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さて、今回オイラが有給休暇をとって実家に帰省した主な目的は、姪と甥を相手に「“家族サービスをするお父さん”ゴッコ」をすることであった。コドモをどっかに遊びに連れていってやるとかモノを買ってやるとかいった、同世代のオトナにとってはごく日常的な行為でさえ、独身でかつ将来的にも結婚する予定のないオイラにとってはちょっとした憧れがあったのだった。前の晩、一緒にテレビで「ルパン3世 カリオストロの城」のビデオを見ていた9歳の姪が、「One Piece」とかいうアニメの映画を見たいとか言っていたので、今日はまずは二人を映画館に連れて行くことにした。ところで、オイラの姪と甥は、やたらと声がデカイ。東京圏とかに住む親戚や知人のガキどもを何人も知っているが、こんなデカイ声を出すヤツは見たことがない。これはたぶん、オイラの実家も自分たちの家も比較的大きくて近所に騒音の気兼ねをする必要がないことに加え、元応援団幹部だった祖父や叔父(=オイラ)の影響が考えられる。彼らの父であるオイラの義弟は、現代人には極めてマレなくらい寡黙なオトコなのだが、実子がこんなウルサイ子供に育ったことにきっと複雑な心境であるに違いない。そんな二人を連れて電車に乗ったところ、二人は空いた席に座ることさえ遠慮して、まるで借りてきたネコのように大人しくしている。内弁慶だったコドモ時代の自分を思い出し、ちょっと可笑しくなってしまう。平日の朝の電車で、おとなしいコドモ2人を立たせてひとりで席に座りコドモを見て微笑んでいる、ちょっとアブナいオトナのオイラ。街中に到着すると、映画の開始時間まで時間があるので、デパートのゲームセンターで遊ぶことにした。春休み中とはいえ、平日の開店まもないデパートのゲーセンで遊んでいるのはオイラたちだけである。コドモたちも周囲に遠慮せず自宅にいるときのように大きな声を張り上げてゲームに興じ始める。閑散とした店内で、ちょっと不審な3名を店員たちがどう思っていたかは不明だが、「家族サービスの父」を演じるオイラとしては満足である。ゲームに疲れたところで、甥にクツを買ってやることにした。別に甥がクツを欲しがっていたわけではない。さっきからいっしょに歩いていて、甥のクツがブランドものの割にポロポロと簡単に脱げてしまうのが気になっていたのと、彼がオイラと同様で極端な偏平足なので、いつか矯正用のシューズを買ってやろうと思っていたのである。レジで代金を払うなり、店員にその場で値札をハサミで切ってもらうと、さっそく甥にクツを履き替えさせ閑散とした店内を走らせる。甥もフィットの良いクツに喜んで真剣に走っている。「ジョーシキのないメーワク親子」の図だが、オイラは満足。時間になったので、デパートから映画館に移動する。このアニメは以前、中学生の居る親戚の家を訪れたときにTVでチラっと見たことがあるが、オトナが見てもなかなか面白い。…とはいえ、4歳児にはちょっと高度過ぎる。上映開始後1時間もすると、甥は飽きて落ち着かなくなってくる。まず、「暑い」と言い出したので、ジャケットを脱がせた。それから10分くらいして、まだ「暑い」と言う。様子を見てみると、確かに汗をかいている。仕方ないので、シャツを脱がせて下着1枚にさせてやるとようやく落ち着いた。…しかし4歳児の根性は、映画のラスト10分くらいでついに限界に達したらしく、またシートから体を浮かしてソワソワし始めた。オイラは「甥よ、あと10分くらいだ。辛抱したまえ。」と言うが、効果はない。こういう時、コドモに対するオイラは自動的に英語にスイッチする。だいだいコドモや動物を叱ったり罰したりするときにはなぜか英語になる。「Sit still! Another 10 minutes, OK?」といって甥の体を押さえつけると、ちゃんと言うことを聞いた。動物であれ幼児であれ、やはり口調に含まれる強制的なトーンを感じ取るに違いない。(つづく)
2004.03.31
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せっかくの長期日本出張中なので、数日間の有給休暇を取って東北にある実家に帰った。オイラがいつも実家にいる間にしていることといえば、ただひたすら「子守」である。オイラの妹とその夫はどちらも国家公務員で、ふたりとも勤務体系が不規則なため、姪も甥も学校や保育所が終わると自宅ではなく祖父母の家、つまりオイラの実家に帰る。そして、両親のどちらかが仕事から戻るまで祖母さん(と祖父さん)に面倒を見てもらっている。したがって、姪と甥にとってはオイラの帰省は「アメリカ/カナダから叔父さんがおみやげを持って遊びに来てくれる」ことにほかならない。姪も甥もオムツを替えてやった頃からの付き合いだが、姪は9歳に、甥は4歳になった。早いものだ。オイラはこの子供たちと接するたびにいつも感心させられるのは、この子供たちの性格の良さである。たとえば、先日私と姪と甥が3人でイチゴを1パック食っていたところ、4歳の甥はイチゴが残り5-6個になった時点で「イチゴを食べるのはこれまでにしましょう。残りは帰宅するパパのために取っておきたいと思います。」などと言うのだ。4歳児がだぞ。これが、いい加減中学生になっても妹のおかずやおやつを言いがかりをつけたり腕力によって奪っていた男の甥だなんて信じ難いことではないか。姉は姉で、両親とも帰宅が遅くなる晩にオイラが夜通し子守をしていた際、弟がベッドの中でゼンソクの発作を起こして咳き込み始めたのを聞きつけると、自分の部屋のベッドから跳ね起き、オイラをさておき弟をベッドからキッチンに導き薬を飲ませてやったりするのだ。まだ小学3年生だぞ。オイラが子供の頃なんか、妹がぜんぜん可愛く思えず毎日のようにイジメて泣かせて喜んでいたというのに、この違いは何なのだろう?実のところ、妹もその夫もけっこうすさんだ家庭に育っているのだが、この姪と甥には親のそのすさんだ生育歴の影を見出すのは困難である。また、保育所に居ない時間は、すさんだ親であったはずのオイラの両親に面倒を見てもらっていながら、その悪影響を受けずにまっすぐに育っている事実は驚嘆に値すると思う。オイラは、彼らと接していると、つい自分の子供時代を思い、いかに自分が歪んだ性格の子供であったかを思い知らされるとともに、姪と甥がまっすぐ育ってくれて良かったなあ、と思う。ヒネくれていたオイラは幼い頃からいつも、「こんな時代の、こんな国のこんな家庭に、こんな容姿で生まれたのは、親のせいだ」と思っていたものだ。さすがにこの年齢になるまでには、自分がもって生まれた条件とは折り合いをつけているけど。一方、親は親でこんなオイラのことを「まさかこんなヒネくれた子供が生まれるとは夢にも思わなかった」と思っていたに違いない。でも、親となる者は、どんな子供が生まれてきても受け入れるだけの覚悟をしてから子供を作るべきなので、オイラはあんまりそんな自分の両親には同情していない。「生まれてすいません」などという遺書を書いて自殺した作家がいたが、別に「生まれる」というのは子供が選択したことではなく、親が自分の都合でやったことであり、子供に責任はない。だから、親は心の奥につねに「産んですいません」という態度をもって子供に接するべきだとオイラは思っている。姪と甥がまっすぐに育ったことの一因には、こんな謙虚な叔父の態度にある…なーんてことは、まあ、ないだろうけど。
2004.03.30
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あるヤロウがいた。海中に住むヤツで、海をコントロールしていた。これが、ニューヨークとニュージャージーから流れてきた1000万トンのヘドロで殺されちまった。このサルは天国に行ったよ。天国に行っちまった。空に住む生き物がいた。さいきん空には穴が開いてるらしくて、この生き物はその穴に吸い込まれちまった。地面は熱くなってる。で、地面が暑くなると、何もかも燃えてしまうのさみんな順番に。オイラの順番も来るだろ。このサルは天国に行ったよ。天国に行っちまった。もし人間が「5」なら、悪魔は「6」だな。…で、もし悪魔が「6」なら、神様は「7」だ!このサルは天国に行ったよ。天国に行っちまった。…すんません、別にアタマがおかしくなってワケのわからないことを日記に書き出したわけではありません。ちょっと、さっき残業の息抜きにPixiesという10年も昔のバンドの「Monkey Gone to Heaven」という曲を聞いていて、その歌詞を日本語にして書いてみただけです。…それにしても名曲だよなあ。私はよい。したがって、良いのはわたし。わたしは良い。だから、よいのは私。彼はわたしじゃない。ゆえに、彼はよくない。…これもオイラが疲労の極みで支離滅裂なことを言い出したわけではなく、今朝の通勤電車で聴いてた Stereolab の新譜のある曲の歌詞を日本語にしてみたもの。哲学的な歌詞だよな。カッチョイイ曲に合わせてこんなワケわからん歌詞をシブく熱唱しているこのバンドって、やっぱりスゴイ。しかもこのフランス人ボーカルは30代半ばで1児の母だぞ。
2004.03.25
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ひさびさにログインしてこのHPの編集ページを確認してみた。「アクセス数」が、HPを立ち上げた当時のような哀れな数字になっていて、ちょっぴり淋しかった(笑)。ま、日記も週末くらいしか書いてないし、コンテンツなんてぜんぜん更新してないんだから、当たり前なんだけどさ。さいきんになって気づいたことなんだが、日本に来てからというもの「海外在住」の楽天仲間のHPをぜんぜん訪問してないんだ、これが。きっと、日本での社会人生活を維持するのに必死なために、(自分が海外在住のクセに)「海外」のことに気を向ける精神的ヨユウがなくなってるんだよな。要は、自分の身の回りのこと(ま、仕事のことがほとんどだが)に日々対応するのにセーイッパイで、ヨソの国のことを考えるどころじゃないんだよな。その昔、若かりし頃、いつも海外から帰国して「サラリーマンのオッサン」の姿を見るたびに、「このオヤジは自分がいかにちっぽけな国のちっぽけな家&会社の中でちっぽけな人生を送っているか、気づいてないんだろうなあ」なんて思ったものだが、考えてみたらまさに今のオイラがその「ちっぽけなオヤジ」のひとりになっている、という皮肉。もしもオイラが通勤電車の中で、カッコつけた若造に「ちっぽけな世界にしばられたミジメなサラリーマンのオッサン」を嘲笑するような目つきで見られたとしても、許してあげよう。それは10年前のオイラなのかも知れないし。また、もしその若造が10年後に「そんなミジメなオッサン」になっていたとしても、許してあげるよ。「ちっぽけな世界」でセーイッパイな生活をするのも、そう悪くないもんだしな。…なーんて言っているオイラは、1ヵ月後には北米でのお気楽な生活に戻れることを前提にしてたりする、ズルい野郎である。バチが当たって、アメリカの会社クビになったりして。
2004.03.24
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ほぼ予定通りのタイムで完走した。ネットで3時間51分、グロスで3時間57分くらい。8月の「北海道マラソン」の参加資格はこれでクリアだ。まあ、興味のない人は聞いたこともないだろうが、荒川マラソンってのは、日本国内では1番目か2番目に参加者の多い(1万数千人)市民マラソン大会である。荒川沿いを、埼玉と東京の県境あたりから延々と20数キロも東京湾に向かって下った後、来た道を延々20数キロ引き返すという、かなり単調なコース。なんせ参加者が1万数千人もいるわけだから、スタートラインの後ろに延々1キロくらいの列ができており、後方に陣取った人はスタートの合図から実際にスタートラインに到達するだけで20分くらい掛かってしまう。しかも、ふつうはマラソンというと、同じようなスピードの人たちが大小の「集団」を形成するものだが、このレースの場合、いわゆるエリートランナーによる先頭集団を別とすれば、スタートからゴールまで人の列が途切れることがないというマンモス大会であったりする(参考)。先週はハーフマラソン、今週はフルマラソンという2週連続の出走となったオイラは、おまけに連日の残業のせいもあってかなり疲労していた。しかし、足の調子は悪くなかった。過去2ヶ月、毎週末はしっかり走りこんだし。記録を狙って無理さえしなければ、そこそこのタイムで完走できるであろうことは予想できた。端的に言って、過去1年の間に走った3度のフルマラソンの大会に比較すると、今回がいちばん楽勝であった。まず、気候がベストであった。気温が10度台前半で、暑くもなく寒くもなかったし、川沿いのコースである割にほとんど無風だった。次に、前回参加した10月のフルマラソンで最悪のコンディションで走る経験をしていたために(参考)、ちょっとしたトラブルでも全然動揺しなかった。そして、何よりも過去1年間の場数と走りこみによって、42キロを走ることに心理的な余裕があった。唯一の心理的なプレッシャーとなったのは、8月に参加予定の「北海道マラソン」の参加資格が「グロスで4時間を切った実績があること」となっており、5月上旬の申し込みまでにその条件を満たすためにはこの大会でその参加資格を確保しておかねばならなかったことである。さいわい、今回のレースでは25キロ付近と35キロ付近で太ももの裏側(いわゆるハムストリング)がつってしまったことを除くと、トラブルらしいトラブルはなかった。何といっても、いわゆる「30キロ(35キロ)の壁」の失速を経験しなかったのは大きい。...まあ、太ももの裏側のケイレンが再発しないように、そーっと走った結果なのだろうが。体力的にはゼンゼン余裕があったので、ケーレンがなければ後半気持ちよく飛ばして「ゴボウ抜き」したかったところだけど。そういう意味では、今回はドラマに乏しいレースだったなあ。別にそれで満足だし、ちゃんと充実感はあるんだけどさ。ところで、レースの前日に大会会場で行われた「マラソン前日セミナー」で、シドニーでマラソンの日本代表になった、現・東洋大陸上部の監督をしている人が言ってたんだが(名前を失念してしまったよ)、彼のようなマラソンのプロでさえ「思うどおりの走りができた」と思えるのは、マラソン人生でも1-2回くらいなんだそうだ。マラソンを続けるモチベーションっていうのは、「今回の失敗を次回のレースで晴らそう」と思うことなんだとか。…しかも、前回の失敗を今回で挽回しても、もっと昔のレースでやった失敗をまたやらかしたりするそうで、結局は失敗から永遠に開放されることはないらしい。まさに「マラソン=人生」「マラソン=ポトラッチ」であることをオイラは確信するのであった。
2004.03.21
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年に1回か2回くらい、あんまり仕事が忙しくてピリピリしているときに、通常であれば余裕で受け流せたり受け止めたりできるような、上司や同僚などからのちょっとした理不尽な指示だとか反応に対して、「爆発」しそうになることがあるような気がする。いつもなら、「そりゃちょっとムチャでんがな。」と思いつつも素直に「分かりました。」と上司からの指示を受けたり、「おいおい、なんでそんな話になんねん。」と思わせるような同僚の反応も笑って流してしまえるのだが、たまーに「勝手にしろ。」とか「やめたやめた。これで文句があるなら辞めてやる。」とか自分が心の中で啖呵を切っているのに気づき、「お、オイラ、いま結構テンパってるんだな(笑)。」と気づかされるのだ。今週は、自分的には大イベントに当たる「マラソン大会」が週末に控えている関係上、仕事以外にも「ピリピリ」してしまう要因があったりして、ここ1週間で同僚や上司と一歩間違うと「売り言葉に買い言葉」になってしまう目に2-3回くらい遭ってしまった。…いやあ、アブナかったなあ。若い頃はこんなことがもう少し頻繁にあったかもなあ。…よく覚えてないや(笑)。こんな年になってもなくならないんだなあ。そうそう、そんな目にあったいずれの日にも、「ブリーフ」をはいていたよ。やっぱりチンポを圧迫すると「ピリピリ」の度合いが増すんだなあ。(参考)。それと、今週の前半はマラソン大会前の「カーボ・ローディング」http://www.runnet.co.jp/Beginners/Series/PlayBack/Meal/main.htmlの準備のために炭水化物の摂取を避け、昼飯を「豆腐とサラダとスープ」だけで済ましたりしていたため、空腹気味でイライラしていたのもあるなあ。…で、今日からはいよいよカーボ・ローディングを開始して逆に「炭水化物中心」の食事に切り替え、朝から「おにぎり2個とモチ3個」とか、昼・夜は「ラーメン&ライス定食」とか「カレー+菓子パン4個」とか食っている。「弁当食ったのに菓子パン?ずいぶん食欲あるねえ。」とか言われるのだが、食いたくて食っているわけではないのだ。腹がいっぱいになれば「ピリピリ」も収まるかと思ったが、そうでもないな。うまいもんを食って満腹になるのと違って、満足感がないんだなあ。気をつけよう、マラソン大会前のブリーフと、急ぎの仕事。ちょっと字あまり。
2004.03.18
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本日は浦安シティ・ハーフマラソン大会の日である。この大会は、オイラが1年前にマラソン大会へのデビューを飾ったちょっと記念すべき大会である。あのときは日本に2週間限定で出張していて、日本に到着したその翌日がこの大会の日で、カナダに帰国する前日に荒川市民マラソン(フル)に参加するという強行スケジュールであった。時差ボケのせいであろう、走り始めて間もなくランナーズ・ハイが訪れたのを覚えている。“脳内麻薬物質”のおかげでぜんぜんツラくなくって、快晴の青空が自分を祝福しているような気にさえなっていた。空を眺めながらニコニコ顔で走るオイラは、「マラソン・レースって、こんなに楽しいものなのか!?」と思ったものだ。沿道で応援していた人たちは、オイラの笑顔を見て「そんなに楽しいなら自分もマラソンを始めてみようかナ…」と思ったか、それとも「マラソンって、実はちょっとヤバイんちゃうか。」と思ったかは定かではない。…あいにく今年は、レースの前日まで「国内出張」で、しかも前日(土曜日)の帰宅が午後8時。出張中は平均睡眠時間5時間くらいで、ベッドに入るなりすぐに眠りに落ちたのはよかったが、朝起きるのがツラかった。前の晩「疲れのせいで寝過ごさないようにしなければ…」という強迫観念があったからであろう、オイラは目を覚ます直前、はやくも夢の中でマラソン・レースを走っていた。しかも、案の定スタート時間に遅れてしまいゼッケンも受け取れずに、沿道からコースにこっそり合流して“自主参加”する、というのがその夢の展開であった。…目覚まし時計で目を覚ますと、ホントにマラソンを走ったかのように全身に疲労感がある。おまけにトイレに入ると下痢していた。オイラは便座に座りながらちょっとだけ“棄権”を考えたが、「来週のフルのレースの練習のつもりで走ればいいや。」と決意し、レース用の軽いシューズでなく練習用の重いシューズを履いて会場への向かった。…東京ディズニーランドそばの会場に着くと、今年も昨年同様の快晴で、絶好のコンディションであることを知った。スタートの列に並ぶランナーの数は去年より若干多い5000人くらいか。オイラはなるべく後方に並ぶことにした。「練習のつもり」で走る時、オイラは「ビルドアップ」式に走ることにしている。ビルドアップというのは、オイラの場合、フルマラソンの時のスピード(ジョギングに毛が生えた程度の速さ)で走り始め、3分の1地点を通過する頃に「フルマラソンよりやや速め」程度にスピードを上げ、それでもし調子が良さそうであれば、最後の5~7キロは気合を入れて走る…という「スピード・トレーニング」で用いられる走り方のひとつである。今回の走り始めはやはり体がダルく、疲労時に走った時にしばしばそうなりがちなように首から肩から背筋に掛けて掴まれるような痛みがあった。…でもさいわい、5キロ地点を過ぎると痛みが気にならなくなり、練習不足の若造たちが脱落し始める8~10キロ地点ではほぼふつうの調子に戻っていた。ここでオイラはスピードをちょっと上げた。折り返し地点では「まだまだ余裕だ」と思った。その後10数キロを過ぎたあたりからどんどん前の人を抜いていく状態になった。もう前の人の背中を見るのも距離表示を見るのも止め、ひたすら自分のペースで走ることにした。もはやオイラを抜くランナーはいない。あと7キロくらいの地点で、最後の折り返しを終えてゴールを目指す先頭集団とすれ違った。みな苦痛に歪んだスゴい形相である。まさに「必死」の二文字がふさわしい。この顔を見ていたら、余裕をコイている自分も「気合を入れねば」といった気になるもので、またスピードを上げて前の集団をひとつひとつ抜き始めた。最後の折り返しを折れると、残りはあと3~4キロである。ここでようやく息が上がり始めたが、フォームはまだ維持できている。残り2~3キロ地点でいよいよラストスパートを掛けるヤツらが2-3人出てきて、ひとつひとつ前の集団を抜いているオイラの横をさらに抜き始めた。オイラはそのうちのひとりの背中を追うことにした。たぶんキロ4分ちょっとくらいのサブフォー・ペースであろう。フォームは乱れてしまうが、10分足らずならなんとかなりそうだ。…こうした「極限の勝負」はけっこう楽しい。ゴールまでの2キロくらいはひたすら苦痛との戦い。さすがに脚も痛み始めた。ただゴールが待ち遠しい。きっと最後の1キロは心拍数が180拍/分に達していたのではないか。いつものように最後の数100メートルでスパートをかける力はもう残っていなかった。フィニッシュ・ラインの頭上のタイマーは110分を回ったばかり。今回もどうやらネットで1時間40分を切れたようである。トレーニング用の重い靴で走った上、前半を抑えた割りにはなかなかのタイムである。1年前より6分ちょっと(1キロちょっと)早くゴールできた。荷物預かり所へ向かうと、一足早くゴールして帰路へ向かう途中の、HP「スポーツダイアリー」のマラソン仲間である“まるこふ”さんとすれ違った。練習不足ながら1時間30分ちょっとの記録だったとのこと。彼もオイラとは大して走歴は変わらないのだが、素質が違うんだよなあ。まるこふさん以外は誰も見かけなかったなあ。でも、去年はひとりで会場を訪れ、ひとりで走り、ひとりで会場を後にしたが、今年は辛うじて「知り合い」とすれ違うことができたのは、この1年の進歩であったと言えよう。…それにしても、明日・あさってに発症する中年の筋肉痛が怖いオイラであった。
2004.03.14
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大学時代、自分が所属していた美術サークルに、知人に対し「死ね。」とか「バカ。」とかへーキで言う、極めて率直だが極めて失礼な後輩がいた。オイラは入学して間もないコイツに「奇形っぽい顔をしている」と言われたことがある。(ちなみにコイツは今では出世して、ある分野の専門家としてメディアに顔を出すようになっているのだが。)オイラは、もはや中年にもなり、自分の外見とはとっくの昔に“折り合い”をつけているつもりではあるのだが、今でもときおり自分の特殊な顔のせいで悩むことがある(参考)。オイラの本業は通訳・翻訳である。...で、通訳をしている時のオイラの顔はまさに「異常者」のそれであるらしい。今週オイラは、米国本社会長の2泊3日の日本訪問に際し、同行通訳を仰せつかった。訪日2日目、会長に対する某新聞社の取材が終わった後、取材に同席していた日本法人の社長が真剣な顔でオイラに言った。「別に通訳自体には問題なかったけど、あの顔は止めた方がいい。あなたのことを知らない人が見たら、あれはゼッタイ“変な人”だと思うだろう。」じつは、昨年の会長訪日の際にも同行通訳を務めたのだが、オイラはそれ以来1年間通訳らしい通訳をしたことがなかった。おかげで、通訳に必要とされる“瞬発力”が完全に衰えていた。瞬間的に頭に浮かばなければいけないハズの「訳語」がゼンゼン出てこないのであった。お客様との会合の席、数百人の社員を前にしてのスピーチ …会長の喋る英語にせよ、お客様の日本語にせよ、言っている内容は理解しているのにも関わらず、頭の中で訳そうとしても単語が出てこない。…こんなとき、必死で「対訳」を探すオイラの顔は苦痛に歪む。苦痛に歪みながらも、自分が書き取ったメモを見ながら、いちおう喋らねばならない。頭の中で「ダメだー、単語が浮かばない!」とつぶやくオイラの顔の半分は醜く引きつるが、もう半分は真剣に目を開いて手書きのメモを追っている。しかし、相手がきちんと聞き取れるように口はふつうに動かしている。…ひとりの人間の顔が、「焦って必死な顔」と「集中した真剣な顔」と「真面目で冷静な顔」を同時に表現しているのである。しかも地顔が「奇形」だ。…たしかにこれは尋常な顔ではない。社長に「変な人の顔」と言われたその翌日、日本法人の重役陣と会長との会食の席で際、オイラは極力「ふつうの顔」で通訳を試みることにした。最初のうちは何とか訳を喋っていた。しかし、そのうち集中力が切れてくる。…通常であればこのあたりで顔が苦悶に歪み始めるところである。しかしオイラはグッとこらえて「平静な顔」を保った。…すると今度は「表情」を意識しすぎて、カンジンの訳に気が回らない。すぐに頭が真っ白になって、オイラの口からは言葉が途絶えた。…そもそも、通訳をしている時の通訳者の心理状態というのは一種の異常心理状態であると思う。頭の中を「複数の話者(通常は2人)」と「自分自身」の「一人三役」に使い分けのだから、当たり前である。この「一人三役」のうち、脳の負担を減らすために唯一「滅却」できるのが「自分」である。つまり、「自意識」という領域を脳味噌というメモリから消去すれば通訳はラクになるのだが、「複数の話者」の意識に加え「自意識」も稼動させた状態になると、CPUは容易に焼き切れてしまうのであろう。「異常者の顔の通訳」じゃ、仮に会社を辞めてフリーランス通訳になっても仕事が来ないだろうなあ(笑)。…ま、仕事の最中に苦悶しないで済むよう、日々地道に通訳の練習を積めばいいんだろうけどさ。
2004.03.12
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昨日の日記からの続きだが、日曜日の今日は一日、友人の義妹(以下、Kとする)とその台湾系の友人(Vとする)とを連れて東京見物をする予定である。東京見物とは言うものの、東京のことなんて私自身よく知らない。オイラはたしかに東京都内で数年間社会人をしていたことがあるが、当時は千葉の自宅と都内の会社の往復だけで、都内でデートしたりといったことはほぼ皆無であったからだ。今日はKとVの希望で、「秋葉原」と「築地の寿司」と「東京タワー」と「渋谷・原宿」と「新宿」を地下鉄とJRで駆け足で周ることになっている。たまに買い物に訪れる「秋葉原」と、オイラの勤め先のある「新宿」近辺くらいならなんとか地理を把握しているが、築地も渋谷原宿界隈もあんまりよくわからない。Kは「日本に居る間にゼッタイ買いたいモノ」として、「日本でしか売ってないような、ちょっと変わったコンドーム」と「ガチャポンのカプセルに入ったパンティ」の二つを挙げていたので、秋葉原に移動する途中、上野の駅で下車し、たまたま目に留まった「大人のオモチャ」の店に入ることにした。店内には、ヘンタイが恋人に着せる“制服”だの、いろんな色と形の電動コケシだの、媚薬・ローションの類だの、鞭だの縄だの、手錠だのローソクだのが整然とディスプレイされている。 念のため言っておくが、オイラはこのテの店に入ったことはないし、どのような商品が売られているかもよく知らない。オイラはただひたすら、彼女が興味を示した商品のパッケージを読んで、「これは男性用の穴型バイブだ」とか、「サソリのエキス入りの精力剤だ」とか説明するだけである。Kは大喜びである。「アメリカでは、この手の商品は、あくまで人目を忍ぶような店の暗い店内で、こっそり、地味に売られているものだが、日本では明るい店で、商品がカラフルにデザインされ、キレイにディスプレイされて売られている」と感激している。たしかに、「ピンク色の毛皮を巻いた手錠」なんてのはアメリカでは売ってそうにない。言い忘れたが彼女の職業はフリーランスのデザイナーで、イラストや販促物の製作はもちろん、オモチャ(もちろん子供用の)からドアの取っ手までデザインしている。決してヘンタイではないと思うが、クリエイティブの世界にどっぷり浸っている彼女は、たかだか「大人のオモチャ」にひるむような女性ではない。結局、彼女は義理の兄であるオイラの友人のために「メロン風味のコンドーム」を買った。店の前では、このような店に入るのには抵抗があったらしく、彼女の友人のVが辛抱強くわれわれを待っていた。「レジのお兄ちゃんに『ヘンタイのアメリカ女』とか思われたかな。」とかKは言う。…うーん、たしかにそう思われたかもなあ。しかしそうだとすると、オイラは「ヘンタイのアメリカ女をエスコートする、ヘンタイの日本人ガイド」くらいに思われたのかなあ。別にいいけど。その後秋葉原に移動したオイラたち一行は、電化製品を物色する途中、新しく開店したらしい“オタクご用達”の7階建ての「アニメショップ」を発見し、店内を覗いてみることにた。スゴイ、店内はジャパニーズ・ギーク&ナーズの動物園のようだ!ワザとそんなファッションにキメてるとしか思えないような、デブでメガネで脂っぽい髪の毛の野郎どもでごった返している!心なしか店内のニオイもちょっとヘンだ(笑)。何気なく地階に入ったところ、そこは「成人向けアニメ」の世界であった!「おにいちゃん」や「おじちゃん」がお目めパッチリの「少女」や「幼女」に対し禁じられた行為に及んでいると思われるマンガやアニメビデオがところ狭し並んでいる。これはまさに日本人男性の「病巣」である。さすがのオイラも「海外のお客様」に対する「詳しい解説」ははばかられた。しかし彼女はしきりに関心し、「“現実の女性”でなく“画像・映像上の女性”に性的に興奮するのは分からないでもないが、わざわざデフォルメした“アニメの女の子”に興奮する人たちというのはちょっと分からない。ホント世の中にはいろんなシュミの人がいるのねえ」とだけコメントしていた。その後オイラたち一行は、秋葉原と築地で時間を使い果たし、東京タワーも渋谷原宿も断念して、直行した新宿のレコード屋だの東○ハンズだのでアートな買い物を堪能し、くたびれた足で宿泊先に帰りましたとさ。…あ、「ガチャポン入りのパンティ」を忘れてた。
2004.03.07
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アメリカの大学時代の友人(日記)の妻の妹が突然日本に来ることになった。この男とは卒業してからかれこれ10年くらい会っていないのだが、いまだに たまーに電話やEメールをくれる奇特なヤツだ。今では「Hot Wheel」というアメリカのミニカーのデザイナーとしてそこそこビッグになっている。名前は知られていないだろうが、彼のデザインした「Hot Wheel」のミニカーのファンは日本にも多いらしい。「日本に着いたら義妹をヨロシク」とのEメールを寄こしたこの友人にオイラは「会社支給のケータイ」の電話番号を教え、彼女が日本に着いたらオイラに電話するように伝えておいた。…すると、金曜の晩、残業していたオイラのケータイが鳴った。彼女である。大阪から入国して、一緒に日本に来た友人と一緒に神戸の夜景を楽しんでいるところらしい。オイラは明日東京入りするという彼女と、昼過ぎに東京駅で待ち合わせることにした。週末といえば歯医者を訪問する以外ただひたすら走っているオイラが、誰かとどこかで待ち合わせをしたり週末を一緒に過ごすというのは非常にマレなことである。正直、誰かと会って一日を過ごすなんてオックウになりつつある独身中年のオイラであったが、いろいろと世話になっている数少ない友人の義妹ということで、「走る」ことより「彼女のセワ」を優先することにした。翌日、オイラは指定の時刻に新幹線のホームに降り立つ「目印の緑のマフラーをしたガイジン」とその東洋系の友人を必死で探すも、10数両編成の列車から降りてくる何百人の乗客の中から見つけ出すのはやはりムリな相談であった。…これはもう、彼女がオイラのケータイに電話してくるのをひたすら待つしかない。…ところがこのケータイ、いったん地下に降りたら電波を受信しないらしい。いつまで経っても電話が鳴らないので「もしかしたら指定の電車に乗り遅れたか?」とか思いつつケータイの表示を見たら、5分ほど前に1件着信があるではないか。こりゃマズイ。電波の届きやすそうな位置に移動して電話を待つこと約10分。ようやくケータイが鳴った。目の前に本屋が見える「八重洲南口」で待っているらしい。そこを動かないように指示して「南口」に移動するが、なんと「八重洲南口改札」は新幹線用と在来専用の2つあるではないか!どちらの南口改札を行ったり来たりしてみたものの、「緑マフラーのガイジン」は居ない。オイラはその友人の妻の写真を見たことがあったのでその妹の外見はだいたい想像がついたが、改札周辺にそれらしき女性の居る様子はない。すでに新幹線が到着してから30分が経過している。とうとうシビレを切らして、オイラと待ち合わせるのを断念して宿泊先に移動してしまったか…。と思った矢先、再度ケータイが鳴った。「どこに居る?オイラはまさに南口改札に立っている。手を振ってくれ。」と受話器に叫びつつあちこちを見渡していると、オイラのファーストネームを呼ぶ女性の声がした。キオスクの公衆電話の受話器を握りつつ、オイラに手を振る女性とその友人が居た。ほんらいの待ち合わせ時刻から40分が経過していた。オイラは開口一番、「オイラが日本に住めないのは、自分の母国で待ち合わせするのでさえ、こんなに苦労しなきゃいけないからなんだ!」と言うと、イチオウ彼女もその友人も笑っていた。(明日につづく)
2004.03.06
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昨晩ひとり残業していたところ、工事の人が2人ほどやってきていきなり天井に穴を開け始めた。オフィスの天井に「スピーカーを設置する」工事だそうだ。…庶務のS氏に内線電話で事情を尋ねたところ、米国の“トップマネジメント”の決断で、「有線放送」を社内で流すことにしたそうである。アメリカの『月刊 経営者』(…などという雑誌があるかどうか知らんが…)で「“仕事の効率化”のためにBGMが効果的」なんて記事でもあったのだろうか。「有線」と聞くとつい「演歌」や「歌謡曲」をイメージしてしまいがちだが、実際に流れるのは「たぶんクラシック」だそうだ。ビバルディ聞きながら仕事か。なんだかなあ…。そういえば、オフィスではどうか知らないが、日本ではよくいろんなお店で有線放送を流してるよな。先週、歯医者に行ったら「洋楽」の有線局と契約しているらしく、待合室で支払いの順番を待っていたら、あのヘロイン中毒(正確にはオーバードーズだが…)で死んだ元Sex Pistolsのベーシスト、シド・ビシャスがピストルズ解散後に歌った「マイ・ウェイ」が流れてきて、一瞬頭の中がふっと“明日なきパンク野郎”だった当時にトリップしてしまった。受付の看護婦に診察料を払いながら、「歯医者の待合室で“マイウェイ”を聴き、ひとりほくそ笑む元パンクの中年会社員」という自分のイメージに、人知れず照れてしまった。翌日、今度は床屋に行ったら、そこではラジオだったか有線だったのか知らないが、英語なまりのあるDJが洋楽・邦楽のポップな曲を流していた。散髪がほぼ終わり、バキュームをかけてもらっていた (そこは「洗髪なし1000円」の床屋だった) ところ、なんと今度はSex Pistolsの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が流れ始めた。…ピストルズをご存知の人ならお分かりかもしれないが、この曲は英国国歌『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(女王陛下万歳)』を皮肉った曲で、失業率20%以上のどん底の不況のさなかにあった70年代後半のイギリスで、シングル・ヒットチャート1位に輝いたいわくつきの曲である。職も希望もなくブラブラしながらドラッグにおぼれていたイギリスの若者の中から「パンクス」が登場しロンドンの街を闊歩し始めた当時、ピストルズはこの曲で「女王は人間なんかじゃない」「英国王室ってのはファシスト体制さ」「イギリスに未来なんかない」と歌い、英国中の放送局から「放送禁止」の処分を受けた上、さらには雑誌や新聞などの印刷媒体までが、この曲名を印刷・記載することを禁じたのであった。つまり、当時の音楽雑誌などのヒットチャートのランキング1位には、伏せ字で「『××××・××××・××××』 by Sex Pistols」と記載されていたのである。 中年のオイラはこの有線の曲を聴きながら、体がリズムをとり始めるのを抑えられなかった。オイラは手足の先で小刻みに架空の“ドラム”を叩きながら、頭の中でジョン・ライドンと合唱していた。「出張先の“1000円床屋”で有線のピストルズを聴きながら、小声で『ノー・フューチャー・フォーユー!』を口ずさむ会社員の中年」の自分を想い、また照れてしまった。間違っても、会社で“考課表”だの“計画書”なんかに記入している最中に、有線で「ピストルズ」だの「ジョイ・ディビジョン」なんて流すのはやめて欲しいと思う。つい筆がすべって、「正直、未来なんてどうでもいいと思う」だの「端的に言って、社長は人間ではないのではないか」だの書いてしまったりしかねない。
2004.03.03
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何日か前の日記にも書いたことだが、オイラの勤務する会社の日本支社(つまり外資系の現地法人だが)には「うちの会社に勤めてから離婚した人」と「適齢期を過ぎた独身者」が多い。ついでに言うと、「要職に就いている女性」なんかもスゴく多かったりする。さすがに営業部門はオトコだらけだが、社内の事務関連の部門長の過半数は女性である。全営業支店を含めて「マネージャー(部長)」の肩書きのつく女性が10数名いるうち、結婚しているのはなんと1名だけ。あとは、離婚と未婚が半々といったところ。…スゴイよなあ、この極端さ。オイラもそのひとりだが、ハッキリ言ってみんな「仕事最優先」の人ばっかり。恋愛とか結婚とか、半分以上あきらめているのがよーく分かるよ。夜遅くまで仕事をしてても、プライベートの電話が掛かってくる様子もない。仕事が終わってから遊びに行ってる様子もないしさ。いわゆるペーペーの事務の女の子たちは、きっとみんな「あんな風にはなるまい。」とか陰でささやいてるんだろうなあ。…ただ、そんな女性マネージャーの中にも若干の例外がいる。たとえばAさんは、結婚して主婦業をする片手間の“9時-5時仕事”のつもりでもともとは就職し、「仕事最優先」になるつもりなんて毛頭なかったし今もないんだけど、たまたま管理職に命ぜられて、その後仕事以外の原因でダンナと離婚してしまった。もともと“キャリア志向”ではなかったわけだし、家計を多少なりとも豊かにするためにとくに業界だの業種を考えずにウチに就職したため、独身に戻って時間的な余裕ができたけれどもいまさら仕事にコミットメントを見出せず、だからといって30半ばになって何か新しいことを勉強したり、あるいは恋愛や再婚の相手を探すほどの積極的な意欲や関心も根性もなく、まさに“宙ぶらりん”な状態にいて、傍で見ていてちょっとナンギである。ただ、彼女のマネージャーとしての仕事への取り組み方がどうにも中途ハンパで見てられないからといって、オイラやその他の同僚が仕事のことでちょっと批判めいた発言をしようものならイチイチ気に病んだりするので、こちらもタイヘン気をつかう。...「何に対してもコミットメントを持たない状態」を肯定して、人生を“その日暮らし”的にお気楽に生きるのも決して悪くないとは思う。オイラ自身、30過ぎまではそれをやっていた。でも、30歳半ばを過ぎて、配偶者やコドモがいるわけでもなく、仕事より大事な趣味があるわけでもなく、かつ仕事にも関心がないとなると、日々「あとは老いるだけ」という焦りと「人生とは、何だァー!?」という疑問に付きまとわれざるを得ないと思う。…オイラはそんな彼女に「マラソン」を勧めているのだが、どうもただ延々と走るのがバカらしく感じるらしく、せっかくのプライベートの時間をオイラみたいに走って過ごすのは「壮大な時間のムダ」としか思えないらしい。…しかし、彼女は何か誤解している。彼女は「時間のムダ」以外の「有意義な」時間の使い道がどこかにある、と思っている。だから何にもコミットメントを持てずにいるのだ。彼女の仕事のやり方が中途ハンパなのだって、その「有意義な何モノか」に比べれば「仕事なんて時間のムダ」だと思っているからにほかならない。しかし、じゃあいまの彼女が「マラソン」はもちろん、「仕事」以上に「有意義」なプライベートの過ごし方をしているかと言うとぜんぜんそうではなく、きっとテレビを見たりタバコを吸いながら家でボーっと悩んだりしてるだけなのだ。「時間のムダ」どころか「心身や社会に害がある」ような時間の使い方をしながら、「走ったりするのは時間のムダ」だと思っている人は彼女に限らず世の中に多いんだが。あんたの言う「有意義な」コトって、ナンボのもんやねん。オイラにとっては、「走る」ことは「ポトラッチ」だと思っている。時間とエネルギーを、何の合目的性もない反復運動に消費するという行為。まさに「壮大なムダ」以外の何モノでもない。でも、結果としてそれが仕事や生活全般に「有意義」な効果をもたらしている。…結論は、ほんらい人生自体「ポトラッチ」であり、それを認めたくない人が悪循環のドツボにはまり込みがちなのだ、ということなんだよな。余計なお世話だけど。
2004.03.01
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