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【斎藤美奈子/挑発する少女小説】私は多感な思春期の読書傾向に、初めて後悔した。もちろん自分自身の、である。一体何をどう読んで来てこうなってしまったのか、、、?スポンジのように多くの教養を吸収したであろう小・中学校時代。私は世間一般で女子の必須アイテムでもある少女小説というものと、ほぼほぼ無縁だった。こよなく愛したのは岩波少年文庫から出ている『三国志』『水滸伝』、福音館書店から出ている児童書シリーズ、特に『アーサー王と円卓の騎士』など。それはもう夢中になって読んだものだ。そこから学んだものは、、、今となってはよくわからない。ただ、とにかく好きだったのだ。戦乱の世を刹那に生きる英雄・豪傑たちの魂に震えたのだ。だが、そんな自分の嗜好が、今となっては忌わしい。あの頃、どうして他の女子たちが好んで読んでいた少女小説を手に取らなかったのだろう、、、?私はもっと世間の動向とか流行に敏感になるべきだったのでは、、、?今さらそんなことを悔いても、詮無いことではあるが。いきなり私がこんなことをボヤき始めたのにはワケがある。私はフェミニズム系文芸評論家である斎藤美奈子の著書を読んだのだ。河出新書から出ている『挑発する少女小説』という一冊である。もちろん私も人生50年を生きて来て、女性論を説くお偉い方々の一言一句を盲信するようなアマちゃんではない。じゃあ何をそれほど後悔しているのか?それは、こちらの著書で取り上げられている少女小説のどれもがユニークで魅力的であるからだ。これを大人になった今の視点から読むのも良いけれど、うら若き乙女のとき、真っさらなな気持ちで読んでおきたかったと後悔しているのである。ちなみに私が大人になった今読んでみたいと思ったのは次の作品である。『赤毛のアン』の続編。『あしながおじさん』『秘密の花園』『ふたりのロッテ』『長くつ下のピッピ』どれも児童文学のベストセラーである。なんでもっと若いうちに読んでおかなかったのか、、、時間は取り戻せないし、こればかりは仕方がない。斎藤美奈子の文学評論がズバ抜けて面白いのは、何と言っても杓子定規ではないところである。通り一辺倒のレビューではなく、かと言って小難しく掘り下げるのでもなく、大人になった〝ちびまる子ちゃん〟的な物言いが見事にハマった感じなのだ。『挑発する少女小説』において、様々な児童文学が取り上げられているが、中でも『赤毛のアン』の続編は大人になった今、読んでみたいと思った筆頭である。少女小説とはあまり縁のなかった私だが、さすがに『赤毛のアン』だけは今も本棚の片隅に保管されている。小学生の頃だったか、テレビアニメとして放送されていたこともあるし、女子の間で話題にもなったからである。皆さんご存知の通り、『赤毛のアン』と言えば、孤児の女の子がカナダの大自然の中で明るくたくましく生き抜いて行く青春物語である。ところが斎藤美奈子の捉え方は違った。「実はみなしごの就活小説だった」と言うのだ。劣悪な環境である孤児院なんかに二度と戻りたくない主人公のアンが、マシュウとマリラ(初老の兄妹)の住む家庭に引き取られるために、並外れたトーク力とイマジネーションを働かせて2人の心を動かす。それはもはや「みなしごの少女が自身の居場所を確保するための戦いの物語」であると説いている(笑)もともと引き取り手のマシュウとマリラは、農作業の手伝いもできるだろうと、孤児の男の子を希望していたのだ。ところがどこでどう間違ったのか、やって来たのは女の子(アン)だった。自分が必要とされていないと気付いたアンは、何が何でも引き取られてみせるとばかりに躍起になるのだが、これを一つの「就活」と見なすところがおかしくて笑えた。『赤毛のアン』は二作目の『アンの青春』『アンの愛情』とさらに続き、最終話の『アンの想い出の日々』まで全11巻という長編作品となっている。いつだったか、『赤毛のアン』フリークの友人が言っていたのだが、続編を読んでいると、アンがどうやら更年期障害を患っているのか、始終イライラしているシーンが出て来るというのだ。それがホントかウソかは不明だが、何とも人間臭い少女小説(?)ではあるものだ。それも含めて続編を読んでみたいと思った。本書は他に『あしながおじさん』についてもレビューしている。なんと、「金持ち道楽息子が小娘に翻弄される物語」であると(笑)『大草原の小さな家』に至っては、「引っ越し、引っ越し、また引っ越し」という小見出しがついてる。(「新天地をめざしての移動」とはしないところが笑える)こう言う歯にきぬ着せぬ物言いのできる斎藤美奈子の著書は、実に魅力的だ。本来はもっとジェンダー論を盛り込んで少女小説を掘り下げていきたかったのかもしれない。抑圧された少女たちの魂の叫びを、少女小説の中から感じ取って、あれやこれやと批評したかったと思う。それが斎藤美奈子のお得意分野だからだ。だが以前のようにそこまでとんがらなくても、充分な求心力を持つ内容となっていると思う。ジェンダーの何たるかなんて、そう簡単には分析・理解されるものではないだろう。(つまり、なるようになると言うこと)本書は、少女小説と縁のなかった大人の少女(?)らに読書を勧め、新たな発見を誘う文芸評論となっている。もちらん、夢中になって読んだことのある人にも再読を促し、戦う少女たちの人生に焦点を当てることを勧めている。私たちの日常の読書は、このぐらい明け透けで、それでいて目新しい発見が一つでもあれば充分意義のあることなのではと思う一冊だった。 (了)『挑発する少女小説』斎藤美奈子・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾(1~99)はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾(100~199)はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第3弾(200~ )はコチラから
2023.05.27
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今年の昭和の日は土曜日と重なり、なんだか祝日を1日だけ損したような気分ですね(笑)朝からどんより曇っていて、予報によれば夕方から崩れる見込み。ならばと思って渋る息子を誘って神社のお参りに出かけました。静岡県遠州地域には歴史と伝統のある神社・仏閣が数多くありますが、つい見逃していた神社がありました。というのも、ガイドブックや観光マップなどに掲載されていなかったので、ずっとスルーしていたのです。ところが昨年、浜松は台風15号という未曾有の天災に見まわれ、大惨事に遭いました。その影響で浜松市浜北区尾野にある高根山の斜面が崩れてしまったのです。その高根山の中腹に立つ高根神社は、歴史も古いのですが(1502年建立)、台風15号による崖崩れで倒壊の可能性があると、県内ニュースで大きく報じられました。皮肉なことではありますが、その報道によって初めて歴史的価値のある神社がまだまだ浜松にあることを知ったのです。「これは一度行ってみなくちゃ」と、ずっと思っていたものの、なにしろ電車・バスなどが付近まで通っていないので、足代わりになってくれる息子のご機嫌によることが大きかったのです。(私はペーパードライバーなので)前置きが長くなりましたが、そんなこんなでやっと私の望みが叶ったのが、4月29日(土)のことだったわけです。高根神社へ向かう途中、高根山の東側でしょうか、『金刀比羅神社』の看板を目にします。鳥居をくぐって境内まで続く長い階段を見上げたとき、「ここでお参りしたい」と息子にお願いしました。駐車場は金刀比羅神社の拝殿の傍にあるため、いったん車を停めたあと、わざわざ階段を下り、一の鳥居をくぐるところから再び歩き始めました。何段ぐらいあるのか、最初のうちは数えていたのに、途中から息が切れてきて数えるのを忘れてしまいました(汗)苔むした階段、うっそうと生い茂る樹木、まるで効果音のように聴こえてくるウグイスの鳴き声がのどかで、まるで昭和に逆戻りしたような心地がしました。(正に、昭和の日というだけありました)境内にある建造物はどれも古くて、歴史的価値のあるものばかりなのはよくわかるのですが、私自身はあまり興味がなく、ただ雰囲気とか空間を楽しみたい派なので、ろくな情報も提供できず、ざっくりとした記事でご勘弁ください。お祀りしている神様は、大物主命、白峯大神、金山彦命とのこと。社務所は無人のため、ご朱印ガールの方々にはムダ足になってしまうかもしれませんので、ご注意を。さて、本命のはずだった高根神社ですが、金刀比羅神社から運動がてらてくてく行くつもりでした。落ち葉に埋もれた山道を数百メートル歩いたところ、そこは昨年さんざん報道された崖崩れの現場があり、いまだブルーシートで覆われていました。さて、高根山の斜面に細く急な階段があり、そこが高根神社へと続く参道となっていました。息子が気を利かせてその階段を数段ほど上ってみたところで、「あ、ここはヤバい。上りはいいとしても、下りるのがヤバい。やめた方がいいんじゃね?」と注意してくれました。空模様もあやしくなり、いつ降り出してもおかしくはないような雲行きだったので、息子の判断は正しかったと思います。しかも運動不足の私が気軽に上れるようなゆるい階段ではなく、私も素直に息子のアドバイスに従いました。こうして高根神社への参拝は断念しましたが、今回は金刀比羅神社に詣でることができ、本当に嬉しかったです。それにしてもこちらのような歴史的にも価値のある古い神社が、なぜ観光マップやガイドブックに掲載されていないのか、不思議でたまりません。ぜひとも浜松市の観光課に頑張ってもらい、全国のご朱印ガールを呼び寄せるぐらいのパワースポットとして紹介して欲しいものです。限定のお守りなど、可愛く、映える(?)やつを製作してみたらどうでしょうか?(あと、おみくじとか)なんなら筆の達者なシルバーさんに、ご朱印係をお願いして、日当¥5000ぐらいで雇用するという方法はどうでしょうか?冗談はさておき、付近には静岡県立森林公園もあるので、レジャーの道中に安全と無事を祈願するのにもおすすめです。〜おまけ〜お参りの帰りは小腹も空いたことなので、星乃珈琲店に寄りました!春と言えばイチゴ。星乃ではストロベリーフェアを実施中です。私は苺たっぶりスフレパンケーキ(シングル)を注文しました。パンケーキの真ん中にピスタチオアイスが乗っかっているのですが、パッと見は抹茶アイスかな?と思いました。いや〜メチャクチャ美味しかったです。なぜシングルにしてしまったのか、後悔するぐらいでした。(なんならダブルを注文して、食べ切れなかったら息子にあげれば良かった)苺たっぷりスフレパンケーキ(シングル)は、¥900(ドリンク付¥1250)です。ちなみに息子はスタンダードな窯焼きスフレパンケーキのダブルを注文。美味しそうにパクパク食べていました。本日は息子のBirthday 。しがない親子のひとときでした。
2023.05.20
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【産経新聞大阪社会部/「死」の教科書 〜なぜ人を殺してはいけないか】サブタイトル: 新聞は、なにか事があると、「命の大切さ」を訴える。校長先生も、なにか事があると「命の大切さ」を訴える。安倍元首相が凶弾に倒れて1年も経たないうちに岸田総理までもが命を狙われた。一国の首相が狙われたという民主主義の根幹を揺るがす行為であることはもちろんだが、人の命というものをあまりに軽く見過ぎているのではと思う事件だ。テロを起こして国家転覆を計りたいと思ったのか、革命もどきに酔いしれて英雄を気取りたかったのか。いずれにしろ数メートル先のターゲットを狙って爆弾を投げ込んだとして、自分の命すら脅かす蛮行だったのに、そのリスクは考えなかったのだろうか?それとも自分の命など惜しくも何ともなかったのだろうか?2016年のWHOの調査によると、自殺率が最も高い国はロシアで、次に韓国という結果が出た。ちなみに日本は7位だが、これを先進国7カ国にしぼると、第1位という不名誉な結果となってしまった。つまりそれだけに国民の幸福度が低いということなのである。平和で安全であるはずの日本が、どうしてこれほどまでに命を粗末にしてしまうのか、、、?社会学者ならこの結果をどのように読み解くのだろうか?いろんな疑問が次から次へと浮かび、一体どうしたらこんな不幸な凶行を回避できたのだろうかと考えてみた。だがその答えは見つからない。歴史は繰り返されるという哀しい現実を目の当たりにするのみだ。そんな折、私は産経新聞大阪社会部が発行した『「死」の教科書』を読んだ。これは平成18年から翌年にかけて連載された「死を考える」という記事に加筆の上、単行本化されたものである。少し古い著書ではあるが、こういうご時世だからこそ再読するべき1冊だと確信している。本書はまず〝子供たち〟の殺人についてから話が始まる。さかのぼること26年前の、神戸で起きた児童連続殺傷事件「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る少年事件を振り返るところから、『なぜ人を殺してはいけないか』というテーマをほり下げるのだ。これだけ情報過多な時代にあって、昔かたぎの大人たちが「いけないものはいけない」と言っても通じない。それでは答えになっていないので、きっと今の子どもたちは納得しないだろう。本書では、学校の果たす役割、教育について語っている。小学校から導入されている性教育は、今や当たり前のカリキュラムであるが、「死」についての教育はない。むしろ「死」を子どもたちから遠ざけた環境にしている。その結果「命について考える機会も失われたのではないか」と。次に取り上げられるのは、ある日突然、何の前触れもなく降りかかる「事故」による死についてである。平成17年に発生したJR福知山線脱線事故は、乗客106人もの命が奪われた凄惨な事故であった。ここでは、愛する人を突然失うという遺族の耐え難い悲しみについて、淡々と取材されている。この未曾有の大事故で娘を失うこととなった父親の日記は、涙なくしては読めないものだ。突然の家族の「死」とは、本人の完結を持って終わるものではなく、その遺族にとって、暗いトンネルの中を這うような人生が続くということを忘れてはならない内容となっている。さらに、「死刑」についての死も取材されている。ここで誤解して欲しくないのは、死刑制度に対する反論ではないということだ。もちろん、日本という国家が、世界でも少数派の「死刑のある国」であることも踏まえた上で、その生々しい死刑執行の様子も取材されている。だが私は、産経の持論としては、極刑の存在価値を認めているように思えた。罪深き人間への戒めとして、「死刑」を掲げ続けておくべきという立場を取っている(と思う)。この章は賛否両論あると思われるので、各自がじっくりと熟読し、死刑制度における持論を展開して欲しい。人はこの世に生まれ出た瞬間から「死」と隣り合わせである。これは致し方ないことだ。「生」と「死」は、いわばセットになっているからだ。私の世代であるアラフィフから上の方々は、そろそろ人生の最後について、チラッとでも脳裏を過ぎることがあるのではなかろうか。本書では「最期をどこで迎えますか」というテーマで、終末期医療について丹念な取材がされている。日本人の最後は、孤独死でもない限り、たいていは病名が付いて病院で看取られるのが一般的なのだ。老衰なんて自然死は、今や夢のまた夢。在宅で家族に看取られて大往生を遂げる方は、現代日本に何パーセントぐらいおられるのだろうか?無粋なことを申し上げて大変恐縮だが、この著書が最初に発行されたのは2007年だが、この時点で一ヶ月間にかかる終末期医療費は平均で112万円。現在は物価の上昇でもっと高額になっている。人の命は決してお金には代えられない。だけど現実問題として「生きる」にはお金がかかるということ。いや、「生きるため」というより「生かされるため」の方が正しい言い回しだろう。一体、人の最後において、こんな結末を良しとするのを、誰が決めたのだろうか?最終章は、戦争と平和について書かれている。こちらの記述は秀逸で舌を巻いた。ここに、現在を生きる我々の心を震わすような記述があったので紹介したい。~~~~~~~~~~「戦争反対」や「平和の大切さ」を叫ぶことはあっても、戦争そのものについては、考えることすら放棄してきた。タブー視してきた。むろん誰だってあの時代には戻りたくない。戦争などしたくない。ただ、「戦って死ぬ」「誰かのために死ぬ」という「究極の死」の存在から目を背けてきたことで、何か大きなものを失ってきたのかもしれない。~~~~~~~~~~小国ウクライナが、大国ロシアを相手に、怯むことなく戦っているのはなぜか?簡単に答えなど出ないことは百も承知の上だが、この最終章を読むことでその片鱗が掴めるかもしれない、とだけ言っておこう。今を生きる私たちのバイブルともなり得る本書を、今こそ皆さんに読んでいただきたい。「死」についての意味とか意義を考えるきっかけになればと思う。 (了)「死」の教科書 〜なぜ人を殺してはいけないか〜/産経新聞大阪社会部 ★吟遊映人『読書案内』 第1弾(1~99)はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾(100~199)はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第3弾(200~ )はコチラから
2023.05.13
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昔はハンカチなんか使えれば良いと思っていた私。もちろん、こだわりなど一切ないので、息子が保育園で使っているキャラクター柄のハンカチを兼用で自分も使っていました。誰かに見せるものでもないし、お手洗いのときに手を拭いたり、メガネがくもったら拭くぐらいしか用途がなかったからです。さかのぼって学生時代のころのことはあまり記憶もないのですが、ハンカチは母が用意してくれたガーゼのハンカチをいつもスカートのポケットに入れていたような・・・?とにかく、自分で買った覚えがありません。よくよく考えてみれば、ハンカチほど常日頃からお世話になっているアイテムはないのに、意外と無頓着なのです。なぜでしょうか・・・?きっと、バッグや洋服のように、モロに他人の視線を浴びることがないので、自分の個性として主張する必要がないからと思われます。とは言え、ハンカチは必ず毎日取り替え、毎日洗濯し、毎日使用する必須アイテムなので、何かの折にプレゼントされることが多々あります。(一般的なものなら価格も手ごろなので)私の場合、もらえばさっそく使わせてもらうのですが、そのハンカチをくれた人との思い出や人柄がよみがえり、なかなか処分できずに何年も使い続けてしまいます。そこで、私がいただいたタオルハンカチのベスト3をご紹介し、プレゼントしてくれた方々との思い出を少しだけ振り返ってみようと思います。まずは第3位。ラルフ・ローレンのタオルハンカチです。これをくれたのは、以前の職場で同僚だった三十代の女性Eさんです。彼女はかなりのオシャレさんで、パッと見、2人の子どもさんがいるようには見えない、若々しく可愛らしいタイプの方でした。見かけによらず、仕事をスピーディーにこなすのが得意で、ノソノソやっている後輩には容赦なかった記憶があります(笑)そんなEさんが異動することになったとき、女性職員に配ったのがこのラルフ・ローレンのタオルハンカチでした。これをいただいたとき、「私にはちょっと派手かな?」と思いましたが、使い続けるうちに馴染んできて、肌触りとか吸水性などに安心感を覚えるようになったのです。さらにはバッグの中で、このラルフ・ローレンのチェック柄が見えると、何となく自分がスタイリッシュな都会人を気取れるような気がするから不思議です。Eさんが「女は可愛いだけじゃダメ」と言っていたように、彼女の人となりが伝わってくるようなブランドのセレクトだと思いました。次に第2位。アナ・スイのタオルハンカチです。これは、短大時代からの友人Yさんが、誕生日かXmasか、とにかく何かのプレゼントで送ってくれたものです。Yさんは何事にもひたむきだし一途で、とにかくマジメです。今も昔も変わらないのは、オタ活にせっせと勤しむ情熱とガッツの持ち主で、優しさと思いやりいっぱいの愛すべき友人なのです。確か、最近夢中になっているのは『刀剣乱舞』で、語り出したら止まらない熱い魂を持っています。彼女が大切にしている長財布は、アナ・スイと『うる星やつら』がコラボしたデザインのもので、かなりレアだったと記憶しています。その延長線なのか、私にくれたタオルハンカチもアナ・スイのものでした。もらったときはYさんらしいセレクトだと、思わずクスッと笑ってしまったものです。そして第1位!イヴ・サンローランのタオルハンカチです。これをいただいたとき、もう手放しで喜びました!なんて可愛いデザインなのだろうかと。これは以前の職場で、定年退職されたKさんが女性職員だけにくれたものです。もらった私たちは、あまりのセンスの良さに舌を巻いてしまいました。後から聞いた話によると、お嬢さんが百貨店で吟味して購入してくれたのだとか。経年劣化してきたので、私は同じものが欲しくなり、百貨店のハンカチ売り場をのぞいてみましたが、残念ながらありませんでした。考えてみれば、もらってからすでに7〜8年が経つのですから仕方ありませんね。他にもご紹介したいお気に入りのハンカチはいくつかありますが、以上の3点はとくに年季も入って、ますます愛着の増すベスト3なのです。さて、皆さんのお気に入りタオルハンカチと重なるものはあったでしょうか?ここで私はふと考えたのですが、こちらの筆頭管理人は長く百貨店に勤務して来た御仁なので、ハンカチにもこだわりがあるのでは・・・と思うわけです。というわけで、終いは筆頭管理人のお気に入りハンカチを紹介していただきましょう!《筆頭管理人》いやはや、お鉢がまわってきました(^_^;)それでは簡単に。わたくし、以前にコツコツと集めたハンカチが200枚ほど手元にあります。それで活躍しているのは主に「バーバリー」と「ポロラルフローレン」の一部です。※ポロラルフローレンのクマのプリントは、ポロスポーツのノベルティでちょっとレアだったりしてね(^_-)vなお、パンツには同色で合わせます(*^_^*)以上、粗末なものをお見せしました、恐縮です(^人^;)吟遊さん、こんなものでよろしいでしょうか?それと余計なお世話かもしれませんが、吟遊さんもアイロンをおかけになったほうがよろしいかと(^_-)
2023.05.06
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