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「間抜けの構造」ビートたけし 新潮新書 やはり「映画の間」を論じた第六章が1番面白かった。 ・映画も間で決まる。 ・ひとつは「時間の流れ」としての間 1秒24コマのフィルムでできているが、編集で「2コマだけとる」ということをよくやる。この感覚は漫才をしているときと同じ。「あ、ここはだるいな」「オチが読まれているな」というときの0.02秒で切る感覚。 ・ひとつは「空間的」な間 カメラの位置を決める。人によって個性がある。 ・殺陣の間。斬られ役が主導権を握る。 ・脚本の間 構成を因数分解して、説明を省く XがABCDを殺す場合、 XA+XB+XC+XDとはやらない。Aを殺したならば、後はBCDの死体を置く。X(A+B +C +D)だ。そうなれば必然と説明も省けてシャープになる。 ←確かに北野武の作品は大抵こうである。 ・役者も演技で間をとる。 樹木希林なんて、「相手の芝居をつぶす演技」をする。熱演していると、それをはずす。「あんた、さっきからワーワー言っているけどさ」脚本通りでも間を変えるだけで、芝居の印象をガラッと変えることができる。デ・ニーロの二度見。アルパチーノの四度見。 ・「おいらはギャング映画でも暴力映画でも、もうちょっと観ている方は考えた方がいいと思っている。考えさせるためには、余韻や映像の美しさが必要で、そうすると自然に『間』も決まってくる。観ている人を思考停止に陥らせるような映画をつくろうとは思っていない」 ←やはり偶然では、世界に発信できる作品は作られないということだ。 ←ただし、言っていることは正しくても、監督は作品によって評価されるのである。 内容紹介(Amazonより) 見渡せば世の中、間抜けな奴ばかり。どいつもこいつも、間が悪いったらありゃしない。「間」というものは厄介で、その正体は見えにくいし、コントロールするのも難しい。けれど、それを制した奴だけが、それぞれの世界で成功することができるんだよ――。芸人、映画監督として、これまでずっと「間」について考え格闘してきたビートたけしが、貴重な芸談に破天荒な人生論を交えて語る、この世で一番大事な「間」の話。 ● すべての勝負事に必要なのは、相手の「間」を外すこと ●成功の秘訣は、時代の「間」をいかに読むか ●政治家はいつからこんな「間抜け」ばかりになったのか ●「間抜け」とは、自分を客観視できない奴のこと ●芸人にとって「間」の良し悪しは、死活的に重要である ●漫才の「間」をコントロールするのは? ●ディベートの上手い人は、呼吸の「間」を読むのが上手い人 ●「言いたいこと」は、「三つ」ではなく「二つ」に絞る ●映画は、「間」の芸術である ●説明ばかりで「間」のない映画やドラマはつまらない ●「間」とは何かを考えることは、日本人を考えることに通じる ●「「間」がわかる」「空気が読める」には弊害もある ●あえて意図的に人生の「間」をつくれ ●どうすれば「運」や「間」を味方につけることができるか ●我々の人生は、生きて死ぬまでの「間」である
2021年02月18日
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「日経ヘルス2021年2月号」 初めて買った。言うまでもなく、腸活の一貫である。私は雑誌に関しては1/3 以上目を通せば熟読したことにしている。興味深い記事は、それぐらいはあった。 今まで読んできた腸活本には載っていなかった情報がいくつかあった ◯オートミールダイエット(発酵食品朝食) ◯ダイエットを妨げないチョコ、ダイエット効果を高めるチーズ ◯フライパンひとつでつくる夕食、8分蒸し料理 ◯お酒のカロリーと糖質の関係、太らない飲み方 ◯腹凹ウォーク(凹み腹を糸でゆるく縛って歩く) ◯入浴時の足ツボマッサージの仕方(便秘解消) ◯大豆ミートとは何か 因みに、 ・テレビドラマ「天国と地獄」の番宣も兼ねて表紙を飾った綾瀬はるかさんの「美と健康の3つのルール」(1)ハードな筋トレはせずに、散歩で適度に体を動かす。←ただし、今出演している作品による。「精霊の守り人」の時は違っていただろう。(2)念入りなマッサージで、冷えとむくみを解消(3)毎日のプロテインで美肌と筋肉量をキープ。←多分、彼女にはアクション女優としての矜持があるのだと思う。←性格はおっとりだが、案外ストイックな性格なのかもしれない。 ・オートミールは試すつもり。大さじ5(30g)を耐熱容器に入れて水を入れてレンジチンでお粥ができる。後はそれを洋風・和風にアレンジ。(例えばトマト雑炊143カロリー、食物繊維3.5g、タンパク質5.4g) ・太りにくいのは、糖質の少ない蒸留酒となっていた。よって、ビール、お酒、ワインはバツで、ウィスキー、焼酎、ジン・ブランデーはマルだって。ワインはマルだと思っていた。私の飲酒量は比較的少ないのでこれからも飲むが、これからは泡盛も仲間に入れようと思う(アルコール40度の古酒で名酒を手に入れるツテがある)。 ・基本的に若い女性向き雑誌です。
2021年02月13日
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「うんちを見るだけで腸ハッピー!腸活メソッド」監修/ウンログ 主婦の友社 私が腸活宣言をしたのは1月だけど、実は少しずつ腸活を始めたのは昨年の夏からだった。そのキッカケは、この本ではなく(昨年10月刊行)、この本を監修しているアプリ「ウンログ」をインストールしてからである。 記録式ダイエットというのがあるけど、観便記録するだけで週2-3回の「うんち」(この本ではこの呼び方で統一している)が、3-4回に改善した。その他、毎週YouTubeで腸活メソッドを提案していたり(「やせ玉」本はここで知った)、ウンログ主催の腸活サプリメント・食材のチャレンジ企画(達成すれば実質無料や半額になる)があって、まんまと乗せられていたというわけだ。実は今回2回目になるのだけど、先週あのファイブミニ飲料の1週間チャレンジがあって、コレ私には身体が合っているのか、なんと9日連続で「出て」きてた(半年で最高記録)。サプリに頼るのも良くないし、お金もかかるので、おそらく続かないけど。 アプリを見たり、この間の本を読んだりして、あまり凄い事は書いていないけど、94pオールカラーで絵やグラフ!写真豊富で、とても読みやすい。 うんちの観察は、 (1)かたちを見る (2)色を見る (3)量を見る (4)においをかぐ が基本なのですが、ここではアプリ以上に専門的に書いていて、適当に7種類(「ころころ」「かちかち」「ぶりぶり」「ほそぼそ」「ふわふわ」「どろどろ」「びちびち」)に分けているのかと思っていたら、7種に分けるのは、「ブリストルスケール」という国際基準だったとは、初めて知った。理想的なのは、上から3-5の間。私は2時々3たまに4という状態なので、基本的に水分が不足しているようだ。わりと取っていると思っているのだけど、やはりまだまだ足りない(1日1.5-2L必要)のだろう。 色の意味はこの本で初めて知った。やはり理想的ではない。脂肪の取りすぎ、或いはぜんどう運動がうまくいっていないからだと思われる。 重要なのは、量ではなくて、排便時にスッキリ感があるかどうからしい。 私の腸活の基本書ではあるが、買うほどじゃない(ごめんなさい!)。アプリを入れて実践する方が大切。図書館で一通り見ておくのは大切かも。
2021年02月12日
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「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」庭田杏珠×渡邊英徳(「記憶の解凍プロジェクト」)光文社新書 たくさんの戦前・戦中の写真はあるが、もっぱらシロクロです。わたし達はそれは見て、無機質で静止した「凍りついた」印象を受ける。戦争を他人事にとらえることに一因にもなっている。このカラー化は、戦争を自分のこととして捉えることを助けるだろう。 AIで色をつける事はできる(幕末期写真はそれ)。しかしそれでは未だわたし達の知るカラー写真ではない。その記憶を持つ「生存者」と話し合い、色をつける。その写真を見せて、更に記憶が蘇る。更に写真が真に迫ってゆく。 そうやってよみがえった写真の数々。気がついたことを以下に羅列してゆく。 (ー1941) ・1932年大阪浜寺双葉幼稚園。12人の幼児が小山に登ってメルメットを被り、背中にカバンを背負って、おもちゃの鉄砲を構えて、戦争ごっこをしている。明るい日向の下、新緑の芝生の上のいかにも微笑ましいはずの景色ではあるが、鉄砲を構える幼児たちや旗持ちの姿が、あまりにも堂に入っていて、「これが戦前の風景なんだ」と腹落ちするのである。 ・あみ傘をさした着物姿の沖縄県糸満の女性。現代のどの映画女優とも似ていないけど、わたしならば直ぐにスカウトするね。それほどの存在感ある美人。後の白いTシャツ、紺のスカートの女の子は裸足である。 ・糸満の漁師のふか捕り名人。木綿紺絣(こんがすり)の一枚を羽織って帯で締めただけの普段着の中年の男の堂々とした筋肉と面構え。こういうのを見ると、弥生時代、貫頭衣一枚で人々が暮らしていたのも頷ける。 ・1939年。軍服・モンペ姿の結婚式の挙式での2人。2人とも中学生と見間違うほど幼い。モンペといえども、女性は桜色の着物を着ている。草履の鼻緒も色を合わせて精一杯のおしゃれをしているのを、カラー化で初めて知る。女性はずっと「一度は花嫁衣装を着たかった」とこぼしていた。 (1942) ・岐阜県の田舎の村の囲炉裏をかこんだ8人家族を映した写真。カラーだから、多くが鮮明。モンペの上のカスリが如何に粗末なものか、擦り切れた畳表、ピカピカに磨かれた板塀、使い込まれた鉄瓶、真っ白い陶器の湯呑みなどの「生活」が見える。父母と妹2人兄1人兄嫁と子供3人そして本人の9人家族である。 (1943) ・神戸市にて「働く婦人標準服展示会」という名前の街中の行進を写す。全員10-20代。紺一色か、つちいろ一色。しかし作りは意外とオシャレである。←コロナ禍のもと、こういうファッションショーもあって良いんじゃないか? (1944) ・一月。土俵入りする大横綱双葉山の写真。ほとんどの娯楽は閉まっていたと思っていたが、相撲はやっていたのか!ほぼ満員。まわしも金の化粧で派手だ。 ・マリアナ海戦の軽巡洋艦「バーミンガム」から撮影された、戦い後の飛行機雲を眺める兵員。三つ四つの飛行機が左右から違う円を描いて交差している。もはや2度と見ることは無いだろう(軽戦闘機の交戦はもうあり得ない)、青空の下の飛行機雲である。 ・特攻隊員たちの笑顔の記念写真が数枚ある。みんな若くてイケメンである。どうして?と思う。 (1945) ・硫黄島(全滅に近い)で、まる2日死んだふりをして土に埋もれ手榴弾を持っていた兵士が、説得されてタバコをもらっている図。こういうところが、アメリカの余裕だな。 ・東京大空襲の後の空撮写真。まるで緑色のタペストリーの半分が灰にになってぶすぶすと燃えているようだ。 ・3月17日神戸大空襲の跡。少し焼けて白い立て看板が立てかけられている。「楠公の霊地だ、断じて守れ 湊川警察署」。一面の焼け瓦礫。の中にこれを建てる警察署とは何なのか?霊地とは楠木正成が祀られている湊川神社のこと。 ・沖縄戦での有名な「鉄の雨(対空砲火)」の実際の色を初めて見た。空襲する日本軍機に向けて、まるで機織り布の糸のように撃ちて撃ち込んでいる「白色」は実は白い光線と橙色の光線が混じったものだった。こちらの方が確かに現実的だ。 ・無数の特攻機の写真がある。米軍の論理からすると、人間ではない奴らの仕業にしか映らなかったのかもしれない。日本人から見たら、人の死んでゆく様を写真に撮ったとしか思えない。 ・燃え盛る名古屋の街の空撮。まるで一枚の板が下から上に焼けているように見えるし、見ようによっては美しい。もう2度とあってはならない「戦争の姿」。 ・1945年6月25日、沖縄で米軍に投降する「白旗の少女」比嘉富子さんの有名な写真。カラーで初めて観る。ぼろぼろの紺のかすり、茶色のズボン、裸足、痩せこけた肋骨と腕、その辺りにあった山地の枯れ枝に白地の布をくくりつけたと思える急拵えの旗。様々な情報がカラー化する事で見えてくる。 ・呉市から見た広島市のキノコ雲。助言を得て若干真っ白から少しオレンジ色がかかっている。正に禍々しく美しい。そして、なんと間近に見えることか! ・福山大空襲跡の城址から見える福山市街地。ほとんど海が、山が見える。現代と比べて信じられない。 ・禍々しい、長崎市香焼島から見えた、長崎原爆が落ちた直ぐのキノコ雲。エヴァの世界だ。 (1945-1946) ・マーシャル諸島の捕虜兵士の写真。これで生きていけたのかというくらい痩せている。 ・11月千葉県国鉄総武本線日向駅近くの買い出し列車。屋根はもはや無く、まるで布切れの輸送列車のように人が溢れる。人はこんなにも列車に乗れるものなのか。みんな帽子をかぶっているか、手拭いを巻いている。裸頭は1人もいない。 ・一転、46年1月25日、銀座松屋呉服百貨店の前に発売のタバコ「ピース」を求めて、延々と「密に」並ぶ壮年男女と学生、数人帰還兵も。みんな比較的いい服を着ている。焼け野原の東京の何処から湧いて出たのか。 ・広島八丁堀の福屋デパートは、八丁座という名映画館があるために何度か訪れている。そこから被爆1年後の屋上から写したカップルの写真が最後に載っている。あの繁華街から海が見える。しかし、その頃デパートは既にダンスホールを営業していたという。カップルはその客かもしれない。いろんなことを考える。
2021年02月09日
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「大英博物館マンガ展図録マンガ!」ニコル・クーリッジ・ルーマニエール、松葉涼子編 松葉涼子日本語版監修 山川早霧、飯原裕美訳 三省堂 2019年大英博物館セインズベリー・ギャラリーで開催された「Citiマンガ展」の図録である。現代マンガとアニメを歴史的ツールと合わせて展示したらしい。50人の漫画家が俎上にあげられ、70作品とデジタル合わせて162点が取り上げられた、国際的に稀に見る規模の展示会だったらしい。 規模だけではない。図録を見ると、チョイスにはかなり違和感はあるが、大まかに「間違ってはいない」紹介の仕方をしている。流石に大英博物館というべきだろう。 ニコル・クーリッジ・ルーマエールの冒頭論文について述べる。 ・マンガ定義や歴史等よく勉強している。しかし、いい足りない事も多い。仕方ない事なのかもしれない。それよりも構成が独特だ。定義や歴史は半分以下で済まして、あとは「産業としてのマンガ」「国際的な影響」「アニメについて」述べる。つまり国際的視野でマンガを見るということはそういう事なのだろう。 ・例えば‥‥西洋のマンガは、イラストと「吹き出し内のテキスト」が協同してストーリーを伝える、というものらしい。日本のマンガはそうではない、という。テキストの役割はかなり従属的である。イメージを補完するのは、オノマトペや擬態語、擬声語だという。間違ってはないが、正確ではない。しかし視点は良いと思う。 何しろ、350頁超の珍しく大部な図録なので、言っておきたいことは山ほどあれど(例えば星野宣がインタビューで述べているように、未だ取り上げなければ「ならない」作家は山のようにある)、仕方ない。マンガ展に来た外国人に言いたい。この展示会で、日本のマンガが「だいたいわかった」などと思うなよ! あ、そうそう。この貴重な図録。いち早く日本語版を出してくれて、しかも流通に載せてくれてありがとうございました!
2021年02月05日
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「アニメーション 折にふれて」高畑勲 岩波現代文庫 「パクさんの教養は圧倒的だった」と、博識の宮崎駿に言わしめた高畑勲の最後のエッセイ集。昨年の「高畑勲岡山展」の時に購入していたが、未だに完読できない。あの圧倒的な「岡山展」の内容をふた回り三回り理論化したような内容で、まとまり切らないからである。高畑勲はアニメの周辺を語っているのだけだけれども、その範囲だけでも古代から現代まで、日本から遠く世界の芸術まで語っていて、しかもかなり専門的で濃い。私の手には負えないかもしれない。しかし、日本の文化を考える上で重要な指摘が多く含まれていて、とても大切な書物です。とりあえず私の関心あるトピックだけピックアップしたい。 「加藤周一『日本 その心とかたち』をめぐって」 加藤周一がNHK TVシリーズで展開した「日本文化の文法」は「1.彼岸性 2.集団主義 3.感覚的世界 4.部分主義 5.現在主義」であると分析し、それに全面的に賛同したうえで、それに付加する形で古代絵巻物からアニメに至る特徴と日本文化との関連を述べている。 日本のアニメの特徴 ・セルアニメ‥‥アメリカで開発された技術。最初から目標は立体的に動くことだった。しかし日本は動きよりも「きめポーズ」を大事にする。それでも面白いと感じさせるのはカット割りがうまかったから。リズム、テンポが生まれ、物語も作れた。絵で時を刻み、時間の流れを感じさせる。辿れば、紙芝居、江戸時代の幻冬芝居「写し絵」があり、12世紀の連続式絵巻に至る。 ・線の絵‥‥動きが少ないから主人公に強い個性は要らない。たいていは凡人で、追い詰められると強い力を発揮するが、線と平面のキャラクターは、それを頭の中で想像出来る。観客は我がことのよように入り込む。加藤周一の言う「文楽」に近い。西洋のように陰影があれば、かえって絵が「おれは本物だぞ」と主張し始めて、すぐに本物らしくないことがバレて見るのも嫌になってしまう。日本アニメで3Dが成功しないのはそういうわけではないか?それでも「ドラえもん」が作られ始めた。これは日本アニメの「バロック化」です。 ・闇と光‥‥日本の伝統絵画には、闇と光の表現がほとんどない。絵画だけでなく、蛍光灯が普及すれば一挙に闇を追い出した。「しかし、ここにきて実写やアニメがぎらつくCGに夢中になっている。おそらく、人々のこの世で生きている現実感がどんどん薄れていって、現実以上に生々しく強烈な現実感を映像に求めている現れではないかという気がします」(18p)←アニメ「鬼滅の刃」で使用されるCGはそういうわけで、見事な効果をあげていると思える。 ・強い主観主義‥‥「現在だけが問題」で、「その現在は、いわば予想を超えて、次々と出現する」、そして「状況は〈変える〉ものではなく、〈変わる〉もの」だから、「そこで予想することのできない変化に対し、つまり突然あらわれた現在の状況に対し、素早く反応する技術ー心理的な技術が発達する」というようなあり方が『千と千尋の神隠し』をはじめとする日本のアニメの一大特徴だ。(「」内は加藤周一の『日本文化のかくれた形』から)最近のアニメは、主人公が素早く反応し危機を乗り越えますし、観客はそれに喝采を送りますが、主人公が物事の因果関係を探ったり原因をつきとめる行動に出ることはほとんどありません。(←「鬼滅の刃」が正にそうです!!)主人公の良い心情は、必ず良い結果を生みます。因果関係の客観性・論理性は問われません。よってアニメは「建て増し主義」になる。豊富な細部のリアリティを、保証して全体を作り上げる。(←「鬼滅の刃」が正にそうです!!) ・「おたく的文化」の「集団主義」‥‥技術を、それを生み出した精神風土とは切り離して器用に受け取ったり、「遊び」として採り入れてしまったりする傾向。絵巻物(平安サロン)も浮世絵(黄表紙)も、マンガやアニメもそういうところから出発しながら、ほぼ自力で(留学もせず、外国の先生にも学ばず)独創的なところまで到達できた数少ない例。「集団主義」はそれを助ける。「そこには感覚の無限の洗練が起こるだろう」。(←大英博物館マンガ展図録を見ても、漫画家が世界を意識していた者は1人もいなかった) 「この世を力いっぱい生きたかった宮沢賢治」 宮沢賢治のことならおもしろい。と始まる高畑勲の賢治ミニ評伝。たった4頁に、賢治の言葉を換骨奪胎しながら、賢治の本質を述べる。 「タエ子の顔のいわゆる「しわ」について」 高畑勲は「日本のアニメの特徴」は「立体的に描かない」「単純な線にする」と自覚していたのにもかかわらず、近藤喜文という稀有な描き手を使って『火垂るの墓』『おもいでぽろぽろ』でリアルな立体的な主人公を描かせた。『ぽろぽろ』の27歳のタエ子にシワを描いている。高畑勲は筋肉の問題だとする。笑う時に見えるシワは、彼女の人格・意思の表れなのである。それは「成功した」と監督は感じた。一方で、この「しわ」を「醜いものとして感じて嫌う男たちがいる」と監督は述べる。アニメに自らの理想を投影して見たい人にとって、タエ子は夢想の対象となり得ない。実は私も「せっかくの美人が台無しだ」と思った男の1人である。女性はどう思ったのだろうか?(2000年記事) 「『竹取物語』とは何か」(2009年の未発表論文。映画企画書の一部) ←私はかつて何度もこのアニメ(「かぐや姫の物語」)の映画評を書いた。その本質をある程度は掴んでいたつもりだった。けれども、監督による28頁の解説を読んで、それが如何に浅かったかを思い知った。 ←高畑勲は常に革新を求めた。 ←高畑勲は常に仲間を大切にし、尚且つ活かした。 ←高畑勲は常に総合「作家」だった。 ←高畑勲は常に教養の塊だった。
2021年02月03日
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「図書2021年2月号」 「図書」は不思議な宣伝誌である。誌面記事で岩波書店の本の宣伝をほとんどしない事もそうなのだが、記事の内容がかなり専門的で「読む人を選ぶ」のである。 16記事のうち、私がなんとかついていけたのは4記事だけだった(この「ついていける」数は毎月変わるが、半分以上になることは年一度ぐらいしかない)。シェイクスピア史劇やハンセン病文学、ショパン、ガリヴァー旅行記、ドストエフスキー、アイヌ文学など魅力的なイシューを扱っているのにもかかわらず、教養のない私にはついていけなくて、雑誌の運命そのものだけど、飛ばし読みをしてしまう。でも、価値がないことはないことは確かだろう。と思う。 証拠に、民俗学者畑中章宏氏の「子どもらしさ」の記事には、柳田国男、宮本常一、果てはフランス歴史学者フィリップ・アリエスまで登場するけど、柳田の「7歳までは神の子」説についてのトータル的な批判を載せていてとても興味深かった。こういうのは、その方面に興味なければちんぷんかんの話題だと思う。 橋本麻里さんの連載「かざる日本」も、日本の凡ゆる「飾る」美術品の歴史が登場する。今回は漆工芸である。歴史となれば、漆の材料は12600年前から発見されていて、9000年前の北海道垣の島B遺跡の装飾具の赤漆からその歴史があることを教えてくれる。私は漆工芸に関しては日本が起源だろうと推測しているけれども、その利用・加工の起源は日本か中国かは未だ決着が付いていないという事もちゃんと専門書を確認して見ていてくれる。等々、興味がない人にとっては難しい言葉の羅列に過ぎない。 あとしばらくは、「図書」にはお世話になりそうだ。
2021年02月01日
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10kgの減量にたった4か月で成功した管理栄養士が教える「やせ玉」腸活ダイエット 加勢田千尋 主婦と生活社 【腸活宣言】 今年のテーマは「腸活」である。それなりの理由がある。先ず、祖父・親・親戚の死亡年齢や自分の病歴を鑑みるに、私はあと20年生きれば良い方だという結論に達した。だとすると、健康寿命はあと10年ということになる。10年前までならば、「それで十分ではないか!そもそもそれ以上はお金が持たないのではないか?」と思って生きてきた。 さて、10年前から10年経った。やはり私の「心の中で締め切りを延ばす」悪い癖が発生して、あと10年でやりたいと思っていたことは半分も出来ないだろう(客観的・冷静的に見れば10%も出来ない可能性は高い)状態になっている。マズイ。健康寿命を出来るだけ延ばすに如(し)くはない。ウォーキングやスロージョギングなどのプログラムが悉く半分失敗に推移している今、また「(健康数値は)ダイエットではもう改善しませんよ」というプロたる医者の無慈悲な宣告を承(うけたま)わった今、他に健康寿命を延ばすためには、プラス思考よりもマイナスを減らす思考にシフトする戦略を思いついた。 ‥‥ということで、私の幼少時よりの弱点である「腸」を活かす方向に力を注ぎたいと思う。 先ずは「理論武装」から始めるのは、私の悪い癖である。←今気がついたが、これで幾度失敗したことか!ダイエットとか、ワインとかの趣味だけでなくて、あれもこれも‥‥。あ、なんかモチベーションが低くなってきた。 ‥‥というわけで、やっと本書のレビューに入る。 もう字数がかなり行っているので簡単に済ます。本書は理論の本ではない。ひたすら実践指南の本である。しかも言っていることは簡単。 ・ズボラなひとり暮らしが、腸活生活に簡単にシフトするため、あるアイテムを冷蔵庫にストックするようになった。 ・それが「発酵玉」を作り置きすることである。 ・体にいい菌が豊富な発酵食品と、その働きを高める食材を混ぜ、調理一回分ずつに取り分けて丸め、冷凍・冷蔵したものであり、お湯に溶かしてスープとして飲んだり、肉や魚を炒める時に混ぜ込んだりして、万能調味料として使う。 ・代表的な「やせ玉」10個分の作り方 みそ100g、削節粉10g、白いりごま20gをすべて混ぜて、大さじ1ずつとりわけ、ラップに包み、くるっと丸めて冷蔵または冷凍で保存。あら簡単。(冷蔵10日、冷凍1ヶ月)(一個あたり35キロカロリー、食物繊維0.7g) ←これによって、著者は「善玉菌が増えて便秘が改善して10キロ痩せれた」と謳うが、「やせ玉」だけの効果は怪しい。けれども、先に読んだ「20歳若返る食物繊維」の「発酵性食物繊維をとって短鎖脂肪酸を生成させる」方向であることは間違いない。この最新学術用語が一切使われていないところに却って私は信憑性を感じる。 ホントは1ヶ月ほど試して、その結果をここに載せるべきなんだろうけど、まぁ許してください。 本書には、その他の「やせ玉」9種類と、たくさんのレシピをカラーで載せています。 というわけで、今年は腸活頑張りたい!と今は思っています。
2021年01月29日
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「老いのシンプルひとり暮らし」阿部詢子 大和書房 私の腸活宣言の背景には、終活プランを曲がりなりにも立ててみた帰結でもあった。もちろん健康だけでは、悔いない人生には行きつかない。よって本書の生活全般を見直す目次と「60歳からのひとり暮らしを心豊かに過ごすためのコツが満載」という煽り文句に惹かれて、暇つぶし用に買った本である。 読んでみて知ったのだけど、阿部詢子さんは101歳で現役のまま大往生した吉沢久子さん(『101歳。ひとり暮らしの心得』)のお弟子筋に当たる人だった。吉沢さんの言葉には共感しまくりだったんだけど、執筆時63歳だった阿部さんの言葉にはついていけないことが多かった。理由はハッキリしている。阿部さんはひとり暮らしのある種の典型、かなり几帳面な性格だったのである。「片付けられない」典型の私とは正反対。しかも、この年で持病を持っていないというラッキーな人でもある。 それに、仕事を週3日に減らした時に、財政的な準備は「持ち家のマンション、貯蓄3千万円」が必要と書いていた。東京暮らしを考慮しても、普通人の感覚ではない。結果、残念な本だった。でも暇つぶし用だから、それで良いんです。 少しでも取り入れ出来そうなところがあれば◯でしょう。以下、羅列します。 ・スーパーでの買い物。レジで予算オーバーしていたら、「これいりません」とその場で返す。誰に遠慮することはないし、見栄をはってもトクはない。 ・近所で伐採していた楠木をもらい、自分で小さく切って防虫剤代わりに、クローゼットの引き出しの中に入れている。←ネットで検索してみたらホントに効果ありだった! ・使わない服は、殆どはリサイクルも受け取ってくれない。よってハサミを入れて一度きりの雑巾にして決心が揺るがないものにする。 ・菜の花の辛子和え‥‥ゆでて辛子醤油で和えただけ ・白菜とベーコンの重ね蒸し‥‥鍋に二つ交互に重ね入れて、水と塩をちょっと入れてフタをして、トロ火で蒸す。それを取り出してサクサク切ってそのまま食べる。 ・オーブンもトースターもなし。ガスレンジについている魚焼きグリルで全て焼いている。それで全然困らない。電子レンジも使わない(←私は使うぞ!)。 ・食器洗いはアミたわしで。汚れた時は、固形石鹸をつけてこすると、綺麗になる。乾かしながら使うと、清潔。 ・台布巾はウルトラマイクロファイバークロスを利用。「MQ・Duotex」。極細繊維で編み上げられた布なので、ホコリも油汚れもよく取るし、キズを付けずに磨くことも出来、すぐ乾くので衛生的で使いやすい。汚れたら石鹸をつけて汚れを落とす。 ・ヤカンの中に市販の炭を入れている。水道水を沸かせば、井戸水を沸かしたお湯とあまり変わらなくなる。3ヶ月に一回ほど、水で洗って乾かせばずっと使える。炭の無数の穴の中の不純物はそれでなくなる。 ・キッチンブラシによるコップや食器の水洗いで充分。 ・同じ世代の人たちとばかり話していると、話題も限られてくるし、世の中を見る視点も狭くなってしまう。若い人たちと話すと、新しい情報が入ってきて新鮮だし、若い人たちの考え方は刺激的で楽しい。(←同感!いくつか入っている集まりの1つはそういう性格。また、SNSはその効果がある)
2021年01月27日
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「20歳若返る食物繊維 免疫力がアップする!健康革命」小林弘幸 監修・青江誠一郎/小林暁子 朝日新聞出版 今年から本気で腸活を始めた。この本に「20歳若返る」エビデンスは一切ない(笑)。まぁ最新の本なので、最近の情報が、雑誌を読むように軽く紹介されている。初めて知った事が幾つか。本の1/3を占める簡単レシピと体験談はおまけとしても、最速時間で必要な情報を得ることのできる便利な本。 ・不溶性食物繊維と水溶性食物繊維に分ける分類は時代遅れ。最新は、「発酵性」「非発酵性」と分類。 ・発酵性食物繊維は、腸内で腸内細菌のエサになって発酵し「短鎖脂肪酸」を生成して全身の健康に寄与する。因みに、発酵性食物繊維は、ほぼ従来の水溶性食物繊維と重なる。 よって、ペクチン、コンニャクマンナン等(熟した蜜柑、生のプルーン、ひじき、わかめ、昆布、モズク、蒟蒻、里芋、長芋)が有用。 また、食物繊維ではないが、ナッツなどに含まれる炭水化物の一種、レジスタントスターチ(冷やご飯)も。 水溶性食物繊維の割合が多く、発酵性のあるβーグルカンを豊富に含むもち麦、押し麦を狙い目としてとって欲しい。あとは牛蒡(根を持つもの)など。 ・まとめ的に言えば、糖尿病や心臓病、脳卒中、癌などの慢性疾患の発症リスクが低くなり、免疫機能がアップしてインフルエンザウィルスから身体を保護する作用がある。 ・政府の提唱する1日に21グラムを目標に。(日本人平均は15グラム)本当は24グラムを目指して欲しい。 ・セカンドミール効果(最初にとる食事の効果が次にとる食事後の血糖値にも影響を及ぼす)‥‥朝食でとった発酵性食物繊維を腸内細菌が餌にして、活発に短鎖脂肪酸を出すと、血糖値を下げる働きのある消化管ホルモンGLP-1が出て、次の昼食の後も血糖値の上昇を抑えてくれる。4-5時間後に昼食を取るのがいい。そのあと少し効果が薄れるので、おやつにペクチン豊富なドライフルーツを取ればいい。 ・キャベツ・レタスは不溶性。効果的なのは、根菜類を先に食べること。サラダはそのあと。 ・主な発酵性食物繊維食品(100gあたり) 小麦全粒粉(7.9g)ごぼう(2.3g)玉ねぎ(0.6g)ブロッコリー(0.7g)バナナ(0.1g)キウイフルーツ(0.7g)押し麦(6.7g)ゆで大豆(2.2g)調製豆乳(0.2g) ←他の気になる食物の種類が少ない。 ・サプリメントは補助的に使って良い。ただし、選んで使う(グァー豆原料の「ファイバープロ」を使う)。 ←今までの食生活の多くが間違っていない事を再確認できた。とりあえず、食物繊維量を意識すること、セカンドミール効果を意識して食物繊維を朝食にとる。
2021年01月26日
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「絶対はずさないおうち飲みワイン」山本昭彦 朝日新聞出版 むかし趣味を作ろうと、毎月数本のワインと教材が届く通信教育に登録したことがあった。お金をかけたのだからと、その後も何本か5-8000円ほどするワインも試したし、ワイン試飲会にも参加して高いワインを飲んでみた。結果わかったのは、鼻の悪い私はワインを趣味とするべきではない、ということだった。 ところが、コロナ禍の夏の終わり、私は高級ホテルのフランス料理付き一泊が通常の実質1/5の値で体験できるコースを見つけた(gotoだけでなく県民割引、食事券諸々合算)。そこで私は、久しぶりの「マリアージュ」を体験した。高級料理を然るべきワインに合わせれば、料理とワインはいよいよ豊かに香り高く円やかになるのである。ここで出ていたワインは、おそらく定価2-3千円台の「はずさないワイン」だったと思う(グラス1500-2000円)。私は、またあの体験をしたくなった。私が健康のために毎日1/4ボトル飲んでいるデイリー赤ワインでは分からない世界がある。‥‥というところで、この本に出会った。 ここにあるのは全て1900-2400円のワインである。書いていることは、昔の教材を簡略化して現代風味をつけたようなことで、とてもわかりやすい。というか、今になって物凄く頭の中に入った。何十年かけて私も学習してきたのだと思う。決定的に不足しているのは、テイスティングの体験値だろう。 50本のワインを試してみたい。本の中に書いている「品種の違い」「土地の違い」「生産者の想い」を自分の舌と比べてみたい。またマリアージュ(今はペアリングというらしい)を体験したい。しかし、通販で買えば、基本的に全部送料が必要である。私は試しに岡山市で一番在庫が豊富なお店で50本を探してみた。店員は本をパラパラと捲るだけで判断してくれた。在庫が全部頭に入っている。凄い!「一本もない。でもワンランク上のプティシャブリならあります」そうだろう。ワインとはそういう酒なのだ。たとえ名酒でも、出逢うのは一期一会なのである。300円高いシャブリを買って帰った。 このプティシャブリ。コルトー家が営む歴史の若い作り手。ステンレスタンクで醸造。つまり現代派。私もシャブリは好きで、プリミエクリュの5000円台のシャブリも飲んだことはある。これは2600円。それでも美しい琥珀色、雫も良い、一口飲むとミネラル感いっぱい。流石にいつものワインよりも二味ぐらいバリエーションがある。そして合わせたのは惣菜の鯖の南蛮漬け、安いモッツァレラチーズ、アーモンド、しめじ味噌汁でした。ペアリングで味変を感じたのは1ヶ所ぐらい。修行が足りないのか。いや、安い食材は安い味しか無いからこうなったのかもしれない。次は高いお寿司を買ってくるべきか。ホントは生牡蠣が1番わかるんだけど。 あと49本の試飲がある。どうしようか。
2021年01月25日
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「文明に抗した弥生の人びと」寺前直人 吉川弘文館 著者の狙いは、野心的だと思う。 今まで単純に思われていた縄文から弥生時代へと移る日本列島の姿を、弥生の定義含めてもう一度考え直そうという主張である。その背景には、弥生時代には日本列島に「国境」という概念はなかったという認識がある。朝鮮半島南部と北九州との関係は、近畿を含めた西日本の人々との関係と同じぐらい近く、尚且つ西日本とは遠かっただろう。 弥生時代、稲作文化に付随して様々な「文明」がやってきた。本書は「西方から新たにもたらされた技術や思想に対しての在来社会側の反発や拒絶、或いは変化しなかったものの存在や理由」を明らかにする。 図らずも、弥生時代晩期に展開する西日本統一の「謎」に対する私の「仮説」を、理論的に補強する内容になっていた。いやあ、松木武彦と共に、ファンにならざるを得ない。 寺前直人さんの記述は、専門性を持ちながら仮説・検証・証明をわかりやすく繰り返す。以降注目したい考古学者になった。 以下、参考になった部分をメモする(例によって考古学ファン以外には単なる知識の羅列なので無視してください)。 ・縄文時代後期に植物栽培・管理の知識があったことは確実ではあるが、主なカロリー源になっていた可能性は低い。食材の自然回復以上のことはできていない(家畜がないので、肥料を得られない)。 ・北海道千歳市キウス周堤帯墓2号墳(縄文時代後期末)の直径75m高さ5mは、縄文・弥生を通じてこれ以上の墓は、弥生時代晩期の楯築弥生墳丘墓を待たなくてはならなかった。副葬品の多さも特徴的。巨大な権力を持った首長なのか、それともレジェンドたる匠かジャーマンか。 ・「瑞穂の国やまと」史観の影響か、98年の学習指導要領から、旧石器時代と縄文時代の記述が小学六年生の歴史の教科書から消えて「国のまほろば」として弥生時代の米作りから始まるようになった。(!)←今でもそうなのか?だとしたら、あまりにも歪つな歴史認識になる。しかも、事実は変えられないから、中学歴史からは旧石器時代が復活する。あまりにもせこい改変である。 ・板付の水田‥‥木組の井堰、幅1mと50cm、高さ30cm.15cmの台状の畦、板材と杭で時々補強。 中西遺跡‥‥10-15平方mに区切られた1800枚の水田。また他の遺跡で幅20mの河川から用水(幅3m)に引き入れるための堰が築かれる。全て労働力の集中が必要な作業ばかり。全て現代の水田と技術的にあまり変わらない。 ・最古の鉄器は、弥生時代前期末、あるいは中期初頭(遅くともBC4)以降にしか認められない。つまり、弥生時代前半は少なくとも金属器が存在しない。水田稲作社会は、新石器時代として始まった。 ・朝日遺跡では、シカ・イノシシを選択的に狩猟し全身骨格や皮が利用されているのに比して、タヌキ・キツネ・イタチ・アナグマ・テンが狩猟されていないのは害獣駆除・肉以外の資源獲得目的があったのだろう。 ・山陰からは鹿角製アワビオコシが多く出土。海人と稲作集団との交流があった。 ・磨製石製短剣は、弥生時代発祥のヒトを傷つけるための道具。半島経由の技術。一体式と組合式がある。主に北九州から出土。 ・朝鮮大坪里遺跡(←行きました!)では、居住域と生産域の間に数十基の石棺墓が列状に連なって検出。4号石棺墓からは有茎式磨製石鏃が、10号石棺には丹塗磨研土器と一体式磨製短剣が副葬されていた。 ・朝鮮検丹里遺跡(←行きました!)の環濠。長軸約120m、短軸約70m。環濠外には支石墓。紀元前10世紀? ・弥生時代に、物理的に戦い出し、武器が半島から伝わり、武器の所有が埋葬施設にまで反映して階層的秩序を作り上げていたのは、玄界灘沿岸では伺うことができた。一方、環濠は伊勢湾沿岸までは広がるものの、防御性は低下していく。つまり、実践的な武器の普及や武器を中心とした階層性は「玄界灘沿岸地域にとどまるのだ」(p132)←つまり、半島経由の平和についての価値観は、東に行くにつれて変化している。 ・土偶の研究(136-156p)により、分銅型土製品の起源が、東北地方の縄文時代後期の屈折像土偶(出産に関する土偶)から影響を受けている可能性が高いとする。更には、西日本近畿の農耕開始期に流行する長原タイプ土偶が愛媛、香川、徳島の分銅型土製品或いは池島・万福寺遺跡の土製品に求められる。安産は新たな家族を迎えること。そのための祈りは決してなくなることは無い。 ・近畿においては、東日本起源の儀礼体系こそが、弥生時代中期以降の銅鐸をはじめとする日本列島中央部における独自の「創造的」「平等な」な儀礼の基盤となったのではないか。(例)石棒についての研究 ・吉武高木遺跡M3号墓(中期)の武器・装飾具は、朝鮮半島エリートと遜色ない「グローバルエリート」だった。福岡・佐賀で100人に1人の青銅器埋葬墓。 ・細形銅剣をムラのハズレに埋納したのは、岡山・香川のみ。個人のものとはせずに、共同体祭祀道具とする。 ・青銅器に対する人々の歓迎や反発、融合や妥協の苦心を読み取ることができる。 ・何故青銅器武器が祭祀具になったのか? (1)石製品を用いた祭祀の影響を受けた。 (2)青銅器を鉄製品が駆逐したので祭祀具化した。←しかし、これはそれに先行して細形銅剣祭祀具があるのでバツ。 (3)朝鮮半島経由説。←朝鮮の青銅器武器の儀器と日本列島祭器が違いすぎる。 (1)が有力。ただし、何故武器祭祀具が登場したのか。それは、石製石剣の祭祀化が石棒祭祀化の影響を持って出てきたのではないか?というのが寺前さん独自の「仮説」のようだ(石材獲得や製作の場面において、共通性がある。磨製石鏃も同様)。 前期に始まった石剣祭祀化が中期の青銅器武器祭祀具になり、北九州のエリート化を抑制する契機ともなった。東部瀬戸内地域から大阪湾岸地域の「階層化に抗う人びとの巧みな企み」であった。 ←支持します!! ・格差拡大に否定的な社会。前期の大阪湾岸から伊勢湾沿岸地域の土偶や石棒などの伝統的な儀礼具を用いて、従来の社会関係を維持しつつ、水田稲作を受容した社会。これらの地域が、銅鈴に伝統的な紋様を与えて、祭祀化し、大型化を図った。 ←その流れに吉備地域は外れたが、やがて吉備は新しい神を見つける。というのが私の仮説のひとう。 ・反動。中期以降、権力集約型社会統合の痕跡は近畿南部をさけるように東に拡大する。また、紀元後1世紀、弥生時代後期に、丹後に鉄剣を軸とする厚葬墓が発達、その墓は山陰、北陸に拡大、やがて鉄剣厚葬墓が拡大。近畿は大きな墓の空白期が生まれる。 ‥‥では、激動の弥生時代後期から晩期ににおいて、西日本はどう動いたのか?何故銅鐸は埋納されたままになったのか?一切書いていない。ここからが面白いのに! 次回を期待したい!
2021年01月24日
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「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」矢部宏治 ちくま文庫 2010年、本書の取材をした矢部宏治さんの人生が変わったように、1990年「沖縄の人はみんな知っていること」を知って、私の人生も少し変わった。そのことを書けば怖ろしく長くなるので、何とかして1/1000にまとめる。 沖縄には、日本の矛盾の塊りがある。一言で言えばそういう事を知ったのである。 単なる職場の平和サークルの学習旅行のために、今考えればどうして、ひめゆり隊の生き残り宮城喜久子さんが「語り部出張」にやってきたのか?どうして、あの有名な反戦地主の島袋善祐さんが対応してくれたのか?沖縄平和委員会事務局長が「安保の見える丘」を案内してくれたのか? と、書いても本土の人の大部分には知らない人たちだろう。詳しく解説する余裕はない。本書にも登場しない。ただ、矢部宏治さんも驚いたように、未知の単なる物好きのような矢部さんの取材にも沖縄で会う人全員が親切丁寧に沖縄基地の案内をしてくれたらしい。当初数ヶ月かかるかと思われた取材が2週間で完結したのは既視感があった。何しろ、私たちは2泊3日で沖縄の真髄に触れたのだから。沖縄で普通にニュースで流れていることは、本土では全然流れない。沖縄の人たちは、みんな知ってもらいたいのである。沖縄のことを。 矢部宏治さんが、沖縄問題や基地問題について何冊も本を書いて、ベストセラーを連発するようになったのは、2010年6月鳩山内閣の崩壊に疑問を持って沖縄に乗り込んだ時かららしい。その時まで誰からも本質的なことは聞けなかったのに、沖縄の人は一様にその本質を知っていたと言う。 「13年前と同じなのよ」 しびれるコメントです。基地の問題にくわしいキャスターや新聞記者、学者もいるはずなのに、どうして本土ではそういうことを言わないのか不思議でしかたありません。(68p) 1997年12月21日、辺野古の海上基地建設をめぐって名護市で市民投票が行われ、反対派が勝利した。その結果を受けて、反対派として当選していた比嘉鉄也市長(当時)は東京に行って橋本龍太郎首相と会う。すると、なんと「受け入れ」を表明。「同時に辞任する」意向を伝えた。 その仕組みは、遡れば細川首相が福祉税導入に失敗したからではなく「北朝鮮の核」のために辞任したことにも繋がるらしい。細川首相辞任のことは知らなかったけど、ある程度平和運動に関わり沖縄に何回か来たことのある者にとっては、矢部宏治さんの話は既視感のある話ばかりである。近くは仲井眞知事が東京で一夜で県民を裏切り、辺野古容認に走ったのが2013年年末だった。その直後に翁長知事が誕生しなかったら、どうなっていたか。反対に言えば、沖縄は良くぞあの時踏ん張ったのだ。そういう危機感を本土は共有していない。 本土では、お昼の番組で北朝鮮のことは毎日しゃべるけど、沖縄のことはその1/100も喋らない。 矢部宏治さんと同じように、矢部宏治さんよりも前に、私は沖縄に行き世界観が変わった。そのきっかけとなり得る、沖縄の地図と解説と写真と歴史的解説がこの本にある。騙されたと思って、この本をガイドに2泊3日で沖縄旅行をしてみるがいい。「この本には、こんな事を書いているのですがホントですか?」そう言って沖縄の人に聴いて見てみたら?もしかしたら、貴方の人生も変わるかもしれない。
2021年01月19日
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「仕事が速くてミスがない人は机に何も置かない」中野清人 総合法令出版 県立図書館福袋で選んで貰った本の一冊。「新社会人さんへ」と4冊選んでもらったけど、私には不要なモノが多かったので、これで紹介は止めにします。因みに、他の3冊は既出の『コミュ力』本の他に『マナーとお金まるわかり』と『一生使える「段取り」の教科書 トップ1%が大切にしている仕事の超キホン』でした。司書さんには悪いことをしたかもしれません。せめて、こういうレビューを残すことで、なんの意味もなかったことは無いよ、と示したいと思います。 目次 第1章 身の回りの「モノ」を片づける 第2章 「紙」をスッキリと整理する 第3章 「データ」を効率よく扱う 第4章 「書く」で仕事がうまく回る 第5章 「思考」を整えれば結果が出る 上で、「私には不要」と書きましたが、この本に限っては「私の生活には必要」な部分が少しはあったように思います。何しろ最近気がついたのですが、私は「大人の発達障害」でした(2冊本を読んでセルフテストしてみました)。ごく軽いので心配してもらわなくてもいいのですが、どうやらかなりの「片付けられない」人間のようです。今気がついたのですが、コミュ力劣等生でも劣等生と自覚しなかったのは、常にマイペースな発達障害くんだったからなのかもしれません。 この本に書いていることの全部をやろうとしたら、それだけで毎日の仕事が終わるぐらい大変なことばかり書いています。多分「思いつきメモ」をそのまま羅列しているのでしょう。でも1割くらいは「私にとっては」参考になることがありました。 ・机上をシンプルにするタイミング(1)仕事がスムーズにいかなくなったら整理する(2)忙しくなる前に整理する(3)毎日整理する。←これが出来ないから散らかるんです!でも(1)から始めないとね。 ・ペン立てに輪ゴムを縦に何本か巻きつけて仕切りをつける。 ・デスクトップの一年以上使っていないファイルは廃棄せよ。保留フォルダの名前にファィル廃棄予定日を組み込む。 ・フォルダ内で「CTRL」+「F」のショートカットを使えば検索できる。 ・メモや資料をまとめて、定期的に一括管理 ・余裕を持ってスケジュールを立てる(予備時間を入れる) ・締め切りを守るために逆算してスケジュールをつくる。←私の場合は、これをやると更に締め切りが心の中で動く「病気」にかかっている(笑)。結果、締め切りが守れない。 ・TODOリストを作る時(1)優先度の高いタスクから先に置く(2)締め切りと所要時間を記入する←3時間以内で終了するタスクまで分割する←とりあえずTODOリストをやってみよ!
2021年01月15日
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「コミュ力ゼロからの「新社会人」入門」渡瀬謙 インプレス 正月5日県立図書館は、「福袋」として4冊入のお楽しみ袋を貸してくれました。なんとトートバックはプレゼントです。残りが少なく、私は社会科学部門の「新社会人さんへ」という袋を選ばざるを得ませんでした。その中にあった一冊です。 テレビのインタビューを受けて、私は「本のプロである司書さんのセンスを楽しみたい」とかっこよく言ったのですが、中身は期待外れでした。私は「働くとはどういうことか」果ては「労働法制を生活に役立てる」等の本を思い描いていました。つまり、私の「センス」はかなり硬く古臭かったのです。 今どきの司書さんは、「明日から如何に残酷な新世界を上手に泳いでいくか」その技術指南の本「のみ」を選んでいました。しかも読み通すのに1-3時間で済むような本ばかり。確かに、これも見事な「センス」だなと思います。 目次は以下の通り。 第1章 社会に出る不安がなくなる7つの考え方 第2章 コミュニケーションがラクになる7つのメソッド 第3章 これで安心! しゃべりが苦手な人のための7つの「会話の基本」 第4章 職場で「適度な距離感」をキープする9つの「人間関係のつくり方」 第5章 苦手なシチュエーションを乗り切る8つの会話テク 第6章 口ベタ・人見知りでも自信を持って成果を出せる5つの視点 第7章 不安があるからこそ成長できる6つの心構え 自慢じゃないけど、私はおそらくコミュ力劣等生でした。おそらく、と書いたのはその自覚がなかったからです。確かに働いていると、コミュニケーション力はあった方が良いということは多々あります。早く出世しようとしたら、意識的にこういう本を読んだ方がいいでしょう。でもなんとかなります。こんな本を読まなくてもなるんです、きっと。証拠に、ここに書いている98%は、私の中で「メソッド(技法)」になっているか、「解決済み」の事項でした(つまり、「厳選メソッド49」のうち参考になったのは一つしかなかったということ)。 私が気になったのは、こういう本はここ20年の流行なのではないか?ということ。「コミュ力」という言葉自体が新語・流行語です。それほどまでに若者にとって「生きづらい」世の中になってしまったということなのでしょうか?
2021年01月15日
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「文明の生態史観」梅棹忠夫 中公文庫 大晦日に、蟲文庫という所で1974年初版のこの古い文庫本を見つけた。懐かしくて持ち帰った。 高校生の時、本書を読んで、世界を、地理と歴史との丸ごとで俯瞰的に見渡す「手がかり」を得た気になった。大学で歴史を学びたいと思っていた私に、本書はこの方向でやってみたらどうか?と思わせる魅力的な書だった。何故歴史を学ぶのか。過去に学ばない者は未来を語れない。日本の過去と未来を知ってこれからの日本に役立ちたかった。そこだけは、昔も今も変わりがない。ところが、大学は教養学部の成績で専攻科が決まる。私の成績では1番人気の国史は到底手が届かない。結果、新設の研究室に入らざるを得なかった。 その研究室の教授の概論で、たまたま「文明の生態史観」が俎上にあげられた。なんと生態史観発表直後にその根本的な欠陥を批判した人々がいたらしい。その論旨の明確さに、私は初めて生態史観に疑問を持ったのである。そしていま、文庫を読み返してびっくりしたのだが、本人は74年段階で批判を受け入れているのである。全ての論文の前に本人の「解説」が載っていて、1955年に発表した時に57年に既に加藤周一から批判が出ていることを本人が書いているのだ。その後、竹内好、上山春平からも出ている、と書いている。梅棹忠夫は、「今となっては、わたしの思想の出発点というにすぎず、現在の考えをそのまましめすものというわけではない」と堂々と自論を修正したことを認めているのである(!!)。しかし、当然批判論文の内容までは述べていないし、本格的総合的な修正した各論も書いていない。高校生の私は文庫の「わかりやすい」世界史モデルをそのまま信奉して大学生になったといわけだ。今読めば、梅棹さんは言い訳を書いているのに過ぎない。 世界を第一地域、第二地域に分けて、後続の日本と西ヨーロッパ諸国が距離があるのにも関わらず同様の「発展」をしたのを、生態学的な視点で説明できるとする論理は、あまりにも乱暴なラフスケッチだった。そのせいか、米国・西欧のように発展する日本は当然であり、中国・アジアを下に見る風潮も(本人の意図ではないが)生まれた。 本書で指摘された歴史的事実は、そんなふうに思える事実はたくさんある。だから、生態史観は74年の後も版を重ねて今に及ぶ。解説子は「東西の座標軸しかなかった世界史の見方に革新的な視点を与えた」と絶賛するが、それが持つ悪影響は当然語らない。社会・歴史を自然科学的方法で説明することは慎重でなければならない。今でも教科書的な世界史ではなく社会学史を取り入れた『銃・病原菌・鉄』の先鞭を取ったと評価する者もいる。2つの書は肌の色が似通った全くの別人なのであるが、そんなふうな単純化で、直ぐにわかったような気になる人々が後を絶たない。現在我々は、気象予報ならばかなりの確率で明日を予測することができる。けれども、我々は複雑な要素が絡み合う社会予報は未だ出来ないのである。コロナ禍の明日の感染者数さえ、誰も予測できない。 日本人は日本文化論が好きだ。文明の生態史観は、不幸にも上のように読まれて消費されてゆき、今では殆ど忘れられている。その前後に現れた加藤周一「雑種文化論」では、加藤周一はその名称は一切使わず各論になる「日本文学史序説」を経て「日本文化における時間と空間」に結節させた。また、その後現れた丸山真男の「古層論」も、発表後40年以上経っても、未だ通用している。私はモデルは必要だと思う。モデル化を経ないと、なかなか歴史から未来を見渡せないからだ。日本文化モデルは、長い間の批判に耐えうるものだけを、読むべきだと今は思う。 本書に出会って、43年。 奇しくも私を日本文化論への長い旅に誘う悪魔の役割を果たした本書に再会し、懐かしい女性に出逢ったような想いをした。
2021年01月10日
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「映画にまつわるx について」西川美和 実業之日本社文庫 西川美和は、公開されたならば無条件に万難を排して観に行く監督の1人です。「ゆれる」を観た時のショックはちょっと言葉では言い表せられない。その西川美和が冒頭、朝青龍というヒールならぬヒーローの話を書いた後に、するすると30年ほど昔の『恐怖の24時間』というテレビドラマの話を書いています。 連続殺人犯が弁護士になりすまして教誨師の家を隠れ家とする話で、その逮捕劇の顛末です。西川美和解説に耳を傾けると、その殺人犯は、若い頃の役所広司が演じていて、グレて親不孝を働いていた長男を捕まえて説教をしたり、布団を羽交い締めにして咽び泣いたり、逮捕された後も家族に屈託なく笑って去ってゆくそうです。西川美和は、役所広司に朝青龍と同じヒーローを感じて、風呂の中で泣けたそうです。映画ファン的な興味としては、この2010年の文章が、やがて監督の師匠・是枝和弘監督の『三度目の殺人』に関係している気がするし、今年の最新作『すばらしき世界』に直結している予感がする。西川美和は書く。 「凡そ人の風上にも置けない主人公にばかり惹きつけられてきたような気がする。みんな人格も行動も間違いだらけで、賢人の忠告をはねのけ、自分の失態で人生が台無しになっている。けれど、まだ諦めきれない、もう一度闘うんだ、やりなおすんだ、と歯を食いしばっているような人物たち。そういう悔恨だらけの、黄昏の中に佇むヒーローを、心の糧にしてきた」(16p)思えば確かに、西川美和作品の主人公はみんなそうだ。美人で世界的名声をモノにしている監督は、人一倍コンプレックスの塊だった。 読めば読むほどファンになってゆく。外見とは裏腹に、西川監督はかなり男前な性格だということもよくわかった。そう言えば、西川美和は過去直木賞にもノミネートされています。その文章力は折り紙付きです。松たか子と一緒にお忍びフォークリスト講習に行き免許を獲った顛末記などは、一篇の短編コメディのようでした。 倉敷蟲文庫という美人の店主がいる古本屋でゲットした本でした。
2021年01月09日
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「図書2021年1月号」 表紙の「絵」は、いつも司修さんの見た夢がモチーフです。正月2日。皆さんの見た初夢はどうでしたか? 司修さんのこの絵は、大木じゃありません。題名は「鬼婆の母」です。飛行機みたいなキノコが出ていますが、子供の頃戦時中には「嘘だろ」と思うような歌が流行っていたそうです(モシモ日本ガマケタナラ/デンシンバシラニハナガサク)。それを歌うことで「日本が勝つに決まっている」と嘘を無理やり信じようとしたのだろう、と司修さんは言います。これは「母が鬼婆になって私を食べようとしている」絵だそうです。因みに、司修さんの絵を観て、その意図を当てたことは一度もありません。悪夢は見たくないものです。因みに、2日のマイ初夢は、富士、鷹、茄子は見なかったですが、亀は見ました。なんか意味あるかな? 長い間連載していた民俗学者・赤坂憲雄と歴史学者・藤原辰志との往復書簡が今号で最終回を迎えました。赤坂憲雄にとっては、福島の地からどうやって再生の道を作ろうか、という問いかけの日々でした。最終的に以下のような感慨に落ち着きます。 ーーそれぞれの場所で、可能ならば、命あるかぎり勝てなくとも負けない戦いを継続していけたら、と思います。 毎年1月号の「図書」は、昨年の岩波書店刊行目録が載ります。読み損ね、買い損ねた書物をチェックするには便利です。私にとっては以下の書物になります。読めたり買えたり出来るかどうかは、また別の話。 ・「孤塁 双葉郡消防士たちの3.11」(吉田千亜) ・「渡来系移住民」(吉村武彦編集) ・「冬の蕾 ベアテ・シロタと女性の権利」樹村みのり ・岩波新書「暴君」スティーブン・グリーンブラット ・岩波文庫「次郎物語(全5巻)」下村湖人 ・岩波文庫「白い病」カレル・チャペック
2021年01月02日
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「マンガ 認知症」ニコ・ニコルソン 佐藤眞一 ちくま新書 皆さんの周りの近しい人が認知症に近づく少し前に、読んでおきたい格好の手引書です。非常にわかりやすく、適当に詳しい。 認知症の人の行動には理由があります。それを「危険だ」「転んだら大変だ」といって止めようとしている。ただ頭ごなしに止めるならば、それはコントロールです。止めるけれども、「なぜ出ていきたいんだろうか」と考え、その思いを汲み取ろうとするなら、なにか別のことができるかもしれません。(236p) 私はこの10数年間で、3人の親族を看取り、また仕事との関係で、数多くの認知症患者を観てきました。3人の親族に対しては、後悔ばかりですが、どう後悔していいのかもわからなかったけど、あゝあそこが分岐点だったのだな、と気付かされました。 認知症特有の行動があります。大体は「特有」だと言うことは知っていたけれども、その「(特に根本的な)理由」「対処の仕方」をキチンと知っていたわけじゃない。あと20年ぐらいは手元に置いて、(私自身のために)時々参照したいと思います。以下、私が体験した「行動」。 ・お金を盗られたと言う。 ・ご飯を食べていない、食べさせてくれないという。 ・同じことを何度も聞く。 ・実際にあったことと違う話をする。 ・同じものを毎回買ってくる。 ・料理の味が変になった。 ・便を漏らしているのに気づかない。 ・突然怒ったり泣いたり感情が急変する。 ・人が大勢いる場所で立ちすくむ。 ・料理・運転ができなくなってきた。 ・今日の予定を何度も確認する。 ・金銭や薬の管理ができなくなってきた。 ・好んでやってきたことに無気力になる。 ・家にいるのに「帰りたい」という。 ・毎日あっているのに急によそよそしくなる。 ・汚れた下着を隠してしまう。 ・物事を他人の立場に立って考えられない。
2020年12月28日
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「性から読む江戸時代」沢山美果子 岩波新書 そう言えば、江戸時代の「性」が出てくる小説は、大抵は「遊郭」モノばかりだ。この新書には「買う男、身を売る女」の章もあるが、大半は人口的に最も多い百姓の性実態を描く。封建社会で表に出てこない人たちに焦点を当てた、新しい江戸時代史料の読み解き本。 一章目には比較的有名な小林一茶の「七番日記」(1810-1818年)を紐解く。妻との交合を克明に記録したのは何故か。そして何が判るのか。 48歳でやっと土地と家を手に入れた一茶は初めて妻を娶る。子供を持ち、家を存続させたい。その目的のために、一茶は民間の知恵を参考にしながら徹底的に「妊活」をした。そのための克明な記録である。しかし、よく見ていくとそれだけではない。妻との間にもうけた三男一女をすべて夭折させたこともあるかもしれない。記録からは、民間療法では「忌日」に当たる日にも一茶は妻に交合を強要している。閨の中の真実はわからないとは言え、日記からも一茶の要望が強いことはわかる。妻は産後の肥立ちが悪くて若死にする。一茶は気の良い俳人ではない。それは知っていったが、これを読んで更に嫌いになった。 二章目は、本書のメインイベント、村の夫婦の不倫疑惑に端を発する離婚訴訟(1805)である。生まれてきた子供の認知をどうするか、が問題になったために藩のお裁きが必要になり、克明な裁判記録が残された。 著者は出来るだけ現代読者にも判るように、サスペンス形式で叙述する。歴史書なので限界はあるが、私は楽しめた。 ここからわかるのは、村の三役(肝煎、欠代、長百姓)の端っこにいる両家の当事者の力関係とそれに翻弄される女性、並びに特定の人口政策をもつ藩の要望である。夫婦の思惑、家の思惑、藩の思惑が交錯して、結果的には現代的に見ても妥当な判決が下される。しかし、このことが本人たちの幸せに結果的に繋がっていないのが哀しい。 その他、多くの出産・堕胎・間引きに立ち会い啓蒙書も著した医師の記録(第三章)、遊女の史料的検討(第四章)を経て、第五章「江戸時代の性」で著者は以下のようにまとめる。 (1)幕府は特に人口減少地域で、18世紀末から妊娠・出産の管理政策を取るようになった。そして、現代とは少し違う「性規範」が作られる。 「男も女もフェミニストでなきゃ」を読んだばかりということもあり、私は当初ジェンダー論の視点から本書を読もうとしたが、ムリだった。そもそもガチガチに型にはめ込む社会の中で、それに抵抗する人たちを見つけるのは困難である。ただ、19世紀になって、都市部に逃れて「馴合ひ夫婦=恋愛結婚」と男の「遊郭」通いが増えているという情報は抑圧の帰結と見えなくもない。 (2)江戸時代前期から貝原益軒「養生訓」が人々の性意識に大きな影響を及ぼす。「長生きのためには性欲をコントロールせよ」一言で言えばそういう内容。類似書は19世紀に武士から民衆へと広まってゆく。 (3)百姓の名主が書いた「農書」(1808)には、家と土地の存続を大事とし、妻に求めるのは「労働能力と生殖能力」だけとなっていた。反対に言えば、そうではない現実があったから書いたのだろう。 一方では生きるのが厳しい時代ではあった。研究によれば、出生児の20%近くが一歳未満で死に、五歳までの幼児の死亡率は20-25%。10-15%が死産。産後死と難産死は21歳から50歳の女性の死因の25%を上回っていた。平均余命は18世紀は男女ともに30代半ば、19世紀には30代後半。よって「家」は「いのち」を支える最初にして最後の砦ではある。性のコントロールは藩の思惑であると同時に民衆の願いでもあったろう。 平均余命が50歳を超えるのは、1947年以降。ジェンダーを論じることができるのは、こういう時代的背景もある。反対に言えば、現代は昔と違ってみんなが「フェミニスト」になるべき時代なのだ。現実は遠の昔に変わっているのだから。 著者は「江戸時代の性はおおらか」という一般的な学者の常識に異議を唱える。確かに明治以降の「家」制度で管理される時代よりはおおらかだったかもしれないが、決して現代よりもおおらかではなかった。それよりも、明治時代には江戸時代の民衆意識が、現代には過去の性規範が我々の意識を囲んでいるように思える。歴史を学ぶことは、現代を考えることである。
2020年12月19日
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「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ くぼたのぞみ訳 河出書房新社 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。「なにかが首のまわりに」で初めて知った、舌を噛むようなこの名前。今はアディーチェさんと気楽に言える。 現代の世界文学界のスター的な「女性」作家です。2013年に『アメリカーナ』で全米批評家協会賞を受賞。1977年生まれだから現在は未だ43歳か。これは2012年のTEDの講演記録。 非常に短くて直ぐに読めるが、ジェンダー問題の核心を突いて説得力がある。この講演があったから『82年生まれ、キム・ジヨン』が生まれたのか?と思えるくらい日常のさりげない性差別をキチンと突いている。 「何かをくり返しやっているうちに、それは当たり前のことになります。何かをくり返し見ているうちに、それは当たり前のことになります」(21p) 確かに文明生活が始まって以降、男性が権力の中心に座ることが普通になっていた。 「これは千年前ならうなずけます」とアディーチェは言う。 「当時、人類は身体が強靭であることこそ生き延びるための最重要特質とする世界に生きていたから」。 現代は? 「指導力のある人とは必ずしも身体的に強い人では「なく」て、むしろより知的で、知識が豊富で、より創造的で、より革新的な人です。こういった特性にホルモンは関係がありません。男性も女性も同じように知的で、革新的で、想像的です。私たちは進化したのです。ところがジェンダーをめぐる考えはそれほど進化していません」(29p) アメリカとアルジェリアを往復し、格差と貧困、戦争と平和、黒人と白人、男と女、多くの問題で、彼女は積極的に発言をしていると言う。言っていることと、やっていることの統一性は、おそらく保たれているのだろう。1人の女性の中に、人類の多様性が存在しているように思える。ずっと注目していきたい作家である。
2020年12月18日
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「東西遊記2」橘南谿 宗政五十緒校注 平凡社東洋文庫 「東西遊記」の2巻目なり。西日本各地の風聞を記す。元は医者修行の旅の見聞録にて、今世「紀行文」に非ず。1/4は「医学・生活啓蒙」たる一文なり。 尾道にて、脈だけでも取って頂けたら冥土の土産になると請われて大変な道を山奥まで歩いた経験を記す。場所は福山市本郷なり。いまスマホのマップを見れば、歩いて1日で行ける所にあらず。橘南谿立腹せり。着きて病人を診れば重篤の便秘なり。治療して辞す。後に京都まで快癒の礼に来たり。名前を告げなかったので、推理のみで尋ね来たり。「辺土の民の篤実」に感激す。(62p) 橘南谿の文章、原文のままとて、やさしく、本人の性格も良し。江戸時代の地方民俗を生き生きと伝えけり。面白し。 とはいえ、観光紀行文も多数あり。 七月晦日の「不知火見物」は世名高きことなり。熊本にて名所を聞く。「よく見ゆるは天草の島なり」とぞ。観光船?にて島を巡り、高所にて大見物会。数十人がきて飲めや歌えを催す。やがて深夜、数千の不知火見えたり。夜明けまでの大仰な観光、江戸時代にもありしかや!(18p) 長崎の眼鏡橋!の記事もあり。「唐人来たりて作れりという」(90p) オランダ人や中国人、朝鮮人、琉球人を比較した記事も興味深し。(194p) 広島には「家猪(ぶた)」というもの多く飼っているよし。食用らしい。長崎には「やぎ」という獣も飼っているらしい、との記事。面白し。(91p) 長崎に鼠島(ねずみしま)あり。無人島なれど、鼠のみ住むなり。隠岐の竹島にも触れり。なんと、猫島(ねこしま)として有名なり。人住めり、とは記述なし。(144p) ←よって、当たり前なれど、韓国の竹島(独島)占拠は違法なり、の根拠に成らず。 言い伝え、妖怪変化の話も多し。 山童(やまわろ)の話、鹿児島にあり。その形大なる猿の如くして、人の如く歩く。木こりの手伝いで重宝するが、殺せば祟りをなし、発狂し、或いは大病、種々の災害起こると云う。面白し。(47p) 災害記事は上巻と同様鮮明なり。例えば桜島の「山汐(やましお)」記事あり。文章見れば、土石流なりと覚ゆ。(96p) 碑文は注意せよ、とあり。また、津波も山崩れによる川の堰き止めも「にわかに水引きさるは、あとにて大水必ず来ることありと、用心すべきことなり」とぞ。(106p) 天明2-4年の飢饉、旅の途中に遭った橘南谿の記述、短いながらも心情あふれていて訴えるものあり。葛の根を掘り尽くせば、金槌、その次は「すみら」というものを掘り尽くすとか。ある日、「綺麗な百姓家」で休まんとせば、婆婆1人居るのみ。家族4人皆朝早く外に出てすみら掘りに出かけたという。夜遅く帰りて、取れたすみらは2日分なり。「むねふさがる」。この時の大飢饉で亡くなったのは、どれほどなのか。(156p) 岡山の記事少なし。 備中国水田領に鐘乳穴(かねちあな)の記事あり。現在真庭市にも鐘乳穴が観光名所なり。(102p) 他には長船の刀鍛冶の話(159p)
2020年12月14日
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「東西遊記1」橘南谿 平凡社 昭和49年初版。東洋文庫248。 「読みなおす一冊」で見つけた。文章発掘の名人、大岡信のお勧め本だった。人墨客趣味の紀行文(例えば「奥の細道」)とは真反対、現在のノンフィクションに近い本、と評価していたので興味を持った。 橘南谿、京都の人。宝暦3年(1753)に生まれ、医術を収め、30歳(天明2年 1782年)医学修行のために、西方、ついで東北を、足かけ7年回る。その時に書き溜めた見聞を1795年43歳より正編、後編、続編全20巻を刊行。広く読まれる。文化2年(1805)没。 読みやすいように、カタカナを仮名に変えたり、句読点、段落等々工夫してくれているが、基本原文である。しかし大変読みやすい。江戸時代の人たちがこれを読んで、まるで外国のような「諸国」のことなどを知っていったんだろうな、と思う。名所旧跡はあまり回っていない。冬の北陸道などを歩いている。実際に旅をする時に便利だったろう。ロングセラーになったのも頷ける。1では「東遊記」を載せている。 青森・松前では、老人から、30年ほど前の大津波の話を聞いている。数日前から海の沖で神々が虚空に飛行したり不思議なことが起き、やがて夕方沖の方に「真っ白にして雪の山のごときもの遥かに見ゆ」大津波である。「民屋、田畑、草木、禽獣まで、少しも残らず海底のみくずと成れば、生き残る人民、海辺の村里には一人もなし」と記している。また、石見国の「波が川上を遡上する」現象についても記している。地震との関係は書いていないが、津波の恐ろしさだけは現地の生の声を記しているだけに説得力がある。 各地に残る「ちょっと不思議な話」もあるが、妖怪変化を書くことが目的ではなく、寧ろ地方に残る言い伝えを予断を挟むことなくそのまま書いていて好印象。富山の蜃気楼、熊突という熊狩りの方法、越中の親知らず子知らずの難所を通り方、津軽では丹後人が来ると海が荒れるので役人が吟味するとか嘘のようなホントの話、山形の浮島、岩手など太平洋海岸に巨人の足の骨(五六尺=150センチ?)がながれつくことを見て海の彼方の巨人国について真面目には考察する章(←それにしてもなんの骨だったんだろ)、新潟の七不思議、静岡の三尊窟、等々の諸国の嘘かホントか判別できない面白トピックスが盛りだくさん。私でも、ちょっと行ってみたいと思う。この本の読者も同じ思いだったろう。実際にいく人はいたのだろうか?当時の旅は、相当ハードルが高いはずだが。 医師ならではの記事も多数。三河国の「不食病」のことも記している。つまりは拒食症のことと思える。 岩手の蛮語については、なんと12ページにわたって実物示して解説。つまり蛮語(蝦夷言葉=アイヌ語)しか通用しない地域があり、そこではイロハがわからないので「盲暦(めくらこよみ)」という絵手紙みたいな言葉が出回っているらしい。昔、「サザエさん打ち明け話」で時々使っていたアレである。同じくは、宮城の「奇字」もそのまま載せる。修験者の創作字のようにも見える。 江戸時代、巷間を賑わせたのも宜なるかな。
2020年12月13日
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「世界図書館年表 古代−1970年」 佐野捨一編 岡山理科大学発行 確かブクログレビュアーのお薦めだったと思うのだが、お勧め文を探したが見つからなかった。確か彼女の図書館では禁帯出になっていたそうだが、岡山理科大学発行だけあって、岡山では2冊寄贈されていて貸し出しできました。43年前の編著なのだけど、何故か次に借りる方が既にいて、じっくり愛でるように眺めるのは無理なようです。 よって、私の関心のある古代の世界とアジアと日本。そして現代日本を見ていきました。 大学図書館の司書さんが、コツコツコツコツと調べて書いて、雑誌「図書館界」に発表したものをまとめたもの。昭和47年に私立大学図書館協会賞を受賞。 ⚫︎BC4000ごろ。ナイル流域(エジプト)の象形文字を管理する役人が既に存在。文庫は自然に発生。文教の中心はカイロ北北東6マイルのヘリオポリスであった。 ⚫︎イラク、ハムラビ法典(王はBC1729-1686)成立。現在はルーブル博物館所蔵。 ⚫︎BC1200ごろ。中国。殷時代末、甲骨文字発達。BC1000ごろ。甲骨文字は原画が殆ど認められないほどに発達。 ⚫︎インド。BC543、釈迦入滅後、経典は椰子の葉に書かれたという。 ←えっ?「葉」だとすぐに無くなるのに。つまり経典は、殆ど口伝えで伝えられたということか。 ⚫︎BC500ごろ。中国。公文書保存のための役所が周王朝の宮廷に設置。中国の図書館始まり。 ⚫︎ギリシャのプラトン(BC427-347)、ソクラテスの死後、アテネにアカデミー哲学学園創設。大学の始まり。 ⚫︎BC 213-212秦の始皇帝、焚書坑儒。 ⚫︎BC26前漢の成帝は亡逸している書物を集め、帝室図書館設置。劉向によって目録化。 ⚫︎105後漢和帝。蔡倫が樹皮、麻クズ、ぼろ、魚網クズを原料にして「紙」を発明。 ⚫︎285日本。百済から王仁来朝。論語10巻、千字本一本を持ってくる。図書輸入の文献に現れた最初。 ⚫︎552日本。百済聖明王、仏典及び経典若干を献上。 ⚫︎593朝鮮。紙は広まって朝鮮に入った。 ⚫︎604日本。憲法17条制定。服務規定に仏法僧は経典をあらわし、寺院には必ず法典を揃えることとした。 ⚫︎607日本。推古15年。聖徳太子は法隆寺学問寺を建立。夢殿に尚書、春秋、論語その他の道経関係図書が置かれたと想定される。日本で初めての文庫の発生であり、図書館の始まり。 ⚫︎620日本。聖徳太子及び蘇我馬子等、勅を奉じて天皇記・国記を撰す。 ⚫︎645日本。大化の改新。蘇我入鹿・蝦夷誅せられ、天皇記・国記悉く焼失。 ←おそらく唯一無二の書物だったはず。その他書物も多くあったろう。多くの書物が免れた始皇帝焚書坑儒よりも罪は大きい。 ⚫︎702、文武天皇、大宝律令制定。教育令の中に、中務省の所属として図書寮の制を定め、太政官に付属して正庁の文殿等の文書館設置。 ⚫︎712古事記編纂。 ⚫︎713風土記編纂。 ⚫︎720日本書紀編纂。 ←そうか、今年は日本書紀1300年だったんだ! ←つくづく日本は、この時、図書館に限れば、世界から4000年以上、中国から1000年近くの後進国であった。 現代日本 ⚫︎1944 帝国図書館10万冊、東京帝国大学和洋貴重図書1万2千冊、法文学研究室2万冊、大橋図書館250余点の疎開。 ⚫︎1945英国。60以上の図書館の破壊。大英博物館15万冊、3万冊の新聞製本、国立図書館11万冊、2000万冊の出版社所蔵図書の焼失。 その他ドイツ、イタリア等々も同様。 ⚫︎1945日本。多くの図書館焼失。 8.15以降、軍政部の指示により、国家主義的・軍国主義的図書を追放。 大原社会問題所解散にともない、その一部10万冊が大阪府立図書館の所蔵となり、天王寺分館を設立。 ⚫︎1950日本。図書館法により、公共図書館は無料公開機関たることを確定。 ⚫︎1954日本。全国図書館大会において「図書館の自由に関する宣言」を採択。 ←「図書館戦争」に出てくるアレですね! ⚫︎1959山口文書館創立。(日本における県立文書館の始まり) ⚫︎1966・北日本図書館連盟は図書館資料相互貸借規定を制定(広域図書館でのこういう事業の始まり)。 ・全国図書館大会での出版界への要望決議。(1)名前は正しい読み方を示す「ふりがな」をつけること(2)翻訳書には、その原著及び標題を原文で正確に明記すること(3)日本十進分類法の分類記号の間違いが多いので、正しく記入すること(4)重版は重版としてはっきり明示しておくこと。 ←図書館司書の混乱が目に見えるようです。 ⚫︎1969・出版界の統一した書籍コードが設定された。 ⚫︎1970・新著作権法成立。(1)保護期間が著作者死後38年から50年へ(2)音楽著作権の範囲をレコードによる放送にまで拡張。
2020年12月10日
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「くらべる東西」おかべたかし・文 山出高士・写真 東京書籍 くらべるシリーズ、もう一度手を出しました。前は(「似ていることば」)、半分くらいは目次段階でだいたいの見当がついたのに、今回目次を見て分かったのは34項目のうち「いなり寿司」「縄文土器」くらいのものだった。東と西に親戚がいる小学生だったら、これは夏休み研究テーマになりますよ。 というわけで、「おゝそうだったのか!」「えぇ!ホント?」が、以下の9点(西の人間の観点から書いています)。 ・バスは、東は前払い、西は降りる時の後払い。東京に行くと、ホントに戸惑う。バス会社さん、統一して欲しい。 ・座布団の綴じ糸が十字なのが東、Y字なのが西。 ・藁で作る線香花火(西)から、紙で作る線香花火(東)に「進化」したのだとばかり思っていた。ホントに東は「最初から」紙だったのか?それに使い方も、私は西だけど最初から下に向けて使ってたよ(50数年前の話だけど)。民俗学的にキチンと研究すべきではないか? ・東ぜんざいって、ホントに最初から汁気がなかったの?ウソだろ。 ・そういえば、最近閉めた銭湯は真ん中に湯船があったなあ(表紙の写真)。私はまず身体を洗って湯船に入るのだけど、西は商人が多かったので身体を温めて湯船に入る人が多かったからこうなったのとの説があるらしい。そういえば、フィットネスで、多くの人が温めて洗っている。私は不思議でならなかった。 ・関東はホントに遺骨の全てを骨壷に納めるの?だから2寸(7.6センチ)ほど大きくなっているらしい。持って帰る時かなり重いはず。「こんなに軽くなって‥‥」という感慨にならないのではないか? ・タクシーの色は、関西が黒一色が多いらしい。が、本でも指摘しているように一律ではない。岡山では違う。これも民俗学(社会学的)な研究課題だろう。 ・えっ?関東のちらし寿司には生の魚が乗ってるの?それって、直ぐに食べなくちゃいけないじゃん。お祭りなんかで作り置きできないちらし寿司は、用を足さないと思うんだけどなあ。 ・狛犬の尻尾は、関東は横に流れているが、関西は上を向いている。これは私の実感もその通りだ。
2020年12月07日
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「一〇〇年前の女の子」船曳由美 講談社 寺崎家では、乞食が来たら決して手ぶらでは帰さなかったという。奈良時代にはあったという「蘇民将来」信仰の、一つの未来形だろうと私は思う。 おばあさんはいつもいっている。 ーどんな汚い姿(なり)をしている者でもバカにしてはいけない。そういうヤツは人間のクズだ。コジキだって、来世には仏様に生まれ変わるんだから‥‥ そういえば物乞いでも丁寧に「お乞食さま」と呼んだりする。何か理由(わけ)があって、神様が身をやつして村を訪れているかもしれないからだ。テイは大事に隠していた宝箱からアメ玉を持ってきてやった。子どもが大きな口を開けてニカっと笑った。(174p) 船曳由美さんのお母さんは、米寿を過ぎた頃から「重い石で心の奥に封印していたかのような子供の頃の出来事」を鮮やかに語り出した、という。明治42年生まれ。出版時には百歳を越えた。だとすれば、冒頭載せたエピソードは大正中頃の栃木県足利郡筑波村大字高松の「常識」であり、それに応えた10歳ほどの少女の小さな優しさだろう。 テイの運命はそれなりに波瀾万丈ではあるが、もっと凄いのは、柳田国男の「明治大正史世相編」ではすくい取れないかった子どもと女性から見た民俗と、それを生きた人々の想いが、これぞと言って良いほど、生き生きと描かれていることである。 たくさん栞を挟んで本が膨らむほどだったのであるが、もう途中で諦めた。何処を取っても面白い。興味深い。100年前の日本は、弥生時代から続く古代の匂いがする。この60年間で、日本はいったい取り返しがつかないくらいに変貌したのではないか? 船曳由美さんは、10年ぐらいかけて何度も同じ話を聞いてきて、この話をまとめたのだろう。聞書で無名人の人生をまとめた書物に、私は何故かいつも滅多に出さない最高点を出している。無名人の人生にこそ、豊かな物語がある。 小熊英二「生きて帰ってきた男」 山川菊栄「武家の女性」 宮本常一「土佐源氏」 あまりにも凄すぎて未だ読み切れていない 石牟礼道子「椿の海の記」 この本も最高点を出すだろう。 いや、文庫本も出ているようだし、これは買わなければならない。 私の祖母や両親は既に他界しているが、ホントは彼らからこそ、私に繋がるホントの人生の物語を聞かねばならなかった。後悔先に立たず。
2020年12月05日
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「図書 2020年12月号」 これは今年今月の「図書」。例によって、岩波書店とは関係ないエッセイがほとんどなのではあるが、冒頭は珍しく自社の宣伝?イラク研究家・酒井啓子氏の「グローバル関係学 全7巻」(岩波書店)の紹介は興味深かった。確かに、コロナ禍で世界中会うのが困難な学者とズーム会議が当たり前になった今、途上国の片隅で起きた事が世界が動かすことも、十分当たり前にありうる話だ。 そう言えば、この前Eテレで「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ氏が、長野県の全寮制の世界から集まったエリート学生とのオンライン特別授業をしていた。ハラリさんから「いい質問ですね」と言われている若者がいた。我々?は、もはや古い世代なのである。 民俗学者・畑中彰宏氏の「男らしさ」分析。 最近私はゴスロリのカリスマ・青木美沙子さんに対して「男前だね」と評したことがある。そういえば、確かに「女前だね」という言葉はないし、私が男前と言ったからと言って女性の方からジェンダー差別だと非難されることもない。一方、男らしくないことを「女々しい」ともいう。これも、女性に対して使われることは、ほとんどない。 これらの言葉の由来は、実はゴリラにまで遡れると畑中氏はいう。「(1)女を妊娠させ、(2)被保護者を危険からまもり(3)親戚一同に食料を供給する」という使命によって、オスには、古より文化的試練が与えられる。よって「男らしい」は一人前と同義語になる。畑中氏は「男前な女性も珍しくはなかったはず」とは書くが、ここではそれ以上展開されなかった。 ‥‥なるほど!そういう意味では、私はとうとう「男らしく」なく一生を終えそうではある。 藤原辰史(歴史学者)さんは、学術会議任命拒否問題を批判すると、ネット市民から非難されて少し鬱になっていました。この問題を滝川事件を引用して大問題とする藤原さんの文章の最終行を観てびっくり。「10月16日銀杏落ち始める吉田キャンパスにて」とある。私はその半月後11月1日、京都大学時計台下の文書館で「京都大学の歴史展示資料」を観て、滝川事件について学んだので他人事とは思えない。更にはその半月後に、今度はその時計台に登る「大学祭恒例の行事」に対して大学側が警察を導入したというニュースを聞いて、更に他人事とは思えなかった。三つの事件、どれも学問の自治と自由に対する、重要な侵害行為だからである。 その鬱鬱たる藤原さんも元気になる出来事がありました。藤原さんも、大阪のとある高校生に向けて「勉強のすすめ」という「オンライン授業」をしたそうです。 藤原さんは学生に問いかけます。 「二次関数や文学は、現実の仕事に役立ちそうにはないように見える。勉強はどんな場面で効くのか?」学生はこう答えたそうです。 「『感性』を身につけるために」 「『世界の見方』を養うために」 「『美しいこと』を知るために」 最後の質問。 「いつか死ぬことが分かっている。では、勉強はなんのためにやるのか?他ならぬ私も、この問いに答えを持ち合わせていないのだけど」 ある高校生は、こう答えたそうです。 「次の世代、子孫のために」 ‥‥その言葉に、私も救われました。 新しい世代よ。共に頑張ろう。 一人前になっていない私だけど、 次の世代のために、この国の未来のために、 何か私にも出来たと思うことが、 いつかあるかもしれないから。
2020年12月03日
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「京都大学の歴史」 京都大学大学文書館の図録である。入室無料、図録も無料である。24p 1部カラー。 時計台の下にある資料館。 特に注目すべきは、一章を設けて「滝川事件」をあつかっていることである。 1933年、法学部の滝川幸辰教授(刑法)の学説がマルクス主義的であるとして、文部省が休職を求めたのに対して、法学部教授会は大学の自治に反するとしてこれを拒否した。5月26日に休職処分が発令されると、法学部全教官が総長に辞表を提出し、両者の対立は頂点に達した。その後、いくつかの妥協策も模索されたが、処分は撤回されず、結局法学部専任教官33名のうち21名が京大を去った(翌年までに7名が復職)。法学部は、滝川処分を撤回させられなかっただけでなく、文部省の分断策もあって、「辞職組」と「残留組」に分裂するという二重の痛手を受けることになった。 これは、そのまま現代の学術会議任命問題でも被る問題だろう。 ことは、思想問題ではない。 学問の自治と自由の問題なのである。 戦前は、政府の力が強かった。 果たして現代は、そんなに政府の力が強いのか? 学問の自由を求める市民の力が弱いのか? と、書いた後にこの記事が配信されたが、正にこの資料館のある時計台の上で、学問の自治と自由に関する「事件」が、今日起きたようである。みなさんはどう考えるか? 記事をコピペしておきたい。 京大の時計台記念館を学生が“占拠” 職員とトラブル、機動隊出動し一時騒然 11/27(金) 19:34 毎日新聞 京大の時計台記念館を学生が“占拠” 職員とトラブル、機動隊出動し一時騒然 京都大百周年時計台記念館に上る学生ら。垂れ幕やはしごがかけられ、警察官も出動するなど一時騒然とした=京都市左京区の京大吉田キャンパスで2020年11月27日、読者提供 京都大(京都市左京区)で27日、シンボルの百周年時計台記念館に学生らが登って垂れ幕を出すなどし、制止する職員らとトラブルになった。京都府警の機動隊が大学構内に入って警戒に当たり、周辺は一時騒然となった。けが人や検挙者はなかった。 【学生の占拠騒動があった時計台記念館】 京大では、学生寮の一つ「熊野寮」の祭りで、学生らが時計台に登ることが恒例になっている。これに対し、京大側は「危険な企画」「建造物侵入として刑法に抵触する行為」とし、時計台に登ろうとすれば「警察に通報するなどの法的措置を含め、厳正に対処する」と25日に告示を出していた。 学生らが27日昼、時計台に、はしごをかけると、もみ合いが発生。機動隊員らが現れ、正門から学内に入った。学生らは時計台の上でマイクを握り、周辺ではビラを配布。大学側の「対話拒否の姿勢」を批判するなどした。 府警は毎日新聞の取材に「通報があり、危険防止のため学内に入った。警備態勢の詳細は明かせない」と説明した。【中島怜子、千葉紀和】
2020年11月27日
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「痕跡本のすすめ」古沢和宏 太田出版 「言葉はこうして生き残った」の河野道和さんがすすめていた本を紐解いた。痕跡本を読むことも本の愉しみ方のひとつだと思う。 著者は、とてもユニークな痕跡本を約60冊用意する。そこから様々な「物語」を読み解く。ただし、推理小説とは違って、「答え」はない。そういう推理小説は嫌いだと思う人には物足らないかもしれない。私は考古学ファンで、いつも答えのないサスペンスに接しているようなものなので、「あゝこういう角度から、本という〈遺物〉も楽しめばいいんだ!」と再発見した。そしてこの本、「造り」という点でも様々な工夫があります。奥付にも仕掛けがある。装丁屋さんにも参考になりそうな本です。河野道和さんありがとうございました! 痕跡本には時に深い「物語」がある。特に本に書き込みをした年齢と手放した年齢との差を、古沢さんと同じように私も推理する。そこから、複雑な人生(妄想)が私の頭の中に展開されていくだろう。 「高橋亮子 ボクちゃんーその世界」(1977年)この「画集」に挟み込まれた画と同じ雑誌の切り抜き。わたしも一時期マンガ単行本を買い集めていたことがあるので、この人の気持ちもわかる気がする。 ‥‥18歳。新しい大学生活に膨大な雑誌は持っていけない。お母さんに言われた様に雑誌を処分することに決めた。中学生の頃から大好きだった高橋亮子先生の画集を買った。雑誌の処分の合間に画集と同じ絵を切り抜いて挟み込んだ。雑誌にはわたしの甘酸っぱい思い出の全てがある気がした。時を隔てて、2005年。46歳。子供に恥ずかしくて、隠してきたさまざまな趣味の本は一括して処分して、子供の自立を機会にわたしも自立する。‥‥などなど。 或いは、私の「蔵書」の「痕跡本」の行末を推理する。痕跡本なので、ひと山100円どころか、古本屋行きさえも検討されなくて、ブルドーザーがゴミとして処分する未来は、あえて見ない。私はスマホを手にする前は、本の終わりの奥付やカバーの裏に読んだ直後の感想を書くことが多かった。その後に「ワープロ」で清書すると、わりと良い書評がかけるからである。細かくびっしりと書いた痕跡本は、やがて私の蔵書が「◯◯文庫」として郷土の図書館に寄贈された後に、研究者の研究対象となる。やがて一冊の評伝にまとめられて‥‥いかん、妄想とはいえ書いていること自体が恥ずかしくなってきた。 これからは、ひと山百円のワゴンを見るのが楽しくなりそうだ。
2020年11月23日
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「まじないの文化史」新潟県立博物館監修 河出書房新社 「呪い」と書いて「のろい」とも「まじない」とも読む。奈良時代から現代までの様々な「呪い」の遺物解説を中心に、ビジュアルで紐解く「呪術」の曼荼羅本である。新潟県立博物館企画展の図録を「のろい」の部分を充実させて書籍化(呪い(のろい)は展示には不向きだったかららしい)。 この本ではやはり出てこなかったが、縄文・弥生時代にも、おそらく同じ概念の「呪い(まじない)遺物」がある。吉備地域を中心に広く出土している分銅型土製品というもの。初期には模様、後期には赤ちゃんのような顔が描かれていて、分銅のような形の真ん中からポキッと折れた形で出土する。そうやって赤ちゃんの早逝を予防していたのかもしれない。人形(ひとかた)や人面墨書土器は、低湿地や溝跡から出土することが多いらしい。川や水に流して、災いを取り除く呪い(まじない)が行われた可能性が高いと思う。雛流しも同じ思想だろう。(京都府向日市文化資料館には、長岡京跡地から出土した人形、墨書土器、ミニチュア竈門、土馬などがあった) 呪い(のろい)に関しては、一章を設けて文献に現れた「事件」をたくさん紹介している。現代では「呪いによる殺人」は成立しないが、養老律令(757年成立)では禁じているのだから、成立もしている。「厭魅蠱毒(えんみこどく)」と言われ、蠱毒は毒殺だからのろいとは言い切れないが、厭魅は予備や未遂であっても罰される。現代でいう共謀罪よりもタチが悪い。結果的に政敵追い落としのための手段として使われることが多かった。具体的方法については不明だが養老律令の中の「賊盗律」には「符書を作って呪詛を行う」とあり何らかの文字や記号の書かれたお札を用いていたと考えられる。これにより「事件」が起きていたのは確かなのではあるが、具体的殺害方法などは「説話」などにしかなくて、客観的証拠に弱いのが実情だろう。陰陽師なども、必要に応じて大活躍していたようだ。 本書は今年2月後書き、5月の発刊ではあるが、図らずも「アマビエ」の記述もある(1846年肥後国での言い伝え)。アマビエとまるきり同じ話なのに、何故か今年流行らなかった「亀女」の話の方を、本書は詳しく紹介している。‥‥寛文9年(1669年)佐渡の海から現れた亀女が「5年の間豊作だが、悪風邪のために多くの人が死ぬ。しかし我が姿を描いて見せれば難を免れるぞ」として福島潟に現れた姿を描いて家内において朝夕に見たら悪病を避けることが出来たそうだ。亀女だと異様だから、アマビエが採用されたのか?今からでも亀女をプロデュースするべきではないか? 少し似通っているもので、「蘇民将来と茅の輪」信仰がある。一夜の宿を求めた者(神)に親切にした兄(蘇民将来)と、神の言う通り茅の輪を腰につけた妹が難を逃れたらしい。そこから、自ら「蘇民将来の子孫」を唱え茅の輪を持てば疫病を逃れることになった。蘇民将来とは人の名前だったのである。これが8世紀後半を最古にして、やがて「蘇民将来のお札」「茅の輪を潜る夏のお祓い」そして祇園祭に京都の玄関戸につけられる「厄除け粽」に変化している。これらは現代にも綿々と続いている。そう言う意味では、七夕の短冊や絵馬も現代では生き生きと息づいてる。因みに先日京都吉田神社で引いた御神籤は「吉」でした!
2020年11月15日
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「梁塵秘抄」後白河法皇編纂 川村湊訳 光文社古典新訳文庫 あなたの 約束 忘れない 信じて 信じて 待っている あなたの 名前を呼ぶだけで ほんとの 幸せ やってくる 誰が歌っている演歌だろうか?いや、そうじゃない。今から900年ほど前、京の都を中心に流行した「今様」という歌謡の歌詞を川村湊さんが今様に訳したものです。 本歌はこうです。 阿弥陀仏の誓願ぞ 返す返すも頼もしき ひとたび御名を称うれば 仏になるとぞ説い給う 大嘘じゃないか!百歩ゆずって意訳のし過ぎじゃないか!と思うだろうか?私はそうは思わない。当時、庶民にとっては阿弥陀仏は単なる仏様ではなかった。仏像や歌い手は時にはアイドルそのものだった(参考 五木寛之「親鸞」)。庶民がこの歌を歌うとき、おそらく意味合いは上の歌詞そのものだった、と私は思う。 それにしても素晴らしい訳業だと思う。そのまま、誰か曲をつけて売り出して貰いたいものだと本気で思う。もちろん出来不出来はあります。 また、今から900年前に、既に庶民の間では歌謡曲の条件が揃っていたということが、生き生きとわかる素晴らしい「古典」だと思う。ここでの訳業は全体の1/5も無い。また、歌謡曲だけでなくて、「前口上」「ピン芸人」「風刺」「阿保芸」等々、凡ゆる娯楽の素地が生まれている可能性がある。しかも「梁塵秘抄」はたまたま近代に見つかったもので、全体の一部に過ぎないらしい。ホントの全体像は未だ謎なのです。後白河法皇が、まるで憑かれたようにカラオケボックスに籠っていたのがわかる気がする。録音機が無いのを法皇は残念がっていたが、せめて歌詞だけでも纏めてみたいと思い、精力傾けて編纂したのもわかる気がする。おそらく居たはずのスーパースターの歌声と曲調は如何なものだったのだろうか?庶民文化史の燦然と輝く裾野を見せ、想像させる面白い訳業でした。
2020年11月14日
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「武器としての「資本論」」白井聡 東洋経済新聞社 「資本論」は古くなっていない。今こそ読まれなければならない。と著者は熱く語ります。難しい言葉をできるだけ避けて、そのエッセンスから導かれる「現代の課題」を明らかにして、その「処方箋へのヒント」を書こうとしています。経済学者ではなく、政治・社会学者としての「資本論入門書」でした。 例えば、「商品によって商品の生産」がなされるようになった近代以降の現代では、やがては「優秀な遺伝子が欲しい」という欲望に勝てなくなり、そういう「商品」をつくるだろうと予測しています。倫理とか、愛とか、がそれにブレーキをかけるだろうというのは幻想だというのです。 例えば、新自由主義が蔓延している現代では既に「寅さんがわからない」若者が増えているといいます。「資本による包摂の深化」により、『資本論』は「私たちの知性と感性、魂までもが資本主義のシステムによって呑み込まれてゆく事態を見通していた」というのです。(←わかりにくよね。わかりやすく解説していますが、うまくまとめられない。でも、寅さん映画に共感出来ないという人が万が一これを読んでいたならば、是非本書を読んで反論を試みて欲しい) 「 AIが働いてくれるから、人はもう働かなくてよくなる」のか いや、「資本主義のもとでは絶対そうはならない」 と、おそらくマルクスは言うだろう。これは現代の若者も同意できるのではないか。 その仕組みは「商品と労働の二重性」「特別剰余価値の獲得」から来る。 それに関連するのですが、「本源的蓄積の持続性」もそこからやってきます。必ず資本家は労働価値のダンピングを行う。脱正規化、アウトソーシング、外国人労働力の受け入れ等々がそれに当たります。「働き方改革」も「資本」の要請です。ここまで来て「人口の再生産」ができなくなってきているから唱えられた訳です。 マルクスは「資本は、増えることによって人々が豊かになることが目的ではない」と喝破します。「増えることそのものが資本の目的なのです」。つまり資本主義は、人々を豊かにすることが目的ではない、というのです。 「だって、うちの社長さんは社員の幸福を願っているし、社会への利益還元活動にも積極的だよ」 と、異論を唱えても、マルクスは「それは貴方の幻想だよ」とバッサリするでしょう。マルクスさん、そんなに敵を作らない方がいいよ、と私は心配しますが、結果的にはその「厳しさ」が必要だったと私は思っています。反対に言えば、未だにこういう反論があること自体が、現代にマルクスが必要とされている証左なのかもしれない。 処方箋は何か。 現代は新自由主義の時代だと、白井さんは言います。 「新自由主義とは、実は「上から下へ」の階級闘争なのだ」(デヴィッド・ハーヴェイ) わたしたちは、知らないうちに「上から」の階級闘争を仕掛けられて負けていた、とのことです。 マルクスは革命を失敗して、ロンドンで「資本主義とは何か」を明らかにするために「資本論」を書き始めました。よって「資本論」に「階級闘争」の具体的記述はありません。 決して、資本家を全員牢屋に入れたら革命が成就するわけではありません。でも、ロンドンに来る前は革命の闘志であり指導者だったので、それ以前のマルクスを読んできた人は、暴力革命がマルキストの資格みたいに考えている人もいました。 現代は、革命を起こすべき労組も選挙も暴力革命も難しくなっています。上からの階級闘争の成果ですね。どうすればいいのか?結局、労働者階級による階級闘争の成功しかない。ただこれもダメ、これもダメ、と書いていて、全然明らかになっていない。 それがかえってホッとします。秘密の言葉を見つけたらゲームオーバーになるなんて、夢物語です。資本論には、現代も通用する「世界の構造を理解するための処方箋」があります。そうやって努力して、世界を理解するための技術を磨いた後にこそ、労働者階級の勝利を導くための処方箋があるのかもしれない。
2020年11月05日
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「図書 2020年11月号」 面白いんだけど、少しだけ異論がある。いつも表紙の絵を解説している司修さんは、自分の見た夢の解題として書いているのだけど、それを読んだ時には内容には共感するのだけど、それが表紙の絵とどうしても結びつかない。「それが抽象絵画の面白さなんだよ」と言われれば、そうなのかなぁと思うのだけど。因みに今号は、「わたしの身体は、七、八個のブロックに解体されていて、それぞれがひとつの部屋になっていた」そうです。 同様に、ラサール石井「子どもの頃の日曜日の朝」。彼の子どもの頃の読書体験をつらつらと書いている。わたしよりも5歳ほど歳上だし、東京の子どもだったので、共感できるところも多いけど、違いもある(貸本屋で借りるか、小学校図書館で借りるか)。ラサールさんのように江戸川乱歩「少年探偵団」シリーズの「大金塊」の暗号を「今でも空で暗唱できる」ほどには貪り読んではいなかったけど、「ジャングル大帝」の数場面は、今でも空で再現できる。 同様に、畑中章宏さんのシリーズ1回目「らしさについて考える」の「女らしさ」。うーむ、改めて「母性保護論争」の与謝野晶子や宮本百合子の紹介と、柳田國男、山川菊栄などの「女性叢書」を結びつけたのは嬉しかったが、最初のあたりが冗長すぎる。また、同意できないところもある。これを機会に「女らしさ」論争でも起きれば良いんだけど、そこまでの影響力は無いだろうしなぁ。映画「82年生まれ、キム・ジヨン」は、韓国ほどには観客動員数を獲得できなかったようだ。夫が一見良い人に描かれていて、主張が散漫になったからかもしれない。 同様に、笠井献一「SFとウイルスと黒幕のはなし」。生命科学者によるウイルス話。とてもわかりやすい。ところが、最後の段で「黒幕」の言葉。え?黒幕って、何だったの? 同様に、じゃない。時枝正さんの「あかちゃんトキメキ言行録」は、連載5回目にしてやっと時枝正さんの専門の数式が出てきた。一歳9ヶ月の日々のことを具体的に記しているけど、確か智ちゃんは既にすっかり大きくなっているはず。よくもまぁこんなにあかちゃんの眼から見た世界を記録していたのだと思う。面白い部分しかない。
2020年11月02日
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「図書学辞典」長澤規矩也編著 三省堂 後書き(跋とも言うらしい)を見ると、著者の喜寿を記念した復刻版らしき説明。しかしながら、昭和何年刊行の本を復刻したのかわからない。著者の序文(編者や出版の次第を記した文章)を見る限りは、この時のために大幅に書き直したように見える。だとすると、昭和54年段階の新刊本となろう。だとすると、現代利用する辞典としては、いろいろ不満が出てくる。 例えば、我々が通常使用する言葉が出てこない。「新刊本」という言葉はない。「新印本」「新本」として書いている。「新書判」「文庫判」とあり「新書」や「文庫」という言い方はしていないし(もっとも「新書」は、元々は古い綴り本に対応した西洋式装訂本らしい)、「文庫」の場合は「鴎外文庫」というような、個人の蔵書のことを言っている使い方も紹介されていない(「きたきた捕物帖」において北一は本箱たる文庫を売っていたが、この辞典ではその意味は紹介されていなかった。宮部みゆきの造語の可能性はある。辞典では「書函」とか「本箱」が載っていた)。「重版出来」も無かった。ごく最近の使い方なのかもしれない。「出来(しゅったい)」は出てこなかった。「コピー」という項目もない。 悪いことばかり書いているけど、斜め上から読むのは私の性分なので仕方ない。もちろん、参考になったところ多々あった。図書館に返却するまでのあと2週間、手元に置いておこうと思っている。 参考になったのは、以下の部分。 「類」の書評で類の著作を「再販して欲しい」と書いたが、間違いでした。「再販本」は「2度目に出版された」本のことであり、もう一度作り直さなくてはならない。「重版」のほうが正しい。 中国を「シナ」としているのは、著者の見識だろうから私は良いと思う。 「図書」は、書籍の意味の他に、「史記」において「絵図と書類をまとめたもの」という意味で使っていたらしい。書類に絵図をつけるのは、二千年前からの伝統だったことに改めて感動する。 「篇」(もと簡策。まとめをいう語、後世は、一部の書物中の大きなひとまとめをいうことば。)なので、一般に「鬼滅の刃」の「無限列車へん」をいうときに「編」を使っているが、「篇」の方が正しそうだ。 古本コレクターは「稀覯本(きこうぼん)」という難しい漢字をよく使うが、「稀本」のことであり、さらにいえば「珍本」(世間で珍しい本、めったにない本)と同語なので、珍本といえば良いと思う。 因みに古書は(東洋古来の装丁による本)という意味なので、これからは古本を使っていきたい。 「蒟蒻版・ゼラチン版・寒天版」という、とても面白い印刷(コピー)のされ方があった。すべて(紫色の特殊インクで、すべすべした用紙に書いたものを原稿とし、これをゼラチンに水とグリセリンを加えて煮て固めたものに転写し、すべすべした用紙に印刷した本。明治・大正のころ、設計図などはよくこの方法で印刷された)である。青写真版とよく似ているが、青写真版の説明は(青地に白色で文字や図表を表す複写印刷法)と、とっても素っ気ない。ゼラチン版て、いったいどんな印刷に仕上がるのか?とっても気になる。(調べたら、「坊ちゃん」の中で「蒟蒻版」が出て来ているらしい) 現代では失われた語句が多数入れられていて、戦中か戦後直ぐの図書学の本としては、コンパクトで良いのかもしない。中国古典、江戸時代や近代の本を調べる時の語彙については、非常に細やかで調べやすいと思います。
2020年10月30日
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「本 森に帰る」吉津耕一 農文協 古本コレクターには有名書店なのかもしれないが、わたしはweb記事で最近になって知った。 福島県南会津の不便な山奥・只見町に、日本一の蔵書を持つ古本屋さんがある。どうしてそんなことが成り立つのか。それは、経営力の高さというよりも、志の高さによって実現した夢の古本屋である。 「古本で地域おこしをしよう!本には吸引力がある!」 現代の状況については以下のサイトを見てもらいたい。 蔵書150万冊を誇る古書の聖地「たもかぶ本の店」で、本の森の賢者はかく語りき – Michino http://michino.jp/travel/1841 わたしは、この古本屋が軌道に乗った直後に仕掛け人の吉津耕一さんが書いた「この古本」(1995年刊行)を読んで感想を述べる。 16年前の時点で35万冊の本が集まり、日々増えているらしい(2018年は150万冊)。「都会の狭くて高い空間に眠っている本引き取ります」。値段は付けない、「交換」する。条件は、一般書籍・コミック・文庫・選書・ファミコンソフトを定価の一割で、CD・LDを定価の2割で引き取り、代価が、1670円になれば「たかもく」所有の雑木林一坪と交換する。実際には登記料に2万円かかるので、300坪に増えた後に登記を勧める。山林の利用は、家を建てるとか、キャンプするとかは向いて無くて、材木伐採や山菜狩とかに利用するのを勧めている。 ‥‥私ならば、300坪は死ぬ間際かな。50坪ならば今すぐにでもできそうだ。 自分の土地を持てば、年に一回は行ってみようかな、と思える。キノコ狩りなんかして、帰りに150万冊から「お宝」を探して持って帰って‥‥ 本書には、古本屋を始めるきっかけから、始めて一年余りのことが、まるで日記のように詳しく語られている。文章力はあるんだけど、若干構成が散漫。でも面白かった。
2020年10月27日
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「この国の不寛容の果てに」雨宮処凛その他 大月書店 「障害者は不幸を作ることしかできません」と言って障害者施設で19人を殺害した相模原事件。一報を聞いて、雨宮処凛は「とうとう起きてしまった」と思ったという。 2000年代に始まった、自己責任論の蔓延、ヘイトデモ、嫌韓嫌中ブーム、生活保護や貧困パッシング、2018年に杉田水脈の「LGBTには生産性がない」発言。 実はその前には公務員パッシングもあった。「いい給料をもらい、安定した雇用のもとに楽をしている。」と。 ←このように並べると、政治家はこれらの意見に乗ってその後の悪法や経済政策、外交を進めたのだと気がつく。まさか、内閣調査室が仕掛けた!? 「公務員を通り越して、生活保護利用者や障害者が「特権」とみなされるなんて、この国の人々の生活はどこまで地番沈下してしまったのだろう」 (11p)と雨宮処凛は嘆く。 ←学術会議任用拒否問題に対しても、同じ構図が広がっている。「彼らは特権階級なのに、何を守ってあげる必要があるのか」。 この序章の「問い」から発して、雨宮処凛は6人の識者と対談をして、昨年9月に発刊した。基本的に彼らの意見に9割方賛成する。問題点はかなり整理されて提示されている。が、紹介しない。 「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」ではないが、世界の片隅でひっそりと語られた会話では、その流れは止められない、止まらない。 彼らの幾人かは植松被告と直接対話を試みたが、もはや植松被告に聞く耳は無かったようだ。 加藤周一は、世界を変えるのは「科学」ではなく「文学」だと言った。それは狭義の意味ではなく、かなり広い意味であることは明らかである。文学といい、哲学といい、歌といい、体験といい、世界観が変わるためには特別なモノが必要なのだが、正解はない。わたしはずっと「体験」が必要だと思っていた。生活保護問題にしても、貧困問題にしても、パッシングしている人は、彼らと「直に」関わっていなかったからだと思っていた。けれども植松被告は、「やまゆり園」そのものに勤めていたのだ。予め殺すべきだ、と思って勤め出したとしても、直に接することでその世界観に揺らぎは起こらなかったのか?わたしは自説を修正せざるを得ない。 どうして、バブル時代は公務員パッシングが生まれなかったのか?植松被告はこのまま「借金が膨らむと大変なことになる」と犯行に及んだが、どうしてステルス戦闘機F35を6.2兆円で147機購入(維持費含む)することに、大きな非難の声が上がらないのか? いかん、ダラダラ言葉を並べ出した。何の意味もないのに。 植松被告については、それから一年後死刑が確定し、これ以上の事件の解明は難しくなった。 ※テレビで「鬼滅の刃」を見ていると、なぜか植松被告が、悲しい運命を持つ鬼たちの姿と重なった。アニメもこの事件も、時代が作っていることでは共通性がある。
2020年10月18日
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「読みなおす一冊」朝日新聞学芸部編 朝日新聞社 「読みなおす一冊」という書評集を読む視点を、わたしは「紹介される本」というものではなく、「わたしならばどう書評を書くか」という視点で読んでしまった。よって、150人ほどいる評者の中から、わたしは、知っている作家で、かつ知っている(必ずしも読んでいない)本を中心に見てゆく。 参りました、が★★★。 良いんじゃないの、が★★。 わたしとどっこいどっこい、が★。 ⚫︎瀬戸内寂聴「にごりえ」 未読。寂聴は「樋口一葉は処女では無い。半井桃水だけでなく、久佐賀義孝にも身をまかせただろう」と推察している。作品の中にある「女の子に肉の秘密」。寂聴の真骨頂。★★★ ⚫︎石牟礼道子「黒い雨」 石牟礼道子にかかると、わたしの読んだ「黒い雨」とまるで違う世界が広がる。広島の町を遡上するウナギの幼生。「やあ、のぼるのぼる。水の匂いがするようだ」★★★ ⚫︎水木しげる「雨月物語」 水木しげるは「上田秋成センセイ」と呼んでいるんだ!唯一、わたしにも書けそうな書評だった(^_^;)。でもわたしには水木しげるのような「体験」はない。★ ⚫︎つかこうへい「リア王」 全くの新解釈!楽しい!★★★ ⚫︎開高健「嘔吐」 わたしは「嘔吐」は未読だったが、サルトルについては1家言あった。開高健の書評の密度と精度には感服しかない。★★★ ⚫︎樋口敬二「雪」 中谷宇吉郎の「科学のすすめ」的な性格を書いているが、学者の文章で、感情に訴えるように書いていない。★★ ⚫︎都筑道夫「日和下駄」 未読。永井荷風の東京散歩らしい。歩けば今でもほんの少し面影があるらしい。‥‥それから35年。現在はどうなっているか。歩いてみたい。★★ ⚫︎寿岳章子「第二の性」 中学生の時に「いやらしいことを書いているのに違いない」と思ってドキドキしながら買ったわたしのエピソードとは真反対の真面目な書評でした。「82年生まれ、キム・ジヨン」と比較をしたら面白いかもしれない。★★★ ⚫︎前登志夫「遠野物語」 文章は素晴らしいのだけど、ほとんど遠野物語の力かもしれない。でも選択と紹介順番は良かった。★★★ ⚫︎梅原猛「ツァラトストラかく語りき」 途中本。哲学者が人生で最も影響を受けた本を語るのに、3000文字も要らない。脱線を含めて、面白く見事に纏めていた。★★★ ⚫︎中島梓「モンテ・クリスト伯」 未読。簡易版は読んだが、それは原作とは似ても似つかないものだと「書評家」中島梓はバッサリ。彼女の生涯ベストワンという作品。「私はこの本を読んだから小説家になったのだし、私の書きたいのはこういう小説だけなのだ」と100巻にも渡る世界最長の小説を書いた栗本薫の言葉も飛び出した。★★★ ⚫︎駒田信二「吶喊」 駒田信二がこんなにも魯迅の労働者性に寄り添って書くとは!★★★ ⚫︎手塚治虫「銀河鉄道の夜」 長くなります。結論部分の「ジョバンニは狂言回し、性格的にも描写的にもカムパネルラが賢治自身」については、説得力はない。狂言回しは手塚自身がよく使った創作作法だし、全ての登場人物に作者自身が投影されるのは理の当然。問題は何故書いたか、だろう。カムパネルラで描きたかったかのは、やはり妹の行末だろう、と私は思う。手塚はあまりにも忙しくて思いつきを書いたと思う。それよりも、注目すべき言葉がある。(1)作品は、かなり難解だが映像化と音の時代の現代になって、世代が受け入れることになった。と手塚はいう。←だとすれば、VR時代の今こそ理解される作品だろう。(2)「ひたすら書きつづって忘れてしまう種類の作品がけっこうあるのだ。ぼくの資料戸棚の引き出しを開けると、未完成原稿がぞろぞろ出てくる」←おいおい、聞いてないぞ(「ロストワールド」以外にもぞろぞろあるのか?)!遺族が隠し持ってるのか?★★ ⚫︎常盤新平「ゴッドファーザー」 原作は未読だが、あの長い映画は三作を三度観た。過不足なくあの世界を評価して凄い。原作を読みたくなった。★★★ ⚫︎松谷みよ子「せみと蓮の花」 未読。しかし、老齢の童話作家が、故人の童話作家・坪田譲治が書いた、老いと死をテーマにした作品の書評をしている。しかも坪田譲治は松谷みよ子に賢治の「春と修羅」を渡して「およみなさい」と言ったらしい。何か深淵の謎がある。★★★ ⚫︎曽野綾子「夜と霧」 未読。しかし、何故か内容は承知している、と思っていた。曽野綾子は、そういう賢しらな認識を覆す。★★★ ⚫︎結城昌治「きけ わだつみのこえ」 「若い人たちに、今こそ読んでもらいたいと思うのである。新婚旅行でハワイやグアムへゆくのも結構、ゴルフや野球見物をたのしむのも結構だが、現在の経済的繁栄がいつひっくり返るかわからない時代がしのび寄っていることにも気づいていいころなのだ」中曽根の「戦後政治の総決算」について語っているが、もはや手遅れ?戦中生き残りの貴重な言葉。★★★ ⚫︎杉本苑子「枕草子」 現代語訳を終えて彼女は約35年前に、巷に広まる「定子中宮を庇った」説を退け「本来非政治的な女性なのだ」と自説を覆す。通常3000文字の書評が、ここだけ倍化している。現代の枕草子研究者は、この杉本説をどう評価しているのか?★★★ ⚫︎中村真一郎「風立ちぬ」 師弟関係にあった弟子が、読みなおす書評。何をか言わんや。「80年代の現在では、既に失われてしまったものばかりによって成立している」★★★ ⚫︎淀川長治「チャップリン自伝(前半)」 未読。淀川さんは未だ全部読み切れていないらしい。チャップリンをあまりにも好き過ぎて、少しずつしか読めないからだ。よくわかる。私にもそういう本が1、2冊ある。★★★ ⚫︎大岡信「東西遊記」 未読。江戸時代寛政年間に刊行、橘南谿の紀行文。中国・九州・四国・関東・東北・北陸で、風俗習慣、珍談奇談の聞き取り、天明大飢饉の描写。「奥の細道」等々の人墨客趣味の紀行文とは真反対、現在のノンフィクションに近い本。流石大岡信、文章発掘の達人。★★★ ⚫︎河合隼雄「グリム童話集」 子どもの時の「何故そうなるのか」を、後年心理学者として見事に解き明かした半生を書く。★★★ ⚫︎堀田善衛「山家集」 書評というよりか、評伝。しかも、現代にも根深い遁世者としての西行ではなく、「怪異にして、巨人」の姿を顕にする。定家にあまりにも力を入れ過ぎた。西行についても書いて欲しかった。★★★ ⚫︎佐藤忠男「トリスタンとイゾルデ」 書評というよりか、文化批評。近松心中物語と中世騎士物語の大きな違いは、青二才か、剛気な騎士か。上原謙、佐田啓二はラブシーンを演じるが、三船敏郎や仲代達矢は演じない。しかし、西洋ではジョン・ウェインやスティーヴ・マックイーンは演じる。★★★ ⚫︎加藤周一「渋江抽斎」 途中本。「探偵小説以上に面白い」。つかみから入って、森鴎外の、この無名の人物の評伝の魅力を余すことなく伝える。思うに、書評のお手本のような書評。★★★ ⚫︎岡野弘彦「死者の書」 愛弟子のお師匠さん(折口信夫)の代表作の書評にしては、愛が足りないと思うのは、私の無い物ねだりか。★★ ⚫︎中野孝次「測量船」 未読。あゝそうだ、三好達治という詩人が居た、戦中も軍歌を書かず、「平明さのなかにある深さ」。★★★ ⚫︎眉村卓「聊斎志異」 途中本。子どもの頃からずっと読み続け手元に置いている。この積み重ねが、最晩年の妻への短編集に繋がったのかも。★★★ ⚫︎大岡昇平「山月記」 「構成の緊密さと簡潔硬質な文体」それはそのまま大岡昇平にも言える。★★★ ⚫︎山下洋輔「裸のサル」 ちょうど山下洋輔さんと同じ頃(74年)、わたしも読んだ。本のインパクトは巨大で、現代はいろんな面で発展、或いは批判されている。流石山下さん、硬軟織り混ぜて優しく書いている。★★ ⚫︎尾崎秀樹「大菩薩峠」 未読。えっ?宮沢賢治が「二十日づき、かざす刃は、音なしの、虚空も二つと、きりさぐる、その竜之介」と詠ったの?大逆事件の2年後から連載された、この大長編小説のインパクトを解説して大変面白かった。★★★ ⚫︎澤地久枝「アンネの日記」 アンネより1歳下らしい澤地久枝は、50歳代になってやっと紐解いたらしい。未だこの時は完全版は出ていない。当然、歴史的責任に筆が傾く。★★★ ⚫︎井出孫六「夜明け前」 未読。島崎藤村の本書が、昭和4年から6年間書き続けられたことを知り、夜明け前の希望が暗いままで終わるのは、時代を反映している可能性を知った。俄然読みたくなった。★★★ ⚫︎米倉斉加年「鶏の卵ほどの穀物」 未読。1番脂が乗り切った頃の俳優が、トルストイ舞台化の舞台裏を書いた。★★ ⚫︎副田義也「忍者武芸帳」 おそらく何度目かの書評だと思う。4度目の読み直しらしいが、こんなことぐらいしか書けないのか、と思う。★★ ⚫︎篠田正浩「曽根崎心中」 近松門左衛門は、事件を知って1ヶ月後に上演に漕ぎ着けたらしい。現代週刊誌並みの早さではあるが、監督はその現代性を余すことなく語る。映画化して欲しかった(なぜ「鑓の権三」の方を映画化してしまったんだろ)。★★★ ⚫︎紀田順一郎「奇巌城」 ルパンものの魅力を説得力持って書いた。★★★ ⚫︎近藤芳美「野菊の墓」 歌人の伊藤左千夫が、なぜ純愛小説を書いたか。★★★ ⚫︎伊藤比呂美「シートン動物記」 この頃彼女は未だ20代だったはず。「わたしは、思いっきり動物を殺してみたい」若さに溢れた書評。★★★ ⚫︎椎名誠「さまよえる湖」 未読。椎名誠の生涯ベストワン。何故かというと、奥さんと知り合ったキッカケを作った本だから。いかにも!という書評。★★★ やはり物書きの専門家には敵わないという結論に至った。1984年から1987年にかけての書評集。現代まで生きている人を探す方が易しいほど。しかも、これを書いて3年以内に亡くなった方があまりにも多い。そういう意味で、豪華で貴重な書評集。
2020年10月17日
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「消えた映画館を探して〜おかやま、昭和の記憶〜」鷹取洋二 吉備人出版 かつて昭和という時代があり、どの市町村にも必ず映画館の一つや二つは存在した時代があった。そこが地域の娯楽の殿堂として確かにあったはずなのに、その映画館の場所も名前も、いまや覚えている人はどのくらいいるだろうか?現在は駐車場や民家になって当時の面影は一つもないとなれば、名前を失念しても仕方ないのかも知れない(←私のことです)。しかし、果たしてあの目眩く銀幕の世界の記憶を失くしてしまって良いのか? 鷹取洋二さんは、岡山県下の消えた映画館なんと147館を、諸資料や新聞記事、直接訪問しての地域住民に聞き取りなどの取材を経て、当時の様子や過去と現在の写真、映画最盛期の上映作品、最終日の上映作品などを突き止め記事にしています。恐るべき労作といえるでしょう。 実は私の参加する映画鑑賞サークルのことが、少し紹介されています。先輩たちが平成10年度に作成した「岡山映画100年映画館変遷史記録集」が、主な参照資料として使われていいるからです。先輩たちは苦労して岡山市の昔の映画館があったところを突き止めました。ただしそれは岡山市内の映画館に限られていました。 本書は岡山市や倉敷市の全ての映画館を網羅しているのは当然のこと、市或いは郡の、例えば真庭郡「勝山東映」などの小さな映画館の場所と開館閉館時期を特定しているのです。これが如何に大変なことかは、私たちは先輩の苦労話を聞いているだけによくわかります。そして、ホントに貴重な資料ができました。本書「おわりに」に書いているように、これは「昭和の記憶遺産として岡山の映画館史を後世に残す」取り組みです。 記憶遺産だと、ホントに思います。 わたしの感想を述べるならば、忘れつつあった「映画館の名前」「閉館時期」「場所の地図」「最後の上映作品」を読むことで、まざまざと多くを思い出しました。 初めて子供だけで見に行ったのは、倉敷駅の東側にあった「三友館」でした。そうそう、「三友館」だった!「ポセイドン・アドベンチャー」にビックリしました。その驚きは現代のVRの比ではないと思います(VRは仕組みはすごいけど、中身の作り込みがちゃちいのです)。高校生になった時に、今度は友人とこっそり三島由紀夫原作、フランス映画「午後の曳航」を見に行きました。裸が出るという軽い興味で観に行ったのですが、そのあまりにも生々しい描写にお互い何も言えずに映画館を出たのをよく覚えています。今見るとそんなに大した描写ではないですし、エッチ場面は一瞬だったのですが、世界の秘密を垣間見た気がしました。「倉敷東映」の最終日に、わたしは「仁義なき戦い特別編集版」を観たという記憶だったのですが、それは閉館月直前のプログラムだったようです。「水島プラザ」の最終上映作品も勘違いしていました。「岡山松竹」最終日の賑わいは、ついこの前のようです。寅さんの岡山舞台版が上映されていました。開館事情と閉館日を、今回初めて知ることが出来て良かったです。 この本を読んで、「記憶遺産」を確かなものにする人は、非常に多いだろうと確信します。
2020年10月12日
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「考古学への誘い」むきばんだ応援団編集 今井出版 佐原眞さんの講演録があるので、てっきり古い本だと思って取り寄せたら昨年出版の最新本だった。「むきばんだ弥生塾」の20年間の講座の中から珠玉の講演録を収めた第一弾。 佐原眞さんは、私を考古学へ誘(いざな)った直接の恩人である。その最晩年の講演録を二本聴けて大満足。佐原さんは「戦争は人間が始めた。人類の歴史から言えば始めたのは直近。人間が始めたのだから人間が終わらすことができる」と、日本で初めて学者の立場からハッキリ言ってくれた人だった。その言葉に感動して、私は、縄文でも古墳時代でもない、戦争を始めた弥生時代を中心にして、考古学を学んでいくことを決めた。 99年、当時としては日本最大の弥生の国邑妻木晩田遺跡の国指定化が決定し、その勢いのまま、99年の8月、鳥取県米子市の講演で初めて佐原眞さんの声を聞いた(記録を紛失しているので大体の記憶を頼りに書いている。間違っていたならごめんなさい)。笑いが絶えず、しかもとても興味深い内容で一気にファンになり著書を読み漁った。99年9月にむきばんだ弥生塾開講。その1番バッターとしての講演を此処に載せている。2001年8月、また大きな記念講演が米子市であり、私は2時間以上かけて中国山地を越えた。佐原眞さんは短い講演をしただけであり声も張りがあって元気そうだったのだが、その姿を見て胸が潰れた。膵臓癌の闘病で別人かと思うほど痩せていたのである。表紙の写真がそうだ。本来は恵比寿さまのようにふくよかだった。2002年に泉下の人となる。最後まで妻木晩田遺跡をはじめとする遺跡の保存活用に生命を削って助力した人だった。 金関恕さん(故人)も、初代むきばんだ弥生塾塾長として助力を惜しまなかった人である。講座ブックレット第一弾としては、最良の人選だと思う。 当時(たぶん今も)考古学の講座は、ちょっと勉強した者しかついていけない専門用語が横行していた。佐原眞さんは、「むつかしいことをわかりやすく伝える」ことを考古学会に広めた張本人である。博物館も、地域の文化発信施設として、わかりやすさに務めた。そして金関さんは、橋下大阪府知事が大阪府立弥生博物館の閉館を画策していたときに、それを阻止させた意義についても語っている。貴重である。 以下はマイメモ。 佐原眞。 〈古代人の心に触れる実例〉 ・赤ちゃんの手形の粘土版の裏に、大人の指の跡が残っていた。どれくらいの「力の加減」したかを見ることで、赤ちゃんへの心がわかる。 ・縄文中期の土器のカケラに裏から孔を開けようとして、表の帯があり途中止めにしている。4000年前の「しまった!」がわかる。 ・奈良時代の瓦職人は、軒丸瓦を現在とは違い人に見えない所も飾っている。 〈倭人の弓について〉 ・弥生時代以降の弓は、「短下長上」。根っこ部分を下にして梢を上につくる。弾性の関係で中央より下で弓をつがえる。しかし、アイヌ、沖縄は仕掛け弓の関係で中央につがえる。中国もそれ(弩)。英語もクロスボウ(十字架弓)なので中央。しかし日本は現代までこの作り方。←もしかして、日本史上大量殺人を伴う戦争は信長の長篠の戦い以前まではなかったので、発達しなかったからかもしれない。 ・竹の矢柄は、九州山陰では使われていた。 ・骨の矢尻は、石矢尻よりも強力で鉄以外の甲を通す。 〈食べ物について〉 ・日本の食習慣は世界的にも異常。血をほとんど食べない。イスラム教・ユダヤ教は神聖だから食べないが、日本は汚いと思うから食べない。 ・動物脂を食べないのも、世界的に珍しい食習慣。 〈皇族の民俗学的研究を進めて欲しい〉 ・奈良時代のことがいまだに生きて行われている例がある。 金関恕さん 〈都市の定義を巡って〉 ・ハードだけでなく、ソフトを考える必要。 中国の春秋時代、古代メソポタミア、ハンムラピ法典、旧約聖書、コーランにも、プラトン「プラタゴラス」にも、「寡婦・孤児のような社会的弱者に援助を」が描かれている。 妻木晩田遺跡が、ハードが揃ってもやがて衰退したのは、ソフトが揃わなかったからかもしれない。 〈遺跡・博物館はなぜ必要か〉 ・「ただそれを楽しむというだけのものではなくて、絶えず疑問を持ち、あるいは悩みを抱えながら、そういう施設に相談し、そういう遺跡に相談しながら、自分のあり方というものを考えていく。そういう存在になって欲しい」 ※今井出版は、鳥取の代表的な地方出版社である。昨年第一弾が出て、まだ第二弾が出版されていない。応援したい。
2020年10月11日
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「ファンタジーの世界地図」ヒュー・ルイス=ジョーンズ編 東京堂出版 さあ借り出したぞ! 定価は12000円だ。図書館様々である。 いろんな作家がファンタジー地図への思いを書いているけど、 知らないおじさんばっかなので多くは無視する。 たくさんの地図のキャンプションを読むだけで楽しい。 西洋における、 この500年ほどのファンタジー受容史 とも捉えれる。 地図だけを見ていると、 40幾つの作品のうちしっかり「読んだ」のは なんと「宝島」と「指輪物語」だけ、 という私の体たらくもあり、 ほとんどの地図になかなかのめり込めない。 だって、物語の地図って、 知っているだけの人にはよくわからない よく読んで本の隅々の記載が気になっている人だけに 地図の書き込みが輝いて見えると思う。 一方、トールキン自筆の方眼紙「中つ国」地図は、 興奮した。 ゴンドール、ローハン、モルドールの位置関係は分かったが、 その他の細かい書き込みの意味がわからない、 もどかしい! 私はやはり日本のファンタジー地図を読みたい。 「十二国シリーズ」「守り人シリーズ」「獣の奏者」「鹿の王」「ナウシカ」「もののけ姫」「北方謙三水滸伝」「藤沢周平海坂藩」は現代もの、 「怪人二十面相シリーズ」「鉄腕アトム」の昭和もの、 「南宋里見八犬伝」「東海道中膝栗毛」などの江戸もの 絵巻物は、そのままファンタジー地図だし、 或いは「古事記」まで行ってもいい カラーじゃなくていいから、 このような大判で、 名編集長さま、 作ってくれないかしら
2020年10月10日
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「図書2020年10月号」 今回は、最後にWebからコピペして編集後記をそのまま載せる。編集長の言うには「もはや電子化、Web化の流れは加速することはあれ、止めることはできない趨勢といえるでしょう。」ということだから、そういう紹介の仕方もアリでしょ。 このコロナ禍のなか、書籍の販売額は2.6%も伸びた。偏に書店販売ではなく、コミックと電子書籍の伸びに依るところが大きいという。むべなるかな。それでもよく伸ばしたものだ。 だから、現代は活字離れではないのだ。 若者含めて、人々は膨大な量の活字を読んでいる。Webで読む量は膨大である。 では、そこから「読書の喜び」を知らしめるのはどうすればいいのか。わたしたちの知恵にかかっている。 「こぼればなし(編集後記)」 ◎ 出版科学研究所がことし一月から六月までの出版市場規模について発表しました(『出版月報』七月号)。 ◎ それによりますと、紙と電子をあわせた出版物の推定販売金額は、前年の同期より二〇二億円多い七九四五億円(前年比一〇二・六パーセント)でした。 ◎ 内訳をみてみますと、書籍と雑誌をあわせた紙の出版物の推定販売金額は六一八三億円(九七・一パーセント)。そのうち、書籍は三五一七億円(九七パーセント)、雑誌は二六六七億円(九七・一パーセント)となっています。 ◎ 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言によって多くの書店が休業となった影響もあって、書籍では感染症に関連して売上を伸ばすものもありましたが、文芸書、文庫、新書、実用書といった主要ジャンルはいずれも前年比でマイナスとなりました。その一方、学校が臨時休校に入ったため、家庭学習用の学習参考書や問題集、児童書が売上を伸ばしたと報告されています。 ◎ 雑誌に目を転じてみますと、コロナ禍のため取材ができなくなるなど、制作が困難になったことから二五〇誌以上が合併号や刊行延期に追い込まれたほか、休刊も相次ぎ、月刊誌は前年比九八・四パーセント、週刊誌は九一・五パーセントと落ち込みました。 ◎ 書籍、雑誌とも厳しい状況ではありましたが、コミックスだけは別だったようです。書籍では『鬼滅の刃』(集英社)が爆発的な大ヒット。月刊誌でもコミックスだけは前年比で三〇パーセント近い伸びを示していますから、コロナ禍のなか、紙による出版物の売上減を二・九パーセントに押しとどめたのはコミックスのおかげ、ということになるでしょう。 ◎ では、電子出版はどうだったのか。一月から六月までの推定販売金額は一七六二億円。前年同期比で一二八・四パーセントという大幅な伸びを示しています。 ◎ 内訳は、電子コミックが一五一一億円(一三三・四パーセント)、電子書籍が一九一億円(一一五・一パーセンが、全体としてみても、このコロナ禍が出版市場の、延いては出版の在り方に急速な変化を促している、ということでしょう。 ◎ 出版市場全体における電子出版の占有率は二二・二パーセント、全体の◎ 以上の規模となり、「文春オンライン」(文藝春秋)など雑誌から生まれたWebサイトのPV数も大きく伸びていると報告されています。また、公共図書館における電子書籍貸出サービスも拡大しています。もはや電子化、Web化の流れは加速することはあれ、止めることはできない趨勢といえるでしょう。 ◎ 中川裕さん「アイヌユカラ 「 虎杖丸いたどりまるの曲」 を読む」がスタートです。英雄叙事詩の読み解きに、ご期待ください。
2020年10月03日
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生活クラブ生協が、この前紹介した大矢英代さんの「沖縄「戦争マラリア」」の自著紹介寄稿を載せていた。わたしの書評よりもよっぽど分かりやすい。そのまま載せる。 https://seikatsuclub.coop/news/detail.html?NTC=1000000840 【寄稿】私たちが国家の "捨て駒" にされる時 ―沖縄戦から75年、いま何を学ぶべきか― ジャーナリスト・ドキュメンタリー監督 大矢英代 75年前、沖縄は激しい地上戦の渦中にあった。軍民合わせて約20万人が死亡し、沖縄県民の4人に1人が命を落とした地獄のような戦争だ。そのさなか、戦闘ではなく、日本軍の作戦によって病死した住民たちが3,600人以上もいたことはほとんど知られていない。 それは沖縄本島から南西に約400キロの海を超えた八重山諸島で起きた。この石垣島や波照間島などの島々からなる地域には、米軍が上陸せず、地上戦もなかった。にもかかわらず3,647人もの住民(総人口の1割相当)が死亡した原因は、日本軍が住民たちを風土病・マラリアの有病地に強制的に移住させたからである。これが沖縄で「もうひとつの沖縄戦」と呼ばれてきた「戦争マラリア」だ。 私が戦争マラリアを初めて知ったのは、2009年夏。ジャーナリストを目指す大学院生だった私は、石垣島の地元新聞社のインターンシップに参加していた。その際、米軍ではなく、味方であったはずの日本軍によって強いられた犠牲の歴史を知り、衝撃を受けた。すでに戦争マラリアの発生から64年の歳月が経過していた。体験者たちに直接会えるのは今が最後の機会なのではないか。彼らの肉声を映像で伝え残したい。そんな思いで一人、ビデオカメラを抱えて戦争体験者の家々を訪ねてまわるようになった。 西表島、南風見田の海岸。波照間島民が強制移住させられたかつてのマラリア有病地だ。海岸に広がるジャングル地帯に住民たちは粗末な小屋を建てて生活していた 「思い出したくもない。他を当たってくれないか」 そう玄関口で断られることも多々あった。なんとか口を開いてくれた体験者も、時に涙を流し、時に苦しみを浮かべ、言葉を絞り出すように記憶を語った。 「戦争マラリアはまだ終わっていない。それどころか、戦争の苦しみは体験者に一生付きまとい、苦しめ続けている。彼らの心に終戦はまだ訪れていないんだ……。」 体験者から話を聞くたびに、沖縄戦を過去の出来事だと思っていた自分を恥じた。現場に腰を据えて取材をしたいという思いから、2010年冬、大学院を休学し、日本最南端の有人島・波照間島に移り住んだ。戦争マラリアで当時の人口の3分の1にあたる約500人が死亡した。八重山諸島の中で最も大きな被害を受けた島だ。体験者たちとひとつ屋根の下で衣食住を共にし、サトウキビ畑で朝から晩まで一緒に汗水を流し、人間関係を築きながら、8ヶ月間ゆっくりと取材を重ねた。「本当は言いたくないが、あんたのためなら……」と体験者たちは苦しい記憶を紐解いてくれた。 戦争マラリアの取材を始めてから10年がたった今年2月、ルポ『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を出版した。 あれから75年がたった今、どうしてもこの本を社会に届けなければならないという危機感をもって書き上げた。それは戦争マラリアの犠牲が、今再び起きようとしているからだ。 波照間島の自宅で私を8ヶ月間受け入れてくれた浦仲孝子さん。サトウキビ農家の孝子さんと夫・浩さんとは、ほぼ毎日一緒に畑仕事で汗を流し、ゆっくりと強制移住の体験を聞き取りしていった。 住民は日本軍にとって「危険な存在」となった マラリアとは、マラリア原虫をもった蚊に刺されることで感染する熱病だ。発病すると40度以上の高熱と悪寒に襲われ、悪化すれば死に至る。八重山諸島の人たちにとって「山に入ればマラリアにかかる」ことは周知の事実だった。駐留していた日本軍も、有病・無病地の場所を独自に調査、地図を作成するほど徹底した対策をとっていた。それにかかわらず、なぜ日本軍はマラリア有病地へと住民たちを追いやったのだろうか。 当時12歳、石垣島で強制移住を経験した潮平正道さんは、背景に日本軍の駐留と同時に始まった監視社会があったと話した。 「敵が来て爆弾を落されるのも怖い。でも戦争で一番怖いのは、国民同士がお互いに見張り合うこと。憲兵が住民を見張ること。兵隊はね、自分がいるところが敵に知られてしまえば、自分が殺されるという恐怖感をみんな背負っていたわけですよ。それが悲惨な事を起こしたわけ。戦争マラリアは極限の精神状態の中で起きたんです」 事の起こりは沖縄戦開戦の1年ほど前、大本営が沖縄を皇土防衛のための「不沈空母」と位置づけた頃にさかのぼる。圧倒的な戦力をもつ米軍に対し、敗退を重ねていた日本軍は、本土防衛の最後の砦として沖縄全土の要塞化を目指し、県内各地に日本軍の配備と基地建設を急ピッチで進めていった。 物資も人力も乏しい日本軍にとって頼れるのは地元住民だった。住民たちは、基地建設に欠かせない労働者となり、「現地自活」を基本としていた軍隊のための食糧供給を担う生産者になった。八重山諸島一帯を統括していた第45旅団司令部が置かれた石垣島では、比較的大きな民家には将校クラスの軍人たちが寝泊まりするなど、軍隊と住民の生活が混在する「軍民雑居」状況になっていく。 住民たちにとって、日本軍は「友軍」であり、尊敬と信頼の対象だった。 しかし、沖縄戦が近づくにつれ、石垣島では日本軍の航空基地を狙って昼夜を問わない空襲が頻発する。「いよいよ石垣島にも米軍が上陸するのではないか」と住民の間では、戦々恐々とした雰囲気が生まれはじめていた。 一方、日本軍基地が空襲を受けるたびに日本軍は住民に対する疑いを強めていった。「島内に米軍の手先がいる」「日本軍の配置情報を漏らしている」などの理由でスパイ探しが始まり、憲兵たちが住民の行動に目を光らせるようになっていく。 日本軍にとって軍事基地は防衛上の極秘施設。その建設を総がかりで担い、公私ともに軍隊と生活していたのは、石垣島をはじめ八重山諸島の各地から駆り出された一般住民たちだったからだ。日本軍にとって便利な労働者・生産者に過ぎなかった住民たちは、戦況の悪化とともに、敵に情報を漏らす可能性がある危険な存在と見なされていった。 当時、住民たちは四方を海に囲まれた島という逃げも隠れもできない環境下で、「敵に捕まれば、男は八つ裂きにされ、女はごう姦されてから殺される」と島外から攻めてくる米軍に怯え、島内では敵に情報を漏らすスパイを恐れ、住民同士が互いを見張り合うようになっていった。なによりも自分自身がスパイだと疑われるのではないかという恐怖感に襲われていた。 そして1945年6月、八重山諸島の住民たちは「友軍」と呼び親しんでいた日本軍によってマラリア蚊が蔓延する山奥に押し込められ、高熱に苦しみながら次々と絶命していった。 かつての強制移住地、白水を案内する潮平正道さん。絵はマラリアで死亡した孫を墓地に運ぶ男性。潮平さんが記憶を元に描いた絵だ 「戦争マラリア」が問いかけるのは―― 果たしてそれは75年前の昔話なのだろうか。 沖縄の地図を広げて見ると、ここ数年で新たな自衛隊基地が次々と建設されている。西から与那国島にレーダー基地(2016年3月配備完了)、石垣島ではミサイル基地の工事が進み、宮古島でもすでに存在する航空自衛隊基地に加えて新たに陸上自衛隊ミサイル基地が建設され、今年3月には部隊が配備された。さらに沖縄本島では既存の米軍基地32施設に加えて、辺野古新基地の建設が進められている。琉球列島の北に位置する奄美大島にも新たな自衛隊基地が建設された。それぞれの場所で反対の声をあげる地元住民たちを切り捨てながら、日米両政府による琉球列島全体の軍事基地化が強行されている。 2009年からの10年間、私が戦争マラリアの取材の中で出会った戦争体験者たちは、八重山諸島への自衛隊配備について誰もが危機感を持ち、反対の声をあげていた。 波照間島出身の玉城功一さんは「戦前と今は似ている」と語った。 「戦前は南から米国が攻めてくると言われました。今は西から中国が攻めてくる。あるいは北朝鮮が核で攻撃してくる危険があると。危機を煽っておって、それに対抗する武器や軍隊を持たないといけないんだと言う。そういう考え方だったらね、何のために日本国憲法9条があるのか。軍隊も戦争も、人殺しのためですよ」 与那国島に2016年3月に配備された陸上自衛隊レーダー部隊。配備をめぐり、島民は賛成、反対で二分され、地域に深い傷を残した。配備後も電磁波や弾薬配備などの懸念を抱える。 石垣島で強制移住を経験した潮平正道さんは、経済発展を理由に自衛隊に賛成する石垣市民について「軍隊と一緒に生活することがどういう状況になるのか、認識が甘すぎる」と憤った。 「秘密を持っている軍隊と、秘密を持たない住民とが同じ島で生活する。当然、住民は監視されますよ。『誰が情報を漏らしたんだ』と責められる。そんな恐怖感から、事実じゃないことがバーッと広まっていく。通常の生活などできなくなる」 「国防」の名の下に琉球列島を覆っていく軍事基地。それは「皇土防衛のための不沈空母」の名の下に、沖縄に日本軍基地が急ピッチで建設されていった沖縄戦前夜の光景と酷似している。戦争マラリアから今現在へと繋がるレールの上を私たちはもうとっくに歩き出しているのではないか。民よりも国体を優先した沖縄戦当時の国家のシステムは、今現在も地下水脈のように私たちの足元に脈々と続いているのではないか。 軍隊と住民が雑居した時に起きた悲劇。75年前の戦争マラリアの歴史が証明した教訓は、いまだ全く学ばれないままだ。 危うい時代である今こそ、沖縄戦を学び直そうと声を大にして伝えたい。それは「沖縄戦は残酷だった」と涙を流すことでも、「沖縄県民はいつも可哀想だ」と同情することでもない。問われているのは、75年前と同じ手段でまたも騙されつつある日本国民全員だ。私たちにとって、最後の砦は、歴史から教訓を得ることであり、今の時代を見極める知恵を得ることであると思う。いつの時代も国家の捨て駒にされるのは、私たち国民なのだ。 『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房) おおや はなよ 1987年千葉県出身。明治学院大学文学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズム修士課程修了。2012年より琉球朝日放送にて報道記者として米軍がらみの事件事故、米軍基地問題、自衛隊配備問題などを取材。ドキュメンタリー番組『テロリストは僕だった~沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~』(2016年・琉球朝日放送)で2017年プログレス賞最優秀賞など受賞。2017年フリーランスに。ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵との共同監督)で文化庁映画賞文化記録映画部門優秀賞、第92回キネマ旬報ベストテン文化映画部門1位など多数受賞。 2018年、フルブライト奨学金制度で渡米。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員として、米国を拠点に軍隊・国家の構造的暴力をテーマに取材を続ける。 2020年2月、10年にわたる「戦争マラリア」の取材成果をまとめた最新著書・ルポルタージュ『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を上梓。本書で第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞奨励賞。
2020年09月29日
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「沖縄「戦争マラリア」強制疎開死3600人の真相に迫る」大矢英代 あけび書房 映画「沖縄スパイ戦史」の共同監督の1人、大矢英代さんの魂のこもった取材過程の書籍化である。既に書いたが、「ー戦史」は、2018年97作観た映画でのマイベストワンである。貴重な事実の発掘と鋭い視点を持つ傑作だった。私は映画を観るまでは「戦争マラリア」を全く知らなかった。本書は、映画を観ていない圧倒的多数の日本人に、それを知らせる役割を持つだろう。 大矢英代(おおや・はなよ)。1987年生まれ、現在まだ33歳?若い!いまから10年前の2010年、千葉県生まれのジャーナリスト志望の女性が大学研究として沖縄の波照間島に訪れて、一つの知られざる事実に出会う。それから8年間、1年間休学して波照間島で生活しながら取材、やがて沖縄テレビに就職、フリーランサーになっていく。眩しいような真っ直ぐな人生である。現在カリフォルニア大学並びに早稲田大学ジャーナリズム研究所客員研究員。 1945年沖縄戦の最中、波照間島の当時の全人口の1/3にあたる552人が死亡した。原因は戦闘ではなかった。そもそも西表島や石垣島のある八重山列島では、米軍の上陸は無かった。しかし、大勢の住民は、マラリアの無い波照間島から蔓延する西表島のジャングル地帯へ、日本軍の命令によって強制的に移住させられ、マラリアによって病死したのである。戦争マラリアは、八重山列島全域で起き、犠牲者は3600人にのぼった。中でも最も深刻な被害を受けたのが、波照間島だった。 「思い出したくも無い」「他を訪ねてくれ」一介の学生は取材拒否に遭う。だから彼女はサトウキビ畑で働きながら8ヶ月間住み込んだ。そしてやがて消えゆく運命だった貴重な証人の姿をフィルムに収めたのである。この本は、もう1人の監督三上智恵が上梓したスパイ戦史の「証言集」とは全く趣が違って、1人の若者が瑞々しい精神を持ちながらもジャーナリストとして成長していくノンフィクションのようにも読めた。 島民周知のマラリアが蔓延する地域への強制疎開はなぜ起きたのか?そこには、沖縄北部で起きた「スパイ活動」と同じく、陸軍中野学校出身の青年の存在があった。山下虎雄(偽名)には任務があった。情報収集、住民の戦闘員化が文書として残っている。45年3月、米軍の波照間島上陸の「可能性」を理由に、山下は強制移住を「命令」した。この頃になると、住民の誰も山下に逆らえなかったという。 波照間島には、ある慰霊碑がある。そこには、通常の記念碑には絶対書かれない言葉が書かれている。 「かつてあった山下軍曹(偽名)の行為は許しはしようが決して忘れはしない」 それは、1人の個人への「究極の非難」の言葉だろう。そして、1人の個人であると同時に国家そのものへの非難の言葉だろう。 波照間島で世話を受けた浦仲おじいは、生前(2017死去)英代さんに繰り返し語ったという。 「戦争になると、国家は「国」というものを大事にして「民」を犠牲にする。でも「国」は「民」があって初めて成り立つものでしょう?戦争になるとね、そんなことも国民は忘れてしまうんですよ。八重山の人たちも、「お国のため」「天皇のため」と言って、マラリアで死ぬと分かっていながら軍の命令に従ったんだから」 琉球列島には、現在中国最前線として、与那国島に自衛隊レーダー、石垣島に自衛隊ミサイル、宮古島に自衛隊ミサイル、沖縄本島に自衛隊ミサイル、米軍、奄美大島に自衛隊ミサイルと、配備が完了している。見事な中国に向けた弓形の軍事基地である。新たな「捨て石作戦」が始まろうとしている、そう感じたのは私だけだろうか。有事の時に国が守るのは、民か、国か、本書を読んだ人には答は明らかだろう。
2020年09月28日
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「私のぼく東奇譚」新潮文庫 安岡章太郎 昨年、中公文庫本で荷風の小説全編をも付した決定版が出た様なのだが、私は新潮文庫版の感想を記す。 荷風の「ぼく東奇譚」は名作の誉れが高い。評論家加藤周一はいう。「(荷風は)明治国家のみならずその社会と明白な距離を置き、組込まれを拒否して批判的な立場を貫き、しかし幸徳秋水や河上肇とは違って、その社会の変革を志す変わりに彼ら自身の自己実現を目的とし、信念と原則にしたがって生きることに自覚的であった。(略)(「奇譚」は)荷風の小説の頂点であり、戦時下の日本に見るべき文学作品として「細雪」と双璧をなすだろう」(「日本文学史序説」) そういう文章は固いと思う御仁には映画を紹介する。新藤兼人監督「ぼく東奇譚」(1992)である。当時の色街の「雰囲気」を見事に再現し、お雪役の墨田ユキがまた素晴らしかった。彼女はこの1作で女優賞を獲り、その後お雪のように見事に消えていった。原作とは違うラストが評価は分かれるが私は好きだ。 味わい深くかつ柔らかい文章となればこの著を推薦したい。本文に則して、自らの感慨と共に当時の雰囲気を紹介する。簡潔にして的をえた16章。1冊をもってこの本よりも薄い「ぼく東奇譚」を語り尽くしている。新聞連載当時の木村荘八の挿し絵、荷風自ら玉の井を写したスナップ写真、その他貴重な資料が豊富に入っていて、本文とは関係ないところで私は感慨に耽った。 追記。私は、この案内本を読んで実に15年後にぼく東を歩いたのだが、もはや古い建物の「欄干」に僅かにその痕跡を残すのみだった。大人の文学案内である。 追記。 昔感想を書いた時には、「ぼく東」と書いた。ぼく東の苦労して文字は探したが、何とwebはその文字を載せるのを拒否した。今でもAmazonの本文では「ぼく東」と記している。コメント欄は「ぼく(さんずいに墨)東」でも通用しているのに、である。果たして楽天はどうか? ‥‥結局機種依存文字で拒否した。それどころか、「奇譚」さえ本来の糸へんと奇の「き」さえ拒否した!なんともやるせない!
2020年09月25日
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「ミステリは万華鏡」北村薫 集英社文庫 ふと18年前に発売されたばかりの文庫積読本を手に取って読み始めた。その頃は北村薫文庫本コンプリートを目指していた。見てみると、市内最大の喜久屋書店の名入りの帯がついている。「おもしろい!と言われる予定です。(羊の絵)新年の一冊に‥‥」開店したばかりの頃の推し本だったのだろう。 北村薫のエッセイである。彼のエッセイを読んだ方は分かると思うが、大抵は本に関する博覧強記を記す。絶対気をつけなくてはならないのは、自分を卑下しないことである。一冊の本から次から次へと連想して、本に関するトリビアなことを記しているが、知らなかったからと言って貴方が読書家であることを揺るがすことにはならない。北村薫が変人なのである。 ミステリ好きが昂じると、こういうことも起きる。ある日、有栖川有栖氏と著者が銭湯に行く。靴箱の番号札が有栖川有栖氏の場合「73」だったのを見る。一般的に人は自分の好きな数字を選ぶだろう。著者が有栖川氏に「何故それを選んだのか」尋ねると「意味はない」との答え。ふと著者は「何故、それを選んだか推理しましょう」という。 「理屈がつくんですか」 「はい」 (1)有栖川有栖はエラリー・クィーンのファンである。 (2)クィーンは言葉遊びが好きだ。ダイイングメッセージなど彼の得意とするところ。 (3)73をひっくり返してご覧なさい。エラリー(ELLERY)の最初の2文字「EL」になるじゃありませんか! ‥‥ちょっとかっこ良すぎるけど実話らしい。(189p) 私は北村薫によって、本格推理小説のなんたるかを学んだ。彼の小説は、ほぼ〈人は殺さない〉。日常推理モノである。それでも「これは、本格だ!」という見方を確立させた、第一人者である。また、所謂社会派ではない有栖川有栖氏などの推理小説も「トリックに重きを置いているわけではない」と喝破する。 何が本格か、そうではないかを分けるのか?北村薫は、このように定義する。 本格にとって、最も大事なのは、トリックでもなければ論理でもない。その素材を扱う人間の心の震えである。それが、物語と結びついた時、〈本格推理小説〉が生まれる。(140p) 蓋し、至言なり。
2020年09月18日
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「鏝絵」藤田洋三 小学館 昔、わけあって1年間ほど左官の修行をしたことがある。その経験をもとに言わせていただくと、鏝絵(こてえ)は、1年間修行したくらいで造れるものではない。西洋のレリーフとは根本的に違う。ノミで彫って後はサンドペーパーで均せばOKというような代物ではなく、日に日に状態が違う漆喰をさまざまな鏝(こて)で、神業のように塗りつけて、形を作ってゆくのである。当然、100年経っても壁と一体になっていなくてはならない。粘土のようにこねくり回して作るのではなく、凡ゆる工程は鏝(こて)を使い、何度も何度も塗り重ねて最後は仕上げ鏝で塗り重ねた跡が残らないように自然な曲線を描くように仕上げなくてはならない。わたしは全然出来なかった。鏝絵ではなく、基本中の基本、ナマコ壁(白壁の町を構成する格子柄の白い盛り上がった漆喰)を作る時に、どうしても曲線が歪になり、鏝の跡がついてしまうのである。歪になってもいいじゃないか?バカなこと言うんじゃない。実際ホンモノを見ればわかるように、みんな機械で作ったように全部均等で少しでも歪ならば直ぐにわかる。しかも決して機械では作れない。跡なんてペーパーで削れば?バカなこと言うんじゃない。艶が出ないし、近づいて見れば誰でも直ぐにわかる。私は不器用だったので簡単なナマコ壁さえ仕上げることができないのである。七福神や竜の形をあんなに綺麗に仕上げるなんて、ましてや、見本がなくて独創で絵を仕上げるなんて、「神業」以外の何者でもないだろう。 藤田洋三さんは、鏝絵に魅せられて、全国の鏝絵を写真に収めた。岡山市の有名な仙女鏝絵が無いことからもわかるように、その多くは網羅されてはいないが貴重な情報である。しかし残念ながら藤田氏は鏝絵を「消えゆく左官職人の技」であることを前提に書いていて、鏝絵がどのように描かれ、「世界美術」の中で、どのような意義があるのか、ほとんど言及しない。大いに片手落ちだと思う。こんなビジュアル本の任務では無いと言えばそうなのかもしれないが、なんか無駄な文章が多すぎた気がした。 私としては、名人が鏝絵をつくる過程を見たかったし、左官の雑誌編集長の方が指摘していた、「雪国で左官の仕事ができない3ヶ月の仕事」として描いたり、「長い左官の仕事の最後のサービスとして描いた」という部分をもっと膨らませて欲しかった。 名人長八の美術館は一度は行きたいとは思うが、鏝絵の本当の味は、民衆美術として無名の人の想いが出るところにあり、そこを大判の写真で紹介して、詳しい解説で深めて欲しかった。詳しい場所も分からなくて、この本片手に訪ねようもない。 それでも、鏝絵に特化した本は貴重であり面白かった。教えてくださったmyjstyleさんに感謝。
2020年09月17日
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重要なことを言っていると思うので、そのまま写させて貰った。また実際読んで感想を書きたいが、特に、 「過激化する彼らは自暴自棄ではなく、立ち直ろうとしているんです。過激化サイクルというよりも、本人は「これでいける」と「大きな悪と戦う正義の聖戦士」というストーリーをつくり、その主人公になろうとする。過激化のプロセスだが、立ち直りのプロセスでもある。逆にいえば、そのプロセスの途中で、いくらでも立ち直れるということを伝えたかったのです。」 というのは重要だと思う。 いま、SNSでは過激化する手前の、ストーリーを作って人を攻撃する人たちがウヨウヨしている。(私は、「権力者」はむしろ攻撃すべきだと思っているので、その限りではないことを念のために言添えておく)このウヨウヨがとても危険だ。その過激化の一歩手前で防ぐ、そのヒントがここにあるかもしれない。 【インタビュー】毎日新聞出版『歪んだ正義』著者 毎日新聞・大治朋子専門記者に聞く 2020年8月24日 大治朋子氏 あなたもテロリストになる可能性がある──。そう言われたら、大多数の人はすぐに否定するだろうが、その「過激化プロセス」を丹念に追っていくと、絶対的にないとは言えなくなるかもしれない。新聞協会賞を2年連続で受賞し、中東の紛争地での宗教対立の取材を長く続けてきた毎日新聞の大治朋子専門記者が、海外大学院でそのテーマをアカデミズムとジャーナリズム両面から研究した新著『歪んだ正義』(毎日新聞出版)を8月に上梓した。なぜ人は過激な正義にとりつかれ、暴走するのか。アカデミズムを記者のキャリアといかにつなげるかを、あわせて聞いた。 【成相裕幸】 過激化する「正しさ」プロセスを解き明かす 『歪んだ正義』(毎日新聞出版) ――本書のベースにはどのような経験があったのですか。 イスラエル、パレスチナなど対立する双方を取材するなかで、彼らが自分たちの正義について語り始めると、心理的な距離を感じました。そのたびに、紛争地で過酷な日常を送る人々なので私の理解など到底及ばないのだと、自分で自分に言い聞かせていました。でも今考えると、それは特殊な人たちの特殊な対立だと決めつけて本当に理解しようとしていなかったのではないかと思います。 その一方、記者は現場をたくさん訪れ、解釈を立ち上げ、そのストーリーを記事として書くのが仕事です。事実を書いているつもりでも、自分の解釈、バイアスが必ず反映されている。すると、とくに分析については、自分の関心に左右されてしまいます。 私自身は、興味のあるテーマについて勉強する癖がありましたが、それでも、いくら取材しても点と点を結ぶ線を現実に近いところまで持っていけている感覚がありませんでした。そこで、膨大なリサーチや統計学に基づいた分析で知識を得れば、現場と現場を結ぶ線が少しでも自信をもって強く描けるのではないかと思って、留学を決意しました。 紛争とは正義と正義の戦いです。それは思い込みと思い込みの戦いでもある。これを調べていけば、過去15年の紛争、テロリズムの現場を取材してきたその知識・体験を生かした分析が、できるのではないかと思いました。 「ローンウルフ」の孤独な叫び ――その紛争地域でテロを起こす犯人の特徴として、過激派組織などから直接的に影響を受けていない「ローンウルフ(一匹オオカミ)」に注目されました。 「ローンウルフ」は、自暴自棄になった遠く距離感のある存在。そう思っていましたが、調べていくと「ローンウルフ」は犯行の前にSNSで宣伝する癖があったりします。そうすることで治安当局にマークされて捕まってしまうのに、なぜそんな危ないことをするのか。それはまだ、この世界とつながっていたいというコミュニケーション、彼らの孤独な叫びがあるからです。 (その行為を)ぎりぎりまでこの世に関わろうとする気持ちととらえると、非常に身近な存在に見えてくる。だから、ちょっとしたことで彼らの暴走を食い止められないかと、希望をもつことができました。 2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロの以前と以後で、「ローンウルフ」の性格も変わりました。アメリカはアルカイダを調べればテロ対策ができると、イスラム教にフォーカスしすぎた結果、イスラム教徒全般に差別が広がりました。イスラム教徒にとっては「なぜこんな差別をうけるのか」というトラウマになり、(犯行の)動機になりました。 もう一つ、SNSなどのメディアによって、「ローンウルフ」は実際に存在する組織でなくても、バーチャルのコミュニティで自分たちの思い込みを強化し合える。そういう組織を手に入れたのです。 「自分たちもテロリストになりうる」 ――パレスチナの「ローンウルフ」実行犯やその家族に聞き取りした先行調査によると、犯行の動機で一番多かったのは「個人的な悩み」とのこと。それがなぜ、過激なテロにつながるのですか。 イスラム教の過激派は、過激化しかかっている人に対して「相手が悪い」「復讐したほうがいい」と被害者意識をたきつけ、彼らが欲しい「アメ」を与えている存在です。 彼らのプロパガンダ映像の音楽やビジュアルは、ハリウッドの映画が人々を引き付けるのとまったく同じ手法です。それ自体は、イスラム教ではありません。その人が求めているものを与えているだけです。 研究を進める中で、「求めている人が主役であって、イスラム教ではない」との言葉が、ユダヤ人から出てくることがとても意外なことでした。ちゃんとした学者は「自分たちもテロリストになりうる」と、フラットに言います。 始まりはみんな、自分の(個人的な)問題である。だから、誰にでも起きうる。誰だって悩む。そういうときにどのように心のバランスをとるかで、間違ったものをつかむ人もいれば、自分にとって本質的に良いものをつかむ人もいます。 人を動かすのは「ストーリー」 ――本書では、過激化する入口で何が起きているのか、「負荷(ストレス)」と「資源」をキーワードに「心身のバランスシート」で考えることを提示しています。 私は物事をビジュアル化したり、図式化することが好きで、そのように情報を整理する癖があります。思い込みや感情の渦の中にいて、周りが見えなくなるときに、自分はこのあたりにいると分かると、自分や家族などに対しても認識が共有できる。図式化が役に立つという思いがありました。 そこには、あまり本質的に助けにならない「資源」と、助けになる「資源」があります。その一つが過激思考です。アルカイダやイスラム国の思考を取り入れることは、一夜にしてすごく強くなった気がしたり、これで全てが解決すると思ってしまう。これは見せかけの「資源」の典型です。 ――本書では過激化のプロセスを5段階にわけて、細かく示しています。最初に「私的な悩み」などがあり、自分の思考に合うナラティブ(物語)をつくることにつながっていくと、分かりやすく分析しています。 人間を突き動かすのは「ストーリー」です。例えば、トラウマについて言いますと、傷つけられた人はなぜこんな目にあってしまったのかと、疑問から始まり、そして自分を責めてしまう。人間は理由がないと、その脅威がまた来ると思ってしまうので、自分が悪かったとすることで、自分が変われば次に同じことが来ることはないと思える。だから、そういうストーリーをつくります。 虐待された子どもも、親が自分叩くのは自分が悪いからだと思うことで、明日はいい子になれば叩かれないと考え、希望を持つと言います。そういったストーリーをつくらないと、絶望してしまうのです。 このように、過激化する彼らは自暴自棄ではなく、立ち直ろうとしているんです。過激化サイクルというよりも、本人は「これでいける」と「大きな悪と戦う正義の聖戦士」というストーリーをつくり、その主人公になろうとする。過激化のプロセスだが、立ち直りのプロセスでもある。逆にいえば、そのプロセスの途中で、いくらでも立ち直れるということを伝えたかったのです。 コロナ禍の自粛警察は「正義の鎧」 ――過激化は、昨今のコロナ禍での「自粛警察」にもつながりそうです。 見せかけのストレス対処法で、最もやっかいなのは正義の顔をした攻撃です。正しいことをいっているので周りは批判しにくいし、本人は周りを叱りつけているので、ある意味で周囲からの意見が入りにくい「正義の鎧」を着ています。それは人を斬ると同時に、自分を孤立させるものでもあります。 「自粛警察」は自分の正義、絶対的に正しい自分やそのグループと、絶対的に間違っている人たちとを、社会を二分して見下して攻撃していくシステムです。東北大学の大渕憲一名誉教授も、「攻撃をしても周りの理解が得られるだろうと考え、今のような非常時においては、普通ならやり過ぎと思われることも、歯止めが効かなくなる」と指摘しています。 アウトプットを一度とめてみる ――大治さんは今回の留学とあわせて、毎日新聞を休職して2度、海外の大学で研究生活を送っています。現場を一度離れ、アカデミズムを改めて修める意義はどのようなことですか。 記者として私の心がけは、「虫の目、鳥の目、魚の目」です。虫の目は細かく物事を掘り下げていくこと、鳥の目はそこから鳥瞰して全体像をみること、そして魚の目は時代の流れでその現象が繰り返されてきたことなのか、変化しているのか、全く新しいものかとらえることです。 虫の目だけでは「細密画」になるが、そこにアカデミズムで学んだ知識を生かして鳥の目、魚の目をいれると、3Dで立体図が立ち上がるような描き方ができるのではないかと考えています。 また、文献の適切な選び方、読み方も留学した大学院で学んだことです。この方法は今後、私の専門以外の問題でも生かせるのではと期待しています。 情報が無限にあるなかで、どれくらい付加価値のある情報をメディアとして出せるか。そうなると、細密画を並べるだけでなく、いかに立体的なものとして描けるかが重要です。むろん現場に行って、識者コメントをつける旧来的な手法もありですが、できるだけその知識を既にもった状態で質問すれば、返ってくる答えも全然違ってきます。 ですから、記者の仕事を一定程度したら、自分の関心ある分野についてアウトプットすることを一度とめて、インプット中心の生活をしてみることです。自分がこれまで見てきた物事、見方を整理したうえで、またアウトプットすることに戻るのは、とても効果的です。 その際、休職しても、あとでハンデにならないような就業スタイルなども見直すべきでしょう。そのためには、ある程度キャリアを積んだ人が、先陣を切って前例をつくることも、一つの戦略ではないでしょうか。 ――この本をとくにどのような人に読んでほしいですか。 特定の人ということではなく、この本を読んで、一人でもその人の生き方に影響を与えることができたら、成功だと考えています。 また、過激化プロセスについていえば、自分がそのサイクルに入っている時には、この本は手に取ることはないかもしれない。しかし、自分の家族や大事な人の様子がおかしいと気づいたとき、この本を読み、ステップを見ることで、周りの人が気づいてあげることができたらと思っています。 毎日新聞専門記者。1989 年、毎日新聞入社。東京本社社会部、ワシントン特派員、エルサレム特派員を歴任。2004 ~ 05 年、英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所客員研究員。17 年から2 年間、留学休職。イスラエル・ヘルツェリア学際研究所(IDC ヘルツェリア)大学院(テロ対策・国土安全保障論、サイバーセキュリティ専攻)修了(Magna CumLaude)。同研究所併設のシンクタンク「国際テロ対策研究所(ICT)」研修生。テルアビブ大学大学院(危機・トラウマ学)首席(Summa CumLaude)にて修了。19 年秋、復職。社会部時代の調査報道で02、03 年度の新聞協会賞をそれぞれ受賞。10 年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。単著に『勝てないアメリカ─「対テロ戦争」の日常』(岩波新書)、『アメリカ・メディア・ウォーズジャーナリズムの現在地』(講談社現代新書)など
2020年09月15日
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「ほの暗い永久から出でて」上橋菜穂子 津田篤太郎 文春文庫 2015年1月、上橋菜穂子さんの母親の肺ガン罹病がわかります。その後の数ヶ月間は、娘はありとあらゆる手立てを尽くしてかけがえなのない生命を救おうとしますが、80代の身体とは思えないほど進行は速く、半年ほどして彼女は絶望の縁に立ちます。その時に出会った漢方医学の津田医師との、お互い看護と治療をしながら、母親の最期を看取りながらの往復書簡の内容です。 テーマは必然「生と死を巡る対話」となりますが、お互いの教養の広さと深さを知った上での対話は、人類学から生物学を踏まえた哲学的思考、或いは古典音楽からAIの話題まで縦横に語られます。 わたしも、父親の死を看取ることで、その時は少したいへんでしたがそれ以上に多くのことを学び、今でもハッと気がつくことがあって、あの時間を感謝しています(それと同等ぐらいの後悔と共に)。上橋菜穂子さんは、人類史規模、地球規模で学びます。わたしは、そこから少しでも学びたいと思います。 挿絵は全て上橋菜穂子さんが描いたという。鉛筆画ですが、玄人はだしです。「明日は、いずこの空の下」の表紙絵は父親が描いたものでしたが、この両親ありてこの娘あり、ですね。 以下覚書用のマイメモ。分かりやすく書くと膨大な量になるので、もう本当に自分だけにわかるように省略しています。 ・何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬのか。(20p) ・性(セックス)は、絶滅回避システム。親と異なる遺伝子DNAを生み出す。 ・人間は、性システムに一定の制限を設け、種レベルの多様性ではなく、個体レベルの多様性を達成。(33p) ・宗教を、私は信じません。神仏を思い、拝む気持ちはある。自分には見えない認識できないものはあるかもしれず、ないとは思えないから。「信じる」は、わからぬまま、静かに目を瞑って「想定の箱」の蓋を閉じ、安寧に至る行為。(51p) ←宗教者から反論はあるかもしれません。わたしはどちらかというと、上橋菜穂子さんの気持ちと同じ。ただし、「信じない方に賭ける」といった方が正確。 ・「私は遺伝子を残すために生きているんですね、素晴らしい!」と思って納得出来る人はどのくらいいるのでしょう。 ・人を産む能力が備わっていることを示す月経が、何故か世界各地で「穢れ」として扱われているのは何故か?(←cf.映画「パットマン5億人の女性を救った男」或いは我が郷土でも昭和始めまで月経小屋があった)ジェンダー論やフェニミズム的な見方だけでは説明できない。お産は、魂を永遠から有限の世界に引き出す、死への歩みを始めさせる行為、だと気がついていたから?死は、生まれてくる前にいた所(ほの暗い永久)に帰ってゆくこと。そう心から信じられたら、どれぐらい救われるだろう。(77p) ・「進化」は「最適解を選んだ」というわけではない。霊長類の経腟分娩は、頭部が大きくて危険を伴う。帝王切開が進んだたった100年で、頭の大きい胎児や骨盤の小さい女性が増えた。これは経腟分娩が進化の最適解ではなく無理を重ねた「苦渋の選択」であったことを裏書きする。 ←この一つとっても、障害者を「排除」しようとする主張は、人類の多様性を担保した叡智に逆行する考え方だとわたしは思う。もちろん、このことだけが障害者存在の理由ではない。 ・今や人類は「性」システムそのものを忌避する方向に動いている。(103p) ・「性」システムは、個々の人間に「成長」を、生物種には「進化」を与える力を持ち、一方で個体を滅ぼすほどの侵襲性がある。そこまでして「成長」「進化」に意味があるのか、という疑問もあり得る。 ・何故生物は「性」システムを持つのか。それは、短い寿命と引き換えに素早く進化する細菌やウィルス、寄生虫に対抗するため。 ・ウィルスの漢方最古文献は張仲景の「傷寒論」(紀元3)。「風」を軽症例、「寒」を重症例とする。ウィルスを何故「風」と表現したか。「易経」の「風」を説明する部分は、そのままウィルスの説明になっていたから。 ・今年は1940年の「五輪挫折」からちょうど80年。歴史は80年周期で変動を繰り返すという説がある。1980年代のバブルまでが上がり坂、そのあとは衰退へ。だとすると、あと「数年のうち」に「どん底」を迎えることになる。(208p)2020年5月末日、津田記す。 ・地球をひとつの身体としてみれば、私たち人類は、ウィルスと、とても良く似た存在。宿主に頼らなければ存在できないのに、なぜか宿主を害してしまうところなど。人類もまた、ウィルスに似て強かな生物。 ・私たちは皆、ほの暗い永久から出でて、地球という宿主の中で、多くの他者と共に、辛苦と幸せを味わいながら生きている。(222p)令和2年6月、上橋記す。
2020年09月14日
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「なるべく働きたくない人のためのお金の話」大原扁理 百万年書房 前著「年収90万円で東京ハッピーライフ」と語っていることは、ほとんど変わらない。お金の話に特化して語ってはいるのだけれども(よって、前著のように生い立ちは語っていないけれども)、決して1年間の決算書が出てくるわけではない。1週間1ヶ月の食費明細が出てくるわけではない。主にお金についての彼の「考え方」を延々と述べているだけである。この本を読んで特別大きな発見があったわけではない。でも、何故かすこぶる面白かった。 私が思い出したのが、テレビドラマ『俺の話は長い』である。昨年10月12日から12月14日まで日本テレビ系「土曜ドラマ」で放送された。主演は生田斗真。失業してニートになった男性の現実逃避に惑わされながらも、家族がともに絆を深めていく姿を描いていくお話で、1つの話が「30分2本立て」で放送された。生田斗真には同居家族がある。よってお金には困っていないし、小遣いには頓着するがお金には頓着していない、能力はあるけど良い会社に入りたいわけじゃない、やりたいことは決まっていないけど自分探しをしているわけじゃない、美人で金持ちの経営者の恋人になったりもするけど安定を求めていないので別れてしまう。ただ自分のスタイルを貫きたいだけ。スタイルなんて、やってみなくちゃわからない。生田斗真はイケメンだから絵になったが、大原扁理さんは多分イケメンじゃないだろうから、こっちの方が共感する(^_^;)。でも、とにかく生田斗真ばりに話が長いので、読者は選ぶかもしれない。 話が長くなってごめんなさい。 以下、「年収90万円、週2日労働で、いかにハッピーライフを送るか、やってみて気がついたこと」の中から、「ちょっと忘れたくないな」と思ったフレーズをメモ。 ・上京してきた目的がなかったので、直ぐに世田谷の7万から国分寺2.8万の家賃の家に「逃げ出せた」のです。 ←ずっと何故上京したのか不思議だったけど、「単に行きたかった」だけのようだ。目的を持たない、この世の常識をひっくり返す発見。良いんじゃないの。 ・私は満足の最低基準を「好きなことをしているか」ではなく「イヤなことをしないでいられるか」で判断しています。イヤなこと、それは「本当に必要でない、よくわからないことのために働くこと」です。 ・自分のスタイルとは何か。簡単にチェックする方法。「もしも明日、世間の価値観がガラリと変わったら?誰も「いいね」しなくなり、誰も見向きしなくなったら?それでも続けたいと思うか?問いかけてみてください」迷わず「続ける」と答えたら、それは「自分の実感により作り上げた生活」です。 ←私も、SNS発信は、どんなことになろうとも15年間続けてきたから、マイスタイルのひとつはこれなんだと思う。 ・衣装ケース内の服やキッチンの食材、本棚の本などは、頭の中でそらで数えられるぶんだけ、と制限かけました。 ←これは多分できない。 ・毎年水が気持ちいい夏に、バスルームでコートやマフラーなどの大物を洗います。石鹸溶かした後につけ置きして、押し洗い、一度水を張り替えて、もう一度押し洗い。水を抜いたら、足で踏んで脱水、形を整えてバスタオルに包み、平たい場所に陰干し。 ←やってみたい。 ・ちょっとしたお礼に宝くじを配っている。 ・お金は、みんなの便利のために生まれた。最初は喜ばれて生まれた。最後は笑って見送りたい。 ←「サバンナ」(白土三平)を思い出す。なるほど、古代まで辿らなくても、お金の誕生は、考え方を変えるだけで直ぐに見ることができるんだ! ・お金のトンネルを通らない生き方。ドイツのハイデマリー・シュヴァルマーさんの0円での生き方。「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」(小林せかい)。 ・繋がりたい人と繋がるのはOK。鶴見さんは92年ごろパソコン通信(←懐かしい!)でそうした。今は却って気の合う人はネットではなかなか繋がらない。 ・お金を使わない社会は、昔の村社会。ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が豊かだった。 ◯著者は何故か今は台湾に住んで自分のスタイルを実践しているらしい。台湾は食費と交通費は安いから、確かになんとかなるかもしれない。因みに、私が韓国で22日間旅をした時は、往復旅費とお土産代を引けば、生活費(交通・食費・宿泊)は10万円ぐらいだった。それで韓国内を一周できた。泊まるのはホテルではなくて、飛び込みの旅館(ヤガン)と旅人宿(ヤスク)のみ。これなら、韓国で生活出来るかもしれないと一瞬思ったけど、ビザとかいろいろ考えて諦めた。大原さんの若さに乾杯!
2020年09月11日
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「コロナ後の世界を生きるー私たちの提言」村上陽一郎編 岩波新書 コロナ後の世界が不安でたまらない。世界的な知識人の本も刊行されているが、私の住んでいる日本の未来について考えたくて本書を紐解いた。 まとまりのない、日本らしい雑多な文書集である。24名もの人たちが、5月末ぐらいの情勢を鑑みて感想を述べている。 意外だったのは、あまり悲観的な意見がなかったことである。私は、権力に国民を制限する力を与えたのだから、これをきっかけにそれを大きくすることはあっても元に戻すことはないのではないか?と思っていた。しかし、私はひとつのことを忘れていた。私たちは、「感染症を収束させるために一時的に自ら主体的に制限を受けた」のである。その過程は公開されていた。この目的と期間を逸脱するような政府は、おそらく日本だけではなく、世界でも直ぐに淘汰されるだろう。 しかし、細かいところにはまだまだ不安もある。そして希望もある。以下、参考になったところの私的メモ。冒頭に名前と専門領域も載せる。 ・高山義浩(医師)コロナの基本再生産数は1.4-2.5と試算されていて、日本人口の29-60%が免疫を獲得すれば収束にいたり、麻疹の92-94%と比べれば少ない。しかし感染力は強くないからじっくり進み僻地まで感染が進むのは数十年かかるかも。ワクチンが開発されても、死亡率の低い若者の接種率は低くなる。副反応リスクがあればなおさら。 ・村上陽一郎(科学思想史)ポピュラー・センティメント(世論)を煽るデマゴーグは気になる。今度の厄災を好機に転じてウェブ上の真偽を見分ける術を人々が学ぶことができれば、と思う。 ・ヤマザキマリ(漫画家)ドイツのメルケル首相のテレビ演説が称賛を受け、欧州各国の演説がすごいのは、ローマ時代からの伝統。国民は演説能力で権力者に民衆を纏める力があることを知るからだ。そのための教育が欧州ではなされてきた。日本にはない。イタリア人は、マスクをするのは病気への敗北と屈服を象徴するものと考える。だからマスクをすると偏見を受ける可能性がある。ウイルスを敵とみなしたり戦争に例えるのは旧約聖書に根付く人間至上主義的な欧州であり、融通念仏絵巻の門番に説得され、退散する物分かりの良い疫病の日本は、感染症の惨事は忘れてしまう。 ・ロバート・キャンベル(日本近世・近代文学)「民度」は、1870年以降の和製単語。差別的な文脈で使われる。強さを強調するつもりが、かえって「向こう」にいる人々の不信を買い、損失を招きかねない。 ・山口香(柔道家)IOC会長と安倍首相との会談でオリンピック延期が決まった時に、JOC会長の山下氏はいなかった。ホントに開催を決める時には、スポーツ界も議論に加わるべきだ。アスリートファーストと言いながら、実態はそうではない。猛暑時にしか開催できないのは何故か、決勝の時間帯が朝に設定されているのは何故か、マネーファーストだという本質に気が付きながら続けていく価値があるのか?各競技は、五輪でなければならない価値を自ら説明できなければならない。 ・出口治明(人類史)全世界が直面している課題は3つ。(1)ステイホームは真っ当な政策(2)その政策が可能になるのは医療従事者、流通、食料生産者、交通・運輸の人たちか外で働いているから。彼らに感謝と支援を。(3)そして、ほとんどの人が収入減になり1番ダメージがあるのは、パートなどの社会的弱者。所得の再配分をどのように短期間で設計・実施できるか、各国で競っている。過去三度のパンデミック(ペスト・コロンブスの米大陸進出・スペイン風邪)は全てグロバリゼーションを加速し、国際協調を生み出してきた。 ・杉田敦(政治学)日本の政策は、国境封鎖は遅れた。「クラスター」隔離導入。聞き込みという警察捜査的手法。緊急事態宣言。PCR検査の絞り込みは、医療崩壊回避が目的で、その後余裕ができても拡大への転換は時間を要した。外部専門家を導入しなかったのが政策の硬直化につながる。 ・藻谷浩介(地域エコノミスト)筆者は「コロナで日本は変わらない」と考える。自粛が通用したのは「人より先に罹患して余計な口出しをされたくない」から。行動変容よりも、手を洗う、マスクする、室内を清潔にする、他人に触れない、近い距離での会話は慎むという昔ながらの湿気が強い島国ならではの所作が最も効果的だった。日本の今までの大変革(江戸・明治時代の始まりや戦後)は、実は伝統回帰だった。「自作農中心の村落共同体」「対外緊張回避・絶対権力者忌避」だから変わるとすれば「伝統回帰」の方向へ。通商を重視した周辺諸国との妥協と融和、女性のリーダーシップへの信頼、小さくて弱い中央政府、多極分散型国土構造、空論よりも実学重視へ。分散型経済は、今までも進んでいたが東京集中というイメージを取り払えればもっと進む。東京は、これからもリスクの高くコストの高い場所になり続ける。若者の自覚が必要だ
2020年09月07日
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