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さいきんオイラが寝る前に読んでいるのは本多勝一の『殺される側の論理』である。やっぱり日本を発つ前に古本屋で100円で買ったモノ。この本の半分近くは、30数年前の出版当時に問題となっていた「ベトナム戦争」関連の話に割かれている。何の罪もないの500人のベトナム人婦女子が米兵に皆殺しにされたソンミ村の虐殺や、カンボジアへの侵攻の話なんかを読んでいると、まったく現在進行中のイラク戦争のことを聞いているような錯覚に陥る。18-9世紀のインディアンの殺戮にはじまり、太平洋戦争、ベトナム戦争と、論理的に破綻した同じ愚行を繰り返しているのは傍目には明らかなのに、やってるアメリカ人本人だけが相変わらず「星条旗のため」「自由と民主主義のため」に正しいことをやっているという妄信から抜けられないという「アメリカ病」は救いようがないですなあ。ところで、先日会社の日本人社員だけの小ミーティングの際、(40歳過ぎの)オフィスマネージャーが何かの説教に本多勝一を引き合いに出したのだが、日本人社員のほとんどを占める現地採用の20代の連中は誰も本多勝一を知らないでやんの(笑)。本多勝一といったら、オイラの時代には先進的な高校生の課題図書のようなモンだったけどなあ。海外取材シリーズはもちろん、オイラは個人的には一柳家の「金属バット殺人事件」とか「早稲田高校生殺人事件」とかいった“親殺し”をテーマにした『殺す側の論理』なんかが愛読書だったなあ(笑)。本多勝一の「体制を疑う」という視点は、並みの知性を持つ若者が通過すべき必須のポイントだとオイラは思っていたのだが、今は流行んないのかなあ。思えば、『殺される側の論理』が出版された当時というのは、「靖国神社は宗教とは関係ない」とかいうインチキな趣旨の靖国神社法案が自民党に強行可決され、世論が盛り上がった頃だよな。一方、現在もテロのドサクサで「有事三法」が可決され自衛隊がイラクに派遣されたりしていて、この本に30年も前に書かれたことは今読んでも時代的なギャップはほとんどないハズなんだけどなあ。…そもそも「体制」なんて、死語なのか(笑)?それにしても、科学技術の世界での進歩は“日進月歩”で、30年前にはパソコンもなければワープロさえなかったし、ビデオやエアコンだってお金持ちしかもってなかったのに、政治だとか国家だとかいう問題は30年経っても40年経ってもぜんぜん進歩がないどころか、むしろ部分によっては後退してたりするんだよなあ。これって、「政治」とか「国家」という入れ物じたいがすでに旧い制度であって、その入れ物の中ではもう進歩はありえないということかもなあ。「体制」自体が流行らなくなれば、本多勝一も流行らない、ということなんでしょうかねえ、センセイ。
2004.05.30
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おととい、10数年ぶり夢精した話を日記に書いたところ、オイラの楽天仲間&旧友の中でもとりわけ先進的なごく限られた数名の知人たちからレスポンスがあった。オイラはこのおとといの日記を「皆さん、最後に夢精したのはいつですか?」という問いかけで結んだのであるが、おそらく10人以上はいたはずのその他の男性の訪問者からはまったく反応がなかった。夢精なんて不快な記憶だから思い出したくないのか、自分だけの大切な思い出だから誰にも話したくないのか、そんなことを尋ねたり答えたりするのは非常識だから無視すべきと考えたのか、単にくだらないことだからその質問を気にも留めなかったのか、それは分からないが、ま、前述のいずれかであろうとオイラは推察している。ま、ハッキリ言って、自分が夢精したとかマスターベーションの頻度とかインターネットで平気で公言するヤツが世間からあまり信用されないだろうことは、ヒジョーシキなオイラにも想像がつく。いくらハンドルネームでのコミュニケーションだとはいえ、常識的な人がそんな信用できないヤツのインターネットでの問いかけに対し「私は28歳の時に出張中に夢精したのが最後です」とか「妻と頻繁に性交しているので結婚してから夢精したことはありません」とか返信することはないのだよな。さて、オイラの問いかけにお答えくださったリベラルな3名の男性の回答から明らかになったのは、外国人の妻を持つ日本在住のA氏は毎日のように射精しているので夢精などしないこと、外国人のガールフレンドを持つ海外在住のB氏は加齢のため週1性交になりつつあるが、マスターベーションならまだ毎日できることなどである。ちなみに、アメリカの成人人口を対象とした性交頻度の統計によれば、「1週間に3回前後」「1ヶ月に3回前後」「1年間に3回前後」の3カテゴリーにちょうど3分の1ずつ分かれるそうである。この統計の対象にはおそらく爺さん婆さんも含まれているような気がするが、まあ、老いも若きも含めて「週1」くらいがアメリカの平均頻度ということになるのであろう。日本でも海外でも女性雑誌が「セックス・アンケート」の特集を組んで、「過去に性交したオトコの数」とか「ボーイフレンドや夫の持続時間」だとかいった赤裸々なデータを公表したりしているが、自分の回答が「数字」に過ぎず自分のアイデンティティが特定される恐れがないと、こういった大胆な質問にも結構みんな率直に回答できるもんなんだろうなあ。関係ないけど、10年以上前にニューズウィークか何かのニュース雑誌で読んだ統計によると、アメリカで「オーラル・セックス」の経験のある人は約90%、「アナル・セックス」の経験のある人は約50%、「アニマル・セックス」の経験のある人(笑)は5-10%だそうだ(注.オイラの頭の中は過去に読んだこのテの統計の数字でいっぱいである)。ちなみにこれは女性雑誌のアンケートなんかと違ってあくまで学術的な統計であった。10年前にこの記事を読んだオイラは、さすがアメリカ、こんなことを真面目に統計とったりしているんだよなあ、と感心したものだ。ところで、アメリカ人口の1500~2000万人くらいが獣姦の経験があるって、いったいみんなどこでどんな動物とやっているのか不思議に思ったオイラは当時、ルームメイトのアメリカ人の友人に見解を求めたものである。彼によれば、アメリカ人口の相当数は農業・畜産業に属し、大量の家畜に囲まれて生活しているので、その1500万人の多くはそのような農・畜産業に属している人たちではないか、ということであった。そして、農業・畜産業を営むような土地は都会から果てしなく離れており娯楽もなく、ヒマなときにムラムラしたら、身近にいる家畜を相手にしてみたくなるのは理解できる…というのが彼の回答であった。…それにしても、いくら匿名の統計とは言え、自分が獣姦したとか回答するのに抵抗がないものなのか、オイラは今でも不思議に思っている。ニワトリの単孔にチンポを突っ込んだとか、バターを塗って飼い犬に舐めさせたとかいう記憶は、夢精だとか異物挿入の記憶よかよっぽど思い出すのが不快な暗鬱な記憶だと思うんだけどなあ。…ところでこれを読んでる諸君、「オーラル」「アナル」「アニマル」それぞれの経験はどうヨ?
2004.05.29
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先日、自分にしては思い切ったことなのだが、日本の上司に対して批判的なEメールを送信してしまった。「自分でもよく分かっていないクセにあんたがロクに説明もせずに指示を出してくれるんで、現場の人間たちは困っている。自分自身がよく分かった上で指示を出して欲しいんだよね。」といったことを、もちろんずっと丁寧な言葉で、「宜しくお願い申し上げます」などというインギンな結語とともに書いたのである。たぶんその上司もオイラのEメールを読んでムカっとくるだろうとは予想できた。…しかし、まさか日本法人の社長から電話が来るところまでは予想していなかった。その上司は、オイラが書いたEメールをその社長に転送した上、その件について「相談」の電話をし、相談を受けた社長は「…だったら、その件は○○さん(←オイラ)と直接話し合いましょう」ということになり、予想外の電話会談となったのであった。オイラは自分が送信したEメールでの主張の正当性については自信があったので、それをあらためて社長に説明することには何の抵抗もなかったが、インギンで読んだ人を挑発するような内容に社長が反感を持っていたらヤッカイだなあ…と思いながら、電話を受けていた。…ハテ、どんな姿勢で対応すべきか。上司の不手際についてあらためてまくし立てるか、とりあえず低姿勢に徹して社長の言うことに「ごもっとも」を繰り返すか、あるいは…。オイラは社長からの電話を受けた時パソコンの前に座っていたが、どうしてオイラに電話をしているかということを社長が電話の向こうで説明しているのにハイハイと返事をしながらパソコンに向かって何をしていたかというと、常時接続のインターネットで「高島暦」のホームページを検索していたのであった。「今日の運勢」を見たうえで、社長への対応を考えようと思ったからである。オイラは小学生から高校生くらいの年齢まで“占い小僧”であった。手相・人相、姓名画数判断、占星術、血液型、タロットカード…思いつく占いはひととおりカジった。比較的しつけの厳しい家庭で自主性を尊重されずに育てられた小僧のオイラはいつも「自分が何をしたいのか」というカンタンな問いに答えられず、何かを選択するのに長いこと「占い」に頼っていたのであった。さいわい、オトナになる頃にはたいていの占いには懐疑的になり占いへの依存は少なくなったのだが、それでも長期にわたるさまざまな占いへの傾倒によって「この占いはたしかに偶然以上の何かがある」というのが判断できるようになった。…で、オイラが今でもたまに頼りにしているのがこの「高島暦」なのであった。この占いは結構あいまいで抽象的なひとくちアドバイスが書かれているのだが、そのアドバイスは不思議と役に立つ。今日の占いを見たところ、ただひと言「自分の立場を認識し消極的にする」と書かれている。オイラはさっきまで「この際、上司に対する不満を洗いざらい社長に吐露してしまおうか」などと考えていたのだったが、これを読んで、「そうか、今日は自己主張は抑えて“消極姿勢”でいこう」と方向転換を決めた。はたして、社長の見解を聞いたところ、オイラの主張しようとしていたことと正反対の立場であることが分かった。それにもかかわらずオイラがもし自分の言い分を強く主張していたら、社長と感情的に激突していたであろうことは明らかだった。さいわいなことに“消極姿勢”を自分に言い聞かせていたおかげでオイラは“激突”しそうになる前に一歩退くことによって、最終的にほぼ円満な形で電話を切ることができた。…もちろん、“万事塞翁が馬”の謂いにしたがえば、もし占いに頼らずに当初の予定どおり自分の言い分をまくし立てて社長と激突していたら、会社での居心地が悪くなってやがて退社するハメになり、しかしそのおかげでもっと条件のいい転職先が待ち受けていた…なーんて展開もなかったとはいえない。…でも、冷静に考えれば、どんなに長い目で見ても今日は“積極主張”によってよい結果は生まれなかったであろうことは明白に思えるのだな。面白いのは、例えばおとといの高島暦のアドバイスは「控えめな態度を取って万事円満に」だったし、その前日は「対立的気分持たず協調的に和を保つ」だった。高島暦はまったく衝動的なオイラのために書いたとしか思えないような助言に溢れている(笑)。巷には『魔法の杖』という、何か悩み事や願い事を声に出してながら何も考えずにテキトウにページを開くと、核心を突いた助言が書かれているという一種の占い用の本があるらしい(参考)。きっと高島暦はオイラにとっての魔法の杖のようなものなのだろうなあ。
2004.05.28
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夢精をして目を覚ました。実を言えば、それが夢精だの気づくのにしばらく時間が掛かった。実のところ、目を覚ます直前に何かのきっかけで夢の中で一瞬括約筋を緩めた途端、股間に生暖かい湿っぽさを感じ、「ヤバい、オネショだ!」と思ってあわてて飛び起きたのであった。...しかし、ベッドから出て起きてみると陰茎が半勃起状態である上、股間の湿り気が尿とは違う感覚であったため、ようやくそれが夢精だとさとった次第である。なんせ夢精などたぶんここ10年以上はしていなかったはずなので、自分でもちょっと驚いた。とっくに性的な盛りを過ぎているし、よく覚えていないが見ていた夢もセックスだとかとり立ててエロチックな夢でもなかったはず。そもそも、ガールフレンドもおらず今ではほとんど仙人のような生活をしているオイラにとって、射精などしない状態でひと月くらい過ごすことはよくあることなのだが(笑)、それでも夢精などしたことはなかった。思えば少年時代の夢精というのは、なぜかとても後味の悪いものだった記憶があるが(笑)、30代後半になって抽象的な夢を見てする夢精というのは、とくに不快感もないが、かといってやはり爽快感があるわけでもないらしい。単に身体が自分で制御できない反射を起こした、といったニュートラルで不思議な感覚。「オネショだ!」と勘違いして慌ててすぐに括約筋を締めたため、射精反射もたった1回「ビクン。」といってそれでおしまいだったし。チンポもフル勃起状態というよりは半勃起状態だったしなあ。オイラはバスルームでパンツを脱いで、それがたしかに精液であることを確認しながら、成人男性が首吊りなどで自殺したり、なんかの事故で死ぬ直前に、身体が勝手に射精反応を起こすという話を思い出していた。たとえば首吊り自殺の現場というのは、天井などからぶら下がったその死体の直下に、緩んだ肛門と尿道から糞尿がポタポタ or ボタボタと垂れているのが通例で、さらにそれが男性だった場合には勃起した性器から精液が糸を引いていたりするらしい。股間をモッコリさせた首吊り死体とというのもなかなか滑稽だが。これがどういう医学的・生理学的な身体反応なのか文系のオイラには分からないが、オイラの推察では、きっと人間の身体は死ぬ間際まで追い詰められ「個体保存」が困難であることが判明すると、とつぜん「種族保存」の本能のスイッチが入って、自動的に生殖モードに入るのではないかとにらんでいる。「バテマラ」という言葉があるらしいが、男性はえてして心身ともに疲労困憊している時に、なぜかチンポだけが異様に元気、ということがたしかにある。別にスケベなことを考えているわけでもないし、そんなこと考える元気さえない!…という時に、なぜかチンポが勝手に勃っていたりする。オイラはこれなんかも「個体保存」を諦めた人間の身体が「種族保存」の方向に走り始めるサインだと勝手に考えている。そういえば、ガキの頃トンボを捕まえると、それがメスのトンボだといきなり手の中で卵を産み始めることがよくあった。子供の頃はそれを不思議なことだと思っていたが、あれなんかはきっと「個体保存」をあきらめた動物が本能的・反射的に「種族保存」に走る好例ではないかと思う。また、これは中年になって知ったことだが、女性の性器が濡れるのは別に性的に興奮した時に限らず、恐怖を感じた時にも愛液が分泌されるそうですね、先生。たとえば強姦者が強姦されている女性に「いくら口では嫌だと言っても、身体の方は…ホーラ、こんなだ。」なーんていう場面がある(…のかどうか知らない)が、それは決してその女性が性的に興奮しているからではなく(…そういう場合もあるかも知れないが)、恐怖のために身体が反射的に液を分泌しただけなのであーるゾ、強姦者諸君。…ま、これなんかも、「個体保存」に危険を感じた身体が「種族保存」に走るという身体反射の例かもしれない。オイラは精液の付着したパンツを脱ぎながら、中年の身体が起こしたこのマレな反射行動が、もしかして我が身に迫る「死」を身体が察した結果だったりして…なんて一瞬思ったが、毎朝10キロ近く走っているオイラの身体はたぶん不摂生だった20代の頃よりよっぽど健康であることから、その考えをいちおう否定した。たぶん今日の夢精はさいきんランニングに加えて筋トレを始めたせいで、筋肉が緊張し疲労していた結果に過ぎないと思われる。...でも、あるいは今この瞬間に、オイラの身体のどこかでガンが増殖を始めていないとはたしかに誰も断言はできないがな。...ところで、コレを読んでいる中年男性諸君、最後に“夢精”したのって、いつヨ?
2004.05.27
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先日会社である英語の文書の和訳を依頼された。なにやら試験問題の回答らしいのだが、これがメチャメチャな英語である。とてもネイティブが書いたとは思えないような文法を無視した教養のない文章、それに稚拙な表現。スペルもあちこちで間違っている。しかも、肝心の何を言いたいかがさっぱり分からない。文才のないアメリカ人社員の書いた英文の翻訳には馴れているが、ここまでヒドい英文ははじめて見た。途中まで翻訳しかけたところで頭がどうにかなりそうになったので中断し、依頼元に電話をした。いったい何なのだ、この英文は。ぜんぜん意味が分からない。何を言おうとしているのか教えて欲しい…とオイラがまくし立てたところ、彼も「いや、僕もこれは意味が分からない。」などという。事情を聞いたところ、この英文は、ある講習を受けた某アメリカ人社員の試験問題の回答をそのまま書き起こしたものだという。どうやら、このような「ナマの回答」をさまざま講師に採点させてみて、同じ採点基準に従えばどの講師も同じような評価点を出すかどうかを調査するための翻訳らしい。…しかし、いくら何でも原文の「ワケの分からなさ」まで訳出するのはムリだ(笑)。これはちょうど、ほとんど出席したこともない科目の試験をロクに勉強もせずに受験した四流大学の学生が、たとえば「金融機関への公的資金の注入について説明しなさい」などという問題に対し、苦し紛れに「金隔機間は銀行などが大表的であり、銀行は世界中にあるものであって、日本にも数多く在存するものである。例えば、公的貸金は私的貸金と偉うので、公的なものであると言える。したがって、私的ではないため、注人する場合にも公的なものか私的なものかの偉いを我々は配虜していきたい。しかも数が多い場合には、この偉いは重用かつ不加決であろう。」などという誤字だらけのテキトウな言葉をもっともらしく羅列した回答を翻訳させられるようなものではないか。これに類似した例としては(実際にあった話だが)、日本語と外国語の違いに関する教養や想像力の欠いたある農協幹部が、アメリカからの来賓に対するスピーチで「アメリカは米国、わが県は米どころ。お互い“米”つながりということで、親交を深めていきましょう」などというしょうもない駄ジャレを得意になって言ったのを同時通訳させられるようなケースが挙げられる。駄文にもまして、駄ジャレというのはたしかに通訳・翻訳者の大敵のひとつである。しかし、プロの世界には、同じプロが聞いてアッと驚くような「駄ジャレの名訳」をしてしまう人もいる。例えば、コンピュータのCPUメーカー、インテル社の英語のコピーは「Intel Inside」である。つまり、「このコンピュータの中にはインテルのCPUが組み込まれている」という意味で、インテルの「In」とインサイドの「In」が音韻を踏んでいる。オイラが日本のインテルのCMを見て感心したのは、この「Intel Inside」を「インテル、入っテル」と訳していたことである。英語の「In」の代わりに「テル」で韻を踏まし、しかもクドくないスマートな日本語にしてしまうなんて、なかなか思いつかないことだ。きっと真のプロであれば、このように駄ジャレでさえも“訳”す能力がなければいけないのかもしれない。そして、駄文は駄文らしく、高尚な文は高尚に翻訳すのも能力のうちなのだろう。ただ、ひとつ困るのは、「原文のレベルに合わせて訳した」文を読む人に、訳者の知性・教養が疑われる危険性があることだ。先の例で言えば、原文で”financial institution”という単語が”finantialle institution”ミススペルされているのを日本の訳文で表現するとすれば、「金隔機関」とでも訳すほかない。あるいは、先の農協幹部が「アメリカのブレア大統領はイラン戦争でたいへんだね。」とか言うのをそのまま訳した場合、この農協幹部ではなく通訳者がバカだと思われる危険性がある。結論としては、翻訳するなら格調の高い整然とした文を書く人の文章を訳したいし、通訳するなら分かりやすくて気の利いた教養のある人のスピーチを通訳したいものだ、ということか。…しかし、それがそうもいかないのが仕事というもので…。
2004.05.25
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おとといの日記にも書いたとおり、霊長類学の権威である今西錦司の本を読んでいるのだが、昨夜たまたまテレビでゴリラを見て「ココ」のことを思い出した。ココというのは、世界で唯一、手話でニンゲンと会話できるマウンテンゴリラのメスの名前である。名前こそ知らないまでも、多くの人がこのゴリラのことを本やテレビで見聞きしたことがあるのではないだろうか。オイラがこのゴリラのことを詳しく知ったのは、アメリカの大学時代に読んだ『Koko’s Kitten』という子供向けの本がキッカケだ。この、1000語近い単語やフレーズを手話でニンゲンに伝えられるだけでなく、ニンゲンが話す英語を理解できるゴリラは、ある日このゴリラに手話を教えた研究者に「誕生プレゼントに何が欲しい?」と尋ねられたところ(ココは「誕生日」という概念を理解できる)、「子猫が欲しい。子猫、子猫!」と手話で答えたらしい。そこで、ココはペットに子猫をプレゼントされ、ネコの面倒まで見るようになった、という話(写真)。何んせこの本を読んだのは10年以上前のことで、その本はさらに4-5年前に出版されていたので、オイラはふと「このゴリラはまだ生きてんのかな。」と思い、インターネットで調べてみた。…すると、どうやらこのゴリラは33歳となって生きているどころか、インターネットを通じてさらに有名になっているらしいではないか。自分が有名になっているだけでなく、ロビン・ウィリアムズとか、わがアイドルのMr. Rogersとかの有名人と“友だち”になっているらしい。ロビン・ウィリアムズは以前にも「イルカとコミュニケーションする」という趣向のTV番組で、イルカのマブダチを何頭(何匹?)も作っているのを見たことがあるのであまり驚かなかったが、Mr. Rogersはちょっと意外だった。ちなみにMr. Rogersは日本では無名だが、米国で一番の長寿番組(50年くらい続いたらしい)であった某コドモ向け番組のパーソナリティで、まあ北米で彼のことを知らない人はいないであろう。オイラも渡米後間もなく英語があまり分からない頃にはこの人の子供番組にはたいへんお世話になり(笑)、機会があればこの番組を欠かさず見ていた(あいにく2-3年前にガンで他界したが)。どうやらココは自分の部屋のテレビでMr. Rogersなどの子供番組をいつも見ており、Mr. Rogersのファンになっていたらしい。…そうか、ゴリラでもMr. Rogersのスゴさが分かるのか(それともオイラがゴリラ並みの感性しかないのか)。…で、ついに手話で研究者に頼んでMr. Rogersを呼んでもらったらしい。ネット検索に引っ掛かった「Koko TV」というアップルコンピュータのサイトには、ココにまつわるさまざまな動画がクイックタイム形式で公開されていて、Mr. Rogersが訪問したときのビデオを見ると、ココはMr. Rogersにちゃんと「来てくれてウレシイ」とか意思表示している。なんと礼儀正しいヤツ。さらに、子猫と過ごしている時のビデオでココのしぐさや表情を見たら、まるでわが子を可愛がるニンゲンの母親を見るようで涙が出るぞ。子猫にも愛情が伝わっているのであろう、全然ゴリラを恐れる様子がない。ちなみにココには「Michael」という年下の弟分ゴリラが居た。彼はココ以外で手話ができる唯一のゴリラであった(研究者以外に、ココ自身が手話を教えたらしい)が、何年か前に病死しているらしい。Michaelは動物園で生まれたココと違い、アフリカで母を密猟者に殺され孤児だったところをボランティアに拾われ、ココの弟分として研究者の元に引き取られた“元野生”のゴリラだ。このマイケルのスゴイのは、自分の母親がニンゲンに殺された体験をいまだに覚えていて、手話でその体験について語ったりするらしいんだなあ、これが。…しかも彼には画家の才能もあったらしく、彼がペットとしていた犬が走る姿を描いた絵は、見たらアッと驚くぞ。写実と未来派と抽象表現派をミックスしたようなその絵画は、どう考えても偶然の産物ではない。チンパンジーとヒトの遺伝子が98-99%共通しているのは有名な話だが、素質的にはゴリラもニンゲンとあんまり変わらないんだなあ、と痛感したオイラであった。…ああ、オイラも彼らと友だちになって、人生(ゴリラ生でもいいが)について語りたいものだ。
2004.05.23
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25キロくらい走ろうと思って外に出たが、気温は28℃。速歩きと変わらない速度でトロトロと走っているのに、じっとりした汗が垂れてきて5キロやそこらで息切れがしてきた。これが夏場の走りか。…なんだか中高時代の夏場の部活動を思い出してきた。オイラは8月に予定している長期出張の際、「北海道マラソン」という、これまで日本国内で参加した中ではいちばん本格的なマラソン大会に出走する予定なのだが、なんせ北海道とはいえこの時期の最高気温は30℃近くまで上がることがあるらしい。オイラも摂氏3℃の中42.195キロを完走した経験は あるが、さすがに30℃の最中のレース経験はない。先週末は12-3℃くらいの中を今日より若干速いスピードで20キロくらい走ったが、ほとんど疲労感はなかった。ところが今日は10キロ走ったら「おなかいっぱい。」といった感じ。15キロも走らないうちに脚が痛み、上がらなくなってきた。それでもガマンして20キロ走ったが、それが限界。マラソンの距離の半分も走っていないのにこの疲労感。3ヵ月後の本番が思いやられるなあ。ところで、オイラはフルマラソンを何度か完走していることを他人に話すとたいがい感心されるのだが、世の中には100キロのウルトラマラソンとか、245キロのスパルタスロンとかいった、想像を絶する距離を走るレースがある。1年半前にオイラがヒマつぶし&運動のためにジョギングを始め、だいたい1日おきに5キロくらいを走って満足し、たまに10キロも走れば精一杯、それでも「このままジョギングを続ければ、オイラでも2年後くらいにはフルマラソンも走れるようになるかな。うふ。」などと考えていた頃。たまたまある日「マラソン」をキーワードにインターネットを検索してみたところ、世の中には42.195キロどころか100キロ、さらにはなんと245キロを走る“ウルトラ”マラソン大会が存在することを発見した。フルマラソンを2回続けて走って、さらに16キロ走るなんて、キチガイ沙汰だとオイラは思ったが、さらに驚いたことにそのキチガイじみたレースには千人単位の市民ランナーが出走しているのだった。フルマラソンでも“雲の上”といったイメージだったのに、100キロだの245キロを完走する人たちがゴロゴロ存在することを知ると、フルマラソンの敷居がとたんに低くなったような気がした。それまでは4キロ走れば「この距離を10回走ればフルマラソンか。」とか、10キロも走らないうちにクタクタになると「フルマラソンはこの4倍以上の距離を走るのだ。」とか自分に言い聞かせて走っていたオイラも、その日から10キロを走れば「ウルトラマラソンを完走する人たちはこの10倍の距離を走るのだ」、20キロを走れば「これでもスパルタスロンではまだ10分の1ポイントにさえ達していないのだ」と考えるようになったのであった。その結果、オイラは当初の「2年後」の予定に反し、それから半年後にフルマラソンを完走するに至った。それからさらに1年、フルマラソンをさらに3回走り、いまでも飽きもせずに次の大会を目標に走っている。そして、いつかはオイラも実際に「ウルトラマラソン」を走る日が来るのかしらん。…ま、早くて「2年後」かな。
2004.05.22
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ハリポタの第1巻を読み終えたオイラが今、毎晩寝る前に読んでいるのは「今西錦司」だ。今西錦司は「今西進化論」に代表される独自の理論を展開した今は亡き京大の人類学者だった人だ。オイラは若い頃に現代思想関係の本を読むと、この人の名前や説があちこちに引用されていて、昔からこの人の本を読んでみたいものだと漠然と思っていた。日本滞在中に立ち寄った古本屋でこの人が30年以上も前に発表した本が100円で売っていたので、この年にしてようやくその機会を得たのであった。昨日の晩、『人類未来の夢』という章を読んでいて、ちょっと感動した。この人類学者は、「人間というものが生まれたときから“死”の方向に向かって生長をとげていくように、生物の種だってその生成のときから“滅亡”のときに向かって進化を遂げていく」などというのだ。要は、「恐竜が隆盛を極めた末に滅亡したように、人類という種だって例外ではなく、いずれは隆盛の末に滅亡するのが進化の摂理なのだ」と言うのである。考えてみると、この本が書かれた30年前というのは、新幹線開通だの大阪万博開催で日本中が高度経済成長で大いに浮かれ盛り上がっていた頃だ。街中どこへ行っても三波春夫(←30歳以下の人は知らんやろなあ)の「世界の国からこんにちは」(←35歳以下の人は知らんかのぉ。)のお気楽な歌声が流れていて、ほとんど誰もが日本の未来は希望に富んでいると信じて疑わなかった時代に、人類の繁栄を「生物の進化」という気の遠くなるような長いスパンの中でとらえて、こんなことを言っていたこの学者にはちょっと恐れ入る。それを読んでちょっと思い出したのが、中学生のときに読んだ子供向けの天文の本に書いてあった、「太陽はつねに膨張し続けていて、いずれ何億年後かには地球を飲み込む。」また、「地球が飲み込まれる何億年も前に、近くに迫った太陽が熱くなり過ぎて、地球上のあらゆる生命は消滅する」で、「仮に人類がほかの火星だの木星だのに移り住んだとしても、太陽の膨張は何10億年後かには“太陽系全体”を飲み込むまでに達する」という話(笑)。個体としての人間は確実に死ぬ。多くの人間は、自らの子孫を残すことで“死の恐怖”を棚上げにしようとする。しかし、いくら子孫を残そうが、人類自体がいずれは滅亡するのだ、という結論は、中学生のオイラには(当時は漠然としたものとはいえ)なかなかインパクトが大きかったハズだ。もしかすると、精通の始まっていたオイラがはじめて「将来コドモはつくるまい」などと意識的に考え始めたのは、その頃だったのかも知れない、とふと思った。…で、今日たまたま楽天仲間のCosmicsurfing さんの日記を見たら、『The Day After Tomorrow』というまもなく公開予定の映画の話が書かれていた(日記)。この映画は、地球温暖化の影響で転変地異が起こり、ニューヨークは津波に飲み込まれ&寒波に襲われ、ロサンゼルスが巨大竜巻に飲み込まれてアメリカ&世界が大混乱…という、ま、一種のパニック系SF映画らしい。この映画の予告編を見たら、世界が終わる様子がなかなかリアルに描かれている。80年代の終わり、オイラがバンドをやりパンクやハードコア音楽に酔いしれていた頃、世間は「世紀末」ブームだった。朝日ジャーナルをはじめとするいろんなメディアが“世紀末”特集を組んだりしていた。まだ「ノストラダムスの大予言」の1999年がやってくる前で、みんな「もしかして、自分の生きている間に世の中が終わるのかな…」なんて半分思っていたに違いない。それから何年か経ち、アメリカに移り住んでいろんな経験をした末にダイバダッタの魂を宿したオイラは、「自分が死んだら世の中は終わり」だし、だったら人生は基本的に「明日死んでも60年後に死んでも同じ」だし、あるいは実は「世の中はもうすでに終わっているのかも知れない」などと考える境地に達していた(笑)。日本にいた頃には「終わり」が見てみたいという強い願望があったが、そんな願望も薄れてしまった。…そんなことをボーっと思い出していたら、外でカミナリが鳴り出した。真っ昼間なのに暗雲が立ち込め、一寸先も見えないくらいのバケツをひっくり返したようなザザ降りの大雨。やがて、雨にしては雨音が大き過ぎるな…と思っていたら、ヒョウが降っているではないか。カミナリに大雨にヒョウ。自動車のセキュリティ・アラームが鳴るわ、外は大騒ぎである。…世界が終わる時もちょっとこんな感じになるのかな、なんて思いながら、また “終わり”をこの目で見、体験してみたい気がちょっとだけしてきたオイラであった。…ま、とりあえずは『The Day After Tomorrow』を見てシミュレーションしておくとしよう。
2004.05.21
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インターネットで日本のニュースを見てたら、また政治家の留学に絡む“学歴詐称”が問題になってんのか。今度は文部副大臣だそうだが、この人の場合は通産官僚時代の公務としての留学らしいし、ホントに単位が1つだけ足りなかったんだろうなあ。まあそれでも、経歴にタフツ大学“卒業”とか書いてしまったら、それはたしかに詐称になっちまうけどな。それよか、よく知らないけど、民主党の古賀の「ペッパーダイン大学卒」とか、自民党幹事長の安倍の「南カリフォルニア大学卒」とか、本人の言い訳をニュースで聞けば聞くほど、誰が聞いたって明々白々な「悪意ある詐称」だよなあ。どうせ「海外のことだし、誰にもバレないべ。」とかナメてかかってたんだろうなあ(笑)。誰でもインターネットで大学のデータベースとかにアクセスして卒業の事実を確かめられる時代が来るとは思ってなかったんだろうなあ。詐称が表に出たときに「卒業の件は現地の弁護士に一任していた。現在弁護士に確認中」だとか言ってたのは古賀だっけか。アメリカの大学を卒業するだけの語学力のあるヤツが、「地元の弁護士」に頼まないと自分が卒業したかどうか判断できないなんてわけないじゃん。…ま、卒業したか否かをまったく度外視しても、古賀にはそれを判断するだけの語学力もなかったことはこれで明らかになったけどな。安部の「南カリフォルニア大学政治学科留学」ってのも、実際には“外国人向けの英語講座”を受けただけで、政治学は単位さえ取ってなかったってな。なんせ四半世紀も前の話だし、当時は海外に行って講座を受けただけで“留学”と言っても誰も疑問視しなかったんだよな。政治家になるのに“詐称”を始めた頃は、こんな誰でも留学するような時代が来るとは思ってなかったんでしょうなあ。驚いたのは、ソーリ大臣のコイズミもイギリスに2年も留学してたんだってなあ。しかも“取得単位ゼロ”って、おまえ、それって語学留学じゃん(笑)。2年間も語学の勉強に勤しまれてたんっすか、ソーリ!(笑)いやさ、コイズミが昨年アメリカを訪れてブシュの自宅(テキサスの牧場)で秘密会談したとき、ブシュと一緒に牧場の柵の前でインタビューに答えてたのをテレビで見たんだけどさ、彼はブシュに肩を組まれたりして、ブシュが何か言って彼の肩をポンと叩くたびに、何だかテキトウに「イエス、イエス」とかってあいづち売ってたぞ。アレはどう見ても“英語のしゃべれる人”のリアクションじゃなかったけどな(笑)。オイラもイギリスに何ヶ月か語学留学してたことがあったが、小金持ちのボンボンとかでゼンゼン英語が身に付かなくて、あちらこちらの語学学校をジプシーのように移り歩きながら、1年も2年も滞在してるバカが何人もいたけどな。コイズミもそのたぐいだったのかあ。…そもそも、コイツらが留学してたのは「1ドル=360円」の時代で、当時はお金持ちか(奨学金が支給される)超エリート以外には留学なんて夢のような話だったんだよな。安部もコイズミもカネのある政治家のセガレで、「セガレに海外に行かせてハクをつけさせよう」という親にケツを叩かれて海外に出されたのはいいものの、モノにならずに何年かテキトウにブラブラして帰ってきたという、さいきんでは日本中どこのご近所にもいる「ナンチャッテ留学」のハシリだったんだよなあ。頼むしさあ、経歴に「海外大学卒」とか書く政治家は、外国の首脳とサシで議論するとか、むかーしナカソネ総理がやったみたいに、訪米した時に英語でスピーチとかやって見せて欲しいよなあ。..ホラ、アメリカの大学だったら「スピーチ」とか「プレゼンテーション」のクラスが必ずあるし、これが出来ないヤツが卒業できるわけないんだからさ(笑)。…しかし、もっともっといるんだろうなあ。若い頃、親に無理ヤリ海外に出されて、モノにならずにブラブラして帰国したのを“留学”とか言ってる政治家がさ。一方で、第一線から退いた宮沢喜一とか加藤紘一みたいに、ホントにペラペラな政治家もちゃんといるんだけどな、日本にも。いや、有権者もそろそろさ、政治家がその経歴に“留学”とか記載してたら、「ああ、かわいそうに。海外でモノにならなくて日本に帰ってきた金持ちのボンボンなのね」と即座に判断できるようにならなきゃダメだよな。彼らは、アメリカで何年かブラブラして帰ってきた「お隣のカズオちゃん」がやってたことを、たまたま何十年も前にやってただけなんだもんなー。
2004.05.20
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おとといの日記にも書いたが、オイラはよほど忙しくない限り、”Law and Order” という警察と司法法廷を舞台にしたTVドラマ・シリーズは欠かさず見ている。4シリーズあるこのTVドラマには「Special Victims Unit」という「性犯罪」を専門に取り扱う、NY警察に実際に存在する特殊部署を中心にしたシリーズがある。今日の”Special Victims Unit”は、「小児性愛者の女校長先生」が12歳の男子生徒を手篭めにした上、その生徒を連れて逃避行するというストーリーだった。これは、2年くらい前にアメリカで実際に在った事件を下敷きにしている。アメリカの統計では、小児性愛者10人のうちの1人は女性だそうで、この世には(あるいはアメリカには)男児あるいは女児をイタズラしたくて仕方のない女も10%の確率で存在するらしい。へえー。しかし、このストーリーが2年前の事件と異なるのは、この女校長は、本来であれば性的虐待+未成年誘拐の罪で禁固十数年になりそうなところが、司法取引の末に逮捕されず猶予保護観察処分になって釈放される、というところである。その理由というのが、この女校長がこんな犯罪を犯したのは「脳腫瘍」のせいであり、手術でその腫瘍を取り除いたところ小児性愛の傾向がウソのように消え失せたため、「本当の犯人は脳腫瘍だ」という結論に落ち着いたためである。これもアメリカで実際にあった事件が下敷きになっているらしい。近所では紳士として知られているある敬虔なクリスチャンの男性が、やにわにそこらへんの男児を性的に虐待しはじめて逮捕されたのだが、頭痛を訴えたために検査したところ脳腫瘍が発見され、どうやらその腫瘍が「自分の衝動を抑えるための脳の部位」を圧迫していたことが明らかになった。実際にその腫瘍を取り除いたところ、その男性はやはり憑きものが落ちたようにマトモな状態に戻った。しかし、それからしばらくして、その男性はまた性的虐待で逮捕された。誰もが「やっぱり脳腫瘍が原因なんてことはないんだ」と思い掛けたが、検査をしてみたら、やはり同じ部位に脳腫瘍が再発していた、という話。ただし、「脳腫瘍が真犯人」というのは厳密には間違いで、こうした小児性愛の傾向はもともとこれらの“犯人”に潜在していた。それが腫瘍のせいでタガが外れたために、抑圧していた傾向がコントロールできなくなって犯罪に及んだのであり、小児性愛の傾向はまぎれもなく彼らのものなのである。しかも興味深いのは、これらの“犯人”たちは得てして「自分が悪いことをしている」という自覚があるらしい。「悪いことだけど、自分が抑えられない。」「誰でもいいから私を止めて!」といった感じらしいのである。この「脳の病気」や「薬物の影響」による「潜在的傾向の露呈」による犯罪、というのは、犯罪を犯す側にとっても、被害者になる側にとっても、ちょっと怖いよなあ。ありがちな話で言えば、「酔っぱらってワイセツ物チンレツで逮捕」とか「ボケて万引きして逮捕」とかいうのの延長にあるわけだが、この「潜在的傾向」というのが「放火」とか「サディズム」だったりした場合、「脳の病気」になったヤツのせいであちこちが火事になったり猟奇的な殺人事件が頻発したりするわけじゃん。しかも、「潜在的傾向」なんてのは自他ともにで把握していないことも往々にしてあるわけで、誰からも善人として認められているヤツが「脳腫瘍」のせいで殺人鬼になったり変質者になったりしかねないわけか。オイラなんかが前述のような部位の「脳腫瘍」になったら、性犯罪や凶悪犯罪を犯さないまでも、きっとハダカで外出したり、そのヘンでウンコしたり、しそうな気がするんだよなあ。それに近いことをシラフですでにやった実績があるしなあ(笑)。おまけに“気に入らない”ヤツに誰かれ構わずケンカを売ってまわりそう(笑)。…いや、待てよ。実は、オイラが会社のトイレで口笛を吹きながらウンコをしてたり、日本のオフィスで英語でブツブツ言ったりしているのって、もしかしてオイラの脳にはすでに腫瘍が発生してるのかもな。検査したら、脳ミソが全部腫瘍で出来てたりして。
2004.05.19
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TVをつけていて、いつも見るたびに気味悪く思うCMがある。バイアグラをはじめとする勃起不全薬のCMだ。バイアグラはどこでも有名だが、アメリカではこれに加えてレビトラ(Levitra)とか、サイアリス(Cialis)とか、このテのクスリのCMをゴールデンタイムにバンバン流している。オイラは別に、勃起不全のクスリをテレビCMで宣伝していることには異存はない。オイラが気味悪く思うのは、そのCMの内容と、そのおびただしい数(どの局を見てても、1時間に1回は目にする)だ。10人くらいの40~50代くらいの中年のオヤジたちが「♪You are the champion!」のBGMを背景にして、阪神タイガースが巨人に逆転サヨナラ勝ちした瞬間の大阪人のように、諸手を挙げて飛び上がり全身で喜びを表現している姿がスローモーションで映し出される。やはり4~50歳くらいのオッサンたちとその妻と思われる中年の女性たちが両手を取り合ったり抱き合ったりして、まるで息子が難関国立大学に合格した知らせを聞いたかのように、うれしそうに飛んで跳ねて踊っている。…何のCMかと思ったら、バイアグラやレビトラのロゴが画面いっぱいに表示されて、フェイドアウト。要は、チンポが勃つようになって、みんなよかったよかった、バンザーイ、バンザーイ、...というCMなのである。おまえらは、いい年こいて、そんなにボッキがうれしいのか?くり返し問いたい。あなたたちは、ボッキが、そんなにうれしいのですか?ボッキが。だいたい、いい加減50にもなるオヤジが、自分の娘くらいの若いガールフレンドでもいるならまだしも、クスリで無理矢理チンポを立たしてまで初老の妻とやりたいのか?異常じゃないんですか先生、それは。女の方も、クスリで無理矢理チンポを立たせた、腹の出て息の臭い脂ぎったか半分枯れ果てたダンナに乗っかられて、何が嬉しいのか。あのCMを見ると、さすがに跳び上がって喜ばないまでも、ギトギトのオッサンが就寝前にバイアグラを服んで、次第にムクムクと起き上がってくるチンポをベッドの上でブヨブヨのオバハンと一緒に眺めながら「ヤッタね!」なんて言っている図を想像してしまい、ホントに気分が悪くなるんだよな。いい加減、ジジイやババアになったら、セックスなんてやめろっての。勃たなくなったり濡れなくなったりしたら、それは神様の「もうあんたらは好きなだけやったんだから、いい加減そろそろ止めなさい」というメッセージだと思えって。ま、オイラはすでに思春期になる頃には、まだ40歳前後だった両親が別の寝室で寝ていたというやや偏った家庭に育ったので、古女房と古親爺がセックスにしがみついている世の中は本当に気味が悪いとしか思えない。とくにアメリカみたいなマッチョ礼賛の国は「勃たなくなったら男じゃない」みたいな信仰を男女ともに持っているので、たかがチンポが勃つ勃たないに男性としての尊厳を掛けていたりする。自由の女神だとか十字架の代わりに、アメリカはこんな像をご本尊にして崇め奉ったほうがいいと思うゾ。
2004.05.18
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日本滞在中に坂本龍一の『Chasm』を買ってきたのだが、こちらに戻ってからあんまり聴いていなかった。何回か聴いてすぐに飽きたからである。よく晴れたこの日曜日にたまたま近隣の川沿いをボーっと眺めながら自動車を走らせていたとき、ほんの気まぐれでこのCDをかけたのだが、その音楽が「よく晴れた静かな日曜日」の風景のBGMとしてあんまり合うので、ちょっとビックリした。見ている風景が現実感を失い、何だか自分が天国の風景を見ているか、あるいは自分が天国から懐かしい下界の風景をいとおしく眺めているような、そんな錯覚にとらわれた。このCDの最初に入っている”Undercooled”とかいう、二胡とかいう中国の弦楽器がメロディを奏で、それに韓国語のラップが絡む変拍子の曲なんかは、聴いていて泣きそうになった。韓国語なのだから歌詞を聴いて悲しくなっているわけではないので、曲に泣かされたとしかいいようがない。坂本龍一の曲では、20年近く前にリリースされた『未来派野郎』の”Ballet Mechanique”にも何度も泣かされそうになったことがある。いずれの曲にも共通しているのは「諦念」である、とオイラは思っている。世の中で起きている楽しいことも、メチャメチャ不幸な悲しいことも、いっさい込みで受け入れた哀しさと静けさ。それでもなだめ切れない情念が、きしむようなノイズでほとばしる。…”Undercooled”も”Ballet Mechanique”どちらもそんな感じの曲である。聴くと自動的に泣きたくなる曲は、ほかにもいくつかある。イギリスのギター詩人、Durutti Column のVini Reillyがソロで出した同名のアルバムに”Requiem Again”というインスツルメンタル(歌詞のない)の曲(参考)があるが、これもいつ聴いても泣きたくなる。話によると、この曲はJoy Division というニューオーダーの前身であったバンドの自殺したボーカル(イアン・カーティス)に捧げられた曲だそうである。まさに、苦悩の末にこの世を去った友人の魂を鎮めるような、気の遠くなるような美しく哀しい曲であーる。あと、日本で15年くらいまでやっていた、ボ・ガンボスの前身となったローザ・ルクセンブルグ(Rosa Luxemburg)(参考)という京都出身のバンドがあるのだが、その『橋の下』という曲も歌詞と曲の併せワザで毎度泣かされそうになる。たまたま橋の下に行ってみたら、浮浪者のおっちゃんが居て、しばらく一緒に川の音を聞いていると、おっちゃんが薄汚いカバンの中からケシの花の種を出してきたので、一緒に植えた。橋の上では、川なんて見もせずに人や車が通り過ぎていく。オイラたちは「橋の上」なんて用がない。橋の下には何もないけど、明日も来よう。…といった歌詞がちょっぴりフザけた声で歌われ、それに哀しいギターのメロディが幾重にも重なっている。あとは、そうだなあ、映画『1900(年)』のテーマ曲か。…でも、これは曲自体に泣かされるというよりも、曲を聴くとこの映画のことを思い出して哀しくなる、という感じもあるかなあ。たしかに社会とかニンゲンについて深ぁーく考えさせられる映画だよなあ、1900は。一方で、サティのジムノペディみたいに、哀しくなるけど全然泣きたくはならない曲もあるから不思議だよなあ。これはきっと、「完全に諦めきってて、“情念”の部分が捨象されている」からかなあ。きっと「泣ける」のは、諦めきれない部分、どうしようもないと思いつつも歯がゆさや悔しさが“くすぶる”ような部分なんだろうなあ。「リクツ」や「行動」で救われないヤツは、ゲージュツ的な抽象表現で救われるということか(笑)。
2004.05.17
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面白いなあ。アメリカのNBCの犯罪モノTVドラマはサイコーだ。SitComと呼ばれるたぐいのコメディー番組はウンザリするが(サタデーナイト・ライブなんかはもちろん例外)、Law and Order とか Crossing Jordan はホントに面白い。Law and Order はその名のとおり、「警察(Order)」と「法廷(Law)」を舞台にしたドラマ。日本の刑事モノだと、ケーサツが悪いヤツを見つけて出して捕まえるまでのストーリーだが、Law and Order の場合、犯罪を犯したヤツを逮捕するまでの警察と検察のやりとりがドラマの半分で、残りの半分は法廷における検察官と犯罪を犯したヤツ(被告)の弁護人との闘いになる。日本だと「捕まえたヤツ」はそのまま「ブタ箱」行きになるという前提だが、こちらの番組だと「捕まえる」のはプロセスの半分で、そこから法廷で罪状を立証し、陪審員が全員一致で「Guilty!(有罪)」の決定を下すまでがストーリーになる。エピソードによっては、検察が弁護士との応酬に負けて「被告」が無罪になることもあるし、「真犯人」が誰だか分からないまま「被告」が解放されて終わるエピソードだってある。場合によっては警察官や検察官が逆に訴えられたりする展開もある。Law and Order は4シリーズあるが、うち3つは舞台がニューヨーク。どのエピソードも多少なりとも実際に起こった事件が元になっているので、多くはタイムリーな社会問題がテーマになっていていろいろ考えさせられるんだなあ。ひと昔前までは「こんな事件はアメリカでしか起こりそうないし、日本で放映しても受けないだろうなあ」というエピソードが多かったが、さいきんはどれも似たような事件を日本でも聞くようになった。今日のLaw and Orderでは、子供を学校にやらずに社会から隔絶し、食べるものから一切の行動まで指示している異常に支配欲の強い母親(片親)の元で育てられた兄弟のうちの弟が死体で発見される。警察が逃避行しようとした母親と兄を捕まえたところ、追及の末、兄が自分が「犯人」であることを自白する。日本の刑事ドラマであればここで話が終わってしまうところだが、Law and Orderではさらに兄に対する精神鑑定やら被告の弁護人との司法取引なんかの末、結局逮捕されるのは「母」である、というオチなのである。母親は、「外界」に興味を持ち始め自分の言うことを聞かなくなってきた弟が、民生委員に引き取られ家を出て行くこと選択して不幸な運命をたどるよりは、天国に行く方が幸せだと兄に言い聞かせ、銃弾を込めた拳銃を置いて外出する。兄は母の言うことを信じ込み、母が外出している間に弟を銃殺し、罪悪感に駆られて同じ銃で自殺を試みるが、銃は不発に終わり生き残ったのであった。兄ははじめ、母親をかばうためにあくまで自分の意思で弟を殺したと主張するが、やがて母親が自分の子供を自宅から外に出さずに支配するために「外界」が悪と暴力にまみれていると信じ込ませていたことを悟り、最後には母親が自分に弟を殺すことを暗示した上で銃を置いて外出したことを、母親の目の前で警察官と検察官に告白するのであった。兄の告白によってついに手錠をかけられた時の母親のセリフというのが、「あなたは何を言っているの?私はあなたの母親よ。私の言うことが聞けないの?」というものだった。オイラはこの兄弟に同情しながらずっとこのエピソードを見ていたが、この最後のセリフを聞いた時、テレビドラマとはいえ、本気で怒りが込み上げてしまった。夫が不在で欲求不満の母親が息子を自分の“恋人”兼“ペット”に仕立て上げ、自分の手元を離れそうになるとアノ手コノ手を使って外に出させないようにする支配狂の母親というのは、日本でもアチコチに居そうだ。しかも、母親はいつだって「私はこの子の母親だ。いつだって子供のことを最優先に考えている。すべては子供のためを思っていやっているのだ」などと本気で信じ込んでいるから厄介である。夜にノックもせずに部屋に入ってくるのも、机の引き出しに隠してある日記をこっそり読むのも、ファッションに気を使うようになった息子をからかうのも、女友だちから届いた手紙を勝手に封を切って読むのも、母親に言わせればみな「あなたのためを思って」やっていることだということになる。しまいにはいつも「親にメシを食わせてもらっているのだから言うことを聞け」というオチになる。…あ、アメリカのTV番組のことを書こうと思ったのに、つい自分の子供時代の話しになってしまったヨ(笑)。
2004.05.15
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いやあ、暑いね。2週間前はミゾレが降ってたのに、ここ数日は連日真夏日でんがな。NYもオハイオもそうだったけど、日本と比べて春が短いねえ。うちのコンドミニアム(日本でいうマンション)の住人たちは、ここ数日でいっせいにベランダに出て、冬場のあいだエアコンにかけてた保護シートをビリビリはがしてたよ。オイラなんか、一昨年から保護シートをつけっぱなし。去年は夏場の前半に日本に出張してたんで、けっきょくエアコンを使わなかったし。透明なはずのシートのビニールが茶色に変色してるよ(笑)。東北で生まれ育ったオイラはエアコンを知らずにオトナになったため、いまだに人工的な冷房の不自然さに慣れない。夜暑苦しくて眠れず、明日の仕事に差支えが出そうなときだけ、仕方なくスイッチを入れることがある程度だ。暑いもんで、ここ数日パジャマを着ずに下着姿で寝ている。10日くらい前から就寝時に読んでいた『ハリーポッター』もいよいよクライマックス。ハリーの両親を殺した暗黒魔術師がついに姿を現し、魔法学校の秘密の場所に隠されている不老不死の願いがかなう「賢者の石」を奪うために、学校に忍び込む。自らの命をもかえりみず、暗黒魔術師に立ち向かうハリポタとその友人2人!これまで「1晩1章」と決めて読み進んできたものが、ここ数日は先が知りたくて先の章まで読んでしまった。やっぱり面白いわ、ハリポタ。本に見向きもしなかった世界中の少年少女が、TVも見ずに読みふけったというのが、後半になってやっと理解できた。…そうか、ハリポタのテーマは「愛と勇気と友情」だったんだなあ。単なる薄幸な少年の「シンデレラ・ストーリー」ではなかったんだ。勝算のない戦いであっても、愛するものを守るために、自分を信じて挑む。そして、そんなハリーに勝算がないのを承知のうえで、運命を共にすることを決める友人たち。…なんだか、デビルマンとかジャイアント・ロボみたいだよなあ。…そんなこと言っても35歳以下の人は分からんか(笑)。じゃ、「ドラえもんの最終回でジャイアンに立ち向かうのび太」みたい、と言えば多少は分かるか。ちょっと恥ずかしいけど、週末は古本屋に続編を探しに行こう。続編はHarry Potter and the Chamber of Secret (ハリー・ポッターと秘密の部屋)か。1巻では11歳だったハリーは2巻では13歳になるはずだから、第二次性徴なんかを経験して、生えてくる陰毛や精通に戸惑ったりするのかなあ、魔法使いでも。「秘密の部屋」とかいうと、三島由紀夫の「鍵のかかる部屋」なんかを連想してしまうが、「仮面の告白」に出てくるようなエピソードが出てきたらハリポタはもはや純文学だな(笑)。5巻まであるらしいから、最終回までには初体験とかするのかな(笑)。…なんだかしばらくは就寝時の本にはこと欠かなそうだなあ。p.s. ところで、自分で言うのもなんだが、今日の日記のタイトル、シブくない?"Harry Potter and the Tuft of Armpit"っての。だれかこんなタイトルで、ドキドキするような思春期小説書いてくれないかな。
2004.05.14
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朝、目を覚ましキッチンに入ると、女性が朝食の用意をしているのを見て、そうか、自分は結婚したんだった、ということを思い出した…という夢を見た。しかも“妻”はNHKの有働キャスターだ(笑)。オイラは朝食の用意をしながら話しかけてくる有働キャスターにテキトウにあいづちを打ちながら、「そうか、オイラは今晩からこの人と寝るんだよなあ。うーん、…まあ、いいか。」とか考えていた。オイラは有働キャスターのような健康そうで聡明な女性に好感を持ってはいるが、率直に言ってあまり性的な関心はない。良妻賢母として申し分ないだろうが、セックスのパートナーとして考えたときにどこまで真剣になれるか自信がなかったのだった(笑)。…などというバカな夢から目を覚まし、自分の“健康さ”に呆れてしまった。昨日の晩は、イラクに滞在していたアメリカの民間人が首を切られて殺される映像をインターネットで見て、憂鬱になったばかりだったというのに…。おとといの日記にも書いたが、年をとるといろんなことがどうでもよくなっていく。イラクで罪のない女子供が、ロクな教育訓練を受けていないにわか仕込みの米兵に虫ケラのように銃で頭を打ちぬかれて殺されたり、パレスチナではたまたまモスクに巡礼に来ていた信心深いイスラム教徒の市民が、イスラエルが放ったミサイル爆撃に遭ってバラバラ死体になって死んだり…といったニュースを聞いても、一瞬気が重くなるだけで、明日の朝にはケロッとしている。「健康な精神」というのは、自分に都合の悪いことはその場限りで忘れて、思考停止できる能力なのだなあ。オイラは過去20年くらいベジタリアンだが、もともとベジタリアンになったきっかけは、人並み以上の「感受性」を持っていたから…だったはずだ。高校生のとき肉のパック工場でバイトをした時に、自分の喰っている肉というのが実は虐殺された牛や豚が、モノのように切り刻まれたものであることを実感としてハッキリと知ってしまったのがことの始まりだった。要は、肉を食うたびに、その肉片が「牛さん」や「豚さん」が殺されたものであることを忘れられなくなったからだ。- キミが喰っている牛は、実は屠殺場での電気ショックが不十分で、解体される時に意識があり、壮絶な声を上げながら切り刻まれていったかもしれない(参考)。- キミがバーゲンで1万5千円で買ったナイキのシューズは、バングラデシュの7歳の少年が、学校にも行かせてもらえずに、日給80円で働かされて縫い上げたものかもしれない。- キミが夕食のピザを半分だけ喰って捨てるまでの間に、地球の裏側のアフリカ大陸で、栄養失調で3人が死んでいる。- キミが読んでいる「少年マガジン」や「女性セブン」を100万部印刷するために、100年もかけて成長した木が数百本切り倒され、乱開発のあおりを受けて世界中で毎日25種類の動植物が絶滅している。- キミがディズニーランドで愛娘とスペースマウンテンに乗っていたその瞬間に、欧米(や日本)の金持ちのヘンタイが東南アジアの貧しい国々でまだ10歳にも満たないような少年少女を買い取り、セックスのオモチャにして嬲り殺して楽しんでいたりする。- キミが愛犬を散歩させているその同時刻に、身勝手な飼い主に捨てられたイヌやネコが、日本中の保健所のガス室で何10匹も“処分”されている(参考)。etc、etc……若い頃は、新聞や雑誌のちょっとした記事を見ただけで、自分の目に見えないところで発生しているこういった数限りない悲劇や不幸のことを思い、気が重くなったものだ。そして、別に生きてたってどうでもいいような自分が食ったり飲んだりして生きているその陰で、いったいどれだけ多くの天然資源や動植物や人々が犠牲になっているかを思い、自分がイヤになったものだ。だからオイラは、若い頃一時期、テレビも新聞も見ないようにしていた。何を見ても聞いても憂鬱になったからだ。総理大臣が交代したことを家庭教師先の中学生に教えられて初めて知ったりしたくらいだった。そう、カンタンなことだった。知らなければいいのだ。目をつぶり、耳をふさげば、その悲劇や不幸は“存在しない”。あるいは、傍観者に徹すればいいのだ。自分は観客であって、いま、そこで起きている悲劇や不幸は、自分には“関係ない”。そして、もし自分がその悲劇や不幸の当事者になったら、「これで、いいのだ。」と言って笑っていればいい。…ああ、地球上では、今日も無数の動植物が死に絶え、無数の人たちがどん底で必死で喘いでいるよ。オイラは今日も夢の中で有働さんの作った朝食を食べながら、「これでいいのかなあ。…ま、これでいいかあ。」とか自問自答しつつ、仕事に行く前の朝のまどろみをエンジョイするのだった。
2004.05.13
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「首切り動画」を見た。アメリカのある民間人がイスラムのレジスタンス集団に拉致され、首を切って殺害される様子がビデオに撮られ、そのレジスタンス(“テロリスト”とはあえてよばない)集団のウェブサイトで公開されたというニュースを、オイラ以外の楽天仲間も聞いていると思う。この不幸なアメリカ人が、カメラに向かって自分の家族の名前(母親はスザンナというそうだ)を述べているビデオの一部をニュースで見たオイラは、興味本位でこのビデオ動画をインターネットでサーチした。そのビデオは案の定、Ogrish.comというグロ画像&動画で有名なサイトにアップされていた。オイラはむかしグロ画像にハマっていた時期があり、rotton.com とか ogrish.com というサイトは何度も訪れたことがあったので、「やっぱりogrishにはアップされていたか。」と思った。ちなみに昔「スカル・ファック」や「獣姦」がこの世に実在することを知ったのも、このサイトのおかげであった(参考) 。1-2年前、ユダヤ系のアメリカ人ジャーナリストがアフガニスタンかどこかでやはりイスラム過激派に拉致され首を切られたことがあったが、やっぱりこの時のビデオもインターネットで公開されていて、オイラはその動画を見ていた。ただこの事件のときは、このジャーナリストは首を切られる時にはすでに死んでおり、行為自体は残酷だとは思ったがそれほど感慨は湧かなかった。…しかし今回のビデオでは、このアメリカ人は生きたまま首を切られていた。しかも、日本でいう「首を刎(は)ねる」のと異なり、切れ味の悪そうなアラブの刀で、まるで牛や豚を屠殺するときのようにギコギコと切っていたので、とても痛そうだった。三島由紀夫が35年前に自衛隊で自決したときに、介錯する人がビビってしまって刀があらぬところに二度三度と振り下ろされ、しばし半殺しの状態になったところをほかの人に介錯を代わってもらってようやく首が切れた、という話をちょっと思い出した。オイラは“神”の存在に関しては「不可知論者」を自称しているが、この動画を見終わった後、手を組んで本気でこのアメリカ人の冥福を祈った。…ただ殺されただけなら、イラクやアフガニスタンの罪のない市民たちがアメリカの爆撃で何万人も殺されている。中には首が吹っ飛んで死んだ人も多数いたに違いない。…でも、この死に方はツライ。苦しいし、痛かっただろう。ギロチンなんかで首を切られた場合、人は30秒くらいは意識があるそうだ。もちろん声は出ないが、脳内にまだ血が残っているうちはある程度意識活動があるらしい。だから、ギコギコと首を切られている間、この人はツラかったと思うのだなあ。しかもこのアメリカ人(ニック・バーグさんというそうだ)は、2ヶ月くらい前にファルージャで殺された「元軍人」の“民間人”なんかと違って、むかしはガーナとかでボランティア活動なんかをしていたホントの民間人だったらしい。今回はイラクでビジネスのチャンスを探していたらしいけど。バーグさんは、ガーナに行った時は自分の持っていたものをみんな貧しい現地の人にあげて、ほとんど手ぶらで帰国したそうだから、石油利権や復興事業の契約を狙ってイラクに攻め込んだブシュやチェイニーをはじめとする「政治家」のヤツラに比べたら、よっぽどやさしいキレイな心を持ったアメリカ人だったと言える。悲しいのはさ、この事件に対するホワイトハウスのコメント。「これが“自由の敵”の本性なのだ。彼らには罪のない市民や、女子供の命に対する配慮などないのだ。」おいおい、これまで世界中で罪のない市民や女子供をヘーキで何万人、何十万人、何百万人と犠牲にしてきたのは、オマエらアメリカの政治家&軍隊だろうが。「配慮などない」のはオマエらのことだっちゅーの。また「自由!」だの言って、タンジュンなアメリカ国民を扇動するなっての。何と言ってもいちばん悲しいのは、このレジスタンス集団は、アメリカ政府に対し「アブグレイブ刑務所で虐待を受けているイラク人の一部と引き換えに、この人質を解放する」という交換条件を出していたのに、アメリカの現地当局が無碍に拒否した結果として、バーグさんが殺されたということだ(ソース:APの記事)。言い方を替えれば、バーグさんは自国に見殺しにされたということではないか。…それなのにアメリカは、この事件を期にまた「自由の敵を許すな!」などと言って「罪のない市民や女子供」を巻き添えにした報復の「掃討作戦」を開始するんだろ。…で、またイスラム過激派勢力がそれに報復、と。パレスチナとイスラエルの戦争とまったく同んなじ図でんがな。…ああ、“神”よ。バーグさんの霊よ。この宗教戦争を停められるよう、“あの世”から力を貸しておくんなせえ。
2004.05.12
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若い頃には気になったりガマンならなかったことが、人間、年をとるとどうでもよくなる。たとえばオイラの場合、- 昼まで寝てること。- 電気をつけっ放しにすること。- 食べ物を残したり捨てること。- 中学生のクセに塾なんかに通うヤツ。- 景品も出ないゲームにお金を使うこと。- ノートでページを半分しか使っていないのに改ページすること。- 毎日シャンプーすること(=シャンプー液と水の無駄づかい)。- 自動車を運転すること(=空気の汚染と天然資源の無駄づかい)。- スピード違反。- まだ読んでいない新聞を捨てること。- マスターベーションすること。- 愛のないセックス。- トイレから出て手を洗わないヤツ。- 堂々と喫煙している未成年。- 禁煙場所で喫煙しているオッサンや若者。e.t.c.、etc….ガキの頃は、とてつもなく高ぁーいモラルを自分に課してたよなあ。自慰行為はいけない、とか。おまけに、今にもましてシブケチでなあ。昔は「インベーダーゲーム」に50円玉を入れるたびに、強い罪悪感を感じていたよなあ。たかだかノートを「改ページ」するにも罪悪感を感じてたんだよな。全ページみっちり書き込んでからにしなきゃ、とか。満州引き揚げの婆さんの影響だよなあ。それにウチは親のしつけがとくに厳しかったからなあ。塾に通う同級生をイジメたりもしてたよな。妹が毎日「朝シャン」(←死語か?)してるのを非難したりなあ。今なんか、ときによっては日が暮れる頃に目を覚ましてもさして罪悪感も感じない。ヘーキで電気を点けたまま寝たりもするしな。ガキの頃は、目を覚まして日が中天に昇ってたりしたら、人間として恥ずべきとてつもない罪を犯したような、いやーな気持ちになったものだ。これも働き者の婆さんの影響だよなあ。大学生になっても「自動車=悪」という感覚は消えなかった。高校卒業しても教習所に通わず、車なんて一生運転すまいと思ってたしな。アメリカで生活するようになってから、車なしの困難な生活にウンザリして、妥協したのが25歳の時だった。10年後の今では制限時速を10キロオーバーするまでに至った(それでもせいぜい10キロ程度が上限だが…)。ガキの頃の自分にしてみたら、大きな退廃だよなあ。「愛のないセックスはよくない」と、これも大学生になっても言っていた。しかし、アメリカの大学に入ったら、「ま、友情さえあれば、いいか。」と思うようになったのだから、まったく都合のいい話である(ただ、「友人」とセックスすると、得てしてあとあと面倒になることを知ったが)。そういえば、オトナになってもしばらく許せなかったのが、禁煙場所で喫煙している野郎だ。アメリカから戻ったばかりの30歳ちょっとくらいまでは、喫煙しているオヤジのそばまでツカツカと歩み寄り、ちょっと小さめの声で「コラ、煙むいんだよ、オヤジ。ここ禁煙だろ、ァん?」とやや関西弁アクセント気味でスゴんだりしたものだ。…しかし、電車の中で喫煙を注意した人が、逆ギレした喫煙者にアイスピックで刺されたりするニュースを耳にしたりするうちに弱気になり(笑)、やがて注意する代わりに自分からその場を離れるようになってしまった。それでも、昔から許せなくて、この年になっても許せないものがある。- アイラブユーとか好きなんだーとか歌っているくだらないラブソングこれは許せない。生理的にガマンならない。テレビをつけて、たまたま歌手がこんな歌を歌っていたら、速攻でチャンネルを替える。ハードコア・バンドで「ヒマワリの歌がカニを捕らえると、カニの緑とヒマワリの青が混ざってしまうから、イヤだ。」とか、「無数の虫と歌い背骨が曲がった。魚の犯罪、輪は拡がる」とかいった高尚な歌を演奏していたオイラにとっては、音楽で「♪ラブユゥーー!」なんてゼッタイ許せない。あと、- 暴走族のバイクの騒音アレもいまだに許せない。目の前をバオーン、バオーン!とかエンジンをふかして通り過ぎるバイク、いつかそのうち跳び蹴りを喰らわせてやろうかと思う。あと、廃品回収の「古新聞ぅ、古雑誌ぃ、ダンボール…」とか右翼の街宣とか、アレも落ち着いた気分でいる時に脇を通りかかられると、殺意さえ覚える。こうして考えると、「音」関係とか、生理的なものは年をとってもなかなか馴れないらしいことが分かる。そういえば、乳幼児の頃からガマンできなかった「民謡」、さんさ時雨だとか東京音頭とか、アレも今でも耳にすると生理的に不快になるんだよなあ。オトナになるって、妥協と馴れの積み重ねなのかもなあ。
2004.05.11
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カナダに戻ってからもうすぐ2週間、熱や悪寒はなくなったが、あいかわらず鼻が詰まり、その鼻水が喉に流れるので咳が出る。会社の上司から、「それは風邪ではない。きっとアレルギーだ」と指摘され、勧められたとおりアレルギーの薬を服用したところ、これがたしかに効く。…そうか、これは風邪ではなくアレルギーだったのか。…しかし、薬が切れるとまた鼻が流れ出し、咳が出る。結果として、12時間おきにこのクスリを服用しなければならない。おかげで先週買ったばかりのアレルギー薬が早くも切れてしまった。以前の日記にも書いたが、オイラは一種のサプリメント・マニアで、数種類のビタミン剤のほかに、コエンザイムQ10とかシベリア・ジンセン(エゾコウギ)とかいったアミノ酸ピルとかコンドロイチンとかグルコサミンとかいった「マラソン系」のサプリメントを毎日服用している。さいきんは楽天仲間のミノルトトさんがくれた彼の勤め先で製造している「ナットウキナーゼ」のサンプルも服用しているので、これにアレルギー薬を足すと、毎日服用する薬が10数種類になってしまった。鰻と梅干みたいな「食い合わせ」で身体に毒になったりするように、腹の中でアレルギー薬とナットウキナーゼが予想もしないような反応を起こし、七色のクソが出てきたり、ドクターペッパーみたいなニオイのショウベンが出てきたらちょっと面白いのだが、いまのところそのような気配はない。ところでここ2週間ずっと体調がすぐれなかったので、毎晩早寝をしていた。…で、ベッドに入ってもすぐには眠れないので、枕元には日本から買ってきた本が10冊くらい山積みになっている。カンタンな内容の本はすぐに読み終わるので、けっきょく枕元に残るのは英語の本や、経済の本になったりする。意外と飽きもせずに少しずつ読み続けているのが、『ハリーポッター 賢者の石』の英語版オリジナル(Harry Potter and Philosopher’s Stone)のペーパーバックである。かれこれ5年も前にイギリスやアメリカの10代の少年少女の間で空前の大ヒットとなったそうであるこの本を、オイラは日本を発つ前に立ち寄った古本屋でたまたま見つけ、こちらで買えば1000円以上するものが500円で売られていたのでつい買ってしまったのである。本を開けてみたら、350ページの厚さの本の150ページ付近にしおり代わりにレシートがはさんであり、「丸善 御茶ノ水店」の「2001年7月」の印字がしてあった。日本の大学生の女の子が、アメリカやイギリスの少年少女のあいだで流行っているこの本のことを聞きつけ、はんぶん英語の勉強のつもりで買ったものが、前半3分の1で挫折してしまった、といったところであろうか。海外在住の人やちゃんとした留学生であれば辞書をひかずに読めるようなレベルの英文であるが、ちゃんと「比較的高度な英語表現」や「しゃれた表現」があちこちに出てくるため、日本人の大学生が「スラスラ読める」レベルの童話ではない。それまで本を読む習慣のなかったような全国の少年少女が、まるで「魔法にでもかかったように」夢中になってこの小説に読み入るようになったと言われるハリーポッター・シリーズの評判を聞いていたオイラは、どんな奇抜なテクニックが用いられているのか注意しながら読んでいたが、べつにこれといって「夢中にさせられる」とくべつなプロットがあるわけでもなければ、思わず引き込ませられる「独特の文章表現」があるわけでもなかった。特別な「成功のためのフォーミュラ」がこの本にあるわけではなさそうだ。むしろ「継父母の家に預けられた孤児が、継父母とその実子に虐げられながら成長し、ある日とつぜん自分が実は“特別な家系の特別な力を託された子供”であることを知らされ、その特別な世界でその隠された能力を発揮して成功する」というストーリーは、ガキ向けのストーリーにこれまでにも頻繁に用いられてきたプロットみたいで、その点にはちょっとガッカリしながら前半を読んでいた。しかし、魔法学校に入学したハリポタが仲間と経験する騒動や仲たがいや教師との衝突は古今東西の老若男女が学校で経験してきたことで、世界中の少年少女が感情移入できるのは分かるような気がした。ガキの頃に学校で経験した、怒ったり喜んだり哀しんだりハラハラしたりといった普遍的な感情を、この本を読んでちょっぴり思い出した。それに、後半に登場するトロール(山中の怪物)や三頭の犬といったモンスターや、死んだ祖先を映す鏡とか被ると姿が見えなくなる布とかは、起伏のない日常を送る大人のイマジネーションにも訴えるものがある。ガキのおとぎ話だとは思いながらも、つい次のページに読み進んでしまう。それにしても、人間界ではパッとしないイジメられっ子の少年が、魔法界に移ったら一躍みんなの憧れの的の天才的な魔法使いになってしまうという安易な展開は、やはりオトナのオイラには「甘過ぎる!」と感じられるのだった。もっと魔法界でも世間にもまれて、ザセツとか屈折とかをハリポタに経験してもらいたい、…などと思いながら今さらハリポタを読むベッドの中のオイラであった。
2004.05.09
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仙台にあるオイラの実家は、ちょっとしたイベントにかなり盛り上がっているようである。カナダに住む、誰も会ったことのない「遠い親戚」が遊びに来ているからである。3週間くらい前の日記にも書いたが(日記) 90年くらい前にメキシコに移民したオイラの「母方の曽祖父の弟」は、20年くらい前に現地で亡くなったが、6人も子供をつくって現地で子孫を繁栄させている。その長女の息子2人はオイラと同じくらいの年齢で(注.「母方の曽祖父の弟」はかなり晩婚だったらしい)、どちらもアメリカの大学に留学した末にカナダに移民し、カナダ国民として生活している。そのうちの1人が「マイレージが貯まったので」妻と2人の幼子を連れて日本に遊びに来たのである。しかも4人ともスペイン語と英語は話せても、日本語は話せない。オイラも電話で話したことがあるが会ったことはなく、写真でしか見たことがない。オイラ自身、7年ほど前にメキシコを訪れた際に彼の両親の家に世話になったこともあり、オイラは彼の一家が仙台を訪れる際、彼らに会っていろいろ面倒を見てくれるよう、3週間前から電話やEメールで親族の都合を聞いたり、お世話をお願いしたりしていたのであった。本来であれば「遠い親戚」であるオイラではなく、同じ姓の「直系の親族」もちゃんと仙台に住んでいるのだが、いかんせん百姓の家系であるため、外国語で会話したり、カナダがどうとかメキシコがどうとかいう話ができるレベルの教養がないようで、“同族”でありながらこの「異国の親戚」たちとは音信が途絶えているらしい。...結局、何らかの形で彼らとコンタクトを保っているのは、「遠い親戚」のオイラだけなのである。日本へ向かった彼らと入れ違いでカナダの自宅に戻ったオイラに、彼からしばらくEメールも電話もなかったので、ためしに昨日実家に電話してみたところ、なんとさきほどオイラの父が、仙台に到着したばかりのこの一家に頼まれてもいないのにホテルまで出向いて挨拶してきたという。父は、教養の乏しいうちの親族の中では数少ない大卒者であり、辛うじてブロークン・イングリッシュで単純な意思疎通ができる。なんだかんだ言って、ガイジンと会話をする機会がうれしくて仕方がないようである。今日はうちの父がホテルに一家をお迎えに参上した後、実家でオイラの妹の家族やその他親族の一部と合流し、親戚から借りたマイクロバスに乗り換えて、「松島」だの「塩釜神社」だのを父の部下に通訳ガイドさせて連れ回す予定らしい。...その話を聞いて不安になったオイラは、父が一家をホテルから実家に連れてくる時刻を見計らい実家に電話し、この「遠い親戚」にすぐに電話で説明した。「あなたは仙台を訪れる目的はあくまで『祖父の故郷を訪れ、親族と会う』ことであることは理解しているが、どうやらうちの父が余計な気を利かせて、マイクロバスまで借りて“一大観光ツアー”をアレンジしてしまっているようだ。夕方にはあなたの『直系の親族』の家にも連れて行く予定らしいが、今日一日あなたの一家をあちこち連れ回すつもりらしい。疲れているんじゃないか、大丈夫か?」さいわい彼は、「…大丈夫だ。今日の予定はあなたの父から伺っている。当初は訪れることなど考えていなかったようなところにも連れて行ってくれるみたいだが、まあせっかくいろいろと手配してくれたことだし、親族の皆さんが気分を悪くしない程度に予定にはつき合わせていただくつもりだ。」予想外のハデなもてなしにやや困惑しているのは明らかだった。...でも、あいにくオイラの父にとってはそんなことはお構いなしである。そうこう話しているうちに、電話の背後ではガキどもの歓声が上がっている。オイラの姪と甥と、彼の2歳半の娘と1歳半の息子が、オイラの送った「メキシコの一族の写真」を囲んで盛り上がっているらしい。そのあと母に電話を代わってもらい話を聞いたところ、マイクロバスの運転手にはオイラの妹の夫(義弟)が借り出されているらしく、しかもこの“親族ツアーバス”にはどうやら話を聞きつけた近所に住むほかの親族なんかも加わり、さらに夕方には「直系の親族」5-6名が合流し、会食の席にお座敷まで予約しているという。電話の背後の盛り上がりはタダゴトではなくなっている。通訳に借り出された父の部下は皆がいっせいにしゃべるのをあれこれ通訳し、忙しそうな様子である。実家の居間はなんだかエライにぎやかで収拾がつかなくなりかけている様子であるが、みんな楽しそうにしているみたいなので、ま、これでいちおう一安心ということにして、オイラは電話を切ることにした。
2004.05.07
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楽天市場なんて一度も利用したことがなければ、今後も利用する予定もないオイラであるが、グーゼンとほんの気まぐれで開設した楽天ホームページが、興味深い人たちと遭遇したり、旧交を温めるのに意外と役立っていて感謝している。まいにち楽天市場からやれ「大ヒット!!ダイエット腹巻」だの「【あと3時間!】たった10円?オークション」だの、コチトラまったくキョーミがないのに、悲壮なまでに商売っ気を露わにした件名のEメールがいっぱい来るのはほんとにウットーしいのだが、ま、タダでHPを開設させてもらってるわけだし、ガマンしようではないかと思う。匿名(仮名)のホームページとは言え、そのHPの主が誰であるかはその人を知る者にとってはだいたい特定できるもののようだ。オイラの場合は「バンド名」とかはホントの名前を掲載してたりするし、日記なんかに書いてることもホントの話ばっかりなので、何かのキーワードで検索したらズバリ、「あの時のアノ人!」のオイラのHPにヒットしたりするらしい。それに、「おすすめ新着」でリンクを形成している楽天広場のHPは、Googleみたいな「リンク数」によってヒットの順位を決定している検索エンジンに引っ掛かりやすいのだな。おかげで、しばらく会ってない旧友とネット上で再会したりとか、外国に住んでて何年も会ってないヤツとお互いの日常を把握しあえたりとか、たいへん重宝している。昨日は、大学時代にオイラの演っていたバンドがライブデビューする際にお世話になり、その後15年以上音信のなかった関西イロモノ・バンド界の先輩(大学では後輩だが)であるAさん(参照)が、たまたまこのウェブサイトを見つけて掲示板に書き込みを残してくれた。いわゆる“紙一重”の傾向のあるお方だったので、その書き込みをオイラがどこまで正しく理解できているか自信がないのだが、どうやら一旦就職した会社を辞めていまは“三味線を弾いている”らしい。さすが女子高時代からスクール水着を着てライブのステージで「♪ ゾウとやりたい、カバとやりたい」とか「♪ あなたがセンズリするところを見せて…」とか歌ってたような人は、やることが違うよなあ。それにしても、若かりし頃は周囲から冷たい目で見られていた異端者の仲間たちが、それから10何年経ってみんなこうしてリッパなオトナになっているのを知り、ホコリに思うとともにちょっと驚くなあ。だって、当時は一歩間違ったらケーサツにタイホされかねないような、その奇行がすでに法に抵触する領域に足を踏み込んでいたとか、黄色い救急車に強制的に乗せられそうなヤツがだ、今では海外で自営業を営んでたり、ラジオのパーソナリティをやってたり、人の親になってたりするんだからなあ。オイラのばあいホンノちょっとだけ不安なのは、オイラに対し恨みを持つモノがこのHPからオイラの居所を特定し、復讐を試みたりしないかということだなあ。当時の奇行はさておき、そもそもオイラのような人間存在が許せないとか、オイラのせいで人生を誤ったとか言ってたヤツらは多いらしいしなあ。
2004.05.06
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朝、風邪が多少よくなったかと思い、出勤前に軽くジョギングに出て帰ってきたら、動悸がおさまらず身体を起こしていられない。とても仕事ができる状態ではないので、会社に電話を入れて午前中はおとなしくベッドに横になっていた。海外で一人暮らししていて病気になると、「仕事がある」ということがホントウにありがたく思える。ほんの10年前まで福利も厚生も保険もないアルバイト生活をアメリカでしていたオイラにとって、仕事が多かろうが少なかろうが病気で欠勤しようが毎月きまったサラリーが銀行に振り込まれるなんて、夢のようなハナシだ。若きし頃世界を放浪して歩いたドイモイ氏の楽天日記に、「1日の稼ぎはチップだけのウエイトレスでえ~す。」というフィリピンの人の話が載っていたが、10年前27歳だったオイラは、アメリカの大学を卒業して職を求めニューヨークに引っ越したものの仕事が見つからず、仕方なくジャパニーズ・レストランで違法滞在者にまぎれてまさに「1日の稼ぎはチップだけ」という生活をしていた。週休1日。午後4時~午前1時くらいまで。収入は、アルバイト連中で毎日山分けするチップのみ。土日は客の入りのよい時には1人あたり8-90ドル近いチップが稼げるが、平日はせいぜい50ドル。客の入りの少ないときなんて、山分けしたら30ドルくらいにしかならないこともあった。この月1000数百ドルの収入のうち、半分近い600ドルがアパートの間借り賃に消えた。ニューヨークでは狭いワンベッドルームのアパートでも1000ドルくらいはするので、ひとつのアパートを「リビングルーム」と「ベッドルーム」に住み分けて2人でシェアするのが一般的であった。バイト先の店長は気性が激しかったので、気に入らないヤツは即日でクビになった。オイラの場合はアメリカの大学を出て期間限定の労働許可証を持っていたが、もともと違法でアルバイトしているほかの連中は従業員として登録されていないので「労働者としての権利」なんて存在しないし、ちょっとしたミスでもその場で解雇された。まさにサバイバル。オイラはそのレストランで「歴代2位」の期間となる6ヶ月間弱働いたが、6ヶ月目に常連のアメリカ人客と口論したためにクビになった。その後オイラは、画家のアシスタントとか、日系の新聞の電話勧誘とかのアルバイトをしながら、労働ビザのスポンサーになってくれるまともな就職先を探した。バイトの契約期限が切れて何も職がない時期がいちばんツラかった。求人に片っ端から応募するがナシのツブテ。たまに書類選考に通って面接にこぎつけても「不合格」が続いた。違法労働者の群れに混じってレストランのバイトをするのはもうイヤだったので、ほかの比較的まともなバイトを探すも滅多に求人はない。貯金はついに100ドル(1万円)を切り、労働許可証の有効期限も迫ってくる。そんな時に限って体調を崩す。カネを節約するために、牛乳とシリアルとか安売りの果物とか野菜ばっかり食っていたので、ちょっとしたことで風邪を引いたりした。動けない。カネもない。まともに食うモノもない。職を得る見通しもない。大学時代と違って助けてくれる人も周りにいない。空笑いしながら、異国のベッドの上で熱と悪寒と空腹に耐え忍ぶ。…などという生活を一度経験すると、その後就いた仕事で多少厳しい労働条件を提示されたりしても、何のギモンも湧いてこなくなるものだ。「休日出勤…」「やります。」、「残業代出ないけど…」「いままでもらったこともありません。」、「あさってから海外出張…」「問題ありません。」他人からは「奴隷根性」とか言われるかも知れないが、「荒野を飢えてさまよう一匹狼」に比べれば、毎日十分なエサを与えられる奴隷なんてよっぽどラクな身分に思えてしまう。窓から昼の日光の差し入るベッドの中で、10年前を思い起こしながら「午後からは多少シンドくとも仕事に出よう」と思うオイラであった。
2004.05.04
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この週末はほとんどベッドの上で過ごした。どうやら風邪をひいたらしい。今回の風邪は咳と痰と微熱が主な症状で、思い出したように再発する咳のラッシュと、大量の褐色の痰に悩まされている。喉にはほとんど痛みがないし、鼻水も大して出ないのに。こんな風邪ははじめてなので、もしかしたら風邪なんかではなく、何か別の病気なのかもしれないな、などと要らぬ想像をしてしまう。それにしても病気やケガは一人暮らしの大敵だ。とくに海外に知人のいない状態で生活している場合にはなおさらだ。知人が居なかったばっかりに、部屋で孤独に息を引き取り、何週間後かに発見されてこんな姿をインターネットに晒されるのはちょっとゴメンだ。http://poetry.rotten.com/simmer/オイラの場合、こちらに居る知人は会社の同僚に限定される。だから、同僚たちにつねにこう言っている。「もしも私が無断欠勤した場合には、それは欠勤ではなく私が何らかのトラブルに巻き込まれていると思って間違いない。もし私の自宅に電話しても誰も出ないようであれば、頼むから自宅の様子を見に来て欲しい。」昨年のある晩、夜中に腹が空いたのでゴソゴソとベッドを出てキッチンへ移動し、冷蔵庫からチーズを取り出した。左手にチーズの塊を持ち、右手に持った包丁で適当な量を切り取ろうとしていたところ、手がすべって左手人差し指の先端をスライスしてしまった。ちょうど、幼稚園児とかのお弁当箱によく見かけるソーセージに入っているV字型の切り込みのような感じだ。指の先端というのは血管が集中しているので、次から次へと血が溢れ出て来て、だいぶ慌てた。とりあえず、指の付け根と手首に輪ゴムをグルグルに巻いて止血し、スライスしてしまった部分の切り口を指側の切り口に元通りに合わせてもう一方の手で堅く握り締め、心臓より高い位置で固定した。それでも血はしばらく流れ続けたのでオイラはよほど救急車でも呼ぼうかと思ったが、2-3分もすると指が紫色になって血は滲む程度まで収まった。もちろんキッチンは血だらけになったが、今思うと出血はせいぜい150 cc程度だったし、仮にオイラが気絶したとしても出血多量で死ぬこともなければ、後日部屋を訪れた同僚が血の海でチーズを握り締めて息絶えているオイラに遭遇することもなかったであろう。ところでオイラはマラソンなんかをしている割には、若い頃医者から心臓のポンプ力が人より弱いと診断されたことがあったりして、マラソンを始めるまでは不整脈なんかも経験していたので「自分が死ぬときは心臓マヒだな」と勝手に決めている。だから、万が一寝ている間に心臓が停止しても誰かが部屋を訪れればすぐに入れるよう配慮し、体調がよくないときにはドアのカギを閉めずに寝ている。この程度の咳や痰で死ぬこともなかろうが、やはりカギは開けたままにしているオイラである。
2004.05.02
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