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日曜日は今年一番の暖かさ。春の到来。そして今年の農園作業のスタート。今年も我が家の横の趣味の農園にジャガイモの植え付けを行った。植え付けるジャガイモの種類は男爵、シンシア、インカのめざめ。まずは男爵。今年もインターネットの通販で購入。我が家は メークインより男爵が好きなのである。そして切断面に塗す草木灰も新たに購入。そしてシンシア。フランス生まれの卵型できれいな形。肉色は淡い黄色。くせがなく、煮もの、揚げもの、ポテトサラダなどどんな料理でも美味しいのである。そしてインカのめざめ。原産地・南米アンデスのじゃがいもを日本向けに改良したもので、驚くほど鮮やかな黄色。コロコロと小粒な姿、栗かサツマイモを思わせるホクホク感で、たいへん人気のある高級じゃがいも。大きいものは半分に切って草木灰を塗し、約30cmの間隔で植え付け。肥料は堆肥と化成肥料、鶏糞。強い風の中、花粉症の鼻水を垂らしながら作業終了。我が趣味の農園も漸く春を迎えたのである。ソラマメ、タマネギも元気に冬を越し順調に生育中。追肥を与えて、農作業スタートの日を終えたのであった。
2011.02.28
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富山と言えば、「置き薬」の名で全国に知られる薬の訪問販売。あらかじめ各家庭に薬箱を預けておき、半年か1年ごとに巡回して減っていて使った分だけ代金を受け取り新たな薬を補充していく、という特徴的なビジネスモデルで知られ、300年以上の歴史があるのだ。 富山空港の国内線2階出発ロビーに『廣貫堂』という富山では有名な製薬メーカーが店を構えているのだ。国内の空港で出発ロビーにこのような薬屋が出店しているのは流石に富山空港だけではなかろうか。そして1Fロビーにも「富山の薬 コーナー」紙風船のディスプレイも。私が子供の頃、我が生家にもこの富山の置き薬が置いてあり、薬屋さんの来た日はこの紙風船を膨らましてポンポンと手でついて遊んだのである。 店の入り口には、子供の頃お世話になった、なつかしい薬が多く展示されていた。今もこの薬が販売されているのである。「ケロリン」。♪♪・・・・ケロリン、ケロリン、青空、晴れた空♪♪ のCMソングが懐かしいのである。「熊膽圓」なんと読むのであろうか。子供のころは『クマノイ』と祖母が呼んでいたと記憶しているが。銀紙の袋に入った真っ黒な四角い薬であったが。思い出しただけであの苦さの感覚が口に拡がるのであった。売り場の壁には和漢薬としての材料名が数多く表示されていた。ところで和漢薬・生薬・漢方薬の違いって何なのであろうか?教えてください、我が薬剤師のパートナーさん。 富山のくすり同様、【越中富山の売薬さん】饅頭も富山文化伝承菓子として販売されていた。売薬さんの柳行李を模し、白こし餡を包んで焼き上げたミルク饅頭のようだ。同じく胃痛・腹痛などに効能がある富山では有名な薬「反魂丹」の名にあやかって「反魂旦」と名付けられたチョコレートを原料にしている?和菓子。調子に乗ってついつい食べ過ぎてもこの和菓子は絶対に胃もたれしないのが売り??そして最後に『やくぜんカレー』。和漢薬でも使用される和漢素材6種類と、薫り豊かなスパイス27種類を独自にブレンドしたカレーと箱に書いてあったが。健康には良さそうだが味はどうなのであろうか??そして我が家もこの「置き薬」を30年以上にわたり置いて便利に使っているのである。
2011.02.27
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富山に出張した折、富山駅前の食べ処に冬の味覚を求めて、同行の同僚部下とともに向かった。ビールと供にこの時期の富山の冬の味覚を注文。まずはもちろん氷見の寒ブリ。氷見の寒ブリは、脂が一番のった冬のこの時期(11月~3月)に水揚げされ、その美味しさで全国ブランドになっているのだ。ブリは、ご存知のとおり、出世魚の代表格。関東では『ワカシ』⇒『イナダ』⇒『ワラサ』⇒『ブリ』、関西では『ツバス』⇒『ハマチ』⇒『メジロ』⇒『ブリ』と呼ぶのだ。店員によると今年は寒ブリが豊漁だと。厚みのあるそっしてトロであまりにも脂がのっているものを堪能。 そして次にヤリイカの刺身。食べる時にも足が未だ動いていた。口の中で吸盤が吸い付きそうな感じ。ゲンゲの唐揚げ。ゲンゲとは富山湾の海底に住む深海魚とのこと。正確には「ノロゲンゲ」と呼ばれ,寒天質で柔らかい体。ゲンゲの中でもノロゲンゲは最も食用にされており,寒天質がもたらすそのプリプリとした食感は最高。ゲンゲは「幻魚」と漢字で表すとのこと。これは富山魚津の海、そして蜃気楼の有名な街として、蜃気楼と幻をかけて名づけてあると女性店員の親切な説明。そして「香箱蟹(コウバコガニ)」。北陸地方で獲れる雌のズワイガニのこと。雄のズワイガニと比べ小ぶりな外見の中には、茶色の外子(そとこ)と呼ばれるつぶつぶの卵、そして味噌の部分であるオレンジ色の内子(うちこ)を持つ。小さな分だけ味わいは濃厚で旨味もたっぷりであった。約2時間ほど富山湾の新鮮な冬の魚を楽しみながら、そして同行の同僚が19日の大安の日に入籍したとのおめでたい話もあり、この日は私のおごりの祝宴を御開としホテルに戻ったのであった。
2011.02.26
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仕事で富山県内にある下水処理場を訪ねました。処理場内の高木には雪吊りが。既に木々への積雪は溶けていましたが。雪吊(ゆきづり/ゆきつり)は、冬季、雪が付着することで、樹木の枝が折れないように、縄で枝を保持すること。金沢・兼六園の雪吊り等が有名ですが。樹木の幹付近に柱を立て、柱の先端から各枝へと放射状に縄を張ることをりんご吊りといい、雪吊の代表的手法であると現場の方の話。これは、明治以降、西洋リンゴの栽培が日本で始まり、リンゴの実の重さから枝を守るために行った初期の技法に由来するとのことでした。しかしながら、この場所の雪吊り用支柱は地面に刺さっておらず幹に縛り付けられて宙づり状態。積雪量が激しくない場所ではこの方法でも十分有効なのであろう。支柱の先端に集まられた吊り用の縄の放射状の姿が美しい。そして松の枝は縄で固定されていたのであった。この冬もこの雪吊りでこの松も枝を折らずに春を迎えられるのです。この松の木に『行きずり』の男の話である。
2011.02.25
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仕事で富山に行ってきました。この日は、翌日富山大学他の入学試験があるとのことで、夕方の便は既に満席のためやむなく16時前の飛行機を利用。幸い進行方向右側の窓際の席を確保出来たので、今回も窓から下界の風景を楽しみました。2月も終わりであるが、山には未だ雪が多く残っていた。韮崎、甲府の市街地であろうか。上空には丸い大きな雲が。眼下に長野・木崎湖が見えた。仁科3湖の一番南にある湖。湖面は凍結していない模様。鹿島槍ヶ岳付近の山々であろうか、雪が深い。そして眼下に黒部ダムのアーチが見えた。黒部湖の湖面は凍結しているのであろうか真っ白であった。この後、飛行機は富山湾に出て、能登半島の先端近くまで飛びUターンして富山空港に向かうのがいつものパターン。飛行時間の半分近くが富山湾上空の飛行なのである。北アルプスを超えてからの降下では、降下角度がきつすぎて直接着陸できないためなのであろう。そして漸く富山空港へ到着。雪は殆ど無く暖かい。空港でレンタカーを借り、ホテルへ向かったのであった。車の前には、未だ雪の多い立山連峰の山々が。ホテル受付は富山大学入学試験のための親子連れで、チェックインに長蛇の列。飛行機、そしてホテルが混んでいる理由を確認できたのであった。それにしてもこの過保護ぶりには呆れるものがある。世の中が変わってしまっているのであった。とは言うものの、この親子達に幸来たらんことを!!
2011.02.24
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仕事で青梅線の河辺と言う駅を利用しました。自宅から小田急線で登戸まで。登戸から南武線で終点立川まで。ラインカラーは黄色。約1時間強で立川駅到着。立川駅は大きな駅で朝の通勤客でごった返していました。そして青梅線へ乗り換え。青梅線に乗るのは37年ぶり?青梅線は、立川駅から西多摩郡奥多摩町の奥多摩駅を結ぶJR。予定通りの列車に乗る。ラインカラーはこちらも黄色。約30分ほどで河辺駅(かべえき)に到着。ホームの観光案内板。 無人駅かと思っていたがトンでもない大都会。駅前北口にはペデストリアンデッキと大きなデパートも。河辺タウンビルとの表示が。レンタカーで仕事場に向かう。途中青梅マラソンのスタート地点を通過。青梅マラソンは歴史のある市民マラソン大会。今年も2月20日の日曜日の行われたようだ。青梅マラソンと称するが距離は30Km。ただしアップダウンが激しくマラソン以上の疲労度と。今年のスタータは当初は横綱・白鵬が予定されていたが、大相撲八百長不祥事のため辞退とのこと。そして現場。
2011.02.23
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今年も7月に北欧3ヶ国に旅行することになり、先日申し込みました。5年前から会社の先輩、同僚の3~4名で中国・九寨溝、スペイン、南米ペルー、ネパールと8日から10日間の旅行をしてきました。そして今年は北欧に決定。今回のメイン観光はノルウェーの『フィヨルド』フィヨルドとは、氷河による浸食作用によって形成された複雑な地形の湾・入り江のこと。そして『氷河』とは、数万年もの時間をかけて数千mも降り積もった雪が融けずに固まり、氷へと変化したもの。この氷が自分自身の重みによって、速くても1年間に数百mというスピードで山の斜面を下り、滑りながら底にある地面を深く鋭く削り取り、1000m級の深い谷を形作って来たのである。フィヨルドは、氷河時代の終わりごろに氷が融けて海面が上がったために、この深い谷の一部が海に沈むことで形成されていったのである。世界最大のフィヨルドはグリーンランドの「スコルズビ湾」であるが、次いでこの旅で訪れるノルウェーの「ソグネ・フィヨルド」なのである。そして、北欧3カ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)を訪れ、美しい街並みとフィヨルドに代表される大自然の景観を楽しむのである。美しい港街ストックホルムや画家ムンクやイプセンが生きた街オスロ、アンデルセンゆかりのコペンハーゲンの3都市を探訪するのである。更に、山岳鉄道ベルゲン鉄道とフロム鉄道にてダイナミックな景観も楽しめそうだ。旅の後半のオスロからコペンハーゲンへはDFDSシーウェイズの大型客船で1泊2日のクルーズを楽しむことが出来るのである。ノルウェーは現在は世界有数の福祉国家として知られているが、平均寿命や識字率、男女平等など、文化的にも世界のトップを行く国なのである。周囲を海で囲まれ、豊かな自然に恵まれたこの国は、日本とほぼ同じ面積を持ち、同じような環境でありながら、周囲の侵略や独立など、様々な歴史を辿りながら、全く異なる発展を遂げてきた国なのでもある。7月のノルウェーは早朝4時には日が昇り、22時30分過ぎに漸く日没を迎えるのだ。今回の旅も、2名の先輩旅友と供に多いに動き回る旅であることは間違いないのである。
2011.02.22
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我が家の庭の『クリスマスローズ』が花をつけています。『クリスマスローズ』の正式名は英名で、ヘレボラス ニガーとのこと。クリスマスローズの名前は、クリスマスの時期に咲く、バラ(ローズ)に 似た花、ということから命名。 我が家の赤系のオリエンタリス。 常緑の多年草ですので、我が家の庭でも2月の花の少ないこの時期には存在感を示しています。しかし花は常に謙虚に下向き。育てている人に似るのでしょうか? 花弁に見えるのはがく片。花弁は退化して蜜管(蜜の出るところ)となっているようです。そして以前からある別の種類のクリスマスローズ。こちらの株は花が外には見えませんが存在感は更に大きいのです。葉を掻き分けてみると薄緑の花をつけていました。謙虚な花の顎を上げカメラに向けて見ました。暖かくなれば、葉の間から花が顔を出すのではないでしょうか。
2011.02.21
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嫁いだ娘夫婦が友人の結婚式に神戸まで行ってきたとのこと。 そして式の引き出物としていただいた『おいり』という和菓子を持ってきてくれました。初めて見る物なのでインターネットで調べてみるとおいり とは香川県で生産される和菓子の一種とのこと。直径 1cm ほどの玉状で様々な色のものが混じっていました。主に結婚式の引き出物として用いられるが、最近は土産菓子としても販売されていると。新婦は香川県の出身の方??おいりは餅米から作られる餅菓子(あられ)であり、色は桃色、緑、白、空色、紫、オレンジなど様々。おいりは外は薄い殻のような食感で中は空洞。口に入れるとすぐに溶ける。一般的なひなあられの風味に似ているが甘さ控えめと。実はまだ妻からの許可が出ていないため、ごちそうになっていないのである。おいりを持って嫁ぐのには、婚家の一員として「心を丸く持って、まめまめしく働きます」との意味が込められていると。嫁入りの「入る」と火で「煎る」とをかけて「おいり」と呼ばれるようになったとか。婚礼の際、お嫁さんのお土産として、昔は近所の人たちや花嫁を見に来た子供たちに配ったりもしたとのこと。一部の地域では「着物をこしらえる数を減らしてでも、おいりは持っていかないと恥ずかしい」と言われるほどで、まさに、西讃の婚儀は「おいり」に始まり「おいり」に終わると言っても過言ではないと。 そして新郎新婦のシルエットの入った海老せんべいも。所謂『ウェディングせんべい』。海老は腰が曲がるまで生きると解釈されることが多いが、海老は永遠の若さを象徴しているのだ。海老は生きている限り殻を脱ぎ続け、脱がなくなった時に命が尽きるのだ。つまり海老は常に若く新鮮で柔軟であるため、永遠の若さを象徴しているというので、めでたい時に利用されるのである。朝からまた新たなる知識を吸収し、海老にあやかりたいと思っている還暦を迎えた、そしてピンク色の写真を怪しく?掲載しているオジサンの朝の呟きなのである。
2011.02.20
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大阪に出張した折り、宿泊ホテルから我が社の関西支社に徒歩で向かう途中に 古い木造の建築物を発見。【緒方洪庵】の住居であり【適塾】とのこと。適塾は備中足守藩士であった緒方洪庵(1810~1863)により設立された蘭学塾で、当初長崎へ遊学した福沢諭吉が当時の蘭学レベルはこの適塾の方が先端を行っているということを教えられ、この塾へ入門したと。適塾ではオランダ語の原書を読み、あるいは筆写し、時にその説明に従って化学実験などをしていたと。ただし生来血を見るのが苦手であったため瀉血や手術解剖のたぐいには手を出さなかったと。適塾は医学塾ではあったが、福沢諭吉は医学を学んだというよりはオランダ語を学んだということのようである。適塾は幕末には閉館したが、その後も緒方拙斎・惟準ら緒方家の人々が住み、昭和17年適塾の土地・建物ともに大阪大学に寄付され、以降同大学が維持・管理していると。わが国唯一の蘭学塾の遺構、大阪における最古の町屋として現存するのだ。土地・建物は「緒方洪庵旧宅および塾」として国の史跡、建物は「緒方洪庵住宅」として重要文化財。昭和51~55年文化庁による解体修理がなされ、大正期になされた前面の軒切りなどを除いて、かつての姿に復元されたのだ。住宅前の説明文には次のような説明書きが。 史跡 緒 方 洪 庵 旧 宅 及 び 塾 昭和16年12月13日指定 重要文化財 旧 緒 方 洪 庵 住 宅 昭和39年5月26日指定 所在地 大阪市東区北浜3丁目30番 (旧 過書町丼池東入) この建物は、蘭学者緒方洪庵が弘化2年(1845)に住宅として買い受けて瓦町から移り住み、文久2年(1862)に幕府の奥医師として江戸へ迎えられるまでの17年間にわたって、私塾(適塾とよばれた)を開いたところである。洪庵はここで諸国から集った門人たちに蘭学を教え、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した多くの人材を育てた。敷地は間口約12メートル、奥行39メートルあり、建物はこの間口一ぱいに建てられ、前方の教室部と後方の居室部からなり南庭に土蔵と納屋がある。 前方部は寛政4年(1792)の北浜大火後まもなくの建築とみられ、もとは町筋に面する商家の形であったが、洪庵入居の際に背後を切り縮め、おもて造りの店を改めて教室とし、後方に居室部を新しく建て直した。教室部は2階建て、1階を教室、2階を塾生の部屋とし、居室部は1部2階建て西側に通り庭をもち、台所・書斎のほか4室がある。 台所の2階にはヅーフ部屋と女中部屋とがある。洪庵が出府してのち、再三の改造があり、大正4年(1915)には前面道路の拡幅によって正面を奥行き幅約1.2メートル切り取られたが、昭和51年(1976)からおこなった根本修理で、正面を除いて、概ね洪庵居住当時の姿に復元した。この住宅は蘭学発展の拠点となった歴史を伝えるばかりか、近世における大阪北浜の町家建築の姿を示す貴重な遺例である。 昭和55年3月 文化庁写真から書かれた内容を移書きするのは大変なのである。
2011.02.19
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朝から雨が雨戸を叩き、台風の如き天候。起きてみると部屋の中がなんとなく春の香り。春一番ではなさそうであるが。そして我が農園の花桃も蕾を膨らまして赤さを増してきている。水滴を覗き込む赤い花の子供達。菜の花。別名 「油菜」、「花菜」、「菜種」千利休がとても愛した花。春の香と何かの始まりを感じる黄色。黄色の蕾の上で水滴達が戯れていました。身が引き締まるような厳しいの寒さの中、優しく香る黄色い花が心を和ませてくれる蝋梅の黄色。青空とのコントラストが見事。そして菜の花と黄色の輝きを争っています。
2011.02.18
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東京電力さんから我が家の2月の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の『電気ご使用量のお知らせ』が届きました。期間:1月19日~2月16日(29日間)電気使用量 昼 :70kwh 朝晩 :365kwh 夜 :544kwh--------- 合計 :979KWH 金額 :14,445円そして『余剰購入電力量のお知らせ』です。購入電力量 :318kwh購入予定金額 :15,264円晴天が続いたため、1月とほぼ同じ売電量となりました。太陽光発電開始以来の余剰電力の売電金額実績です。そして、あまり嬉しくないニュース記事も。『経済産業省は先月開いた総合資源エネルギー調査会の小委員会で、家庭の太陽光発電設備で作った電気の余剰分を電力会社が買い取る制度について、平成23年度の買い取り価格を1キロワット時あたり42円とする方針を示した。太陽光発電設備の値下がりなどを考慮して、22年度の48円から6円引き下げる。太陽光発電の普及を目指して21年11月に導入された「太陽光発電の余剰電力買取制度」に基づくもので、経産省が示した42円の買い取り価格の提案に対して、委員からは大きな異論はなかった。2月にも正式に決定される見通しだ。』と。
2011.02.17
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今週初めの降雪により我が家から見える富士山も白さを増した。手前には紅梅の赤が増してきている。そして近くのホームセンターからの大山と富士山。ズームの富士山。やはり富士山には雪が似合うのである。昔から、「富士山に 登らぬ馬鹿と 二度登る馬鹿」と言われる程の富士登山だが、それでも生きてるうちに一度は登って見たいと思わせる、まさに富士は日本一の山なのである。しかし私の登山歴はゼロ。これからでは無理?せめて 歌でも歌いながら遠くからこの山を愛でよう。『あたまを雲の上に出し 四方(しほう)の山を見おろしてかみなりさまを下にきく ふじは日本一の山青空高くそびえたち からだに雪のきものきてかすみのすそを遠くひく ふじは日本一の山』
2011.02.16
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この日も先日に続いて雪の朝。先日よりも積雪量は多い。庭にさされた小型太陽光発電のプレートに上にも積雪が。積雪量5cm?そして屋根の上の本物の太陽光発電パネルから滑り落ちてきた雪。今にも地上に落ちてきそうな状況。そして我が足跡。そして今週末の2/19は二十四節季の『雨水』。陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也 と。空から降るものが雪から雨に替わる頃、深く積もった雪も融け始める。春一番が吹き、九州南部ではうぐいすの鳴き声が聞こえ始める と。春が着実に近づいているのだ。元旦の日の出の時間は6:50。(今年も湘南海岸へ初日の出を迎えに行ったのだ)そして今日の日の出は6:29。既に20分ほど早くなっているのである。そしてこれから毎日1分程早くなり、3/10頃には6時前の日の出となるのである。
2011.02.15
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我が家のカリフラワー3兄弟を収獲。長男のカリフラワー。霜の被害も少なく白さを保っている。2男のブロッコリー。だんだん花芽の固さが緩んできているが。やはり食べるものは花芽が固く引き締まっているものが最高。そして3男のロマネスク。不思議な形である。今年は寒さが厳しいため小型。
2011.02.14
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今日は久々の快晴。暖かくなってから我が農園の様子見に行ってみました。そして、境界の生け垣の下で早くもフキノトウが顔をだしているのを見つけました。約15mmほどの大きさ。雪国では雪解けを待たずに顔を出す春の使者。一番早くでてくる山菜。独特の香りとほろ苦さが春の息吹を感じさせてくれるのです。周囲を探してみると大小2個を更に見つけ収獲してきました。フキノトウはフキの花のつぼみで、まだ葉が出る前にフキノトウだけが独立して地上に出て来るのです。 寒さに耐えるように、ツボミを何重にも苞(ほう)が取り巻いています。 採らずにいるとあっという間に茎が伸びで花が咲いてしまうのです。 早速自宅に持ち帰り、フキ味噌に挑戦。水洗いし細かく刻みました。新鮮なせいか刻む先から灰汁が出てきて黄色く変わっていきます。これを水洗いし灰汁を除去。そしてサラダ油で緑が濃くなるまで炒め砂糖、味噌、みりんを加えさらに炒め、好みの堅さになるまで水分を飛ばし完成。本来は茹でて灰汁を抜くのが良いようですが、今回は蕗の数が少ないため手抜き版です。今日の夕食にはこの春の味の蕗味噌でビールを楽しみたいと思っています。
2011.02.13
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3連休の初日の11日(金)のこの日は久しぶりの雪。昨日12日の朝の我が家の庭からの風景。 我が家の前の畑は一面真っ白。積雪量で2~3センチメートル程度。栽培中のホウレンソウの葉にもかなりの雪が積もっていた。隣の駐車場の車のフロントガラスも雪に覆われていた。我が菜園の白菜も頭の上に雪を載せ襟を閉じて寒さに身を縮めているが如し。紫の葉ボタンの上の雪。夏のシロップかけ過ぎのかき氷の如し。雪の中で我が菜園の隅の紅梅は見事な紅色を輝かしていた。紅梅に雪は好く似合う。そして雪の白さをバックに真っ赤な木瓜の花。白と紅のコントラストが美しい。屋根のソーラーパネルに積もった雪も殆ど滑り落ちて陽光の到来を待ちわびていたが。この冬初めての本格的な雪。3月になってドサッと降るのとは違い、ほんの少しが残っただけの淡雪。しかし着実に春が近づいているのである。
2011.02.12
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三重県津に出張に行った帰りに新幹線名古屋駅にて名古屋『ういろう』を購入しました。名古屋ういろうは、うるち米からできる米粉を主原料に砂糖を用いた和菓子。箱には青柳ういろう「ひとくち」と。青柳総本家が製造販売する「青柳ういろう」は、現在、日本一の生産販売量とのこと。蓋を開けてみると、なるほど一口サイズの4種類の色の美しいういろうが並んでいました。箱の中には小さな4種類のういろうの説明書きも。さっそくピンクの「さくら」にTRYしました。そして一つでは満足できずに濃厚な抹茶の味わいも。和菓子なのに甘さ控えめ、米粉を使ったモチモチの食感が楽しめたのでした。
2011.02.11
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三重県津市に仕事で行ってきました。品川駅から名古屋駅まで新幹線を利用しました。 品川駅新幹線ホームには、ホームにおける事故を防止し、利用客のホーム上の安全性を向上させるとともに、輸送障害を減少させることを目的に車両側のドア開閉操作に連動して地上ドアが開閉する可動式ホーム柵(可動柵)が設置されていました。 しかし駅のホームのアナウンスでは、「安全柵」と呼んていましたが、首都圏の在来線に設置されている可動式ホーム柵に比べて幅が極めて広い(3m程度)安全柵が設置されているのです。 編成のドア位置の違いに対応しなければならないためこの様に広いのでしょうか。そして首都圏の在来線に設置されている安全柵は電車が完全に停まってから開き、完全に閉まってから電車が発車しますが、新幹線品川駅では、列車が入線してまだかなりのスピードでホームを減速しながら走っているのに何故か可動柵が開きだすのです。そして出発時はどうかと思い閉まったドアから覗いて見ていると、列車が発車し動き出してから可動柵がゆっくりと閉まり始めるのです。想像するに列車の最後尾がホームを出るころにはかなりのスピードが出ていますが、可動柵はまだ閉まりつづけていて完全に閉まっていないのではないでしょうか?理由はなんでしょうか?普通は反対?高速なら完全に停車中に可動柵の開閉がスタートし終了すべきではないのでしょうか。現状の如きでないと幅の広い柵では開閉に時間がかかりダイヤの乱れが生じるのでしょうか?そして新幹線品川駅の内側のホームはまだ未施工。工事も夜間の新幹線が動いていない時間に完成しなければならないためでしょう。そして名古屋駅も未だ安全柵のみで可動柵は未設置なのでした。
2011.02.10
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昨年12月に60才の定年を迎え、そのまま現在も『嘱託』として勤務を継続しています。給料が大幅に下がった以外は勤務時間も、勤務内容等は全く変わりません。毎月の給料が大幅に下がった為に国から『高年齢雇用継続給付金』の支給を受けています。高齢化社会が進行する中で、働く意欲と能力のある高齢者の方に対して、60歳から65歳までの雇用の継続を援助、促進するための制度なのです。高年齢雇用継続基本給付金を受け取るには、以下の条件を全て満たしていなければならないのです。1.現在の給料が、60歳になる直前6ヶ月間の、平均月額(ボーナスは含まず)の75%未満の時2.60歳以上~65歳未満の被保険者であること。すなわち60歳以上になっても、雇用保険に加入していること。3.被保険者期間(=雇用保険加入期間)が、通算して5年以上必要。そして高年齢雇用継続基本給付金の支給期間は、60歳になった月~65歳になる月まで支給されるのです。具体的な支給額は、以前の給料に比べてどのくらい下がったかによって、以下のように変わるのです。60歳になる直前、つまり定年退職直前の6カ月間の平均の給料を100として、現在の給料がA.75%以上のとき・・・給付金の支給なし。B.61%以上~75%未満のとき・・・現在の給料の15~0%が支給。C.61%未満のとき・・・現在の給料の15%が支給。1月にいただいた『高年齢雇用継続給付支給決定通知書』です。現在の給料の15%が最大支給されるような給料体型を選択しました。よって支給金額=??,???円。偶数月に2ヶ月分まとめて支給されるとのことです。給料から引かれる税金、保険類は前年度の年収に対してかかるため、給料が下がっても税金、保険類金額は前年と同様。よって1月の手取り給料は悲惨なものでした。この金額を給料の穴埋めとし、しばらくは我慢の生活なのです。
2011.02.09
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日本相撲協会は6日の臨時理事会で、八百長問題を受けて来月の大阪春場所の開催中止を正式に決めた。さらに今年、予定していた約30か所全ての巡業の中止を決定したのだ。よってこの4月9日に開催予定の我が市の『大相撲藤沢場所』ももちろん中止。昨日、小田急線の駅の構内でこのポスターを発見。新聞によると既に6千席余りのチケットは8割以上が売却済みとのこと。横断幕は湘南地区の駅前など35カ所に掲げられ、ポスターに至っては5千枚も張り出されていたとのこと。既に藤沢駅周辺ではこのポスターの撤去作業が始まっているようだが、このポスターも近々に撤去されるのであろう。観客が持ち帰ることができる座布団約5千枚には20回記念大会の文字が入り、中国で既に製作が始まっているとも新聞は伝えていた。更に1500万~2千万円の損害賠償の支払いを求めるようだ。相撲協会が市に謝罪に訪れたとの記事も。ウィキペディアによると、そもそも『八百長』の語源は、明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に由来すると。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになったとのこと。 私が子供の頃、亡き祖母はプロレスと相撲が大好きであり私も一緒にテレビを見ていたが、当時も相撲はプロレスほどではないにしてもある程度のショービジネス=興行=エンターテイメントではと私も考えていた記憶がある。そしてそれは今も変わっていないのである。巡業時に開催される『初っ切り(しょっきり)』や『ちびっこ相撲』等は明らかにエンターテイメント。幕下以下の力士が呼吸もぴったりに四十八手や禁じ技を面白おかしく次々と繰り出すのである。そこに行司も加わっての"3人相撲"は練られた筋書きに基づくまさしくエンターテイメントであり、今回中止になった我が地域の地方巡業でも予定されていたのは間違いないのである。先日報じられた『八百長メール』は『取り口』にも触れて実に生々しいのである。☆「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」☆★「了解しました!では流れで少しは踏ん張るよ」★☆「相手に叩きはなしで、突っ張るだけ突っ張らして胸で受け止めて最終的には右をさして寄り切りかすくい投げ辺りがベストだと思いますよ~」★等々書いたら切りがないのである。こうなると、花相撲や巡業で見られるまさに初っ切りの世界なのである。しかし、このタイミングで初切をやったら、ファンは八百長と関連づけて見てしまうに間違いなし。両力士が絶妙なコンビネーションを見せれば見せるほど、その鮮やかさゆえに、一般のファンは力士全体が演じる力を持っていると確信するのであろう。横綱白鵬の『振り込め詐欺』の注意喚起のポスターが駅の構内の別の場所に張ってあったが、横綱が力士仲間に『八百長の金を振り込まないで』と言っているように虚しく思うのは私だけでは無かろう。そしてこれも先ほどの朝の芸能ニュースによると、「Wコロン」のねづっち が報道陣からなぞかけを持ちかけられると「大相撲とかけまして、壊れたエレベーターと解く、その心は、各階押せん(角界汚染)!」と辛口で。そして「復活してほしい。それこそ仕切り直しが大事ですね」「フンドシを締め直してもらいたい」とオチを付けたとのこと。
2011.02.08
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我が部屋の電気カーペットが故障してしまったため、昨日の日曜日に地元の家電店に新しい物を購入しに妻と行ってきました。立春を過ぎたとは言え、まだまだ寒さは厳しく暖房無しでは我慢できないのです。その折り、住宅用火災報知器も併せて購入してきました。我が市でも新築住宅では、2006年(平成18年)6月1日から設置義務になっているのです。我が藤沢市火災予防条例により、既存住宅は今年の5月31日までに設置が完了、6月1日から設置義務が始まるのです。 ・・・【京都市消防局 HP】より・・・前から気になってはいたのですが、漸く購入を決断したのです。『煙感知式』の3台SETのものを購入してきました。3台が無線で連動しどの部屋で検知器が作動しても、全ての部屋で『ピーピーピー 火事です』と知らせてくれる方式のものです。壁や天井につける前に、「グループ設定」が必要。操作は至って簡単で、本体のボタンを次々に押すだけ。音声でも案内してくれるので、まったく困らなかった。旨くできているのであった。最低限『寝室』に設置しなければならないのです。もし寝室が2階にある場合は階段にも設置が必要になるのです。また、1つの階に居室が5室ある場合は廊下にも設置が必要になるのです。 なぜ、寝室に設置するのかですが、寝たばこによる火災発生が多いからではないようです。 ・・・ 【京都市消防局 HP】より・・・実は火災の発生に気付かないで、逃げ遅れてなくなる人が多いからなのです。住宅火災で亡くなった人のうち、約7割の人が「逃げ遅れ」が理由で命を落としている事実があるのです。また「逃げ遅れ」が多い理由として夜間の就寝中に発生している例が多いことも原因となっているのです。こういった人たちの何割かは、火災警報器によって、早めに火災の発生を知ることができたら、助かった可能性があったのです。なかでも高齢者は、火災で亡くなった方の約6割を占めていて、高齢化の進む現在の日本では、こうした火災から人々の命を守るために備える必要があるのです。早速、『寝室』、『台所』、そしてテレビ、パソコンのある『我が部屋』の3ヶ所の壁に設置しました。我が『家妻』が寝室にぶら下げたもの。やはり火災には『水』が必要なので『華彩』な【水引】とSETで設置したのです!!??。失礼いたしました。この火災報知器が作動することはあってはならないことですが、何はともあれ『火の用心』。
2011.02.07
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仙台からの帰りに仙台駅で土産に『萩の月』と『萩の調べ』のSETを購入。萩の花の咲き乱れる宮城野にぽっかり浮かんだ明月をかたちどった『萩の月』。カスタードクリームが中に入ったまろやかな味が好きなのだ。そして今回初めてのチョコクリームの入ったこれも上品な味の『萩の調』。子供が小さい時は土産は現地で有名なお菓子と決まっていたが、最近はビールのつまみ等が中心の日々。久しぶりの甘い土産であったのだ。
2011.02.06
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青森の帰路、雪で電車も遅れ遅くなりそうなので仙台駅で宿泊することにした。 ホテルにチェックイン後、仙台市内に住む同僚と以前訪ねた牛タン屋へ再び。国分町にある牛タン焼専門店『司』にタクシーで向かう。仙台で牛タンと言えば、駅前のチェーン店や、駅ナカの牛タン通りがメジャーであるが、この牛タン焼屋の味が絶品との同僚の話。既に東北支社の同僚達も我々の到着を待っていてくれたのであった。総勢6人の懇親会。炭火で丁寧に焼き上げた上質な牛タンは、適度に弾力があるが、かみ切れないどころかさくっと切れる柔らかくてものすごくジューシー。部位的に、舌先は使わずに中心の柔らかい部分を使用しているとの同僚の話であった。店員が「漬物を巻いて食べてください」と漬け物も。そんな食べ方あるのか?牛タン焼専門店「司」ならではの「牛タン」の食べ方なのか?そして牛タンの繊維を細くほぐした「タン辛味」。辛味噌で牛タンを和えてビールのつまみには最高の一品であったのだ。久しぶりの同僚と牛タンと酒を多いに楽しみホテルに戻ったのであった。
2011.02.05
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青森からの帰り道、仙台駅で途中下車し1泊。早朝の新幹線を利用し東北支社の同僚と会社に戻る。この日は節分。同僚が新幹線の中での朝食用に奥様お手製の『恵方巻き』を持ってきてくれたのであった。お手ふきとデザートのミカン付きの気配りに大感謝。節分の日に食べると福を呼ぶと言われている「恵方巻き」。最近はコンビニなどでも手軽に買えるとのこと。私はこれを全く知らなかったのである。今年の恵方である南南東に向いて、願いごとをしながら、(しゃべると運が逃げるので)黙々と最後まで食べるのだと同僚から。ちなみに、巻き寿司である理由は「福を巻き込む」から、切らずにかぶりつく理由は「縁を切らない」という意味があるから、とのこと。恵方巻きの具材は、七福神にあやかって七つにするのがよいのだと。何を入れるかについては、特に決まりはないとのことであった。また一つ新しい知識を吸収した早朝であった。しかし自宅に戻り妻に聞いてみると妻は知っていた。もともと関西の風習であったがコンビニ業界がこの習慣に目を付けた広まったとまで。ややショック!!そして我が家も豆まきを行ったのであった。『福は内、鬼は外』。
2011.02.04
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翌朝目が覚めてホテルの部屋から外を見ると雪が降っていなかったので早朝散歩を決断。昨晩ライトアップされていた青森県観光物産館が早朝の雪の中にスックリと建っていた。それにしても青森駅間の道路脇の雪の量はすごい。青森港埠頭は新雪の中。さすがに人っ子一人いない。朝の青森湾は風もなく静か。青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸。オリンピックが開催された1964年から1988年まで、日本国有鉄道及び北海道旅客鉄道の青函航路に就役していた八甲田丸の船体をほぼ往時のまま利用して展示したもの。革靴で新雪を踏みしめて近くまで。石川さゆりのヒット曲・津軽海峡・冬景色のメロディが流れる碑が近くに設置されていた。青森ベイブリッジ。橋長は1219mあり青森市最長の橋。橋脚やケーブルなどいたる箇所に青森の頭文字である「A」の形がかたどられている。近隣のアスパムが三角形であることも理解できるのであった。青森駅まで脚を伸ばす。『青い森鉄道』の案内板。新幹線八戸 - 新青森開業に伴い並行在来線としてJR東日本から経営分離されることとなった東北本線盛岡 - 青森間のうち、青森県内の部分を第三セクターが運営する路線なのである。岩手県内の部分はIGRいわて銀河鉄道が運営しているのである。いろいろな路線名を考えるものであると感心しきり。駅構内に入ると青森ねぶたのお出迎えが。そして駅を後にし『新鮮市場』へ。早朝5時からの開店で多くの店が既に新鮮な海産物や乾物類を店先に。新鮮市場の中の食堂では観光客?が獲れたて海鮮類をおかずに朝食中。ホテルの朝食を予約してしまった事を後悔しきり。少ない後ろ髪を引かれながら1時間弱の早朝散歩を終え、足下に注意しながらホテルへ戻ったのであった。そして朝食後、同僚の運転するレンタカーで五所川原までの雪道のドライブ。途中岩木山が見事な姿を見せてくれたのであった。
2011.02.03
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仕事で青森県五所川原に行ってきました。2010年12月4日(土)、東北新幹線東京~新青森の開業により、東北新幹線は全通したのです。今回、開業以来初めての利用となりました。『はやて』に乗車。新青森まで3時間40分弱で到着するのだ。途中仙台駅周辺はあまり雪はない。広瀬川。仙台市のシンボルとして親しまれている川であり、ヒット曲となった『青葉城恋唄』(歌/さとう宗幸)にも唄われているのだ。新青森駅に到着。ことらは1m以上のの積雪量。 風がなかったせいか寒さはそれ程酷くなかった。青森駅近くのホテルまでタクシーで移動。チェックイン後同僚2人と近くの居酒屋へ。途中、雪の重みで倒壊した民家の前を通過。この日のAMに突然倒壊したとのこと。空き家であったためけが人は無し。不幸中の幸いであった。近くには多くのテレビ局や新聞記者が取材に来ていた。『頭上落氷注意』の警告板が。さすが雪国。広場の雪だるまの横で記念撮影?可愛らしい地蔵様が雪の寒さに耐えながら並んで迎えてくれた。そしてホテルに戻る。ピラミッド型の青森県観光物産館アスパムがライトアップされていた。「青森」の頭文字である「A」をかたどった三角形の外観が特徴的であった。
2011.02.02
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我が家の1月の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の 実績報告です。 発電量 639kw消費量 1433kw自給率 44% と言う稼働実績となりました。1月発電実績としては過去3年間で最高の値となりました。ただし寒さが増し、エコキュートの効率低下、電気ストーブの使用頻度の増大で、使用量も大幅に上昇してしまいました。 発電開始以来の月別発電量実績です。緑が昨年来の実績です。10月を除き、6月以降、2008年、2009年実績を上回っています。
2011.02.01
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