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世間は、大型連休に入った学校はカレンダー通りだが、今週末から5連休となる。学校によっては、宿題が出ているところがあるようだ。聞いてみると、結構分量があるで、例のごとくたいがい○付けは自分でやって提出、と言うことになる。まあ、出さないよりは出した方が良いし、これで勉強するきっかけにはなるだろうが、自分で○付けというところがどうしてもいただけない愛情を感じないのだ。宿題を出す理由はいろいろだとうけど、要は、生徒の学力向上を願ってのこと。でも自分で○つける場合、わからないところはどうしているんだろう?っていっつも思ううちの場合は、ある程度教えてあげることもできるけど、たぶんこういう子は少数。テキストのレベルも、基本的に中の上くらいだから、あれがスラスラ解ける子は、そもそも宿題などいらないというパラドックス。そもそも、量を与える場合、一つの鉄則があるそれは、与える側に覚悟がいると言うことこども達が量をこなせるように支えてあげる覚悟がいると言うこと。量を与えておけば、半ば強制かもしれないが、自然にやる気が出てくると思うのは、少し認識が甘い。量が質に転化することは間違いないが、それはしっかりとしたサポートが伴ってこそと言うこと。ただ、学校現場ではそこまで手が回らないだろうな。今日も、あるテレビを見ていて、本当に今の学校は大変だとつくづく思ったから。たぶん近い将来、先生不足というのは現実のものになるのではないだろうか?今の学校の先生がやりがいのある仕事に見えない感じだから。一つの宿題から、現場が透けて見えてくることがある。
2009.04.29
関東限定の話題だが、TBSラジオの平日午前の顔、「大沢悠里のゆうゆうワイド」が明日、放送6000回を数えるという。足かけ28年かけて達成した偉大な記録だ。ちなみに私はラジオ派で、家にいるときはずっとラジオなのだが、基本的に文化放送なので、あまり聞くことはない。時々お昼ご飯を食べながら聞くくらい。しかし、ラジオって、本当に長寿番組が多い10年なんて全く珍しくない。20年続くとやっと長寿番組の仲間入りかも知れない。こういう帯番組だと、パーソナリティは特に健康管理が大変だと思う。番組放送時間も長いし。ラジオは生活に溶け込んでいるので、ちょっと声が変だな?とか、体調が悪そうだな?とかいうのは如実に感じやすいものだ。質の高さも大事だが、常に同じレベルで淡々とやり続けるという事がもっと大事になる。テレビが「ハレ」のメディアならば、ラジオは「ケ」のメディア同じ事を長期間続けるのは、やはり淡々とやり抜くことが大事だと思う。もちろんそのレベルが高いことは当然だが。ラジオは生活のリズムなので、毎日の積み重ねは本当に地味だけど、実はこう言うところにこそ生活の真実はあるのかも知れない。私の教室も、ラジオのように地味だけどずっと続けていく、そんな存在になりたいなと思う。
2009.04.27
草なぎ君の問題で、鳩山大臣がお怒りだそうだ。ちょっと言いすぎでないかな?という気がしてならない。詳細は知らないが、結局のところは「大虎」でしょう?確かに自覚が足りないかもしれないが、今回の件は、ほとぼりが冷めたところで、関係各所に謝罪して反省すれば、それで良いのではないかと思う。あの言い方を聞いていると「じゃあ、あなたは?」と聞きたくなる少し若者に対して不寛容ではないのか?というか若者だけではないかもしれないが、全体的に寛容の精神が置き去りにされている気がする。自分が末席を汚している教育もそうだ目先の結果や成果ばかりが重視され、肝心な「人を育てる部分」がないがしろにされている気がしてならない。教育において、寛容の精神はとても大事なことだと思う。こども達の勉強の意欲が落ちているとか問題になっているが、これはこども達だけの問題ではない気がする。まだまだ未熟な彼らに、いきなり大人の論理を押しつけすぎることに対する彼らのサインなのかもしれない。もう少し、鷹揚に構えても良いような気がするのだが。子どもは時間かかっても、たいがいきちんと育つのだから。
2009.04.24
JTBの時刻表が1000号を迎えたそうです。ちょっと出かけたときに本屋をのぞいたら、なんと早々に売り切れ。近所の本屋にはかろうじて残っていましたので、早速ゲット。今月は売れたでしょうが、いまや発行部数は15万部程度だそうです。ちなみに最盛期は1986年の11月号、国鉄最後のダイヤ改正号で、200万部だそうです。私も買いましたねえ。あのころが一番熱心な時刻表の読者でした。とは言ってもいまだに15万部ですから、堅調ではありますね。いまは1年に1回買うか買わないか。この大きさ自体が、持って行くには少し不向きですでも、それ以外では大いに価値がありますね。資料として楽しいのです。いつ開いても、基本的な構成、字体などがあまり変わっていないのも良いですね。現在の鉄道事情が如実にわかる貴重な資料です。最近は時刻はネットで調べるのが普通ではありますが、やはり私は紙媒体の方が好きです。旅行に行くときは携帯版とかを必ず買います。確かに単に調べるのなら、ネットの方が便利です。最近は、乗車位置とかも指定してくれるそうですし。でも、あの何時にどこの駅を出て、どこの駅で乗り換えて、何時に目的駅に着く、と言う指示に素直に従うことはどうも抵抗があります。システムに無条件に従うことがどうしても抵抗あるのです。そもそも不可抗力で遅れる事もあるだろうし、乗り換えの最中で気分が変わることだってある。乗換駅だって、自分で決めたいと言うこともある。そりゃあ、もう一度調べ直せば良いんでしょうけど、あの携帯のチマチマした画面に、出発駅と目的駅、時間などを入力するのがどうも面倒です。紙だと、該当ページを開いて、あとの列車を見つければ済みます。そもそもネットの検索は、線です。一本の道筋ですそれに対して紙媒体は面です。この列車は、ここであとからくる快速に抜かれるな というのも紙だからこそわかるわけです。この自由度の広さが、私が紙媒体を好きな理由です。もはや好みの問題ですが、ある程度の融通さがあるほうが、私としてはよいわけです。ちなみに、大判の時刻表はもう一つ交通新聞社発行のがあり、こちらはみどりの窓口でよく見かけますが、私はJTBの方が好きです。
2009.04.23
少しくらいの昼寝は体に良いと言うが、夕寝は良くない確かに朝早く学校に行き、授業して部活して、家に帰ってくれば、疲れるのはわかる。でも、夕寝はダメだ。夕方寝てしまったら、当然夜寝られなくなる下手すると明け方まで起きてしまうことにもなるこうなると、翌朝学校に行く頃に猛烈に眠くなる。学校ではボーッとして過ごす事になりかねない授業中寝てしまうかもしれない。そして帰宅したらまた夕寝悪循環だとにかく、夕寝はダメどうしても眠くなったら、体を横にしないソファーかなんかに座ったまま寝るそうすると、大体30分以内には目が覚めるそれで十分だろう。これが横になると、数時間は軽く寝てしまうだろう起きるのもしんどいし、そのあと夜寝るのはもっとしんどい何度も言うが、夕寝はダメだ軽く仮眠程度で乗り切ろう。
2009.04.23
今日の午前中は、勉強会会場は秋葉原。終了後、お昼を食べながら、少し時間があるので周辺を散歩そのまま御徒町まで足を伸ばし、少し蒸し暑くなってきたので、昼風呂としけ込む場所は燕湯銭湯好きには有名なところ。毎朝6時からやっている銭湯だ。昼風呂には格好である。ここは何度も来たことがあるが、結構賑わっている。朝は本当にすごい。常連でいっぱい。今日みたいにお昼に来ても、入れ替わり立ち替わりお客が来る。設備的にはたいしたことない。浅い浴槽と、深めの浴槽がある、いたってシンプルなもの。サウナなんかはもちろんないしかし、いろいろな銭湯に行くが、ここは流行っている方だと思う。その理由はおそらく、朝風呂。都内で平日も朝からやっている銭湯は、ここと大田区西糀谷の「幸の湯」しかない。やろうと思えば案外やりやすいとは思うが、ほとんどやっていない。(これが大阪だと結構多いのだが)業界の習慣なのかどうかは知らないが。人と違うことをするだけで、ずいぶん違ってくるよなあ、という一つの良い例です。見習いたいですね
2009.04.22
最近は環境に配慮しているんだか、自分の会社の財布に配慮しているんだかよくわからないが、エコ明細とやらで、紙の請求書を廃止したところが多くなった。もし紙でほしいなら、お金ちょうだいという理屈だから、実質廃止と変わらない。私が使っているウィルコムもそうで、いきなり昨秋から切り替えさせられた。紙がほしけりゃ費用を負担してね♪ ということで、実質強制・・・請求の時期になるとメールが来て、後はサイトにアクセスしてダウンロードしろという理屈。請求書ができたから取りにおいで ということだ。(そもそも、メールを送ったんだから読んで当たり前という発想が違うと思う)仕方ないので、ダウンロードしてエクセルで読むのだが、これが実に読みにくい。こちらで再加工しないと、とても読めない一読してわかりにくい請求書など初めての経験である。この一点だけで、乗り換える理由に成り得るくらい不満の種まあ、それはおいといて、これって実にもったいないことだと思う請求書送付を単なる請求書とだけ考えるから、こういう発想になる。月に一度のご挨拶状と考えると、ずいぶん違ってくると思う。請求書の他に宣伝も可能携帯だと、新機種に変えさせるきっかけにもなる。私の場合も、請求書はもちろんだけど、教室便りや、毎月の学習の記録、そのほか必要なご連絡を同封して送っている。個別に手紙を書くのも珍しくない。請求書送付はコミュニケーションの良いきっかけなのだ。零細な自分のところでも、保護者と毎月言葉を交わすのはなかなかにして難しいのだから、このチャンスはほんと貴重。経費はかかるが、これは必要経費。大きな会社と零細では一概に比較できないが、「請求書発送って経費かかるよね」「経費節減した方が良いよね」「最近は、環境に配慮して紙を節約するのもトレンドだしね」「じゃあ、メールで連絡しよう」「紙の請求書が必要な人からは費用を負担してもらおう」では、ほんとに企業が得しているんだかどうだかわからない。もったいない!
2009.04.20
すっかり不定期連載のこの記事(笑)ここまでをまとめてみるまず大前提になるのは、こども達を操ろうとしてはいけないと言うこと。基本的に、他人は変えられないと言うこと。だから、教育雑誌などにある、小手先の戦術情報の鵜呑みは危険と言うこと結局、自分が変わる のが大前提他人を学ばせようと思ったら、まずは自分が学ぶ姿勢を見せると言うこと学びは何も、資格を取るとかの勉強でなくてもよい自分の仕事とか役割を一生懸命全うする姿勢を見せればいいと言うことその姿が最良の教育になるのだろうと言うことさらに、教育現場で考えみるこども達に学びを起動するにはどうするのか?いわゆる「よい教師」が「よいシステム」を持ち、熱心に教えることで、こども達はドンドン成長するというのは、少し単純すぎると思う。また、損得で勉強するのではない。勉強すれば得でしょ?というのは、もっと単純すぎる。多少逆説的になるが、目標が明確なのも教育の本来の趣旨とは違ってくると思う。目標があるから、そこに向けて学びが即起動するとも限らないのだ。資格試験が良い例だろう成功例と同等か、それ以上に挫折例も多い。ゴールまでの道筋が明確だと、それで良いのかというと、必ずしもそうとは限らない。教育は、どう変化していくかわからないところのその醍醐味があるのだ。オワンクラゲを研究して、ノーベル賞をとった博士は、まさかノーベル賞狙いで研究していたわけではあるまい。疑問を持って興味を持って、一生懸命研究したことが、思わぬ方向で役に立ち、結果として偉大な評価を得たのだ。ゴールを明確にしない人が、結果として偉大なゴールにたどり着く。このパラドックスみたいな構造が、教育のおもしろい面なのだと思う。やはり思うのだが、教育に関することって、単純化できないのだ。こうすればいいと、軽々しく書くことなどできないのだわかりやすくすることで、結果として、本質をわかりにくくしていることは多いのだでも、その中でもなにか考察できないか?さらに悩みを深くしつつ、この項続きます。追伸いずれにせよ、教育に対する考え方をもう一度見直した方が良いのは確かな気がするさらに追伸「教育に結果を求めてもうまくいかない人がいる。だから、結果を求めるのは間違いだ。」という訳でもありません教育に結果を求めるのも、大事な点です。だから難しいし、おもしろい面でもあるのです
2009.04.18
先日こども達が言っていたこと。どうしてドリルとか問題集って、こうも上から目線なの?計算せよとか書き出せとか下から選べとか・・・確かに命令口調が多い。書き換えなさい とか 漢字を書きなさい とか ~しなさい口調が優しく見えるほど、上から目線がめだつわな。(ちなみに、低学年向けだと、計算しましょう とかになるのはなぜ?)でも、計算してくださいとか書き換えてくださいませんか?とか書かれると、今度は勉強する気がなくなってしまうと思うから、現状のままで良いんだと思う(笑)
2009.04.16
今朝方、塾の郵便受けにハガキが入っていた。見ると、先日支払いしたNという教材取り次ぎ会社からであった。宣伝のハガキ方と思ったらさにあらず、なんと先日入金のお礼ハガキである。しかも、表面に入金確認した日付と、「下記の通りご送金賜り、ありがたく領収いたしました」と書いてあり、その下に入金金額が記載してある。さらには、その上に見えないように目隠しのシール。領収書を兼ねたやり方だ。私はこのやり方に感嘆した。特に、「下記の通りご送金賜り、ありがたく領収いたしました」と書いてあるのが良い。自分たちの会社は、何で成り立っているのか? しっかり教育が行き届いている証拠だと思う。自分でもお礼ハガキは毎月書いているが、これはなかなか大変なこと。ましてや大きな会社なので、しっかりしたシステムが社内で出来ている証拠だ。お礼ハガキは、書くのも大変だが、ルーティンにするシステム作りがもっと大変。大きな組織になればなるほどである。仕事上いろいろ入金することは多いが、まずこの手のお礼はもらったことがない。領収をくださいと言えば送ってくるくらい。大概は銀行の振り込み明細を領収書の代わりにしろと言うことで、あとはうんでもなければすんでもない。別にお礼ハガキをよこせとは言わないが、きちんと入金されたかどうかは心配になることがあるので、こういうものはいただけると大変ありがたい。今年から、教材会社をここに変えたのだが、印象がよくなった。今後も頼もうと思う。ちなみに欲を言えば、ファックスで発注を出したら、いついつに到着予定です と一言あるとなおうれしいのだが。
2009.04.14
今日、40歳になりました。自分では全く自覚がないのですが、40代に突入です。孔子がいうところの、「不惑」ですね。(まあ最近は、アラフォーの方がメジャーですが。)相変わらず人生の方向性が定まらず、迷いっぱなしの人生です。ただ、何となく思うのは、自分の人生はこれからなんだろうなあってこと。30代までは挫折の繰り返しでしたから。というわけで、今日も粛々と行きます。
2009.04.13
それって、塾長のことでしょ?って生徒には突っ込まれるが、そうではない(笑)断じて違う!(爆)うちにいるジャンガリアンハムスターのことである。かれこれもう1年半くらいになるが、ここのところの食欲はすごい。こちらがふたを開けてのぞくと、えさがもらえると思っているのか、盛んにおねだりをするその様子が何ともかわいい。ついつい何かやりたくなる基本はハムスターフードで、ひまわりの種を副食に。あとは、キャベツ、チンゲンサイ、ニンジン、煮干し、さつまいも、いちご、パン、ごはん、チーズなどを適当に与えている。1年半以上たつので、もう若くはないはず。中年になっているはずなのだが、ますます食欲旺盛。ジャンガリアンにしては、立派にでかい。このことを生徒に話すと、「だから、飼い主に似るんだって!」とやはり突っ込まれる。やはり、似るんだろうか????
2009.04.12
私が毎日通勤の途上で見るサクラは、もう半分くらい散っている今は花吹雪サクラは本当に短い今年は開花時期に寒い日が続いたためかどうかは知らないが、例年よりも花びらが小さめ。まあ、かなりの古木だからかも知れないけどちょっと今年はいつもに比べて様子が違ったサクラでしたしかしサクラが散ると、今日あたりもそうだが、一気に気温が高くなる。昨日は生徒は、早やTシャツを着ていた。おまけに暑いと言い出す始末(苦笑)。つい最近まで暖房だった教室が、いきなり冷房になるのか?陽気の良い季節も本当に短い・・・
2009.04.09
東京の桜が満開である都内各地の桜の名所はごった返していることだろう「世の中にたえて櫻のなかりせば 春の心はのどけからまし」 在原業平訳 もしもこの世に桜というものが全くないと仮定したら、人々の春の心は本当にのどかでいられるのだが1000年以上前に在原業平が歌った時も同じように、春の桜は人々の心をかき立てる。業平の時代はソメイヨシノではないのだが、やはり春の桜というのは、日本人にとって別格な存在なようだ。もはやDNAにすり込まれているのかもしれない。この桜というのは、イベントとして考えると実によくできている。まず、咲いているところに行く必要がある。おまけに咲いている期間が短い。満開の時などほんの数日。すなわち希少性が高い。そりゃあ、人が集中するわけだ。そして何より、季節が変わったことをこんなに劇的に告げてくれる現象もそうそうない。夏の始まりは、梅雨明け、もしくはこども達なら夏休みの開始か? 秋の始まりは、ようやく朝晩しのぎやすくなってきたかなあ と感じる時。ただしこども達は、大量の宿題の積み残しとともに鳴る、夏休み終了のカウントダウンか?(笑)冬の始まりは、日が短くなり夜が寒くなってくる頃かなあ・・・まあいずれにせよ、桜ほどのインパクトはない。満開の桜をみていると、ああ、日本人でよかったなあとつくづく思う今日この頃。この後、夜桜をみながら、銭湯にでも行く予定。
2009.04.05
前回、学びを起動させるには、自らが学ぶ姿勢を見せればいいのでは?と書いた。その続き日本の子どもが勉強しなくなっているといわれて久しい。不思議なもので、教育改革を推し進め、脱ゆとり教育と言い出してからもその傾向は変わっていない。教育する側のモチベーションはどんどん高くする方向なのに、肝心な受け手側に単純な相関関係がみられない。たぶん現場はそれを一番感じているのかもしれない。だから、受験という目先の利害が絡む場面で何とかつなぎ止めているのかもしれない。進学指導は、どんどん加熱する方向だ。でも肝心な子どもの意識はどうなんだろう?私は受験指導は大事だと思う大いにチャレンジする価値はある。しかしこども達の学びを起動させる本筋とは言い難いだろういわゆるよい教師がよいシステムを持ち、熱心に教えることで、こども達はドンドン成長するというのは、少し単純すぎる気がするのだ。受験指導であおっても、たぶん根本的にうまくいかないそもそも、学びというのは損得勘定ではないのだ。勉強すれば得でしょ?というのは、正論かもしれないが解決にはならない。やはりここは、私が好きな内田樹先生の言葉「学ぶ」仕方は、現に学んでいる人からしか学べない という言葉が重い。教える立場の人が学ぶ姿勢を見せるしかも、その学びは、ゴールが見えないものの方がより良いと思うのだ。では、ゴールが見える学びとは何か?それは、資格試験が典型例だろう。こう学べばこういう結果が帰ってくるというものは、本質的に学びではないのだ。学びというのは、投げた玉がいつどの方向に帰ってくるのかわからないのがふつう野球のボールを投げたら、後ろからサッカーボールが返ってくるというのもありの世界だ。学びに目的を持つと、長続きしないというパラドックスすらあるのが現状だ。受験は目的になるが、最後まで走りきれるのはそういう環境にあるからであり、合格してから燃え尽きてしまうのも珍しくない現状を考えると頷ける。結局学びの本質とは何なのか?少し脱線の様相を呈しながら(苦笑)、次回に続く。
2009.04.04
東京の桜は、ようやく満開になったようだ開花して以来寒い日が続いていたので、足踏み状態だった今週末は花見客でごった返すことだろう。来週は小中高校と入学式今年の桜は入学式に満開やはり桜は入学式の時期の方がよく似合う、と思う
2009.04.03
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