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2009年のGWバンコクラオス香港2008年のGWバーミンガムコッチュオルズ2007年のGWハワイサイゴン香港2006年以前の毎GWキャンプ まだ今日もマジメに仕事を遂行しながらも、ジタバタしており、遂に、関空→グアム→ケアンズ→シドニー→ニュージーランド→日本という全コースをおさえることができたのだが、全く、何の情報もなく、どうもよっしゃーとまだ気合が入らないのであり、散々2,3時間迷った挙句、このコースは次回に回すことにしよう。まあ、バンコク、今すいてんだよなあ~。
2010.04.29
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バスに乗ろうとしたら、前の同行者が運転手に2人分というと、運転手は、私の方を見て、オトナ1人子供1人ですか?と尋ねた。昨日、レストランに入ると、他に家族連れがいただけなのに、おまたせしましたお子様ランチですね、と私のテーブルに置いた。ところで、神戸には、イスラム寺院モスクとか教会とか多いが、ユダヤのシナゴーグもある。(日本では2から3箇所)そして、ジャイナ教ともなれば、ほぼ唯一であろう。 ジャイナ教は徹底した不殺生で有名(そのため商人が多い)だが、インドの野原で徹底したジャイナ教徒の修行僧?を見たことがある。ほとんど裸に近い状態で、屈みながらゆっくり進んでいるのである。クチにはマスク、というのは、虫を吸い込まないようにであろう、ゆっくり進むのは、植物や虫を踏んで殺さないようにであろう。手にほうきを持っているのは、虫をのけるためか。よく分からないが、これでは、動けないのではないかと思うぐらいであった。そんな人間も許し、飲み込んでしまうインドの大地ってスゲエなあと、小さく私は思ったのであった。子供に見間違えられた中年が落ち込むなんてよ。
2010.04.28
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暗いニュースばかりで、テンションもダウンするので、ここは日本のいいとこを考えたいのだが、なかなか、いいとこわるいところは裏腹で、いったいどうなんだ、こうなんだ、そうなんだである。1. 日本では日本語が通じる。これは画期的に便利なことである。多少の方言や多少の違った言語があるとしても、基本、ドコにいっても意思疎通は通じる、と思う、深い話をしない限り。インドじゃこういうわけにはいかない。2. 笑っちゃうほど、世界各国の料理が食えること。それも、何と言うか日本テイストになっており、西洋料理は、日本風になっている日本で食べる西洋料理の方がうまいが、アジア料理は何故か現地で食べたほうがうまいなあと思うのは、私の舌のせいか、西洋料理はシェフが修業を積んできたがアジア料理は見よう見真似でやっているイメージがあるからか、日本人の味に媚びたらおかしくなるのか・・・3. 治安がやはり良い。最近、悪くなってきているとはいえ、まだまだ安心だ。しかし、予断を許さないのが今の経済状況だ。やはり、失業者、そして低教育が、治安の悪さに通ずる。そこが心配だ。そういえば、昔、先輩が(歎異抄にその後はまっていった先輩)アフリカで、もう、アフリカ嫌だ不便だ、大変だ、でも見栄切って日本出て来た、どうしよう、そうだ、荷物取られたことにしよう、と貴重品抜いた荷物をバス停留所に置いてたら、全然盗まれなくて、仕方ないなとアフリカの旅を続け、最終日アフリカを離れる日に空港で荷物を盗られたという実績があったなあ。4. まあまあ交通機関が正確で、待ち合わせやアポの時間も正確である。神経質なぐらい。しかし、なかなかどこに行くのにも時間が読めるというのは、まあいいんじゃないかってな感じでよろしくお願いします。 業務連絡。アメリカから先のアルゼンチン、ウルグアイ、チリのチケットと、アメリカに戻るチケットはおさえましたが、依然、日本からアメリカに行く便が全て満席です。
2010.04.27
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「どうして仏教と神道は両方一緒に信仰していて大丈夫なの?」・・・特に多くの人が信仰しているわけでも何でもないからです。 「どうして車が割り込んでもホーンを鳴らさないのですか。」・・・下手に鳴らすと、怖い人が出てきて、逆切れされる可能性があるからです。信号が青になったのに、動き出さない場合は、遠慮がちに鳴らすことはあります。実際私も怖い人ではないのですが、クラクションを鳴らされると、鳴らした奴に軽い殺意をもよおします。そうされないために、超高級車に乗るのも一手です。「柔道、剣道、書道、茶道、華道はなぜみんな“道”が付くの?」・・・そのほか、散歩道(さんぽどう)、旅行道など、術と交わる部分は大きいですが、道は極める意味もあり、最終的には、老荘思想に通じています。タオです。 「お箸の正しい使い方とタブーは?」・・・人を刺したり、しないことですが、お箸の持ち方見たら結構、育ちが分かってしまうシロモノでもあります。出自を隠すには、ナイフフォークを使うことをおススメします。 「街でティッシュペーパーを配っている人は何の目的でやってるの?」・・・資金を出している人は、その商品やサービスを売るためですが、配っているアルバイトは、ノルマを単に果たすためにやっています。最近は、ヘビメタ系のアルバイトを見かけなく寂しい思いをしています。 「日本のサラリーマンやOLの典型的な生活は?」・・・朝起きて、満員電車に乗り、密着する他人をモノとして捕らえる修行の時間を経て、会社に行き、夜飲んで終わります。「会社は、なぜ残業が多く、休みが少ないのですか」・・・他人は自分の仕事を任しておくことが出来ないと考えるからという理由と、周りがなかなか帰ってくれないからという理由からです。「援助交際って何?」・・・売春のことです。援助交際という言い方は禁止したほうがいいです。「朝早くからパチコン屋の前に並んでいる人がいるのはどうでしてですか」・・・朝から働いていない人がいるからです。「知らない人にぶつかっても謝らないのはどうしてですか」・・・友達や会社や取引先の人は、非常に大切にしますが、その他大勢は、どうでもいい人たちと思っているようなので、無視です。「どうして何でも「かわいい」と言うんですか」・・・ボキャブラリーが単純に不足しているからです。一言で済めば無難でどうとでも肯定的な意味が取れるからです。その中味に関しては、意味がありません。「父親の転勤にどうして家族がついていかないのですか」・・・父親は、お金さえ家庭に振り込んでくれたらそれでいいからです。母親にとって重要なのは、子供であり、自分のことは棚に上げて子供に期待し、転校させるなんてかわいそうと思うからです。旦那と離れるより、地域社会の友達と離れるのが嫌だからです。「どうして日本人の中学生はいつも制服を着ているのですか」・・・大人が規則を決めておいて画一させておくと管理しやすいからです。しかし、案外、子供たちの間でも、毎日着て行く服考えるより決まっているほうが楽という意見もあります。「日本人はなぜ短く省略した日本語を使いたがるのですか」・・・喋るのがもったいないからというのが第一義にありますが、身内だけで通じる言葉を作って結束を固めるというみみっちい考え方もあります。「物を贈る時「つまらないもの」と言うのはなぜですか」・・・つまらないものだからです。つまらないものなら贈るなという意見もありますが、とにかく、賄賂を渡すことに意味があるのですね。「どうして日本のドラマではHしている場面を放送するんですか」・・・テレビは、教育よりも視聴率の方が大切だからです。「日本のニュース番組に国際ニュースが少ないのはなぜですか」・・・重要なニュースは国家がアホな国民に知らせたくないからです。特に、何かつまらない芸能スキャンダルを繰り返し報道しているときは、裏に何か重要な事件が起こっているものだんです。「お笑い番組などでよく相手の頭を殴るのはどうしてですか」・・・脳の細胞を壊しているのを肯定するからです。
2010.04.26
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超高級車を唸らせ、時間に遅れないように、時速140キロで走り始めるが、ガソリンがエンプティに限りなく近づき、仕方なく、セルフのガソリンスタンドで油を注ぐ。私は経済学部卒業なので、満タンにすると、人間1人分を余計に乗せるのと同じくらいの重さになるので、3000円分だけ、渋く注ぐのである。セルフなので、従業員の方は、フン無視しるものなのだが、何故か私の車を見ている。そんなに渋いかオレの車と思うわけがないのだが、パンクしてますよ、といわれて、交換、遅刻することが決定したどころか、この前の車検でもうタイヤが限界です、といわれていたのであるが、ここでも同じことを言われ、仕方なく見積もりをその場で交換である。タイヤって10万円もするのか。決断するのに、さすがに即断はできず、2秒ぐらい苦汁の時間がかかったのも事実である。 代車を借り受け、走るのであった。走って、大型ショッピングセンターに車を停めるのである。停めてから、外に出たときに、駐車券を持ってくるの忘れ、車までまた5階まで上がり取りに出かける丁寧さである。丁寧なのはいいが、はたと気がついた。どの車に乗ってきたか分からないのである。映画などでは、電気キーで、適当にボタン押したらピピッとかいって開くのだが、そういう洒落たものも装着されていなかったので、停めたんじゃないかと思うあたりをうろうろするが、分からず、20分程度はうろうろしながら、すみません、自動車泥棒じゃないです、でも、数台の自動車の鍵穴に、キーを差し込んで回そうとしてしまいました。 お金と時間をフイにした中年の春の「ある一日」でした。おまけに、反則金払ってなかったら、催促通知来るし・・・おまけに、天井まで山済みにされた本が崩壊して、頭脳に直撃、タンこぶできたし・・・ そうやって、じたばたしている間に、イギリスに住む妹は引越した模様でした。オメー、自宅の敷地の端、また見えねえじゃないか・・・
2010.04.25
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今日、渋くも、緑茶屋で茶をしばいていたら、隣の店から80年代のディスコミュージックが流れてきた。 20年ぶりに聞いたが、その曲名と、歌手を知らないまま、25年の月日が流れ、今日、検索してみて、初めてその曲が分かった。別に、ディスコミュージックが好きでたまらないとか、この曲が好きでたまらないというのではなく、いつか子供の時にみて、2,3年前にその映画の題目がネット検索により30年ぶりに分かった映画「ザルドス」のような感じであった。結構、嬉しかった。ただ、そこには、懐かしさしかなかったが、あの日のことがまざまざと思い出された。 何度か書いたが、18歳、初めて行ったディスコのことを久しぶりに思い出した。この曲も流れていた。 そのあと、ミンドロ島のビーチに行くと、昼間は、風が椰子の葉を揺する音と、小さな波の音が聞こえ、海は珊瑚礁で埋め尽くされた静かな世界だったのだが、夜になると、2件あるディスコが火を噴く。 Tシャツの短パンのままブラブラ出かけ、ビールを飲む。またあの曲が流れてきた。フィリピンはおかしな国で、男女問わず、すぐに声をかけ、一緒に飲むというスタイルである。勿論、当時ビーチには客は西洋人ばかりで、従業員はフィリピン人で、格差の縮図なのであるが、その情景が脳裏に浮かぶ。 その後、日本に帰り、街を歩いていると、ブテックの有線放送からまたこの曲が流れ、思わず勇気を出してブテックに入り、この曲なんていうのですか、と尋ねた。勿論、知りませんと答えられ、振り向くと、偶然服を物色していたのが、彼氏を連れた中学時代の同級生がいて、3,4年ぶりに会ったのに、あ、この曲知ってる?って聞いた。彼女は、おかしな人とウフフと笑った。笑ったがやっぱりその曲は知らなかった。 そして25年ぐらいの月日を、その曲も聞くことなく、聞きたいなということも忘れ、偶然、聞いて検索して、分かった。80年代ディスコミュージックでユーチューブ聞きまくっただけだけど。あー、懐かしかった・・あれ、終わり。聞いたら終わってしまった。
2010.04.24
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「オイ、オマエのオカン、山登り趣味やろ、この前、電車の中で見たで。一緒に行っていた山登り仲間に、うちの息子なあ、正月にウクライナ行ってなあ、キエフが何とかとか、アウシュビッツがなんとか言ってたわあ。一体何やてんだか、という会話が聞き取れ、思わず、アイツのオカンやと思ったで!でも家じゃないほうの電車乗って行ったから、よく分からんなあ」その夜、私は、オカンにメールをした。「○曜日に山の格好で電車乗ってたか、○○方面乗って行ったか?」「何でや」「いや、山の格好した60代の女性が冬に息子がウクライナじゃアウシュビッツじゃ行ったといって呆れてた話を聞いた者がおりましてな」「ほー、あんた、ウクライナ行ったん?」 世界は広く狭い。この神戸阪神間の人口何人か知らないが、200万人程度の中で、私以外に、この正月にウクライナとアウシュビッツに行った(あ、オレ、アウシュビッツ行けなかったんだ、あ、オレ、キエフ空港しかあまり知らないんだった)男がおったんだ!とちょっとシンパシーを感じながらも、まあ、正月に結構海外旅行している人も多いし、その中で、ウクライナとポーランドに行った人がいても全然おかしくないよな、と思いなおした。 キエフの空港でスタックしたこと、ネットで検索したら、ツイッターで呟いていた人が一人いたのだが、その人は、一便だけ、うまく、ポーランドかどっかに飛んで行き、それに乗れましたというツブヤキであった。ああ、そういえば、あの日、スタック最後の便がワルシャワ行きだったな、あそこに日本人がいたんだ、と思ったのであった。もしかして、商社マンらしいすれ違った日本人ぽい背広姿の2人組の1人だったのかも知れない。シンクロだ!虫の知らせだ!案外そういうのは、あるけど、いっぱいの情報が刻々と流れ去り、ほとんどは意識せずにパスするのだけれども、偶然意識してて、たまたまスゴイ!というだけかも知れないね。
2010.04.23
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この冬、悪夢のウクライナのキエフ空港スタックで、一番に飛んで行ったのがテルアビブ行きであった。(いや、一番ではなかった、自分の乗る便の一番近くにいたんだった)。ソレを見て、次回はイスラエルもアリね(ハート)などとお茶目に思っていたのも僅かながらの意識の中で思ったのである。エルサレム(イスラエル)旅行に関する昔の印象・・・パスポートと別の紙に入国スタンプが押され、パスポートに出国まで挟んでおき、出るときに抜かれるというシステムで、それでないと、パスポートにイスラエルのスタンプがあれば他のアラブ諸国に入国できない、そう言われていた。行きそびれた国も結構最近行ったのだが、イスラエルはまだ。キブツがあり、結構外国人も働けるので、旅行中お金がなくなればこの国に立ち寄るといい。イスラエル人は世界中がそうだと勘違いし、世界中を旅行しながら、やたら商売を不法でしている。子供の時に、死海で浮きながら本を読んでいる写真を見て、死ぬまでに行きたい、でも死ぬまでまだまだだと思った。 今回分かったこと一つだけ・・・エルサレムの空港は結構マイナーで、50キロだか40キロ離れたテルアビブの空港を利用するのが結構一般的だとのこと。ほんまか知らないが、警備が一番厳しい空港だとのこと。ほんまか、ケリー坊や?アンマン(ヨルダン)旅行に関する昔の印象・・・フィリピンのマニラの民家に暫く滞在していた頃、すぐ近くにヨルダン人が留学しにきていた。国を聞くと、ジョルダンといっていた。そういうわけで、ジョルダンなんだねえ。唯一、国王の名前が国名になっている国。最近では、イラクに入りたくてボヤボヤと溜まっていたたまり場都市。 今回分かったこと一つだけ・・・案外、治安が安定している国なんだねえ。テルアビブ-アンマン1時間ロイヤルヨルダン航空1日3便。ベイルート(レバノン)旅行に関する昔の印象・・・中東のパリといわれていたベイルートも、私の学生時代は、まだ内戦で戦火の中、行くのは危ないという印象があった。女性も、西洋風の服装をしていたとか、とかいうけどキリスト教徒も多いからか?(それは、今も印象は変わらなかったが、安全である。安全だが、戦後復興費がなく、弾痕の残るビルが残り、列車は復活できないままである。それでも国家収入のほとんどは観光) 今回分かったこと一つだけ・・・今回一番行きたい場所ベイルートであったが、戦火跡の町並みに食事でもある。レバノン料理がムチャウマイ。アンマン-ベイルート1時間ロイヤルヨルダン航空1日4便。イスタンブール(トルコ)イスタンブールは行ったことあるので、印象はなく現実だ。ベイルート-イスタンブール1時間55分トルコ航空1日2便。そうやって、急いでウキウキ懸命に現地情報調査したんですが、今日、それらの便は空席がありますが、日本脱出便が満席ですよ、と・・・・トゥールールー、トゥルトゥルトゥルトゥルトゥルトゥルトゥー・・・・・・
2010.04.22
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結婚式ネタであるが、バブル期にまんまと場違いな企業に就職できたり、その後、ラッキーポンチで転職したりと、貧弱な面々を眺めながら、それでも、世間のいわゆるブラック企業というのには、うまく誰も行っていないのだなという感じはした。いや、ブラック企業をカテゴリーに分けるとすれば、それに近い奴もいるにはいるような気もするのであった。カテゴリーに分けるとすれば、ま、いろいろ考えられるが、イリーガルや法律違反のヤベエ企業はまあ、潰れて欲しいってところだが、そうではなく、マクドナルドでただの店長なのに管理職ということで残業代がなくムチャクチャな安月給と激務で問題があったように、世の中不景気と低価格志向によって、仕方なく、しわ寄せがきてしまっている企業、特に飲食関係や宿泊関係に多いと思うのだが、そういった利益を出すために人件費を抑えるしかないといった企業もある。そして、それよりは、緩やかだが、単純作業に近くてやりがいがないような企業というのもある。同級生のMは、大学除籍の上、北海道に渡り、牧場で数年暮らし、副業で金貸しをし、担保にバイクを取り上げ、一時期バイクを7台所有していたのだが、その後、実家に帰り、ブリーダーを手伝いながら、元々オタクぽいところを駆使して(趣味が、登山のロープの結び方だったからね。初歩もやい結びか)、いつの間にか、大企業オラ○ルに入ったが、その仕事内容といえば、企業でおかしくなったパソコンを直しにいく仕事が多いのである。そのため、原因が分からず、もう買ったほうが安いで、みたいに、最悪2日も3日不眠不休で復旧作業に時間がかかってそのパソコンをいじくり、(勿論5分で仕事が終わるときもある)、それでも1回の出張費いくらで終わりであり、例えば1万円とすれば、5分で終われば分給2000円(時給12万円相当)、3日かかれば日給3333円(時給138円相当)となってしまう。当日は来ていなかったがオーストラリアに住んでいる同級生のSは、初めトー○○クックで働いていたが、その後、パソコンのクレーム処理の会社に転職。日本のユーザーからパソコン壊れたと半切れ状態でかかってきた相手に(相手はまさか国際電話とは思っていない)マニュアルをみながら、懇切丁寧に教えていく仕事であり、全くのキャリアアップもないし、スキルアップもないし、マイナスから「入ってくる客」をさばくのはストレスだと言っており、給料も日豪レートによって動くんだよね、と泣いている。しかし、自宅の目の前は、ゴールドコーストであり、ビーチまで3分、もう仕事以外の時間のために生きてますわい!という状態だそうである。上記、2人も、会社はどうであれ、本人がそう感じるとブラック企業である。しかし、企業といいうもの、悲しいかな設計企画発案から実地生産販売があり、そして、最後にアフタサービスアフタケアは必要であり、基本、最後の部分は企業存続には重要なのだ、特に耐久財、半耐久財であれば。しかし、そこの部分は、体も頭も汗をかく部分では、残念ながらない、しかし、必要なんだ。それが苦しいんだ。
2010.04.21
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まあ、そんな訳で、ヨーロッパではアイスランドの火山が噴火して、やたらめったらヨオロッパ便がキャンセルとなり、2週間後に私が、ヨオロッパに行くようなことも、そろそろ漠然と考え始めた時点で、やっぱ考えても仕方ないよ、ということになりつつあるのであった。 そんな訳で、学生時代の逍遥を背負って生きてしまう悲しい野郎の性、今でも多くの奴らが嫁子供ほったらかして或いは義務的にちょとだけ参加させて、キャンプジャの山登りだのカヌーなどの健康的かつ風光明媚かつ微々たる金をうならせて長期休暇にはどこかに出かけている輩も多い。中には、カヌーで知り合ったのに結婚したとたんに、財布と○○コを握られ(オデコですよ、はっはは)、にっちもさっちも動けない状態の後輩もいることにはいるのだが、同輩も、外資系で2週間休みとなり屋久島2週間1人様トレイルとか、後輩も家族でナンチャッテプーケット島リゾートとか、ガリバー先輩にいたっては、嫁と3回目の北朝鮮ツアーに参加しようとしている大きな巨人状態である。 とはいいながらも、海外でも、流石に加齢と共に行き当たりばったりなカスのような旅行はしなくなってきており、それも3年に1回とか由緒正しい方式に転じつつあるのであった。 同輩も、屋久島のあとは、嫁に同行を断られ(断られる方向に持って行き)、ネパールのトレッキングを20年ぶりにしようかと企画しているようだ。私も結婚時代は、インド行こうや、汚いから一人で行け、オーロラ見にいこうや、寒いから一人で行けと散々断られ、あげくに、ニューヨーク住もうやと言われ、私が断って結婚自然消滅した程度である。 そんな中、学生時代あれだけ、バカみたいに旅行していた人々も、流石にかどうか知らないのだが、キャンプ、登山、カヌーはお盛んなのに、最も楽チンな海外旅行には、遠く離れつつあるのであった。もう風景程度ならインターネットを初めとする情報の時代であり、行った気分になるし、行ったことなくても、いっぱしのことは、検索で適当にでっち上げられる時代である。飯も世界中のものが日本で食べることができる。京阪神ともなると、ペルー料理もレバノン料理もアフリカ料理(あ、ひとくくりにしちゃった)の店もちゃんとあり、特に大きな声ではいえないが、心斎橋のペルシャ料理はカナリおススメであるぐらいなのだ。 それでも、そろそろ、計画を立てなければならない時期が来た。ヨオロッパが混雑してそうなことを理由にポーランドのアウシュビッツやウクライナのチェルノブイリの冬の旅の復讐は、ボロ負けのまま見過ごしていく所存なのである。イースター島、そう浮かんだのであるが、調べると、チリのサンチアゴから5時間半。日本の裏側サンチアゴまで24時間以上を考えると、現地滞在時間は1泊である。勿論、飛行機が取れての話であり、イースター島は年中、飛行機や宿が満室状態で計画はお早めに、みたいなテレヴィCMが頭をよぎるのみである。ヨオロッパを諦めたどっかいきたい金持ちたちが、私の道を阻んでくるかも知れない、そう思うと、そろそろ候補地を定めて、精神を研ぎ澄まし、そしてお金を貯めなければならない。もうそういう季節になりつつあるのだなあ、風流だなあと思い始めた2週間前であった。あれ、てか10日前だ、やべえな。大人気ないな・・。
2010.04.20
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まあ、そんな訳で、結婚式というイベントにおいて、先輩後輩がまあまあ一同に介したわけであるが、揃いもそろってバブル前後の生き残りであって(まだ誰も死んでないから)、ある程度の時代を知っているので、生まれたときから好景気ありませんという世代と違って、どこかしら楽観的なのである。楽観的であるので、苦しい時代も、何となくホソボソと生き延びているといった感じである。かといって、また好景気が来るというまでは、さすがに誰も楽観していなくて、この日本の財産はせいぜい1世代か2世代で終了、その後は、中国とかの外国に出稼ぎにいって、オメー中国語も話せないのかよー、と扱き使われる時代が来るだろう、わいらの親の世代はそりゃ今はいいよな、といった話をする訳であった。 聞くところによると、当卒業生も、半数が就職決まっていないと言うが、そのまま大学院に行くとかになり、大した焦りがないのも不思議な感覚である。しかし、生まれてから、就職が簡単だった時代はなく、かといって、好景気の時代や所得倍増の時代や高度成長の時代が羨ましいわけではなく、それは、本か何かで読んだ頭の中の知識でしかなく、大丈夫かよとか今の若者は不幸だなと心配したり哀れむのは、我々以上の世代だけのようなんだ。当の本人だちは、就職できないことに心身疲れ果ててはいるものの、あいつらのせいでとか、あの時代が羨ましい、とかいうものは、あまりないようである。体感してないんだもの。 そういうわけで、幸いにも、明日の食い物に困っている人はいなかったのだが、それにしても、2次会、3次会、4次会、そしてタクシーと、だんだん、訳が分からなくなってきて、考えたら、親父はこういった訳の分からない金を散在せず、知らん間に貯めて来たんだなあと、タクシーの中で思いながら、でも金利8パーセントもあった時代なら10年で財産倍になるもんなあとも思いながら、結局は、ベロンベロンになりながらも、タクシーの中で、思いながら、高速道路になり、前のタクシーに乗った同輩に、横並びになってもらい、窓を開け、身を乗り出し笑いながら指を突き立てたのであった深夜の3時であった。
2010.04.19
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西宮北口の再開発で大躍進中であり、阪急も乗降者数が神戸三ノ宮を抜いて、大阪梅田、京都河原町に続き3位に浮上してきた。まあ、そんな前提があるわけであるが、そんな前提を前提に野暮用で西宮北口に久しぶりに降りたのだが、まあ、といっても、飲みために年に2、3回ぐらいは今も降りてはいるのだが、要は、学生時代は、よくこの辺りも学校が近いとか通学の通り道とかいうスコブルまっとうな理由によってウロウロしていたわけである。 その頃の西宮北口の、北東部も北西部もまだ再開発されておらず、小さな商店街や家がぎっしりと並んでいたのであった(しかし今も、北西部の飲み屋街はそう変わっていない)。 ときどき、その商店街の中にある「貧乏屋」というような名前の店に時折通っていた。食べるのは貧乏定食で、アジアによく店主は旅行し、普段はモンペを履き、髭をたくわえた人であった。ある日、飯を食いながら、一緒に出かけた友達が、「あのおっさん、未来のオマエみたいやな」とつぶやき、何だか、シュンとしたと記憶する。 当時、この西宮北口は神戸線と宝塚線が線路が平面交差されており、これが、日本でも珍しい光景であることから鉄道ファンに人気があったようで、旅行先で地方の人たちから時々この話がでてきたことを思い出す。あるとき、とある(具体的には、兵庫県北部のユースホステル)ホテルに泊まっていたときに、共同風呂に入ると、先客として自称鉄道カメラ大好きおっさんが、関東から餘部鉄橋を撮影しに来ていて、私が西宮の大学にいることを知ると、この平面交差のことを得意げに話し始めた。それに答えて、私も、体を洗いながらしばらく、答えを話したあと、振り向くともうそのおっさんは風呂から出ていて誰も居なかった。何一人オレは喋ってんだよ、と気恥ずかしくなったと記憶する。 占いでみてもらったことはないが、何だか、フト、この裏通りにあった占い師にみてもらおうという気になった。「何でも聞いてください」そういわれて、よく考えたら全く知らない人に、自分のことを聞くことなんか何もないというか、知っている人にさえ、質問することなんか何もないことに気がつき、「あ、あ、もういいです」と逃げたこと記憶する。 北西部のボロアパートに先輩が住んでおり、エロビデオを堪能していると、下に住んでいるやくざにどやされた「こらあ、女連れ込んでうるさいんじゃあ!」と。先輩がどう言い訳したのか記憶していないが、ボリュームを落としたことは確かなようだ。 そんな先輩も昨日、結婚式で久しぶりに会って、順調に吐いてました。以上。
2010.04.18
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今日結婚式だったが、そんなことはどうでもよくて、一時期大学のクラブにいた中田君のことを思い出した。実名をだすには、忍びないので、あだ名のバカボンとしておく。頬に渦が巻いているのであった。バカボンは、大学生らいくなく、全ての授業に出席している、つまり、一般教養も出席する変な奴だったのだ。世の中にはいろんな奴ガいるものだ。私は、一般教養には、長い大学時代、3,4回しか出たことがないのであった。出席するのは、出欠を確認するゼミとか語学とかだけである。それも、年間何度も出席必要回数を調べ、何回休めるか計算したり、いつまで日本に帰らなくていいか頭を高速回転させて計算している間に、バカボンはそんなこと考えず、すなわち、オール出席である。オール出席でありながら、成績は、すべて単なる可である。60点である。異常に効率の悪い男で、試験前に出回るノートのコピーの存在を知らないぐらいであり、どんな問題が一般教養で出題されるのか知らない状況であると思われた。しかし、彼は、限界というものを知らなかった。一度、秋山に連れて行った。北アルプスである。結構、険しい道なのに、平気で歩き、「おまえ、運動したことあるのか」と聞いても、「僕のばあいー、全然ないです」と汗もかかずに平然としており、おきなり、ぶっ倒れたのであった。ぶっ倒れたまま、意識も朦朧として、それでもケツを叩き、秋山、テン場に着く予定時刻15時に対し、バカボン率いる我々決死隊が到着したのは20時であった。朝出発してから15時間後であった。居酒屋で飲み会で、ドンドン飲めやと勧めると、そりゃ豪快に無造作にグイグイやるので、「おまえ、結構いけるクチやねんなあ」というと、「僕のばあいー、そんなに多分飲めないと思います」といい、「そうか、だんだん、顔が青くなっていってるぞ」と言うと、「僕のばあいー、酒を飲みすぎたらどうなるか分かりません」といい、グイグイ相変わらずやりながら、遂に、不意に、その場でゲボゲボーと吐いた。吐いたはいいが、私のタイの坊さんの持つカバンのクチがぱかーっと開いていて、その中にズイズイと直進してゲロはほおり込まれ、教科書と、筆記用具と文庫本と、そしてカバンを捨てることとなったのであった。秋山でテント場に着いたときには、5時間前に到着した先発隊が、御飯の用意を既にしてくれていて、助かったと思ったが、そのスパゲティは既に冷えて固まりつつあり、我々は食べるのをやめ、非常食を食べたのだが、ノソノソ動くバカボンは、まったくそれに味がなく、延びきって固まったスパゲティを習性だけで、食べてますという感じで食べていた。「オマエそんなもん、よく食えるな」というと、「僕のばあいー、まあまあ、食べることができます」と言った。言った矢先に、疲れすぎから食欲なんかないはずのことを正直な体は反応したようで、ゲロゲロ吐き、鼻からスパゲティを出していた。翌朝、出発の時間に大雪が降り、出発できず、1日停滞となった。テントの中で、我々は、一日中、寝袋にくるまって1列に並んで寝たまま、つまらない話をするのだが、外はスゴイ吹雪である。ふと気がつくと、バカボンがいない、「あいつどこいった」というと、「僕の場合、ここにいます」と声がした。スゴイ風邪でテントがひん曲がり、風向き一番端に寝ていたバカボンとシュラフは、風のせいでテントの上部の布にかぶさり見えなくなっていただけであった。そんな状態でも、事態を把握せず、ただひたすら会話に加わらず、じっとしていたのであった。そんな訳で、オマエ道程か、オマエ毎日何食べているんや、オマエドコ出身や、と矢継ぎ早に質問するが、すべて、ぼくのばあいー、で始まり、それが、モンギリガタで、そのあとの会話が続かないのであった。●●先輩はどこですか、とか、何がすきなんですか、とオウム返しにでも聞けばいいのであるが、質問されたことに答えるだけであり、自分どころか他人にも興味がないようであった。後日、機能だけで生きているような、そんなバカボンも、自らの意思で、いつの間にか僕の場合―といいながら、我々の視界からいなくなってしまったのであった。
2010.04.18
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今度(正確には明日)、結婚する大学の後輩のKのエピソードを考えていたら、ある日のことを思い出した。ある日といっても、我々が世間の荒波に揉まれる前のダラケタ学生時代の始まりに精神収入棒でカツをいれるために、採用されたシステム、それが新入生歓迎合宿である。ほんの2泊3日で精神を昇華させ、高校生の甘い意識を打ち砕くのである。参加費用は強制の5000円で、2泊3日、ほとんどが、漁船の送り迎え費用である。8食分×人数分と、娯楽品、ラジカセ、そして大量の酒、水、それで、一人当たりの荷物は思い人で50キロに達するのであった。いくつかの無人島には行ったが、大抵は、家島諸島にある加島という島である。加島の中心には底なし沼という谷崎潤一郎の小説にも出てくる沼があるのである。しかし実際は、そこから大群の蚊が発生し、うかうかと、酔っ払って外で寝てしまうと、刺されまくりとなり、楽しい合宿がカイカイの合宿になるのである。ある隊員は、まぶたを刺され、お岩さんになったぐらいである。そのとき以来、あだ名は、ボッコンとなったのである。姫路港から家島に渡り、そこから漁船を出してもらい、3日後に迎えに来てもらうのである。迎えに来てもらえなかったら結構えらい目にあいうので、支払いは後払いだ、それインドかよ!おまけに、港はないので、船は底をするので、早く降りてくれ、のそのそするなと漁師の方はご立腹するのであるが、そこは愛嬌であり、船旅に慣れていない我々である。とにかく、無人島に着いた、さて、どうするか、テントを張る、島に流れ着いたゴミや薪を集める、1時間ほどかけて島を渡る、まあそんな感じで、もうすることはなくなる。することなくなったらどうする。新入生には、ちゃんと、更に、薪集めを命じ、飯炊きを命じ、そして、幹部(2回生以上のこと)は、寝るか酒を飲む。そして、新入生に叱咤激励しながらキャンプ用品の使い方を説明するふりをして激と唾を唾す。或いは罵る。メインイベントはキャンプファイヤーである。無人島である。どんなに大声を出したところで島の向こうまで聞こえるはずもなく、しんみりとした中、新入生はそのフレッシュさで、立たされる。キャンプファイヤーの炎で顔が火照る。極悪人の先輩たちは、質問をするが、答えは大声で叫ばなければならない。しかし、大声で叫んだところで、先輩は、言う。耳が遠いから聞こえないと。関西3文字とか関東4文字卑猥語をそのうち大声で連呼させられたりしながらも、そのプライドを打ち砕かれながらも、新人は叫ぶ、叫び連呼し、そして、精神が、やがて、解放され始める。屈辱が消え、自分が大声そのものになって行く瞬間である。 人は、炎で逆上する。誰かがラジカセのボリュームを最大にし、ジョニーBグッドがかかり、着ている衣服を脱ぎさり、踊り出す。半狂乱になり、炎を中心に回りながら踊り尽くす。 翌朝、料理はできない。楽器と化した鍋は穴が開き、体中傷だらけの栄光となり、そして、新人の服は燃やされて、なくなっている。新人は、来年、復讐を誓うのであった。
2010.04.16
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固定資産税(オレが住んでいるわけではないのに)や自動車重量税とか来て、10万以上のビッグマネーが飛んでいくこの悲しき季節、いかがお過ごしですか。別段、はっきりいって税金が正しく使われていれば文句もいわないが、所詮他人の金、しっかり監視しないと、暴走するのが人間だ。ちょっとした税金みたいな話を先日したばかりだが、こういう納付書が一方的に送られてきたら、更に、ぶりかえす静かな暴動、日本語で言えばヘビメタバンド、クワイエットライオット並である。とにかく、実質的な税金は、この国は、そらムッチャ高い。オレのように、子供も養育する人もいないような人類にとって三文程度の得にしかならない、孤独死したとろで4,5人も泣いてくれれば関の山のようなチョンガー給与所得者からは、50パーセントぐらいの収入を奪取されているのである。取りすぎの使いすぎなのであqる。江戸時代の年貢でさえ、3割程度で、抜け穴があったというのにである。いや、社会保険料も税金だし、フランスなんかもっと社会保険料高いけど、あの充実度は何だよ。おまけに、公共料金、あれは税金だぜ。日本全国民から平均すると、社会保険料あわせて40パーセントを支払っている。そして国債で更に膨らむ。まあ、老後のこと考えたら仕方ないよね、と一瞬お人よしになりそうだが、高齢者は今のところ、23パーセントである。残りは、病気やなんらかで働けない人に、使われているということか・・・税金を食いつぶしている奴が他にいっぱいいるということだろう。ああ・・・子供手当てって何なんだ、またぶりかえすが、一律にしたのは大罪であるよな。いちいち所得制限で分けたら大変だから一律にするって、それ素人か?大変でもやらせるのが政治家の役目じゃないだろうか。お金持や貧乏子沢山には、屁のつっぱりだろう。さあて、子供を産もうと思ったご家庭はいったい何件あるのだろうね。あ、これは少子化ストップのためじゃないんだね。少子化ストップなら、所得制限設けて、一人目なしの二人目は今の倍、3人目は4倍とかにしても、今と支出変わらんよね。 なんだ、一律支給の理由って、子供たちが社会に育ててもらったと感謝する念を持つように・・・とほほ。嘘だと言った本人も分かっているだろうよね。あれこれ、どんな税金がいいのかねえ、といろいろみてみたら、所得は減税して、資産に税金かけたらいいじゃん、という論はなかなかよいのではないか。税金に取られるなら使って経済効果もありそうだし。何、カネナイ?毎年1パーセントかけるか。1000万円の資産もっている人でも、10万円ですんで、今より税金安くなるはず。それでも、国民の資産いくらか統計いろいろあるが、1400兆から8000兆したら、うお、それで14兆円から80兆円なっちゃうじゃん、うお、今の国家予算超えた(特別会計は廃止したとして)!今の税収が40兆円としたら、これだけでまかなえちゃうじゃん。商品などの在庫も財産にしたら、いいじゃん、1パーセントなら消費税より安いわ!うお、みんなたんす預金するか!資産全部海外にいっちゃうか!でも資産家にもメリットあるよ、相続税なくなるんだったら。めでたし!サイナラー
2010.04.15
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1年前の悲劇をくり返したくない1年前の悲劇をくり返したくない1年前の悲劇をくり返したくない1年前の悲劇をくり返したくない間に合った・・・
2010.04.14
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今日は、意味なく豪華2本立てである。1つ目は、はっきりいって高槻市である。何を隠そう、昔から私は高槻市にシンパシーを感じているのだが、それは、ここでは明かせない色んな理由があるのだが、丁度、JR線と阪急電車の京都市と大阪市に間にある環境と利便性の良い北摂のベッドタウン住宅地であり、駅前はそこそこに発展し、北部に山を備えた住みやすそうな都市である。 その中、久しぶりに野暮用でやってきたのだが、通りがかった公園で素晴らしい物件があったので紹介しておくのである。たんぽぽ公園、そこに打ち捨てられたバス。入ることは出来ないが、子供ならこういうのを基地にすれば、ムチャ面白いやろうなという一品である。 子供の頃は、基地を作るのが好きな季節であった。ちょうど、裏山に砂岩でできた崖地があり、時々、そこに行っては、鉄の棒や、枝で、砂岩を削り、基地を拡大或いは変形させていったのであった。 ある日、たまたま一人で出かけ、いつものようにカリカリ砂岩をを削っていたところ、急に砂岩が大規模に割れ、おそらく30キロ程度割れたのであろう、やばい、これ割れたら下の民家にこの岩の塊が落ちてしまう、しかし、もう手が持たない、どうしようと10分ほど、頑張って岩を抑えていたのであるが、手を離し、岩が落ち、下の民家に直撃し、そして、私は、そのまま崖を横伝いに走り、逃げました、すみません。家が壊れていないことをお祈りします! その子供の頃住んでいた町は、異人館がいくつかあり、最も目立つのが駅前にあり、電車内から見えるグッゲンハイム邸であった。グッゲンハイム美術館は、新たにアブダビなんかで建設中だが、今は、ニューヨークとベネチアとスペインのバルビオにあるが、ニューヨークとベネチアには行ったことがあるという話をしようとするのではなく、ここにあるところである。子供の頃は、ここ竹内油業という会社の寮であった。寮で使うなんて豪華だなあと思うが、子供の頃は、その看板が貼られていただけで、なんか、変わった建物だなあと思っていただけであった。阪神淡路の震災で無人となったが、地元が買い上げたということで、まあ、こういうのは、残していかなあかんねえ、という微笑ましい話である。えらくマジメな日記となった次第である。
2010.04.13
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それは、インド対中国ということかも知れないが、日本のカレーはインドにはなく、日本のラーメンは中国にはなく、どちらも、既にもう日本食といっていいだろう。個人的には、カレーのほうが味としては好きであり、3日連続でも昼夜でも、まあ、いいんじゃないかと思う。買ってからの保存性は、どちらも同じぐらいであろう。おそらく、賞味期限きれても5年ぐらいは十分食べることは可能と思う。(レトルトカレーはちょっと腹を壊しそうで自信がないが)作ってからの保存性としては、確かに、麺は延びるので、明日のほうが美味しくなるカレーのぶっちぎり独走勝ちといえよう。ラーメンは、一度、電話がかかってきて、30分ほどしてから食べると、異常に膨らみ、おそろしく不味かった。作る手間のお手軽度としては、具を何にするかではあるが、カレーのほうが切る物が多くて手間ではあろう。食べる時間のお手軽度としては、ラーメンは熱いので猫舌の私としては、まだカレーのほうがはやく食べられるし、冷たいカレーでも、十分に私は食べられるのである。カレールーが冷たく御飯が温かい、またはその逆、どちらか一方満たしておれば、特に問題ないの私である。ラーメンはせいぜい冷たいツケメンぐらいで、ツケメンにすると、ラーメンというより、レーメンになってしまうのであり、別料理になった気がするんどえある。ところで、大人気のラーメン屋とカレーやでは、その回転力の速さ、作る時間の速さを考えると、カレー店のほうが儲かるのである。一旦作ってしまえば、あとは、ルーかけて、トッピングのせて、出すだけなのだが、麺はゆでる時間がかかり、その分客が待つ時間がながくなり回転が悪くなるので、だ。原価率は、多分、どちらも同じくらいであろう。他の具との愛称としては、どちらも何でもぶち込める。カレーはどちらかというと混じり、ラーメンは交じる。つまり、カレーは、元の味ではなくなって融合した新しい味となり、ラーメンはそれぞれのものがそれぞれに引き立つという感じになる。私は、もう何でも混じってしまい、もう元にもどせないぜという味が好きだ。好きだがその分、リスクはあり、後戻りできないギリギリのところを懸命に走るのである。舌への感覚価格歴史親和性・・・疲れたから終わり。カレーとラーメンの死闘は永遠に続く・・・
2010.04.12
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この前は、いや、随分前だったかも知れないが、税金を払っていない人やアングラや法人(特に合法的に払っていない宗教法人など)が随分いるので、いっそのこと、所得税なくして、すべて消費税にしたらどや、というヤケクソなことを書いたが、税金というのは取りやすいところから取るというものを、ちゃんと儲けているところから取るに変えないといけないよな。思えば、売国奴の小泉と竹中が、アジアアフリカやアメリカのように格差社会を助長した。確か、ほんのこも前まで所得税は最高8割とか相続税は7割とかあったと思うのだけど、あれやれよと、貧乏人に増税して、大金持ちに減税させた。20億相続して16億取られて、生活に困るか?5億円年収得て4億取られたら、生活に困るか?4億の税金いったい何人から集めないといけないのよ? まあ、そういいつつ、今日は、先日ちょっとだけ問題にした教育と、数行に亘って書いた税金のと関係について、である。国税庁、モンカ省によると、公立高校に払う一人当たり教育費平均は年間40万円であり、私立中学は120万円らしい。そして、公立に使われている税金は一人当たり100万円であり、私立には20万円だそうである。つまり、私立公立であろうと、教育には一人年間140万円平均かかっているというのである。基本、私立のほうが設備や教育内容は充実、先生の数も充実先生の給料も高いというのが現実であろう。公立には無駄が多いということだろう。 私には認知している子供がいないので、大きなことは言えないが、子供の居るご家庭の方はまさか、自分の子供に140万円、1学級40人とすれば5600万円も使われていると実感できるほど充実しているdろうか。学生の頃、授業料をコマ数で割ったら、1日5000円の授業料と出た。1日サボってバイトでもしたら、なんだか、その差ってなあ・・・サボるだけで、5000円の損失・・・そんなことを時々考えていたが、140万ともなれば、小中学校でも、1日の授業料は5000円を越える。そんな価値あるサービスを受けているのである、あるか?塾代は今いくらかしらないが、1日5000円(週2回で1ヶ月4万円でどうだ?)としたら、まあまあ充実した授業を受けられるのではないのか?冷暖房ついてるよね。 ああ、そうだ、給食にもお金んかかっているんだよね。給食なんか、そもそも廃止すりゃあいいのに、よく分からないが、昔は貧乏人は腹を空かせたり、金持ちも豪華弁当を隠すように食べていたのだが、我々の子供の頃は、そのような差もなくなり、ただ親が働いてたり、面倒だったりする家では毎日パンなどの外食、そういうので、家庭事情をなんとなく察知したもので、それが良い悪いではなく、そういう差が大人の社会にはあるのだということを何となく感じる、そういうものであって、平等なんかありえないことを学習するものなのだ。給食費払わない人がいるのも、給食がなくなったら問題もなくなるじゃん。22億の未払いって、マスコミってなんだよ、給食費1ヶ月3000円、毎食200円少々、安いねえだなんて、そんなに安くできるだずねえだろ、と思っててチョット調べたら、やっぱそうじゃん。 ちゃんと、税金が補ってて、一食あたり600円から900円になるぞ。在庫を抱える必要もないのに、大量に作るのにである。普通の店でメシ食うランチと変わらないじゃないか。これなら、民間の業者に給食を注文したほうがかなり安くつく。どうやら、そうしようとした市町村もあるようだが、教育委員会からクレームがきたようだ。ああ、何らかの癒着があるんだな。給食のおばちゃんはありがとうであったが、栄養士にナンボはろとんねん、でも給食のおばちゃんの給料、何度か仕事上見たけど、安いよ。勤務時間も短いだからだろうけど。でもその上の栄養士などの公務員は高いよ。まあ、それは1例だが、ピンはねピンはね天下り先ガンガンそっちに流れているということだね。教育は、金儲けではない!おお、高尚な理念!そういえば、小手先でちょちょっとやった事業仕分け、学校には手がつけられてなかったけど、何十年もかけて官僚が作り上げたシステム、全ての事業は、基本、必要なもので、この事業は必要ですか、って俄か勉強で質問したって、そりゃ必要ですよね。必要な大きな題目の下に無数の無駄を忍び込ませているはずなのですからね。多分、あんな茶番、民主党も分かっててやったんでしょ?官僚も、じゃあ、ここんとこ、出しときますって生贄を差し出しただけでしょ。 そもそも、授業料が有償な先進国ってアメリカとか少数だよねえ。実質、市町村が小中学校を経営しているわけだから、直接市町村にまずは教育委員会なんか通さず税金を渡すところからででもはじめないとね。できれば、各小中学校に直接税金渡してあげれば、いいんじゃないの?あ、クレーム入るか。汚職じゃなくても、合法的に強奪だな・・・トホホ。
2010.04.11
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今度、結婚する大学の後輩のKのエピソードを考えていたら、ある日のことを思い出した。その年の前年、初めて海外旅行を堪能し、そこで知り合ったBサントス(あ、実名だしてもた)が日本にやってきたのだ。当時1980年後半、日本は景気が上がってきた頃、フィリピンからはジャパ行きさんがじゃんじゃんやってきた頃で、彼の奥さんもそういう状態で、何故か会いたくなって成田に飛んできたというわけ。でも、成田からどうやって行ったらいいかわからず、タクシーに乗り、「大阪、お金ある」、と財布を見せて交渉して10万円で大阪に来たそうだ。奥さんが懸命に働いたお金をそう散在されたらたまったもんじゃないと、当時の私は思ったが、今も思う。 清き正しく美しかった学生時代の(今もだけど)私と、同輩と、そしてこの後輩Uを連れて、夕刻学校をサボり、大阪の花園までBサントスに会いに行ったのである。初めて降りた花園駅はなかなかファンキーな駅で、今ではどこでも見かけるが、初めて路上に拾ってきた雑誌を広げて売っているのを見かけた昭和の終わりの風景であった。奥さんが働くのは関西ニューアートという劇場、であった。そこの劇場の前の小料理屋に彼は奥さんが仕事を終えるのを待っていた。 再会を一通り喜び合い、Bサントスが面白くない手品をした。親指と人差し指の間に10円を挟んで、両手を離すと、10円が人差し指にひっついて床に落ちないのだ。はあ、と呆れていると、たまたま隣にいた出来の悪そうな893がそれをみて、「オメエの体には電気はしっとんかい!」と大声で感動していて、失笑してしまった。世の中いろんな人間がいることを徐々に知り始める年齢でもあった。 学生1年を経過した私は、先日まで高校生だった後輩Uよりは、1年も先輩であり、若干偉大であり、多少経験豊富であり、後輩Kの頭の中には、何だか分からないが、すとりっぷ劇場の前の店ににいるだけで、多少興奮しているようであった。Bサントスがその様子を敏感に感じ取り、「あとでできるかもしれませんよ」とからかった。私も、ほんまや、こりゃえらいこっちゃ、と後押しすると、後輩Kは飲みかけのビールもそこそこに真っ赤な顔をして店を出て行ってしまった。何て純情なやっちゃ、と追いかけるわけでもなく、我々は更にビールを推し進めるのであった。しかし、後輩Kは10分後には、店に戻ってきたのであった。なんだどこいってたんだと、尋ねると、コレかって来ました、とコンドムを見せた。ビールが鼻からでるのをぐっと我慢し、そうだな、がんばれよ、と意味のないエールを虚しく送るのであった。 やがて、奥さんが仕事を終え、Bサントスとの再会と我々との再会を喜び、喜びも束の間、5分もしないうちに、店を出て、そのまま、タクシーに乗って帰ってしまった。 取り残された後輩Kはコンドムを握り締め、ただただ、黙っていた。慰めの声をかけるでもなく、かける言葉もなく、翌日から、Kの武勇伝は笑いのネタになった次第であった。 あれから3年、昭和が終わった。あれから3年、Bサントスは、コレクトコールで日本に電話してきて、大変なことになりました!と5秒ほど叫んで電話が切れた。(翌年、フィリピンに行って分かったことは、拳銃密造でヘマこいで、ネグロス島に逃げているということだった) あれから20年、関西ニューアートは、ネットで調べると、摘発などあって形態が変わったようだが、まだ健在であることが判明した。 あれから20年、大阪の花園駅には、仕事で一度下りただけであった。 あれから20年、世間の常識と世間の荒波にようやく揉まれ慣れた後輩は、結婚する。 あれから20年、あと倍の40年で私もこの世とおさらば。死に向かってまっしぐら、まっしぐら。
2010.04.10
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毎年恒例になっています、お世話に鳴ってます、毎度dESUサクラサク@のお知らせです^^毎年やめようかどうしようかとこの時期になると迷走してしまいます^^;でも今回も皆さんと一緒にネットでお花見出来たらいいなと思いますのでご案内させて頂きますね~楽天のブログをお持ちの方はテーマを”ネットdeお花見♪”を選択していただきタイトルはサクラサク@地名←ここはあなたのお住まいの地名を入れて頂いたら嬉しいですたとえば私ならサクラサク@神戸になりますネットでお花見ってなんぞや?とお思いの方も多くいらっしゃると思いますので説明させて頂きますね9日の日にいっせいに桜の花の写真をアップしようという企画だそうですいろんな地域の方がいらっしゃるのでたくさんの桜が見れたら良いな~と思い数年前に考えたものですもしよろしかったら一緒にお花見しませんか?楽天以外のブログをお持ちの方はナッチーさんがリンク貼らせて頂きますしブログをお持ちでない方はナッチーに画像を送って下さったらここで紹介させて頂きます♪ナチイーの左ページにメッセージを送るの所からでも(掲示板でもけっこうです)その旨おっしゃって頂けたら幸いです一緒に楽しみましょね~^^追伸:ツイッターを実は別名で登録だけしていますもしツイッターされてる方いらっしゃいましたらそうですかー☆
2010.04.09
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私は、この壮大なテーマにマジメに取り組むことができず、命題のまま20年の月日が過ぎようとしている。その間に、第一回カレーVSラーメン対談を、パキスタンからイランに入る砂漠を通過する深夜バスの屋根で議論したW大学出身の、レソトで亡くなった故Y君のことを思い出した。 カレーでも昼飯くいに行きますか、と会社の人に言うと、いこういこう、といい、そして、子供手当てって出稼ぎに来ている人が、海外に置いてきた子供にも手当てもらえるねんてなあ、一夫多妻制の国なんか子供50人もおってえらいことになってたり、ひっきりなしに、子供何人いまーす、日本語通じませんと紙に書いて役所に訪れる外国人が多いらしいでと話していた。デマのところは多いのだが、そもそもなんだ、子供手当てって。さすがに庶民感覚のない某国首相の編み出した借金ばら撒き方法だ。親から何千万もらったり、自分の口座から自分の政党に献金したりしてもそんなハシタ金など気がつかないだけある。そうやって、強権発動できるなら、予算も、あんたとこ、こんなけね後知らん、と2割カット3割カットしたらいいのにねえ。官僚の特徴は、ほっといたら利権増殖するけど、この金額と、決められたらその枠内でやるというのにだよ。まあ、民間企業では、それ当たり前だけど。そしたら、官僚も、ああ、金ないから、もうここの道路は中断しますね、だってお金ないからといえるだろうに。まあ、官僚からしたら困ったものだなあ、民主党新入社員が、社長や役員クラスの権限と年収を持って乗り込んでくるということでしょ。すごいねえ、私なんか、社歴20年近くを誇りながら大事業の決定権はなく、せいぜい、たまに取引先に昼食をおごって経費で落とすぐらいの権限しかないからねえ。自分の収入がソレによって上がるわけでもないのに、ナンボにしてくれんねん、それでナンボにしてくれんねん、とけち臭いことをいいつつ、「景気が悪い今だから、そうはいってもちゃんと利益はとりなはれ」と、矛盾したことをシャーシャーといっているチンケな私です。そうなんです、そういった政治家を選んだ我々の民意が低いだけなんです。国民のほとんどが、こりゃ政治生命終わりやなと思っても、地元で支援されてまた議員になっちゃったりなんかして、あんな奴がなんでまた?と皆が思いながらも地元に利益をもたらしてくれるならいいんです。それで。まあ、日本に限ったことじゃないですけど。アメリカも最近の話を例にとるとじゃ、トヨタ問題でも、結局、糾弾している議員の地元にはトヨタ工場がなくって、擁護している議員の地元はトヨタで雇用や財政が潤っているというお話ですよね。あ、あのブレーキとアクセルが同時に制御不能になって、160キロで走って、その速度ででも夫に電話して、そんな事故があってもその車を黙って転売した公聴会のおばちゃん、どこいった?
2010.04.08
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そういう命題をハルジ氏がアップしていたが、私も、走っていたのは、もう中高生の頃だったので、そんなことは忘れたといいたいところだが、未だに、塾に行っている夢や学校の受験の夢と走る夢をときどき見ることがある。流石にここ10年ぐらいは、もう随分長いこと数学から離れているから、今更こんな問題解けないよなあとか、何だか随分走っていない気がするから、また大会っていわれても大丈夫なんかなあとか、何だか薄々感じながらの夢となっている。最近の夢の傾向としては、会社に遅刻する夢と、急に飛行機に乗って海外に急かされて行く夢が割合的に多いような気がする。一貫して、殺される夢と空を飛ぶ夢は相変わらず多いけれども。 あ、夢の話ではなかった。なだらかな苦しみが続く競技というものに共通するものだろう。マラソン、自転車、登山。練習でも、走るだけというのは、やはり、3、4時間だらだら走り、登山で多くて12時間、自転車で15時間といったところだ。勿論、登山や自転車では休憩があるが、3つも、暇かといえば、暇で、体を勝手に動かしているので、頭の中は結構別のことを考えながら先に進む。登山や自転車は、景色が良いと別だが、ブッシュの中や単なる直登、自転車では何の変哲もない1時間走っても同じ光景、ランニングにいたっては、運動場をグルグル、ロードに出ても数パターンの同じコース・・・思い浮かぶのは、過去の楽しい光景であった。ややもすれば、1時間ぐらいが、経過し、あっ、何も見てないようで見てなかったという感じ。丁度、今なら携帯電話で歩きながら話していると、いつの間にか風景が変わっていたり、電車で本を読んでいたらもう着いてしまったという感じ、いや、違うな。そこに、なだらかな苦痛と、それに対抗するためのハイな状態がないな。 とにかく、練習で走っているときは、無の状態はないのであり、どちらかというと、仕事やバイトで超単純作業で手だけを動かす時に、無の境地に入っていく。 試合ともなると、もう1500メートル、3000メートル、5000メートルの出発直前は心臓バクバクであり、スタートと共に、もはや、このような距離はずっと気の抜けないレースであり、特に1500メートルともなれば、はじめから全力疾走状態であり、最後の100メートルは顔が歪んでいるのに、1メートル先の選手を抜くことができないのでり、離されもしないのである。自転車や登山では、試合をしたことはないので、分からん。あ、レースをいろいろ思い出してしまった。
2010.04.07
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おまえ、いっつも夕食どないしとん?と時々尋ねられ、適当に。家では料理しませんから。家で料理すると、毎日料理するか、しないかにしないと結局高くついちゃうんですよね、多分、とお茶を濁す。本日。半額弁当180円+半額ナムル180円。勿論、半額を狙ってのスーパー突進である。昨日。サムギョプサルにスンドゥブチゲ。夜食に持って帰ったキンパ。キンパは、翌朝の朝食予定だったが、早い夕食だったので、夜中の1時頃に、腹へって食べた。寝る前に飯を食うな、というのは、まあ現実的には問題としては存在するが、腹が満たされると、活動が鈍くなり眠くなるので丁度いいとも言える。腹へって、ちょっとだけイライラするというのを抑える為に、寝てしまうという算段もあったのだが、満足して健やかな眠りに入るという安易な方向へ走ってしまった飽食の人間と化したのであった。一昨日。納豆野菜カレー。納豆入りカレーを初めて食べた。うまいが、別々に食べてもいいんじゃないかとも思ったが、いっぺんに食べられるのが合理的で良いのではないかと思い直した。3日前。イタリアン。ミラノ風ドリアはじめて食べた、この店の看板商品299円。パルマ風トマト味スパゲティ399円。そしてドリンクバーで、アイスティ2杯にカプチーノ4杯。 4日前。納豆定食。納豆に、生卵入れて、青ネギを大量に入れる。そういうのって、納豆が大好物じゃないけど、死ぬ前に最後に食べる食事に相応しいなあと思う。死刑じゃないよ。そういいながら、今も家に米もないし、(先日、1年前に買った2キロの米を捨ててしまった)米のない生活でも結構平気なのは、食江の飽くなきこだわり、というか、料理を肉と野菜とその他で分けている習性があるからであろう。 5日前。インド料理。ホウレンソウカリーセット。ベリベリホットで注文。それにしても、日本では、なかなか金さえ払えば、各国の料理を楽しめる国なんだなあ。6日前。ブイヤベースにパン2切れ。7日前。ナッチ定食。それにしても、昨年食べた外国料理ベスト3なるものを、思い起こしたのだが、これが、また難しい。難しいが敢えて1週間の食事の旅、フィナーレを飾るに、無理クリ記してみて筆を置く(というか打ちやめる)。1.レモングラスサラダ(ミャンマー)1.ラープ(ラオス)1.シキマメ(香港)
2010.04.06
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大阪駅から、環状線でたった2駅行くと、今は、帝国ホテルなどのあるOAPがあり、その向こうにOBP松下電器村、大阪城ホール、オータニなどがあるが、そこは、戦中アジア最大の軍需工場があった場所であった。その「大阪砲兵工廠」は、終戦前日の米軍絨毯爆撃で、不発弾のため危険のあまり片付ける事も出来ず20年間放置されたままで、区画整理は1970年代に入ってからだった。そんな中、危なっかしくて放置されているような地域にも、誰かがやってくる。特に虐げられた人がやってくる。不法占領といわれようが、生きていくために仕方ないことでもある。川沿い、へたち、危険な場所、見捨てられた場所にやってくる。大阪駅からたった2駅行った桜ノ宮駅高架下には朝鮮のシャーマニズムの場がある。過去、近年2回ほど火事になり、環状線は止まった。不法占拠なので、排除命令がでている。梁石日の小説やエッセイは、何冊か読んでいる。エッセイの中で、生駒の山の中腹に朝鮮寺が存在していることや、月に何度か桜ノ宮で巫祭が行われていることを知った。朝鮮寺は、宗教法人でないので、その数は良く分からないという。 今日、祭りがあるから東京に行こうかと思ったが、寝過ごしたのでやめた。もう1回行ったし。それにしても日本に120種あるというサクラよ、何故ソメイヨシノばかりなんだ、何だか、キレイキレイ、そして多少気色悪くなる。
2010.04.05
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俺様なりのこだわり 30万アクセスに向けてを脱稿してから1年の歳月が過ぎ、この1年もいろいろなことがあった、かと思いきや、特に何もなかったような気もする。中年になると、1年は、今まで生きてきた一生の40分の1程度に過ぎないもの、10歳の10倍の速度で逝っちゃってるのである。世界経済はどうでしょうか、今や、何かを説明する時に発する枕詞として、「一昨年発生したリーマンショックにより」というのが定番となった感があるが、やっぱ、なんというのか、アメリカが初めとして、金融やITに力を入れたところに、構造的に不況の原因の始まりだったのだろう。製造業では、一生懸命、皆で作り上げていくという人手のいるものであるが、金融やITというのは、人の代わりに、頭の中でチョチョイとひねり出すもので、これら分野が発達すればするほど、人数がいるかといえば、製造業に比べると、全然人を増やす必要がない。富が集中するような構造になっているのである。汗水流して働かんかい!それが労働の尊さよ、と説教垂れる大尽もいる。そしたら、汗水出して働いている人が一番収入高いんかい!ま、そんなはずはないわけで、特にマニュアル化できるような仕事であれば、安いコストを求めて労働力は移動していくわね。だって、人々はちょっとでも安い製品求めている訳だからねえ。初期コストを抑えることが難しければ、ランニングを抑えていくしかない。労働とは、いくらしんどくても辛くても誰にでもできる仕事より、特殊能力を発揮した仕事に対価が払われるという仕組みであり、まあ、はっきりいって、強奪の仕組みでもあるわけよね。 そういうわけで、40万アクセス、踏んだ人は何がいるんじゃい!もうそう財産は多くありません!早く死ななければ追いつきません!
2010.04.04
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訴状は届いていないので、コメントは差し控えさせて頂きます!いまだそういう放送で、続報を聞いたことがないんだけど、ニュースのネタにしか過ぎないのだねえ。忙しいし。でも後続取材するつもりないなら、そんなコメントニュースにしなくてもいいのにねえ。イラクに入った人の本を読んでいると、戦争のことはさておき、イラク産の肉が大変おいしい、それも、働きにきているネパール人やフィリピン人などにも大人気であるということが書いてあり、実は、それは、アメリカを初め経済制裁を受けており、農薬が入ってこないから、放牧せざる得ず、同じ経済制裁を受けているキューバのように有機農法、自然飼育方法が発展したのではないかと、書いてあり、なるほどねえ、反米国家になると、条件によっては人間らしい生活ができるのかもなあと、何となく空を見上げた。あ、夜だった。あ、電車の中だった。資料を読んでいると、日本は世帯数以上の家が結構有るのは知っていたが、今は、空き家が、セカンドハウスも含めてだが、14パーセント、800万戸あるそうだ。そのうち半分が借り手のついていない賃貸住宅であり、5パーセントが売り出し中の家のようである。山梨が一番空き家が多く、2割。持ち家は、富山かと思いきや、富山は2位で秋田が8割近く。さすがに東京大阪沖縄は半分である。で、何がいいたいのか、そこんとこ、忘れてしまった。昨日のお客さん王様の続きになるかどうか分からないが、少しでも安く、そして気持ちよくフテブテシク買おうとしているから、企業の利益も下がる、販売や接客する人のモチベーションと給料が下がる。派遣切りといっても、企業も、そんなにすることもないのに、人を雇い続けることもできない、内部保留がある企業といっても、アメリカみたいに役員がバカみたいな給料を得ているわけでもなく、何もすることないのに、ブラブラ遊ばせるために派遣社員を雇っておく余裕もなかろう。いわゆるデフレスパイラルにプラスしてモチベーションも下がり、てな感じで、派遣切りをなくすほとつには、定価で買ってもらう、適正利益を得る、多少品薄で少なくとも売るほうも買うほうも平等にならんと無理ですワナ。
2010.04.03
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ふと、何かが狂っている、背広姿でビジネス街を歩いているとそんな気がする。自分が場違いな所にいるのでは、という違和感は確かにあるにしても、何だか、やたら他人に不寛容な社会のくせに、何だかハイテンションでいこうぜ、悲観すること禁止明るく行こうってな不穏な空気が流れている。 世の中不況といわれながら、実は、こんな状態がずっと続くことは分かっているくせに、いまだ景気回復し、あわよくばバブルを謳歌しようと考えていたりなんかする。ポルトガルのように、ぐっと沈んでいき、経済は3流でも豊かな暮らし方を選択できないものか、折れるまで走るか。 海の向こうで戦争があっても、街を歩く人々は、何事もないように、無表情に歩いている。何かをせよというのではないが、全く関係ない事象のようである。 国が借金で大変なことになっている、そういうのが全然関係ないように見え、それは孫の世代に任すよという態度で、今でも無駄金をひっぱり土建に注がれる。雇用だ雇用だと、公共の仕事を引っ張ってきて、仕事もなくなったら、更に食べさせるために税金投入じゃわ。これアメリカも同じだね、戦争起こして景気アップさせたり、nAsaだってさ、アポロもスペースシャトルも金がかかればかかるほどいいんだってな感じで、どんどん高いものを無駄に提案。世の中の不幸を根絶します!お客様第一主義です!文句がでないよう最善を尽くします!福祉を充実させて、安心な将来を約束します!ああ、人間の欲望、とどまるところを知らない。オレは、客だぞ、オレ様は国民だぞ、オレ様はご主人様様だぞ、僕ちゃんはお子様だぞ!そういっても、普段排除され褒められたり尊敬されたりすることがないと、金を払う客になった瞬間、王様になる、不寛容の王様になる。オレ様を崇めたてろ、みじめなオレ様を。金払ってんだ拝金!全てはワガママは許される、金払ってんだ、普段無視されたり排除されたりつまらん人間なんだ、虚無だ、オレ様の虚栄心を満たしてくれ! そういったシステム、家族の中のお子様、学校の中の生徒、病院の患者、習い事、そういうのまでが、お客様という亡霊が跋扈している。そうやって偉そうに接すると、かわいそうに、ハイハイと言うことをきいてくれたり、しぶしぶ納得してくれたりするが、無駄にバカにされてるんだよね、お客様!
2010.04.02
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春、引っ越しの季節だ。学生時代には、旅行資金なんかキザに貯めるため、徹夜バイト以外にも単発でバイトしたものであり、その中でも、引っ越し屋でも何度かバイトをした。引越しの●カイは人遣いが荒く、その代わり日給が1000円高かったのであるが、風邪気味で頑張って行ったら、何トロトロ荷物はコンドルンジャイ!走れ1と言われた。走るんですか?と髪の毛の色がヤンキー色の先輩に恐る恐る尋ねると、そうじゃあと切れられ、やっと、仕事終わったわ思うと、拘束時間はまだあるわいと、別の引越しの手伝い、フラフラになった。仕事という厳しさを教わった18歳の春であった。病院の引越しにも行った。というか聞いてなくて、引越屋の会社の前に不良学生が40人も集まって一体何事だ!と思っていると、病院に直行。旧館から新館に引越だけの引越で、人数募集を間違えたのか2時間で引越完了。もっとも時給の良い引越であった。時給にして3000円であった。医者の引越は、大変である。書物で重くて仕方ない。まるで、後年のトイモイ氏の引越と同じである。ただし、トイモイ氏の場合は、無駄な本がダンボール40箱である。(衣類は3箱であった)若い女性の引越は、まあ、ダンボール数個ですからといい、格安で引き受けていたというのに、部屋に行くと、これもこれもこれもついでにお願いしますと、注文の数倍の量である。それはあかんやろ・・・だが、追加料金を取ったかどうかは、アルバイトなので知らない。今住んでいる家の近くにも引越バイトしたことがあり、時々、前を通ると、昔この家の引越手伝いしたよなと思い出す。引越アルバイト料をもらいに原付で行くと、その帰りに交通違反で捕まった。その金額がバイト料と全く同じだったところが笑えなかった。それも、原付なのに、5車線の真ん中を走っており、警察がいるのが見えたので、別に真ん中走るのは、違反じゃないのに、何だか、嫌な予感がして、左端車線に寄ったのだが、それが、信号手前の車線変更禁止路線になってしまっていたのであった。警察がいなかったら、違反をしなかったという間抜けさであった。ピピピーと笛を鳴らされ、車線変更できないやろ、なんちゅう危ない運転するんだと怒鳴られ、あ、あなたを見たので、うっかり、原付は左脇車線を走らなければと思ったのです、と答えたが、信号手前●●メートルは車線変更できないんだ!とどやされたのであった。何度か書いたが、一番思いで深いのは、四国の室戸岬近くまでの小トリップ引越であったな。拘束時間は14時間ぐらいだったが、引越時間は乗せるのと下ろすの合わせて1時間。今日は最後の夜でもないのに、数年たって開けられていない段ボール荷物が部屋の中央に置かれている。だからそこは通ることができないんだ。
2010.04.01
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