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いつものように、会社に出かける。いつものように満員だが、いつものように乗る車両を変え、時々、1本早めたりずらしたりする。それで違った風景が見えるのかというと、読書しているので、二日酔い以外のときは結構早く大阪駅に着いてしまう。 ああ、花粉症の人はそうだけど、最近、インフルエンザ対策でマスクをしている人はいなくなったなあ、と思い、ワクチンも余り気味で、胡散臭い茶番劇だったなあと思う。いや、もう薬を海外から大量に買わされたからもうどうでもいいのか。しかし、それにしては、メーカーが儲かっただけで、何となく、何かに失敗して、副次的な儲けを企んでいた製薬会社だけが儲かったという感じに思えて仕方ない。 まさか、あそこまでの対策をしたから未然に防げたのだ、と煽った方は言い訳するだろうが、マスコミも謝罪もなにもない。 そういえば、アメリカなんか、ワクチン受けないと罰金だぞ、と脅かしておきながら、オバマは、娘たちにワクチン注射受けさせていないことがばれてましたね。ははは。 二酸化炭素問題も、ある程度時期が来たら、なんだったんだあれとなるような気もするが、あれは、炭素税とか空気の取引税とかで無から金を生むシステムを作るまでやっぱり頑張るのだろうか。何だか、面白かったのは、25パーセント削減とかいって、失笑を買った某国の首相だが、さすがに仕方なし二チーム6パーセントに参加していた私の勤務先でさえ、あの後、全社員一斉メールにて、チーム25パーセントには疑わしいところがあるので、今回は参加しません、と回ってきて、笑ってしまった。ちなみに、わが国の二酸化炭素排出量は4.5パーセントだが、仮に25パーセント削減できたら、スゴイねえ、全排出の1パーセントを削減できるってもんだ。これって、誤差の範囲じゃねえのか?そもそも二酸化炭素が温暖化の原因だと思う人は日本人で9割もいるのだから、マスコミの無能ぶりが発揮されているわけで、原因は分からないというのが正しいんじゃないのか。まあ、我々個人がアイドリングストーップとか、緑をチマチマ植えるとか、デンキをコマメに消すとか・・・それって、単なる節約であり、そういう意味では正しいのだが、正しいというより、節約のために進んでやっていることなのだが、温暖化防止のためにはほとんど役立たないですね。隣で、戦争でドンパチしているだけで、一挙にふっとびますわな。無駄ではないよな、節約、そんなの庶民の知恵だよな。私が冬に家でコートを着ているのは、二酸化炭素排出を阻止するためでなく、一人住まいじゃ、単にデンキガス代もったいないだけの話で、チョコチョコ花や草木を植えるのは、見ていて気持ちいいからとか、食べるためであって、酸素を増やす意図でやっているわけじゃないよな。だって、小学校の時、日が当たらないと光合成して酸素さしませんよ、二酸化炭素出しますよって習いましたよ。しかし、エコロジーは正しいし、誰も反対できないよな。そこがヤバイところだよな。ちなみにゴアはエコ長者ですね。エコの伝道師として資産2億から90億円に増やしたとか。羨ましいね。すごい燃料使う邸宅に住んでいるらしいね、いいね。 さて、すっかり、本題に入ろうとしたら、何の話かわすれてしまった次第なんで、ここで終了とします。
2010.03.31
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ギリシャ語では、1 mono (ラテン語uni )2 di(ラテン語bi )3 tri 4 tetra 5 penta 6 hexa 7 hepta 8 octa 9 nona 10 deca という。モノトーン、モノラル、ユニフォーム、ユニコーン、ユニクロとか、デュエット、デュアル、ジレンマ、バイセクシャルとか、トライアングル、トリオ、トリプル、トリコロール、トリリンガルとか、テトラポットとかペンタゴンとか、ヘキサゴン(六角形)とか、オクトパス(タコ) など、まああるが、ん?セプテンバー、オクトーバー、ノーベンバー、デッセンバーは7月、8月、9月、10月に合わないジャン、と昔から不思議に思っていたのだが、昔、西洋では1年を10ヶ月に分けていたみたいだね、それを12ヶ月にしたけど、11,12月つくったらいいのに、何故だか1月2月を新しい名前で作ってずらしたというをこと知った。何だよぞれ。まるで、小学校や中学校の授業料無料にしたらいいのに、金をばらまくという本末転倒なことと同じか?ああ、あれは、別に学校のことだけに使わなくていいよ、景気回復のために、じゃんじゃん、学校以外のところに使えや!という意図か。 それはそうと、記憶のない3歳未満の頃、私は、母の妹の家によく預けられていたみたいだが、小学校に入ると、夏休みや冬休みには、田舎の従兄弟の家に泊まりに何週間も行ったものだが、毎朝、元気に6時には起き出し、ストーブを焚いて、アニメを見るのであった。せっせせっせと、再放送のアニメなんかみて、何だかトムトジェリーとかウッドペッカーとか、ノラクロとかカリメロとかスポ根モノとか、シルバー仮面とか、何故かセサミストリートとか見ていた。そして、チラシの裏の白紙部分に、(昔は片面だけのざら版紙系の折込チラシ多かったよなあ。)オリジナル怪獣を描き、名前も適当に付けて、怪獣ゴッコなんかしたものだ。しかし、子供心に、こんな楽しいことはないのに、オトナはよくしないものだなあ。俺がオトナになっっても、まだこんなことしてたら恥ずかしいだろうなあ、でも辞められないよなあ、オトナになれんのかなあという不安感はあった。勿論、テレビアニメに関しても同じで、オトナは見ないので不思議に思っていて、このままアニメが好きなら大人になったらどうしたらいいんだと、小さく悩んではいたのだった。しかし、小学校高学年ともなると、急に、テレビアニメにも興味が薄れ、怪獣ゴッコへの興味は急速に薄れ、普通のオトナになていったのであった。たまに今漫画なんかを見る機会があれば、違った視点から、ついつい小難しく斜めに構えながら解説解読なんかしてしまうのであり、カッコイイ、勧善懲悪単純明快の世界ではなくなっていると思う。いや、もしかして、子供の頃から、子供を演じていただけなのかも知れないなとフト思うのであった。ハニートーストセットがキューティハニーと関係あるなら食べてもよいとちょっとだけ思いました。
2010.03.30
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そう霊能者に質問されたら、早とちりして、そうですと答えてしまうといけない。亡くなってもうこの世にいませんね、という意味でもあり、まだ亡くなっていませんよね生きてますよね、という意味にもとれるからだ。それでも、質問する人は、因果関係や原因を求めたり、納得したり、癒されたり、とにかく相談に乗ってもらえればそれでよし!なんでしょうかね。霊能者の質なんか本当はどうでもいいんでしょうか。明らかに自分から説明しておいて、何で分かったんですか、なんて言っている場合もあるだろう。 そういえば、最近、精神科を訪れて、鬱なんです、といいつつ、診断で、いいえ、疲れているだけですね、とか欝気味なだけで、また回復しますよというと、違うんです、鬱なんです、鬱と診断してくださいという人が増えているということを聞いた。 鬱気味なら自分のが原因だが、鬱ならこの息苦しい社会のせいにできるというものなのか。そういえば、この前読んでいた雑誌で、まだダウトな感じがするが、エコしたなあと思ったあとは、ずるいことをするという実験結果がでているとなっていた。確かに、何だか、自分自身もいいことしたら、多少悪いことしてもプラスマイナス0になるよねえ、という悪い感覚はどこかにあるような気がする。政治かもこんな不正なことしているけど、こんないいこともその代わりしているんだぜってのも結構あるような気がする。下手したら、エコしたより、もっと不正するんじゃないか、だってエコはすみませんあなたが正しいです、とひれ伏す力を持っているものですから。
2010.03.29
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10年を目処に、もう少ししたら閉館するというので、ジョンレノンミュージアムに行ってきた。 埼玉県には、まず、用事はないというか、用事を何と定義するかによるが、どこにも用事なんか作らない限りなかったわ。そうはいっても、2000年に街開きのさいたま新都心、いつのまにか、埼玉県の大宮と浦和が合体して、さいたま市と、ヒラカナ県庁所在都市となっていた。区画整理で、ありふれた、悲しい地域であった。バブル崩壊20年の間に、実に、不景気といいながら、都心も関西も都市部の再開発の目白押しで、バブル前より、主要なところは大きく変わった感じがするが、どう変わったか、というと、景気は悪い、景気を良くしよう、規模が再開発でかすぎて一社ではできない、大手が参画するが、突飛なとかスゲエというコンセプトや奇想天外やドギモを抜くような実験的建築やランドプランはできなく、意見もまとまらず、オーソドックスな成功もないが失敗もない無味乾燥な再開発地域が続々と出来上がる。特に中心にタワー、周りに低層棟、インテリジェント、ガラス張り、無味乾燥なオープンスペース・・・六本木、表参道、赤坂、汐留、丸の内、八重洲、恵比寿、豊洲東雲・・・1回行けば、もういいって感じで、別に1回もいかなくてもまあいいよ、てな感じで。私がはじめて埼玉県に行ったのが、1990年前後で、川口市で、初めてそこで、カラオケというものを歌ったんだな、異邦人。そんな訳で、川口=異邦人=キューポラのある町?という構図が何故だか出来ている。しかし、記憶は曖昧で、マニラから成田まで帰ってきた日に、チベット仲間と会い、そのまま、川口にみんなでチベット仲間の一人が骨折したというので見舞いに行ったということで、てっきり、指摘されるまで風任さんも一緒だったと、以前指摘されるまで思ってた訳だからあてにならないものだね。とにかく、まあ、そういうことはおいといて、ジョンレノンとする。私たちの世代もタイムリーではなかったが、ビートルズ含め何度も何度も聞いたのは、10代20代であり、それから、ずっと止まっている。いい曲だなあ、と思いながら無作為に100人の同世代を集めると、上位10人にはいる位聞いたかもしれないが、1位2位3位ではなかろう。ミュージアムに行き、新しい感動や知識を得たということもなく、そうだったよなあ、と懐かしげに思うだけであった。いや、イマジンの映画が公開されたときでさえ、懐かしいなと思って観に行ったような気がする。今更、だが、これだけには、誰にも負けない、ああ、そんなものがない凡人だわ。
2010.03.28
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昔、べヘイレンがあったが、ベトナム戦争から脱走したアメリカ兵をスエーデンなどに、脱出させたりしていたが、そのファーストコンタクトってどうしたのだろうか、なんか思っていたら、繁華街で、髪の毛の長いヒッピーのような奴に声をかけたことから始まったらしい。こいちは、反体制だからポリにチクらないだろう、と外見で判断したようなのである。そのヒッピーがじゃあ、とベ平連に連れて行ったということらしい。今、不良外人が助けを求めても、誰に助けを求めていいか分からないし、そんな反体制とおうか良心に従った組織さえないのではないか。 最近は、少し前まで、兵隊を集めるのが大変だったアメリカも、不景気のために、兵隊に就職する人が倍増しているようだ。医療家族ただ保険つきで、年収300万円程度でである。家族を養わなければならない、というのは、分かるが、それで、他人を殺すって、いったい何なんだろう。人を殺すぐらいだったら、もう死んじゃうよと思わないのだろうか。まあ、人種が違うからいいのか。まあ宗教が違うからいいのか。そして、多くのものが、心身に病を患ったり、犬死して帰ってくる。アメリカ最大の産業、軍需産業に乗っかって。まさか、本気でアメリカ首脳部も、アフガニスタンを制圧できるなんて思ってないはず。年間、アメリカ人一人の戦費支出は80万円超・・・ムチャやな。 そのアフガニスタンに国境を接するパキスタンの町のことを思い出した。砂埃にまみれた武器と世界有数のオピウムの安いといわれる都市、ペシャワール。 話は変わるが、商社でラオスに行っていたという人の話を学生時代に聞いた(その人は失業してトラックの運転手をしていて、オレはバイトだった)。ラオスで弾丸が飛んできて足元の砂がパンパンと上がったときには、本当に自然におしっこを漏らしたといっていた。全くの脱力で、腰が抜けてヘナヘナとその場にへたり込んでしまったといっていた。 話は変わるが、30代前半から5年間ほど、ナルコレプシーのような状態になっており、打ち合わせしていても眠くなり、会議では必ず眠ってしまい、会話中や食事中や散髪や歯の治療中にも寝てしまう状態であった。ある本を読んでいたら、商社の人で上司がいつも昼間寝ているので、まったく出来ない上司だダメだと思っていたのだが、紛争地帯に行って、車から降りると弾丸が振ってきて、腰を抜かし、早く逃げましょうと上司のほうに振り向いたら寝ていたという。この人、病気だと確信したという。それを読んで、オレも病気かもなと思ったぐらいだ。 話は戻るが、そのペシャワールの町を歩いていると、100メートルぐらい後方の車が爆発したのだが、不思議であった。びびらなかったのだ。ちょっと振り向いて、そのまままっすぐ歩いて宿に戻ったのだ。他の情報を一切遮断するどころか、感情まで全く遮断して、何もなかったように、歩いて戻ったのだ。宿までの道のり以外の情報は多分遮断され、そして、不思議と、そのときのことを詳細に覚えていないのである。今の記憶は夢のようである。何故逃げたり、逆に近寄ったり、しなかったのか、そのときどう思ったのかが全く忘れてしまっているのである。ショックを受けるので、感情と記憶が遮断されたのかも知れない。 戦場なんかに行ったらおかしくなる。徴兵されたら、絶対病気のふりする。義勇軍ならどうか分からないが、国や金持ちや経済のために死にたくないよな。
2010.03.27
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昨晩、私のナイスアドバイスを半分忠実に守って家を購入した後輩Aと、金策に走る経営者である後輩Bと、屑飲みしたのであった。 後輩Aは、家を買う必要が全く、客観的に見て、今はない。何故なら潤沢な家賃補助が会社から支出されており、15万円ぐらいの家賃のところを2,3万で暮らしていたからである。そのまま定年を迎えて、家を買うのもよし、というところなのだが、奥様というバイアスにひっかかり、奥様というトリックにひっかかり、奥様というイビリとねだりに屈し、家を買ったのである。収入というのは、可処分所得が全てであり、税金をいくらとられて、なんぼのものである。それに、家賃補助が10万円あれば、年間120万円も収入が多いということと同じである。税金0円で、家賃と食費がかからなかったら、100万円の収入で暮らせるじゃろ。 ところで、もう国に借金まみれで税金をあげるしかないのだが、税務署というのは、採りやすいところからしか取らないという法則によるので、益々、普通の人の生活は苦しくなるのである。やっぱり、いっそのこと、整備や食料品は別として、所得税や法人税廃止して、全て消費税にしてしまうのも一手であるかも知れない。所得税がなくなれば、消費税が20パーセントぐらいになっても大丈夫であるし、薄く広く、生きている人間全員から取れるのが良い。だって、税金はらってない宗教法人とか非営利団体、企業も赤字か赤字にしている企業が7割で税金払っちゃいないんだ。宗教法人の営利部分に税金をかけるとか、ヤクザとか、儲かっているのに赤字にしている会社とか、にメスを入れる勇気なんかないだろうからね。そこから税金とれたら、税収は、分からんけど、1割2割アップどころじゃないと思うけど。 それから、話は、相続や贈与の話となり、絶対、証拠は残さず、現金でもらったり払ったりせよ、というところで落ち着いたわけだ。 後輩が家を買ったからではないのだが、私も家を買おうと思い、仙台に行ったのだが、買う時間がなかったのだ。今は、仙台か札幌か福岡で買おうとは考えている。予算は大きな声では言えないが200万円だ。ははっは。将来が不安だから、つまらん自衛策を考えなあかんねん。ま、どうせ、孤独死するけどな。ま、税金は、取られても、ろくなことに使われないから、やっぱ払いたくねえよな。取られるということか・・・ペイじゃないんだよな、感覚は。
2010.03.26
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キカイダー二人最近、どんなアニメ見たか、アニメ道を眺めながら考えた。ジョージオーエルのアニメ版「動物農場」やなあ。なんとも教条的な映画だが、現在も歴史が繰り返されていることを寓話にしているオトナのアニメである。アパッチ野球軍って覚えているかな。いやはや、今じゃあ放送できないよ。選手の名前が今考えたらスゲエかった。今、ネットから拾い出すと、やくざの子供の名前が「網走」、きこりの子供の名前が「材木」、ダム工事労働者の子供の名前が「ハッパ」、その他にも「モグラ」、「コーモリ」、「モンキー」、「ダイガク」、「ダイコン」、「オケラ」、「ダニ」・・・スゲエ、これ、昔、TVアニメでやってたんだねえ。それでも、オレが、野球アニメで断然好きだったのは、アストロ球団である。魔球の数々、試合中にどんどん選手が死んでいく。男だねえ・・・。猿とびえっちゃん・・・ずっと忘れていたが、30年ぶりに、そんなアニメみたぞと思い出した。チョビン・・・ずっと忘れていたが、30年ぶりに、そんなアニメみたぞと思い出した。佐武と市捕り物控・・・これが、テレビで再放送されるおとはないいんだろうなあ。目が見えないからね。差別というのを恐れて自主規制。ロボット刑事K、そんなんあったなあ。Kは刑事か。よくある寂れ商店街、やっぱマンガの力借りた活気建て直し、失敗だなこりゃ。小学生ぶりに、シートン動物紀と呟いた三十路の春でした。
2010.03.25
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寺を訪問する。そのような人間的営みに、意味があるのか。意味があるのかどうか、別にいいんだけど、そのことを漠然としながらも、言葉、で思考するのが不思議だ。勿論、風景、音、味ででも感じるのだが、圧倒的に、意味のある言葉を成り立たせる。意味があるのか、ないのか、「だぶじぇふぃえんふぇお」とか意味のないことを、芸術でもあるまいし、羅列して表現する訳ではなく、「何故、寺に来たのか、別に意味はない」というふうに、日本語で通じるように考える。勿論、話し言葉と書き言葉は違うので、こう書いたが、頭の中では、「こんなとこまでよー、電車賃と時間かけて、やってきたけどよ、何か、意味あんの?ぁあ?」と思っているのである。 しかし、不思議なことだが、咄嗟の出来事でも、結構日本語を叫ぶ。ギャアー、とかグエエとか、アベシとか、ゲエエェ~とか、変に書き言葉ではおちょけて表現してしまうが、実際は、びっくりした!いてっ!あつぅ!ウッメー!と結構日本語を叫ぶ。どうだろう、普段、海外に住んで、例えば、アメリカに住んで、頭を不意に打ったら、普段英語を話していても、アウチ!というのだろうか、何となく、痛っ!といいそうだ。フィリピンのタガログ語では、いてっ!というのをアライ!という。日本に住みどっぷり日本にはまり、日本語ペラペラで流暢に私と話していたフィリピン人が、手を角で打って、アライ!と叫んだ。そのあと、照れながら、日本に来た時に、新井さんという名前の人がいることを知って笑ってしまいました、と苦笑いした。フィリピンでは、牛肉のことバカっていいいますよねえ、昔、日本の893が現地に行って、接待を受けてバカはどうですか食べませんか、といってしばかれたという笑い話もある。 お、なんで、こんな寺に来たのかという意味の話であった。え、そんな話だったかな。意味に生き、意味を見出し、何か分からないものを生み出してきたのも事実であるが、意味を見出せば、見出したと錯覚し、その意味を選択してしまったがゆえに、他の意味のようなものを漏らし、或いは無意識に陥れ、取捨選択しちまっている。重大な意味を隠すために、どうでもいい意味を前面に押し出しているだけかも知れない。 まあ、もうそんなことはどうでもいい。寺ブームのようなものもあるのか、みんなタイマが好きなのかしらないが、老夫婦や家族連れ、女ベックに、アベック・・・みんな楽しいのだろうか。こんなところ来て、好きなんだねえ。何故か、寺では神妙にせんとあかんのか、笑顔ではない。淡々と眺め、何か、面白いものないかなあ、という風に見えて、まあ、一応来てみてみたけれど、という感じに見えるのは何故なんだろう。 ただお母さんと、多分20代中盤の思われる姉妹の3人旅行者は、何か、楽しいそうだった。家族、お父さんほっといて3人で旅行するのが楽しいのだろう。もしかしたら、一人結婚するので最後の旅行だから、いやいや、もう娘二人とも別世帯もっているかも知れない。それでも友達のような仲良し親子姉妹、夫はさておいて、楽しく旅行でもいきましょね、そんな感じであった。そういえば、前に妹が帰国した時、オカンとおばあちゃん(90歳弱)の3世代で1週間も九州旅行に行っていた。おじいちゃんは死に、おとんは出不精、妹の旦那はとっくにイギリスに帰国、ああ楽しいね、なんだろうね。まあ、勝手にしたらいいけど、妹よ、金ぐらいだせや、と言いたい程度である。 ところで、そのタイマ寺に来ていた娘2人が、やたらオレのことを気にしているようだ。カッコイイことは分かるのだが、どう見ても、訳の分からない方向にカメラを向けているのが、ちょっと不思議に思っただけなのかも知れない。俺は空気なんだ、気にしないでくれ。フォトグラファーできないじゃないか、ちょっとそう思った夕刻であった。
2010.03.24
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最近はフウニンさんまでが走るようになって、ここは、放浪さんに習って、ハイキングでも行くか、と決心したのであった。奈良県香芝市まで、近鉄を乗り込み、二上山駅で降りる。ネットで検索すると、登山口まで2,30分近鉄沿線沿いに大阪方面に戻れという指令であった。 田舎によくある、歩くための道ではなく、歩道のない道路わきをビュンビュン、車に抜かれながら、歩いている奴なんて、私一人である。 電車に、まあ下はジーンズであるが、上着はジャージである。ジャージでの電車に乗るジャージは、20年ぶりぐらいである。慣れない姿に、誰も見てないというのに、誰も気にしていないというのに、ちょい自意識過剰になり恥ずかしいものだった。火山活動により、隆起によって凝灰岩が露、風化・浸食、ついに奇岩群となった岩山に挑む。第二次世界大戦時、防空壕をつくるため多くの朝鮮人が働き、事故で死者を出したこともあり、心霊スポットとして有名な岩山でに挑むのである。それにしても、そら大昔は、どこでも火山はあったわなあ、今、近畿地方にはない。 やっと、30分歩き、登山口を発見。結構整備されている。昨晩の調査では、なかなか、登山口が見つからず、めくら滅法に登って大変であったと書いてあったが、さて、これから大変な登山道が始まるぞ、んあて思ったら、5分もしないうちに到着。あれれ・・・。道理で、子供も来ているわけだ。連れてきたお父さんが、落ちたら死ぬぞ、といって子供をびびかしたが、子供が全然びびってないのがほほえましかった。「アイツ誰や、むっちゃ遅い」とかいうガキの100倍程度かわいいものだ、と正直思った。なんだよ。メシ食うか・・・コンビニ弁当を広げ、水を飲み、終わり。なんだ、帰ってから見ると、標高110メートルじゃん。駅に戻り、2駅先がタイマ町と分かり、どんなんか、ちょっと寄ることに決定したのであった。
2010.03.23
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タイマ駅ばあさん、GHQが来るまでの戦前はなあ、麻酔いゆうてなあ、と懐かしむ。タイマ寺まで駅から700メーター。タイマラーメン。タイマ奥。タイマ七福神。ここは、タイマ町タイマ。タイマ原酒。TAIMA。外国人にも親切。タイマ温泉。タイマ地区。タイマ小学校。タイマ幼稚園。タイマ農協。タイマ文化。タイマスポーツ。タイマチラシ。タイマ修行堂。タイマ本堂。タイマ講堂。タイマ西塔。タイマ30万円。タイマ名物土産、クサ。タイマ建設。タイマだんじり。タイマ自警団。タイマ集会所。タイマ警察。写真撮ろうかなーと思ってたら、マジメな警官が出てきた。ヤバイとっさに判断した私は、職務質問されまいと、カメラを空に向け、いい天気だな~。といった。不審そうな警官は、そのまま、爆薬でも仕掛けられないか、執拗に戸締りし、乗らないのに、パトカーが施錠されているか確認し、バイクに乗ってパトロールに出かけたのであった。見送ると、サイドミラーでまだ私のことを確認しているようだった。善良な市民を奇異の目で見るとは失礼極まりないのであった。
2010.03.22
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尼崎駅から伊丹空港行きリムジンバスの乗る。この空いている路線は駅からすぐなので、いつも使っていたのだが、ついに、あと1週間もしないうちに廃線となる。 バスのおっちゃんも、ポーターの人にぼやいていた。「だいたい、運転は空港から京都や、姫路や奈良に行って、おまけに尼崎路線つけてもらってたんだよねえ。この路線が一番楽、渋滞ないからねえ。これなくなったら、大阪梅田路線1本追加になったら、つらいなあ。残念だよ」 実際、この路線で、隣に知らない人が座ることはまずなく、今まで何十回も乗ったが、一度として渋滞に巻き込まれたことがない、お客さん超優良路線だったのだ。 しかし、本日、最後にして、高速道路で事故が有り、渋滞、迂回して下の道から行きますとアナウンスが入り、10分遅れますとのことだった。ヤバイ、チェックイン20分前にせなあかんのに、10分遅れたら間に合うか微妙だ!えらいこっちゃ、といっいる間に、12分遅れ、見事チェックインに間に合わなかった。羽田と伊丹は融通があまり利かないのだ。仙台などの地方なら泣きをいれると、13分前でも許してくれたが・・・ 次の便は、2時間後であり、急に暇になった私は、帰るか、行き先の訪問先を削るかの選択を迫られた。最近飛行機乗ってないからなあ。2ヶ月乗ってないのって、まあ、仕方ないので(何が仕方ないのであるか分からないが)、朝食を採り、何しよかなーとか何とか言っている間にすぐに2時間が経過し、機上の人となる。新聞サービスが経費節減でなくなった上に、今度は、飲み物も優良サービスになる。ここで、一挙に飲み溜めしとくかいと、寝ないように頑張るが、寝テしまう。 70分で仙台に到着、また仙台かよ、そうだ仙台だ、1年4ヶ月ぶりということで、仙台市内観光は、次便になったので、時間がなくなり中止である。しかし、どうも、機内でトイレにいけばよかったのに、トイレに行ってから何故か長蛇(3人)の券売機の列に巻き込まれ、先程の伊丹空港無料インターネットで調べた時刻表通りに、いきなり乗り遅れてしまう。改札通ると、ドアが閉まったのだ。確か、仙台空港駅電車開通2周年だか3周年だかで、ちょっとイベントチックに混んでたんだよねえ。何も、私が来る時にわざわざやらなくてもいいのに・・・私が行くと決めたのは昨日だけど・・・本当は2週間前に行く予定が歯が痛くて中止したんだよ、オレ都合だよ、バロー。 そんな訳で、仙台駅まで快速17分(普通電車は23分)、そこからはるばる石巻駅まで65分ぐらいなのであった。そこには、イシノマキショウタロー博物館への道があり、まあ、入る予定はなかったのだが、非常に珍しくも腹痛をもよおし、非常にやばい状態になりながら、博物館のトイレまでなんとか持たせるしかないと、青ざめた顔をしながら、小走りに進み、007の制服を着たおねえちゃんに笑顔で迎えれながらも私の切羽詰った顔を見ながら少したじろぎ、急いで入場料を払い、トイレに駆け込んだのであった。もしかしたら、私の青ざめた顔をみてじゃなく、中年のおっさんが一人で、スゴイ勢いで入ってきたので、彼女が青ざめただけかも知れないのだが。 まあ、そんな訳で、スッキリして、家路についたのであった。勿論、お決まりのズンダシェイクを空港で買ってである。終わり。
2010.03.21
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死なないとすればどうすればいいのだ。 死なないことが確約されたとしても、いろいろある。今のまま、年をとる、感覚がある・・・最終、地球の最後は太陽に飲み込まれて終わるんだが、生物が何もない中、熱さを感じずに、火の中に揉まれ、炎以外に何も見えない、ソレがさらに永遠に続く。そら死にたくなるわ。年をとって、700歳ぐらいになれば、歯はないどころか、手足も動きそうにない。年をとらず、病気にもならず、今のままで、死なないと言うことは、食べることに心配することがないということで、あと、暑さ寒さはどうなるんだ。病気も怪我もない、あるいは一瞬で回復する、どうなんだよ。全人類がいなくなって、一人になって、暇だな。歴史を見続けて、昔の話をすると、それはうそだ、妄想だ、危険な奴だと排除される。死なないなら、世界征服も出来るか。だいたい生きる目標ももともとないけど、更になくなるし、期限もないので、いつかやればいいやって思うので、いつまでも成就できないかもね。死なないとすれば、死にたくなるね。終わりがあってよかったね。前世、来世、因縁、確信の持てないことに思いをめぐらすのは、楽しいかも知れないし、現実逃避して楽チンかも知れないが、本当に実在するかどうか思考の野穴ででっち上げているに過ぎないよな。経験したことしか分からないのだよね。ま、経験したと勘違いするのも経験か。
2010.03.20
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私もハルじさんの真似をして、副業でなく、本業の業界用語を集めてみた。全然関係ないけど、トヨタがアメリカでバッシングして、日本のマスコミが、何故、大声で反論しないのか、ふと思いついたんだけど、当然、トヨタは日本を代表する大企業で、マスコミの最上級クライアントであるから、今までどんな不祥事でも理不尽でも、おおっぴらに批判することもなかったわけで、それが外から批判されたので、今までのうっぷんで、あからさまには批判できないとしても、ザマミロ的に静観しているのかも知れないねえ。 ドミ(トリー)・・・一部屋にベッドがいっぱいあるプライバシーはないが、1泊を安く過ごせるホテル。それでも、学生時代が最後でしたね。昼間は誰も居なくて、荷物をまさぐられたり、昼間は誰も居なくて合体しているツワモノもいますね。 ノーショウ・・・飛行機予約をしていながら空港に現れない人。いっぱい出てきて欲しいわけよ。ま、私も何回かやったけどね。沈没・・・予定外に、意味なく長期滞在すること。期間はどのぐらいでしょうかね。また、重要なのは、意味なくですね。ビーチ以外で1週間以上意味なく滞在したって、どこかな、バンコク、カトマンドう、ポカラ、ペシャワール、デリー、カルカッタ、マニラ、ラサ・・・働いてからって意外と意味なく1週間近くいたのが、明日こそオーロラ見るぞ、でも飲んでるし寒いし外に出られないの北極圏かも知れません。今は、外篭りともいう。空港コードと航空会社コード・・・最近は、オレにはコレが重要なのが変といえば、と変です。 オーシャンビュー、オーシャンフロント違い分かる? セキュリティチェック・・・イスラエルが最も厳しいとか。目指します。国際学生証・・・バンコクではヨーロッパのおっさんらが作ってたよね。・・・アメリカンブレックファースト、コンチネンタルブレックファーストアメリカンのほうが豪華です。日常生活では、朝飯食べないのに、旅行では優雅なひと時になるのが不思議です。旅社・招待所・飯店・酒店・・・死んだ・・・ アライバルビザ・・・ オーバーブッキング・・・ アイル・・・トイレに行きやすいか、写真を撮りたいかイエローカード・・・日本人宿・・・海外にある日本人の溜まり場的宿。基本的に、近寄らない。一服つけますか・・・意味は良く分からない・・・意外にいける企画と思ったけど、けっこう、つまんなかった、ははは。やーめた。
2010.03.19
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その夜、バンコクは、ジュライホテルで、シンハビールを飲み、1瓶でほろ酔いである。ラジカセからは、シューベルトが流れる。アユタヤから75キロ+バンコク市内のα。 思えば、10時間前、真剣に怒っていた。「この野郎!早く進め!この軟弱な足と、ボロ自転車め!ボロ負けやないかあ!」と。アユタヤまでの自転車キコキコを終え、遂にバンコク首都への入城となる日が来たというのに。6時半にアユタヤを出てから3時間。休みもしないのに、向かい風のせいで15キロしか進んでいない。歩いても10キロ近くは進むというのに、これでは、自転車ででも歩く1.5倍のスピードしか出ていないということだ。しかし、毎日、ペダルが重く、進まず、自転車でノー天気にタイを縦断縦断ランランランという当初の目的はどこかに行き、修行というかヤケクソでマイナス思考で毎日走っているだけである。さすがに1週間走っていると、随分、体力というか慣れは確実にやってきて、筋肉痛などの肉体的なことは問題なくなってきている。ただ、何やってんだ、俺、という意識と、ただペダルをこいでいる中で、あと何キロかということと、情けなくも過去の楽しかった思い出だけが頭の中を駆け巡る。いや、楽しくなかった思い出も、思い出になれば装飾され美しく思えた。 やがて、バンコクにはいるのは車両通行料のようなものがかかるのか、高速道路なのか、料金所が見え、料金所の前で立ち止まり、自転車はどうなんだと躊躇した。係員は、手で行け行けと笑いながら、チョット待てと、水をくれた。 出発から6時間、ドンムアン国際空港の前を通り過ぎる。交通量が増え出した。バスも増え、側道のない危険な状態の中、トロトロ進む。ここから先は、知った道だ。風は止んだが、足が動かず、気がついた。メシ食うの忘れてた、と。いや自転車の前カゴに乗せてあるラジカセから流れる選曲(ドアーズのクリスタルシップ)が悪いのかも知れない。そのうち、やたら警官が多くなり、検問が多くなり、道路の両脇にタイとイギリスの国旗が交互になびいている。誰かイギリスからVIPが来るのか、しかし、やたら、検問されても、困るのだが。(後でサッチャーが来たことを知る) 空港から25キロが、やたら交通量が多く、バスが何度も間近を通り危険で、何度も自転車を、平坦な道だと言うのに押している。北バスターミナルを越える辺りから道も複雑になり、歩道が出来ても人が多く、結局車道を歩き、ようやく、戦勝記念塔が見えた。「あ・・・・・・。みえた・・・・」そう思うのがやっとであった。人とバイクと車で、見渡すと、自転車の人がいない。田舎ばかりを巡ってきたので、都会の狂気と喧騒と坩堝にもまれて、17時20分、ジュライホテルに到着。フロントまで、自転車に乗っていき、格好良くキキキーと止まってみたものの、フロントの人は、チラリと見ただけであった。 本日は、11時間の自転車の走りの中、休息4回、ジュース5本、水4リットル、パンク1回。汗にどんどん出すので、不衛生な水も飲んでいるのに、腹を壊すこともなかったな。 2時間ほどして、前の屋台で飯を食い、人の流れを、涼しい中、ぼーっと見て、噴水前で喧騒の中のゆとりを感じたのであった。明日、朝早く起きる必要はもうなかった。
2010.03.18
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気高く高慢、思慮深く慎重かつ優柔不断かつ臆病、穏やかかつ頼りない、可憐で貧相、のんびりのろま、親切でkでかつおせっかい、積極的目立ちたがり、マジメで堅物、控えめで消極的、ユニークで変人、粘り強く諦めが悪い、勇気ある無謀、辛抱強くしつこい、活発で落ち着きがなく、理想主義的で現実逃避、動じない性格にて鈍感・・・物事にはマイナスとプラスがあり、自己都合により、状況により評価を変えて表現する。ところで、男って、逞しいとか渋いとか女々しいとかいうのが、大体使われるが、女性が清楚とか才媛とか愛嬌とか使われ歴史的に女性に求められる姿であったが、男性の場合は、逞しくない奴、渋くない奴、女々しくない奴が少ないからか、女々しいっておんなおんなと書きながら、女々しいのは女性特質というより男性特質のような気はするのだが。まあ、姦しいは、女性のほうがその傾向あるとは思うんだけど、まあ、それも人によるか。ところで、思うのだが、99パーセントの人は、才能も根性もないと思うんだけど。見込みがないから、アピールするしかない。お前は何が向いているのか、というのは、何年もやってみないと分からない。オマエに出来ることというのはあるかも知れないが。 とっころで、ハルジ氏のほうが詳しいが、0のことを英語でもZEROというよねえ。というかZEROからゼロが来てるわね。レイか。でも、日本では部屋番号を101号室なら、イチマルイチ号室というねえ。ひゃくいちごうしつとも言うかも知れないが、イチゼロイチ号室とかイチレイイチ号室って言わないよねえ。0がマルに例えられているんだねえ。英語でもそうだよねえ、海外でホテルに泊まったら、ワンゼロワン号室とは言わないものなあ。ワンオーワンだよねえ。007をダブルオーセブンというのと同じように。そのくせ4桁になると1001号室はテンワン(かテンオーワン?)とかいうよね?アレ言わないか?1234号室なら、ツエルブサーティフォー号室だよねえ。ん?でも試合で1対0なら、我々は、イチゼロっていうよねえ。なかなかレイっていわないよなあ。そのくせ、英語はたちがわるくワンナッシングだろ。ないのかよ~。まあ、ワンオーもいそうだけど。そう考えたら、英語の国でゼロをいう人は少なく、日本は、結構零(レイ)を使わず英語のゼロを使っているよな気もするねえ。どうでもいっか。高校のとき岩波かなんかで0の発見という本を読んだ時には、インドってスゲエ国だったんだなあ、と感心した次第である。サンスクリット語でシューニアって言うんだけど、何だか、ウルドゥ語(パキスタン)のありがとうの意味シェクレアーに似てるな、あ、似てない。ちなみにこの言葉は現地パキスタンで覚えた言葉ではなく、パキスタン航空の機内放送で覚えたんだよね。
2010.03.17
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黄色枠は、学校の帰りについつい寄って買い食い居したり、ゲームしてしまうブリキ屋ないじゃん。青色枠は、友達(あだ名血豆)が学校の給食のコッペパンがキライで、この家の犬に毎日こそっと与えていた。あ、看板だけ残っている。この横に車輪を溝に落とした車を、皆で持ち上げて助けたこともある。あの電信柱は昔木製で、れれれのおじさんの落書があり、毎日、友達(東大卒)と見て笑っていた。あれ、オレの影がレレレになっとう。フナ釣りをよくやった。友達(あだ名シモヤシ)が足を滑らせて頭から池に落ちた。公民館。ここには図書館を併設されており、母が何か買い付け係になっており、勝手にいっぱい、科学漫画を買ってもらった。私が読んでから納品である。昔は、アヒルが何匹かいたんですが、誰か食ったんでしょうか。ゲートボール場は比較的新しいです。20年ぐらいしかたっていないのでしょうか。一時期、金魚すくい屋がオープンされており、そりゃ、わしらはハマッタ。10円だが、紙が分厚くなかなか破れないのは30円であった。友達(あだ名ソーヤン)は金魚すくいが上手でした。公園でどれだけ遊んだか。昔はジャングルジムから落下し、ブランコから立ち飛びして、前の柵に激突、鉄棒で失敗、頭から落下、公園は危険なところであった。パーマ屋や酒屋や米屋は消え、クリーニング屋だけがかろうじて残っている。酒屋のおっちゃんのトラックに免許取立てほやほやの私は激突しました、すみません。黄色枠はドケチ屋といわれていた雑貨屋さんであるが、建物自体消滅。子供が遣いに来ると、つり銭を10円20円誤魔化すという噂があった。ドケチヤーと叫ぶと、車で追い掛け回されたこともある。水色枠のところの家は電車事故で子供がなくなったのに、勝手に自殺扱いされました。家はもうなくなってます。ゴマダラカミキリが取れる場所でした。この奥で、戦争ゲームをよくやりました。泥を投げあうのですが、時々、石を投げて怪我します。特に友達(あだ名サルキチ)は格好の標的となっていました。港運関係の人たちの社宅が多く立ち並び、結構、血の気の多い人たちが多かった気がします。そのせいか、息子である友達たち(あだ名、シンパチ、カンボジア、サルイチなど)も結構血の気盛んでした。ザリガニ釣りにやってきた沼地。約100回は来ている。山道に1軒だけ家がポツンとあり、友達(あだ名ナラヤン)一家が住んでいたが、家自体なくなっていた。少年の町から学校に通ってくる子供たちは多かった。これはシラナンダ。この集合住宅には、友達たち(あだ名ウラッコ、ニブウチ、タクチャン、ミンチ、テッチャン、ハリケンポリマー)が住んでいた。小学校1年のとき、異常にウラッコの母が若かったのがオカシイと思っていたが、今は理由も分かった。(逆に、おばあちゃんと入学式来ていると思った人もいた)何せ、結婚は、全員同じ年にするのかと思っていたのだった。考えれば、海も山も近かったんだなあ。あ、かんがえてないけど。かえろ。
2010.03.16
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仕事を早々に終えた私は、交通のしくみを勉強するために、ちょっと、交通パークに寄ってみた。しかし、交通標識があるだけで、子供たちが遊んでいるだけで、子どもも交通ルールを守ろうとか、親も交通安全指導とかするといった雰囲気は全くなく、余ったものなのか、天下り業者を通じて買った高い高い標識や信号機なんかを、これでもか、と置いているだけの、なにやら意味の分からない公園であった。 あまり、面白くねえな、と15分ほどブラブラしてみるものの、まあ、交通の勉強したかあという気になった気分に無理矢理して、140キロで家路に向かったが、スピード違反でなくて、右折禁止で捕まった。1年ほど前に奈良県で仕事中に駐車禁止取られて以来振りである。(それ以来、仕事中は、5分停車でも、パーキングを探す用意周到さである) 一応、なんで入る手前で右折禁止と腕をバツ印しなかったのか、問うのだが、ゴニャゴニャ言い訳しており、まあ、交通安全より、ノルマが大変やからなあ、と警官の肩を叩くのであった。オレも大人になったが、今日は、ただ働きみたいなものだな、フッ(涙ダダ漏れ)。
2010.03.15
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駅で電車を待つ。この駅は、海水浴場まで駅から0歩という近さ。(階段を下りると、砂)駅前のしろちゃん、高校のとき、何度もお世話になったが、うまかったかとか、どんなメニューがあったかとかは覚えていない。駅を降りると、いきなり魚屋なのでが、まだ健在であった。夜中、塾の帰りに、インベーダーゲームを100円だけ、よくした喫茶店はなくなっている。同級生の友達(あだ名、シモカツトンカツ)の米屋はなくなっておった。豆腐屋のおちゃんは、まだ居た。この人は、いつも、片手を車外に出し鐘を鳴らしながら町中を売り走っていた人なので、地元では、多分、有名人だろう。散髪屋はあった。働いてから1度行くと、ちょうど死の山寄進撮影宮沢理恵のサンタフェが出版されたときで、おさんが、後ろでうわ、とかおおっとか言っていて、散髪されている私は振り向いて覗き込むことができなくて、ほんのチョッピリ悔しい思いをしたのだが、まだあった。黄色枠のおじさんは、関西でも有名な画家なのでが、毎日、昼間から公園でプラプラしているおっさんだったので、この人はなんだろう、と子供心に思っていたものだ。水色枠は、昔病院で、妹が生まれたところ。もしかして、隣だったかもしれないが、妹生まれたぞと、この前で車の中で聞かされた記憶が多分一番古い記憶のひとつ(3歳)あの橋の下で遊んでいるところを友達(あだ名キノピー)の親父に見つかり、翌日キノピーに、おまえらと今後遊ぶなと親父に言われたわ、と言われた。黄色枠、オープンした時のコロッケ30円、30年後の今日70円であった。水色枠、寿司屋であったが、初めて、行った寿司屋であったが、私に説教を垂れたからであろうか、今はもうない。釣具店もなくなっていた。息子がオウムに入って家庭崩壊したという噂を聞いてはいたが・・・20歳の頃、中学同級生で、一番早く亡くなってしまった子の家はもうない。インドから帰ってきた日、もう、便意をもよおし、どうしようもなくなった場所。小学校の時は、まっすぐ家に帰らず、道が有れば、その先どうなってんだろうと、どこにでも、道草していったものだわ。母校の小学校だが、黄色枠の建物はまだなかった。小学校1年のときに開校100周年。あの建物の場所には100周年を記念して、ジャイアントスライダーと呼ばれる滑り台が設置されたのだが、潰されたのだな。小学校運動場の横の黄色枠部分は、昔、養鶏場であった。そのため運動場は臭かった。そして、野球などしたらボールが養鶏場に飛んでいく、そのたびに臭い思いをして取りに行くので、誰も本気でかっ飛ばすことができなかった次第であった。黄色枠は喫茶店だったのだが、なくなっておる。水色枠のところに、プールがあったのですが、なくなってます。黄色枠はサンヨーの研究所であり、一度火事になった。水色枠のところには明治時代西洋人たちの別荘の立ち並んでいたジエームズ山。おお、まだ残っていた、小学校の蜂の巣校舎。小学校2年~4年を過ごした陰気な校舎。上のマンションに住んでいた友達(あだ名ウラッコ)が、犬が自分のしたウンコを食べてるのを目撃した階段。小学校の前の家に住むおばあちゃんの家が、幽霊屋敷だという噂が広まり、大挙して押しかけて、翌日学校にクレームが入り、全体集会で怒られた次第。私の通った幼稚園。当時は、普通、皆、送り迎えはなく、皆、勝手に幼稚園に来て、適当に帰っていた。私の通った幼稚園。先生とは何故か年賀状のやり取りが続く。当時から寂れ気味だった中野センター。ここに、相模スキンの自動販売機がり、友達(あだ名ジュリー)と、コレ何の自動販売機やろと、話し合っており、道行く人がチラチラ見ながら通り過ぎて言ったのであった。もう3軒しか入っていなかった。ネコも入れない
2010.03.14
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タイ自転車縦断 アントンにいたら、今の私ならここに行ったであろう。 22年前の8月のある日、その日の17時、私は、本日10時間半で94キロ、自転車で進み、アントンという町に到着。昨日の高熱は若干残ってはいるが、目玉の痛みは残っている。ランニング姿で走っているので、もう、日焼けで、肩や背中の皮がズルズル向け状態であった。適当なホテルを探すと、受付の女の子3人が、その皮を見て、笑い転げ、嬉しそうに、むかせて剥かせて!と勝手にむしってくれるのであった。市場を少しぶらついてホテル前で、暇そうな従業員が蹴鞠をしていたので、混ぜてもらった。部屋に戻り、無駄なことの愉しみを天井のくるくる回る扇風機を見ながら思う。部屋から何故か強制的にスピーカーからの音楽でうっとうしいが、21時には眠ってしまう。いつもの6時半に起床。アユタヤまでたったの32キロ。先日は、8時に小学校前を通りがかり、国歌が流れ、私も校門前で何故か運動場にいる生徒たち同様に、国歌が終わるまで直立不動にしていたが、その横の車も停まっていたのだが、今日はそういうのもなく、快調に飛ばすといいたいところだが、もう随分前に山岳地帯は通り過ぎたのに、おっちゃん豆腐屋自転車は喜々として進まない。やはり、荷物が35キロというのが悪いのか。おまけに、トラックが30センチ横を暴走して抜かして行ったときに、麦藁帽子がフワフワと後方に飛んでいった。その後、ノロノロのトラックが通ったので、片手で後ろの荷台の端を持ち、引っ張ってもらった。土方のおっさんたちと昼飯。 時速10キロで3時間で到着する予定が、休みもとらなかったというのに、4時間かかり、11時頃にやっとアユタヤに到着。宿に入る、イモリがなく。1に才能、2に頭の良さ、それがあって3の根性が花開く・・・だよな・・・3時間昼寝。 その後、仕方ない、遺跡でも見に行くかと、自転車を出すと、空荷の何とペダルの軽いことか、そういえば、ずっと35キロの子供を乗せてやってきたんだ。スイスイ進みすぎてハッピー度が増し、道順もあったものじゃない、遺跡が見える方向へ適当に進み、入場料20バーツに驚き、遺跡見学はやめ、4,5箇所の郊外遺跡を止まらず、一人、ヒュンヒュン、言いながら一人ニコヤカに走り去り、スコールになり、雨宿り。 ホテルに戻り、ホテルの人と話をしていると、雨が止み、再び自転車を出してみる。意味なく、川の流れを見ていると、船着場にいかにも日本人です3人組青年が現れ、メシを食った。久しぶりにタイカレー。彼らは青学のアイセック所属とのことで、彼らと比べると、かなり、自分が汚れているというか土化している気がした。彼らはいい奴らだった。いい奴らなのに、その純朴な奴らなのに、アイセックなんか入って理想高くいい青年たちだったのに、バミューダズボンにポーチベルトに手にカメラ・・・そういう私が失ったものが、懐かしかった?いやその理想主義が痛かった・・・いや、その清潔感が鬱陶しかった?・・・何かに嫉妬したのだろう、羨ましさなんかないのに。夜、外に出たら、ポンビキが声をかけてくる。今度アユタヤにいたら、今の私ならここに行ったであろう。
2010.03.13
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下着なら別として、ズボンなんかどうよ、それは体型が変わっていないということよ。幸いにも、学生時代より7,8キロ増えているようだが、どうやら去年1年で2,3キロ体重が増えた。増えたが、体重計には乗らないし、2,3キロなら気がつかないという性である。例えれば、髪の毛が薄くなってきたとしても、だんだん薄くなるから本人はさほど気がつかない。でも久しぶりに会った知り合いはその変化に気がつく。本人は、髪が減ってきたから、横に流しておくか、なんとかカンとか言っているうちに、無敵のバーコード親父になっているのかも知れない。 ところで、まだ自分の細胞の数は何十兆もいるので数えたことはないが、体重の5パーセントを占めるそうで、結構な重さである。でもいなくなったら、免疫低下してすぐ死んでしまうのだろうね。まあ、それはそうと、腹は出ていないので、幸いにも20年前のジーンズもまだ履けるのである。しかし、ジーンズも、10年を越すと、膝や尻の部分が破れてくるねん。 まあ、それはそうと、霊的なことって信じるかどうかは、まあいいんだけど、今のところ、幽霊も、国境の壁に阻まれているのだろうか。タイの霊的なピーとか、イリアンジャヤのンバンギとか、日本まで来ないねえ。それに、外国で不意に死んじゃったら、何で自国に遺骨なりを持って帰るのかねえ。残された人が祭りたいからなんだろうか。まあ、持って帰ってあげたいという気持ちも分かるんだけど、やっぱ異国の地では霊として祀られないからでしょうか。 そういえば、過労死という言葉も、寿司とか津波とか山葵のように、日本語がそのままの言葉で使われているということだが、本当かどうだか知らないけれど、それより発展途上国の労働者は365日休みなし保証なし朝から深夜まで休みなしと奴隷のように働かされている人や子供もまでいっぱいいるのだが、その貧困者の人たちの過労死は、日本の目じゃないくらいのはずで、統計に表れなくて、日本ってそこまで働いてないよね、といえるかも知れないね。
2010.03.12
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切る・・・切った 着る・・・着た 来る・・・来た 繰る・・・繰った 何故切たでないのですか、何故着ったではないのですか、くるが何故過去形できたですか。クタじゃダメですか。クッタでもだめですか? 昔、海外で知り合った日本語を真剣に学ぶ外国人の質問に、感覚的に使っているので全く論理的、或いは法則的に説明は出来なかった。来るという単語は、例外の単語ということは言えるのだが。 私はコレ。コレは私。私がコレ。コレが私。は、と、が、はどう使い分けるのですか。 昔、海外で知り合った日本語を真剣に学ぶ外国人の質問に、とにをは、は感覚的に使っているので、ニュアンスの違いは説明できても、全く論理的、或いは法則的に説明は出来なかった。 学級の女子たちが大変うるさかったんですよ。おわりの会で立たされてカンニングのこと反省させられました。 海外で知り合った小学生まで日本にいた日本語を巧みに操る外国人の話す内容が、小学校のことと、言葉が子供言葉のままで、いい年したおっちゃんが、僕はとか宿題とか言っていて、記憶力いいなあと同時に、そこで日本語と日本が止まっていることに驚いたものだ。 最近、体力的に年取ったなあとかいうのはまだないけれど、歯並びが悪くなってきたなあ、歯がすいてきたなあ、カクンぐらいだが、その他として街を歩いていて年をとったなあと思うのは、全然キャッチに会わなくなってしまったことだ。立派な紳士に見えてしまうのは仕方ないとしても、10代20代は、宝石、絵画、宗教、自己啓発、英会話、洗脳・・・自称街の無防備君に相応しく、ありとあらゆる路上キャッチが簡単に人のよさそうな私に声をかけてきてくれたものだ。それを真摯に答える私、そしてにこやかに相手をケチョンケチョンに穏やかに諭す、或いは、にこやかに、途中から無言で去っていくか、禁治産者や精神に異常をきたしたふりをして遊ぶとかしていたが、悲しいかな誰も声をかけてくれない。奇しくも高校生までは、同じ学校の女子高生たちから噛みつかれそうで怖いといわれていたのに、また中年になって、オイオマエ声かけるなよ、という狼のようになってしまったのだろうか。いいや、そんなことはない。なぜなら、実は今でも、街中を歩いていると、男だけでなく、女性も、外国人も、私に結構道を聞いてくるのだ。こんなけ人が歩いているというのにだ。別に遠くから目が合っている訳ではないのにである。先日も香港人か台湾人の20歳ぐらいの女性旅行者に大阪駅前で道を聞かれたし、そのチョット前も京橋駅の自動販売機前で西洋人おっさん集団に心斎橋までどうやって行くのか聞かれた。俺を狙い撃ちである。ということは、やっぱり、キャッチの人らにとっては、偉大なる声をかけにくい(カモになりにくい)中年になったということなんだろうな。
2010.03.11
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私が見た中で一番の肥満の人は、ニューヨークのタワーレコードでのレジ係りの女性だ。あれでは動けまいという感じの女性で、そこに大きな岩山がある、下からその山を見上げると、頂上にチョコンと何か顔のようなものがオマケのようについているのだった。おそらく、超肥満の上に、体と顔の大きさのバランスが恐ろしく欠いていたのであろう。初めてアメリカに来て、チョーびびったことの3の一つであり、あとの二つは、MOMA(近代美術館)の美術品を運ぶためのエレベータの馬鹿でかさ、確か10メートル四方以上の大きさはあったと思うが、どんな巨大な作品でも運べまっせということと、偏見もあるのだが、黒人が働いていたということであった。それにしても、ニューヨークはいろんなところから集まってきているので、到着した日から道を尋ねられるのだが、一見、いつからいるのか、住んでいるのだか旅行者だか分からず、職業も何をやっているか分からない人々が多いのも確かだ。考えれば、日本人も職業の格付けが好きだわな。家、者、人、師、士、とかつくような専門職は人気あるよね、医者、弁護士、建築家、看護師、とりわけ現在人気あるのは、役人だね。まあ、私も旅行家、詩人、トイモイ博士、散歩者、素人マッサージ師ではあるが、どれも、金にならないところが、いや金を撒き散らして収支が合っていないところが、言わば、つらいところではる。 まあ、そうやって名前がついても、飯食える写真家や書道家、芸能人、文士、美容師とか、経営者とか人気がでないとなかなか辛いところではあるよね。難しい試験を突破した弁護士でもイソ弁じゃあ、知れているし、公認会計士、土地家屋調査士も会社員のままであれば収入はたいしたことないし、かといってクライアントを自力で確保できるわけではない。医者もなるまでに基本金かかるし。そういえば、去年の東大の入学式に生徒の倍の親が参加してたね。恥ずかしくないか?恥ずかしくないから参加してんだ。安藤忠雄は祝辞でそのことをたしなめたけど、誰も聞いてなかったんだろうな。反面、大物とか大御所とか世界のとか言われるのは、本人も恥ずかしいよね。 しかし、幸福とお金とは相関関係はない。勿論、最低限のお金はないといけないけど。何度も書いているけど、フィリピンより幸福度が低い日本人であるが、幸福と不幸を羅列したら、既に持っているものが多ければ多いほど、さらに、持ちたいと思い、さらに、人間関係希薄というか・・・人間同士のつながりがなくなってきているから・・・ああ、もうやめよ。
2010.03.10
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ここ2,3年の旅行先選択方法ですが、最近は、行ったことのない国に行きたい病にはまっているので、どこからどこへ飛んでいるのか、空港のホームページを見て、出発着陸をチェックすることから始まるというシステムであり、空港コードを調べながらも、どの飛行機がどこに飛んでいるのか調べるシステムであり、そのあと、ビザの必要性の有無を調べるのシステムである。年末リストアンマンAMMヨルダン・イスタンブールISTトルコ・ウィーンWIE・エルサレムJSHイスラエル・カサブランカCAS CMNモロッコ・キエフIEV KBPウクライナ・クラフクKRKポーランド・グアムGUM・ケアンズCNSオーストラリア・コペンハーゲンCPH・コロンボCMBスリランカ・ザグレブZAGクロアチア・サンパウロGRUブラジル・スコピエSKPマケドニア・ソフィアSOFブルガリア・タンジェTNGモロッコ・チェニスTUNチェニジア・チューリヒZRHスイス・ティラナTIAアルバニア・テルアビブTLVイスラエル・ドバイDXBアラブ首長国連邦・ブカレストOTPルーマニア・ブリスベンBNEオーストラリア・フィジーNANブ・エイノスアイレスEZE 国内線APEアルゼンチン・ベオグラードBEGセルビア・ベイルートBEYレバノン・ポートモレスビーPOMパプアニューギニア・モンテネビオMDVウルグアイ・リオデジャネイロGIGブラジル・ローマFCOイタリア・ワルシャワWAWポーランドこんなそんなで、今度の狙い目コースが随分明かされた気がしますね。ははは。あ、一貫性ない?ははは。ところで、サウスウエスト航空の話がこの前出てきたけど、911で業績悪化で軒並みレイオフし続けたアメリカ航空業界だが、サウスウエストだけは首切りしなかった。国内線に特化し、燃料を先物で安く確保したりという努力で、唯一今、大幅黒字を挙げる優秀な航空会社であるね。しかし、儲かっている映画監督ならビジネスクラス以上乗って欲しいねえ。
2010.03.09
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先日、久しぶりにいっちょ、飛行機にでも乗って、うろうろ散歩道(さんぽどう)をまい進しようかとは思ったが歯痛のために、急遽取りやめ、家に一日中、ネットしたり本読んだり、本を読んだりネットをしたり、久しぶりにDVD2本借りて映画見たり、その1本が前にも見た奴だったりして、正月以来初めて一日中篭っていた。夢の生活である、隠居である。しかし、1日で飽きる。自分の中で、家に篭り、ネットサーフィンして、各国の空港情報とか旅行情報集めて、紙上旅行部実行部隊になって、わけの分からん本を読んで、疲れたら別の本を読んで、そうだ、掃除をしようとか洗物をしようとか思いつかず、洗濯は明日でいいや、と思い、悪いのは社会のせいだ世間のせいだと呪ってみてばかりでは怨嗟ばかりでは嘲笑ばかりでは不健全というか、1日以上続けば多分暇なのである。といっても、不思議に、何年もぼーっとすることがあっても、暇だなあ、何しよかなというのがない。それはそれでよかった、偶然にも、比較によって安心するタイプでない人間であってよかった。多分、人は誰もオレのことなんか別に気に留めてなくても当たり前だし、認めてないし、もてなくても当たり前だし、友達も少なくて問題ないといえるから良かった(といえるということは、チョビットの人間だけでも、そう思ってくれているという根拠のない自信に満ち満ちているということなんだろうけどもねえ)きっと定年退職したら、まず3年は旅に出てしまうんだろうなあと思ったが、それには、健康が一番なのだなあ。 翌日、仕事で、外に出て歩いていると、電話音が鳴り続けて誰も出ないので、遂に、オレにも脳内にピピピの鳴り出した電波系になったのか、どうしようと思ったら20秒ほどしてやっと、随分向こうにいる人がもしもしと携帯電話を取り上げた。 そのあと、電車に乗っていると、またもやピピピと今度はアラーム音が電車の中に小さく響くが誰も反応しないので、遂に、オレにも脳内にピピピの鳴り出した電波系になったのか、どうしようと思ったら、急に前にいた女性がはっと気がついて、旅行キャリアをごそごそし、アラームを止めた。ああ、よかった。まだまともそうだわ。足先から上までペアルックでもいいですか!
2010.03.08
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放浪さんが息子をタイに行って、連れて息子をパッポン、シリラート、VSゲストハウスの世界に誘い込み、最後に死体パンをオみやげに でも持って帰ってきてくれるだろうと期待するのみである。1993、4年頃、日本の米が不況で、タイ米が輸入された時期があったことを記憶するが、覚えてきるだろうか。タイ米は白い御飯のママ食べるのは適していないのだが、あれを白い御飯のままで食べると確かに食感がイマイチである。あのとき、悪意に、鼠の死骸が混入しているという噂が、国会議論になり新聞や雑誌に飛び火した。どこの国にもあるが情けないことだ。この前、ポルトガルに行った時、はげてる人結構多いなと思っていたら、チェコ、スペイン、ドイツ、フランス、アメリカとハゲ率の順位は西洋人が高いようで、東洋人では日本人が堂々の14位となっている。結構、日本人は、東洋人の中では体毛濃いから関係あるのかね。ああ、どうでもいいことだけど、歯が痛いので、イライラして、途中まで書いて、またしても、話は中断。ハルジ氏が書いていたが、確かに、前にも書いたが、イギリスにイギリス人旦那と住む妹であるが、日本人は周りにいないのはいいのだが、義母や旦那が亡くなったらどうなるのだろうか、と思うと、子供の一人、二人は育てて欲しいものだと思う。老後、イギリスで一人になってしまったら、仕事も今も(将来も)してなさそうだから、身内がいなくなったら、祖国に帰ってくるしかないのではないか?しかし、30年後50年後は、日本もすっかり変わっているだろうし、二流国家になっちまっているような気がする。父母はいないだろうし、オレはもう野垂れ死んでいるだろう。千代○双子ねえさんのようにガンバレ(あ、そんなに頑張ってないか?)風任さんが書いていたが、年齢のことであるが、新聞でも雑誌でも、人物が出てきたら、その名前の後で、(年齢)を入れているが、あれは意味があるのか?見た目第一印象でまず、相手を判断するのは当たり前だが、その次に年齢で判断するというか、気にすると言うことは、自分の年齢も気にしているということだろう。まあ、一つには、日本語の相手の呼称(キミ、アナタ、チミ、テメー、僕ちゃん、オイ、ワレ、アナタ様、など)と自分の呼称(オレ、あたい、私、オイラ、ワシ、ワイ、僕、僕ちゃん、オレ様、など)を確定させるためであろうが、自分の位置を年齢で計測しているわけだよね。でも他のアジア諸国は老人は大切にされているのになあ、韓国なんか、年上の180度前でタバコを吸うことさえ失礼とされてんだけどなあ、何か日本は口先だけか?まあ、急に年下と分かったら見下し態度ゾンザイ態度に出る人もいるし、オメエ、いったい何歳になってまでこんなことしてんだいとたしなめられる(俺の場合)。日本人、自分の位置づけに疲れてしまうのである。あーあ、歯が痛え。
2010.03.07
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電車に乗っていると、隣のヨッパライオッサンが、次の駅ドコですか、と聞いてきたので懇切丁寧に教えてあげたあと、今、ここどこじゃあ、と叫びだしたので、電車の中、と答えた。 暫く前に、取引先と軽く呑みに行ったのだが、そこで、ウクライナの話をして、いやあ、チェルノブイリに行こうとしたんですが、現地ヒガエリツアーで600ドルもするんですよ。しかし、防護スーツなしなら6ドルだったんですよ、と放浪さんのネタぱちって話すと、バカウケした。でも、それ、ネタでしょ、と笑いが収まった後、泣きながら一人が言った。 歯が痛いので、常にイライラしているが、大昔の人は、どうだったんだ。まあ、砂糖のようなものが合成ではなかったので、今より虫歯は少なかっただろうが、ひたすら我慢していたのだろうか、と子供の頃に考えて、昔の人でなくてよかったなあ、と思った。多分、昔の人で、いわゆる歯槽膿漏で歯が溶けたのかグワグワになった何かを見たのでそう思ったのかもしれない。 そんな訳で、今日、久しぶりに飛行機乗って津波の調査に東北に行こうと、準備をして早寝したのだが、夜中猛烈に歯が痛くなって、痛み止め飲んで、そして朝を迎えたが、今日はもうダメだ、一日中、安静にしていても歯は意味ないかもしれないが、布団にもぐりこんだ。弱気で出かけるわけにはいかないと。 そういえば、この前、ドイツからポルトガルに飛ぶ飛行機の隣席が超肥満ウクライナ人で、本人に責任はないとしても、大変迷惑被ったのだが、昨年、ユナイテッド航空がデルタやコンチネンタルに引き続いて、肥満の乗客は2席分買ってもらうというのはその後どうなったのだろうか。まあ、肥満の目安は、1席に収まらない、アームレストが降りない、隣から苦情が出るなどらしいが、係員が判断して、お客様は肥満でございます、と宣言するのも、勇気いるのか、笑ってしまうよね。そういえば、昔、相撲取りが2席分席買って乗る、トイレは狭いので移動中は行けないとか聞いたことあるなあ。まあ、アメリカの肥満って、想像を絶する人いますからね。体に頭がチョコンと乗っている感じで、いっちゃってー。
2010.03.06
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おもちゃのチャチャチャを作ったのは野坂昭如であるが、イランからトルコに入ると、やたら自由を感じたのであった。 イラントルコの国境は、低い山の山頂にあり、建物が共有されており、その建物だけが、緑のない岩のごつごつした荒涼地帯にあった。 トルコ側に入ると、何もなかった。イラン側もなかったのだが、何もないとは、バスもタクシーも免税店もなかったのである。遠くに、富士山型のノアの箱舟で有名なアララット山が陳腐な表現を使うと雄大にきれいに見えた。ずっと、そこまで、木がないように見えた。 イランから抜けてくるトラックをヒッチハイクするしかないな、と、岩に腰掛けていると、遠くから1台のタクシーがやってくるのが小さく見えた。そして、タクシーがやっと、目の前に停まり、降りてきたのが日本人だった。ナイロビから海路陸路伝いにやってきて、こちらは、神戸から海路陸路伝いにやってきて、面白いね、とお互いの情報を交換した。当時イランに簡単に入国できるのは、我々日本人だけだったのである。隣町のギリギリまで西洋人がうろうろ糞詰まりみたいに溢れているよ、と笑っていた。一番国境から近い町は50キロ離れていた。トルコ料理は、世界3大料理(レバノン料理ともいわれるが)とされているが、金のあまりなかった学生時代、何を食べたか良く覚えていない。ケバブばかりである。しかし、チャイは、毎日どこかで何度も飲んだ。インドのミルクティーではなく、ミルクは入っておらず、紅茶の横に置いてある砂糖を齧るというパターンであった。トルコからギリシアに抜ける国境でバスは立ち往生した。徹底的に荷物を調べられているのだ。私以外。パスポートを見せただけで、スルー。そいうえば、あの頃、シンガポールからマレーシアに抜けるときも、特別コースから入国させてくれた。それほど昔は菊の紋章は強かったんだねえ。
2010.03.05
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久しぶりにクラッシクコンサートに行った。音は良い。雰囲気もあるんだろうか、と思いながらも、本当に、みんな、指揮者見ているのか?目を凝らせて見ても、誰も見ていない気がしてならない。それに、昔から思っていたのだが、何万回も練習しているのに、何故楽譜が必要なのか? 運命は、生で初めて聞いたが、指揮者やオーケストラによって違うのだろうが、ジャジャジャジャーンが、で出し、結構静かに聞こえた。そのあとの盛り上がりの方が、迫力があったような気がしたのは、馴染んできたのか、最初にビビルゾという期待感が大きすぎたのか。出だしのタイミング、指揮者が一度手を振ってから、演奏が始まり、何だかテンポをそれで決めるのか、素人には分からないが、まあそれはそうとしてアウフタフトっていうんだってね。 ふと、初めてクラッシクコンサートに行ったときのことを思い出した。中学校の時だ。ネッスルの石丸ヒロシの3回当たり、3回ともノコノコと出かけていったのであった。素人向けということもあったのか、トークショーがあり、マスターのバイオリンの弦が切れたら、後ろの人のバイオリンを借り、後ろの人は、その後ろの人のを借り、その後ろの人はその一番後ろの人から借りるということを言っていたような気がする。 そういえば、幼稚園の時、指揮者を指名されて以来、もうかなりの時間が経過した。幼稚園の担任の先生に呼ばれて、砂場で一人練習させられたのだが、何を演奏したのかは、覚えていない。ただ意味なく三角形を宙で繰り返し描くだけだった。その後、小学校では毎年、演奏会があったが、いつも、カスタネットとか鉄琴とか、シンバルや太鼓と端っこの役を勤め上げたのであった。
2010.03.04
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坊主は、30万人いる。トヨタの従業員が7万人、関連会社入れて30万人。全就業者数の200人に一人である。寺は、コンビニの倍近くある。これは、ちょっと、無宗教ではいれられませんよ、ということであり、実際、宗教心なくても、寺に行き(私は同年代の普通の人より寺に行っていると思う)、賽銭を入れて手を合わせるのである(私は、賽銭は入れない主義だが、手も普通は合わせない) 檀家の歴史としては、徳川時代からのもので、キリスト教を禁止して、もっと縛りをいれるために、強制的に全員をどこかの寺に属すよう強制してからである。幕府としては、総本山だけを監視しておいたらそれでいいよ、という楽チンな制度であるが、今風にいうと坊主どもも企業努力せんようになってくる。 国による檀家制度はなくなっても、その後も、続きはしたが、戦後の高度成長期で人口分布マップが大いに変わり、都会に出てきた人たちを中心に、創価学会などをはじめとする新興宗教が一挙に信者を獲得していったりと、或いはお寺とあまり関係のない生活を始めて寺と疎遠になるとうことになってきたわけである。といって死んだらどうなる墓がない。(ここから先は、文章保存できないまま強制終了されたので、もうギブアップします。中途半端で終わり)
2010.03.03
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呼んだか?無愛想、オレのことだぜベイベー!友達か!ただのゲームセンター、寒空の中、無視して足早に通り過ぎる。一瞬、自分の行った国を数えてしまった。落ちたらただの人。そしてラブ。知事に認定してもらわなくてもいい。店に落書きされて嬉しいのか。ア、ベガーズバンケット手カメラする男との。とんでもない・・か・・東京から高校生の卒業生が卒業旅行として、大挙してやってきので、ツテンカクも35分待ちとはね。未練あんのか・・・。スゴイ、インド料理のメイド喫茶。中を覗くとメイドが3人。まじか。
2010.03.02
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奇しくも、チリで大地震が発生し、英語にもなっている津波がやってきている。これは、至急、訓練せねばならぬと感じる次第であった。早速、修行の場である大阪府天王寺駅からあべのベルタ近くの防災センターに体験学習に行くのだが、なかなか入る勇気を奮い立たせるのに、まずは、時間を要したのであった。理由は難しくない。エリートサラリーマンが背広を着てくるところには場違いだというだけで、小学生を連れた家族だのデートカップルだの本来は来なくていいような人たちが概ねほとんどを占めていたのである。ほとんどというのは、私以外という意味に過ぎない。名前を登録して、数人でインストラクターのお姉さんの庇護の下進んでいくというシステムであり、勝手な行動は許されないのである。それまで5分ほど、ぶらぶらしており、震災のとき水のいらないシャンプーとか使ったなあ、と感慨深く展示品を眺めていたのであった。5分程度で集合時間になり、スパルタおねえさんが、子供たちに人生の心得とか、大人たちは分かってくれないとか、大人の流儀とずるがしこさや、他人を押し退けても生きていく方法など、説明されていた。まずは、地震になったらいろんなものが落ちてきますよ、と啓蒙する洗脳ビデオ上映であり、うっかり、ビデオだけは撮影しないで下さいと、スパルタおねえさんに厳重注意及び愛の鞭を打たれる。煙の中を、背をかがめていくというコーナー。吸ってしまうとフラフラするとのことで、何とか、写真におさめなければとカメラをいじっていると、前の人がいなくなってしまった。次は、消火器訓練である。スパルタおねえさんから、暴漢に襲われたときや、鬱陶しい奴だと思ったとき、宗教に勧誘されたとき、キャッチに引っかかった時以外は人に向けないよう注意され、泡はもったいないので、水でジャージャーやって、スパルタお姉さん目掛けて濡らせてしまうイベントであった。そして119番の連絡方法である。こうやって、リンリンハウスからスパルタおねえちゃんにどのようなトークで実践していくのか、子供時代からみっちり教えていくのである。うわあ、地震だ、手がぶれます。そのとき、トイモイ博士の手は震えていた!黄色マルのところに住所書いてあるそうです。119番電話するとき、タバコの自販機探しましょう。やっと、揺れがおさまり、ムチャクチャになりました。しかし、阪神淡路大震災のとき、町中がこれでしたから、さすがに、今日のようにヘラヘラ笑ったり、カメラ撮ったりできません。平衡感覚なくなるし。さて、震度7の体験である。阪神淡路大震災を体験してみましょう。で、ドドーンと来た瞬間に、不思議なことだが、この初めの宙に浮いた感覚とを瞬時に体が思い出し、自分でも不思議なことだが、怖くはないのだが、小便をちびりそうになった。第一波がすごかったのだ。その後の揺れの中で、尿意はおさまったのだが、一瞬であったにも関わらず、あの微妙な感覚を体は覚えているんだねえ、と感心した。但し、違ったのは、その後の揺れであり、今は、いつ終わるか分かっているが、あの実際に揺れている時には、早く止まってくれ、いつまで揺れているんだ!どうなっているんだ!と、2、3分の長さに感じたのであった。最後に、皆さんのビデオとってますから、見てみましょう、とスパルタおねえさんが言った時、悪い予感かした。煙の中を屈んで歩く様子を見ましょう。そして、列を作ってはいつくばっていくのが終わって数秒後、誰もいなくなったと思ったら、カメラを覗きながら随分遅れて一人歩く背広の男・・・。私の後ろにいた子供が叫んだ。「誰や、あいつ、むっちゃ遅い!」だから私は、子供が嫌いなんだ。大人の節制とか自制心とか遠慮というものがない。
2010.03.01
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