全28件 (28件中 1-28件目)
1
家庭の究極の目的………家族の生存・発達・安心・平和・幸福であり幸福の内容は、健康・長命・長寿・子孫繁栄である。学力・知力・金力・権力・体力・地位・財産・名誉等は人生の目的ではなく目的達成の手段です。ここのところを間違えている為に、手段をすこしでも善くしょうと考え諍い・争い・健康を害して病気・短命・不安など全く逆の結果を得ているのです。日々の仔細な心遣いにも注意しなけれは
February 28, 2004
コメント(0)
「同じ赤い実をつけても」 万両と千両の違いは、万両の実は葉の下にあるが、千両の実は葉の上に突き出ている。人間も同じですぐ人の上に頭を出したがる人間は千両の値打ちしかなく、人々の下におって働く心がけの人は万両の値打ちである。」 出るくぎは打たれるというが釘も出ていなければ雑巾もかけられない。しかし出ていようが、自分は人の下になさって働かせて戴きますという謙虚さが大切であると思う。
February 27, 2004
コメント(2)
真民さんの詩に『両手の世界』と題して両手を合わせる 両手で握る両手で支える 両手で受ける両手の愛 両手の情両手合わしたら けんかも出来まい両手に持ったら壊れもしまい一切衆生を 両手に抱け それぞれの手には皺がある。これを合わせておれば幸せなんだ。と聞いたことがある。神仏の前で両手を合わせるごとく、日々の生活の中で両手を合わせて生きていきたい。
February 26, 2004
コメント(2)
水五訓という言葉がある1 自ら活動して他を動かしめるは、水なり2 常に己の進路を求め止まらざるは水なり3 障害に遭い激しくその勢力を百倍しうるは水なり4 自ら潔くして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり5 洋々として大洋を充たし発しては雲となり雪と変じ凝っては玲 瓏たる鏡となりしかもその性を失わざるは水なり 流水は腐らぬとも言う。たえず己の行く道を考え、本来の心遣いであるか、本来の心で生かされ生きているか内省して進みたい。
February 25, 2004
コメント(0)
造られたものは、たえず流動してやまない。したがって我々はこの一瞬をも無為に過ごすことなく真実に生きること。これが諸行無常である。私たちは、互いに相寄り、相助け、持ちつ持たれつ生かし生かされているのである。これを因縁所生という生きとし生けるものは必ず死があり、形あるものは壊れるのである。だからこそ、この一瞬を一生懸命に生きなければならないのである。私たちは今・ここに生かされているのである。先祖が汗水流して苦労して結果が、私たちの今・ここなのである。 この大恩に報いる為に、子孫のために、生きていくのである。
February 24, 2004
コメント(0)
雪解け道のぬかるみを杖にすがって とぼとぼと歩み来たれる老婆あり行き来の車馬の絶えざれば向こうの側へ行きかねつ老婆の前を右左行き交う男女の多けれど北風寒き街の辻身なりいやしき老婆には手を貸す人もあらざりき米屋の小僧お得意へ米を運びし帰り道ひらりと降りて自転車をかどの下駄やに預けおきすぐに老婆を導きぬ歳の若きに感心なかくゆう声を後にして小僧は乗りぬ自転車にくにに 母親残すらん彼の瞼に露ありき下駄買う人も売る人も下駄屋にありし人はみな彼の姿を見送りぬさとすべき子にさとされし小さな悔いを抱きつつ 高田好胤著『道』より
February 23, 2004
コメント(3)
治水師は、流れを治め矢作りは、矢を矯めなおし木工は、木を正すごとよき人は我を調うしかし、少し調子が悪いと私たちは、ややもすると、その原因を、環境の原因にし・社会の原因にしたりする。そういう社会や環境を善くしていくという努力は大切であるがそれとともに、一番の根本である、自分を調えることが大切で、自 分が変われば周辺に及ぼす影響ははかり知れないものがある。やはり自分が自分を自分することだ。自分が自分を自分する
February 22, 2004
コメント(4)
宇宙には法則があり、その法則に則って運行していることは誰でもご存知であろう。人間もこの宇宙の中に生かされているのであるからこまの法則に則った生活をしなければ淘汰されるのである。どのような人が淘汰されるのか?1 過ぎる人……過ぎたるは及ばざるが如しとは徳川家康の言葉とされているが、世の中熱心すぎる人がいる。熱心の弊害と言うこともあるのだ。2 自分中心の心が強い人……刺々しくて近寄れない人が居るものだ。このような人も淘汰される。「とやこうと不足の多き罰当たり己ひとりの世の中でなし」3 不道徳・乱暴者・反抗心4 組織に同化しない人……自分から求めて組織に同化していかなくては決して相手から求めてくることはない。このような人はリストラされやすいという。いくつか気をつけなければ~(^◇^)/ぎゃはは・・
February 21, 2004
コメント(1)
すずめの学校と、めだかの学校がある。♪ すずめの学校の先生は、鞭を振り振りチィパッパチィチィパッパチィパッパ ♪ めだかの学校のめだかたち誰が生徒か先生か誰が生徒か先生か である。先日 ある組織で行われた訓練を見学に行った。この訓練には3年前に私も参加したが今回は見学者という立場から見てものんびりしている。訓練会場の責任者の席には3年前と違う人が座っていた。まさか代理者が席が空いているからといって座れる椅子ではない。 そうすると、3年の間に責任者が交代したということしか考えられない。 付近にいた人に問いただしたところ「そうだ」という。 「今年の訓練は、少しのんびりムードですね」と言うと、「幹部が変わればね」という返事だった。 組織をすずめの学校にするか?めだかの学校にするか?組織のトップに立つものの考え方であるが、それによって組織の雰囲気が変わるということが恐ろしい。
February 20, 2004
コメント(0)
一番よい馬は、鞭の影を見ただけで走り出すという。二番目によい馬は、鞭が毛に触れれば走るという。三番目によい馬は、鞭が肉に触れれば走るという。一番駄目な馬は、骨身に応えるほど鞭に打たれてから走り出すという。 さて、私は、どの馬にあたるか、考えてみるにどうも骨身に応えるほど鞭で打たれても走り出さないのではないか? まこと駿馬に鞭うちたるがごとく汝ら奮闘努力せよ。と言われたところで、言われた本人その気がなければ、どれだけ鞭打たれても走り出さないのではないか。
February 19, 2004
コメント(0)
種田山頭火の俳句に 焼き捨てて日記の灰のこれだけかというのがある。楽天に毎日毎日日記を書き、残している。以前に何十年と日記はつけていたが何十冊という日記帳も残っている。その中には恋愛・悩み・希望・失望・愚痴・怒りなどが詰まっている。自分そのものの歴史である。そろそろとこの日記帳も始末しょうかとも思っているが、その方法はやはり焼却であろう。人間も死ねば焼かれるのである。ただそこには、骨が残るだけであるが、日記帳を焼いても灰だけ残るだけである。思い出はどこへ行くのであろうか?
February 18, 2004
コメント(3)
昨日の日記で反省する心の中に、「あんたが悪い」「自分は?」と書いたが、あんたと指差すの人差し指は、相手方を向いているが、その時の中指・薬指・小指の向きは?自分は出来ていると思っているのが高慢心であり、他人から見ると本当は何も出来ていないのである。人を批判する前に、自分自身を省みることが大切だろう。あの人はああだが、果たして自分は?うーーーーん
February 17, 2004
コメント(3)
思いやりの心とは 1 低い・優しい暖かい心 〇かたよらないこころ・こだわらないこころ・かたくならないこころ・とらわれないこころ〇自分にして欲しくないことを他人にしない。自分にして欲しいことを他人にする。〇一隅を照らすものとなる。 2 反省する心 〇祖先・神仏への礼拝〇「あんたが悪い」?自分は?? 3 恩人に感謝し報恩する心〇生かされていることの自覚〇親孝行……ホウレンソウ 4 人を愛し育てる心 5 プラス発想の心 毎日毎日、こり慈悲の心をもって生活しているか?一瞬一瞬忘れずにいるか?今日も明日も・今・ここでうーーーん
February 16, 2004
コメント(2)
尽日春を尋ねて春を見ず芒鞋踏みて遍ねし隴頭の雲帰来却って梅花の下を過ぐれば春は枝頭に在って己に充分 戴益 久し振りに一日中家にいた。正月以来と思う。昨日日帰りの温泉に行って、下着もつけずに浴衣だけで寝ていた油断が出た。一日ゆっくりとPCやテレビを見て過ごした。外に求めなくても内にも春はあったのだ。人も同じで外に求めるのではなく自らの心に春はあるのかも知れない。しかし何事も油断は大敵だ。
February 15, 2004
コメント(2)
春なれや名もなき山の薄霞という芭蕉の俳句があります。2月半ばなのに何を馬鹿なと、東北や北海道の方は思われるかもしれませんが、節分が過ぎました。春なのです。春は物の始めです。これからいろいろな植物が花を咲かせます。芭蕉さんの俳句のように春であるからこそ名もない山も風景になるのです。名もない私も今年の春から、少しは花を咲かせることにしましょうか。咲いてしまったら惚けの花だったということにならない程度に。
February 14, 2004
コメント(3)
道元禅師は「愛語よく回天の力あるを学すべし」と言われた。愛語とは、肯定的な言葉を使うことで、「ありがとう」「がんばろう」「すばらしい」等の言葉を身近な人々に使うことである。 私は、ややもすると否定的な言葉を知らず知らずのうちに人々に投げかけている。「だめだろう」「出来ないだろう」これらはすべてマイナス発想である。プラス発想を心がけたい。 1 物事を明るく考える。2 気配りをする。3 長所を見る。4 肯定的な言葉を使う。5 感謝する。6 思いやりを持つ7 謙虚でいる。 出来るだけこうありたいと願う。二度とない人生だから
February 13, 2004
コメント(3)
人と人の間で 愛する人と別れなければならない「愛別離苦」逆に会いたくない人に会わなければならない「怨憎会苦」人と物の間で、欲しいものが手に入らぬ「求不得苦」反対に手にあるものを失いたくない「五蘊盛苦」あわせて四苦が人と人・人と物の間……じんかんに生じる。一人ひとりの人もまた、「生・老・病・死」の四苦を避けられない。先の四苦とあわせて四苦八苦と言う と教えられています。私たちは、この四苦八苦の中に生きているので色々と悩みも悲しみも出てくるのでしょう。だから人間なのでしょうね。
February 12, 2004
コメント(2)
真民さんの詩に『一本の道』と題して木や草と人間と どこが違うだろうみんな同じなのだ いっしょうけんめいに生きようとしているのをみると 時には彼等が人間より偉いと思われる かれらは時がくれば花を咲かせ 実をみのらせじぶんを完成させる 自分自身の完成へ向かって、多くの人々は汗を流している。それをもとめるものが読書であったり、宗教であったり、思想であったり、学問であったり仕事そのものであったりする。 木や草はこのようなことがなくても、時が来れば花を咲かせ実を実らせ完成させる。真民さんも言っている。時には彼等が人間より偉いと思われると……人間も自然界の法則に合う生活をしなければいつまでも万物の霊長などといっておられないだろう。
February 11, 2004
コメント(1)
ある山奥で山火事が起きた。 そこに棲むシシやトラや象たちは懸命になって消火に努めるが、火勢はつのるばかりであった。さすがに巨獣たちも、ついに力尽きて安全な岩陰に隠れて山火事を傍観するばかりであった。その時巨獣たちが驚いたのは、羽に火傷を負った一羽の小鳥が遠く離れた沢の水を傷ついた自分の羽に乗せては火事場に運び、消火に努めた。彼らは小鳥の行為を嘲笑するが小鳥は答える「私の力で不可能なのは、よく知っています。しかし大切な山が焼ける というのに出来ないからといって、そのまま傍観は出来ません」釈迦は、この比喩を告げておもむろに人々に法を説く。「おん身らは、必ずや巨獣たちの行動を是認して、小鳥の行為を愚挙として笑うであろう。しかし、この小鳥の願いと行為こそ菩薩の智慧と慈悲に他ならない。」永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩と言う 高田好胤師
February 10, 2004
コメント(3)
以前に紹介した加藤美知子さんという人が言われた言葉に 「とにかく、生かされている限り生きてみよう」「人間は生きることを拒否すると、体の細胞は死ぬ方向に行く。希望やロマンに向かっていくと細胞はみるみる生きてくる」「私は自分の生命力を信じています。一生懸命生きていて、世の中が必要とする人間であるなら神が生かしてくれると思います」とある。 まだ生かされているうちから死など考えるのは全く無意味である。希望やロマンを持っていればどんな環境であっても生き生きと生きることができる。戦後シベリアに抑留された人々のうち還って来た多くの人は、日本に帰るのだという強い希望が会ったと聞いたことがあります。悪い条件を逆によい方に使う心遣いをする。悲しみや苦しみは幸せを一層深く感じさせるための”隠し味”です。 加藤美知子さんは、埼玉県の人で無腐性壊死という骨が腐っていく病気を患っておられます。
February 9, 2004
コメント(3)
問題が発生したら 1 問題の本質を見極める2 問題の性質を突き止める (1) 自分が引き起こしたものか (2) 相手が引き起こしたものか (3) 第三者が引き起こしたものか3 いくつかの解決方法を考える4 それぞれの解決方法を評価する それぞれの長所・短所・実行可能かどうかを評価する5 どの方法がよいかを決定する6 決定した方法を実行する7 解決策がうまくいっているかどうかを調べる8 問題が確かに解決したかどうか見届ける9 付随した問題が再び起こらないかどうかを検討する10 教訓として後に残すと教えられているが、自分の職場では果たしてこのように取り組んでいるか?無意識のうちに実行しているものもあれば、全く実行していないものもある。まずこれが問題だ
February 8, 2004
コメント(0)
金子みすゞという詩人が居た「大漁」と題して 朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮の大漁だ 濱は祭りのやうだけど 海の中では 何萬の鰮のとむらいするだろう はじめて、この詩を読んだときには身が震えたのを覚えている。最初の頃は綺麗な情景に吸い込まれ。中ごろでは勢いのいい情景が浮かび。そして最後にはカルチャーショックに落とされた。今までは、人に対しては、自分なりの情と言うものを持っていたと思うのだが、人間以外の生きとし生ける物に対するものの憐れを教えられた。かつて聞いたことがある、「戴きます」という食事前の挨拶は、物の命を戴くための感謝の言葉だということが鮮やかに甦った一瞬だった。金子みすゞ金子みすゞ
February 7, 2004
コメント(6)
使われている身としては次のことに注意して、ウン十年勤めてきた。ホウレンソウである。報告・連絡・相談である。 報告は特に1仕事は報告が済んではじめて終了である。2報告は命令を受けた人にする。3内容をよく整理し、簡潔・明瞭・具体的にする。4報告の順序は、結論・理由・経過の順に行う。5意見は意見としてはっきりさせておく。6失敗や突発的なことは特に急いで報告する。7後々問題になることや、社会的に問題なことはすぐに報告する。 このようにしてきた。うん、これでよいのだ。
February 6, 2004
コメント(1)
孔子が諸国を巡歴し太守の哀公に挨拶に出たとき哀公は孔子の旅の疲れを慰めようと、最愛の女房を忘れて引越しした家来のことを話した。孔子は言葉静かに 「妻を忘れても思い出すから、よろしいでしょう。しかし一番大事な自分を、どこかに忘れて忘れ放しになっていないでしょうか」 と言ったという。私たちも日常の忙しさにかまけて、大切な自分自身を忘れていないでしょうか? 忙しいとは、心が亡ぶと書きます。毎日毎日自分を見つめなおす、時間が必要でしょう。親に心配をかけていないか?他人に迷惑をかけていないか?自分が自分を自分しているか?毎日見つめたいものです。最愛な人を忘れて引越ししない為にも
February 5, 2004
コメント(0)
人間には 1 いなくては困る人2 居たほうがいい人3 居てくれない方がいい人4 死んでしまえばいい人に別れるという。一人の人に対しても、見る人からすれば、居なくては困る人でも、居てくれないほうがいいと見るかもしれない。 勿論自分にとっては、他人からは、居なくては困る人にならなければと思うのだが、ひょっとしたら死んでしまえと思われているかもしれない。どうでもいい人間ではなく、居なくては困るといわれる人間になりたいものだ。
February 4, 2004
コメント(0)
決断……この自分を未来に向かって投げかける行為のこと 毎日のささいな選択……これが未来を形づくっていく決断1 決断や選択が、自分自身の価値を高める。2 決断や選択が、他の人にも益をもたらすかどうか。3 決断するチャンスを逃さないこと。4 決断に失敗や不安を与えないものであること。7割方成功と思えばやってみること。 学生時代に、恩師が「〇〇は壊れた橋でも渡る」「〇〇は橋を叩きすぎて壊してしまう」「〇〇は石橋を叩いて、渡る」「好幹は石橋を叩いて、大丈夫だと思っても渡らない」と優柔不断の私に言われた。あれから十数年そうかもしれない。決断が、選択が7割方成功すると思えばトライすべきだ。うん
February 3, 2004
コメント(3)
周代、杞の国の人が、天が落ちて来はしまいかと心配ばかりしていた人が居たという。杞憂の語源であるが、昨日・一昨日と東京に行って思った。 東京は、人人人である。15年程前にもあしかけ4ヶ月、東京に居たが、その時は、吉祥寺の方で住んでいたので、よく新宿や渋谷に出かけた。このとき思ったのも東京は遊びに行く場所であるが、決して住む場所ではないと思った。今回もそうだ、東京湾を埋め立てビルを建て、高層建築物が鉛筆のように立ち並んでいる。ビルの5階ぐらいな高さのところを高速道路が走り、その下に家が並んでいる。車が落ちてきたらどうなるのだろう。静岡に入れば海のすぐ横を東名高速道路が走っている。東海地震・東南海地震・南海地震が騒がれているが津波が来たらどうするのだろう。愛知県に入れば工場の煙突からもくもくと煙が出ている。公害は大丈夫なのだろうか。天は落ちてこないだろうが、人間はこのようなものを作ってどうするつもりなのだろうと、杞憂する。
February 2, 2004
コメント(3)
昨日と今日東京で歌川二三子のディナーショーに行って来た。 全国から160人が集まってきた。彼女の父親は目が不自由で、三重県津市の浪曲師の師匠のところに弟子入りし、彼女は小さいときから父親の手を引いて全国を廻ったという。 そのような縁で、津市からも彼女の応援隊が出来ている。父親は亡くなっているが、彼女は二代目を継いでいたが、歌川二三子と言う芸名で歌手をしているのである。 テレビのレギュラー出演もあるが、演歌であるためほとんどの人が知らないであろう。 火消しの野狐三次を題材とした「江戸の華」とか、鹿児島県にあった特別攻撃隊を舞台とした「知覧の母」という歌などを歌っている。 今日は、彼女と浅草の中店通りを一緒に歩いたが、普通のおばさんである。ほとんどの人が知らないか、歌川二三子だと気がつかない。それが一旦舞台に上がると、完全に野狐三次になり、知覧の母では青年将校になりきるのである。このおばさんが、あの人かと思うほどである。これがプロである。 白隠禅師は「随所に主となれ」と言われたが、それを実践している。しかもガンに冒されているという、このプロ根性を見せてもらっただけでも、8時間かけて東京まで行った甲斐があった。
February 1, 2004
コメント(3)
全28件 (28件中 1-28件目)
1