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2009年10月12日
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カテゴリ: 邦画(09~)
昨日のETV特集「死刑囚 永山則夫」は衝撃的だった。
実は、永山則夫についてはほとんど知らなかった。まさかこんなにも、特異で、短くも影響力のある人生を送った人だったなんて知らなかった。
ウィキペディアで 永山則夫 を引いてみた。
生い立ち
1949年6月27日、北海道網走市呼人番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。腕のよいリンゴの剪定師だったが博打に明け暮れる父親の放蕩生活によって、家庭は崩壊状態であり、現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。1954年(当時5歳)に、母親が1人分しか汽車賃が出せずに則夫を含む4人兄弟を網走の家に残し、青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう(後に書いたノート母はで悔いている)。残された則夫を含む4人兄弟は屑拾いなど極貧生活に耐えてギリギリの生計を立てたものの、1955年に、4人を見かねた近隣住民による福祉事務所への通報をきっかけに、板柳の母親の元に引き取られた。母親は行商で生計を立てた。

1965年3月、板柳から東京に集団就職する。就職の際に取り寄せた戸籍謄本の本籍が網走無番地であり、網走刑務所生まれと考えたため(実際には刑務所の外だった)。渋谷の高級果物店に就職し精勤し新規店を任される話まであったが退職、その後も職を転々として全国を転々、どこも長続きしなかった。1967年4月、明治大学附属中野高等学校の夜間部に入学するも、同年7月、除籍処分を受ける。1968年4月、同校に再入学し、クラス委員長に選ばれる。[1] 初めての犯罪は、横須賀の米軍基地内での自販機荒らしであった


連続射殺事件
米軍宿舎から盗んだピストルで、1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、いわゆる「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。永山は1965年に起こった少年ライフル魔事件の現場至近で働いていたためにこの事件を目撃しており、これに刺激された犯行ではないかという見方もある。

1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された[2]。1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない」として死刑判決が確定する。

この判決では死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。

獄中での心境の変化
一審頃まで
永山は生育時に両親から育児を放棄され(ネグレクト)、両親の愛情を受けられなかった。裁判が始まった当初は、逮捕時は自尊感情や人生に対する希望や他者を思いやる気持ちも持てず、犯行の動機を国家権力に対する挑戦と発言するなど、精神的に荒廃していた。

二審頃まで
その後、獄中結婚した妻やその他の多くの人の働きかけと、裁判での審理の経験を通じて、自己が犯した罪と与えた被害の修復不可能性に関して、自己に対しても他者に対しても社会に対しても客観的に認識・考察する考え方が次第に深まった。その結果、反省・謝罪・贖罪の考えが深まり、最終的には真摯な反省・謝罪・贖罪の境地に至った。また5人分の命(被害者と自分)を背負って贖罪に生きることが償いになるのではないかといったやり取りが残されている。二審のやり取りの中でもし社会復帰をしたらの問いに対し「テストで1番の子がビリの子を助けるような塾をやりたい」といった趣旨の発言をしている。

差し戻しから死刑確定頃
差し戻し審で無期懲役が難しくなると一転して1審のような国家権力に対する発言に変わったが関係者の話では1審のような迫力はなかった。また拘置所で面会に訪れた人に対して社会に出た時の話をしなくなった。弁護士に対して「生きる希望の無かった人に生きる希望を与えておきながら結局殺す。こういうやり方をするんですね」といった趣旨の発言をしたとされる。


死刑執行から12年たった今、なぜかもと妻の和美さんの初めてのロングインタビューがあり、それと永山則夫の自筆の手紙が中心になって番組が構成されていた。

和美さんが何故今発言したのかよりも、今まで発言していなかったことに驚きを禁じえない。永山の願いは一つは、永山子ども基金の存在があるように、「二度と(貧困などの理由により)自分のような人間が出現させないこと」にあったに違いない。この10年、酒鬼薔薇事件の裁判、光市母子殺人事件の裁判、貧困の深まり、永山則夫の問題はいつも日本の社会と大きく結びついていた。いったい何故このような番組が今まで作られなかったのか。

この番組を見ると、永山がいかに獄中で更正したのか、それにどれだけ和美さんの存在が力を貸したのか、手にとるようにわかる。

和美さんと永山氏の過去との相似と、決定的な違い。だからこそ惹かれあった二人。和美さんが永山氏の「足」となって贖罪の旅をした経緯。それらはもっと深く知られるべきことだと思う。



いまだ明らかにされていない、1900通(だったかな)の手紙のやり取り。そこには日本の裁判制度への重大なヒントがあるに違いない。

永山氏の19歳当時識字が出来ていなかったとは思えない論理的など文章と確固とした「字体」。

マルクス主義を論じたという70年代の手記や、新日本文学賞を取ったという『木橋』など是非読んでみたいと思う。

無知の涙増補新版





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最終更新日  2009年10月12日 22時55分22秒
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