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Alain Delon : Hiromi Rollin "piégée", il envisageait de l'épouser pour la protéger (nextplz.fr)その名を知ってはいたが、どのような容貌の人かは知らなかった。映画を見始めて世界的二枚目スターだと知り、そのあまりの男前さに愕然とした。若い頃の彼は全世界の女性を虜にする美男子だったのだろう。私が知った時は40代、中年男性として美貌は下り坂だった。それでもまだ、イケメンであった。ちょうど榊原郁恵が「アル・パチーノ+アラン・ドロン<あなた」を歌ってヒットしていた。アル・パシーノはイタリア系アメリカ人で1940年4月生まれの今年84歳存命。アラン・ドロンはフランス人で1935年11月生まれの88歳にて逝去。ちなみにアメリカで二枚目として評判だったのはロバート・レッドフォード。1936年8月生まれの88歳存命。アラン・ドロンの代表作のおすすめとして三作あげる。まずはアラン・ドロンを一躍世界スターにした「太陽がいっぱい」(1960年)三角関係の美女マリー・ラフォレは人気者に。モーリス・ロネも大スターとなった。ニーノ・ロータの主題曲は有名で哀愁を帯びた曲調が夕焼け染まる太陽にぴったりであった。(テレビ鑑賞のみ)(C)1960 STUDIOCANAL - Titanus S.P.A all rights reserved次に「冒険者たち」(1967年)これも男女の三角関係。一攫千金の宝探しの船旅に若者二人と年配者の三人組で出航。当然、若者(アラン・ドロン)は美女(ヨハンナ・シムカス)と恋仲になれると思い込んでいたが美女はブサメン(リノ・ヴァンチェラ)に恋していた。ブサメンは恋と友情の板挟みに。宝物強奪に来た奴らとの銃撃戦がクライマックス。結末は衝撃であった。イチオシかも。一時期、リノ・ヴァンチェラが大好きだった。(テレビ・名画座・配信にて三度鑑賞)冒険者たち の映画情報 - Yahoo!検索 (pinterest.com)三本目は「ボルサリーノ」(1970年)ボルサリーノとはソフト帽で有名なイタリアの老舗。映画はそのボルサリーノを小粋に被る男たちの物語。アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドのフランス二大スターの初の共演で大ヒット。「ボルサリーノ2」という続編までできた傑作。(テレビ鑑賞のみ)(C)1970 Marianne Productions – Adel Productions – Mars produzione他にも「地下室のメロディー」「山猫」「さらば友よ」「栗色のマッドレー」「レッド・サン」「暗黒街のふたり」「個人生活」「愛人関係」など名作はいくつもあるがジャン=ポール・ベルモンドとの再共演で話題となった「ハーフ・ア・チャンス」(1998年)は娘役にヴァネッサ・パラディをむかえてヒットした。このあとも作品はあるようだが、世間的にはこれが最後の映画作品といえよう。「ハーフ・ア・チャンス」は映画館鑑賞にて、楽しめた作品。映画チラシサイト:ハーフ・ア・チャンス (eiga-chirashi.jp)“ペペ・ル・モコ”こと「望郷」で名を馳せたフランスを代表する大スターであったジャン・ギャバンの後継者として名指しされたアラン・ドロン。彼の後継者としてフランスを代表するスターはいるのだろうか。アラン・ドロンのご冥福をお祈りいたします。
2024.08.22
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蓮舫 - Wikipedia蓮舫氏都知事選出馬会見に報道陣120人殺到 小池百合子氏の学歴詐称疑惑報道に「経歴には注目しています」(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース蓮坊氏が東京都知事選に立候補するという。小池都知事への対抗馬として誰が良いかと考えた時に、私の頭にも蓮坊氏が浮かんだ。しかし、現職の国会議員。2022年に4期目となる参議院議員である。6年ある任期のうちのまだ2年目。途中で職務を投げ出した感じは否めない。在職は20年に及ぶ。その間の功績は何をしたかわからないが2009年の事業仕分けでスパコンに関する質疑で「2位じゃダメなんですか」と問うたことくらいしか知らない。蓮坊氏の政治姿勢についても良く知らない。しかし、Wikipediaでちょっと見ると元総理の野田氏のシンパであるらしい。総理としての野田氏については自民党に政権禅譲したことしか知らない。いや、禅譲したかたちになってしまった。ゆえに野田氏の政治手腕に関しては懐疑的だ。手段がなくやむを得なかったのかもしれないけれど、残念な結果であった。さて、蓮坊氏に東京都知事が務まるのか。それは、わからない。わからないが小池都知事くらいはできるだろう。小池都知事は何もしないわりに発信力はある。それだけの政治家だ。自身の才に溺れ、失言してしまうことも多い。高圧的で強権を誇示し、誤りを認めない。初当選の時は状況から小池氏一択だったし、二期目は対抗馬がいなかった。三期目は経歴詐称の蒸し返し、神宮再開発の無謀さ、豊洲移転等々、問題が明るみに出るだけで実績と呼べるものは何もない。東京オリンピック・パラリンピックは一年の延期の上、観客を入れないということで成功したとは言い難い。また、汚職事件があり、その点において最悪である。この東京オリンピックは石原元都知事の遺産であり、石原元都知事の業績についてはディーゼル車の排ガス規制など、いろいろとあるらしい。さて、発信力のある小池都知事から発信力のある蓮坊氏へ、都知事がかわることは可能なのか。自分たちだけが良ければという選民思想が見受けられる小池都知事にはワンポイントリリーフとして大いに活躍していただいた、コロナ禍の救世主として退場していただいて、蓮坊氏か誰か新しい都知事を迎えたい。ちなみに蓮坊氏は小池都知事より15歳若い。小池都知事は70代となった。
2024.05.28
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唐十郎 - Wikipedia唐十郎さん葬儀・告別式 大鶴義丹、マルシアら100人が参列 参列者が涙、「ありがとう!」感謝の声(スポニチ) | 毎日新聞 (mainichi.jp)の記事を見て、唐十郎に思いをはせた。唐十郎が亡くなった。本日、2024年5月14日に告別式があった。私が上京したのが1987年で演劇を知る意味で小劇場公演も見ていた。それまで演劇なんて関心がなく、映画ほど感動するものではないと感じていた。勉強の意味も込めて有名どころを見ないといけないとも考え、加藤健一事務所公演の「セイムタイム・ネクストイヤー」を見たところ信じられないほど感動した。それは、映画「ロッキー」を見て感無量となり滂沱の涙を流した時に匹敵するほどの大感動であった。演劇でも感動するのだということが驚きであった。加藤健一事務所の「セイムタイム・ネクストイヤー」は本多劇場での再演だったと思う。加藤健一と高畑淳子の二人芝居。高畑淳子が美形であったがゆえに目を奪われ、心を奪われた。この演劇との衝撃的な出会いがあったので、いろいろな芝居を見ていくことになる。加藤健一事務所のウェルメイドなストレートプレイ・コメディは良質な演劇に思え足繁く通った。「セイムタイム・ネクストイヤー」は演出家がかわり、感激度が減って興味がなくなるまで4、5回見に行ったと思う。芝居を見始めて、小劇場ブームということも知った。たまたま新幹線であった女子会社員が芝居好きということもあって彼女に案内されて下北沢や新宿に芝居を見に行った。いろいろな小劇場がある中で、勢いがありお気に入りだったのが自転車キンクリートと善人会議であった。善人会議には傾倒し入団したかったが、新人募集の年齢制限をひとつ上回っていたので断念した。それほど好きな劇団であった。面白かったのは東京壱組であった。東京壱組には大阪時代の先輩が在籍しており、誘われて頻繁に見に行った。世代の上の芝居も見に行った。アングラはあったけれどブームは去っており、つかこうへいも舞台をしていなかった。夢の遊眠社はチケットが取れないうちに解散して見ていない。私が見た第三舞台は期待したほどのものではなかった。あとの世代の東京サンシャインボーイズとかキャラメルボックスとか噂には聞き及んでいたが、見に行くことはなかった。ブームは去ったと思えたが、アングラの人気はあり、黒テントを見に行った。新宿梁山泊は旗揚げ公演を演劇女子と見に行った。アングラのパワーに圧倒された。そして、劇団唐組を見に行った。確か隅田川に面した劇場で、ラストに舞台奥の壁が倒れ落ちると夜の水面が広がり湿った空気が入り込んでくる衝撃的な光景であった。この時の芝居で衝撃的だったのは若手女優が上半身裸となり乳房をさらけ出したことである。ことさら隠すこともなく、どちらかというと見せつけるようにブラブラと照明に照らされていた。あの女優はその後売れたのだろうか。アングラというか唐十郎のパワーを強く感じた舞台であった。唐十郎の記憶はそれくらいしかない。芝居に生き、芝居に殉じた唐十郎さんのご冥福をお祈りする。
2024.05.14
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我々にとって中森明菜はアイドルであり、歌姫である。1980年代に思春期や青春を過ごしていた若者世代にとって、聖子派か明菜派かということで二分されていたと思う。もちろん他のアイドルもいたのであるが人気、実力を伯仲させていたのは二人である。私はぶりっこできれいでもない(と当時思っていた)聖子ちゃんよりは、斜に構えた(はすにかまえた)荒ぶる魂歌唱の明菜ちゃんにはまり、レコードをせっせ、せっせと買っていた。明菜ちゃんの姿を見ることも生歌を聞くこともなくテレビとラジオとレコードで聞き入っていた。そんな私が上京し、ちょっと稼いでいた頃、一時影を潜めていた明菜ちゃんが復活(?)表舞台で歌を披露するようになった。わざわざ拝見、拝聴しに行ったのだが、遠くに見る姿は実物の明菜ちゃんだと嬉しく思ったが、歌を聴くと「あれ?」と思ったのだ。声量がない。ところによっては聴き取れない。天下の明菜の歌声がこんなことはないと思ったけれど、久々ゆえ、こんなものかなぁといぶかしみながら納得した。その後、(翌年かなぁ)ディナーショウに出演するという情報をを手に入れ、高額チケットを買いまたいそいそと見に行った。見に行ったが、やはり声量がない。ハスキーや低音というには、かすれている。聴こえにくい。聴こえないわけではないが、明菜としての歌声としては大いに物足りない。こんなのでディナーショーするのか、と思ったくらい。ちなみに、対抗馬だった聖子ちゃんのディナーショーにも、本当に高額だったけれど行った。ガードマン、警備する人たちが舞台前、横に二メートル間隔くらいでびっしり並んでいたことに驚いたけれど、歌は素晴らしく、歌声も響いていた。この頃、明菜ちゃんは復活ライブをするというようなことがネットに書かれてあったけれど、完璧でなくとも、聴くことができる歌声が出るなら良いけれど、そうでないなら、歌わない方がいいと思う。それよりも顔見世、トークライブで来し方、行く末を面白おかしく話した方がいいんじゃないかな。
2024.04.17
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ビング・クロスビー - Wikipediaビング・クロスビー彼の存在を知ったのは映画雑誌ロードショーであった。1977年10月14日に心臓麻痺にて急逝とあるので、たぶん、追悼記事としてピックアップされたのかもしれない。それまでにフレッド・アステアやジーン・ケリーなどミュージカル俳優のトップについて知ってはいたが、このようなスターの存在は知らなかった。知らなかったのにスターだと思ったのはなぜか?それは彼の映画作品、そして歌が超有名であったからだ。「ホワイト・クリスマス」♪I'm dreaming of a white ChristmasJust like the ones I used to knowWhere the treetops glistenand children listenTo hear sleigh bells in the snow♪という歌。クリスマスには欠かせないものだった。まだマライア・キャリーのAll I Want For Christmas Is You(恋人たちのクリスマス)も松任谷由実の「恋人はサンタクロース」もなかった。ちなみにSilent Night(きよしこの夜)もクロスビーの大ヒット曲である。私としては「ホワイト・クリスマス」や「喝采」の有名度よりもクリスマス・シーズンにテレビで見たイングリッド・バーグマン共演の「聖メリーの鐘」が印象深く忘れられない。これは名作「我が道を往く」の続編ということだが、後年DVDを買ってまで見た「我が道を往く」よりも「聖メリーの鐘」の方が好きである。「上流社会」も見たし、遺作「駅馬車」も見ている。「我が道を往く」(1944)から「上流社会」(1956)までが全盛期だったのではないだろうか。何度か見た「喝采」は共演者グレース・ケリーとともに忘れられない傑作である。今は配信でも見られるようになった「聖メリーの鐘」をいつか再見して見たいと思っている。
2023.12.01
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健さん出演の映画ポスター ~昭和残侠伝シリーズ篇~ 2 | kazu415の◇◆JackInTheBox◆◇ (ameblo.jp)“最後の映画スター”と呼ばれた高倉健が亡くなったのは2014年11月10日。東映の「仁義なき戦い」や「トラック野郎シリーズ」で名を馳せた菅原文太もいるが、彼もほぼ時が同じ2014年11月28日に亡くなっている。昔の言葉でいえば、巨星二つが消えたということになる。(残念ながらスクリーンで菅原文太は見ていない)さて、高倉健について、彼の遺作となった「あなたへ」で会える可能性があった。というのも、当時の私の所属事務所からエキストラとして服役囚の仕事の依頼があったからだ。しかし、健さんの遺作となるとも思わず、我が娘の強烈な反対にあい出演を断った。というのも、これより前に映画「連合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実」に出演し、兵隊役だったため丸坊主にしたら娘にギャン泣きされてしまったのだ。であるから、今後、坊主頭になる役は断るとなったのである。服役囚の役は坊主頭であった。スクリーンでの高倉健との出会いは大阪・千日前の通常はロマンポルノを上映している小さな映画館であった。山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」が大ヒットして、ロードショー館、二番館、三番館と名画座までロングランして、最後にはロマンポルノ上映館でも上映されたのだと思う。そのいよいよ上映が終わるという頃、わざわざ千日前まで見に行った。あまりの評判に期待値が大きすぎたのか、まだティーンエイジャーの子どもだったので理解が出来なかったのか、あまりピンとこなかった。とにかくその時がスクリーンで見たはじめての高倉健であった。その後、映画にはまり映画ファンとなった私は大学生になる春休みに大阪・道頓堀の劇場で特別興行三本立てで高倉健の仁侠映画「昭和残侠伝シリーズ」を見る。(「昭和残侠伝・人斬り唐獅子」「昭和残侠伝・死んで貰います」「昭和残侠伝・唐獅子仁義」の三本立て)義理と人情をはかりにかけ、義憤にかられ、最後には長ドスを抜刀する健さんに拍手喝采した。この映画を見て健さんファンにならない者はいないと思えた。遅れてきた健さんファンとなった。ちょうど同じ頃、健さん大ファンの落語家・桂べかこが健さんファンクラブを作った。東映をやめてフリーとなった健さんは東映退社前の「新幹線大爆破」がヨーロッパで大ヒットとなり、フリー第一作の「君よ憤怒の河を渉れ」は日中国交回復に伴う中国で『追捕』というタイトルで公開され、文化大革命後に初めて公開された外国映画となり、中国での観客動員数は8億人に達したとされる大ヒットとなった。健さんは日本のみならず外国でも評価される大スターとなった。そんな人気ぶりとは関係なく「昭和残侠伝」の健さんはただただかっこよく惚れてしまった。共演の藤純子に恋したのはいうまでもない。彼女は可憐で可愛く美しかった。また、この時に見た「日本侠客伝」では津川雅彦の奇才というべき演技に目を瞠った。三田佳子も美しかった。さて、健さんファンになったその後、彼が主演する映画はすべてとは言えないが見に行くことになる。「冬の華」(共演:池上季実子)、「野生の証明」(薬師丸ひろ子)、「動乱」(吉永小百合)、「遥かなる山の呼び声」(倍賞千恵子)、「駅STATION」、「海峡」までほぼ途切れることなく見続けた。その後、見たのは「居酒屋兆治」(共演:大原麗子)、「ブラック・レイン」、「あ・うん」(富司純子)、「鉄道員(ぽっぽや)」、「単騎、千里を走る。」、「あなたへ」である。青年だったころの作品や「網走番外地」シリーズは見ていないけれど、ひとり立ちした後の高倉健を追いかけて見続けて良かったと思う。現代の若者には誰?その人。という存在になってしまったと思うが、佇む姿が絵になる人。日本アカデミー賞の第一回最優秀主演男優賞をはじめ計4回最優秀主演男優賞を受賞したスターであった。
2023.11.10
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バート・ヤング - Wikipedia注目の人にしたが、今はもう注目されなくなっていたのか…。彼が亡くなったことを知らなかった。バート・ヤング死去2003年10月8日映画「ロッキー」でロッキーの義兄になるポーリーを演じていたバート・ヤングが亡くなった。セコンド・トレーナー役のバージェス・メレディスが亡くなった時は騒ぎになったと思う。バージェスが亡くなったのは1997年9月9日とのことで四半世紀前。まだ20世紀だった。「ロッキー」公開から20年後、当時のシリーズ最後の作品「ロッキー5」の1990年12月の公開7年後だったからニュースバリューもあったのかもしれない。「ロッキー」公開から47年も経っているとロッキーことシルベスター・スタローンは知られていてもバート・ヤングを知る人は少なく年配の人だけなのかもしれない。劇中でポーリーと呼ばれていた使い走りのチンピラで登場した彼はロッキーが人気者になるとチンピラも辞めてプー太郎になって義弟夫婦に寄生していた。そんなやさぐれた男を見事に演じていたのがバート・ヤングであった。「ロッキー」のポーリーで認知され人気も出た彼だが、ポーリーの印象が強くてそれ以外の役では成功しなかったようだ。とはいえ、だらしないながらも愛嬌があり悪党になり切れない男、ポーリーその者に見えたバート・ヤング。哀悼の意を表します。
2023.11.08
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女優、島田陽子さんが7月25日亡くなった。大腸がんによる死去とのこと。ご冥福をお祈りいたします。 映画ファンだった私は、池袋・文芸座で邦画の最高傑作と思った「砂の器」を見ている。映画雑誌で目に付いた大都会東京の名画座・文芸座。週末のオールナイト三本立てや名作二本立てなど興味とあこがれを持った映画館であった。上京して訪れた文芸座には映画ファンの熱気があった。ところで、「砂の器」に島田陽子さんが出演していたという。申し訳ないが記憶にない。私の記憶にあるのは刑事の丹波哲郎と森田健作。らい病の加藤嘉とその息子・加藤剛くらい。監督・野村芳太郎の名を覚え、原作・松本清張を知り、原作本も読んだ。映画では「犬神家の一族」を見たくらいか。 島田陽子の記憶と言えば、三つ。一つ目はテレビ。青春ドラマ「飛び出せ!青春」の後を受けて作られた「われら青春!」。中村雅俊主演で同僚の女教師役を演じた。マドンナというべく美しくかわいらしい容姿は「飛び出せ!青春」の酒井和歌子よりもチャーミングに思えた。(中村雅俊からの悼むコメントが公開されてよかった)二つ目は「SHOGUN」(将軍)である。レコード大賞の賞レースを勝ち抜くために降板したジュディ・オングの代わりにキャスティングされた。東洋人らしく低身長(153㎝)のジュディ・オングから長身スレンダー(171㎝)でモデルのような島田陽子では全くイメージが違うのでは、と思った。三つめは東京渋谷の東急百貨店本店の正面玄関で車に乗り込む前の彼女・島田陽子を偶然見かけた。夜の7時を過ぎたころだと思うけれど、夜・都会のイルミネーションに照らされてダイヤモンドのように輝く容姿、とても白く美しかった。 古希まれなり。病気とは言え、古希の年に逝去とは…。合掌。
2022.07.28
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ジェームズ・カーンが亡くなった。知ったのはTwitterだった。 ジェームズ・カーンは私が十代の時に好きだった俳優だ。テレビで「フリービーとビーン 大乱戦」を見て、大いに楽しんだことが心に残っている。フリービーとビーン/大乱戦 の映画情報 - Yahoo!映画有名なところでは「ゴッドファーザー」のソニー・コルレオーネが記憶に残る役柄だろう。主役スターとして「ファニー・レディ」「ローラーボール」「続・男と女」など出演するが、ソニー・コルレオーネの印象が強すぎる。「ミザリー」の作家役でようやく新天地が開けたのかもしれない。「ミザリー」は話題作で大ヒットだった。(注目を浴びたのは共演のキャシー・ベイツであったが)その後もコンスタントに出演作が続いたのはネームバリューあるスターだったからであろう。ご冥福を祈ります。
2022.07.09
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ジャン=ポール・ベルモンドが9月6日に亡くなった。彼の姿を最後に見たのは『「世界の果てまで行ってQ!」ジャンポールベルモンド見参』だった。今日見たらこのブログ記事に300件以上のアクセスがあった。日々、数十件のアクセスしかないブログにこれだけのアクセスがあったのはジャン=ポール・ベルモンドの人気、有名度が大きかったことを感じさせる。さて、冒頭に掲げた映画「ボルサリーノ」のポスターであるが、左がアラン・ドロン、右がジャン=ポール・ベルモンドである。私が映画館で映画を見始めたころはすでに50歳を過ぎていて、往年の名画が名画座でかかっていた。「気狂いピエロ」や「勝手にしやがれ」を見ては、いまひとつピンとこなかったことを覚えている。ヌーベル・ヴァーグの旗手のように言われていたと記憶する。テレビで見た「ボルサリーノ」は痛快だった。二枚目スター、アラン・ドロンと組んでの大活劇。フランス映画界をしょって立っていた二人。その当時、双璧をなしていた二人がタッグを組んで出演した作品。とても素敵で、あまりのヒットに「ボルサリーノ2」という続編が出来上がっている。この二人は、その後、「ハーフ・ア・チャンス」で当時売れっ子のスター女優バネッサ・パラディを迎えて再度共演している。この作品は、映画館で見たが、爺さんになった二人が(当時、二人ともに60代)、パラディの実の父親探しに翻弄される、まあまあ見ものの作品であった。アラン・ドロン、ジャン=ポール・ベルモンドともにこの作品が特筆すべく最後の作品となっているようだ。ベルモンドは2001年に脳梗塞になってから、体が不自由だったようで、表舞台には出なくなったと思われる。とはいえ、2011年にカンヌ国際映画祭の名誉パルムドールを、2016年にはベネチア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受賞している。とてもユニークな俳優であったジャン=ポール・ベルモンド。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
2021.09.08
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(左・三浦友和 中・紺野美沙子 右:藤竜也)藤竜也を初めて見たのは「寺内貫太郎一家」だった。脚本が向田邦子で、主役の寺内貫太郎を小林亜星がやっていた。藤竜也は梶芽衣子と寡黙なカップルで藤が一歩先、梶が後ろに下がって歩いてくる、それだけのセリフのない役だった、と思う。サングラスをかけた藤は異様な威圧感があり、固く暗い印象でありながら鋭い眼光の梶も異彩を放っていた気がする。印象深くはあったが、この寡黙な藤のスタイルは、前年の「時間ですよ」の寡黙な客で人気をよんでいたらしい。「時間ですよ」を見た記憶はあまりなく、「寺内貫太郎一家」は悠木千帆(のちの樹木希林)のばあちゃんの『ジュリ~!♡』という愛のこもった雄たけびと西城秀樹の『きったねぇな、ばぁっちゃん!』と悠木千帆の婆さんを蔑む親しみあるセリフが忘れられない。話を藤竜也に戻すと、日活で映画デビューして数々の作品に出演するも主演を張ることもスターになることもなかったようだ。とはいえ、日活時代に日活のトップ女優であった芦川いづみと結婚している。芦川いづみは結婚とともに引退。代表作がない藤に不安はなかったのだろうか。そんな藤に代表作といえるものが出来た。「愛のコリーダ」である。大島渚監督の本番映画は超話題作となったようだ。その後に映画を見始めた私は「黄金のパートナー」という三浦友和とのダブル主演(だと思う)のかっこよいおやじが忘れられない。ハードボイルド映画「友よ、静かに瞑れ」では主役であった。そして、黒木瞳と演じた「化身」でも主役。藤竜也の黄金期はアラフォーだと思える。その後も出演作は続いてはいたが、見ることもなかったけれど、映画「海猿ウミザル」で久しぶりに藤竜也を見たときに、さすがと思ったものである。見てはいないけれど北野武監督の「龍三と七人の子分たち」でも主演。テレビドラマ「やすらぎの郷」を見たけれど、まわりが老人ばかりで藤竜也を見た記憶がない。メイン・キャストでなかったからだろうか。そして、今、NHK朝ドラ「おかえりモネ」でヒロイン清原果椰のおじいちゃん役で出演。80歳にならんとする(2021年8月で80歳)藤竜也が老人を演じていることに驚きがある。その実年齢にも驚いている。平均寿命が延びても70代で鬼籍に入る俳優が多い中、現役で出演。恐れ入るばかりである。おじいちゃんゆえ、活躍するシーンはほぼないと思えるが出演シーンは楽しんで見てみたい。
2021.06.19
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「注目の人」ではないのだが、カテゴリーがないし、あえてカテゴリーをつくるほどでもなく。映画を真摯に作っていないのではないかと「花束みたいな恋をした」のブログで書いてしまったので、どのように思う監督であるかを書こうと思ってブログを書く。であるから、この監督の経歴をとググってみると、邦画をそれほど見ない私にしたら土井裕泰(どいのぶひろ)監督の作品は良く見ている。「いま、会いにゆきます」(2004年)は感動のあまり、号泣に次ぐ、号泣で、ほぼ同時期の「世界の中心で、愛をさけぶ」よりも感動し、感嘆した作品であった。「涙そうそう」(2006年)はブッキー(妻夫木聡)のファンなので見に行った。涙をさそうように作りすぎているきらいはあるけれど、感動した一本である。「ハナミズキ」(2010年)は、見た記憶があるのだけれど、それ以外は抜け落ちていて、私のブログ記事を振り返れば、酷評していた。(ブログ・「ハナミズキ」)「麒麟の翼〜劇場版・新参者〜」(2012年)は原作・東野圭吾の隠れファンであり、テレビドラマも欠かさず見ていたので映画館に出かけて見た。いい作品だった。(「ブログ・「麒麟の翼〜劇場版・新参者〜」)「映画 ビリギャル」(2015年)は傑作だったと思う。有村架純が金髪ギャルになるというだけで★☆。親子の葛藤も、家族の軋轢も、受験もみごとに描かれていた。(ブログ・映画 ビリギャル)とみてくると、ホームランを打つけれども、手痛いアウトの作品もあるということになるかな。今回の「花束みたいな恋をした」は私にには合わなかったということがいえるけれど、編集というか作り手としてどうなの?と感じたところはあった。しかし、感動作を作れない監督ではなかったということ。作品に出来・不出来はあれど、ヒット作を作り続けていることは特筆すべきだと思える。土井裕泰監督、今後もいい作品を作ってくださいね。
2021.03.14
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サー・ショーン・コネリー1930年8月25日~2020年10月31日俳優ショーン・コネリーが亡くなった。90歳。俳優活動中であれば、大スター、巨星墜つ、などと見出しが躍るのかもしれないが、私が知ったのは今朝起きてみたSNSのニュースであった。さきほどまで、サンデージャポンを見ていたが、ニュース映像はなく、一言の言葉もなかった。ショーン・コネリーは大好きなスターであった。私が知ったころには、すでにジェームズ・ボンドではなくなっていたけれど。コネリーがボンドの殻を脱いだ後スターとして輝き続けたことが、その後のジェームズ・ボンド俳優の活躍、映画におけるジェームズ・ボンドに永遠の命を与えたといえる。一人の俳優が演じ続け、その俳優とともに銀幕からいなくなてしまった寅さんに思いをはせると、対極と思える。ジェームズ・ボンド2代目のジョージョ・レーゼンビーは俳優活動は続いたみたいだが、スターにはなれなかったと思う。3代目ロジャー・ムーアと5代目ピアース・ブロスナンが私にとってのジェームズ・ボンドである。4代目ティモシー・ボルトンは記憶がない。そして、6代目ダニエル・クレイグ。5代目のピアース・ブロスナンの二足のわらじ活躍(ジェームズ・ボンドを演じながら他作品に出演)をまね、彼も大活躍中である。次作でボンド役は見納めになるようだが、大スターとしてスクリーンでの活躍は間違いないだろう。さて、ショーン・コネリーにもどろう。彼の”007”はテレビでしか見ていない。1963年に本邦公開されたジェームズ・ボンドの映画は「007は殺しの番号」という邦題だった。その後「007 ドクター・ノオ」に改題。”1963年度の外国映画配給収入で、ベスト10には入らなかった”とウィキペディアにある。続く、第二作は「007 危機一発」で1964年公開。こちらも「007 ロシアより愛をこめて」に改題されている。”1964年度外国映画興行成績で第6位”(ウィキペディア)。ボンドガールのダニエラ・ビアンキが好きだった。そして、第三作「007 ゴールド・フィンガー」。1965年に日本公開され、”日本映画も含めた興行成績で第1位となった”(ウィキペディア)。テレビで一番よく見た007映画作品のような気がする。第四作「007 サンダーボール作戦」”1966年最高のヒット作となり、日本映画も含めた興行収入で圧倒的な1位を記録した”(ウィキペディア)とあるが、どういう内容だったか、記憶がないなぁ。第五作「007は二度死ぬ」は日本ロケをした作品。”1967年度の外国映画興行成績で第1位(日本映画を含めると『黒部の太陽』に次ぐ第2位を記録した)”(ウィキペディア)。テレビでの放送も多い気がする。二度ほど見たかなぁ。ボンドガールとして、浜美枝を認識し、丹波哲郎の大物ぶり(大スター)も認識した。丹波哲郎は1961年作の「太陽にかける橋」で外国作品に出演、1964年「第七の暁」に出演した時の監督ルイス・ギルバートの縁でこの「007は二度死ぬ」に出演となったのかも。監督に気に入られることはすごい。丹波にはひとことも台詞をしゃべらない日本人役のイタリア映画「五人の軍隊」もある。第6作「女王陛下の007」はショーン・コネリーでないので割愛。第7作「007 ダイヤモンドは永遠に」ショーン・コネリーの007復帰作であり卒業作。これは見たのかなぁ。記憶にない(笑)。「007」によって世界的スターになったショーン・コネリーが「007」の呪縛から解き放たれて名優としての輝きを放つことになる。男としての色気をふんだんに醸し出しながら。1976年に映画ファンになったと自認している私がショーン・コネリーを初めて映画館で見たのは「遠すぎた橋」であった。1977年7月10日千日前国際劇場で同級生二人と計三人で見に行っている。”♪たあー、たー、た、たったったー、たあ、たー、た、たったったー、た、た、た、たあー♩”というメロディが頭に残っている作品である。ロバート・レッドフォード、ジーン・ハックマン、ジェームズ・カーン、ショーン・コネリー、ライアン・オニール、ダーク・ボガード、エリオット・グールド、マイケル・ケイン、ハーディー・クリューガー、マクシミリアン・シェル、アンソニー・ホプキンス、エドワード・フォックス、ローレンス・オリヴィエ、リヴ・ウルマンなど大スターが大挙して出演したリチャード・アッテンボロー監督作品だ。映画を見たときに、対岸を守るドイツの兵士が子供だったので、エキストラがいなくて子供を揃えたとばかり思っていた。しかし、実際は守るべく兵士が足りずに少年兵を使っていたのだと思う。そのことを理解できずにいた私は若輩者だった。とはいえ、評判は良くないようで公開後にこの作品の名声はきかない。とはいえそのころの私は「遠すぎた橋」に90点と採点している。次に見たと認識できるのが「アンタッチャブル」で、ショーン・コネリーはこの作品でアカデミー賞助演男優賞、ゴールデングローブ最優秀助演男優賞を受賞している。特筆されたのが主演のケビン・コスナーでなく、敵役のロバート・デ・ニーロでもなく、コネリーだったことが興味深い。確かにとても良くて素敵な役柄であり、演技であった。監督はブライアン・デ・パルマ。「戦艦ポチョムキン」のゆりかごの階段落ちがオマージュとして引用されて話題となった。新宿プラザにて鑑賞。評点85点。【映画.COM】ALL TIME BEST「アンタッチャブル」と前後して公開されたのが「薔薇の名前」。謎の連続殺人事件の解明にのりだす中年の僧侶と見習修道士。重く暗いイメージの作品であるが、その重厚さと謎解きのクライマックスはしびれた(と思う)。監督はジャン=ジャック・アノー。「人類創世」の言葉のない時代の世界を描いて秀逸で、大ファンとなった監督であり「小熊物語」「愛人/ラマン」「愛と勇気の翼」「セブン・イヤーズ・イン・チベット」「スターリングラード」「トゥ・ブラザーズ」などの作品がある。シネマスクエア東急にて鑑賞。評点75点。【映画.COM】ALL TIME BEST”インディ・ジョーンズ”には、それほど思い入れはなく、とはいえ、インディ役ハリソン・フォードの父親ヘンリー役にショーン・コネリーとは、ピッタリだなと思う。監督はスティーブン・スピルバーグ。世界一売れっ子で世界一有能な映画監督だと思う。新宿プラザにて鑑賞。評点85点。【映画.COM】ALL TIME BESTテレビドラマ「ルパンの娘」の”Lの一族”ではないが泥棒一家の絆を描くドラマ。名匠シドニー・ルメット監督であり、ショーン・コネリー、ダスティン・ホフマン、マシュ・ブロデリックと三大スターの共演であるにもかかわらず、評判は良くない。新宿アカデミーにて鑑賞。評点55点。記憶に残る大好きな作品である。1984年に発表されたトム・クランシー初の長編ヒット小説が原作。ジャック・ライアンが活躍する人気シリーズの第1作であり「テクノスリラー」の代表作とされる。ソ連最新鋭原子力潜水艦レッド・オクトーバーの艦長ラミウス(ショーン・コネリー)とCIAのアナリスト、ジャック・ライアン(アレック・ボールドウィン)との対峙が見どころ。新宿アカデミーにて鑑賞。評点80点。ケビン・コスナーの印象は残っているが、コネリーはといえば、リチャード王を演じている。新宿ミラノ座にて鑑賞。評点85点。これもウェズリー・スナイプスの印象が残っている、”日本企業によるアメリカ企業の買収、市場への進出が問題視されていた1990年代前半のカリフォルニア州を舞台にした日米経済摩擦サスペンス。”(ウィキペディア)日本国旗があったり日本語が出てきたりと、かなり日本贔屓な作品。評点60点。当時人気絶頂というか引っ張りだこだったジュリア・オーモンドが出演している。アーサー王伝説に基づくロマンス映画。アーサー王(ショーン・コネリー)とランスロット(リチャード・ギア)のはざまで悩む王妃(ジュリア・オーモンド)。忠誠と信頼と愛と死と。あふれでる涙を抑えることができなかったほど感動した。渋谷ジョイシネマにて鑑賞。評点98点。大音響スペクタクル!!映画館で見るべき作品。映画音楽、大爆発、せまる炎!見ごたえのある作品だったな。ニコラス・ケイジ、ショーン・コネリー、エド・ハリス共演。新宿プラザにて鑑賞。評点80点。”『アベンジャーズ』(原題:The Avengers)は、1998年のアメリカ映画。ジェレマイア・S・チェチック監督。イギリスで1960年代に製作されたTVシリーズ『おしゃれ㊙探偵』(原題:The Avengers)の映画化作品”(ウィキペディア)新宿東急で鑑賞。評点60点とても印象に残っている作品。ショーン・コネリーも相手役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズも良かった。”ショーン・コネリー扮する美術専門の泥棒と、その泥棒を罠にかけようと懐に入り込もうとする保険会社調査員役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。一見ミスマッチなキャラクターが織り成すストーリーテリングが魅力のひとつ。公開が1999年であったこともあり、2000年問題による機械の誤作動騒動を作品のクライマックスに盛り込むなどの演出も見所である。”(ウィキペディア)新宿文化シネマ2にて鑑賞。評点80点。実質的なショーン・コネリーの遺作となるのか。本作以降では声のみの出演作品があるとのこと。この作品を鑑賞できていたことに感謝。吉祥寺スカラ座で鑑賞。評点65点。ショーン・コネリーの作品は上記以外にもテレビやビデオにて鑑賞。007シリーズでは1983年に「ネバーセイ・ネバーアゲイン」という別物作品もあるそうだ。オードリー・ヘップバーンの女優復帰作「ロビンとマリアン」にも出演。記憶すべき印象的でダンディな映画スターだったなぁ。おりしもハロウィーン。別世界の扉が開いてあちらの世界へコネリーをいざなったのかなぁ。ご冥福を祈ります。合掌。
2020.11.01
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小柳ルミ子が引退というネット記事を見てみると、コロナ禍で仕事がなく、これほどまでに仕事がないのは自分の力のなさなのかと思い、引退を考えていたとのこと。とラジオで発言。しかし、同じ事務所のユッキーナが引退して、先を越されちゃった。事務所の社長や副社長は本当によくしてくれるので、この方たちは裏切れないと思ったという、ことのようだ 。(以上ネット記事より)小柳ルミ子は嫌いじゃないというか、好きな歌手?いや、ダンサー、いやエンターテナーなので気になった。【 RUMIKO KOYANAGI OFFICIAL SITE by AMEBA 小柳ルミ子オフィシャルブログ】というブログがあったのでのぞいてみる。「おおー!!」この画像を見た時に、足げく通ったディナーショーが思いだされた。かれこれ25年くらい前だろうか。世はバブルが崩壊し景気が底で、その底がどこまであるかわからない最悪な事態だったかもしれないが、当時勤務していた通信系代理店では携帯電話が売れに売れて遅れてやってきたバブル状態であった。そして、なぜか会社の仲間たちと(といっても役員のお供についていく)ディナーショー鑑賞に熱心だった。いろいろな人たちのディナーショーを見聞した。松田聖子、郷ひろみ、西城秀樹、加山雄三、工藤静香、今陽子、中森明菜、小柳ゆき、など、ほかにも見に行ったかもしれない。松田聖子は警備が厳重で、ステージ下にはソーシャルディスタンスでボディガードが分散していた。とても近寄れません。郷ひろみはショーに徹して、終わるとカーテンコールもなかったので、寂しく感じた。西城秀樹はフレンドリーで会場入り口からの再登場で握手していただいたときに温かい手のぬくもりに温かい人柄を感じた。加山雄三は地方のホテルで小さい空間だったのでアットホームさを感じ、ほぼすべてのテーブルを回り握手されていて温かみを感じた。加山雄三のお母様の小桜葉子のファンの年配の女性もいらして歓談されてとても温かい印象を受けた。工藤静香は当時でなく近年にショーを見に行ったのかもしれない。最後にディナーショーに行ったのが15年ほど前なので、その頃かもしれない。彼女も会場入り口から再登場の折には、握手していただいた。観客とガードするスタッフにもみくちゃにながらその細さと美しさよりも強烈な芳香の香水のかおりに衝撃を受けた。今陽子は品川のホテルのレストランだったかも。こじんまりとしたムードあるショーであった。中森明菜は昔、ファンだったので期待したけれど、テレビで見てた当時の声量はなく、時に聴こえないほどだったように思う。若い時の大成功がありながら人間関係で自滅し、その後、返り咲くところまでいけないのが残念である。とはいえ、実物が見られた嬉しさはいうことなし。小柳ゆきは声量に期待したが期待通りの声量だった。ただ。ショーとしてはいいけれど、ディナーショーとしては華やかさに欠けたかも知れない。その意味では後年見た、ミュージカル「ウィズ~オズの魔法使い~」の小柳ゆきの方が良かった。あ!大地真央のディナーショーに行ったことを思い出した。観客から数人選ばれてステージで握手するというコーナーがあり、年配のお客様が多かった中で一人抜きんでて若かった(?)ので選ばれて握手していただいた。白魚のような白さとしっとりと冷たい手が印象的だった。真近で見る真央さんはとても白く美しく驚嘆した覚えがある。これほど美しく演技も素晴らしい女優を映像で映画で生かせていない。彼女の代表作がないのが残念である。タカラヅカでの彼女を見ることはなく退団後のミュージカルスターとしての真央の作品をいくつか見たけれど、「マイ・フェア・レディ」のイライザ役は圧巻であった。素晴らしい!!(最近、ミュージカルも見に行ってないなぁ)と数多くのディナーショーを見たけれど、ミュージカル好きでもある私にすれば小柳ルミ子は圧倒的圧巻のディナーショーを繰り広げ、歌とダンスで魅了してくれた。ミュージカル・ダンサーとして君臨する小柳ルミ子をスペシャルダンサーたちが支える絵図は見ごたえ見どころ十分、十二分だった。素晴らしかった。当時、夫だった賢也くん(大澄賢也)を『愛で踊る、愛のダンサー』と紹介していたのが、忘れられない。ブログ表紙にあるアメリカの国旗を模した衣装はディナーショー後期のものだと思う。小柳夫妻のディナーショーは5、6年ショーがなくなるまで個人的に追っかけた。都内でないときには千葉まで見に行った記憶がある。ショーが人気で新宿シアターアプルでダンスショーがあった時にも見に駆け付けた。歌も踊りも超一流。芝居もできる小柳ルミ子。宝塚音楽学校を首席で卒業したのだから当然と言えば当然なのかもしれない。しかし、野球における走攻守、三拍子そろった選手がなかなかいないように、歌・芝居・踊りの三拍子をそろえたスターもなかなかいない。小柳ルミ子は稀有なタレントなのである。映像でみせる演技としては映画「白蛇抄」とテレビ「家なき子」しか印象がないが、歌手活動に重きを置く小柳にとって演技は重要視するほどのものではないのかもしれない。とはいえ、「白蛇抄」では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しており、池上季実子(「陽暉楼」)、坂本スミ子(「楢山節考」)、田中裕子(「天城越え」/「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」)、夏目雅子(「魚影の群れ」/「時代屋の女房」)といった女優陣をおさえての受賞ゆえ、その優秀さがわかるといえよう。この作品、「白蛇抄」を見ているけれど、若山富三郎と小柳ルミ子が濡れ場シーンでくちゅくちゅやってる記憶しかなく、その印象が強い。さて、形ばかりのタカラヅカデビューをしたのち退団。世の中がアイドル一色になる1980年代の10年ほど前、1970年のことである。顔を売るために歌手より先にNHK連続テレビ小説「虹」で女優デビューとある(Wilipedia)が、この作品は見ておらず、知らない。1971年歌手デビュー。デビュー曲「わたしの城下町」は素晴らしく大ヒットし、日本レコード大賞最優秀新人賞での涙も印象的だった。天地真理の「水色の恋」、南沙織の「17才」と同期の3人は新三人娘とも呼ばれた。伊東ゆかり・中尾ミエ・園まりの三人娘のあと、森昌子・桜田淳子・山口百恵の中三トリオの前の三人娘である。こうして取り上げられること自体、人気のあった証といえよう。当時は子供向け番組に出演していた真理ちゃん、天地真理のファンであった(笑)。さて「瀬戸の花嫁」で大大ヒットを飛ばした小柳ルミ子は歌手として歩むが、「星の砂」「おひさしぶりね」「今さらジロー」くらいしかすぐにはでてこない。小柳ルミ子がスターになったのには所属した渡辺プロダクションの力があったけれど、独立問題で干されたので最も活躍できるときに芸能界で仕事ができなかったことは悔やまれる。とはいえNHK紅白歌合戦にはでているようで当時のNHKには矜持があったんだと思う。そのNHK紅白歌合戦でステージダンサーの大澄賢也と出会い、結婚することになる。そして二人の愛がディナーショーに結実していたと思う。あれほどのステージを、あれ以上のステージをディナーショーでは見たことがない。とても素晴らしいディナーショーであった。二人の別離によって胡散霧消してしまったディナーショーであるが、残念なことこの上なかった。それ以降、二人とも気にはかけていたが、目にすることも少なくなり、心の奥底にしまったものとなった。そして、ふたたび小柳ルミ子を注目するのがサッカーであった。歌でもダンスでも芝居でもなく、サッカーファンとしての一家言。見ると本まで出しているではないか!パスコースがない? じゃあ、つくればいい。 ルミ子の勝手にサッカー学 [ 小柳 ルミ子 ]恐るべし、小柳ルミ子!そしてなんと、コロナ禍でデビュー50周年イベントはできなかったようだけれど、本を出すようです。その本の表紙撮影風景がブログに載っている。小柳ルミ子ブログ・表紙撮影風景さて、ここまで書いてきたが、引退はないようです。(笑)とはいえ、気づくと来年は古稀をむかえる。”古稀、稀なり”(こき、まれなり)という言葉があるように昔はなかなかここまで生きる人がいなかっただろうけれど、食料の充実と医学の進歩で女性の平均寿命は87歳とのこと。平均寿命まで生きてもあと19年はある。引退は平均寿命を越してからでよいのではないでしょうか。(笑)久々に小柳ルミ子のショーが見たくなった。今年は無理でも来年のオンステージ、期待しています。
2020.08.08
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生駒ちゃんがYouTubeを始めた。見てみた。今後も見たい。
2020.07.24
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今朝、LINEに届いた告知。数多こよみがリモートドラマを作ったと。出演してるし。若かりし頃から彼女を知っている。久しぶり、突然の知らせに驚きながらも、見てみた。”初”の取り組みということで、完璧と言えないまでもよくぞ公開までできたと感心する。みなさんのがんばりに拍手。これからもがんばってください。
2020.05.23
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徳川美術館80周年イメージキャラクター松井玲奈Instagram松井玲奈公式サイト松井玲奈TWITTER松井玲奈WIKIPEDIA私は松井玲奈のファンではない。AKB48のファンではあったが、応援していたのはAKB48であって、地方のSKE48にはほぼ興味はなかった。しかし、SKE48のツートップの一人だった松井玲奈はAKB48グループの選抜メンバーに選ばれ、買ったCD,DVDには出ているし、AKB48の冠番組にも出るし、もちろんSKE48の番組にも出ていた。それゆえ、よく見かけた。松井玲奈の顔は日本人顔とされている平面顔からするとかけはなれている気がするが、見方によっては能面にも似た顔立ちなので、ある種、日本人の顔であるかもしれない。とはいえ、平面顔好きな私からすればまったく興味を持てない顔である。しかし、その私が松井玲奈が気になる。それは女優開眼、演技力見せつけの技量を発揮してくれるからだ。まず最初に彼女の演技力に目をみはったのが、「ブラックスキャンダル」である。山口紗弥加のテレビドラマ初主演作品で偽スキャンダルで芸能界から消えた元女優がリベンジにもえる物語。山口紗弥加の理解者であり仲間でありながら敵となる役どころ。ミイラ人間のように包帯にぐるぐる巻きにされながら床を這う演技は壮絶であった。それより前、バラエティで見せた鉄道オタクぶりはユニークだった。「笑神様は突然に・・・」での鉄道BIG4との旅での彼女はあけすけで大笑いし鉄道愛にあふれた女の子だった。隠された(?)魅力爆発で、鉄道BIG4の準レギュラーになったくらい。SKE48、AKB48での活躍は言うに及ばす。これまでの彼女の活躍をみると華奢な見かけによらず肉体的にも精神的にもタフなのかもしれない。AKBグループ出身者にいえることだが「マジすか学園」シリーズが彼女たちの演技力向上に効果を発揮したと思える。AKBグループにいたからSKE48のみならずAKB48に参加したことは当然であるが、交換留学生として乃木坂46に参加している。このことは唯一無二、特筆すべきことである。また、AKBグループからは数多くの女優志願、転身をはかっている者がいる。その中で、先行する、前田敦子、大島優子に比肩する活躍が期待できると思う。主役を演じることは求められていないようであるが、NHK朝ドラ「まんぷく」で主役の友人役につづき「エール」で主人公相手役の姉を演じるなど、演技の評価は確実であると思われる。そして、今回見た「ドラマBiz 行列の女神~らーめん才遊記~」第三話でのフードコンサルタント。メガネをかけて勤勉でおしとやかな女性かと思いきやいきなり関西弁ですごむ強面(こわもて)を難なくやりとげる力強さ。求められる演技をやすやすとこなす演技巧者にも思えてくる。顔面迫力には乏しいすっとしたイメージの顔立ちでありながら存在感を増す演技。奮闘する松井玲奈に今後も注目したい!
2020.05.09
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大林宣彦監督の作品を見たのは監督デビュー作の映画「HOUSEハウス」だった。縁側においてあったスイカが勝手に揺れるというシーンがあり、変わった監督が出てきたなぁと思い、テレビCMのディレクターだったと知り、日本もそんな時代になったのかと思った記憶がある。1977年8月1日に岸和田日活という地方の映画館で同級生の西川君と二人で山口百恵、三浦友和主演の「泥だらけの純情」を見に行った時に併映されていた。当時の邦画はロードショーでも二本立てが一般的だった。100点満点の私の映画評では「泥だらけの純情」88点に対し「HOUSEハウス」は90点である。そんな高評価をした覚えはないけれど、CMディレクター出身という大林監督が斬新でしゃれた作品に見えたのかもしれない。とくかく記憶は鮮烈に残っている。次に見た大林監督作は「ねらわれた学園」(私の映画評:90点)である。当代超売れっ子の薬師丸ひろ子主演作品で併映はたのきんトリオ出演近藤真彦主演の「ブルージーンズメモリー」(80点)。1981年7月15日に薬師丸ひろ子の熱狂的ファンだった同級生の伏原君と彼の女友達二人の計4人で梅田劇場に見に行った。この次の作品「転校生」は尾美としのり、小林聡美主演で男女の入れ替わりで話題となったが、残念ながら見逃していて、いまだに見ていない。この男女の入れ替わりはその後たびたびいろんな作品に取り入れられ、映画「君の名は。」(90点)でも使われている。その次の「時をかける少女」もユーミンの楽曲で話題となり、併映の「探偵物語」も大注目、話題作でヒット作となったが、こちらも見逃して、いまだ見ていない。私は遅ればせながら「天国にいちばん近い島」(50点)で原田知世を見るが、併映の薬師丸ひろ子主演の「Wの悲劇」(83点)がすごすぎて、「Wの悲劇」の印象しか残っていない。菊地かおり役の高木美保が美しすぎて恐すぎて、強烈な印象が残っている。1985年2月4日梅田劇場にて一人で見た。次に1985年5月6日にアポログリーンで一人で見た「さびしんぼう」(80点)は良かった。富田靖子が素晴らしく、この作品以降、ファンである。富田靖子は「南京の基督」の印象が強烈だ。NHK朝ドラの「スカーレット」では見せ場はほぼなかったけれど、ベテランの熟練の演技をしていたと思う。併映は神田正輝との共演が話題となった松田聖子主演の「カリブ・愛のシンフォニー」(60点)次に「姉妹坂」(80点)を見るが、記憶にはほとんど残っていない。紺野美沙子、浅野温子、沢口靖子、富田靖子の四姉妹物語なのだが…。併映の「雪の断章-情熱-」(70点)の方が記憶に残っており、主演の斉藤由貴も監督の相米慎二も覚えている。1986年1月19日に東宝敷島にて一人で見る。話題となった「彼のオートバイ、彼女の島」や「異人たちとの夏」、「青春デンデケデケデケ」は見逃し、その後も大林作品を見ることはない。大林監督作は私にとって青春の映画監督なのかもしれない。今回、遺作となった「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は、コロナウィルス感染拡大により公開延期となった。公開されれば、ぜひとも見たいと思う。ご冥福を祈ります。合掌。
2020.04.11
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「OK牧場の決斗」で共演した盟友、バート・ランカスターがなくなって四半世紀(25年)。長生きだなと思っていたカーク・ダグラスがなくなった。享年103歳。一世紀を越えて生きた彼は1996年に脳梗塞を患い、表舞台から去った。それからの晩年、言語障害が残り、快適な生活とはいかなかったかもしれないが、100歳を越えた生涯はとても頑丈な体だったといえよう。映画「スパルタカス」で見た彼がとても印象的で素晴らしく、「OK牧場の決斗」のドク・ホリディや「バイキング」の海賊だったことを忘れてしまっていた。思えば1949年の「チャンピオン」で有名になって以来、1950年代が彼の黄金期であろう。その後も病に倒れる1996年まで、作品に出演するけれど、注目する作品は、それほどないと思われる。しかし、「スパルタカス」のスパルタカスはくじけない意思で見る者を鼓舞する人物として記憶と心に刻まれている。私がとても好きな俳優カーク・ダグラス。ご冥福を祈ります。
2020.02.06
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今、YAHOOを開いたら、エンタメの表示欄で「松岡茉優「女優人生」の野望」いう記事があった。松岡茉優は人気者としては売れないと思っていたのに、演者としての露出度が増えてきて、いい芝居をするとみえて、「蜜蜂と遠雷」で彼女に注目した私は気づくのが遅いのかも。本日このような記事が出て、彼女自身、第2章なんてこと言っているようだが、実力をともなって知名度をあげ、出演作(経歴)を増やし、評判が良ければ、人気も上がる。一線級の主演女優、演技者として名だたる女優に肩を並べたと言えると思う。土屋太鳳、川栄李奈、早見あかり、広瀬アリス、が同級生として、一つ上には二階堂ふみ、清野菜名、武井咲、川島海荷がいて、一つ下には橋本愛、二つ下には芳根京子、杉咲花といった演技巧者がいる。その中で土屋太鳳に追いつけるだけの片鱗を見せたこと、そして八面六臂の出演は期待がもてる。松岡茉優は今後最も見てみたい女優となった。
2019.11.03
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本日配信の「私生活”完全ノーガード”二階堂ふみを朝ドラに起用NHKに3つの違和感」を読んで、そうだよな、と思った。二階堂ふみといえば2007年にデビューしたとあるから芸歴12年の中堅ベテランだ。年齢は24歳なので若手といえるだろうけれど、演技のうまさに注目が集まり、いろいろと起用された(と思う)。2014年に映画「私の男」でニューヨーク・アジア映画祭のライジング・スター・アワードを受賞。また、2015年にエランドール賞新人賞も受賞した。それゆえ、映画に一意専心するかと思いきや、一般視聴者への知名度を上げるために2016年に「ぐるぐるナインティナイン」の「グルメチキンレース・ゴチになります」パート17に新メンバーとして参戦した。それは本当に知名度を上げたいだけだったようで、演技の仕事のオファーが増えて翌2017年のパート18を途中で卒業(降板)している。 (本業(演技)の仕事が増えて降板したのは、船越英一郎、以来だと思う。ちなみに、船越は「2時間ドラマの帝王」という異名をすでにもっていただけに知名度を上げるためだけに”ゴチ”に出演したのではないことはあきらか)NHKの朝ドラは新人女優スターの登竜門といわれて、新人、もしくは業界未経験者や無名のタレント・女優をオーディションで技量を見極め主役に抜擢するものであった。「ゲゲゲの女房」で知名度と実績のある松下奈緒を一本釣り(オーディションなしでキャスティング)して、ヒットしてから、朝ドラオーディションはキャスティング方法として重宝されなくなった。朝ドラでキャスティングされた新人女優は出世魚のようにその後も評判良くNHKや民放のドラマで実績を積み、大河ドラマで主演する(相手役する)ことがスター街道の登り道だったように思う。ところが、二階堂ふみは大河ドラマには(一時の)相手役としてすでに出演をはたし、話題も呼び、今さら朝ドラの主役(相手役)として出演するランクの女優ではないと思える。本日配信記事にあるNHKに3つの違和感のうち二階堂ふみがオーディションに参加したのか?というひとつめの疑問。これは、結果的に参加したものだと思われる。昔、ヒーローもののドラマの主役オーディションで有名プロダクションで演技経験者であったものが最終選考だけ参加して主役に選ばれたという話を本人からきいたことがある。同様に二階堂の場合も結果ありきで彼女に声がかかり最終選考のみ参加したのでなかろうか。書類選考から始まり、1次、2次と選考が行われたのだけれど、抜擢といわれる新人をキャスティングするには人材不足で、オーディションに参加という形で白羽の矢がたったのではなかろうか。2点目のスキャンダルの多い彼女をなぜキャスティングしたかという点であるが、そもそも彼女にスキャンダルはないのではないか。浮名を流す相手は宣材としてあったりするけれど、演技ありき仕事ありきの彼女であるから、恋愛にうつつをぬかすことはない、と考えたのではないか。3点目の二階堂で視聴率を稼げるかという点を挙げているけれど、そもそもNHKに視聴率は関係ない。昨今は視聴率を稼ぐことに血道をあげているように見られるが、朝ドラはドラマによって視聴率を上げているので、キャストには視聴率男や視聴率女を考慮していない。視聴率をかせぐ俳優女優は脇でかためる手法である。現在の朝ドラ「なつぞら」でも過去の朝ドラ主演者を大挙して出演させたり、北海道篇では草刈正雄が立役者となった。オーディションから選出するキャストという時点でその人物に視聴率は求めていない。次々回の来春スタート「エール」でも視聴率を求められたのは窪田正孝であって二階堂ふみではない、と思う。以上のように思うのだか、とにもかくにも、せっかくオーディションしたのに二階堂ふみ。という結果は視聴者やオーディション参加者には残念なことだと思える。とはいえ、主役はもちろんだか、脇役にもオーディション参加者は多数出演するので、脇で出演するであろう新人美人女優に注目したい(笑)
2019.06.09
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「情熱大陸」に乃木坂46の齋藤飛鳥が出演とのことで、録画して見た。乃木坂46の一期生とは知らなかったが、一期生の中で最年少だったかもしれない。AKB48の一期生の峯岸みなみと大きく違うと思えたが峯岸は1992年生まれの26歳、乃木坂46の白石麻衣も1992年生まれの26歳。これには驚いた。齋藤も峯岸も158cmと同じ身長。似ているところと違うとろこがあるなぁ、とみた。それにしても、乃木坂46一期生の年長者の陰に隠れていた子供がハイティーンから徐々に頭角を現し20歳をむかえた今、「情熱大陸」にも出るようになってしまった。センターとしての自覚がまだまだのようであるけれども、乃木坂46のアジア進出の旗印となるべくミャンマー人と日本人のハーフである齋藤には期待がかかるようである。小顔で長くびの斎藤は小柄ながらモデルでも活躍する。小さすぎてモデルとは比肩できなかった板野友美(154cm)とは違い、パーツの比率は抜群のようだ。白石麻衣だって高そうに思えるが162cm。女性平均身長が158~159cm、齋藤飛鳥が平均身長と同じで、白石麻衣がわずかに高いくらい。雑踏にいると埋もれてしまうかも。学校に行かなかったという飛鳥の幼少時代を思うと、人前に出ないことはとてもアイドルらしからぬ性格だと思えるが、団体よりも一人を好む最近の若者の傾向からすると今だからこそありえるアイドルなのかもしれない。齋藤飛鳥、さらなる飛躍はどこまで行くか!!乃木坂46齋藤飛鳥
2018.12.10
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菅井きんさんの訃報を聞いて、ショックだった。もちろん高齢だったのは知っているし、最近さっぱり見なくなっていたので、いきなり思い出した感じがした。とはいえ訃報。とても寂しく、悲しく、昭和はますます遠くなってしまった。菅井きんさんといえば、「必殺シリーズ」!『ムコ殿!』のセリフもほどほどきつく勇ましく、凡庸な婿になりすましていた主水(藤田まこと)の母親役であったから、藤田まことがそれなりの年齢で(2010年に)なくなっていたので、相当な年齢かと思われた。享年92歳。「必殺シリーズ」で知った菅井きんであったが、後年、映画ファンになってからは「生きる」での演技が印象的であった。私としては「必殺」と「生きる」しか頭になく、映画「大学の若大将」や「キューポラのある街」「天国と地獄」「砂の器」「復讐するは我にあり」「お葬式」「ハチ公物語」「あげまん」「深い河」など菅井が出演している作品を見ているが印象としてはなぜか残っていない。市井に生きる、ふつうのおばちゃんが似合っているひとだけにふつうの役では記憶に残らなかったのかもしれない。菅井さんを思いだすと、なぜか東野英治郎さんを思いだす。そう、テレビの初代の水戸黄門役の人だ。どちらも俳優座に在籍し、不細工な女とブサイクな男。どちらも身長が高くなく、庶民の役が似合いそうな感じである。いまどき彼女たちのようなフォトジェニックでない役者は映像に表れないんだろうなぁ。(美男美女がドレスダウン、メイクダウンして演じている気がする。でなければ芸人を使う。)菅井きんさん、脇役としての俳優人生を歩きとおした稀有な女性である。2018年8月10日にご逝去。ご冥福をお祈りいたします。
2018.08.26
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津川雅彦さんが亡くなった。私が敬愛すべき役者であった。初めてスクリーンで見たのは、「昭和残侠伝」シリーズであるのだが、作品がなんだったのか数本見ているのでわからない。大阪・朝日座での特別興行で昔の作品の三本立てのうちの一本。見た順番でキャスティングをネットで探してみると、どうも「昭和残侠伝・血染の唐獅子」だと思われる。ただ、山城新伍や梅宮辰夫と絡みがあった気がするのだが、この作品に梅宮辰夫の名はない。違う作品なのか?兄弟である兄の長門裕之と人気を争ったようだが、兄よりも評判をよんで持ち上げられることを避け、一時出演をひかえたと映画歴史本に書かれていたが、実際そのようなことがあったのだろう。兄の長門がひがんだり、ジェラシーを感じたのは事実のようである。誰に言われたわけでもなく、兄を敬い津川自らそのように処したと思われる。とはいえ、兄も人気が出て主役級になると津川も臆することなく活躍するようになったと思われる。さて、私が初めてスクリーンで見た津川は奇才を放っていた。主演の高倉健を凌駕するほどに光り輝く芝居を見せ、見る者(私)の目をとらえて離さなかった。それからは天性の役者ぶりを感じながらあらゆる作品を見た。映画作品としては「時代屋の女房」「お葬式」「ひとひらの雪」「たんぽぽ」「マルサの女」「別れぬ理由」「永遠の1/2」「マルサの女2」「あげまん」「天と地と」「幕末純情伝」「ミンボーの女」「墨東奇譚」「大病人」「午後の遺言状」「必殺!主水死す」「スーパーの女」「私たちが好きだったこと」「マルタイの女」「おもちゃ」「愛の流刑地」といったかんじ。2000年以降は私自身の映画鑑賞数が減ってほとんど邦画は見ていない。とはいえ、監督作である「寝ずの番」は見ている。意欲作ではあるが、太鼓判を押せるほどの作品ではない。でも、おもしろかった。兄、長門に子はなく、娘、真由子が独身であるので、映画に貢献してきた奇才・天才の家系が途絶えてしまうのは悲しい気がする。日本映画界にその名を残した映画監督マキノ雅弘の父マキノ省三(日本映画の父)から代々活躍してきた家系。沢村貞子や加藤大介という名優を輩出し長門裕之、津川雅彦という兄弟に伝わった芸達者の血。配偶者を入れれば、南田洋子、朝丘雪路はもちろん、藤原釜足(沢村貞子・夫)、轟夕起子(マキノ雅弘・妻)たちや、兄弟の父、澤村國太郎(4代目)という大スターもいる。華々しいかぎりである。それだけに後継者がいないことが残念だ。私が心酔した奇才、津川雅彦さんの死に驚きつつも、お悔やみを申し上げます。合掌。
2018.08.11
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日本映画の最高傑作というものであれば、迷うことなく、この一本を選ぶ。「砂の器」。上京して、東京砂漠という、人間の許容範囲を超えたメガロポリス(大都市)において、首都にある名画座として君臨していた、いや、人気を博していた文芸坐で、この「砂の器」を見た。それまで見たどの邦画も、いや、洋画においてさえ、このように緻密で非の打ちどころのない筋立ての巧みなものはなかった。加えて、慟哭(どうこく)を禁じ得ない胸打つクライマックスは観客をノックアウトし、涙にむせび、席を立つことができないほどのものであった。いまだ、この作品を超えるものに出会ったことはない。それは、原作者・松本清張をして『原作を超えた』と言わしめた、この作品の完成度であり、その脚本を手がけた橋本忍と監督・野村芳太郎の力量であろう。かくして、橋本忍と野村芳太郎が私の記憶に深く刻み込まれた。さて、その橋本忍が亡くなった。享年100歳。ちょうど一世紀を生きたということになる。彼の手ほどきを受けた人の中に山田洋次がいる。いわずとしれた寅さんシリーズの監督であり、脚本家である。橋本忍は伊丹万作に師事し、山田洋次に受け継いだが、山田洋次は誰に受け継がせるのであろうか。黒澤明と組んだ橋本忍が亡くなり、日本映画の全盛期は、またひとつ遠くなってしまった。
2018.07.21
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「細うで繁盛記」に星さんが出演しているとばかり思っていたが、「新・細うで繁盛記」にだけ、出演していたようである。甘く凛々しい二枚目の本郷功次郎の相手役だったような記憶があるのだが、ただ、本郷功次郎は”新”には出ていないようなので、子供の頃の記憶とはあてにならないというか、それとも何か他の番組で共演していたのだろうか。とはいえ甘く清らかな感じのする星由里子はとてもとても素敵で後年見た”若大将シリーズ”の彼女は、彼女にしたいナンバー1の女優だった気がする。あこがれの女性であった星由里子は再婚によって、花登筺と幸せな家庭を持ったと思ったけれど、花登筺の訃報に愕然となった記憶がある。その後の再再婚においては、知らなかったけれど、看取ってくれる旦那がいたことはよかったと思える。彼女の死によって、”科捜研の女シリーズ”で沢口靖子の母が出なくなると思うと悲しいかぎりである。西城秀樹に続き、幼少期のアイドルが亡くなってしまって、驚き、かなしみが増した。ご冥福を祈ります。
2018.05.20
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私が小学校5年生の時、おませだったのか、月刊の明星、平凡を買って、ふろくの歌詞ブックを手に歌謡曲を熱唱していた。男性アイドルは郷ひろみ、女性アイドルはアクネス・チャンが筆頭だったように思う。しかし、私は女性は桜田淳子、男性は西城秀樹だった。西城秀樹の熱唱する姿に私自身も熱唱し、ホームルームかなにかでクラスみんなの前で歌い、翌年には「薔薇の鎖」のスタンドマイクパフォーマンスを取り入れて披露した覚えがある。続く「激しい恋」「傷だらけのローラ」「この愛のときめき」と私の中での絶頂期をきわめ、次に聞き覚えがあるのは「ブーメランストリート」「ブーツをねいで朝食を」「ブルースカイブルー」となる。そして、いま追悼番組やニュースで流れる「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」である。まさしく、秀樹、感激!である。「ギャランドゥ」あたりまでが第一線で活躍されていたのではないかと思う。その後も新曲は出されていたようだ。私が一時期、ディナーショー通いしていた頃に、一度、秀樹のディナーショーを高輪に見に行ったことがある。ファンとの距離を近くもち、ステージから降りて握手をしてくださった、その手の温かさと柔らかさがとても印象に残っている。人柄そのもの、とてもやさしく素敵な方だった。テレビ番組では「寺内貫太郎一家」はかかさず見ていたが、後年のNHK朝ドラ「つばさ」に出演されたときは驚き、感嘆した。病とリハビリの中、日々生きていっていると思っていたので、突然の訃報にショックを受けた。私がデビューをリアルタイムで知っているスターであり、アイドルの初めての訃報であると思う。とてもとてもショックであった。ご冥福を祈ります。
2018.05.20
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映画なら、スピンオフなり、なんなりと見なければ、と思いレンタルして見る。見てみると、ぜんぜん映画じゃなかった。予告編でも、ダイジェスト版でも、何ものでもなく、「-結び-」へ続く、経過情報。本当につなぎ。これを映像化する意味があるなら、結びにくっつけて、ながーい長編映画にするか、さもなくば、何かの作品に+α、カップリング作として、映画の作品部分だけを30分程度で上映すべきだったのではないだろうか、と思ったりした。とはいえ、この「-繋ぐ-」を見なければ、原作を知らない私は「-結び-」を楽しめないと思った。
2018.03.18
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RIRIKO/その未来へ MUSIC VIDEO(FULL SIZE) (TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』OP主題歌) クジラの子らは砂上に歌うRIRIKO/その未来へ MUSIC VIDEO(FULL SIZE) (TVアニメ『クジラの子らは砂上に歌う』OP主題歌)
2017.11.05
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大相撲、2連敗した稀勢の里が大方の予想を覆し、照ノ富士を本割、優勝決定戦と続けて破り、13勝2敗で先場所に引き続き優勝した。新横綱が優勝したのは貴乃花以来22年ぶりとのこと。まさか稀勢の里が勝つなんて思いもしないで、千秋楽だからとテレビ中継を見ていた。見ていて驚いた。誰もが勝てないと思っていた稀勢の里が勝って13勝2敗にて同星にて優勝決定戦に進んだ。奇跡だ!人間諦めちゃあだめだと思ったね。すごかったね、歓声と拍手が。私もテレビの前で大拍手!!!!!そして、優勝決定戦。五分五分だなと思えど、それでもやや不利かなと思えた稀勢の里の落ち着き。横綱の貫録としかいいようがない。昇り竜の勢いというか、力強さというか。こんなにも稀勢の里が強かったとは。けがを長引かせないように休場ということも考えられたのに、強行出場して、連敗してもくじけず優勝を諦めなかった。すごい、すごすぎる!おめでとう!稀勢の里。これで人気が大人気になったね。期待もますます大きくなるだろうけれど、私も来場所の活躍を期待する。本当におめでとう!!
2017.03.26
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目力で評判のSKE48の人気メンバー柴田阿弥(23)が24日、グループ卒業を発表したとのこと。ショック!ショック!!SKE48メンバーの卒業が多いのには驚かされるけれど、昨年の松井玲奈の卒業と同じくらいびっくりした!!学業優先がうまくいかず留年を重ね、今年こそは大学卒業をと意気込んでSKE48の活動を自粛、総選挙も出馬しないと言っていたのに・・・、大学を卒業して戻ってきたら応援しようと思っていたファンも多いだろうに、残念。しかし、彼女はとても愛くるしいからひとり立ちしてもやっていけると思う。がんばれ!!
2016.06.24
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昨日ザッピングしてたまたま「乃木坂工事中」を見た。15THシングルの選抜の発表・・・。齋藤飛鳥、押し。ポチッ、と。
2016.06.06
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とうとう、とうとう亡くなった、原節子。9月5日に肺炎で亡くなっていたとのこと。今の時代、二か月半もニュースにならなかったなんて、稀有なことだ。病院で亡くなったとのことだが、病院関係者、親戚一同、皆、口が堅いと言える。ではどこからわかったのか?そんな詮索はやめにして、ご冥福を祈りましょう。合掌。
2015.11.25
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川島なお美さんが死去した。突然だ、突然すぎる。彼女のやせ過ぎ、がん闘病の発表とあり、三か月も持たないと思っていたら、ひと月も過ぎぬまま、帰らぬ人となった。若いころ、学生時代だが、雑誌GOROの表紙を飾った雄姿を鮮明に覚えている。思い返してみると、グラビアアイドルなき時代のグラビアアイドルだったのではなかろうか。一世を風靡したアグネス・ラムのあと、これといった人はいなかった、と思う。川島なお美以外にGOROの表紙を飾った女性を覚えていない。グラビアアイドルではないが夏目雅子も同時代だと思う。川島なお美に匹敵する女性を考えていたら、斉藤慶子を思いついた。同じ事務所で同い年。交流はあったのだろうか。(なかったように思う)事務所は太田プロ。バラエティに強い事務所という印象がある。体調不良で舞台を降板したが、舞台をいくつもこなしているところからすれば、女優であったのかもしれない。舞台も知らず、ドラマ・映画も話題となった「失楽園」しか知らず、それさえも満足に見ていない私は、川島なお美のファンではないのかもしれない。しかし、若い時、雑誌媒体における彼女の存在は絶大であり、かなりのファンがいたように思う。テレビ「アイ・アイゲーム」の彼女も覚えている。川島なお美がマスコットガールとしてアシスタントをしていたことは衝撃だった。彼女以外のアシスタントは覚えていない。歌手もやったようだが、その活動は全く知らない。名もない仕事をやってきて、テレビ帯ドラマの主役までこなすようになった彼女は立派だと思う。役者に強い事務所にいればもっと女優業が出来たのではないだろうか。バラエティでしか彼女を見なかった。遺言で夫に一緒の墓に入りたいから、再婚しないで、といったようだ。彼女は愛することより、愛されることを望んだのではないだろうか。まだまだこれからやりたいことがあっただろうに。残念、無念である。ご冥福を祈ります。
2015.09.25
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倉持明日香が8月17日のAKB劇場公演にて卒業する。ユニットのフレンチ・キスも解散してしまうのだろうか。AKB48に数々あったユニットも卒業→解散となっていき、フレンチ・キスがなくなるとノースリーブスだけになってしまう。残念だな。ところで。昨日放送の「AKB48SHOW」では、珍しく歌が揃っていた楽曲があった。NMB48の4人(岸野里香、古賀成美、西村愛華、山口夕輝)で披露した「この世界が雪の中に埋もれる前に」。見栄えもガーリッシュでお姉さま系でふつうにアイドル・ユニットとしていける気がした。DIVAやNot Yetのように売り出せないのかな。NMB48でロリコンでなくお姉さま好きなファンが食いつくと思うけど。
2015.07.19
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今、ヤフーを見たら、たかみなの卒業発表が載っていた。びっくりした・・・めちゃいけの悪ふざけを先週テレビで見たばかりだから。本当なんだね、1年後に卒業とのこと・・・。そして、次期監督の発表も・・・横山結衣。横山、だいじょうぶか?出来る人間は損な役回りばかり、やらされる。マリコ様からのバトンを受け、キャプテンに。そして、たかみなから総監督バトンを受け・・・。横山以外、誰かと言われると・・・困るけど、横山の卒業は当分無くなったね。がんばれ、横山結衣。
2014.12.08
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梅ちゃんことNMB48の梅田彩佳が「ウィズ」のドロシー役に決まった!AKB48の田野優花とのダブルキャストとのこと。梅ちゃん、いろいろと苦難を乗り越えてAKB48に残っていたのに、NMB48に移籍ということになって、どうなんだろうなぁ・・・と心配をしていた。テレビで見る機会は少なく、その動向を気にかけていたのだが、ミュージカル「IN THE HEIGHTS」に出演していたし、DIVAのメンバーは舞台が得意なのかな、なんて感じていた。その矢先。年齢的にはドロシー役は難しいかなと思っていたので、正直びっくり!梅ちゃん25歳、田野ちゃん17歳・・・。でも、ルックス的には一番ドロシーのような気がする。実力を認められてのドロシー役、健康に気をつけて、頑張りましょう!!梅ちゃん、ファイト!!
2014.10.23
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いやー、びっくり!とうとうNMBでも卒業が出ましたか。主軸を担ってきた者での卒業はなかったNMB48。最年長とはいえ22歳。AKB48でいえば、まだまだやれる年齢かもかもと思えるが、1年ほど前から考えていたんだろうなぁ。ちょうど大学生が社会人になる年齢。今までの経験を活かして、後輩たちのために行く先の道しるべとなってくれよう。がんばれ!山田菜々!!
2014.10.15
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李香蘭こと山口淑子さんが亡くなった。94歳だそうな。数奇な運命をたどった女性で、李香蘭として女優で大活躍をしたという。その半生は彼女の自伝と自伝を基に戯曲化されたミュージカルに表出している。ミュージカル「李香蘭」は劇団四季の専売特許だ。主演・野村玲子で上演された舞台をずいぶん前に見た。とても素晴らしく輝いた舞台だった。野村玲子なくして舞台・李香蘭はなしと思える会心の出来映えだったと思う。歌舞伎ならば追悼公演なんてあるんだろうけど。劇団四季が「ミュージカル・李香蘭」を上演してくれる日は来るのだろうか。彼女の名声は晩年、政治家になってからも何度かきいた。素晴らしい人物であると思う。彼女の訃報をきき、謹んでお悔やみを申し上げる。合掌。
2014.09.14
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何かと忙しく、テレビドラマをビデオにとっては溜めてしまっている。「ルーズヴェルトゲーム」も先週3週分3時間かけて一気見て、最終回だけ残していた。約一週間遅れの鑑賞。全体的には良かった。いろいろどんでん返しもあって、楽しめた。香川照之の顔芸が話題になっていたので、見るのが楽しみだった(笑)野球賭博といえば、聞こえは悪いが、賭けの対象として、良い結果と思える大逆転劇を用意していたところは大変良かったと思う。イツワ電器のピッチャー如月が悪役から人間味を覗かせ、悪役度を弱くしたところは残念だったかな。最後まで悪役でいてほしかった。変に人情味を感じさせてほしくなかった。作品に関してはいろいろと意見、感想があるだろうけど、私の大好きな人に注目してみたい。ジュディ・オングである。テレビで見るのも久々でドラマで見るのは何年ぶりだろう。その昔、といっても大昔といえる(?)かれこれ40年ほど前、私はジュディに魅せられた。大きな瞳、ぷっくらした唇、美しい肌。小柄ではあるがおよそ時代劇には似合わないはっきりした顔立ちの美人。中村敦夫との夫婦役だったから、「木枯し紋次郎」ではない何か・・・と思っていて、ずっと確かめずにきたけれど、今回ネット検索してみた。子供心にジュディに恋心をいだいた作品は「おしどり右京捕物車」のようだ。私は美形好きなので、美人さんのジュディに魅せられはしたけれど、追いかけになるわけでもなく、記憶の隅にとどめるだけだった。その後、ジュディに注目したのは歌手として「魅せられて」を発表した時だ。映画とは直接関係のないイメージソングが大ヒットを起こすなんて誰が予想できただろうか。イメージソングがこれだけヒットしたのは後にも先にもこの曲「魅せられて」だけじゃないだろうか。エーゲ海をイメージし、その街並みや白い雲を彷彿させ、天使の羽のような衣裳。話題になったね。後年、伊豆のジュディオング資料館で当時の衣裳を拝見したことがある。「魅せられて」がヒットした頃、ちょうどハリウッド映画「将軍 SHOGUN」のヒロイン役のオファーがあり、レコード大賞が獲れるかもしれないということで所属事務所やレコード会社などの意向を組み、泣く泣く断ったことがあった。その後、ヒロイン役は島田陽子に決まり、大ヒット。ジュディとしては残念なことだっただろう。どんなにこの映画に出たかったことか。(正確にはアメリカのテレビドラマで、映画用に編集されて映画公開したもよう)「魅せられて」の大ヒット以降は、その歌い手として引っ張りだこだったが、年月とともにしだいに表舞台(マスコミ)からは消えていった気がする。次に私のアンテナに引っかかった時はジュディは版画家になっていた。すでに版画家としては長くやっていたようだが、20年ほど前に初の個展をし、この方面でもファンを獲得していったようだ。私がジュディの舞台を見たのは一度きり。今から10年ほど前、国際フォーラムであったデビュー〇〇周年記念コンサート(40周年だったのかな)で「魅せられて(2004 Version)」という曲なども歌っていた。席は下手最前列付近で、舞台全体は見ずらい位置だったけれど、間近にジュディを見ることができ、彼女の美しさに打たれた。披露された曲はどれも素晴らしかったけれど、中国語(だったと思う)で歌った「何日君再来」がとってもとっても素晴らしかった。素敵だった。ジュディの美しさは色あせることなく(さすがに若さはないけれど)、華やかで素敵である。今回のドラマでの役、夫の後を受けての大企業の辣腕美人女社長は美しさと気品をまとい、みごとであったと思う。彼女の艶姿を見て、彼女の美声を聴きたくなった。ジュディ・オング、大好き!!Judy's World ジュディオング公式サイト
2014.06.28
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こんにちは、フィニーです。呼び名をどうしようかと思い、考えましたが、とりあえず懐かしいこの名前フィニーにしました。今日、ブログのタイトルを「マイライフ・マイシネマ」から「マイライフ・マイシネマアルカディア」にかえました。アルカディアとは桃源郷(ユートピア)のことで、昔のアニメ「キャプテン・ハーロック」の船、アルカディア号でアルカディアという単語とその意味を初めて知りました。アルカディアは私にとってかけがえのない名です。さて、昨日「AKB48 37thシングル 選抜総選挙」開票と発表がありました。速報を見て、とてもじゃないが、まゆゆはさっしーを抜けないと思っていましたが、”AKB48選挙に連覇はない”の言葉通りの結果となり、ちょー驚きました。今回の驚きはこのまゆゆ一位とにゃんにゃんの卒業は・・・まだよ発言と川栄の登場ですかね。さてさて、今回メンバーとファンと野次馬の熱い想いを見てみて、一言二言書きたくなったので、書いてみます。まずは、一位のまゆゆ。渡辺麻友159,854票。過去最高の得票数だとか。まゆゆが優勝するなんて、本当ビックリです!前回選抜入賞者のゆうこ、まりこさま、ともちんの票が誰に流れたか、で結果が大きく左右されたと思うけれど、5万票以上上積みしたまゆゆはすごいとしかいいようがない。速報でのさっしーとの大差を抜けるとはおおよそ考えられなかった。さっしーと違い、王道アイドルと言われるが、はたしてそうなのだろうか。かわいくはあるけれど、スタイルがいいわけでなく、ダンスも苦手で歌もふつう。王道・正統キャラだけで、特筆すべきものがない気がする。今回1位になったけれど、連覇を目指す意味でも、アイドルとして大きく成長してほしい。伝説のアイドル山口百恵が引退したのは21歳の時。スタイルが良くなく美形には程遠いが、雰囲気と歌を聴かせる魅力があった。芝居もうまかったな。まゆゆにも今までにない何かしらすごい魅力を身に着けてほしいと思う。ゆうこはダンスが得意で芝居も熱心、すっぴんがとにかくかわいいというものがあった。さっしーにあるバラエティ力、プロデュース力を越える何かをまゆゆは兼ね備えてほしい。今後、まゆゆがソロで歌を唄うならば、「まちぶせ」や「卒業写真」や「木綿のハンカチーフ」や「みずいろの手紙」や「春なのに」や「いい日旅立ち」なんかが歌えるといいなと思った。さて、2位となったさっしー。指原莉乃141,954票。昨年より9000票以上少なかったのはなぜ?さっしーより押しメンを変更した人がいたのだろうか。バラエティに強いさっしーゆえ、東京と博多に地盤を持ち、全国的知名度は言うに及ばず、まゆゆに一位を明け渡すと思えなかったが・・・。思うに昨年、矢継ぎ早にさっしーMCの番組が放送され、そのことがHKT48躍進の一翼を担ったと思うのだが、この春には「HKT48のおでかけ」以外は終了してしまったという事実がある。(”いいとも”も終わったし)総選挙を前にメディアへの露出が減ってしまったことは痛かっただろうし、HKT48の躍進をみるとさっしー票が他のHKT48メンバーに流れてしまったとみることができるかもしれない。2位とはなってしまったがJOKERとしての八面六臂の活躍を期待したい。ゆきりん、3位なんだよなー。柏木由紀104,364票。まゆゆ、さっしーに及ばないが、盤石の10万票。昨年より7000票以上の上積み。ワンマンライブで一万人を集めた力は嘘ではない。電撃のNMB48兼任だが、NMBにてファン拡大すれば、2位、あるいは1位もありえるかも。「Birthday wedding」を聴くとこれこそアイドルに歌ってもらいたい曲のような気がする。スタイルも良く、かわいくもある。アイドル王道をいっているのはゆきりんかもしれない。松井珠理奈90,910票。じゅりな、単独4位。単独と書いたのは3位に14,000票、5位に21,000票離れていて孤立しているから。1位宣言は気概を感じたが、まだまだ実態がともなっていない。じゃんけん大会でのセンターもどれだけ寄与しているのだろうか。10年にひとりの逸材だと言われているが順調に育っているのだろうか。ダンスのうまさの評判はきくが、歌は?芝居は?彼女の目指す先には何があるのだろうか。SKE(AKB)に入った時は華奢でとてもキュートだった。成長するにつれ華奢さがなくなり、かわいさも薄らいでいる気がする。ならば、女性の美しさを身につけていっているか。じゅりなには力強さを感じる。その力をセンターとしての美に昇華してほしい。松井玲奈69,790票。今、もっとも応援したいれな。乃木坂46にいって何のメリットがあるのだろうか。まぁ、パキパキ踊るのではなく、しなやかに踊ることを勉強したらしいけれど。かすみ草といっているが、なでしこのような気がする。なでしこジャパンのなでしこである。芯が強く、決してあきらめない。肌の色の白さは特筆すべきで、たおやかさを感じる。彼女にはたおやかな女性であってほしい。SKEではじゅりなとともにツートップとして語られるが、彼女は彼女の道を行くべきである。和服の似合う女性として、AKB48グループのトップに君臨してもいいんじゃないかな。もち洋装でもトップでいいと思う。がんばれ、れな。山本彩67,916票。さやねえ。ギターソロができるのは素晴らしい。YUIとは違うんだろうけれど、女性アーティストとしてギター片手にがんばってもいいんじゃない。それにしては彼女の肩にかかる重荷は大きすぎる。NMB48の顔であり、キャプテンである。NMB48の浮沈は彼女ひとりにかかっているような。NMB48で大変なことは他のメンバーにまかせて自身がもっと羽ばたけるようがんばってほしいなぁ。ゆきりんもきたし、分担してもいいのかも。島崎遥香67,591票。ぱるる。昨年より1万票を上乗せ。ぱるるのコメントは全く駄目だった。徳光さんも声をかけないくらいだから。やる気がないんだったら、AKB48を卒業すれば、なんて思う。握手会塩対応を本人が肯定してどうする!?と思った。まりこさまのお墨付きの困り顔はやめた方がいいと思う。自分らしさをなくさないことは良いことだけれど、人に対して悪い印象を与えるのであれば、工夫したほうが絶対いい。昨年卒業したともちんの票を取れればベスト3も可能だったのに、こんなぱるるじゃ神7の資格ないと思う。ファンを大切にしてください。小嶋陽菜62,899票。にゃんにゃんの卒業?コメントにはビックリした。本当驚いたということですが、卒業予定宣言であったわけなので、AKB48が一日も早く明るく元気なグループと活動し、にゃんにゃんを卒業させてあげてほしいなと思います。ただ、にゃんにゃんが卒業するとモデル部門が誰もいなくなっちゃう?高橋みなみ57,388票。みなみ。「努力は必ず報われる」。彼女の努力はいつ報われるのでしょうか。いや、もう報われているのでしょうか。新たな努力が始まっているのか・・・。AKB48を始めた日から、これほど巨大になるとは思わなかっただろうに。HKT48躍進で地方が活性していくことは良いと思います。しかし、JKT48やSNH48はカヤの外?いやそのことまでみなみに背負わせるのは酷かな。須田亜香里48,182票。あかりん、というより私的にはだーすー。「ひとみの中のセンター」の名言は感無量です。彼女のあかるさ、がんばりには目を見張るものがありますが、でしゃばっている感じが強く感じられ、それが視聴者の嫌悪感となっているんじゃないかと心配します。実は私もこの頃嫌悪感感じてしまって。出るだけじゃなく引くことも覚えると印象良くなると思います。(引くことで前に出る、印象を残す)宮脇咲良45,538票。さくら。九州、鹿児島の星。子役出身ときくとゆうこを想起します。瞳の大きさ、かわいらしさ。さっしーがライバルだけでなく、ゆうこ以上に大きく育ってください。宮澤佐江44,749票。さえ。SKE48との兼任となった彼女。心中複雑だろうなぁ。AKB48兼任がダメならSKE48兼任、なんて大人の策略?しかもリーダーとなってしまったなんて。SNH48で活躍したいはず。それがかなわない現状って?彼女と彼女のファンに頭が下がる思いです。横山由依40,232票。ゆいはん。唯一順位が移動しなかった。ランキングが落ちるのは嫌だけど上がらないのものね~。いや、上位3人が卒業したのだから、実質3つさがっているってこと?キャプテンになってから、露出が減ったのかな。生駒里奈40,089票。いこまちゃん。乃木坂46の力でしょうか。乃木坂ファンが大挙して投票したのでしょうか。乃木坂メンバーもサポートしてくれたそうですし。当初乃木坂のセンターだったんだけど・・・ずっとセンターでも良かったんじゃないかな。AKBも乃木坂も不動のセンターがいないというのは、嬉しいことなのか、悲しいことなのか。いこまちゃんにとっては巨大グループに入るわけだし、願っても入れなかったAKB48に身を置くわけだし、いっぱいいっぱい吸収してほしい。柴田阿弥39,264票。あやちゃん。昨年は39,734票。15位に上昇したけれど得票数は減った。それは、上位陣に票が集まったのと多数にばらついたということか。順位が上がって嬉しかっただろうけれど、気づけば票数減っている、ってことを自覚して、どのようにファンを維持、増強していくかを思考していかなくっちゃね。川栄李奈39,120票。ばかえい、いえ、かわえいです。昨年26,764票。選抜メンバー抜擢。欠席とニュースがあっただけにあんにんの電話の後での登場にビックリ!!!!!本当に驚きました。一段とかわいくなっていたことにも驚きました。おかしなところはあったけれど、りっぱに素晴らしいコメントを話したことは感心しました。進歩であり、成長だと思います。勉強ができなくっても立派な人間はいるといえる存在になってください。選抜入りおめでとう!!!以上選抜メンバー16位まで書いてきました。選ばれた80名全員にコメントを書こうと思いましたが、疲れました。これにて終わりにします。最後に、私が投票した人に関して、書きます。私が投票したのははるごんです。昨年は立候補しなかったのに、今年は立候補しました。JKT48の仲川遥香です。80人の中に入っていなかった。思うに、日本のメディアへの露出はなかったし、選挙活動もあまりしなかった結果だと思われます。国立競技場でのライブを見に来ていたけれど、舞台に上がらなかった。せっかく来ていたのなら勇姿を見せてほしかった。ひとこと声が聴きたかった。GOOGLE+の書き込みが足りなかった。ほとんどなかったといえます。TwitterやFacebookやInstagramという新しい方法ではどのくらい書き込んでいたかはしらないけれど。JKT48で活躍する彼女を遠い異国の国の出来事になってしまっている気がします。日本とインドネシアの架け橋になるアイドルではありませんか。もっとフィーチャーされていいと思います。
2014.06.08
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NHK来春朝ドラの脚本は篠崎絵里子が担当との発表があった。オリジナルで描くようだが「純と愛」のような作品にならないよう願いたい。彼女は映画「ガール」「あしたのジョー」とエンタテイメント性に富んだ作品を手掛けているので大丈夫だと思う。石川県でパティシエを目指す主人公となるとのことだが、石川県出身の世界的パティシエ辻口博啓が指導するとのことなので、期待できる。なお、ヒロインは8月を目処にオーディションとのこと、愛くるしく元気な新人を望む。
2014.04.24
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あやりんこと菊地あやかが卒業した。本日のAKB48劇場公演が最後だった。クビになったあと、研究生オーディションからやり直し、正規メンバーになり選抜に選ばれなくともがんばってきたあやりん。ルックス、スタイルでいえばAKB48ではめずらしく綺麗。だ、か、ら、卒業となったけれど、専属モデルに決定!!!!!女性ファッション誌「MAQUIA(マキア)」の6月号から登場!!目指していたモデルに成れて、良かった、良かった!!AKB48では不遇に辛い思いをしただろうけれど、新しい旅立ちに栄えあれ!がんばれ!あやりん!!
2014.04.21
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グリコのパピコのCM用にと企画された大人AKB48。AKB48というにもかかわらず、選出されたのはひとりきり。TOYOTAのAKB48 Team8とは真逆のようなイベント。注目度、話題性ともに大人AKB48の圧勝のような気がする。見た目綺麗な塚本まり子さん。二児の母ということだけど、子供は小さすぎて事の次第がわからないくらいのようなので、子供関係は大丈夫にしても、旦那をはじめ親戚関係が大変そう。今日なんか電話、メール殺到で、友達関係からもコンタクトの嵐で大変なんじゃないかな。短期間の活動なので、誹謗中傷などなく、あたたかく応援してあげてほしいと思います。綺麗な方だけど、小っちゃいね・・・さすがAKB48。あと声が綺麗なのかな。かわいらしくすきっとした声音。いいかんじです。大人AKB48メンバー
2014.04.17
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菊地あやかがAKB48からの卒業を発表した。小さい人たちが多いAKB48の中ではスタイリッシュで大きく見えたが、160CMの身長は大きくもない。モデルなどやりたいそうだが、はたしてうまくいくだろうか。AKB48ではプリクラ事件で一度解雇されて、その後、再び研究生オーディションからやり直したから、みごとというか、AKB48愛は人一倍ですごいとしかいいようがない。そんな彼女をひきたてもせず、この前の大組閣でNMB48へ左遷しようとしたのだから、運営の考えていることはめちゃくちゃだ。そんなグループから出されるくらいなら、自分から辞めてしまおうというのもむべなるかな。運営は本当にメンバーの事を親身になって考えてほしい。NMB48への移籍辞退の時点で、彼女は辞めてしまうのではと思えたので、今回の突然の発表も驚きよりはやはりそうか、という思いが強い。彼女の卒業を思いとどまらせることができなかった運営の責任はあるのか、ないのか。そもそも出処進退は誰に決められるものでもなく本人が決めるべきものだから、本人が辞めると言えばそれまでなのだが、そういう思いにさせた運営は運営方法を熟慮再考すべきではないだろうか。20歳での卒業。早い気もするが、やり直すという年齢でなく、いよいよ社会へといえる年頃だ。何の道に進むにせよ、飛躍してほしいと願う。がんばれ!あやりん!!
2014.04.13
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れいにゃんが主演する映画が20歳のバースディに公開される。というニュースをネットで見たので、お知らせ~です。AKB48のチームBにいて、TVなどにイマイチ露出が少ないけれど、斬りあがったくっきり瞳はス・テ・キです。注目してくださいな。「藤江れいなMOVIE☆FESTIVAL」藤江れいなオフィシャルブログ「Reina's flavor」Powered by Ameba
2014.01.07
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日テレ「Woman On The Planet」の番組でハリウッド・デビューを目指していた高田里穂が「リッキー2」という作品のヒロイン・オーディションに合格した。とても美しい彼女なのですが、ハリウッド・デビューかなわず、日本へ戻ってくる結末になると予想していただけにこの決定に衝撃を受けました。どんな作品に仕上がるかはわからないけれど、プロフィールにきちっと載せられるようなしっかりしたものにしてほしいです。ハリウッド・メジャー作品に主演しても(ヒットせず)コケて、日本にもどってきた女優もいるので、ぜひとも成功をおさめてほしいです。これからの彼女に注目していきたいです。「Woman On The Planet」
2013.12.29
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テレビでだけれど、メジャーリーグのワールドシリーズ最終戦の終了を生中継で初めて見た。時差や平日ということもあり、いままで一度も見ることはなかったけれど、見てみて感心した。レッドソックスが勝ったことも素晴らしいけれど、解説などであったように今年の上原は良かったらしい、それもとびきりの出来とのこと。試合終了後、インタビューにて本人も「こわいくらいよかった」と言っている。上原の息子のカズが評判らしい。上原と帯同し試合前の準備運動を一緒にして、ファンにも有名になったらしい。勝利インタビューにも上原と一緒に答えていた。日米の野球の違いというよりも文化の違いがかなり見受けられた。まず、勝利してもバンザイはない。優勝したナンバーワンを示す人差し指をつきさしあげるだけ。胴上げもない。皆それぞれにハグしまくる。選手だけでなく球団関係者、選手たちの家族がダイヤモンド(内野)に集結する。整列などすることなくわちゃわちゃともみくちゃになっているマウンドに集結している人々(選手、球団関係者、家族、マスコミ等)を捨て置き、粛々とというより勝利の歓喜の渦の中で、どんどんセレモニーは進行する。日本とは全く異なる情景にビックリするとともにとても感心して見た。優勝おめでとう!レッドソックス!おめでとう!上原投手!おめでとう!田沢投手!
2013.10.31
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今、ネットを開いてびっくり!!ジュリアーノ・ジェンマが亡くなった。交通事故死。車での正面衝突だという。近年はさっぱり見なくなったと思っていたけれど、彼の遺作となった『ローマでアモーレ』はたまたま見ている。しかし、どこに出ていたのかな?思い当たらない。さて、ジェンマといえばトロージャンのTVCMが懐かしく、このCMでお茶の間に浸透したイタリア俳優スターだと思う。当時、ダーバンのTVCMのアラン・ドロンとともに大人気だった気がする。しかし、ジェンマのスクリーンでの輝きはマカロニ・ウエスタンが頂点だったと思う。テレビでも何度も放映される『星空の用心棒』(1965)が一番人気なのかなあ。数回見た気がする。人懐っこい笑顔で当時の映画雑誌のグラビアを飾っていた彼。イタリアの若大将みたいな感じだったなぁ。若き日の大成功にて、晩年の活躍は聞こえてこなかったが、経歴をみると出演している。存在感を示せる作品に巡り合えてたらよかったのにと思う。突然の訃報に、驚くばかりである。ご冥福を祈ります。
2013.10.02
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指原莉乃について書こうと思う。何を今さら総選挙のことを…と思われるかもしれないが、書くのはサッシーのこと。ある意味強運の持ち主なのかもしれない。逆境をばねにとはよく言ったもので、指原のためにある言葉かもしれない。それまでのAKB48であれば卒業(中退?)だった週刊誌事件を起こしておきながら、当時、左遷と思われたHKT48への移動でさらに華を咲かす。アイドルおたくだったところが功を奏したのかどうかわからないが、女性アイドルを手中に入れるイベント「指原莉乃プロデュース 第一回ゆび祭り〜アイドル臨時総会」なんていうものを仕切ってから奈落に落ちた格好だった。谷底に落とされ這い上がってくるなんて、誰が考えただろう。しかし、HKT48加入のタイミングの良さはバツグンで、その当時まだCDデビュー前だったHKT48に潜り込み、最年長者でありながら、事件のこともあり低姿勢でいて、アマチュアだったHKT48のよき手本となった。特にべしゃり(トーク)ができるところは満点で、受け答え、返しのうまさで注目と人気をよび、ファンを拡大した。AKB48時代のファンを維持し、HKT48で九州にファンを獲得し、AKB48関連番組で多くのMCをつとめることにより全国的知名度と好感度をあげていった。そして、順当に順位をあげ続けていた総選挙で1位を獲得するまでになる。今回1位を獲得した彼女の強運は続く。「恋するフォーチュンクッキー」は初日100万枚を越えたのだ。なぜか?アンダーガールズなどの楽曲がはいったものもほしいし、まりこ様やともちんの卒業ソングの入ったものもほしい。AKB48ファンは複数枚のCDを買ったことだろう。かくいう私も買った。べしゃりができ、MCができる。バラエティならむかうところ敵なしである。AKB48ではみいちゃん(峯岸みなみ)というべしゃりの強者がいるが、とあることから研究生に降格されてしまったので、力を発揮する機会が失われてしまっている。サッシーはかわいくもないし、きれいでもない。しかし、ブスでもない。ヘタレでダメなところがあるが、がんばりやさんでもある。昔あった”のろまなカメ”が名文句のTVドラマ「スチュワーデス物語」の松本千秋(堀ちえみ)が大人気だったように。このような人物には人気が集まるのかもしれない。さて、サッシーだが、あまりの多忙さのために、この状態が3年続けばやめるといっていた。売れるのはいいことだが、AKB48の次のシングルが出るころには、仕事をセーブしたほうがいいかもしれない。でないと早くも卒業ということになるかもしれない。
2013.08.22
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