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流れていく。 私も、昨日、そして明日も、あの中の一員として、駅に吸い込まれ、感情を押し殺して、時間だけを気にして、憂鬱な気分だけは押し殺して、風通し悪く、通勤する。 そういう人たちを第3者的に、喫茶店から眺めていると愉快だ。 毎日、乗る電車や、乗る場所を変えてはいるのだが、屁のつっぱり程度。 先週の今日は、どこか優越感を持って電車に乗っていた。今からアナタガタ会社、今からワタシ海外旅行、ちょっと嫌な自己顕示欲。アンキューソーマッチ。 穴があったら入りたい。「北京ヴァイオリン」観たら、思いがけず感動したのだが、アジア系ほんわかしんみり系に感動最近するというのは、弱っているのかしらん。人間、最期を悟ったら好きなことしたいし、させてあげたいかな。以前のインドでの文章を再掲。 彼の師匠が死ぬことになった。最期に近い頃の彼の写真を見せてもらった。大きな木の下でそれはころがっていた。そこにあった。土まみれで自然に還って行く無駄のない肉体があった。それは大木が地表に出た根っこの一つの様であった。彼は死ぬ3時間前に簡素な言葉で遺言を残したという。「私は死ぬ。葬儀は簡素に。借金なんかはするな。でも葬儀方法は妻のやりたいことを最優先させてやってくれ」そういって彼は戻っていったそうである。なんてダンディな奴なんだ。「ダンディズムとはデカダンスにおける最後の英雄的光景だ」とボードレールは語った。意味を間違えても、彼の最後に近い一枚の写真を見て、生きざま、そしてそれ以上に、死にざまを感じさせてくれる者は、明白にいうとダンディだと思う。 亡骸の前に、連れ添って生きてきた妻は、音楽を奏でながら踊るように見えたという。ヒンドゥには墓がないと思っていたが、埋められた所に石を置く。日本でいう墓の概念とは違うのだろうか。「この抜け殻である肉体は土でさらし、雨に打たせよ」という台詞が似合いそうな気がした。不謹慎で冷たい言い方かも知れないが、人間は生死を大袈裟に考えすぎなのだろうか。
2004.10.31
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今日は、「コンシェルジュ北京」という何冊かある日本人向け無料冊子の別冊を隅々まで読むことに果敢にも挑戦しつつある午前5時である。別冊なのでページ数はたかがしれているが、黒塗りの表紙に電話番号とWEB、2004年10月号で、既に67冊目、5年選手という所か。 後ろのページ(表4)にはヘアカットの店だ。ただのカットはなんと7000円もする、パーマが15000円であり、平均的北京労働者の1か月分の給料である。おまけに10月21日は天津でヘアーショー(?)のためお休みと書いてある。何故かヘアサロンなのにへそだしねえちゃんが2人。 見開きのページは不動産屋。賃貸不動産はどこも仲介手数料無料と書いてある。では、何で儲けるのであろうか?どうやら中国では、家主が1か月分の手数料を不動産屋に払うのが慣わしのようである。2ページ目は目次。3ページからは北京地図である。佐川急便も宣伝しており、長春を中心に北京やハルピン、瀋陽をドアツードアで活躍の模様。うちは代引き(受け取り払い)してますと書いてある、スゲエ、中国でやるか。8ページ。英語の幼稚園。音楽教室(中国でアーチストトシテデビュー予定の方へ。6万円週2回全8回1回55分がプロ育成コース)何か、手軽じゃん。中国語教室。美術学院。9ページ。パソコン組み立て屋。中国-日本の通話、1分間10円!。レディースオーダーメイド。神戸-天津 燕京号で里帰り、毎週月曜天津11時発、水曜14時神戸着。片道2.2万円より。手荷物120キロまで。学割有。中国ビザ及び運転免許手続き代行。9日前までには携帯に申し込みの電話下さい!チケット屋。成田-北京 37000円往復より。10ページ。焼肉屋。うちっぱなしゴルフ。時間無制限1500円。11ページ。コンタクトレンズ、おお、ドル払い。日通。クロネコヤマト。12ページ。ダイヤ、画廊、貸会議室、不動産屋2LDK115平方メートル900ドル。13ページ。753アルバム。マッサージは、何かいやらしそうな所と、マジメなところが混合して掲載、値段も変わらず。15ページまで。16ページ。キャビアの乗ったクレープ、750円。スペイン、フランス、ギリシア料理。宮廷料理1500円より。「急に店を閉めることになりました、すみません」という広告もあり。寿司屋、あと35ページまで飲み屋が続く。一字一句読んでいくつもりであったが、眠くなり、敢え無く倒れることにする。もしかしたら、起きてから再開するかもしれない。可能性は、低い。
2004.10.30
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今年も前半が3ヶ月以上前に終わってしまい、残す所凡そ24分の5程度しかなくなった。財布を整理していると、今年最初のおみくじが出てきた。そんなのが出て来ない程に札束がパンパンなのかというと、本当はその通りなのだが、札束以外に10倍程度他のものが入っている。私は、カードを切るのが得意なので、その控えや、うどんやの割引券古本屋のスタンプカード、不要レシートに1元札や10バーツ札や1ドルに健康保険証等があまり意味なく入っている。 私は、おみくじを決して信じないが、今年は「大吉」が出たので信じることにした。これが外れたら来年からは大吉が出てももう信じないつもりだ。 何事も末に見込みがある←まだ今年も24分の5程度、12月31日まであるのでこれはまだ結論はでない。今の所、芽も出てないが、それは目に見えない水面下で私にドラステックな変貌が起こっているに違いないと想像でしる。我、未だ山麓に有。 改めてよい運があります。←それがまだ何を改めて良いか分らないが、まだ今年もまだ今年も24分の5程度あるので、最悪の場合12月30日に方向転換すればよい。 意思高く驕る事無く信心すれば天に上るように出世します。←まだ今年も24分の5程度、12月31日まであるのでこれはまだ結論はでない。今の所、恐らく会長が、次期社長に私を推薦している極秘里な活動をしてくれているのかも知れない。派閥の表から労働組合、そして大口株主まで巻き込んで。 但し、辛抱が第一です。←前数行カット。○ 願事・・・改めてすれば望みごと叶い喜び多し。←はい。悔い改めます。○ 待人・・・来る便りあり。←以前、便りなきは良き便りなんていってたら、交通事故で友達が死んだので、取り敢えず待ってますが、DMか催促状しかまだ届いてません。○ 失物・・・出る高いところ。←今から急いで道端に財布落としにいかなくっちゃ。○ 旅行・・・遠方に行き利益有。←先週北京に行きましたが、帰りに「海猿」見終わらないうちに関空着いてしまいました。行きは「ヴァンヘルシング」最後まで見れました。○ 商売・・・見込み確かなれば儲け有。←頑張って!って私は愛想以外言わないようにしてるよ、「頑張って」ってマゾやん。○ 学問・・・安心して勉学せよ。←分ったかな、皆さん。○ 相場・・・手放せば不利。←急いで手放すものを手に入れる必要があります。誰かタダかインサイダーで恵んで下さい。○ 争事・・・思いのままに勝つ。←急いで争う人や物を探す必要があります。忙しくなりそうだ。誰か喧嘩売って下さい。○ 恋愛・・・一線を越えるな。←今年に入って108人アタックに失敗してますが、どこに一線があるのでしょうか?まだ見えてきません、それは直線でしょうか?○ 転居・・・良い早くしなさい。←もうちょっと借金こしらえてからにします。夜に引越しします。○ 出産・・・吉さわりなし。←認知します。○ 病気・・・なおるが信心が第一。←私、あまり、現世利益いやだなあ。皆、死んだらどうなるか分らないのに、信心を生きている他人が見定めるのは嫌だなあ。死ぬのは、なんだかんだって一人で、なんだよな・・・○ 縁談・・・初めの縁は調い難し後の方早く叶う。←ということは残す2ヶ月で2回の縁談が舞い込むということですな。構えて待ちます。やはり、俺に、おみくじは似合わないぜ、フッ。
2004.10.29
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地震状況をテレビで見る。浅間山荘事件の映像以来、テレビでの静止画面というのが登場し、妙な臨場感がある。また同じシーンを何度も繰り返し、報道される。現実の所が見えにくかったりする。阪神大震災のときも知り合いは死んだ。知り合いの知り合いや親戚等言えば、もう何人でもいる。友達の家は崩壊してなくなっているのに、電話の呼び出し音は通常に鳴り続ける。1家4人に唯一残った財産である車で寝泊り、そしてそこから出勤。店を出したばかりで、明日保険契約するつもりだった店が燃えた。確かに報道のヘリコプターがうるさく、人々の神経を逆なでしていた。家や職場を失った人々に今後どうするのかインタビューしたところで、自失呆然として、そんなん考えられません、との返事ばかりであった。私の自宅はガスは2ヶ月ばかりこなかったが、電気は当日、水道は数日で回復した。何せ困るのがトイレ。地震直後絶対ライフラインが止まると思ったので、風呂に水を満タンに張った。家族で示し合わせて、小の時は水は流さない、大の時のみ風呂の水を汲んできて流すという形にした。後は、どぶ川の水を汲みに行く用意だけしていた。郊外のコンビニではおにぎりが、棚のてっぺんまでいっていた。化粧をするのはけしからんという雰囲気もあったのかもしれないが、防寒服に軽く化粧をしている人もいっぱいいた。家と店を同時になくした友達に偶然道端で会って、無事を確認したが、逆に顔に箪笥が落ちてきて内出血していた私を心配してくれて申し訳なくなった。予想以上に火事場泥棒が少なかったようだが、暗闇でのレイプや地震を政府は予知していたなど流言が飛び交っていた。カオス状態で、一方通行はなくなり、原動機自転車が最も有効な移動手段になった。勿論、歩道をゆっくり走った。2ケツもOK。数少ない空いていたガソリンスタンドで渋滞。ガソリンスタンドはその性質上異常に頑丈に作られているので、壊れているのは皆無であった。倒壊したビルの中で某竹中工務店のビルだけが異常に早く撤去されたので、何か隠しているのではないかと流言蜚語してた。街が、ガスの臭いで充満していたところでも、やけくそかタバコを吸っていた。緊急命令系統がなっていないので、自衛隊や海外からの救助犬等の出動が送れ、人災でいっぱい死んだ。などいろんなことを思い出しながら、テレビを見ていた。
2004.10.28
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島国フィリピンは8000万人程度の人口を有するが、その1割が海外で労働し、最近、メキシコを抜いて出稼ぎ労働者数が世界一になったそうだ。(送金額はインド、メキシコについで3位)彼ら彼女からの仕送り額は、実質的にはGNPの3割に達すると言われている。 私が、初めて行った外国、そして第一印象は、「みんなブラブラ、働いてないなあ」というものであり、その後、他の国に行ってもなかなかこの国以上に働いていない国はなかった。アジアでも屈指の最貧国のひとつである。(人口の半分が1日2ドル未満の生活) フィリピン国内では雇用創生がなかなかなく、単純労働者だけでなく医者看護婦、技術者、熟練労働者の海外頭脳流出も激しく、悪循環に陥っている。看護婦は特に酷いようだ。フィリピン国内で働くの3倍の看護婦が海外で働いている。 昔、一斉廃刊になったちびくろさんぼの舞台がインドであったこと(確かに虎はアジアにしかいない)を知り、ちょっといくつかサイトをみてみた。スコットランド人の作者は、自分で挿絵したらしいが、そのときもネグロイドの黒人ではなくアーリア系のインド人だったらしい。 物語は、木の周りを回った虎が解けてバターになり、それでお母さんがホットケーキを作ってくれるという勿論だが、インド人がホットケーキはないので言い換えられたものであろう。ナンであり、バターはギーである。そういえば、子供の頃は、ハイジに始まったムーミンやあらいぐまラスカルや母を訪ねて3000里ややフランダースの犬等カルピス世界名作劇場アニメを見ていたが、ペリーヌ物語というのがあって、数年前偶然再放送を見たら、お母さんがサリー着ていてちょと感動した。そういえば、母を訪ねて3000里の原題は「アルペンニーノ山脈からアンデス山脈まで」でしたなあ。こっちのほうがいいやん。
2004.10.27
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中国、広大すぎる。北京、広すぎる。 天安門広場から、故宮、そのサイズは、人間等身大サイズを遥かに越えており、疲れる。人間の歴史は、概して殺戮、略奪、戦争、闘争の歴史で、権力者はしばし、自然さえも制服しようとする。天安門広場、故宮の北側一部を除いて、石張りの床、木造建築物だけで、草木、川、山、土はない。猜疑心の塊から隠れる所をできるだけ減らそうという意図と、自然までもを権力の元に置きたいという誇示なのであろう。 故宮の中心は、かのラストエンペラーに出てきた太和殿であるが、周辺に自然がない。が、屋根瓦の一部から木が生えていた。土が積もり、どこかから種子も飛んできたのであろう。勿論、今の時代だからそれも許されるのであろうが、少し安心する面もあった。自然には逆らえないものだ。
2004.10.26
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確か、あの日は、夜の11時前だったと思う。友達からメールが飛んできた。淡路島の友達が、台風で裏山が崩れ、家が土砂に飲まれたという。その友達は行方不明になってしまった。ニュースをもう少し注意深くみた。死者行方不明の中に彼の名前が出てきた。彼との友達の距離ってどのくらい?最近、知人が明日海外旅行に行くが、病気の親の状態が悪化して、取りやめた。勿論、当たり前の行為である。私は、冷たい、といわれればそれまでだし、単なる知人であったという訳でもないし、かといって凄く親しかった訳でもない。私は翌朝、北京に行った。結婚式は、また祝えるが、葬式はその日しかない。帰ってみたら、彼は、駄目だった。もう葬式も終わっていた。後悔しているといえばしている。友達との距離ってどれくらい?
2004.10.25
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昔、ピーターグリーナウエイ監督の「ZOO」を観た。映像美にこだわる訳分 かんない監督上位ランキングされそうな監督だ。双生児がビデオの早回しでモノ が腐っていく様子を淡々と撮っている。最初はリンゴとかわいくいくのだが、 魚、ワニ、しまいにはシマウマが腐敗していく様子が映し出される。退廃的映像 美が何となく気に入って他の作品も見まくったなあ。そういう時期もあるものだ と思う。 ベルリンにはいくつか駅があるが、動物園が目の前にある旧西ドイツ側の駅ベ ルリンツオー駅がある。早朝にスエーデンのメルマから到着して、駅で何となく 両替して、立ち飲みコーヒーを啜った。見知らぬ街に到着して不安と期待と不安 と不安の中で、まずは一杯のコーヒーっていうのが何とも心地良い。どこであろ うと。 このベルリン動物園駅、実は、神戸の三ノ宮駅が見本とした駅であり、駅の横 に大きな通り(神戸で言えばフラワーロード、ベルリンでいえば一番の繁華通り クオーダム)が走っていて、確かに似ていた。(ちなみに東京駅の見本はアムス テルダム駅、これまた似てる) カルカッタ動物園を出たら、出て行く人全員に飲み物を渡している一団があ り、私も飲み物を受け取って、何かの団体だろうかと思っていたら、単なる物売 りで、出て行く人皆、バツが悪そうに金を払っていた。いかにもマザーテレサの シスター達みたいな衣装だったので、順調に皆、ボランティアと騙されるので あった。 さすがに、入場料が安いとはいえ、動物園に来ることのできるのは中産階級で あった。サリーの横から肉がブヨブヨはみ出たおばさんばかりを見る羽目にな り、少しげんなりした記憶アリ。
2004.10.24
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文革の頃、私は生まれていた。
2004.10.23
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CNNニュースより教科書では、宇宙から肉眼で視認出来る地上の構造物として、長城とオランダにある大堤防を紹介している。中国が昨年10月に成功した、有人宇宙船の飛行士が「長城は見えなかった」と指摘したことから、教科書の表現は科学的ではないなどの批判が出ていた。 中国メディアは、小学校教科書の記述は誤解が広く伝わる原因となっている、などと報じた。 米航空宇宙局(NASA)のウェブサイトは、宇宙から長城は見えない、と断定している。 そりゃ、そうだよな。いくら長いったってあの幅じゃ分らないよ、見た瞬間に嘘だなって思った。
2004.10.22
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私は、これでも全然秘密主義ではないので、白状するが、1階食料品スーパー、2階に、服化粧品、3階は食事と服にユニクロにクリーニング、3階にジュンク堂書店に服文具眼鏡屋ガラス屋、4階にトイザラスがある総合ビルの前に住んでいる。白状するが、私の持ち物ではない。勿論、土地家屋もである。 今は、夜の9時まで営業しており、私は、8時過ぎに、クリーニングを持って家を出た。台風で看板が根こそぎ倒れ、出入り口は勝手に開くので、店員が目ざとく客を見つけると手動で開け閉めしている。まるで、ホテルのようである。ターバン巻いたシク教徒のインド人に是非やって欲しいと一瞬思う。 こんな台風の真ん中でクリーニング出すの何となく恥ずかしいなあ暇なんかなあと思われるのではないかと自意識過剰になり、ほとんど誰もいない3階に寂寥感さえ感じた。クリーニング受付には2パック受け取りでこの台風でこの荷物でっか~の老夫婦、大丈夫だろうかと他人ながら少し心配。 フロアに店員しかいない紳士婦人服売り場フロアが寂しい、が、よく見ると、若いカップルが一組だけ、試着で背広の袖に手を通している。傍から見れば、何もこんな台風の時に、と思わせない程、仲良さそうであった。 私は、これでも靴下を履く。世の中の方々は、私が、高級紳士靴下しか履かないと誤解されているかも知れないが、それは、貰い物か貢物だけで、自ら進んで買うことはないと考えていただいた方が無難だ。そんな訳で、最近、靴下に穴を開けるのが一人で流行ってしまっている私は、早急に靴下を切望した。天下のユニクロに入ると、さすがに人はいた、が、その人々が例外なく、私に挨拶をするのである。私がVIPなのはトップシークレットでありユニクロに来たのはお忍びである筈なのに。私以外の店内にいた人間10人少々が全員店員であることを知ったのは、全員に挨拶された後であった。 本屋にも日課の如く行った。流石に本屋は客が約5人いた。ジュンク堂書店は、座り読みできる様にベンチがこさえてあり、図書館代わりにしている私のような不届き者も、普段はいるのだが、今日は、若い女性がたった一人、るるぶを読んでいた。明日台風なのにだよ。飛行機飛ぶの?あ、それ私の心配事だった。(既に離陸時間は2時間遅れていることがネットで判明中) 子供のいないおもちゃやトイザラス、シュール。ナンか、店員の方がどこにいっても多いって潰れかけみたいな感じで終末観がナンともいいなあ。 ナンテボヤボヤかいてたら、淡路島の知り合いが、土砂にのまれて行方不明、えらいこっちゃ!!!
2004.10.21
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俺は、失敗した。時効だから言うが、昨晩は、日記を書きながら、寝てしまったのだ。僅か10行の日記をアップさせるのに5時間かかっている。そのうち、4時間56分は眠っていたのである。 それも不思議な夢をみた。俺は山の上の宗教団体に属していた。あるブランコのような乗り物に乗ると、それは宙を浮き、私と私の横に座っていた男が下界の民家に突っ込んでいく。 民家に入ってしまうと、すぐさまそこの家人が帰ってきて「何よあんたら」と言われ「しゅんじゅれいしました(加藤茶風)」と言いながら、外に出た。 外に出て、早速民家の間を擦りぬけ、山に戻る。 すうると、民家にいる数十秒で、実は40年の月日が流れており、俺の風貌はそのままだが、建物が宇宙チックになり、メンバーも学生みたいのばかりになっていた。しかし、定食は40年前と同じであった。お金も使えた。しかし、食後、変なスケルトンのプラステックの機械からチューブを取り出して、口に含んで、スイッチを入れると、歯磨きになっていた。 そこで俺は、目が覚めた。朝の5時だった。 セブンイレブン北京 350CC 北京ビール35円 エビスビール200円 コロナビール130円 アサヒスーパードライ 60円 バドワイザー90円 プジョー307は 225万円
2004.10.20
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北京に住んでいた後輩に会った。「旦那、北京ピチピチ情報週刊誌が入りやしたぜ」と北京経由社内便で何か訳の分らない情報が網羅された北京週刊誌月刊誌がおよそ数冊。 「これで大丈夫ですわ」といいながら「私の住んでいた5年前とはえらい違いですわ、ヴェヴェヴェ」と後輩は力なく笑った。 2件目、金を払おうとしたらなかった。カードもノー。彼も現金あったにはあったが1000円札1枚。彼はコンビニで金を下ろしにいった。便利な時代になったものだと感心してシングルモルトをナメテいると15分後、銀行カード事態家に忘れましたああテヘ、っといいやがる。仕方ないので、私はローソンに行き、UFJ銀行カードでカードに入れて現金を出した瞬間、右ポケットから3万円が裸で出てきた。
2004.10.19
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毎年、最近、奈良では、10月末まで、ライトアップしてるんだぜイエーイ。これはパクリの見本だぜよいっちゃん、綺麗なところは、猿沢池からみた五重の塔のライトアップだと思うんだぜイエーイ。 奈良公園には鹿ばかりがいると思ったら大間違いなんだぜ、たまには、牛、猪、猫なんかも芝生をブラブラ歩いているんだぜ。 その若草山っていうのも日本三大夜景に指定(?)されてんだぜ、ベイベィ。 神戸の小学生にとって、京都は4年生の遠足、奈良は5年生の遠足、(そして修学旅行は伊勢)という按配に相場が決まっていたが、そのせいか、神戸市民にとって奈良は、遠足で行く所、というイメージがあるのだが、数年前に特に第二阪奈道路(奈良-大阪の生駒山の下のトンネル)が出来て以来、40分程度という近さに短縮されたんだぜ、イオエイ。 だからといって頻繁に行く訳ではなんだぜベイベー。(近いのに行かない理由は、高速道路代が馬鹿にならないということをいいたいが、その前に用事がないのである) おいらが大阪で一番うまいと勝手に思っているウドンヤでココなんだぜベイベココとかココとかココとかココとかね。写真とかゼヨベイベ
2004.10.18
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今まで、極秘裏にしていた訳ではないが、2つ隣の駅に動物園がある。ずっと気になっていたのであるが、今日、ようやく出かけた。恐らく25~30年ぶりに出かけたと思う。 前回動物園に行ったのは、確か1991年か2年のバンコク動物園以来であろう。(違うかも知れない)バンコクの動物園に何故行ったのかというと、暇だったからである。 あ、ニューヨークのセントラルパークのミニ動物園には2000年に行っていることを思い出した。 まあ、話題はそれて危ない方向にいっても仕方ないので、修正主義で修正する。 実は、この動物園の道路を隔てた所にオオムを店頭に置いている喫茶店があった。小学校の時、動物園に来る前に、いつも、ここで「アホー」を連発していた。 本日、驚くべきことに、オウムがいたのである。3回ぐらい世代交代したのかも知れないと思っていたが、4,50年ぐらい生きる場合もあるようだ。富士山麓オウム鳴く(ルート5=2.2360679)。洒落にならなくなってしまった上九一式村。 子供連れか、少数の若いカップルぐらいであるが、何故か渋く男性一人というのは、私以外には見受けられなかった。自分のペースでくまなく見ることが出来、幼児~小学生時代には気がつかなかった多くのことに気がついた。 ジャガー、さすがに車になるだけあって、虎や豹より柄が美しい。 ピンクフラミンゴを映画「ピンクフラミンゴ」以来見た。 インドネシアで見たコモドオオトカゲさすがにいなかった。 インドのカルカッタ動物園にはホワイトタイガーがいたが、ここにはいなかったということを言いたいのではなく、カルカッタ動物園では、野生の鳥がやたらめったら多く、さすがに劣悪な環境で、檻にいる動物がよく、怪我口を鳥につつかれて痛ましかった。さすがにここでは、そういうことはなかったが、サイにつつかれて身が見えている光景を見てしまった。 アジアの国の田舎にいけばどこにでもいそうなヤギやロバがうろうろしていて臭いが懐かしかった。ヤギの目ははっきりいってビー玉だ。 小さな子供を連れているお母さんやお父さんのほとんどが、私より若いような気がした。 小学校1年の時にここに連れて行ってもらった同級生のお母さんも、小学校1年生ながら、えらい若いお母さんやなあと思っていた。多分、25歳ぐらいだったのかも知れない。そこの家のお父さんはかなり年長であった。もしかしたら50歳ぐらいだったのかも知れない。数年前にお亡くなりになったと母の噂で聞いた。 3歳の私が滑り台を滑っている写真の滑り台を発見。母のコメントは「まだ全然動物には興味がありません」と書いてあった。やはり30歳を越えないと興味は出てこないものかもしれない。 日中友好というが、中国に行けば、中日有効だ。入場料は大人600円であった。象の見えるカフテリアで300円でコーヒーを買って座ったら、象は、兵舎に戻る時刻となって消えてしまった。不条理であった。ぞうしてだよ。「小さな中国のお針子」みました。
2004.10.17
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今日の映画 http://www.bitters.co.jp/sanpo/ 女人禁制の英国ティーサロンの歴史、リプトン卿の生涯、ヨーロッパにもたらされたカフェ文化、サンジェルマンデプレと渋谷のカフェドゥマゴ・・・そうやって順調に忘れていってしまったが、紅茶の文献を読んだり、忘れたり、体験したり、齧ってみたりしたが、20歳の頃は、紅茶と中国茶(日本茶)が同じ葉だったとは知らなかった。 中国で、西欧人がお茶に砂糖を入れるのを始めて見て軽いカルチャーショックと眩暈をおぼえたのを覚えている。考えれば、日本人が紅茶に砂糖を入れるのと同じ感覚なのであった。 22歳の頃はもう少し賢くなった。紅茶好きの友達の家で、暇に任せて、「お茶を飲むだけでは面白くない・・・吸ってみよう」 ちなみに私は、法律に従い、18歳から36歳まで煙草を吸っていた。今は、2年程度禁煙している。いつかまた吸うつもりでいるので簡単に禁煙している。身体的精神的耐性の強い薬物から抜け出すより、煙草を辞めるのは難しいかも知れない。まあ、それは本題からそれるし、あらぬ方向に行っても仕方ないので本筋に戻す。 という訳で、我々は、マリアージュフレール、リプトン、フォション、日東紅茶、フォートナムメイソン等などのメーカーをテスティングした結果、トワイニングのプリンスオブウエールズが一番、吸い心地がいいことが判明した。匂いは正にアレである。 そして、そのことを友達に報告したのであった。一連の作業で分ったことは、お茶は飲むものであること、友達に報告すれば馬鹿にされること、決してどこにも飛ばないことが判明したのであった。但し、酸欠で意識が遠のく可能性があることも判明したのであった。 良い子の皆様も一生に一度ぐらいチャレンジしてもいいかも知れない。
2004.10.16
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3,4年ぶりにかつて住んでいる街に行った。懐かしくて行った訳でも旅愁を感じる為に行ったのでも勉学後学の為に行ったのでもなく、仕事で行ったのである(言い訳その1) そこで街は、激動の時代、高度成長期を経て、(いや、経てなかった)どう変貌を遂げたか以下に記す。 私が通っていた美容室。←健在。いつも込んでいる時を狙って行っていたのである。何故なら、気忙しくてあまり喋ってくれず、私は安眠できるというのもあるが、店員が混んでてすみませんとばかりに、マッサージを多目にしてくれるのを狙っているのであった。カットどころではない。なぬ、始から、マッサージに行けと!そりゃごもっともだ、今気がついたが遅い。 夕刻閉店間際になれば自転車で通り過ぎる私を何故通せんぼして魚を売りつける、この魚屋め!←健在。その隣の八百屋も健在。心なしか少し売り場面積が広くなった感じ。 客もいないのに「さあああいらっしゃい」を延々と連発している市場の八百屋。←市場ごと潰れて自転車置き場になっていた。野菜と魚はスーパーで買うより、専門店で買う方が安くて美味いことを学んだ。 ある空き地(一時利用として元自転車置き場)←テップネスが建っていた。エグザスは潰れてなくなっていた。東急オアシスは相変わらず元気そうに存在していた。 本屋←小さい本屋なのに、わりとまとまっていて整理がよく、少しマニアックで私もおそらく何万円も投資させていただいたであろうが、漫画が増えて、客入りは減っていた。生き残りをかけているという感じ。 私が利用していたクリーニング屋←不動産屋になっていた。 私が密かに隠れ家として(何でカクレなアカンねん)利用していたうまいカフェ←無事あった。コーヒー飲んでしまった。450円。マスターの顔忘れていたし、今日見ても思い出せなかった。 いつも利用していた古本屋←2件とも潰れていた。一件はリサイクル屋になっていた。もう一件は薬屋になっていた。 インド料理←こんなとこで営業してたらいつか潰れるでと思ってたら潰れていた。インド仕込みでやってくれとオーダーしたら本気で辛いのやってくれた。 イングリッシュパブ←こんなとこで営業してたらいつか潰れるでと思ってたら潰れていた。イギリスやベルギーの常温で飲めるビールを置いていたのに。確かにいつも客はいなかった。 まずい寿司屋←健在。シャリが隠れる程のネタを乗せたぼりゅーむたっぷりで評判だったので行ったら大味で不味かった。 ヤクザ事務所←健在。 飲み屋街←元々興亡の激しい業界。道路以外は全て変わったって感じであった。間に挟まれていたローソンもなくなっていたし、はしっこにあったディスカウント酒屋も消えていた。 ダイソー100円ショップ←消えたと思ったら、少し離れた所で売り場面積が5倍ぐらいになっていて一斉風靡していた。 駅前富士銀行と駅前三和銀行←駅前みずほ銀行と駅前UFJ銀行になっていた。結婚式場←ゴシック式のはりぼて教会に変貌。荘厳なラブホテルみたいな式場に変化していた。 ダイエー←まだあった。 私←2,3年年齢だけアドオンされただけ。今日の映画 http://www.bitters.co.jp/sanpo/
2004.10.15
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自宅近隣、百五円均一寿司屋有。但し、皿、常時回転。本日夕食予算千円、但し、麦酒四百円。故に、皿、約、六枚。 常時、一番、ウニ優先、二番、イクラ優先。但し、本日、最高美味、季節柄、鯖、光物。 皿、回転速度比例、客回転速度、高速。我、百五円寿司店内文庫本読書、前後来場客、滞在時間平均三十分。麦酒一揆一揆。 驚愕、女子高生、数名入店。我、皿枚数盗視、一人予算五百円判明。最近子供裕福感銘。男女二人組、入店。生意気女子要求回転無寿司。男子眉ハノ字型、冷汗少々。家族四人組、(否林虎江青等)子供、最初、ハンバーグ巻注文、我思う、邪道。二番、メロン、我思う、是寿司屋也、否夕張地方。
2004.10.14
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昼間に韓国映画と北朝鮮映画を1本づつ借りてきて、見始めた。見終わって分ったことは、北朝鮮映画で凡そ30分程度、私が眠っていたことと、終わる糸、まだ17時代というのに、外は夕景が綺麗で電柱の照明でさえ美しく見える短い時間があるということであった。 神戸市は、国際都市らしく、警察と高校がオンラインで結ばれており、バイクの免許を取ると同時に高校に通報、同時に停学という不幸なシステムが成り立っていた。そういうわけで、日本の法律的には16歳から自動2輪が取れる訳だが、しっかり公立高校は法律違反をしていたが、免許を取らないバイクを買わないバイクに乗せないという意味不明の3ナイ運動とかあったが、今はどうなっているのであろうか。 高校1年の時、3年の先輩は、バイクの取得に関し、家庭事情で経済的に厳しいこと(嘘)、アルバイトでバイクが必要なこと(嘘)を申し立て、学校から許可を貰って運転していたのであった。 夜間高校に行っていた中学校の同級生がバイクに乗って遊びに来た。羨ましくて、ちょっと運転させてくれと頼み、いきなりフルスロットルした瞬間にウイリーして、バイクは宙に浮き、足の上の落ち、「いてええええ」と私は叫び、「帰るわ」といって帰った。同級生は、自腹を切って、壊れたウインカーを直したそうだ(後日談) その後、無事、何もしないうちに歳月だけが流れ、18歳になり、車の運転免許まで取れるようになったが、取り敢えず、高校卒業大学試験日を過ぎてすぐに原付免許を取りにでかけた。そして直ぐにバイクを購入、すぐに50キロ以上オーバーで3ヶ月の免停になった。虐げられてきた歴史があったからであろう。
2004.10.13
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今はどうなんでしょうか。タコを飛ばすスペースというのがなくなってきたのでしょうか。私が小学生の頃は、田中角栄の下、日本列島破壊論が横行し、造成地が出来、タコとバシには快適な空間ができた訳でした。 いつしか、あめりかからスッゲエ凧がやってきて、其の名もゲイラカイトといい、日本中を一斉風靡阿鼻叫喚支離滅裂絨毯爆撃って感じで、流行に流行った(ような気がする)当時おもちゃ屋でヤッコ凧が300円ぐらいのとき、2,3倍という破格鬼畜罵詈雑言叱咤激励の値段で販売されていた。 そういった訳で、私自身も3回ぐらいしか買ったことがないが、そのうちの一つは、母の弟が買ってくれたものだ(在命中。離婚暦2回、結婚暦3回目。自衛隊所属敬虔有、恩給付将来) そいつは、通称芸名源氏名は「スカイスパイ」といい、凧に吃驚仰天天下泰平程度の大きな目玉があり、それが地上に向けてガンを飛ばすというなかなか憎めない怪力乱心馬耳東風波乱万丈な凧であった。 その凧に、母の弟(在命中。離婚暦2回、結婚暦3回目。自衛隊所属敬虔有、恩給付将来)は、窃盗団に盗まれないように大きく私の苗字を凧に書いてくれた。マジックの太字で。かなり遠くまで飛ばしても、私の苗字はしっかり読めて、結構、生き恥をさらしているようで、穴があったら入ってしまっていたところだった。 しかしながら、しっかり、それは盗まれた。家の庭に置きっぱなし放置拉致監禁楽園洗脳していただけなのに、こころない傍若無人唯我独尊君の同世代がきっと盗んだに違いない。勿論、凧青少年の私にとってはフェイタルな痛手であった。 数日後、私は手ぶらブラブラで造成地に行くと、変なゲイラカイトが飛んでいた。ちょうど私の名前の書かれていたところに、紙が貼られているのである。そんなことで私が気づかないとでも思ったのであろうか。私のIQは120を余裕で越えている程であり、EQ等は20以上はあると想像され、PQに至ってはもはやマヨネーズ並である。 子供ながらに、そんな子供だましが通用するはずがない。おまけに飛ばしている奴は、同じクラスの弟(顔は知っているが話はしたことがない)であった。はっきりいって凧を買うことができないぐらいの家であった(と今になって思う) 「それ、どないしたん」私が聞くや否や、「あ、あげるよ」といってくれた。私は、間違って「ありがとう」といってしまった。友達の弟の去る背中が悲しそうであった。 といっても子供は、残酷なので、そういうことは8秒ぐらいで忘れ、私は、凧を飛ばしていた。通常売られているタコ糸に、レース糸を継ぎ足し、200メートル以上になっていた。 そして、よくあることだが、糸は切れた。私は、走りに走り、走った距離は、2丁目の端っこから3丁目までであったので随分走った。舗装道路で、私は懸命にゲイラカイトを手繰り寄せているところであった。少しでも右に行けば電線にひっかかり、少しでも高度を下げれば、民家に突入し、少しでも左に行けば、木にひっかかり、変に落とすと、川に落ちるという絶体絶命のピンチであった。 そこにじいさんが通りがかり、そんな交通量の多い道端で凧を飛ばしているのをちっともおかしいと思ってくれずに、「にいちゃん、たこ飛ばしうまいなあ」と無責任無節操無理難題曖昧模糊な感想だけを述べて去っていった。 たぐりよせるのもあと一歩というところで、嗚呼無情にもタクシーが通り過ぎ、ボンネットに糸が絡み、再びタコ糸が延び、勿論私が無条件でタコ糸を手放さなかったので、手が糸の摩擦で切れ、遂に、糸は切れ、ゲイラカイトはガンジャマウンテンの向こうに去っていったのであった。
2004.10.12
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電車に乗っていたら、突然気がついた。恐らく、現在、小学校の集団測定では座高をもう測っていないのではないかと。 あれはどういう意味があったのであろうかと、私は、車内で30年前の屈辱に戦慄を覚えた。あの意味は、足が短い奴を割り出す以外に何の意味があったのであろうか。いや、あの身体測定を記されたカードを隠す為に存在したのか。 あのおかげで、私は、一般よりも、10センチは、足が短いことが判明した。それも小学校という子供心から気がついてしまっている。この事実を私の中で消化させるために、私はこう考えるようになった。 「人間社会はどんどん便利になっていき、だんだん歩く必要もなくなってきた。同時に考えることが多くなるので脳が大きくなり頭が大きくなっていく、それが人間の未来の姿だ、ちょうど宇宙人みたいなものだ。きっと自分は、その進化を先取りしたに過ぎない。皆、遅れているなあ」 ポジティブシンキングではないが、代償機制を働かせているだけであった。中学生に入って陸上部長距離に入部して、こう考えるようになった。 「足が短いので、人より1歩の歩幅が短いに違いない。つまり、人より足を早く回せば良い訳だ、何て簡単なんだ」何故か結果的に私はピッチ走法(ちょこまか走る)でなくストライド走法(一歩が大きい)になっていた。よく股が裂けなかったものだ。どうやら、この身体測定(身体検査)は、明治時代から行われていたもので、当初は体操の効果測定として、文部省が行っていたらしい。勿論、身体的差別を助長する訳ではないのだが、当時はしっかり迷信にとりつかれていたようである。ちまり、胃や腸などの内臓が詰まっている上半身が、よく発達しているほど、健康な体だという妄想に嵌っていあtらしい。内臓の発達を知る為に座高を測っていた。ということは、座高が高い = 内臓がよく発達している = 健康体 (= 短足)そうか・・・明治時代は、足が短い方が偉かったのか。しまったよ。明治時代に生まれてきたら良かった。生まれて来るのが早すぎたのではなく遅過ぎたのであった。 ちびまるこ世代より(1965~1970年生まれ)
2004.10.11
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何を隠そう、今月、北京に行く予定だが、本日、天安門、万里の長城に行ってきた。超高速で世界をまわったので、心地良い疲労感を覚えている。障害者の社会参加と自立を願う夢のトラベラーに俄かなってきた。(昨晩、久し振りにベルトリッチ監督Pボウルス原作の「シェリタリングスカイ」を見た。冒頭のシーンで、「ツーリストとトラベラーの違いは、ツーリストは着いた瞬間から帰る事を考えるんだ」と言ってた。ナルホド)詳しくは、こことかまたはこことか
2004.10.10
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で、その担任の先生のことをすっかり忘れていたのですが、ある合唱会の練習のため講堂にクラス全員が放課後に集まって練習していたのです。いや、正確には一人欠けていたのだす。そこに先生が現れ、その一人がいないことに気がつき、わめき、叫んだよ。「一人、いなくて、君らは平気で練習しているのか!こんなん3年4組ちゃう!」とわめき、叫び、泣いたよ。女子生徒は、皆、泣いたよ。私の前にいるK君の頬が引きつってピクピクなっているのが見えました。笑いをこらえていたよ。よく見ると、男子生徒全員が、皆、笑うのを我慢していいました。ああ、青春だなあ。各男女数人のグループに分かれて行方不明の彼を探しに出かけた。ちょっとしたグループ交際ヨロシク状態で、我々も山の中に入っていった。未確認情報として山のてっぺんの展望台のゲームセンターにいるという情報を得ていた我々は、ゆっくりゆっくり登山を談笑しながら登山しました。 そしてしっかり、その欠けている彼はギャラクシーゲームに勤しんでいました。そして我々が現れた用件を伝えると、そのまま彼を連れ戻すこともなく学校に戻ったのです。おおよそ3時間の月日は流れたものと思われます。その後の顛末は忘れましたが、その後その彼は、本物のヤッチャンになりました。私は、隠してばかりで申し訳ないのだが、とても成績優秀だったため、40人のクラスでおおよそ8番から9番目の成績優秀者でありました。私の校区では、概ねですが、クラスで3~4番目までが一番いい高校へ。4~7番ぐらいが2番目にいい高校に推薦されるわけでして、私はギリギリまで駄々をこねて2番目にいい高校を目差していましたが、いまのままではギリギッリ落選予定でありました。 3学期のある日、私は高らかに宣言しました。「3番目のところにしますよ」そのときの担任の先生の満面笑顔、今でも忘れません。
2004.10.09
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先日何故か分からないのですが、携帯電話に見知らぬ相手先から電話があり、間違って出てしまったら、中学校の同級生の自宅からで、同窓会予定聞いてますか?参加のほうはどうですかという確認の電話でした。最初はそうですねえじゃあ行きますかなんてまた適当なことを言っていたのですが、よく考えれば、そのときは、北京に行っているので不在であることを思い出し、丁重にお断りし、10年後の次回開催に参加する旨を伝え、電話をおいたね。 電波の通じにくい古本屋にいて、本を数冊小脇に抱えていた私は、しばし、感慨に耽ったのでありました。10年かもっと前に、この中学校3年同窓会に参加して、当時の担任の先生もわざわざ四国から参加して来てくれていました。既に、我々は、当時担任だった先生の年齢を超えており(先生は多分12年ぐらい年上)、先生自身も白髪一色に染まりきり、人生の疲れを見せている形相でございました。 当時はワルでもよい子でもなかった第三者的傍観者(今もだけど)徹していた無責任な私は、また無責任にもニヤニヤ不気味で不精な笑いを浮かべながら先生に先制攻撃を宣誓したのであります。「私を覚えていらっしゃいますか」「先生、最近の教育について、語り合いましょうよ」先生は言った。その話題は避けるように。「最近は難しいなあ」それで教育論議は終了しました。その間、およそ5秒。その後、風の噂で、先生は好調に校長先生になったとのことでした。 考えてみれば、今の中学生がどういう先生方なのか分からないのですが、少なくとも当時(20年ぐらい前)の先生が今出現したら、ちょっと問題になってしまうのではないかしらんという先生方もおられるのではないかと邪推しました。 体育のT 750CCに乗って通勤していたのですが、何故かマフラーが改造されてました。 体育のK 何故か女子生徒を膝の上に座らせてハーレム状態になってました。この先生に50発以上のビンタを喰らったことがあります。それも誰もいない体育教官室で。それから女子たちに私のことをホモだと言いふらす妄想狂でもありました。 技術のH 私の陸上部の顧問の先生でしたが、屁をこぐと宣言して無茶臭い屁をこぎます。授業始まりや終わりに、木槌を思いっきり下ろします。生徒への体罰がわしの楽しみやといってはばかりませんでした。 理科のE いつも棍棒をもっており、それで軽く頭を叩くのですが、「君の頭の細胞を少し殺します」といって棒を下ろしていました。 社会のH 少し頭の弱い生徒に対しても「エテ公」と呼びつけたりすぐ差別的発言を遠慮なくされる先生でした。 数学のK 卒業してからばったり町で会いました。噂どおりカツラでした。
2004.10.08
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昨日より続く 「銀の盃」ジェームズディーンが主役を断り、ポールニューマンが。「エデンのひがし」はPニューマンはジミーに主役をとられたが「傷だらけの栄光」ではその逆になった。ジミーが交通事故で死んだから。 イサムノグチの師匠はガチュオボーグラム、ラッシュモア山に顔を彫った人ね。 イサムノグチ昔見に行ったら「触って触って」と彫刻がわめくので、京都博物館の警備員の目を盗み、ナデナデした。「プレイボーイ」のヘフナーは22歳まで童貞。敬虔なメゾチストに育てられた彼は、最初この雑誌を「PRAY BOY」にしていた。 「菊と刀」のベネジクトは元詩人であり、詩作の合間に人類学をやっていた。 デビドボウイは当時つきあっていた彼の彼女(エンジェル)と結婚した。バートレイノルズは女性雑誌「コスモポリタン」の折込ヌードポスター第一号。 マニラで居候させてもらった部屋には彼のモロヌードが。家人いわく「あー、まえに、オカマが住んでいたからね~」ソフィアローレンの妹とムソリーニの息子は結婚していた。Sローレンはやたら霊感が強いらしい。友達から電話があった同窓会の誘い。当時の先生のことを思い出した。そのことは明日に続く(多分)
2004.10.07
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ちょっと、秘密めいて、中華街南京町まででかけた。平日だというわけか修学旅行生達で賑わっており、私の姿は制服軍団に埋もれていった。といってももみくちゃにされた訳でなく、中華街を抜けたチーズケーキで有名なカフェに入った。しかしながらチーズケーキは頼まず、ランチを頼んだ。北京元在住だった知人から北京重要情報(タダの遊び場)を提供してもらおうという趣旨であった。 「そりゃ、自然博物館ですぜえ」と開港一番にいっていたが、死体には興味がない。 そんなのなら、バンコクのシラリート病院の方がすごかったんじゃないのと、私は言った。 それからは普通のデイスポットナイトスポット紹介で終了、私は、思わず「インファナルアフェア2」を見に行ったが、ストーリーが1に続いて面白い面白い。思わず、家に戻ってもう1回DVDを見直してしまった。 昨日、古本を数冊購入したが、その際には、たいていいつ発行されたのか一応見るが、ちょっと古い(20年前)の文庫本だったが面白そうだったので購入。 ルイアームストリング 拳銃ぶっ放し後少年院でトランペットを教わった。ゴッドファーザー2で共演したデニーロとジェームズカーンは高校の同級生。(コレは知ってた)クラークゲーブルは総入れ歯で歯が臭く、ビビアンリーやグレースケリーに嫌われていた。ミックジャガーの初体験は「13歳の時、学校の男友達と。え、みんなそうじゃないの?」ロッドスチュワートは昔、墓堀の仕事をしていた。モンテカルロでチャップリンそっくりさん大会でこそっと本人が出場して3位になった。エリザベステーラーは夫以外と浮気したことないといいはる。(結婚は8回だっけ)ボブデイランは大学のせんせいに4文字ワードを叫び退学になった。オリビアNジョンの母の祖母はノーベル賞受賞者。(オリビアってイギリス人でした。オーストラリア人かと今日まで25年間思ってました。)明日に続く・・・(と思う)
2004.10.06
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今までずっと隠してきたわけではないが、衝撃的なことに、私の実家は、かのサマセットモームがアフレンドインニード(困った時の友人)という短編小説を書いた舞台になっている。今は、下水処理場で少し埋め立てられて見えにくくなっているが、最寄り駅から西に向かう海上に赤燈台が見える。海沿いを走る電車からも見える。海沿いを走る国道2号線からも見える。概ねこんなところだ 以上、チョウマイナー報告まで。
2004.10.05
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昨晩、osaka に出かけ、そんなに飲んだ覚えはないが、朝起きたら何故か二日酔いであった。少し頭が痛い程度なので、昼過ぎには完全復活を遂げる予定であった。しかしながら、夕刻になっても頭ガンゴンは治らない。そういえば、やたら朝方寒い思いをしていたが、上布団を出すのが面倒なので、頑張ってシカトして寝続けたのがまずかったようだ。 「しまった!二日酔いではなく、風邪であった!」と気がついた時には、もう日は落ち、ダークサイドが訪れる頃であった。もう心身の不健康を弄ぶ愉快な年齢は過ぎた。社会不適応者予備軍の予備を一体いつまで続けるおつもりなんですか。過去は、輝かしくても、惨めだ。過去の方がよかったからじゃねーよ。できれば、そうしよう。 くるりと、いきなり方向転換する自由が欲しい。この1本道が、気分だけで、また戻っていくことを許して欲しい。何フラフラしてんだ、という廻りの冷たい視線を無視させて欲しい。忘れ物した、なんて思い出したふりして、ハッとした顔を作って、元来た道を戻るか、ただひたすらに下を向いて、廻りの反応を見ないで戻っていくか。 確かに、突然、という現象は、予期されないことが起こるわけで、思わず笑ってしまう。自由はしんどい。自由はめんどくさい。高校生的ボヤキになりました。
2004.10.04
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本日、妹のフィアンセがロンドンに帰ったのですが、昨日、まあ、ラスト単なる飲み会ということで,飲んだ。 一昨日、大阪駅で、電車が遅れ12時を過ぎてもプラットフォームには人がごった返していた状況にあったようだ。大多数はご時分に漏れず酔っ払いで、一人の親父が線路に落ちた。イギリス人の彼は、条件反射的に線路に降りて、その親父を救い出した。そのとき何十人といる電車待ちの人々は、ほおという顔か無視。落ちた親父の同僚と思われるおっさんもほおという顔。当の救い出された親父も、線路上で落ちた弾みで落としたコインを探していたという。救い出された後で、イギリス人の彼をまじまじとみて「ありがとう」ときょとんとした顔をして答えたという。彼は、どうして皆が無反応だったのか不思議に思ったのだった。 くたばれ。内心思った私は寂しくなった。一応、私は答えておいた。「皆立ったまま寝てたんだ」と。 しこたま飲んで、来年ロンドンでの結婚式には駆けつけると一応約束した。ちなみに今日、従弟から電話があり、来月結婚するという。つきあってから4ヶ月目での結婚である。そんなものかな。
2004.10.03
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愛情遮断性小人症というのがあるらしい。愛情を受けていない子供が精神にみならず、肉体の成長も遅らせてしまうという病気。季節は、10月になったからというわけではないのだが、朝方、シャツ1枚では肌寒くなった。しかし日中は真夏日であり、暑かったり寒かったり寒かったり熱かったり着せ替え人形的人間状態になるだろう。昔、暑い国から帰って来た時、既に、日本は秋を迎え、成田に降りて、建物から出て、外気に触れた瞬間、「大気に冷房がかかっとる」と錯覚した。節操なく刹那的に。反抗的な弱さを露呈して、弱気を見せて負けて、下らぬ知識を発言して嫌味になり、自己嫌悪し、節度がなくなる。一種の時代錯誤的伝統的単純暴れってのがあるけれど、ただ他人を容易に傷つけるだけで終わっていてすみません。実は傷ついたフリをしている。その節度のなさというのは、後天的なもので、年々酷くなり、その場限り刹那主義立場を明らかにし、連続性を忘却している世紀末的、否、世紀末は終わったな、ナンだったかな、甘えの中で認識が欠如している訳だな、いや違うな。1、 反省しない2、 競争したくない3、 知ってる人のためには死ねないが、知らぬ人の為には死ねるかもという身勝手さ。 表面積は増えていく、消化が昇華。生のエネルギーってのが低レベルで冷めて安定した状態のはずが潜在的な部分は流動的だたりして、陳腐のあがき、方法論のうめき。あー、具体的でない、あー、ドブに釣竿垂らして何も釣れねえ~。
2004.10.01
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