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新年を前にして、今夜は外事弁の主催による忘年会が開かれた。 参加したのは外事弁のスタッフと日本人教師という面々。 私は授業も試験もすべて終えて、成績もつけ終わり、事務室に提出済み。 あとは1月2日に奥さんが北京に来るので、それを迎えに行き、 その後は西安、開封、新郷を旅行して、8日に一緒に日本に帰る。 問題は天気。 日本は大雪が降るそうで、大阪に行くまでがちょっと心配。 しかも新年とあって、高速道路は混雑しているだろうし、 加えて高速料金が安い(1000円?)ため、更なる混雑が予想される。 私の奥さんは、史上最強と言っても過言ではないほどの『雨女』。 雨ならまだしも、雪となると、交通機関に影響が出る。 まあ、天気のことは心配してもしょうがないし、 どんなに人類の叡智を結集しても天気には勝てないから、 後はただ順調に中国に来ることを祈るのみ。。
2009年12月30日
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来学期の授業の時間割が決まった。 私の授業は今学期と同じで、科目数が3つで、時間数は14時間。 担当は1年生と2年生。 実は来学期は、2年生の「会話」の授業はクラスを半分ずつに分けようと思っている。 今は37人で授業をしているが、これを19人と18人にして、 授業内で学生が話すチャンスを増やしたいと思っているからだ。 そうすると、1週間の授業時間は16時間になる。 もっとも私にとっては、授業もそうだが、授業以外の時間が忙しい。 朝8時から夜11時頃まで、1年生から4年生まで、 学生たちが切れ目なしに部屋に来るので、 予定を書き込んだカレンダーは、学生たちの名前でいつも真っ黒になる。 同僚の日本人の先生は、今学期の14時間から、来学期は授業時間が減って10時間になるそうだ。 学生がその先生の授業を選択しなかったから、授業そのものが消滅したのだそうだ。 学生が授業を選択しなかった理由はいろいろあるだろうけど、 それについてはここでは書かない。 ただ3年生の「会話」の授業がなくなるというのは大きな問題だ。 3年生たちは、去年、私が教えたいわば秘蔵っ子たちだから、 余計に心配になる。 話すことが少なくなれば、学生たちは口で覚えることができなくなり、 思ったことがうまく話せなくなってくる。 だから来学期は、授業以外の時間で 3年生たちとたくさん話をしてあげようと思っている。。
2009年12月29日
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日本では年末で慌しいでしょうが、中国ではそんなこともなくのんびりしたもの。 ただ私の場合は、1月2日に奥さんが中国に来て、 だいたい1週間ぐらい、一緒に中国国内を旅行することにしている。 北京、西安、開封、そして私の大学がある新郷の4都市を巡り、 その後、一緒に日本に帰る。 そのための飛行機の往復チケットや、北京-西安間の飛行機チケット、 西安-新郷間の寝台列車の切符に、新郷-北京間の新幹線切符、 更にはそれぞれの街でのホテルなどに至るまで、 すべて予約をして、あとは当日を待つばかり。 なのだが、いずれもネットでの予約なので、手元にはチケットが何もない。 電子チケットは便利だが、実際に空港でチェックインするまで、 なんだか不安になる。 やっぱりアナログ人間なのでしょうね。。。
2009年12月28日
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クリスマスは例年のことながら、学生たちからのメールの嵐。 それぞれに返事を出すのも、また学生たちとの親近感を高めることに役立つ。 ただ、返事の内容を変えなければならないのが、ちょっと面倒だけど。 中国ではクリスマスは「りんご」をプレゼントする風習があって、 わが部屋にも、学生たちからのプレゼントのりんごがたくさん届いた。 それ以外にもマフラーや靴下、キャンディ、花瓶、そして額縁に入った絵など。 クリスマス・カードもたくさんもらった。 その中で笑ったのは1年生のある学生がくれたあるカード。 実は先週、前期の最後の授業が終わった後、学生たちが教壇の私のところに集まってきて、 一緒に写真を撮りたいと言うので、要望に応えて一人ずつと写真を撮った。 その時に、いろいろポーズを変えながら被写体になったのだが、 ある陽気な学生と並んだ時、冗談で彼女を殴るポーズをとった。 彼女はそれを喜んで、写真をイラストに描き、私にプレゼントしてくれた。 そこには「喜びの瞬間」「永遠の思い出」と添え書きがしてあった。 このイラスト、何気なく似ていて、思わず恥ずかしくなったものだ。 学生をからかったり、からかわれたり、 でもそんなことでも、学生にとっては「喜びの瞬間」で「永遠の思い出」になるのだから、 日本人としてやること言うことすべてが、学生にとっては意味があるということだ。 来学期は、もっと素晴らしい瞬間と、もっとたくさんの永遠の思い出を作ってあげたい。 そして、それが学生たちの励みになって、日本語を好きになってくれるように、 あらためて気を引き締めなければならないと思っている年末である。。
2009年12月25日
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明日はクリスマス・イブ。 毎年、この時期、この大学では1年生たちを中心にして『元旦パーティ』が催される。 歌あり、踊りあり、漫才や寸劇、或いは民俗芸能や民族楽器を披露するなど 様々な出し物が繰り広げられる。 教室では静かな学生がステージ上で生き生きと歌を歌っていたり、 堂々とドラマを演じていたりして、教師にとっても 学生たちの普段とは違う顔を見ることができるから見逃すわけにはいかない。 この4人の司会でパーティは進行していった。 英語学部の学生たちは英語でクリスマス・ソングを披露。 若さってやっぱり素晴らしいですね。 こちらは日本語学部の学生たち(私の教え子ね)による親子愛をテーマにした劇。 まだ日本語で演じることはできないが、 賑やかさや華やかさを競う出し物の中にあって、 わが学生たちは親子の情愛を感動的に演じて、最大の拍手を得ていた。 パーティを見ながら思ったが、 後期の1年生の授業では劇を演じさせながら、日本語会話の練習をしてみようかな。 そんな冒険も、今年の1年生なら軽くクリアーしてくれるかもしれない。 後期の授業が楽しみだ。。
2009年12月23日
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今日は冬至で寒さがつのる日。 こんなに寒い時は耳も凍えて、千切れて落ちてしまいそうになる。 というわけで中国には、冬至には餃子を食べるという風習がある。 熱い餃子を食べて体を温めるという意味と、 餃子が耳の形をしているという二つの意味がある。 この大学には毎年の冬至の日、1年生たちが餃子を作って食べるという行事がある。 私は1年生の担当をするのが今年で3回目で、毎年、学生に招待されて、 一緒に餃子を作って食べることが恒例になっている。 去年は3つのクラスに次々に招かれて、そのたびに大量の餃子を食べたので、 最後はお腹が張り裂けそうになった。 その教訓から、今年は1つのクラスだけの招待を受けた。 嬉しかったのは、1年生たちが他の日本人の先生を誘い、 その先生方も快く参加してくださったこと。 1年生にとって、3年生や4年生の先生方と話すチャンスは少ない。 こういう餃子作りの場などを通じて、日本人と交流をすれば、 会話に対する興味や日本人と交流する楽しみが、また強くなる。 その意味でも、今年の先生方には感謝している。 去年は……いや、やめとこう。 餃子作りは、中国の学生たちにとっては、母から子へと受け継がれる技術で、 ほとんどの学生が器用に餃子を包むことができる。 何よりもこの笑顔がいい。 一人で旅に出て、自由を満喫するのもいいが、 学校に帰ってきて、こんな無邪気な笑顔に囲まれるのも、 また幸せなことだ。。。
2009年12月22日
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昨日も少し書いたが、徐州一帯はかつての楚の国で、古来から開けていたところだ。 そういうところだけに、やはり歴史を感じさせるものは多い。 その一つが亀山漢墓。 山を掘っていたら、いくつもの坑道が見つかり、調べてみたら 相当数の埋蔵品が出土し、かつての王の墓であることがわかったという。 博物館の中を入っていくと、地下に続く坑道があり、 それが幾重にも分かれて、それぞれの部屋の説明が書いてある。 ここは王妃の棺が納められていた部屋。 中国国内ではさほど有名な遺跡ではないが、それでもスケールは大きい。 次に訪ねたのは徐州博物館。 パスポートを見せるだけで、入場は無料。 西安の博物館でも、南京の博物館でも、やはり入場は無料だった。 午後は楚王陵へ。 ここもやはり、王様の墓だけあって、坑道が掘られている。 それが派手な照明で装飾されているところが、いかにも中国風。 その坑道を進んで辿り着いたところに王様の銅像が。 楚王陵で最も楽しみにしていたのが兵馬俑。 西安の兵馬俑は世界的にも壮大で有名だが、こちらはおもちゃのように可愛い。 これは劉邦の銅像。 徐州は地方の小都市といった印象だけで、観光地でも行政や経済の中心地でもない。 今回の旅行で、もともと私が徐州に行こうと決めたのも、 河南省の外にあって、しかも近くにあるということだけ。 それでも、やはり街の至る所で、悠久の歴史を感じることができた。 そして何よりも、私を知っている人が誰もいないところを一人で 異国の風に吹かれながら歩くということが気持ちを大きくさせてくれる。 中国に限らないが、これは外国で生活している者の特権だな。。。
2009年12月21日
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徐州2泊3日の旅から無事に帰ってきました。 特に観光目的というわけでもなかったけど、歴史を感じながら、 徐州の街を一人で歩いてきた。 以前も何かの時に書いたけど、「三国志」に魅せられた者としては、 本の中に出てくる地名を、この目で見ることすら感動的。 その「三国志」の時代から遡ること何百年。 かの地が「楚」と呼ばれていた頃、その「楚」を最初に治めていたのが項羽で、 その項羽と対抗していたのが劉邦。 最初は項羽が優勢だったのが、次第に劉邦が盛り返し、 最後は、城に立て籠もった項羽を、劉邦軍が取り囲み、 軍勢に命じて「楚」(項羽が統治していた地)の歌を歌わせたという。 その歌を聞いた項羽は、わが軍勢も既に劉邦の指揮下に入ったことを知り、 自らの命運が尽きたことを知ったという。 これが「四面楚歌」という言葉の由来で、 私は実に「四面楚歌」という言葉が生まれた地を歩いていたのだった。 去年は「三顧の礼」の語源となった地を訪ねたし、 なんと感動的なことか。 徐州へは、鄭州から動車で2時間。 初日は、特にどこへ行くという当てもなく、街をぶらついていた。 と、地元の市場を通りがかった。 手前に見えるのは、皮を剥かれて吊り下げられたヤギ(羊?)。 こちらは元気良く鳴いている鶏たち。 買った鶏の足を縛って、自転車に括りつけて走って行く人もいる。 家に帰ってから、自分で皮を剥いで、捌いてから料理をするのだろう。 でも、考えてみれば、私も市場で魚を買って、 家で捌いて刺身を食べるからそれと同じようなものか。 到着した日の晩ご飯は、この市場通りの中にあった、小さな店で食べることにした。 「牛肉板面」というラーメン(のようなもの)で、無骨な麺と辛いスープが特徴。 上に乗っているのはえんどう豆の漬物?のようなもの。 こういう市場には、私、目がなくてあれこれ見ているうちに日が暮れてしまった。 徐州の歴史を感じる旅は、次の日、まず亀山漢墓を訪ねることからスタートしたのでした。
2009年12月20日
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明日、1年生の「発音」の試験を終えれば、明後日から3連休になる。 その休みを利用して、以前から言っていたように、 徐州にぶらっと一人旅に行ってくる。 徐州に何があるか、よく知らないし、「地球の歩き方」に徐州は載っていない。 よく知らないから行きたいと思っただけ。 切符も買った。 これは「動車」の切符で、「動車」とは日本で言うところの新幹線のような列車。 完全指定席制なので、押し合いへし合いながら乗るということはない。 思えば、9月の初めからこちらに来て、旅行に出るのは今回が初めて。 旅行どころか、近所のデパートにさえ行っていない。 毎日、朝から夜まで学生が来て、ずっと学校の中で過ごしていた。 毎晩10時過ぎに学生が、私の部屋から帰ってからが、自分だけの時間になった。 そして寝る前は、翌日の授業以外に、誰が何時に部屋に来るかを確認していた。 週末などはいつも朝8時、10時、午後3時、5時半、8時と 次から次へと学生との会話の練習が予定に入っていた。 まるで、完全予約制の歯医者のようなものだった。 そのせいか、時々、息苦しくなる感じもあった。 明後日からは、1人で、文庫本を3冊ぐらい持って、 私を知っている人が誰もいないところに行って来る。 今から、とてもすっきりした気分になっている。 それでも、旅の空の下で思い出すのは、 私の帰りを待ってくれている学生たちのことなんだろうけど。。
2009年12月16日
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「日本語能力1級試験」を受験して帰ってきた学生たちが、 私の部屋にやって来た。 彼女らについては、試験の結果は全然心配していないので、 相変わらず、能天気な話題から将来の進路といったシリアスな話題まで、 あれやこれやと話をした。 1年生の時からずっと、こうやって話をしてきている仲だが、 会うたびに彼女らの会話能力は格段の進歩を遂げている。 去年、まだ彼女らが2年生だった時、私の日本人の知り合いがここに来て、 その時、彼女らと話をしたが、その上手さに驚いていたものだ。 そして、今は更に進歩を遂げている。 その彼女が受験地の北京からお土産を持ってきてくれた。 携帯電話にでもつければ似合いそうな、こんな小さな飾り。 そして、この中にもっと小さなものが入っている。 小さな米粒。 その米粒に、私の名前が書いてある。 学生が私のために頼んで作ってもらったのだそうだ。 今年、彼女らは私の学生ではないけど、 こうやっていつも思ってくれているということが嬉しいなあ。。
2009年12月14日
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先週の作文の授業では「幸福」というテーマで学生に作文を書かせた。 このつまらないテーマは私のオリジナルではなくて、 実は、以前に上海外国語大学の学院生試験の小論文問題として出題されたもの。 私は作文の授業ではいつも、学生たちの単語や文法の間違いはあまり気にしない。 それは私がしっかり直して、返却するから、それを覚えてくれればいい。 構成も同様で、私が全部書き直すから、それを何度も読み返してくれればいい。 以前も紹介したことがあるが、これが私の作文3点セット。 1、学生の作文の単語と文法の間違いを添削したもの、 2、学生の作文を構成も変えて、全面的に書き直したもの、 3、同じテーマで書いた、私の模範作文 私が今学期、2年生たちに学んでもらいたいと思っているのは、 単語や文法の正しい使い方は勿論だが、 それ以上に何をどう書くかという「発想力」と、 日本語で作文を書くことの楽しさだ。 2年生になって初めて作文を書かせた時、ほとんどの学生たちが書いたのは、 「夏休みの生活」「国慶節の予定」「私の友達」「私の家族」などつまらないものばかりで、 これじゃ、作文を好きになることなどできないと思った。 それ以来、授業のたびに発想力を鍛える問題を出したり、実例をあげて紹介したりしている。 そして、先週の「幸福」というテーマで、ある学生がこんな作文を書いた。 以下は学生の原文のまま(一切、修正していない)掲載する。 幸福さん、久し振りですね! お元気ですか? ちょっとお願いがあるんですが……。 家から離れている私、いつも母のことを考えています。母は、私の世界の中で一番重要な人なのに、今、元気かどうか、嬉しいかどうかなんて、全然わかりません。 でも、学生としてずっと母の傍にいることがなかなかできません。悩んだ顔の母より笑顔の母の方が見たいです。幸福さん、母の傍にいてもらえるでしょうか? 昼とか夜とか、悲しくても寂しくても、いつまでも母の傍にいてもらいたいです。いいですか? 幸福さん、君は私の一番重要な友達でしょう? そして、優しい君に助けてもらうよりほか仕方がないとは言え、本当にありがとうございます。 小論文としてどうか、という見方もあるが、読む者の心に訴える力が確実にある。 何より「幸福」というテーマで、こういう内容を書くという発想が素晴らしい。 彼女だけでなく、他のほとんどの学生たちは、自分独自の作文を書こうとして、 あれこれ頭を絞っていた。 そして、ほとんどの作文が読んで感心したり、面白いと感じたりできる内容になっていた。 学生たちの大きな進歩を目の当たりにして、私もとても嬉しい。。
2009年12月11日
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1年生の「会話」は1つずつのクラスを、今週と来週の2回に分けて試験を行なう。 試験の内容は、まず教科書の本文を読むこと。 そして、日本語で1分間スピーチをすること。 1年生の今の段階では、自分で原稿を書くことはまだ無理なので、 スピーチの原稿は私が用意して、学生が15分間で覚え、 その後、一人ずつ教壇に立って、日本語で話すというもの。 教科書を読むことは平気でも、1分間スピーチとなると、誰もが緊張する。 私の狙いもそこにある。 緊張しながら何かをするという経験をさせて、緊張に慣れてもらいたいということだ。 そもそも「あいうえお」から日本語の勉強を始めて、まだ3か月。 そういう学生が、人前で日本語でスピーチをするのだから、 緊張するなという方が無理。 去年も、その前の年も、私のクラスの1年生たちは、 こういう経験をして、やがて校内スピーチ・コンテストに大挙参加するようになり、 上級生を凌駕してしまう学生がたくさん現れた。 経験することは学ぶことよりも、重要で成果が上がることもある。 私は、いろいろな授業法を通じて、学生にたくさんの経験をさせたいと思っているし、 その成果は、これまでにはっきりと出ていると自負している。 授業が終わった後で、学生たちはこう言っていた。 「とても緊張しました。でもとても面白かったです」 そして、もう一度やりたいと、口々に話していた。。。
2009年12月09日
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今学期はどこへも旅行に行くことなく、過ぎ去ろうとしている。 旅行どころか、学校の外に出掛けることさえ、2回しかなかった。 ということもあって、試験が終われば、どこか近場にぶらっと出掛けようかと思っている。 1月になれば家族が来るのだが、その前に一人でミニ旅行をしたい気分になっている。 そこで問題になるのが、列車の時間。 中国はとても広くて、その中を列車が網の目のように走っているが、大抵は長距離列車だ。 所要時間が10時間なんてのはざらで、ここから遼寧省までは20時間ぐらいかかるし、 四川省に行くのも24時間、ラサに行くのは48時間かかる。 逆に始発と終点を近い距離に設定すれば、 この広い中国では、遠くの街に行く時に、何度も乗換えをしなくてはならなくなって 逆にとても不便になる。 だから、インターネットで時刻表を調べて乗車しやすく、 下車時間が都合のいい列車を探さなければならない。 むしろ、列車の時刻表を見ながら、まだ見ぬ街に思いを馳せたり、 ホテルを探したりして、旅行計画を作るのも、また面白い。 私が住んでいる河南省のお隣に江蘇省があって、そこに徐州という街がある。 ここから列車で5~7時間ぐらい。 試験が終われば2、3日、休みを見つけて、その街に行こうかと思っている。 5時間ぐらいなら、「近いな」と思えるようになった。 大陸に住んでいると、気持ちまで大陸的になってきたような気がする。。。
2009年12月07日
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今週も、1年生たちとの会話の練習が終わった。 毎週、私の部屋に1年生たちが10人ずつ来て、1時間ほど会話の練習をしている。 今年は私一人で1年生全員を担当しているので、 10人ずつ9回(合計90人)、毎週9時間ほど会話の練習をしている。 その他に4年生から2年生まで、毎日、次から次へと学生がやって来る。 2年前に初めて1年生を担当した時、 日本人との会話に慣れること、発音を矯正すること、様々な日常会話を教えることなどを 目的として、私の部屋での会話練習会を始めた。 3年前、他の日本人教師が1年生を担当していらっしゃったが、 学生との交流は全然なかったため、当時の1年生たちは日本人との交流に慣れることなく、 月日が経って4年生になった今でも、日本人と話すことが恥ずかしい、怖いと言っている。 そういう状況を見ていたので、 私が1年生を担当する時は、学生たちの外国人コンプレックスを払拭しようと思っていた。 去年も一昨年も、私が担当したのは、1年生たちの半分ほどだが、 私が教えた学生たちは、他の日本人教師が教えた学生たちとははっきりとした違いがある。 4年生の学生が、私が教えた学生を見て、こう言ったことがある。 「○○先生(私のこと)が教えた学生はみんな賑やかで、会話が上手になります」 すべて私の影響だとは思わないが、それでもそう言ってもらうと嬉しい。 今年の1年生たちは、既に、私の部屋に来る時は、 まるで自分の部屋にいるようにくつろいでいるし、 校内で会った時には、陽気に声を掛けてくれる。 勿論、授業の時は本当に賑やかだ。 それはそれでいいのだが、気がつけば、9月にこちらに来てから、一度も旅行に行かず、 それどころか学校の外に出たことさえ数えるほどしかないということに気がついた。 ずっと学校の中にいて、毎日、毎日、朝から夜まで学生の相手ばかりしていたことになる。 なんだか、最近、息が詰まるような感じがあったが、そのせいかもしれない。 1月に家族が中国に来て、一緒に旅行することにしているが、 その日がなんだか本当に待ち遠しい。。。
2009年12月05日
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朝から立て続けにメールが届いた。 去年まで2年間、私の教え子だった3年生たちからのメールだった。 彼女らは明後日、『日本語能力1級試験』を受ける。 その学生たちからの「先生、私は頑張ります」「試験が終わったら、会いましょうね」 などという文面のメールだった。 今年の3年生たち(のあるクラス)は去年と一昨年、2年間にわたって苦楽を共にしてきた。 1年生の時から、過去に例を見ないほど活発で、 私の部屋に2日と開けず、やってきては会話を楽しんでいた学生たちだ。 その中の数人は、2年生になったばかりの時の校内スピーチ・コンテストで、 4年生以上の好成績を挙げたし、 2年生が終わった時点で『日本語能力1級試験』に早々と合格してしまった。 目だけでなく、耳と口と体全部を使って日本語を覚えた学年だ。 日本語を話すことが楽しくてたまらないというクラスで、 そのせいか、日本人との会話を怖がっている上級生たちからは、 「下級生のくせに生意気だ」と言われたこともある。 上級生を担当していた日本人教師からは露骨な敵意を示されて、 その後のスピーチ・コンテストでは、「0点」などと、 悪意に満ちた採点をされたこともある。 彼女と私は一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に頑張ってきた。 まさに私の秘蔵っ子だ。 今、彼女らは3年生になったが、 それでも私の部屋に毎週、来てくれるし、 今回のようにメールも欠かさず送ってくれる。 油断は禁物だが、彼女らはきっと合格してくれるだろうし、 しかも相当な高得点を取ってくれるだろう。 心配する気持ちは全然ない。 むしろ、大いに期待している。 彼女らもきっとそうだろう。。。
2009年12月04日
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4年生の「会話」担当の先生が学生たちに1分間スピーチをさせたと聞いたので、 私も2年生に1分間スピーチをさせることにしました。 大抵の教師は学生たちにスピーチをさせたがりますが、 私は実はスピーチはあまり好きではありません。 というか、会話能力の向上にはもっと他に良い方法がたくさんあると思うからです。 自分で原稿を作って、暗記して、自分で話すだけというスピーチでは、 「(相手の話を)聞く」「(聞いて)考える」「(そして)返事をする」という、 会話3原則が欠けています。 ただ、正しい文法と単語を使って、間違いのない発音で話すという練習にはなります。 しかし、予め準備したスピーチが上手くても、 とっさの場合に話ができない学生たちがほとんどです。 4年生の先生は、学生たちに1分間スピーチをさせるに当たって、 1週間の準備期間を与えたそうです。 私は2年生に、その場で考えて、すぐに話す1分間スピーチをさせました。 4年生より遥かにレベルの高い内容ですが、2年生たちのやる気に賭けてみました。 スピーチとはいっても、まず私が出だしを話して、その途中で、次の学生を指名して、 学生が私の話を引き継いでいくというものです。 例えば、 私「私は朝寝坊が好きで、いつも友達が起きてから、30分ぐらいしてからゆっくりと 起きます。しかし、昨日は8時からの授業で試験があるので、早く起きなければ と思っていました。しかし、やっぱり寝坊をしてしまって、目が覚めた時は8時 を過ぎていました。「やばい! 遅刻だ」私は慌ててかばんに教科書を入れ、 寮を飛び出し、教室に走って行きました。 教室に着いて、ドアを開けた時、私は信じられない光景を目にしました」 ここまで私が話して、その次は別の学生が話を引き継ぎ、更にまた他の学生へと 話を手渡ししていくというやり方です。 つまり、最初だけ私が取っ掛かりを作って、後は学生たちが1人ずつ順番に、 教室の前に立って、話を広げて行くのです。 前で話している学生の話を聞いて、次の展開をとっさに考え、 それを日本語にしていくという作業は、 2年生の段階では難しいだろうと思っていましたが、 私のクラスの学生たちは、必死にチャレンジしていました。 今学期の授業ももうすぐ終わります。 今学期は、正しい単語と文法を使い、きれいな発音で話すことも練習しましたが、 それ以上に、表現の幅を広げること、過去に学んだ文法と単語を総動員して話すこと、 そして、人前で話すことに慣れて、会話の楽しさを知ることに重点を置いてきました。 来学期は、更にステップ・アップした授業をして、 流暢さや反応の速さ、そして単語と文法の適切さなどを重視したいと考えています。 今学期は、たくさんの学生たちが私の部屋にやってきました。 学生たちが、日本人と話すことに慣れて、それを楽しめるようになったからです。 そして、1年生たちも間もなく、日本語を話せるようになって、 また次々と、私の部屋に来るようになるでしょう。 たくさん話をして、たくさん間違えながら、正しい日本語を覚える。 来学期は更に忙しくなるでしょうが、 私が忙しくなればなるほど、学生たちの日本語が上手になると期待しています。。
2009年12月01日
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