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今から26年前の8月31日18時26分(グリニッジ標準時、日本時間9月1日3時26分)、大韓航空の旅客機KAL007がサハリン上空でミサイル攻撃を受けた。撃墜されたとされているのだが、疑問点もあるので断言はできない。 この旅客機は米国アラスカ州のアンカレッジ空港を飛び立ち、韓国の金浦空港へ向かっていたのだが、航路を外れ、アメリカ軍が定めた緩衝空域に侵入、そのまま飛行禁止空域を横切ってソ連領のカムチャツカ半島を横断、そしてサハリンの上空を飛行したのだ。緩衝空域へ突入する前、アンカレッジの管制官が盛んにKAL007へ呼びかけているのだが、応答はなかった。 アメリカにはNORAD(北米防空宇宙司令部)という組織が存在し、北アメリカの防空を担当している。NORADの規定によると、緩衝空域で発見した民間航空機が航空路を見失っている、あるいは飛行禁止空域へ向かっていると判断された場合は、即座に航空機へ呼びかけ、近くのFAA(連邦航空局)へ知らせることが義務づけられている。 大韓航空機の場合、NORADはこうした規定に従っていない。事件後、担当官が処罰されたという話は聞かないので、怠慢で何もしなかったとは思えない。そうなると事前に飛行禁止空域への飛行が認められていた可能性が高まる。 16時40分を過ぎた頃、KAL007はカムチャツカ半島に接近するが、そこでアメリカの偵察機RC135と遭遇し、大きく左に旋回してからソ連の領空へ侵入している。その際、ソ連軍はKAL007を見失い、迎撃に失敗している。重要基地のそばであり、ソ連側としては大失態だった。 サハリンへ侵入するのは18時16分過ぎの頃。当初、アメリカ政府はソ連機がいきなり攻撃したと主張していたが、ソ連の迎撃機が再三、大韓航空機に合図を送っていることが後に判明している。(イラク攻撃の前にもアメリカ政府は嘘をついていた。)その合図を無視して飛行したわけだ。気づかなかったとは思えない。 そして18時26分にソ連の戦闘機が発射したミサイルが命中、領空侵犯機はゆっくりと螺旋を描きながら降下していく。戦闘機のパイロットは右に旋回していると報告しているのだが、ソ連が公表したレーダー記録では左へ旋回している。パイロットの報告が間違いなのか、レーダー記録が間違っているのか、あるいは別の航空機が存在したのか、可能性はいくつかあるが、真相は不明だ。 1981年にアメリカではロナルド・レーガンが大統領に就任してから軍事的な緊張が高まっていた。レーガンはキリスト教系カルトの信者で、ソ連を「悪の帝国」と呼ぶ人物であり、ソ連の脅威を演出する一方、極東地域では挑発的な軍事演習も実行した。 中曽根康弘首相が日本を「大型空母」になぞらえ、四海峡を封鎖してソ連軍の艦船を封じ込めると発言したのは、KAL007事件が起こった年の1月のこと。春にアメリカはカムチャツカ沖で大艦隊演習を実施している。この年は米ソが核戦争に突入しても不思議ではないほどの軍事的な緊張があったのだが、日本のマスコミは今でも報道する価値がないと思っているようだ。
2009.08.31
ラテン・アメリカの軍事的な緊張が高まっている。今年6月28日にホンジュラスで軍事クーデターがあり、マニュエル・セラヤ大統領が拉致され、コスタリカへ追放されているのだが、その背後にアメリカの存在を感じる人は少なくない。さらに、最近ではアメリカがコロンビアに駐留する米軍を増強する計画が明らかになり、少なからぬラテン・アメリカ諸国のリーダーが批判している。中東におけるイスラエル、東アジアにおける日本と同じように、コロンビアをラテン・アメリカ支配の拠点にするつもりだと言う人もいる。 アメリカへ流れ込むコカインの多くはコロンビアを経由していると言われている。日本ではゲリラと麻薬を結びつける記事が多いようだが、コロンビア政府が関与している可能性は極めて高い。「イラン・コントラ事件」のときに、アメリカの情報機関CIAが支援していた武装勢力「コントラ」が麻薬をアメリカへ密輸していたことが明確になっているのだが、CIA自身も麻薬の密輸に関係してきた。つまり、ベトナム戦争とアフガン戦争のときのヘロイン、そしてラテン・アメリカ工作でのコカインだ。 かつて、コロンビアには二つの大手麻薬業者が存在した。メデジン・カルテルとカリ・カルテルだ。アメリカ政府は1980年代にメデジン・カルテルを潰しているが、カリ・カルテルは放置した。当然、麻薬の世界でカリ・カルテルの力は大きくなった。 さて、ホンジュラスにおけるクーデターを指揮した軍人は、アメリカが破壊活動の技術をラテン・アメリカの軍人に教えるために創設したSOA(後のWHISEC)を卒業しているわけだが、それだけでなくチキータやドールといったアメリカの巨大企業の名前もクーデターの裏でささやかれている。クーデター前に、こうした企業はヤラセ大統領を批判していたのである。そうした米企業の批判にCOHEP(ホンジュラス全国ビジネス会議)も同調した。(こうした企業がクーデターの黒幕だと断定しているわけではない。念のため。) このクーデターを多くのラテン・アメリカ諸国は批判、制裁に動いている。国内でも庶民がクーデターに対する抗議活動を展開しているのだが、クーデター政府はそれを押さえ込もうと、弾圧を続けている。つまり、人権侵害があるわけで、アムネスティなどからも批判されている。 現在、アメリカのバラク・オバマ政権はホンジュラスのクーデターに反対する姿勢を見せ、援助のカットなどをしているのだが、その裏ではアメリカの権力者がクーデター派とつながっている可能性が小さくない。 21世紀に入って自立への道を歩いているラテン・アメリカを再び支配下に置きたいとアメリカの権力者は願っているのだろうが、一歩間違えるとラテン・アメリカが「アフガニスタン的状況」になりかねないと懸念する声がある。崩壊を始めた「アメリカ帝国」。その崩壊を止めようと暴力を使えば、状況はさらに悪くなる。
2009.08.30
イランをめぐる焦臭い話が立て続けに聞こえてくる。この夏の出来事を振り返っても、イランで行われた大統領選挙後の混乱、「アークティック・シー号」の行方不明事件、UAE(アラブ首長国連邦)が捕まえた朝鮮の貨物船、ロッカビー事件で有罪判決を受けたリビア人の保釈などは、いずれもイランが関係している。 繰り返しになるが、イスラエルやアメリカの親イスラエル派はイランとの戦争を水面下で既に始めている。2007年の終わりにはジョージ・W・ブッシュ大統領の要請を受けて、米議会はイランでの秘密工作をエスカレートすることにゴーサインを出している。 当然のことながら、秘密工作の中心になったのはCIA(中央情報局)やJSOC(統合特殊作戦司令部)で、イランのMEK(ムジャヒディン・ハルク)やクルドの分離独立派を手先として使っている。 イギリスのテレグラフ紙は2007年2月25日付けの紙面で、イランを混乱させる目的でアメリカは「テロ・グループ」に資金を提供していると伝えているが、このグループにはMEKも含まれている。 今年の8月にはジュンドラー(神の兵士)のメンバーが、自分たちはアメリカやアル・カイダから支援を受けていると発言している。もっとも、この発言はイラン政府が設定した場で行われたので、信頼性には欠けるものの、アメリカでの報道とは合致する。 FBIの元翻訳官で、機密文書に触れる立場にあったシベル・エドモンズは、アル・カイダのオサマ・ビン・ラディンとアメリカとの関係がソ連消滅後も続いていたと宣誓供述している。「9/11」の直前にCIAの人間がビン・ラディンに会っていたとする話も伝えられている。 まだアークティック・シー号事件の真相は不明だが、ロシアの某将軍がコムソモルスカヤ・プラウダ紙に語った話によると、この船はミサイルをイランへ密輸しようとしていた。送り主はロシアの「武器マフィア」で、政府の高官も関与していたという。 この武器密輸は、単純な商取引でないかもしれない。万一、この密輸が成功していたならば、ロシアを巻き込む国際的なスキャンダルになった可能性が高く、ロシアの行動を牽制したい勢力が仕組んだのかもしれないのだ。こうした展開になることを阻止するため、どうしてもロシアは船を押さえる必要があったというわけだ。 朝鮮の貨物船の場合はUAEが押さえ、朝鮮もイランも悪い状況だ。朝鮮に武器マフィアが存在するのかどうかは知らないが、韓国との交流を深めようとしているときに、こうした事件を引き起こすのは不自然だ。(なぜか朝鮮はこのような行動をよくする)朝鮮には和平を望まない勢力が、政府の意向に関係なく動いていると見ることもできる。 ロッカビーの事件で有罪判決を受けていたリビア人が帰国した意味も興味深い。この事件が起こったのは1988年12月のこと。ロンドン発ニューヨーク行きのパンナム103便がロッカビー上空で爆破され、乗員乗客259名が死亡したのだ。 この事件の5カ月前、米海軍のイージス艦が通常の航路を飛行していたイラン航空655便をミサイルで撃墜、乗員乗客290名が犠牲になっている。そこで、パンナム機の爆破はイラン機撃墜に対する報復ではないかと考えた人は少なくなかった。 大幅に航路を逸脱し、アメリカが設定した飛行禁止空域を横切り、ソ連軍の重要基地の上空を飛行した末に撃墜された大韓航空007便のケースではヒステリックに撃墜を非難していたメディアだが、イラン機のケースでは寡黙だった。勿論、西側諸国の政府もアメリカ政府を批判などしていない。「国際社会」はイラン人の死に鈍感だということ。で、イランが報復したとしても不思議ではないと少なからぬ人が考えたわけだ。ロッカビーからみでもイランの話が出てくるかもしれない。
2009.08.29
現在、アメリカでは医療保険制度の改革をめぐり、大騒動になっている。よく知られているように、アメリカでは健康保険を営利企業に任せている。病気や遺伝子による差別が起こり、多くの低所得者は「低所得者向け保険」で救済されず、医療行為も保険会社の思惑に拘束さて歪な形になっている。その保険制度をバラク・オバマ政権は変えようとしているのだが、旨味のあるビジネスを失う保険会社としては許せない所業であり、猛反発している。 アメリカの健康保険/医療システムの惨憺たる状況はEUだけでなく、アメリカ国内でも批判されてきた。それにもかかわらず、アメリカで制度改革に抵抗する人たちが多い一因は、メディアを使った「反改革キャンペーン」が機能していることにある。 キャンペーンの中身は不正確なのだが、反改革派は「死の名簿」なるものをでっち上げて老人や病人は殺されるとキャンペーンを張り、オバマ大統領を「アドルフ・ヒトラー」に例えるなど「呪文」を多様するイメージ攻撃を繰り返している。 要するに、今回もイラク攻撃の前の状況と同じ手法で少なからぬアメリカ人は操られ、熱狂しているのが実態だ。CIAや軍の上層部がイラク攻撃に反対していたにもかかわらず、戦争に突入したのはメディアに煽られた庶民が開戦を要求したからだった。 低所得層にとっての健康問題は、医療保険制度だけにあるわけではない。これもよく指摘されていることだが、公衆衛生の状況が所得によって大きく異なり、病気になりやすさに影響してくる。基本的に、アメリカでは所得によって健康リスクは大きく違い、寿命に反映されていく。アメリカで臓器移植が盛んな理由のひとつはここにある。 こうした健康差別を生み出している柱のひとつがアメリカの保険会社なわけだが、日本がその保険会社に目をつけられていることは間違いない。日本のマスコミは年金と同じように健康保険の破綻を宣伝してきた。年金システムの背後で政治家や官僚の不正行為がある可能性は高く、健康保険に問題があることも事実だろうが、破綻しているということにはならない。破綻してほしい、あるいは破綻させたい人たちがいるだけのことだ。 金融破綻の後、日本のテレビで流される外国系保険会社のコマーシャルは少なくなったようだが、かつては有力なスポンサーであり、潜在的には今でも重要な顧客である。その金づるにとって都合の悪いアメリカの保険事情をマスコミが伝えたがらないのは当然かもしれない。 アメリカの金融界は日本の郵政マネーに続き、公的な年金や健康保険のシステムを破壊して新たなマーケットを作り出そうとしている。すでに日本でも低所得者が医療を受ける権利が侵害されつつあるが、オバマ政権による医療保険制度改革の成否は日本にも影響してくる。
2009.08.23
某女性歌手が覚醒剤を常用していたとかで、未だにマスコミは大騒ぎなのだが、時間がたつにつれて奇妙な印象を持つようになった。何年も前から怪しかったというような話を競って伝えているようだが、それならば、当然、警察からも目をつけられていたはずで、今回のケースは歌手をこのタイミングで狙い撃ちした可能性が高いということになる。 芸能界に麻薬類が蔓延しているという話はよく聞く。覚醒剤を使っていた某大物歌手の場合、関係者は皆知っていたようだが、警察は手を出さなかった。何らかの事情で有名人を逮捕したい場合、誰かを選んで捕まえているのではないかと思わざるをえないのだ。 もし、この覚醒剤騒動がなければ、選挙に関する報道がもっと多く、読者や視聴者も関心を持って読んだり見たりしていたはずだ。自公政権の大企業への「バラマキ政策」や年金などの使い道の問題、あるいは郵政民営化(払い下げ)における不公正な行為など掘り下げて伝えるべき話が消えてしまった。派遣切りなど労働条件の劣悪化もマスコミは忘れてしまったかのようだ。 アメリカの場合、全体の0.01%の人間が得る所得の割合は、1970年代には1%以下だったのだが、ロナルド・レーガン大統領が規制緩和や民営化(払い下げ)を推進した結果、急速にシェアは上昇して現在は6%に達している。大恐慌が起こる直前、1929年が5%程度だったことを考えると、現在の富の集中がいかにすごいかがわかる。 実は、2000年に5%へ到達、そこから3%近くまで急落しているのだが、イラクを先制攻撃してから再び急上昇している。戦争は一部の富裕層を富ませるだけだった。富の集中が限界を超えていることは間違いない。とりあえず、0.01%の富裕層の収入を6分の1にすることから始めるべきだろう。 今回の衆議院選挙は、国の在り方を決める重要な選挙である。高給取りのマスコミに惑わされることなく、社会を正常化するためにも大企業や一部の富裕層へのバラマキを止めることのできる人間を選ぶ必要がある。不可能だと言ってはならない。特権階級へのバラマキが可能だったのは、私たち庶民がそうした政策を認めてきたからにほかならない。 現在、アメリカでは健康保険の問題が議論され、ホンジュラスでは最低賃金を引き上げようとした大統領がクーデターで国を追い出された。権力者たちは、富を独占するシステムを維持するために必死のようだが、恐怖で庶民をコントロールするにも限度はある。煙幕の効果も、権力層が期待するほどではないだろう。
2009.08.15
64年前の8月14日に日本政府はポツダム宣言を受諾すると連合国側に通告、翌15日にこの事実を天皇の声で国民に告げた。そこで、8月15日を日本では「終戦記念日」に呼んでいるのだが、実際は「降伏記念日」あるいは「敗戦記念日」だ。9月2日に降伏文書に署名している。 この手続きを経て第2次世界大戦は終わったわけだが、この時点で新たな戦争が始まっていた。ドイツが降伏した段階でイギリス政府は米英両国の軍隊とドイツ兵でソ連を奇襲攻撃する計画を書き上げていたことがわかっている。アメリカでも核戦争を想定した作戦が練られている。ドイツとの戦争で疲弊したソ連軍なら簡単に粉砕できると考えたのだろう。 そもそも、アメリカの巨大資本は大戦の前にドイツや日本に多額の投資をしていた。両国を完全に破壊してしまえば、その投資は無駄になってしまうわけで、体制を根本的に変えたくないと考える人がワシントンやウォール街にはいた。だからこそ、ドイツではナチの残党を逃がし、場合によっては保護し、日本では事実上、天皇制を温存した。労働組合の活動を弾圧したのも同じ目的からだ。 ただ、ワシントンやウォール街で日本の旧体制に好意的な勢力が日本を押さえる前に、日本国憲法はできあがっていた。それでも自分たちの政策を実現する下地を作るために日本を「右旋回」させ、その頃から改憲要求を繰り返している。 アメリカ、(西)ドイツ、そして日本を結びつけた大きな要素が「略奪財宝」だということは、少なからぬ人が報告している。敗戦直後には国会でも調査が行われたが、曖昧なまま幕引きになっている。 しかし、フィリピンに君臨していたフェルディナンド・マルコスをアメリカ軍が1986年に国外へ連れ出すと、日本軍が隠したとされる財宝に関する情報や資料が出てきた。こうした話を日本政府は嘘だとしているが、こうした公式見解を否定する話を筆者自身も元情報機関員から聞いたことがある。 ドイツの場合、略奪財宝の話はかなり明らかになっている。ヨーロッパ諸国は金融システムが発達していたため、ナチスは各国の中央銀行から金塊を奪っているのだが、そのために概要をつかめたようだ。ドイツが奪った財宝は「ナチ・ゴールド」と呼ばれている。このナチ・ゴールドに関する調査の過程で、日本軍の略奪財宝の話も出てくるのだが、その話は別の機会に譲る。 ともかく、大戦後も(西)ドイツと日本では、支配システムが大きく変わらなかった。ドイツではアドルフ・ヒトラーが死んでいるようだが、日本では事実上、天皇制が生き続けている。少なくとも、エリートの世界では戦前と戦後で大きな変化はない。そうした動きを日本国憲法が封印しているだけであり、その封印が解かれれば、再び暴走が始まる可能性がある。実際、永田町では、そうした方向へ進もうとする勢力が今でも力を持っている。
2009.08.14
24年前の8月12日、日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落し、乗客乗員524名のうち、520名が死亡した。 運輸省事故調査委員会の武田峻委員長は、墜落が「昭和53年(1978年=引用者注)大阪国際空港における事故による損傷の修理の際に行われた後部圧力隔壁の不適切な修理に起因しており、また亀裂が隔壁の損傷に至るまで進展したことは点検整備で発見されなかったことも関与していると推定いたしました」としているが、この見解に疑問を持っている関係者は少なくない。 隔壁が損壊し、尾翼が内部圧力で吹き飛ばされ、操縦系統も失われて墜落したというのだが、そうなると客室では急減圧が起こり、酸素マスクをつけなければ3分もすると小学校1年の国語教科書を読む速度が遅くなり、6分30秒を経過すると手に痙攣が見られるようになり、チアノーゼで指先が紫色に近くなるとされている。ところが、異常が発生してから約9分後でも123便の機長は酸素マスクをつけていないのに、手の痙攣や意識障害はなかった可能性が高い。 このほか、技術的な疑問点は、航空関係者が詳しく検証、調査委員会の結論を批判しているので、ここでは深入りしない。ともかく、再現実験では、調査委員会のシナリオが有りえないことは確認されたと聞いている。 事件から10年後、1995年8月にアメリカ軍の準機関紙スターズ・アンド・ストライプスに寄稿されたマイケル・アントヌッチの体験談は衝撃的な内容で、日本のマスコミは重要部分を伝えなかった。 アントヌッチは123便に異常事態が発生したころ、C-130輸送機に乗り、横田基地に向かって大島上空を飛行していた。18時40分のコールが叫び声のように聞こえ、尋常でないと感じられたため、C-130の乗組員は横田基地の管制から許可を受けた上で、日航機に接近を図っている。 123便が墜落したのは18時56分だが、その地点をC-130は24分後の19時20分に特定、報告している。運輸省に捜索本部が設置されたのは19時45分なので、捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を正確に把握していたはずであり、地上でも目撃者から正確な墜落位置を知らされていた。ところが、捜索隊は別の場所を探すことになる。故意に発見を遅らせようとしていた可能性が高い。 C-130が墜落現場に到着した直後、厚木基地から海兵隊の救援チームが現地に向かっている。20時50分には救援チームのヘリコプターが現地に到着、2名の隊員を地上に降ろそうとしたのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されている。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。 命令を受けた後もアメリカ軍側は現場にいたのだが、21時20分に航空機が現れたことから日本の救援部隊が到着したと判断、その場を離れている。ところが、日本の捜索隊が墜落現場に到着したのは翌日の8時半だとされている。 この事件では4名の生存者がいたが、そのひとりは墜落直後に何人かの荒い息づかいが聞こえ、「おかあさん」と呼ぶ男の子の声や、「早く来て」という若い女性の声が聞こえたと証言している。海兵隊の救援活動が実施されていれば、4名のほかにも生存者を助けることができたはずである。これは役所のメンツとか、縦割り行政の問題ではない。 墜落後にヘリコプターの音が聞こえたとも話しているが、これは米海兵隊のヘリコプターであり、しばらくして離れていったのは、帰還命令に従って戻ったからだと推測できる。そのほかの航空機について話されていないということは、現場に到着したはずの救援機はどこへ消えたのだろうか?この事件で撃墜説を追いかけていた某記者には脅迫があったと聞いている。
2009.08.11
南オセチアを巡るロシアとグルジアの軍事衝突から1年を経過したということで、特集記事を載せている新聞もある。この衝突に限らないが、日本のマスコミは自分たちが思い描くストーリーに反する事実は断固として伝えない。少なくとも現在の編集幹部は自分たちをジャーナリストとは考えていないのだろう。 さて、南オセチアの場合、日本のマスコミは「グルジア紛争」を「ロシア軍による外国領土への軍事侵攻」と表現してきた。特に、軍事衝突の直後はそうだった。コソボ紛争に絡み、アメリカ軍はユーゴスラビアに先制攻撃を仕掛け、中国大使館を爆撃しているのだが、マスコミはアメリカを非難していない。南オセチアのケースでロシアは「コソボの論理」を使っているのだが、日本の「二枚舌報道」には通用しない。 ここで、軍事衝突の流れを振り返ってみよう。まず、昨年の4月にアメリカはブカレストで開かれたNATOの首脳会議でグルジアを加盟させるように圧力をかけたことから緊張は高まった。ソ連が消滅した当時、NATOは東へ拡大しないはずだったのだが、そんな話は消えてなくなった。 そして8月7日、グルジアのミヘイル・サーカシビリ大統領が分離独立派との対話を訴えた。その時点では、イギリスのタイムズ紙によると、現地の住民はテレビでオリンピックを見られると思っていたほどで、緊迫感はなかったのだが、対話提案から約8時間後の深夜近くになって、グルジア軍は本格的なミサイル攻撃を開始した。この奇襲攻撃で南オセチアの首都ツヒンヴァリやロシア停戦監視部隊の基地がターゲットになり、多数の市民が犠牲になっている。 このとき、南オセチアに住む親戚を訪ねていて戦闘に巻き込まれた12歳のアメリカ人少女がアメリカのFOXニュースに登場、グルジア軍の攻撃からロシア軍が守ってくれた話をしはじめたのだが、それを司会者が慌てて止めたことも話題になった。FOXの司会者は日本のマスコミと同じ心境だったのだろう。 さて、グルジアは自分たちの「戦闘能力」を過大評価していたわけだが、その原因はアメリカとイスラエルから受けていた支援、提供された武器と軍事訓練を過信していたことにある。 カスピ海から西ヨーロッパへ向けた石油/ガス輸送を考え、アメリカがグルジアに特殊部隊員を含む約40名の軍事顧問団を派遣したのは2002年のことだが、その前年にイスラエルの会社がロシアとの戦争に備えて武器を提供、軍事訓練も始めている。 軍事衝突の後、ロシア軍のアナトリー・ノゴビチン将軍がイスラエルがグルジア軍を訓練していると批判したのは、こうした背景があったからだ。同将軍は、2007年にイスラエルの軍事専門家がグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器や電子機器、戦車などを提供したと主張、さらにグルジア兵の軍服を着た20名の傭兵を拘束したとしている。 グルジアとロシアとの軍事衝突で、ロシア側はイスラエルを激しく非難している。アメリカでも、ましてEUでもない。この事実を日本のマスコミが無視しているのは興味深い事実だ。 グルジア政府の閣僚を見ると、奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリは元イスラエル人で流暢なヘブライ語を話すことができる。また同じく流暢なヘブライ語を話す閣僚のテムル・ヤコバシビリは、全世界がグルジアを支援するように訴えている。 南オセチアを巡るグルジアとロシアとの対立でイスラエルに触れない「解説」があったなら、プロパガンダだと思った方が良いだろう。
2009.08.08
このところ、薬物の絡んだ芸能人のスキャンダルが続いている。個別の事件には興味がないが、出てきた薬物には興味を覚える。ある芸能人はMDMAという薬物を飲んでいたという。この薬はメチレンジオキシメタンフェタミンの略称で、通称はエクスタシー。アンフェタミン系の興奮薬に分類されるそうだ。 MDMAの大半がオランダで製造されるとマスコミでは解説されている。確かに、アメリカで押収されるMDMAの約80%はオランダ製であり、解説に間違いはない。が、別にオランダ人が製造から販売までの全てを取り仕切っているわけではない。黒幕はイスラエルの「犯罪組織」で、ロシアの暗黒街ともつながっている。 麻薬は情報機関の活動とつながっていることが少なくない。例えば、ベトナム戦争ではアメリカの情報機関が秘密工作の資金を調達するためにヘロインを使っていた。このときは東南アジアの「黄金の三角地帯」がアヘンの主要産地。アフガニスタンではソ連と戦う武装勢力をCIAは組織、支援しているが、このときはアヘンの主要産地がアフガニスタン周辺に移動した。そこからウクライナ、コソボなどを経由して西ヨーロッパに流れているが、この取り引きにもCIAは関与している。コカインの場合もアメリカの情報機関の秘密工作と密接に関係している。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房)を) ボリス・エリツィン時代のロシアはイスラエル系の「実業家」が経済をコントロールしていた。「民営化」、つまり払い下げで巨万の富を得た彼らは、犯罪組織と密接な関係にあったわけで、イスラエルとロシアの「犯罪組織」がつながっていても不思議ではない。こうした実態をロシアの一般市民は知っているからこそ、「実業家」を取り締まっているウラジーミル・プーチンを支持しているのだろう。 要するに、MDMAが広がっているということは、イスラエルのネットワークが日本にも張り巡らされてきたことを暗示する。犯罪組織だけでなく、情報機関の動きに注意するべきだろう。政治、経済、マスコミなどの動きを見ていると親イスラエル派が主導権を握っていることは明白で、裏の世界も表の世界と同じような動きをしているのだと理解できる。 ところで、2001年9月11日をはさんで、アメリカでは大規模な捜査が行われた。イスラエル人の「美術学生」のグループをDEA(麻薬取締局)が調べ始めたのが取っかかり。グループ内には相当数の情報機関員が含まれていたと言われ、MDMAの密売網との関係も疑われていた。結局、「9/11」の前に約140名、後に約60名のイスラエル人が逮捕されている。 イギリスのトニー・ブレアがイスラエルを資金源にしていたことは、前にも書いたことがあると思うが、そのブレアが率いていた「ニューレーバー」も親イスラエルだった。かつての労働党、いわば「オールドレーバー」も親イスラエルではないかと言う人もいるだろうが、1982年にイスラエル軍がサブラとシャティーラにおけるパレスチナ難民の虐殺に深く関与していたことが明るみに出た頃から、オールドレーバーはイスラエルから距離をおくようになっていた。ニューレーバーを崇め、日本でも真似するべきだと考えた政治家や記者がいるようだが、その背後にイスラエルが存在することを理解しているのだろうか?
2009.08.05
64年前の8月にアメリカ軍は2発の原子爆弾を日本に落とした。1発目は6日で、広島にウラニウム235で製造した「リトル・ボーイ」を投下、2発目は9日に長崎で落とされたプルトニウム239を原料とする「ファットマン」。破壊力はTNT火薬換算で、それぞれ15キロトンと22キロトンだった。 広島の場合は爆弾投下から4カ月で9万から12万人が死亡、長崎でも一瞬にして数万人が殺されたと言われている。原爆投下から現在に至るまで放射能は被爆者に影響し続けていることも忘れてはならないだろう。また、現在の核兵器は弾道ミサイルに搭載しているもので300キロトンから数メガトン程度のようなので、核戦争が実際に起こった場合の被害は広島や長崎の比ではなくなることは明白だ。 今年の4月、バラク・オバマ米大統領はチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を訴えているのだが、この演説に日本の官僚が反発しているようである。その背後でアメリカの軍需産業、そして自分たちも戦争ビジネスで儲けたいと願っている日本の巨大企業の欲望が渦巻いていることは間違いないだろう。 日本の「核開発」に詳しいアメリカの友人に聞くと、異口同音に日本は核兵器の開発を目論んでいると言う。日本が核兵器を持ちたいと願い、準備していると信じているCIAの人間もいて、日本のプルトニウムを追跡するシステムも稼働させているという。 言うまでもなく、日本に原子力発電を持ち込んだのは中曽根康弘で、プルトニウムを使う原発の建設は岸信介が首相のときに計画ができている。そのころから日本が核兵器の開発を意図しているとする声はあった。ちなみに、この両政治家は「MRA(道徳再武装運動)」に参加しているという共通項がある。ここでは触れないが、このMRAはきわめて重要な団体だということは指摘しておきたい。 日本の核開発で注目されたのは、核燃料再処理工場の役割。東海村の再処理能力は年間210トン、六ヶ所村の再処理工場では年間約800トンの核燃料を処理できる。8トンのプルトニウムを生産するとして、その約1パーセントは「計量誤差」になるため、年間80キログラム程度のプルトニウムを隠すことは可能だと考えらたのである。ちなみに、日本の再処理プルトニウムはすべて兵器利用可能だとされている。 アメリカ政府を無視して核兵器を開発することは難しく、アメリカ政府が日本の核兵器開発に協力しているのではないかという疑いも出てくる。アメリカの管理下で開発させようとしているのではないかというのだ。実際、アメリカ政府が東海村のRETF(リサイクル機器試験施設)に移転した技術の中に、「機微な核技術」と呼ばれる軍事技術が含まれていると指摘されたことも疑惑を深めた。 考えてみると、アメリカはイスラエルの核兵器開発を黙認していた。現在、イスラエルが保有する核弾頭の数は70発とも400発とも言われているが、ともかく世界有数の核兵器保有国である。ジミー・カーター元米大統領はイスラエルの保有数を150発以上だと語っている。 ところで、1959年7月にエルネスト・チェ・ゲバラは日本側が作成したスケジュールを無視して広島の原爆慰霊碑を訪れて献花している。2003年にはゲバラの同志、フィデル・カストロも慰霊碑を参拝している。ゲバラの広島訪問が後のミサイル危機で何らかの役割を果たしたかもしれない。戦争を身近に感じていたキューバの指導者は核戦争の悲惨さに目を向け、「平和ボケ」で好戦的な日本のエリートは核兵器の破壊力に魅了されているようだ。
2009.08.04
FBIの元翻訳官がアメリカ政府とオサマ・ビン・ラディンとの親密な関係をブラッド・フリードマンのインタビューで明言、注目されている。その元翻訳官とは、FBI内部の不適切な行為を告発し、2002年3月に解雇されたシベル・エドモンズである。 彼女が告発している不適切な行為のひとつは、FBIだけでなく、国務省や国防総省の内部にはトルコやイスラエルの情報機関がネットワークを張り巡らせ、アメリカ政府高官を買収して核兵器に関する機密事項を盗み出しているというもの。また、2001年4月にFBIはイラン情報機関の協力者から、オサマ・ビン・ラディンが航空機で4~5都市を攻撃する計画を持っているとする情報を得ていたとも主張している。 ところで、エドモンズがFBIに雇われたのは2001年9月20日、つまり「9/11」の9日後ということになるが、事件に関する文書を読む機会はあった。FBIが入手していた情報と実際の攻撃とは違うようにも思えるので、この情報を使って何者かが別の計画を実行した可能性もあるだろう。 今回、エドモンズが話したのは、オサマ・ビン・ラディンとアメリカとの関係がソ連消滅後も続いていたということ。イスラム武装勢力とアメリカ政府との関係はソ連軍のアフガニスタンへの侵攻より前にさかのぼることができる。 ジミー・カーター政権で安全保障担当の大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンのモハメド・タラキ政権の打倒を大統領に進言、1979年4月にはイスラム武装勢力への支援が始まり、5月になると、CIAのイスラマバード支局長だったジョン・リーガンがパキスタンの情報機関ISIが選んだグループの指導者と会談、後にCIAは爆弾製造や破壊工作の方法を伝授するなど、様々な支援をしている。 ところで、タラキは1978年4月にクーデターで実権を握った人物。1979年3月にはソ連を訪問してソ連軍の派遣を要請しているが、このときは拒否されている。このとき、クレムリンの高官たちは戦争の泥沼化を見通していた。こうした流れを見たうえで、ブレジンスキーは武装勢力の支援を始めたわけだ。 そして1979年7月、アメリカとイスラエル両国の情報機関関係者はエルサレムに集まって「国際テロリズム」に関する会議を開いている。その中でソ連を「国際テロリズムの黒幕」と主張する意見が飛び出している。 この年の9月になるとハフィズラ・アミンがクーデターでタラキ政権を倒したのだが、このクーデターにCIAが関係しているとソ連の情報機関KGBは疑い、11月に「ジー・グループ」というKGBの特殊部隊が派遣され、12月には対テロ部隊の「アルファ」が投入され、そしてソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンに侵攻した。 CIAが支援したイスラム武装勢力にはオサマ・ビン・ラディンのアル・カイダも含まれていた。つまり、CIAとビン・ラディンは協力関係にあったのだが、1991年にソ連が消滅して両者の関係も消滅したはずだった。ところが、エドモンズはこの関係が「9/11」まで続いていたと話したのである。実際、2001年7月にCIAの人間がドバイの病院でオサマ・ビン・ラディンとあったとする記事をフランスのル・フィガロ紙が伝えている。言うまでもなく、ビン・ラディンとアメリカとの関係が「9/11」で切れたとする根拠もない。
2009.08.01
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