編纂したことになっていますね。宝達山麓に眠るモーゼにも、二上山に眠る武内宿禰にも、数百年生きたという長寿伝説があります。南東方向は開けていますね。平野部は、チユーリップや散居村で有名な砺波平野だと思います。南の白山方向です。左端に写っているのが医王山。白山はその奧の雲の中にあります。宝達山、医王山、白山はほぼ南北に一直線で、それはまた羽咋(石川)、羽島(岐阜)、鳥羽(三重)、二見ケ浦や伊勢神宮へと続く、白山を中心とする別の羽根(鳥)ライン。光通信の機能もあったとみられる位山を通る「羽根ライン」の「光通信的バイパス」であったのではないかと思っています。宝達山頂には神社もあります。手速比め(てはやひめ)神社(通称宝達神社)です。手速比めは出雲大社に祀られている大国主命の愛人(古志=越の国の現地妻)です。別名・沼河(ぬなかわ)姫(名前のいわれなどは、左フリーページの山口教授の「富山サイエンス・フィクションの世界」に紹介してありますので、ご覧下さい)。大国主と沼河姫との間に生まれた子が、諏訪大社に祀られている建御名方神とされています。大国主も建御名方も国津神系ですから被征服者、征服された側ですね。そのときの天津神系征服者を祀った神社が茨城県にある鹿島神宮と香取神宮です。これらの「国譲り神話」に出てくる神を祀った神社5社を地図上で調べると、ほぼ東西一直線になります。これは東京海洋大学の茂在寅男名誉教授の説ですが、これを「国譲りライン」と名づけ、私なりに分析・解説した記事が今月9日発売の「ムー」に掲載されます。ご興味のある方は、お読みください。一口に神社と言っても、実はまったく違う性質の神社があることがわかります。さて、手速比め神社ですが、ここの狛犬はかつてスフィンクスに似ていることで有名でした。モーゼにスフィンクス――すごい組み合わせですね。しかし、古い狛犬はすでにどこかに撤去されてしまい、今では写真のように普通の狛犬が鎮座しております。山頂付近には、このような立て札もありました。9月ごろになると、渡り鳥のように「渡り」をするアサギマダラという蝶が、宝達山にたくさんやってくるのだそうです。遠くは高知や沖縄からも飛来すると書かれていますね。これもまた、別の羽根(蝶)のラインと呼べるかもしれません。どうやら、日暮れまでには十分に金沢へ着けそうです。次は金沢の街並み、たぶん最終回です。
2007.10.03
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▼宝達山の三つ塚日が暮れる前に金沢に着く必要があったので、能登島の須曽蝦夷穴古墳からはノンストップで宝達山へと向かいました。これが宝達山です。この山の麓に、モーゼが眠ると言う「三つ塚」があります。昔はほとんど標識もないような場所だったのですが、今ではモーゼパークと名づけられ公園として整備されています。標識に従って進むと、ほどなくモーゼパークに到着。案内板です。おや、なんと気球が描かれていますね!このような道を歩いていきます。すると祠のような小屋があり、案内板にモーゼの墓の説明が書いてありました。超能力者が霊視したモーゼの墓の説明もあります。モーゼと妻・大室姫とその孫が眠っていると書かれていますね。竹内文書によると、孫とはモーゼの長男ニウマンポンヒリウスの子タルヲスイホスチヒリウスだそうです。舌をかんでしまいそうな名前です。その場所から5分も歩けば、モーゼの三つ塚にたどり着きます。確かに三つの小山があります。写真では三つ全部を同時に写すことができませんでした。まずはこれがモーゼの墓。木が茂っていて全体がどういう形なのか分かりづらいと思いますが、綺麗なマウンドになっています。こちらはモーゼの日本人妻になるのでしょうか、大室姫の塚です。そしてモーゼの孫にあたるタルヲスイホスチヒリウスの塚。モーゼの墓の前には、モーゼの記念碑があります。ここには書かれていませんが、竹内文書によると、不合朝(ふきあえずちょう)第69代神足別豊耡(かんたるわけとよすき)天皇の時代に、シナイ山より五色人政治法王モオセロミュラス(たぶんモーゼのこと)が大海原船に乗って能登の宝達水門(港)に着き、富山の皇祖皇太神宮に十戒石を捧げたとされています。モオセロミュラスは日本に12年間滞在、天皇から十戒の承認を得て、今度は天空浮船に乗って、イタリアのボローニャ経由でシナイ山に帰ったのだそうです。う~ん、凄い話ですね。だけど何となく、私の前世の記憶の原形がここにあるようにも思えてきます。ただし秋山さんによると、私が属していたエジプトの気球族のリーダーの名前はモーゼではありません。別のグループですね。モーゼの墓がある小山の頂上へは道がついています。その道を登っていくと・・・頂上に供物台が設けられていました。モーゼパークはいくつかの散歩道もあります。しばらくパーク内の休憩所で空を見上げていました。・・・天空浮船のビジョンは見えてきませんでした。次は宝達山頂に向かいます。
2007.10.02
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二日目は朝から観光モードで、遠島山公園、宇出津の神社、巨大土器を見た後、車で15分ほどの場所にある柳田植物園に行きました。入場料無料。ピクニックができる広大な芝の広場があります。ここにも菖蒲園がありました。次は「星の観察館」。奧のドーム型の建物がそうです。プラネタリウムもやっています。そこで天文関係のお土産を買いました。さあ、先を急ぎましょう。目的地は、能登島にある須曽蝦夷穴古墳。高速道路のような珠洲道路を穴水まで進み、そこから国道249号線を使って南下、能登島に到着しました。すると、「能登島水族館」の看板が目に入ります。観光モードの私は、その看板に吸い寄せられるようにハンドルを切っていきます。ウツボ、オコゼ、クラゲです。ちょっとピンボケ。祭日だったこともあり、今回の能登の旅では、水族館が一番の賑わいでした。イルカとアシカのショーを見た後、本来のルートに戻り、須曽蝦夷穴古墳へ向かいます。これがその古墳です。国指定史跡で、7世紀中頃の方墳です。雄穴と雌穴があり、石室になっています。右が雄穴、左が雌穴だそうです。雄穴。中に入ってみましょう。何でも天井部は隅三角持送技法に類似した架構法(板石を巧みに積み上げてドーム型の墓室をつくる技法)を採用しており、高句麗様式石室の系譜をひくものとみられているそうです。誰が葬られたのかはわかっていませんが、朝鮮半島から渡ってきた人の古墳のようです。蝦夷穴とされていますが、実はこのころまでには「蝦夷の人たち」は新たな流入層に追いやられて、より環境の厳しい地へと移住を余儀なくされたのではないかと思います。7世紀から8世紀にかけて、大和朝廷による蝦夷の人々に対する弾圧は強まっていきます。ご存知のように802年には、征夷大将軍・坂上田村麻呂により蝦夷の人々は東北の地で平定されてしまいますね。これに関連した「古代出雲『国譲りライン』の謎」という記事が、たぶん今月発売の「ムー」に掲載される予定です。発売されましたら、概略とともにお知らせします。次はモーゼの墓と宝達山です。
2007.10.01
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