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2018年09月25日
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カテゴリ: 邦画(12~)


岡山での展示は24日で終わりましたが、高倉健展をレポートします。23日に行きました。高倉健に思い入れはほとんど無い。けれども、日本を代表する俳優の回顧展を近くの美術館で開く。映画のファンであり、博物館フェチでもある私は行くべきだと思った。博物館フェチとして図録も買ってしまった。予算オーバー(3500円)だったが、フェチとして仕方ない。




高梁市成羽美術館は、安藤忠雄設計である。これで来るのは3回目なのだが、今回は大幅に展示替えしていて、3回も迷った。迷わすのが目的の設計なのだから仕方ない。



デビュー作 は「電光空手打ち」(1956)である。まさかの姿三四郎張りの空手映画。最初から主演だった。以降、ほとんどの作品は主演か、それに準ずるものだ。イケメン俳優として前面に出して、当時石原裕次郎が同期としての他社からニューフェイスで売り出していて、高倉健は東映の看板としてデビューした。

1956年だけで11作に出演している。背の高いハンサム男の佇まい。私は、大根と言われても仕方ない演技だと思った。

57年10作、1958年13作に出演。この頃はまるでテレビドラマのように作品が作られる。美空ひばりとは何十となく共演している。吉永小百合もそうなのだが、ホント美空ひばりは映画スターだった。1958年、観客動員数は最高を数えた。以降映画は下り坂になる。

最初の頃から、愚連隊、軍人、ヤクザ的な男、一方では背広を決めた金田一耕助や学生服姿、会社員等の真面目な男。ともかく最初から堅物というイメージで通っている。演技はやはり、表情のバリエーションはあまりない。昨今のアイドルの方がバリエーションはある。そして、ラブシーン(キスなど)は恐ろしいほど無い。高倉健が極端に嫌ったらしい。晩年と違う所は、よく動き、よく喋る。よく喧嘩する。

1963年は八割がたヤクザ、ギャングものだった。

1964年。遂に「日本侠客伝」シリーズが始まる(全11作)。表情が生き生きしてる。堅物で朴訥ではあるが型にはまらず最後に怒りを爆発させる高倉健に、世の労働者は共感したのだろう。藤純子とこの時から共演。助演は歌舞伎俳優の萬屋錦之介。型の歌舞伎から高倉健の大きな代替わりだった。

1965年。日本侠客伝続編にも出て、「飢餓海峡」、「宮本武蔵」などの話題作にも出ていた。この年から「網走番外地」始まる。

1966年。しかし、網走番外地って、こんなに作られているんだ(全10作)。

1966年。「昭和残侠伝唐獅子牡丹」。完全に「パターン」を作っている。

1968年。異色作も二作あった。佐藤純弥監督の外国映画みたいな「荒野の渡世人」、西口克己原作の時代劇「祇園祭」。あとはヤクザもの。

1969年「非牡丹博徒花札勝負」藤純子の非牡丹シリーズ始まる。この年侠客、ヤクザものはなんと11/12作に及ぶ。

1971年。「任侠列伝」のチラシを見る。この作は鶴田浩二が主演で高倉健は2番目。次が藤純子。この三人が三枚看板とチラシに書いている。しかし、藤純子は1972年に引退する。この頃から任侠もの自体が作られなくなってゆく。10年以上任侠ものが作られ、さすがに「飽きられ」てきたのだ。

1973、4年。「ザ・ヤクザ」外国の脚本の厚い表紙付きの脚本がすごい。「ゴルゴ13」で使用された型と同じサングラス展示。興味深い。
この年は半分は侠客ものではない。明らかに「転機」である。高倉健も時々ヤクザでも拳銃を使っている。そして高倉健は、76年に東映を卒業する。まるでアイドルの卒業のようだ。出演作のカラーもガラリと変わる。

1976年から78年で5作品だけ。しかしヒットした。これで名実ともに映画スターになったと私は思う。即ち「君よ憤怒の河を渡れ」(76)「八甲田山」(77)「幸福の黄色いハンカチ」(77)「野生の証明」(78)「冬の華」(78)である。この頃から映画は、豊富な予算と大規模な広報戦略を伴う大作主義に移るが、高倉健はその中の最重要俳優だった。高倉健の抑揚のない朴訥な喋りが、演出にマッチした幸せな作品群である。

「幸せの黄色いハンカチ」の脚本を見た。細かい所で、勇作のセリフ「こいつと一緒にならなかったら俺は二度と幸せになんかなれない」を「幸せになれんかもしれん」と自然の言葉に直していた。

このあと、年一本ペースで映画出演。「南極物語」(83)の過酷なロケ。きちんとした役作りをしていた。少しの表情の変化が、多くのことを物語る幸せな時期。この時期に至っても惚れ惚れするほどのイケメン俳優である。

実はリアルタイムで映画館で見始めたのは「鉄道員」(99)からだ。思いもかけず泣いた。大根だと思っていた高倉健で泣けたのが我ながらショックだった。佇まいだけで、全てを語っているように思わされた。この時初めて高倉健をすごいと思った。日本ではあまりヒットしなかったが「単騎千里を走る」(06)はとても良かった。後期は、5年10年7年6年と次回作の間隔が空く。

2012年「あなたへ」が遺作である。2014年、没年83歳。

1972年、京都東映撮影所で「望郷子守唄」の撮影が行われていた時、テレビでは浅間山荘の中継が映されていた。楽屋でメイクをしながらテレビを見ていた高倉健は、助監督の関本郁夫に向かい「こんな日に撮影なんて出来ねぇよな」とつぶやく。小沢監督に伝えて、この日の撮影は中止になったという。高倉健は連合赤軍の思想に共鳴していたわけではない。ただ、極寒の浅間山麓で冷水を浴びながら闘う者たちを暖房の効いた控室で見ていることに耐えられなかったのだと、関本は証言する。(伊藤彰彦「映画俳優高倉健」)それはおそらくホントだろうし、私は十分に信じることが出来る。高倉健が高倉健として映画スターになったのは、そういう「優しさ」だろうと、私は205作のフィルモグラフィーを観てそう思うである。





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最終更新日  2018年09月25日 08時38分02秒
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