夏休み、いろんな体験教室の、真っ最中だと思います。
子どもたちに、様々な体験、特に、自然体験をさせることは
一生の財産だと思います。
しかし、科学的な思考を発展させるため、ということを考えると
それは、一概に、体験量を増やすのが良いとは言えないと思います。
もちろん、何か考える場合、
ある程度の情報量をもっていなければ、
考えること自体ができなくなります。
しかし、経験がありすぎて、それが当たり前になってしまって、
疑問にも思わない、ということが、私たちの身の回りにいっぱいあります。
逆に、はじめて触れたから、発見するものも多いはずです。
とすると、はじめて触れる瞬間というもの、それを
とっても大切にしてあげないと、もったいないわけです。
これは、情報の質の問題と、量の問題とも言えるかと思いますが、
同じ事実を見ても、問いかけの角度を変えたり、順番を変えたりするだけで
大きな感動をもたらしたり、全くの無感動だったりします。
その子にとって、感動できるチャンスというのは、
そうそうあるわけではありません。
とすると、周囲の大人は、その子の
一生に一度のチャンスを奪ってしまわないように
慎重に、新たな体験を準備してあげたいものです。
とにかく、人間が認識を新たにできるのは、
そこに何某かの、ズレを見いだすからです。
そして、そのズレも、目的意識的に見ないと発見できないものです。
学校の教育に染まった「よい子」は、
そこにズレを見ていても、
大人や先生から、「そういうもんだ」と言われれば
「そういうもんだ」と、自分自身を納得させてしまうように
習慣化されてしまっています。
そこには、疑問も何も起きないのです。
科学の醍醐味は、常識的で、あいまいなモノの見方との
鋭い対立・対決にこそあります。
そして、その対決から、新たにつかんだ概念が、
とっても有効だと実証されたときのうれしさ! です。
だから、思考活動を活発化し、感動の世界をプレゼントしたいならば、
体験する前の、予想・仮説を目的意識的に、はっきりさせるべきで、
その予想と事実のズレから、得るものを何倍にも大きくし、
その子を、この世界の隠れた秘密への
ファンタジーに誘うのだと思います。
私の科学教室も、慣れが一番怖いものです。
はじめた頃の、もし感動を与えられたら、死んでも本望という
あの情熱だけは、絶対に失わないようにしたい。
この夏、科学教室等、子どもたち向けの活動でいっぱいで、
商店街活動のお手伝いが、全然できていません。
たいへん申し訳なく思っております。
お祭りも近いのに、そばで皆さんが活動しているのを尻目に、
実験教室の準備に追われています。
ぜひ、チョー長い目で見てくださいね。
いつか、ご恩返しができると思います。
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