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今年も4月4日(木)に、ホームセンターに買い物に行った帰りに、地元の引地川沿いの桜見物を楽しんで来ました。この場所は引地川の両岸に巨木の桜並木が続く地元では人気のスポットの一つ。両側から引地川の水面を覗き込むように枝が川に伸びています。白の大島桜も。ソメイヨシノのピンクが青空に映えて。川の向こうには高層アパート群が。川沿いを歩く。『サクラの伐採について』安全上の観点からご理解をと。中心が赤くなり始めている花も。枯木の幹から。お爺ちゃんに抱かれたひ孫、いや玄孫(やしゃご)の如くに。川沿いの手摺にも桜の花が。そして更に家に近い地元の私立大・高・中・小学の校庭も訪ねてみました。駐車場に車を止め、小田急線の踏切を渡る。小田急線の線路沿いにも桜並木が続いている。校庭内を貫通する一般道。ここの桜は何年か前に強風で倒れた事があり、その後に安全対策としてかなりの枝を伐採したのでした。大学のグランド越しの桜と高層校舎。陸上競技場内では体育の授業?が行われていた。陸上競技場の赤いタータントラックとソメイヨシノのBEST MIX。高・中・小の校門前から。青、ピンク、赤、緑と豊かな色彩のコラボを楽しむ。校門前に繋がる桜のトンネルを歩く。高層大学本館を背景に。競技場の観客席の後ろ側、小田急線の線路沿いの桜並木。そして桜のトンネルを引き返す。椿の花と桜の花びら。桜の大木の根に、今年のつとめを終えて。大学の本館ビル。再び競技場と桜並木を。誰もいない観客席と覆いかぶさるような桜の大木。そして再び踏切を渡り車に戻ったのであった。そして2日後、再び引地川の桜並木横を通ったのでコンビニに車を駐めて撮影。前回と異なる撮影モードでTRY。今年の桜は長持ちしてくれました。この日がこの桜並木の『満開の日』だったでしょうか。花の中心はほぼ皆ピンクの色を濃くしていました。青とピンクのカオスの世界。そして今年の引地川の花見も見納め。
2019.04.13
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『旧東海道を歩く』のブログアップの毎日が続いていますが、その間に我が家の庭の花々も次々に開花していますので、今日はその状況もブログアップさせていただきます。まずは『庭梅(にわうめ)』葉が出る前に2~3輪ずつ固まって枝を覆うほどたくさんの花を咲かせています。花は5枚の花びらを持っており色は淡い紅色。既にピークを過ぎ、葉も出始めて来ました。そして白のクリマスローズ。こちらは赤のクリスマスローズ。白のニラバナ。庭では春の陽気を迎えて種々な花々が咲き競っていますが我が家ではここぞとばかりに目を引いているのがこのニラバナ。太陽が出ると一斉にそちらの方に花を開き周りを圧倒する勢い。こちらはやや紫がかったニラバナ。そして様々な水仙も次々に開花中。八重咲きも。ラッパの色も各種。花弁の色も様々に。旧来の品種も頑張っています。白のヒヤシンスでしょうか。こちらは紫。プリムラ。木瓜(ボケ)。ムスカリ。モミジの新芽も赤く染まって。芍薬の蕾も日に日に大きくなって来ています。ユキヤナギ。枝垂れた枝先の長い穂に、たくさんの花を咲かせてひときわ目を引き存在感を。ハナカイドウ(花海棠)のピンクの花も。そして我が家の横の菜園の花です。これは青梗菜(チンゲンサイ)の花。こちらはブロッコリーの花。ブロッコリーには我がミツバチがブンブンと羽音をさせながら訪花しています。セイヨウミツバチはブロッコリーの花が大好物なのです。そして菜の花にも。イチゴにも可憐な花が開き、早速我がミツバチが受粉の手助けをしてくれています。そして我が家の近くの公園のソメイヨシノもかなり開花を始めています。来週早々には満開となるのではと。
2019.03.30
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品野の菜の花を楽しんだ後は136号線のマーガレットラインを青野川に沿って上流側に向かって進む。そして来の宮橋近くの有料駐車場にすべりこむ。今年も橋の袂の女性裸像が迎えてくれた。「みなみの桜」案内図。こちらは南伊豆町・青野川の堤防上に咲く、河津町と同じ河津桜。「来の宮橋」からの青野川の下流に向かっての絶景。河津町に較べて河津桜自体が堂々とした大木なのです。そして散策道に柵等の人工物が無く眺望が素晴らしいのです。また素晴らしい眺望の中で河原をずっと歩いて行けるのも。こちらも満開そのもの。「湯けむり橋」の名前も風情十分。「湯けむり橋」からは下賀茂温泉「銀の湯会館」の湯けむりが。南伊豆町・青野川沿いに800本の河津桜が咲き乱れていたのです。毎年2月10日~3月10日の「みなみの桜と菜の花まつり」の期間中は18:00~21:00 まで銀の湯橋付近~九条橋付近でライトアップも行われているのです。濃いピンクの花をズームして。お花見を人力車で楽しむオバチャン達。「湯けむり橋」から「来の宮橋」方面を見る。散策道には菜の花も咲いて。この時間の河津町の河津桜散策道は中国と化しているのであろうがこの「みなみの桜」には人の数も比較的少なくこれぞ『穴場』。ピンク+黄色のコラボを楽しみながら下流に向かって歩く。ここが人力車基地。青田川の水面に映って。青野川散策マップ。道の駅 下賀茂温泉 湯の花に立ち寄る。伊豆半島南部の観光拠点となる道の駅。観光協会、農林水産物販売所、足湯などがあった。2009年に開所した、静岡県内20番目となる道の駅とのこと。地元農家などが出品する販売所では、旬の味覚を格安で販売していた。『紅菜苔』が販売されていた。旅友からさっと茹でてお浸しやあえ物にすると美味しいとのことであったので、帰宅後にネットで種を購入し撒いてみました。順調に発芽し生育中です。柑橘類の試食を楽しんだのでした。販売所横の「仲良し地蔵」。「さんま寿司」500円/6カットを購入。人気があるようで、品切れのため本店から急送15分待ちで我々も一箱購入しシェアーしたが、旅友のOさんは青物はダメだと。青田川の水面が輝く。「さんま寿司」をテレビ局のカメラマンも撮影を。人の姿が少ないことにビックリ!!幹も太く大きな姿の河津桜が並んでいるのであった。青野川の上流、来の宮橋方面を見る。下流側。残念ながらここではメジロには会えなかった。再び菜の花との共演する姿をカメラに。ネットには「みなみの桜」の動画⬅リンク がここにもありましたので、紹介させていただきます。併せて今年の動画2⬅リンク も紹介させていただきます。 ・・・つづく・・・
2019.03.24
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河津桜原木の鑑賞後は再び河津川の堤を下流側に向かって進む。往きに寄った「さんまハリコ」の土産物屋に約束通りに立ち寄り試食。アジの干物を3枚、土産に購入。満開で花の後ろは全く見えない。そして動画⬅リンクもネットから紹介させていただきます。椿の花も負けじと。濃いピンクと黄色の共演を楽しむ。伊豆・稲取温泉の「第22回 雛のつるし飾りまつり」も開催中と。残念ながらミツバチの訪花の姿は見ることが出来なかった。10時を過ぎ観光客の姿も増えて来た、そしていたるところで中国語が。菜の花も背伸びして河津桜の花見を楽しんでいた。河津桜、菜の花、紅白の垂れ幕、これぞ和の早春の風景そのもの。土産物屋では「さくら饅頭」がどこの店にも。青空も刻々と拡がって来た。そして漸くメジロを発見。河津桜と菜の花が同時に満開状態は幸運そのもの。河津川の流れは静かに。足湯を楽しむ人々の姿も。足湯の場所には河津町観光案内図が。河津桜以外にも様々な観光場所があるのだと。駐車場に戻る途中のみかん売り場。そして駐車場に戻り南伊豆町に向かって走る。「かじやの桜」を車窓から。河津桜原木が発見され、まだ開花して間もない頃、接ぎ木による苗の生産が始まった。その時の苗は河津町内の関係者にも配られ、それらの桜は今では立派に成長しており、地元の方には一期生と呼ばれているのだと。「かじやの桜」もその1本で、樹高はそんなにないが、枝振りとたくさん咲いた花の素晴らしさは見事そのもの。そして135号線を更に南下する。車窓からの東伊豆の海岸風景を楽しむ。遠くに大島そして三原山の姿が確認できた。入田浜海水浴場の先の岩場。小湊第一隧道。本根岬手前から、これまで走って来た伊豆東海岸を振り返る。マリンブルーに染まる白浜海岸。そして稲生沢川に架かる新下田橋を通過。この橋の欄干に大きな人魚の像が座っていた。そして南伊豆町の日野(ひんの)交差点にある「菜の花畑」前のコンビニ駐車場に車を駐める。「第21回みなみの桜と菜の花まつり」が2/10~3/10の開催期間で行われていた。そして18時~21時までライトアップされると。菜の花畑の中に造られた木道を散策。青田川沿いの桜はまだ開花していなかった。「元気な百姓達の南伊豆町菜の花畑」と。日野地区の休耕地に毎年1~4月は菜の花、8月はひまわり畑が広がると。花は地元の皆さんが協力し、「元気な百姓祭」という活動で種まきをし育てているのだと。黄色一色の世界が拡がっていた。桜の開花はこれから。山の上からの景色も美しいであろう。日野(ひんの)地区の青野川河川敷には黄色い菜の花が約27,000㎡の辺り一面に咲き乱れているのであった。菜の花の香りが一面に漂い、しかしこの香りには好き嫌いがあるようだ。菜の花をズームで。蕾は食べても美味いのである。おひたし、辛子和え、お吸い物、サラダ・・・・・。木道も綺麗に整備されていた。再び黄色の世界をカメラに。 ・・・つづく・・・
2019.03.23
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テレビのニュースでは九州から桜前線が上昇中と各局で。18日に四国・宇和島で開花。20日に長崎、高知県宿毛で開花し、東京も4輪ほどの花が咲いたと。そし昨日21日には東京都心で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表。靖国神社(千代田区)の標本木で気象台の職員が確認したと。平年より5日早く、昨年より4日遅かったとこれもテレビのニュースで。ポルトガルから帰国後、その旅行記(備忘録)を1ヶ月以上に渡り延々とアップして来た為以下のブログのアップが1ヶ月以上遅れてしまいました。今年も、ポルトガル帰国後の2月21日(木)に3人で河津桜そして西伊豆巡りの日帰りドライブに行って来ました。何時ものように自宅から車で6時に茅ヶ崎の旅友Sさん宅へ。そしてSさんの愛車に乗り換えて二宮に住むOさん宅へ。そして西湘バイパスを利用して小田原方面に。西湘バイパス・早川出口から左折し国道135号線へ。相模湾も赤く染まって来ていた。雲の量も多く、相模湾の水面もスポットライトを浴びた如くに。熱海海岸を車窓から。山の上に立つ熱海城。伊東にあるホテルサンハトヤが前方に。初島。エクシバ初島クラブの建物も見えた。利島、鵜渡根島、新島の姿も。そして眼下に伊豆稲取の街並みが。国道135号線の両脇に開花した河津桜がだんだんと増えて来た。伊豆今井浜付近を通過。そして8:56過ぎに有料(700円)駐車場に到着し車を降り散策開始。今年、2019年の第29回「河津桜まつり」は2/10~3/10までの1ヶ月間。河津桜の見どころは、河津川の堤上がメイン会場。河津桜はカンヒザクラ系と早咲きのオオシマザクラ系の自然交配種といわれ、開花の時期が早く花が大きい桜。河津川周辺を中心に町内に約8000本(川沿いは約850本)が植えられ、今年は2月10日から3月10日に「河津桜まつり」が催されていたのであった。河津川沿いの散策道入口では満開の河津桜と菜の花が迎えてくれた。幸いにも快晴の河津桜のお花見ウォーキング。これぞ満開。散策コースの脇には様々な土産物やが並んでいた。「ハリコ」10本500円。さんまの丸干し干物(ひもの)。「ハリコ」とはサンマの幼魚の丸干しを言うとオバチャンから。この日は平日の木曜日の早朝につき、まだ観光客の姿は比較的少なかった。ポルトガルで楽しんだミモザの苗木も売られていた。河津川の両脇の堤防に連なる満開の河津桜。干し椎茸も山のように。濃いピンクのトンネルの下を進む。開花が進むと中心のピンクの濃さが増して行く河津桜。河津川の水面に映る姿も。満開とはこの状態を言うのだと勝手に。咲くならば太幹にと。黄金柑(ゴールデンオレンジ)。川の白き流れを背景に。売店の隅にはつるし雛が。再びピンクの帯を。そして青空を見つけてズームで。豊泉橋(ほうせんばし)が見えて来た。様々な土産物屋、そして試食を楽しみながら進む。そして「帰りにまた寄るね」と言いながら??・・・・。豊泉橋(ほうせんばし)から下流側を。上流側。このピンクの濃さに誘われて毎年。そして県道沿いの民家の庭にある「河津桜原木」を訪ねる。桜の近くに立てられている「河津桜原木物語」。『昭和30年頃の二月のある日、この家の主人であった飯田勝美氏が、河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽吹いていた約1メートル位に育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えた事が始まりでした。約十年後の昭和41年1月下旬、やっと桜が咲き始めました。同年四月、主の勝美氏は花が咲くのを見届け、永眠しました。その後きれいに咲く桜を見て譲ってほしいという話もありましたが、思い出の桜のため手放さなかったそうです。当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ親しまれていました。その後の調査で新種の桜とわかり昭和49年には河津で生まれた桜であることから「河津桜」と命名され昭和50年4月に河津町の木に指定されした。』と。河津桜原木保護育成基金ご協力依頼の看板が。原木の幹周は約115cmで樹齢は50〜60年くらい。たくさんの花が玉のように塊になって咲いているのであった。今年も頑張って咲いてくれていました。オレンジ色のアロエの花も。原木を別の角度から。愛犬に必死にお色直しした衣装を着させ、ポーズを取らせ愛犬家が記念写真を。 ・・・つづく・・・
2019.03.22
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二宮・吾妻山の菜の花そして山頂からの富士山の雄姿を楽しんだの後は熱海駅へ。月曜日にもかかわらず、駅前商店街には多くの観光客そして中国語が。この日は平和通り商店街を進む。暫く歩くと道の左下にあったのが『熱海四等郵便取扱所開設旧跡』。1871年の郵便制度発足時の「三等郵便局」制度に由来する。三等郵便局とは明治時代に公費で郵便局を全国に設置することが財政的に難しかった中、全国にいち早く郵便制度を浸透させるため地域の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させ郵便の取り扱い事業を委託する形で設置された郵便局。1875年(明治8年)1月に郵便役所及び郵便取扱所は郵便局と呼称し、一等から五等までに区別されたと。そして『清左衛門湯』。熱海駅から徒歩15分、老舗旅館「古屋」の前に湧くのが「清左衛門の湯」。昔、清左衛門という農民が、馬を走らせている際、この湯壷に落ちて焼け死んだことから、その名が付いたという。人が清左衛門の名を大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たと今に伝わる。明治時代まで、昼夜湧き続け絶えることがなかったこの湯は、現在も所有する旅館「古屋」で湯船に使用。温泉井添削時、地下で出土した貴重な円柱形の石や江戸城の築城石として用いられた熱海市下多賀のくさびの形が残る石なども展示している。そして次に訪ねたのが『風呂の湯』&『水の湯』。熱海七湯の一つ、「風呂の湯・水の湯」。風呂の湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の上騰が盛んでまんじゅうを蒸したり酒を温めたりして販売していたと。またこの湯の傍らに塩分の無い温泉が湧き出し、明治時代には淡白無味常水を温めるもののごとしとして「水の湯」と名付けられたと。「熱海 本家ときわぎ」。大正7年(1918年)、初代が熱海銀座に「熱海 本家ときわぎ」を開店して以来、和菓子作りひとすじの老舗であると。「常盤木羊羹店 總本店」。こちらの店は、「総本店」を名乗っている。「本家」と「総本店」は別の店のようで、こちらには伊豆山神社御用菓子の看板も。本家に比べると、新しい商品を積極的に出しているのだと。そして『NEW FUJIYA HOTEL』前を通過。前方にあったのが『大湯間歇泉』。熱海七湯の一つ「大湯間歇泉」は、古くからの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉であった。「大湯」の噴出は昼夜6回あり、湯と蒸気を交互に激しい勢いで吹き出し、地面が揺れるようであったと。明治中頃から次第に減少し1923年(大正12年)に止まってしまったが(大地震の際に再び噴出したこともあった)、1962年(昭和37年)に市の文化財として保存し、現在に至っている。かつては地面が揺れるほど湯と蒸気が激しく吹き出したと。『オールコックの碑』(左)と『愛犬トピーの墓』(右)。初代駐日英国公使ラザフォード・オールコックが1859(安政6)年、総領事兼外交代表として来日。日英修好通商条約の批准など多忙な中でも、名峰・富士山に外国人で初めて、登頂を果たしたことでも知られている。富士登山の帰りに立ち寄った熱海温泉。「熱海七湯」の一つ大湯間欠泉の熱湯により、大火傷(やけど)をおった愛犬トビー(スコッチテリア)が亡くなってしまう。その悲しみに触れ、宿の主人が僧侶を呼び寄せ、人と変わらない葬儀でトビーを大切に弔った。熱海の人たちの“おもてなしの心”に感動したオールコックは、当時、生麦事件や在日英国大使館襲撃事件などで印象の悪かった日本人に対して、英国に戻ったあとも、日本人に対する偏見に弁明。著書「大君の都・幕末日本滞在記」にも「日本人を敵視すべきではない。誠に親切な国民である」と記し、英国世論は親日へと傾いたという。そして『湯前神社』を訪ねる。湯前神社と名がついているとおり、湯、つまり“熱海温泉”と深い関係のある神社。創建時期は749年とされていますが、熱海の地に温泉が湧出したとき(約1500年前)には、すでにお祀りされていたものと考えられている歴史のある古社。『拝殿』湯前神社にお祀りされているご祭神は、少彦名神(すくなひこなのかみ)。大国主神(おおくにぬしのかみ)とともに全国を回って国土を開拓した神様。“医薬の神”として馴染みが深いが、穀物の神、酒造の神、温泉の神などの顔ももっています。いずれにしても、人間の体・健康について霊力を発揮する神さまとなります。そのご利益は、国土の平和、産業の開発、漁業・航海の守護といった全体に関わるものから、個人レベルでは、病気平癒、縁結び、安産・育児の守護などです。拝殿の向かって右側にあるのが、「源実朝(鎌倉幕府第3代征夷大将軍)の歌碑」。「都より 巽にあたり 出湯あり 名はあづま路の 熱海といふ」と詠んでいますが、源実朝公が箱根権現から三島社を経て伊豆山権現に向かう途中に、熱海の大湯を見て、崇めたたえて詠んだものと言われています。そして湯汲坂を下り『糸川』へ。熱海市内中心部を流れる糸川。毎年この1月には、糸川遊歩道の58本の早咲きの「あたみ桜」を楽しむことができるのだ。「あたみ桜」はもともとは日本の桜ではなくて、沖縄原産のカンヒザクラと関西以西の暖地帯に自然分布するヤマザクラとの自然雑種と推定されていると。チョット早く五分咲き程度か?“海のアートがある歩道”、タコ。デレーンと垂れ下がって花見の真っ最中か? 対岸には目が頭の左側にあるからヒラメ?御成(おなり)橋から糸川沿いの300m程の遊歩道を下って行き、最終的に海沿いの国道135号線(下り)へ向かうことにする。その間、御成橋 → 新柳橋 → ドラゴン橋 → 桜橋 → 糸川橋 → 柳橋 → 渚橋 と糸川に架かる橋を経ていくことに。橋のデザインはそれぞれ違い、個性的で見ていて楽しい橋が続いているのであった。この「あたみ桜」は明治4年(1871年)頃、イタリア人によって熱海にもたらされたと伝えられており、少し濃いめのピンク色が特徴。今回も動き回るメジロを何枚かピントが合って撮影出来ていました。花の蜜を吸っているようです。残念ながらミツバチの姿は見かけませんでした。仲良くつがい?で。糸川には濃いピンクのブーゲンビリアも。濃いピンクの「あたみ桜」と青空は似合うのであった。亀、マンボウの姿も。桜橋の手前には「坪内逍遥 歌碑」が。明治の文豪、坪内逍遥(つぼうち しょうよう 1895-1935)は、水口町の双柿舎に移るまでの約9年間、この糸川べりの荒宿(現在の中央町)に別荘を新築して住んでいたのだと。碑文には、「ちかき山に ゆきはふれヽと 常春日 あたみのさとに ゆけたちわたる せいえう」 と。桜橋からの熱海桜、これぞ熱海桜!! 花弁が濃いピンク色で花が大きいのが特長。桜橋の欄干にも。ブーゲンビリアが陽光に輝く。海の方に向かって開花が進んでいた。『あたみ桜』説明板。その先には渚橋。糸川遊歩道終点の、国道135号線に架かっていた。こちらも波をイメージした橋で最も海に近い橋。 渚橋の手前には渚橋歩道橋が。そして熱海サンビーチの散策に。青い海と白い砂浜、立ち並ぶホテル郡、ヤシの並木通り・・・外国の高級リゾートに似た雰囲気のビーチ。夏は海水浴場として、また、砂浜を歩いたり波と戯れたりできる場所として、ファミリーやカップルにも人気の場所。サンビーチのヨットハーバーに浮かぶヨットとその奥の山の上には熱海城が。熱海城は熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設。城郭は歴史的に実在したものではない。東洋のモナコをイメージした熱海のヨットハーバー。ムーンテラス。テラス尖端の噴水は恋人達が愛を誓い合う事の出来るモニュメント。階段横の壁では魚たちが泳いでいた。「あたみ桜」と『釜鳴屋平七夫婦像』。上半身ハダカでマゲがゆってある男性と彼に寄り添う女性の銅像。頭上のあたみ桜。この像は、文化勲章を受章した熱海市名誉市民である澤田政廣先生の作「釜鳴屋平七夫妻像」。安政時代の義人、平七と妻の像。不況で網元が漁民に賃金を払わなくなり、平七たちは一揆を起こし、代官所へ命がけの直訴。平七は首謀者として八丈島流しとなるが、虐待により途中の大島で死去。35歳だったと。平七夫婦は現代の海を見ながら何を思っているであろうか。桜越しに八丈島、大島を見つめているのであろうか?『熱海サンビーチ』夏は海水浴場として、また、砂浜を歩いたり波と戯れたりできる場所として、ファミリーやカップルにも人気の場所。早朝には水平線からのぼる朝日がビーチや街を染める美しい景色を見ることができる場所。その後ろに立ち並ぶホテル・マンション群。毎年見る度に白き高層ビルが増えていくのである。 白き高層ビルの先にダイヤモンドヘッドの如き山が見えれば、これぞハワイ・ホノルル・ワイキキビーチ。真鶴半島の先端・真鶴岬は、浜辺から約200mに渡って続く岩礁になっており、その先っちょに3つの巨大な岩が顔を出している。椰子並木。遠く大島の姿も。こちらは初島。人口243人で、熱海市本土から南東に約10キロメートルの位置にある島。古くから人が住む有人島であるが、1960年頃からリゾート開発が進み、現在ではプールやスパ、食事はもちろん、様々なレジャーを楽しむ事ができると。『貫一・お宮の像』。明治時代から多くの文豪たちが居を構え、名作を執筆した熱海。その中でもひときわ有名なのが、 明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に断続的に掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)。この小説にちなむ「お宮の松」と、「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる歌謡が一体となり、爆発的に流布し、主人公「貫一・お宮」はあたかも実在の人物のように 国民の心をとらえて離さない存在となったと。2代目・「お宮の松」。初代・「お宮の松」の切り株。自動車の普及により、排ガスや舗装の影響で衰えたため、1966年末に地元のホテルの寄贈により2代目の松が植えられたのだと。そしてバスにて熱海駅に戻ったのであった。
2019.02.06
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旧東海道歩きのブログアップで、アップが遅れてしまいましたが、今年も1月21日(月)に単独で二宮・吾妻山(あづまやま)の水仙、菜の花、富士山を見に行って来ました。JRで二宮駅に到着。時間は7:46.駅構内の「吾妻山 菜の花ウォッチング」のポスター。二宮駅・北口(西側)にも横断幕が。吾妻山に向かう道路脇には多くの仮設テントが。前日の日曜日には、土産物売り場等で賑わっていたのであろうが、この時には人の姿は皆無。そいて坂を上り吾妻山公園入口へ。そして急な階段を登り始める。振り返ると朝の陽光に相模湾が輝く。参道脇には町の花の椿(つばき)か、それとも山茶花?そして一面の日本水仙。ズームで。副花冠が黄色、そして白の花片が反り返って咲く日本水仙。別の日本水仙?も。園内一の人気の施設が、地形を巧みに活用した「ローラー滑り台」。全長は102メートル、傾斜は約10度。 相模湾を見下ろしながら、一気に下って来るのだと。そして吾妻山山頂に到着。時間は8:05.吾妻山山頂は標高136.2m。展望台までは約20分。そして富士山は前面に雲があるものの雄姿が確認できた。・関東の富士見百景 ・かながわ花の名所100選 コスモス(神奈川県観光協会) ・かながわの美林50選 吾妻山公園の森(神奈川県)そして大山。吾妻山公園は360度の大パノラマ。箱根、丹沢、富士山が手に取るような近さに感じらるのだ。南に広がる相模湾は、晴れたこの日には大島や初島も見ることが出来た。小田原の街並みそして山の上には白き雲が湧き上がって来ていた。そして満開の菜の花畑。豊かな自然あふれる吾妻山公園の「早咲きの菜の花」が一足早く春の薫りを。展望台からは周囲360度の景色が望め、青くそびえる富士と、斜面いっぱいに広がる6万株の黄色い菜の花との見事なコントラストが毎年見事に。光る海を再び。『吾妻山公園の由来』【『相模路(さがむじ)の 淘綾(よろぎ)の浜の 真砂(まなご)なす 児らは愛(かな)しく 思はるるかも』の歌碑。(万葉集 第十四巻 東歌)「相模の淘綾(よろぎ)の浜の美しい砂のように、あの娘が可愛く思われることです。」 吾妻山公園の由来の碑に、この淘綾の浜の歌が刻まれていた。吾妻山の名は、中腹に吾妻神社があることからこう呼ばれています。吾妻神社の主神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)で日本武尊(やまとたけるのみこと)が配祀(はいし)されています。伝承では、日本武尊が東征の途中、三浦半島の走水から海路上総に渡る際、突然海が荒れたため、妻である弟橘媛命が 海神の怒りを静めるため、夫の武運を祈願しながら海中に身を投じると、たちまち海は穏やかになりました。7日後に命の櫛が海辺に流れつき、これを埋めて墓とし、又磯辺に漂う命の小袖を取り上げて山頂に祭りました。日本武尊は東征の帰路、この地の峠ではるか東方の海をながめ、海路を開くために犠牲になってくれた妻を偲んで「吾妻はや」(ああ、わが妻よ)と嘆かれたと云ういうことから吾妻神社の名がつき、小袖が漂着した海岸を袖ヶ浦と云うようになりました。このような由来から、縁結びの御利益もあるようです。】富士山の手前に矢倉岳(やぐらだけ)が。神奈川県西部の箱根山地と丹沢山地の間に広がる足柄山地にある標高870mの山で、金太郎伝説で知られる金時山(1,213m)の北側に位置する。おにぎりを立てたような特徴的な山容をしており、足柄平野から足柄山地の山々を眺めた際にひときわ目立つため、一目でそれと分かる山。再び小田原市街、相模湾を菜の花越しに。展望台方面を。ズームで。早朝の為か、西洋ミツバチの姿は確認できなかったが・・・。立派なカメラを三脚にセットし、ひたすら富士山の前の雲がなくなるのを待っているカメラマン。しかし雲は緩やかに移動し。ピンクのマユミの木の実と後ろに富士山を。私も富士山の前の雲の晴れるのを待ちながらしばしシャッターを。榎の大木も存在感を示していた。そして山頂の雲が一瞬晴れる。撮影モードを変えてTRY。朝早くから、公園管理のオジサンの姿も。いつまで待っても雲は存在感を主張していたので、この辺で下山の路に。公園管理事務所には菜の花畑を上空から撮影した写真も。綺麗なトイレも出来上がっていた。吾妻神社に立ち寄る。拝殿。浅間神社。下山途中の展望台からJR二宮駅を。そして遠く江の島の姿も。JR二宮駅から吾妻山の展望台下の植栽で形どった町章を。「宮」を図案化したに図案化した「二」を配し、円型と翼型とにまとめ、融和団結と飛躍伸長を象徴するのだと。そして再びJRに乗り熱海駅を目指したのであった。
2019.02.06
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今年も我が家の駐車場の横の『ミズヒキ』が小さな花を開き出しました。雨の翌朝、茎の節部に宿る水滴の姿も。長さ20〜40cmになる花穂を出し、それに小花がまばらに咲く。小花の色は上半分は赤色、下半分は白色なのです。和名『ミズヒキ(水引)』は、正月飾りや祝儀袋などに使う「水引」の名のとおり、紅白に見える花が水引に似ていることに由来するのです。タデ目タデ科タデ属の多年生草本(宿根草)です。花は夏の終わりから晩秋にかけて長く咲きますが、ひとつひとつの花が小さいせいか郡植しないと存在感が出ません。妻が何故か大切にしていますので、群勢が大きくなり赤が目立つこの頃なのです。あまり庭にこの花を植えている方はいないのではないでしょうか。花穂に宿る水滴を狙いまし浮いたが、我がデジカメではなかなかピントが合わないのです。翌日の好天時に再びミズヒキの撮影を。やはり日光が当たると赤が輝くのです。ズームで花を狙ってみました。何枚かのうちの一枚です。旨く撮れました、いや撮れていました。そして何年か前に金沢に妻と旅行した時に、伝統工芸の『加賀水引』の店を訪ねた折りの写真です。この水引とは、和紙のこよりに水糊をたくさんつけて引っ張り、乾かし固めた細い飾り紐のことで、これが名前の由来と教えていただきました。日本における水引は、遣隋使あるいは遣唐使らが持ち帰ってきた献上品に、紅白の麻紐が結ばれていたことが始まりだとか。長い歴史の中で贈る人と贈られた人を結ぶ日本独特の水引折型(ラッピング文化)へと発展して来たのでした。ヨーロッパではすぐに開封できるような結び方でリボンが結ばれているのに対し、日本の水引は180度意味合いが異なるのだと。未開封であり、封印していることを示し、両端を引くほどによりきつく結ばれるのです。それは、贈り手が「あなたとの縁を結びたい」という大切な思いを、水引を用いて表現しているのだと。1本の紐にそんな意味が込められているのは日本人としてそして日本文化の誇りなのです。水引の花に雨粒やどりおり・・・・詠み人知らず
2018.10.16
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我が家の玄関の前の『コムラサキ』が紫色のきれいな実をつけています。根元に近い方から順次開花し先端に咲き向かって行くのです。 それを追うように実をつけて行きます。実は、緑色から紫色に変わって行くのです。枝が弓状に枝垂れ(しだれ)る姿が本当に美しいコムラサキ(小紫)。コムラサキ(小紫)は、ムラサキシキブ(紫式部)に比べると実も葉も小ぶりで、樹木の実の中で、紫という特異な色を付ける植物はこのコムラサキ、ムラサキシキブ以外にあるのでしょうか。この様に明るい紫の実の植物を、残念ながら私は見たことがありません。ブルーベリーは紫と言えば紫ですが・・・・・。コムラサキ(小紫)は紫式部を小さくしたものなのでこの名前になったとのこと。 小さいが、実のつきかたがいいので花屋さんでは紫式部より人気が高いと。紫色の実の直径は3mmくらいでしょうか。この日の朝は前夜の雨で実に水滴が。花片に宿る水滴を撮るのが大好きな旅友のSさんに触発されて、私も水滴を狙ってみました。Sさんの一眼レフの高級なカメラとは異なり、デジカメですのでなかなか後ろがぼやける写真が撮れません。少し離れてズームで狙って撮ってみた多くの写真の中のから。偶然とは言え見事にピントが合いました。一つの枝の中で枝先に向かって熟した紫色、少し熟した薄紫、未熟な黄緑色と。実が鮮やかにグラデーションのように色づきが進んでいるのが観察出来たのです。葉は途中から先にかけてギザギザが。そして漸く開花した枝も。花は筒状で先が4つに裂けて平らに開いています。これは翌日の写真ですが。雄しべは4本、雌しべは1本で、花冠から飛び出ているのです。これも翌日の写真。枝いっぱいにたわわに実る果実は、宝石のアメジスト?のような深い紫色と相まってブドウのようにも見えるのです。名前の由来は平安時代の女性作家「紫式部」だが、この植物にこの名が付けられたのはもともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためと。「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味であると。実の付きが良く、なかなか落果しないので、冬枯れの庭の景色に紅紫色の果実がいつまでも映え、長く楽しめるのがこのコムラサキ(小紫)。日ごとに色づく実とともに秋を感じながら楽しんでいるのです。翌日の久しぶりに日光に照らされて。ぶどうの如く旨そう!そして秋の夕陽に照らされて輝くコムラサキの実です。『あでやかに 秋の夕陽の 小紫』・・・・・詠み人知らずそして・10月1日の早朝の台風24号の強風で多くの実が落ちてしまいました。
2018.09.30
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かなり時間が経ってしまいましたが、9月21日(金)の早朝に自宅から車で20分ほどの小出川の彼岸花を見に行って来ました。早朝6時前に小雨の中、長靴を履き、傘を持って車で向かいました。小出川は藤沢市遠藤の笹窪谷戸に源を発し、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの脇を流れ、駒寄川が流入し、茅ヶ崎市と寒川町の境界河川。新湘南バイパスとほぼ平行して茅ヶ崎市の西部を縦断し、千ノ川が流入した後、平塚市で相模川の河口付近に注ぐ1級河川。宝泉寺前を右折し、小出川に架かる大国橋(だいこくばし)を渡り小出川沿いに左折し車を駐める。「小出川彼岸花」の横断幕が。大国橋麓の赤の彼岸花。小出川の彼岸花コースは、小出川のここ大黒橋(だいこくばし・藤沢市)から追出橋(おいだしばし・寒川町)あたりまでの約3km。今年2018年の『第11回 小出川彼岸花まつり』のポスター。9月22日(土)に開催されると。大国橋からの小出川沿いを車で進む。対岸の彼岸花の開花は遅れている模様。霧雨の下、所々で車を降りデジカメで撮影。彼岸花は雨に濡れて。案内用チラシは、早朝の為か未だ。22日からこの道は車輌通行止めと。大国橋近くの道祖神と彼岸花。雨の彼岸花も美しいのであった。彼岸花のお祭り遠藤会場?この場所で写真展も開かれたのであろうか。会場奥には仮設トイレも既に設置済み。フラッシュで撮影。シロバナの彼岸花も所々に。再びフラッシュで。こちらはフラッシュなしで。いやフラッシュ撮影かもしれません。時間はまだ6時過ぎ。小出川を渡る狭い橋が前方に。この橋は茅ヶ崎方面からの車が通過できる橋。赤一色の混沌の世界。そして急ぎ車を移動し、新道橋(しんみちばし)を渡り車を一時停車し急ぎ散策開始。こちらは小出川沿いの堤に赤の帯が。雨水が小出川に流れ込み。ズームで花片を。水滴がフラッシュで輝く。小出川の白き流れの場所を背景に。赤の絨毯の後ろに、黄金色の稲田が拡がる。再び白との競演。霧雨も止み傘なしでの散策。小出川沿いの宇都母神社、盛岩寺・薬師堂の案内も。小出川の両側の堤の赤い帯。野鳥も川面から花見中。新道橋(しんみちばし)近くにも『小出川彼岸花』の横断幕が。稲刈り前の田んぼを守る彼岸花でもあるのです。彼岸花には毒があると聞いています。彼岸花の球根の中にはリコリンという有毒成分が入っているのだと。分析してみると、球根一つに15mgのリコリンが入っており、ネズミだと1500匹の致死量に相当するというのです。実は彼岸花は、動物や虫から球根を守るため有毒成分を持つようになったと。彼岸花を探してみると、ここ小出川の如くなぜか田んぼのあぜ道に植えられている事が多いのです。その理由はなんとネズミやモグラよけになるからだと。墓場にヒガンバナが多いのも、昔の土葬の時代には、異臭や有毒性を利用して遺体を動物から守るためだと。彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。また、「天上の花」という意味もあると。その一方で、彼岸花の球根にはデンプンが含まれ、水にさらして食用となり、昔は飢饉(ききん)に備えて田んぼのあぜ道に植えたとも。昔(明治から昭和初期)は、このデンプンを製造する会社もあったとのこと。食用とするには、すりつぶし、充分に水でさらして毒抜きをすることが肝心であると。ネット情報では「7回ほど水洗いして除けば食用となる」と。どなたか食べた経験のある方はいらっしゃいますか?小出川を一人占め!!。里山の稲田を背景とした彼岸花は日本の里村の原風景なのです。我が農作業車を入れて。サンビタリアでしょうか?小さなヒマワリのような花をたくさんつけていた。黄色い花の中心が暗紫色で盛り上がっていて、大きい目のようにも見えます。花びらは黄色が多く、中にはオレンジ色も。約30分程の散策で、自宅に7:15過ぎに帰宅したのであった。日本の秋を彩る風物詩として、黄金色の稲穂と彼岸花の組み合わせが何故か私の心を強く惹きつけるこの頃なのです。
2018.09.29
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我が家の庭の『酔芙蓉』が毎日花を開き楽しませてくれています。遠く平安の頃から観賞され、人々に愛されてきた芙蓉の花。古くから栽培されているにもかかわらず、ムクゲと違って変異が出にくく、品種はあまり多くありません。その数少ない園芸品種の一つが『酔芙蓉』。『酔芙蓉』は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色に変わるのです。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれています。芙蓉は、全国各地の庭先や公園など、どこででも目にすることができますが、群生している名所となると寺の境内が多いでは。『酔芙蓉』となるとなかなか群生しているところは少なく、千本以上あるところは珍しいようです。『酔芙蓉』の花は短命で、一日花のはかなさに諸行無常の教えを悟り、蓮の花に仏教の縁を重ねるのは私だけでしょうか。朝、真っ白な花が咲いていました。そして既に花片の一枚が淡いピンクに染まり始めている花も。花片全体が淡いピンクに染まり始めました。昼前になると、ピンクの色が強くなってきました。中心の円周上に濃いピンクの点が。そしてすっかり酔った『酔芙蓉』。そして酔いが回った花たちが夕陽を浴びて。花片も閉じかけて。すっかり酔った『酔芙蓉』の横に酔い潰れている『酔芙蓉』も。酔い潰れている『酔芙蓉』の前には未成年で飲酒禁止の若者が群れを成して。酔い潰れた花の背中に雨が。そして翌朝には地面に落ちて。大きな花に比べて、蕾はまだ小さめ。今から次第に膨らんで行くのです。そして開花そして飲酒許可を待つ若い蕾なのです。翌日の開花に向けて準備中。このケムシは『酔芙蓉』の葉が大好きなのです。今日の我が家も朝から雨に、そして我が家の『酔芙蓉』も雨に濡れて弱弱しい花片に雨滴が留まり、安らかに和ませてくれる『酔芙蓉』の花。自然の法則に季節も忘れず、秋の兆しに『酔芙蓉』の花は夏とも別れを告げる花。小さな蕾が少しずつ大きくなり、とある朝、命満ちて開花し、色を変化させながら、一日の寿命を終える『酔芙蓉』に何故か親近感を覚え始めた70前のオジサンなのです。そして『酔芙蓉』と言う歌のある事を今知ったのです。
2018.09.28
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我が家の庭そして畑のホウキ草が大きく育ってき来ました。昨年の種が飛んで畑に自然に出て来たもの。カラーリーフとしてガーデニングで親しまれているホウキ草。昔、枝をホウキに利用していたことから、「ホウキ草」「帚木(ほうきぎ)」という和名で呼ばれるようになったのです。鮮やかな緑色をした葉っぱが秋になると紅葉する様子が美しく、庭園や広場を彩ってくれる植物として人気があるのです。こちらは庭の「ホウキ草」。何もしなくても自然にまとまった丸い姿になるのです。成熟果実は秋田県の郷土料理「とんぶり」の材料となるのです。しかし「とんぶり」になるのは品種が異なる様です。モジャモジャの優しい緑が秋には赤く紅葉するのです。柔らかな感触も楽しめるのです。そして昨秋の紅葉したホウキ草です。中国を経由して日本へ伝わってきたコキアは、秋を象徴する庭木として知られています。茨城県のひたち海浜公園などが有名なのです。
2018.08.22
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我が家の近くの畑道沿いに、トランペットフラワーの如き大きいラッパ型の白花が上向きに咲いてるのを見つけました。花の名前は「チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔)」。チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔)は、ナス科の植物。園芸用にはダチュラの名で広く流通しているほか、マンダラゲ、キチガイナスビの異名もある。原産地は南アジアであって、「チョウセン」は、後述の通り特定の地域を表すものではなく、朝鮮半島原産という意味は持たないのであると。正式には「アメリカ朝鮮アサガオ」。チョウセンアサガオは熱帯アメリカ原産のナス科の一年草で、日本には1879年に渡来したと言われ、広く栽培されまた野生化している。茎は1m以上に直立して多くの枝を分けます。葉の長さは8~15cmくらいで、両面とも無毛。尖っているのが花の蕾。江戸時代 (1684年) に薬用植物として渡来した植物。「アサガオ」と名前がついていますが、アサガオはヒルガオ科、チョウセンアサガオはナス科に分類されており、全く類縁関係のない別種の植物であると。花言葉は… 偽りの魅力・変装・夢の中・あなたを酔わせる。チョウセンアサガオの花期は7月~9月。花期になると、分枝した上部の茎の葉の付け根に、長さ10~15㎝程度の漏斗状の花を咲かせます。アサガオの名前は、このアサガオに似た花の形に由来しています。一輪の花は短命ですが、長い花期の間、次々と開花します。この花は白ですが花色は紫、黄色もあるようです。一重咲きの他、八重咲き品種も流通していると。このチョウセンアサガオには強い毒性があり、食べると中毒を起こすので、扱いには十分注意しなければならないと。花を花瓶に挿したりしたら、その水も毒が入っているので食べ物を扱う場所に水を捨てないようにしてくださいと。全草にアルカロイドが含まれているのだと。別名を「キチガイナスビ」と呼ばれているように、食するとアルカロイ中毒になり、幻聴、意識喪失、錯乱んの症状などを引き起こし、皮膚に付着すると炎症を引き起こすと。このチョウセンアサガオの葉は華岡青洲が日本初の乳癌手術に使用した麻酔薬「通仙散」の材料となったことでよく知られているのだと。種もゴマに似ているし、根っこはごぼうに似ているそうです。可憐な白き花、しかし美しい花には毒があるのです。しかし花には強い芳香が。そして開花直前の蕾。開花を待っている花が、綺麗に折りたたまれているのを発見。花が枯れると、イガイガの付いた大きな実がなります。毬(いが)のついた実の中に黒い種があります。朝鮮朝顔の種は薬用に使われますが、これも有毒なのです。
2018.08.18
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座間会場の「新田宿エリア」から1.1km離れた「四ツ谷エリア」へ相模川左岸堤防上を歩いて向かう。右手前方に圏央道・圏央厚木ICが。相模川。前方に大和厚木バイパスの新相模大橋が見えた。相模川の川岸には白い野鳥が。黄色い嘴からサギであろうか?紅白のサルスベリ(百日紅)が仲良く。内側のオシベの葯は黄色で、中央に集中して存在し、虫に注目される為の擬似花のような役目をしているのだろうか?ピンクの花も同様に。「四ツ谷エリア」案内板に従って進む。そして汗びっしょりになりながら、「四ツ谷エリア」会場に到着。遠くに丹沢に続く山々の姿も。しかし富士山は相変わらず姿を見せなかった。こんな姿を期待していたのですが。以前、自分で撮った富士山の写真と今回撮ったひまわりの写真(上の写真)の2枚を手持ちの『画像編集ソフト』を使い遊んでみました。1本1本、手植えされたのでしょうか?夏の風物詩でもあるひまわり(向日葵)。あの山の上からでも、黄色の塊が見えるのであろう。一面に広がる黄色いひまわりと青空のコントラストはまさに絶景で、SNS映え間違いなし!ひまわりの背中側から。この会場には多くのミツバチの姿が。ミツバチの姿を追いかけました。もう少し接写の効くカメラが欲しいのです。やはりひまわりは青空が似合うのです。後ろのビルが白き山であればと。「FUSO」の文字が。4っつの色のリングが。管状花が咲くと、中から雄しべが現れるのです。雄しべは筒状で数本からなり、中に雌しべを包みこんでいる。雄しべの先端にある葯には花粉が入っており、花粉でいっぱいになると葯が裂け花粉が出る。開花した管状花の内側では、蕾が成長しているのです。色の違いにより、管状花の開花が中央部分へ進行する様子が解るのです。外側にある管状花は、すでに枯れてきているが、受粉・受精し種子を形成している状態。開花と同様に、種の成長も外側から始るので、内側にある種ほど成熟は遅れる。種子が成長するにつれて頭花全体が丸みを帯びて来るのです。開花の始まったばかりの花にも虫が。こちらはミツバチではなさそう。笑顔で迎えてくれたひまわり達。ひまわりの花粉が葉の上に。これが接写の限界。明日に開花しますのでもう少しお待ちくださいと。「ハイ チーズ」の声に一斉に・・・。外周には管状花の開花が確認出来たのです。そして駐車場に向かって帰路につく。こちらが正式な「四ツ谷会場」の入口のようであった。新田宿会場の本部前のテントの下の椅子で一休み。時間は未だ8:10過ぎ。かき氷屋さんは準備中。しかしBGMが五月蠅くて早々に退散。ミスト発生装置前で冷風を上半身に浴びる。ここにもアーチが施された迷路入口が。今年の座間会場のひまわりも見納め。「土地改良の碑」「本多菊近翁(おきな)之像」 神奈川県知事・長州一二の文字も。座架依橋上から新田宿会場を見たが花は後ろ向きに。そして帰路に座間市立南中学近くの赤いひまわりを訪ねたが既に花は終わっていた。信号待ちの時間に遅咲き?の一輪を車の中から何とか撮影。そして茅ヶ崎に戻りSさん宅でお茶をご馳走になり、帰宅したのであった。「向日葵を 見に行くくらい かなり閑」・・詠み人知らず「向日葵よ 見つめてくれるは お前だけ」・詠み人知らず「向日葵に 元気をもらい ブログアップ」・詠み人知らず
2018.08.16
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8月13日(月)に座間で行われている「2018年座間市ひまわりまつり」に、旅友のSさんと行って来ました。Sさんは3日(金)に様子見に行かれたとのことですが、その時はまだまだ開花には時間がかかる状態であったとのこと。5:30過ぎに自宅を出て、茅ヶ崎のSさん邸へ。そしていつもお世話になっている愛車に乗り換え座間にある会場に到着。時間は6:42過ぎ。駐車場所は相模川河川敷にある「水と緑と風広場」駐車場。ひまわりまつり座間会場ガイドマップ。座間ひまわりまつりは座間会場と栗原会場の2箇所で行われていました。この2つの広場ではひまわりの開花を長く楽しむため、種まきの時期を変えていると。ですから祭りの開催時期も場所ごとに違っているのです。・栗原会場 2018年7月21日(土)~7月25日(水)・座間会場 2018年8月11日(土)~8月15日(水) ※いずれの会場も開催時間は9:30~16:00 ※座間会場のみ11日,12日の土日は17:00まで駐車場からは「首都圏中央連絡自動車道と山頂が雲に隠れた大山の姿が。そして車を降り、相模川堤防をひまわりまつり会場にむかって歩く。左手に座間会場のひまわり畑が見えて来た。皆仲良く、朝日に向かって。そして相模川に架かる座架依橋(ざかえばし)の下を通過。名前の由来は、座間市座間(ざま)と厚木市依知(えち)を架(か)けることから。そして新田宿エリアのひまわり畑へ。台風による強風のために多くのひまわりが倒れかかっていた。朝の陽光を真正面から浴びるひまわり。ひまわりは和名で「向日葵」と書きますが、「日回り」と表記されることもあるのです。英語では「Sunflower(サンフラワー)」、フランス語では太陽を意味する「Soleil(ソレイユ)」と呼ばれます。この様に、太陽の動きを追って花が回るということからそう呼ばれます。またひまわりはそのものが大きな花として認識されている場合がほとんどですが、実際は1000~2000の小さな花が集合してこの形を形成しています。外側の黄色く長い花びらを付けた花”舌状花”と内側の茶褐色の”筒状花”に分かれているのだと。ひまわり(向日葵)は花が咲く前のつぼみの時期は、茎の先端が太陽の方向を向いて動きます。これは太陽光が当たらない側の茎が、当たる側の茎よりも成長するため、太陽の方向に曲がってしまう為。つまり太陽に面して前と後ろの伸びの違いにより生じるもの。しかし、花が咲いた後には茎の成長もストップするので、花自体が太陽を追いかけるということはないのだと。よく言われる、「ヒマワリの花が太陽を追いかけて、クルクルまわる」という事はないのです展望台横には、ひまわりを飾ったいくつかの帽子が。忘れ物、落とし物コーナーではなさそうですが・・・・?そして記念撮影用の額縁も。展望台に登って。満開でしたが、多くのひまわりが倒れながらも朝日に向かって。黄色の世界が拡がっていた。円を作り集団演技の真っ最中か?こちらは背比べ中。ひまわりの花も自分で切って購入可能と。そしてひまわりの種も。3本で200円、そして種も同額と。「ざまりん広場」にはひまわりまつりの本部テントが。遊休地に市の花「ひまわり」を植え、座間市のまちおこし企画の一環であると。ひまわりの枝葉の深緑は、たくましく発展を続ける市を、また大輪の花は、市民の皆さんが手を結び合い、明るく健康なまちづくりを目指す姿を象徴していると。開場は9:30~とのことで未だ係の方の姿はなかった。時間は漸く7:00。写真撮影ポイントの「顔ハメ看板」が。しかし日にちは未だ前日の8月12日のまま。来年の「顔ハメ看板」は平成⇒??でしょうか?55の数字が。第55回ではありません。座間ひまわり祭りでは座間会場と栗原会場で合計およそ55万本のひまわりが咲き誇るからなのです。「ひまわり迷路」の入口。途中倒れたひまわりのハードル越えも。こちらはピラミッドの組み体操中。ひまわり畑の先には田園風景が拡がっていました。新田宿エリアのもう一箇所の展望台を発見。混雑を避けるため展望台は一方通行で。こちらからは見事な黄色の絨毯の世界が。ひまわりの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられているとのこと。既に紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていたと。1510年、スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始した。マドリード植物園はダリアやコスモスが最初に栽培されたことでも有名であると。ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、ようやく17世紀に至りフランス、次にロシアに伝わったのだと。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められたのだと。現役中に仕事で中国の田舎を何回か訪ねたが、その折、老若男女がヒマワリの種を囲んで、カリカリとハムスターのようにかじる姿は、可愛らしくもあったが、ちょっと不思議に感じた事を想いだしたのであった。そして殻を口から床に向けて吹き出し、床を散らかしていたのであったそして、中国人が一番よく食べるおやつといえば、断然ヒマワリの種だろうとの言葉を当時は聞いたのであったが現在は?。ヒマワリはカリウムなどと共に性質が類似するセシウムを吸収する能力を持つことから、原発事故などで放射能汚染された土地に植えたら除去できる「ファイトレメディエーション(phytoremediation)」という説が、原発事故後には流布していたが、そのような効果は認められていないようです。太陽に背を向けるひまわりの姿を発見。これも人間社会と同じか?こちらは背伸びして見つめ合う姿が。途中、白ウコンの群生に出会う。葉っぱはショウガやミョウガの葉を大きくしたが如し。白ウコンの花。二日酔いにも効くと言われている”ウコン”。大きくて瑞々しい葉に包まれて、花の姿は目立たぬ様に咲いていたのです。そして再びめだち過ぎるひまわりの姿を追いかける。残念ながら、この日は富士山の姿は雲に隠れていた。先頭の引率者の如き2輪の長身のひまわり。「前を向き 顔上げ生きろと 諭されて」・・・・詠み人知らずミツバチを発見したが、私のカメラは接写が苦手。そして祭り会場本部もこの日の凖場が始まった模様。「向日葵も 危険な夏と 呟いて」・・・・・詠み人知らず「向日葵も 猛暑、酷暑で 目も回り」・・・詠み人知らず「向日葵に すがるミツバチ 我が姿」・・・詠み人知らず ・・・つづく・・・
2018.08.15
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我が家の裏の農家の畑の隅にガマの穂を発見しました。葉は高さ1-2 mで、茎を伸ばし、円柱形の穂をつけています。穂の下部は赤褐色で太く、ソーセージに似た形状。ガマの穂と呼ばれている茶色の部分が花なのです。上部の針の如き部分が雄花で下のソーセージに似た部分が雌花に分かれているのです。この時期は茶色の花穂が目立つ。 「ソーセージ」意外にも「ちくわ」や「ケチャップをつけてないフランクフルト」のようでも。昔はこの葉と茎で『むしろ』などを作ったので「くみ」(組)と呼ばれ、 次第に「かま」になり「がま」になったのだと。「蒲団(ふとん)」の 「蒲」の字は、昔、ガマの綿毛を寝具に入れたことから。 「蒲鉾(かまぼこ)」は、最初のころは竹輪のような形をしており、ガマの花穂に似ていたことから。「蒲焼(かばやき)」は、うなぎを筒状に切って焼いていた形がガマの花穂に似ていたことからと。『古事記』の因幡の白兎の説話では、毛をむしり取られた兎に、大穴牟遅神(大国主)がガマの穂に包まらせ、その花粉で止血して傷を治したのだと。冬になるとこの花穂の中から綿毛がブワーッと出てきて飛散するのです。 1本の花穂から出る綿毛には約10万個のタネがあるらしい。そしてフランクフルトのような蒲の穂を手で押しつぶすと、なんと中から大量の綿毛が出現。もともとの見た目からは想像できないほど大量に『爆発』した如く発生することをご存じですか?私も子供の頃に遊んだのです。本当に気持ちいいくらい勢いよく吹き出すので、ちょっとしたストレス発散にもなったのです。水辺の植物なので、子供には微妙に手が届かないところに生えていたのですが。この『爆発』をクリックしてみてください。 子供の頃に廊下を走っていて消火器に躓いて倒した時の消火器のような感じ!!そしてこのガマの穂を何個か同時に火に投げ込んだ時の姿!!わかるかなぁ??それにしても、ガマの穂って見ているだけで旨そうに見えるのですが。粒マスタードを付けてケチャップもたっぷり付けてと・・・・・・。
2018.08.14
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我が家の裏の、農家のビニールハウス前のハス(蓮)が開花しています。廃品の風呂桶の中に植えつけられたハス(蓮)。八重咲きの白のハスの花の中心部に独特の構造の緑の「花托」が。そしてその周囲には黄色い雄しべが多数。朝の寝起きの乱れた姿か?こちらの花は翌日に開花か?こちらはこの日が初開花か?この前、大船フラワーセンターで見たミセスローカムに似ています。東洋種(中国産の赤色の八重咲き品種)と北米原産の黄花蓮)を交配させて作った品種。開花初日は僅かに赤味を帯びていますが、2日目3日目と赤味が抜けて淡黄色になるのですが。こちらは満開の花の前に仕事を終えた「果托」のみが。新旧交代の儀式中か?2~3日後の開花か?蕾が丸くなく、縦に鋭い。「果托」3人娘。濃いピンクの花も。「果托」の中にはハスの実が。現在でもカンボジアやベトナムではよく食用とされていて、中国や台湾では甘く煮たものが土産として売られているのです。様々な「果托」の姿が。花が終わったあとの雌しべをは「花托」ではなく「果托」。「花托」も「果托」も読み方は「かたく」で、どちらも蓮の中心の部分のこと。ちなみに「托」とは、物を受ける台、のせる台のことで、一番身近なものが、茶碗をのせる「茶托」。つまり、花の花びら、雄しべ、雌しべ、つまり花を乗せているのが「花托」。花びらが落ちた後の果実を乗せているのが「果托」なのです。蓮の実が生長して表面に乳房の如く押し出て来ています。そして実の入った部分が更に大きくなり、実との間に隙間が出来るのでしょうか。それとも人間と同様で、実も生長するとある段階から小さくなっていくのでしょうか。こちらは後期高齢者の果托。蓮を古名では蜂巣(ハチス)と呼んでいただけあって蜂の巣に良く似ているのです。そして大きなハス(蓮)の葉。そしてこの中心に水が貯まると、時々『蓮のささやき』が聞こえて来るのです。 この現象の理由をネットで調べてみると下記の如き情報が。『ハスの葉もスイレンの葉とおなじく、葉内に細胞間隙(細胞と細胞の隙間)があり、 葉柄内の通気組織につながっています。 ただし、ハスの葉はスイレンの葉と異なり、細胞間隙と通気組織がつながった構造体が、 葉内と葉柄内で完全に2つに分かれています(スイレンは1つのようです)。 ハスの葉を観察しますと、葉の表面に真ん中に丸い小さなフタのような部分があります。 このフタのような部分には、大きな気孔(空気を出し入れする隙間)があります。 この気孔は、細胞間隙と通気組織がつながった構造体の1つとつながっています (もう片方はつながっ ていません)。 つまり、葉の約半分くらいの部分には、この気孔とつながった構造体(構造体Aとします)があり、 残りの半分くらいの部分には気孔とはつながっていない構造体(構造体B)があります。 この大きな気孔はまわりの環境に応じて、開閉します。 ハスの葉は、まわりの空気の温度よりも暖められると、その葉内の細胞間隙部分が加圧されます。 構造体Aが加圧されると、葉では出口がないので、酸素を含んだ空気は葉柄を通じて、 地下茎に送り出されます。 地下茎で呼吸されて二酸化炭素を含んだ空気は、葉柄を通じて構造体Bに送り出され、 気孔が開いていれば、気孔から空気は出ます(この気孔が出口となります)。 したがって、葉の中心に水をいれたとき泡がぶくぶくと出ているときには、 上のようなことが起きている場合です。』と。 【https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=2717】より転載。
2018.08.12
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更に大船フラワーセンターのハスの花を楽しむ。『絢爛華(けんらんか)』花弁の形が狭く先端が尖っていた。花片のピンク色のアンジュレーションが見事。『花雲薄紅(かうんうすべに)』外側の花片の先端が僅かに薄紅色。『紅之輝(べにのかがやき)』『皇居和蓮(こうきょわれん)』皇居の蓮池に自生していると言われている蓮とのこと。『碧睡蓮(へきすいれん)』『白虹(はくこう)』この花はカールした八重咲きの花びらが特徴。月光の下で出来る淡い色の虹のことを白虹というのだと。花の名前はこれに由来すると。『淡麗(たんれい)』『朱雀の舞姫(すざくのまいひめ)』花はやや大型、花弁は白の地色にアントシアニンが全面に中程度に分布し、開花の早晩が花の観賞時期。『常楽(じょうらく)』『常楽』の蕾。『喜上眉梢(きじょうびしょう)』濃いピンクの花色で一重咲き。『玉葉黄(ぎょくようき)』黄ハスの「武漢黄蓮」から育成された品種で、2011年に品種登録。花はやや小さく,八重咲き。花弁の先端は尖りが無く、花色は黄淡。『輝呼(てつこ)』『朝香(あさか)』そして園内の別の花の散策に。『のりうつぎ(みなずき)』枝の髄(ずい)を抜くと空洞ができるので「空木」の名がついたと。「のり」は、樹皮の内皮をはいで水につけて粘液を出させて、それを和紙を漉(す)くときの 糊として使ったことから。白のフロックスか?『オミナエシ(女郎花)』「おみな」は「女性」の意味、「えし」は古語の「へし(圧)」で他の美女を圧倒する美しさから名づけられたとのこと。よって美女の中の美女ということ。風に揺れる黄色のたおやかな姿が他を圧倒するほどの美女を連想したのでしょうか。ズームで。「さを鹿の 己が棲む野の 女郎花 花にあかずと 音をや鳴くらむ」 金槐和歌集 源実朝「森の小道」入口。そしてバラ園入り口に。花のピークは既に終わっていたが、まだ多くの花が残っていた。『ガルテンツァーバァ’84』『ニコール』『マイナーフェアー』『ミラベラ』『チャールストン』『ゴールドマリー’84』『サマーウインド』『ジョージベスト』『ローラ』『のこぎりそうもどき』花の周辺には紅色で雌性の舌状花が5枚つき、中央には白色の両性の筒状花が半球状に。芝生広場の花壇。朝顔、夕顔のトンネル。『夕顔』の花夕顔(ユウガオ)の実を細長い帯状に剥いて加工したものはかんぴょう(干瓢)と呼ばれ、巻き寿司や汁物などに使われ食用にされるのです。『チュウキンレン』『黒松の盆栽』『ヤマユリ』小型の『ひまわり』『ケイトウ』『メランポディウム』赤の『サルビア』『ペンタス』『コリウス』そして最後に蓮の葉のシャワーの光景を楽しんだのです。茎の根元から入った水が、葉の先端の節々から放射状に噴き出し涼感を醸し出していた。蓮は、地下茎が肥大化したレンコンの部分の穴が茎を通じて葉までつながっているのだと。茎を途中で切り取り、そこに水道のホースをつないで下から水を送っているのです。葉は、そのままでは水が噴き出しませんので、周辺を少し切り取って血管のような葉脈を露出させ、そこから放射状に水が噴射するようにしているのでは。こちらはハスの葉に貯まった水玉。以前、別の場所で木の葉の中央から空気がボコボコと噴き出す姿を見たのです。 ・・・END・・・
2018.07.27
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先日早朝(7/16)に車で「神奈川県立大船フラワーセンター」を訪ねました。平成30年4月1日 大船フラワーセンターは「日比谷花壇大船フラワーセンター」の愛称でリニューアルオープンしたのです。この日の目的の花は蓮の花。前日のニュースでやっていたのです。センター前には既に行列が。ハスの花は早朝に開くことから、この連休中は通常より2時間早い午前7時に開園なのです。シルバー割引で150円を払って入場。大船フラワーセンターの案内図。園内に入ると様々な種類の鉢植えのハスの花が開花中。展示中のハスの種類リストを頂いたので、それを頼りに観賞。『友誼牡丹(ゆうぎぼたん)』花の色は淡黄で花の形は八重でボタンの花の様な形から。反対側から。アメリカのキバナハスと中国のハスとの交配種。友誼とは友情のこと、中国語っぽい命名。『淡麗(たんれい)』『喜上眉梢(きじょうびしょう)』スイレン池の奥のハスの群生池の花はほぼ終了していたが所々に。『大賀ハス』。花びらの先には西洋ミツバチが。大賀ハスとは、昭和26年、千葉市の東京大学農学部検見川厚生農場で、ハス博士といわれた故「大賀一郎」博士(当時関東学院大学教授)が、縄文時代に咲いていた古代ハスの種3粒を発見し、そのうちの一粒の開花に成功したものです。蕾も。開花から4日間の短くも美しい神秘的な姿。これは開花から2日目?3日目?スイレン池の水面は朝の陽光に輝いて。白の睡蓮が開花中。睡蓮(スイレン)の語源は、「睡(ねむる)蓮(はす)」に由来し、朝から14時頃まで花を咲かせ、陽射しが弱くなると、花を閉じて眠ってしまうからと。水面から花までの距離が微妙に異なるのは開花からの日にちの為か?ちなみに花言葉は、「清純な心」・「甘美」・「優しさ」・「信頼」・「純情」・「信仰」・「純粋」 ・「潔白」なのだと...。睡蓮は、蓮と違って西洋風な感じが。睡蓮の葉は一箇所切込みがあるのが特色だが、蓮の葉は切り込みがなく丸い葉。植物図鑑的にはスイレンというのは載ってないそうです。和名はヒツジグサ(未草)。「未の刻(午後2時)」に咲くからなのだと。丸い葉の間から蕾が顔を出し咲く。白さがまぶしいほど。パーゴラ(日陰棚)の藤の木には大きな実が。薄紫色した藤の花はおなじみですが、実はあまり注目されていないようです。マメ科植物のため、かたちがインゲンのさやに似ています。『高領布(こうりょうきん)』『ヘリーズジャイアント』は膨らんできた花托のみの姿で。良く見ると花托の上のほうにハスの種子ができているのが見えます。『アルバ グランディフロー』花托の周りの白い部分が雄蕊(おしべ)。雌蕊(めしべ)は花托の上に飛び出している部分。雌蕊の数だけ実がなります。この数は花ごとに異なります。美しい芸術作品。雌蕊の数は16個。『漢蓮(かんれん)』は盛りは過ぎて。わが国在来の白蓮系八重咲き品種。その中では最も小型であると。『明美紅(めいびこう)』は務めを終えて花托も枯れて。花は明るく美しい紅色のハス、まさにこの品種にぴったりの名前であると・・・・。『玉鶯(ぎょくらん)』『ミセス スローカム』『舞妃蓮(まいひれん)』の蕾アメリカの黄花ハス「王子蓮」と日本の「大賀蓮」を交配して作り出した品種。今年も鵠沼の蓮池で見た品種。ハスの実も顔を覗かせて。ピンクの睡蓮。朝露?それとも噴水の水を付けて。 ・・・つづく・・・
2018.07.26
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今年も我が家の横の菜園で育てている「花オクラ」が花を付け出しました。 花オクラの種は、なかなか手に入りませんので、来年用に毎年種子を取り保存して春に種蒔きし育てているのです。1〜2mほどに生長し、きれいな黄色い花を咲かせる花オクラ。花は、エディブルフラワーとして収穫して酢の物や天ぷら、おひたしなど色々な料理に活用して楽しむことができるのです。 トロロアオイ(黄蜀葵)という別名の通り、とろみのある花を食べて楽しむことができます。また、原産地の中国では漢方薬にも利用され、咳を鎮める効果もあるのだと。花オクラの花は、朝に咲くと夜にはしぼんでしまうのです。美しい花が1日で枯れてしまうことから、「知られぬ恋」という花言葉が。また「恋によって身が細る」と言う花言葉は、花の後に付く実がシュッと細長いことから付けられたとされているとのこと。花の大きさは20cm前後の大きさ。下の写真はオクラの花ですが、2倍以上の大きさ。この花の特徴は、長い雌しべの花柱を雄しべが囲んでいること、そして雌しべの先が五つに分かれている所。この日は5個ほどの花オクラの花が収穫できました。水洗いを十分にしました。この花には小さな蟻が付きやすいのです。そしてがくの部分には、細かいトゲがあるので、注意して花びらの部分だけを切り取りました。鍋にお湯を沸かし30秒ほど茹でました。 茹でた花は湯切りをして冷水に浸し、ポン酢をかけて完成。オクラを薄切りにしてトッピングしネバネバセットにしてみました。この猛暑の夏にピッタリのさっぱり味の花オクラ、そしてネバネバな歯ざわりを大いに楽しんだのです。もちろん、ビールも。花は直ぐに萎れてしまうので、あまり市場には出回らないようですが、わいわい市や産直物産展などでは置いてあるところもあるのでゲットして楽しんでみてください。
2018.07.15
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今年も市内鵠沼にある蓮池を訪ねました。(7/6PM)7月の誕生花、幸福の花とも呼ばれる蓮の花、そして私の誕生日は今月。自宅から車で約20分で第一蓮池に到着。鵠沼の地名の由来は、鵠(くぐい)とは白鳥の古名で、かつてこの辺りには沼が多くあり、鵠が多く飛来していたと言われているのです。 鵠の文字の左は「告」では無く「牛+口」であることを昨年知ったのです。第1蓮池の蓮は、舞妃蓮(マイヒレン)という種類。舞妃蓮は、昭和41年に御坊市の阪本祐二氏が、アメリカの黄花ハス「王子蓮」と日本の「大賀蓮」を交配して作り出した、御坊市生まれの蓮とのこと。この日は既にピークを過ぎていました。しかしピンクの蕾も。蕾の先端がほんのり紅く、開花して1日目はピンク、2日目3日目は黄色に変化するのだと。やや開花を始め、蕾も緩やかに。花片は薄い黄色に。蓮の花、花心部分が濃い黄色で。花の中央部には、蓮の実の、出来始めが、見られたのです。蓮は「蜂巣(はちす)」の略、実の入った花床(花中央の黄色部分)は、たくさんの穴があいていて、蜂の巣に似ていることから、 漢字の 「蓮」は漢名からで、種子が連なって付く事からと謂われているのです。花の開閉があたかも女性の舞い姿のようであることから、『舞妃蓮』と名付けられたと。 花床には、たくさんの穴が開いて、蓮の実が成長中。カメラをズームしていると西洋ミツバチの訪花を発見。近くで西洋ミツバチを飼っているがいるのだろうか。そして、車で第2蓮池の誠蓮(まことはす)を訪ねる。今年は、通路沿いの蓮を整理した模様。バードウォチングの人の姿もなく、蓮池を一人占め。こちらも既にピークは過ぎていた。福岡県の佐藤誠氏が食用蓮「備中」から作った品種で、「福岡八重蓮」とも呼ばれていると。花片が落ち始めている株も。こちらはこの日が満開か。花は早朝から咲き始め、昼過ぎには閉じると。3日間開閉を繰り返し、4日目の 午後には全ての花弁が散ってしまうのだと。公園課の蓮池保護の案内板。まだまだ蕾の株も奥の方に。ズームで。こちらは、この日の開花を終え花を閉じたのであろうか?黄色が鮮やかに。葉っぱの水玉も見事な配置で楽しませてくれたのです。花が池の面に映って。大きな鯉も悠々と。花の一生がこの写真の中に。蓮の池の手前の茂みに漸く一羽のカワセミを発見。その手前で蓮の実が盛り上がり大きく成長。こちらは、先日北京に旅行した際に購入して来た蓮の実。蓮の実が甘く味付けされ、サクサク柔らかく、 どこか、栗に似通った味がしたのであった。『蓮の花は、夏の朝早く花を開きます。真っ白な花、薄紅色の花、それはそれは見事。蓮の花はなぜこれほど美しいのでしょうか。そしてなぜ尊ばれ、仏さまと深く結びついているのでしょうか。それは汚い泥のなかで成長し、それでいてその泥に染まることなく、清浄な花を咲かせるからにほかなりません。私たち人間も悪に染まらず、悪い誘惑に負けず、どれほど不遇で恵まれぬ環境にあっても、強く清らかに堂々と生き抜かねばならないと教えておいでなのです。 』早朝から動き出す私が、この日は何故午后に蓮の花を見に?実はこの日の朝にテレビを付けながらパソコンを操作していると「松本智津夫死刑囚ら7名の死刑が執行された」のニュースがテレビ各局で一斉に。それを見ていると、死刑の執行がまるでスポーツの実況中継の如くに。社会を震撼させる大事件であったことは事実であるが、政権の思惑をなんとなく感じる死刑執行ではないかと感じる私がいたのです。そして何故か蓮の花を見に行きたくなったのです。
2018.07.14
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我が趣味の養蜂場の片隅に生えているアーティチョークが青紫の花を付けています。既に花のピークは終わったようですが、次々に青い花が開花しています。和名は「朝鮮薊(チョウセンアザミ)」とのことですが、日本に自生するアザミとは属が違い、別の種類の植物であるようです。これは、日本に渡来した当時は「朝鮮」が外国を意味しており、花の形がアザミに似ていたことから名付けられたとのこと。「Artichoke」とはアラビア語で「巨大なアザミ」という意味を持っているのだと。アーティチョーク草丈2mほどにまで生長する多年草で、ヨーロッパではツボミを食用にし、葉や根は薬草として利用されているようです。便秘解消や高血圧、糖尿病、骨粗しょう症に効果があるとされ、食物繊維やミネラルを豊富に含んでいるのだと。原種はヨーロッパに自生していた野生のアザミで、古代ギリシア・ローマ時代以降に今の形に品種改良され、15世紀のイタリアで本格的に栽培が開始されたのをきっかけにヨーロッパに広まったのだと。日本へは江戸時代にオランダからもたらされたが、栽培環境が合わないことから野菜としては普及せず、今では主に観賞用の植物として知られているのだと。私も旅行で訪ねたヨーロッパの市場には、アーティチョークのツボミが山のように積み重ねられ販売しているのを何回か見ているのも事実なのです。まだ若い花、青紫の花の下の緑がまだ残っているのです。花も古くなると下の写真の如くに。まだツボミのものも。しかしこのツボミに若さが感じられないのです。花は管状の花のみで作られていて、多くのキクのように周囲に花びら状の舌状花が並んでいません。花からは雄蘂や雌蘂が棒状に突き出し、これも写真の如く針山のような景色。花色は青紫から赤紫に変化して来るのです。ネット情報によると『アーティチョークのツボミは、塩茹でにして食べるのが一般的です。ツボミの下が最もおいしい場所で、そら豆のような風味を楽しむことができます。収穫したツボミは茎の部分を切り落とした後、まず水をはって塩を入れたボールに、逆さにした状態で30分ほど浸けておきます。こうすることで、ツボミの間に入ったゴミや虫が取り除くことができますよ。このとき、酸化して黒ずむのを防ぐために、お酢かレモン汁を水に加えておくといいです。その後水から取り出したツボミは、トゲのある部分に注意しながら上部を1~2cmほど切り落とします。そして鍋にたっぷりと水をはり、アーティチョークに塩やレモン、ローリエなどをお好みで加えて約30分茹でます。芯の部分に竹串がスッと入るようになったらザルにあげ、食べやすい大きさにカットするか、そのまま1枚1枚はがすようにして、ソースやドレッシングをつけて食べてください。』と。ネットからの調理写真です。 【https://nutrineat.com/vegetables-high-in-protein】よりあまり美味しそうに見えないのですが・・・・・。
2018.07.13
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旅行記のブログを長々とアップしている間に我が家の庭のグラジオラスが次々と花を開かせています。以前、様々な色の球根を購入し植え付けたものです。花後のお礼肥は与えていますが、植え替えは行っていません。和名はトウショウブ(唐菖蒲)、その他の名前としてオランダアヤメ等が。複色の2色咲きも。ピンクに白の縁飾り付きの紫色が入ったかわいい咲き方などバラエティ豊かに楽しむことが出来るのです。深紅の色が青空に映えて。すらりと伸びた花穂と剣のような形の硬い葉が特徴で、学名のグラジオラス(Gladiorus)はラテン語で「小さな剣」という意味があるとのこと、葉や蕾の形からつけられているのだと。球根は毎年新しく更新され、さらに新球のまわりには木子(きご)と呼ばれる豆粒大の小さな球根がたくさんできこれが成長してくれるのです。陽光を浴びてグラジオラスも眩しそうです。色だけでも赤、ピンク、黄、オレンジ、白、青、紫、緑、複色と様々な魅力の色が次々と。雨や風で倒れやすいのが難点ですが。そして横の畑との境界に、自然に生えて来たカボチャが花を付けています。大きな全面黄色の花。折しも、我が?ミツバチが訪花しました。カボチャの花は朝方によく蜜を分泌すると言われているのです。
2018.07.09
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先日、雨が上がったので、車で10分ほどの横浜市と我が藤沢市の境を流れる境川にアジサイ(紫陽花)を見に行って来ました。この境川の堤防上は、、江の島へ向かって流れる境川と引地川を繋いだ「藤沢・大和自転車道」になっているのです。既に花のピークはやや過ぎていましたが、様々な色のアジサイ(紫陽花)が境川沿いに咲き乱れていました。最近よく見かけるようになったカシワバアジサイ。カシワバアジサイは、北アメリカ東部原産のアジサイの仲間とのこと。葉の形がカシワに似ていることが、和名の由来。花は円錐状あるいはピラミッド型に付く独自の形状をしており、5月〜7月に真っ白い花を付ける。八重咲きと一重咲きがあるとのこと。未だ、白い花しか見たことがありませんが、他の色のカシワバアジサイがあるのでしょうか?アジサイのイメージカラーであり、人気の色でもある紫系アジサイ。紫系は色を細かく上げると多数あるし、濃い紫もあれば、薄い紫、赤紫など紫だけでもいっぱいありそうです。アジサイの漢字名『紫陽花』もこの紫系から。ややピークを過ぎたガクアジサイ。中心に集まっている小さな蕾のようなものが花びらで、その外側にはガク(葉っぱが変化した花を守る部分)が大きな花びらのようについている。この様子が額縁に似ていることから「ガクアジサイ」と名付けられたのです。こちらは開花がスタートしたばかり。シーボルトが来日していた当時,現在良く見るようなアジサイ(セイヨウアジサイ)が存在していなかった。シーボルトは,このガクアジサイの苗を持ち帰り,その苗から改良されたものがセイヨウアジサイなのだと。こちらは紫が濃くなりつつあるアジサイ(紫陽花)更に濃く。額が雨に濡れて。紫の集団。こちらは赤紫の集団。中央部にある紫色の珊瑚状に見えるものが花で、周辺部にある桃色の3~4弁の花のようにみえるものはガク(萼、装飾花)。束の間に薄日が射して色が鮮やかに。純白そのもの。ガードレールの隙間に顔を出すが如く。ガードレールに顔を乗せて。中央の花を見る前に額を見てくださいと主張しているのであった。額の青と白の見事な共演。境川の両岸に。対岸から。川面を覗き込むように咲くアジサイ(紫陽花)。ガクアジサイとアジサイが仲良く。紫の花の白い縁取りが束の間の陽光に輝いて。青のカオス。色の変化の行程が解るのであった。こちらも色の変化の行程が。赤いガクアジサイがひっそりと。親、子、孫の3代の如く。早朝には白が似合うのであった。
2018.06.25
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富士山スカイラインを利用して「ぐりんぱ」への南富士エバーグリーンラインのゲートに到着。ゲートには「ぐりんぱ」係員がおり、チューリップは全体的には見頃を過ぎてしまたが、今満開の品種もある事そして駐車場は満車であるので、手前のスキー場の駐車場からシャトルバスを利用して欲しいと。ここは1973年4月に「日本ランド」(後に「日本ランドHOWゆうえんち」と改称)としてオープンした場所を2004年に「ぐりんぱ」と改称・リニューアルしたもの。スキー場駐車場からの富士山。そしてシャトルバスに乗り「ぐりんぱ」入口に到着。入場チケット・シニア800円を購入し入場。園内通路には黄色のチューリップは満開で迎えてくれた。2018年4月21日(土)~5月27日(日)までの期間で、世界遺産・富士山をバックに色鮮やかな20万本のチューリップが咲き誇る花の祭典「天空のチューリップ祭り」が開催中。しかし今年の春は温度が例年より高く、開花が早まっているとのこと。園内 案内図。富士山の姿がハッキリと。ズームで頂上付近で雲が刻々と発生する姿を。「そよかぜサイクリング」と「みんなでシュシュポッポ」とその後ろに富士山。「みんなでシュシュポッポ」も発車時間待ち。「天空のチューリップ祭り」のチューリップはやはり終わりかけていたが、富士山の雄姿がそれを補ってくれた。チューリップと風車そして富士山。富士山頂上の雲もなくなり。頂上の稜線そして登山道のジグザグもハッキリと。このベンチが撮影スポット。こちらのチュ-リップは今が満開。緑の屋根は「緑の丘のすてきなお家」。シルバニアビレッジからの富士山。キャラクター「シルバニアファミリー」の世界を等身大で表現した国内初のテーマパークであると。風車にも「シルバニアファミリー」が。「そよかぜサイクリング」を楽しむ女の子。ここからも宝永火口をズームで。ウルトラマンパークへの階段の中央にも芝桜が咲いていたが、こちらも疎ら。「ウルトラセブンコースタ・マッハ7」は強風で運転休止中か?ウルトラセブンと富士山。青トラマンと富士山。「みんなのかんらんしゃ」と富士山。ウルトラマンパークから下方を見る。再びチューリップ園と富士山。最後に満開のチューリップをカメラに。「秋の花畑 天空のダリア祭り」が8月下旬~10月中旬に開かれると。2万株のダリアが咲き誇る秋の祭典。ダリアの他にも、サンパチェンスやキバナコスモスが植栽され、色とりどりのトロピカルな花畑となるとのこと。 ・・・つづく・・・
2018.05.09
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四国八十八箇所お遍路の旅を順次ブログアップ中ですが、近々のホットな旅の備忘録の割り込みです。------------------------------------------------------------------------------------------------------この日は5月5日(土)、旅友のSさんと富士山の富士本栖湖リゾートで開かれている「富士芝桜まつり」を楽しんで来ました。ネットのライブ映像によると、未だ満開には少し早いようでしたが、今週は晴天の日が少ないとの天気予報でしたので、富士山の雄姿も間近で楽しみたいのでこの日に決定したのです。渋滞回避のために、早朝の4:30に我が家を車で出て、5時に茅ヶ崎のSさん宅に到着。そしていつもの様にSさんの愛車で富士山に向かいました。圏央道寒川南ICを5:08に通過。丹沢山地の大山(1,252 m)の姿そして朝日を浴びた厚木の市街地。圏央道から東名・名古屋方面へ。車窓からこの日の朝日が。大井松田からの富士山。富士山頂付近は雲に隠れていた。何時もの様に助手席に座り富士山の姿を追いかけカメラを向ける。御殿場ICで東名から133号線(箱根裏街道⇒東富士五湖道路)を進む。相変わらず富士山の頂上は雲に隠れていた。「笠雲は下り坂」とも言い、今週の天候の悪化を暗示していたのです。青木ヶ原樹海を通過。新緑が朝日に輝き美しかった。そして富士芝桜まつり会場の駐車場に到着。茅ヶ崎のSさん宅から1時間45分、時間は6:45前。既に駐車場に入る車の列が上下線に。毎年芝桜の開花時期の4月中旬から5月下旬にかけて開催される「富士芝桜まつり」。富士本栖湖リゾートの広大な敷地に約80万株の花が咲き誇ります。ピンクと白のグラデーションカラーに染まる芝桜と、そのバックにそびえる富士山の雄大な景色のコラボレーションが見事な「富士芝桜まつり」なのです。5分もかからずに駐車場に入れた。しかし既に第1駐車場は満車で第2駐車場に案内される。車を駐め入園口から林の中の道をチケット売り場に徒歩で向かう。7~8分林の中を歩いて第1入場口のチケット売り場に到着。事前にネットで前売り券を50円引きの550円で購入しておいたのでスマホのQRコード提示窓口でチケットに交換し入場。併せて駐車料金も早めに自動精算機で。富士芝桜まつり 会場マップ。約2.4ヘクタールの広さに咲き誇る、約80万株の芝桜と、世界遺産にも登録された富士山のコントラスト。芝桜は、別名「ハナツメクサ(花詰草、花爪草)」とも呼ばれ、地面に芝のように桜色の花を咲かせるところから「芝桜」と言われます。富士芝桜まつりの会場には、ピンクはもちろん、赤や白、ストライプなど、8種類の芝桜が咲いていて、色とりどりの「花のじゅうたん」を楽しむことが出来るのです。入口には濃いピンクの芝桜が迎えてくれた。ミニ芝桜富士が前方に。しかし山頂の白、そして裾野のピンクも未だ5分咲きであろうか。今年のものはかなり開花にバラツキが。ズームで。下の写真は2015年に訪ねた際の写真です。この時は満開間近でしたが。相変わらず富士山頂の雲は退いてくれません。会場の一番奥には展望台が。展望台からの眺望。展望台から下りて。雲の状況は刻々と変わっていた。アネモネの花壇は満開手前。色々な色合いの芝桜が。展望カフェや売店も会場の奥に。芝桜会場を囲む山も新緑に溢れていた。ミニ芝桜富士をこちらから。雲がなんとか晴れてきた。芝桜のカオス。反対側から。「ダイヤモンド富士」説明ボード。そして芝桜で描いた「ダイヤモンド富士」の姿。白のギザギザは山頂の雪、そしてその上に赤い夕陽の姿がなんとか確認出来たのであった。山頂の姿が暫しの間見えた。ミニ芝桜富士を様々な角度から。雲が漸く消えてくれたのであった。春霞の為か富士山の姿はややおぼろげに。今年(2018年)のポスターの写真は上の私の写真と同じ場所から。今年の残雪は、例年に較べてやや少ないようだ。ポスターに負けじとカメラを縦にして。白とピンクの曲線美。アンジュレーション(undulation)の美。ムスカリの青は強烈。昨年~今年の冬は一段と寒さが厳しかった為か、芝桜の斑な開花は芝桜がやられている場所も多かったのであった。そしてその場所に開花株を植え付けている係員の姿が。芝桜広場の周囲にはレンゲツツジやヤマツツジ、ミツバツツジ、ドウダンツツジが咲いていた。お土産売店の「さくら餅」。帰路に入園口の横を通ると長い列が出来ていた。時間は8:15過ぎ。駐車場手前からの富士山は雲がスッキリ晴れて。そして駐車場を出て富士宮方面に向かう。対向車線には長蛇の列が行けども行けども・・・・。この時間8:30には既に約9kmの渋滞が、そして恐らく本栖湖方面からも同様な大渋滞が。想像しただけでも気が遠くなるのであったが、諦めてUターンする場所も殆ど無く!!これぞ「早起きは3時間の徳」いや「早起きは1日の徳」なのであった。そして対向車線の渋滞の中、我々は道の駅・朝霧高原でしばし余裕の休憩。「道の駅」朝霧高原は、雄大な富士山を背景に緑輝く草原が広がり、周りは多くの観光資源に恵まれ、古くは静岡と山梨を結ぶ「塩の道」であった一般国道139号線沿いに位置。富士山頂から噴煙があがっているが如し。ソフトクリームを楽しむ。旅友はヤマモモ、私はヤマモモとバニラとのミックスを。ヤマモモの甘酸っぱい味で疲れも癒されたのです。次の目的地の「ぐりんぱ」向けて車窓の景色を楽しみながらS山運転の車は進む。「朝霧高原・もちや」の手前には鯉のぼりそしてのぼり旗の姿が。そして水ヶ塚公園からの富士山の雄姿。表富士側の2合目にあたる水ヶ塚公園。大きな口を開けて宝永火口が眼前に迫って来たのです。それにしても宝永火口がこれまでに大きかった事にビックリしたのです。ネットで調べてみると「宝永山は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した、富士山最大の側火山である。 標高は2,693m。この宝永の大噴火以降は噴火していないため、この宝永山が富士山の 最新の側火山になる。宝永第一火口は直径が約1,200m、深さが約400m」と。 ・・・つづく・・・
2018.05.08
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4月19日(木)の午後に、「妻のリクエスト」に応えて?何故か一人で大船フラワーセンターに車で行って来ました。昨年7月から改修工事されていた県立大船フラワーセンターが、2018年4月1日にリニューアルオープンしたのです。ちなみに、「神奈川県立フラワーセンター大船植物園」は、名称を「神奈川県立大船フラワーセンター」に改め、また、指定管理者制に管理を移行し、ネーミングライツ(命名権)も導入し「日比谷花壇大船フラワーセンター」の愛称でリニューアルオープンしたのです。指定管理者制度とは、植物園の管理において民間企業のアイディアや企画などを導入して、利用者の多様なニーズに応え、質の高いサービスを提供、効果的・効率的な管理運用を目指していくためのもの。入園料は20歳以上を360円から400円に値上げする一方で学生と20歳未満(高校生を除く)は250円から200円に値下げ、そして65歳以上は150円と嬉しい金額。敷地は、総面積63,900m2。入り口を入ると、すぐに園芸種の花壇があり、その向こうの噴水の池に睡蓮の葉が浮かんでいた。入場してすぐの広場にある石のアーチは以前のまま。「かたぐるま」というモニュメント。レストハウスにはウッドデッキが新設されていた。大船フラワーセンター案内図。4月からはセンターの売りであるシャクヤクやボタンのエリアを広げたほか、エレベーターの新設やスロープの拡張などのバリアフリー対策を施したとのこと。池の噴水とその奥に様々な色のヤグルマギクが。花時計もそのまま健在。ビオラが色ごとに分けて植えられていた。時間は14時前。ハナミズキの赤も青空に映えて。白も負けじと。池の横の藤棚には満開の藤の花が撓わに。この日がピークか?フラワーセンターを時計廻りで歩くこととする。シャガ。白っぽい紫のアヤメに似た花。花弁に濃い紫と黄色の模様が。椿園の花はほぼ終わっていた。紀州司が最後の花を。そして道路脇の草むらにあったのがユキモチソウ(雪餅草)。まんなかの白くふくれた部分が 雪のように白く、餅がふくらんだみたいなので この名になったのだと。初めて見る植物。こちらはムサシアブミ(武蔵鐙)。和名は、昔、武蔵国で作った鎧の形に似ているのでこの名がついたと。ホタルカズラ。花には5本の白い隆起が。和名はこの青色を蛍にたとえたのだと。大胡蝶(おおこちょう)。白孔雀というツツジ。コオズエビネ。エビネは日本に自生する蘭の仲間。質素な色合いの花が特徴で、他の種類と交配しやすいことから、品種改良が盛んに行われていてこのコオズエビネはニオイエビネの一種。第一展示場ではおしば会主催の「おしば美術展」が開催されていた。玉縄桜広場。フラワーセンター名物の玉縄桜は、早咲きなので、とっくに、葉桜となっていた。ここは以前は確か池であったが・・・新設された広場であろう。ピクニックランドには様々な色の藤の花が。こちらも満開中。藤の花にもいろいろな色が。曙藤(アケボノフジ)か?こちらはピンクの藤。ズームで。今年は、藤の花も咲くのが早いと大きなカメラを持ったオジサンから。例年ならばゴールデンウィークがちょうど見頃とのこと。ホンベニフジ(本紅藤)か?白い藤も。別の紫のフジ。青空に映えて。青と紫の共演。隣にあるバラ園に向かう。バラ園の見頃はこれからで未だ蕾だけ。わずかに数輪の「プリンセス ミチコ」が迎えてくれた。しかし「もっこうばら」は満開。やや淡い黄色の早咲きの蔓バラ。大量に花をつけており、この大きなモッコウバラの開花は圧巻。新たにリニューアルした芍薬園。未だ1~2cm程の蕾が。昨年はこの花菖蒲を見に来たのであった。別の場所のシャクヤク(芍薬)は開花中であったシャクヤク(芍薬)「ゴールデングロー」。シャクヤク(芍薬)「アテナ」。牡丹園も5割以上が開花中。ボタン(牡丹)「花王」。ボタン(牡丹)「白神」。絵画を楽しむ人の姿も。このエリアのツツジは三つ葉ツツジ系のオンツツジとサクラツツジの種間雑種。このフラワーセンターで交配選抜したものであると。ズームで。こちらも。白のアイリス。様々な種類、色合いのシャクナゲが最後の輝きを。池に戻り周りのヤグルマギクをズームで。アイスランドポピーが一面に。少し離れてズームで。旨く撮れました。ネモフィラも一面に今や盛りに。青一色に広がる景色を楽しむ。私に似たオジサンも写っていた。澄んだ青が春の空の色と重なると、なんとも言えない美しい青のグラデーション。ルピナス(昇藤(のぼりふじ))はこれから。5種類の花の大きな花壇。右手にも別の花が。グリーンハウス(温室)に向かう。温室入り口前のチュウキンレン(地湧金蓮)。実は寒さに強い中国雲南省の高地生まれの花であると。「地面から湧き出た金色のハス(蓮)の花」という意味の名。花弁に見える黄色いものは 苞(ほう)=花の蕾を包んでいた葉で花は苞片の付け根に顔を出していた。ハイビスカス。ブーゲンビリア。ストレリチア・レギナエ。燈黄色の羽を羽ばたかせている青い嘴を持った鳥のようにも見える花。「さくらそう展」が行われていた。様々な色、種類のサクラソウが展示されていた。睡蓮 「ドーベン」。花弁の先にほんのりとブルーの入る白花種。睡蓮 「ティナ」。水面から飛び出すように花が咲き、葉には大きな切れ込みががあるのが特徴。睡蓮 「グリーン スモーク」。花弁のクラデーションが特徴で淡いブルー紫~黄緑への微妙な変化は他では見られないような色彩。パパイヤが撓わに。黄色く熟しつつあるパパイヤ(レッドレディー)外に出て和風庭園に向かう。芝生広場も緑を増して。小鳥を追いかける幼い子供の姿も。手入れされたばかりの松。シダレエンジュ(枝垂槐)。エンジュ(槐)の変種でマメ科に属する落葉高木。シダレエンジュは樹形が珍しく,剪定の仕方によって、竜の爪のように見えるので中国では,『竜爪木』と呼ばれているのだと。 花期は7~8月で,蝶形の小さい白花をつける。原産地はもちろん中国。 中国では古来より出世の樹木として中庭や玄関の両脇等に植える風習があるようで,縁起の良い木(縁起木)として知られているとネットから。この庭は、池を中心とした小さな回遊式庭園で、本館に近い東半分は平安朝の要素を、また西半分は江戸風の要素を組み合わせて作られており「吹合(ふきあい)の庭」と名づけられていると。よってこの写真は平安朝の庭か?再び入口の先の池を。最後に「花の築山」に登る。チュウゴクセイシカ。厚い革質の葉と白い小花が美しいシャクナゲの一種。ハンカチの木。枝に白いハンカチのような姿の花を咲かせていた。まだまだ写真を撮った花はあるが、切りが無いのでこの辺で。そして駐車料金400円/2時間を支払い帰路に。次回は今回のリニューアル工事で改修拡張そして新しい品種も植え込んだシャクヤクとボタンを楽しみに行こうかと。
2018.04.25
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昨日は昼前にホームセンターを訪ね、その帰りに我が市のフジ(藤)の花の名所のいくつかを訪ねて来ました。我が市『藤沢市』の市花はフジ(藤)。市内の公園には多くの藤棚があり、この4月には長い房に紫や白の花を咲かせ楽しませてくれるのです。ところで、「藤沢の地名の由来」は1)藤が多い地だから 2)境川・引地川など蛇行し、淵や沢が多く「淵沢」から転訛した。3)鎌倉時代、藤沢次郎清親という 奉行が治めていたから、などの諸説があるのですが2)が定説となっているのです。まずは端山藤園さん。 一般のお宅ですが、この時期、見事な藤を公開して頂けます。昨日は白の藤が満開でした。この奥の紫のフジ(藤)は既に終わっていました。この紫のフジ(藤)は満開時には約1m近い花房が滝のように垂れ下がり、丹精込めて育てられたその姿は、別格の美しさのなでしたが・・・・。フジ(藤)の育成に70年携わって来られた端山さんとのこと。花片が大きな白藤(フジ)。甘い香りが漂って来ました。そして「淡紅藤(うすべにふじ)」それとも「桃色藤(ももいろふじ)」か?やや赤みをふくんだ薄い紫色のフジ。「加藤さん、伊藤さん、佐藤さん、斉藤さん…日本人に多い苗字には不思議と「藤」の字が多く付いている。実はこれ、平安時代に栄華を極めた藤原氏の影響なのです。藤原氏の一族は全国にひろがり、加賀の国の藤原氏は加藤、伊勢の国の藤原氏は伊藤、と地盤となった国の名を取って家名を変えて行ったのだと。明治になって苗字が義務づけられるようになると、名門・藤原氏にあやかろうと、ゆかりの無い人々も「藤」の字が入った苗字を名乗るようになったのです。」と。そして次に大庭城址公園へ。こちらはポピュラーの紫フジ(藤)。フジ(藤)は古くから振り袖姿の女性に例えられるように、優雅で柔らかい印象を与える花。庭園や公園で目にする藤棚のイメージが強く、自宅で育てるのは難しいように感じてしまうが、実は鉢植えでも楽しめるのです。根の成長が制限されることから、むしろ鉢植えの方が花つきがよくなるほどなのだと。ブンブンと羽の音が。体長2cmを超える大型の蜂クマンバチは、ミツバチ科の蜂で、花の蜜・花粉を主な餌としており、他の小さな昆虫を捕食する事もなく、大きく黒く、大きな羽音で、怖いイメージがありますがとても大人しく攻撃性の低い蜂なのです。フジ(藤)の花に来るクマンバチは雄蜂が多く、ホバリングをするクマンバチは必ずオス。鉢の毒針は産卵管ですので、産卵能力のないオスは毒針を持ちません。捕まえると刺すフリをして尾端から毒針のようなものを出しますが、これは交尾器なので絶対に刺すことは出来ないのです。50cm程度の花房。「藤」という字は「上にのぼる植物」という意味を持つ漢字で、元はつるを作る植物を指したのだと。日本ではこの藤の花に限定して使われるのだと。4月は、サクラから始まり、カイドウ、ツツジ、シャクナゲ、芍薬、牡丹、バラ・・・とさまざまな花木が咲き競う季節なのです。ここ大庭城址公園中のフジ(藤)の大きな花穂が枝垂れる様は見ごたえ十分。たおやかに垂れるフジ(藤)の花姿は、振袖姿のあでやかな女性を思わせます。日本では古くから、フジ(藤)を女性に、松を男性にたとえ、これらを近くに植える習慣があったと。一輪一輪は蝶のような形をしたごく小さな花なのですが、それが房となって50cm以上にも連なって花房となっているのです。一般名称としてのフジ(藤)には、つるが右巻き(上から見て時計回り)と左巻きの二種類があると。右巻きのフジ(藤)の標準和名は「フジ」または「ノダフジ」、左巻きのフジ(藤)の標準和名は「ヤマフジ」または「ノフジ」である(牧野富太郎の命名による)とのこと。紫色の花が、幹の方から先端に向かって咲き進む事が理解出来たのです。フジ(藤)の花言葉は「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」であると。こちらのクマンバチは近くでフラッシュを焚いても、ビクともしませんでした。次に近くの引地川親水公園へ。こちらの古木のフジ(藤)も藤棚いっぱいに枝を延ばして開花していました。見た目とその花言葉も手伝って、フジ(藤)の花からは、どこか甘い女性の気配がするのです。あでやかな、豪華な、おしとやかな、上品な、高貴な・・・と形容する言葉が次次と思い浮かぶのでした。これから開花する蕾のフジ(藤)の樹も。白い花を見せるのでしょうか?そして最後に湘南台公園へ。ここのフジ(藤)は花と共に若葉も頑張っていました。そして紫の色ややや薄め。藤棚の下では親子が弁当を仲良く食べていました。ズームで。中央に薄い黄色が。更に遠くからズームで。偶然?にも旨く撮れました。そして、以下は数年前の白旗神社のフジ(藤)の写真。今年は如何に?白旗神社は、奥州平泉で最期を遂げた源義経を祀る神社。伝承によれば、義経と弁慶の首は鎌倉の腰越の浜で首実検が行われた後、2つの首が白旗神社に飛んで来たのだとの言い伝えが。白の義経藤。そして弁慶藤。花房の長い弁慶藤であった。芭蕉句碑。『草臥て宿かる比や藤の花(くたひれてやどかるころやふじのはな)』「草臥て」とは「くたびれて」で体力を消耗してそれ以上動くのがいやになる、疲れる、疲労するの意味。そしてその横には1805年(文化2年)、江戸の俳人・以足が建立した碑が。背面の 「東路(あずまじ)や華(はな)にくるまる鈴の音」 は以足の句。
2018.04.15
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先週は四国八十八箇所巡りに行き、満開の四国の桜を楽しみながら無事に結願し、更に高野山へのお礼参りに立ち寄りその後、奈良・長谷寺の桜の絶景を楽しんで帰宅したのでした。そして昨日は、ホームセンターに種蒔き用土を購入しに行った帰路に、地元引地川沿いの堤防の桜並木に立ち寄って来ました。 折しも風が強く花吹雪が舞い散り始めていました。やはり桜には青空。両親が子供達の姿をカメラに。これぞ満開。水面には花片が。堤防沿いの手摺りには桜の花片が切り込まれていた。緩やかにカーブする引地川。川の反対側には白いオオシマザクラが。ソメイヨシノ(染井吉野)は、エドヒガン系の桜と日本固有種のオオシマザクラの雑種の交配で生まれた日本産の園芸品種のサクラ。川面の淀み部分には花片が。 太い幹に可憐な花が。民家の生け垣には紅カナメモチの赤い新葉が。道路の脇にもピンクの花片が。心豊かになる日本の風景。引地川沿いの公園には椿の木々が並んでいた。八重の椿。赤い花を落として。花吹雪が。道路にも。川面にも花筏(ハナイカダ)の準備が。 堤防の中間部の水平部部にも雪の如くに。黄色の花も負けじと。最近、切り倒されたソメイヨシノの古木の姿が。「サクラの伐採について」の説明板。最近「サクラの名所地がなくなる・・・」などという報道を耳にします。ソメイヨシノの寿命が60年なので、第2次世界大戦の終戦後間もなく植えられたものが寿命を迎え、衰弱して枯れてしまうというのがその根拠になっているのです。実は昭和47年頃に「堤防に木を植えると、根が張って穴が開き堤防が決壊する恐れがある」ということから、河川法によって堤防への新たな植樹は原則禁止されているのです。カーブミラーにも。そしてスタート地点の橋に戻り。更に、地元の大学の校庭内にも立ち寄る。ここにも、倒木の可能性がある古木が切り倒された跡が。 競技場の周囲に桜並木が。小、中、高の一貫教育の学び舎の正門の桜。競技場と小田急線線路沿いのソメイヨシノ。校庭内の桜並木は花吹雪が激しく。競技場に学生の姿はなかった。この日は日曜日。競技場トラックの100mのスタート地点から。観客席の裏側にも。桜並木には下校する女子学生の姿も。桜の花びらに座る赤い椿の花。子供達も花片と戯れて。ここにも古木の幹に咲く美しい花片が。校庭内には枝垂れ桜が。帰路の踏切を渡りながら。そして自宅近くの民家の庭にも真っ赤な花が。四国4県、和歌山、奈良そして地元の桜を連日愛でているのです。そもそも、日本人はなぜこんなに桜が好きなのであろうか?仏教には『無常感』というものがあるのです。変わらないものはなにもない、移り変わるものだ、という意味ですが、そんな日本人の感性に桜という花はぴったりなのです。気持ちが寄り添いやすい木だと日本人は考えるのでしょう。はっきりとした四季があり、自然のめぐりを見てきた日本人。たった一週間ほどで散ってしまう桜の、儚さや美しさに日本人は惹かれるのです。
2018.04.02
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4月も近づき、我が家の庭の花々が次々と開花し楽しませてくれています。まずは「庭梅」。花が梅に似ていて、かつ、庭木としてよく植えられていたことから、この名前になったらしい。「クリスマスローズ」・白。「クリスマスローズ」・ピンク。「ボケ(木瓜)」。ボケ(木瓜)は、バラ科ボケ属の落葉低木。果実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したとも言われる低木。「チューリップ」・赤。「チューリップ」・黄。色々な種類の「水仙」も。 プリムラ。 「ヒアシンス」・紫。「ヒアシンス」・ピンク。「ヒアシンス」・黄。「花韮 (はなにら)」。星型のうす紫色の花。庭の空地に群生しています。「ユキヤナギ」。ユキヤナギは春、枝垂れた枝先の長い穂に、たくさんの花を咲かせてひときわ目を引く花。「ムスカリ」。鮮やかな青紫色の花が春の花壇を彩り、チューリップなどほかの花を引き立てる名わき役。丈夫で育てやすい秋植え球根で、丸い壺形の小花が、ブドウの房のように密集して咲く様子も愛嬌が。「ハナカイドウ(花海棠)」。花の美しさは、中国の唐の玄宗皇帝が酔って眠る楊貴妃をハナカイドウにたとえたように、昔から美人の代名詞として使われるほど。3月末から4月の庭に新緑が目立ち始めるころに枝を埋めるようにして咲くピンク(淡紅色)の花が目に鮮やか。 「ビオラ」。菜園に自然に生えてきました。我が家の横の菜園の「仙台雪菜」の花。「カブ(蕪)」の花。「ダイコン」の花。まだまだ、これからコデマリ、芍薬、バラ・・・・が続くのです。
2018.03.27
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我が家の近くの民家の庭先の蝋梅が咲き始めています。半透明でにぶいツヤのある黄色く香り高い花がやや下を向いて咲いています。名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。花びらがまるで蝋細工のようであり、且つ臘月(ろうげつ:旧暦12月)に咲くからこの名がついたと。ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)などの栽培品種があると。よく栽培されているのはこのソシンロウバイ(素心蝋梅)で花全体が黄色。葉っぱは、ふつう花が咲く前に落葉するのだと。花の香りが漂ってくると、暖かい春の到来が近いことを感じるのであるが。ロウバイの花言葉は、「慈愛」であると。この花は、人に愛惜しむ(いとおしむ)思いを感じさせてくれるのだと。中国では、ウメ、スイセン、ツバキとともに、「雪中の四花」として尊ばれているのだと。江戸時代初期に日本へ渡来し、ほかの花木に先駆けて咲く香りのよい花が愛され、生け花や茶花、庭木として利用されて来たのです。
2018.01.11
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我が家の庭の日本スイセンが開花を始めています。八重の花、 柔らかな花の印象 白い花弁の清楚な印象が美しいのです。 葉の中心から高さ20~40cmの花茎を伸ばし その先に5~8個、芳香のある花を横向きに咲かせています。 ナルキッスス・バルボコディウムでしょうか?小型原種スイセンの代表的な種類で、変種や亜種を含めて、ヨーロッパ南西部や北アフリカに広く分布しているようです。 花冠の広がった純白のペチコートのような花を、1茎に1花咲かせています。 黄色+橙色の小型のキズイセン(黄水仙)。キズイセン(黄水仙)の名前は、花の形がニホンスイセン(日本水仙)に似ていて、 色が黄色であるからに由来すると。 そして妻が台所に。
2018.01.09
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先日、TVK(テレビ神奈川)で紹介されていた、横浜市旭区にある追分市民の森にコスモス畑を見に行って来ました。道路渋滞もあり自宅から1時間弱で到着。 旭区の西部、帷子川の源流域のある自然豊かな市民の森。谷戸の田んぼや畑の田園風景が樹林と一体となり、四季折々の自然を楽しむことができるのです。花畑は季節によってコスモス、菜の花、ヒマワリ、などのいろいろな花を楽しむことが出来るのだと。 コスモス畑には、様々な色合いのピンクそして白のコスモスが今や盛りと咲いていました。 地元民しか知らないと言われている絶景のコスモス畑。 コスモスの花をズームで。 白も。 この日は蜜蜂の姿は確認出来ず。 様々な場所から撮った写真のコラージュ。コスモス畑の前の水田は既に稲刈りが終わって、稲が干されていました。 そして更に車で狭い道を進み奥へ。再び追分市民の森 お花畑マップ。小さな広場に車を駐める。回りの杉林もしっかりと管理されているようでした。 旭区では、豊かな自然が残る区の特色を活かした「旭区グリーンロード構想」を推進していると。この構想は、街路樹や遊歩道、公園などを緑でつなげ、区全体がひとつの大きな公園となることをイメージしたものと。仮設トイレが2つ。 歴史を感じさせる看板。 春には菜の花が、夏にはヒマワリが植えられる場所は綺麗に耕耘され、この後は菜の花の種蒔きか?ヒマワリが咲くと。【https://blogs.yahoo.co.jp/zacho_syjhs0096/GALLERY/show_image.html?id=25588481&no=2】より。春には1万m2以上の畑に30万株以上の菜の花が咲き誇るのだと。 菜の花が咲くと。 【https://www.youtube.com/watch?v=595TgBvDGw8】より。来年は春の菜の花、夏のヒマワリ、秋のコスモスを再び訪ねたいと思っています。
2017.10.16
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この時期、我が家の庭には紫の花や実が溢れて楽しませてくれています。まずは紫苑 (しおん)。 そしてコムラサキの実。 コルチカム。 そして酔芙蓉。 朝顔。 こちらも朝顔。 ネットに「紫が好きな人ってどんな人?」のHPがあったので、その中で私に似ていると勝手に思ったもものを紹介します。★プライドが高い。★文化的なものに関心があり、威厳や地位に憧れ重んじる。★団体行動より、ひとりでいることを好む。★自分の感性を大切にし、独自の世界観をもっています。 他人に侵されたくないと無意識に思ってしまっている。★平凡さを好みません。 特別なものを見る能力に長けている分、どこかで刺激を求めている。★物事を見る力に優れているので、その時々にどうしたら良いのか、誰にどのように 指導すれば良いのかを本能で判断することが出来る。★・・・・・・・・・・・・・・・・・・??私をご存じの皆さん、いかがでしょうか?
2017.10.15
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我が趣味の養蜂場のコスモスが次々とピンクそして白の花を咲かせています。 花の少なくなったこの時期の、ミツバチの貴重な花粉源、蜜源として種を蒔き育ててきました。 濃いピンク、淡いピンクそして濃いピンクが放射状に入ったコスモスそして純白のコスモス。 ズームで。2種類のピンクの競演。 こちらは淡いピンク。 まだまだ蕾があり、次々に開花中。後ろには西洋ミツバチの巣箱が。 純白のコスモスの中心には真黄色の両生花。 濃いピンクの花。薄いピンクの花。白地に濃いピンクの縁取りが入るピコティ咲き(覆輪咲き)の品種。こちらはピンク地に濃いピンク色の縁取りが入るピコティ咲き。花は周囲に8片の舌状花(雌花)、中央部に筒状花(両性花)が多数。筒状花は5弁花で星形に開き、雄蕊は黒紫色の花糸5個が筒状になっており、葯室は5個で黄色。我が蜜蜂が訪花して、花粉と蜜を集めていました。並んでいる巣箱の目の前がコスモス畑。巣箱にはスズメバチ対策用のトラップを設置しています。そして訪花中の我がミツバチを発見。別のカメラで他の花のミツバチをズームで撮影。コスモスは英語で「宇宙」の意味だが、植物でいうこのコスモスはギリシア語の「kosmos」に由来し「美しい」という意味とのこと。もちろん美しい花の姿に由来。 原産地はメキシコ高地とのことであるが、ヨーロッパへは17世紀末~18世紀初頭にスペイン人神父によりもたらされたと。そして日本へは江戸時代末、文久年間に伝わったと。広く普及したきっかけは明治前期、イタリアから東京の美術学校に赴任してきたラグーザによって持ち込まれたタネによると。 以下はネットからの情報をそのまま掲載させていただきます。【http://www.tenki.jp/suppl/romisan/2016/09/13/15081.html】『コスモスは外来種なので、和名が「秋桜」であっても、それを「コスモス」とは読みません。 「秋桜」と書いて「あきざくら」と読みます。 なぜ「秋桜」と書いて「コスモス」と読むようになったのでしょうか。 それは、昭和52年に山口百恵が歌った「秋桜」という歌謡曲が大ヒットしたからなのです。 嫁ぐ娘が母を思う気持ちを歌った歌で、当時の山口百恵は18歳でした。 作詞作曲はさだまさし。曲のタイトル「秋桜」を「コスモス」と読ませ、歌詞の中でも 「秋桜」と表記して「コスモス」と読ませました。・・・・・・・中略 「秋桜」と書いて「コスモス」は図鑑や難読漢字にも取り入れられるほどで、歌の世界から 抜け出し、ほぼ一般化しています。今では「秋桜」を何の疑問もなく「コスモス」と読む人が 多いのではないでしょうか。 』と。
2017.10.14
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我が家の車庫の横の「ミズヒキ」が今年も開花を始めています。 長さ20〜40cmになる花穂を出し、それに小花がまばらに咲いています。正月飾りや祝儀袋などに使う「水引」の名のとおり、線のように細い長い花茎を伸ばして小さな赤い花を穂状に咲かせています。花はこの時期、夏の終わりから晩秋にかけて長く咲きますが、ひとつひとつの花が小さいせいか郡植しないと存在感が出ないのです。妻はこのミズヒキの花が好きなようで、大切にしていますので、かなりの群生になって来ました。 上から見ると赤く見え、下から見ると白く見える花を、紅白の水引に見立てたのだと。白色は花の裏側に隠れているので普段はよく見えませんが、このように花が開くと、紅白ともにハッキリと確認することが出来るのです。別のカメラで接写。 名の通り紐の様に細く。赤い針金が延びているような、花なのか何なのかよく分からない、不思議な容姿。先がカギ形に曲がった白い花柱が外に。 先端が鈎状に曲がる雌しべ(柱頭)、細くて頼りなさそうですが、思いのほかしっかりとした固さを持っているのです。そしてタネは俗に言うひっつき虫の一種で、めしべの先端が動物の毛などに引っかかってタネが遠くに運ばれるのです。ミズヒキの花は地味な草花であまり目立ちませんが、群生してすくっと立って赤い小花を咲かす姿は風情があり、妻の好きな花。撮るとなるとなかなかピントが合わなくて苦労するのです。やはりこの花は近づいて見る花なのです。
2017.10.12
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横浜市は、今春実施した「第33回全国都市緑化よこはまフェア」で人気を集めた「里山ガーデン」(旭区)の大花壇を、秋らしい花で覆い尽くす「秋の大花壇」として装いを新たに9月22日から期間限定で公開している事を民放テレビで知り早速出かけて来ました。我が家から車で1時間弱で到着。駐車場に車を止め里山ガーデン入口に向かう。 「よこはま動物園ズーラシア」に隣接している里山ガーデン入口。 「秋の大花壇」の案内。開催期間は9月22日から約1ヶ月間。入り口の「ウェルカムガーデン」は色彩豊かな花壇に。 約1ヘクタールの大花壇にはコスモスやサルビア、マリーゴールド、ジニアなど秋にふさわしい多様な草花を組み合わせて配置し、立体的な花壇を楽しむことができるのです。 このフェアで広報親善大使を務めた三上真史氏が「感謝」をテーマにデザインした花壇が。全国都市緑化フェアに続いて ガーデンベア がキャラクターとして登場中と。開園は午前9時半~午後4時。入場料金は無料。 ガーデンに向かって木道を進む。 ここは森の空中散歩道(GL-FL高さ:約9m、延長:84.6m)と呼ばれると。ここにも開花中の花の紹介が。 そして目の前に広いそして秋らしい花で覆い尽くす「秋の大花壇」が現れる。 花の見晴らしデッキ(楕円部床面積:215m2)からの絶景。傾斜面を利用した大花壇には様々な秋の花が。 展望台から大花壇の方へ階段を下りる。階段の中腹からも眼下の美しいな風景が飛び込んで来た。手前の集合花壇。華やかな色合いになるように植栽。キバナコスモスの夏色が、まだまだ主張。いろいろな場所・角度から。ミツバチを発見。ややピンボケ。蝶も。羽を広げた瞬間を撮りたかったが。ピンクと白のコスモス。これも様々な場所・角度から。白い穂はススキ?パンパスグラス?チカラシバ?ノゲイトウ。花色は淡いピンクから濃い赤紫色で、ロウソクの長い炎の如し。コスモス・フラッシングピンク。コキアは赤へのお色直しの準備中。このピンクの花の名は? 深紅のハゲイトウ。花の見晴らしデッキから。帰路の木道(森の空中散歩道)の下は竹林。里山ガーデン入口広場には多くのテント小屋が。里山ガーデン前の街路樹は紅葉を始めていた。そしてここからズーラシア北門へ。1時間ほどの散策でしたが、コスモスやサルビア、マリーゴールドなどの秋らしい彩あふれる多様な品種の草花を組み合わせた、立体的な花壇を多いに楽しむことが出来たのです。
2017.10.03
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今年も我が家の近くの公園の大きなキンモクセイ(金木犀)が開花し甘い香りを漂わせ近くを通るとその存在感を示しています。この香りが漂う期間は残暑はあるものの、夏から秋に確実に向かっていく季節。空気もだんだんカラッとしていき、気がついたら紅葉が始まっているのです。 オレンジ色の花が無数に咲いています。 オレンジ色の花びらと濃い緑色の葉っぱのコントラストは鮮やかで印象的。 「謙遜、謙虚」など控えめな言葉や「気高い人」などうちに秘める花言葉をもつキンモクセイ。日本でキンモクセイの果実を見ないのは、植えられている物の殆どが雄株だかららしい。原産国中国では丹桂・金桂・桂花と呼ばれているのだとか。キンモクセイの花の開花期間は短く、1週間ほど。 ズームで撮るとオレンジ色の花びらが可愛い金木犀(キンモクセイ)。 花冠は 4つに別れ、雄花には雄しべ2個と、その間に先のとがった不完全な雌しべが1つ。 そしてこの夜の雨にあたりキンモクセイの花はあっけなく散ってしまいました。 花言葉・「気高い人」は、雨が降るとその芳香を惜しむことなく潔く花を散らせることから来ているといわれているのです。中国では白ワインにこのキンモクセイの花を3年間漬け込んだ桂花陳酒は、香り高く、甘味も強い混成酒で人気の酒と。また、お茶に混ぜて花茶(桂花茶)にしたり、蜜煮にして香味料(桂花醤)としても利用されているのだと。彼岸に曼珠沙華が咲き終わり、酔芙蓉もしきりに色を変え中秋の名月(10/4)が近づくと、金木犀が香りだしそしてアッと言う間に散っていく。不思議なくらい彼岸~中秋の名月近くになると季節が変るのです。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、真にその通り。季節が確実に歩を進めていることを実感しているのです。
2017.10.02
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今年も我が家の前庭の酔芙蓉(スイフヨウ)が花を開いています。毎年、この時期にブログアップし書くことも同じなのですが。この日の早朝の酔芙蓉です。 それにしても酔芙蓉は不思議な植物なのです。朝、白かった花が、昼ごろにはピンクになり、夕方になると赤くなる。1日花なので、翌朝にはしぼんでしまうのです。普通の芙蓉も1日花ですが、白は白で赤は赤であり、1日のうちに色が変わることはないのです。酔芙蓉は朝は白かったのがやがてピンクになり、赤くなるというので、ついた名前がまるで私の如く飲んべえみたいだというので「酔芙蓉」。なかなか粋な命名なのです。 早朝の酔芙蓉です。まだアルコールの全く入っていない純白の姿。 そして数時間すると淡いピンクが花の下の方に。 そして昼頃になると花全体にアルコールが廻って来ました。 花全体が淡いピンクに染まっています。 人によって酔いの回り方が異なる様に、花一つ一つも微妙に色合いが異なるのです。 そして夕方の酔芙蓉。午後6時ごろの酔芙蓉。かなり赤くなっていました。なぜ酔芙蓉は時間とともに赤くなるのか?原因はアントシアニンという色素の働きだと。花は、人に気に入られようとして美しく咲くのではなく、あくまでもその目的は自分たちの為。子孫繁栄のためには、動くことができない植物は動いているものを何とか味方につけようと、美しい花を咲かせ、甘い蜜を出して、花粉媒介をしてくれる虫たちを呼び寄せるのです。虫が見える色と人間が見える色とでは違っていて、白色はかならずしも白色ではなく、蜜のありかを教える色というのもあるらしいが、人間の目からは白に見える色は、虫にとっては魅力的な色なのだと。因みに、我が家の玄関横の朝顔の花も、わが家の朝顔は青色ですが、朝、青かった花が、昼ごろにしぼんだころには紫色に変化しているのです。これもアントシアニンの作用なのでしょう。そして翌朝には完全に萎んでしまった酔芙蓉。 お彼岸の朝に落ちてしまった花も。 白粧い日の出を待つは酔芙蓉・・・・・詠み人知らず夕虹の色を映して酔芙蓉 ・・・・・詠み人知らず酔芙蓉一つ落ちたり彼岸の朝・・・・・詠み人知らず
2017.10.01
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花の寺・常泉寺を訪れた帰りに、毎年この時期に訪ねる小出川の彼岸花(曼珠沙華)を見に行って来ました。 藤沢市北部に位置する遠藤地区に流れる小出川沿いに長さ3キロにわたり群生している彼岸花。 小出川沿いにどこまでも伸びる赤い径。 今年は先日の台風18号の潮風の影響でしょうか、既に黒っぽくなっている花も。「子供の頃、彼岸花を見ると足がすくむほど怖かった」「何だか不気味」という人もいれば、「あの妖艶さが好き」「この花を見ると癒される」という人もいます。 彼岸花が「曼珠沙華(マンジュシャカ)」と呼ばれるのを知ったのは、私が二十代終わりの頃の山口百恵の歌から。川の水面を覗き込み、自分の姿を映すが如き曼珠沙華。 花の様子から、「天蓋花(てんがいばな)」「狐の松明(きつねのたいまつ)」「狐のかんざし」「剃刀花(かみそりばな)」など、全国にはたくさんの呼び名が。また、花のある時期には葉がなく、葉のある時期には花がないという特徴から、「葉見ず花見ず(はみずはなみず)」と呼ばれているとテレビのMCから。 クロアゲハ?も訪花中 。セキレイでしょうか、花見に来ていました。 天気が良ければ、この角度に富士山の姿が。 『マンジューシャカ 恋する女は マンジューシャカ 罪作り 白い花さえ 真紅に染める』 『マンジューシャカ 恋する女は マンジューシャカ 罪作り 命すべてを もやし尽すの』『マンジューシャカ 恋する女は マンジューシャカ 罪作り 白い夢さえ 真紅に染める』 水面の白き輝きを浴びて。 数少ない白の曼珠沙華が存在感を。 『白い花さえ 真紅に染める』を拒否するが如く。怒りの炎のごとく咲く曼珠沙華、いや女性の?嫉妬の炎のごとく咲く曼珠沙華。お彼岸に咲き、土葬をモグラや野ネズミなどから守る意味もあって墓地などによく植えられているため、「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」のようなちょっと怖い呼び名もついていると。 こちらはアゲハチョウ。 この日の花見客はちらほら。 夜が明けて炎と化すか曼珠沙華・・・詠み人しらず。 土手の径一人占めしている曼珠沙華・・・・詠み人しらず。実った稲を背景に。 曼珠沙華は、稲の黄、空の青、雲の白、草の緑によくマッチするのです。背伸びして稲田見つめる曼珠沙華・・・詠み人しらず。そして我が家の玄関先の白のリコリス。彼岸花は、学名"Lycoris radiata"といいヒガンバナ属のことを"Lycoris"(リコリス)と呼ぶのです。わが家(いえ)の白曼珠沙華寄り沿うて・・・詠み人しらずそして我が家の前の畑の隅にも白のリコリスが群生していたのです。懲りもせず今年も訪ねし曼珠沙華・・・詠み人しらず
2017.09.30
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我が家の横の菜園のホオズキが朱色の実をまだいくつか付けています。 実が赤く染まった頬を連想させ鳴らして遊ぶ子供たちの様子から「頬突き」と呼ばれていたことや、ホホというカメムシがつきやすいことから「ホホ付き」と呼ばれていたことがなどが有名なエピソード。緑から真っ赤に色が移り変わっていく実の皮は、葉が変化したもの。中は空洞で、果実の中にはたくさんの種が入っているのです。 そして今では食用ホオズキも出回っていると。ホオズキの朱色の実は、昔から夏の夜を幻想的に彩ってくれたのだと。使者を導く提灯の役割を果たすとされ、日本では古くからお盆に仏花として飾られて来たのです。ホオズキは漢字で「鬼灯」「鬼燈」。灯籠に似ていることからホオズキ「鬼灯」は「灯籠草」とも呼ばれているのです。そして別の場所のホオズキは既に天然の「虫ホオズキ」の姿に。 ホオズキの皮(袋状の萼)は、自然な状態では、カメムシなどが、好んで食べ、網状の硬い繊維質は、食べられなくて、残るのだと。これが、「虫ホオズキ」。日中は陽を受けて乾燥が進みながら、毎日これを繰り返し、やがて天然の「虫ホオズキ」が完成するのです。 人が手を加えて、皮を腐らせてできるものは、「網ホオズキ」と呼ばれているようです。 外袋の葉脈だけが残り蝉の翅(はね)のようになって内部の紅実を透視することが出来、さながら提灯のようなのです。自然が作り上げた見事な芸術品そのものです。ほとんど手入れもしていませんが、自然と芽を出し成長し風鈴のような房が五個、六個朱色に染まり、そして虫ホオズキも美しく、秋の気配が漂い始めた彼岸の中日なのでした。そして鬼灯、虫鬼灯の姿に、ベトナム旅行時のホイアンの朱色の灯籠そして竹灯籠を既に懐かしく想い出しているのです。
2017.09.26
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レンゲショウマ群生地の入口。 ここからのクネクネと曲がった山道の脇にレンゲショウマが群生していたのです。 急な階段を登ると斜面にレンゲショウマの花が迎えてくれました。 レンゲショウマの花を見るのは初めて。レンゲショウマのことをネットで調べてみると,いくつかの都道府県では絶滅危惧種に指定されている貴重な高山植物とのこと。思ったより小さな可憐な花。高さは50~80センチ程度で丸い蕾をつけていた。うっすらと赤みを帯びた光沢のある薄紫の上品で気品あふれる花が、やや下向きに咲く。 ここには約5万株のレンゲショウマが群生しており、レンゲショウマの群生地としては、日本一といわれており、8月は多くのハイカーで賑わうのだと。レンゲショウマは太平洋側の山地の落葉林内に生えるキンポウゲ科の多年草で、細長い花茎を伸ばし、約3~4cmの下向きの花を付ける。花が下から見上げるとハス(蓮)の花に、葉がサラシナショウマ(晒菜升麻)に似ているので、レンゲショウマ(蓮華升麻)の名がつけられたと。 日射しが差し込む斜面に咲くレンゲショウマ。本州(福島県~奈良県)に自生しているようですが、保護されて、観光地になっているここ「御岳山のレンゲショウマの群生」が有名で、たくさんの方がは日本特産の野草であるレンゲショウマの花を見るために集まって来ると。 別名「森の妖精」と言われていると旅友のSさんから。 こちらは、マムシグサ。 このトウモロコシに似た形状の緑の果実は、秋に橙色から赤色に熟して行くのです。シャンデリアのように、小さな美しい花を無数にぶら下げて咲く姿は、夏の花の風物詩としてマスコミなどでも毎年取り上げられているのだと。 蕾は皇帝ダリアのミニチュア番の如し。 我が家の庭に咲くオダマキの花にも似ているとも。別の花には黒い蝶も放花中。大名挵蝶(ダイミョウセセリ)?イワタバコ?が大木の蔭にひっそりと。春も過ぎたころ、柔らかい落ち葉を持ち上げるよう芽を出して、そのまま一気に葉茎を伸ばして広がると。葉の展開が終わるころから花茎を伸ばし、夏に花径4cmほどの大きな藤紫色の花を次々と涼しげに咲かせると。 ソバナ(岨菜)。コバギボウシ(ユリ科)?。ソバナとは葉が異なるので。小さな虫も訪花中。 キヌタソウ?。淡い紫色の花を下向きにつける様は真に「森の妖精」。 ヤマジノホトトギス[山路の杜鵑草]。こちらも淡い紫を負けじと。 レンゲショウマの曲線美。 神社を背景に。 こちらからは下り坂でレンゲショウマの花を愛でる事が出来る。 うつむき加減に咲く花は日本人の感性に合うのであった。うっすらと赤みを帯びた光沢のある薄紫の、気品あふれる花を楽しむ事が出来たのであった。
2017.09.01
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先週の山の日・11日の早朝に座間市にあるひまわり畑に行って来ました。いつものように旅友のSさん宅に6:30に到着。Sさんの愛車でひまわり畑会場に。 県道42号線が相模川を渡る座架依橋(ざかえばし)の下の「水と緑と風広場」の駐車場に車を駐めひまわり畑会場に。春にはこの付近の相模川の東岸の堤防に幅6m、全長約1.4kmに渡って芝桜が植えられた“芝ざくらライン”を楽しめる場所なのです。相模川堤防からのひまわり畑。平成6年から遊休農地の荒廃対策として始められた座間市の花「ひまわり」が各会場で咲き誇り、ここ座間会場では45万本の「ひまわり」が楽しめると前日のNHKニュースで知ったのです。 1~1.5m高さのひまわりが咲き誇っていました。 1994年(平成6年)には「かながわの花の名所100選」にも選ばれているとのこと。 ひまわりの孫のような宿根草のルドベキア・タカオも畑の畦道端で負けじと開花中。花弁は大きな1つの花のように見えますが、実際は頭状花序と呼ばれ、多数の花が集まって1つの花の形を形成しているのです。これは、キク科の植物に見られる特徴。外輪に黄色い花びらをつけた花を「舌状花」、内側の花びらがない花を「筒状花」と区別して呼ぶことも。 仮設の展望台も設置されていました。 展望台からの見事な黄色の海。 ひまわり(向日葵)の名前の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことから。ただしこの動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけであると。若いヒマワリの茎の上部の葉は太陽に正対になるように動き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向く。日没後はまもなく起きあがり、夜明け前にはふたたび東に向く。この運動はつぼみを付ける頃まで続くが、つぼみが大きくなり花が開く頃には生長が止まるため動かなくなるのだと。 ひまわり畑の中には1m幅ほどの見学通路も設けられていた。そしてその入口には「2017 Welcom to ZAMA」 と書かれたゲートが。「ひまわりのまち 座間 55万本」 のプレート。ひまわり畑は市内各地にあり、時期を変えて種まきを行っていると。見頃は、7月下旬には栗原会場(約10万本)、8月中旬にはここ座間会場(45万本)、2ヶ所合計55万本を楽しめるのだと。小田急線「相武台前駅」より座間会場までシャトルバス運行されていると。 カメラに三脚を付け、持ち上げてリモコンシャッターで撮影してみました。 「座間市ひまわりまつり」開催期間中は栗原・座間の両会場で切り花、農産物、特産品の販売を実施していると。 しかしこの日は早朝で開店前。休憩場も準備中。 一斉に背中を向けているひまわり畑。 ムクゲ(木槿)の花も。 仮設展望台下にはひまわりをあしらった各種の帽子が記念撮影用にぶら下がっていました。 帽子を借りて。 全て我々の方を向いてくれていました。 「座間なう。」 SNSやインスタグラムを意識した看板。ウェディングドレスを着て記念撮影するカップルの姿も。モデルによる撮影? 先日の台風の影響で、一部のひまわりが被害を受けていました。 フウセンカズラ(風船葛)。小さな白い花を付けていました。 ボタンクサギ。 約30年前の功労者像、「本多菊近翁」土地改良の碑。 座架依橋(ざかえばし)の下で交通整理の係員も準備中。 座架依橋(ざかえばし)のモニュメント。「座間市座間(ざま)と厚木市依知(えち)を架(か)ける」ので座架依橋と。こちらは「座間市大凧」の光景が描かれていた。 相模川と圏央厚木IC。 駐車場前の相模川堤防から再び東に向くひまわりを撮影。 帰路の車窓から「ガマの穂」 。私たち日本人にとって「ひまわり」とは夏の風物詩として有名な花という認識がありますが、実をいうとひまわりは日本には元々存在しない花なのです。また、ひまわりという花は一見すると大きな一輪の花に見えますが、実は形状や機能が異なる「2種類」の花(外側の舌状花(ぜつじょうか)一枚一枚と中心部分のひとつひとつの筒状花(とうじょうか))がたくさん集まって大きなひとつの花を形成しているのです。ひまわりの色は鮮やかな黄色というイメージが強いですが、最近では黄色以外にもレモン色やオレンジ色など多種多様なカラーのひまわりも花屋などで販売されるようになって来ているのです。さて、ここのひまわりはひまわりまつり終了後はどの様になるのでしょうか?「ひまわり油」を採取するのでしょうか?気になりながら自宅への帰路を。
2017.08.16
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我が菜園のスナップエンドウの後地に定植した朝顔が開花を始めました。2種類の朝顔の種を購入し、成長させこの場所に植え付けました。 アーリーコールは、西洋アサガオと日本アサガオを合わせて作られた交雑品種。垣根や日よけに育てられることが多く、花の色は赤や青などの混合色をしており、中心部が白色なのが特徴。 変化朝顔とは、アサガオを品種改良して生み出されたものの総称。花びらや葉っぱの形、色、大きさが元のアサガオと違うことが特徴で、複色や絞り色の花びらの品種が有名。 白地に細い紺の筋が。 こちらも紫のアーリーコール。 今年は玄関脇にも、支柱を立てネットを張り植え付けました。 ほとんどの朝顔には、必ず白い模様があるのです。この白が猛暑の中、涼しげな風情をもたらしてくれるのです。やはり青系の朝顔が涼しさは勝ります。 朝顔の名前の由来は諸説あるようですが、早朝に咲いて午前中にはしぼんでしまうことから、朝の美人の顔のことを「朝の容花(かおばな)」と例えたことからきたというのが一般的だと。本当に美しさというものは儚いもの。有名な『源氏物語』の登場人物、源氏が恋い焦がれる美女“夕顔”も、その名前の印象通り、儚くこの世を去ってしまったのです。 そして家の境界のフェンスにも。 これから成長し、ミドリのカーテンになるのでしょうか。朝には時々、延びた蔓をフェンスに誘引しています。 朝顔は日本で改良技術が最も確立された植物の一つとなり、世界的に見てもこれほど形態が変化した園芸植物はないとのこと。ちなみに、朝顔は英語で「Japanese morning glories ジャパニーズ・モーニング・グローリー」と言われていると。もともとは中国原産だった朝顔が、今では海外で日本の花として認識されているのだと。 私の好きな和歌。「君こずば 誰に見せまし わが宿の 垣根に咲ける 朝顔の花」・・・和歌集『拾遺集』から現代語訳すると、「あなたが来ないのなら、垣根に美しく咲いている朝顔を誰に見せればいいのでしょう(見せる人はいない)」と。私は誰に見せまし??
2017.08.04
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我が家の横の菜園の入口にあるホウズキが橙色(だいだいいろ)の実を付けています。ホオズキの歴史的仮名遣いは「ほほづき」で、語源は以下の通り諸説あると。1.実が人の頬の紅色に似ていることから、「顔つき」や「目つき」などと同じ用法で 「頬つき」からとする説。2.果実から種子だけを取り除き、皮だけにしたものを口に入れて膨らまして鳴らす 遊びがあることから、「ほほつき(頬突き)」からとする説。3.「ホホ」というカメムシ類の虫がこの植物に集まってくることから、 ホホがつく意味とする説。4.実が火のように赤いことから、「ほほつき(火火着)」からとする説。5.ほおずきの方言は、全国的に「ふづき」が多いことから、陰暦七月の 「ふづき・ふみづき(文月)」が「ほおずき(ほほづき)」になったとする説。上記の説の中で、人の顔に見立てたとする「1」の説が有力であるとのこと。 【http://gogen-allguide.com/ho/hoozuki.html】より。ナス科の多年草。漢字では「酸漿」のほか「鬼灯」と書くのだと。中国語では酸漿の名のほかに「金灯」「錦灯籠」などとも言い、英語では Chinese lantern plant とも呼ばれていると。 漢字の「鬼灯」は、なにか雰囲気出ていると感じるのです。提灯のように見えるオレンジ色の萼(がく)の中は空洞で、赤い実が一つだけ入っています。 一つ取ってきました。 破いてみると、この実の中に、外側と同じオレンジ色の球形の ”ほんとの実”が。昔子供の頃、姉たちが球形の実をそっと押しながら柔らかくしてこの実の中身を出したり、楊子などで掻き出して皮だけにしたものを口にして、独特の音色を出して遊んでいた事を懐かしく想い出すのです。 そして実家のお盆の仏壇には、このホオズキをぶら下がっていたことも想い出すのです。きゅうりの馬と、なすの牛は精霊馬と呼ばれ、ご先祖様の行き帰りの乗り物、そしてほおずきは提灯の代わりだったのですね。そしてこんなホオズキも。葉脈と赤い実だけになる「透かしほおずき」の途中。そして「透かしほおずき」の完成品も。 雨や風にさらされているうちに自然と「透かしほおずき」ができるようです昨年、妻が気に入り、自然が造った「透かしほおずき」が玄関の靴箱の上に何個か飾っているのです。
2017.08.03
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我が家の庭のジンジャーが開花を始めています。温帯・熱帯アジア、マダガスカルにおよそ50種が分布する球根植物。草丈が2m程の大型の草花。先端の尖ったやや細長い葉を2列に並べて上に伸びて来ています。一般的に「ジンジャー」と言えばショウガのことを指しますが、園芸ではここで紹介するショウガ科ヘディキウム属のこの植物を指すのです。和名は「ハナシュクシャ(花縮砂)」と。乾燥した種子が漢方薬「縮砂」の原料になるシュクシャによく似ていることによると。日本では白花のほか「キバナ(黄花)シュクシャ」や「ベニバナ(紅花)シュクシャ」なども栽培されているのだと。ジンジャーは中米キューバ、ニカラグアの国花にもなっているとのこと。花の形が大きな蝶に似ていることから、スペイン語で蝶を意味する「マリポーサ」として親しまれている。英名でも「バタフライ・ジンジャー」や「バタフライ・リリー」「ジンジャー・リリー」などと呼ばれる。ジンジャーは観賞用のほか香水の材料にも。キューバでは花の名と同じ「マリポーサ」という香水が人気という。白花はハワイで首の花飾りレイとしても使われるのだと。異様に長い、雌シベが特徴。3個の花弁のように見えるのは雄シベ。僅かな香りも。これから開花する蕾。
2017.08.02
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我が家の庭の鹿の子百合が数カ所で開花の真っ最中です。玄関前の鹿の子百合、後ろにはコムラサキ。別名、ドヨウユリ(土用百合)、タナバタユリ(七夕百合)。花に紅色の鹿ノ子絞りみたいな模様が入るところから「鹿の子百合」と。道路側の塀の下にも.径10cmほどの花がやや下向きに咲いています。こちらはこれからが開花の盛り。ホウキ草の隣で。ホウキ草の座布団に座って。こちらは前庭のフェンスの横で。草丈は大きくて1.2mほど、1茎に10~20輪ほど咲いています。花びらは大きく上に反り返り、縁部分が白で中心部分に行くにつれて紅色になっています。ヨーロッパへはシーボルトによって持ち込まれたとのこと。ピンクのつぶつぶ「鹿の子(かのこ)模様」を楽しんでいます。そして朝顔も開花を始めました。
2017.07.28
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今年も我が家の横の菜園で育てている「花オクラ」が花を付け出しました。 1〜2メートルほどに生長し、きれいな黄色い花を咲かせる花オクラ。花は、エディブルフラワーとして収穫して酢の物や天ぷら、おひたしなど色々な料理に活用して楽しむことができるのです。 トロロアオイ(黄蜀葵)という別名の通り、とろみのある花を食べて楽しむことができます。また、原産地の中国では漢方薬にも利用され、咳を鎮める効果もあるのだと。花オクラの花は、朝に咲くと夜にはしぼんでしまうのです。美しい花が1日で枯れてしまうことから、「知られぬ恋」という花言葉が。また「恋によって身が細る」と言う花言葉は、花の後に付く実がシュッと細長いことから付けられたとされているとのこと。 そして花オクラの花の大きさは、普通のオクラの花の2倍以上の大きさ。この花の特徴は、長い雌しべの花柱を雄しべが囲んでいること、そして雌しべの先が五つに分かれている所。 上部には多くの蕾が開花の準備中。 この日は6個ほどの花を収穫。 がくの部分には、細かいトゲがあるので、注意して花びらの部分だけを切り取りました。花だけを再度水で軽く洗いました。鍋にお湯を沸かし30秒ほど茹でました。 茹でた残り湯は見事な黄色。 昔は製紙用の糊の他にも、染料としても使われていたのでしょう。茹でた花は湯切りをして冷水に浸し、ポン酢をかけて完成。 この猛暑の夏にピッタリのさっぱり味の花おくら、そしてネバネバな歯ざわりを大いに楽しんだのです。 花は直ぐに萎れてしまうので、あまり市場には出回らないようですが、わいわい市や産直物産展などでは置いてあるところもあるのでゲットして楽しんでみてください。
2017.07.26
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湿原の鎌ヶ池を過ぎると木道が終わり旧キャンプ場の三叉路。案内に従い右端(東南)へ我々も進む。旧キャンプ場を過ぎ進むと、鹿フェンスが通せんぼしていた。脇にある人間用の開閉扉を開け更に真っ直ぐ進む。 そして案内標識の八島ヶ原湿原方面に歩を進める。エゾカワラナデシコ(蝦夷河原撫子)。薄紅色の一重の五弁花を咲かせていました。イブキトラノオ(伊吹虎の尾)とミツバチ?。 特に伊吹山に多く、花穂を虎の尾に見立てたことからこの名がついたと。この日は八島ヶ原湿原の至る所で開花の真っ最中で、ミツバチ?がこの花と戯れていた。カラマツソウ(落葉松草、唐松草)に訪花するミツバチ?。 花弁はなく、萼片も早くに落下する。花のように見えるのは雄しべの花糸。ミツバチ?は花弁が無いため、容易に蜜に辿り着けるようであった。我が家と同じ種類のセイヨウミツバチではなさそう。縞模様の最上部が繋がっているので。気になりいろいろネットで調べてみると、ミツバチでは無く「ナミハナアブ」か。腹部前寄りに橙色の大きな三角斑があるのが特徴の一つであるとのことで間違いないであろう。ホソバノキリンソウ(細葉麒麟草)と吸蜜中のヒョウモンチョウ。葉の縁にはつけ根近くまでぎざぎざ(鋸歯)が。 チダゲサシ(乳茸刺 )。茎葉は少なく、この長い花茎に乳茸(チダケ)と呼ばれるキノコを刺して持ち帰ったので、チダケサシの名が付いたと。花弁はわずかに紫色を帯びており、葯も淡紫色を帯びているので、近寄ってみると花は淡紫色を帯びているように見える。ウツボグサ(靫草)。 花穂の形が矢を入れる靫(うつぼ)に似ているところからの命名。 別名はカコソウ(夏枯草)といい,花の後の枯れた穂を利尿薬として用いるとのこと。 シロニガナ(白苦菜)。ニガナの白花で頭花は白色の舌状花6個だけ。クサフジ(草藤)。名前の由来は、葉と花がフジに似ていることから。マメ科ソラマメ属のつる性の多年草。タカトウダイ(高燈台)。「トウダイ」の名は、黄色味を帯びる杯状花序を灯火に見立て、草姿を燈明(とうみょう)台に見立てた命名。「高」の名は、草丈が他の仲間よりも高いことから。有毒成分を含む多年草と。ヨツバヒヨドリ(四葉鵯)。キク科の花らしく筒状花が集まって咲いていた。ヨツバヒヨドリは名の通り4枚の葉が輪生する。コバキボウシ(小葉擬宝珠)の蕾。漏斗状の紫色の花をやや下向きに咲かせる キジカクシ目キジカクシ科ギボウシ属のギボウシ(擬宝珠)や オオバギボウシ(大葉擬宝珠)より小型のギボウシ。 アカバナシモツケ(赤花下野草)も開花直前。開花を始めた株を発見。ニガナ(苦菜、黄瓜菜)。 黄色の5弁花に見える舌状花を持つキク科の多年草。ヤマハッカ(山薄荷)?。 枝先に細長い花穂をだし、青紫色の小さな唇形花をつけていた。カワラマツバ(河原松葉)?の群生。和名は河原に生え、葉が松葉のようであることから。八島ヶ原湿原とゼブラ山・1766m。何故ゼブラ山の名?雪解け時にゼブラ状に雪が残る?シナノキンバイ(信濃金梅)いやキンバイソウ(金梅草)か。花は直径3~4cmのあざやかな黄色で萼片が5~7個ついており、花弁のように見える。ヤマツツジ(山躑躅)。八島ヶ原湿原一周散策完了後に「花ごよみ」に気がつく。そして開館したビジターセンター内へ。こちらにも八島ヶ原湿原の地図と咲いている花の場所まで示す案内が。そしてハチミツも販売されていた。百花蜜300gで1500円。我が家と同じ単価(笑)。
2017.07.23
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下諏訪町八島湿原の近くにある観光拠点である「八島ビジターセンターあざみ館」前の駐車場に車を駐め散策開始。八島ビジターセンターは早朝の為、未だ開館していなかった。「おいでなして下諏訪」と長野の方言で歓迎の言葉が。湿原入口の地下道の入口・出口には鹿除けのネットが全面に貼られていた。早速、野花菖蒲が迎えてくれた。そして何とカラマツ(唐松)の木のテッペンにウグイスが。「ホーホケキョ」と大きな声でさえずっていたのである。ウグイスの鳴き声は珍しくはないが、鳴いている姿を見たのは久しぶり。「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」とさえずるのは縄張り内を見張っているオスで、「ホーホケキョ」が他の鳥に対する縄張り宣言であり、巣にエサを運ぶメスに対する「縄張り内に危険なし」の合図でもあるのだと。「ここも「恋人の聖地」。ハート形の八島ヶ原湿原と。モニュメントは高さ1m、幅1.3mの黒御影石。八島ヶ原湿原には二つの大きな池と小さな鬼ガ泉水という池がある。島の数が多いことから七島八島(ななしまやしま)と呼ばれる標高1665mの湿原。「あざみの歌」の碑。「あざみの歌」ここの高原で作詞されたといわれ、碑が立っていました。そしてノアザミ。手前の八島ヶ池と八島高原。そして再び「ホーホケキョ」と鳴くウグイスの姿が。大きく口を開けて鳴いてくれました。画像容量を落として更にズームで。美しい歌声を聴かせてくれるウグイスの存在は、日本における平和の象徴といっても過言ではない。その鳴き声を聴くと気持ち穏やか、清々しく健やかな気分になるのであった。海外に旅行してもウグイスの鳴き声を聞いた記憶無し。日本以外の生息範囲は?そして1周約90分の八島ヶ原湿原散策をスタート。目の前に様々な花々が我々を迎えてくれた。まずはニッコウキスゲ。野花菖蒲の群落。イブキトラノオ(伊吹虎の尾)。茎先に長さ6cm前後の白色か淡紅色の花穂が。アカショウマ(赤升麻)。花序の形がサラシナショウマに似ていて、根茎が赤味を帯びているためについた名。花は白色で花弁は線状のさじ型、雄しべより短い。ハクサンフウロ(白山風露)。和名は石川・岐阜両県にまたがる白山にちなんでつけられた。白色に近いものから濃いピンク色までの花を咲かせます。花弁に縦の縞模様があるのが特徴。シシウド(猪独活)。茎先にたくさん枝が出て、先に1個つずつ花がついていた。まるで花火が開いた如く。「ノリウツギ」。アジサイ科アジサイ属の落葉低木。マムシグサの果実。トウモロコシに似た形状のこの果実は秋に熟し橙色から赤色に変化するのです。キオン(黄苑)。ヤナギラン(柳蘭)。和名の由来は、葉が柳に似ていて、花をランにたとえたことによる。カラマツソウ(落葉松草、唐松草)。和名は花の形態が、カラマツの葉を思わせることに由来する。ヒョウモンチョウが様々な花に訪花。ワタスゲか。鎌ヶ池(かまがいけ)。キバナノヤマオダマキ(黄花の山苧環)。和名の由来は、苧環(おだまき)という紡いだカラムシ(苧)や麻糸を丸く巻く道具が花の形に似ていて、深山に咲くことから付けられた。シロバナグンナイフウロ(白花郡内風露)。花の雄しべや雌しべが前に突き出ているのが特徴。キリンソウ(黄輪草)とヒョウモンチョウ(豹紋蝶)。ベンケイソウ科に属する多年草。
2017.07.22
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