全26件 (26件中 1-26件目)
1

ばあこ5577さんのご推察どおり、一泊旅行に行ってきました。三重県は大雨との事でしたが、福井・石川は曇り時々晴れといういい天気でした。
October 31, 2004
コメント(4)
七つの子FM放送あまがさき社長 堂本嘉巳 烏 なぜなくの 烏は 山に 可愛7つの 子があるからよ 可愛 可愛と 烏はなくの 可愛 可愛と なくんだよ 漂泊の詩人 野口雨情は話題に事欠くことは無かった。1882年(明治15年)5月茨城県多賀郡磯原(現在の北茨城市)で生まれた。太平洋が望める磯辺の町、海あり、山あり小川あり、とのぞかな都市また風光明媚 ときの水戸光圀がここ磯原港に観海亭という休憩所を作りよく遊んだといわれ、その観海亭の一部が今も残る野口雨情の生家であるといわれている。 (中略) 代表作に、七つの子・十五夜お月さん・赤い靴・あの町この町・証城寺の狸ばやし・青い眼の人形・雨降りお月さん・波浮の港・船頭小唄等々がある。これらの詩にまつわる詩碑は北海道から鹿児島まで約110基(中略)数々の詩をつくりながら北は樺太、北海道から南は鹿児島まで日本各地を旅し、晩年は、宇都宮市に疎開し、太平洋戦争激化の中、昭和20年1月、61歳の生涯を閉じたのである。今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように遠慮なければ近憂なし(論語) 中国文学者 丹羽準兵 「遠慮」とは、気兼ねのことではなく文字通り遠き慮り、つまり先々を見通した心配りのこと。遠いところまで見通して対策をしておかないと、近いところで足をすくわれることになる、というのである。 目先のことにとらわれがちになるのは人間の通弊、とりわけ順調な状況にあるときほど、将来への心配りはおろそかになりやすい。個人に限らず、組織にも同じことがいえるが、では、どのへんまで見通しを立てておくべきか、2年3年先か5年先か、あるいは20年30年後といった遠い将来か、その判断もまた難しい。 盛時には驕らず衰時には腐らず 泰然自若 悠然と人生を送りたいものです。 好幹 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 29, 2004
コメント(2)
愚公山を移す『列子』中国文学者 丹羽準兵 昔愚公(おろかなひと)が山を切り崩しにかかった。知叟(利口者)が、そのばからしさをからかうと愚公はこういったと言う「私が死んだとしても子どもがいる。次には孫がその次には曾孫が居る、やがては平らになる。山は今以上に高くはならないのだ。」世に智者といわれる人間は、大方は知叟と同じで、自分は何一つ立派なことをしないのに、愚公のようなものを笑うばかりだし列子は嘆いている。こつこつと地道に仕事をする人間を軽蔑する。そんな雰囲気が生ずるようでは先が思いやられる。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 28, 2004
コメント(4)
上求菩提下化衆生 綾 小 路 好 幹 私が始めて20歳とき参禅し、高僧に「人生いかにあるべきか?」と問うた時、即座に「上求菩提下化衆生」と答えられた。上求菩提とは、自らも菩薩を目指すことである。高田好胤師は、「永遠に永遠なる者を目指して努力する人を菩薩という。」と教えられた。自分の目標をしっかりと持ち、それに向かって永遠に努力を続ければその姿自体が菩薩道なのである。下化衆生とは、このようなことを他の人々とともに努力するのである。けっして自分さえ良かれではない。他の人々もともに彼岸に行くのである。否自分自身がまだ渡っていなくとも、他の人々を渡すのが菩薩道であろう。これが、大乗仏教の極意でもある。あれからウン十年、私自身これが守られてきたであろうか。今からでも遅くは無い。上求菩提下化衆生である。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 27, 2004
コメント(1)
遠慮なければ近憂なし(論語) 中国文学者 丹羽準兵 「遠慮」とは、気兼ねのことではなく文字通り遠き慮り、つまり先々を見通した心配りのこと。遠いところまで見通して対策をしておかないと、近いところで足をすくわれることになる、というのである。 目先のことにとらわれがちになるのは人間の通弊、とりわけ順調な状況にあるときほど、将来への心配りはおろそかになりやすい。個人に限らず、組織にも同じことがいえるが、では、どのへんまで見通しを立てておくべきか、2年3年先か5年先か、あるいは20年30年後といった遠い将来か、その判断もまた難しい。 盛時には驕らず衰時には腐らず 泰然自若 悠然と人生を送りたいものです。 好幹 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 26, 2004
コメント(2)
人と言葉 (株)組織デザイン代表取締役 松崎 俊道 人は言葉によって生きる動物です。日々何気なく交わしている会話の中にも、人を勇気付ける言葉があったり、逆にやる気をなくしてしまうような言葉もあったりします。 人は言葉で笑い、言葉で悲しみます。だからもっと言葉の力を信じてほしいのです。(中略) よくモノの本には、ほめることは大事とありますが、おざなりのほめ方ではダメ。それではかえって相手の不信感を買うだけです。本質は(君の事は普段からちゃんと見ているよ)という姿勢を表明することでしょう。 だから普段からのちょっとした一言が大事なのです。それも相手にとってプラスになる一言を加えること。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 25, 2004
コメント(5)
人と比べる (株)組織デザイン代表取締役 松崎 俊道 人と自分を比べるな。昨日の自分と今日の自分を比べよ。 組織人のストレスは、言い換えれば、その大半は人と比較することから生じてくるのではないですか? 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 24, 2004
コメント(0)
羞恥心はどこへ行った? コラムニスト 新坂 理一郎 あれは、もう30年以上昔の話になる。大阪の千里丘陵で、戦後初めての万国博覧会が開かれた。テーマは「人類の進歩と調和」だったか、とにかく会場は連日超満員で、人気パビリオンともなると2時間3時間待ちなど当たり前である。それに不服そうな顔もせず、みんな辛抱強く並んだものだ。むろん、ぼくもそのうちの一人だったが。 新しい発見もさまざまあったが、一番驚いたのは、立ち食いの店がずいぶん並んでいたことだった。とくにマクドナルドハンバーグなる出店では、今まで見たことが無いような制服の娘さん(外人店員も混じっていた)が、大声を出して注文を聞き、笑顔一杯で売っている。また、売っている商品も、これまたお目にかかったことのないパンともケーキともつかない肉を挟んだ代物であった。 そして買った人のほとんどの人が立ち食い、あるいは歩きながらのむしゃくしゃだ。これには正直たまげた。いわゆる主食とか、それに類する食事については、座って食べるのが日本人の常識であって、手づかみで歩きながら食べるなんて論外である。お行儀が悪すぎると、年配のご婦人たちは眉をしかめていた。わが国古来からのマナーに著しく反するというのがその理由だっただろう。 思えばこれは一種の黒船来航でもあった。まったく未知の主食代用品がやってきて、その食べ方といえば、マナーや流儀にこだわらぬ自由勝手そのもの。行儀が悪いも何もあったものでない。これが、わが国の食事作法を根から崩すと同時に、栄養バランスもあまり考えない手軽さイメージさだけがウリの食品、今でいうファーストフードの衝撃的な登場だったのである。(中略)恥は別文字で、羞・辱とも書く。恥ずかしいと同時に自分に対する辱めという意味でもある。自分が自分を辱めてどうする。 これ見てくれじゃない。公務員や教職員、銀行員とか聖職者など、一見おかたい職業人にもしばしば顕れる悪しき風潮だ。それもこれも「羞恥」がもはや死語になっているからである。 今からでも遅くはあるまい。くれぐれも恥の上塗りはなさらぬように。羞恥心は大切ですが、今のファーストフードの食事も見直すべきだと思いますが、あなたはお好きですか?今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 22, 2004
コメント(6)
節操のゆくえコラムニスト 新坂 理一郎 一見真面目ふうなんだが…… 時として得体の知れなくなる。そんな人があなたの周りにいないだろうか、と聞かれたのは何年前だったか。もう20年くらい前のことだったか。ずいぶんムカシの話である。 得たいが知れないというのは、何を考えているか分からない、どこに価値観をおいているのかはっきりしない、信じるものをもっているかもどうかも怪しい。自分から考えて相手を判断しようにも、その手がかりが得られないということだろう。こういう連中が最近ますます増えてきて、5年前に成人式を終えたばかりの若者が、すでに今年成人になった連中のことを「超新人類」と言っているのだとか。おじさん、おばさん、いや、爺さん婆さんに「最近の若い人、さっぱり分からないね」と言わしむるのも無理はないね。 ま、年寄りが時代の若者を理解しにくいと思うのは、これは歴史の繰り返しであってそれほど奇異なことではあるまい。ただ、分からないことと表現する年代差の変化速度がすごく速くなっている事実。これだけは確かだろう。この先我ら日本人、ますますお互いの「分からない度」は凄まじいスピードで増殖するに違いない。 あなたの周りには、わけの分からない若者は居ますか?今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 21, 2004
コメント(5)
性善説と性悪説 FM放送あまがさき社長 堂本 嘉巳 中国の哲学者孟子は「水は決して上の法に上がらぬと同様に人間の本性は、元来不善には行かないものだ。仁・義・礼・智の徳は外から借りてきた飾りつけではない。本来人間が固有しているものだ。それが道徳的本性であり、人みな善である。」と説く。一方荀子は「人間の本性、すなわち生まれつきの性質は悪であってその善というのは、儀(いつわり)、すなわち後天的な作為の矯正である。曲がった木は必ず矯め木をあてて曲がりをなおす。刃物は必ず砥石でといではじめて鋭利になる。それと同じように人の生まれつきの性質は悪であるが必ず先生の教化の実際にふれてはじめて正常な性質になり、礼儀による規制を受けて初めて行いがよく治る」と説く。 あなたはどちらの説を採りますか?今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 20, 2004
コメント(4)
核アレルギーになりそう フリーライター 鴨谷 翔 樋口京輔という新進作家の作品に『フラッシュオーバ』がある。 (中略)コシマキの謳い文句ほどではなかったが、最近流行のスピードアクション・ミステリー併合型の作品としてはなかなかのできで、ずいぶん面白く読んだ。特に、出てくる資器材など、人物以外の描写もリアルであり、事前のリサーチがかなり綿密だったことをうかがわせる、そんな小説である。(中略) その中の地元消防部隊中隊長が、元東京消防庁の現役から、事情があってスライドしてきた人物という設定。しかも舞台が谷川トンネル新潟側出口付近である。いったいどういう経歴の作家か、と思って巻末のプロフィールを見ると、新潟出身で東京の歯科医大を卒業、そして現在新潟市内で歯科医院を開業中とある。これが処女作ということであるが、道理でこの辺りの地理や、風土に詳しいはずだ。(中略) ぼくが驚いたのはこの小説のシチュエーションである。核燃料とテロ集団を結びつけた発想の妙だ。核燃料もテロリストも、この種の小説ではおなじみだが、舞台を日本の道路トンネルに置いて、しかもテロ集団を絡ませたストーリー第一、わが国に本格的なテロ集団なるものは存在しないし、彼等が核燃料のトラックを襲うというのも現実味に欠ける。(中略) しかし、核の事故が起こった。東海村のお粗末極まるあの事故だ。1999年9月30日木曜日、核燃料加工会社、JCO東海事業所がその発生現場だ。ともかく信じられないプロセスで起こった事故であるのは確かである。 住宅が混在するこういう場所でウランの精製を行ってきた事実 次に、ウランの精製に携わった3人の作業員が使ったとされる道具、ステンレス製といえども「バケツ」とは何か。少なくとも原子核を扱う工場だろう。現代の日本で、これ以上はないほど監視のきつい物質である。 これを扱っているとなれば、超高度な安全システムの下で作業は行われていたはずだと誰でもそう思う。(中略) 使命感に燃えて出動した救急隊員は、何も知らされないまま現場到着して第二次被爆するはめになってしまったのだ。救急隊員の善意に対して、会社側は悪意で応じたのだ。救急隊員に今後何かの異常が生じたら、それは間違いなく会社の未必の故意によるものである。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 19, 2004
コメント(2)
鯉 運動会に行く錦亭 鯉 ああドキドキする。100メートル走のことを創造しただけで、「天国と地獄」の局のクライマックスがあたまのなかをぐるぐる駆け回る。 一度でいいからスタート合図のピストルが青空に向けて撃たれたとき「なられた……」と言いながら、ばったり倒れてみたかったものだ。(中略) 中年のスポーツによる怪我は、いくつかの原因が指摘される。 まず日ごろから運動不足なのに、いきなりがんばってしまうことによるもの。うん、これがいけないことはよくわかる。(中略) 自分はまだ若いという自信、あるいは若い頃はスポーツマンだったという自負心。実はこれが一番厄介なのではないか。(中略) 頭の中のイメージでは颯爽と走っているカモシカのような私なのに、現実は足がちっとも前に出ない。足は前に出ないのに、気持ちと上半身は前へ前へ行ってしまうものだから、足がもつれる。果ては転ぶという結果を招いてしまう。 日頃の運動の積み重ねが大切なのはご存知のとおり。そして準備運動も、一時の恥を忘れて忘れずに。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 18, 2004
コメント(2)
いま、企業内部ではフリーライター 鴨谷 翔 民間企業にとって、一番怖いのは顧客を失うことである。もう半世紀近く昔、ある歌手が「お客様は神様です」と公言して、すぐ流行語になった。これはユーザを必要とする組織体のいわば哲理なのであるが、バブル期にはややもすると忘れかけられた経緯がある。 なぜなら、企業の多くが営利、業績第一主義に陥り、顧客の要望を二の次にしたからである。儲かればそれで云いの風潮が蔓延したのがこの時期の特徴でもあった。その本質は、企業モラルを低下させながら突っ走ったに過ぎない。だからバブルは崩壊した。以後わが国の多くの企業は、守りの経営に移行したわけだが、いったん低下したモラルまではなかなか浮上してくれなかったこれがここ数年以来続発中の企業不祥事につながっていく。そしてそうなったもっともなる原因が法令違反。(中略)このような背景から、最近の企業間では「コンプライアンス=法令順守」 が合言葉のような状態になっている。まず経営者自らが、コンプライアンス意識を 徹底し、それを組織全体の問題として取り組んでいく。単発的な課題ではなく、その企業存続の前提として継続的に順法精神の維持を図ろうというのだ。(中略)本来なら、ブランドへの信頼なり愛着が消費者側にはあるはずで、それは企業にとって何よりの激励になるし、再起への元気に結びつくはずである。しかし、不祥事の内容が反社会的なものであったり、うそで塗り固められたものであったりすると、もう駄目だ。現代社会はうそを決して忘れない。それまでの信頼が逆に作用して、消費者は裏切られたと感じてしまう。コンプライアンスを推進する方法はいろいろある。まず法務部門を強化して、自社取扱い商品と適用法令のつながりを精査する。生産から流通、販売にいたるまで一貫して扱っている場合は、これが以外に手数のかかる作業なのである。つくづく日本の法体系の厳密さを思い知らされる。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 17, 2004
コメント(0)
どんな人たちに錦亭 鯉 どんな人たちに囲まれて、みなさんは日々を過ごしているだろう?見渡せばいろいろな人がいると思う? 嫌いも含めて、人間関係はいくつかのグループに分類できるが、私の回りにいる人たちの中でも強烈な「ヘンな人」と「素敵な人」にスポットを当ててみようと思う。(中略) S氏、顔がでかいのである。4身頭くらいであろうか。私の見つけた法則で「頭のでかい人は態度もでかい」というのがあるのだが、この方もまさにそうだ。ところで私は、この法則が当てはまらない人を見たことがない。みなさんは「顔はでかいが態度は小さい」という方をご存知でしょうか?(中略)やること、言う事が面白くてすごくおもしろい。まさに当意即妙と云う感じで、一家に一人ほしいタイプだ。自分の興味のある本もよく読んでおり「えっ?ほんと?」という話をよく知っている。 (中略)しかしこの人は、この才能と本を読む情熱が本来業務ではまったく発揮されず、直属の上司から「その力を本来業務でもだしてみろ」といわれ続けている。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 16, 2004
コメント(0)
隠す錦亭 鯉不思議なのはなぜ隠そうとするのかするほど、物事は逆の方向、露見する方向に行ってしまうのか?「隠す」ことを嗅ぎ出す人間の臭覚が優れているのか?「隠そうとする」人間の隠しきれない間抜けさが出てしまうのか?(中略) 「隠す」のは悪いことばかりでない。女性の色気だって、隠されたところがあるから色気を 感じるという人が多いのではないだろうか? 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 15, 2004
コメント(1)
人間そうは違わない? 東京工業大学名誉教授 理学博士 崎川範行青森の辺りの秋景色が素晴らしい。晴れた青空の色と赤く実ったりんごの色とが程よく調和して、日本何景かの一つとして表現してもよさそうに思われた。見廻しても人の姿は見えない。観光客には知られない場所にこんな美しい場所があったのである。十和田湖の高度はかなり高く、東側から滝になって流れ落ちていた。(中略)そんな中から遠野郷平野の伝説や昔話が生まれたのだと思う。(中略) シンデレラの話とよく似ている。と云ってそんな昔のヨーロッパの童話が、日本の青森に入っていったという可能性はないと思う。東北地方の北部に自然に生まれたものだろう。人間の考え方というものは何処の地域でもそれ程には違わないのだろうから。 ベートーベンの第九シンフォニーの終わりの合唱曲「歓喜の歌」と同じメロディーがヒマラヤの山奥に存在するそうである。作曲家の中村八大氏が話してくれたのだが、それがヒマラヤの奥まで伝わったという可能性はまったく存在しないそうだ。今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 14, 2004
コメント(2)
NO1にならなくてもいいもともと特別なオンリーワン花屋の店先に並んだいろんな花を見ていたひとそれぞれ好みはあるけどどれもみんなきれいだねこの中で誰が一番なんて争そう事もしないでバケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っているスマップの歌うヒット曲だそうだ。恥ずかしいことにスマップもこの「世界にひとつだけの花」も見たこともなければ、聞いたこともない。この間浜松の花博で、たまたま消防の音楽隊の全国大会が開催されていた。多くの音楽隊がこの歌を演奏していた。詩がいい、それぞれが争そう事もしないでバケツの中に誇らしげにしているのである。自分も自慢することもない。さりとて卑下することもない。自分は自分なのである。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 13, 2004
コメント(4)
冬景色FM放送あまがさき社長 堂本嘉巳さ霧消ゆる湊江の舟に白し朝の霧ただ水鳥の声はしていまだ覚めず岸の家初冬から厳冬にかけての静かな河口や湖の風景がしのばれる大正2年5月の作だが、作詞者・作曲家は不詳である。当時の唱歌にはよくあることだが、この冬景色の冬の夜などの名曲を聴くとき望郷の念ひとしおである。
October 12, 2004
コメント(2)
生きた金フリーライター鴨谷 翔 土地が金を生む発想は、稲作が一般化すると同時に生じた、原始経済はわが国の場合、米が支配したからである。米を生むのが土地だった。これを貨幣経済の抵当として使い出したのは近代だが、現在に至ってこの思想は更に過激化し、日本人を狂わせるものになった。その理由の一つは、土地とは限られた物体だからである。限られたものには当然プレミアがつく。ほしい者が多ければ、値はいかようにも吊り上げられる。バブル期の土地転がしなどはその典型といえよう。(中略) 田中内閣のウリは、列島改造論であった。日本列島を現代都市国家として仕上げるために、土地の有効利用を図るというのが目的だった。が、なんのことはない。土地・不動産の買占めと寡占を助長し、誰もが血相を変えて土地漁りに狂奔する結果を招いた。バブル期の土地転がしの悪しき見本となった政策である。(中略) この時代の罪は、自然体系を無視してまで国土の改変を目指したことである。気候・風土・地形・地質・水流・海流・植生分布・生息分布。こういった自然の原則をほとんど省みないで、国土にユンボやブルドーザーを投入した。自然は人間の力でどうにでもなるとの思い上がりがあった。(中略) 問題はすでに書いたように、発想の基点が金にあることだ。金になるからすべてに優先している。代議士先生も地方議員先生も、金と票につながることを第一義としている。いや、金=票といったほうがいいかもしれない。雑木は金にならないが、杉や檜は金になる。防災は金にならないし票にもつながらないが、空港や高速道路は金になるし票にもつながる。そういうことである 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 11, 2004
コメント(1)
鯉しい本錦亭鯉 秋といえば食欲の秋ですねぇ、なんて鯉の食欲は一年中だ。(中略)あれは中学二年の時だった。8月31日に読書感想文もまだ書いていなかった。しかも本も読んでいなかった。(中略)しかし…………、鯉はヒラメいた。読書感想文?そうだ、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』はどうだ?あれなら今からでも読める。新潮文庫で、5ページというボリュームだ。 鯉はこれで見事に原稿用紙4枚の読書感想文を書き上げた。なんたる悪知恵、なんたる姑息な手段と、自己嫌悪にも陥ったが、なーに書いてしまったらこっちのものだ。ところがあろうことか、この読書感想文、校内の代表作品の一つに選ばれ、旺文社読書感想文コンクールに出されることになったのである。国語の先生は正気か?読書といえば、量的な規制なんてなくたって、やはり一冊単位でしょう。いいの?5ページで?もちろん感想文は入賞しなかったが、敢闘賞という名の小さなトロフィーをいただいてしまった。 鼻が高いような後ろめたいような、読書にまつわる体験談であった。 (中略) 社会人になって3年目ぐらいだっただろうか、大女優杉村春子さんの舞台を観た。お芝居が終わった後、楽屋を訪ねる機会があり、杉村春子さんにお会いした。杉村さんは舞台メイク、着物姿、頭はかつらをはずして手ぬぐいを巻いた格好でこうおっしゃった。「今日の舞台はどうだった?お芝居の内容はみんな忘れちゃってもいいの。それで仕方がないの。でもね、人生の場面、場面で、ああ、あの時、あんな舞台を観たっけと思ってくれるだけでいいの」 鯉にとっても、本はこういうものであればいい。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 9, 2004
コメント(0)
三分間だけ待ちなさい コラムニスト 新坂 理一郎 10年位前から、やたら「切れる」という言葉が聞こえるようになった。(中略) 自分の欲望や欲求を満たすためなら、短絡的かつ性急に事を運ぼうとし、その間に斟酌なり逡巡の形跡を見せない。キレたらすぐに、最悪の段階まで突っ走ってしまうのだ。そして、かなりしばしば反省の色を見せなかったり、一方的にか害した相手の非をあげつらったりする。自分本位で、しかも我慢の留めがない。自分を正当化する悪知恵もじゅうぶん発達していて、未成年であることなど、ある種の刑法上の有利さを計算し尽しているケースも少なくない。(中略) 友人は、「つまりなあ、家できちんとした食事が食えなくなったことが原因だ。しかも今の若者たちは肉食大好きで野菜嫌いが多い。アルカリ性食品に極めて欠けているんだなあ。一般に言われているように、肉食人間は怒りぽくって好戦的。自己主張が強すぎて周囲との協調性に欠ける気味がある。これがここ30年ほどで急激にすすんできたわけだ。一家揃って食卓を囲むシーンなど、テレビのホームドラマでしかありえない時代だから、親子兄弟だって言ったって腹を割った会話など出来るはずがない。小学校高学年からすでに冷め切った子ども、情緒不安定で落ち着かない子どもが急増したって何の不思議もない。」(中略) 即席ラーメンのコマーシャルだって「3分間待つのだぞ」と言っていた。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 8, 2004
コメント(4)
我慢できない者たち コラムニスト 新坂 理一郎 もうかなり昔の話になる。日本の若者たちの顔かたちを区分する表現として、醤油顔、ソース顔とかいう言葉が使われた時期がある。そして、ソース顔がどんどん増えてきたといういうことも付言された。 細かいサイズや形状に決まりみたいなものはなくて、要するに日本人古来からある醤油文化で育ったらしい顔、現代風に西洋ソース文化に浴しながら育ってきた顔、くらいの差別化であったように思う。前者はどちらかというといかつい、がっちりした顔かたちを指した。逆に後者は、顎がとがり細面のバタくさい顔容のものを言った。(中略) ぼくらおじさん年齢にしてみれば、そもそも日本人の顔かたちは醤油顔であるのが当然で、ソース顔なんちゅうのは見た目にもお気楽な性格に写ってしまう。大昔の言葉で言うならのっぺりした遊び人風、あるいはやんごとなきご身分の御曹司様といった印象である。けっして箸より重いものは持ったことがない……そんなイメージの若者。それが近来急増していることはどういうことだ? 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 7, 2004
コメント(6)
ボーンあや私はうお座のせいか、魚が好きで小魚どころかホッケからニシンまで骨も皮も食べ、お店の人が皿しか残っていないのを見て驚く。魚は身より「骨と皮」が美味しいとするのが私だけでないのは「アラ煮」が支持されていることが証明してくれている。魚をよく食べるから、骨は丈夫だと思っている。今までに何百匹、いや何千匹の魚を食べただろう。義理固い私はお魚に感謝し、何か還元したいと常々思っていた。金魚を飼うのは狭い世界に監禁するようでかわいそうな気がするし、パンのミミを皇居のお堀の魚に献上しょうと考えたけれど、ミミは私の好物だからできない。それでは、自らが餌になろうと「散骨」を思いついた。そう、私がこの世を去ったら、海に骨を撒いてほしいと真剣に考えている。これは、暗い話ではない。正と死は必然だから、明るく且つロマンチックに考え話題にしたいのだ。 最近「散骨」を希望する人が増えているという。そういえば話題作「世界の中心で愛を叫ぶ」という小説、ドラマでも巨大の岩の上から砂のように輝く粉を美しく撒くシーンがあり、我もと思う人が増えたと推定できる。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 6, 2004
コメント(6)
男はいつまでも子どもだフリーライター 鴨谷 翔 男はいつまでたっても子ども時代の本質を、身体のどこかに内蔵しているか引きずっている。いわゆる遊びごころとか、またはセンチメンタリズムなどと言われるものだ。どちらにしたって大の大人とは相容れない。男のロマンスだと抗弁するヤツもいるが、要するに勘定の合わないことを平気でやってしまうのである。 これが女性たちには不思議でならないらしい。どうしてめしのタネにもならないような馬鹿げたことにうつつを抜かしたり、飲食を忘れてまで熱中してしまうのか。途方もない大金をはたいて、がらくたに類する物品を買い込んできたりするのか。リアリストであり、家計を守らなければならない彼女たちは、だから途方にくれる。ま、長年にわたって夫のたわけた行為に悩まされ続けられているうちに、あきらめ切ってしまって許してしまう寛大な女性も居ないではない。だが大方は目じりをつり上げて烈火のごとく怒ったり、ひどい場合には離婚にまで行ってしまうのもある。だからといって男の愚行?がそれで収まるかというとそうでもない。やっぱり止まらないのである。先にも書いたとおり、男とは本来そういう生き物だから。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 5, 2004
コメント(4)
落語落語家 立川志の輔 「NKHの「ためしてガッテン」という番組は、50人ものスタッフが共同作業で作っている番組なのです。スタッフ全員の力が一つになって完成するオーケストラみたいなものですね。その点、独りで演じ、良くも悪くも自分の責任になる落語とは正反対ですね。その違いが私には新鮮だし、有益でもあるのです。「ガッテン」自体、現代人に関心の高いテーマを追求するわけで、落語よりもずっと世間との距離が近い。むしろ落語の方が非日常的ですよ。そのことがだんだん分かって、逆に世の中を見る眼が変わりました。志の輔のイメージといえば、司会者でなく絶対に落語家なんです。ただ「ガッテン」をやっているお陰で落語家である自分を見つめ直し、見失わずにいられる気がします。」 「私にとって、落語はバイブルです。お客さん、もっと広く日本人にとってもバイブルじゃないかと思うんです。だって人間の生き方とか、感じ方、考え方のあらゆるパターンが網羅されている。落語の世界では、人間に共通の喜怒哀楽から見栄や嫉妬心、怨念…………そういうものをさらけ出します。そこにお客さんは可笑しさを感じたり、共鳴したりして、一種の「気づき」や生きるヒントを得るわけです。」 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 4, 2004
コメント(0)
燃える水・燃える石東京工業大学名誉教授 理学博士 崎 川 範 行 秋田県玉川温泉の下流は雄物川となって秋田湾に注ぐのだろう。その辺りは秋田油田となって、昔は重要な石油の産地だった。「秋田川ばた柳は招く、花は日に散る水に散る、月はおぼろに更けて行く」これは昔石油学の大御所であった、東京帝国大学の教授が秋田鉱山専門学校へ講義に出かけられたときによまれた歌。昔は工学部の先生であっても、文学の素養が無ければならなかったと云う。夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んでいると、水島寒月という物理学者が出てくる。この人のモデルが寺田寅彦だと伝えられている。寺田寅彦博士なら物理学者だが、雅号を吉村冬彦と呼んで文学的な面白い話をたくさん書いている珍しい人物である。 理化学研究所の所員を兼務していたが、彼の講演会は聴衆が溢れて入場も困難という程人気があったのだった。昔は理科系の学者でも文学的な素養がなければ勤まらなかったのかもしれない。((中略)) さて話を石油に戻して、玉川の下流は雄物川となって秋田湾に注ぐ。その海岸の辺りが秋田油田などといって現在掘っても油が出るわけはないだろう。天然ガスがすこし出るくらいなものだと思う。天智天皇の時代に越の国より燃える石と燃える水を献じたと歴史に記されているのだから。燃える石は石炭であって、燃える水は石油だろう。今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
October 1, 2004
コメント(2)
全26件 (26件中 1-26件目)
1