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【ケープタウン】「窓を割って逃げるんだ」「どうやって割るの?(縛られてるのに)」「俺って石頭だから」「バカね、、、頭でガラスを割る気なの?」「どうせ空っぽだし」「あなたって成長がないんだから」「これからもずっとガキだよ、、、でも君を愛してる」監督も脚本もフランス人なので、こういう色合いの作品になっても何ら不思議はない。パリパリのフランス映画である。お国柄なのか、犯罪モノともなれば、暗く陰鬱なムードで視聴者を深い闇へと引きずり込んでしまう。主演はオーランド・ブルームとフォレスト・ウィテカーという二大巨頭であるから、悪かろうはずがない。オーランド・ブルームの代表作に、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『ロード・オブ・ザ・リング』などがあるが、どれも好青年でまっとうな(?)役柄だったのに対し、『ケープタウン』においては酒浸りで、しかも女にだらしのない刑事役なので驚いた。そんな中、「いや、このキャラはオーランド・ブルームにはムリじゃないのか?」と一瞬でも思わせる場面はなく、最後まで無頼を決め込んでくれた。一方、フォレスト・ウィテカーという役者さんもスゴイから見ごたえがある。オーランド・ブルームが来日した際のインタビュー記事を読んで、ますますフォレスト・ウィテカーが好きになった。 「病院のベッドから起き上がるシーンがあったのですが、起き上がって彼(フォレスト・ウィテカー)がそのまま床にドンと倒れてしまいました。みんな(スタッフ)はケガをしたんじゃないかと慌てて駆け付けたのですが、“ごめん、ごめん、ちょっと役に入りすぎてやりすぎた”と言ってました」 こういう迫真の演技ができるというのは、それだけに役柄を丁寧に追求し、キャラクターを我が物として操っていることに他ならない。正に、役者としての職人技である。 ストーリーはこうだ。南アのケープタウンが舞台。元ラグビー選手の娘ニコールが何者かに殺害される事件が発生した。アパルトヘイトはすでに撤廃されていたものの、黒人ながら警部にまで昇進したアリ刑事らがこの事件を捜査することになった。アリ刑事のもとで働くブライアンは酒浸りで、しかも女にだらしがなく、自堕落な生活を送っていた。別れた妻との間には一人息子がいたが、なかなか思うようには打ち解けられず、歯がゆい思いをしていた。別れた妻にはすでに同棲している歯科医の男がおり、ブライアンのつけ入る隙などなかった。一方、彼らの同僚であるダンには、難病を抱える妻がおり、仲睦まじい夫婦の絆を垣間見せられた。そんな折、ニコール殺害の捜査中、ダンは凶暴で悪質な黒人グループに殺害されてしまう。しかしその現場には、怪しい薬物が残されていた。それは、ニコールの体内から検出された未知の分子が含まれた麻薬だったのだ。手がかりを得たアリとブライアンは必死で犯人の行方を追うのだった。 『ケープタウン』に登場する一人一人が闇を抱えているのだが、フォレスト・ウィテカー演じるアリ刑事の過去は壮絶だ。幼いころ父を殺害され、さらには狂暴な犬から必死で逃げる中、性器を噛みつかれ、その場に居合わせた白人らから足蹴にされるという残酷極まりない体験を持つ。そんな辛酸と苦杯をなめた男(アリ)がどんな思いで、どうやって警部にまで昇りつめたのか、想像を絶する。南アにおいて、一人一人の命というものがあまりにも軽く見なされることに絶望しているブライアンも、警察官であることに誇りなど感じられず、自堕落に日々を生きるしかない。そういう背景をあれこれ想像しながらこの映画を見ると、南アフリカという国がどんな地域性を持つのか、少しだけ理解することができる。 特に、命についての価値観がまるで違う点については、日本人にとって大きな参考となるであろう。「話せばわかる」というのは、同じ伝統・文化・言語を持つ民族の中だけであり、一歩外に出たら、南アの状況を思い描けば助けになる。気に入らなければ殺害し、欲望を感じれば女を犯す。警察官など気休めに過ぎず、大勢でよってたかって惨殺してしまう。子どもは売り飛ばし、金に換える。そういう犯罪行為が野放しになっている国家が、地球上のあちらこちらに存在することを知らず、キレイゴトだけを並べる偽善者にはうんざりしてしまう。 これからどんどん外国人が日本に入って来るのは避けられない。「話せばわかる」相手ではない。(もちろん、外国人のすべてが悪人なわけではない。)防衛について、もっと真剣に考えるべきではないのか。平和とは対極にある、この『ケープタウン』をぜひともご覧いただきたい。現実というものの一端を垣間見られるに違いない。 2013年(仏)、2014年(日)公開【監督】ジェローム・サル【出演】オーランド・ブルーム、フォレスト・ウィテカー
2015.09.27
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【村山由佳/放蕩記】◆母の、娘に対する異常なまでの干渉と束縛読み出したら止まらなくなってしまった。この小説のリアリティーさにたじたじとなってしまい、どうしようもないのだ。「これはあくまで小説なんだ」と、自分に言い聞かせつつも、ついつい夢中になってしまう。テーマとなっているのは、母と娘の切っても切れないしがらみである。この関係性を単なるホームドラマのような形で完結させていないことに、度胆を抜いた。主人公の夏帆が味わった、幼いころの母への恐怖感もさることながら、奔放な性関係、シニカルで大人びた学生時代など、それはもう衝撃的な展開なのだ。それなのにちっともドラマチックじゃない。ほとんどすべてが現実味を帯びて、たゆたゆと流れている。さらには、ものすごい臨場感にあふれた生々しさを感じさせるのだ。これって一体どういうことなのだろうかと、自分なりに調べてみたところ、どうやらこの小説は著者自身の自伝的小説なのだそうだ。(あとから気づいたのだが、文庫本の裏表紙にも“感動の自伝的小説”とあった)とはいえ、小説の宿命でもあろうが、読者という存在を無視はできないので、ところどころの脚色は当然施しているに違いない。 あらすじはこうだ。売れっ子小説家として活躍する夏帆は、母親への嫌悪感や反発心から逃れられないでいた。7つ年下の恋人・大介は、定職もなくぷらぷらしている身だが、複雑な精神構造を抱える夏帆をメンタル面で支え、肉体的にも充分な悦びと満足感を与えていた。夏帆は、上に2人の兄と下に1人の妹を持つ長女だったが、要領の良い妹とは対照的に、母親に対しいつも複雑な感情を抱いていた。母の大阪弁で遠慮のない物言いは、夏帆の気持ちを逆立てるのに充分で、大学生になった娘にまで必要以上に干渉したがるのも異常だった。まだ小学生の夏帆に向かって夫婦の営みについて語ったり、夫の浮気のグチをこぼし、決して耳にしたくはないことをつらつらと聞かされる夏帆は、ますます母親への嫌悪感を募らせる。38歳となった現在、夏帆は改めて母と向き合おうとしていた。母は、認知症を患っていたのだった。 主人公の夏帆は、決して珍しいタイプではない。長女ならこういうイイ子ちゃん優等生はありがちだ。親の束縛から必死に逃れようとする思春期の反抗も、皆が通る道には違いない。著者は、ミッション系の私立小・中・高一貫教育を受け、しかもずっと女子校で様々な体験をして来たようだ。大学は男女共学の立教大学文学部卒とのことで、それまでの呪縛から思い切り解放されたかのように性を謳歌している。 読者にしてみれば、もしかしたらまゆつば的な内容もあり、素直に信じられないようなくだりもあるかもしれないが、私個人からすれば、充分真実味があって好奇心をくすぐられた。ぜひとも読み下してもらいたいのは、躾という名のもとに厳しく育てた母親の破綻した性格と、唇をギュッとかみしめて耐える娘の母親への軽蔑と嫌悪感である。母と娘という同性親子の究極の関係をじっくりと味わって欲しい。老いて認知症を患った母への複雑な心境も、見事な筆致である。難を言えば唯一、性への貪欲さとか交遊についてのあれやこれやは、惜しいかな、柳美里を越えられず、常識の範疇を出るものではなかった。(無論、それなりに乱交描写はあるが)村山由佳が衝撃の真実を語った逸作である。 『放蕩記』村山由佳・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.09.19
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【ゼロの焦点】「思い切って、一思いに突き落としてよ」「どうしてあなた、そんなことを、、、?」「どうしてって、、、? おまえにできないわけがないだろ。あの人が死んで、ついでにあたいが死んじまえば、差しあたっておまえの汚い過去を知っている者はだれもいなくなるじゃないか。大きな会社、有り余るお金、立派な屋敷。おまえの不幸せは暗い過去だけだからね」松本清張の代表作でもある『ゼロの焦点』は、これまでにも何度となく映画やテレビドラマなどで放映されて来た。2009年にも、松本清張生誕100周年記念とかで、広末涼子が主演の『ゼロの焦点』が公開された。だが今回、私はあえてオリジナルを見ることにした。1961年公開の、しかも白黒画像のものだ。この作品は小説の持つ、暗く陰鬱で、太平洋戦争の消えない傷痕を色濃く反映した作風となっている。殺人の動機も営利目的ではなく、知られたくはない暗い過去を抹消するための行為という点が、ますます切なさを誘う。というのも、加害者は戦後十数年経って社長夫人の座におさまったものの、実は、敗戦後米兵相手の“パンパン”だったのだ。生きるためのやむをえない選択だったにしろ、そのことは過去の汚点の何ものでもなかった。 あらすじはこうだ。禎子は、広告代理店に勤務する鵜原憲一と見合い結婚をした。憲一はもともと金沢支社に在籍しており、結婚を機に東京本社に栄転となったのだ。結婚してわずか一週間後、仕事の引き継ぎをして来ると言って金沢へ出張することになった。禎子は、上野駅まで憲一を見送りに行くのだが、生きた夫の姿を見るのは、これが最後となってしまった。予定を過ぎても帰らない夫を心配して、禎子は勤務先や憲一の実兄に連絡を取る。会社側も北陸で行方不明となった憲一を捜索するため、警察の協力を得ることにする。そんなある日、禎子のもとに、憲一の兄嫁から「うちの主人も行方不明なの」という連絡が入る。急遽、禎子は兄嫁のもとに駆け付けると、金沢の警察から憲一の実兄が殺されたという電報が届くのだった。 作品のあらゆるところで感じられるのは、女性の社会的地位の低さとか、偏見による差別である。敗戦後のどさくさに紛れて、忌まわしい過去を持った女性が死にもの狂いで、現状を維持するために、殺人を繰り返していくのだ。 主人公・禎子役は久我美子である。さすが華族出身の令嬢なだけあって、上品な身のこなしが美しい。室田佐知子役に高千穂ひづる。宝塚歌劇団出身の売れっ子女優ならではの、気品の中に気高ささえ感じさせてくれる名演技だ。田沼久子役に有馬稲子。今さら言うまでもないが、名女優の名演技である。白黒画像なのにまったく違和感もなく、むしろ作風のどんよりとした暗さがそこはかとなく効果的に表現されている。監督は『砂の器』で有名な野村芳太郎。音楽は芥川也寸志。(龍之介の息子)脚本は橋本忍と山田洋次というそうそうたるスタッフで固められている。 作品ラストの冬の能登半島の断崖で、強風に煽られながら、主人公が加害者を追いつめていく演出は、この映画が原型らしい。(ウィキペディア参照)まったく欠点の見つからない見事なサスペンス映画だった。 1961年公開【監督】野村芳太郎【出演】久我美子、高千穂ひづる、有馬稲子※ご参考吟遊映人過去記事 広末涼子主演の『ゼロの焦点』はコチラまで
2015.09.12
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【藤堂志津子/めざめ】◆微妙な年齢の女性たちの焦りと孤独不思議なもので四十代も半ばになると、やたらハッピーエンドの結末にしらじらしさを感じるようになった。惚れたはれたの苦悩に涙する年齢ではないという、寂しい現実なのかもしれない。そんな中、微妙な年齢の女性たちの様々な恋愛模様を克明に描いた小説と出合ってしまった。藤堂志津子の『めざめ』である。表紙を飾るタイトルは『めざめ』だが、収録されているのは5編の短編小説だ。 『厚化粧』『微笑がえし』『黒い瞳』『ピエロの微笑』『水色のノート』 どれも環境や性格の違う女性が男性を意識し、ふり回したり、ふり回されたり、どこか滑稽にさえ感じられるドラマを展開してくれる。5編の小説どれもが、それぞれに味わい深いものだが、個人的にとくに好きなのは『黒い瞳』である。 著者の藤堂志津子は札幌出身で、北海道新聞文学賞という地方文学賞を受賞することで世に出ている。『熟れてゆく夏』で直木賞を受賞し、数多くの作品を発表している。最近ではなかなか地方文学賞から中央に出て来る作家がいないので、きっと藤堂志津子の経歴に励まされる作家志望者は多くいるに違いない。また、著者が札幌出身ということもあってなのか、舞台が北海道という設定が多い。東京や横浜あたりがメインになりがちな恋愛小説の中にあって、それだけでも藤堂志津子の作品は異彩を放っている。 『黒い瞳』ももちろん札幌が舞台である。ストーリーはこうだ。28歳のOLである恭子は、2年間交際している平野とギクシャクした関係になっていた。平野はデートのたびに不機嫌さを隠さず、恭子の何気ない言葉にもいちいちつっかかって来たり、舌打ちするという具合だった。それでも今の恭子には、平野以外の結婚相手は考えられなかった。そんなある時、義妹の美奈が、平野という男は恭子には向かないと忠告して来た。恭子と美奈は、血のつながらない姉妹だった。両親が再婚したことで家族となったのだが、美奈は継母のつれ子だった。美人でクールな美奈の発言に、恭子は戸惑うものの、美奈に対するコンプレックスもあって反発心を強くする。恭子はますます平野への愛情を強くし、美奈の忠告には聞く耳を持たなかった。一方、平野は美奈の美貌に惹かれ、恭子の存在など無視して美奈に接近するのだった。 この作品は、リアリティという点から言ってしまうと「ありえない」なりゆきに少々興ざめしてしまうかもしれない。ところが「家族愛」とか「姉妹愛」というドラマ性にあこがれを抱く者にとっては、ラストでしみじみとした感動を覚えるのだ。結婚に焦りやあこがれを持つ女性の多くが、結婚=(イコール)幸せだと勘違いしている。もちろん、生涯を共にするパートナーがいることは、精神的な安らぎにも通じるし、子どもを生み育てることは、女性にとって至極の幸福でもあるからだ。とはいえ、現実はどうかと言うと、それほどキレイゴトで済まされるものじゃない。「こんなはずじゃなかった」と思うことが多々あるのも否めない。それでもなぜ女性は結婚にこだわるのか?おそらく、自分の「居場所」が欲しいのだろう。だが、本当のところはわからない。十人十色、それぞれの思惑があるからだ。 微妙な年齢にさしかかっている女性の方々に、この『めざめ』を読んでいただきたい。新しいタイプの恋愛観を学ぶことができるかもしれない。 『めざめ』藤堂志津子・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.09.06
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