先のスコトーマの続きですが、私の世界も間違いなく
ゆがんだ世界、スコトーマだらけの世界に違いありません。
これまで、大学、中小企業の社員、経営者、NPO職員
そして、教員と、いろんな立場を人よりも豊富に経験している自負はあるのですが、
しばらく、子ども相手のしかも、科学教室という「普通でない」環境に
ドップリと浸かってしまうと、
人間は必ずその世界が中心のモノサシをもってしまうものです。
それだけならいいのですが、
このモノサシで世界を測定するものですから、
自分では、どんなにマトモな人間であると思っても、
その発言には歪みが出てくる。
学校の世界もそうですし、お役所仕事というモノサシのある世界もそうですね。
だいたい、先生なんて、呼ばれる世界は、絶対おかしいに決まっています。
個人の認識も歪みますが、
この歪みが、組織全体に及と、本当に怖いものです。
戦前・戦中の日本に、科学的思考能力を求める法が無理というものです。
外から見れば異様なことがすぐわかるのに、
内部にいれば、慣れてしまい、何とも思わなくなるから怖いのです。
もちろん、組織としての公式見解というのは必要でしょう。
しかし、それはあくまで、組織の物の見方であって、
個人の考えではないはずです。
十人十色の発想があるはずなのです。
それが、み~んな金太郎飴の発言しかできなくなったら、
組織の動脈硬化は相当進んでいて、
死は間近だと診断していいと思います。
そういえば、この間NHKの番組で、リクルート(元)の藤原さんが、
リクルートのモットーは「組織内個人だ」とお話していましたが、
組織の資源を個人が利用するという姿勢に、とっても共感しました。
こういうコメント自体、私のような一匹狼には、とても発言しやすいのですが、
組織人間の一般の皆さまには、ずいぶん勇気の要ることだとは、
重々わかっています。
でも、誰でも健康ではいたいですよね。
脳ミソも健康でありたいものです。
誰の脳ミソも、本当は自由を求め、
拘束を嫌がり、快感を求めるのです。
それが健全性というものです。
組織とは、距離をおくべきだと思います。
でも、もうドップリ浸かって、自分の脳と会社の利益が不可分になっている人も
いるでしょうね。
そんな人は、自分がどんな状況かさえ、わからないでしょう。
ご愁傷様。
私から見て、
「会社あっての私の生活」
と考えている人は、まず歪んでいます。
私という個人にとって、会社という組織はどうでもいいはずです。
「給料をくれるから?」
会社が給料をくれるのではないでしょう。
あなたが仕事をした結果として、いっぱい会社に利益を与えているから
当然、自分のものなのです。
ところが、ところが、このような不景気で就職先がないと
「会社の命令なら、何でもします。」
「会社あっての私です。」
という発言をする高校生がいることに
口がアングリの科学寅さんでした。
学校が吹聴する「組織人間」なんて、
実社会では、求めていないぞ!
そんな人間は役には立たないのだ。
命脈が尽きかけている会社以外には。
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