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古賀茂明さんが9月26日、ついに経産省を辞めました。残念です。氏のプロフィールを書くと、東大卒後、通産省(現経産省)に入省。2008年国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官に就任し、急進的な改革を次々と提議、「改革派の旗手」として有名になる。省益を超えた政策を発信し、公務員制度改革の必要性を訴え続けた。2009年9月、民主党が政権をとり、古賀氏は仙石由人行政刷新担当大臣から大臣補佐官就任を要請されるにいたった。しかし2009年末、突如として古賀氏は経産省に戻され、大臣官房付の閑職に据え置かれ、その後仕事を与えられない状態が続いた。今年6月には同省幹部から退職を進められていた。氏は海江田経産省大臣(当時)、そして枝野経産省大臣に仕事への意欲をアピールしたが受け入れられず、辞職にいたった。古賀さんが書いた講談社の「日本中枢の崩壊」は、買ってはみたものの、ぶ厚さにひるんで、まだ読んでません(^^;)が、PHP新書「官僚の責任」を読みました。この本、実に明快に現在の日本の官僚の問題点が記されています。たとえば、天下りについて。同書第二章の一部、天下りはなぜ悪なのか(56-59ページ)から引用してみます。(” ”が引用部分です。)-----------------------------------”誤解を恐れずに言えば、私自身は、天下りというシステムは必ずしも否定されるものではないと考えている。””広義にとらえれば、それは一つの転職であり、その人間が持っている知識やナウハウ、技術を活かすことにもつながる。それが国民のためになれば、決して悪いことではない。ところが現実にはそうなっていない。だから天下りは悪であり、禁止されなければならないのである。禁止されなければならない理由の第一は、キャリア官僚の独法や公益法人への天下りが、霞ヶ関の人事ローテーションにがっちり組み込まれていることにある。このため、毎年のようにそのポストを退職者にあてがえるよう、ポストの確保と維持が至上命題となっており、天下った人間にもそれなりの仕事が必要ということで、無駄な仕事と予算がどんどんつくられてしまう。さらに、受け皿が足りない場合は、適当な理屈をつけて新たな団体を立ち上げるようになる。また、民間企業に天下る場合、その役人が優秀な人材であればいいのだが、現実には必ずしもそうではないわけで、一種の体のいい人員整理といった側面が強い。 そういう、企業にとって不必要な人間を受け入れるためには、それなりの見返りやメリットがなければならない。そこで、その企業に対していわば阿吽の呼吸で 便宜を図るようになる。これがもう一つの理由である。””要するに、省庁では活用する場のなくなった知恵やナウハウを、国民生活を向上 させ るべく独法や民間などで再利用するために天下りがあるのでなく、ひたすら自分たちの生活を守るためにあり、しかも無能な人たちに高給を保障するために税金 が使われる。だからこそ天下りは悪であり、禁止しなければならないのだ。”-----------------------------------それから、利権について。同書第三章の一部、利権拡大が「目に見える成果」(133-135ページ)を要約・引用してみます。(” ”が引用部分です。)-----------------------------------官僚の主な仕事は、政策を実行するための法律を作り、運用することである。それなら官僚は、その政策が社会に及ぼした効果で、評価されるのだろうか。否。ある政策を実行した結果、社会になにがしかの効果が出たとしても、その効果が本当にその政策のためなのかどうかを評価すること自体が難しい。そもそもそう した政策・法律の策定・運用には短くても二年はかかるし、具体的な効果が出るにはさらに何年も先になる。したがって、普通1~2年で異動を繰り返していく 官僚が業績としてアピールするには、もっと「目に見える官僚のための成果」を出すことが必要になる。そのために彼らはどうするか。”いちばん手っ取り早いのが、役所の利益権限をどれだけ拡大したかということになってしまう。だから、法律を作ると同時に予算を取り、関連団体を作る。そうすることで、「私は天下りポストを一つ作りました。」、あるいは「数百億もの予算を取ってき て、民間に配分する権限をこれだけ拡大しました。」と成果を公言できる。役人にとっては、これが民間企業における営業成績になるわけだ。言うなれば、利権 が官僚にとっての「売り上げ」なのである。”かくて、法律作成の作業にさいしては、”すなわち、権限と予算と天下りポスト。この3点セットをつけることを自動的に考えるように思考回路が形成されているのだ。たとえば何か国民を巻き込む事故が起こったりしたとき、「今後それを防ぐためにこうします」と政策が発表されると、一般の人は「国が支援してくれるのか。厳しく取り締まってくれるんだな」と思うだろうが、官僚の感覚ではこうなる。「ああ、またナントカ協会をつくって、金をバラまくのだな・・・・・」”-----------------------------------なるほど。なんとなくわかっているようでわからなかった天下りや利権って、そういうことなのか、とわかりました。しかも、官僚がこういった権限拡大を目指すと、結局のところ、異なる省同士で権限の争いになり、「国のため」でなく「自分の属する省のため」、すなわち「国益」でなくて「省益」のために動く、という発想になってしまう、ということ。日本全体のことは考えない、ともかく自分の省の力を拡げ、ポストを増やし、自分の同僚や後輩が高い地位と高給をとっていい生活ができればいい。・・・これでは本当に日本は滅びます。こういう方面にまったく疎かった僕でも、とてもわかりやすく、いまさらながら、危機感がつのります。ではどうすればいいのか。ただ単に公務員の数を減らし、給料を下げるだけではだめだ、と古賀氏は言っています。官僚が、国民のことを考えて働いたら報われず、省庁のために知恵を絞ったら高い評価を得られる今の構造が問題、それを変えなくてはならない。それが真の公務員制度改革だ、と古賀氏は指摘し、そのために具体的な提言をしています。古賀氏によれば、少し前までは経産省自体にも、改革に向かう方向を許すだけの度量があったということです。だからこそ古賀氏がその方向で活動をできたわけですね。だがいつしか、守旧派、つまり急進的な改革をのぞまない人たちが経産省の主流になっていき、ついに古賀氏は辞職に追い込まれてしまいました。原子力発電をこれからも続けるというのは、日本全体のことを考えたらありえない選択です。しかし、経産省の守旧派官僚を中心とした原子力ムラの人々にとって は、日本はどうなっても良く、自分たちの巨大利権のかたまりである原子力発電をなんとか続けたいと躍起になっているんですね。古賀氏のような方こそ、本来の官僚の世界の中で活躍することが、もっとも有効に力を発揮できたことでしょう。その意味で残念です。古賀氏が経産省を辞職した当日(9月26日)夜の「たけしのテレビタックル」に出演されていたのを見ました。再就職先は未定だが、改革派の政治家や首長に対して、政策立案のお手伝いをしたい、と話されていました。古賀氏のこれからの活躍に、大きく期待したいです! 古賀茂明著 「官僚の責任」PHP選書7452011年7月29日第一版第一刷発行
2011.10.02
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「さようなら原発1000万人アクション」の一環として、9月19日に東京・明治公園で「さようなら原発5万人集会」が開催されました。この大集会に、僕は参加できなかったけれど、6万人もの大勢の人が集まり脱原発のアピールを日本に、世界に発信したこと、大変うれしく思います!原水爆禁止日本国民会議(原水禁)や有識者らで構成する「さようなら原発1000万人アクション」主催で、福島原発震災後は最大規模の脱原発集会です。 明治公園には予想を上回る人々が参集し、はいりきれない人も多かったそうです。鎌田慧さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、内橋克人さん、山本太郎さんなどのスピーチのあと、パレード(パレードって素敵ないいかたですね)が三手にわかれて行われたということです。パレードのひとつは、終点が代々木公園。ここは、NHK放送センターやNHKホールが道1本へだててほんのすぐ目の前にある、NHKの地元中の地元です。ああそれなのに、NHKテレビでは目だった報道はなかったようです。(18時台のニュースで放送したらしいですが、ちゃんと19時からのニュースで取り上げないとは、実にけしからんです。)民放ではどの程度とりあげられたのか、よくは知りませんが、電力会社におもねって小さな報道しかされなかったようです。しかし、この脱原発集会のニュース、世界中で報道されています(^o^)/。この集会をとりあげた世界のニュースをまとめてくれているものを、友人に教えてもらいました。ここです。http://togetter.com/li/190288写真が載っているものもあり、言葉はおいておいても、写真にインパクトがありますね。特に、上から二つ目のhttp://t.co/SATvFoPJの下のほうに9枚の写真がのっていて、行進する大江健三郎さんのアップや、「福島隊」の白いのぼりなどをみていたら、思わず涙がにじんできてしまいました。それからこれも友人に教えてもらった、大江健三郎さんのスピーチの手書き原稿の写真です。http://twitpic.com/6nedo2福島原発震災の発生からほぼ半年になるときに行われたこの集会、鎌田慧さんは、「これまでの集会の一つの結節点であるとともに、これからの出発点だ」とスピーチされました。本当にそう思います。首相が代わり、新しい首相は明日22日の国連総会で、「原発維持」を狙った演説をするようです。今後いよいよ高まってくる再稼動の圧力に対して、抵抗の意志をしっかり示し続けていきたいと思います。
2011.09.21
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毎日新聞記事に、福島第一原発の現状と今後の展望について、小出裕章氏の解説が詳しくのっていました。http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110909k0000m040167000c.html全文コピペしておきます。(太字、文字色による強調と、(注)は僕が追加しました。)福島第1原発:京都大原子炉実験所・小出裕章助教に聞く小出裕章・京都大学原子炉実験所助教=大阪府熊取町の京都大学原子炉実験所で2011年8月29日、宮間俊樹撮影(注:記事には小出氏の写真が載っています。) 3基の原子炉が同時にメルトダウン(炉心溶融)するという未曽有の事態に陥った東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)。世界最悪「レベル7」の事故は、半年を経ても放射性物質の放出が止まらず、現場では被ばくの危険と隣り合わせの作業が続く。 原発に批判的な立場から福島第1原発事故を見続けてきた京都大原子炉実験所の小出裕章助教(62)に、今後予想される展開や課題を聞いた。 ◇遮水壁、一刻も早く--福島第1原発事故から半年が経過するが、感想は?小出 事故が起きた時、私は「勝負は1週間で決まるのではないか」と考えていた。つまり、放射性物質を封じ込めることができるか、日本が破局に陥るかは1週間で決まると思っていた。しかし1週間たっても1カ月たっても、半年たってもどちらに転ぶか分からない不安定な状況が続いている。こうした事故の進展になるとは、だれも予測できなかったのではないか。--今後予測されるリスクや懸念材料は?小出 事故は現在進行中で、大量の放射性物質が外に出た。ただ、大量の放射性物質が、原子炉と使用済み核燃料プールの中にまだ残っている。今後もっと大量の放射性物質が環境に出る可能性があると考えている。--具体的には?小出 東電は5月、1号機については水位計を調整した結果「すでに炉心の中には水はない」と言い出し、メルトダウン(炉心溶融)を認めた。炉心に水がなければメルトダウンは避けられないし、圧力容器の底も抜け、溶けた燃料の溶融体が格納容器を損傷する可能性もある。その場合、溶融体が原子炉建屋の床を突き破って地面に潜り込んでいる事態もありうる。海洋や地下水に放射性物質が拡散しているかもしれない。溶融体が地下水に接触しないよう「地下ダム(遮水壁)」の建設を進めるべきだ。東電の試算によると1000億円レベルの費用がかかるため、株主総会前には建設を表明できないとして、発表を一時取りやめた経緯があった。本来は一刻も早く着手すべきだった。 2、3号機については「炉心の半分まで水位がある」という情報もある。ただし水位計が壊れている可能性もある。もしそうなら2、3号機もメルトダウンし、燃料が地下に潜り込んでいる可能性もある。正確な情報がなく、実際のところは分からないため、いろんな可能性を考えなければいけない。 もし炉心に水があって完全に溶融していない場合、冷却に失敗すれば2、3号機で水蒸気爆発が起きる可能性がある。もし水蒸気爆発が起きれば、圧力容器は破壊され、外側の薄っぺらい格納容器も破壊される。放射性物質の放出を防ぐ壁は完全に失われる可能性がある。--汚染水をリサイクルする「循環注水冷却」が何とか稼働したが、どうみているか?小出 政府や東電は「循環注水冷却」の稼働を喧伝(けんでん)しているが、そんなことは「瑣末(さまつ)なもののさらに瑣末なもの」だ。1号機のように燃料が格納容器の底に沈み込んでいるなら、水を注入しても同じではないか。東電のデータが正しいなら、1号機に関する限り、水を入れることはあまり意味がない。むしろ遮水壁を作る方に力点を移すべきだ。2、3号機についてはまだ燃料が溶け落ちていないことも考えられるので、水を送り続けなければならない。それよりも、放射性汚染水が11万立方メートルもたまっている現状を重視すべきだ。 4月に2号機の取水口付近のコンクリートの穴から汚染水が海に漏れているのが見つかった。あの場所だけから漏れていることはあり得ない。原発施設はコンクリートで覆われており、地震や津波でいたる所が割れていると考えられる。壊れないコンクリートなどあり得ない。2号機取水口の漏れは、たまたま見える場所にあったから見つかっただけで、氷山の一角だ。地下などでは亀裂からどんどん地下水へ漏れている可能性がある。「あと何センチであふれる」という視点ではなく、「今の漏れを何とかしなければいけない」という議論をすべきだ。 冷却方法を循環式にしたところで、放射性物質が消えてなくなるわけではない。鉱物「ゼオライト」は放射性セシウムを吸着するが、セシウムを吸い込んだゼオライトの塊が残る。--東電は工程表で、1月までの「冷温停止」を目指しているが。小出 「冷温停止」という言葉は専門用語だが、「圧力容器の中の健全な核燃料を100度未満にする」という意味だ。でも、今は炉心が溶け、圧力容器の底が抜けていると東電自身が言っている。それなら「冷温停止」も何もないのではないか。工程表が発表された4月、東電は「炉心は(健全な状態に)ある」と言っていた。そんな前提が崩れてしまっている以上、「冷温停止を目指す」目標にどんな意味があるのか教えてほしい。--菅直人前首相は、事故にかかわる「中間貯蔵施設」を福島に造りたいと言った。小出 今後、がれきや汚染水処理で生じる汚泥など、大量の放射性物質の保管が課題になる。世界中に飛んで行った放射性物質は、そもそも福島第1原発の原子炉の中にあったものであり、東電の所有物だ。それが東電の失敗で外部に出たのだから、東電に返還するのが筋だ。事故で出た廃棄物は(東京の)東電本店に持って行くべきだ。原発を地方に押しつけてきた東京の人たちはぜひ受け入れてほしいと思う。 それでは土地が足りないので、福島第1原発敷地の中へ運ぶべきだ。本当に言いたくもないが、福島第1原発周辺で人が帰れない場所を「核の墓場」にせざるを得ないだろう。ただし、一般の原発から出た使用済み核燃料の「中間処理施設」にすべきではない。どさくさに紛れて保管を福島に押しつけることは絶対にあってはならない。--経済産業省原子力安全・保安院が環境省の外局に設置される「原子力安全庁(仮称)」として再出発することをどう見ている?小出 経産省であろうが環境省であろうが、「原子力の推進」が国策なら立場は同じ。原子力推進の国策の中で、原子力の安全を確保できるわけがない。なぜなら、原子力は危険なものだからだ。 私は毎日毎日事故が起きると言っているわけではない。しかし原発は時として事故が起きてしまうものだということを理解しなければならない。原子力を推進しながら、安全を担保できるかのように言うことは間違いだ。つまり、原子力をやめる以外に安全の道はないというのが私の主張だ。あり得ないが、もし私に「原子力安全庁長官になってほしい」と要請してきてもお断りする(笑い)。どんなに願っても「安全な原発」はあり得ない。--菅直人前首相が、中部電力浜岡原発の停止を決めたことの評価は?小出 停止自体は評価できるが、防潮堤などの地震対策が完成すれば運転再開してもいい、という含みを残したまま今に至っている。中電が本当に運転を再開したければ、再開できる余地が残っている。--緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の結果公表が遅れるなど、事故に関する国や東電の情報公開について。小出 少しでも危険だと受け取られる情報は隠すべし、というのが国の姿勢。国が恐れているのはパニックであり、住民の安全は二の次だということが今回の事故ではっきりした。国など組織の前で個人が無力になるのは、第二次世界大戦中もそうだった。今は本当に「戦争」のような事態だ。--原発内の情報も、東電を通じてしか出てこない。小出 今も人々を被ばくさせ続けている当事者が、情報でも何でも一元管理しているのはあり得ない話だ。国も東電もふんぞり返って「データをやるぞ」という態度。とんでもない話だ。--政府は国際評価尺度(INES)のレベルを事故当初、過小評価した。小出 日本原子力学会に所属する研究者は山ほどいるが、事故がとんでもない状況になっているにもかかわらず「レベル4」と言い張る研究者もいた。原子力を推進した自分の責任を逃れたいと思い、事故ができるだけ小さくあってほしいと思いながら発言した結果だ。日本原子力学会は「個人の責任を問うべきではない」との声明を出しているが、自分が間違ったと思うなら公表するぐらいの気構えが必要だ。また、福島第1原発を誰が認可したのか。当時の原子力委員会、原子力安全委員会、そして経産省のたくさんのワーキンググループに入った専門家が責任をとることは当たり前だ。--政府の事故調査・検証委員会(事故調)にはどんな事実関係を明らかにしてほしいか。小出 一つ一つのデータをきちんと公表する。さらに、そのデータを東電が自分たちに都合のいいようにシミュレーションしている可能性があるので、シミュレーションのやり直しをさせるべきだ。もしそれが実現できれば、おそらく福島第1原発は津波ではなく、地震で壊れたことが明らかになるのではないかと思う。事故調は「個人の責任を追求しない」と表明しているが、事実関係を明らかにするだけでなく、責任を明確にすべきだ。--廃炉はどう進めるべきか?小出 メルトダウンした燃料をどうやったら回収できるのか、私には想像すらできない。米スリーマイル島原発事故(79年)では、燃料が圧力容器にとどまっていたため何とか回収できた。これだけでもずいぶん大変だった。しかし、福島の場合は核燃料が地面にまで潜り込んでいる可能性があり、回収には10年、20年単位の時間が必要だろう。私たちは人類史上、遭遇したことがない事態を迎えている。 こいで・ひろあき 東京都生まれ。74年、東北大大学院工学研究科修士課程修了。工学部原子核工学科在籍中の70年、東北電力女川原発の反対運動に参加したのを機に、反原発の研究者になることを決意。74年から現職。専門は放射線計測、原子力安全。
2011.09.12
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インキネン&日フィルのマーラー3番二日目(9月3日サントリーホール)です。昨日と同様に、インキネンの棒は本当に魅力的です。きょうは僕も二日目で少し余裕を持って聴けて、昨日いつのまにか速くなったり遅くなったりと感じたところが、なるほどここで速く、ここで遅くなるんだ、ということがわかり、納得しながらほれぼれと聴いていく、という感じでした。第一楽章が終わったあと、オケは初日にはしなかったチューニングをしました。初日の演奏でピッチが不安定になるところがあったのを踏まえて、きょうは万全を期したのでしょう。第三楽章、今日の僕の席は1階平土間だったので、ポストホルンのときに開いたドアが良く見えました。昨日の友人の話どおり、2階客席LAブロックの後ろのドアでした。普通はドアを開けるだけですが、今回は、開いたドアの真ん中に何か大きめの物体が置かれています。ポストホルン奏者が指揮を見るためのテレビモニターなのか、あるいは単に金属板のようなものなのかは良くわかりませんが、この物体が存在することによって、ポストホルンの音が直接ホール内に入りにくくなり、より間接的に、遠くから響くような効果が生じていたかもしれません。僕の席にはほどよい距離感をもって、聞こえてきました。(ポストホルンが終わってドアが閉められるときに、この物体もドアの外にさっと運び出され消えていきました。)なお友人は、今日は丁度そのLAブロックで聴いていましたので、あとで様子を尋ねたら、さすがに非常な至近距離から聞こえてしまった、と言っていました(^^;)。このポストホルンを、インキネンは昨日同様にじっくりと歌いまわしさせて、素敵です。その音色は、昨日よりは随分やわらかく、本来のポストホルン的に聞こえてきて、なかなか良かったです。合唱の起立や独唱者の入場のタイミングは昨日とまったく同じ。今日も聴衆のエライことに、独唱者入場時に拍手が起こりませんでした。第五楽章で、独唱者の着席するタイミングを、きのうは見逃しましたが、今日は自分の座席から良く見えたので、わかりました。自分の出番が終わってすぐにさっと座ってしまうのではなく、その後の音楽の流れを意識して、音楽の邪魔にならないタイミングで、ゆっくりそーっと座るという、とても感じの良い座り方でした。(昨年のヤンソンス&コンセルトヘボウのときのラーソンさんも、これと似たような、「心得た」素敵な座り方でしたっけ。)合唱は、児童、女声とも、きょうもすばらしかったです。杉並児童合唱団は、見たところでは、男子は今日の出演者の中では小さな子が一人だけで、最後列の真ん中で歌っていました。貴重な男児としてこれからも頑張ってくださいね。第四、第五、第六楽章のアタッカは、昨日と同様に静寂と緊張が保たれたすばらしいものでしたし、合唱団はやはり曲の最後まで立ちっぱなしでした。(まれに、座るはずだった合唱団が座るタイミングを逸してしまい、やむを得ず最後まで立ちっぱなしになってしまったというケースもなくはないので、今日の演奏でどうなるかを一応注意していましたが、うれしいことに最後まで立たせっぱなしでした。やはりインキネンは、明確な意図をもって「インキネン方式」を実行していたのでした。)終楽章は、おそらく初日より相当に遅いテンポとなり、じっくりと演奏されました。本当にすばらしい演奏です。そして今日も、充実した最後の主和音の残響が消えたあと、インキネンの棒が高い位置で止まっている間、ホールは完全な静寂に包まれました。このようなすばらしい場を、二日連続で経験できるなんて、なんとありがたいことでしょうか。今日のオケの出来は、初日よりも細かいところがしっかり演奏され、さすがに二日目のメリットがいろいろ出ていました。昨日のような大事故はまったくなく、より完成度の高いパフォーマンスでした。昨日が日フィル120%の力を発揮したとすれば、今日は150%でしょうか。 インキネンの演奏は二日とも基本方向は同じで、新鮮な感覚にあふれた、自然な流れで、柔にして剛の、魅力あふれるマーラーでした。昨日感じた「天性の新世代マーラー振り」という印象は、今日の演奏でますます強く確信しました。そのなかで両日の違いをあげると、インキネンは初日は、かなり自由にのびのびと演奏していたのに対して、二日目はより完璧なものを求めようと、初日に比べればやや慎重というか、丁寧に演奏したという感じです。それはたとえば終楽章のテンポの違いに、良く現れていました。両日ともすばらしい演奏で、僕は大満足で大きな感銘を受けました。客観的にみれば、二日目のほうがオケの充実も上だったし、終楽章のじっくりとしたテンポの遅さも良かったし、二日目のほうがうまくいった演奏、といえるかと思います。でも僕は個人的には、初日の、初めてインキネンのマーラーに接して驚きつつ「良くわからないけどすごい!」とドキドキするような幸せを感じながら聴いた体験のすばらしさがあまりに強烈だったので、どちらかを選ぶとすれば初日をとります。終演後、インキネンのサイン会に参列しました。たどたどしい英語で、とてもすばらしい3番でした、ありがとうございましたと言って握手を求めたら、快く握手してくれました。笑顔のさわやかな若い美青年、これから人気沸騰する可能性大とみました。インキネンが、はたしてマーラーに強い愛着があるのかどうかは知りません。二日間の音楽を聴き、ステージ上のふるまいをみたりして、総合的な印象から勝手に推測すると、まったくの推測ですが、特にマーラーに強いこだわりや思い入れがあるというわけではないように感じます。もちろん自分と相性のいい音楽とは思っているでしょうが、特別な熱い思い入れというのではなく、自然体でさらっと、こういうすばらしい音楽を実現してしまうのかな、という気がします。どちらにせよ大したものです。インキネン&日フィルのマーラー撰集、今後大注目です。次は来年4月に5番ということです。あとナクソスから出ているというインキネンのCD、シベリウス、ラウタヴァーラなどの交響曲も聴いてみたいと思います。天性の新世代マーラー振りに、乾杯!
2011.09.11
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インキネン&日フィルのマーラー3番初日、その2(第四楽章以後)です。第三楽章が終わったあと、インキネンは合唱団を起立させ、合唱団に照明が照らされました。このように第四楽章の始まる前にあらかじめ合唱団を立たせておくのは、これまでにも書いてきたとおり、第四楽章以後のアタッカをしっかり実行するためにはとても良い方法です。インキネンはうれしいことにこの方法を採用してくれたわけです。合唱団の起立がおさまって雰囲気がかなり静まったあと、独唱者が入場してきて、指揮者のすぐ左前に立ちました。普通なら拍手が少々生じても無理からぬ入場方式です。しかもここまでの会場の雰囲気は、寝息が聞こえたり、不注意による小さなノイズが響いたりと、あまり聴衆の緊迫感が感じられなかったので、「いつもの定期演奏会としてのんびりと聴いている人も多々いるのだろう、拍手が起こっても仕方ないだろうな」とあきらめていました。しかししかし意外にも、拍手がまったく起こりません!思いがけずもうれしい、きちんと静寂が保たれるなかでの独唱者入場でした。インキネンの音楽の魅力がそうさせたのでしょうか。第四楽章。歌い出しからしばらくはオケと独唱の音程が合わずヒヤリとしましたが、ほどなくあってきて、あとはしっかり聴かせてくれました。きょうの独唱者はインキネンの指名ということです。どちらかと言えば朗々とした歌いっぷりでした。コンミスのソロもそれとあわせてか、やや骨太の朗々系でした。僕としては、ここの歌はもう少しひそやかな雰囲気があったほうが好きですが、でもこれはこれで美しい第四楽章でした。第四楽章の最後の長い音がやんで、短く完璧な静寂のあと、アタッカで第五楽章が始まりました。チューブラーベルが、明るく良く通る、いい音です。そしてそして、合唱が絶美!杉並児童合唱団も、栗友会の女声合唱も、発声が無理なく、透明感があり、とてもきれいな声です。合唱団自体がもちろん優秀なのだろうと思いますが、それにしても栗友会によるこの曲の女声合唱は何回も聴いているはずなのに、これほどきれいと思うことは、なかなかありません。思うに、インキネンの指示が良いのではないかと。女声合唱は60人の大人数だったので、人数を生かして、一人一人にはあまり大きな声を出させず、透明感を優先させたのではないか、と思いました。北欧は合唱のレベルが高いですから、もしかしてインキネンは合唱の指導にもたけているのかもしれない、そんなことも思わせる、素晴らしい合唱の響きでした。途中、独唱の最後の出番のところ(練習番号5)では音楽のテンポがぐっと落とされ、ここも聴き物でした。なお独唱者は自分の出番が終わったあと、楽章の途中で、僕が音楽に聞き惚れているうちにいつのまにか座っていました。充実した第五楽章でした。(あえて贅沢を言えば、チューブラーベルが高い位置に置かれていたら、言うことなしでした。)そして第五楽章が静寂に消えていき、合唱団はそのまま立ったまま、またしても短くも完全な静寂ののち、アタッカで終楽章が始まりました。これぞ真のアタッカです!このところ第五楽章が終わったあと、合唱団を座らせてから終楽章を始める演奏が続いていました。それが絶対だめというわけではないけれど、今日のようなアタッカを体験すると、やっぱりこれが本当だと思います。なお、第六楽章を聴きながら、合唱団をいつ座らせるのだろうかと思っていたら、結局最後まで立たせたままでした。これもインキネンの見識ですね。さまざまな指揮者が合唱団をいつ座らせるか、工夫をこらしています。これも前に書いてますが、僕のもっとも感心した方法は、シャイー&コンセルトヘボウの来日公演です。第五楽章の最後近くに、全合唱団の短い休み(3小節弱)があります。その僅かな休みを利用して合唱団を素早く座らせ、そのあと第五楽章最後までの11小節を、座ったまま歌わせる方式でした。これだと、そのあとに続くアタッカの静寂も保たれるし、第六楽章の途中で合唱団を座らせる必要もないので、音楽の邪魔になることがまったくありません。ちなみにシャイーも、第四楽章の始まる前にあらかじめ合唱団を立たせていました。シャイーはこういう工夫によって、第四・第五・第六楽章のアタッカを静寂と緊張に満ちたすばらしいものとしていました。これを個人的に「シャイー方式」と呼んでいました。今回のインキネンは、合唱の起立はシャイーと同じ第四楽章の始まる前というタイミングで、そして全曲の終わりまで立たせっぱなし、という逆転の発想でした。小さい子にとっては立ち続けるのがちょっと大変かもしれませんが、アタッカの静寂・緊張と音楽を最大限に尊重する意味では、シャイー方式と同様の、すばらしい方法だと思います。今後「インキネン方式」と呼ぼうと思います(^^)。終楽章の音楽。これも本当に素晴らしかったです。基本テンポは普通かやや遅めといったところ。しなやかに美しく、そしてやはり気がつけばテンポが速くなっていたり、気がつけばゆっくりになっていて、緩急の変化は大きいのですが、それが曲想にぴったりと完璧にあっているので、ごく自然に響きます。途中の打楽器による雷鳴の轟きは充分な力強さと深さで胸に響きます。この終楽章の演奏、本当に、聴いていて幸せを感じます。そして最後の難所、金管コラール。インキネンはここはぐっとテンポを落とし、コラールをゆったりと歌わせていきます。一番トランペットはもはや体力の限界を越えていて、へとへとになり苦しみながらも、なんとかここを吹ききりました。そしてそのまま、ゆったりと大きく音楽は進み、最後の主和音が充実して響き、全曲が結ばれました。そのあとです。最後の残響が鳴りやんでも拍手がまったく起こりません。完全な静寂がホールを包みました。やがてインキネンが指揮棒を降ろすまで、その静寂は続きました。居合わせたすべての聴衆の心に、この音楽のすばらしさがしみこんでいたのでしょうか。そうでなければありえない、しばしの幸福な静寂のひとときでした。細かなキズは多々ありました。すばらしかったホルン首席も、終楽章の途中で音が突然欠落するというまさかの大事故もありました。でも、音楽に完全に引き込まれていたので、僕としてはそれらのキズでいささかも感動が損なわれませんでした。もちろんオケの技術というか、音の美しさとしては、もっとハイレベルな3番はいろいろあります。直近で言うと、去年のヤンソンス&コンセルトヘボウしかり、今年の佐渡&PCA・MCOしかり。でも、インキネンに導かれ、100%、いや 120%の力を出した日フィルのひたむきな頑張りは、それらに勝るとも劣らない感動をあたえてくれました。技術はとても大事ですが、感動の本質は技術それ自体とは異なるところにある、ということを、今回も実感しました。拍手が続き、オケ奏者を一人ずつ立たせるときになり、まず立たせたのはトロンボーン首席。この方、涙を拭う仕草をされてました。インキネンはかなり長いことこのトロンボーン奏者を一人で立たせて称えていましたので、もしかしていろいろな苦労があり→それを乗り越えての演奏→男泣き、という心境だったのだろうか、と想像を巡らせました。そのあと何人か立たせてから、ホルン首席が立ちました。アシストなしで、すばらしいホルンでした。トロンボーンをまねて涙を拭う仕草をして、ほほえましい笑いを誘っていました(^o^)。終楽章の痛恨の大事故を意識しての、涙ぬぐいだったのでしょう。やがて、舞台下手から登場したのはバルブつきのポストホルンを持った外人奏者でした。客演首席奏者のオッタビアーノ・クリストーフォリさんでしょうか。きょうの演奏を聴いたとき、音色的にはポストホルンではないだろうな、と思っていたので、楽器を見てちょっと驚きました。ともかく、総力戦で力を出し切ってくださった日フィルの皆様、ありがとうございました。そしてなんといってもインキネンのマーラーは素晴らしい!奇抜なことは全然やっていないし、変なリキミもない、自然で柔軟な、それでいて従来とは違う、みずみずしい魅力にあふれた説得力あるマーラーでした。この3番を聴く限り、ワタクシ独断と偏見で、インキネンは天性の新世代マーラー振り、と断定いたします!今回、インキネンの若い感性が、これまでとは違う新しいマーラー音楽の魅力を拓いてくれている、そんなことを感じながら聴いていたら、そういえばかつてこの曲のサロネン&ロサンゼルスフィル盤(1997年録音)を聴いたときも、こういう感じがしたなぁ、と思い出しました。サロネン盤も、新しい感性で、3番の新しい魅力を描き出してくれていました。どちらも同じフィンランド人、何か共通するものがあるのかもしれません。このところ3番の複数日公演で、初日の公演は「はずれ」ということが続いていたので、久しぶりに、「初日なのにすばらしい!」ということと、「この3番が明日もう一度聴ける!」という喜びにやや興奮しながら、帰路につきました。インキネンと日フィルと合唱団の皆様、ありがとう!また明日よろしく!!
2011.09.08
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インキネン&日フィルによるマーラー3番を聴きました。日本フィルハーモニー交響楽団 第633回定期演奏会9月2日、3日 サントリーホール指揮:ピエタリ・インキネンメゾ・ソプラノ:アンネリー・ペーボ女声合唱:栗友会児童合唱:杉並児童合唱団インキネンは若いフィンランドの指揮者でヴァイオリン奏者でもあるそうです。2009年9月に日本フィル首席客演指揮者に就任し、マーラー撰集としてマーラーを取り上げ始めたところです。第1回は昨年12月の巨人。これは僕は聴きませんでした。第2回が今年4月に6番の予定でしたが、震災の影響でインキネンが来日不能となってしまい、山田和樹指揮によるマーラーの4番ほかに変更されました。したがって今回が、インキネンによるマーラー撰集の実質2回目で、僕が初めて耳にするインキネンのマーラーです。どんなマーラーになるのでしょうか。まず初日(9月2日)から。オケの弦楽器は通常配置で、下手から第一第二のヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、コントラバスです。ハープ2台は下手で、ハープの後ろにチューブラーベル。また独唱者用の椅子は指揮者のすぐ左前に置かれていました。合唱団は普通にPブロック(オルガンと舞台の間の客席)。すなわちオーソドックスな配置です。開演時間となり、オーケストラ団員の入場と一緒に合唱団も入場してきました。Pブロックの中央に3列で児童合唱30名が並び、女声合唱はその左右に、児童合唱をはさむように並ぶという、左右対称の配置となりました。女声合唱は総勢60人という大部隊です。(したがって高さでいうと児童合唱と女声合唱は同じ高さになりました。チューブラーベルは舞台上でしたし、インキネンは配置の高さについてはあまりこだわっていませんでした。しかし左右対称というのはなかなか見た目も良い配置です。)オケでちょっと驚いたのは、ホルンがアシストなしの8人だったことです。さてインキネンが入場し、演奏がはじまりました。インキネンの指揮がすばらしい!基本テンポはやや早めでしたが、緩急変化が、決して小さいものではなかったです。この緩急変化が、曲調に非常に良くマッチしていて絶妙で、自然なので、聴いていてテンポが変化してもすぐには気づかず、そのうちにあれっ、いつのまにか結構テンポが遅くなっている、とか、逆にいつのまにか結構速くなっている、とわかる、という感じなんです。これほど自然で絶妙な緩急変化は、そうそうありません。インキネンのマーラー、これはすごいぞ、と驚きながら聴き進んでいきました。そしてオケが、初日にもかかわらず、実に良く鳴っています。特に管がいい。これが日フィル?(失礼ごめんなさい)とびっくりするほど、いい音です。特筆すべきはホルンで、日フィルのホルンがこれほど力強く鳴るのを、僕としては初めて聴きました。他の金管も木管も、輪郭がしっかりした、いい音でがんばっています。僕は日フィルはそれほど聴いていないので、良くはわかりませんが、昨年4月に聴いた上岡さんによるメンデルスゾーン5番のときも、今年4月の山田和樹さんによるマーラー4番のときも、僕の従来のイメージどおりの、きめの細やかさにやや欠ける音だったので、今日のこの音の良さは、きっとインキネンが引き出しているのだろうな、と思いました。第一楽章が進んでいき、インキネンの棒はますます生き生きとしてきます。イキイキねん。柔にして剛。打楽器も、鳴らすところはがんがん鳴らしますが、ちっともうるさくなく、気持ちよいです。力強さ、スケール、うきうきする楽しさ、喜び、すべて十分に表現している感じです。奇抜なことは何もやっていないのに、あっけにとられるほど新鮮な音楽が次々に生まれ、進んでいきます。なんと素敵な夏の行進。ホルン主題の再現の少し前、いろいな打楽器が同時平行でそれぞれが勝手にドンドンドンとかやっていくところ(練習番号51-52)あたりなども、若い感性で歯切れ良く元気良いだけでなく、非常に音楽的な魅力をもって進行していきます、もう本当に素晴らしい。いつも書いているように、第一楽章は厳しさというか剛の方向の表現に魅力的な演奏は比較的多いですが、楽しさというか柔の方向の魅力を十分に引き出している演奏はかなり少ないです。コバケンや大植さんがその稀有な例ですが、きょうのインキネンはそれらに匹敵する、柔の魅力を感じます。剛と柔の両方の魅力が出ているという点では、もしかしたらこれまで聴いたなかで最高の第一楽章かもしれないです。(ついでに細かいところを書いておくと、シンバルは冒頭のホルン主題提示時は一人、再現時には二人でした。)演奏に小さなキズはいろいろとあります。しかし日フィルのメンバーが全力でインキネンにこたえようとしているのが伝わってきますし、ここまで音楽が素晴らしいと、それらのキズが全く気になりません。すこぶるフレッシュで魅力的な第一楽章が終わりました。次の第二楽章は、前にも書きましたがこの曲の中で、ある意味一番難しい楽章と思います。凡庸に演奏すると、実につまらない音楽になってしまいます。第一楽章が良くても、第二楽章はあれっ?という感じの演奏も少なくありません。果たしてインキネンは?インキネンの第二楽章、これがまた歌心にあふれた、実にすばらしい演奏です。これほど美しくチャーミングな第二楽章は、そうは聴けません。第一楽章よりも一段と緩急の差が大きいのですが、その切り替わりが本当に自然で、やはり「気がつくとテンポが変化している」という感じで、魅力的です。うっとりとして聴き惚れていると、途中で思わず涙が出そうになったくらいでした。第二楽章が終わって、これはすごいマーラー演奏に立ち会っている、という高揚感が、さらに強まってきました。もし「これで今日の演奏終わりです」と言われたとしても満足して帰ってしまいそうな、すばらしさ。インキネンのマーラーは本物です!第三楽章が始まりました。僕としては近頃基本テンポがやや早すぎる演奏が多いように感じていましたが、インキネンのテンポは、本当に程よく、音楽に心地よくひたりながら進みます。ポストホルンは、僕の席(LBブロック)からはどこのドアが開閉したのか見えなかったですが、音は舞台左奥の方から聞こえてきました。あとで友人に聞いたところ、舞台上のドアでなく、2階のLAブロックの客席の後ろのドアが開いて、そこから聞こえてきたということでした。僕の席からは、程よい距離感をもって聞こえてきます。そして歌い回しも良かったです。すなわちインキネンはここの歌を奏者任せにせず、大きな仕草で丁寧な指示を奏者に出し、伸びやかな歌を歌わせていきました。大植さんが、この部分で同じように指揮していたのが思い出されます。今回のポストホルンは、目立つミスなく良かったですが、惜しむらくは音色でした。やや細身の音色で、これにもうひとつの魅力があれば、さらに良かったです。第三楽章最後近くの、「神の顕現」の楽節。ここも実に素晴らしかったです。長くなりすぎたので、この続き(第四楽章以後)は次の記事にわけて書きます。
2011.09.07
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北海道の高橋はるみ知事が、泊原発3号機の再開を容認し、とうとう営業運転が再開されてしまいましたね。耐震性も、活断層の検討も、安全性の確認はまったくないがしろにされたまま、道民の不安を無視したままの運転再開です。高橋はるみ知事は、経産省の官僚出身ですから、いかにも、ですが、それにしてもひどいです。僕たちは、福島原発震災後に初めて原発再運転の許可を判断した都道府県知事として、高橋はるみ知事の名前を忘れないようにしましょう。もし何かあったら、もはや国の責任だけにはできません。今日(8月17日)の東京新聞朝刊「こちら特報部」に、「泊原発営業運転容認の流れ」が詳しく書かれていました。以下抜粋します。------------------------------------------------------(ここから抜粋)もともと高橋はるみ知事は原発を推進してきた経産省の官僚だった。富山県出身。一橋大学を卒業後、旧通産省に入省。中小企業庁課長などを経て、2010年、経産省北海道産業局長に就いた。これが北海道との縁になった。2003年の知事選に自民党推薦で出馬し初当選。今年4月10日の知事選では新人三氏を大差で破って三選を果たした。新人候補三人(民主党推薦候補、共産党推薦候補、元民主党道議の無所属候補)はそろって「脱原発」を掲げた。これに対し高橋知事は、事故やトラブル発生時への対応について「しっかり検討していきます」(北海道新聞のインタビュー)と「検討」を口にするだけ。逆に「ただ、泊原発は1993年の北海道南西沖地震の際も影響なく、稼動停止すらしませんでした」(同)と安全性を強調した。(ひとまず抜粋終了)-----------------------------------------------------記事前半は以上です。そして記事の後半には、高橋知事と北海道電力との蜜月関係がかかれています。また抜粋します。-----------------------------------------------------(ここから抜粋)高橋知事は北海道電力との関係も深い。高橋知事の資金管理団体「萌春会」には、北海道電力の役員が毎年、個人献金している。真下紀子道議の調査では、 2004年から2008年にかけて、毎年30~40万円ずつ献金されていたとみられる。しかも、会長経験者は10万円、会長、社長は5万円、副社長は3万円などと役職に応じた額が決まっており、毎年、ほぼ同じ時期に一斉に献金している。この「萌春会」の会長は、元北電会長で、北海道経済連合会(道経連)の会長も務めた南山英雄氏。(ちなみに道経連の会長は1974年の発足以来、ずっと北電の会長。) 真下道議は道議会で「形を変えた事実上の企業献金だ」と指摘したが、高橋知事は「それぞれ個人の立場でご支援をいただいている」と述べ、今後も献金を受け入れる意向を示している。 さらには、道幹部が北電や関連会社に再就職していたことも真下道議らの調べで分かった。高橋知事に就任した以降に始まっており、少なくとも4人が再就職していた。元議会事務局長が2006年に北電調査役に就任し、昨年退職。ほかに元建設部参事が子会社の技術顧問に就くなど、3人が子会社に再就職し現在も在職している。(ここまでで抜粋終了)-----------------------------------------------------おそるべき、知事を旗頭にした、原子力ムラ北海道字、ですね。献金、天下り、電力会社会長が経連の会長。ムラの基本構造は、福島原発震災後もいささかも揺らいでいないのです。すごい耐震性。そして字の末端、泊村は。泊村の牧野村長は、「知事が容認なら私たちも問題ない」と歓迎の意向です。地元住民は、原発に大きく依存した経済生活と、安全性の不安との板ばさみで複雑な思いのことでしょう。。。おそるべき、交付金という毒まんじゅう。福島原発震災以後、原発の再稼動が停滞している状況で、このままいけば来年3月には日本中の原発がすべて停止するはずでした。しかし残念ながら、泊原発3号機の運転再開により、同機が次の定期点検に入る13ヵ月後(来年9月)まで、この事態は先送りになってしまいました。経産省はこれを突破口として他の原発再稼動を目指すでしょうから、ともかくそれを阻止し続けましょう。
2011.08.17
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先日北海道に家族旅行に行ってきました。小樽を訪れ、暑いけれどさわやかな風にあたりながら運河を散策し、ガラス工芸品を見て、お刺身を食べました。小樽から北に広がる青い海(石狩湾)はきれいでした。その時期丁度「北海道新聞」には、泊(とまり)原発3号機の営業運転再開をめぐる記事が連日大きく取り上げられていました。地図で見ると、北西に大きく突き出た積丹半島があり、半島の左下の根元あたりに泊原発があります。泊原発から東北東約40Kmに小樽市があります。真東方向約70Kmには札幌市があります。もしも原発事故が起これば、風向き次第では放射能が小樽を直撃します。札幌も安心できない。昨日(8月13日)の東京新聞にも、泊原発3号機の記事が大きく載っていました。以下、記事を抜粋します。-----------------------------------------------------------------------------------(ここから抜粋開始)定期検査中だった泊原発3号機は、東日本大震災直前に調整運転にはいり、当初は4月にも最終検査を受けて営業運転を再開する予定だった。しかし福島原発震災を受けて北海道電力が営業運転再開の申請を延期し、異例の長期にわたるフル出力状態の調整運転が続いている。同じように東日本大震災直前に調整運転にはいっていたのが、福井県の大飯原発1号機。経産省はこのふたつについてはストレステストをせずに早急に営業運転に持ち込みたい意向だった。ところが大飯原発はトラブルで7月に運転を停止した。そこで営業運転再開の見込みが立つのは泊原発だけになっていた。8月11日に開かれた内閣府の原子力安全委員会で、泊原発3号機の最終検査結果について、原子力安全・保安院が「技術上の問題はない」と報告した。班目春樹原子力安全委員長は、「定期検査は規制行政庁である保安院が責任をもって行うものである」と述べて、委員会としての判断を示さなかった。泊原発が営業運転を始めれば、震災後は初めてのケースになる。これを機に、政府は全国の定期検査を終えた原発について、運転再開に一気に舵を切る可能性もある。高橋はるみ知事は、一度は国の対応に強い不快感を示したものの、一転して再開容認の姿勢に。道民からは「福島の原発事故で原発の安全性が大きく揺らいでいるのに、運転再開を急ぐのはおかしい」といった疑問が出ている。知事は泊原発周辺の4町村の意見を聞くとしているが、10Km圏外の15町村は説明がないことに住民の不満が高まっており、一致して道と北電に協議を申し入れる方向だ。8月1日には、道内の38人が、営業運転再開を認めないよう国に求める訴えを札幌地裁に起こした。(記事の抜粋、ここまでで終わり)-----------------------------------------------------------------------------------泊原発3号機は、出力91.2万Kw。プルサーマルも計画されています。建設着工2003年11月、営業運転は2009年12月と比較的新しいものです。しかし新しいから大丈夫かといえば、まったくそんなことはありません。泊原発の耐震性は、建設着工した当時の旧指針による耐震性は370ガル。2006年9月の新指針による耐震性も、わずか550ガルに引き上げられただけなのです。(ちなみに福島第一原発の耐震性は600ガルだった。)近年、日本のあちこちで、これを軽く凌駕する1000ガル、2000ガルの地震の発生が繰り返されています。2008年の岩手・宮城内陸地震では、一関市で3866ガルの上下動が記録されています。また泊原発から約10Km離れた海底に活断層があるという指摘も2009年に出ています。これでどうして安全といえるのでしょうか。「技術上の問題はない」という原子力安全・保安院は、滅茶苦茶と思いませんか。しかもそれに対して、「保安院が責任をもって行うものである」と述べるだけで、安全性の判断をしようとしない原子力安全委員会は、まったく無責任です。どうして班目委員長を解任しないのか。北海道知事も、4町村だけからしか意見を聞かないとは、信じられない神経です。福島事故前と何も変わっていないのでしょうか。。。なんとか、営業運転が再開されないことを強く願います。札幌地裁の判断にも期待したいです。
2011.08.14
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マーラー3番を聴きに、京都にやってきました。今回は大野さんの振る京響です。京響を聴くのは今回が初めて、どんな音になるのか楽しみでした。熱い日差しの中、会場の京都コンサートホールに到着しました。 開場までのひとときを、併設のレストランでカフェオレを飲んで過ごしました。 このレストランには広上さんのスペシャルメニューもありました。次の機会には食べてみたいです。さて、時間です。ホールに乗り込みましょう。------------------------------------------------------------------京都市交響楽団第548回定期演奏会7月24日 京都コンサートホール指揮:大野和士独唱:手嶋眞佐子(メゾソプラノ)合唱:京都市民合唱団(女声)児童合唱:京都市少年合唱団管弦楽:京都市交響楽団マーラー 交響曲第3番------------------------------------------------------------------独唱は、予定されていたアルトの小山由美さん(ドイツ在住)が体調不良で来日不能になったため、ピンチヒッターとして手嶋さんが登場ということでした。手嶋さん、昨年の札響のマーラー3番でも歌ってました。オケの配置は普通で、弦は下手から順に第一第二のヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、コントラバス。合唱団とおぼしきスペースは、舞台上ではなくて、舞台とオルガンの間の数列の座席のうち後方の2列です。なお前方の3列(2列だったかも)には普通にお客さんが着席していたのが、珍しかったです。そしてチューブラーベルが、舞台上ではなく、合唱団席の下手側の端っこ、すなわちマーラーの指示通りの高い位置にセットされていたので、期待が高まりました。オケが入場し、演奏が始まりました。速めのテンポで進んでいきます。大野さんの指揮による第一楽章、きっちりとしていますが、僕としてはもっと歌うようなふくらみが欲しい感じでした。オケは、第一楽章から良く鳴っていました。とくにホルン隊はいい音色で力もあり、立派でした。楽章半ば過ぎて、ホルンの主題が再現される直前の舞台裏の小太鼓は、舞台下手側のドアがあけられて、その向こうから聞こえてきました。僕の席は1階3列目のやや左寄り、つまりあけられたドアのかなり近くだったにもかかわらず、この小太鼓は近すぎないで程よい距離感を持って響いてきたので、とても良かったです。途中ユニークだったのは、トロンボーンのモノローグが終わって、夏の行進が小さく始まってしばらく続いていくところ(練習番号21~25と、63~65)でした。ここは弦の各パートがそれぞれ半分の奏者で弾くように指示されていて、普通は各プルトのオモテないしはウラの一人が弾くのだと思いますが、今回の大野さんは、後ろ半分のプルト、すなわち指揮者から遠いところに位置する奏者で弾かせていました。しかしこれ、指揮者から遠く離れた奏者たちが弾いたため、合わせにくかったこともあってか、アンサンブルの縦の線が不ぞろいになりかけて、はらはらしました。それと、この方法だと指揮者を中心に半径何メートルかの音の出ない空間があり、その外から音が出てくるので、僕のように指揮者のかなり近くの席で聴いていた者にとっては、何か音世界が空洞化したように聞こえました。夏の行進の喜びが徐々に盛り上がってくるこの部分でのこのような空洞化は、少なくとも僕の席では違和感があって、この方法は疑問に感じました。離れた席で聴いたら、また違った印象なのかもしれませんが。第二楽章が終わったところで合唱団が早くも入場してきました。舞台とオルガンの間の後方2列に、下手側三分の一に児童合唱、中央から上手側三分の二に女声合唱団が並び、着席しました。児童合唱のすぐ向かって左隣に鐘があるという、見るだけでうれしい配置です。児童合唱団の名前は「京都市少年合唱団」なので、男児だけなのかもと想像しましたが、男女比は半々くらいでした。(でも男児がほとんどいない場合も多いので、これだけ男児がいるのは立派です。)さて合唱団が入場し終わって静まってから、独唱者がしずしずと入場してきて、拍手が自然に湧き起こりました。独唱者は指揮者のすぐ左側に置いてある椅子に座りました。第三楽章のポストホルンは、舞台の右横上方、2階か3階の裏の方から聞こえてきました。いい音色、いい音程で、それが程良い距離感を持って遠くから響いてきて、すばらしいです。また、最初のうちはやや遠くから響いていたのが、最後のほうはさらに遠くから聞こえてくるように小さく響かせていたのも、とっても感心しました。マーラーはポストホルンの距離についてもスコアに細かく指示していて、遠くから始まって、ちょっと近づいて、また遠ざかって終わるようになっていますが、この指定をきちんと実行しようとする指揮者は少ないです。僕の体験したなかでは、今年2月のチョンミュンフン&N響の公演くらいです。(チョンミュンフン&N響の二日目の記事に書くつもりでしたが、今のところ書かずじまいになってしまっています。)あともう一つ、2006年に準メルクルが国立音大を振ったサントリー公演でも、距離感に関する準メルクルの工夫が見られましたが、効果としては不十分でした。)第四楽章が始まる前に、大野さんは合唱団をあらかじめ起立させました。このあたりのこだわりにも感心しました。第四楽章が終わってから合唱団を立たせる普通の方法と比べると、この用意周到な方法は第四と第五楽章のアタッカの緊張を維持するのに非常に効果的ですが、2002年のシャイー(コンセルトヘボウ)など、ごく僅かな指揮者しか実行しません。第四楽章の最後の長いチェロとコントラバスの弱音が消えないまま、文字通りアタッカで、第五楽章が始まり、それとともに合唱団にも照明が明るく照らされました。いい入り方です。しかし、肝心のチューブラーベルの音がとても弱々しく引っ込んでいて、あまり聞こえてきませんでした。折角高さにこだわった良い配置だったのに、このベルの音は非常に残念でした。第五楽章が終わると、すぐに合唱団と独唱者は座り、緊張感が保たれたまま、第六楽章が始まりました。この4,5,6楽章のつながりを大事にする点も、大野さんは充分に配慮していて良かったです。第六楽章は、はやめのテンポに始まり、最後のほうは少しテンポを落としてじっくりと歌うという流れでした。曲の最後の音が、まだ物理的な残響が残っているうちに拍手が始まりました。こういった非常に早いタイミングでのフライング拍手(super early flying)を聞くことは最近はほとんどなかったので、久しぶりでした(苦笑)。(フライング拍手についてはこちらの記事「余韻考(3)」をご参照ください。)拍手が続く中、オケのメンバーを個別に立たせるときになり、最初に立たせたのはトロンボーン、これはまぁお作法ですね。そのあとトランペット、そして木管の各セクションを立たせたあと、ようやくホルンの番になりました。今日のホルン隊は本当にすばらしかったです。そして、そのしばらく後に、2階の右手サイド奥の客席に、トランペットとおぼしき楽器を持った奏者が登場しました。ポストホルン氏(ぐすたふさんのブログによると早坂氏とのことです)の登場です。このポストホルンも、音色、音程、距離感、すばらしかったです。なお最後まで合唱指導者が舞台に出てこなかったのは異例でした。そういえばプログラムには、合唱団のメンバーの名前は出ていますが、指導者の名前が出ていないのも珍しいことです。ところでチェロとヴィオラにどうも見覚えのあるお顔が見えていたので、終わってからプログラムのメンバー表を見たら、チェロの客演首席が神奈川フィルの首席山本裕康さん、ヴィオラの客演首席が神奈川フィルの首席柳瀬省太さんということでした。お二方、京響に参加されてるんですね。以上、散漫な文章になってしまいましたが、オケのことをまとめると、1日だけの公演で、ここまで充実した音を出した京響は、立派の一言でした。さて大野さん。大野さんのマーラー3番は、1998年に東京フィルを振ったとき聴きました。このときの細部は覚えてないですが、いささかがっかりしたことを覚えています。今回聴いて感じたのは、大野さんの3番は、全体の設計を優先しているように思いました。この長い音楽を弛緩するところがなくまとめ、そして最後の盛り上がりまで全体の構成をきちんと設計して、それをしっかり音作りしているという感じです。それはもちろん良い点でもあります。その一方、細部の、たとえば管の短いひと吹きやハープの一音などが、あっさりと流れてしまうところが多々あります。そこが僕にはとっても物足りないです。僕はもっと細部のひとつひとつの意味が次々と現れてきて、それがかみ合ったりぶつかりあったりしながら全体が積み重なって出来ていくようなマーラーが好きです。チューブラーベルやハープなど、もっともっと音にこだわってもらいたいと思いました。その意味で僕の好きなマーラーではありませんでした。でも、全然つまらなかったと言うことではありません。聴いていて、しっかりした構成感というか、整理された見通しの良い音楽の流れの中に浸る心地よさを感じました。ところどころ、あぁいい音楽だなぁ、と感動するときもありました。こういうマーラーもありなのでしょう。それに大野さんの、後半楽章のアタッカにこだわったことや、距離感に関するセンスの良さには、感心しました。いずれ広上さんの振る京響の3番を聴いてみたいなぁと思いながら、帰路に着きました。
2011.07.30
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小出裕章氏の「原発のウソ」を読みました。扶桑社新書 0946月1日初版第一刷発行。今注目を浴びている小出氏の書き下ろしですから、すでに大勢の方が読まれたと思います。原発の問題点が、平易な文章でわかりやすく、整理されて書かれています。新書で183ページなので、量的にも少なく、とても読みやすく、すぐ読めます。3月11日以後原発関連本をいろいろ読んだ中で、一番読みやすく、しかも大事なことが網羅されています。まだ原発の問題を良く知らない人に本を1冊だけお勧めするとしたら、僕はこの本を選びます。-------------------------------------------------------------------------第一章 福島第一原発はこれからどうなるのか第二章 「放射能」とはどういうものか第三章 放射能汚染から身を守るには第四章 原発の“常識”は非常識第五章 原子力は「未来のエネルギー」か?第六章 地震列島・日本に原発を建ててはいけない第七章 原子力に未来はない第一章では福島原発がまだまだまったく予断を許さない状況であり、政府と東京電力が生データを全て開示すべきなのに怠っていること、などが指摘されています。第二章では、ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムとその危険について簡潔な解説があります。福島第一原発からは4月までの時点で、すでに 広島原爆80発分の「死の灰」が飛び散っていて、しかもまだ漏れ続けていることが書かれています。この二つの章が導入で、第三章から、核心にはいっていきます。現実に今日本で起きていることがどのくらいひどい状況かということが、きびしい現実を正しく直視している小出氏の冷静な筆致により、淡々と書かれています。氏は苦渋の提言をしています。少し紹介します。『』は本書からの直接の引用です。)国が無責任な態度を取り続ける以上、自治体などによる自主的な除染作業はどしどしやったほうが良い。その作業で出た放射能で汚染されたゴミをどうするかが問題だが、それは福島第一原発周辺に、放射能の墓場を造ることしかない。『大変言いにくいことですが、おそらく周辺住民の皆さんは元にもどれないでしょう。むしろすぐに戻れるような期待を抱かせる方が残酷です。現実的な方策として、私はその無人地帯に汚染されたゴミを捨てる「放射能の墓場」を造るしかないと思っています。』そして、汚染された農地の再生は、不可能であろうこと、若い人ほど被曝による危険が高いこと、今となっては食物の汚染は避けようがないことから、氏は次のように言います。『どんな汚染でも生じてしまった以上は拒否してはいけない。「汚染されている事実」をごまかさずに明らかにさせたうえで、野菜でも魚でもちゃんと流通させるべきだということ。そして「子どもと妊婦にはできるだけ安全と分かっているものを食べさせよう。汚染されたものは、放射線に対して鈍感になっている大人や高齢者が食べよう」ということです。』『マスコミは「暫定基準値を下回っているから大丈夫」としか言っていませんが、基準値以下だから安全だ ということは絶対にありません。なぜ消費者に分かるように、一つ一つの食品についての「汚染度」を表示しないのでしょうか。汚染度を表示しさえすれば、個々人が自分の判断で「食べるか食べないか」を決めることができます。自分の命にかかわる基準を他人に決めてもらうやり方は、根本的に間違っています。大事なのは「自分の被曝を容認するかしないかは、自分で決める」ということです。政府や一部の専門家は「容認できるレベル」の被曝なら何の問題もないようなことを言っています が、惑わされてはいけません。』すぐには受け入れがたい提言、と思う方もいらっしゃることでしょう。しかし長くこの問題にとりくんできた小出氏だからこそ言える、真摯で苦渋の提言を、僕たちは重く受け止める必要があると思います。 次の第四章では、原発の「ウソ」がずばりとまとめられています。原発は電気を作ると同時に「死の灰」も作る。これが原発の抱える危険の根源である。今や日本のあちこちに広島原爆の80万倍もの「死の灰」がたまっている。政府や電力会社は原発の危険性を元から良くわかっていた。だから国の原子力委員会が定めた「原子炉立地審査指針」で、原発は人口密集地から離れたところにつくるべしと決めている。原発は危険が高く、大事故が起こったときの損害はきわめて巨額にのぼるので、個々の電力会社が補償できないし、そんなリスクをわざわざ背負いたい会社はな い。したがって電力会社は放っておいたら原子力発電をやらない。そこで政府は電力会社を原子力開発に引き込むために、「電力会社は事故時の賠償金を全額払 わなくてもよい、あとは国が払う」というおかしな法律を作った。それが「原子力賠償法」。さらに電力会社を原子力発電に導くために、国は電 力会社を独占企業にして、しかも絶対に損をしないで利潤が出るように、電気料金を決めてよい、という法律を決めた。すなわち、電力会社が持っている資産の 何パーセントかを、自動的に利潤として上乗せしていい、と決められている。原子力発電所を作れば作るだけ、資産がどんどん増えるので、利潤がどんどん増える。原発を作れば作るだけ、儲けが増えるように、法律で保障されている。電力会社が「原子力発電のコストは安い」と言っているのはウソである。実際に調べた結果では、火力や水力よりも原子力発電のほうが高い。「原子力発電は二酸化炭素を出さない」というのもウソ。ウランの核分裂反応が二酸化炭素を出さないだけで、実際に原子力発電をするためにウラン燃料を採掘、製錬、濃縮、加工して、さらに使用済み燃料を再処理、廃物処分するという一連の過程で、沢山の二酸化炭素を発生する。そもそも二酸化炭素よりもはるかに危険な「死の灰」を生み出し続けるのに、クリーンとかエコとかいうのはまったくおかしい。しかも原発は直接海を温め続ける。標準的な100万Kwの発電をする原発は、1秒あたり70トンの海水を引き込んで、その温度を7度上げ、また海に戻している。日本の川から海に流れ出る総流量は、年間で約4000億トン。一方、日本中の今の原発が7度温めている海水は、年間約1000億トン。原発は日本近海を直接多大に温めている装置。第五章では、石油や石炭に比べて地球上のウランの資源量は実はごくわずかで、石油よりかなり前にウランが枯渇してしまうことが明らか。「化石燃料が枯渇するから未来のエネルギーは原子力」という宣伝はまったくの誤り。燃えないウランからプルトニウムを作ろうという核燃料サイクル計画は、世界の核開発先進国は次々と撤退している。日本だけが、できもしない計画にいまだに拘泥し、破綻確実の高速増殖炉「もんじゅ」に莫大なお金(すでに1兆円以上)を無駄に使っている。核燃料サイクル計画が頓挫しているため、日本にはいまや沢山のプルトニウムがたまってしまっている。これを何とか消費するために、苦し紛れに、危険な「プルサーマル発電」(普通の原子力発電所でプルトニウムのたくさんはいったMOX燃料を燃やす)を始めたり、さらに危険な大間原発(世界に前例のないフル MOXの原子力発電所)を作ろうとしたりしている。『愚かな行為のためにさらに愚かな選択を迫られる悪循環に陥っているのが、日本の原子力発電の本当の姿です。』第六章で は、地震地帯に原発を建てている日本の愚かさが指摘されています。特に、六ヶ所村にある使用済み核燃料再処理工場が、安全性、経済性、あらゆる意味で有害 無益な施設であることがわかりやすく解説されていて、また高速増殖炉「もんじゅ」に大事故が起きたら、普通の原発の比ではない大災害になることも指摘され ている。第七章、見事なまとめです。これは皆様、この本を買って、是非直接お読みください。ちょっとだけ引用させていただくと、『いちばんの代替案は「まず原発を止めること」です。「代替案がなければ止められない」というのは、沈没しかけた船に乗っているのに、「代替案がなければ逃げられない」と言っているようなものです。命よりも電気の方が大事なんですね。原発は、電気が足りようが足りなかろうが、即刻全部止めるべきものです。そして、全部の原発を止めてみた時、「実は原発がなくても電力は足りていた」ということに気づくでしょう。』このあと、すべての原発を止めても電気は足りることが、数字で示されています。そしてさらに、原発を止めてもそれで終わりではないこと、今すでに沢山できてしまっている放射能のゴミを管理していかなくてはいけないこと、それがいかに長期にわたり、至難なことであるか、それが書かれています。------------------------------------------------------------------------- この本には、小出氏がこれまで長く発言されてきたであろうこと、そして今回の事故後にいろいろな場所(講演、メディア、国会など)で提言されていることが、 とてもわかりやすく、コンパクトに、しかも具体的に書かれています。今でも漠然と「原発はなんとなくこわいけど必要なのかなぁ」と思っている人は多いのかもしれません。もし周りにそういう人をみかけた方は、その人にこの本を強くプッシュしませんか。その人に是非是非この本を読んでもらって、原発に対するご自分の意見を、ご自分の責任で、持ってもらいたいものです。
2011.07.03
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二日目から一夜あけた6月19日、三日連続3番公演最終日のレポートです。開場前、きょうも昨日と同じ場所でコーヒーを飲んでいると、やはり今日も来ました来ました、先生方に引率された男女数十人の中学生くらいとおぼしき生徒たち。目の前を通り過ぎるとき、生徒の人数を数えてみたら、ちょうど50人でした。児童合唱の生徒たちですね、3日連続お疲れ様です、きょうも頑張ってください。今日も大入り満員の会場で、佐渡さんのトークが始まりました。昨日に続いて六甲おろしの話をしようと思っていたらしいのですが、うっかりそれをし忘れてしまったようでした。今日は「没後100年」は順調に出ましたが、連日何かと突っ込みどころの多いトークとなっていました(笑)。僕の今日の席は1階のかなり前寄りの、ほぼセンターでした。自分としても初めての、3日連続3番体験が、いよいよ始まりました。第一楽章から、きょうはオケの音がしっかり噛み合い、まとまって、すばらしいです!席の違いもあるので厳密な比較はできないですが、僕の感覚としては昨日とは全く違う次元の、圧倒的なパフォーマンスです。金管部隊は、なんといっても特筆すべきはホルン隊の威力です。初日から高いレヴェルだった強力ホルン隊、きょうはますますパワーと安定性が増し、圧倒的なパフォーマンスです。これは凄い。ホルンを筆頭に、他の金管群もすばらしい。柔らかい音色が魅力の1番トランペット(おそらくMCO奏者)も、3日目が一番良かったですが、それでもやはり突き抜ける輝きが欲しい場所でも遠慮がちに聴こえたのが、唯一の、物足りなさを感じたところでした。木管も、昨日までは奏者ひとりひとりはいい音を出していても、何かそれがしっくり他の音と合わず、微妙な違和感を感ずることが多かったのですが、きょうはそれがなく、オケ全体の音の一部としてふさわしく響いています。弦も、ますます好調。僕のきょうの席は、佐渡さんとチェロやヴィオラの第一プルトが、かなり間近にかぶりつき的に見れる席でしたので、初日・二日目とも好印象だったチェロとヴィオラの演奏を間近で見聞きできて、ますますその魅力に惹かれました。第一楽章で佐渡さんが、弦へのキューをかなり多く出していることがあらためてわかりました。特にヴィオラやチェロへの弱音部分で、えぐりこむような強いキューが印象的でした。それにこたえるヴィオラやチェロのジャワジャワっとした弱音が、シャープで鮮やかで、実に素晴らしいです。なにしろ第一楽章の持つ多面的な魅力を、岩山のごとき峻厳さも、夏の行進の歓びも、弱音部でのえぐりこむ緊張感も、十分なパワーとスケールで、表してくれたのは驚異的です。三日目にきてついに、佐渡さんと二つのオケがしっかりひとつになった音楽が鳴っています。これを、これを待っていました!第三楽章のポストホルン、僕の席はかなり前寄りで、舞台下手奥のドアがあいたとき、ドアの上部が開いたのがわずかに見えるという位置でした。それが幸いしたのか、初日ほどには近くから聴こえず、二日目と同じように、まずまずの距離感を持って響いてきました。佐渡さんは今日もとても遅いテンポでポストホルンを吹かせましたが、頑張っていい演奏でした。なお、このポストホルンの伴奏部分で、二日目の演奏では名手の1番クラリネットが、途中の入りのタイミングを間違えて、かなり音がずれてしまったという、ご本人にとっても悔しいであろうアクシデントがありましたが、きょうは完璧でした。第三楽章が終わり、合唱団、ついでヤングさんの入場です。今日はヤングさんは、初日、二日目の青緑色のドレスでなくて、漆黒のドレスでの登場です。この歌が本当にすばらしかったです。歌いだしの絶妙な弱音、そして「O Mensch!」のschとか、「Gib Acht!」のchtとか「Ich schlief!」のfとかの語尾の子音が巧みに強調され、そのたたずまいに深い余韻があり、引き込まれて聴きました。名唱です。昨日までの青緑のドレスも美しい色でしたが、夜の闇の深さを歌うこの楽章には、黒いドレスがとても似合うと思いました。なお第四楽章の半ばで、ホルンの本数が増えて独唱者の伴奏の和音を奏でるところ、二日目の演奏ではホルンの音がちょっとばらけて不揃いでまとまらなかったのですが、きょうはここも完璧にクリアしたホルン隊でした。第五楽章への入り方は、佐渡さんは第四楽章が終わってから合唱団に起立の指示を出し、譜面をめくって、振り始めるという方式でした。それから終楽章への入り方も、第五楽章が終わってから独唱者が座り合唱団を座らせてから振り始めるというやり方でした。どちらも、二日目までと基本的には同じ方式です。二日目までは、間合いが間合いとして感じられ、各楽章が別個のものに途切れ途切れになった感じがしました。しかし今日は、間合いそのものがおそらく二日目までよりも短かったように思いますし、間合い自体に緊張感が保たれていて、アタッカに近い雰囲気となっていました。これならば、興をそがれることなく、4,5,6楽章が一続きの音楽として感じとれます。そして終楽章。あぁ三日目にして、ついにミューズの神は降りてきてくれました。非常にゆっくりとしたテンポ、フレーズの終わりから次のフレーズにはいるところの粘り。CDに聴くバーンスタインの演奏が想い起こされます。そしてオケの奏でる音の美しさ。節目節目で出てくるホルン隊の強奏の、なんと力強く、なんと神々しい響き!PAC+MCO+ジョナサン・ハミル氏による終楽章のホルンの響き、忘れられないものとなりました。最後近くの金管コラールの1番トランペット、二日目は惜しくもはずした最高音も、きょうはきっちりと決まりました。最後のティンパニの大いなる歩みのところ、悠然とした歩みによるスケール感が、すばらしいです。この部分、チェロとコントラバスもティンパニと同じ音程、音型で主音属音を繰り返しますね。今日初めて気がつきましたが、この部分でチェロの人たちが、指揮者ではなく、ティンパニにあわせるべく、右を向いてティンパニを見ながら弾いていました。(コントラバスは僕の席からは視認できず。)ただしチェロパート全員ではなく、首席をふくめておよそ半数の奏者が、そうしていました。おそらくMCOの奏者だろうと想像します。なるほど、こういうふうにしてあわせるやり方もあるんですね!充実した主和音の響きに浸りながら、このシーンを眺めていたひととき、僕にとって忘れられない幸せなひとときとなりました。ティンパニの最後の一打ち、二人のティンパニ奏者の打撃が、二日目は微妙にずれてしまいまいたが、今日はびしっとそろって、画竜点睛の一打ちが決まりました。きょうは本当に何もかもが決まった、ミューズの神に祝福された演奏でした。終わった後、ポストホルンを吹いたPACの赤堀さんが立ったとき、持っていたのは、ポストホルンにしては随分大きめで、ちょっとしたホルンくらいの大きさがあるかもしれない楽器でした。やはりバルブつきのポストホルンなのでしょうか。だとすれば三日ともこの楽器を使って吹かれたということなのでしょう。初日の音色からはポストホルンは使っていないだろうと思ったのですが、僕の耳はやはりあてになりません。ともかく三日間、堅実で安定したポストホルンを聴かせていただきました。3番3本勝負、三日目は文句なしの満塁ホームラン。またひとつ、幸せな3番体験ができました。佐渡さん、PACとMCOの方々、ヤングさん、合唱の皆さん、すばらしき3番をありがとうございました。
2011.06.30
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初日から一夜あけた6月18日、二日目の演奏会のレポートです。きょうも開場前に館内の喫茶でコーヒーを飲んでいると、中学生くらいの男女数十人が大人に引率されて目の前を通り過ぎていきます。昨日見た光景とそっくりです。3番を歌う児童合唱団かと思われます。 今日の僕の席は、2階左サイドの中程です。昨日と逆サイドで、昨日より舞台から遠い席でした。開演前、佐渡さんが舞台に出てくると、拍手の始まりに混ざって、客席から「今回はおめでとうございます!」と祝福の掛け声があがりました。佐渡さんも嬉しそうで、きのうより少々くだけた感じでベルリンフィルを振った感激に始まるトークをされました。お話の内容は昨日とほぼ同じでしたが、昨日と違うのは、「昨日サイン会で、ファンの方から、マーラー3番は六甲おろしに影響を与えているのですか、と言われて、考えたことがなかったのでびっくりした」で会場は爆笑。また途中、「マーラーは今年没後100年でして、、、あれっ、200周年だったかな?」にはずっこけました。地元で愛されリラックスしているマエストロの、愛嬌あるトークでした。六甲おろし、あんまり知らなかったので後日YouTubeで聴いてみましたが、メロディーはマーラー3番とあんまり似ていないと思いました。第一楽章の元気な行進のイメージか?そのファンの方がどのような意味合いでおっしゃったのか、興味深いところです(^^;)。さて演奏は、昨日よりは断然音がまとまってきています!弦はきょうも好調で、チェロやヴィオラの現代的でシャープな音色が斬新でいい感じです。木管は、きのう緊張が感じられた1番オーボエ(PACの奏者)も、きのうよりしなやかな音で、調子をあげてきています。きのう活躍が目立っていた1番クラリネット(MCOの奏者オリヴィエ・パテーさん)は、今日も良くて、木管セクションを引っ張るような存在感があります。ホルン隊はきょうも力強く、かなりのハイレベルです。惜しむらくは1番トランペット(おそらくMCOの奏者)が、初日と同様に、いつでも弱くやわらかい音色で吹くことです。そういう曲想のところでは魅力的ですが、しっかりとした音を出してほしいところでもそのままの音で、引っ込んだまま前にでてこないので、もどかしく感じました。第三楽章のポストホルンは、僕の今日の席が左サイドで、舞台下手の開いたドアが見えなくて、間接音だけで聞こえてきた関係上か、昨日よりも遠くから柔らかく響いてきて、なかなか良かったです。なお初日で書き落としましたが、第三楽章が終わってから、楽章の間合いで合唱団が入場してくるときに、ポストホルンを吹いたと思われる奏者(PACの赤堀さん)が入場してきて、1番トランペットの向かって右隣に座りました。もしかして後半の楽章の演奏に参加し、終楽章のコラールなどの重要なところを、それまでの1番奏者と代わって吹くのだろうかと思って注意して見ていましたが、最後までアシスト的な参加だけでした。第一楽章から1番トランペットを吹いていた奏者が、最後まで1番のパートを吹いていました。これは二日目も同じでした。独唱のヤングさんは、きのうと同じ青緑のドレスで、歌いだしの弱音がやはりとても美しく、引き込まれました。終楽章は、やはり相当ゆっくりとしたテンポで、ゆったりと演奏されました。きょう二日目の演奏は、全体として、初日より断然音がまとまってきて、いい音楽になってきました。初日よりはずいぶん良かったし、それなりに感動もしました。しかし僕としては、いまひとつ充分に音楽に浸ることができず、やはりある種のもの足りなさを感じた演奏会でした。昨日も今日も、終演後にオケの奏者を一人ずつ立たせるところで、佐渡さんが最初に立たせたのはもちろん1番トロンボーンでした。次に1番トランペットが立ち、その次にポストホルンを吹いたPACの赤堀さんが立ちました。赤堀さんは、昨日立ったときは特にポストホルンらしい楽器は持っていなかったですが、今日は、ポストホルンらしい楽器、それもバルブ付きと思われる楽器(遠目なのではっきりとは確認できませんでしたがバルブ付きに見えました)をもって立たれました!バルブ付きの楽器ということは、この楽器で吹いたのでしょうか。音色的には良くわからなかったのですが(我ながら頼りない耳)、ポストホルンを用いてあそこまでしっかり吹いたのだったら素晴らしいと思いました。独断と偏見による3番3本勝負、初日が凡打とすれば、二日目は二塁打という印象でした。明日はいよいよ最終日、どういう音楽になるのでしょうか。昨日よりは、やや明るい見通しが見えてきたような、そんな気分で、ホールをあとにしました。--------------------------------------------------------------------------付録:各パートのトップ奏者の所属オケ初日の記事で書いたように、PACとMCOの参加奏者は47人ずつと、ちょうど同数です。では各パートのトップ奏者などはどうなっているのだろうと興味がわきました。そこで二日目の演奏会に臨む前に、ネットでPACとMCOのメンバー紹介ページの写真を見ておきました。プログラムの記載およびネットの写真、そして実際の舞台を見て判断した結果を、わかった範囲で書いておきます。(間違っているかもしれません、その際はご存知のかたご指摘いただければ、大変ありがたいです。)コンマス:PAC(四方恭子さん)2nd ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス: いずれもMCOフルート、クラリネット、ファゴット :いずれもMCOオーボエ:PACトランペット、ホルン、トロンボーン :いずれもMCOポストホルン: PAC(赤堀裕之史さん)ティンパニー:MCOハープ:PACすなわちPAC奏者はコンマス、ポストホルンを含めて4人でした。かたやMCO奏者は11人で、トップ奏者でみると断然MCO奏者が多い編成でした。
2011.06.29
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佐渡さんのマーラー3番を聴きに、兵庫県立芸術文化センターを初めて訪れました。第44回兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会6月17,18,19日兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール指揮:佐渡裕メゾソプラノ独唱:ミシェル・デ・ヤング女声合唱:オープニング記念第9合唱団児童合唱:大阪すみよし少年少女合唱団管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団(以下PAC) & マーラー室内管弦楽団(以下MCO)これまで佐渡さんの音楽を聴いたのは去年のキャンディードの東京公演だけで、マーラーは初めてです。また実力オケMCOとの合同演奏というのも、非常に楽しみでした。そして3日連続で3番を聴くというのも、3番中毒の自分としても未体験です。果たしてどんなことになるのでしょうか。17日金曜日、会場の兵庫県立文化センターに多少早い時刻にやってきました。 エントランスに向かう通路には、佐渡さんののぼりが立ち並び、「佐渡城」にやってきたという実感をいだきます。 館内に足を踏み入れると、星々の輝きが想起されるような天井が、素敵です。まだ人のまばらな館内は、シンプルで洗練されたデザインの空間で、古楽の展示コーナーもあり、チェンバロによるゴルトベルグ変奏曲の映像と音声が流れていたりして、美術館風の落ち着いた佇まいです。 まだ閉まっている大ホール入り口には、本日の演奏会のチラシ(普通の小さいチラシ!)が掲示されています。これもなかなかお洒落です。 ホール掲示板には、「本日の公演のチケットは全席完売です」と貼り出されてありました。金曜日の15時開演の公演で完売ですから、土日の公演は当然満席でしょう。三日連続の3番公演を行うこと自体、チケットが売れる見込みがあるということですから、すごいことですし、それが実際に完売になってしまうというのは、すごいものです。館内の喫茶店でコーヒーを飲みながら、ゆったりと開場を待っていると、中学生くらいの男女生徒数十名が引率の大人とともにぞろぞろと歩いてきて、館内に入っていきました。児童合唱団かもしれませんが、全く関係のない団体かもしれません。やがて多くの人々が集まってきて、さきほどまでの閑静な雰囲気から一転、コンサートの雰囲気が盛り上がってきました。開場となり、ホールにはいりました。プログラムには親切に、詳細なメンバー表がのっていました。演奏者107人のうちMCOのメンバーが総計47にものぼります。内訳は弦が60人中28人、木管が17人中8人、金管が19人中9人、打楽器とハープが10人中2人です。一方PACのメンバーは、コンマスの四方恭子さんを含めて、コアメンバー、レジデント・プレイヤー、アフィリエイト・プレイヤー、アソシエイト・プレイヤー(それぞれがどのように違うのかは良く知 りません)が、あわせて47名で、MCOと丁度同人数でした。これで合計94名。残りの13人はエキストラ奏者11人とスペシャル奏者(賛助出演のような ものと思われます)2人でした。スペシャル奏者のうち一人は、東京交響楽団の主席ホルン奏者ジョナサン・ハミル氏という、なんとも豪華なメンバーです。会場のKOBELCO大ホールは、オペラ向けに馬蹄形の造りです。落ち着いた茶色の色調で、天井の照明はエントランスと同じで、星々が輝く夜空を見上げるよ うなイメージで、素敵な雰囲気です。ホールに早めに入ったので、すいているうちに、あちこちの席に座ってみました。サイドの客席は舞台方向に向けてかなり 斜めにセットされているので、舞台が見やすいですし、1階席も、平土間ではなく、列による段差がきちんとついていて1列目より2列目、2列目より3列目と 高くなっていくので、どの列でも舞台が見やすくできています。客席は4階からなる構造ですが、1階のサイド席はほぼ2階相当の高さがあります。(4階だと実質5階相当で、かなり高いです。)1階サイドの前方は、オケのすぐそばになり、かぶりつきの雰囲気があります。初日の僕の席は、2階サイドの前方寄り。普通の会場だと3階くらいの高さがあり、予想していたよりも舞台から遠くに位置していました。オケの配置はごく普通(弦は対抗配置でなく通常配置)で、ティンパニ2セットを中央にして打楽器群が横一列にずらっと並べてあります。肝心のチューブラーベルは、打楽器の列の一番右側、すなわち舞台上手に、普通の高さに設置されています。合唱団席もごく普通に、舞台奥に、5列の雛壇が用意されています。独唱者用の椅子は、これも普通に指揮者のすぐ左側に席が用意されています。(なぜか指揮者のすぐ右側にも椅子がひとつ用意されていて、この目的は不明です。)開演前、佐渡さんが舞台に出てきて、ベルリンフィルを振った凱旋報告と、マーラー室内管やヤングさんとともに演奏できることの感謝のお話しと、3番の簡単な曲紹介がありました。オケが入場してきました。僕の席からはホルンが良く見えます。スペシャル奏者のうちの一人、スキンヘッドがおなじみの東京交響楽団の主席ホルン奏者ジョナサン・ハミル氏は、3番ホルンに位置しました。いよいよ演奏が始まりました。ホルンの主題が、8分音符をちょっと粘って力強く、堂々とした良い始まりです。 良く響くホールです。響きながらも、各声部の分離が明瞭に聴きとれるので、オケものにもオペラにもどちらにもいいように考えられているホールだなと思いま した。第一楽章で、チェロやヴィオラが弱音器をつけて弾くところの発音が、ジャワっという感じの尖った音作りが強調されていて、現代的で新鮮でした。木管は、1番クラリネットを筆頭に、きつい音から柔らかな音まで、とても表現の幅のあるユニークな音が多く、耳新しさがありました。これが佐渡さんの指示なのか、あるいはMCO奏者の自発的な表現なのかは、良くわかりません。金管は、ホルンやトロンボーンはまずまずの響きでしたが、1番トランペットが、弱くやわらかく吹こうとしすぎて、しっかり出すべきところでも音に輝きと芯がなく、小さなミスも多く、不調でした。こまかな話ですが第一楽章のシンバルは、冒頭のホルン主題部分も、それが再現される部分も一人という“シンバル奏者節約版”でした。折角合同オケでやるのですから節 約しないで欲しかったです。それからホルン主題再現の直前の舞台裏の小太鼓、これは舞台上手のドアをあけてそのすぐそばで叩いているようで、巨大で強烈な 音で距離感がまったくなく、舞台裏の意味がないなと思いました。弦はいい音を出しているし、オケの各奏者は面白い表現をしています。しか しオケ全体として、各パートの音が、何か噛みあわず、まとまらず、ちぐはぐな感じが否めません。聴いていて疲れる感じの音です。おそらくまだ佐渡さんと二つのオケがあわせた練習時間が、十分ではないのでしょう。このまとまらない印象は、後続の楽章になっても同じでした。第三楽章のポストホルンは、舞台下手の奥のドアが開き、その奥で吹かれました。これも音が近すぎて、距離感が感じられなかったのが残念でした。(ただしこれは僕の席が右サイドの前寄りで、開いたドアがま正面に良く見える位置だったことも関係していたことと思います。2、3日目は違う席で聴き、そこそこの距離感が感じられました。)音色から、使用楽器はポストホルンではなくてトランペット系かな、と思いましたが、良くわかりませんでした。佐渡さんはポストホルンのパート、特に後半部分をかなりゆっくりとしたテンポで歌わせていたので、吹く方は大変だったろうと思いますが、ほとんどミスなく、立派な演奏でした。第三楽章が終わって、合唱団が入場してきました。児童合唱と女性合唱が前後に分かれて並ぶ通常の配置ではなく、両者が左右にわかれ、児童合唱は上手側の半分に、女声合唱は下手側の半分に位置し、着席しました。合唱団の入場が終わり、会場がほぼ完全に静まってから、独唱者が入場してきました。当然のように盛大な拍手が沸き起こり、佐渡さんも片手で指揮台の背中のバーを軽く叩いて歌手を迎えます。青緑の美しい色のドレスをまとったヤングさんは指揮者のすぐ左手に立ち、軽くお辞儀もされました。拍手が起こることを当然の前提とした登場方式でした。独唱の始まり「O Mensch!」の冒頭の長く伸ばす「O」が、デリカシーある絶妙な弱音で、思わず息をのむような美しさがありました。第四楽章が終わったあと、佐渡さんは合唱団を立たせ、合唱団が体勢をとるまでの間合を少々とって、指揮台の譜面をめくって、第五楽章を開始しました。わずかな間合いではありましたが、アタッカとは言えない方式でした。また第五楽章が終わったときは、独唱者は自発的に座り、佐渡さんは独唱者と合唱団に指示を出して座らせました。そして両手をあげたまま、舞台上の雰囲気が静まるのを待ち、その後に第六楽章を開始しました。すなわちこれも、アタッカとは言えない方式でした。ゆっくりめの終楽章で、悪くはなかったですが、なにしろオケの音がまとまりきらないまま、聴いていて音楽に入り込めないままに、曲が終わってしまいました。初日が終わって、正直マーラー室内管が半分近く参加しての演奏としては、全然物足りない、と思いました。シンバル奏者節約、舞台裏楽器の距離感不足、独唱者の拍手前提入場方式、そして4,5,6楽章のアタッカ不実行など、佐渡さんのこの曲へのこだわりが特別感じられなかったことも、残念でした。(考えように よっては、中途半端に奇をてらった変な方式をとるよりは、良いのかもしれませんが。。)3番3本勝負、初日は、凡打に終わりました。これが残り二日でどこまで変わってゆくのか、きょうの演奏をきく限り、期待よりも不安が強いまま、ホールをあとにした初日でした。
2011.06.28
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各電力会社の株主総会が6月28、29日にあいついで開かれます。26日の 東京新聞の記事によると、原発を持つ九電力会社のうち、六社の株主が、総会に「脱原発」を求めて、定款の一部変更を求める議案を提出しているということで す。同種の提案はこれまで毎回否決されてきているし、今回も否決されるでしょうが、福島原発事故の影響で賛成票がどのくらい増えるかに注目したいところで す。六社の株主の脱原発の提出議案と、それに対する会社の反対理由は、記事に表になっているものを、そのまま転載させていただきます。 提案は、原発の廃止、原発からの撤退をもとめるにとどまらず、自然エネルギー発電への転換を求めたものもありますね。いい提案ばかりです。それに対する会社側の理由はどれも、「必要だ」「安全だ」と唱えているだけですし、東京電力にいたっては、答えにもなっていないですね。いずれの提案も個人株主が中心で議決権数は限られるため、定款変更に必要な三分の二以上の賛同を得るのは困難で、否決の公算が大きいということです。ただ、こういった株主からの脱原発意見が、ある程度の割合を占めるようになれば、電力会社の事業方針にも影響を及ぼしうるかもしれません。ところで電力会社の大株主といえば、地方自治体がありますね。東京都(東京電力株の3.15%を保有する第5位の株主、2010年3月末時点、以下同じ)には現知事ではまったく期待できないとして(^^;)、大阪市は関西電力株の8.85%を所有する筆頭株主です。平松大阪市長は脱原発を提言していたのにもかかわらず、この株主の提案には反対表明をしているのは、まことに残念なことです。http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110624/mca1106242240034-n1.htmまた神戸市は、関西電力株の2.89%を所有する第四位の株主です。しかし矢田神戸市長も、株主提案に反対表明をしています。長い目でみたら、脱原発するほうが、電力会社にとってもリスクが少なく健全な運営ができると思うのですが。
2011.06.27
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久しぶりにコンサートのことを書きます。ダニエル・ハーディング指揮、新日本フィルによるチャリティコンサート3.11 東日本大震災、明日への希望をこめてを聴いてきました。6月20日、すみだトリフォニーホールで、曲はマーラーの交響曲第五番です。このコンサート、USTREAMで生中継放送されてましたので、ご覧になった方も多いかもしれません。3月11日の震災発生当日に、ハーディングと新日本フィルが、ここすみだトリフォニーホールで、定期演奏会でマーラー5番を演奏しました。以前の記事に書いたとおり、 僕はそのチケットを買っていましたが、震災の影響で行けなくなりました。それでもコンサートを聴きに集まったごく僅かな人々のために、演奏は予定通り行われました。(行けなかった人には、後日払い戻しがありました。)新日フィルのホームページにハーディングのインタビューが載っています。http://www.njp.or.jp/archives/2479このインタビューで、3月11日の演奏についてハーディングは語っています。『マーラーの第5番は私にとって一生忘れることのできない作品となりましたし、このコンサートそのものが一生忘れることのできないコンサートとなりました。オーケストラのメンバーも素晴らしい演奏をしてくれました。この交響曲を演奏するたびに私は3月11日を思うことでしょう。私の中ではマーラーの交響曲第 5番イコール3月11日として刻まれています。これは私だけでなく新日本フィルのメンバーにとっても同じだと思います。』そして今回、ハーデングと新日フィルは、3月11,12日の定期の代替演奏会として、6月21,22日に特別演奏会で5番をあらためて演奏することにして、さらにその前日の20日、チャリティコンサートとして5番を演奏することにしたわけです。この5番再演にかけるハーディングの想いも、同じインタビューで語られています。『マーラーの第5番が選ばれた理由はいくつかあります。第1に3月11日に 演奏された作品であったこと。第2にオーケストラが本当にすばらしい音楽を演奏したという事実。あのような演奏を是非再び皆さんに聞いていただきたいと心 から思っています。そうすることで初めてこの演奏会は完成することができるのです。そしてもう1つ。それはマーラーの第5番が葬送行進曲、つまり死に始ま りながら、生への喜びと愛に満ちた作品であり、とてもポジティヴな要素が多く見られる作品だからです。本当に卓越した作品です。』僕も、あらためてチケットを買い直し、この演奏会に来ました。演奏会冒頭には、震災で亡くなられた多くの方々に捧げるため、エルガーのエニグマから第九変奏ニムロッドが演奏されました。ゆっくりと奏でられたニムロッドが静かに消えていき、一度舞台裏に引っ込んだハーディングが、間をおいてあらためて登場し、そして5番が始まりました。まさにハーディングと新日フィルの全精力が注がれた演奏でした。重い第一・第二楽章、いたみを鎮めるように響いた第四楽章、そして終楽章は、コンマスの崔文洙(チェ・ムンス)さんを筆頭としたオケとハーディングの力がひとつになって、前向きな大きなエネルギーがほとばしった、すごい音楽でした。ハーディングがこの日のプログラムに寄せた文章のとおりの演奏でした。『このチャリティ演奏会においてマーラー5番を演奏できることは私にとってこれ以上ないことです。この作品は愛、悲劇、生命と死を描いた壮大な物語です。この交響曲を指揮することは私にとっていつも特別ですが、特に今回は、震災で亡くなられた方々、愛する人を失った方々、住む場所や生きる力を失った全ての方々に全身全霊を込めて捧げたいと思います。』熱い大きな拍手はいつまでも鳴り止まず、オケが引っ込んだあとハーディングの呼び戻しがありました。そして呼び戻されたハーディングが引っ込んだ直後、さらに崔文洙さんがハーディングをつかまえて(^^)、指揮台につれてきたのが素敵な見ものでした!熊のように体の大きな崔文洙さんが、ちょっと照れているような細身で小柄なハーディングを抱きしめたり、二人で肩をくんだり万歳したりと、ふたりの全身から達成感があふれていました。終演後のロビーにはオケの方々が横にずらっと並び、義援金を呼びかけていました。列の最後から3番目はオーボエの古部さん、最後から2番目は崔文洙さん、そして列の最後は、義援金箱を持ったハーディング自身でした。ありがとう新日フィルの皆様。ありがとうハーディング。
2011.06.21
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今日、ネットでみた毎日新聞に、わかりやすく興味深い特集記事が載っていました。特集ワイド:橋下・大阪府知事、脱原発の本気度http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110621mog00m040011000c.html橋下知事が、脱原発に向ける意思を初めて表明したのは4月下旬、孫氏への共感を表明したときですね。そして先日の関西電力の「15%節電要請」への不満表明も強烈でした。「新規の原発は作らず、延長もしないという目標を立て、それに向かって行政、消費者は何をしなくてはならないのか第一歩を踏み出したい」という橋下知事の意向は、実に妥当なものだと思います。これに対し関西電力は、「電力の安定供給」のために原発は必要、などとコメントしています。しかし実際には原発は、絶えず故障を起していて、稼働率が低くて、とっても「不安定」な電力源であることを、この記事は痛快に指摘しています。橋下知事、ますます頑張って脱原発をすすめてください!
2011.06.21
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うれしいニュースです。イタリアが国民投票で、原発反対が圧倒的多数で決定。http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110614k0000m030085000c.html ”イタリアで2日間にわたり行われた原子力発電再開の是非などを問う国民投票は13日午後3時(日本時間同日午後10時)に締め切られ、成立条件の過半数を 上回る約57.07%(開票率99%)の投票率に達し成立した。投票の94.37%が原発反対。福島第1原発事故後、国民投票で反原発の立場を鮮明にした のは世界初。原発を推進してきたベルルスコーニ首相は締め切り前の会見で「原発にさよならと言わねばならない」と語り、事実上の敗北を認めた。 ”イタリアには現在原発はなく、これで将来的にも原発建設が不可能になります。地震国イタリアが、今回の福島事故を他山の石として、賢明な道を国民が選択したわけですね。ドイツ、スイスについでイタリアと、脱原発の動きがヨーロッパに確実に広がっています。再び上記記事によれば、”イタリアの「緑の党」創始者の一人で、87年と今回の国民投票の提唱者、パウロ・チェント元下院議員(50)は毎日新聞の取材に「欧州一の原発国、フラン スの政府は推進に躍起だが、国民レベルでは反発も大きい。原発の是非は政府ではなく国民自身が決めるべきだというイタリアの考えが、今後、世界に広がるこ とを願っている」と話した。”『原発の是非は政府ではなく国民自身が決めるべき』本当にそのとおりです。わが国も、政治家や役人たちが原発をやめるつもりがないのなら、国民がもっともっと声をあげるしかないんですね。
2011.06.13
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急激に強くなった菅首相批判。その大きな理由に原発があるという鋭い記事が、6月3日の東京新聞「こちら特報部」に載りました。ご存知の方はご存知でしょうけれど、貴重な記事なので、ご紹介しておきます。-----------------------------------------------------------------------------------(まず、記事の前半部分を引用します。)菅降ろしに原発の影 不信任決議案や党分裂の最悪の事態こそ回避したものの「辞意表明」へと追い込まれた菅直人首相。首相としての求心力は放棄したのも同然だ。それにしても「菅降ろし」の風は、なぜ今、急に、これほどの力を得たのか。背後に見え隠れするのは、やはり「原発」の影だ。初の市民運動出身宰相は、この国の禁忌に触れたのではなかったか。 今回の「不信任案政局」を振り返ると、菅首相が原子力政策の見直しに傾斜するのと呼応するように、自民、公明両党、民主党内の反菅勢力の動きが激化していったことが分かる。首相は5月6日、中部電力に浜岡原発(静岡県御前崎市)の原子炉をいったん停止するよう要請。18日には、電力会社の発電、送電部門の分離を検討する考えを表明した。 さらに事故の原因を調べる政府の「事故調査・検証委員会」を24日に設置。25日には外遊先のパリで、太陽光や風力など自然エネルギーの総電力に占める割合を2020年代の早期に20%へと拡大する方針も打ち出した。 自民党の谷垣禎一総裁も17日、不信任決議案を提出する意向を表明し、公明党の山口那津男代表も即座に同調した。表向きは「東日本大震災の復旧・復興に向けた2011年度第二次補正予算案の今国会提出を見送った場合」という条件を付けたが、原発をめぐる首相の言動が念頭にあったことは間違いない。 実際、自民党の石原伸晃幹事長は6月2日、不信任案への賛成討論で、「電力の安定供給の見通しもないまま、発送電の分離を検討」「日本の電力の三割が原発によって賄われているのに、科学的検証もないままやみくもに原発を止めた。」と攻撃。菅降ろしの最大の理由の一つが原発問題にあることを“告白”した。 民主党内でも、小沢一郎元代表周辺が5月の大型連休後、不信任案可決に向けた党内の署名集めなど多数派工作をスタートさせた。24日には、小沢氏と、菅首相を支持してきた渡部恒三最高顧問が「合同誕生会」を開催。渡部氏は、自民党時代から地元福島で原発を推進してきた人物だ。 日本経団連の米倉弘昌会長はこの間、首相の足を引っ張り続けた。浜岡停止要請は「思考の過程がブラックボックス」、発送電分離は「(原発事故の)賠償問題に絡んで出てきた議論で動機が不純」、自然エネルギーの拡大には「目的だけが独り歩きする」という具合だ。 金子勝慶大教授は、福島第一原発の事故について「財界中枢の東電、これにベッタリの経済産業省、長年政権を担当してきた自公という旧態依然とした権力が引き起こした大惨事だ。」と指摘する。 当然、自公両党にも大きな責任があるわけだが、「菅政権の不手際」に問題を矮小化しようとする意図が見える。 金子氏は、不信任案政局の背景をこう推測する。「菅首相は人気取りかもしれないが、自公や財界が一番手を突っ込まれたくないところに手を突っ込んだ。自公は事故の原因が自分たちにあることが明らかになってしまうと焦った。それを小沢氏があおったのではないか」(引用ここまででひとまず終わり。)そして記事の後半部分では、与野党に「電力人脈」という見出しで、中曽根康弘元首相に始まる原発推進政策のなかで、自民党と電力会社に長く続いている蜜月関係を指摘しています。それらを列挙すると、○ 九電力会社の会長、社長、役員らが自民党政治団体へ個人献金していること。○ 98年から昨年まで自民党参院議員を務めた加納時男氏が元東京電力副会長で、自民党政調副会長などとしてエネルギー政策を担当し、原発推進の旗振り役を努めたこと。民主党にしても同様です。○ 民主党の小沢元代表についても、90年当時に自民党幹事長だったとき日米交流を目的とした「ジョン万次郎の会」を設立した際に、東京電力の社長、会長を務め、90年から94年まで経団連会長だった平岩外四氏の大きな支援があったとされること。この会は名称を変えた今でも小沢氏が会長で、東京電力の勝俣会長 が顧問に名を連ねていること。○ 「(原発事故は)神様の仕業としか説明できない」などと東京電力擁護の発言をしている与謝野肇経済財相も、上記の会の副会長をしていたこと。与謝野氏は政界入り前に日本原子力発電の社員だった経緯もあること。さらに、電力会社の労働組合である電力総連は、民主党を支援していて、労働組合とはいえ労使一体で、原発推進を掲げてきたこと。電力総連は、連合加盟の有力労組であり、民主党の政策に大きな影響を及ぼしてきていて、組織内議員も出していて、参院議員には東京電力労組出身の小林正夫氏、関西電力労組出身の藤原正司氏らがいること。これらの事実を列挙したあと、記事は以下のように締めくくられています。“つまり、エネルギー政策 の見直しを打ちだした菅首相は、これだけの勢力を敵に回した可能性がある。結局、菅首相は「死に体」となり、発送電分離や再生可能エネルギー拡大への道筋 は不透明になった。「フクシマ」を招いた原子力政策の問題点もうやむやになってしまうのか。すべてを、「菅政権の不手際」で”収束”させるシナリオが進行 している。”-----------------------------------------------------------------------------------記事の紹介が長くなってしまいました。読んでいただいた方、ありがとうございます。菅首相が浜岡原発を止めたのは、アメリカの指令に従っただけという説もありますし、「思いつき」と批判する人もいます。しかし理由はどうあれ、脱原発の契機になるかもしれない、意義の大きい決断だったと思います。菅首相が退陣したあと、そういうことを「思いつく」可能性すらゼロの人々が政策を決めていく世界に戻ってしまうのでしょうか。そしてこれほど危険性があらわになった原子力発電が「安全性を強化したからもう大丈夫です」とされて、延々と続いていくのでしょうか。。。次の大地震の日まで。
2011.06.08
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これは4月10日の拙ブログの記事「内部被曝」について、5月25日に丸井様という方からいただいたコメントへのお返事です。長くなったのと、大切な問題を含むので、独立した記事としてこちらに書きました。 >人間は、生まれた時から内部被曝をしています。自然界に放射性物質があるのですから当然です。人間の体内には、たとえばカリウム40があり、それによる自然放射能の内部被曝を当然しています。これは地球上に暮らす生物であれば避けられません。問題は、人間の営み(核実験や、稼働中の原発、事故の原発など)によって、自然放射能以外の内部被曝を、余分にしてしまうことにあるのです。それらの人間の営みがなければしないですむ内部被曝を、してしまうことが問題なのです。>赤ん坊の死亡率が減少したからです。乳児死亡率は、衛生状態の向上、医学の進歩などにより、徐々に下がってきています。もし核実験や原発の影響がなければ、もっと死亡率が下がったという可能性が高いのです。このあたりのことは、以前拙ブログでもご紹介したアーネスト・スタンバーグ博士のグラフを見れば良くわかります。すなわち年々減少をしていたアメリカの乳児死亡率が、核実験の始まりとともに、その減少傾向に歯止めがかかっているのです!>人体は、ヨウ素以外の放射性物質を体内に取り入れても、その大半を体外に排出してしまうのです。もし大半が排泄されても、少しは体内に残留します。その残留分によって、健康に被害があるかどうかを論じなければ、まったく意味がありません。たとえばロシアのマヤーク・プルトニウム生産体による放射能汚染により、付近住民のストロンチウム90は、一般地域住民の100倍以上の値が測定されていて、しかもそれが40年たってもそれほど下がっていない、というデータがあります。またセシウム137についても、たとえばチェルノブイリ近くの村に住む住民から、体重1Kgあたり1.5キロベクレルもの内部被曝が1997年に測定されています。セシウム137は、物理学的半減期は30年ですが、生物学的半減期は成人の場合約100日と短い物質です。それでも住民はこういった高い内部被曝をしているというデータがあるのです。1997年の測定ですから、事故から10年以上たっていても、これです。ヨウ素以外は気をつけなくてもいい、というのは大いなる誤解です。>これまでプルトニウムを吸引したり摂取した人で、癌になった人はいません。どうしてそのように断言できるのでしょうか?どの本にも、危険が書いてありますよ。プルトニウムは、物理学的半減期は2万4千年、生物学的半減期は骨では100年、肝臓では40年。プルトニウムは骨、肝臓、肺などに集積しやすく、プルトニウムによって、骨腫瘍、肝臓ガン、白血病、肺がんなどのリスクが指摘されています。やっかいなのは、被曝してから発がんして症状が出るまでの潜伏期が、一般にきわめて長い(20~30年たってから現れることもある)ので、因果関係が証明しにくいということなのです。>これまで多くの科学者が、内部被曝の問題について多くの議論がなされ、動物実験を含め多くの研究もなされてきました。その結果、瞬間的に広島長崎の原爆以上の放射線量でないと内部被曝の影響は、ほとんどないことが判ってきているのです。これは、アメリカの言い分そのものですね。アメリカは、広島・長崎で、実態とかけはなれた被害の過小評価をしてきました。チェルノブイリの事故評価でも、IAEAの評価は、健康被害をきわめて小さい評価しかしていませんが、それよりももっと甚大な健康被害があったという報告がいろいろ出ています。内部被曝を軽視するIAEAに対して、欧州放射線リスク委員会は、より慎重に、内部被曝の影響をきちんと評価しようとしています。欧州放射線リスク委員会が2003年に出した勧告は、それ自体すぐれているものでしたが、その後も新しい知見(たとえばスウェーデンにおける疫学研究で、チェルノブイリで出たセシウム137により発ガンが11%増加するなど)をとりいれて、2010年に新しい勧告を出しています。内部被曝の詳細については、まだまだわかっていないことが沢山あるのです。「ないこととされていた」内部被曝の本当の怖さは、これからより明らかになっていくことでしょう。
2011.05.25
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5月22日の記事で、原子力安全委員長について書きましたが、この件について本日報道がありました。国民新党の亀井氏が、5月23日に首相に電話で、班目委員長の更迭を要求しました。http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110524k0000m010051000c.html亀井氏は今回の海水注入の発言の件でのごたごたを批判しています。この件も問題ですが、むしろ事故前、安易な安全発言を繰り返し、原子力推進を無責任に加勢してきたことが大問題です。本当に原子力の安全性を再検討するのであれば、氏を更迭することはしごく当然、常識的な判断と思います。これに対し、班目氏は、本日(5月24日)「この職務を全うすることこそが、私の使命だ。ここで逃げ出したら本当に末代の名折れだ。この問題については、とことんまで付き合わせていただきたい」と述べ、辞任の意思がないことを改めて強調しました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110524-00000131-san-soci班目氏、ご自分の名誉のことは一生懸命考えているんですね。原子力行政に広く自分がこれまでしてきたことが、今回の原発事故を招いたという認識、反省がまるでないようです。氏には原子力安全委員長を即刻やめていただき、もちろん今回の事故処理に関しては引き続き「とことんまで」関わっていただき、事故の責任にきっちりけじめをつけていただくのが、筋かと思います。
2011.05.24
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東京電力の社長が代わる。会長が代わらないというのはおかしな話ですが、ともかく6月の株主総会で社長が引責辞任することが発表されました。ところで、この人は、代わらなくて良いのだろうか。原子力安全委員会の班目春樹(まだらめ はるき)委員長。これまでの原発の安全指針で、全電源を長期間失うことを想定せずに良し、としていた人です。「そこまで考えていたら原発の設計はできない」と言い放っていた人ですね。今回の福島原発事故以後、さすがの班目氏も「間違っていた」と認めたのは記憶にあたらしいところですが、それならば責任をとって委員長をやめるかというと、そういう発想はまったくないらしい。堂々と委員長を続けていて、つい最近も、今後の方針を述べています。東京新聞の記事を引用しておくと、http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011052002000029.html“福島第一原発の事故を受け、原子力安全委員会の班目春樹委員長は19日の記者会見で、原発の設計の妥当性を判断する基準となる安全設計審査指針で、全電源を長期間、失うことを想定していなかったことを「明らかに間違っていた」と述べ、改定する方針を明らかにした。全電源喪失を想定に追加する。地震に対する安全性を判断する耐震設計審査指針も見直しが必要か議論する。安全設計指針の改定は2001年の改定以来10年ぶりとなる。“見直し・改定はとても大切です。でもその見直し、班目さんにやってもらいたくない。従来からこのようなリスクをまっとうに指摘してきた専門家がいるのですから、そういう人たちに見直ししてもらいたい。班目氏では、同じような間違いを繰り返すことが心配です。本人がやめるつもりがないのなら、解任して、新たな人を招くべきかと思います。そして今回の福島原発事故を招いた責任については、班目氏以下の安全委員会にも多大なものがあったわけで、解任したうえで、その検証・追及をしていくべきと思います。
2011.05.22
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本日、というか正確には20日金曜日の午前1時30分から、NHK総合テレビで、「ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」 という番組が放送されます。5月15日(日)、NHK教育テレビで放送されたものの再放送です。僕はテレビは見逃し、YouTubeで見ました。福島の放射線量を個人的に測定する人の努力と、汚染に打ちのめされている住民の苦しみをとらえた重い内容で、一見すべき番組です。測定している木村さんは、直前まで厚生労働省の研究所に勤務していた方で、チェルノブイリにも自主的に放射能汚染を調べに行った人だそうです。今回の福島震災で、なんと職場幹部から、自主的な調査を禁じられ!そのため辞表を出し、精力的に測定を続けているという方です。木村さんに(良心的な)学者たちが協力して、貴重な汚染地図が作られていきます。農地を奪われ、生活の基盤を奪われた人々の悲しみ、苦しみ。食料がなく餓死していく何万羽の鶏。番組の最後、餌を与えて去っていく飼い主の車を、追いかけて走る愛犬。途中には、子供への年間20ミリシーベルトの基準を、政府担当者に懸命に抗議する住民の場面も映し出されます。御用学者の無責任発言ばかり出してきたNHKが、こういう放送を流してくれるというのは、一歩前進かと思います。
2011.05.19
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広瀬隆著 「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン」を読みました。 朝日新書298書き下ろしほやほやの、ホットな本です。新書1冊というコンパクトな中に、福島事故の本質から、浜岡だけでなくて日本のすべての原発がとっても危ないこと、原発なくてもエネルギーは足りるということまで、要点がするどく書かれています。第一部 福島第一原発事故の「真相」 第1章 津波に暴かれた人災 第2章 東電・メディアに隠された真実 第3章 放射能との長期戦第1章では、今度の事故の本質が、想定外ではなく想定できるはずだった津波対策をまったく怠って40年間も運転していた怠慢が、天災によって暴かれたという こと、つまり「天災によって人災犯罪が暴かれた」ということを、ずばりと指摘しています。第2章では、事故後の東電、大手メディアに出てきた「専門家」の 無責任な対応の問題点、あげればきりが無いと思うその問題点を、要点を絞って、きびしく批判しています。なるほどとうなずくばかりです。第3章では、長期 化する放射能汚染に対しての、広瀬氏の現時点での考えが、重く示されています。以上第一部が福島事故の現時点でのまとめです。第二部が、今後に向けての話になります。第二部 原発震災、ここで阻止せよ 第4章 巨大地震の激動期に入った日本 第5章 「浜岡原発」破局の恐怖 第6章 活断層におびえる「原発列島」終章 完全崩壊した日本の原子力政策第 4章では、日本が地震の休息期から活動期に入ってしまっていること、いつ大地震が起こってもおかしくないことが示されます。第5章は、浜岡原発の危険性が 特に高いことの解説です。(本書は、菅首相の要請により浜岡が停止する以前に書かれたものです。)これら第4および第5章は、広瀬氏の前著「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」の内容を切り詰めたものです。浜岡原発の運転はとりあえず止まりましたが、燃料があるかぎり危険は依然として続くのですから、完全廃炉になるまでは安心できません。中部電力が言っている津波対策がいかにいい加減なものかは、本書156ページ~159ページを読めば、良くわかります。さて続く第6章は、日本にひしめく原発について、北海道の泊原発から鹿児島の川内(せんだい)原発まで、全18プラント のひとつひとつ、その歴史と危険性をみた章です。ばっさばっさと断罪していく筆致は、簡潔ながら核心をついていて、非常にわかりやすいです。またいくつか のプラントで起こされた住民による訴訟についても記述されていて、電力会社が卑劣なやりかた(地盤調査の捏造や、活断層の否定あるいは過小評価)で対応し たこと、裁判所は「国が安全というから」という理由で、住民の訴えをしりぞけてきたことも、書いてあります。その理不尽さに、読んでいて腹立たしくなりま す。終章の前半は、原発がなくても電気は充分にまかなえるということ、電力を自由化して送電の分離をすることが必要ということを指摘しています。先日の、広瀬氏の特別インタビュー「浜岡原発前面停止」以降の課題、と同じ内容です。そして終章の後半は、原発の生み出す放射性廃棄物が増え続け、置き所がもうすぐ満杯になって行き詰ることを指摘しています。以上1冊、読みやすくて、一気に読みました。とくに僕としては、第6章がとても頭の中が整理されて良かったです。いつもながら広瀬氏の語り口は、「この危険をわかっていない人になんとか伝えたい。」という真剣な気持ちが伝わってきて、強い感銘を受けます。このままでは第二第三の原発震災が、必ず起こってしまいます。今度こそ日本人みんなの力でそれを阻止しなければ。浜岡止まったんだからもういいじゃん、と思っている人に、是非読んでほしいです。
2011.05.19
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福島第一原発の一号機がメルトダウンしていることを、5月12日にようやく東京電力が公表しました。おそろしいことです。このメルトダウンの事実、東京電力は相当早期から把握していて、隠して、発表しなかったのです!さらにおそろしいことです。このあたりの問題点が、守田敏也氏のブログ「明日に向けて(ピースウォーク京都 特設サイト)」の5月14日の上から二番目の記事「1号機メルトダウン」公表の意味するもの。明日に向けて(111)にまとまって指摘されています。ところでそもそも福島第一原発の事故は、東京電力が言っているような「津波のせい」ではなくて、津波の来る以前に、地震の振動で配管断裂などが生じ、冷却材(=水)が失われたためである可能性が強く指摘されていますね。津波で電源が止まって冷やせなくなったためではなく、地震の揺れで原子炉が壊れ、そもそも冷やすための水が原子炉内からなくなってしまったという、前例のないおそろしい事故ということなのです。これは田中三彦氏が3月下旬に指摘し、「世界」5月号に掲載されているそうです。はてなのゆりさんの5月5日の記事「福島原発は 津波の前に 地震でやられた!?」にも詳しく紹介されています。このことをふまえて守田氏は、今回のメルトダウンの発表について、上記記事にまとめています。その一部を、以下に転載させていただきます。----------------------------------------------------------------------------------- (ここから転載)この点をまとめるならば、「1号機メルトダウン」の意味するものは、東電と政府が、冷却材喪失という、およそこれまで考えられてきた最悪の事故が起こったことを隠していた事実の露見です。これが追求されなければならない。しかし時間が置かれることによって、すっかりこれがぼかされてしまっている。いわば「ほとぼりが冷めて」からこの事態は公にされたのです。もちろんマスコミはどこもこの重大なポイントに気づいていません。残念なことです。第二に、水棺化は、事故を数か月で収束に向かわせる展望を、東電や政府が有しているような幻想を国民や住民、また海外にアピールするためにのみ行われたのではないかと思われることです。東電や政府は、1号機の深刻なトラブルを知っていたはずです。実は水棺化はそれを確認するためになされたのかもしれない。水が漏ることを承知の上でどれぐらい漏れるか確かめたのではないかとすら思えます。しかし第三により深刻な事態が横たわっており、それが今回もどさくさまぎれに語られているのではないか。そしてそれが何かと言えば、プルトニウムなどの物質が漏れ出しているという重大なことなのではないか。というのは焦点をメルトダウンがこれ以上進むのか否かよりも、メルトダウンで何が漏れ出したのかに移してみるならば、起こっていたのは燃料ペレットが溶ける事態であり、必然的に中のものが漏れ出す事態だったことが分かります。もちろん、破局的な爆発が恐ろしいのは当然ですが、実際にはそうした爆発が起こらなくても、燃料ペレットが溶けてしまったのであれば、当然にも深刻な放射性物質の漏えいがかなり深刻になっている可能性がある。メルトダウンを知っていた東電と政府は、本来、早くからこのことに取り組み、各地で、プルトニウムをはじめとした超ウラン元素などを計測すべきであった。それを行ってきていないことが何よりも追求されねばならないと思えます。(転載終わり)----------------------------------------------------------------------------------- このプルトニウムに関しては、東電の発表は本当に乏しいです。フリージャーナリストの上杉隆氏が3月末ごろのラジオ番組で言っていたことには、僕の記憶違いがなければ、「記者会見でプルトニウムに関して大手メディアの記者が誰も質問しないので自分が質問したら、数日たってからようやく初めてデータをわずかに出した、もしかしたら測っていなかったのかもしれない」ということです。そして、その後のデータはほとんど発表されていません。上杉隆氏は、「週間 上杉隆」の3月31日の記事で、プルトニウムの危険性があいまいにされている問題を、指摘しています。プルトニウムをはじめとした超ウラン元素、その他の情報を、きっちり測定して発表すべきでしょう。日に日に汚染は広がっています。
2011.05.15
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広瀬隆氏の特別インタビュー 「浜岡原発全面停止」以降の課題が、こちらで見られます。http://diamond.jp/articles/-/12199です。これ、眼からうろこ、必読です。蛇足ながら広瀬氏の主張の要点を書いておきます。まず何よりも菅首相の決断を讃えたい。しかし運転停止しても、原子炉の内部、あるいは貯蔵プールに核燃料があるかぎり、運転中の原子炉と危険性は何ら変わらない。したがって、最終的な目的は燃料を搬出することにある。残念ながら今回の首相は「廃炉」には言及していない。2、3年で防波壁あるいは防潮堤を建設し、その間に安全性を検証するといった話である。も し中部電力が本格的な工事に取りかかってしまえば、そのために大金が投じられ、浜岡原発が延命するという最悪のシナリオが進んでしまい、菅首相の意図とまったく正反対の結果を招く。それを止めなくてはならない。「防波壁の建設計画ちょっと待て!」という世論が、いま急いで起こされなければならない。そのうえで広瀬氏は、中部電力の津波対策、電源対策が実にたよりにならないことを指摘し、そもそも有効な地震対策など、あり得ないと指摘しています。広瀬氏は言います。「もちろん、他の原発も危ないのですが、まずは歴史的な周期性から考えて、最も大地震が逼迫している浜岡を止めることは、日本人が生き残 るための緊急課題です。そして浜岡を真の廃炉にもって行き、中部地方の経済が大丈夫だと証明されれば、すべての原発を止めてもよいという意識が、日本人の なかに確実に高まってゆくでしょう。」ここまでが、「浜岡廃炉」の必要性を言っているところです。このあと広瀬氏は、データを示しながら、日本全体で見れば、原発が稼動しなくても火力と水力で充分賄えること、中部電力をみても今年の夏のピーク電力は浜岡なしで充分カバーできることを示します。そしてここからが広瀬氏のさらにするどいところです。広瀬氏によれば、日本で発電できる会社は電力会社だけでなくて、IPP(Independent Power Producer=独立系卸電力事業者)と呼ばれる鉄鋼、機械、化学などの多業種が、現在すでに膨大な発電能力を持っていて、日本の全原発の発電能力にほぼ匹敵するのです!したがってそれらをフルに活用すれば、仮に原発をただちにすべて止めたとしても電力は足りると指摘しています!!テレビと新聞はこのこ とをまったく報道せず、見当違いの電力不足パニックを煽っていると批判しています。氏によると、このIPPの参入をはばんでいるのが今の電力会社。電力会社が送電線を独占し、高額の送電価格を設定しているため、これらのすぐれた事業者が電力市場から排除され、自由に電気を売れない。したがって電力の自由化を進め、国民のために送電線を開放することこそ、国が早急に行うべきことだ、と指摘します。このあとも広瀬氏の提言が続きますが、それはここでは省略します。ともかく広瀬氏の論理的・建設的な提言を、みなさま是非是非読んでください。
2011.05.11
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5月8日日曜日、連休最後の日はとても良い天気でしたので、ドライブがてら、はてなのゆりさんの営むギャラリー喫茶「四季の花」に行ってみることにしました。地図を頼りに行くことしばらく、東京の給水源のひとつ多摩湖のそば、トトロのふるさと八国山のふもとにやってきました。花と木に囲まれたお店は、緑の多い住宅地の一角にありました。店内にはゆりさんの描いた愛らしい花などの絵が飾られています。窓からは柿の木や、はくもくれんの木の鮮やかな新緑が楽しめ、静かでくつろげます。お昼に「はちこく御膳」を頼みました。大豆・小豆・あわ・きび・くこの実など八種類の穀物の入ったご飯と、たけのこ・大根・しいたけなどがたっぷり入った煮物が盛られ、栄養満載でとても美味しくいただきました。とどめは手作りのフルーツとくるみのケーキとコーヒーで、おなかいっぱいになりました。ゆりさんの描いた「原発の絵本シリーズ」の数々や「原発いらない ニコニコかるた」を見せていただきました。絵本は、子供にわかりやすい絵と、大人が読んでも参考になる詳しい解説の両方がのっていて、子供にも大人にもためになるように工夫されています。ニコニコかるたは、1枚1枚が、原発の問題点を鋭くあきらかにするものばかりで、そのアピールの強烈さは相当なものです。実際に遊ぶにはこわすぎる(^^;)。そのあとは、ゆりさんとの原発談義にしばしのひとときをすごしました。30年以上前から原発に疑問を持って、こういう活動を地道に続けられているゆりさんの内に秘めたパワーの強さに、この問題に関心を持ったばかりのわたくし、大いに刺激を受けました。おいとましたあと、多摩湖畔に立ち寄って、新緑の中を散策して、帰路につきました。 きょうは、ゆりさんパワーと新緑パワーをもらった、有意義な一日となりました。
2011.05.11
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5月9日中部電力が、菅首相の要請を受諾して浜岡原発の全面停止を決めました。ひとまずは良かったです!しかししかし、これからが大切です。これまでの流れをみれば、中部電力が小手先の津波対策をして、国がそれを「安全である」と無責任に認めて、2~3年後に再稼動されてしまう可能性が少なくありません。僕たちは忘れてはなりません、耐震性1000ガルに補強されていたはずの浜岡5号機、国がその耐震性を認めたはずの5号機が、600ガルの振動であちこちが壊れたのは、つい2009年のことです。こういうことが何度も繰り返されてきているのです。浜岡の完全廃炉に向けて、声を上げ続けていきましょう。「浜岡を完全に止めよう。」もうひとつ大事なのは、他の原発です。 首相は早くも、浜岡の危険性を特殊なものと強調し、他の原発は安全である、と発言しています。福島の事故があってさえ、このようなことが言えるなんて、まったく無責任です。地震国日本に、安全な原発などあるはずがありません。しかも、その多くが老朽化しているのです。そしてなによりも、原発が産み出し続けている放射性廃棄物というゴミは、すでにこの狭い日本にあふれるほどできていて、捨て場がありません。運転を続ければ続けるほど、このゴミはどんどん増えていきます。もう本当に、原発やめましょう。日本の原発をいかにスムーズに止めていくか、 それを国民みなで考えるときです。「皆で脱原発を実現しよう。」
2011.05.10
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菅首相が大英断ですね!緊急記者会見で、浜岡原発の全機運転停止を中部電力に要請したことを発表しました!http://sankei.jp.msn.com/economy/topics/economy-14702-t1.htmただちに廃炉ということではなく、とりあえず止めて、中長期的な対策を実施していくということですが、それでも首相がこういう方針をうちだしたことは、大きな前進です。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110506/plc11050620080011-n1.htmこれは法的な権限を持たない「要請」ですし、これに対して各方面からいろいろな反発が出るでしょう。しかしここは首相に、是非この方針を貫きとおしてもらいたいです。みなで応援しましょう。首相がんばれ!(^o^)/
2011.05.06
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浜岡原発の現状、何号機がどうなっているのか、良くわかってなかったので、現状と歴史を自分なりにまとめてみました。○現状1号機 出力 54万Kw 廃炉中(2009年1月30日運転終了) 廃炉完了は2036年ごろ予定2号機 出力 84万Kw 廃炉中(2009年1月30日運転終了) 廃炉完了は2036年ごろ予定3号機 出力 110万Kw 定期点検のため停止中。4号機 出力 113.7万Kw 運転中(プルサーマルの導入計画あり)5号機 出力 138万Kw 運転中6号機 建設計画あり今回の福島事故を受けて、4号機のプルサーマル導入と6号機の建設計画は当面延期とされました。しかし停止中の3号機は、2011年4月下旬に中部電力が「7月再開を計画」と発表し、議論が出ているところです。○歴史1号機は1976年3月、2号機は1978年11月に運転開始しました。日本の原発の耐震指針が決められたのが1978年9月ですから、これらふたつの原発は、まだ耐震指針が無い時期に設計され建設されているわけです。耐震性は加速度450ガルという値でした。ついで3号機は1987年8月に、4号機は1993年9月に運転開始しました。これらふたつの原発の耐震性は、600ガルでした。2001年11月7日、 1号機で配管破断・炉水もれが起こり、水素爆発事故が発生しました。1号機はこのあと、2002年4月から運転停止状態となりました。続いて2号機も、 2002年5月に冷却水漏れ事故、2004年2月にタービン建屋の火災事故が発生し、それ以来運転停止状態となりました。中部電力は結局2008年12月 に、これら古い1号機と2号機を廃炉とすることを発表し、2009年1月に運転終了しました。どちらもほぼ26年間運転したことになります。1号機の事故のあと、2002年4月に住民が、浜岡原発1~4号機の運転差し止めの仮停止申請を申し立て、翌年には訴訟を起こしました。2004年夏にはセ メント骨材に粗悪品を使ったという内部告発があり、2005年春には耐震性に誤魔化しがあるという、浜岡原発を設計した東芝のエンジニアらの内部告発もあ りました。しかし残念ながら、2007年10月に静岡地裁が出した判決では、住民の訴えは棄却されてしまいました。ただちに控訴となりました。(なおこの 判決が出る直前の2007年7月6日、新潟県中越沖地震が起こり、柏崎刈谷原発3号機で火災が発生し、あわやメルトダウン直前の危険が生じています。)この裁判中に、2005年1月から、大出力138万Kwの5号機が運転開始しています。5号機の耐震性は、当初は600ガルの予定でしたが、2005年1月 に中部電力が自主的に1000ガルにする、と発表しました。これは当時、国の耐震指針が改定の検討中であり、引き上げられる情勢であり、また係争中の裁判 に不利にならないようにという意図が働いたといわれています。国の耐震性の新指針は2006年9月に出され、800ガルに決まりましたが、一応浜岡原発の 3、4、5号機が1000ガルに補強されたということになっています。ところで1、2号機の廃炉は、「古くなって危険だからそろそろやめ よう」と中部電力が健全に考えて決めたのでしょうか。残念ながらそうではありません。これらの古いものを1000ガルの耐震性に補強するのには、とてもお金がかかるわけです。それで中部電力は、補強するよりは、これをやめにして、代わりにここに新しい大出力の6号機を作ろう、浜岡以外のところに新規に土地 を見つけるのも困難だから、そのほうが得だ、と考えて決めたのです。そして6号機の建設計画が、1・2号機の廃炉計画と同時に2008年12月に発表されました。その後、運転差し止めの控訴審のほうは、原告側は石橋克彦神戸大学名誉教授や立石雅昭新潟大学教授という強力な証人を立てて訴え続けていますが、被告側の対応が遅く、なかなか進展せずに時間が経過し、現在にいたっています。さて、この1000ガルの耐震性、大丈夫なんでしょうか。全然大丈夫でありません。上記した2007年7月の新潟県中越沖地震(マグニチュード6.8)では、柏崎刈谷原発3号機タービン建屋1階で2058ガル!の揺れが生じたのです。また、2009年8月11日に 駿河湾地震(マグニチュード6.5)が起こりました。運転中だった浜岡の4・5号機は緊急自動停止しました。このとき浜岡1,2,3,4号機での揺れは、 109~163ガルというわずかなものだったのに、なぜか5号機の揺れは、426~625ガルという大幅に高い揺れが生じたのです。それでも耐震性 1000ガルなら大丈夫か、と思いきや、5号機のタービン建屋周辺は地盤が10センチ沈下し、タービン建屋にひび割れが発生し、その他数々のトラ ブルが発生したのです。マグニチュード6クラスの地震でさえ、こういう揺れや被害が発生するのです。それが、来るべき東海大地震(マグニ チュード8.0~8.5)が直下で起こったら、どうなるでしょう。1~2メートルの地盤隆起と長く激しい揺れが予想されています。配管や電気配線はたちま ち断裂 し、冷却不能に陥ってしまうことは必至でしょう、津波以前の問題なのです。被害を受けた5号機ですが、2011年1月、多くの住民の不安・懸念を無視して、「安全だ」とされて運転再開されてしまいました。そして3月11日が起こってしまいました。地震活動期にはいった日本列島、いつ東海大地震が起こっても不思議はありません。浜岡原発の4・5号機は今日も動いています。現在の安全性で充分とはとても考えられません。ともかくまず止めるべきではないでしょうか。首相が言っているような、「まず福島の収束、それから考える」では遅いのです。ちなみに中部電力ホームページによると、発電設備は2009年度データで3263.2万Kw、うち原子力発電(浜岡1箇所)は350.4万Kw。一方ピーク時の最大電力は、2008年で2821万Kw、2009年で2433万Kw。浜岡止めても電力はまかなえるのです。○参考・広瀬隆 「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」 ダイヤモンド社・The Journal の4月26日記事http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/04/----_3.html・中部電力ホームページ発電設備http://www.chuden.co.jp/corporate/company/com_setsubi/index.htmlピーク時最大電力http://www.chuden.co.jp/corporate/publicity/datalist/juyo/dat_maximum/index.html浜岡原子力発電所1・2号機の廃炉と6号機の計画、プレスリリースhttp://www.chuden.co.jp/corporate/publicity/pub_release/press/1195939_6926.html・浜岡原発訴訟http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%B2%A1%E5%8E%9F%E7%99%BA%E8%A8%B4%E8%A8%9F・浜岡原発とめよう裁判の会http://www.geocities.jp/ear_tn/・浜岡原発5号機運転再開をめぐってhttp://www.janjanblog.com/archives/27264http://www.janjanblog.com/archives/29908・ストップ浜岡http://www.stop-hamaoka.com/
2011.05.04
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浜岡原発のさしせまった危険性。僕自身、今回の原発事故までまったく知りませんでした。今でも、まわりの友人・知人に話しても、あまり知らない人が多いです。「浜岡原発」という話題をなんとなく耳にしていても、どのように危険なのか、どのくらい危険なのか、良く知らない。話してもぴんとこない。そういう人にわかってもらうために、超おすすめの本があります。 「放射能で首都圏消滅 誰も知らない震災対策」 三五館 1200円食品と暮らしの安全基金 古長谷稔(こながや みのる) 著2006年に出版された本ですが、何しろ読みやすいです。うすくて、カラーのイラスト入りで、要点がまとまっていて、とてもわかりやすいです。僕は今回の原発事故で、最初に読んだ原発関連の本がこの本でした。福島で起こったこととかなり近いことが、この本に書かれていて、原発ってこんなに危ないものだったのかと初めて知りました。これをきっかけに、いろいろと原発関連の本を読み始めました。これよりも詳しい本は沢山出ています。たとえば先日記事に書いた広瀬隆氏の「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」がそうです。広瀬氏の熱意あふれる著作です。しかしともかく、この本はうすくてすぐ読めて、わかりやすい。浜岡原発の危険性がたちどころにわかるという点で、とても良い本です。そう遠くないうちに東海大地震が、ほぼ必ず起こること。その予想震源域のほぼ中央に!浜岡原発がたっていること。したがって津波ではなく、直下からの激しい揺れそのもので、原発がこわれてしまうこと。こわれたら、風向きにより、首都圏あるいは関西圏が放射能で直撃され、著しく汚染され、人が住めなくなってしまうこと。この本に書いてあることが、すでに今回の福島で、なかば起こってしまっているのです。まだ原発の危険性が良くわかっていない人に、読んでほしいです。石原都知事、東京の防災を語るなら、読んでください、是非。
2011.05.04
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うれしいニュースがありました。大阪府の橋下徹知事が、関西に電力供給している原発の新規建設や運転延長を止めることを目標とした計画づくりを始める考えを表明しました。「自然エネルギー財団」の設立を表明したソフトバンクの孫正義社長の呼びかけに共鳴したといい、26日には孫氏と面会したということです。 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110428/lcl11042808540001-n1.htm橋下知事のような影響力の大きい方が、こういう方向に行動を起こしてくれるのは、心強いです。このようにして孫氏の呼びかけが、心ある人々にどんどん広がっていくことを、願うものです。
2011.04.29
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孫正義氏と同じような意見を持つ人は、少なからずいると思います。4月24日の統一地方選挙で、脱原発を唱えて世田谷区長選に立候補した保坂展人氏も、その一人です。保坂氏がみごと世田谷区長に当選したことは、東京23区で最大の人口を有する世田谷区に、意見を同じくする多数の人々がいることの証ですから、とてもうれしく思います。ところでインターネットなどで情報を得られやすい人は、原発の危険性・問題性を知る機会が多いと思いますが、普通のテレビなどのマスメディアからの情報しかみない人は、原発の真実を知ることなく、なんとなく「危なっかしいけど必要なのかなぁ」という意識の人が多いかと思います。そういう人に見てもらいやすい、とってもわかりやすい小冊子が作られていました!関電の原発を止める会(大風呂敷)という会の有志の方が作られた小冊子:「天災は止められへん。けど、原発は止められる」(2011年4月17日発行)です。http://genpatsumoumuri.seesaa.net/article/196972291.htmlここからPDF版がダウンロードできます。 イラスト入りで、関西弁で小気味よいテンポで、原発のこわい真実が、こわいほど(^^)ずばずばと語られています。代替エネルギーについても触れられている、超充実の12ページの小冊子です。ネットとか見ない人に見てもらいやすいし、子供にもわかりやすいです。複製大歓迎だそうです。
2011.04.27
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原発事故以来、原子力発電について自分なりに少しですが勉強してきました。それまでまったく無知・無関心だった自分が、ちょっと情報を集めただけでも、原子力発電の途方もない危険さに驚愕しています。さらに、その危険さを隠してここまで原発を作り続けてきた国と電力会社の途方も無い無責任さに、それ以上に驚愕しています。ではどうしたら良いのか。どうやって脱原発していけばいいのか。漠然と悶々とする日々です。そんな中で、ひとつの明るい知らせがありました。震災の被災者に100億円の義援金を送ることを決めたソフトバンクの孫正義社長。その孫氏がさらに、4月20日に、自然エネルギー発電の研究開発のための財団を創設し10億円を寄付する、という意思表明をされました。孫氏が4月22日に行った記者会見「エネルギー政策の転換にむけて」 をUstreamで見ることができます。 http://www.ustream.tv/recorded/14195781 孫氏は、「今まで無知だったことは仕方がない、しかしこれほどの国難の状況で、これからも無知でいること、何も行動しないでいることはできない」と語ります。そして、こうなってしまったことをただ批判するのではなく、あくまで建設的に、これからどうすれば良いのかを、世界の現状をふまえて、提言しています。日本がせっせと原発を作り続け、老朽化した原発を廃炉にせずに運転延長してきたこと。その間、世界では新たな原発はほとんど作られなくなり、平均22年の運転期間で廃炉にされてきたこと。もはや世界では、自然エネルギーを利用した発電が急成長していること。これらがわかりやすく、示されます。原子力発電のコストは日本では不当に安く宣伝されているが、実際には高く、しかも年々高くなり続けていて、アメリカではもはや原子力発電よりも太陽光発電のコストのほうが安くなっていること!も示されます。これらから氏は、原子力発電から自然エネルギーを利用した発電へのシフトは、充分に可能だけでなく、コスト的にも安くなるという見通しを、明確に示しています。氏の論理はシンプルで明快です。危なくて高いものはやめて、安全で安いものにしよう、と。見ていて、僕のなかの悶々とした思いがすっとして、解決の方向が見出せたような、心強い手ごたえを感じました。この会見、すべての日本人に見てほしい。そして日本人ひとりひとりが、真剣に考えてほしい。これまでどおり原発を推進し続けるのか?自然エネルギー発電へのシフトを目指すのか?
2011.04.26
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福島原発事故の対応が、ますますひどくなっている。 4 月 19 日、文部科学省は、学校の放射線量の目安として、年 20 ミリシーベルトという基準を決めた。きわめて高く、危険きわまりない基準。大人でも危険なのに、子供は放射能の感受性が高くてさらに危険だし、内部被曝も考慮していない。滅茶苦茶な方針。わが国の政府は、自国の国民を守るつもりがないことが、事故以来どんどん明らかになっていく。電力会社も政府も、ここまで無策で無責任だったとは。・・・ところで、広瀬隆著「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」を読みました。福島事故の前、2010年8月に刊行された本ですが、この本の存在を最近まで知らないでいました。 この本を読むと、地震国日本に原発を作ることがいかに危険なことか、実に良くわかります。その危険性を無視して、国と電力会社は原発を作り続けてきた。たびたび事故が起こっても、その場しのぎの対応だけで、なおも作り続けてきた。そのことが、実に良くわかります。そしてとうとう、このような大事故が起こってしまいました。汚染は今も広がり続けています。数年後から、日本国民のがんの死亡数が激増することでしょう。日本がこの危機を切り抜けられるのかどうか、予断をゆるしません。それなのにそれなのに、まだ日本各地で、同じリスクをかかえているたくさんの原発が、何事もなかったかのように動いています。なかでも一番危ないのが、浜岡原発ですね。先日の国会で、福島瑞穂議員が首相に「浜岡原発をただちに止めるべき」と質問しましたが、首相は「今は福島事故を収束させることに全力を注ぐ」という答えに終止していました。なぜ、ひとまず止めないのか。ひとまず止めて、福島事故が収束したのちに安全性を検討し、再稼動するかどうかを決める、ということができないのか。(再稼動ができるような「安全性」が成立する見込みはゼロですが。)このままでは、さらに大きい事故が起こるでしょう。 日本の原発の事実を知る、現状を知るために、この本を多くの人に是非読んでほしいです。広瀬隆著 「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」 ダイヤモンド社 1500円2010年8月26日 第1刷発行2011年3月30日 第2刷発行
2011.04.24
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それにしても日本にどうしてこんなに沢山の原発ができてしまったのか。 毎日新聞の特集記事に、戦後日本の原発推進史が出ました。 http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20110420dde012040004000c.html ”政府が計画を立て民間の電力会社が運営する「国策民営」の二元体制”による原発発展の忌々しき歴史の流れが書かれています。こういう歴史の流れを許してきたのは、結局は(僕のような無知・無関心を含めて)日本人全体の責任だと思います。今回の福島の大事故を教訓として、こういう歴史の流れを、日本人は変えられるのか。今度こそ変えなければ、あとはない。
2011.04.20
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今まで原子力発電に無関心だった自分が、このところ、原子力発電に関心を持ち、本を読んだり、You Tubeを見たりしています。にわか勉強ですが、原子力発電のことを知れば知るほど、驚き、腹立たしくなります。自分の無知さにも腹立たしくなります。原子力発電がクリーンエネルギーとは、誰がいいだしたのだろうか、これほどでたらめな表現は、そうはないですね。これほどダーティなエネルギーがあるだろうか。1)原子力発電は、事故のない通常の運転でも、周囲に放射能の被曝を生ずる。ウ ラン採鉱から燃料製造、日々の運転を維持するための点検や修理に携わる作業労働者への被曝(外部被曝と内部被曝)がある。そして、前回の記事に書いたス ターングラス博士らが明らかにしている、通常運転にともなう「基準値」以下の放射性物質排出による、周囲の人々への内部被曝!2)原子力発電はCO2を出さない、ということが強調される。しかし原子力発電の場合発生するエネルギーの3分の2は、熱として捨てられる。つまり周囲の水をあたためる。この暖め方が、半端でないのに驚いた。小出裕章氏によると、標準的な100万Kwの電力を生み出す原発の場合、それが周囲に捨てる熱量は、毎秒70トンの水の温度を7度上げるという。利根川の水 量が毎秒約30トン、淀川の水量が毎秒約100トン。すなわちそういった巨大河川の水を7度あげるだけの熱を、環境に出し続けている。これがCO2換算で どのくらいになるのかは知らないが、ともかくCO2を出さずとも、地球の温暖化に直接多大な貢献をしていることは無視できない。3)そして何よりも、原子力発電をすれば必然的に、使用済み核燃料という放射性廃棄物、いわゆる死の灰が、生ずるという大問題がある。これも小出裕章氏によれば、 ひとつの標準的な原発が1年稼動すると、なんと広島原発の1200発分!の死の灰を生ずる。日本全体で年間4万8千発分の死の灰が生じている。すでに日本 の原子力発電所で、これまでの累計で広島原発120万発の死の灰が発生しているというのです!そしてこれらの放射性廃棄物は、半減期がやたらに長い。1トンの使用済み核燃料の1000年後の放射能レベルは、最初の核燃料1トンを製造するために使用したウラン鉱石全体に含まれていた放射能レベルの10倍であるという!(高田純著、世界の放射線被爆地調査 講談社 ブルーバックス B-1359 59ページ)原子力発電すればするほど放射性廃棄物が増えて、それの管理に1000年から万年単位の管理が必要になる。膨大な量の、気が遠くなるほど長期間の放射能を持 つごみ。そのごみの安全な処分法が見つかっていないのに、どんどん作り出し続けている原子力発電。これがなぜクリーンと呼ばれるのか? 4) 以上の1)から3)は、事故が無い、通常に運転をしている場合である。事故がなくとも、これほど被曝や放射性廃棄物の問題が大きいのに、もしも事故が起 こったらどうなるのか。それが福島原発事故で現実になってしまった。ひとたび事故が起これば、これほどおそろしい汚染が広がる。そういう危険を原子力発電ははらんでいる。5)以上の1)~4)のダーティさだけでも実に立派なものですが、さらにもう一重のダーティの上塗りがある。原子力発電を推進する人々が、これらの問題点を隠しているという点です。内部被曝の危険を隠し、労働作業者の被曝を隠し、安全対策の無策を隠し、「他のエネルギーがないから必要なのだ」ということにして、原発を作り続けて現在に至っている。そして今回の福島事故でも情報を隠し、被害を過小評価し、安全としか言わない。「原子力発電所」には五重の壁があるから大丈夫、などと言われていましたが、これが実にもろい壁であることが今回の福島事故であらわになりました。「原子力発電」にも同様に、上記1)~5)の「五重の壁」があるようです。厄介なことにこの壁は、「原子力発電所」の壁と違って、実に頑固で頑丈で、ほとんど乗り越えがたい難攻不落の壁のように思えます。。。福島原発がこんなになっているというのに、電力会社は原発を止めようとしない。原発を作るメーカーの認識もかわらない。たとえば4月15日の東京新聞に乗っていた、東芝社長のインタビュー。エネルギー政策の中での原子力発電の位置づけはどうなる、と訊かれた東芝社長の答えは、「エネルギーの安定的な確保と、二酸化炭素の排出規制の問題を解決する、本当に有力な選択肢であることは変わらない。」福島原発がこんなになっているというのに、政府のえらい方は、原子力は必要だ、といい続けている。そして政府は、日本国内に作るのみではあきたらず、ヨルダ ン、ベトナムなどにも、原発を輸出しようとしている。こんな危ないものを売って、もうけるつもりですか。死の商人ならぬ、死の灰の商人になるのですか。みんな、これでいいんですか?
2011.04.17
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内部被曝に関する話題の3回目として、アーネスト・スターングラス博士の講演記録をご紹介します。低レベル放射線の危険を長年にわたって調査・研究している方です。スターングラス教授のお名前は、昨日ご紹介した書籍、「内部被曝の脅威」-原爆から劣化ウラン弾まで、の第2章(肥田舜太郎氏執筆)に登場していて、僕はそれで初めて知りました。肥田氏はスターングラス教授と出会ってその著書を読み、「眼を開かれた」と書いておられます。そこでネットをいろいろ見ていたら、このスターングラス博士が2006年に初来日し、講演会を開いていたことを知りました。2006年3月に青森で行われた講演内容が、インターネットで詳細に見ることができます。この講演がすごいです。核実験で生じた放射性降下物や原子力発電所による健康への影響について、驚くべき内容が語られています。http://1am.sakura.ne.jp/DEW/Fukushima/dic/exposure.htm明快な内容で、見ていただければ良いのですが、蛇足ながら、スライド2と5について、書いておきます。これらはアメリカの乳児死亡率の経年変化の話です。スライド2を見る前に、そもそも、1950年代から繰り返し行われた核実験により、全地球にセシウム、ストロンチウムなどの放射性降下物が降り注いだわけですね。これについてはたとえば前々回ご紹介した「内部被曝」について、の第4章第2節「核の世紀」のグラフなどをご参照ください。そのことを踏まえてスライド2を見ると、もともと減少傾向が続いていたアメリカのニューハンプシャー州の乳児死亡率が、核実験が行われた時期に、上昇しはじめたことがわかります。しかもその上昇の程度が、1)全地球上に降り注いだストロンチウムやセシウムなどの放射性降下物の世界的な影響2)ネバダを主とする核実験の量(キロトン)の二つの和として、見事なまでにほぼ平行して増減しているではありませんか。その後核実験が行われなくなって、幸いにも乳児死亡率が再び下がってきています。しかし、果たして充分に下がったのでしょうか。それを見たのがスライド5です。スライド5は、原子力発電所がたくさんある州と、ない州とで、乳児死亡率を見たものです。なんと、原子力発電所がない州では、乳児死亡率が充分に下がってき ているのに対して、原子力発電所がたくさんある州では、充分に下がりきっていないことがわかります。スターングラス博士は、これがすなわち原子力発電所の 存在が、乳児死亡率に関係していることを示す明確な証拠である、と指摘しています。まったく驚くべきことです。もうひとつ蛇足ついでに、 スライド7と8のストロンチウムの量についても触れておきます。スライド7は7~8歳の乳歯中に含まれるストロンチウムの量の経年変化です。核実験の時代 に増加し、核実験が終わって一度減少傾向になったものの、その後再び増加傾向に転じています。この増加がおそらく原子力発電所による影響であろう、という グラフです。そしてスライド8は、ある原発からの距離と、ミルク中のストロンチウムの量のグラフです。原発に近いほど多量のストロンチウムが含まれていることが示されています。このようにスターングラス博士の講演は、原子力発電所、それも、事故なく普通に運転している原子力発電所が、核実験による放射性降下物と同じように、アメリカの住民の健康に確実に悪影響を及ぼしている、ということを明確に伝えてくれています。原子力発電所から排出されるごく微量の放射性物質による内部被曝。原子力発電を考えるときには、僕たちはこのことにもっと注意を向ける必要があることを知りました。
2011.04.14
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今回の福島原発事故に関する政府、東電、いろいろな専門家のコメントが、どうみても内部被曝を軽視した発言になっている。なぜこんなことになっているのか。肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著「内部被曝の脅威」-原爆から劣化ウラン弾まで筑摩書房 ちくま新書 541 2005年(2011年4月10日 第三刷発行)を読みました。前回の記事でご紹介した「内部被曝」について、を書いた方が、「私の発端」として紹介されている本です。先日本屋に行ったら、第三刷が増刷されたばかりで、沢山置いてありましたので、早速読んだわけです。肥田舜太郎氏は、広島で被爆した医師で、広島で診療にあたった体験から、内部被曝の問題を追及している方ということです。本書の第2章に、広島市郊外で被爆し、直後から大勢の被爆者の診療にあたった肥田氏の体験が語られています。かいつまんで書くと、------------直接被爆し、まもなく死亡する人々を診ているうちに、やがてピカ(閃光)にもドン(爆風)にも遭わず、爆発後何日もたってから広島市にはいってきた人に、直接被爆した人と同じ症状が出て死んでいくことを目の当たりにし、大きな疑問がわいてきたこと。しかし翌年になると米軍から、原爆被害はアメリカの機密であり、被害の実際について見たこと、聞いたこと、知ったことを、話したリ、書いたり、絵にしたり、写真に撮ったりしてはならない、違反したものは厳罰に処す、 という理不尽な命令が出て、正規のカルテには何も書けなくなったこと。1949年、広島にアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)が開所し、被爆者を集 めて診察、検査を行い、治療は一切行わず、死亡者は全身を解剖してすべての臓器をアメリカに送って、放射線障害研究の資料とした。はじめは藁をつめた遺体が遺族に渡されたが、最後のころは親指だけになったこと。------------こうして、アメリカは被害の実態を自分だけの秘密としたわけです。前回の記事でご紹介した「内部被曝」について、の第一章第4節で指摘されているように、アメリカは内部被曝を認めない態度を広島・長崎当時からとり続けています。つまり実に1945年9月6日!の段階で早くも、アメリカのファーレル准将が東京帝国ホテルで、「原爆放射能の後障害はありえない。広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能のため苦しんでいるものは皆無だ。」 という声明を出しています。初めから結論ありき。そして1968年に日米両国政府が国連に提出した原爆被害報告で同じように「被ばく者は死ぬべきものは全て死に、現在では病人は一人もいない」とされた。今回の福島原発事故に関する政府、東電、いろいろな専門家のコメントが、どうみても内部被曝を軽視した発言になっている。この根っこが、非常に根深いという ことが、脳天気な僕にもようやくわかってきました。内部被曝の危険は、核開発の最初から認識されていて、隠されていた。これは日本だけの問題ではないし、 原子力発電だけの問題でもない。アメリカがリードし世界に広がる核開発、原発、そして劣化ウラン弾に共通する、病んだ根っこからきているものだと。自分が今まで如何になにも知らなかったか。。。しかしそれを悔やむより、これから何ができるのか、それを引き続き考えていこうと思います。
2011.04.13
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福島の原発事故がいっこうにおさまらない。放射能汚染が日々どんどん広がり続け、抜本的対策がまったく決まっていない状況で、おちおち音楽を聴く心境になれません。このブログ、「音楽日記帳」として音楽のことだけ書こうと思っていましたが、この状況で、方針変更しました。今もっとも関心があることについて、書くことにしました。放射能のこと、原子力発電のこと、僕はまったく素人です。これまで、知識もなく、関心もほとんどなく、日々原子力のことを意識せずに生活してきました。おそらく大半の日本人がそうだろうと思います。しかしそういう僕のような人間から見ても、今度の原発事故での、東電や政府の対応、テレビ報道に出てくる「専門家」の解説が、なんだかとても変です。「安全だ安全だ」と言っているうちに、事態がどんどん悪くなっているんですから。特にわかりにくいのが外部被曝と内部被曝の違いです。外部被曝というのはなんとなくわかるんですが、内部被曝というのは、どのように、どのくらい危険なのか?テレビでいうように、現状ではあまり心配しなくて良いものなのか?そのあたりが気になったので、ここのところ少し本を読んだり、ネットであちこちを見ているうちに、すごく良いサイトを見つけましたので、ご紹介したいと思います。「内部被曝」についてです。いろいろな研究、書物を引用しながら、広島・長崎の原爆投下前後のアメリカの態度から始まって、綿密に、わかりやすく書かれています。全8章にわたる内容で、全部一度に読むのはしんどいと思います。ともかく第一章だけでも読んでいただきたく思います。僕は第一章で、特に、乳がんの死亡率の上昇の事実に衝撃を受けました。詳しくは上のサイトの文章をじっくり読んでいただきたいですが、アメリカで、時代とともに乳がんの死亡率があがり、1950年から1989年までの40年間で2倍になった。それがアメリカ全体で一様に上昇しているのではなく、原子力発電所が近くにある地域(100マイル以内)で上昇して、遠い地域(100マイル以遠)では横這いだった、ということなんです。別に事故があったわけでもない、普通の運転をしている原子力発電所が、「基準値」以下の低濃度の放射性物質しか排出していなくても、その近くに住む人は乳がんの死亡率が高い、ということです。これがつまり、基準値以下の微量の放射性物質による内部被曝の影響であろう、と指摘されています。いうまでもなく、乳がんの死亡率には、発病率(食生活、喫煙、肥満、少子化などなど)や、早期発見率(検診など)など、いろいろな要因が複雑に絡みあうと思います。しかし、原子力発電所から近いか遠いかで一定の違いが出ているという事実には、驚きました。この第一章を読んで興味が湧いたかたは、是非後続の章も読んでみてください。内部被曝の意味が、良くわかります。どのように、どのくらい、危ないのか。○内部被曝には、これ以下なら絶対安全という閾値はない。○内部被曝によって、(乳がんに限らず)発ガン性が増加する。しかしガンが現れるのは長い年月がたってからである。○被曝した個人が、のちに発ガンしても、その人のガンの原因が被曝だったかどうかは、わからない。疫学的な(統計的な)数値の上昇としてわかるだけである。という、漠然とはわかっているつもりだったことが、かなり良くわかりました。いまさらわかっても、もう手遅れかもしれません。何もできないかもしれません。でも、僕はわかって良かったと思います。わからなければ、何もできない。わかれば、何かほんのちょっとしたことでも、何かできるかもしれない。
2011.04.10
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3月11日発生した地震、津波、原発事故。被災された方々の苦境が少しでも早く改善しますように、支援物質が早く届きますように。救援・事故対応に携わる方々の懸命なご努力に、深く敬意を表します。今日あたりは、ようやく原発の状況が、少し改善の兆しを見せ始めたようですが。。。被害がなかった自分は、ともかく自分の仕事をしっかりやろうと。震災翌日までは普段どおり車で通勤しましたが、その後ガソリンが不足し、電車で通うのも計画停電で不確実な状況になったため、職場近くに泊まったりしていました。地震発生以後、東京でコンサートの中止が相次いでいます。こういう状況では、とても音楽を聴くという気持ちになれないし、加えて節電という意味からも、中止、あるいは延期する意味は大きいと思います。地震の発生した11日。この夜はハーディング指揮、新日フィルによるマーラーの交響曲第五番を聴きに、錦糸町に行く予定でした。いつもは仕事量をあらかじめ調整し、やや早めに終えて、電車で都心のコンサートホールに急行するという行動パターンです。しかし激しい地震発生で職場は混乱し、自分も少なからず動揺し、コンサートどころではなくなりました。(もちろん電車も止まったので、行こうと思っても不可能です。)あとで知りましたが新日フィルの対応は速かった。地震のあとかなり早期に、インターネットでコンサートは予定通り開催すること、来られなかった人には後日払い戻しをする、というアナウンスを載せたということです。そして予定された演奏会は行われ、またこれも伝聞ですが、ハーディングのツィッターによると、このコンサートを聴きに約50人の聴衆が集まったらしいです。ところで昨夜帰宅してみると、新日フィルのチケットオフィスから払い戻しの案内の封書が届いていました。それを見て思ったことがあります。こういう場合、払い戻し対象者の意思を確認して、同意が得られる方には、普通に払い戻す代わりに、オーケストラから被災者への義援金として役立てるのはどうだろう、と。もちろん、払い戻されたお金を個人として義援金に使っても、同じことかもしれません。でも、せっかく、その演奏会に集おうと思った、同じ気持ちを持つ人たちが大勢いるわけですから、何かの縁だと思うんです。それらの人々の気持ちをオケとしてとりまとめて義援金とすれば、額としてもある程度大きいまとまったものになるし、聴衆としても、またオケにとっても、単に中止になって残念というだけでなく、中止はしたけれど少しでも役に立ったかもしれない、という前向きな気持ちになれると思うんです。今後も中止のコンサートは数多いと思います。オーケストラ、あるいは演奏会主催者の方、御一考してくださいませんか。
2011.03.20
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ちょっと日にちがたってしまいましたが、チョン・ミョンフン&N響によるマーラー3番のことを書いておこうと思います。2月11日、12日 NHKホール指揮:チョン・ミョンフン管弦楽:NHK交響楽団メゾソプラノ独唱:藤村実穂子女声合唱:新国立劇場合唱団児童合唱:東京少年少女合唱隊マーラー:交響曲第3番 初日(2月11日)の演奏会は、FMで生中継されました。テレビでも近日放送予定です。いい演奏だったと思うし、感動した方も多いと思います。けれど僕は今回の3番を聴いて、少々複雑な思いを抱いたので、なかなか文章が書きにくいです。ともかく書いてみますので、ひとりの偏屈なマーラーファンの感想としてお読みくだされば幸いです。まず初日(2月11日)。僕の席は1階のかなり左寄りの前の方です。このホールは巨大で横長なので、この席からだと舞台の全貌はほとんど把握できませんでした。それで演奏終了後に確認したところ、オケは、コントラバスが12台!(ここNHKホールで2008年にチョンがN響でブルックナー7番を振ったときも、同じく12台でした。)そしてさらに驚くべきことに、ティンパニが舞台奥の上手側に2セット、舞台下手の手前に2セット、合計4セット用意されています。これは異例です。(スコアの指定は2セットです。)それからチューブラーベルは普通に舞台の下手奥、ハープのそばに設置されていました。演奏開始に先立って女声合唱の入場がありました。舞台奥の雛壇の上に、横に長く並んで、着席しました。ほぼ同時平行でオケも入場しました。そして演奏開始。冒頭ホルンの主題が、途中(第7小節あたり)から豪快なクレッシェンド!のっけから驚かされました。それから、トロンボーンのモノローグの途中(多分第194小節)の大太鼓などの打撃が、かなり強烈で、悲劇的のハンマーを思い起こしたほどでした。そういうふうにちょっと尖った部分がところどころ見られましたが、テンポは、遅い曲想のところがかなりゆっくりめで、ともかく細部に注意を払った、丁寧な演奏です。この丁寧さは、以前聴いたチョンの3番(2005年東京フィル)と同じ印象です。しかし遅めで通すのではなく、楽想によってはある程度早めに変化させていました。オケは、トランペットがやや不調だった他は、さすがにN響、安定感があります。第一から第三楽章までは、楽章間に短めの休止しかとらず、緊張感が保たれたままどんどん進んでいきます。第三楽章が始まりました。きっちりとした演奏ですが、のびやかさが乏しく、ときとしてうるささを感ずることがあり、何だか森というよりも町工場の喧騒を、時々連想してしまいました。。そしていよいよポストホルンが響き始めました。1階の左前方で聴いている僕のところに、右方の高いところ遠くから、聞こえてきます。僕は最初、舞台上手のドアを開けてその奥の方で吹いているのかと思いました。しかし音はどうも、もっと後ろの高いところから聴こえてくる感じです。そして僕の席から見えるテレビカメラの1台が、舞台に向けていたカメラの方向をぐるっと大きく変えて、客席の後ろの高い方を撮影していることに気がつきました。なるほど、客席後方のドアを開けてその外で吹いているのかな、と思いました。それにしても相当に遠くから聴こえてきます。昨年9月の札響の3番と同じようなかなりの距離感があります。その音色からは使用楽器はポストホルンではないと思われますが、演奏は非常に素晴らしく、この遠距離系のポストホルンをしばし堪能しました。そして曲は進み、第三楽章の最後近くで、演奏途中に独唱者と児童合唱の入場がありました。これまで繰り返し書いてきたように、声楽陣の入場方法は僕にとっては重大なポイントですので、別の記事であらためて書こうと思います。第三楽章が終わって、短い休止のあと第四楽章が始まりました。藤村さんの歌唱は、昨年秋のベジャールのバレーの伴奏として行われたメータ&イスラエルフィルとの演奏のときと同様に、とてもドラマティックな表現で、オペラの独白をみているようで、意味内容に深く迫っていく強い意志と緊張感がありました。こういうアプローチはかなりユニークですが、さすが藤村さんと思わせる説得力があり、すばらしかったです。第四楽章が静かに消えていくと、アタッカで、第五楽章。チョンは、児童合唱を起立と同時に歌わせるという方法を採っていました。そして3小節ほど遅れて女声合唱が起立。この児童合唱と女声合唱の起立のタイミングは、昨年秋のヤンソンス&コンセルトヘボウと同じやり方です。第五楽章も、藤村さんの深い歌を中心に、いい演奏でし た。第五楽章が静かに消えていきました。いうまでもなく、スコアではここもアタッカで終楽章へ、と指定がありますね。静寂の中から、清澄な弦楽合奏が始まる貴重な瞬間です。さまざまな指揮者が、それぞれの工夫で、このアタッカの静寂と緊張を最大限に保とうとします。しかし今回のチョンは、このアタッカの指定を完全に無視しました。第五楽章が終わったあと、独唱者と合唱団を座らせ、さらに少しの休止を完全にとって、それからあらためて終楽章が開始されました。ここのアタッカをここまで完全に無視するのは、ほとんど見たことありません。少なくとも僕の見たプロのオケでは皆無です。極めて異例です。終楽章の演奏は、ゆったりとした、細部に神経を使って丁寧な、全体としていい演奏でした。最後のティンパニの大いなる歩みのところは、舞台右手奥の2セットに加えて、左手前の2セットも加わり、合計4セットのティンパニが打ちならされました。4人を使いながらも、決して強打はさせないので、深々とした音が大きすぎない音で響き渡り、よい効果をあげていました。この終楽章はN響もその力を充分に発揮し、全体的にはすばらしい演奏でした。しかし、曲の終盤に、テンポを突如速めてまた戻すという、非常に独特の解釈が3箇所ありました。僕の記憶に間違いがなければ、1箇所目は、練習番号22の7小節目(第212小節)です。チョンは、この1小節だけを突如としてほぼ倍のテンポに速めて演奏し、次の第213小節はすぐもとのテンポに戻し、かつテンポを少し落として粘っていき、続く第214小節からの楽句にはいっていったのです。通常だと、第212、213小節とだんだんと粘ってテンポを遅くしていって、第214小節に入る、という感じで演奏されます。この方法をとったチョンの狙いを推測すると、チョンのやり方(第212 小節を逆にスピードアップする)だと、そのあとの第213小節で実際にはそれほど減速しなくても、聴感上の減速効果が強まります。すなわち大きく減速して全体の流れを弛緩させてしまう危険なしに、ある程度の減速効果を出して、次のフレーズに入る気分を盛り上げる、という効果を狙ったのかと想像します。2箇所目は、練習番号28の7小節目(第282小節)です。やはりこの1小節だけを、突如としてほぼ倍のテンポに速めて演奏するというものでした。ここは音楽の流れで見ると、最初のところとまったく同じようなところですので、同じ効果を狙ったのだと推測します。3箇所目は、いよいよ曲も最高潮の盛り上がりの真っ最中のところ、練習番号30にはいる手前の4小節(第292~295小節)です。この箇所も、突然のテンポアップで4小節を通過して、その後、元のテンポに戻してだんだんと粘っていき(第296~299小節)、第300小節から次のフレーズにはいっていくというものです。長さが4小節と拡大していますが、音楽の流れ的には前2者とまったく同じ流れでのテンポ変化ですので、同じ効果を狙ったのだと思います。この3箇所の極端なテンポ変化は、きわめて個性的な解釈で、アイデアとしての面白さはありますし、それなりの効果はありましたが、僕としては、非常に作為的、恣意的で、不自然に聴こえました。あえてこのようにする必然性が、僕にはまったく感じられません。マーラーの書いた、自然にうねるように高揚していくこのあたりの音楽の流れが、このチョンの作為によって損なわれ、歪められてしまったように、僕は感じてしまいました。終楽章は、この点を除けば丁寧で美しくすばらしかっただけに、この終盤での大事なところでの余計な作為が、僕には非常に気になり、聴後の感動が著しく損なわれてしまいました。チョンが丁寧にスコアを読み丁寧に音楽づくりしていることは聴いていても充分に伝わってきただけに、チョンのマーラー3番には、素直に敬意を表したかったです。しかし、しかし。。。第五楽章から終楽章へのアタッカの無視と、終楽章の終盤での恣意的なテンポ変化。この2点は、他が良かっただけに逆に、僕にとっては致命的な打撃でした。ハンマーのような強烈な打撃。きょうは6番を聴いたのだろうか(^^;)。。。終演後、カーテンコールが進み、ポストホルンパートを吹いた奏者が登場しました。それがなんと驚くべきことに、札響の首席トランペット奏者の福田善亮氏でした!福田さん、腕を買われて札幌から呼ばれて、助っ人で参加したのですね。福田さんは、さすがというか、当然というか、ご自分の吹かれた楽器(後日確認したところ札響の3番のときと同じC管のコルネットということでした)を持って登場され、盛んな拍手を浴びていました。ということでいろいろな驚き尽くしのチョン・ミョンフン&N響のマーラー3番、初日でありました。
2011.02.23
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ところで東京定期に先立って行われた大阪での定期演奏会で、この大植&大フィルのブルックナー9番の演奏中に、無人のパイプオルガンに照明があてられていたそうです。ぐすたふさんのブログでそのことを知って驚き、東京定期のサントリーホールではどうなるのだろうかと、注目していました。そこで開演前に見てみると、すでにオルガンの鍵盤が開かれ、オルガンを弾くための椅子が用意されていました。普段は左右に行き来できるオルガン席の前にはロープが張られて、行き来できないようになっていました。しかしその段階では特別な照明はあてられていませんでした。ショスタコーヴィチが終わって休憩が終わっ て、ブルックナーが始まるときにホールの照明が落とされると、オルガンへの照明が浮かびあがってきました。そして最後までオルガンがライトアップされていました。 もっとも、オルガンの電源は入っていませんでした。終演後、久しぶりに大植さんのサインをもらおうとサイン会の行列の後ろの方にならびました。いつものように大植さん、サインしながらいろいろお話してくださっていて、大植さんの高い声がときどき聴こえてくるのに楽しく耳をそばだてながら、並んでいました。そのなかで、あまり詳しくは聞き取れなかったのですが、どうもオルガンの照明についての話が少し出たようで、聖フローリアンがどうとかいう大植さんの声が聞こえてきました。当初は、サインだけいただいて帰ろう、オルガンのライトアップのことをお尋ねするのは無粋かな、と思っていたのですが、そのような会話を耳にしてしまったので、これはもう、僕も直接お尋ねしてみるしかないと思い、自分の番のときにお尋ねしました。大植さんのお話によると、聖フローリアンで良くブルックナーが演奏されるが、そのときには、いつもオルガンに照明があてられるのだそうです。そこで今回、それにならったということのようです。念のために、2008年の朝比奈隆生誕100周年記念演奏会の9番のときは、照明はしなかったですね?とお尋ねしたと ころ、あのときは朝比奈隆記念演奏会なのでしなかった、とお話されていました。ということで、ブルックナーに敬意を表してのライトアップということのようでした。今回の演奏会、用意されていたオルガンの前の椅子には、ブルックナーが座っていたのでしょうか。そしてそこから少し離れたところに、朝比奈隆氏もいらしたのかもしれません。
2011.02.21
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大植&大フィルの東京定期を聴いてきました。昨年のR.シュトラウスの名演は記憶に新しいところです。今年はショスタコーヴィチとブルックナーという、ちょっと変わった組み合わせのプログラムでした。良かったです! 2月20日 サントリーホール大阪フィルハーモニー交響楽団 第48回東京定期演奏会指揮:大植英次管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団ショスタコーヴィチ:交響曲第9番ブルックナー:交響曲第9番ショスタコーヴィチの9番は、僕はバルシャイ の全集のCD以外にはあまり聴いたことがなく、詳しいことはわかりませんが、第二・第四の緩徐楽章が、大植さんらしいじっくりとした足取りで、フルートや ファゴットのソロもすばらしかったです。また第一・第三・第五の早い楽章は、かなり難しい曲だと思いますが、オケはまったく乱れることなく、かつ良く鳴っていて、緊張感がすこぶる高く、引き締まった演奏でした。最後も熱狂的に浮かれるというふうにはならず、地面にがっしり足がついた、厳しいショスタコ9番でした。ブラボーです。そして休憩後ブルックナーの9番。2008年7月、大植&大フィルによる朝比奈隆生誕100周年の記念演奏会をシンフォニーホールで聴いたことが、思い出されます。ロビーに朝比奈隆が最初にブルックナー9番を振ったときに使った手書き!のスコアが展示されていたりして、特別な雰囲気の中でのすばらしい演奏会でした。今回はどういう演奏になるのでしょうか。弦は両翼配置で、16-14-12-10-8。コントラバスは舞台奥に横一列に並びます。金管軍団は上手側の奥にまとまって、その手前にティンパニです。いよいよ演奏が始まりました。第一楽章から、高い緊張感で、思わず背筋が伸びます。総休止をゆったりとって、音楽は悠然とすすんでいきます。途中、テンポを急に上げるところが何箇所かあり(第一主題が初登場する前に盛り上がっていくところとか、コーダの最後の部分など)、それらは僕の好むテンポ設定とは異なりましたが、音楽に隙がないので、それほど大きな違和感を感じません。これが大植流のブルックナー。そして第二楽章は、さらにすごかった。弦も、管も、打も、ただならない気迫です。スケルツォの節目節目で、ジャンジャンジャンジャンジャンジャンジャン!と終わって総休止になりますね、ともかく音に力と緊張があってかつ美しいので、その余韻がホールに残って消えていく、そういうところがものすごく美しくて、鳥肌が立ちます。この第二楽章は、一分の隙もない凄いものでした。朝比奈最晩年のブルックナーも、実に若々しくて力が漲っていたことが昨日のことのように思い出されます。この力の漲り、まさに大植さんのエネルギーと大フィルの伝統がひとつになって生まれているのでしょう。第三楽章も、そのまま緊張が緩むことなく、深い音楽が続きます。大植さんの音楽を聴く聴衆の雰囲気を、大阪と東京とで比べると、大阪の暖かい一体感と比べて、東京のほうは残念ながら冷めている雰囲気を感ずることが時々ありますが、きょうは音楽のあまりの充実ぶりに、聴衆の気持ちも張り詰めていてしんと静まりかえっていて、オケの楽譜をめくる小さな音がはっきりと聞こえてく るような、すごいことになっていました。第三楽章後半の、弦楽合奏による祈りのようなコラール風の下降音型が出てくるところ、ここは2008年の演奏でもぐっとテンポを落として大植ブル9の最大の聴きどころのひとつともいえる感動がありましたが、きょうもじっくりと歌われ、すばらしかったです。ワーグナーチューバがところどころわずかに不安定なところはありましたが、最後の和音は完全に決まって、この稀有な9番演奏は終結し、静寂にかえっていきました。大植さんは最後両腕を体に抱きしめるような姿勢で終わり、その後しばらくして大植さんの両手が完全にさがりきって初めて、拍手が徐々にわきおこりはじめました。すばらしいブルックナーでした。今まさに、大植さん、大フィルとも、心技体が充実しきっているということ。それをまざまざと実感する、気迫に満ち、すこぶる充実したブルックナーでした。これまで僕が聴いた大植&大フィルのブルックナーは、2006年東京定期の7番、2008年の朝比奈隆生誕 100周年記念演奏会の9番、そして今回です。回を追うごとに力が増し、完成度が高くなっているように思います。 大植さんという音楽家からあふれ出る大きなエネルギー、それをがっしりと受け止め充実の響きを奏でる大フィル。大植&大フィル、またひとつの到達点を極めました。朝比奈御大も、天国からさぞや祝福していることでありましょう。すばらしいブルックナーを、ありがとうございました。
2011.02.20
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大植&大フィルのブラームスチクルスの最終回を、聴きました。指揮:大植英次ヴァイオリン:竹澤恭子チェロ:ダーヴィド・ゲリンガス管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲ブラームス:交響曲第4番2月9日 ザ・シンフォニーホール交響曲を1番から順番に、協奏曲とセットで昨年夏から4回にわたって演奏してきたこのブラームスチクルス、僕は1番を聴いたのに次いで、2回目です。協奏曲はゲリンガス、竹澤さんの両ソリストの貫録ある演奏が聴きものでした。盛大で温かい拍手にこたえて、なんとなんとアンコールに、もう一度第三楽章をやってくれました。これ、急に決まったらしく、オケは楽譜をめくるのもあわただしく、いきなりの第三楽章が始まりました。アンコールの第三楽章は一段と自在な音楽になり、いい演奏でした。再び盛大な拍手。会場全体がひとつになったようなこの親密感、毎度ながら、ここならではの魅力です。さていよいよ4番です。昨年の1番は、第二、第三楽章のゆったりとした温かな歌が、じんわり心にしみる素晴らしい演奏でした。一方両端楽章は緩急変化が大きく、重厚路線でない、僕はちょっと肩すかしをくらったような印象でした。(詳しくはこちらの記事をご覧ください。)そこで今回の4番は、僕としては第二楽章の歌にもっとも期待をしていました。(本当はこういう期待はしないでニュートラルな姿勢で臨むほうが良いのでしょうけれど。)その第二楽章は、さすがに大植さんらしい、じっくりとした歌が聴けました。これだけでも十分にすばらしいと思いましたが、ここまではいわば想定内のすばらしさ。しかし第三楽章からが、想定を裏切るさらにすばらしい演奏になりました。力強く、エネルギッシュ。とくに終楽章は、非常に力の入った、すごい演奏でした。大植さんの指揮は、以前のマーラー6番のときを思い出すような、気迫みなぎるキューの連発で、オケもがっちりと十分に鳴っています。剛の魅力全開。かと思うと、合間のフルートソロなどのひそやかな美しさも十分です。巨大でいて弛緩することない、高密度の時間でした。満足です。なおオケの配置は両翼配置で、協奏曲は下手側だったコントラバスは交響曲では後ろに一列に並び、ティンパニは協奏曲では後ろの正面から交響曲では上手側に移動。このティンパニが、交響曲で、楽章ごとの音の音色の変化がはっきりしていて、かなり良かったです。とりわけ第三楽章の硬めでややこもった感じの音から、終楽章で切れの良い鮮やかな音色への変化が、見事だったです。このあと大植さんのスピーチがあり、驚愕の、4番の開始異稿「まぼろしの4小節付き」のさわり部分の演奏が行われました!その後さらに大植さんが、ピアノ演奏を交えた秘密(^^)の特別レクチャーをしてくださるという、超豪華特別二大付録付き!のコンサートでした。レクチャーの内容は、大植さんの「ブログには書かないでね」というご希望があったので伏せておきますが、非常に興味深いお話でした。(この演奏会、最初から舞台の下手奥にピアノが置いてありました。あれ、なんでピアノが?と不思議に思っていたのですが、大植さんのこういう至れり尽くせりのサービス精神による思惑だったのですね。)しかし今夜の演奏会、特別2大デザートもすごかったですが、なんといってもメインの4番が聴きごたえ十分でした。このすばらしいコンサートに参集できて良かったです。大植さんと大フィルのみなさん(と竹澤さんとゲリンガスさん)、ありがとうございました。
2011.02.10
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久々に、余韻についての話の続きを書きます。第3回目になります。といっても前二回の内容を覚えていらっしゃるかたはほとんどいないでしょうので(爆)、まとめておきます。初回「余韻考(1)」では、演奏会場での余韻を時間的にふたつにわけて、余韻の第一段階を物理的な残響、第二段階を心理的な余韻(音楽モードから通常モードへの移行過程)とすると、このごろ、第一段階の余韻は割合大事にされることが増えてきた、ということを書きました。しかし第二段階の余韻はまだまだないがしろにされやすい、ということを書きました。そして、第二段階の余韻は主観的なものなので、音楽内容によって、演奏によって、そして何よりも個々人によって、その長さがまったく異なる、ということも書きました。(「音楽モード」とは僕の勝手な造語ですけど、演奏者にとっては音楽を演奏する心理・身体的な体勢というか構えの状態、聴衆にとっては音楽を聴くという心理・身体的な構えの状態です。「通常モード」とは、それらがない、日常生活上の心理・身体的状態のことです。)次の「余韻考(2)」では、自分にとっての第二段階の余韻が終わったからといっても、演奏者や他の聴衆にとっては第二段階の余韻が終わっていないかもしれないので、そのあたりを考えずにすかさず拍手・ブラボーをすると、他の方々が味わっている余韻をぶち壊してしまう危険があるということを書きました。それを避けるためには、演奏者にあわせることが大切であろう、演奏者にとっての第二段階の余韻が終わったことを確認してから拍手・ブラボーをすれば良いだろう、と書きました。つまり目で見て、演奏者が楽器をおろす、あるいは指揮者が指揮棒をおろす、あるいはじっとしている状態からフーっと体がリラックスして動き始めるなど、音楽を演奏するモードから通常モードにもどったことが確認できてから拍手・ブラボーをすれば良い、と思うわけです。あと念のため、以前にも書いたことですが、演奏者にとっての第二段階の余韻は、きわめて短いことがあります。第一段階の余韻よりも先に終わってしまうことさえ、ありえます。たとえば華やかなアンコールピースを、鮮やかに颯爽と弾き終わったときなどです。このとき、演奏者と聴衆の気持ちがぴったりかみあって、すぐに拍手が湧き起こったりします。それはもちろん自然なすばらしい反応です。ですので、長い静寂をとらなければ絶対にいけない、などということはまったく思っていません。僕たち聴衆にとって大事なのは、演奏者と呼吸が通じ合っていること、あるいは別の言い方をすれば、演奏者にとっての第二段階の余韻(心的余韻)を尊重しようという気持ちを持つことだと思います。フライングブラボーとかフライング拍手も、これらの段階別に考えるとふたつに分けられます。第一段階の、まだ物理的な残響が鳴り響いているときのフライングは、Super Early Flying、略してSEフライング。第二段階の、演奏者がまだ音楽モードから抜け出していないときのフライングは、Early Flying、略してEフライング、と呼ばれます。というか、今そう決めました(爆爆)。一昔前まではSEフライングが跋扈していたわけですが、このごろは、これは激減してきている印象です。実に慶賀すべきことです。しかしEフライングは、まだまだしぶとく存在しています。ちょっと油断していると、いや、自分が気を引き締めていても、Eフライングはすかさず湧き起こってしまいます。この恐るべきフライング現象、なぜかオーケストラの演奏会で圧倒的に多いと思われます。室内楽や器楽、独唱や合唱などでは、SEフライングはまず皆無でしょうし、Eフライングも比較的少ないと思います。あとオペラでの状況は良くわからないので別として、ともかくオケの演奏会では、まだまだEフライングが目立ちます。なぜなのでしょうか。オケの巨大な音量で、派手な終わりかたをすると、つい反射的に大きな声を出したくなる?大ホールで聴衆の人数が多いので、少々叫んだりしても、誰が叫んでいるのかわかりにくいから、少々マナーのよろしくないことでもやってしまえ、という心理が働きやすい?あるいはオケを聴きに来る人には性格的にフライングしたがり屋さんが多い?あるいはもっと単純に、オケ物を聴きにくる人と小編成物を聴きに来る人とで、同じ確率でフライングしたがり屋さんがいるとしても、1回あたりの聴衆の数がオケ物では多いので、フライングに「遭ってしまう」確率が高くなる?まぁ良くわかりませんけど、ともかく現実的に問題になるのは、オケ物でのフライング対策です。オケ物でのフライング対策。ようやく話の出発点にもどってきました。そもそもは昨年10月のスクロヴアチェフスキ&読響の定期演奏会で、フライング対策の場内アナウンス「拍手は、指揮者が手を下ろすまでお控えくださるようお願いいたします。」を初めて耳にして驚いたことが、この話の出発点でした。今回は、あまり話の進展がありませんが、このあたりで一区切りとします。次回は、オーケストラコンサートにおけるフライング対策について、書こうと思います。
2011.01.31
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1月22日、横浜みなとみらいホールで、金聖響&神奈川フィルのマーラー4番をききました。「マーラーを聴いた!」という充実感を十分に味わえた演奏会でした。神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第268回定期演奏会指揮:金聖響モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 (ピアノ 菊池洋子)マーラー 交響曲第4番 (ソプラノ 大岩千穂)モーツァルトは、菊池さんの優しくきれいな音色が素敵でしたし、オケも、(弦は10-10-8-6-4の両翼配置)、とても良い音を出していて、チャーミングなモーツァルトを楽しめました。休憩後のマーラーは、弦は12-10-8-8-6の両翼配置で、舞台の上手にハープでした。これまで聴いてきた金さんのマーラーは、ときどき勇ましさが目だって歌心がちょっと後ろに引っ込んでしまうような感じになることが、僕にはひっかかっていました。しかし今回は違いました。第一楽章には勇ましすぎる傾向をわずかながら感じましたが、それがあまり気にならないくらい、魅力的な歌が充分感じられました。チェロ、フルート、クラリネット、ホルンなどなど、みな素敵です。木管のベルアップもはっきりしっかりやっていて、見ていて気持ちよく、あっぱれです。あぁマーラーを聴いているなぁ、と実感しながら楽しく聴けました。第二楽章から一段と魅力的になりました。コンマスの石田さんのソロヴァイオリンはとても丁寧で、神経にさわるような刺激的な音作りよりも美しさを重視する方向の演奏で、こういうのもあり、と思わせる説得力が充分あり、すばらしかったです。そしてトリオ、金さんはテンポを落としてじっくりと歌い、うっとりと聴きほれました。第二トリオなどあまりにも美しくて、あれもう第三楽章だったっけ?と一瞬頭がまごついてしまいました。考え直すとまだ第二楽章、それなのにもうこんなに美しく濃厚でいいの?と思うくらいでした。第三楽章も、ゆったりとしたテンポで、歌心充分、実にいいです。第二主題がオーボエに出てくるところではさらに一段とテンポを落とし、たっぷりと歌っていました。2007年に聴いたエッティンガー&東京フィルの4番で、遅いテンポでじっくりとした足取りの耽美的な音楽に酔ったことが思い出されます。今回もそれと同じ方向の、ゆったりと美しいマーラーでした。やはりマーラーは両翼配置がいい、としっかり認識させてくれるような金さんの的確な指示でしたし、それにこたえて弦の各セクションがそれぞれいい音を奏でていました。チェロの美音と対比的なヴィオラのくすみかげん、良かったです。第三楽章の終わり近くの音量的なクライマックスのところで、舞台下手のドアが開き、独唱者がゆっくりしずしずと登場してきました。演奏がすすむなか、独唱者はゆっくりと指揮者のすぐ横の位置につき、第三楽章が静かに終わり、そのままアタッカで第四楽章が開始されました。この独唱者の演奏途中入場方式、4番ではわりと良く見かけます。3番では演奏中の独唱者の入場はすごく気になる僕ですが、この曲の場合は、なぜか特に気になりません。ここの音楽が、(3番のように)上昇していくというものでなく、天のほうから降りてくる、という感じがするからかもしれません。第四楽章も、オケは刺激的になりすぎることなく、控えめに美しい音楽を奏でてくれました。すばらしいです。そしていよいよ最後のコントラバスの持続音が消えていくとき、金さんは左手をコントラバスのほうに向けて伸ばし、音が消えてもしばしそのままでした。会場は完璧に静寂が保たれています。やがてゆっくりと金さんの手がさがっていき、完全にさがりきったその後から、はじめて拍手が始まりました。充実した演奏にふさわしい、理想的な余韻のひとときを味わえました。そしてクレッシェンドしていく拍手に、満場が包まれていきました。今回オケは皆ふくよかに歌っていて、良かったです。とりわけコンマスがすばらしかったのと、美音のチェロ、はつらつとしたフルート、きっちりと役どころを果たしていたクラリネット、この曲にふさわしいあたたかい音色で美しく聴かせてくれたホルン首席のソロなどが、特に印象的でした。僕が聴く金さんのマーラーは、2007年のN響との1番、2010年の神奈川フィルとの3番、2番に次いで、今回が4回目でした。回を重ねるごとにどんどんと充実し進化して来ている感じがします。今回は、マーラーを聴いたという手ごたえを充分に味わうことができました。このあと今シーズンの定期演奏会では、2月5番、3月6番とやって、今シーズンで3、2、4、5、6番!そして4月からの次のシーズンでは、7、9、1番。ということで神奈川フィルと2シーズンで、8番と大地の歌と10番以外のマーラーをやってしまうことになります。この大胆スケジュール、1番と3番を聴いた時点では、先がちょっと思いやられるかもなどと不遜にも思ってしまいましたが(汗)、今日の4番を聴いて、この先がかなり楽しみになりました。金マーラー皆金、じゃなかった皆勤めざして聴きに来ようと思います。
2011.01.24
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サイレント映画「オペラ座の怪人」、オルガン即興演奏付きの上映会に行きました。1月15日、武蔵野市民文化会館小ホール「オペラ座の怪人」(1925年アメリカ) サイレント、モノクロ/パートカラーオルガン演奏:フランツ・ダンクザークミューラー僕が以前みた「オペラ座の怪人」は、2004年制作のアンドルー・ロイド・ウェッバーの音楽によるミュージカル映画です。これをテレビで見て、すごく面白かったので、今回来てみました。昔の映画ではどうなっているのか、それとオルガン即興演奏に興味津々でした。このホールには中型のいいパイプオルガンが、舞台奥正面に据えられています。今回は、上手側(オルガンの右側)に大きなスクリーンが設置されていました。プログラムには、上映時間75分、休憩なし、と記載されています。やがてオルガニストが登場し、オルガンの前に着席しました。即興ですので譜面台に楽譜はなく、代わりに譜面台の右に小さな映像モニターが置かれていました。それを見ながら音楽が演奏されていきます。ただし即興とはいっても全くのインプロヴィゼーションではなく、全体の流れはかなり周到に構想され準備されていると思われました。始まりの静かな音楽から、オペラ座でのバレーの舞台での軽快なワルツ、不気味な場面ではそれらしく不気味な音楽と、ふさわしい音楽が途切れることなく流れていきます。全体に聴きやすい音楽で、抑えるところは抑えて映像の邪魔にならず、衝撃の場面では大音響の不協和音を轟かせ、場面が切り替わるときにはぴったりのタイミングで音楽も変わり、本当に良くできていて75分があっという間に終わる充実の体験でした。面白かった!特に後半で、怪人に連れ去られたヒロインを救出すべく、恋人がオペラ座の地下深くに潜入していく場面からは、グレゴリア聖歌の「怒りの日」のモチーフが用いられ、それが繰り返されながらじわじわと盛り上がっていき、非常に聴きものでした。この1925年版の映画では、怪人が元オルガニストという設定で、オペラ座の地下の秘密の部屋で怪しくも魅力的なオルガンを弾くシーンがありました。オルガンによる演奏が画面と非常に良くマッチしていたので、演奏するオルガニストと怪人とがだぶって感じられ、まさにその場で怪人が演奏するオルガンを聴いているような、臨場感ある劇的で濃厚な時間を味わいました。ところでウィキペディアによると、この原作小説が書かれたのは1909年(1910年?)で、最初の映画は早くも1916年にドイツで作られたそうですが、これは日本では未公開ということです。次に作られたのが今回の1925年アメリカ版です。さらにその後数回にわたってリメイクされ、うち1943年版はアカデミー賞を受賞していて、これもいずれ観たいです。そして現時点で最新のものは、2004年製作の、アンドルー・ロイド・ウェッバーのミュージカルを映画化したものということです。怪人の素性は、リメイク作品のそれぞれで違うらしく、たとえば1943年版では元ヴァイオリニスト兼作曲家だそうです。ですので今回の1925年版で元オルガニストという設定は、オルガンの即興にとりわけふさわしいと思われます。だからこそこういう形の上映会が行われるのか、と納得しました。ネットでちょっと検索してみたら、昨年夏にも横浜みなとみらいホールで、同じ趣向のオルガン即興演奏付きの上映会があったようですし、一昨年にはフランスでも同様なイベントが教会で行われたようです。
2011.01.19
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2011年1月5日、上野の東京文化会館小ホールで、藤井一興ピアノリサイタルを聴いてきました。今年の僕のコンサート聴き初めでした。藤井さんは毎年ではないですがこのホールでニューイヤーリサイタルを行っています。僕が聴くのは2006年のフォーレ&メシアン、2010年の展覧会の絵、に続く3回目です。プログラムの表紙が、毎回同じで日の出を思わせる赤い大きな丸印と、その下にピアノの鍵盤部分が横に長く一の字のように置かれているユニークなデザインです。この形をみると、イタリアの孤高の作曲家ジャチント・シェルシのマークをいつも思い出してしまいます。そこでリサイタルとは全然関係ないし、意味はないのですが(爆)、この二つを並べて写真にとってみました。 写真の左側が藤井さんのリサイタルのプログラムの表紙です。右側は、とある1枚のシェルシのCDジャケットの裏表紙に載っている、シェルシのシェルシ、じゃなくてシェルシの印です。他人のそら似にしては、かなり良く似ているように思うのは、僕だけ?ところで今年のプログラムには、写真にもあるように、「錯覚の美学~響きのうらに見える蜃気楼」というテーマタイトルがついていました。そして曲目は ・ドビュッシー:前奏曲集第1集 ーー 休憩 ーー ・ブーレーズ:ノタシオン ・メシアン:「鳥のカタログ第1巻」よりコウライウグイス ・早川和子:溌 ・ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ ・ドビュッシー:「映像第1集」より水に映る影 ・ドビュッシー:喜びの島このテーマタイトルや曲目の解説に関しては、藤井さんのオフィシャルサイトにインタビュー記事があり、とても興味深いのでリンクを張っておきます。この記事にもあるように、倍音やハーフペダルなどに細心の注意をはらった、藤井さんらしい音色の美しさに酔えることが充分に期待できるプログラムで、特にブーレーズやメシアンに非常に期待して出掛けてきました。ところが藤井さんが登場してわき起こった拍手が鎮まり、いよいよ演奏が開始されようというときに、「シャーッ」という高周波音が耳につきはじめました。あ~っ、これは補聴器のノイズです。。。ここから先は、藤井さんの音楽とは直接関係ない話になってしまい恐縮ですが、この日すこぶる悩まされた補聴器のノイズのことを書いておこうと思います。補聴器のノイズ、ことの起こりは2004年のサントリーホール、ゲルギエフ/ロッテルダムフィルのマーラー9番のときでした。このとき僕は会場にいました。演奏開始時から会場内に「シャーッ」という音が、かすかながらも耳につく持続音ノイズとして響いていました。何のノイズなのか、初めてのことなのでさっぱりわかりませんが、ノイズがとても気になって音楽を落ち着いて聴けません。それでも演奏は普通に行われていき、第一、第二楽章と進みました。今夜はこのままノイズが最後まで続くのだろうかと諦めかけました。しかし第二楽章が終わったときでした。ゲルギエフは第三楽章に入ろうとしたのですが、舞台上にホールの方とおぼしき背広姿の男性が出てきて、演奏開始をストップさせ、客席に向かって、ノイズがするので、今一度ご自分あるいは周囲の方の機器などを確認してください、という呼びかけがありました。そのあと1~2分でしょうか、ようやくその音がぴたりとおさまり、演奏は第三楽章から再び始まりました。それまでのノイズがなくなったことで初めてオケの響きが味わえるようになりました。聴いているほうからして著しい違いですから、ゲルギエフやオケの方々にとっては、もっともっと大きな違いだったと思います。この一件のあと、サントリーホールの場内アナウンスに、携帯電話の注意を喚起するあとに、補聴器は正しく装着されているかご確認ください、というアナウンスが加わるようになりました。今ではどこのホールでも当たり前のアナウンスになってますね。僕はその後今までに、2~3回ほど同じような補聴器ノイズに遭遇したことがあります。ここ東京文化会館小ホールでも、ある室内楽コンサートのときにこの補聴器ノイズがして困ったことがありました。それで僕は、プログラムの前半が終了したところで、会場の係の方にその旨を話しました。そうしたら、休憩時間中にホールの係の方が複数で会場内をゆっくり歩きながら、お客さんにきめ細かく声をかけていただき、その甲斐あって、後半にはそのノイズがぴたっとおさまっていて、このホール本来の美しい響きで音楽を味わうことができました。演奏会終了後に係の人に、ノイズが消えたお礼を言ったら、「私たちは会場の中にいないので、そういう情報を伝えていただいて良かったです」と仰っていました。それ以来久々の補聴器ノイズです。しかも今回は単に「シャーッ」という音だけでなく、少しハウリングを起こしかけているような、「キーン」という音までしてきて、かなり耳障りで、困りました。前半のドビュッシーは、そのノイズを辛く思っているうちに終わってしまいました。そこで今回も、休憩時間に係の人に事情を話して、対応をお願いしました。その後僕は休憩のあいだホワイエにいたので、休憩時間中にホール内でどういう対応が行われたのかはわかりません。ただ、後半が始まるときの場内アナウンスに、前半のときにはなかった補聴器に関する注意喚起が、普通に一言だけ追加されていました。これで効果が出ていれば良いのですが。。。(補聴器のノイズは、会場がざわざわしているときにはわからないのが怖いところです。いざ演奏が始まるときに会場が静まり返って、初めてわかります。そして演奏が開始されてしまうと、あとずっと延々と持続する、というおそろしさがあります。)後半の最初、藤井さんはマイクを持って登場し、ブーレーズ、メシアン、早川の現代音楽3作品についての興味深いお話を少しされました。そしていよいよ演奏がはじまりましたが、あぁ残念なことに、補聴器のノイズは続いていました。しかも前半よりも「キーン」という音量が増して、あたかも大きな耳鳴りの音がしているような感じで、音楽を聴いているのが苦痛なほどでした。折角のブーレーズが、メシアンが、倍音もハーフペダルも、その微妙なニュアンスが聴き取れないどころか、音楽そのものにもまったく浸れない状態となってしまいました。「いや、藤井さんだってこのノイズの中を弾いているんだ、自分もノイズに気を取られないで音楽に集中しよう」と何度も思い直そうとしましたが、だめでした。。。。なぜか、メシアンの次の曲からノイズがようやくぴたりとやみ、ここからやっと藤井さんのピアノの響きを味わうことができました。あぁあと1曲早ければメシアンが聴けたのに、、、残念無念でした。ただしそこからは藤井さんがまさに本領発揮。特にラヴェルとドビュッシーは、柔らかく繊細で多彩な音色の素晴らしさに酔うことができました。ノイズがなければ、全編にわたって、さぞすばらしい音楽がきけただろうと思います。補聴器のノイズのときに不思議なのは、演奏者が注文をつけないことです。人並み以上に鋭敏で繊細な耳を持っているゲルギエフやら藤井さんやらプロの音楽家たちが、こういうノイズが気にならない筈はないと思うんです。しかしこれまで3~4回遭遇したいずれの場面でも、演奏者は何も言わず、ひたすら演奏を続けていました。弾き初めてしまった曲を中断したくないという気持ちは理解できるとしても、それならば次の曲に入る前に、ちょっと席を外してホールの人に相談し、場内アナウンスを流してもらう等して、ノイズを止めようということを考えないものでしょうか。。。もしかして、どんな過酷な条件のところでも弾く、お客さんに注文などつけてはいけない、というプロ魂のなせる技なのでしょうか。。。補聴器のノイズ、これはまったく悪意なしのノイズですし、言うまでもなくそのノイズの発生者を責めるつもりは微塵もありません。でもこのノイズは、演奏が始まるいざそのときまでわからないし、始まってしまうとず~っと持続的に音楽を妨げてしまうという、かなりの破壊力のある厄介者です。こういった補聴器のノイズによる不幸な事態をできるだけ減らすには、まずはハード面。補聴器を改良して、補聴器をつけた方もより安心して来場できるようになってほしいこと。それから、会場の人あるいは主催関係者がホール内にいて、万が一ノイズが発生したら、曲間などに早めに演奏者と対応を相談することを躊躇しないでほしいこと。そして演奏者自身も、もしノイズが気になるときには遠慮せず曲間に関係者と相談して対応してほしいこと、などを思います。(もしも演奏者が気にならないノイズならば聴き手も我慢しますけれど、それはありえないかなぁ、と思います。)その点で考えると、2004年サントリーでのゲルギエフのときのホール側の対応は、第二楽章が終わった時点で演奏を中断したのは大英断だったと思います。もしこの文を読んでいて不快に思われる方がいらしたら、お詫び申し上げます。繰り返しますが、決して誰かを糾弾するということではありません。その日のためにエネルギーを注いできた演奏者と、その音楽を聴きにきたすべての人のために、という思いだけです。・・・今回、ノイズが鳴っている間、しんどいといえば結構しんどい時間でした。しかし考えようによっては、前半のそのような時間があったため、そのあとに藤井さんの音楽の美しさが、ひときわ心にしみたのかもしれません。そんな意味も含めて、ともかく藤井さんの音楽を聴けたことに感謝したいと思います。藤井さんのフランス音楽は、やはり素晴らしいです。今後とも、藤井さんのピアノを聴いていきたいと思います。
2011.01.11
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2010年回顧シリーズ(^^)の最後は、自分にとってのベストコンサートを書きます。今回は大胆にも敢えて順位をつけてしまいましたが、もちろん順位にはそれほど大きな意味はありません。自分が受けた感動の大きさという視点に、演目の稀少度(自分にとっての貴重度)なども加味した、あくまでパーソナルな(自分勝手な)ランキングです。--------------------------------------------------------------------------------- 3月16日 すみだトリフォニー: チッコリーニほか ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番、第4番10月16日 サントリー: スクロヴァ&読響 ブルックナー/交響曲第7番11月22日 サントリー: ヤンソンス&コンセルトヘボウ マーラー/交響曲第3番12月 3日 サントリー: ドレスデン聖十字架合唱団ほか バッハ/マタイ受難曲 5月21日 すみだトリフォニー: アルミンク&新日フィル ドビューシー/ペレアスとメリザンド 2月20日 サントリー: 大植&大フィル R.シュトラウス/アルプス交響曲 2月28日 神奈川県立音楽堂: ニケ&ル・コンセール・スピリチュエル パーセル/アーサー王 2月17日 新国立劇場: エッティンガーほか ワーグナー/ジークフリート 3月24日 新国立劇場: エッティンガーほか ワーグナー/神々の黄昏11月 9日 紀尾井: 藤村&リーガー マーラーほかの歌曲 7月 8日 サントリー: カンプルラン&読響 マーラー/大地の歌---------------------------------------------------------------------------------第1位はなんといってもチッコリーニ。音楽の純粋な力、その途方もない大きさの一端をかいまみたような、すばらしすぎる体験でした。これは完全に別格です。永久名誉桂冠演奏会。第2~4位は、僕の大好きなブルックナー、マーラー、バッハの定番名曲を、充実した演奏で聴けたコンサートでした。第5位のドビュッシーのオペラは、僕はこのときに初めて聴きました。音楽の美しさとともに、演出の妙がすばらしく、セミ・ステージ形式の上演ながら、見ごたえ聴きごたえがありました。第6位の大植さんは、大フィルから、ここまで出るかという極美のサウンドを引き出していました。第7位のパーセルは、まさかのまさか、アーサー王がニケの演奏で聴けた、という稀少価値が大きく、ランキング入りしました。これは是非独立した記事に書きたかったのですが、時間がたちすぎてしまいました。アーサー王についてはいずれ機会をみて書きたいと思っています。第8,9位のワーグナーは、2009年に引き続く指環上演の後半2演目でした。奇抜で音楽を尊重しない演出にはいささか興が削がれたものの、歌・音楽はすばらしく、めくるめくワーグナーの音宇宙を堪能しました。これも滅多に聴けない貴重な体験でした。第10,11位は、「2010年のマーラー演奏会を振り返って」の記事に書きました。2010年は自分の生活としては限界までコンサートに通った(通えた)年でした。今年は諸事情からこれほどは通えないと思いますが、都合のつく範囲で聴いていきたいと思います。
2011.01.04
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正月休みも今日で終わりです。昨日にひき続き、今度は2010年のブルックナーの演奏会をまとめておきます。----------------------------------------------------------------------------------4番 クレー/都響 10月25日 サントリー5番 ブロムシュテット/N響 4月22日 サントリー7番 尾高/N響 5月14日 NHK 同上 5月15日 NHK ルイジ/PMF 8月4日 サントリー スクロヴァチェフスキ/読響 10月16日 サントリー8番 インバル/都響 3月25日 東京文化会館 スクロヴァチェフスキ/読響 3月26日 サントリー ティーレマン/ミュンヘン 3月28日 サントリー チョン・ミョンフン/東フィル11月19日 サントリー スダーン/東響 11月27日 サントリー 尾高/読響 12月13日 サントリー9番 尾高/東フィル 2月18日 東京オペラシティ ハウシルト/新日フィル 3月13日 すみだトリフォニー メスト/ウィーンフィル 11月9日 サントリー スダーン/東響 7月11日 サントリー----------------------------------------------------------------------------------2010年のブルックナーは、スクロヴァチェフスキの7番にもっとも深い感銘を受けました。スクロヴァのブルックナーは皆すばらしいけれど、7番が特にすばらしいと個人的には思います。あとほかに聴いた昨年の7番は、尾高さんは第一・第二楽章を軽めに流し、第三・第四楽章に重みをおいた演奏で、僕の好むやりかたと逆で、楽しめませんでした。ルイジは、部分的にゆっくり演奏して味わい深いところは多々あった(第一楽章第一主題や第四楽章第二主題など)けれど、全体の流れの一貫性が感じられず、やはり僕としては入り込めない演奏でした。 次に8番です。昨年はいろいろな版の8番が聴けて有意義でした。インバルが第1稿。あとはすべて第2稿で、スクロヴァがノヴァーク版ではありますが言わば「スクロヴァ版」、スダーンとチョンがノヴァーク版、 ティーレマンと尾高がハース版でした。僕が感銘をうけた演奏は、スダーンとティーレマンでした。インバルは第一稿という点では貴重でしたが、演奏スタイルはフランクフルト放響とのCDと同じでいかにもテンポが速すぎて、この稿の魅力を生かしてないと思いました。(シモーネ・ヤングさんのような演奏こそ第一稿の魅力を伝えてくれると思っています。)いずれにせよ第一稿による演奏がもっともっと増えていってほしいものです。第一稿のすぐれた演奏が増えていったら、将来はハース版は中途半端なものとして存在意義が薄れていくかもしれないと思います。チョン・ミョンフンのブルックナーは、3年ほど前に東フィルとの6番、N響との7番を聴きました。東フィルとの6番は、テンポがやたらに速くてせせこましく、つまらない演奏でした。しかしその直後に演奏されたN響との7番はまったくスタイルが違って、ゆったりとしたテンポでスケールの大きい名演でした。その格差の大きさに驚いたものです。それで今回の8番は予想がつかないで臨みましたが、結果的には凡庸な演奏でした。東フィルは、ともすれば音が荒れてうるさく聴こえてしまうことが少なくなく、今回もそうなってしまいました。チョンは東フィルから現在最高の称号(桂冠名誉指揮者)を与えられている指揮者ですが、東フィルを演奏する機会が激減しつつあり、もはや東フィルと相性が良くないのでは、とまで思ってしまう演奏でした。スダーンの8番は、昨年の記事に書いたように、早いテンポでひきしまった、すばらしい名演でした。昨年同じく東響と演奏された9番とはかなり異なるスタイルで、良い意味で予想を裏切られました。ノヴァーク版第二稿の特性をうまくいかした演奏でした。一方ハース版の良さが出ていた演奏としては、ティーレマン。ミュンヘンフィルの実力もあって、こちらは予想通りの、堂々たる鳴りっぷりの8番の響きを、充分に堪能しました。同じくハース版を用いた尾高さんの8番は、3台のハープを使用し、尾高さんらしく誠実で丁寧な演奏ではありましたが、丁寧すぎて音楽の推進力が失われてしまった感があり、残念でした。9番は、ウィーンフィルの来日公演が指揮者とプログラムが二転三転し、結局メストの指揮で聴きました。第二楽章の途中で入りのタイミングの目立つミスが出たりして、ウィーンフィル本来の調子ではなかったと思います。それでもウィンナホルンやワーグナーチューバの渋い音色はいぶし銀の魅力があり、この音色で9番を聴けただけでもありがたい体験でした。 昨年聴いた9番で個人的にもっとも感動したのは、尾高&東京フィルでした。会場は東京オペラシティでした。このホールではうっかりすると金管がきつくうるさく響いてしまい、特に東フィルではその傾向が強く、2階で聴いた友人はそのような感想を話していました。僕は1階平土間のかなり前のほうで聴きました。幸いにもこのあたりの席だと金管の響きがかなりマイルドに緩和されて聴けるので、うるささが気になりませんでした。そして尾高さんの指揮も、悠然としたもので、スケールある音楽が立ち現れていました。昨年は尾高さんの7番(N響)、8番(読響)、9番(東フィル)を聴きましたが、9番がずば抜けて良い演奏でした。さて2011年は、どんなブルックナーが聴けるでしょうか。早くも2月には、大植&大フィルの9番がありますね。心して聴きたいと思います。ほかに注目は、やはりスクロヴァチェフスキ。10月にザールブリュッケンを率いて来日し、4番と9番をやります。(読響とは2012年3月の3番までお預けです。)そして読響といえば、われらが下野竜也が読響でついにブルックナーを振ります。7月に4番です。時は熟し、スクロヴァから「君、そろそろいいよ」と許可が出たのでしょうか。楽しみです。
2011.01.03
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