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陪審員制度では、このような裁判は扱わないのだろうか。けれども、陪審員になったつもりで少し考えてみる。君が代のピアノ伴奏命じた校長の命令は合憲 最高裁判決東京都日野市立小学校の99年の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示し、教諭の上告を棄却した。5裁判官中4人の多数意見で、藤田宙靖(ときやす)裁判官は反対意見を述べた。 上告破棄の根拠は以下の三点である。 (1)「君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている」とする教諭の歴史観・世界観自体を否定しない当たり前ですね。「思想信条の自由」は何人にも犯されない最終的な基本的権利です。(2)(伴奏命令は)特定の思想を持つことを強制・禁止したり特定の思想の有無の告白を強要したりするものではない。命令当時、君が代斉唱が広く行われていた異論がある。しかし、少し長くて回りくどいが、昨年九月の東京地裁の判決を援用して反論に変えてみよう。「被告らは,本件通達に基づき校長が教職員に対し国歌斉唱を命じ,ピアノ伴奏を命じることは,教職員に対し一定の外部的行為を命じるものであり,当該教職員の内心領域における精神活動までを制約するものではなく,思想,良心の自由を侵害していないと主張する。しかし、人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するものであり,これを切り離して考えることは困難かつ不自然であり,入学式,卒業式等の式典において,国旗に向かって起立したくない,国家を斉唱レたくない,或いは国歌を伴奏したくないという思想,良心を持つ教職員にこれらの行為を命じることは,これらの思想,良心を有する者の自由権を侵害しているというべきであり,上記被告らの主張は採用することができない。」「人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有する」つまり、年二回30秒だけ「気に入らないこと」を命令したとしてもそれは、心の奥の重要な部分をひどく傷つけることになるのである。最高裁の裁判官は、そんな一般庶民のささやかで譲れない「心」を理解できないのでしょう。さらに言えば、「原告らのうち音楽科担当教員は,音楽科の授業においてピアノ伴奏をする義務を負っているものの,入学式,卒業式等の式典における国歌斉唱の伴奏は音楽科の授業とは異なり、必ずしもこれをピアノ伴奏で行わなければならないものではないし,仮に音楽科担当教員が国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否したとしても,他の代替手段も可能と考えられ,当該教員に対し伴奏を拒否するか否かについて予め確認しておけば式典の進行等が滞るおそれもないはずである。 そして,原告ら教職員が入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立して国歌を斉唱すること,ピアノ伴奏をすることを拒否した場合に,これとは異なる世界観,主義,主張等を持つ者に対し,ある種の不快感を与えることがあるとしても,憲法は相反ずる世界観,主義,主張等を持つ者に対しても相互の理解を求めているのであって(憲法13条等参照),このような不快感等により原告ら教職員の基本的人権を制約することは相当とは思われない。」 ここの文章はわかりやすい。東京地裁の言うとおりだ。「命令当時、君が代斉唱が広く行われていた」それが何だというのだ。憲法13条を読みなさい。▽憲法は公務員は全体の奉仕者と定めており、地方公務員は法令や職務命令に従わなければならない立場にある、とも指摘した。 ほう、そうか。しかし、公務員は憲法を遵守することを誓った者たちである。上司の命令よりも、憲法を守るほうが最優先されるのは明らかでしょう。最高裁の判事がそのことを知らないとは言わせません。「思想信条の自由」の確保、それが最優先されるのです。 小法廷の意見は割れた。「卒業式の秩序維持」を強調する補足意見が出る一方、藤田裁判官は「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」として、審理を高裁に差し戻すべきだと述べた。女性教諭はこの補足意見が出たことで、上告してよかった、と語ったそうだ。藤田裁判官以外は今度の参院議員選挙で全員落とそう。 ピアノ伴奏について最高裁の判決が出てしまった。しかし、この論理はそのまま国旗起立、国家斉唱には援用できない。まだ、次がある。
2007年02月28日
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この前、郵便局に勤めている労働者とお話しする機会があった。彼が言う。「今年の正月、ちゃんと年賀状が届いた?」「ごめん、ここ数年はもうずっとメール年賀状に切り替えていて、それ以外の人が2~3枚来るだけなのでよく分からない。」「‥‥‥。(怒りとも諦めともつかないような表情をふっと見せる^^;)今年は期日までに年賀状をだしたのに、一日に届かなかったところが多かったんだよ。俺のところの事情なんだけどね、27日までは投函された年賀状は一切仕分けできなかったんだよ。なぜなら、年賀状よりも、ゆうパックのほうが優先されたから。それのではトラックが一切使えなかった。27日になってやっと、小包が減りだしたんだ。こんなことは今までなかったんだ。遠くに行く年賀状はそれで届かないことが多くなった。」「それはやっぱり人が減らされているということなんだろうか。」「そうだよ。それでも、幹部連中は、何事もなかったようにへっちゃらだ。次から次へとリストラ策を持ち出している。」「普通の経営者なら、お客様第一主義に考えるところなんだろうけど、結局民営化を控えて自分自身の生き残りしか考えていないんだろうね。」「全くそのとおりだ。」郵政民営化の影響で、郵便労働者の労働環境は悪化の一途をたどっているらしい。それだけではなく、それが利用者である我々にも確実に響いている。2005年の9.11選挙のときのあの「約束」はなんだったのか。それを今一度問いただすことは、必要だろうと思う。紙で詳しく書いた資料は色々あるのだけど、サイト上にはなかなか見つからなかった。「郵産労うきょう」の今年のニュースにこんなのがあった。民営化前にサービス切り捨て次々と!「公社が進める撤去計画によると、計画の対象となっている局外ATM738台のうち、全国ですでに467台が撤去されました。病院や診療所、学校、区役所など必要性の高い場所が多く含まれています。」「 また全国4400の簡易郵便局も一時閉鎖がここ3年間で急増。さらに200局が委託契約の解除・保留の意向を示しており、最大で500局が閉鎖される危険があります」「政府は民営化法案成立時、「郵便局のネットワークを維持し、国民の利便に支障が生じないようにする」と答弁しています。しかし民営化を前にして、答弁とはまったく逆の事が次々と行なわれています。」このまえ、労組のキャラバンで、各自治体に臨時職員の賃金の底上げの要請に行った。そのとき、岡山県の一番北あたりにある新庄村というところに行ったのであるが、そこは平成の大合併の折、一村真庭市に入らないで残ったところである。そこにある唯一ひとつきりの郵便局を廃止するというこになった。村長は自前で署名用紙を作り、たった1000人と少しの村なのであるが、なんと926人の反対署名を集めきったらしい。確かに郵便局が廃止されても、郵便はポストに入れればいいし、配達もされる。けれども死活的な問題なのは、お年寄りの多い村で、年金をどうやって受け取ればいいのか。国会答弁では「こんなこと」はおこらいのではなかったたか。でも全国的に無数に起きているのは、上のニュースにあったとおり。「村として残るも地獄、合併するも地獄。なあんもいいことはありゃしません。」対応した課長は仕切りとぼやいていました。
2007年02月27日
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24日付け朝日の地方版にこんな記事が載った。(以下朝日記事)9条の大切さ、折り紙で訴え ■英国出身 日本巡る男性が岡山に 憲法9条の重要さを訴えて全国を自転車で回っている英国出身のチャールズ・ワードさん(27)が22日に岡山入りした。折り鶴に似た平和のハト「きゅうちゃん」を手作りして配り、「憲法9条に関心を持って」と道行く人に呼びかけている。 ワードさんは高校時代にインターネットで9条のことを知り、日本に興味を持った。04年に来日、英語講師を経て有機農業と日本語を学びながら日本を巡る旅に出た。昨年10月に立ち寄った広島県内の農家で、国内に改憲の動きがあることを知り、9条の素晴らしさを訴える旅に変えた。 9条から名前をとった「きゅうちゃん」に自作のホームページアドレス(http://www.ex1st.com)を書き、道行く人に手渡しながら「憲法9条を知っていますか」と話しかける。反応は様々だが、改憲への危機意識が足りない人に「きっと大丈夫」と言われるのが最も不安だという。 「何もしないのは9条を変えて戦争に参加するのと同じ。『がんばって』じゃなくて『一緒にがんばろう』と言ってほしい」 (引用終わり)さて、彼はこれから兵庫県に入り、大阪、京都、奈良、名古屋に行き、長野まで行く予定だとか。折鶴に似た折り紙はあくまでも鳩だそうです。ホームページに作り方がある。なかなか面白い試みだと思う。日本語ぺらぺらなので、会えたら気軽に話をしたら面白いだろう。
2007年02月25日
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監督・企画・原案 : 奥田瑛二 脚本 : 桃山さくら 、 山室有紀子 出演 : 緒形拳 、 杉浦花菜 、 高岡早紀 、 松田翔太 、 原田貴和子 、 奥田瑛二 定年まで高校の校長を務めた松太郎は、妻をアルコール依存症で亡くし、ひとり娘とも絶縁状態。家庭を顧みなかった過去の自分を後悔しながら、安アパートでひっそりと暮らし始めた松太郎は、隣室の女が幼い娘を虐待していることに気がつく。それ以来、何かと少女を気にかけていたが、ある日ついに惨状を見かね、彼女をアパートから連れ出してしまう。旅に出た二人の間に、少しずつ生まれていく絆。しかし世間は“誘拐”と見なし…。児童虐待の問題を鋭くえぐりだし、公的機関に任せたら善人で、自分でかくまい親から逃げたら誘拐犯になるのかという問題を突きつけた社会派映画である‥‥‥というような作品に下手をしたらなってしまうような作品であるが、緒方拳の久しぶりの主演映画、さすがの演技で、社会派の作品であることを回避している。惜しむらくは奥田瑛二が最終近く、緒方拳の心情を、そしてこの映画のテーマを代弁してしまった。あれがなければ、かなりいい点を上げたのに、と思う。松田翔太の演技を初めて見た。松田優作のDNAなのか、それとも、父親と母親の背中を見て育ってきた成果なのか、演技としてはまだ未熟なのだが、いい表情をする。いい役者になるかもしれない。原田貴和子を久しぶりに見た。妹とは違う意味で、成熟したいい女になっていた。高岡早紀のあばずれ女ははまり役。この作品、なかなかいい役者の使い方をしている。自分の原案を二人の女性の脚本家に任せて監督をする。なかなか人を育てようとする堂の入った監督である。最後の「傘がない」を歌ったUAの歌声はすでに今年の主題歌賞をとってもいいほど、ぴったりだった。井上陽水よりもやはり、彼女の歌声のほうがぴったり来る。ここにこの映画のテーマのすべてがある。傘がない 作詞、作曲/井上陽水都会では自殺する若者が増えている今朝来た新聞の片隅に書いていただけども問題は今日の雨 傘がない 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ つめたい雨が今日は心に浸みる 君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろ? 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の家(うち)に行かなくちゃ 雨の中を 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 雨に濡れて行かなくちゃ 傘がない
2007年02月24日
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永島慎二の「黄色い涙」が映画になるという。彼にそれほどの想い入れはないのだが、分厚いわりには安い本(1,200円)なので、買って読んでみた。永島慎二の絵はしかし、意外にも私たちの世代には馴染み深いものになっている。彼が「柔道一直線」の絵を描いていたからだ。(原作は梶原一騎)私はそのマンガが最高潮の頃、中学校に入り柔道を始めた。当然二段投げ、地獄車、大噴火投げは試してみた。テレビの影響もあり、つま先でピアノを弾くということも話題にはなったが、さすがにこれは試したものはいない。(二段投げ等、試してみてわかったのは、「あんた、担いだ時点で勝っているがな」ということ)永島慎二の真骨頂はしかし、柔道マンガではなく、「漫画家残酷物語」や「フーテン」など、貧しい青年群像を描くことにあった。この作品にこんな場面がある。一間三畳の下宿に五人の若者が住んでいる。詩人を目指す井上はめかしこんで近くの喫茶店に出かける。残ったものは貴重な食費を削ってまで毎日喫茶店の女の子に逢いに行く彼を感心してこんな会話を交わす。「あすこはその昔ならコーヒー一杯50円だった。安かったなあ。」「今は80円だからな」「我々の食事代の二回分に当たる。」井上君の恋は、哀れ、ご想像の通り。一日の食事代120円というのは、60年代初めでもおそらく最低の生活だったと思われる。彼らには金がなく、仕事も時々にしかなく、将来の展望はほとんどなかった。けれども、現代のワーキングプアーと決定的に違うのは、楽天的であるということだ。彼らには「若さ」と「夢」があり、しかも60年代の始めの時代は彼らに全く「シンクロ」していた。この映画が現代に作られる意義はなんだろう。現代と変わっているここと変わっていないことは何だろう。「若さ」と「夢」は今の若者にもあるだろう。しかしそれを取り巻く「現実」は変わっている。60年代の初め、雇用は上向き、社会保障は年々充実していった。現代はその全く反対だ。このマンガには社会情勢は一切描かれていない。描く必要がなかったからである。同時代を描いていたので、すべては自明のことであった。村岡栄がセキと井上に出会ったとき、こんな感想を抱く。「二人とももう何日もまともなものも食べてなく‥‥‥自分の好きなものを推し進めるために満足にメシが食えないことがあってもまったくあたりまえなのだという顔つきだ。」彼らの顔つきには根拠があった。「夢」を犠牲にすれば「正社員」になれたのだ。そんな社会情勢を、現代との違いを明確に描かなかったらならば、この映画は「昔のワーキングプアには夢があった」などというかえって有害な映画になるだろう。
2007年02月23日
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「野上弥生子短篇集」(岩波文庫)05年末に九州の旅をした。そしてそのあとにこの本に出会った。この旅で純粋に観光をしたのは、唯一大分県臼杵の町である。私はそこで野上弥生子記念館を訪ねたあと、そう大きくない臼杵を散策し、雨で濡れた石畳を歩き、武家屋敷の細い路地を抜けていった。(PCの故障で写真データがすべて消滅したのがかえすがえすも残念だ)野上弥生子はこの短編集の「明月」の中で母親の骨を拾いに火葬場に行く路をこのように描写している。町を抜けて昔の士族屋敷の続く静かな通りにはいると、桜や、桃や、杏子や、椿の花が一軒一軒に咲いていた。以前「カリガリ博士」の映画で狭い板ばかりの町を見たとき、この一廓がふと思い出されたのであるが、路というよりも、もろい灰石の丘陵に穿たれた、屋根のない、急な、曲がったり折れたりした隧道に近かった。岩盤の路面に雨で叩き落された淡紅の花片も、迸り流れる小溝に渦巻く真っ赤な椿も、汚れがなく、土地の傾斜なりに並ぶ古風な武家の邸門や、白壁の塀や、女竹の端々した厚い垣根とともに目が覚めるほどに鮮麗であった。(245P)‥‥‥(^_^;)私の下手な写真よりもよっぽとイメージがわいたと思う。現在もほぼこのままだと思う。今から思えば、まるで箱庭のように美しい町だった。その町の造り酒屋の二階で古典に親しみながら、当時の最先端へ、東京への夢を膨らませていた15歳の少女は、1900年に上京し、ほぼ20世紀の末まで生きる。この短編集を読んで驚いた。ひとつひとつの文章が全く古臭くないのだ。「明月」の発表は1942年1月だが、女友達が三人集まって打ち明けるとっておきの怖い話「死」は1914年の作品。これも文章は「明月」と全く同じ現代文であり、現代人が読んでを必要とするような所はなく、事実無い。文体が新しいだけではない。作者の視線が現代的なのである。「哀しき少年」は1935年(昭和10年)の作品。小学生の隆は少し変わった少年だと思われていた。数学以外はなぜか勉強しようとしないのである。「僕いやなんだ。先生でたらめを教えるんだもの。」隆は思う。「修身ではいつも叱られているか、あてつけられている気がした。歴史でみんな楠木正行にならなければいけないと激励されると、隆は困ってしまった。彼には正成のようなお父さんはいなかったし、顔さえ覚えていないのだから。しかし手を上げてそういったら、睨みつけられた。」(147P)隆はその後中学に入り、軍事教練の授業から逃げだす。それだけの小説である。それだけだけど、そんな小説を1935年に書いていることに驚きを禁じえない。実は、読んでいるときはずーとこれは戦後の作品だと思っていた。「山姥」(1941年)は、北軽井沢の「鳥の巣のような小っぽけな家」の別荘でのエッセイ風な小説。最後に彼女は昨日書いた日記の「万物は流れる」という言葉の続きを考える。「今夜はその横に、 あんまり早く流れすぎる。と書きそえた。それは例の愚痴であった。それから一生懸命気の利いたことを書くつもりで、 その流れにたちて、もの想う葦よ。-と書いたが、その先をどう続けてよいかわからなくなった。それにおそろしく眠かったので、 賢くなれ、一本、一本、ただ賢くなれ。 この世界をよきもの、美しきものにする方法は、 それ以外にはない。 彼女はこんなことを乱暴に書いてペンを措き、床にもぐりこんだ。とろとろとする枕に、大きな、冷たい血なまぐさい宇宙が、音を立てて流れ込んだ。森の下の渓流が夢に入ったのである。」(214P)
2007年02月21日
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他の各種世論調査ではとっくの昔に逆転しているので、驚かないが、内閣支持率37%、不支持40%と逆転 この記事を一応メモ的に記録。このグラフが後々使えるのではないかと思うからである。あと気になるのが、「支持は女性(39%)が男性(36%)を上回る傾向が続くが、今回、女性の支持が初めて40%を切った。」ということ。本来、会社のしがらみが無い分、あるいは生活観やら、憲法改正論からもっと不支持が増えていいようなものだが、なぜか女性の支持は男よりは落ち幅が少ないようだ。女性の意見を請う。
2007年02月20日
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今日は時間がないので、Under The Sunで当番制のコラムをしていて、そこに書いたのを転載します。(書いた後、気がついたけど、手紙といいながら全くの会話になっていました^_^;)(以下転載)ここんとこ、二回続けて私の苦手なテーマが続いている。おそらく私が能動的にこのコラムにかかわっていないから、天罰が下っているのだ。次回はテーマを提案したいと思います。ヨロシク!と、いうことでテーマ「わが子への手紙」です。まだ見ぬ息子へ。中学生になったという君へ、この文章をささげます。でも‥‥‥独身のわたしにこんなテーマをよくもまあ‥‥‥。仕方ないので無理やりこじつけましょう。前にチラッといったことがあったかもしれないけど、お父さんは小学校の頃から中学校にかけて、漫画家になるのが夢だった。お父さんの頭の中にはいつもマンガのアイディアがぐるぐるぐるぐる回っていた。例えば‥‥‥輪廻転生を繰り返しながら、しだいと強くなっていくスーパーマン"ありん"と"こりん"の「終わらない物語」(のちに少年キングという雑誌に連載されて「超人ロック」というマンガが出たけどそのあまりにもシノプスの類似に唖然としたものだ)当時マイブームだったんだけど、学帽をブーメランのように飛ばして武器に使う、正義の泥棒「学生ルパン」(これは宮崎駿たちが作って人気だったアニメの「ルパン三世」の影響)地球の誕生から生命の誕生へ、百科事典を手元に置きながら丁寧に描き、氷河時代に突入した人類の運命(を描こうとして途中で挫折した)壮大な長編もの(「火の鳥未来編」に影響されました)‥‥‥どう、面白いアイディアだろ?‥‥‥そうでもないか。中学生のとき、お父さんはなぜマンガを描こうとしたのだろう。好きだったから。もちろんだ。もう一方でこんなことも考えていた。「自分はやがて死んでしまう。自分が生きていた証を残したい。そのためには漫画家になるほかはない。」素晴らしい三段論法だろう?まだ、手塚治虫や藤子不二雄のマンガのまねをしていた頃は希望があったんだ。やがて鳥山明(『Dr.スランプ』)という天才が現れ、その対極に大友克洋(「童夢」)という努力家まで現れるに至ってお父さんはその夢から逃げ出した。到底プロにはなれないとね。そのことの是非について話し合うのはまたの機会にしよう。話が回り道したけど、本題はこれからだ。お父さんの話はいつも回り道からやってくるって、君はもう知っているだろう。でも、お父さんが中学校のときに思っていた人生の課題は、まだ残ったままなんだ。「自分はやがて死んでしまう」これとどうやって向き合えばいいのだろう。君はそんなことは考えたことはないか?たぶん一度は考えているはずだ。自分が死んだらどうなるんだろう。死ぬまで何をしたらいいのだろう。子供なのにそんな爺臭い事を考えるのは恥ずかしい、なんて考えないほうがいいよ。子供だから考えるんだ。大人はもうあまり考えない。答えは見つかったかい?サッカー選手になってワールドカップに出れば、たぶん満足して死ねるだろうから、今はサッカーをがんばる!だって?なるほどね。頑張れ!応援するぞ。でも‥‥‥もし、プロのサッカー選手になれなかったら、万万万が一だよ、そうなったとき、君は全然がっかりすることはないってことも頭の片隅で覚えておいてほしい。君の生きてきた15年間で、君はすでにとんでもないどでかいことをやっているんだ。それは何かって?それはあまりにも恥ずかしくって、今はいえない。それはお父さんが死ぬときにこっそりと教えよう。命の秘密は実は「一子相伝」なんだ。「いっしそうでん」って何かって?そんなことは辞書で調べなさい。
2007年02月19日
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監督 : 塩田明彦 原作 : 手塚治虫 出演 : 妻夫木聡 、 柴咲コウ 、 瑛太 、 原田美枝子 、 中井貴一 、 杉本哲太 、 麻生久美子 、 劇団ひとり 、 土屋アンナ 、 中村嘉葎雄 実はノラネコさんがすでに「アア、ヤッチマッタァ・・・・・ 」と評価したばかりだ。「この映画の作り手は、異世界を説得力を持って作り上げる難しさを理解していない。 この映画の世界は、何かの方向性をもってデザインされたというよりは、単に思いついた要素を無秩序にぶちこんだようだ。 」ノラネコさんの言うように「ロード・オブ・ザ・リング」と比べるとよく分かる。「LOTR」では、映画の中ではあまり全面的に出ていない長大な歴史的背景があるから彼らの行動原理に説得力があった。それを支えるために、かぶとの紋章や言語の描写も凝っていた。「どろろ」には当然それがない。だから百鬼丸の失われた身体が何を意味するのか、結局何も分からない。「原作のどろろは十歳くらいの男の子の格好をした少女だが、映画のどろろはどうみても小汚い格好をした大人の女である。 映画を観た限りでは、この点も特に必然性のある改変ではない様に見える。 」マンガの場合はどろろは女の子であったということが一番最後に明かされる。リアルタイムでそれを少年サンデーで読んで、私は心底驚いた。大人になってそのことの意味をやっと理解した。だからこそ、百鬼丸と醍醐の対決でのセリフ(「どろろが許すといったら俺は許す」)が意味を持つのである。はじめから大人の女だと分かっているようではどうしようもない。しかも、映画ではなんとその決定的なセリフは単なるセリフとして片付けられてしまう。それりゃないだろう。もうこれ以上言っても仕方ない。私としてはそれ以上のことを付け加えることは無理だろうと思うのであるが、蛇足的に少しだけ書く。ここまで改変したのなら、おそらく世界進出を考えて舞台を異世界にしたのだろうから、思いっきり「マクベス」と「リア王」のセリフをそのまま持ってきて改変したほうが良かった。役者はいい役者を使っているのだから、それでも作れただろうに。ただし、監督がそのように原作を読み込むことが出来らの話であるが。
2007年02月18日
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郷土史家の花嵐氏の案内で「不洗観音寺と松島観音道」の見学学習会(学びの広場岡山主催)に行って来ました。 不洗(あらわず)観音寺があるのは現在帯江から早島にある小高い山の上。ここは、江戸時代の中頃から、中世海の中の島だったところ。次第に周りは新田開発で発展し、寺も「安産の観音様」として隆盛を誇るようになる。同時にこの島は帯江銅山があったところだそうで、その関係かいい水が湧いたらしい。この観音様を信心すると安産で三日三夜洗わなくてもいいくらい綺麗な赤ちゃんが授かるのでこの名前がついたらしい。 こんな所に銅山があるのを初めてしりました。40年で掘り尽くしたらしいですが、この山には今は入れないトンネルが縦横に張り巡らされているらしい。新田と銅と。日本中からいろんな人がやってきたのでしょう。 観音様は仏様の中では如来になる前の修業中の仏で珍しく「現世」での「救い」を行う。観音様がこんなに人気があるのは日本のみ。今日も若夫婦がたくさん来ていました。 寺から5キロほど離れた(中庄駅の北側)旧街道から続く参拝道に沿い33観音の石仏が設置され、今日はそれを逆にたどりました。約150年前に無名の石工が造った観音様が33に1つのみ欠けているけど現在まできちんと残っている。田舎ではない、町中なのです。新興住宅街の中に、マスカット球場の駐車場の真ん中に(客はお地蔵様かと思っているかもしれない)、ゴルフ場の中に、多くの道は無くなり、場所は少しだけ移動されたけど残っている。 彼岸(抽象的な幸福)よりも此岸(現実的な幸福)を願う俗っぽい我々だけど、その姿は「誠実」です。(写真は24番観音石仏。ここはまだ昔の参拝道の面影があった。)
2007年02月17日
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私は憲法情勢の情報収集に、憲法改悪反対共同センターにアクセスすることが多い。最近はいっせい送信メールフォームも出来た。ここの最新更新情報の中の共同ニュースをみると、重要最新ニュースが分かるし、全国の九条の会の動きも分かる。資料的には憲法をめぐるおもな動きのほうが充実している。(小森陽一さんが事務局長を勤めている九条の会のHPよりも、こちらのほうがよっぽど充実している。共同センターは労組からの財政基盤があるからである。実際お金の力は大きい。一部、九条の会のHPに対して全国の改憲運動を引っ張る内容になっていないという批判があるようだが、それは無いものねだりだ。九条の会の運営は基本的にボランティアである。それぞれが出来ることをすればいいのだ。ちなみに、政府財界のほうがよっぽどお金を持っている。それでも各HPの内容面で護憲派のHPが充実しているのは、決して偶然では無いだろう。)最新更新情報にあるお知らせには(2月14日 13時59分 NHK) 国民投票法案 与党単独採決も自民・公明両党の幹事長や国会対策委員長らが14日会談し、憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、5月3日の憲法記念日までの成立を目指し、民主党などの協力が得られない場合は、与党単独による採決も辞さない方針を確認しました。 と、あります。二階堂国対委員長一人の意見ではなく、これによって国民投票法の強行採決方針は政府与党の考えだということが明らかになりました。国民投票法の幾つかの問題点を早急に国民に知らせていくことが必要です。【共同センターニュース】2月14日No.116の下のほうに短信・ホットライン Yahooアンケート調査では 憲法改正に必要な国民の賛成数は?憲法を改正するためには、国民投票でどれだけの賛成数が必要とされているでしょう?(提供:Yahoo!みんなの政治)(実施期間:2006年11月2日~) 答え「過半数」 5235人中 2207人正解・4分の3以上 12% 582票・3分の2以上 45% 2328票・過半数 43% 2207票・3分の1以上 2% 97票 ・4分の1以上 1% 22票 この結果は、憲法改正のためには97%以上の国民が、過半数以上の「賛成」が必要だと考えていることを示しています。それに比して、自公民の改憲手続き法は「投票総数」の過半数=「有効投票」の過半数であり、最低投票率の定めもない。これでは、国民との意識の乖離も甚だしいと言わざるを得ない。とあります。これだけでも大問題です。
2007年02月15日
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当りでした。あまり期待していないで、こんなのに当たると心底嬉しい。監督 : ロジャー・ドナルドソン 出演 : アンソニー・ホプキンス 、 ダイアン・ラッド 、 ポール・ロドリゲス 、 アーロン・マーフィー 、 アニー・ホワイト 60年代初め、63歳の老人が25年がかりの夢を果たすために、ニュージーランドの田舎からアメリカ大陸に渡ってくる。愛車インディアン(オートバイの改良品)を船で運び、最高速度を競う競技に参加するためだ。超貧乏旅行。けれども持ち前の楽天性で、旅を乗り越える。全体の半分以上がロードムービーになっている。基本的にほんとにあった話。このおじいちゃん、ひとつだけの夢を追い求めて酒もタバコもせずにバイクだけをいじってきた全くのバイク馬鹿。そんなんが一目見て分かるのか、彼に出会う人はみんな、ゲイも、ネイティヴインディアンも、未亡人も、ベトナム休暇兵もすぐ仲良くなれる。旅人の視点で60年代初めのアメリカの姿をあぶりだし、返す刀で夢追い人の応援映画になっている。実は彼がやる車中泊も、外国の超貧乏一人旅も、私は経験しているので、めちゃくちゃ共感しながら見た。そうなんです。こんな旅は他人からの「親切」なしには成り立たないのです。大変なことはきっとあるけど、そんなことは旅なのだから当たり前。受けた親切だけを覚えていたら、いつまでも素晴らしい旅の思い出として残ります。(実際困難なことは案外ないものです。)ただし、私の旅の場合、なにかが足りないのか、このおじいちゃんのように女性にはもてなかった(^_^;)。名優アンソニー・ホプキンスが笑顔のかわいいおじいちゃんを演じています。ハンニバル教授もこんな罪のない趣味に打ち込んでいたなら、あんなことをしなくても良かったのに‥‥‥。後半は少し意外な展開。そして最後に出てくる一言にサプライズ!
2007年02月14日
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監督 : 小松隆志 原作 : 瀬尾まいこ 音楽 : 小林武史 出演 : 北乃きい 、 勝地涼 、 平岡祐太 、 羽場裕一 、 石田ゆり子 3年前、父が自殺未遂をしてから家族は変わった。母は家を出て、成績優秀だった兄は大学進学を拒否し、農業に従事していた。新学期が始まり、佐和子は転校生、大浦と親しくなる。志望校を目指すため、佐和子と友達になりたいと言う大浦。変わり者だが明るく男らしい大浦に影響を受け、佐和子も夏休みに予備校に通う。父は仕事を辞めて、大学に行くと言い出す。それぞれの道を歩き始め、家族は少しずつ形を変えていく。(goo映画より)宣伝を見る限りでは、家族崩壊をテーマにした話かな、と思っていた。ところが、見てみると、少し変わっているけど、ぜんぜん普通の家族である。どうなんだろう、みんな「普通」だと思えるのかな。私にとってはそんなにインパクトは無い。心の琴線に触れる人はどのくらいいるのだろう。「君は目に見えないところで守られているんだよ」登場人物たちは出来るだけ皆普通の演技をしているように思える。それはそれでいい。けれども、映画にする意味があったのか、どうかは疑問。ミスターチルドレンの「くるみ」を最後の場面で一コーラスたっぷりとうたう。確かに意図は分かる。彼らの歌の歌詞が初めてはっきり聞き取れた。いい歌なんですね。映画の効用か。
2007年02月14日
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この前、市役所に行ったら総務省消防庁発行の下のようなリーフレットを見つけました。リーフレット「なくてはならない国民保護」(平成18年3月27日)(PDF読み取りソフト必要)時間が無いので、詳しくはそこを見てもらうとして、このように「戦前」は始まっているのだ、と感じました。このように「有事」のために年一回でも「訓練」をしていけば、日本を守ってもらう「軍隊」はどうしても必要だという意識になるでしょうね。ところで、昔の隣組では無いですが、「自主防災組織リーダー」っていつ決まったんだ??
2007年02月13日
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私は嬉しい。製作国 : 中国=日本=香港=韓国 このような布陣で、戦争と平和をテーマにして、このようなエンターテイメント大作が作られるに至ったこの10数年の動きは、後世アジアの文化史に残ることだろうと思う。監督・脚本・プロデューサー : ジェイコブ・チャン 音楽 : 川井憲次 原作 : 森秀樹出演 : アンディ・ラウ 、 アン・ソンギ 、 ワン・チーウェン 、 ファン・ビンビン 、 チェ・シウォン 戦国時代。趙と燕の国境にある粱城は、趙によって攻撃されようとしていた。10万の趙軍に対し、梁城の全住民はわずか4000人。頼みの綱は墨家の救援部隊だったが、間に合いそうもなく、粱王は降伏を決断する。墨家の革離(かくり)がたった1人で駆けつけたのは、その直後だった。兵に関する全権を粱王から与えられ、早速城を守る準備に取りかかる革離。趙軍の指揮官・巷淹中は革離を好敵手と見なし、やがて激しい攻撃を開始する。(goo映画情報より)墨家とはなにか、HPの浅野裕一氏の解説に詳しいが、一言で言えば平和を求める思想家集団であり知識人集団であり、戦術家集団である。中心思想に『兼愛』(万人への愛)と『非攻』(侵略と併合の禁止)を置く。それを支えるために『尚賢』(能力主義の人材登用)や『節用』(節約主義)等『墨家十論』を説く。今回の物語は、緊急避難的にその中の『非攻』を実現するために『専守防衛』の技術を駆使した攻防戦になった。革離の知恵は優れているので、専守防衛は一時成功したかに見える。しかし結局大事なのは戦術よりも、内政だということなのだろう、革離の理想的な決着は行われない。映画が終わったときに、多くの観客が納得のいかないような顔をして劇場を後にしていた。残念ながら、『日本人の』万人に受けるような映画にはなっていない。(投降者の虐殺に対する革離の対応が不明等脚本的な不備もある。)けれども、私あの筋立ては正しいと思う。革離はもともと(原作でもそうだが)墨家が見捨てた粱の城を守るために一人でやってきたのだ。その時点で、墨家の理想が行われないことは宿命つけられている。それでも、侵略されれば粱のすべての住民が奴隷になり、あるいは殺され、陵辱されることに我慢がならなかった、いわば民族自決権の擁護のために『可能性』にかけて赴いたのである。革離が初めて迎える実践の中で悩む姿こそを、監督は描きたかったのに違いない。『兼愛』と(たった一人への)『愛』との葛藤、『非攻』と『専守防衛』との違い、実は非常に考えさせられる映画なのだ。憲法九条を変えろ、とか変えてはいけない、といっている両方にこの映画を見てもらって、議論をするのは非常に有益だと私は思う。女騎馬隊の隊長を演じたファン・ビンビンのきりりとした顔と女性としての弱さを見せた顔に好感を持った。
2007年02月12日
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2006年9月9日(土) 12日目この旅もやっと半分の日程が済みました。(旅行記いつ終わることやら)ソウル三日目。江南(カンナム)のほうに向かう。朝から雨。土城と古墳をたずねて回るにはげんなりするような天気。オリンピック公園に着いてもまだ雨だったので、おしゃれな喫茶店でパンとコーヒーをいただきながら、一時間ボーとする。意を決して歩き出す。オリンピック公園の自然に驚嘆するソウルオリンピックのあった公園を突っ切り、土城(初期百済王国の城。小高い山の上に周囲3キロにわたって土塁跡がある。)を歩いていると、リスに出会う。やがて雉にも出会った。都心郊外の公園なのに少しびっくりする。土塁跡は市民の散歩・ジョギングコースになっていて、たくさんの人が歩いている。お堀には、さまざまな動植物が豊富に生息していると言う標識がある。綺麗な公園として整備されてはいるが、作るときに汚水が入ってこないよう気をつけたのだろう。ソウル規模の日本の都市(東京、大阪)に果たしてこれだけの自然を残した公園はあるのだろうか。(皇居は例外。市民が入れなくては意味がない。) 迷った。土城で4キロほど歩いた後、さらに3キロほど歩いて百済古墳群を目指したのはいいけど、歩けど歩けど、地域の名前が違う。道沿いの花屋さんに聞く。知らないと言う。もう一軒の花屋さんに聞く。一生懸命探してくれた。ゼンリンみたいな地図を持ってきて分かったことは、私はとんでもない方向に歩いていたと言うこと。この旅二回目のタクシーを使う。土城にせよ、古墳にせよ、小高い山の上に作られている。聖なる場所はやはりほんの少し小高いところなのかもしれない。 うどんをハサミで切る昼飯はあさりうどん。冷麺をハサミで切るという「韓国式」は知っていた。ずるずる食べないようにすると言うのである。しかし、まさかうどんまでハサミがついてきたのは驚いた。はまぐりクラスの大きなアサリがたっぷり入っていた。満足。一張羅のズボンが、ボールペンのインクで汚れたので買い換えることを決意する。アウトレットが集まっている文井に行く。すそ直しはみせから10mほど歩いた専門家のところに持っていくと言う仕組み。店の人が忙しいのに、私が日本人でよく分からないだろうから、と言うことでついてきてくれた。韓国若者のネットワークの広さと深さ江南に来た一番大きな目的は、「マルチェク青春通り」のロケ地探しである。噂によると、現在はもう1978年当時の面影はまったくないらしいので、せめて昔マルチェク通りがあったところは何処か知るここと、映画の中で何度も使われた公園がそこにないか、確かめることであった。駅三駅の回りに昔のマルチェク通りがあると聞いて、そこへ行く。駅の中で露天商をしているおばちゃんに聞いて見るが、映画を見るようなタイプではない。駅にはまったくそれらしいことを書いた地図はない。私の中では超有名な映画なのであるが、韓国の中では単なるクォン・サンウの代表作でしかないのだろう。すぐに諦めてしばらく行ったり着たりした後、ふと駅前の公園で休んでいる20代のがっちりした体格のお兄ちゃんに聞いてみる。ホントは無理だろうな、と思っていた。普通そのようなマイナーなことを知っている人にぶち当たるのは難しい。けれども彼はすぐに映画のことを思い出してくれた。でもロケ地のことは知らない。そうだろう。京都駅前で、アカデミー作品賞を取った「パッチギ」のラスト、主人公がギターを壊した橋を教えてくれ、と聞かれるようなものだからである。しかし、韓国の彼はまったく私の予測しない行動を取った。すぐに携帯で電話してなにやら聞きだしたのである。すると、よっぽと映画に詳しい友人がいるのだろう。「この映画は、すべての撮影は全州でした。今はマルチェク通りと言うのは存在しない。現在はヤンチェというところにある。タクシーなら15分かかる」といってくれた。田舎的な親切にはもう驚かない私も、この都会的な親切には心底驚いた。若者にも親切な人がいると言うこと以外に気がついたことは、韓国の若者の持つ驚くほどのネットワークの広さと深さである。日本の若者は、すぐに携帯でこのような情報を引き出せる友達を思いつくだろうか。映画に関していえば、私は自分自身しか思いつかない。半日考えて一人思いついたくらいだ。すぐに協力してくれる友達で、いろんな友達がいて、しかもちゃんと得意分野を知っている。このネットワーク、今の日本の若者(年寄りも含めて)真似できるだろうか。あなたの携帯にある電話番号、仕事以外で何人と結びついていますか。突然電話して怒らない友達は何人いますか。結局タクシーでロケ地にはいかなかった。駅の広告版にすでに引退している「青春通り」のヒロイン、ハン・ガインの元気な姿を見つけてそれで良しとしてしまった私なのであった。 最高に旨い食事。大元旅館に帰ると、日本人組みがたむろして食いに出かけるところであった。行こ行こと付いて行き、一人では食べれない食事、サムギョプサル(豚バラ肉の焼肉)を食べる。鹿児島のおばさんはインド等いろんな所に行っているつわもの、韓国通のおじさん、あるいは今日着たばかりで三ヶ月シルクロードからローマまで行ってここへ帰ってきた若者、インド旅行から帰ってきた男女三人組等々(韓国仁川空港が海外格安航空券の中継基地になっている関係でそのような人が集まっている。)わいわいにぎやかに食事した。10時ごろ、また一人韓国通の人が泊まりに来た。鐘路(チョンノ)にある最高にうまいトントン酒と一品しかないけど最高にうまいホッケの開きを食べさせてくれると言う店があると言うので連れて行ってもらう。迷路のようなところを行く。あとでもう一度いけるようにその店の写真も取ったのであるが、果たしてもう一度いけるか、というとたぶんいけないだろうと思う。トントン酒(にごり酒)は人数分にあわせて黙っていてもバケツに入れて出てくる。ホッケの大きいこと、肉厚なこと、油がのっている事。この旅で最高に旨い酒だった。4,000(コーヒーとパン) 3,700(タクシー) 5,000(昼食カルククス) 10,000(ズボン) 3,000(直し) 2,000(ジュース等) 10,000(サムギョプサル) 5,000(チョンノの店)
2007年02月11日
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朝、DVDで「雪に願うこと」を見た。監督 : 根岸吉太郎 出演 : 伊勢谷友介 、 佐藤浩市 、 小泉今日子 、 吹石一恵 、 山崎努 、 草笛光子 いったん廃止が決まり、ヤフー系列の買収で生き残ることが決まった帯広のばんえい競馬場の物語。DVDでもサラブレットではないずんぐりした馬の無骨な魅力と力強さと意地みたいなものを見ることができた。おりしも映画も、いったんは賞金数が少なくて阿蘇に行き馬刺しになることが決まっていたウンリュウの一年延命をかけた勝負がクライマックスになる。たとえ、ひとつの勝負に勝ったからといってすべてが好転するわけではない。ばんえい競馬も、夕張も、あの途中の障害物のように上がる前に一息ついたり、つき過ぎて負けてしまって、食肉になったりするような運命はこれからもあるのかもしれない。けれども月八万の給料(宿舎住み込み、賄い付き)でも厩務員の人たちは誇りを持って働いている。必死で生きていける。仕事さえあれば。東京で社長になり、事業で失敗して帰ってきた弟は兄たちのこの仕事を一冬手伝うことで、東京に戻る勇気をもらう。映画館で見ることはかなわなかったけど、いい映画だった。再チャレンジーーー政治にとやかく言ってほしくない。政治に出来ることは限られている。(もっともそれさえ出来ていない)ばんえい競馬は動きがスローなので予算の少ない撮影でも綺麗に絵になっていた。特に朝の調教場面が美しい。なかなか競馬の映画はそのまま作ろうとすれば苦労がいるだろうが、今度はぜひとも「競馬」の映画も作ってほしい。人間と馬の交流は、嘘がない。まるで恋人同士のようでもあり、友情のようでもある。そのあたりを実は韓国映画はすでに去年作っている。「カクソルタン(角砂糖)」を去年の韓国旅行、テグで観た。「箪笥/たんす」(2003)「 アメノナカノ青空」(2003)で主演をつとめたイム・スジョンが旗手をする物語。体当たり演技をしていた。(韓国の俳優の育て方はなかなか凄いものがあると思う。) 難しいスピード感あふれる映像を作っていた。ただし、脚本はあまりにも予定調和でいただけない。角砂糖とは馬の好物、「雪に願うこと」でも一場面だけ出ていた。
2007年02月10日
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憲法改悪反対共同センターがやっとのこと、「憲法改悪・国民投票法反対」一斉送信メールフォームを立ち上げた。「国民投票法」とは、不安倍増が五月までの採決をねらっている「改憲のための手続法案」です。色々と問題はあるのですが、大きく言って三つの問題点がある。ここのチラシが分かりやすい。(PDFソフト必要)一、有権者の20%の賛成で改憲が出来る。二、「カネで憲法を動かす」ことに三、公務員や教員の運動を制限「マスコミの報道規制がなくなった」とか、「18歳以上に投票権」とかが大きく報道されて、問題点は少なくなったかのような「報道」がされているが、とんでもない。廃案しかない!!(以下メールフォームのお知らせのコピー)◆国会議員にメール・FAXを送ろう!「憲法改悪・国民投票法反対」一斉送信メールフォーム開始日時:2007年2月7日◆憲法改悪反対共同センターは、インターネットを活用して日本全国から国会議員に対し、憲法第16条の「請願権」を行使する運動の一環として「憲法改悪反対・国民投票法反対」国会議員請願・マスコミ要請一斉メールフォームを当センターホームページの右上開始しました。http://www.kyodo-center.jp/index.htm http://www.kyodo-center.jp/form/oshirase_form.html◆メールフォームには、衆参両院の憲法調査特別委員会の名簿も掲載していますので一斉送信メールだけでなくFAXを送ることも出来ます。◆送信にあたっては、自分の言葉で丁寧に書き、誹謗・嘲笑の類にならないよう注意して下さい。◆この「国会議員請願・マスコミ要請一斉メールフォーム」(http://www.kyodo-center.jp/index.htm)を各団体の機関紙、ニュース、メール等で広く知らせ国会議員に直接主権者としての意見・要望を送りましょう。また、メーリングリストで知・人友人にも知らせましょう。http://www.kyodo-center.jp/form/oshirase_form.html◆転送は自由です。どんどん広げてください。以上です。
2007年02月08日
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北方謙三「水滸伝」の三巻目です。宋江たちが長い間準備してきた「腐った政府を倒すための組織」梁山泊は立ち上がった。湖の中の天然の要塞。けれども、権力の側も、しだい彼らの正体に気がつくようになっていく。権力側は体制は変えないで柱を一本づつ取り替えていくことが最良の道だと信じている。そのためには反乱の目がある段階から徹底的な弾圧もするし、国民の少々の犠牲は目を瞑る。そこに、そもそも梁山泊との人間たちとの発想の違いがあるのだろう。楊志は元将校。反乱軍に加わるのにはまだ迷いがある。梁山泊のオルガナイザー魯智深のことについて知人に聞く。「いまはなぜ流浪をしているのだろう。」「好きなんだよ。いろいろな人間に会って、話をするのが。」「それだけかな?」「世直しをしたいと思っている。あの坊主の言う言葉の一つ一つに、そんな気持ちが滲み出している、と思わないか?」「世直しと言ってもな」「今の世の中が、一夜明ければすべて変わる、なんてことはあり得ないだろう、客人。ひとつひとつ変えていくしかない。あの坊主は、そんなことをずっとやり続けているような気がする。」(31P)ーーーーたとえ参議院選挙で自民党が歴史的な大敗をしても、「一夜明ければすべて変わる」わけではない。たとえそうなってもすでに作られてきた、弱者を省みない政治の流れは変わらないと私は思う。それでも「そんなことをずっとやり続けている」そんな人を例えば、ブログを見るだけでもいくらでも見つけられるだろう。ブログで「小さなことから発信」「小さな実践を報告」そんな例はいくらでもある。なんの話をしているのだ、と呉用はふと思った。ついこの間まで、東渓村の塾の教師だったのではないか。それが、禁軍を相手にどうのなどと、平然と語っているのだ。やはり、どこか落とし穴があるのではないか。(128P)ーーー梁山泊きっての軍師・呉用はそのように自分に問い詰める。そして「あったとして、だからなんなのだ。生まれ、生き、死ぬ。それだけのことだと思い定めればいいではないか。」と呟く。つい1~2年前まで一介の中年サラリーマンだった男が、一介の主婦だった女が、ブログと言う道具を得て「天下国家を論じる」なんて「どこか落とし穴があるのではないか。」そう思うときはある。でも「だからなんなのだ」とも思うのではある。印象的な文章が多くてすっかり「水滸伝」には待っている私ではありますが、決して皆さんに必ず読め、などとはお勧めしません。なぜなら、読み始めると別巻あわせて二十数巻、付き合わせるということになるからである。きっと楽しい時間には違いないけれども、そんな道に引き込む権利は私にありません。最後に先生・王進の母親の優しい言葉。人の別れということについて、王進の母は武松の手をさすりながら語ってくれた。忘れないかぎり、それは別れではない。武松の心にしみこんできた言葉だった。(257P)
2007年02月07日
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昨日の続きです。このあと、シンポジウムで労働者、若者からの簡単な報告がありました。JMIU(金属情報機器労組)の若者からは労組結成の報告がありました。彼の職場では99年に大幅な賃金カットが行われたそうです。15%のカットと手当の全面カット、幅の大きい人は40%の賃金カットになったそうだ。その後に入っていくものも次々に辞めていくので、中堅労働者がいないという状態になった。そこで彼らは組合を立ち上げる。そのことで「自分も変わるし、会社も変わる」。団交をする中ですこしずつ会社も心を開いていったらしい。手当の回復を勝ち取った等の成果がすこしずつ出ている。ーーーまだ20代の青年の彼はぽつぽつと話してくれた。中小業者は大手と比べて本当に労働者に出す金は無いのだと思う。けれどもそのまま放置することは商品の劣化を招き、結局会社のためにならない。闘うことで、話し合うことで、打開の道をさぐるしかないのだろうとおもう。ただ、大切なのは「闘う」ということだ。相手の「善意」を期待してはいけない。いくら気のいい経営者でも、資本の論理で動かざるを得ないという現実がある。げんざい、一人からでも入れる労組が急速に伸びている。首都圏青年ユニオンの活躍で牛丼の「すき家」のアルバイトの残業代を勝ち取ったという成果も生まれている。(070116~070120のニュースを参照)生協労組の専従者の報告は、さすが報告慣れしていて、分かりやすいものだった。生協の共同購入の配達者の中にいま急速に請負労働者が増えているらしい。この人たちは20~40代。生協も経営が厳しく、もうすっかり請負・派遣労働抜きには成り立たなくなっている。生協労組としては、彼らの組織化を進めている。去年の年末彼らと懇談をしたことで初めて彼らの労働実態を知ったらしい。たとえば、残業代を申請できない。なぜなら残業をすると皆勤手当が出ないので、総額としては変わらないからである。交通費も上限があってそれ以上は出ない。遠い事務所にいく場合は自腹を切っている。トラックに乗って配達しているのであるが、事故をしても自腹で修理したほうが、無事故手当を削られるよりはいいと判断したりする。労災になると、手当を差っぴかれる。よって自腹で医者にかかる。彼らに労組を作ってこれらの労働条件を変えていこうと言うと、気持ちとしてはものすごくよく分かってくれるのであるが、派遣会社の横槍等があって今はなかなか進んでいない、とのことだった。ーーーかつて生協といえば「民主的な職場」だといわれていた。しかし、その職場でさえ、このような実態がある。ましてや、一般の派遣労働の実態はおして知るべきであろう。若者の就職の相談に乗っている人の報告では、いま就職では二極化が進んでいるという。早く決まる人は何社も内定が出ている。決まらない人には一社も決まらない。あるいは週五日きちんと働いててどり11万しかもらえない30台の正規の男性は、「今ガソリン代は親に負担してもらっているのでまだ何とかなるけど、年金暮らしの親にもう甘えられない。」という。そんな彼も「自分はまだましなほうだ」という。又はこんな話しも聞いたそうだ。ワーキングプアという状況下、お金があるか無いかで生活が左右されている。そんな中「自分はこの給料分の価値しか無いんだ」と思わされてしまうという男性もいるそうだ。若者の間では、権利の学習とともに、メンタル面でのサポートも必要になっている。ーーーこの報告に本当に胸が詰まりました。いくら頭で分かっていても、実感として思ってしまうと、自分でもそのような気持ちになるかもしれない。ましてや、頭で分かる方法さえ持っていない人にはなおさらだろう。一体誰が悪いのか。教育の場で『アルバイト生活をするとこのような保証が無い、派遣になると、生涯賃金はこれだけ、だから「負け組み」にならないようにしよう』というような授業をしているところがあるらしい。社会の実態を教えるのはいいことだと思う。労働者の権利を教えるのはいいことだと思う。むしろしっかりやって欲しいと思う。けれども、その教え方は十分に注意するべきだろう。
2007年02月06日
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4日に「若者の雇用と労働を考える」就職問題学習会に行ってきた。(就職保障と人権を考える岡山連絡会主催)中西新太郎さん(横浜市立大学教授)の講演の後、幾人かの労働者の現状報告のシンポジウムがあり、興味深かった。中西さんは06年の有効求人倍率が、一倍を上回ったことの中身を見ると、ぜんぜん喜べないといいます。ひとつは地域的な差が大きいということ。(青森0.42沖縄0.43高知0.51長崎0.62)ひとつは非正規の就業が三人に一人の割合と、急激に増え、若年層の非正規就業率は特に増えている(15~24歳非正規率、男36%女44%)からだ。以下印象に残ったことを羅列します。「生活保護を受けながら、教員・公務員の仕事をする人が増えている。公務員の中で派遣労働者が急激に増えている。」「学生アルバイトもいまや明確な戦力。(マクド11万人の内95%はアルバイト)試験があるから休ませてほしいと言ったらバイトの上司から『バイトと試験とどっちが大事なんだと詰められた』と、この前相談を受けた。」「ワーキングプアのきちんと定義すると、労働をしていても賃金が生活保護基準に達しない人のことをいう。22~3歳の一人暮らしの岡山の生活保護水準は16-7万円。川崎なら22-3万円。これ以下の給料の人はいくらでもいるでしょう。彼らが増えることで、正規の処遇も切り下げられる。処遇切り下げのスパイラル(相関)関係にある。私のところに相談に来た男の正規の人は、朝6時に出て、午前2時に帰る仕事である。赤い血ではなく、緑の血を吐いたという。しかし彼は『仕事をやめるわけにはいかない』という。」ーーーいざなぎ景気を超える、だって? 求人倍率が一倍を超えた、だって?国民に最低限以上の生活を強いることで、国民の労働力は「再生産」する気持ちがもてない。あなたたちの好きな言葉を使わせてもらえば、これは結局「亡国」の道なのではないか。 2332社の会社にアンケートをとり、半分以上の会社は「以前のような雇用政策に戻すつもりは無い」といっている。一度しめた蜜の味を会社は決して逃さないだろう。いまのワーキングプアが元に戻る道は根本的な政策の転換しかありえないだろう。と、私は思う。「これらは小泉構造改革の結果である。」「自立支援、自己責任という言葉がキーワードとして出てくる。これらは、今まで社会保障や福祉の分野で出てきた言葉だ。02年の「ホームレス特別措置法」ではホームレスは『自らの自立に努めるものとする』となっているし、「健康増進法」では『生涯にわたって自らの健康を自覚するとともに、健康の増進に勤めなければならない』と『国民としての義務』をうたっている。自立支援とはできるだけ公的保証を求めるな、ということである。」「03年「若者自立・挑戦プラン」が提唱される。若者自立塾に国が金を出すようになっているが、実は三ヶ月で就労率七割をクリアしないと補助金がつかないしくみ。必ず自立困難な人は助けないようになる。社会に出やすい意欲のある人だけを塾に入れるようになるだろう。」こういうことが今度は教育に向ってなされるようになる。」ーーー『自立』のバトンは社会保障から労働・教育へ。こんなバトンは手渡されたくない。「再チャレンジ」という言葉決して不安倍増の発明語ではない。教育基本法を変えて、競争社会に変えることは、経済界の戦略的な要望なのだということがよく分かる。長くなったので、ここでいったん切ります。続きは明日。
2007年02月05日
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2006年9月8日(金) 11日目ソウル観光を始める景福宮の近くを歩いていると、機動隊の方が一列に並んで、集会の監視をしていた。韓国の抗議集会は常に歌が出る。カセットテープレコーダーまで持ち出している。楽しそうだ。朝、青瓦台(大統領官邸)にどこまで近づけるか試してみる。機動隊の人ではなく、白い制服を着た警官がやってきて、質問するから「観光です」と言ったら通してくれた。官邸が見えるところでカメラを構えると、「ダメだ」と言う。やっぱりね。写真は遠くの丘から青瓦台を撮ったもの。 穴場のスポットですそこから右に折れて、「大統領の理髪師」のロケ地みたいなところを歩いていく。驚いたことに日本風の建物がたくさん残っている。(このあたりは一般の観光マップに載っていないけどお勧めです)非常に古い町並みで、四合院みたいな家並みが続いていた。最後の韓国式餅菓子は忙しくて結局これが昼食になった。 西大門刑務所歴史館西大門の刑務所あとに行く。歴史館のパンフレットには「わが民族は、日本帝国による強制占領と言う痛みを抱えてきました。この時期は民族のプライドが傷つけられ、民族自らの発展が中断されるなど、苦難の歴史でありました。それと同時に、我々には歴史的な現実に屈したり、妥協したりせず、民族の独立のための闘争の歴史があり、そのおかげで今の私たちが存在しえるのです。西大門刑務所歴史館はこのような歴史を引き継ぐための教育の場として開館しました。」とあります。こっそりと写真を撮りました。外観と女性の拷問の様子 戦争博物館で当てが外れる戦争博物館にも行きました。二度目です。とてつもなく大きい。けれども今回来た目的は、以前時間の関係では入れなかった戦争体験館に入ること。ところが、今日は曜日の関係で、そこだけが休みだと言う。ひじょーに悲しかった!!写真は戦争博物館の建物と、外庭で見つけたいようなオブジェ。最初に見た感想はマンガ「デビルマン」に出てきた亀の甲羅に子供のたちを取り込んだあの化け物だ、ということ。 国立博物館、期待が大きかっただけに‥‥‥国立博物館が新設されたので見に行く。非常に大きい。ただし、新設のくせに日本語の説明がない。しかも、デジタル検索の資料映像もない。日本観の資料は東京国立博物館から借りてきていて、一応立派な資料が多いだけに残念だ。写真は順番に展示室奥にある中世のなにかの塔(^_^;)、日本の縄文土器、韓国青銅器時代の鈴。 居酒屋で食事大元旅館で一緒になったHさんとペッカジャン駅で待ち合わせ、夕食を食べる。江南なら適当な食べ物屋はいくらでもある、と思ったら、一人三万もするような肉屋とか高い店ばかり。読みをはずした。彼にかわいそうだったが、探し回って結局居酒屋に入り、トントン酒とトッポキとトーフキムチ、フルーツのセットを食べた。私にとっては一人では入れない店なので助かった。 彼は在日二世。韓国語はまったくできない。趣味はカジノ巡りらしい。たまたまグァムでのカジノに行く予定が難しくなり、せっかくの10日ばかしの休み、思いついて韓国に来たらしい。カジノだけは全世界共通なので、入ってしまえば言葉には困らないらしい。2,600(電池) 1,000(お菓子) 12,500(キョトンカード。東京のスイカカードみたいなもの) 30,000(宿泊代二日分) 600(ジュース) 2,000(西大門記念館) 3,000(戦争記念館) 1,500(昼食) 2,000(国立博物館) 17,500(居酒屋)
2007年02月04日
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2006年 9月7日(木) 10日目ついに旅も10日目になった。(はじめて読む方は左のカテゴリーの「韓国旅行記」をクリックしてください。)今日の夕方、ソウルに着いた。水原(スオン)から遠いと思っていたが、なんとバスでも電車でもなく地下鉄でソウルの目的地までいけることが分かった。明日から都会の地下鉄生活が始まる。さて、今朝の話から始めよう。バスで迷う朝、最初、もうばっちり慣れたと思っていたバスの移動で失敗した。駅から華城(ハァソン)まで、昨日の観光案内で教えられていた39番のバスに乗ったら反対方向に進んでいき、郊外のスーパーマーケットで終点になってしまった。(下りと上りのバス停を間違えた)「この近くのバス停で55番のバスを待て」と車長は言う。ところがバス停を間違えて待てど暮らせど55番のバスはどんどん目の前を通り過ぎる。やっと本当のバス停を見つけて、なかなかバスは来ない。隣でバスを待っている人に聞いたら、「2番のバスに乗り華西駅でおりなさい」とのこと。後で考えると「ハァソン(華城)」と「ハァソヨ(華西駅)」の勘違いだったのだが、運よく2番のバスは華城の八達門へ連れて行ってくれた。まあ、こんな間違いも旅の楽しさではある。世界遺産。水原の華城一応、世界遺産の長い長い城壁を観ておこうと思い来た。実は期待はしていなかった。午前中で用は足りる、と思っていたのだが、案外見どころのある世界遺産だった。 伝統演舞の中に日朝交流を見る11時から毎日催されているという「武芸24技」を見た。これは1790年に編集した王の武芸集を基にした演舞。まだ朝鮮通信使で国交があったときにできたらしく、韓国、中国、日本のチャンポンである。槍はあるは、カンフーはあるは、日本刀を使った演舞もある。日本を真似たとしか思えない、長刀を使った藁切りもある。すぐ近くで幼稚園児が見ているのにもかかわらず真剣演技である。以前にもどこかに書いたが、日本と朝鮮半島がいびつな関係だったのは、4~5世紀の一時と、秀吉の時代と、近代の一時期だけであって、3000年以上の歴史のほとんどは良好な関係が続いていたのではある。日本刀の演舞を見ながら少し不思議な感じがした。この華城の中に復元されている行宮の中には神聖なケヤキの木があって木に手を当てて祈ると願いが通じるという。木はナムという。南無大師遍照金剛という題目に通じるからであろうか。願い事を書いて木に結びつける。私も真剣に願い事をした。 美味しい定食屋行宮から長安門に向かって歩いていく途中の右手に、セルフサービスの定食屋があった。駐車場にずらーとタクシーが並んでいる。地元のタクシーの運ちゃんの昼食場なのだ。世界の公式だと思うが、このような店に外れはない。皿に好きな食材を入れ、好きなご飯(五穀米にした)をつぎ、ほかにスープと肉がついて4500w。おかずもすべて美味しかった。特にパジャン(お好み焼き)。しっかりと青ねぎが入って分厚く、大変美味しかった。名前を失念した。○○食堂(シクタン)だった。武器とはなにか東将台では弓の試射をすることが出来た。5本で1000w。初めて弓を射る、ということをした。おじさんが丁寧に教えてくれる。左手で弓をしっかりと持ち、右手で矢を番えて親指でとめ、しっかり引いて、手をパーにして放す。そんなに力を入れて引いたわけではないのに、30mから40mぐらい飛んで的に(真ん中ではないが)5本中と3本突き刺さった。矢が手から離れて生き物のように飛んでいくのは異様な快感がある。古代、これを手にした男たちは、確かに新たな「力」を手に入れた、と思ったに違いない。矢の先は単なるプラスチックだったが、それでもやわらかくできた的には深々と突き刺さっていた。これがもし石矢だったら、進化して鉄矢になったら、戦いはどのように変化したのだろうか。武器は人間の「力」(あえて暴力とは言わない)を倍化、時には数百倍化、数億倍化(核兵器等)する。武器は必ず進化する。矢が弓から離れたとき、私はその進化の源にふれたような気がした。 城を一周している途中、のろし台があった。映画「指輪物語」の烽火が次々と山々を渡って行く場面を思い出す。押しの強い商売屋昨日でついに時計の代わりに使っていた携帯のバッテリーが切れた。110wの変換機を水原で探したのだが、結局なかったので、仕方なく1万wで腕時計を買う。「この乾電池何年動きますか?」「10年」栄洞市場のアガシ(お姉ちゃん)は少し自信なさげにけれどもきっぱりとそう言う。「本当~(チョンマルヨ)?」しかし背に腹は代えられない。この旅の間だけでも動けばいいのだ。散財をした。(今も順調に動いている。1分の遅れが出ている。)水原からソウルに行く途中の出来事はここで書いている。 宿は大元旅館今日の宿は有名な大元旅館に決めた。部屋泊りも出来るのだが、予算上ドミトリーにする。寝台列車のような寝床で一泊15000wと、高めではあるのだが、主人が気のいい方であるということと、洗濯サービス(1000w)、お湯の出るシャワーが決め手になった。交通の便もいい。この旅館は今までのセオリーと違い、周りが旅館街ではない。二階もない。中庭があるから、おそらく普通の民家を改良したのだろう。後でわかるのであるが、日本のパックバッカー(旅人)が集う拠点なのでいろいろと交流ができて楽しかった。ソウル滞在中は日記が簡単になるけれども、日記を書く時間がなくなるくらい夜遅くまで話し込んでいたということです。ドミトリーの同室の一人は19歳の朝鮮語専攻生のO君。初めての韓国らしい。いいなあ、若いなあ。1,000(キムパブ朝食) 900(コーヒー合計三杯) 1,000(コインロッカー) 850(バス代) 850(バス代) 1,000(入場料) 4,500(昼食代) 1,000(弓) 10,000(時計) 850(バス代) 1,400(地下鉄) 3,000(喫茶でコーヒー) 15,000(宿泊代) 1,000(洗濯) 8,000(本) 5,000(夕食、中華店で本格的なジャージャー麺を食べる) 追記迷惑TBがたくさん着いてきていますが、今回に限り削除せずに晒しておこうと思っています。TBを頂ける方は明日も韓国旅行の記事を書きますので、そちらのほうにしてください。なぜ晒すのか。ひとつは、普段は6つか10個ぐらいの迷惑TBしかこないのですが、今回25も来ました。内容から同一人物から来ているみたいです。迷惑TB最高値ということで記念です(^_^;)ひとつは、私が記事を書いたのが、Last updated 2007.02.03 14:10:31で、彼(彼女)からTBを頂いたのが2007.02.03 14:39:47で、最後は2007.02.03 15:11:05です。記事を書いて約30分後に早くも内容を察知して、約30分もかけてTBを送るという彼(彼女)の、心の品性がこのTBを見ていると見えてくるからです。前記事「ディパーテッド」にはTBがつかなかったことを考えると、何らかの監視体制を引いていているということが分かります。また、今回の記事のどこに彼(彼女)の興味を引いたのか分かりませんが、このようなTBを送るのはなんとも貧しい発想としか言いようがありません。私自身は削除するのに実質2分もかからないので、TB自体は全然困りません。彼(彼女)はどのような仕組みで、どのくらい時間をかけてやっているのでしょうか。いつか、こっそり教えていただけると嬉しい。ともかく、そのようなことが「分かる」TBということで晒しておこうと思います。みなさん、くれぐれも見に行かないように。履歴から迷惑TBがやってくる恐れもありますし、最近はホームページを見ただけでウィルスに罹るやり方もあるそうです。
2007年02月03日
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製作・監督 : マーティン・スコセッシ 脚本 : ウィリアム・モナハン 出演 : レオナルド・ディカプリオ 、 マット・デイモン 、 ジャック・ニコルソン 、 ベラ・ファミーガ 、 マーク・ウォールバーグ まだ「インファナル・フェア」三部作を見ていない方は、まずは「ディパーテッド」を見たあとでこの三部作を順番に見ることをお勧めします。どうしても前作がちらついてしまって、客観的な評価ができない。すみません。密告と裏切りの世界。登場人物たちはほとんど悩んでいないように思える。でもそれはそれで、9.11以降、盗聴し放題になった(「テロ防止法」のおかげでFBIの許可を得れば出来るらしい)アメリカ社会の今の雰囲気を映しているのかもしれない、とも思う。乾いた映像。最後の畳み掛けは、まさに「ディパーテッド」。レオ様が彼女にあてた手紙の内容が気になる
2007年02月01日
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