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ナビに従い「小室山公園駐車場」に到着し、「小室山つつじ園」の散策開始。「小室山」の山麓に広がる「つつじ園」には約35,000平方メートルにおよぶ園内に40種類・約10万本ものつつじが植えられているとのこと。残念ながら、この日は既に花のピークは過ぎていた。ネットによると10日前の4月15日(土)前後が満開のようであった。ウィキペディアによると「ツツジ(躑躅、映山紅)は、ツツジ科の植物であり、学術的にはツツジ属(ツツジ属参照)の植物の総称である。ただしドウダンツツジのようにツツジ属に属さないツツジ科の植物にもツツジと呼ばれるものがあるので注意が必要である。主にアジアに広く分布し、ネパールでは国花となっている。日本ではツツジ属の中に含まれるツツジやサツキ、シャクナゲを分けて呼ぶ慣習があるが、学術的な分類とは異なる。最も樹齢の古い古木は、800年を超え1,000年に及ぶと推定される。」「ツツジ」とよく似た花に「サツキ」があります。ツツジとサツキの一般的な違いを表に纏めたものをネットから。花の大きさ、雄蕊(おしべ)の数、葉の大きさ、開花時期に判りやすい違いがあるようだ。花の色、ツツジの種類により開花時期が微妙に違うようであった。サツキの名の由来は「旧暦の5月頃に花を咲かせるから」と見当が付きますが、ツツジの由来はよくわかっていないと。ツツジは花が筒状になって、連なり続いて咲くことから『つつじ』となったという説もあると。これは「オオムラサキツツジ」であっただろうか。よく見かけるので、ただ「ツツジ」と言ったときにはオオムラサキツツジを指すことが多いのでは。「ツツジ属の植物は低木から高木で、葉は常緑または落葉性で互生、果実は蒴果である。4月の春先から6月の初夏にかけて漏斗型の特徴的な形の花(先端が五裂している)を数個、枝先につける。また合弁花類である。ツツジは「躑躅」と書くが、「見る人が足を止めるほど美しい」という言われに由来する。「躑」と「躅」はいずれも、たちどまる、たたずむ、の意である。ツツジ属の花の花弁には斑点状の模様が多く見られる。これは蜜標(ガイドマークとも)で蜜を求める昆虫に蜜のありかを示している模様であることがよく知られている。蜜標によって花に潜り込む昆虫による受粉ができるように雄蕊がついており、雌蕊の柱頭は蜜標のある方に曲がっている。」と。一度はツツジの花の蜜を吸った経験があるといった方も多いのでは。そういう自分も。そして我が趣味のミツバチも。それぐらい身近な存在のツツジ。中心が濃いピンクのツツジ。名は?品種改良により造られたものか?この辺りは既にエピローグへと。向かいの斜面にも濃いピンクと薄いピンクのツツジが一面に拡がっていた。階段を上る人の姿が。ズームして。濃いピンクと赤のコラボ。振り返ると。再び斜面を。一面の赤は迫力満点であっただろうが。ネットからピーク時の写真を。自動車の走る道路沿いを。道路沿いの左側にあったのが「小室山 五俳人の句碑小室山を詠む●恋すてふ落暉追ひ落つ寒椿 恭子 『この歌は、恋愛の終わりと季節の移り変わりが対比され、哀切な雰囲気が描かれています。 寒い冬の椿が枯れ落ちる様子が、別れた恋人の追憶や寂しさを象徴しています。』●鄙ぶりのくれなゐ強き椿かな 茂雄 『この歌は、地味でありながらも美しく、厳しい環境でも力強く生き続ける椿の姿勢を 称えています。』●つつじ燃え伊⾖の近か富⼠親しうす 南畦 『この歌は、伊豆の地で見られる美しいつつじの花が、富士山の近くにあることで、さらに 魅力的に感じられることを詠んでいます。』●人語絶ゆるまて繚乱とつゝし燃ゆ 龍人 『この歌は、人々の言葉が絶えるほどの混乱や熱狂が交錯し、情熱的に咲き誇るつつじが 燃え盛る様子を詠んでいます。』●神々の襖をはづす五月富士 器」 『五月になると富士山の周辺で神々が舞い降り、神秘的な光景や出来事が繰り広げられる様子を 表しています。襖(ふすま)は障子や板戸のことであり、それを開くことで神々の存在が 明らかになるという意味合いです。 この表現は、五月の季節における富士山の神聖さや神秘性を象徴的に表現したものとして 使われます。また、文学や詩の中でも、五月富士の美しさや神秘性を表現する際に用いられる ことがあります。』歌の文字の詳細は、文字の達人・師匠が教えて下さいました。 『』内はchatGPTに歌の内容を聞いてみました。句碑「小室山を詠ふ」の説明碑伊東市俳句連盟では伊東市文化協会の主催により例年伊東温泉つつじまつり俳句大会を開催しておりますが、本年第五回大会を迎えるに当りこれを記念して選者五先生の御染筆により句碑を建立しました。選者名 渡辺恭子 曲 水主宰 島村茂雄 笛 主宰 河野南畦 あざみ主宰 小笠原龍人 塔 主宰 神蔵 器 風 土主宰副碑裏面 文字なし昭和六一年四月」階段の途中から振り返って。ツツジやシャクナゲの花びらについているテンテンとした斑点模様。「これは花の模様か?」、「何か意味があるのか?」このツツジの花は、斑点模様が、上部にある1枚の花弁だけにくっきりついていたが。ネットで調べてみると、「これは昆虫に蜜のありかを知らせる、道しるべの「密標(みつひょう)」です。ガイドマーク、ハニーガイド、ネクターガイドなどとも言われてます」と。蜜標の付いている花びらの元は筒状に丸まっている。その奥に蜜腺があるのだ。この薄ピンク色の花では蜜標がよく目立ちますが、赤や白色の花ではあまり目立ちません。しかし、密標は人の目に感じられない紫外線を出してるとのこと。紫外線は、ヒトの眼には感知されませんが、植物にやってくる昆虫たちの眼には感知されることが分かっている と。階段を頑張って上って行った。そしてここでも振り返って。ズームして。下の写真と比較して下さい。10日前には!!(ネットから)。私の写真は▢の部分であるが。階段を上りきって進むと前方に見えたのが、「小室山」と「小室山リフト」。残念ながら、この日はこの写真の右側の「富士山」の姿は確認できなかったが。天候と時期が良ければ・・(ネットから)。更に丘の先には白い建物が姿を表した。左手にあった石碑には「みたまよ麗しくふる里にねむりたまえ」と。「平和への道標(みちしるべ)良い子の皆さんここに祀られている方々は、皆さんの美しい故郷の山や川を守り日本の平和と豊かな暮らしを願いながら、いくたびかの戦争の中でなくなられました。今日の平和を思うとき、私たちは、ここに眠る方々を決して忘れません。この尊い心を受け継ぎ感謝の心をもって一日一日を大切にしてください合掌」「戦歿殉難者慰霊塔」への参道坂道。手前右手には「海軍の錨の墓標」が奉納されていた。参道を進む。「戦歿殉難者慰霊塔」。戦争で命を落とした同市の戦没者計約1500人を慰霊するために1967年に建てられた と。この慰霊塔の中に、「帝国在郷軍人会伊東町分会海軍部旗」があり、東郷平八郎元帥の直筆が添えられているとのこと。 以下2枚の写真もネットから。「帝国在郷軍人会伊東町分会海軍部旗」と「昭和八年八月 元帥伯爵 東郷平八郎」と書かれた直筆。「帝国在郷軍人会伊東町分会 海軍部旗東郷元帥 直筆この海軍部旗は戦後処々を転々としていたが最後は松原区牧野秀吉氏が二十年間自宅に秘蔵した。今度慰霊塔が建立されたので「水漬く屍(みづくかばね)」となった同僚海軍将兵供養の為に(の)献じた東郷元帥は当時松原の別墅に閑居しておられた。」参道横の小高い丘の上にも石碑が。「忠魂碑」。「宇佐美忠霊顕彰会」と。「宇佐美戰没殉難者之碑」。ここには「航空隊のプロペラの墓標」が。白のつつじ。つつじの花には白以外の色があるのが通常であった。白い花は、突然変異で白く咲いたものを改良したのが今の白い花のつつじであると。ここにも「忠魂碑」 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.05.15
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富士宮市内にあった「富士山本宮浅間大社」を後にして、伊豆半島・伊東市川奈にある「小室山つつじ園」を訪ねることにした。静岡県道76号・「富士富士宮由比線」を東に進む。「東高前」交差点を右折して国道139号「西富士道路」を南に向かって進む。正面に「新東名高速道路・第ニ東海自動車道」が姿を表した。「東名高速道路」の「富士IC」への誘導路下を通過。静岡県道353号線➡国道139号・富士清水線に入り、「今井」交差点手前から裾野市にある「愛鷹山塊(あしたかさんかい)」の山並みを見る。最高峰「越前岳」は、静岡県裾野市にある標高1,504.2 mの山。南方にあるのが1,187.5mの愛鷹山峰。日本二百名山の1つ。国道1号・「沼津バイパス」を東に進む。「位牌岳」~「愛鷹山」の山の端。沼津バイパス・「八幡」交差点先を進む。三島市南町を進む。この先200m・「三島玉川」交差点を左折すると三島駅へ。国道1号・沼津バイパスをひたすら進む。国道1号から南二日町IC高架下を通過し国道136号へ。「伊豆の国市」に入る。運転する旅友にとっては、思い出深い「伊豆の国市」なのであった。旅友の思い出の場所「江川邸」の案内が。「狩野川」を右に見ながら進む。国道136号・「道の駅 伊豆のへそ」手前を通過。「三福IC」から県道19号線・伊東大仁線に入る。この家には蔦?が全面に覆われていたが空き家なのであろうか?山道を上って行き、県道19号線・伊東大仁線の「亀石峠」を通過。この先を右に進み伊東市街に向かって進む。伊豆スカイラインの出口の一つでもある「亀石峠」。前方に太平洋・相模湾の水平線が現れた。ヘアピンカーブの先にあったのが巨大な船「安針丸」。こんな山の上に船が座礁?ファミリーレストランのようであったが現在は営業していないのであろう。按針丸(あんじん丸)、サン・ブエナ・べントウーラ号 San Buena Ventura (ship) 120tnsは日本で最初に建造された西洋式の大型帆船は、三浦按針(ウィリアム・アダムス)により江戸湾に係留されていたリーフデ号(慈愛号)が沈没すると、徳川家康の命で、最初は日本の港湾を調査する船として、伊東で80屯の小型帆船を1604年に造っていたが、やはり徳川家康の命で、1607(慶長12)年に三浦按針が指導し、リーフデ号をモデルとして、伊豆国伊東の浦賀で建造されたマ二ラ・ガルレオン型船「按針丸、120屯」であったのだが。その奥にあったのが「うさみ観音寺」。1982年に建立された、聖観世音菩薩を御本尊とする新法華宗の単位宗教法人とのこと。朱塗の大殿堂の中には、750年以上前につくられた仏像が。座像としては国内でも最大規模を誇る、高さ50mの「平和大観音像」や、2万体の「慈母観音像」、「大仏舎利塔」などがある新法華宗の寺。高台にあるので、宇佐美の町とその向こうに相模湾が見える。美しい景色を見渡せる眺望スポットでもある・・・・とネットには。しかし・・・・??伊東市の町並みが眼下に見えてきた。右手の白い建物は「伊豆ビューグランドハイツ」であっただろうか?前方にJR伊東線そして相模湾に浮かぶ「手石海丘」の姿が現れた。「手石海丘」は、静岡県伊東市の手石島北方約1.8km沖にある直径約450m、高さ約10m、最浅部の水深81mの海底火山。1989年(平成元)7月に伊豆東方沖で起こった「噴火」👈リンク によって誕生した。正面に国道135号。「亀石峠入口」交差点を右折して進む。遠く「ホテル サンハトヤ」の姿も確認できた。「ホテル サンハトヤ」の姿。「ハトヤホテル」は「静岡県伊東市にあるホテルのこと」。1947年開業であり、かなり歴史のあるホテル。テレビCMが非常に有名であり、静岡県の宿泊施設の中では知名度は相当高い存在。そしてこの「サンハトヤホテル」も「静岡県伊東市にあるホテル」。場所はほぼハトヤホテルと同じだが、こちらは1975年開業となっている。運営元企業はハトヤホテルと同じ富士商事とのこと。「サンハトヤホテル」の歴史はハトヤホテルよりは古いものの、全室オーシャンビューとなっており、海が臨めるロケーションが特徴。そして、施設内がテーマパークのような雰囲気であると言え、有名な海底温泉が存在する。また、ハトヤ大漁苑というレストランまで完備されている とのこと。その先にあったのが「道の駅 伊東マリンタウン」。「シーサイドスパ(SEASODE SPA)温泉という外観ではないが、「道の駅温泉」と書かれた、海が一望できる階段状の大浴場が人気の日帰り温泉施設。早朝営業もしていて、朝湯後に「マリーナ展望レストラン」で朝食も食べられる。」と。これから通過する伊東港方向を見る。高層の建物は「ラグジュアリー和ホテル風の薫 (Luxury Wa Hotel Kaze No Kaori)」。そして目的地の「小室山公園」の入口に到着し、ここを左折したのであった。「小室山公園 つつじ鑑賞会」と書かれた看板が正面に。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.05.14
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さらに「富士芝桜まつり」の散策を続ける。「竜神池」の南側を歩く。青の芝桜の中に白の芝桜で♡の形が。英国式庭園「Peter Rabbit™ English Garden」方向を見る。ここからも「ミニ芝桜富士」を。♡の芝桜と同じ種類の芝桜が「ミニ芝桜富士」山頂にも使われているようであった。♡の芝桜越しに。♡の芝桜をズームして。レンギョウの花。レンギョウは中国原産で、江戸時代に渡来し、当時は主に観賞用として栽培されていた。和名レンギョウの由来はオトギリソウ科のトモエソウ(弟切草、生薬名 小連翹(しょうれんぎょう)の漢名連翹を誤用したとも言われている。雌雄異株の落葉低木で、若枝は長く伸び、垂れた枝が地面につくと、すぐにそこに根付き、新しい株を増やす。高さは2~3mに達する。葉の緑は歯状で、葉のやや出る前につける花は明るい黄色で、花びら部分が深く4裂、雄しべは2本あり、木質の果実を有す と。竜神池越しに英国式庭園「Peter Rabbit™ English Garden」、「-The Cafe-」、「ショップ&ギャラリー」を望む。ピンクの中に巨大な白の♡が。ピンクの芝桜は大輪、色の濃い「マックダニエルクッション」。ピンクの中の巨大な白の♡を正面から。振り返って。前方にも更に♡が。再び正面から。ゴテンバザクラ越しに富士山の勇姿を。富士山と4つの♡を。ゴテンバザクラに近づいて。満開時は花びらの縁は色が濃いのが特徴。 小さな木なのにわんさか咲いているのであった。そして「富士芝桜まつり」会場を1周したのであった。「スカーレットフレーム」。「スカーレットフレーム」の海原。近づいて。展望台方向。そして富士山頂周辺の雲が切れて。デジカメで富士山の勇姿を追いかける。「オータムローズ」。「オータムローズ」の海原。近づいて。更に。これでもかと!!そして「富士芝桜まつり」を満喫して、駐車場に戻り、「富士芝桜まつり」会場を後にしたのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.05.09
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次に訪ねたのが「Peter Rabbit™ English Garden(ピーターラビット イングリッシュガーデン)」。入口門。「Peter Rabbit™ English Garden」。「Peter Rabbit™」が迎えてくれた。「Welcom to Peter Rabbit™ English Gardenピーターラビット™ イングリッシュガーデンに寄せて---監修 マーク・チャップマン---人口に入ると直ぐに庭の中でピーターラビットを見つける事でしよう!田舎のコテージガーデンでよく見かける植物とフルーツの茂みで囲まれ、芝生ではピーターラビツトが家族やともだちと共有している大きな巣穴を見ることができます。その後に続くと、両サイドにイングリッシュボーダーガーデンがあります。反対側には大きな芝生の塚があり、気軽に座って富士山の雄大な景色をお楽しみください。春から秋にかけて、たくさんの素敵な写真スポットを楽しめます。庭はまだ新しく、多くの食物が成長し始めたばかりです。どうぞ、別の季節にこのガーデンに戻ってどのように発展していくのかをお楽しみください。」マーク・チャップマン英国リンカンシャー出身、大規模ランドスケープから個人邸を手掛ける実力派の英国人ガーデンデザイナー。長野県「自馬コルチナ・イングリッシュガーデン」を始め、全国各地のプロジェクトを手掛け、デザイナーだけでなくガーデナー、講師、ショップ運営と幅広い園芸サービスを提案している。英国内、日本国内で開催の様々なガーデンショーで多くのメダルを獲得し、有名プランドとのコラボレーション、NHK「趣味の園芸」ガーデンマスターとしてTV出演等、その実力が広く知られるところとなる。ピーターラビットたちにも出会えるガーデンイングリッシュガーデン内にピーターラビット絵本シリーズの仲間たちがいます。一緒に写真を撮ってお楽しみください。ガーデン内の植物情報イングリッシュガーデンには季節ごとに咲く約300種類の草花が植ええられています。代表的な植物には花名板がついており、QRコードから詳細がこ覧いただけますので是非お楽しみください。「イングリッシュガーデン」を望む。「イングリッシュガーデン」から「展望台」を見る。一面の濃いピンクの芝桜の海原を見る。「イングリッシュガーデン」内の四阿(東屋)。「展望塔」そして「ショップ&ギャラリー」を振り返る。出店前には多くの木製テーブルが置かれていたが、まだ早朝にため、食事を楽しむ人の数は少なかった。「Peter Rabbit™ English Garden ---The CAFE---」案内板。「ジャイヤントローズ」案内板を再び。存在感あるピンクの大きな花をつけます。マックダニ工ルクッションに比べて花びらが細く、咲いている期間も長いのが特徴です。市場ではほとんど流通しておらず、あまり目にする機会のない貴重な品種です。「ジャイヤントローズ」。手前が「ジャイヤントローズ」。「マックダニエルクッション大輸咲きのシバサクラです。濃いめのピンクの花弁を持つ存在感あふれる園芸品種です。北米が原産で寒さにとても強いのも特徴です。」「マックダニエルクッション」。濃いめのピンクの花弁を持つ「マックダニエルクッション」。「オーキントンブルーアイ名のオーキントンは、柔らかい紫を表すオーキッドから来ているのか花色は淡い赤紫で、ロマンチックで甘美な世界へと誘ってくれます。花の中央に、青みの強い顔を持ち清らかさも感じさせます。」「オーキントンブルーアイ」。再び絶景を!!やはり富士山頂の雲は意地が悪いのであった。見事なピンクの海のアンジュレーションを見つめて。「オータムローズ花色は、ローズビンク。一般的に「ピンクのシバザクラ」と呼ばれてます。優雅でエレガント、女性的な優しさに満ちた、たおやかな挑色の雲を想起させます。」「オータムローズ」。一面の「たおやかな挑色の雲」。束の間に富士山頂が姿を見せた。雲は右から左に流れて。カメラのシャッターを繰り返して押す。「マックダニエルクッション大輪咲きのシバサクラです。濃いめのピンクの花弁を持つ存在感あふれる園芸品種です。北米が原産で寒さにとても強いのも特徴です。」「マックダニエルクッション」。「オータムローズ」と「マックダニエルクッション」のコラボ。ジューンベリーに似ていたが。名は、6月(英語でジューン(June))にブルーベリーなどに似た形状の赤い実が熟すことから。和名はアメリカザイフリボク(あめりか采振り木)。「竜神池」と「富士山」。風に湖面が波立ち逆さ富士の姿は・・・・。青空であれば!ネットから。八重咲水仙。「八重咲日本水仙」であっただろうか。「ユキヤナギ」と芝桜のコラボ。ズームして。姿を表した富士山頂。竜神池の隅で釣りをする蛙。「Mr. Jeremy Fisher(ジェレミー・フィッシャー)」であろうか。四阿をズームして。残念ながら「逆さ富士」の姿はなく。「Peter Rabbit™ English Garden」と書かれた切り株に座る「Peter Rabbit™」。小川に掛かる石の太鼓橋。周囲の木々は水面に。この後歩いた竜神池の対岸を見る。竜神池越しにピンクの芝桜の海原を振り返る。水面にはピンクが映り込み!再び「ミニ芝桜富士」をズームして。この後、賑やかな台湾からの団体観光客とすれ違う。再び竜神池の南側の岸に向かって進む。南側の岸沿いに拡がるピンクの絨毯。「ゴテンバザクラ」が今をさかりと。マメザクラ系の交配種(園芸種)とのこと。「ゴテンバザクラ」。名前の由来:静岡県御殿場や須山に植えられていたことから。小さい木でもたくさん花をつけるので庭木、生垣などにこの周辺では人気と。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.05.08
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「富士芝桜まつり」会場の散策を続ける。今年の新フォットスポット「ピンクの海を旅する小舟」。海に見立てた芝桜の中に小舟が置かれ、実際に乗ることができるのであった。ネット経由での撮影は無料であるが、その写真のダウウンロードは有料と。ピンクの海原で舟をこいでいるかのような写真が撮れるのであった。あいにくこの時は富士山頂には雲が。再び「ミニ芝桜富士」を振り返る。「展望台」も。ピンクの海原が拡がっていた。ややズームして。花色が濃い桃色の「マックダニエルクッション」。「ミニ芝桜富士」をあらゆる方向から。ここでもズームして。「マックダニエルクッション」(左)と「多摩の流れ」(右)。「多摩の流れ」。そしてここに、昨年SNSで話題になったフォットスポット「幸せの黄色い扉」が健在。私は、ドアを開けると、「ミニ芝桜富士」と一面ピンクの世界に入り込んだかのような写真を。ドアを開けると、富士山と一面ピンクの世界に入り込んだかのような写真が撮れる「幸せの黄色い扉」。撮影の順番を待つ人が列を作っていた。手前にはこれから開花を迎えるプロローグの芝桜が。こちらは「パッチワーク」の如くに。前方には「イギリス式庭園 ピーターラビット™ イングリッシュガーデン」の案内板が。「展望塔」、「ショップ&ギャラリー」方向を望む。左手にあったのが総ガラス張りの「The Cafe」。「富士芝桜まつり」会場入口方向を望むと一面ピンクの海原が。「ミニ芝桜富士」そして「展望台」方向までピンクの海原は拡がっていた。「PeterRabbit English Garden The Cafe」案内板。こちらは「ショップ&ギャラリー」。旅友の勧めで「GARDEN TOWER」に上ることにする。「展望塔ご利用にあたり」。狭い階段の横の壁には「PeterRabbit English Garden ---Fuji Motosuko Resort---」歓迎ボードが。キャラクターが紹介された絵。「Peter Rabbit(ピーターラビット) 」「???」「Benjamin Bunny(ベンジャミン・バニー)」。「Mr. Jeremy Fisher(ジェレミー・フィッシャー)」。「展望塔」からの絶景を楽しむ。残念ながら富士山頂は雲に隠れて。手前に「PeterRabbit English Garden」。「ミニ芝桜富士」方向。山頂は残雪のごとくに。入口方向には土産物屋が。「龍神池」方向。手前に「」さらに「龍神池」を追って。出店コ-ナーとテーブル。「ピンクの海を旅する小舟」に乗ってポーズをとる御婦人。「展望塔」の階段を下る。「Tom Kitten(こねこのトム)」。「Jemima Puddle-Duck(あひるのジマイマ)」。そしてショップへ連絡通路に。ショップ1階の壁を見る。ショップ1階を見下ろす。壁の花々の絵をズームして。「こねこのトムのおはなし」、「かえるのジェレミーのおはなし」。「Beatrix Potter ビアトリクス・ポター(1866-1943)ビアトリクス・ポターは1866年7月、ロンドンで生まれました。ピーターラビットシリーズは、1893に家庭教師だったアニー・ムーアの息子のノ工ル少年に送った「絵手紙」から誕生した物語です。1901年、自身で『ピーターラビットのおはなし』の私家版を出版。1902年には自黒の線描画だった挿絵に色を付けてフレデリック・ウォ一ン社から出版され、最終的には23作の絵本を世に送り出します。1905年、ビアトリクスは湖水地方のニア、ソーリー村にある「ヒルトップ」と呼ばれる伝統的な農場を購入し、美しいイギリスのコテージ庭園を造りました。晩年は牧羊と自然保護活動に力を注ぎ、1943年にビアトリスが亡くなった時、16の農場と4300工ーカー以上の土地がナショナル・トラストに遺贈されました。彼女の望みどおり、ヒルトップ農場は当時ビアトリクスが住んでいたそのままの姿で保存されており、現在でも「ピーターラビット」を愛する多くのファンが訪れています。」「ピーターラビットとビアトリクス・ポターについて『ピーターラビットのおはなし』は世界で最も愛されている児童書のひとつです。美しい水彩画によって描かれた動物たちののどかでユーラスな物語は、「私家版」を経て、1902年Frederick Warne社より出版されました。そして、100年以上にわたり世界中の人々に愛され続けています。現在、世界110カ国、35カ国語で出版されており、世界累計発行部数は2億5000万部を超え、日本語版においても1971年発行以降1300万部を超えるベストセラーとなっています。物語の舞台となった英国湖水地方は、2017年に世界文化遺産に登録されました。2022年、絵本出版から20周年を迎えました。」「川上未映子 かわかみ・みえこ Mieko Kawakami小説家・詩人2008年、『乳と卵』で芥川賞を受賞。2019年に発表した『夏物語』は40カ国以上で出版が進み、欧米各紙誌で高く評価されるなど、国際的な活動を展開している。「刊行によせて贅沢な時間を過ごしています.瞬きを忘れるような絵の繊細さ、つよさ、ポターがその観察と描写とにかけた思いが、すべての文章、すべてのページから追ってきます。たまらないのは、美しく、たくらみのある音とリズムをどう再現するのか、このユニーク極まりない住人たちの物語と絵の響きあいを、どんなふうに表現するのか。ああでもない、こうでもないと考えながら、しかし楽しくてなりません。言葉のひとつひとつ、声と音の流れ、色と線のすみずみまでをあじわいながら、しっかりやっていきたいと思います。」(2021.12.16)店内を散策する。「百花蜂蜜」を発見。1200円とあるが200gであっただろうか?「ショップ」を出て振り返る。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.05.07
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思っていたよりは早く7:10を過ぎ、駐車場への車の移動が開始した。第1駐車場に案内され進む。正面の林の隙間から芝桜が垣間見えた。そして第1駐車場に車を駐め、入場開始の8:00を暫し待つ。「富士芝桜まつり会場 案内図」。入場開始の30分前、7:30になると周囲の車の方々が移動を開始したので、我々も車を降り、入場ゲートに向けて歩く。既に入場を待つご夫妻が先頭に並んでいた。チケット売り場前には、列整理用の、青い多くのバー付きのカラーコーンが並んでいた。この日は、月曜日の早朝であったが、前日の日曜日に多くの観光客が、この列に並んだのであろう。振り返ると、既に多くの観光客が列をつくり、入場開始を待っていた。時間は7:37。入場用チケット売り場は、現金用とキャッシュレス用の2箇所に分かれていた。私は現金1200円を払いチケットを購入した。時期によって入場料が1000~1200円と異なるようであった。こちらがキャッシュレス券売機コーナー。係員に券売機の操作方法の指導を受ける旅友の姿が。こちらにも後方には、「早くしろよ!!」の列が。「富士芝桜まつり」ポスター。近づいて。富士急グループの株式会社ピカ(山梨県富士吉田市)が運営する「富士本栖湖リゾート」(山梨県南都留郡)では、関東最大級となる約50万株の芝桜の祭典「2023富士芝桜まつり」が、4月15日(土)~5月28日(日)の期間で開幕しているのであった。営業時間:日にちによって異なるようであった・4/16~4/28 8:00~16:00・4/29 7:00~17:00・4/30~5/5 6:00~17:00・5/6~5/7 7:00~17:00・5/8~5/21 8:00~16:00・5/22~5/28 8:00~15:00 と複雑過ぎ!!「2023富士芝桜まつり」会場に向かって進む。「銘菓 さくら葉餅」のポスター。桜餅に使う桜の葉はオオシマザクラのやわらかい新葉であると、先日知ったのであった。 オオシマザクラ以外の葉は使用しないのだと。 桜餅に葉が巻かれているのには、きちんとした意味があると。例えば、桜の香りづけをしたり、お餅の乾燥を防いだりするため。また、塩漬けにした葉を使うことで雑菌の繁殖を防ぎ、餅にはほんのり塩味がつく。桜餅に葉が巻かれているのは、おいしく食べるための工夫なのだ と。「富士芝桜商店」散策は帰路に。そして正面には、首都圏最大級約50万株の芝桜が、富士山麓の広大な敷地に咲き誇っていた。鮮やかな色のコントラストが美しい、富士山を彩る春の風物詩!!。旅友はキャッシュレス券売機でトラブっているのか?来ないので、一人で展望台に向かって進んで行った。富士山の麓にある1.6ha(400m×400m=160,000m2)の広大な敷地に広がる、50万株の芝桜。会場には濃淡の異なるピンクや純白、それに紫がかったものなど8種類の芝桜が花を付け見頃を迎えていた。シバザクラ(芝桜)の基本情報学名:Phlox subulata和名:シバザクラ(芝桜) その他の名前:モスフロックス科名 / 属名:ハナシノブ科 / フロックス属。「スカーレットフレーム赤い芝桜と言えば、この花を指すことが多いです。「スカーレット」は緋色(ひいろ)、目にも鮮やかな赤という意味で、園芸品種としても人気種です。神秘性と幻想性に満ちた花叢(はなむら)です。」花叢とは花が一面に広がった叢(くさむら)の意 と。「ジャイアントローズ存在感あるピンクの大きな花をつけます。マックダニ工ルクッションに比べて花びらが細く、咲いている期間も長いのが特徴です。市場ではほとんど流通しておらず、あまり目にする機会のない貴重な品種です。」「ジャイアントローズ」名前のとおり花は大きくバラのように濃いピンク色で咲いていた。「オーキントンブルーアイ名のオーキントンは、柔らかい紫を表すオーキッドから来ているのか花色は淡い赤紫で、ロマンチックで甘美な世界へと誘ってくれます。花の中央に、青みの強い顔を持ち清らかさも感じさせます。」「オーキントンブルーアイオーキントンブルーアイは芝桜の中では珍しい青色の花の品種。生長は、軸が上に向かって伸びようとするため、地面を覆う速度は少し遅い と。「マックダニエルクッション大輪咲きのシバサクラです。濃いめのピンクの花弁を持つ存在感あふれる園芸品種です。北米が原産で寒さにとても強いのも特徴です。」「マックダニエルクッション」花色は濃い桃色。例えるならショッキングピンク色。成長は遅いですが、芝桜の中で一番病気や暑さや寒さに強い、丈夫な品種。葉は細かくて硬く、触るとチクチクする。芝桜の中で一際大きく、生長した株は花びらで葉が完全に埋まるくらいピンク一色になる。「多摩の流れ花弁の周りに白い覆輪ふちどりを持ち、ピンクがストライプのように可憐な斑(まだら)模様を花びらに描きます。遠くから眺めると肌色を帯びたピンク(トキ色)の群生のように映ります。」「多摩の流れ」白とピンクのストライプがかわいい芝桜。花の時期以外も緑の葉が芝生のように楽しめます。香水のようなかすかな香りがします。「モンブラン白の芝桜を代表する品種です。葉色が黄緑色なので、他の品種と区別しやすく、花がない季節でも明るい印象になります。」「モンブラン」モンブランは清楚な雰囲気の白花。芝桜のなかでも生育スピードは早いほうです。早く地面を覆いたい場合におすすめの品種。全体的に、より明るく柔らかい感じになります。広大な「スカーレットフレーム」の花叢の先に見えたのが「ミニ芝桜富士」そして「展望台」。「ミニ芝桜富士」をズームして。ネットソフトで切り絵にしてみました。この白い花の樹は「梨の木」とテレビで言っていたが・・??「ミニ芝桜富士」の模様・デザインも毎年変えているようだ。「ミニ芝桜富士」手前から北の方向を望む。急いでこの場所まで来たのは、富士山への雲が近づいていたため。近くの桜の樹はエピローグへと。「ミニ芝桜富士」に近づいて。既に「予告 虹の花まつり 9月1日~10月15日開催予定」のポスターが。これぞ「ダブル富士」。青空であれば!! ネットから。雲が富士山頂に。「展望台」に人の姿は少なかったもでこの時にと。「展望台」から濃いピンクの花・「ミツバツツジ」を。ズームして。絶景かな!絶景かな!!。青空が欲しかったが・・。青空であれば!!ネットから。これは合成写真であろうか。展望台からの絶景を楽しむ。そして「展望台」を降りて振り返る。「展望台」へのモニュメントも富士山の姿に。再び「ミニ芝桜富士」をこれでもかと。ピンクの世界。境界をズームして。裾野はあえて芝桜を密植させずに、現実の光景に似せて。「ミニ芝桜富士」に使われている芝桜の紹介であっただろうか?山頂部は「モンブラン」。「オーキントンブルーアイ」。「多摩の流れ」。「多摩の流れ」。「ミニ芝桜富士」山頂をズームして。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.05.06
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そして次に「社務所」前にある純白の藤の花「義経藤」を訪ねた。「義経藤」。今年の「義経藤」の開花は例年よりも早く、この日が満開。白房花が1m近くに。源平の合戦において、平家は赤旗、源氏は白旗が旗印であった。 平家一門が滅んだ後、源頼朝は白旗を源氏嫡流の旗と定め、余人の使用を許さなくなったのだ。もちろん、義経は鎌倉幕府初代将軍源頼朝の異母弟。よって白のこの藤は「義経藤」と。白色の藤の花言葉は「可憐」、「懐かしい思い出」と。優美な紫の藤に比べて、白い藤は純粋無垢な少女のようだ と。「懐かしい思い出」はその純真無垢な幼い頃の姿を重ね合わせているのであろう。雨も止み、しばし純白の「可憐」な花をカメラで追ったのであった。巨大な白い瀑布の如くに。白の花房を垂らす藤棚の姿は、実に幻想的なのであった。そして帰路の我が家の裏の農家の畑には一面に「クリムソンクローバ」の赤い花が開花中。花の姿から「ストロベリーキャンドル」とも呼ばれています。「クリムソンクローバ」は、根に共生する根粒菌が空中のチッ素を固定し、土を肥沃にしてくれるので農家では「緑肥」として栽培しているのです。緑肥とは、作物を畑で育て、土にそのまますき込むことで肥料分になったり、有機物として土壌改良に役立つ草の肥料のことなのです。本来は多年草ですが、暑さには弱いため日本では一年草として扱われているようです。真っ赤なイチゴの果実に似た花穂を数多く枝先につけています。そして我がミツバチ嬢を発見。たくさんの蜜を集めて欲しいのです。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.04.30
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この日は4月26日(水)、雨が降っていたが、小降りになって来たので、今年も車で10分弱の場所にある「白旗神社」に藤の花を愛でに向かう。神奈川県藤沢市藤沢2丁目4−7。境内に車を駐め、まずは境内の奥にある紫の「弁慶藤」に向かう。ここ「相州・藤沢 白旗神社」は、奥州平泉で最期を遂げた源義経を祀る神社。伝承によれば、義経と弁慶の首は鎌倉の腰越の浜で首実検が行われた後、2つの首がここ白旗神社に飛んで来たのだといいます。1m余りの花房を幾重にもつけ見事な「弁慶藤」。「弁慶藤」。近づいて。「藤」の原産は日本で、本州または四国から九州の比較的温暖な気候である林に見られる。平安時代からは、観賞用として庭園でも育てられて来た。そして現代では、つる性の特性を活かして藤棚となり、公園や遊歩道でも楽しまれているのだ。「甘く爽やかなジャスミンに似た芳香」がこの日も。咲きたての頃にはほのかな香りであるが、満開の時期に藤棚へ近づくと、ジャスミンに似たほのかな甘さのある花の香りがふわっと漂って来たのであった。とはいえジャスミンほどエキゾチックでまったりとした甘さではなく、控えめで奥ゆかしさのあるパウダリーな甘さがあり、「上品」や「気品」といった言葉がよく似合うのであった。この品のある甘い香りが、古くから日本人の心を掴んで離さないのであろう。これぞ「藤紫(ふじむらさき)」の色。藤紫とは、藤の花のような明るい青紫色のこと。平安の頃より女性に人気の高い『藤色』と、高貴な色の象徴である『紫』を組み合わせた色名で、藤色よりも紫みが強い色。藤紫が染め色として登場するのは江戸時代後期とのことだが、明治期の文学作品や美人画などに数多く見られることから、明治文化を代表する色名の一つといわれていると。また、「藤紫」は大正浪漫の女性を虜にしたことから「大正藤(たいしょうふじ)」とも呼ばれたのだと。左側に廻り込んで。『万葉集』にはフジを詠んだ歌が題詞を含めて28首あるのだと。次はそのうちのひとつだ。「須磨の海人(あま)の塩焼衣(しおやきぎぬ)の藤衣(ふじころも)間遠(まどお)にしあればいまだ着なれず」フジの繊維は織り上げると白い衣となったが、ゴワゴワして肌触りが良くなかった。庶民の仕事着とされたり喪服として着用された。取り上げたこの歌では須磨(すま)の浜(現・神戸市須磨区須磨海岸)で塩をつくり出すために働く漁師の作業衣とされているが、和歌を詠みながらも、まだ着心地が悪いと愚痴をこぼしているのだと。そして大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌。「わが屋戸(やど)の時じき藤のめずらしく 今も見てしか妹(いも)が笑(え)まひを」奈良時代には山野の藤を観賞用として家の庭などに移植する技術が普及していたことがうかがえると。藤の木から垂れ下がる花房が芳しい香りをあたりにただよわせ、花房のまわりに蝶やクマバチが羽音をひびかせながら乱舞している。平城の京の街中にある家の庭にはそんなフジの花が咲いていたことであろう。我が藤沢市の市の花「藤(フジ)」。そして「藤」の字を持つ名字は種類も数も多い。桜や梅ほど花の美しさが評価されない藤が、なぜこれほどまでに名字や地名に用いられているのか。それは日本人の生活文化のなかに藤が深くくいこんでいるということだ と。藤原・藤田・佐藤・武藤・近藤・尾藤・首藤・安藤・伊藤・後藤、進藤・斎藤・加藤・・と。近づいたが・・・。風に僅かに揺れて。そして「弁慶藤」の右横にあったのが「芭蕉の句碑」。「草臥て 宿かる比や 藤の花」。貞亨5年(1688年)4月11日、『笈の小文』の道中大和八木で詠まれた句。文化2年(1805年)3月、以足建立。以足は江戸の人。別号牛文庵。碑の裏に以足の句が刻まれている。「東路や華にくるまる鈴の音」ここ藤沢で詠まれた句ではないが、ここ藤沢の「藤」にちなんで建てられたものであろう。この句は『猿蓑』にも収録されている と。「芭蕉句碑草臥て(くたびれて) 宿かる比や(ころや) 藤の花 文化ニ年建」と。境内には「鯉のぼり」が所狭しと。風が弱く雨にも濡れて。元気に泳ぎたいのであろうが・・・・。 ・・・つづく・・・
2023.04.29
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「引地川」に架かる「柳橋」を渡る。下流方向を見る。右に緩やかにカーブして。上流側を振り返って。そして引き返して下流に向かって進む。ここには、先程対岸から見た白い花の「オオシマザクラ」が。葉と花が同時に見られることも特徴。 桜餅に使われる葉は、この「オオシマザクラ」を塩漬けにしたもので、花にも同じ香りがある。「オオシマザクラ」と対岸の「ソメイヨシノ」とのコラボ。「ウェストリバー湘南台」を背景に。「円行公園」内の椿。ここにも落下した花の赤い絨毯が。川の上空を一面に覆い「ソメイヨシノ」のトンネルが。前日の雨で花びらも落ちて。更にカメラで「ソメイヨシノ」を追いながら進む。ここにも「オオシマザクラ」。植栽時に偶然に紛れ込んだものか?それとも計画的に?ここでも「ソメイヨシノ」と「オオシマザクラ」のコラボを。ところで、1998年施行の改正河川法で、堤防の樹木は根元から水が入り土壌が緩んで決壊しやすくなり、また流木による堤防の損壊や水位上昇につながる恐れもあることから、堤防の川側に植樹することが禁止されたのだと。 一般的に桜の木の寿命は60年と言われて、ここ引地川沿いの桜には老木化したものが見ら れるようになり、10年後か20年後、いつ寿命がくるかわからない状態なのだ。今後、新たに植樹する場合には、川表(堤防を境にして川側)には出来ずに、川裏または桜根が堤防に入らないよう盛土をして植樹しなければならないとのこと。改正河川法の植樹基準では、「治水上等の支障となる場合は、樹木の有する治水機能及び環境機能に配慮しつつ、支障の大きなものから順次伐採することを基本とする」としており、支障があるものについ ては、伐採・移植等を行い治水の安全性向上に努める必要があるのだとも。ここにも「胴吹き桜」。再び「オオシマザクラ」。カーブミラーに映った桜を。そして「神奈川県道403号線」手前まで進む。タンポポの姿も。そして「神奈川県道403号線」に架かる「円行(えんぎょう)大橋」から「引地川」の桜並木を見る。橋の上からじっくり眺めるのもよし。堤を歩きながら仰ぎ見るのもよし。親子で散歩する人も多く、せせらぎに耳を傾けながら風に揺れる引地川沿いの桜の花を愛でたのであった。「エスタテラ湘南台アクアビュー」も見えた。地上25階、高さ82.5mのタワーマンション。天気が良く、時間が合えば「逆さ桜」も楽しめたのであろうが・・・。水面に映る「桜の回廊」を楽しみたかったが・・・。そして車を駐めさせてもらった「ファミリーマート 円行二丁目店」へペット茶を買いに向かう。「円行大橋」を振り返って。「引地川」の桜並木も見納め。青空が欲しかったが。駐車場の車に戻り、再び「円行大橋」をズームして。そして、自宅への帰路に駅前の「六会駅前公園」に立ち寄る。この公園のソメイヨシノも満開。ズームして。桜の下の遊具で遊ぶ子供達の姿も。空を覆うが如くに。地面には桜の花びらが。これぞ「花筵(はなむしろ)」!!。桜の花を見上げながら、いつまでも佇んでいたい空間なのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2023.04.05
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この日は3月29日(水)、ホームセンターに買い物に行った帰りに、地元の引地川沿いの桜見物を楽しんで来ました。この場所は引地川の両岸に巨木の桜並木が続く地元では人気の花見スポットの一つ。両岸から引地川の水面を覗き込むように枝が川に伸びています。堤防の天端の下まで枝が延びて。遊歩道を上流に向かって歩く。青空も姿を表す。これぞ満開・ in full bloom!!。対岸には白のオオシマザクラ」が。前日の雨で川面は茶色く変身。そして老木の太い幹から小枝が出て直ぐ花が。これを「胴吹き(どうぶき)桜」と言うと。老木になり、エネルギーが不足してくると急いで葉を増やそうとして幹の途中から芽を出すことがあります。木のエネルギーは緑の葉からの光合成で作られますから葉っぱはたくさんあったほうが良い。桜の場合、葉っぱより先に花をつけますからこんなことになるようだ。この現象が「胴吹き桜」。衰えつつあっても力を振り絞って『どっこい生きている』その姿を毎年見るたびに感動するのだ。しかし「胴吹き桜」は幹の途中に芽を吹くことから名付けられたのであろう、もう少し夢のある表現はないのだろうか。可愛らしくもあるし、力を込めて一生懸命に花を開こうとする、けな気な、がんばりやさんのイメージを表現した言葉に!!と。「胴吹きの 花は吐息の ように咲き」・・・詠み人しらず「蘖/ひこばえ」と思っていたが・・・。「蘖/ひこばえ」は切り株や根元からの若芽を言うらしい。ネットで調べてみると、「太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」という。春から夏にかけて多く見られるが、俳句では春の季語となっている。なお、樹木ではないが、刈り取った稲の株から生える、稲の蘖に相当する芽を「穭(ひつじ)」と呼のだと。対岸を見る。桜の関する言葉にいろいろあるのだ。・初桜(はつざくら):その年にはじめて咲いた桜の花・桜狩(さくらがり):「狩る」とは何かを求めること。桜を求めて貼るの山里をたずね、 鑑賞すること・夢見草(ゆめみぐさ):桜の別名。美しさにうっとり見惚れてついた呼び名・花筏(はないかだ):水面に花が散る様子を筏に見立てていう・夜桜(よざくら) :夜の桜の花・花明かり(はなあかり):夜、満開の桜の周囲がほのかに明るく感じられること・花吹雪(はなふぶき) :散り落ちる桜。「落下」「花の塵」「花屑」ともいう・花筵(はなむしろ):花びらを敷物に見立て、その上に座ること・花嵐(はなあらし):桜の花が咲くころに吹く強い風のこと。また、風で桜の花びらが 盛んに散ること。・花冷え(はなびえ):桜の花が咲く季節に一時的に寒くなること・花曇り(はなぐもり):桜の花が咲くころの、曇りがちな天気のことそう!この日は「花曇り」!何故か花を全くつけていない樹も。長期休暇中?それとも枯れてしまっているのか?未だ「花筏(はないかだ)」の姿はなし。この引地川は、大和市上草柳に源を発し、藤沢市を南下して相模湾に注ぐ、河川延長約21km、流域面積約67km2の二級河川。引地川流域では、昭和30年代以降、市街化の進展著しく、田畑が減少し、街がアスファルトやコンクリートで覆われるなど、土地の利用形態が大きく変化した。その結果、雨水を地中に浸透させたり、一時的に貯留したりする「保水・遊水機能」が著しく低下したため、大雨が降ると雨水が短時間的に多量に河川に流れ込み、洪水に対する危険性が高まり、水害が発生するようになったのだと。この濁水もその現象を暗示しているのであろう。ソメイヨシノ(染井吉野)の花は2~3cmの楕円形で、花弁5枚の一重咲。 一総に3、4輪つき、咲き始めは淡いピンク色で、日が経つにつれて白くなる。 花が散ったあとに緑の葉が出て来る。 ソメイヨシノはそれまで多く植えられていたヤマザクラに比べて成長が早く、しかも花は大ぶりで密集して枝につくのだ。中心が赤くなり始めている花も。花は、うすいピンク色で、花びらが 5 枚。ソメイヨシノ(染井吉野)の原産地は確定されていません。江戸時代(1603年~1868年)の中期に、江戸の染井村(現・東京都豊島区駒込)の植木職人らが売り出した「吉野桜」が始まりだと言われている。桜の名所である奈良県の吉野山から命名されたと考えられるが、のちの調査で吉野山の桜の多くはもともと日本に自生していた「ヤマザクラ」で吉野桜とは違うことが判明。そのため、染井村で売り出された吉野桜ということで、ソメイヨシノと名付けられたのだ。1900年のことであったと。ソメイヨシノは、他の桜に比べて寿命が短く、一般に60年~80年で老齢期に達すると言われている。天気予報によると週末に向けて天気は「下り坂」と。何故「坂」?そして天気の回復は「登り坂」とは言わない?。日本語は、奥が深いのだ。フェンスの上のプレートには桜の花のデザインが。さらに遊歩道を上流に向かって進む。比較的、人の数は少なく。川面を覗き込むように花を付けた枝が伸びて。波打つフェンス。川を覗き込むように咲く桜の表現はあるのだろうか?「川面桜」、「覗木桜(のぞきさくら)」は如何??そして前方に橋が見えて来た。「橋名板」には漢字で「引地川」。橋の名は漢字で「柳橋」。「橋名板」だが、明治以降の近代橋には、”漢字”と”ひらがな”の二つのパターンで設置されているのだ。そして、時代が進むにつれて、”橋名の漢字”、”橋名のひらがな”、”竣工年月日”、”渡る河の名称”等の四つのパターンが多くなってきている。橋が架かる道路の起点側右手に「漢字河川名」、左手に「漢字橋名」、終点側にはそれぞれ「ひらがな」でと。よってこの道路・「湘南台272号線」は道路名からも判るように、左側・湘南台方向がこの道の起点側であることが判るのであった。そしてもう1つのタイプでは、道路の終点側左に「ひらがな橋名」、右側に「竣工年月日」が書かれているようだ。そしてもう一つ、面白いのは、「◯◯ばし」ではなく「◯◯はし」と記載されているものが多いとのこと。濁点を入れないのは「川の水は濁らず」との想いから来ていると。また「橋が濁流に流されないように」とも。しかし、これは全国の都道府県に公に通達されているのでは無いとのこと。つまりほとんどの都道府県では、「はし」の平仮名は濁らないとの明記は無いのだと。この「柳橋」の平仮名表示は「やなぎばし」となっていたのであった。 ・・・つづく・・・ ・・・もどる・・・
2023.04.04
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白亜の建物の前にあった「巨大杉」。近づいて。「レバノンシーダー Cedrus libani西アジア産の針葉樹。ヒマラヤスギに似た木で、大木になりますが、生長がおそく、成木は枝先が少し垂れます。(マツ科)」・レバノン、キプロス島及びタウルス山脈(トルコ南部)を原産地とするヒマラヤスギの仲間で、 レバノンの国旗にデザインされている。 ・雄大な樹形が好まれ、欧米ではヒマラヤスギより多く公園等に使われる。日本に渡来したのは 明治初年で、新宿御苑に植栽された。現代でも日本での活用は乏しく、一部の公園や植物園に 見られるのみ。・大木となることや材に香気があり、防虫効果があることから、優良な建材(ピラミッドの 基礎等)、船材(帆船の柱等)として地中海域の古代文明を発展させるのに貢献し、 イタリアンサイプレスと共にノアの箱舟の材料になったとされる。しかし、乱伐の結果 (紀元前10世紀にソロモン王の寝殿造りのために伐採されつくしたとの説も)、自生種は 今日では世界遺産として指定される地域内にわずかに残るのみとなった。・葉の長さはヒマラヤスギとほぼ同じか、やや短い。成長はヒマラヤスギよりもやや遅い。 枝はまばらな印象を受ける。花は8月頃に咲き、「私のことを考えて」などの花言葉もある。白亜の木造・2階建ての建物。「SHONAN STAFF COURT」と入口に。大学関連の職員の住居・宿舎なのであろうか?再び別の「ミツバツツジ」を。紅白の共演いや競演か。様々な花を楽しんだ後は「善行長後線」の「日大西側」交差点を右折。正面には赤い葉っぱが印象的な「ベニカナメモチ(レッドロビン)」が続いていた。「善行長後線」を北方向に進むと左側にあったのが「オオシマザクラ(大島桜)」。サクラといえばピンクの花を想像しますが、この「オオシマザクラ」は白い花を咲かせるのです。開花と同時に緑色の新葉を展開するのが特徴の一つ。オオシマザクラの名は、伊豆諸島の大島に多いことに由来する。三浦半島の低山に本種が多くみられるが、燃料用の薪をとるために植えられたものと考えられているのる本種とエドヒガンから、日本各地に植えられているソメイヨシノが作出されたことや、桜餅をくるむ葉に、このオオシマザクラの葉の塩漬けが使われるのだと。そして右折して「六会駅西口通り線」を小田急線線路に向かって進む。「日本大学生物資源科学部 本館」を正門側から見る。「日本大学生物資源科学部」の沿革。1952年(昭和27年)農学部に獣医学科を設置し、学部名称を日本大学農獣医学部と変更1996年(平成8年)学部名称を日本大学生物資源科学部に改称桜並木の下には、神奈川県知事選挙、神奈川県会議員選挙のポスターが。投票日は4月9日(日)。「神奈川県知事選挙 ポスター」。立候補者は4名のはずであるが、ポスターは2名のみ。さて投票日4月9日に「サクラサク」候補者は誰??こちらが日本大学藤沢校舎の正門。「日本大学」碑。正門前から本館を望む。正門を入って左側にあったのが「骨の博物館」。「骨の博物館」日本大学生物資源科学部のキャンパス内にある入館無料の博物館。家畜や大型野生動物の骨格標本、昆虫・樹木・植物・海洋生物標本、古農具,相模湾の魚や川の魚の水槽展示等、様々な学部関連資料を常設展示している。また、企画展示、講演会、セミナー(小・中学生向け,小学校~高校教員・一般向け)等のイベントも開催しているのだ。「日本大学生物資源科学部」案内板。一番左、附属高等学校・中学校・小学校の案内の最初に日本大学鶴ヶ丘高等学校(東京都)とあるがその理由は?ネットによると、日本大学鶴ヶ丘高等学校は1951年に日本大学農獣医学部(現:生物資源科学部)併設校として創立 とあるが・・・。その先、小田急線沿いに立っていたのが「NUBS 日本大学 生物資源科学部」案内塔。NUBSはCollege of Bioresource Sciences, Nihon Universityの頭文字であろう。そして前方に「小田急線 六会駅」が姿を現した。藤沢市亀井野一丁目にある、小田急電鉄江ノ島線の駅である。駅番号はOE 10。1929年(昭和4年)4月1日 ・「六会駅」として六会村亀井野1769番地に開業。階段の踊り場から「日本大学生物資源科学部 本館」、「12号館」を振り返る。正面に「小田急線 六会駅」の「橋上駅舎」。開設当時の「六会」は、1889年(明治22年)の町村制施行の際に六つの村(高座郡円行村、亀井野村、下土棚村、西俣野村、今田村および石川村)が合併した(結び合〔会〕った)ことに由来する六会村から。1995年(平成7年)4月15日 - 橋上駅舎と東西を結ぶ自由通路が完成し、供用開始。現在の駅名は日本大学の請願により「湘南日大前」という駅名が提案されたことに始まる。「六会」の地名は駅名にしか残っておらず(付近の住所表記は「亀井野」)、歴史的に意味のある地名を残して欲しいという要望が高かったことから、近隣住民と協議の末、1998年(平成10年)8月22日に「六会日大前」に改称された。なお、駅名改称に関する費用は日本大学が負担されたと。4月15日に「春巡業 第28回 大相撲藤沢場所」が開催されると。藤沢市の春を彩る恒例のイベント、2023年春巡業 第28回大相撲藤沢場所が、4年ぶりに秋葉台文化体育館にて開催される と。昔は、大相撲藤沢場所を前にモンゴル出身力士一行が、片瀬の常立寺を訪れ、境内にある「元使五人塚」を7年ぶりに参拝したのであるが現在では??。常立寺には、1275年鎌倉時代の蒙古襲来のときに処刑された、蒙古(現モンゴル)の国使5人が埋葬されているといわれ、境内には「元使五人塚」👈リンクと呼ばれる5基の五輪塔が建てられているのだ。そして駅前にも桜が開花中。河津桜であっただろうか?既に多くの花びらが落ちて今年の花のエピローグへと。この日の日本大学周辺の散策コース。そして小田急線・六会駅からこの日の待ち合わせ場所のJR藤沢駅に向かったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.04.03
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そして突き当りの「9号館」前を右折する。「9号館」の前にもソメイヨシノが満開。そして直ぐに左折し、「善行長後線」方向に進む。この道の両脇の桜並木も満開中。花を見上げて。ここも前日の風雨により、落とされた花びらが歩道上に。そして老木の太い幹から小枝が出て直ぐ花が。これを「胴吹き(どうぶき)桜」と言うと。老木になり、エネルギーが不足してくると急いで葉を増やそうとして幹の途中から芽を出すことがあります。木のエネルギーは緑の葉からの光合成で作られますか葉っぱはたくさんあったほうが良い。桜の場合、葉っぱより先に花をつけますからこんなことになるようだ。この現象が「胴吹き桜」。衰えつつあっても力を振り絞って『どっこい生きている』その姿を毎年見るたびに感動するのだ。「バラ園」の手前、「5号館」裏の植栽の場所を訪ねた。歩いて来た道の桜並木を振り返る。そして様々な花をカメラで追う。再び椿を。濃いピンクの花。こちらはエピローグを迎えた「ミツバツツジ」。ズームして。「ハナモモ」であっただろうか?ズームして。てっぺんを見て。再び椿。落ちた花を。こちらも「ミツバツツジ」。こちらは開花のピークか。紅桃色地白斑の八重咲き椿。別の椿。暗紅色・一重咲の椿。濃い紅色の色合いもシックで魅力的な椿。落ちた花。「ドウダンツツジ」。この時期にに枝先にぶら下がるように咲く壷状の白い花が特徴的。花がたわわに咲くこの春、美しい新緑、真っ赤に紅葉する秋と、季節によって表情を変えていくのも魅力的。「紫木蓮(しもくれん)」。通常、モクレン(木蓮)と言えば、濃紅色の花を咲かせる この「紫木蓮(しもくれん)」。白花を咲かせるのは、 ハクモクレン(白木蓮) 。 春、新葉が出る前に、骨格がしっかりした木の枝先に、濃紅色で卵形の大きな花を咲かせる。 花は上向きに咲き、全開せず半開状(開ききらない状態)に咲く。 花色が濃い紅色は花弁の外側だけで、花弁の内側は白または白味がかった極薄紅色なのだ。赤、白そしてピンクの共演。赤と白と桃色の三色が乱れ咲く花木。「源平枝垂れ桃」であろうか?近づいて。豪華な色合いは春にふさわしいのだ。赤と白が入り混じるので源平合戦になぞらえた名前。江戸時代から好まれて品種改良されてきたと。日本人好みのハナモモ。こちらは白の「ハナモモ」。赤の「ハナモモ」。「河津桜」であっただろうか。近づいて。さらに。この白の花は?「リンゴの花」であっただろうか。近づいて。「紫木蓮(しもくれん)」を再び。そして「海棠(カイドウ)・花海棠(ハナカイドウ)」。近づいて。花の色がなんとも美しい。 開花前の、赤いつぼみが垂れ下がる姿もとても個性的。その姿は、サクランボに似ているのだ。振り返って。花の大きさが小さいこの桜の名は?「オカメサクラ」か? ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.04.02
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早いもので、今日から4月・卯月のスタート。既に今年の1/4は終わってしまったのである。以下ウィキペディアより「卯月の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。「卯の花月」以外の説には、十二支の4番目が卯であることから「卯月」とする説や、稲の苗を植える月であるから「種月(うづき)」「植月(うゑつき)」「田植苗月(たうなへづき)」「苗植月(なへうゑづき)」であるとする説などがある。他に「夏初月(なつはづき)」の別名もある。日本では、新年度または新学期の時期として有名であり、学校・官公庁・会社などでは当月に入学式・入社式が行われ、前月の3月と同様に慌しくなる。世帯数や人口は少ないが、「卯月」という姓(名字)も存在する。4月は毎年7月と同じ曜日で始まり、閏年には1月とも同じとなる。電話口などでは7月(しちがつ)と聞き間違えやすいので、電話口の対応者が「『よんがつ』ですか?」と聞き返すのがセオリーとなっている。英語での月名 April はラテン語の Aprilis、ウェヌス(相当するギリシャの女神アフロディーテのエトルリア名 Apru より)に捧げられた月。」と。この日は3月27日(月)、鎌倉・長谷寺の墓地に眠る元同僚の墓参り行く。早目に自宅を出て、近くにある日本大学の校庭の桜の花見に立ち寄ることにした。途中、工事現場にあった「大洋建設株式会社 第4回 仮囲いデザインコンペ優秀賞 関東学院大学 上田悠花さん」の作品。「作品コンセプト仮囲いに丸く穴を開け、色のついた透明なプラスチックにし、のぞくと中が見らる仕組みでワクワク感、安心感を得ることがきます。通る人々の目に留まる楽しさ、中が気になる老若男女を表現しました。」ネットによると2020年の作品のようであった。そして地元の「地神社」入口の桜・ソメイヨシノ。石段横には赤の椿が。「椿」の名前の由来は、諸説あると。一般的なのは、光沢したツヤのある葉を持っていることから「艶葉木(ツヤハキ)」、もしくは「光沢木(ツヤキ)」という言葉が転じて「椿」と呼ばれるようになったとされるもの。他には、丈夫な葉を持っていることから「強葉木(ツバキ)」、厚い葉を持っていることから「厚葉木(アツバキ)」といった説も。また、昔は「光沢」のことを「つば」と言っていたので、「椿」を「つばの木」と呼んでいたことが由来とも。花びらが落ちて真紅の絨毯のごとくに。振り返って。残念ながらこの時は曇り空。8部咲くらいであっただろうか。そして小田急線の踏み切りを渡って、一般道路になっている(校内)道路に。新宿方面を見る。線路に沿って桜並木が続く。藤沢方面も同様に。右手奥に見えたのが「日本大学生物資源科学部」の「本館」。校内配置案内図。---がこの日の散策ルート。校内横断道路を進む。前日の雨で散った花びらが。「本館」は地下2階、地上14階の学部で一番高い建物で約74mある。庶務課や会計課があり、3階以上に講義室やコンピュータ実習室のほか、国際地域開発学科や食品ビジネス学科の各研究室があるのだ。その左手前にあるのが「体育館」。花びらをズームして。左側が「日本大学藤沢高等学校」の野球グランド。そして右側は「日本大学生物資源科学部グランド」。線路沿いの桜並木を見る。桜並木の下には観客スタンドが。地下2階、地上14階の学部で一番高い建物は約74mある「本館」。ズームして。小田急線の踏切を振り返る。陸上競技場仕様400m(6レーン)/100m(8レーン)トラック競技・跳躍競技・投てき競技、サッカー、アメリカンフットボール、ソフトボール 等放送設備一式観覧席夜間照明もちろん100m(8レーン)側にも観客席が。写真左は「12号館 生命農学料・食品生命学料・生命化学科」の校舎。」グランド横の桜並木の入口が右手に。「日本大学生物資源科学部」と。「グランド横の桜並木」。「新型コロナウィルス感染拡大防止のため学校関係者以外の入構制限中」と。「大学関係者以外の校内立ち入りはご遠慮ください。ご用の方は正門受付までお越し下さい。」と。コロナ前のこの時期は一般開放されていたのだが。桜のトンネルが100m以上に渡って続いているのであった。登校の生徒の姿も。時間は8:45過ぎ。満開の桜をカメラで追う。そして反対側は「日本大学藤沢高等学校」、「日本大学藤沢中学校」そして「日本大学藤沢小学校」の校門。校門の先にも桜並木が。日本大学藤沢小学校「校歌」1.若草萌ゆる 亀井野の 桜並木の 丘の上 花の吹雪を 身に浴びて 文化の光 慕いゆく わが日大の 学園は 若き力の 拠るところこちらの桜もズームして。更に校内を横切る一般道を西に進む。歩道は「花筏(はないかだ)」の如くに。花筏(はないかだ)とは、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のこと。その花ひらの動く様子を筏(いかた)に見立てた言葉といわれているのだ。「グランド横の桜並木」を振り返る。右手の林の中には様々な色の椿が。淡い八重のピンクの椿。花にズームして。花も落ちて。椿の花は「花が首から落ちるから、縁起が悪い」と言われます。もちろんこれは、人が後からくっつけた イメージなのであるが、随分そのイメージに足をぴっぱられて、不利な立ち位置に立たされているのである。そもそも、植物たちは子孫繁栄の為に花を咲かせる。花を咲かせて花粉を運んでもらうのが至上命題。そのために普通は、昆虫の活動が活発な春~夏に花を咲かせるわけだが、椿は冬の寒い時期に花を付ける決断をした。なぜかと言うと、昆虫ではなくて鳥たちに花粉を運んでもらうためであると。昆虫よりも鳥のほうが、より遠くまで花粉を運んでくれるから。よって、鳥の飛来を受け入れるために、花の作りを強くしたのだ と。すなわち椿は、「花びら一枚一枚」と「雄しべ」が全てつながっている構造なので花のまま落ちるのだ と。白の八重の椿。椿は、国内でも1000以上の種類があると。世界には6,000種類ほどもあると。赤の椿。花にズームして。赤とピンクの地上での共演そして競演。椿の花は香りません。昆虫をおびき寄せるためには香りが必要だが、鳥は視覚で花に飛んで来るから。だからこそ、侘しい冬の景色の中、たくさんの花を咲かせているの と。そんな戦略を知ると、椿の花をまた違った目で見ることが出来るのであった。そして椿に関する句について。『赤い椿白い椿と落ちにけり』これは碧梧桐の代表的な句。俳句で詠まれるツバキの花は、『鶯の笠おとしたる椿かな』芭蕉、『椿落て昨日の雨をこぼしけり』蕪村、『赤椿落ちたる平家物語』虚子、『ぬくうてあるけば椿ぽたぽた』山頭火・・・等々、およそ半分は落ちた花を詠んでいると。右手「学生サークル棟」入口の先には枝垂れ桜も。淡いピンクの枝垂桜。 ・・・つづく・・・
2023.04.01
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我が庭の花々です。まずは「ニワウメ(庭梅)」。中国の北部を原産とするバラ科ニワウメ属の落葉樹。古い時代に日本へ渡来しており、万葉集にも古名ハネズとして登場する。花や果実の様子をウメに例え、庭に植えやすい小型のウメといった意味合いでニワウメと名付けられたが、実際の質感はウメと異なる。中国原産だが、なぜか学名にはjaponicaが。4月頃に咲く花がウメに似ていることから、ニワウメという名前がつけられたそうです。ニワウメの花は先端が丸い5枚の花弁でできています。原種はピンクの花が枝いっぱいに咲きますが、品種によっては白い花が咲くものもある と。花言葉:願望、貴び、喜び、高尚、秘密の恋、うつろいやすい愛。そして様々な種類のスイセン(水仙)も開花中です。ヒヤシンスであろうか?クリスマスローズ(白)。クリスマスローズ(ピンク)。赤のチューリップ。プリムラ。ムスカリ。ユキヤナギ(雪柳)。スノーフレーク。 ・・・おわり・・・
2023.03.26
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「道の駅 下賀茂温泉 農林水産物直売所 湯の花」の店外に出て、再び「青野川」の堤防上の「河津桜」を楽しむ。観光客の姿が多くなって来た。しかし「河津町」に比べれば!!。堤防の石段を下り「青野川」の河原から。ところで、1998年施行の改正河川法で、堤防の樹木は根元から水が入り土壌が緩んで決壊しやすくなり、また流木による堤防の損壊や水位上昇につながる恐れもあることから、堤防の川側に植樹することが禁止されたのだと。 一般的に桜の木の寿命は60年と言われているが、河津桜の原木は現在60年を超えてなお美しい花を咲かせている。しかし、川沿いの桜には老木化したものが見ら れるようになり、10年後か20年後、いつ寿命がくるかわからない状態なのだと。今後、新たに植樹する場合には、川表(堤防を境にして川側)には出来ずに、川裏または桜根が堤防に入らないよう盛土をして植樹しなければならないとのこと。改正河川法の植樹基準では、「治水上等の支障となる場合は、樹木の有する治水機能及び環境機能に配慮しつつ、支障の大きなものから順次伐採することを基本とする」としており、支障があるものについ ては、伐採・移植等を行い治水の安全性向上に努める必要があるのだとも。 花を見上げて。花は直径約3cm程のピンク色、または淡い紅色。花序は散房状で4〜5花からなる。桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノよりも桃色が濃いのだ。堤防の斜面には、菜の花が咲く。ズームして。人力車のお兄さんの笑顔が!!お兄さんもお客さんを乗せてスタート。河原を更に上流に向かって歩く。左にカーブする「青野川」その先に「来宮橋」。前方に人集りが。前撮りのカップルの姿が。歩いて来た河原を振り返って。「来宮橋」手前。その先に「湯けむり橋」、さらに先に「銀の湯橋」。「湯けむり橋」越しに河津桜を。「銀の湯橋」とその先の「下賀茂温泉 銀の湯会館」の湯けむりを再び。そして石段を上って堤防上に向かいながら見上げて。ズームして。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.03.25
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次に「みなみの桜」を見るために、国道136号を西に進み「ファミリーマート 南伊豆下賀茂店」の駐車場に車を駐めて、散策開始する。国道136号を更に徒歩で西に進み「青野川」に架かる「湯けむり橋(ゆけむりばし)」に到着。「湯けむり橋」から「青野川」の下流側を見る。下流側の橋の名は「来の宮橋」。「みなみの桜と菜の花まつり 散策ガイドマップ」。毎年この時期・2月初旬から3月初旬にかけて、青野川の土手には800本の河津桜と菜の花が咲き乱れ、あたり一面が鮮やかなピンクと黄色の世界に彩られるのであった。上流側を望む。「湯けむり橋」の中央付近まで進み上流側を見る。前方に見えた橋の名前は「銀の湯橋」。河津町の「河津桜」とは異なり、観光客の数は少なく、穴場スポットなのであった。「湯けむり橋」から左岸土手に咲く満開の「河津桜」を見る。更にその上流側。「青野川」両岸の「河津桜」の見事な光景。「下賀茂温泉 銀の湯会館」からは湯けむりが上がっていた。「ゆけむりはし」と。下流に向かって「青野川」の左岸の土手を進む。運良く、今年はここも満開!!例年は、「河津町」に較べて開花が早いのであるが。ズームして。「来の宮橋」の袂から「青野川」の下流側を見る。植栽に埋もれるように立っていた女性の「裸像」。「みんなで美しい川を育てよう 南伊豆町」。「青野川」の下流に向かって進む。観光客がほとんどいない「青野川」の左岸堤防上を下流に向かって進みながらゆっくりと「河津桜・みなみの桜」を楽しんだのであった。人の数はこの程度と、少なく!!「河津桜」の老木の根元付近は幹の表面の姿が異なるのであったが。「青野川」と河津桜並木。観光客の姿が、少し増えて来たが、河津町とは異なり。正面にお花見用の「人力車」の姿が。更に進む。土手には菜の花の姿も。「人力車」での花見を楽しんだおばあちゃんの姿。「人力車で桜めぐり 20分 ひとり2000円」と。そして左岸堤防の脇にあった「道の駅 下賀茂温泉 湯の花」を訪ねた。竹灯籠「みなみの桜と菜の花まつり」。夜になると(ネットからの写真)。駐車場脇には様々な案内板が。「観光案内所」。「道の駅 下賀茂温泉 湯の花」案内マップ。ここにも「みなみの桜と菜の花まつり」ポスターが。JRのポスター。「仲良し地蔵」。ズームして。奉納された5円、10円玉が並ぶ。そして「道の駅 下賀茂温泉 湯の花」の店内に入る。巨大な柑橘が二つ。「ジャンボ晩白柚(ばんぺいゆ)晩白柚は、ミカン科 文旦などと同じザボン(白柚)の1種で柑橘類の中では最大級で、世界最大と言われています。晩白柚(ばんぺいゆ)の名前の由来は、台湾で果肉が白いみかんを白柚(ぺいゆ)と呼んでおり、熟すのが遅かったので晩(晩生)白柚とされたそうです。皮からは優しい柑橘の香りが発していて、熟すまでの間室内に置いておくことで香りを楽しむ事が出来ます。」と。店内には、思いの外多くの観光客が土産目当てに。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.03.24
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「河津町」の「河津桜」を後にして、国道135号に出て「河津川」に架かる「浜橋」を渡る。車窓から「河津川」沿いの「河津桜」を見る。そして国道135号・東伊豆道路を南下して次の目的地の南伊豆町にある「元気な百姓達の菜の花畑」に向かう。「子安海岸」の先から「稲取」方向を見る。左手前方には「爪木崎」が見えた。左手に「尾ヶ崎ウイング」。「尾ヶ崎ウイング」は国道135号線沿いの静岡県下田市白浜地先にあるトイレ休憩を兼ねた展望施設。下田市白浜の海岸の「龍宮島」そしてその先には「伊豆大島」の姿が。「板戸海岸」横を通過。右手の山の中腹にあったのが「ホテル伊豆急」。「三穂ヶ崎(みほがさき)」下には青い海が拡がっていた。青い海をさらに追いかける。左手に「外浦海水浴場」が姿を現した。そして「まどが浜 海遊公園」手前から下田の海を見る。「まどが浜 海遊公園」案内板。「ヤシの木」の並木の先には「下田港」。幕末開港歴史の港・下田港の遊覧船 黒船「サスケハナ」。稲生沢川の「新下田橋」という幅7m、長さ63mの白い橋を渡る。欄干に掲げられた人魚の像が迎えてくれた。そして目的地の「日野(ひんの)」交差点を右折し空き地に車を駐める。目の前には一面黄色に染まった「元気な百姓達の菜の花畑」が拡がっていた。南伊豆町・日野(ひんの)にある休耕田「元気な百姓達の菜の花畑」では、2月上旬から3月中旬かけて菜の花が華やかに咲き誇る。2月上旬には、青野川沿いに咲く河津桜と菜の花を楽しむことができるのであった。地元ボランティアの方々や子供たち、観光関係者などが世話をしており、毎年1月下旬~4月上旬頃までは菜の花、8月にはひまわり畑が広がるのだと。約3ha(万㎡)という広大な敷地が黄色一色におおわれ、辺り一帯が菜の花の香りに包まれる様は壮観そのものであった。遊歩道も設置されており、花畑の中でSNS用の写真もばっちり撮れるシチュエーション。この菜の花畑では、毎年1組限りの結婚式が執り行われるとも。例年、多数の応募があるが、挙式できるのは審査で選ばれた1組だけと。一面の菜の花畑の中、純白のドレスが映えることマチガイなし。後方の標高145mの山の上からの景色も美しいであろう。山の名は??東海バス停「日野(ひんの)」のパネルにはひまわりが。前回はあったコンビニ「Family Mart 南伊豆日野店」は閉鎖されていた。手作りの「菜の花畑入口」門にはミツバチの姿も。「第25回 みなみの桜と菜の花まつり」案内。裏面。手作りの木道・ボードウォークの横には「元気な百姓達の南伊豆町 菜の花畑」案内板。「みなみの桜と菜の花まつり」として、主役の一つになっている菜の花畑。我が先輩は女性に頼まれて、嬉しそうにカメラマンに。セイヨウミツバチの姿は確認できなかった。一面黄色の世界。菜の花畑横には「二級河川 鯉名川」流れていた。自撮りする我が先輩。記念撮影の場所も準備されていた。正面の家の方々が羨ましいのであった。そして夏になると「ひまわり畑」に変身すると。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.03.23
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再び「河津川」まで戻り、「河津川」を右に見ながら下流方向に進む。空が見えないほどに花が密に。前方に赤い主桁の「来宮橋」が見えて来た。太い幹から小枝が出て直ぐ花が。これを「胴吹き(どうぶき)桜」と言うと。老木になり、エネルギーが不足してくると急いで葉を増やそうとして幹の途中から芽を出すことがあります。木のエネルギーは緑の葉からの光合成で作られますか葉っぱはたくさんあったほうが良い。桜の場合、葉っぱより先に花をつけますからこんなことになるようだ。この現象が「胴吹き桜」。衰えつつあっても力を振り絞って『どっこい生きている』その姿を毎年見るたびに感動するのだ。私も、もう一花を!!とも。「来宮橋」手前の見事な「河津桜」。「来宮橋(きのみやはし)」。「来宮橋」を過ぎて、「天領山」を見る。河津桜のトンネルが。販売されていた「ミモザ」の花木。明るい黄色が鮮やかに春を告げる、「ミモザ」。小さなポンポンが集まったように咲く姿が可愛らしく、元気をくれる花。そんなミモザの代表的な花言葉は「感謝」。ミモザは、3月8日の「ミモザの日」(国際女性デー)で女性に贈られる、シンボリックな花でもあり、別れや出会いの季節である春に贈る花としてぴったりの花であるのだ と。我が菜園にも幼木を購入し植えたことがあるが、越冬出来なかったのであった。メジロの姿を探したが・・・。ミツバチの姿も見当たらず・・・。ミツバチが飛び交うには、未だ気温が低すぎるのであろう。菜の花とのコラボがここにも。鮮やかなピンクと鮮やかな黄色の共演をしばし楽しむ。河津川にかかる「来宮橋」から「荒倉橋」までの「菜の花ロード」では、黄色の菜の花と可愛いピンクの桜のコントラストが見逃せない美しさ!これぞ春爛漫といった感じ!!「河津桜並木・ 菜の花ロード」。華やかなピンクの桜に菜の花の黄色、そして青空のコントラストは気分を上げてくれたのであった。本格的な春はまだ先だが、春色の景色の中で少しだけ季節を先取り出来たのであった。左手に現われたのが「笹原公園」。「河津町観光案内図」。「河津桜並木・ 菜の花ロード」を振り返る。「河津桜まつり」ポスター。「河津桜まつり出店マップ」。「さくらの足湯処」は今年も休業中であった。2003年2月、3500平米の敷地を持つ笹原公園に誕生した無料の足湯。靴下を脱ぐ脱衣所があるのみのシンプルな造りだが、観光の合間に気軽に一休みするには最適のスポットなのであったが・・・。その先には「河津町観光協会売店」。その先には「大船渡漁師のかき小屋」が。「殻つきを 浜焼き酒呑み 桜愛でて」(詠み人知らず)。「殻付き牡蠣」の山が。1個 400円、2個 700円、3個 1000円と。我慢!!我慢!!。その先にも土産物売り場が。「笹原公園」内の「生搾りみかん店」。「ピラカンサ」?と菜の花のコラボ。そしてここまでとし引き返す。「春は、伊豆からやって来る」ポスター。「河津七滝」ポスター。「笹原公園 事業概要」碑。河津町の河津桜はこれまでとし、駐車場に向かう。民家の庭先にも「柑橘類売り場」が。そしてその先には「藍染市場」があった。様々な藍染の衣類が売られていた。「藍染」にはなんと48色あり、それぞれひとつひとつに藍にまつわる名前がついているのだと。藍の色の発色は神秘的です。引き上げてすぐは黄土色ですが、絞って干し空気に触れると、緑から藍色へ変化します。この工程を繰り返し重ねて染めることで濃淡を表現し、同時に布を強くします。主な藍の色を紹介します。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.03.22
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そして「踊子花街道」の先の道に突き当たりここを右折。前方左側に現われたのが「河津桜 原木」。「河津桜 原木」前には交通整理のオジサンが頑張ってくれていました。そして「河津桜 原木」に到着。既にピークは過ぎ、葉が出始めていた。「河津桜原木物語昭和30年頃の二月のある日、この家の主人であった飯田勝美氏が、河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽吹いていた約1メートル位に育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えた事が始まりでした。約十年後の昭和41年1月下旬、やっと桜が咲き始めました。同年四月、主の勝美氏は花が咲くのを見届け、永眠しました。その後きれいに咲く桜を見て譲ってほしいという話もありましたが、思い出の桜のため手放さなかったそうです。当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ親しまれていました。その後の調査で新種の桜とわかり昭和49年には河津で生まれた桜であることから「河津桜」と命名され昭和50年4月に河津町の木に指定されました。(飯田ひでさん談)原木の大きさ 木高 約一〇メートル 樹幅 約一〇メートル 幹周 約一一五センチメートル開花時期 一月下旬から三月上旬河津桜はオオシマザクラとカンヒザクラの自然交配種と推定されます。」「河津町 指定天然記念物 「河津桜原木」」。原木の幹周は約115cmで樹齢は50〜60年くらい。たくさんの花が玉のように塊になって咲いているのであった。今年も頑張って咲いてくれていました。移動し見上げて。ズームして。「マンリョウ(万両)」と「河津桜原木」とのコラボ。「センリョウ(千両)」は、ツヤツヤした葉の上に乗るような形で直径5~6mmの実をつけるが、この「マンリョウ(万両)」は実を葉の下につけることで区別できる。この付近は葉がかなり出て来ていた。地面には筵(むしろ)の如きものが根の養生用に敷かれていた。河津町田中のこの家に住んでいた飯田勝美氏が1955年頃、河津川沿いで芽咲いているさくらの苗を偶然見つけ、庭先に植えたのがこの河津桜原木。可憐な花をズームして。オジサンの案内で横断歩道を渡り、「河津桜 原木」の全景を。振り返って。次に「田中区民作品展示会」場を訪ねた。「旧田中温泉組合浴場」であった建物が「田中区民作品展示会」場・「田中アートギャラリー」になっていた。「旧田中温泉組合浴場」は展示会場になっていた。在りし日の「田中温泉組合浴場 2021年6月閉館」の写真。在りし日の「田中温泉組合浴場 2021年6月閉館」の写真(反対側から)。先輩も熱心に。大字「瀧」と。大字「瀧書道:松井ひとみ 雅号 松井瑞閃」と。「古今和歌集」 巻第二 春歌下(96)「いつまでか 野辺に心の あくがれん 花し散らずば 千世もへぬべし」(いつまで、花の野辺に心が憧れるのだろうか、花が散らなければ、千年でも、ここで過ごすだろう)と。「いつ万て可 野辺に心のあ久可連む 花し散らす者 千代しつぬ辺し (素性の歌)」。「雲邊月色人 千里竹裏 秋聲酒一壺」。「雲邊月色人 千里竹裏 秋聲酒一壺」。「くもべの げっしょく ひとせんり ちくりのしゅうせい さけいっこ」(雲に映える月の色をあちらこちらで人が愛でる 竹林には秋の訪れ(葉ずれの音)酒が美味い)「河津桜 原木」の版画。「版画:折田直人」「ヤブツバキ」。「白木蓮」。「干し唐辛子」。こちらは本物。写真「深山幽谷(夏と晩秋)」。写真「深山幽谷(夏と晩秋)」。「深山幽谷(夏と晩秋)撮影場所:天城山・皮子平撮影日: 7月下旬 : 11月下旬地表は苔に覆われ、あたりは静まりかえり小鳥のさえずりさえも吸い込まれてゆく様な雰囲気が漂っている。(80万~ 20万年前の噴火活動で天城連山の原形が形成され、ここ「皮子平」は約3200年前に噴火した噴火口跡です。天城山の最深部に位置し、訪れる人も少なく手付かずの自然が残っています)」「写真:鳥澤久仁男」。写真「深山幽谷(夏と晩秋)」。写真「深山幽谷(夏と晩秋)」。「トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)」。「トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)」。「田中アートギャラリー」を後にするとここにも「田中区民作品展示会」案内が。畑道を「河津川」に向かって進む。香りから「柚子」であっただろうか?「河津川」の西の山の斜面にもピンクに染まる場所が。畑の中の河津桜。この場所の菜の花も満開。「河津桜の原木」は上記に同じ。「カワヅザクラの特徴落葉高木、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢があり、若枝は褐色、無毛。葉は開花後に展開する。成葉は倒卵状楕円形で先は尾状鋭尖形、基部は円形、長さ12.5~15.0cm、巾6.0~6.8cmで厚い。縁は単鋸歯だが、重鋸歯が混じり、鋸歯の先は芒状、腺はない。表面は濃緑色、裏面は淡緑色、両面ともに無毛。側脈は約10本。葉柄は長さ2.0~2.2cmで無毛、上部に一対の蜜腺がある。托葉は長く、分岐多い。果実は、ほぼ球形、径0.9~1.3cm、黒紫色に熟し、甘みがある。「カワヅザクラの開花時期カワヅザクラの開花時期は1月下旬で、わが国のサクラの中では早咲きの桜です。しかも、開花時期は、はぼ1カ月もの長期間に及び、他のサクラにはない特徴がみられます。なお、カワヅザクラの開花時期は、その年の気候によって左右されますが、ソメイヨシノより約2ヵ月も早く花見ができることから、ひと足早い春の訪れを感じさせます。」「河津桜の特徴」。新聞記事「河津桜 守り育てる」「河津苗木」と書かれた幟。「河津桜苗木 ニセモノ注意!」と。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.03.21
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そして河津川沿いの「河津桜」の散策を開始。いきなり菜の花の黄色とのコラボが迎えてくれた。この付近の「河津桜」は満開手前の8~9分咲きくらいであった。9時前ということもあり、人の数は比較的少なく。「菜の花」も満開手前の8~9分咲きくらいであった。「河津川」沿いに添って堤防上を上流に向かって進む。河津川沿いには約850本もの桜が咲き、河津町全体で約8,000本の桜が咲いていると。青空が姿を現し始めた。「河津川」を左手に見ながら上流に向かって進む。「河津桜」の魅力は、早咲きの桜であることと花色。ソメイヨシノの淡いピンクに比べ、はっきりとした明るいピンク色。出店も商品の料理開始。河津桜にもほのかな香りがあるが、マスクをしている為か・・・・。ピンクのカオス!!「ハットグ」の文字も。「ハットグ」とは、韓国における「アメリカンドッグ」の呼称でハングル文字では “핫도그” と書く。元来「ハットグ」は、細長いパンに切り込みを入れ、ソーセージなどの具材を挟んだアメリカ発祥の料理「ホットドッグ」の韓国における呼称であったが、「ホットドッグ」と「アメリカンドッグ」を呼び分けることなく広まった韓国においては「アメリカンドッグ」を指して「ハットグ」と呼ぶことが一般的になっているのだと ネットから。青空が更に広がって来た。開花中の「河津桜」の苗木も販売中。5980円とかなり高価。河津川沿いに約4㎞の桜並木が続き、多くの観光客が遊歩道散策を楽しめるのであった。河津川に架かる8つの橋のうち、かわづいでゆ橋から豊泉橋までの区間には桜のトンネルが、ここ来宮橋から荒倉橋までの区間には桜並木と菜の花ロードが続き、どちらも人気のビュースポットに。「来宮橋」から上流を見る。「河津川」の両岸に桜並木が続く。峰温泉大噴湯公園の自噴水がもうもうと。「東洋一を誇る峰温泉の大噴湯」は大正15年11月22日正午、爆音と共に地上約50mの上空を突き刺し誕生しました。以来90年以上ひとときも絶えることなく噴き上げ続けています。毎分600リットル100度の温泉が高さ30mまで噴き上がる自噴水です。また、温泉で大噴湯たまごを作ったり足湯を楽しんだり出来るのだ。以前に訪ねた時の峰温泉大噴湯公園の「自噴水」の写真。河原で遊ぶ家族の姿が。「河津太陽光発電所」であろうか?日光の反射の関係で、白く見えたのであろうか。ズームして。風力発電装置も。運転開始日 2015年5月設備容量 16,700 kW(1,670kW x 10基/Alstom社)。再び「河津川」の右岸の桜並木を追う。左岸も。振り返って、「来宮橋」から下流を見る。「天領山」の尾根の姿も。さらに上流に向かって進む。たくさんの花が玉のように塊になって咲いているのであった。「レモンつめ放題」と。ことらにも「河津桜」のトンネルがあった。様々な種類の柑橘類が並んでいた。「鮎塩焼き」、「肉まん」、「じゃがバター」、「みたらし団子」、「いちご大福」・・・と。「鮎塩焼き」、グッと我慢!!朱の欄干の「豊泉橋」まで進み上流側を見る。ズームして。更に左岸を。右岸を。「豊泉橋」の下の白き流れ。「豊泉橋」から下流側を再び。「日本三大寝釈迦霊場 涅槃堂」👈リンクと「釈迦堂 桜見晴台」👈リンク 案内。そして「豊泉橋」から「河津川」を離れて東に歩を進めて、「河津桜 原木」に向かって進む。左手に見えたのが「河津町役場」。静岡県賀茂郡河津町田中212−2。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.03.20
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この日は約1ヶ月前の2月21日(火)、テレビのニュースで伊豆の河津桜が満開に近づいていると。昨年は、この時期は「鎌倉殿の13人」に因んだ伊豆半島の内部の名所旧跡を訪ねたので、河津桜を訪ねるのは2年ぶり。仕事の先輩を誘い朝6時前に自宅を出発し、先輩の住む二宮に向かう。西湘バイパスの大磯付近を進むと富士山の姿が現れた。二宮で先輩と合流し、再び西湘バイパスへ。先輩に自分のカメラを預け車窓からの風景の撮影をお願いした。二宮港突堤の先にこの日の日の出。国府津海岸からの箱根・二子山。朝の陽光の帯が相模湾の水面に。遠く三浦半島も見えた。この手前の右側の山の上に先日訪ねた、屋外美術館の「小田原文化財団 江之浦測候所」👈リンク があるのだ。真鶴半島を見る。真鶴駅手前から陽光を追う。真鶴半島の山の上には「城」の如き建物が見えた。「荒井城址公園」内に建つ3階建ての建物。最上階は入母屋の瓦屋根。左手前方に「初島」の姿が。「国道135号」から「熱海城」が姿を現した。そして「熱海サンビーチ」が写真右手に。このトンネル手前の更に手前を左に進むと先日訪ねた「錦ヶ浦👈リンク へ。再び「初島」の姿を。山の斜面に建つ住宅。眺めは良いが・・・・。道の駅「伊東マリンタウン」前を通過。伊東港前。奥に見えたのが「手石島」。汐吹崎の北北東700m沖の相模灘にある。 手石島は無人島で、握り拳に似ていることが名前の由来である。島には航行の安全を祈願し弁財天が祭られている。伊東市の「赤沢港」の先を進む。赤沢地区の「中の沢隧道」手前。「ライオン岩」に向かって進む。そしてこれが「ライオン岩」。大川温泉の海岸に、海に向かって遠吠えしているようなライオンの姿をした岩が寝そべっていた。自然が造り出した神秘の岩「ライオン岩」と。左手に「静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬」の街並み。この先が「白田温泉」。そして「稲取」の街並みが姿を現した。南東で相模灘に面し、北東で白田、南西で河津町見高、川津筏場と隣接する。国道135号が相模灘沿いを通過する。伊豆急行線伊豆稲取駅が所在する。稲取温泉、伊豆アニマルキングダムを抱える観光地でもある。「南伊豆町消防署」前を通過。そして「河津桜駐車場」に到着。時間は8:54、二宮から2時間20分、自宅からは約3時間強で到着。1000円を払い駐車場に車を駐め、散策開始。 ・・・つづく・・・
2023.03.19
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次に訪ねたのが「引地川親水公園」の「河津桜」。駐車場に車を駐め、引地川に向かって歩く。前方に引地川に架かる「天神橋」が現れた。引地川沿い、「引地川親水公園」の「河津桜」が姿を現した。「天神橋」の欄干には、見るも楽しきカエルの相撲が再現されており、道ゆく人々を楽しませているのであった。まず、行司のカエルが軍配をふるっているところから始まる。軍配には三日月が描かれているのみのシンプルなもの。次は、見合いの姿勢。きちんとコブシを握って、両手をついているのであった。ハッケヨイ ノコッタ! ノコッタ!がっぷり組み合って〜。決まり手は、押し出しか?。「天神橋」からの「河津桜」の並木。白星を挙げたカエルは、どこから出したか扇子を持っての、高笑い。負けたカエルは、座り込んでは頭を抱えて。そして再び扇子を持った姿が。「天神橋」。カエルの相撲が再現された欄干を振り返る。そして川沿いの桜を見る。「引地川親水公園」と。こちらはスズメであっただろうか。グループも桜の下で。子供たちの姿が。高台から見下ろす。再び「天神橋」の欄干のカエルの力士姿を。桜並木を。引地川を。カエルの相撲姿を。花壇のパンジー。そして駐車場の車に戻り帰路に。 ・・・END・・・
2023.03.05
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昨日3月3日(金)の午前中に、地元の早咲き桜を愛でに車で向かいました。まずは、車で5分ほどの場所にある大学の構内にある桜。「生産資源科学部」の建物の入口から入る。約20本ほどの「河津桜」であろうか?青空に映えてこれぞ「満開」。そしてその近くには様々な色、種類の梅の花も。色鮮やかな「紅梅」。近づいて。「白梅」。濃いピンクの枝垂れ梅。真っ赤な椿の花。近づいて。白の八重の椿の花も。紅白の梅が並ぶ。ピンクの椿。白の椿。そして再び桜の下に。見上げて。ズームして。設定を変えてズームしてメジロを追う。 ・・・つづく・・・
2023.03.04
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再び菜の花越しに小田原方面の街並みそして伊豆半島を見る。大木・「エノキ」越しに朝の陽光を浴びた「相模湾」の藍き海原・「光る海」。「吾妻山公園の由来」碑とその右後方に白き富士山の姿が。「吾妻山公園の由来」碑の前には募金箱が置かれていた。『相模路(さがむじ)の 淘綾(よろぎ)の浜の 真砂(まなご)なす 児らは愛(かな)しく 思はるるかも』の歌碑。(万葉集 第十四巻 東歌)「相模の淘綾(よろぎ)の浜の美しい砂のように、あの娘が可愛く思われることです。」淘綾(よろぎ)の浜とは、神奈川県の国府津から東へ、大磯にかけての海岸のことで、現在は「こゆるぎの浜」と呼ばれているのだと。「吾妻山の名は、中腹に吾妻神社があることからこう呼ばれています。吾妻神社の主神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)で日本武尊(やまとたけるのみこと)が配祀(はいし)されています伝承では、日本武尊が東征の途中、三浦半島の走水から海路上総に渡る際、突然海が荒れたため、妻である弟橘媛命が 海神の怒りを静めるため、夫の武運を祈願しながら海中に身を投じると、たちまち海は穏やかになりました。7日後に命の櫛が海辺に流れつき、これを埋めて墓とし、又磯辺に漂う命の小袖を取り上げて山頂に祭りました。日本武尊は東征の帰路、この地の峠ではるか東方の海をながめ、海路を開くために犠牲になってくれた妻を偲んで「吾妻はや」(ああ、わが妻よ)と嘆かれたと云ういうことから吾妻神社の名がつき、小袖が漂着した海岸を袖ヶ浦と云うようになりました。このような由来から、縁結びの御利益もあるようです。」とネットから。「吾妻山公園の由来相模路の 淘綾の濱の眞砂なす 児らは愛しく 思はるるかも(さがむじの よろぎのはまの まさごなす こらはかなしく おもはるるかも) (萬葉集 巻十四 東歌)万葉の昔から 淘綾の里 二宮の美しい海浜と それを眼下に一望できる吾妻山は人々のふるさとでありましたしかし 第二次世界大戦後の激動する社会情勢の中で 山は顧みられることもなく 次第に荒廃が進んでいきました 町はこれを深く憂え 子孫に誇れる山として残したいと思い 地権者六十五名の協力と五年の歳月をかけて整備し 昭和六十二年七月十八日に吾妻山公園として開園しました現在では 健康づくりと自然とふれあう やすらぎの場として人々に喜ばれていますこの公園は 名誉町民 第十七代柳川賢二町長の尽力により完成しました。この碑は 公園開園五周年を記念し 柳川賢二顕彰会の有志の寄付により建立されました」「菜の花」、「桜」越しに「真白き富士の嶺」。移動して。「菜の花」に近づいて。「菜の花」と芝生広場のエノキ。ここ吾妻山にはエノキが多いのだが、相模灘に面した小高い丘の山頂には、この一本のエノキシンボル的に立っているのであった。富士山が西側の雲を引っ張っているが如きに雲が次々と裾野に。「富士山頂」をズームして。更に。登山道のジグザグも見えた。富士宮口登山道であっただろうかこれでもかと。これが我がデジカメの限界。「吾妻山公園展望台」を見上げて。撮影ポイント「吾妻山公園 二宮町」。左のとんがった山が「金時山」(1213m)、約22Km先になる。この場所から「富士山」をズームして。富士山の前にみえる丸い山は「矢倉岳」。神奈川県南足柄市にある標高870 mの山「芝生広場」の南側の端には「四阿」があった。「四阿」に向かって歩く。「四阿」。そして相模湾沖の「伊豆大島」がはっきりと見えた。この場所の標高が136mあるので、伊豆大島のこの姿は、標高100m以上の島の姿なのであろうか?この場所からの距離は50~60km程度であろうか?再び小高い丘の上の「吾妻山公園展望台」を見る。「エノキ」が存在感を示していた。「セキレイ」であっただろうか。いつの間にか、猫が日向ぼっこしていた。飼い猫のようであったが。何方かが連れて来た猫か?相模湾、伊豆半島を望む。黄色く色づいた菜の花が一際目を引き、一足早く春を感じられるのであった。国府津、鴨宮、小田原の町並みと相模湾、そして伊豆半島の付け根を。「菜の花」は、春によく見かける黄色い花の総称として使われるが、ふつう見かけるのは 「西洋油菜(せいようあぶらな)」なので「西洋油菜」のことを「菜の花」と呼ぶことが多い。蜂蜜を作る原料として、養蜂業者の方たちは 九州などの暖地から 花期に従ってしだいに北上してその花蜜を集めるらしいが、この日はミツバチの姿は見当たらなかった。再び富士山を。小田原方面の街並みを再び。「小田原城」の天守閣の姿も確認できた。移動して。小田原海岸。小田原市小八幡2丁目付近であろう。「吾妻山公園展望台」の西側に廻り込んで。接写にて。「菜の花」と「富士山」とのコラボを。丹沢の山々。右側には塔ノ岳(1491m)、檜洞丸(1601m)、御正体山(1682m)が。「光る海」には小舟も。漁舟であろうか。ズームして。芝生広場の主(ぬし)のエノキをこれでもかと。ここにも巨木が。「吾妻山 標高一三六・二m」と。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.01.13
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相模湾が陽光を反射して「光る海」に。ズームして。『吾妻山公園の由来』碑とその右手後方に白き富士山の姿が。富士山をズームして。裾野には白き雲が棚引いてしまっていたが。榎の老木は葉を総て落として。「エノキ 榎ニレ科 工ノキ属分布=本州~九州、朝鮮、中国実は食べられる。野鳥も好み、方々に運んでゆく。材は建築や器具などに利用する」展望台の中央に、現在地を中心とした関東地方の地図が描かれていた。吾妻山を中心に相模湾、房総半島、伊豆半島、大島等が描かれていた。再び富士山を。富士山の手前に見える山は「矢倉岳(やぐらだけ)」。矢倉岳は神奈川県南足柄市にある標高870mの山である。神奈川県西部の箱根山地と丹沢山地の間に広がる足柄山地にある山で、金太郎伝説で知られる金時山(1,213m)の北側に位置する。おにぎりを立てたような特徴的な山容をしており、足柄平野から足柄山地の山々を眺めた際にひときわ目立つため、一目でそれと分かるのだ と。展望台から見える写真の山々の名前が説明されていた。中央に「富士山」。その左側に「金時山」、「明神ヶ岳」、「神山」、「駒ケ岳」。「金時山」。ズームして。「箱根」の山々を更に見る。右から、明神ヶ岳(924m)、明星ヶ岳(1169m)、神山(1438m)、駒ケ岳(1357m)、上二子山(1091m)、下二子山(1065m)。「神山」(右)と「駒ケ岳」(左)。「上二子山」(右)と「下二子山」(左)。。富士山の右側には丹沢の山々が。右から塔ノ岳(1491m)、檜洞丸(1601m)、御正体山(1682m)。そして「大山」。「国府津」、「鴨宮」、「小田原」方面を望む。そしてその先に伊豆半島。伊豆半島を望む。「伊豆半島」方面の山々も紹介されていた。右から「大観山」。「小田原城カントリー倶楽部」。「岩戸山」と「玄岳」。「天城山」その手前に「真鶴半島」「真鶴半島」をズームして。その先の三ツ石をズームして。右から「大室山」、「小室山」、「小室山」の手前に「初島」。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2023.01.12
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この日は2023年1月5日(木)、今年もJR二宮駅の近くにある吾妻山の山頂に咲く菜の花を愛でに行って来ました。事前にネットで開花状況を確認すると、今年は開花が早く、満開に近いようであった。JR二宮駅ホームからの「二宮町立二宮小学校」の上に見える吾妻山第2展望台・休憩所下の植栽で形どった「二宮町の町章」を見る。「二宮町の町章」をズームして「宮」を図案化したマークに「二」をこれも図案化して配し、飛躍する願いと町民のなごやかな思いを翼と円の形で象徴しているのだと。JR二宮駅の通路にあった「吾妻山 菜の花ウォッチング」のポスター。2023.1.7(土)~2.12(日)まで開催されるとのこと。こちらは「吾妻山(吾妻山)」ポスター。「四季折々の花畑を散策。広々した芝生でのんびりぐるっと湘南一望できます。」「にのみやNINOMIYA guide map」「二宮駅」北口に出る。「にのみや 吾妻山公園 案内図」。「吾妻山」周辺をズームして。「吾妻山」山頂・菜の花畑へのルートは北・釜野口、東・役場口、南・梅沢口の3ルートがあるようだ。「二宮町役場」入口方面に向かって急な坂道を上って行った。右手の建物は「二宮町役場庁舎」の建物。「二宮町役場」への入口。「二宮町庁舎 長寿の里」の上には町章が。神奈川県中郡二宮町二宮961。町の名前は、町内にある川勾神社が「相模国二之宮」であることに由来する。行政区域では湘南に属しているが、市町村合併、ごみ処理広域化などで合意に至らないことも多い。住民の中の若年層の伸び悩みで、活性化が期待されている。二宮町は神奈川県の西南部に位置し、海と山、そして緑に囲まれた約9平方キロメートルの小さな町。気候は相模湾に面しているため、冬暖かく夏涼しいという特徴があり、その温暖な気候などから元気な高齢者が多く住む「長寿の里」として知られているのだ。向かいには「二宮町立二宮小学校」。そして「吾妻山公園」の入口が姿を現した。ここが吾妻山山頂の菜の花畑への東・役場口ルートの入口。「吾妻山公園鳥獣保護区区域図」案内板。「二宮町みどり基金ようこそ 吾妻山公園へ頂上からの眺望をお楽しみ下さい。素晴らしい自然環境を将来へ継承するために『二宮町みどり基金』へご協力をお願い致します。 二宮町」と。「吾妻山公園」と書かれた木製のアーチの先にはいきなり急な石段が続いていた。「かながわの公園50選 吾妻山公園」。ここにも「吾妻山公園 案内図」を再び。「吾妻山公園利用のご案内」開演時間 午前8時30分から午後5時まで と。急な石段を一歩一歩上って行った。最初の石段を登りきった右側には、カフェ・喫茶の「二宮町 ともしびショップ なのはな」があった。そしてその先にも再び急な石段が続く。休み休み上って行った。まだまだ続く石段。振り返ると、眼下には二宮・大磯の街並みそして相模湾が見えた。石段を登り切るとさらに無舗装の坂道が続いていた。「休憩所・第2展望台」に立ち寄る。「JR二宮駅」を眼下に見る。「相模湾」そして「三浦半島」を見る。「江の島」をズームして。ズームすると江ノ島大橋・江ノ島弁天橋 そして烏帽子岩の姿も確認出来た。さらに「江の島」をズームして。「大磯町」の街並みを見る。ここにも「吾妻山公園案内図」。「現在地」周辺をズームして。さらに水仙の咲く坂道を上って行った。紅葉も進んでいた。「寒椿(かんつばき)」。水仙の群生地。「カップ咲きスイセン」をズームして。「吾妻山」山頂に向かって左手方向を進んで行った。左手は「管理事務所 芝生広場」と。右手にあったのが「浅間神社(せんげんじんじゃ)」案内板と石鳥居。「浅間神社祭神は木花咲耶媛、ニ宮町上町地区の祭神で土地の人には、浅間さんとして親しまれ本社は富士浅間神社です木花咲耶媛はその名のとおり、咲く花の匂うような美女で、良縁を得られたので縁結びの神様として信仰されています。今からおよそ八百年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、曽我兄弟は父の仇、工藤祐経を討取りました。この時姉のニ宮の花月尼はその成功を富士浅間神社に祈りました。後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて自分の住まいのこの山上に、浅間神社をまつったと言います。」石鳥居の扁額も「浅間神社」。「浅間神社」に立ち寄る。祭神は木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)。1193年(建久4年)、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りで起こった曽我兄弟の仇討。曽我兄弟の姉・花月尼は、仇討ちの成功を富士浅間神社に祈り、兄弟が見事に父の仇・工藤佑経を討つと、自身の住居前の吾妻山に浅間神社を祀ったのだと。戻った坂道には、泥濘み(ぬかるみ)防止であろうか、木材チップが一面に敷かれていた。「モクレイシ」の赤い実をズームして。「モクレイシ」とは、ツルレイシに対して付けられた名である。ツルレイシとはニガウリのこと。モクレイシは、果実が割れ赤い種子が見えるのが、ニガウリが熟し種子を出すところと似ているので、ツルに対してモク(木)と名付けられたのだと。崖崩れがあり路が壊されてしまったようで、土留が昨年と同様に為されたままであった。「吾妻山公園・管理事務所」入口前を左折して進む。「吾妻山公園 ローラー滑り台」。園内一の人気の施設が、地形を巧みに活用した「ローラー滑り台」。全長は102メートル、傾斜は約10度。 相模湾を見下ろしながら、一気に下ってこの場所まで滑って来るのであった。平成26年4月に大型複合施設「ジャンボエイトツー」を管理棟前に新設。その周囲には菜の花が植えられ開花を迎えていた。菜の花にズームして。再び水仙群を。ズームして。更に丸太で作った階段を上って行った。右手下にあったのが、大型複合施設「ジャンボエイトツー」。そして更に上って行くと、「吾妻山公園 ローラー滑り台」のスタート建屋が。そして「吾妻山山頂」に拡がる「芝生広場」に到着。 ・・・つづく・・・
2023.01.11
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この日は11月8日(火)、平塚駅近くでの仕事の打ち合わせを終えた後に、先日11月3日に旅友が訪ねブログアップしていた神奈川県相模原市南区磯部にある『磯部のざる菊』展に向かう。車で1時間弱でざる菊会場の臨時駐車場・「勝坂こどもの広場」に到着し、『磯部のざる菊』展会場に向かう。道路脇には「ざる菊花見会」と書かれた幟が並んでいた。そして5分ほど歩き『磯部のざる菊』展の会場に到着。入口には「花掛け」の掲示板が。寄付していただいた方のお名前と寄付金額を書いた紙を貼り付けた掲示板。最高金額は「壱万円也」であった。「ざる菊会場 新磯ざる菊愛好会」と。⻩・真紅・⽩・ピンクなどの約8種類、約1,300株が咲き誇っている と。「維持管理協力金 募金箱」。私も100円を。この日は、黄色、真紅は満開、白は7部咲き、ピンクは5~6部咲きであった。近隣住民有志で、ざる菊の栽培に取り組む「新磯(あらいそ)ざる菊愛好会」(藤曲和美(ふじまがりかずみ)会長)が主催しているとのこと。白の「ざる菊」で「平和」の文字を描いているとのことであったが、白は満開手前であり、地上からの角度ではよく判らなかったが。展望台、高台等が手前にあれば・・・・!!ざる菊の花見会は「新磯ざる菊愛好会」が発足した2009年に始まり、令和4年の今年で14回目となる。およそ750坪の段丘に、⻩・真紅・⽩・ピンクなど約8種類、約1,300株のざる菊が整然と並ぶ。会場では期間中、ざる菊の鉢植えや地元産野菜、石焼き芋などが販売されていたのであった。『磯部のざる菊』展は2022年10月30日から11月15日で行われていた。最奥・左側は真紅と黄色のざる菊が満開で見事な光景。「新磯ざる菊花見会」と書かれた掲示板。赤い「平和」の文字が確認できる写真があった。ドローンによる上空からの写真であろう。ズームして。「ざる菊会場周辺案内図」※ 歴史探訪スポット ※● 旧中村家住宅 幕末期の和洋折衷住宅(国登録有形文化財指定)● 石楯尾(いわだてお)神社 なだらかな参道を登り、121段の石段を登りきると本殿へたどり着きます。● 勝源寺「秋の新磯散策マップ」案内。タウンニュース11月3日掲載。「秋彩る「ざる菊」開花 勝坂歴史公園近く新磯地域の秋の風物詩「ざる菊」が今年も勝坂歴史公園近く(磯部4375付近)の農園で美しい花を咲かせている。ざる菊は近鱗住民で結成された「新磯ざる菊愛好会」が栽培したもので、例年訪れる人の目を楽しませている。今年は花の色の配置で「平和」の文字を表現している。新型コロナの影響により今年も花見会や式典は中止。しかし、同会のメンハーが会場を案内し、恒例の地場野菜や菊、焼き芋の販売などは行う。期間は11月15日(火)まで。」読売新聞11月3日朝刊掲載。「ざる菊出来上々 相模原相模原市南区磯部の畑で、直径約1メートル、高さ50センチほどのドーム状に成長する「ざる菊」の花見会が開かれ、多くの見物客が訪れている。約2970平方メートルの畑に植えられているのは、白や赤、黄色などの約1300株。地元住民らでつくる「新磯ざる菊愛好会」が2009年から毎年植栽し、花見会を開いている。同会の藤曲和美会長(77)は、「今年は上々の出来で、見頃のピークは今月中旬頃まで。花を見て気持ちを和ませてもらえればうれしい」と話している。花見会15日まで。入場無料。間い合わせは、同会の安原さん( 090・6516・7591 )へ。」奥に向かって。約1m径の黄色のざる菊。赤も2列に。赤も負けじと。ピンクはこれから。白もピーク間近。整列!!整列!!遠くの大山の姿が。振り返って。少し高い奥の場所から。階段を下りて。「祝 第23回全国花の町づくりコンクール奨励賞受賞JA相模原市は、新磯ざる菊愛好会の活動を応援しています JA相模原市」因みに第23回は、平成29年(2017)6月3日・4日の両日、福井県福井市で「全国花のまちづくり福井大会」が開催された大会であった。ざる菊、ザル菊、ポットマム、ヨーダマム、クッションマム、ぼさ菊、ボサ菊などと多くの名前ついているが、統一してもらいたいのであるが。スプレー菊(スプレーマム)であろうか。地元の採れたて野菜を販売。焼き芋も。仮設トイレもあった。嵯峨菊に似ていたが。スプレーマム(スプレー菊)であっただろうか。左に並んだ白の菊も仕立てたものであろうか。黄と赤が1本のザル菊の如くに。
2022.11.17
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今年も地元のお寺の雲昌寺で開かれていた菊花展に先日・11月5日・5回目のコロナワクチン接種の帰路に立ち寄って来ました。 雲昌寺は建保年間(1213年~1219年頃)に道済(北条義時)により開基。もとは瑞龍寺と称して現在の今田地区にあったとのこと。慶長元年(1596年)に水害で堂宇が流失したことから第4代の宗順によりこの地に移り、現山号の「光輝山 雲昌寺」に改めている。今年の「菊花展」の開催期間は10月30日(日)~11月8日(火)までの10日間。 境内の仮設展示場の下に苦心の豪華な菊がズラッと展示されていた。今年も自慢の厚物、管物の黄、白、紫の大菊が。1年間気の抜けない栽培育成に脱帽。厚物コーナー。黄色の花にも微妙な濃淡が。3本仕立ての厚物、管物。盆養とも言い、大菊の最も基本的な仕立て方であると。1本の苗を摘芯して3本の枝を伸ばし、後の1輪を花の2/3位高く、前の2輪は同じ高さに、三つの花を同時に、 同じ大きさに揃えて、出来るだけ巨大輪に咲かせ、茎・葉を含めた全体が調和を保つように育てるのだと。白が盛り上がって。「厚物」は、数百枚の花弁が花芯の中央一点に向けて鱗状に整然と高く盛り上がったものが良い花であると。「厚走り」は、厚物の花の下に袋状の真っ直ぐ長い走り弁が放射状に付いたものが良い花で、より大きく見えます と。下の写真のものは、どちらかといえば「厚走り」か?ピンクの「管物」に近づいて。「管物」は花弁が管状になるものの総称。太さにより、太管・間管・細管・針管などとよぶ。三本仕立ての「厚物」・「厚走り」。鮮やかな黄色の厚物。別の角度から。三本仕立ての管物コーナー。5本仕立ての厚物、管物コーナー。手前に5本仕立ての厚物。養蜂場のある私の農園の隣で農園をやられている農友の作品です。花弁の黄色の濃厚さとボリュームが見事。ズームして。奥にあるものは嵯峨菊であっただろうか。7本仕立ての管物。ズームして。黄色のポンポン菊であろうか?ズームして。振り返って。厚物を再び追う。手前はこれぞ純白。特に一番外側の花弁が長く突き出るものを厚物と区別して「厚走り」と呼んでいるとのこと。文字通り花弁が細長い管状になっています。見事な3本仕立て。 「本堂内にて菊の切り花はなぐも会によるいけ花展示してあります。ご自由にお入り下さい。」「本堂」内には厚物、管物の切り花を展示していた。厚物をカメラで追ったが、ピンボケ。そして管物。反対側から。 ・・・つづく・・・
2022.11.13
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この日は沖縄旅行から帰った日9月30日(金)の昼前、今年も車で20分ほどの場所にある『小出川(こいでがわ)彼岸花』を訪ねに行ってきました。「小出川」・「大黒橋」の近くに車を停め、しばしの散策の開始。「大黒橋」には今年も横断幕が。小出川 ”彼岸花”の案内板。この付近は花のピークは既に終わっていた。ズームして。彼岸花を楽しめる場所は、遠藤の小出川沿いの大黒橋~追出橋の間約3km。おまつりの本会場:遠藤会場 他、打戻会場、おおぞう会場、せりざわ会場(茅ヶ崎里山公園内)「ようこそ彼岸花に 案内用チラシです 自由にお取りください」。今年の「第15回 小出川彼岸花まつり」のパンフレットを通路脇の箱の中から頂きました。6日前の9月24日(土)開催と。パンフレットの裏側。今年はスタンプラリーは行われなかったようであった。そして小出川沿いをしばしの散策。花のピークは終わっている場所もあったが、まだまだピークの場所も。以下、「キャプション」は省きますが、ゆっくり写真をお楽しみ下さい。 ・・・END・・・
2022.10.10
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そして数分で『座間エリア』に到着し仮設駐車場に車を駐め散策開始。朝焼けもだんだん怪しくなって。頭上には黒い雲が。「映え写真」用の木製ブランコ。カップルでの撮影用か?。強風にメゲずに頑張ったひまわりが迎えてくれた。模擬店や特産物・農作物の販売、イベント用のレンタルテント?は台風の強風による被害を避けて既に完全に撤去されていた。「座間エリア」のアーチ。「夏休み満喫中」と。強風と雨により項垂れている場所もあった。撮影用額縁も置かれていた。これもレンタル?それとも自家製?この手前に額縁をセットしてパチリと。ゴッホの「ひまわり」にも似て。遊んで見ました。こちらも「インスタ映え写真」用のピンクのドア。ドラえもんの「どこでもドア」の如くであった。1輪の花をズームして。大きな花は一つの花のように見えるが、実はたくさんの小さな花(小花)が集まってできている。このような構造を頭状花序と呼び、キク科植物の特徴。小花には二種類あり、外側の花びらのように見える部分が舌状花、中央の芯の部分に密集している小さな筒状の花を筒状花と言うのだ。炎の如き長い舌状花。鐘が前方に。「幸福の鐘」か?私もカランカラン〜と鐘の音♪を一人で。「あちーけど・・・きれいー。」と。座間市マスコットキャラクター「ざまりん」の姿も。「名前:ざまりん誕生日:11月3日住所:市内のひまわり畑性別:不明(妖精に性別はない?)特徴:頭はひまわりの花びら、体はひまわりのタネのひまわりの妖精趣味:日光浴、お絵かき特技:ダンス、一輪車ざまりんからみんなへ: 座間市マスコットキャラクター「ざまりん」だよ☆ 55万本咲くひまわり畑で生まれたひまわりの妖精なんだ! ぽっこりお腹には、夢と希望の種がいっぱい詰まっているから、お腹にタッチすると いいことあるかも♪ お腹はぽっこりでも、意外と動けるのが自慢だよ。 ダンスと一輪車だったら右に出る妖精さんは居ない!・・・はず。 全国のみんなに座間市の魅力をお届けするためにがんばります☆応援よろしくね~ 」束の間の朝の陽光を目一杯浴びるひまわりの花を。後ろ姿も。白いチェアーには散歩中の犬が休憩中。「歩行者天国ではありません。歩行者はカラーコーンの内側を歩いてください。」と。見事に整列しているひまわり達。テントフレームも折りたたまれて。大山山頂を背景に。西洋ミツバチの訪花を発見。近くに養蜂家の巣箱があるのであろう。向日葵畑の内部散策の小路。小路の中に入っていくと、ここにも。周囲の稲も順調に、台風の被害もなく。大山を背景にどこまでも拡がるひまわり畑を、展望台からカメラで追う。パノラマ撮影にTRY。これらのプレートの一つ一つの撮影にTRYしていると、横にいた若い女性が順番に掲げてくれたのであった。「WE 💕 ZAMA」。「座間のひまわりはやっぱりすごい説!」。「NO HIMAWARI NO LIFE」。「座間なう。」。「ひまわりまみれ」。「ひまわりは枯れても想い出は枯れない」。再び大山を背景に。富士山の姿はなし。風の通り道になってしまった場所であろうか?最後のもう一度振り返って。来年は青空の下で・・!!と。再び東の空がオレンジ色に染まっていたが、これも束の間。雨が降り出した帰路に相鉄本線の「さがみ野2号踏切」をわたる。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2022.08.16
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「平塚市田村地区から相模川の流れに沿って」のブログを継続アップ中ですが、チョット2日間の寄り道をさせていただきます。昨日8月14日(日)、早朝に車で自宅を出発し、8月11日(木)から開催されていた「座間市ひまわりまつり」に行って来ました。旅友のブログにても訪問されたとのことで、私も昨日の朝は雨もやんでいたので急遽決断し向かったのであった。今年のひまわり鑑賞は、7月22日(金)の平塚・イシックス馬入のお花畑、7月28日(木)の海老名、8月13日(土)地元に続いて4回目のひまわり鑑賞なのであった。今年の「座間市ひまわりまつり」は3年ぶりの「55万本のひまわりまつり」の開催であった。しかし【8月13日(土)・14日(日)開催予定の「座間市ひまわりまつり」は、台風が接近している状況から、参加者や関係者の皆さんの安全を考慮し、中止することに決定しました。楽しみにされていた皆さんには大変申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いします。※8月12日(金)は開催しています。】と。今年・2022年の「座間市ひまわりまつり」のポスター。今年は2019年以来、3年ぶりの2会場合わせて「55万本のひまわりまつり」の開催であったが・・・。会場案内をネットから、今年のものであろうか?車で30分強で予定通り到着。まずは道端に車を駐め『四ツ谷エリア』のひまわり畑の散策開始。既に数台の車が。昨日の台風8号の強風の影響で傾いている場所もあったが、予想外に被害は少なかった。大山を背景に『四ツ谷エリア』のひまわり畑を。座間市のひまわりは、1993年に植栽が始まり、今では、座間エリアと四ッ谷エリア合わせると、5.5ヘクタールの畑に55万本ものひまわりが咲き誇り、会場を黄色く染めつくす圧巻のパノラマが広がっているのであった。ここ四ッ谷エリアは10万本のヒマワリ畑であると。移動してズーム。ひまわりは、昭和44年(1969年)に座間市の市花に制定された と。座間市のひまわりまつりは、平成5年(1993年)から農協青壮年部が中心となって荒廃地、遊休農地対策の一環として、ひまわりの景観植栽を行ったことが始まり と。また、緑肥化に取り組むことによって、環境にやさしい農業の推進にも貢献しているとのこと。この場所のひまわり畑のほか、市内の小中学校、商店街、事業所などでも自主的に植裁されており、街中でも多種多様のひまわりを楽しむことができるのだ と。束の間に朝の陽光が射し込んだが。ひまわり畑内への散策通路の入口アーチには「Welcome to ZAMA」と。こちらは造花のひまわりの花のようであったが。数日前に映画『ひまわり』が放送されていた。『ひまわり』(原題(イタリア語): I Girasoli )は、1970年のイタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国のドラマ映画。監督はヴィットリオ・デ・シーカ、出演はマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンなど。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑が評判となった。数あるローレン主演の映画の中で最も日本で愛されている作品であある。ロケ地となったひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州にあるとされているが、NHKの現地取材では、ポルタヴァ州(ウクライナ中部・ドニエプル川左岸)の州都ポルタヴァの約27km北に位置するチェルネーチー・ヤール(ロシア語版、ウクライナ語版)(Чернечий Яр)村で行われたと特定されている とのネット情報。後ろ姿を。逆光にて。展望台にはご夫婦が。アーチの裏側には「ようこそ座間へ」と。「座間のひまわりはやっぱりすごい説!」。 そして車に戻り「座間会場」へ向かう。 ・・・つづく・・・
2022.08.15
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趣味の養蜂の師匠から、ご自宅近くのひまわり(向日葵)畑が開花しているとLINEにて連絡を頂きましので車で訪ねて来ました。自宅から5minの場所。比較的小柄なひまわり(向日葵)が満開。農家の方の畑の緑肥用に栽培されているのであろうか。主に土壌の菌根菌を増やして、後作の作物のリン酸吸収を促すのだと。また、深根性のため土壌の透水性改善効果もあるのだと。全国的に5~8月が播種に適しており、農地の景観アップには最高の植物。ズームして。放射能汚染された土壌の放射線除去にも使用したとかで話題にされたことがあったが、その効果はあったのだろうか?花が終わった直後に、トラクタ―のロータリーで、立ったままのひまわり(向日葵)を鋤き込むのだと。お盆過ぎには、鋤込みが始まるのであろうか? ・・・END・・・
2022.08.13
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海老名市のひまわり畑の散策を続ける。早朝の青空には巻雲(けんうん、すじぐもとも呼ばれる)が。刷毛で伸ばしたように、または繊維状の、細い雲が散らばった形の白い雲であった。細い雲片一つ一つがぼやけず輪郭がはっきりしていて、絹のような光沢をもつ。巻雲を背景にした、向日葵(ひまわり)の花をカメラで追う。絹のような真っ白な光沢があることから、「絹雲」とも言われているのだ。秋を代表する雲のはずであるが・・・。既に上空は秋なのであろう。ビルの向こうに大山の姿が。西洋ミツバチが訪花していた。花粉を集めているのである。ズームして。花びらも寝起き直後の如くに、乱れて。近くに、西洋ミツバチを飼っている方がいるのであろう。車に戻る途中、海老名市の汚水管マンホール蓋を発見。市の木ツゲ、市の花サツキ、相模国分寺の七重の塔、中央に海老名市の市章をデザイン。そして「おすい」の文字。 中央の市章はカタカナの「エビナ」を図案化し平和と飛躍を表しているとのこと。そして、ひまわり畑を振り返り。早朝で、見学者の姿はなく、約20アール、4000本の向日葵畑を独り占めできたのであった。そして向日葵は、今月7月の誕生花、私も今月72歳を迎えたのであった。そして「向日葵」の「花言葉」についてネットから『ひまわりは素敵な花言葉をたくさん持っています。贈りたいと思う人(相手)ごとに、ひまわりの花言葉をご紹介します。お祝いなどでプレゼントを考えている方は、参考にしてみてくださいね。●愛する人へ「あなただけを見つめる」この花言葉は、ひまわりが太陽の方に向かって咲く様子から生まれたとされています。夏の太陽に向かって花を向けるひまわりが、想像できますよね。この「あなただけを見つめる」というひまわりの花言葉は、恋人へのプロポーズの際に贈る花にぴったり。もちろん、結婚記念日やパートナーのお誕生日プレゼントにもおすすめです。このひまわりの花言葉を知った恋人やパートナーは、きっとあなたの一途な気持ちや愛情がしっかり伝わることでしょう。●何かを頑張っている人へ「情熱」この花言葉は厳しい夏の暑さに負けずに、ひまわりが元気に咲きほこる様子に由来しているのだそう。「情熱」という言葉は「物事に対して激しく燃え上がる感情」を表しています。部活やお仕事など、一生懸命に何かを頑張っている人に贈りたい花言葉です。情熱をもって何かに取り組んでいる様子は、キラキラ輝いて見えることもありますよね。それはまるで夏の日差しに照らされるひまわりのよう。花言葉の「情熱」と一緒に、輝くひまわりのビタミンカラーも頑張って取り組んでいる姿を応援してくれそうです。頑張っていることに気づいてもらえた時は、誰だって嬉しいもの。ひまわりの「情熱」という花言葉で「あなたが頑張っていることは、知っているよ」と伝えるのも良いかもしれませんね。●尊敬する両親や先輩へ「憧れ」ひまわりの丸く咲いた花姿は、まるで太陽の形を模したよう。その花姿と太陽に向かって咲く様子からひまわりは、「太陽に憧れを持つ花だ」と、考えられるようになったのだそうです。「憧れ」という花言葉は、そんな太陽の姿をまねしているようなひまわりの様子から付けられたと言われています。職場・学校の先輩や両親など自分が憧れている人に渡すことはもちろん、目上の方への感謝を伝える時にもおすすめです。自分が相手を尊敬していることや、憧れていることはなかなか伝える機会がないものではありませんか?お誕生日などに「憧れ」という花言葉を持ったひまわりへ気持ちを託して贈れば、相手への強い想いを改めて伝えることができるかもしれませんね。両親に贈る場合は、結婚記念日などにプレゼントするのも良いと思いますよ。また、退職祝いにひまわりをプレゼントするのも、おすすめです。先輩や上司に今までの感謝の気持ちを込めて、「憧れ」と花言葉を贈ってみてくださいね。●誕生日を迎える人へ「光輝」この花言葉は黄色いひまわりの花が太陽に照らされ、輝いて見える様子から付けられたとされています。ひまわりと聞くと、夏の日差しを浴びているイメージがありますよね。この「光輝」という花言葉を込めてひまわりを贈ることは、特にお誕生日プレゼントにすることが人気です。ひまわりを使った花束やアレンジメントを贈れば「光り輝くような1年になるように」と、メッセージを伝えることができますよね。』と。私も、明後日から耳の下の良性腫瘍の切除手術のため、8日間の入院を行うのだ。この日の向日葵の姿を見て、エネルギー・力をもらい、勇気づけられたのであった。「情熱」を持って、入院手術に立ち向かって行こう!! ・・・もどる・・・ END
2022.07.31
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この日は一昨日、7月28日(木)早朝、前夜のネットで海老名のひまわり畑が満開になっている事を知り6時前に出発し、海老名に向かったのであった。ひまわり畑の場所は「海老名市大谷246」にある「JAさがみ 海老名グリーンセンター」の横の畑。我が車で、自宅から約25分で到着。「JAさがみ 海老名グリーンセンター」の場所は、神奈川県立海老名高校の東側。空き地に車を駐めさせていただき、ひまわり畑に向かって進む。約4千本のヒマワリが満開となり、周辺住民らの目を楽しませているとのこと。ニラ農家の伊田順一さん(41)が2016年から肥料にするため市内3カ所の農園で3年ごとに栽培している。今年は同センター横の約20アールに種をまき、高さ約2メートルに成長した。7月末ごろまで楽しめるという。ヒマワリ(向日葵)は、キク科の一年草の植物。花は黄色で、種は食用となる。日廻りや日回りと表記されることもあり、また、ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、サンフラワー(英: Sunflower)、ソレイユ(仏: Soleil:太陽)とも呼ばれる。種実を食用や油糧とするため、あるいは花を花卉(かき)として観賞するために広く栽培される。また、ヒマワリは夏の季語でもある。ロシアとウクライナ、ペルーの国花になっている。正にこの日は満開のピークなのであった。高さ2~2.5mに成長したヒマワリ。向日葵畑の中には、1m弱の散策道が整備されていた。散策道を歩き、向日葵を愛でる。空には夏の雲が。ズームして。散策道は「ヒマワリ小路」と呼んでいるようであった。後ろには「アツギ株式会社」の建物が。朝の陽光を浴びて、黄金色に輝くヒマワリ。ズームして。花弁は大きな1つの花のように見えるが、実際は頭状花序と呼ばれ、多数の花が集まって1つの花の形を形成しているのだと。これは、キク科の植物に見られる特徴であると。外輪に黄色い花びらをつけた花を「舌状花」、内側の花びらがない花を「筒状花」と区別して呼ぶ場合があるとのこと。「ヒマワリ小路今年は試験的に作ってみました。中は歩けますので、もしよかったら撮った写真をTwitter「#えびひま」で呟いてみてください」和名「向日葵」の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことから。ただしこの動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけであるとのこと。若いヒマワリの茎の上部の葉は太陽に正対になるように動き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向く。日没後はまもなく起きあがり、夜明け前にはふたたび東に向く。この運動はつぼみを付ける頃まで続くが、つぼみが大きくなり花が開く頃には生長が止まるため動かなくなるのだと。「JAさがみ 海老名グリーンセンター」側の1mほど高い場所から。しかし、ここからはうしろ姿に。L字型のひまわり畑。ひまわり畑全体に陽光が射すのは9時以降か。 ・・・つづく・・・
2022.07.30
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早朝の為、グリーンハウスはオープンしていなかった。入口右にあった巨大な花。「チョウキンレン」。「チョウキンレン(バショウ科)中国雲南省に分布する植物で、バナナに近い仲間です。黄色の花びらのように見えるのは苞葉で、本当の花はその内側にあります。「地面から湧いてきた金色の蓮」という意味で、「地湧金蓮(元は中国名)」と呼ばれています。」そして温室の手前にも蓮の花鉢が置いてあった。「玉桜台」。そしてグリーンハウスの中にあった食虫植物コーナーをズームして。「アミメヘイシソウ」。「キバナヘイシソウ」。「ウツボカズラ ネペンテス アラタ」「ウツボカズラ」。そして人の姿のない花壇広場を見る。花壇を見る。ヒマワリ「プロカットレッド」。 案内板の両側に「ジニア(百日草) プロフュージョン」。この中央の花の名は? 「ベンケイソウ」? 葉が肉厚ではない!「コリウス」。入口まで戻る。花時計。「花時計~フラワーセンターの歴史を刻む花時計~世界初の現代型花時計は、1903年(明治36年)にイギリスで誕生しました。日本では1957年(昭和32年)に神戸市に設置されて以来、200以上の花時計が作られました。当園の花時計は国内では初期のもので、開園から4年後の1966年(昭和41年)に、当時横浜駅の屋上に設置されいた花時計を譲り受けて設置され、フラワーセンターの歴史と共に時を刻みつづけています。」「ハスの早朝開園 特別メニュー「あさがゆ~れんこん入~600円、ハスの実わらびもち700円」と。「熱帯スイレン 販売中」「60周年 感謝祭」ポスター。売店を尋ねると、ハスに関連するお土産が販売されていた。「ハス栽培セット 販売中!」と。「ヤシ特集」コーナー。ヤシからできる様々なもの。「スーパーで買えるヤシ製品」。「ヤシからできているもの」ヤシからの油脂が様々に使用されているのであろう。その「ヤシ油の作り方①白くて柔らかい固形胚乳をおろしがねでおろす②おろした胚乳に水を加えて強く絞る絞った汁がココナツッミルクといわれます③ココナツツミルクを鍋に入れて火にかける 1時間ほどすると量が3分の1くらいになります。④さらに10分すると上の方が透明になって 下の方に茶色いものがたまります⑤しばらくして透明になった上澄みだけをすくって 茶こしでこしながら別の容器に移します 完成です」「ヤシ農園ヤシ農園は主にインドネシア・マレーシアにあります。日差しが強く、雨量の多い赤道周辺の熱帯の国々で生産されます。広い土地が必要なため森をこわして作られることが多く生物多様性を脅かしたり、土地を整備する過程で大量のニ酸化炭素を排出したりします。また、農園で働く人たちの中には児童労働や、強制労働の問題もあります。ヤシの利用 大船フラワーセンター編ヤシ農園のヤシの木は油が取れなくなると切り倒して捨ててしまいます。大船フラワーセンターではヤシ農園で出たヤシの木の廃材を加工したシュロ縄やヤシの木のチップを利用しています。ゴミになってしまう部分を再利用している商品を積極的に取り入れ資源の有効活用に貢献しています。園内のどこでヤシが利用されているか探してみてください。」そして「大船フラワーセンター」を後にして、駐車料金300円を払い帰途についたのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2022.07.20
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1グループが20~25鉢で15グループ程が配置されていた。「玉縄桜広場」を振り返る。「北稲」。「西円寺青蓮」。「東湖春暁」。「大船フラワーセンター案内図」。現在地は左側中央附近。敷地の最奥にはムクゲ(木槿)が花を開かせていた。様々な花の色合いの株が栽培されていた。そして次に訪ねたのが「常設展示場」。「ハス」写真展が行われていた。期間: 22年7月10日(日) ~ 7月24日(日)時間: 9:00~16:30 最終日は16:00まで会場:第一展示場蓮の花の見事な写真が展示されていた。蓮鉢を振り返る。そして次にバラ園へと進む。入口左には、花を終えたハマナスがオレンジ色の大きな実を付けていた。「ハマナスと交雑種北海道を中心に海岸の砂地に自生しているハマナスとその仲間です。寒さに強く、害虫や病気に非常に強い系統です。大きく赤い実と黄色になる葉が魅力です。非常に多くの交雑種があります。」バラ園はエピローグを迎えていた。オリンピックファイヤーボレロ中央の休懇所を見る。月光ゴールドマリー'84サンフレーア「この「バラ園」についてこのばら園は中央の休懇所を中心に、内側に多花性で開花期間が、長く丈夫な中輪系のフロリパンダ、外側に人気のある1花が豪華な大輸系のハイプリッド・ティーを植栽しています。大輪系は香りの強い品種を多く導人しているのが特徴です。クライミングローズ(つるばら)やオールドローズそして原種は一番外側に植載されています。また、神奈川県や県内生産者が育成した品種コーナーもあります。5月から11月までの長い期間観賞出来ますが、見頃は5月中旬~下旬、6月下旬~ 7月上旬、10月上旬~中旬です。なお、ラベルには品種名の他、育成者と育成年度が記載されています。」この場所は菖蒲園。「ボタンクサギ(牡丹臭木)」。青の「アジサイ」。「アガパンサス」。前方に見えたのが「グリーンハウス」。広場の花壇とその先に温室。「センニチコウ」。「サルビア ネモローサ」。花のトンネルがあったがこの時は花の姿はなかった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.07.19
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さらに「玉縄桜広場」の蓮の花の展示を楽しむ。「赤心輝」。「天上蓮」。「雲之霞」。「・・・」。「鎌倉メダカを観察しよう!☆鎌倉メダカの由来日本にいる野生のメダカは、1種類だけで「クロメダカ」とも呼ばれています。メダカは移動能力が小さいため、水系毎に独自の進化を重ね、遺伝的に若千異なる形質を持っています。「鎌倉メダカ」は、昭和40年頃に、箕輸信和氏が、滑川の支流・佐助川近くの水田で採集し、庭で大切に育てられてきました。鎌倉市内では、すでに野生のメダカは絶滅しており、この滑川水系固有の「鎌倉メダカ」は、文字通り鎌倉を代表する唯一のメダカとして、大切に守られています。因みに、県内では、小田原・藤沢・横浜・三浦などで、固有のメダカが同様に保護されています。鎌倉メダカの特徴は、しりびれの軟条数の平均が、17.30本とかなり少ないことです。(藤沢メダカでは、18.33本)」池の「鎌倉メダカ」の姿を探したが、早朝の為か、まだ姿を現してくれなかった。こちらは、「蓮の実」からの実生栽培法のコーナー。「玉葉黄」。「青菱紅蓮」。「ロータス2013」。「真如蓮」。「巨椋の香」。「ベトナム」。「浪波」。「即非蓮」。「金輪蓮」。葉に水玉が。「印南大賀蓮」。「千弁蓮」。「インド白」。「・・・」「神光院」。「紅娃」。水玉の戯れ。「太白蓮」。「白万葉」。「案頭春」。「カロライナクイーン」。「不忍池斑蓮」。「北稲」。「西円寺青蓮」。「悄英」。「瑞姫」。「淀姫」。「娃娃」。「素白蓮」。「金碗蓮」。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.07.18
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「大船フラワーセンター 案内図」。「園内開花・見頃情報 2022.7.7~」。「玉縄桜広場」のF:ハス、その先のG:ムクゲ、H:ボタンクサギC:スイレン、D:アガパンサス 等が開花中と。「グリーンハウス 開花・見頃情報 2022.7.7~」しかしこの日は早朝のためグリーンハウスの見学は出来なかった。「花しるべ」。2022.7.16(土)大船フラワーセンターは開園60周年を迎えます。入口正面の石のモニュメントを再び。モニュメントの前にはハスの鉢が置かれていた。スイレン池の先の遊歩道をスイレン池に沿って、ハス鉢が置かれている玉縄さくら広場に向かって進む。鮮やかな青の朝顔が一輪。開花を待つハスの蕾。ヒマワリが開花を初めていた。黄色の小輪のヒマワリ。赤いヒマワリに近づいて。「60th anniversary」案内ボードがアガパンサスの花の先に。開花したハスの花も遊歩道脇に。若いガマの穂であっただろうか。再びハスの花を追う。そして目的地の「玉縄桜広場」に到着。手前の木が、「玉縄桜」という早咲きの桜の木。ソメイヨシノによく似た花をソメイヨシノより1ヶ月ほど早く咲かせるのだ。開花中の多くのハスの鉢が並んでいた。入口の隅で半夏生(ハンゲショウ)が迎えてくれた。上の方の葉っぱが、ペンキを塗ったように白くなるのがおもしろい.「半夏生(ハンゲショウ)」の葉が部分的に白くなった様子。「半夏生」、「半化粧」、「片白草(かたしろぐさ)」 など、いろんな呼び名がある と。夏至から数えて11日目頃(もしくはその日からの5日間)を「半夏生」と呼ぶが、その頃に花が咲くことから。「栽培展示中のハス紹介特徴的なハス●大賀蓮日本では非常に有名なハスで、人気のある品種です。1951年、千葉倹見川の東京大学厚生農場の敷地内から縄文時代(約2000年前の地層)の丸木舟が発見され、大賀博士は多くの協力者を得て、その地下から3個のハスの実を発掘しました。そのうちの1個が発芽・開花しました。大賀博士にちなんで命名され平和のシンポルとして世界各国に株分けされています。花はピンク色で条線がぼやけており、葉の表面を触ると他の品種に比べて滑らかな感触があります。別名「ニ千年蓮」。●植松家系沼津の植松家の代々受け継がれてきたコレクション。一般に出回っていないので名前が付いていません。植松家の祖先は武田氏の宿将須田朝重で武田が敗れた後、朝重の嫡男李重が天正十ニ年(1584年)に居を決め、沼津で開墾や植林にいそしみ花卉類の収集もしました。花長者として有名になり、庭も帯笑園と名付けられ江戸に下る公家や大名、または明治政府の閣僚、皇后、皇太子などが立ち寄り花卉類と京文化の交換の場となりました。※帯笑園・・・現在も文化財施設として建材です●大石寺系日蓮正宗総本山の大石寺で昔から受け継がれてきたハスで、一般に出回っていません。「大石寺NO.◯◯」というものがそのまま正式名称になっています。●巨椋池系巨椋池とは戦前まではハスの名所として世に知られていた池です、現在の京都市、宇治市、久世郡久御山町にまたがり、面積約800ヘクタールにも及んだ場所でしたが、農地・水田として埋め立てられ、今はありません。現在交通の要衝地ともなっています。池であった当時、面積100ヘクタールほどのハスの群生地が広がっていました。この広さは中国の著名な蓮池にも匹敵します。池跡地の田んぼを巡り採取した幼芽を育成した蓮が巨椋池系と呼ばれています。巨椋池系の品種は約90種類ほどあります。[当園ハスに関する工ビソード]当園は2020年の1月に静岡県沼津市の本廣寺の関戸慈誠住職から約190種のハスを譲り受けました。関戸住職は前任の蓮興寺で約30年間ハスを育ててきましたが、昨年6月の転任で栽培の継続が困難になり栽培を引き継げる先をさがしていました。そんな折、当園園長榎本の共通知人(植松氏)を通じての紹介で、当園で栽培を引き受ける提案に快諾をいただき、晴れて約190種もの蓮を引き受けることとなりました。」「玉縄桜広場 ハス展示」案内。「蓮の名称」案内。そして順番に蕾、開花中の蓮の花をカメラで追ったのであった。「喜上眉梢」。「突然変異」種。「アメリカ白花」。「睡美人」。「興玉」。「漁山紅蓮」。「奈良蓮」。「植松8」。「植松9」。「大石寺10」。「孫夫人(2)」。「喜鶴(1)」。「輪王蓮」。「寿星桃(じゅせいとう)」「天嬌」。「明妃」。「披針紅」。「喜鶴①」。「輪王蓮」。「麗容」。役目を終えて蓮の実を宿して。「朱雀の舞」。「喜上眉梢」。「華燭紅」。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.07.17
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現在「寒川町の寺社旧蹟を巡る」のブログをアップ中ですが、今週、「大船フラワーセンター」へ行きましたので、こちらを5日間にわたりアップし、その後、再び「寒川町の寺社旧蹟を巡る」の2回目をアップいたします。今年も去る7月12日(火)に車で20分強で行ける「大船フラワーセンター」へ睡蓮の花、蓮の花を愛でに行って来ました。駐車場に車を駐め、歩道橋を渡り向かいました。正式名称は「日比谷花壇大船フラワーセンター」。神奈川県立大船フラワーセンターは、神奈川県との契約に基づく指定管理事業として、2018年4月からアメニス大船フラワーセンターグループが共同運営。・株式会社 日比谷アメニス・公益財団法人 鎌倉市公園協会・株式会社 日比谷花壇・相鉄企業 株式会社「2022 ハスの早朝開園 朝7:00開演」とのこと。10分ほど前に到着しましたが既に大きなカメラを持ったオジサンが数人開園を待っていました。三脚、脚立まで持参されたプロのカメラマンでは!と感じる方も。脚立、三脚の上に入園料が表示されていました。シニア(65歳以上)は今年も150円とのこと。7時になって開園開始。入口で体温測定と消毒を実施。自販機で入園券を150円で購入し入園。11-00001の意味は?00001は自販機の1番目、前の方々は年間パスポート利用者であったのだろうか?園内に入ると右手では、蓮の葉の中心そして周囲から水のシャワーが吹き出していた。「ハスシャワー蓮の茎には通気ロという地下茎(レンコン)に酸素を届けるための穴が開いています。その通気ロはそのまま葉の葉脈まで続いています。強引に水圧を掛けると、水が通気口を通って葉脈まで伝わり、最後には、ハスシャワーになリます。夏にはもってこいの遊びです。ハスシャワーをやるときは、なるべく大きなを選び葉の周囲をぐるっとハサミでカットしてあげると簡単にできます。●茎の利用いろいろハスの茎を折ると白い繊維を観察することが出来ます。白い繊維を藕糸と呼び、この繊維から織物を織ることが出来ます。ハスの茎の通気口を利用してシャポン玉をすることもてきます。葉の中心部に穴を開け、葉にお酒を注いで茎の方から飲む古代中国、三国志の魏の国由来のお酒の飲み方「象鼻杯」という習慣があり、茎にお酒を通して飲むことでハスの香りが加わるともいわれています。飲むときに大きなハスの葉と茎を持ち上げた姿が、象が鼻を高く上げた姿に似ていたことから象鼻杯と呼ばれたとされています。」蓮の茎の断面をネットから。蓮の茎には中央に穴があり周囲にそれより大きい8~9個の穴が空いています。これらの穴は、葉が光合成した際に放出される酸素を蓮根や根に送るためのもの。また、蓮は、その実が蜂の巣に似ていることから→蜂巣(ハチス)→蓮(ハチス)→蓮(ハス)と呼ばれるようになったのだと。 【https://m.facebook.com/hanaya.878/photos/a.367652166604963/1781484031888429/】より葉の先端からハスシャワーが。その下には茎にホースが繋がれて。正面のアーチ状のモニュメントには「60th」と。神奈川県立大船フラワーセンターは、1962年(昭和37年)、神奈川県農業試験場の跡地に、観賞植物の生産振興と花き園芸の普及のため開設された。そして今年が開設60周年を迎えたのだと。周囲にあったコリウスやペチュニアの花。濃いオレンジ色のカンナの花。近づいて。カンナの花言葉は、「情熱」「快活」「熱い思い」「妄想」などがよく知られている。 「情熱」「快活」「熱い思い」は、熱気に負けずに咲く強い花のイメージから付けられた。 一方「妄想」は、トロピカルで幻想的な花から付けられている。ほかにも「永遠」「堅実な未来」という花言葉もある と。吊り下げられるラウンドバスケット。そして最初に「睡蓮池」に咲く「睡蓮(スイレン)」の花を楽しむ。「ハスとスイレンの違いハスとスイレンは花が似ているため、間違われやすい植物の一つです。ハスとスイレンの違いとしては大きく2つあります。●花が咲く位置 ハスはスイレンよりも花が水面より高く上がり開花する。 スイレンは水面からすぐのところで花を咲かせる。●葉の形 ハスは葉が丸い形で水面から立ち上がり、水をはじく。 スイレンは葉に切れ込み、光沢があり、水をはじきません。花についてハスの花は品種により早咲きのもの遅咲きのものがあり、7月~ 8月にかけて当しむことができます。花色はピンク、白、黄色が主な色味で、咲き方も一重咲き、八重咲き、千重咲きなど非常にさまざまな品種が存在しており、ハスの花は夜明け前の早朝に開花を始め、午後には閉じてしまいます。花は3日~ 4日間咲き、最後は閉じることなく散ってしまいます。当園では7月に蓮の開花時間に合わせて、早朝開園する日を設けています。」食器のレンゲの語源ハスの花びらの一枚をよくみると、中華料理などでスープやチャーハンを食べるときに使用するレンゲにそっくりです。レンゲは漢字で書くと「蓮華」と書くことからハスの花から命名されたとされています。」睡蓮池の花をカメラで追った。ピンクの睡蓮の花。ズームして。そして白の睡蓮の花を追う。ズームして。ピンクと白のカップル。噴水も涼しげ。睡蓮は、朝に咲いた花が夕方には眠るように閉じてしまいます。この様子と、放射状に広がる花姿から、古代エジプトでは太陽のシンボルとされており、装飾のモチーフや神話などに睡蓮はよく登場します。花言葉の「信仰」は神聖な花であることにちなむとされています。「清純な心」という花言葉は、野生の睡蓮の多くが白い花を咲かせることに由来しているのだと。和名の「睡蓮」は、夕方になると眠る(睡る)ように花を閉じることにちなんで名付けられた。別名の「未草(ヒツジグサ)」は、未(ヒツジ)の刻(午後2時頃)に花を開くことに由来。ただ、実際は朝から夕方まで花を咲かせています。睡蓮の花には虫の姿も。この虫の名は?切れ込みがありやや光沢のある睡蓮の葉。 ・・・つづく・・・
2022.07.16
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今年も我が家の庭のグラジオラスが開花しています。グラジオラスは花色が豊富で、あらゆる花色が楽しめ、花弁もフリンジ咲き、平弁咲き、反転弁咲き、受け咲きなどがあります。グラジオラスの名の由来はラテン語の「剣」という意味のグラディウスで、葉の形からきていると。日本へは江戸時代の末期に一度渡来しましたが、栽培がうまくいかずに明治になって再渡来し、その後に栽培が普及し、現在では切り花として年間を通じて作られていると。特に植え替え等はしていませんが、毎年花をつけて楽しませてくれます。グラジオラスの花言葉は「密会」、「用心」、「忘却」、「勝利」、「思い出」。夏の花壇を華やかに彩ってくれるグラジオラス。鮮やかな花色の2色咲きタイプ。華やかな色の競演を楽しめるのです。そしてこちらはゼニアオイの花。「ゼニアオイ」は、花を銭に見立てたという説と、種子が並んだ果実を銭に見立てたという説があるのだと。ミツバチ菜園の大輪ヒマワリ。
2022.07.09
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我が菜園の「ひまわり(向日葵)」が開花を始めました。高さ2.5m前後の場所に30cmほどの大輪ひまわり。「ひまわり(向日葵)」の花は舌状花(ぜつじょうか) と 管状花(かんじょうか・筒状花とも言う)という2種類の花で構成されていて、中央の円盤部分は、小さな管状花がたくさん集まってできています。今年のひまわりの舌状花はパワフルで逞しいのです。我が西洋ミツバチが 管状花に訪花していました。ミツバチの身体全体に花粉が付いていました。 ・・・END・・・
2022.07.01
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我が菜園の今日の姿です。猛暑の中、「アーティチョーク」の花が開花を初めています。和名はチョウセンアザミ(朝鮮薊)キク科に属するアザミの仲間の多年生宿根草本。草丈は1m)内外で、葉は50 - 80cm に達し、花蕾は8 - 15 cmに達する。分枝は少なく、1株に3 - 4本程度である。主茎の先端につく花蕾の形はいろいろあり、パープル種とグリーン種がある。収穫適期を過ぎるとこの紫色の花が咲くのである。「アーティチョーク」の花言葉は「傷つく心」、「警告」、「傷つく恋」など。「アーティチョーク」の葉の先にはトゲがあり、そのトゲで傷がつくことから由来していると。多くの我がミツバチがこの花を訪れていました。花の中に潜り込んで。日本ではあまり馴染みがありませんが、ヨーロッパやアメリカではポピュラーな野菜とのこと。ウロコのような萼が重なった若いつぼみが食用部分。つぼみを茹でて、少し肉厚になった萼やつぼみの芯を食べます。萼をすべてひっぺがえした芯の部分「アーティチョーク・ハート」は軟らかくてたっぷり食べ応えがある。デンプン質でほくほくしており、ソラマメとクリを合わせような風味があるのだと。古くから野菜として親しまれ、改良された品種もたくさんあるようだ。日本では江戸時代中期に栽培されていた記録がありますが、広まらなかったようです。そして我が菜園のスイカ畑です。スイカが野鳥に啄かれないようにキャップで覆っています。デンスケスイカの成長の早いものは10cm以上の大きさになっています。そして我がセイヨウミツバチの巣箱の入口です。猛暑の中、換気係の働き蜂が頑張っていました。黄色の花粉珠を持ち帰っている働き蜂の姿も。そして我が菜園からの富士山の姿です。電線が邪魔なのですが・・・。日本大学藤沢中・小学校の校舎の後ろに。更にズームして。山頂下の残雪の残り少なく。更にズームして。 ・・・END・・・
2022.06.30
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そして近くにある「第ニはす池」に向かう。「マツバギク」の花も満開。そして「第二はす池」に到着。「皆様へこの公園付近一帯は、昔鵠沼の地名の由来と言われる「沼」が七つもあったそうです。しかし時代と共に埋められ、残された池はこの三つの「ハス池」だけとなりました。そのような貴重な場所を残そうと、住民が運動を起こし、長い間の努力が実って、現在の公園になりました。住宅地の中にあって釣りができ、自然が楽しめる公園は数少ないと思います。◯いつまでも全ての人々が安心して憩える楽しい公園である為に 次のことを守りましよう。1.ルアーでの釣りは危険ですので禁止です。2.釣り糸、ゴミは捨てずに必ず持ち帰りましょう。3.やたらに魚(コイ・プラックバスなど)を放流すると、生態系が崩れ絶滅する生物もいます ので、やめましよう。」こちらは「誠蓮(まことばす)」であると。福岡県の佐藤誠氏が食用蓮「備中」から作った品種で、「福岡八重蓮」とも呼ばれていると。お盆の切り花としてよく栽培されているのだと。しかし、今年も花数はかなり少なかったがこれからか?「誠蓮」は濃桃色の花弁は140枚前後、時に160枚ほどにもなる非常に豪華な八重咲き花。カワセミを撮しに来られたのであろうが、この時は・・・・。大きな鯉が悠々と。カモ(鴨)のツガイが仲良く早朝散歩中であった。そして葉の表面に浮かぶ水滴を追う。ハスの英名はLotus(ロータス)。ハスの葉に水滴が落ちると表面張力で水滴が丸く固まったり、葉の上から転がり落ちる様子を見かけることがあります。 この様に、水をはじくという特性を撥水性といいます。そして、この撥水性の効果をロータス効果と呼ぶのです。ハスの葉には超撥水性があるので、雨が降っても水滴は水玉となって転がっていきます。その時、葉の表面のほこりや小さな虫も一緒に転がします。 そしてハスの葉全体を掃除してくれるのです。この自浄効果があることで、ハスの葉は表面をいつもきれいな状態に保ち、汚れがないのである と。ハスの地下茎は蓮根(レンコン)。蓮根の中は空洞がある。 ハスの葉は、一番低い真ん中に水玉がたまる。その下に茎があり水玉を落とし込む仕掛けが出来ているのだ。養分・水分・水に含まれた空気が地下茎の蓮根まで運ぶ仕組みが出来上がっているのだと。 この管が詰まると閉塞し機能しません。ですから茎の管は4本だが地下茎の管は9本あるのだと。どこかの管が詰まっても他の管で頑張れるのだと。 この穴の構造と仕組みを作り上げたからこそ現在のハスが凛としてあるのだと。ハスの葉の葉脈が放射状に伸びて。そして「柳小路駅」まで戻り江ノ電で「藤沢駅」、JR東海道線で「茅ヶ崎駅」、JR相模線で「宮山駅」まで向かったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.25
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この日は6月20日(月)、「茅ヶ崎市の寺社旧蹟を巡る」の最終回に向かう。「鵠沼」にある「はす池」が開花を初めているとのネット情報から最初に立ち寄るこことする。「江ノ電 藤沢駅」に向かう。改札口。「江ノ電普通運賃表」。江の島電鉄とは鎌倉駅と藤沢駅の約10kmを結ぶ小さな路線で、江ノ電という名で親しまれている。だいたい1時間に5本程度、つまり12~15分に1本の割合で電車に乗ることができるのだ。下の写真には左手の、終点の鎌倉駅が写っていないが。藤沢駅~鎌倉駅まで15駅。腰越駅の先から稲村ヶ崎の手前まで海岸線を走る(―)人気の路線。早朝6:12発の電車を利用。ホーム正面には「花時計」が。「花時計」に上には江ノ島、相模湾、富士山の夕景写真が。乗車する二両編成の電車が藤沢駅に入線。既に表示等は「鎌倉」に変わっていた。そしてこの日は、藤沢駅から約3分で柳小路駅到着、下車して「第一はす池」に向かったのであった。藤沢市鵠沼藤が谷4丁目の早朝の住宅街を進む。徒歩で5分ほどで「第一はす池」に到着。一面に白い蓮花が咲き初めていた。満開には少し早いようであった。藤沢市鵠沼藤が谷4丁目4。7月の誕生花、幸福の花とも呼ばれる蓮の花、そして私の誕生日も来月7月。昨年は自宅から車で訪ねたのだが今年は電車で。鵠沼の地名の由来は、鵠(くぐい)とは白鳥の古名で、かつてこの辺りには沼が多くあり、鵠が多く飛来していたと言われているのです。 鵠の文字の左は「告」では無く「牛+口」であることを以前知ったのです。鵠沼藤が谷のここ第1蓮池の蓮は、「舞妃蓮(マイヒレン)」という種類。舞妃蓮は、昭和41年に御坊市の阪本祐二氏が、アメリカの黄花ハス「王子蓮」と日本の「大賀蓮」を交配して作り出した、御坊市生まれの蓮とのこと。カモ(鴨)の巣が近くにあるのだろう。まだまだ蕾が多い場所もあった。「鵠沼のはす池と蓮について昔、境川が蛇行して流れていた際、洪水で川の流れが変わり、鵠沼の低地に幾つもの池や沼が残りました。それらの池には冬になると鵠(うぐい、白鳥)が飛来していたことから、鵠沼いう地名の由来になったとされてます。それらの名残のはす池は7つあったとされていますが、周辺開発と共に埋め立てられ、現在は第一はす池と第ニはす池の2つとなりました。第ニはす池周辺は昭和62年に桜小路公園として整備され、小田原城や鶴ヶ岡八幡宮より蓮を株分けしてもらい移植しましたが根づかず、平成4年に京都より誠蓮(まことばす)を移植し、植え付けに成功しました。第一はす池には昭和30年代前半まで白っぽい花の咲く蓮があったそうですが、ゴミの不法投棄や冬場の渇水で、いつの間にか枯れてなくなってしまいました。その後、鵠沼女子校(現鵠沼高校)が第一はす池一帯をグランド化する計画を発表しましたが、地域住民が池の存続を求めた結果、高校は池を残し、藤沢市に貸し出し管理をゆだねる事となりました。その際、第一はす池は造園しなおされ、ヨシやガマなどが水辺に植えられました。平成20年、第一はす池と第ニはす池に、特定外来種アゾラ・クリスタータ(水生シダ植物)が大繁殖し、赤い浮草は水面を覆いつくし、池の生き物の生態系を脅かす事となり、地域のボランティアが6年掛かりで駆除活動を行いました。浮草を全て取り除くには、障害となるガマやヨシ、枯れ蓮や雑草を刈り取る必要があり、第ニはす池については、作業により池の中央部のヨシが枯れ、誠蓮の領域が広がり、毎年多くの紅色の蓮の花が咲くようになりました。一方で、第一はす池にも蓮を復活させようと、赤い浮草がなくなった平成26年春に舞妃蓮(まいひれん)という品種を6ヶ所に植え付けましたが、殆どの蓮根は腐ってしまい、唯一タライの中に植えた2つ蓮根から3輸の花を咲かせる事ができました。翌年の春、タライの中で蜷局(とぐろ)状になった舞妃蓮の地下茎を第一はす池の泥に直植えすると、半年で91輸の花が咲き、念願の植え付けに成功しました。開花数は毎年30倍ずつ増え、昨年は3ヶ月間に約2700輪が開花し、ビーク時( 6 / 20前後)は数百輸の大輪が一斉に開き、名実ともに「はす池」となりました。」この案内板もそろそろ更新が必要。「舞妃蓮(マイヒレン)」案内。「舞妃蓮 マイヒレン (黄紅系一重大型)第一ハス池に咲く花は、昭和41年( 1966年)、阪本祐ニ氏がアメリカの黄蓮系「王子蓮」と日本の紅蓮系「大賀蓮」とを交配し、育て開花させた蓮の花です。昭和43年( 1968年)の春に蓮根が現在の天皇皇后両陛下に献上され、その夏に東宮御所で開花しました。昭和44年(1969年)、花の開閉があたかも女性の舞い姿のようであったことから、阪本祐ニ氏により「舞妃蓮」と名付けられました。別紙の写真は、「舞妃蓮」の花芽が水面に出てから開花し、閉じてゆく様子と時間です。 (撮影後藤妙子さん)」・花芽が水面に顔を出しました。 花芽が出てから、約3週間で開花を迎えます、但し、外気温、日照時間などに左右されます ので、3週間は日安です・開花一日目は、花弁が短く、お行儀良く並んでいます。閉じる時間も早くて、お昼までには 閉じてしまいます。・開花二日目になると花弁が伸びて、将に舞っている姿が見られます。 一般的に花蓮の品種比較に使用される花の大きさや形は、開花二日目の午前8時頃を 比較の対象とします。・開花三日目になると、花托の周囲を取り囲んでいる雄蕊(おしべ)が乱れます。 見た目にも美しさが失われてきます。・舞妃蓮の閉じる姿 一日目の午前11時半頃 二日目の午前11時半頃 二日目の午後四時頃花色は初日は淡い黄色で、全体に淡い紅色が乗り、赤、黄とも日を追うごとに退色していき、二日目以降、淡い黄色の爪紅状になる。屈光性のため、花弁がやや捩れる傾向があり、風に舞うように見える事から舞妃蓮の名が付いたと言われているのは上述どおり。蕾の先端がほんのり紅く、開花して1日目はピンク、2日目3日目は黄色に変化すると。開花直後の花。花片下部は薄い黄色に。展望台も出来ていた。花のエピローグに。ハナショウブ(花菖蒲)の花が一輪。ズームして。再び「舞妃蓮」をカメラで追う。ハスの花はよく見ると不思議な構造をしている。花の中心に、ろうと状の構造物がにょきっと突き出し、その周りをたくさんの雄しべが取り囲んでいるのだ。そして花びらを完全に失い・・・。写真の如く果期になると花床が肥大して子房の周りは大きな穴になり、蜂の巣状に見える。ここからハスの古名「蜂巣(はちす)」が生まれ、それが略されたのがハスの名の由来といわれる。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.24
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「御成橋」の名は、家康公が熱海を訪れた際、この橋を通って「御成り」になったことに由来し、橋には家康公が詠んだとされる「句」👈リンクが刻まれていた。「徳川家康熱海入湯句碑春の夜の 夢さへ波の 枕哉慶長9年3月3日 徳川家康」。「春の夜は短くすぐ明けてしまうのに、そのはかない夢にもこの地・熱海の波が現れて来てはかなく消えてしまったのだ」か。慶長9年(1604年)3月、家康は2人の子供、義直、頼宣を連れて熱海に7日間滞在、本陣今井半太夫の湯亭に逗留した。関ヶ原合戦前の慶長2年(1597年)3月にも訪れ、熱海の湯で天下取りへ心身の疲れを癒した。計2度訪れたと。 「あたみ桜」の案内板。「あたみ桜」は、明治4年( 1 8 7 1年)頃イタリア人によって熱海にもたらされたと伝えられています。その後、先人たちの努力によって殖やされ、現在では市内各所に植栽されています。「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関東以西の暖地帯に自然分布するヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1カ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1~2週間)。市制40周年にあたる昭和52年4月には「市の木」に制定されました。今にも動き出しそうなタコの姿が。近づいて。再びブーゲンビリアの花を愛でながら川に沿って下って行った。糸川の清き流れを覗き込むように赤のブーゲンビリアが。「ドラゴン橋」のドラゴンは口を大きく開けて。「かつて赤線地区だった一帯のイメージを変えたかった」が、様々な橋のデザインの当初の目的の一つであった事を以前にネット情報から知ったのであった。再び「ドラゴン橋」から「糸川」の白き流れを背景に。「大塚実氏顕彰記念碑この糸川遊歩道は、海と市街地を結ぶ「歩いて楽しめる散策ルート」として整備を進めてまいりました。この度、熱海梅園の改修計画へ私財を提供された熱海由縁の篤志家大塚実氏の協力を得て日本で最も早く咲く「あたみ桜」に統一し梅と同じ時期に開花する、常春熱海ならではの桜並木となりました。ここに糸川遊歩道を再生させた大塚実氏へ心からの感謝の意を表すとともに、市街地内の憩いの場として多くの市民や観光客に利用される施設となるように、この遊歩道を永く守り育んでゆくことを誓います。」亀とマンボウのオブジェ。上部は波の姿か。「亀」さん。「桜橋」の手前には「坪内逍遥 歌碑」が。明治の文豪、坪内逍遥(つぼうち しょうよう 1895-1935)は、水口町の双柿舎に移るまでの約9年間、この糸川べりの荒宿(現在の中央町)に別荘を新築して住んでいたのだと。碑文には、「ちかき山に ゆきはふれヽと 常春日 あたみのさとに ゆけたちわたる せいえう」 と。今日が花のピークか。「黄一点」。「桜橋」まで戻る。「金糸梅」もこの時期は遠慮気味に。ベンチは蔓植物が独り占め。「金糸梅」に近づいて。「糸川」の」水面を覆い隠すが如くに。赤のカオス。そして「糸川橋 」の麓、これが「糸川あたみ桜 基準木」。アジサイも負けじと。「熱海桜」碑。「あたみ桜「あたみ桜」は、明治4年( 1 8 7 1年)頃イタリア人によって、熱海にもたらされたと伝えられています。その後、先人たちの努力によって殖やされ、現在では市内各所に植我されています。「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関西以西の暖地帯に自然分布するヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1ヶ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1 ~ 2週間)市制40周年にあたる昭和52年4月には、「市の木」に制定されました。」「糸川あたみ桜 基準木」案内柱。「糸川あたみ桜 基準木」を再び。今年2022年2月2日(水)早朝に訪ねた「糸川あたみ桜 基準木」の開花状況です。「糸川橋」から上流を見る。「糸川橋」の欄干には白きカモメの姿が。ズームして。緑の木、青い水、白い鳥のデザインが美しい。「HOTEL LIVEMAX(ホテルリブマックス) 」が対岸に。懐かしい文字「鎌倉御殿 Soap Land」と。「熱海なのに鎌倉?」。様々な色合いのアジサイが。見事な青のガクアジサイ。これぞパープルブルー。「ジャカランダ」も忘れないでと。「ノウゼンカズラ科中南米原産の落葉高木。ラッパ形で青紫や青藤色の花ガ多数集まって咲き美しい。シウンボクなど約50種がある。」そして駐車場の脇の民宿の玄関前にもブーゲンビリアが。ズームして。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2022.06.17
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国道135号の横断歩道を渡り、「熱海渚橋(あたみなぎさはし)」越しに「熱海城」を見る。「糸川」に架かる「熱海渚橋」の遊歩道を渡る。今年の2月2日(火)に「第12回あたみ桜 糸川桜まつり」👈リンクの糸川沿いの糸川遊歩道のを訪ね「あたみ桜」の散策を楽しんだのであった。反対側の欄干を。円形のサイトグラスのある小さな白い橋。水族館でサイトグラスから魚を覗き込んだ如き姿や波の姿等一つ一つ違ったデザインで描かれていた。隣にあったのが「渚歩道橋」。こちらは、波の模様の欄干。上流に向かって左側の遊歩道を進む。前方に見えてきたのが「柳橋」。大きな波の姿が欄干の両側に。ザバーン!波をモチーフにしたダイナミックなデザイン。波頭には水鳥の姿が。「糸川」の流れ。「糸川」は、その源を静岡県熱海市の北部に位置する岩戸山(標高約700m)に発し、熱海市街地を貫流して熱海港に注ぐ、幹川流路延長2.9km、流域面積約3.4km2の二級河川。流域は、伊豆半島の東側に位置する熱海市の中央部に位置している。そして国道135号に架かる「糸川橋」。「糸川橋」から満開の赤のブーゲンビアリアを見る。ブーゲンビリア(Bougainvillea)は、オシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木。和名はイカダカズラ(筏葛)、ココノエカズラ(九重葛)であると。原産地は中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。ブーゲンビリアという学名の由来には2説あるのだと。1つは1760年代にブーゲンビリアの花を発見したフランス人探検家、ブーガンヴィル(ブーゲンビル)にちなんで付けられた説で、もう1つは、フランスの植物学者フィリベルト・コマーソンが見付け、友人のブーゲンビルの名を冠したという説。熱海市の中心部を流れるここ「糸川」の御成橋から糸川橋間(約180メートル)には、川を覆うようにブーゲンビリアが植えられているのだ。このブーゲンビリアは、毎年5月から10月にかけて赤・マゼンタ・紫などの南国的な美しい色の花(苞)を咲かせてくれるのだ。糸川橋付近には川へ降りる階段があり、隠れた撮影スポットとなっているのであった。石段を利用して川へ降りてブーゲンビリアを見上げる。実は、この花のように見える部分は苞(ほう)といい、花を取り巻く包葉。その中心にある白い筒状の部分が花なのだと。その先には赤紫のブーゲンビリアが。赤に比べて葉がやや多いが。灯りの造形。赤紫&赤のブーゲンビリアの共演。再び赤のブーゲンビリア。そして「桜橋」へ。欄干には「糸川桜」が。ズームして。石の欄干部にも「糸川桜」が。川面を覗き込むように。花言葉も「情熱」「激しい愛」「魅力」などと、南国らしい華やかさ。そして次に「ドラゴン橋」に。頭部に近づいて。「ドラゴン橋」からの絶景。糸川遊歩道に架かる橋の中でも、一番人気の橋のようだ。骨格の如き欄干。「糸川」の白き流れを背景に。赤が水面に映り込んでいたが・・・。「ドラゴン橋」の袂に4基あった「瓦斯燈」。ズームして。現在、このガス燈は熱海市・建設課が管理、実際の運用/保守は熱海ガスが受け持つ。ガス燈の点灯時期は季節によって変わる。基本はタイマー点灯。熱海市内にはこのほか、熱海ガスの本社前に2基あるのだと。「瓦斯燈昭和63年四月吉日寄贈 熱海瓦斯株式会社」あたみ桜とガス燈のツーショットをネットから。 【https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/reservation/?d_date=20220616&d_seq=1748926】より。掌を拡げたが如きオブジェ。沢蟹の姿が。「新柳橋」へ。「新柳橋」の欄干のモニュメントには揺らめく柳の葉を見つめる若い男女の姿が。金糸梅とブーゲンビリアであったが・・・。花が糸川の川面に溢れ出るが如くに。手打ち蕎麦屋「鳳家(おおとりや)」の前には珍しいアジサイの花が。新種アジサイ 獅子王 に似ていたが。ヒラメのモニュメント。そして折り返し予定の「御成橋(おなりばし)」に到着。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.16
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「熱海警察署 中央交番」まで戻る。「熱海警察署 中央交番」の先にあったジャカランダ越しに熱海城を見る。ジャカランダ越しに熱海海岸も。国道135号沿いのビル群も。「熱海サンビーチ」に人の姿は全く無くここも独り占め。ここを訪ねるのは「熱海桜」👈リンク を見に来た今年の2月以来。そして「熱海桜」の木の下にあったのが「釜鳴屋平七夫婦像」。台座には「安政のころ、釜鳴屋平七はこの浜に起こった漁民一揆の先頭に立った罪に問われ八丈島へ遠島の途中大島で死んだ。人間平七の無私愛人の足跡が熱海の歴史を語っている。八十五歳 武者小路実篤」と。「釜鳴屋平七安政の頃、熱海の浜に漁民一揆が起こりました。まぐろ網の権利をめぐり漁民と網元との争いが日を追って激しくなり、こうした事態の中で網元の一人平右衛門の長男釜鳴屋平七は、他の網元たちのひどいやり方に反対し漁民側に同情、網元から脱退、漁民に見方して解決をはかったが、争いは収まりませんでした。このため、平七は漁民二百五十余人と共にムシロ旗を立てて韮山代官所に押しかけ、平七は役人の制止を振り切って代官江川大左衛門に訴状を差し出しました。代表者平七ら七人は捕らえられ、首謀者とみらされた平七は島流しの刑を受け、文久三年十月(1863年)江戸から八丈島送りとなりました。しかし、船中での虐待で衰弱した平七は大島におろされ、十一月四日三十五歳で亡くなりました。漁民たちは平七の遺志をつぎ、長い間苦難の戦いを続け、ようやく勝訴を勝ち取ることができました。星露百余年、今なお大衆の心に生きる義人平七の魂はここに眠っています。」ズームして。さらに。「ムーンテラス」を再び。廻り込んで。「熱海ムーンテラス」碑。正面から。ズームして。「熱海ムーンテラス」の「恋人の聖地」 のモニュメントをズームして。熱海市の鳥「カモメ」をイメージしたデザインらしい。更にズーム。ヨットハーバーその先に熱海城。そして「スカイデッキ」を歩く。豪華クルーザー。プレジャーボートのうち、サロンクルーザー、メガヨット、ギガヨットと呼ばれているものの通称。一般的に25フィート(7.62m)以上の船舶で、サロンまたはラウンジ、トイレ、キッチン(ギャレー)、ベッドルーム、シャワーなどの「居住空間と居住設備」を備えたレジャー用のヨットやボートを現す言葉であるとウィキペディアより。熱海の高級マンション群を振り返る。美しい曲線美を楽しむ。再び山稜に立つ熱海城の姿を。左には「熱海後楽園ホテル」。再び「熱海城」をズームして。静岡県熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設。市街地や南熱海を一望できる熱海市内有数の絶景スポットとなっている。しかし城郭は歴史的に実在したものではない。更に「スカイデッキ」を進む。知床半島の事故を想い出したのであったが。曲線の造形を楽しむ。「熱海親水公園」を振り返って。石段を降りて国道135号に。正面に見えたのが「ホテル渚館」。静岡県熱海市渚町11−11。「ホテル渚館」前のジャカランダ。このジャカランダには大きな花房がついていた。ズームして。今年のジャカランダの花もこれが見納め。こんな光景を自分の眼で見ることが出来る日が来るのであろうか?【オーストラリアのジャカランダ】👈リンク。 そしてジャカランダの花吹雪も。【メキシコのジャカランタ】👈リンク。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.15
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こちらが「お宮緑地(ジャカランダ遊歩道 約380m)」の北側の入り口。「ジャカランダ遊歩道」案内板。「ジャカランダ遊歩道」。「ジャカランダ詳細世界三大花木(カエンボク・ホウオウボク・ジャカランダ)の一つで、いまでは熱海の初夏を告げるげる花となりました.街路樹がジャカランダなのは温暖な熱海だからこそ。本州ではめすらしい風景です。また、ジャカランダの日本での認知度は、海外のリゾート地への渡航者の増加に伴って広がりつつあります。熱海での開花は折しも傘の花開く雨シーズン。ラッパの形をした小さな青紫色の花がブーケのように熱海の梅雨空を彩ります。●形質 ノウゼンカズラ科の落葉高木~低木。葉は優美なシダに似た2回羽状複葉、花は藍色または 青紫色が基本でピンクや白色もある。落葉だが春先まで葉を着けることが多い。●原産地 南米の熱帯~亜熱帯地方原産で約50種が知られる。●分布 世界の熱帯、亜熱帯の乾燥地帯を中心に栽培される。国内では関東南部~沖縄まで 栽培事例あり。●生育特性 凍障害を受けない温暖な土地で、かつ日照の多い比較的乾燥地を好む.●開花特性 国内では花より葉が先行して出芽する。花数も相対的に少ないため樹冠全体が花で覆われる ことは少ない。」「ジャカランダ遊歩道」からの帰路は、国道135号に沿って設置されている、熱海の風景をテーマにした石碑を楽しみながら歩く。最初に「長谷寺山門」。熱海にも「長谷寺」👈リンク があることを以前知ったのであった。ジャカランダと椰子のコラボ。この花にはミツバチの訪花は確認出来なかった。「キバナランタナ」の花とのコラボ。さらに国道135号の遊歩道を歩く。「錦浦景勝熱海の景勝地の一つ。伊豆の玄関、魚見崎の南から約1キロメートルに及び断崖が続く名勝。(魚見崎~錦ヶ浦~曽我浦は約2キロメートル)太陽がのぼるとき、光が浦にそそいで眩しい五色の光となって輝くことから、京の錦織の名をかりて「錦ヶ浦」と呼ぶようになりました。熱海多賀火山の名残を残し、源頼朝、加藤清正などの歴史的人物に由来する伝説も残されています。崖の高さは80メートル。荒波が刻んだ兜岩・基盤岩・烏帽子岩・弁天岩など奇岩が並び、海上には初島や大島が浮かびます。」とネットから。「サンビーチ 花火大会熱海海上花火大会は、1952年(昭和27年)にはじまった歴史ある花火大会。夏だけではなく年間を通して10回以上も開催されている熱海名物です。会場である熱海湾は、3面を山に囲まれた「すり鉢」状の地形のため、海で上げる花火の音が反響し、 大きなスタジアムのような音響効果があり、花火業者さんも絶賛する日本一の花火打上会場です。 夜空に広がる花火や、水面に映る花火、そして、フィナーレを飾る「大空中ナイアガラ」の美しさは、瞬きを忘れるほど!心にずっと残る思い出ができる、熱海ならではのイベントです。」と。陽光があれば、青紫の花が更に耀くのであったが。以前に訪ねた「来宮神社 👈リンク来福・縁起の神として古くから信仰されている來宮神社。本殿横には国の天然記念物にも指定された樹齢二千百年、幹の太さは24メートルの大楠の御神木があり、パワースポットとしても有名です。幹を一回りすると一年寿命がのびると伝えられており、この木の生命力にあやかろうと長寿・病気平癒・健康祈願の参拝者が多く訪れます。また、願い事のある人は、思うことを誰にもいわず一回りすると願い事がまとまる、とも言われています。夜はライトアップされ、朝、昼、夜とそれぞれの表情が楽しめます。例大祭は毎年7/14~16に開催されます。」と。「貫一お宮の像」の手前の入り口。「熱海♨観光案内マップ」。「貫一お宮の像」の広場前が前方に。「お宮の松」案内。遊歩道にも巨大な「お宮の松」の絵が刻まれていた。更に歩道を進む。朝顔に似た花。「コンボルブルス」であろう。「梅見の滝」👈リンク熱海市の全国的に知られる観光名所である「熱海梅園」内にある、四季の移ろいが感じられる滝。「姫の沢公園」。「姫の沢公園」は、市街地中心部より北西約5キロメートルに位置し、四季を通じて花と緑を楽しんでもらうように造られた自然を基調とした総合公園であり、園内には、四季折々の花木はもとより、アスレチックコースなどが整備され、家族連れで自然に触れ合いながら一日中楽しむことができると。「金糸梅」とのコラボ。北側の「サンデッキ広場」への石段の横の壁前を通過。「貫一お宮」。「尾崎紅葉の名作「金色夜叉」の名場面。主人公貫一とお宮の別れ場面に熱海海岸が登場し一躍有名になった。現在の像は昭和60年に建立された。」ここでもジャカランタと椰子のコラボを。「中山晋平記念館」👈リンク。「大衆音楽の普及に大きな役割を果たした作曲家中山晋平の業績を偲び、晋平が晩年を送った住居をそのままの形にて遺品とともに梅園内に保存されています。」まだまだ人の数が少ない熱海海岸、しかし早朝の為か?「大湯間歇泉」👈リンク「お湯が音とともに噴出し、周囲に湯気とイオウの臭いを立ちこめる大湯間隙泉。関東大震災により噴出が不規則になり現在は復旧工事にて人工間歌泉となった。」「熱海」と書いて、「あたみ」と読むこの地名の由来は、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになった」と。石板絵画をさらに追いかける。「澤田政廣記念館」👈リンク。「熱海が生んだ芸術家澤田政廣。九十三年間の生涯における作品は、木彫、油絵、陶芸、書、リトグラフ等と極めて多彩であり、澤田芸術の集大成がここに展示されています。」「ブットレア」を再び。「伊豆山神社」。この「伊豆山神社」👈リンク は一昨年2019年2月に訪ねたのであった。「伊豆に流されていた源頼朝と北条政子が、ここで忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様として人々に親しまれているロマンあふれる神社です。」日本に住んでいるとなかなか見る機会のない花・ジャカランダ。和名は「紫雲木」。その名の通り青紫色の花が、ふわりと煙るように咲き誇っているのであった。宮崎市内にもジャカランダの並木があるようだが訪ねたことはない。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.14
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熱海のお宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の散策を続ける。北側の「サンデッキ広場」への石段の横の壁。この作品の作者は??椰子の木と「ジャカランダ」のコラボ。見上げて。オレンジ色の「カンナ」の花。「アガパンサス」。「クジャクサボテン」の花であっただろうか。そして「アメリカデイゴ」。和名はカイコウズ(海紅豆)。カイコウズの名はあまり使われず、「アメリカデイゴ」と呼ばれることが多い。近づいて。初夏から初秋にかけて真っ赤な花を咲かせ続けるアメリカデイゴは、南アメリカ(ブラジル及び北部アルゼンチン)を原産とする暖地性の花木。日本へ渡来したのは江戸時代末期のこと。寒さを嫌うため日本で植栽できるのは、本州南部~沖縄にかけて。主に暖地の公園などで目にするが、九州などでは街路樹として利用され、鹿児島では県の木に指定される。なお、沖縄で県の花に指定されているデイゴは別種であるとのこと。アメリカデイゴに似ているが、葉の出る前に開花するのと寒さに弱い点などが、アメリカデイゴと異なるのだと。既に落下した花びら。アルゼンチンやパラグアイの国花であると同時に、鹿児島県の県木にも指定されているのだ。鹿児島県の県木としては、確かに南国ムードはあるものの、できれば県産自生の木を選んでほしかった気もするのであるが・・・。「アメリカデイゴ原産(インド・マレー半島)日本名(海紅豆(かいこうず)・海外から来た赤い豆、の意。)日本では沖縄県が北限とされています。沖縄県の県花になっています。」「アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭)」の花。ズームして。アツバキミガヨランという名前ですが、蘭の仲間ではないと。「キング・プロティア」の蕾。開花すれば。「キング・プロティア学名 プロテア・キナロイデス分類名 ヤマモガシ科プロテア属樹高 1 m ~ 3m程度原産地 南アフリカ開花期 4月~ 10月花言葉 王者の風格 甘い恋プロテアは花の王様と賞賛される南国の常緑低木で、花名な自由に姿を変えることができるギリシャ神話の海神プロテウスが由来。南アフリカには多種類のプロテアが自生しており、中でもこの「キング・プロテア」は花が大きく優雅であることから南アフリカ共和国のシンポルであり国の花となっています。」再び「椰子」の木を見上げて。そして「貫一お宮の像」の広場に到着。和文と英文の案内板。「明治の文豪尾崎紅葉の代表作小説「金色夜叉」は、明治30年(1897)1月1日から5年半に亘り読売新聞に連載され、たちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の反響を呼び起こしました。ストーリーは、ヒロインの鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子、富山に見初められることに始まります。宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者・間貫一がいたにもかかわらず、それを承知で両親が富山の求婚を受け入れたことから繰り広げられる悲恋物語であり、作中のクライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌 熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限りが広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになりました。今日、国際観光温泉文化都市として、全国有数の観光地に発展を成し得たのは、丹那トンネルの開通と共に金色夜叉が大きなきっかけになったことは申すまでもありません。金色夜叉の主人公貫一とお宮の名は「可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・月が・・・月が・・・曇ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思ってくれ」の名台詞と共に、歳月の移り変わりのもかかわらず、人々の記憶に残り、いつまでも愛されていくでしょう。紅葉は、35歳の若さで死去し、『金色夜叉』はついに未完に終わってしまいましたが、紅葉の死後、彼の残した『腹案覚書』をもとに、紅葉の高弟であった小栗風葉によって完成されたのであります。熱海市では毎年1月17日、作者を偲んで尾崎紅葉祭が行われます。貫一お宮のブロンズ像は、熱海市在住の日展審査委員館野弘青氏により製作され、熱海ロータリークラブが創立30周年の記念に、昭和61年(1986)年1月17日熱海市に寄贈したものであります。平成元年5月吉日」そして「貫一・お宮の像」。「尾崎紅葉記念碑」。「尾崎紅葉」の写真。「尾崎紅葉(1867~1903)森鴎外等と並び明治を代表する文豪。胃癌のため35才の若さで惜しまれつつ世を去ったが、晩年、読売新聞紙上に連載した恋愛小説「金色夜叉」が日本全国の読者の熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れわたった。以来。熱海市は国際観光温泉文化都市を標榜し、全国有数の観光地として大きな発展をとげ、今日に至っている。熱海市民は、尾崎紅葉先生の業績に感謝するとともに、その遺徳を偲び「金色夜叉」の「来年の今月今夜のこの月を」の名科白で有名な貫一・お宮の別離の日、1月17日を記念日と定め、尾崎紅葉祭うぃ開催している。」心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が。「この像は、明治時代の新聞連載小説、尾畸葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない別れを再現したものです。ニ人の心の擦れ達い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません。是非、この小説をご一読いただき、ニ人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけましたら幸いです。」台座には館野弘青(たてのこうせい)作と刻まれていた。角度を変えて。貫一の顔をズームして。お宮の顔をズームして。さらに。「「お宮の松」の由来。お宮の松は、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されたものである。この松は、江戸時代前期(1645年頃)、智恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に植えさせた松の一本といわれている。この松は、その姿が美しかったことから、「羽衣の松」とも呼ばれていた。1897(明治30)年から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場したことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し、熱海温泉の名は一躍脚光を浴び、天下の熱海温泉を不動としたものである。このことから、1919(大正8)年熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって、横磯に「金色夜叉」の碑が建立された。この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句「宮に似たうしろ姿や春の月」が刻まれ、羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、熱海の新しい名所となった。 また、この碑も女性的な感じから川端康成は、「石そのものも可憐な女の後姿に似た記念碑」と認めている。1949(昭和24)年、キティ台風により道路が崩壊されたことにより道路の拡幅が行われ、海側に伸びた大枝が切られ、また、観光地としての発展に伴い、自動車の排気ガス等によりとうとう「お宮の松」は枯れだした。(初代「お宮の松」の樹齢はおよそ300年で、現在のつるやホテル前の歩道から海に向かって約2メートルの場所にあった)。市では、市民皆様の協力を得て、二代目「お宮の松」の選定を始めた。その結果、50数本の候補から、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」に選定し、国際興業の社主であった小佐野賢治氏により寄贈を受け、小田原市の本多大四郎氏の所有する松を添松とし山種証券の山崎種二氏等の寄附並びに市内関連団体の多大な協力により、1966(昭和41)年現在の場所に二代目「お宮の松」として完成したものである。「お宮の松」の樹齢は、2001(平成13)年現在でおよそ95年、添松はおよそ75年になります。」「紅葉山人記念 金色夜叉の碑」。「宮に似た うしろ姿や 春の月 風葉」と。「金色夜叉の碑明治の文豪尾崎紅葉の傑作「金色夜叉」にちなんで建てたものです。”宮に似たうしろ姿や春の月”・・・・・「終遍金色夜叉」を執筆した門弟小栗風葉自作自筆の句が刻まれた記念碑です。毎年1月17日にはここで尾崎紅葉祭が行われます」そして現在の「お宮の松」。「お宮の松」。「初代のお宮の松」。現在のお宮の松は昭和41年に植えられた2代目で、初代は排気ガスの影響などで枯れてしまったとのこと。2代目の脇に展示されている初代の切り株をみると相当大きな松の木だったことが分かるのであった。更に近づいて。更に進む。昨年に比べて比較的花のボリュームが少ない気がしたが。昨年の花付きの姿。今年の花に近づいて。「ブッドレア ブラックナイト」とのコラボ。別名は「房藤空木(フサフジウツギ)」。原産地は中国である。日本へは明治時代にヨーロッパで改良されたものが渡ってきた。ブッドレア・ブラックナイトはそうした園芸品種の1つである。特徴は花の色が濃い青紫色をしていることである。樹高は1メートルから3メートルである。葉は卵状の楕円形で、向かい合って生える(対生)。葉の裏面には毛が密生していて白い。開花時期は7月から10月である。細い枝を広げて円錐花序(枝分かれして全体が円錐状に見える)を出し、紅紫色の花をたくさんつける。花は上側に向いて咲くので下面には少ない。花はよい香りがする。花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)である。全体にサポニンを含み有毒である。」とのネット情報。以前、日比谷花壇大船フラワーセンターでも見た記憶があるが。振り返って。白百合と金糸梅。前方にユニークな形の石造りのオブジェが。小さな丘の上に。鍵穴の如き造形であったが、説明書き等はなかった。この作品名の判かる方は書き込みお願い致します。ピンクの百合の花。ズームして。更に進む。緑あふれる岸辺の空間。中心が淡いピンクの百合の花が群生して。鉄砲ゆりの「トライアンフェター」に似ているが中心の濃さが違うか。「銀梅花(ギンバイカ)」にも似た花であったが。ズームして。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2022.06.13
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この日は6月10日(金)、今年も熱海海岸沿いを彩るジャカランダそして糸川沿いのブーゲンビリアを愛でにいつもの旅友と行って来ました。自宅を6時に出て茅ヶ崎に住む旅友邸へ。そしてこの日は私の愛車で熱海に向かったのです。順調に車は進み、7:45に熱海海岸近くの駐車場に到着。「ATAMI ジャカランダ フェスティバル 2022」が行われていた。5.28 Sat ~ 6.12 Sun ジャカランダライトアップ 期間中毎日 18:00~22:00 ブーゲンビリアライトアップ 期間中毎日 18:00~23:00そしてまずは熱海海岸沿いを彩るジャカランダの花の散策開始。駐車場前のジャカランダの花を見上げる。今年も5/28(土)~6/12(日)の間「ジャカランダフェスティバル2022」を開催。期間中は遊歩道をライトアップされると。「花が頭に落ちるとしあわせが訪れる」と言われる「ジャカランダ」の花。咲くか、咲かないか、その年になってみないと分からない花と。そんなちょっと気まぐれなジャカランダ。1990年に熱海市の国際姉妹都市、ポルトガルの力スカイス市から贈られた2本が、いまでは100本以上に。常夏の熱帯地域を中心に分布する世界三大花木は、いまでは熱海の初夏を告げる花となった。熱海の海沿いでは、この6月になると、お宮緑地からサンビーチにかけて、ラッパの形をした小さな青紫色のジャカランダの花がブーケのように空を彩るのです。熱海の景勝地、錦ヶ浦の山頂にそびえ立つ熱海城をズームして。「熱海サンビーチ」沿いの国道135号に向かって歩く。熱海市春日町の高台に立つ高層高級マンション「ザ・クレストタワー熱海」の姿。地上30階建、全320邸であると。手前の写真左のピンクの建物は「ゼファー熱海ビーチタワー」。熱海ビーチライン出入口の目の前に建つ、熱海で2番目に高いタワーマンション。ヨーロッパのリゾートホテルを彷彿とさせるカラーリングで熱海のサンビーチ沿いの建物の中でもひと際目を引く素敵な佇まい。眼前に相模灘を望む伸びやかな眺望の温泉大浴場には露天風呂もあると。海上花火大会の際は屋上が解放され、花火と夜景を肌で感じることができるのだと。熱海親水公園のムーンテラスを見る。熱海海岸への石段の横の壁には亀やマンボウの姿が水族館の水槽の中の如くに。後ほど訪ねた「釜鳴屋平七(かまなりや へいしち)夫婦像」の後ろ姿を見る。ズームして。ムーンテラス・恋人の聖地を正面から。国道135号沿いのホテル・ビル群。遊歩道のタイル絵・「熱海ムーンテラス」。こちらは「市の花 梅」。このジャカランタの樹には多くの花が。ラッパ状の花がたわわに。右手にあったのが「熱海警察署 中央交番」。「熱海サンビーチ案内図」。そしてお宮緑地(ジャカランダ遊歩道 約380m)がここからスタート。赤のブーゲンビリアもゲートフェンス上に。ズームして。「ブラシの木」の花も。「キバナランタナ」の花。原産地は南アメリカ。和名を七変化(シチヘンゲ)というように、花の色が黄色から橙色、赤色へと変化する。葉に斑が入っているので「フイリキバナランタナ(斑入り黄花ランタナ)」であろう。ジャカランダは、世界三大花木のひとつとされているノウゼンカズラ科の高木で、中南米が原産。世界三大花木とは、鳳凰木(ほうおうぼく)、火炎木(かえんぼく)、そして紫雲木(しうんぼく)の3つで、ジャカランダは、この「紫雲木」という和名を持つ木で、本来は、日本の桜・ソメイヨシノと同じく葉を落とした状態で花だけを咲かせるのだ。南米・アルゼンチンや、ヨーロッパ・ポルトガルなどでは、初夏になると房になった釣り鐘状の花が無数に咲き、ジャカランダが植えられた街が紫色に染まる風景写真をインスタグラムや観光案内などで見かけるのだが、その風景は圧巻のひとこと。房になった釣り鐘状の花に近づいて因みに、他の世界三大花木の「鳳凰木」👈リンク。「火炎木」👈リンク。2019年に訪ねたポルトガルでは、初夏になると青紫のジャガランダで街が紫一色に染まるのだと。さしずめ紫の桜といったところ。ポルトガルでは「ジャカランダ」の紫色の花が満開になる頃はちょうどイワシ祭りというお祭りの時期。賑やかなイワシ祭りと、ジャカランダの満開の花を見る為に海外からもたくさんの人が訪れるのである、というがコロナ禍が収まりつつ有る今年は??。こちらが、南アフリカの首都・プレトリアのジャカランタの並木。熱海のジャカランダは、残念がら花のボリュームより葉のボリュームが多いのだが。これも天候、土地の質等が微妙に影響するのであろう。熱海の「ジャカランダ」の花には多くの葉が同時にあり残念だが。「ブッドレア ブラックナイト」と。右手に「竹灯籠」。竹灯籠「まめっこ&あつおくん」。そして竹灯籠「駒犬」。「熱海市とカスカイス市」碑。「熱海市とカスカイス市カスカイス市はポルトガルの国際的なリゾート地であり、大西洋に面した美しい海岸線と街並みで有名です。熱海市とは、ポルトガルに柔道を伝えた日本人柔道家を通じた交流がご縁の始まりとなり、1990年7月に姉妹都市の締結を行いました。その時、記念に贈られたジャカランダは1999年に初めて開花して以来、カスカイス市と熱海市の友好のシンボルとして、市民や観光客に愛されています。」この鳥の名は?「ハクセキレイ」であろうか?お宮緑地(ジャカランダ遊歩道)を進む。熱海市の汚水マンホール。熱海市は、2017年に市制80周年を迎えたことを記念し、マンホール蓋2種類をデザインした。明治時代に熱海温泉を一躍有名にした尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の名場面と「お宮の松」、そして背景の夜空には「花火」を図案化したもの。今年はやや花の数が少ないか?ジャカランタの下にはベンチが。「カスカイス市・熱海市 国際姉妹都市提携記念樹木ジャカランダ(ノウセンカズラ科) 平成2年(1990)7月2日」。カスカイス市は、ポルトガルのリスボン県の都市。市内には、国際的なリゾート地であるエストリルを含む。また、2019年に訪ねたユーラシア大陸最西端の「ロカ岬」👈リンクへの定期バスがここカスカイス市から発着しているのだと。お宮緑地のこのジャカランダは平成2年7月にポルトガルのカスカイス市と国際姉妹都市提携を記念して植樹された木であるのだ。しかし今年の「記念樹木」には花がなかった。再び「キバナランタナ」。花の外側の色が黄色からピンク色へと変化。「キバナランタナ」と。そして「カシワバアジサイ」。近づいて。「サンデッキ広場」への階段横の壁の造形。石段横の黄色の「キンシバイ(金糸梅)」と「ジャカランダ」。石段の奥には子供とハートをイメージしたオブジェが。ラッパのごとき藤色の花。その形がファンファーレを吹くトランペットを連想させることから「栄光」「名誉」という花言葉がつけられたと。その神秘的な紫色は高貴な色とされ、王室をイメージするとも。南アフリカのツアーが最も人気が出るのがジャカランダの時期・10月。プレトリアでは街全体が紫色に染まり、まるで花のトンネルをくぐっているような気分に!。日本の桜の「青紫」版。コロナ禍が落ち着いて行ける日が来るであろうか。「サンデッキ広場」の植栽の間を歩くと左手にもベンチとタイル画があった。「和田山雪」の文字が。画家山本光一の作品。「AAY380タイムカプセル」碑。「AAY380タイムカプセルこのカプセルは昭和59年10月1日より昭和60年3月30日の間、熱海梅園開園百年等の記念すべき節目の年を迎え、この年を「明日へ向けての熱海観光元年」としATAMI ANNIVERSARY YEAR380(AAY380-熱海380記念祭)と名付け開催された数々のイベント等の記録を収納したものです。21世紀、市にとって最良の日に後継者により、オープンされますことを期待しここに設置いたします。」「熱海八景」碑。「熱海八景画家、山本光一は天保13年(1842)江戸下谷に生まれた。名は信敬。明治36年(1903) 10月6日、61歳で歿した。墓は臨済宗南禅寺派の月州寺(東京都台東区童泉2丁目2ー15)にある。山本家は代々江戸で儒学を教授していたが父素堂は二男て画もまたよくし、生歴を画家として終えた。光一の兄、学半も画家を志した。詳細は2人とも不明である。光一は熱海の風土が好きだったにちがいない。度々来遊して、明治21年には、「熱海梅園之図」と「改正熱海市街全図」を、翌22年には「伊豆の浦づたい」と題する絵入りの和綴本を刊行し、熱海の紹介に努めている。この「熱海八景色紙」は明治21年の刊。八景とは、かって成島柳北(1837 ~ 1884)が選んで話題となっていた景勝の地8ヵ所、すなわち梅園の春暁、来宮の杜鵑、温泉寺の古松、横磯の晩涼、初島の漁火、錦浦の秋月、魚見崎の帰帆、和田山の暮雪、を版画にしたのであろう。現今の風景と比べて興味津々たるものがある。今を去る90余年前の熱海である。 「1980年熱海八景色紙」より」英語にても。「ルリマツリ(プルンバゴ)」の花であろうか。 ・・・つづく・・・
2022.06.12
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