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毛利甚八さんの遺作ともいえる「「家栽の人」から君への遺言〜」の書評は既に書いた。今回刊行時に毛利甚八さんの病床から命を削ったインタビュー記事があるのを知った。 本を読めない人は、このインタビューだけでも読んで欲しいと思う。 「家栽の人」から君への遺言〜それでも僕は犯罪加害者を「悪」と断罪しない 末期ガンの病床で語ったラストメッセージ あとを絶たない少年犯罪。それでも私たちは「糾弾」ではなく、その先の「可能性」を信じることができるのではないか――こうしたメッセージを世に問い続けたコミック『家栽の人』の原作者・毛利甚八氏は、2015年11月21日、パレット食道ガンで逝去されました。 毛利甚八氏。2015年11月21日逝去。享年57 本記事は、遺作となった『「家栽の人」から君への遺言』の刊行にあたって、末期ガンの病床で受けてくださったインタビューです。毛利氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(編集部) 命が軽くなっている 抗ガン剤がすごい勢いでじわーっと体の中に染み込むのを感じながらいろいろ考えていたのですが、みんなが死に対して無感覚になっていく時代が来ているのではないか、という気がしてきました。 どういうことか。みんなが「少年Aはけしからん」などと言って、自分たちの倫理、正義、善、あるいは絆などを一生懸命守ろうとしてるんだけど、実は足元からそういうものがすごい勢いで崩れ去っているのでは、と思えるのです。 社長が年に2億円もらう一方で、契約社員は年収200万。そんなふうに資本主義の論理はガンガンと浸透してきて、当たり前のようになりました。人間としては100倍も違いはしないはずなのに、片方は大金持ちで、片方は貧乏。 で、貧乏になっていく人は生活の根本から、善や美などが壊れてゆき、人が死んでもあまり感情が動かない、そんな世界に踏み込みつつある。逆に金持ちの側も、企業の不祥事を見ればわかるように、感情も倫理も破壊されていく世界で生きるしかなくなっていく。 結局、どちらの世界でも同時進行的に命が軽くなっているんじゃないかなあ。 だから僕は『「家栽の人」から君への遺言』を書きながら、「人が『殺意』に対して無感覚になっていくのは、もしかして必然なんじゃないか」とすら思うようになりました。 毛利甚八氏の遺作となった『「家栽の人」から君への遺言』 それでも、人は「善」を求めてしまう。そこにフィクションの役割があると思う。 人は現実を否定するために、必死でフィクションを作って、「善」を表現してきた。だけど現代は、膨大なニュースが「人の命を軽視する構造」の存在をあからさまに教え込むようになっています。 “悪”を糾弾するのは、カネがかからないからです しかし、社会は善悪の話を求めている。その理由は簡単で、起こった出来事を善悪の話にすり替えれば、カネがかからない。タダですむんですよ。 飲酒運転で人をひき殺すニュースがあったら、加害者を悪として断罪すれば、それで終わり。だけど本当は、運転者に酒を出す居酒屋、その居酒屋に酒を入れる酒造メーカー、あるいは車のメーカーでも、みんなで「飲酒運転の被害者を救済する基金」を作ればいいんです。 そうすれば飲酒運転の根絶にどうすればいいか、メーカーも本気で考えるでしょう。基金を使って居酒屋からバスを出すとか。もちろん、被害者の救済も前進するはずです。 だけど、現実は知らんぷり。カネがかかるから、加害者を糾弾して終わりにしようとしている。 そうじゃなくて、飲酒運転の被害者やその遺族に何かを残すような仕組みを、みんなで社会的なコンセンサンスのもと構成しましょうよ。だけど、それを知らんぷりしてる世界があるんです。 その結果はどうなったか。地方で運転代行を頼むカネのない人は、誰も居酒屋に行かなくなってしまった。だからどんどん居酒屋の経営が厳しくなって、お店も減っていきましたよね。 こうして「みんなでコストを負担しよう」とは考えずに「悪」を責めるだけで、地方の貧困を加速させてしまったのです。 みんな、土手に行ってぼんやりすればいい 僕は少年犯罪が起こったとき、安易に加害者を「悪」だと断罪しないで、もっとちゃんと考えよう、と言ってきたのだけど、そうしたらインターネット上でものすごく叩かれました。本当に酷いことをいっぱい書かれました。 でも、匿名掲示板などで悪意に満ちた言葉を書く人だって、心の底から「人を殺した人間は全員かならず死ね」とまでは考えてはいないと思う。 彼らはいつも同じようなことを書く。誰かの言葉をコピーしてるのかもしれません。どこかに正しい世界があって、それが実現しないのは誰かのせいだと思い込んでいる陰謀論者なのか、それとも人間の正義みたいなものを信じすぎてるナイーブな人たちなのか。 後者だと思える僕には、あの「死んでしまえ」といった書き込みが、泣き声に聞こえるんです。 みんな、土手に行ってぼんやりすればいいんですよ。ぼんやりして「何もない時間」をどう言葉にするか考えればいいのに。コピーを重ねてしまうのは、内側から湧いてくる言葉がないんじゃないかなあ。 「何か、体を使う目的を見つけてそれを一生懸命やれ」って言うつもりはありません。それって逆に面白くないですよね。引きこもりは軍隊に行けって話ですからね。 『「家栽の人」から君への遺言』では、人が人を「悪」と断罪する行為に対して、人生を賭けて抵抗している人々のエピソードも書きました。非行少年100人を雇ってきた野口石油や、元不良を有名大学に進学させてしまうフジゼミの話です。僕はあの人たちを見て、「人を救うことが自分を救うことになる」と気付きました。 僕は正義を執行するようなノンフィクションは書けません。「善」や「正義」を振りかざしてケンカして、結局ダメになっちゃった先輩世代たちを見てきたからだろうな。 でも、世間からは「人権派」に見えるみたいです。実際は弁護士の人たちの側と、匿名掲示板にいるような人と、その中間にいるんですよ。要するに、社会というのをわかっていない、中途半端な立ち位置なんです。 だから一人で、探りながら書いていくしかない。でも取材をすると、その相手を好きになってしまう。『家栽の人』を書いたあと、結局は自分の責任を感じながら、少年院の中に入っていってしまいました。でも、完全に少年院の人間にはなれない。少年たちのそばにいることしかできなかったんです。 合理的に考えれば、人からちょっと又聞きしたり、本からちょっと盗んだりするだけで、十分に書けたでしょう。でもそうしなかったおかげで、僕は人からアイデアも何も盗まずに、自分で責任を取れる場所まで歩いてゆき、そして引き返してくることができた。 「少年院ってなんですか」って言われたときに、「少年院のこういうところまでは見ました」って素直に言うのが僕なんだろうね。 もっとちゃんと回り道しながら考えようよ この『「家栽の人」から君への遺言』は、まず半分が、実際に起こった少年犯罪に対して、著者である毛利という人はどう働きかけていくのか、を書いた。残り半分で、その働きかける毛利という人はどういう人だったか、をちゃんと書く。こういう構成になりました。 なぜなら、メインテーマである佐世保の同級生殺害事件について、善悪ではなくて、加害者少女の「失敗」は何だったんだろうか、を突き詰めて考えたかったからです。 他人の人生を傍観しているときに、ふっと自分のことに思い当たる瞬間があるじゃないですか。この本の半分くらいが僕自身の話なのは、もしも加害者少女がこの本を読んでくれて、「そういえば私はどうだったんだろう」とか、思い当たる瞬間が訪れてくれたらいいな、と願っていたからなんです。 だから、僕も僕自身の人生について、少女と対話をするつもりで、丁寧に書くしかありませんでした。完成させるために抗ガン剤をいったん止めたので大変でしたが 人間が、自分の人生に本当に気が付く瞬間はいつだろうか。 たぶん、何かに頑張っている最中ではないんじゃないかなあ。仕事が終わって家に帰って、発泡酒とか飲みながらぼんやりテレビを見ているときに、ハッと自分が10年以上前にやったことの意味を思い出したりする。僕は、それが人間の「気付き」の一番深い形態なのではと考えています。 何にも考えなくていいときに、無駄話に接していたら、自分の中から「何か」が浮上してきて、思ってもみなかったことに気付く。そういう反省みたいなものが、「人を殺した」ということの中で起こるとしたら、どんなときだろうか。そして、そこに触れていくような無駄話って、どんな無駄話だろうか。それが今回の試みだったのです。 乱暴にまとめると、「人間もっとちゃんと回り道しながら考えようよ」という話になるのかな。 今回の試みは、そういう回り道をして、どこの世界にもうまく属せなかった人間が見た、「半分体を沈めながらの報告」なのですね。告発ではありません。少年院の中で怒鳴ってる法務教官も、僕がウクレレを教えた少年も、やっぱり取材した人は好きになってしまう。甘いのかもしれませんが、それが僕のやりかたです。 人の命なんか価値もない、なんてことは、哲学的に突き詰めていけばわかっている。だけど、「そうじゃない」と思って生きていくことの中に一人一人の人生がある。そして、「『そうじゃない』と思って生きてなかった」本人の心の中に、罪があるんだよ。 そういったことについて、いつか本人が「あっ」と気付くことがあればいいなあ
2020年09月06日
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「白土三平伝 カムイ伝の真実」毛利甚八 小学館文庫 単行本刊行から9年も経って今年2月やっと文庫本が出た、ということを最近知った。白土三平研究という分野がもしあるとすれば、唯一の伝記評伝である本書を今さら出すのか、とも思うが、ちょっとした未収録文書もある決定版である。毛利甚八さん(名作「家裁の人」原作者)が急逝して5年経つ。もはや、白土三平翁からこれ以上のことを聴ける人物は存在しない。毛利甚八自身の再評価も、されるべきだと思っている。 父親でプロレタリア画家の岡本唐貴の人生をなぞるかのような白土三平の人生、そして仲間や白土三兄弟が欠けても次々とマンガが生まれる人生は、名作「忍者武芸帳 影丸伝」や「サスケ」の内容と被っている、ということは既に書いた。だとすれば、まるで影丸のように誰ひとり知られることなく有名漫画家白土三平が今年や来年に亡くなっていたとしても、わたしは全然驚かないだろう。(どう被っているのか、詳しくは、単行本「白土三平伝」(小学館) 「岡本唐貴自伝的回想画集」(東峰書房)のマイ書評を参照してください) ここでは、新たに加わった文章その他に対する私の感想を述べたい。 毛利甚八さんは「白土三平フィールドノート」を連載していた頃の雑誌「ビーパル」のライターとして、白土三平と知り合う。そこで「影丸伝」の影丸の顔のモデルは、ロシア画家が農民一揆の指導者・ステンカ・ラージンを描いたものを参考にしたと聞き出している。 「全共闘の若者が『忍者武芸帳影丸伝』や『カムイ伝第一部』に圧倒されたのも(そして後にはその重苦しさに反発していくのも)、権力とはなにかを問い続け、その姿を執拗に描いていく白土三平の動機が、学生たちとは比べものにならないくらい切実で、それを見極めたいと願う心が学生たちよりもはるかに純粋だったからだろう。なぜなら、白土三平(岡本登少年)にとって、権力とは想像上の概念ではなかった。その目から逃げまどう対象として、父に怪我をさせた当事者として、彼が物心ついた時から実在する怪物だったのだ」(216p) 白土三平の描く権力の巨大さや強かさは、『カムイ伝第二部』でも出てきている。 毛利甚八さんは神話伝説シリーズの『サバンナ』や『バッコス』を大きく評価している。同感である。いつか再読したい。 「『カムイ伝第三部』への展望」という一章がある。ここが今回文庫本に新たに付け加えられたようだ。「白土流のユートピアの総決算が、読者諸兄の前にあらわれることになるはずだ」と著者は勿体ぶって書いているが、新しいことは一つもなかった。そもそも、わたしは第三部は絶対に現れないと思っている。影丸一族は、白土三平1人を残してみんな霧散霧消した。圧倒的な画力を持っていた弟の岡本鉄二もいなければ、次々とアシがプロとして独立していった後のスケジュールを調整すべき弟のマネージャーも既にいない。11年前に白土三平は試しに独力でカムイ外伝の中篇を描いてみたが、デッサンは狂っているは、ストーリーは以前の物語の焼き直しで尚且つ新しい試みも一切なかった。当然この80pほどの作品「カムイ外伝 再会イコナ」は未だ単行本化されていない。白土三平の漫画は、ストーリーと画を総合的に統一して作るものだった。その総合力が既に破綻しているのである。第三部への構想は何処かにあるのかもしれないが、いくら画力のある者が見つかっても、赤目プロがそれを描くことはないだろう。 今回加筆部分含めて再読して、著者との気まずい別れからの仲直り、元アシ小島剛夕との和解部分は、改めて感慨深く読んだ。著者は書く。 「思えば、筆者である私が一匹狼として生きてきたために、私は白土三平の、組織のリーダーとしての一面を書き落としてきた。自分の印税で「ガロ」を創刊し、多くのマンガ家をデビューさせたことも、講談社児童まんが賞の審査委員として水木しげるや永島慎二、石森章太郎の受賞に力を尽くしたことも、白土さんが岡本唐貴から受けついだ家長の性質からくる「優しさ」や「包容力」の表れ。しかし、白土さんが自慢話を嫌がることもあって、私はそれを充分に書いていない。「白土三平は、なんてカッコイイ男なんだ」私は79歳になった白土さんに、あらためて目を瞠ったのだ」(241p)白土三平は、今年喜寿を過ぎたという(今年4月に喜寿記念の短編集が出ていた)。 リーダーや家長としての白土三平と、マンガがどうリンクしているのかは、私の書評もいくらかは追い求めた。もっと詳しいことは、やがてくるであろうXデーを機に大いに研究されるだろう。そうでなくてはならない。そうではなくては、白土三平を中心として世界史的に異質に発達した日本の初期劇画の本質がわからないままになるからである。私自身の課題としては、「カムイ伝第二部」の再読・再評価を早々に終わらせなければならない。
2020年09月05日
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「図書2020年9月号」 岡山県高梁市は、連続猛暑日の日本記録を更新し、果たしていつまで延びるのかわからない。その20数キロ南に住んでいるわたしも、今年はそろそろ部屋にクーラーを導入しなければ痩せ我慢死になる危険性を孕んできた。何しろ夜の12時を過ぎても30度を下回らない。それが確か、20数日間続いている。 今月号は、「幻の日本初新元素」とか「久保田万太郎の俳句」とか「コロナ禍」とか「トルストイ」とか「ドストエフスキー」とか「アリス」とか「ゴッホのひまわり」とか「赤ちゃん」とか「原発」とか「ダンテ」とか、魅力的なキーワードを持つ文章に溢れていたけど、夏バテなのか、全然頭に入らなかった。ようよう読み通したのは、「多摩川沿いの工場で(1)」で斎藤真理子が死刑囚永山則夫遺した小説「土堤」について考察した文章のみだった。朝鮮人街で働いて、初めて人間らしい扱いを受けたにもかかわらず「ー俺より下がいた。」と呟く青年の心理を描いた小説だ。永山則夫は、そこで働いた年に、盗んだ小さな拳銃を人に向かって撃って死刑囚になる。なにか気になって仕方ない。永山則夫の文章は『無知の涙』を読んだことがある。これがホントに無学の青年が、獄中のみで独学で学んだ末の文章なのか?ここまで人間は変わることができるのか?そう思わせるに足る文章だった。永山則夫の小説(私小説?)も読んでみたい。 「図書」には、後半に必ず「新刊情報」がついている。読んでみたいと思ったのは、『白い病(カレル・チャペック)』(岩波文庫)。1937年刊行の未知の疫病流行を扱ったSF戯曲。もうひとつは、『定本酒呑童子の誕生(高橋昌明)』(岩波新書)。酒呑童子の原像は、都に疫病を流行らせる汚れた疫鬼だった、という内容らしい。コロナ禍のもと、「隠れた名作」を見つけたい。 2020年9月1日記入
2020年09月04日
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「張り込み日記」撮影・渡部雄吉 構成文章・乙一 若竹七海「錆びた滑車」巻末おまけ「冨山店長のミステリ紹介」のお勧め。昭和33年に茨城県で発生したバラバラ事件の捜査をする茨城県警と警視庁の刑事2人組に同行、彼らを撮影したカメラマン渡部雄吉の密着写真集。現代では絶対不可能な企画。 「ー滑車」読了日に試しに借りてみる。ひと目見てのめり込んだ。こんなのドキュメンタリーでも、もうあり得ない。本物のベテラン刑事(警視庁の方)が、ホントに小説に出てくるままに聞き込みの時はにこやかに、推理するときには苦虫を潰して歩いている。煙草でもうもうとした会議室。狭い部屋に20名が、いかつい顔を突き合わせて、ああでもない、こうでもないとメモに書きとる。丸こい湯飲み。二本の黒電話。電話がかかってくる(表紙の写真)。急いで咥えタバコでコートをはおる。ハンチング帽を被って外に出れば、都市化直前の幅広い道路にまばらな車の東京だ。下町を足で稼いで聞き込み捜査。店は未だ配給所の面影を残している。ヌカ一杯15円、小麦60円。飯場の立ち食い屋、一食10円均一。そこで出されているのは、雑炊とかスイトンとか。下町のうなぎ丼、天丼、餃子丼全部150円。笑顔のベテラン刑事。新米の茨城県警刑事は厳ついままだ。歩いて聴いてゆくのは、ドヤ街や旅館などの下町ばかりだ。路地で遊ぶ子供たち。女将さんがそのまま30年代の小さな旅館の女将さんみたいだ。演技じゃないんだ。捜査は水戸へ、または岐阜県へ。旅館で聞き出した容疑者の住所が岐阜県だったのである。しかし1ヶ月の聞き込みの結果、住所は偽りだという結論に至る。手がかりは遂に途絶えた。 ここまでが、写真集の約半分である。もう一度いう。これはまるでドキュメンタリー以上だ。刑事の頭を抱える苦悩も、本物だ。もう2度と撮れない。そしてまるで一冊の推理小説である。よってこれからの展開は、もう書かない。文章は乙一。2014年再刊の時に、ドラマチックに構成し直している。 「ー滑車」では、元刑事だった祖父へのクリスマス・プレゼントにと、古書店のお客が買った。ぴったりだ。きっと喜んだことだろうと思う。
2020年09月03日
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「ビッグイシュー389号」ゲット! 日本版では、これが5回目の表紙らしい。悲しいことに、今年6月、ホームレスのボーエンに寄り添い彼にセカンドチャンスを与えた、「ボブ」が交通事故で天国に行った。ストリートからやってきてストリートに還った。正にボブらしい一生だった。ボブの凄いのは姿形ではななく、ホントにネコか?と思うほどにヒトの気持ちが分かり、自立していることだった。あともう一つ映画が残っているらしい。ちゃんと見てみよう。 特集「コロナ禍を生きのびる」では、稲葉剛さん、藤田孝典さん、竹信三恵子さん、フードパンク関西の活動報告があった。 少しずつ、政府支援も民間も現実に合わせた支援を広げている。絶望しないで、誰かを頼ってほしい。必ず道はある。 池内了さんの「市民科学メガネ」では驚きの科学的知見が語られていた。ヒトも熊とリスと同じく「冬眠」が可能な可能性が出てきたらしい。リスはネズミと比べると2-3倍の寿命を持っているという。つまりヒトは冬眠が可能になれば、200年生きることが可能になるということなのか?「どういう社会になるのか、考えるのが少々怖くなりますね」。 「表現する人」No.5は、川越ゆりえさんの作品群。一瞬普通の昆虫標本かと思いきや、よく見ると「弱虫」や「嫉妬」や「嘘つき虫」として作った虫だった。ネガティブなな感情を虫で表現したらしいが、見るとクスッと笑えるものを目指したという。そういう中で癒える心があるという。ところが、写真で見れば見るほど、私は恐ろしくなった。
2020年08月29日
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「ビッグイシュー388号」ゲット! 表紙はスペシャルインタビューのジェームズ・ノートン。「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」で、実在の記者ガレス・ジョーンズを演じる。実は、この俳優のことも、ガレス・ジョーンズのことも、そうしてスターリンの政策が作った人工的な大飢饉「ホロドモール」のことも初めて知った。けれども、微かに目の片隅で見ていたことなのだ。ノートンはつい最近観た「ストーリー・オブ・マイライフ」に出ていたらしい。えっ、誰?ニューヨークでジョーが出会ったインテリのこと?ホロモドールも、スターリンの様々な悪政の一つとして聞いていたかもしれない。けれども、その下でウクライナという場所で300万人が飢え死にした実際の出来事を知ろうとはしなかった。やはりこの映画見なくてはならないと思う。 日本にも埋もれている恥ずかしい歴史がある。映画「沖縄スパイ戦史」で初めて知った、「戦争マラリア」である。陸軍中野学校出身者の山下虎雄が、軍人であることを隠して波照間島に渡り、ある日豹変して住民をマラリア有病地である西表島に事実を隠して強制移住させる。結果、八重島諸島では米軍との戦闘がなかったにも関わらず、当時の人口の10%がマラリアで死亡した。波照間島民はなんと人口の30%552人が死亡した。ということが明らかになったのは、ホントつい最近である。千葉県の学生だった大矢英世さんが八重島毎日新聞社インターシップで知って、調査をして、島に2年間住み込んで初めて聴けた証言で明らかになったのである。軍隊は公(戦争)のために住民を犠牲にすることを、全く厭わない。その彼らの行動原理が、実によくわかる例である。「沖縄「戦争マラリア」」(あけび書房)読もうと思う。 特集は「3つの石がつくった地球」 リード文は以下の通り。 海岸や川原で美しい石ころに心ひかれ、珍しい石を拾った経験はありませんか? 一説には3000種類以上もある石の世界。それを知るには身近すぎたり、敷居が高いと思いこんでいませんでしたか? しかし、「石が地球をつくった。3つの石を知れば、石の本質がわかる」と、自称「石屋」の藤岡換太郎さんは断言します。3つの石とは、原始地球が現在の地球となるのに大きな役割を果たした「橄欖(かんらん)岩」「玄武(げんぶ)岩」「花崗(かこう)岩」。太陽に近い地球はケイ素の占める割合が高く多種多様な石を生み、さらに多くの生き物が生きられる大陸をつくった、と深海潜水のプロでもある藤岡さんは言います。 小学生の時に道端で拾った赤い石がきっかけで石の世界に足を踏み入れた矢作ちはるさんは、石の物語を綴った『石の辞典』にまとめました。 藤岡さんに「3つの石と地球の誕生」について、矢作さんに「石をめぐる物語」を聞きました。ようこそ、ストーンワールドへ。 このうち「玄武岩」は黒土が固まってできたような細かい目の黒石。「花崗岩」は、大陸地殻と位置付けているだけあって最も身近だ、墓石によく使われる。よくわからないのが、宝石のような緑石の「橄欖(かんらん)岩」。地球のマントルをつくっている石らしい。こんな石がマグマなのか?ダイヤモンドの元になっているらしい。なんか、奥が深い。これ以上入り込むと危険だ。撤退!
2020年08月28日
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「岡山の夏目金之助(漱石)」横山俊之 熊代正英 岡山文庫 現在岡山シティミュージアムで「災害の記録」展をしている。江戸や明治時代の地震やコレラ等の興味深い展示と共に水害の展示も多くあって、あることを思い出したので、本書を紐解いた。 明治25年の7月、岡山市街を通る一級河川旭川が氾濫する。ミュージアムには、破損箇所見取り図、義捐金報告書、免租年期願いなどの資料があって、私の目当ての資料はなかったのだが、実はこの時、たまたま親類の家にやってきていた夏目漱石が被災している。そのことを詳細に述べたのが本書である。 10年ほど前、この時の漱石がしたためた正岡子規宛の書簡を調べたことがある。漱石は、現在の県庁南辺りにあった片岡邸(旭川土手の直ぐ下)で被災して一旦天神山の旧県庁に避難している。その後、上之町の資産家、光藤家離れに8日間ほど滞在、その後片岡邸に戻った時の事をこのように記している。 「…帰寓して観れば、床は落ちて居る畳は濡れて居る、壁は振い落してある、いやはや目も当てられぬ次第。四斗樽の上へ三畳の畳を並べ、之を客間兼寝処となし、戸棚の浮き出したるを次の間の中央に据へ、其前後左右に腰掛と破れ机を併べ是を食堂となす.屋中を歩行する事峡中を行くが如し。一歩を誤てば橡の下に落つ。いやはや丸で古寺か妖怪屋敷と云ふも猶形容し難かり。夫でも五日が一週間となるに従ひ、此野蛮の境遇になれて左のみ苦とも思はず。可笑しき者なり。(略)実に今回の大水は、驚いたような、面白いような、怖ろしいような、種々の元素を含み、岡山の大洪水、又、平凹凸一生の大波乱というべし‥‥」 さすが漱石、子規宛書簡といえど描写が真に迫っている。「丸で古寺か妖怪屋敷」の景色は、つい最近、2018年倉敷真備の大水害でボランティアに行った際の家々の状況で見たばかり。私も、漱石同様被災者本人ではないので「驚いたような、面白いような、怖ろしいような」感慨を持った覚えがある。 ただし、この本はお医者さんで郷土史家の横山氏が発掘した事実を記しただけの本であり、漱石のこの体験が漱石の文学にどう影響したか等の分析は一切ない。まぁそれも小気味良いんだけどね。 私はこれは「かなり特異な経験」だと思うのだが、のちの漱石文学に影響したと思える箇所が一つもないように思える。そのことが、却ってずっと不思議なのである。
2020年08月24日
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「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」ターリ・シャーロット 上原直子訳 白揚社 「とても重要なメッセージを持つ人や、最も役に立つ助言のできる人が、必ずしも絶大な影響力を持つわけではないように私は感じる。怪しげなバイオ技術に数十億ドルを投資できるよう説得できた起業家がいる一方で、地球の未来のために取り組むように国民を説得できなかった政治家もいる。」(7p) 著者が「わかりやすい例」として取り出したのは、2015年9月大統領共和党候補者の決定に寄与した討論会のTV番組である。カーソン候補は「知性」を狙ってきたのに対して、ドナルド・トランプ候補はその他全ての部分に訴えたのである。結果、ドナルドが大統領になった。 現在、大量の情報が個人に押し寄せている。そのことで、かえって自分の信念に固執するようになっている。彼らが意見を変えるのは、「意欲や感情に訴えかけられた時」である。この本は脳科学者らしく、その事やその他の要因を一冊かけて詳細に述べてゆくだろう。 以下私的メモ(これは、私に有用だと思える事柄を羅列したメモであって、皆さんに分かりにくい書き方もある。読み飛ばしても構わない事柄です。もし、以下の事柄があなたにも有用だと感じられたとしたら、それはあなたが主体的に感じ取ったからです) ・事前の信念を持つ人に対して、間違いを証明しようとすると拒否感が出る。共通点に基づいて話をすることによって、相手の行動に影響を与える。 ・アイデアを伝える最も効果的な方法の一つは、気持ちを共有すること。感情はとりわけ伝染しやすい。 ←芸能人のコロナ死は、だからあの時最も効果的だった。 ・電光掲示板に「現在の手洗い率」をリアルタイムで示すことで、10%から一気に90%に跳ね上がった。 ←3、4月に都内の駅や交差点の人出率を毎日テレビで映したのは、だから最も効果的だったということなのだろう。実際一気に人出率が下がった。 ・恐怖や強制によって行動させ影響を与えることは難しい。反対に、選択肢を与えて主体性を高めると、相手は話を率直に聞く。大切なのは、認識であり、客観的事実ではない。「今日は◯◯の日よ」と思い出させる、というやり方で行動に移させるという認知症老人への呼びかけもある。 ・映画「サイドウェイ(2004)」で主人公マイルスが「メルローなんて俺は死んでも飲まないぞ」と言ったために、メルローの売り上げかガタ落ちした。反対に彼が好んだピノノワールはうなぎ登り。両親や影響力のある人を真似るのは、本能。 ・ヒトは言葉を発して数万年経ち、5200年前に書き言葉が現れ、600年前に印刷技術、20世紀初頭にラジオ、50年代に一般人向けテレビ、90年代からインターネット、現代では誰もが情報を共有して他人に影響を与えるようになった。しかし、数万年間、脳の基本的な組織に著しい変化は見られない。 ←つまり、「昔ながらのやり方」で大量の情報を処理しきれない大衆に影響を与えることは、実際可能なようだ。コロナ禍後の世界が心配だ。 ←しかし、脳から脳へ、直接影響を与える実験は既に始まっているらしい。「第四間氷期」のように死人の脳から犯人を見つけるのはもう直ぐなのかもしれない。
2020年08月22日
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「命の意味 命のしるし」上橋菜穂子 齋藤慶輔 講談社 NHK対談番組「Switch」の内容に往復書簡等を加筆して本にしました。斎藤慶輔さんは釧路湿原野生動物保護センターの獣医師でオオワシやシマフクロウなどの治療・保護をしてきた人。上橋菜穂子さんの「獣の奏者」の監修をしたことが奇縁で対談に至りました。 上橋菜穂子さんについては、あと1-2冊読めばコンプリートになります。それほど寡作なのです。彼女の新居の書棚がチラリと出てくるけど、専門書関係だけで700冊ぐらいあるらしい。彼女の書くのはファンタジーですが、なんでもアリではない、「特に、命あるものの生き死にに関わることで、うそは絶対に書きたくない」と決意しています。最新作の「鹿の王」で大部分を占める医療行為のほとんどがリアルなのは、そういうわけです。もっととんでもない医療設定があれば、主人公ヴァンのラストも変わったのかもしれません。「作者の都合」からウソは書かない作家なのです。 リアル「獣の医術師」というべき斎藤慶輔さんと話すことで、上橋菜穂子さんは、様々な創作のヒントを貰ったに違いありません。 例えば、 ・人間の赤ちゃんを助ける保育器は、シマフクロウを助ける機器として転用している。 ・林道を歩いていると、子供がしゃがんでいると思って近づいたら、ふわっと飛んでシマフクロウだったと気がつく。 ・猛禽も人と同じ構造をしているところがあり、古武道のように関節技をかけることもある。 ‥‥やがて、彼女の作品に生かされる日が来ることを願います。 異分野の2人が、対話をすることで、大切なことの答えを見つけ出してゆく過程も書いています。 (1)ワシもフクロウも、治してくれた医者にお礼は言わない。医者も自分がしたいからしている。何故、人だけが、傷ついた他者を治したいと思うのか?いずれ死んでしまう命なのに、どうして見捨てることができないのか?(上橋→齋藤) (2)日本で生まれ育ったのに、どうして越境し、背景が異なる人たちが生きてゆく世界を描こうとしたのか?(齋藤→上橋) 1番目の問いに対して齋藤さんは丁寧に回答を試みようとします。いろいろ書いているし、齋藤さんは決してこういう言い方はしていないのですが、結局は「それは人間の業だ」と私は思う(←失礼)。詳しくは読んでください。 2番の問いに対して、上橋さんも丁寧に答えます。「もし日本を舞台にした物語を描いてしまったら、日本の読者はきっと、自分のよく知っていることと照らし合わせて読んでしまう」。そうしたら、ファンタジーの魅力が激減すると思っているのらしい(←私はそうは思わない。特に舞台が弥生等の古代ならば。けれどもそれは私の勝手な意見ですね)。彼女に影響を与えた本がトルーキン「指輪物語」と、ローズマリ・サトクリフ「第九軍団のワシ」「ともしびをかかげて」「運命の騎士」なのも関係するのかもしれない。そして境界線の人々に興味を持つ。 小学生高学年向きの本。これを読んで、獣医師や作家を目指す子どもが出てきたら僕も嬉しい。それから、これを読んでフィールドワークに出るような学問を目指したならば嬉しい。私にとっては、ともかく上橋菜穂子ワールドが広がってためになりました。
2020年08月20日
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「言葉はこうして生き残った」河野通和 ミシマ社 編集者はこうして書き残した ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 河野通和(こうの・みちかず)さんは、30年間中央公論新社で雑誌編集者として仕事したあとに、雑誌「考える人」の編集長に就く。毎週木曜日に発行してきた約300回分のメルマガから37篇を厳選して、テーマごとに分けて「編集」した文集が本書である。 編集者に名文家は多い。パッと思いつくのは吉野源三郎ではあるが、河野さんも、大学時代に出会った粕谷一希元中央公論編集長の名文に憧れて編集の門を叩く。名文とは何か。思うに、わかりやすく比喩が素晴らしいとかいうことだけではなくて、歴史や哲学などのさまざまな著述を引きながら、世の中の現象を読み解き、時代精神を探り当てようという「選びとる力」を持った文章だろう。 時代精神とは何か。 本書は政治・経済の解説・批判はなくて、ともかく良書を紹介して、作家に出逢い、別れを惜しみ、自らの想いを吐露することに終始する。そうやって紡いだ昭和の終わりから平成にかけての時代の上澄みが、結局のところ「編集者から見た時代精神」であると、私は勝手に定義する。 編集者らしく、ニヤニヤするところや、こんな本があったのか!という驚きが多数。読んでみたいと思った本は、また追々紹介するので省略するが、面白いと思ったところは以下である。 ⚫︎梅棹忠夫さんに影響を受け、反発してきた者として、ここに紹介されている良い文章の戒め2点は素直に腑に落ちるものだった。 ⚫︎誤植のアレコレは、久しぶりに読んでいて爆笑した。 ⚫︎「痕跡本」からアレコレと推理する愉しみを持つのは、良いアイデアだと思う。 ⚫︎「弁当の日」を始めた滝宮小学校校長が、最初の卒業生に贈ったメッセージが素敵でした。 ⚫︎岡山出身の編集者が、岡山出身の有名人・岸田吟香の数奇で特別な人生に興味を持つのは、理の当然だろう。「考える人」では、特集を組まなかったんだろうか。 ⚫︎「締め切り」を「守れなかった」野坂昭如と、野坂番たる著者との凄絶な闘いの記録は、面白いが追悼文だけに哀しい。 ⚫︎「一00年前の女の子」はいつか読もうと思うが、著者は先輩編集者たる船曳由美氏に、編集者らしい拘りを発見する。写真の選定、題字のフォント、そして活字の大きさ。そういえば、この本も「読ませるために」普通の本にはない少なくとも5点ぐらいの拘りがある。目次の作り方、頁表示の位置、題字のデザイン、1文字目のデザイン、引用文章のフォント等々。こういうことを含めて「本を作ることなんだよ」と我々に訴えている。 ⚫︎唯一2回に分けて掲載された「ハンナ・アーレント」。映画の台詞やアーレントの著書等の引用もあり、アーレントがナチスの高官アイヒマンを「悪の陳腐さ」と名付けて発表するまでを興味深く紹介している。著者が2回に分けたのは、アーレントの思想を紹介したかったからではなく、この歴史的文章を掲載した『ニューヨーカー』(カポーティ「冷血」やカーソン「沈黙の春」を発表した雑誌)編集長ショーン氏の、編集者としての「覚悟」を紹介したかったからに違いない。ハーレントの文章は、アイヒマンの罪を減じるかのような内容に、ユダヤ系から多くの批判が出たのである。2014年1月、著者は書く。「いまこれをいまの日本に置き換えたとするならば、どういうケースにあたるのでしょう。誰の、どんな思考がそれに相当するのか。また、この時代のアイヒマンはどこに潜んでいるのだろうか」。この時、日本で秘密保護法は通り、集団的自衛権の解釈変更がなされようとしていた事とは無関係ではないかもしれない。
2020年08月16日
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「流言蜚語」中谷宇吉郎 青空文庫 昭和20年8月16日、真夜中、北海道大学で研究していた中谷宇吉郎(岩波文庫「雪」の著者)は緊急の電話で寝入り端を起こされる。 「小樽へソ連兵が2万上陸した!」 「戦時重要研究書類を直ぐに焼却しろ!」 「すぐに集合するように!」 宇吉郎は取り合わずに、そのまま寝床に潜り込む。しかし、緊急電話が来たということは、それを信じた人々がとても多かったことを示しているだろう。宇吉郎は寺田寅彦の弟子であるから 「大体あの小樽の埠頭設備で、二万の武装兵力が上陸するのに何日かかるか、とても一日や二日で出来る話ではない。夕方まで何事もなかったのに、三時間や四時間後にもう二万の兵隊が出現しているとしたら、それはアラビヤンナイトの兵隊である」と、おそらく1秒か2秒で計算したのである(これより22年前に書かれた寺田寅彦「流言蜚語」も併せて読みたい)。 東京では、また別の流言蜚語が回っていた。 某区で「今夜アメリカの兵隊が来るから、米国の国旗を用意し、御馳走を作って待っているように」 という布告が回覧板で回ってきたそうだ。信じた夫人も多かったらしい。 私はこのコロナ禍のなか、ある噂話に出会った。岡山県はずっと陽性感染者が出なかった。そして遂に3月終わり頃に感染者が出始めた。その最初期の感染者の家族が、岡山市郊外のベッドタウンの小さな町に住んでいた。ここまでは、ニュースで私も知っていた。 「あの感染者は、家に落書きされたらしいよ」 「学校で子どもがいじめにあったらしいよ」 「もう引っ越したらしいよ」 ‥‥その話を聞いて私は「えー!そうなの?ひっどいなぁ」と丸切り信じたのである。実はこの話を信じている人は未だにたくさんいる。もはや岡山県南の数千人規模で信じられているのではないか?少なくとも、私は2ー3カ所から同じ話を聞いた。みんな「信じて」おり「憤慨して」いた。 ところが最近、私は当の町の県会議員から直接話を聞いた。 「噂話は知っています。その方は、私の知り合いですし、直接会って話も聞いています。落書きもいじめも、ましてや引っ越しなんて、一つもありません!」 真実の方が良かったのだから、良かったじゃないか、というなかれ!当の家族にしたら、もしかしたら物凄く大変なことになっているかもしれない。 これもそれも、「岡山は東京と比べると、田舎だからなぁ」とほとんどの県人が思っているからである。今から思えば「横溝正史の世界じゃないんだから、あの町でそんな陰湿なことが『起きるはずがない』」とどうして思わなかったんだろ?私はどうして真偽を確かめなかったのだろう。もしかしたら私は、1人くらいには同じ噂話をして流言蜚語を広める手助けをした覚えがある。ホントに恥ずかしい。ウィルス以上にそれは岡山県人を急速に広大に感染させている可能性がある。流言蜚語はウィルスのように目に見えないし、感染状況も目には見えないので、かえって恐ろしい。 中谷宇吉郎氏は言う。 『そんな馬鹿なはずはないと思われることは、どんな確からしい筋からの話でも、流言蜚語と思って先ず間違いはない。そういう場合に「そんな馬鹿なことがあるものか」と言い切る人がないことが、一番情ないことなのである。』 『「そんなことがあるはずがない」と言い切る人があれば、流言蜚語は決して蔓延しない。しかしこの「はずがない」と立派に言い切るには、自分の考えというものを持つ必要がある。そしてそのことは実はかなり困難なことなのである。特にこの数年来のように、もはや議論の時期ではない唯実行あるのみというような風潮の中では、その精神は培われない。 新日本の科学の建設には、まず流言蜚語の洪水を防ぎ止める必要がある。もっともそれが出来た時は、新日本の科学は半ば以上出来上った時であるかもしれない。』(昭和二十年十月八日) 残念ながら戦後75年も経った今、『新日本の科学の建設』は未だ出来上がっていない、と言わざるを得ない。
2020年08月15日
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「ビッグイシュー386号」ゲット! アップし損ねている7月前半号を紹介する。 冒頭に、何度も日本版の表紙を飾り下がり気味の販売部数を支えていた、英国・ジェームズ・ボーエン氏の飼い猫ボブが天に召された記事を読んだ。予想に反して、老衰で天寿を全うしたわけではなかった。なんと、交通事故に遭ったのだという。路上で、ふとボーエン氏に出逢い、路上でふと車に遭って生涯を終えた。ある意味、らしい一生だった。合掌。ボブ自身もまたもや出演した映画「ボブがくれた世界」は、今年後半公開されるという。 特集は「タネ、食の安全保障」。 リード文は以下のとおり。 すでに過去100年で世界の「在来種」の種苗は75%消滅。その危機感から、米国、EU、南米、アジアなどでは在来種を守る法律を導入しました。反対に、日本では2018年に主要農作物種子法が廃止に。種苗法も改正(許諾のない自家採種禁止)の動きがあります。 そんな今、地域のタネ(固定種や在来種)を守ろうとする人たちを取材しました。 高校生の小林宙さんは「鶴頸種苗流通プロモーション」を立ち上げ、日本各地で仕入れた伝統野菜のタネを販売。小島直子さん・丈幸さんは2haの田畑で米、麦、大豆、野菜などを育て、約60種類のタネを採ります。鈴木一正さんは自家採集のタネを保管・共有するジーンバンク「富士山麓有機農家 SeedBank」をつくりました。そして、印鑰智哉さんは「“地域のタネ”を守る法律をつくろう」と呼びかけます。 小林宙さんの「若いながらも」ひとりでタネを採取する事業を立ち上げる話には勇気をもらった。私も育てる方はやってみたい。 改憲をめぐる世論調査記事も興味深いものだった。35年にわたる護憲派・改憲派のグラフは、つくづく2004年の加藤周一による9条の会立ち上げがギリギリの時期だったのか、そして効果的だったかのを証明している。 台湾にもビッグイシューがあったんだ!今度行ったら買ってこよ!
2020年08月14日
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「十二世紀のアニメーション 国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの」高畑勲 徳間書店 現在岡山市で開かれている「高畑勲展」の図録で紹介していたので紐解いた。本書はたいへんな労作。絵巻物に、マンガ・アニメの源流があると説いたものである。なんだ、そんなことは良く言われていることじゃないか、と思った貴方、違います。こんな風にキチンと分析した書物は、それまで出版されなかった。実物を見せながら話を展開しないと、話が始まらないからである。本書は横開き多色刷りの豪華本であるが、著者が有名なために3600円の安価で出版できた。 日本のマンガとアニメを高畑勲はとりあえずこのように定義する。 「おもに輪郭線と色面で描かれた さまざまな絵を並べ(平明な絵で描かれ) それに言葉をそえて 時間とともに(コマ割やフィルムの流れとともに) お話をありありと語ったもの」 これはまさに中世からの絵巻物や絵とき、江戸時代の草双紙や浮世絵、覗きからくり、からくり幻灯芝居に共通する特徴である。しかも、日本には、子供から大人まで、庶民の生活や立ち振る舞いを好奇心いっぱいに活写した絵が多く、そういう絵は、ちょうどマンガを読むときのように、描かれた内容を追いつつ、画面に眼を近づけて細部の「絵を読」んではじめて面白さがわかるように描かれた、という。 もちろん、日本で花開いたマンガやアニメは、このような文化伝統を学んで作られたのではない。(←ここをはっきりさせているのは高畑勲の立派な所)海外から多くを学んで出発したものだ。ただ、日本において、何故こんなにもマンガやアニメが盛んになったのか、「その源泉をたどれば、やはり絵と言葉で語るという、私たちの文化的な好みと欲求の伝統に行き着くことになります」。 日本人は何故こんな文化的嗜好が発達してきたのか?本当のルーツは、日本語の独特の言語体系だという。漢字と訓読み、カタカナとひらがな、漢字かな混じり文を発明したのが日本語である。それによって、日本人は文字を視覚的な「絵」として認識してきた、と高畑勲はいう。13ヶ所に渡りその証拠を挙げているが、例えば、日本人は読みは分からなくても意味がわかる漢字をいくつも「絵」として知っている、名前を漢字の選択によって視覚的なイメージで多様化した(征子、雅子、麻紗子、まさ子。漫画、まんが、マンガ)、オノマトペの豊富さ、語り絵は文盲に対する絵とき用ではなく識字層の楽しみのためにまず制作された、等々。 そうして、高畑勲は「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵詞」について、そのアニメ的手法を解説する。その緻密さは、正に一つのアニメ映画を監督するくらいである。「シークエンス」「シーン」「クローズアップ」「フェイドアウト」「ズームイン、パン」などの用語を多用して、十二世紀に絵巻物が一挙に世界に例を見ない「時間の表現」「視覚効果」を自覚的に狙ったすごい映像作品である事を見せる。 この2つの絵巻物と「彦火々出見尊絵巻」「鳥獣人物戯画」は、全編を縮小版であるが解説している。有名場面を知っている人は多いが、全編をカラー絵を見ながら解説されたのを読んだのは初めて。それだけでも価値がある。 高畑勲は、1人の絵師の仕事じゃない。脚本家やプロデューサーに似た集団的な作業の賜物だと喝破する。その他、ここで書いている独創的な意見は多い。 彼の指摘の一つ一つが美術史的に大発見だと思うのだが、素人発言としてあまり注目されてきていないのではないか?とさえ思った。
2020年08月12日
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「喫茶チェーン観察帖」飯塚めり カンゼン出版 たいへん残念な本。 私は本を読むのも、書評を書くのも、映画評を書くのも、8割方喫茶チェーン店かマクドで書いている。思うところがあって、家に冷暖房機械が無いので必然的にそうなっている。と、いうわけで周りにあるチェーン店は、庭同然なので絶対楽しめる本だと思い紐解いた。 個人情報保護の関係か、一切写真がなくて、ほとんど著者のスケッチと説明メモで構成されている。私は何故かこの丸っこい著者のメモ風文字が認識できなかった。 それから、私が注文するのは、一律にコーヒーか、モーニングなので、スケッチの大部分を占める膨大なドリンク・スイーツメニューには興味が一切湧かなかった。扱われている店は、流石に岡山では1/5ほどしかない。 各チェーン店の戦略目標みたいなことも確かに言及されているがメインではない。結果、発見のほとんどない、私にとってはつまらない本だった。
2020年08月09日
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「図書2020年8月号」 (斎藤倫「本をひらいた時5」) 友人が女性を映画「タイタニック」鑑賞に誘った時に、沈んでしまうことを口滑らして怒られたらしい。 「タイタニック」において「沈む」はネタバレなのか?ネタバレが随分とタブーになったのはいつ頃からなのか。 「ぼくらは、そうやって、遠くに仮構した無垢を、ちびちび消費して生きているのではないかと思う。(略)子どものようなネタバレのない世界を、わくわくしながら、いつまでも待ち望んで。情報量とともに増える「伏線」に怯えながら」 実に詩人らしい表現で、それ以上に展開されないが、私はかなり「腑に落ちた」。 小さい頃から「虐め」に怯え、不況に怯え、コロナに怯えて育ってきた「平成の子どもたち」は、無垢な大人になりたがっているのではないか?だから、ネタバレなしの真相にいつも新鮮な驚きや悲しみを感じたいし、いつもドキドキする伏線を待ち望んでいる。膨大な情報量を「伏線」として理解したがっている。テレビがいつもわかりやすい「真相」を教えてくれると思っている。伊坂幸太郎作品に対するレビューがいつも「伏線回収を称える」ものになっているのも、そのせいかもしれない。伏線回収は伊坂の魅力の1割ぐらいでしかないのに。 ところで、「タイタニック」のいったい何処から何処がネタバレなんだろ?私は未だにわからない。 (橋本麻里「かざろ日本10奇想の花」) 夏の花は朝顔である。現代は様々な色の花が咲いているが、奈良時代から江戸時代にかけて、日本の朝顔には青い花しか存在していなかったらしい。今回は6pかけてアサガオ品種改良の話を書いている。ここまでまとまっている文章を他に知らない。江戸時代、品種改良のブームは二回起きたらしい。なんと、現代でも千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館附属「くらしの植物苑」において、毎年江戸時代に生み出された変化朝顔の約100系統700鉢の展示があるらしい。時代小説に時々現れるアサガオの品種改良に血道をあげる輩の物語の一端を知れるかも知れないが、残念ながら今年は到底見に行けない。 他にもたくさん興味深いエッセイがあったのですが、帯に短し襷に長し、今回はここまで。
2020年08月04日
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「造山古墳と作山古墳」造山古墳蘇生会 吉備人出版 2018年シンポの記録。 皆さん、今は古墳ブームですが、造山古墳と作山古墳をご存知でしょうか?大きさで言えば、全国4位と9位ですが、どちらも天皇陵とは違い中に立ち入ることが出来て、造山は立ち入り可能の中では最大の古墳です。本格的な発掘は未だされていなくて、作山ではちょっと歩いただけなのに私、埴輪片を発見しています。何故、そんな凄い古墳が奈良(大和)ではなくて岡山(吉備)にあるのか?ということもちょっと興味そそりますよね。因みに、上石津ミンザイ古墳(履中陵古墳)と造山は5世紀前半前葉で時期と大きさ共に並行しているけれども、仮に造山が古ければ当時日本最大の古墳ということになります。つかみはこれぐらいにします。内容は予想よりも専門的でした。 昨年は、造山古墳のふもとに待望のビジターセンターができました。せめて博物館的な資料館が欲しかったのですが、ないよりはマシ。岡山県人としてはこのコロナ禍の下、一度は訪ねておくべき場所だと思っています。 例によって、私的メモを以下に羅列します。 ・3次元レーザー計測によって、正確な古墳設計が判明した。造山は正確に「歩」の単位で測り、綺麗に造営している。一段目から三段目を横から測ると「2・1・2・1・6・4」になる。数値は違うが、ミンザイ古墳も誉田御廟山古墳(応神陵)、仲津山古墳(仲津姫陵)も同じルール。しかし、作山は違うルールを採用。急いで作った跡が窺われる。(表紙の左が造山、右が作山) ・大仙陵古墳(仁徳陵)は、前方部を長くしているが、実際の造営の困難から言えば、造山から誉田御廟山までが、古墳造りのピーク。(以上新納泉氏の見解) ・総社市窪木薬師遺跡から、釜山福泉洞(ポクチョンドン)古墳群の鉄ていとヤジリと極めて似たものが出土している(造山周辺地域は渡来人遺跡が多い)。5世紀前半の濃密な交流の可能性。栢(かや)寺廃寺は伽耶だった可能性がある。(亀田修一氏の見解) ・造山古墳が築造された前後に、広い地域で集団の再編が行われた。(平井典子) ・(シンポ発言)古墳造りの匠の親方のような人がいたのではないか。専門家が複数いて、どこの専門家を連れてくるか?という ・(シンポ発言)いや、造山の前に吉備の「改変」があったといって「中央から大王墓が来る」と思っているわけじゃありません。中央とある程度連動する形で、吉備の中のまとまりが再編された可能性を考えています。(平井) ・佐古田堂山古墳や金蔵山古墳は380年頃の造営? ・好太王碑の「391年、倭がやってきた」から考えると、造山の被葬者が若い頃に朝鮮半島に行き、朝鮮人を連れて来たと考えることもできる。造山周辺に渡来系がいたのは間違いない。(亀田) ・造山と倍塚との築造順序 造山・千足→造山第四古墳→第二古墳 ・千足古墳は、石しょうの関係から肥後国、石室は讃岐産の安山岩、造山の造営は、吉備だけでなく、西日本全体の盟主であったことを具体的に示す古墳。 ⚫︎造山周辺の古墳(倍塚だけでなく、関連ありげな古墳など)紹介も充実。造山古墳を目当てに、吉備に来るのならば、この本は最も詳しく場所も特定出来るガイド本になっていると思う。一方で、一部の岡山の専門家でさえ唱えている「造山古墳は大王(天皇)墓である」説は、この本は採用していないようだ。しかし、私は、説得力ある説だと思っている。ま、素人だから無責任に言えるんだけどね。
2020年08月01日
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「ビッグイシュー382号」 表紙はキーラ・ナイトレイ。未だ岡山には来ていないはず。イラク戦争当時の軍事機密を暴露した英国政府職員を演じた「オフシャル・シークレット」のプロモーション記事である。現代、英国人でさえこの職員のことをあまり知らないという。モデルの彼女は、生存していているが、発言には制限がかけられている。なのに、何故彼女を主人公にして映画が作れたのか、それ自体がかなりのミステリーだ。来たら、是非観てみたい。 特集は、虐待サバイバーたち。以下リード文。 「虐待」は今、子どもと保護者を巡る問題ばかりが注目されています。 その陰で、虐待を受けて大人になった「虐待サバイバーたち」のことはほとんど知られていません。彼・彼女らは現行の児童虐待防止法ができる2000年より前に子ども時代を送り、守られることがなく、虐待の後遺症と闘いながら生きてきた元・被虐待児たちです。 しかし、ここ数年、虐待サバイバー自身が、サバイバーのための仕事づくり、居場所づくりや相談事業、そして法律の整備など、当事者のサポートに取り組み始めています。 そんな、虐待サバイバー4人が「未来のためにできること」について話し合いました(座談会)。また、それぞれのサバイバーたちの活動、その展望を取材しました。 ここに出てくる4人は顔出し名前出しもして、かなり特殊な勇気ある人たちなのだと思う。それほどに虐待サバイバーたちは、社会の中に埋れている。彼らを窓口とする小説ができてもおかしくはない。 「青空文庫」の紹介記事があった。昨年のアクセスランキング1位から順番に。 「雨ニモマケズ」 「走れメロス」 「山月記」 あとは「たけくらべ」「変身」などが続くらしい。正に、私「変身」以外は去年、全部アクセスしていました。
2020年07月30日
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「ビッグイシュー380号」 表紙は、特集も兼ねて気候危機に闘う運動家の「顔」となった、現在17歳のグレタ・トゥーンベリさんである。インタビュー記事で少し彼女のことがわかった。 中学生の時、気候学習をきっかけにして鬱症状になり、ついた診断名はアスペルガー症候群、高機能自閉症、脅迫性障害だったという。そのことが、そのままアジテーターとしての彼女の強みに繋がってゆく。なんか、吉田松陰の役割に似ている気がする。だとすると、彼女の将来が心配だ。周りが気をつけてやってほしいと思う。 「自閉症じゃなかったら、こんな運動は起こせなかったと思う。私は世界を白と黒ではっきり見ますし、妥協が嫌い。アスペルガーは一種の授かりものだと思っています」 「(鬱の引き金は気候変動だったが)鬱から抜け出せてぐれたのも気候変動だったのです。何故なら、状況を改善するために自分にもできることがあったから」 学校をストライキするよりも、勉強して気候学者になってからやればいいじゃないか?という周りの声に対しては 「でもこの問題は既に解明されているのです。確固とした事実とその解決策は十分にわかっているのですから」 なるほど、新しい革命家の姿は、これなのかもしれない。 ダボス会議で世界のリーダーたちの目を真っ直ぐ見つめてグレタは言った。 「貴方達には希望を持って欲しくない。むしろパニック状態になって欲しい」 見て見ぬふりをするな! これはそのまま、パンデミックに陥っている世界のリーダーたちにそのまま届けるべき言葉だろう。特に日本のリーダーに! 今年の4月、この号から私は長い間ビッグイシューお休み期間に入ってしまった。理由は前号に書いたから繰り返さない。奇しくも、気候危機のために書かれたこの記事は、世界的なウイルス危機にも多くは通じることになった。 異常気象は温暖化のせいである。専門家の江守正多さんは「ミニ氷河期も来るから大丈夫なのでは?」という反論には、ちゃうよ、と明快に反論していた。 対策は、既に技術的な問題よりも、政治的な問題になっており、それは政策意思決定に携わる全世界の「民主主義の問題」になっているという。その通りなんだろうな、と思う。 さて、ほかの記事。 「オーストラリアのおばあちゃんたち、投票を呼びかける!」 日本の老人が主導する9条の会と似ているが、会が参考にするべき点が数多くある。 極右に反対するおばあちゃんたちが「余生の時間を活かして」戦っている。目標は、 「特定の政党に投票してください、ではなく、選挙に足を運び、よく考えて投票しようということだけ」 この活動で、なんと5年前の選挙よりも15%投票率が上がったという。 ・おばあちゃんたちは、全員赤い帽子(手作り)を被っている。 ・どこの組織にも政党にも縛られない。 ・映画化もされた。 ・月に一回ラジオ番組も持っている。 ・彼女達には時間がある。 ←帽子とか映画とかラジオとか、9条の会も「どれだけ市民権を得るか」戦略的に考えてゆく必要があるだろう。 「シェア本屋」 この記事も、物凄く魅力的! ・みつばち古書部 大阪市阿倍野区昭和町1-6-3 ・せんぱくBook base 千葉県松戸市河原塚408-1せんぱく工舎d号室
2020年07月29日
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「ビッグイシュー387号」 約4ヶ月ぶりにビッグイシューが買えた。これはその最新号。他に5冊買った。販売者さんも、最近は販売に立つことが少なくなっているらしい。私も、この4ヶ月岡山市の街に出ることが劇的に減った。その関係で、こういうことが起きてしまったということだ。 「GWごろよりは天満屋前のこの通りは、人出は増えているものの、今も例年よりは減っている」 「(それでも2つのクラスターが起きたわりには)マスクの装着率は少ない」 と街中観察をしてきた彼は言う。岡山市の貴重な動態観察だと思う。 表紙は「少女時代」のユナ。最近韓国POPグループのパイオニアの彼女たちを見ないので、解散してしまったのかと思っていたら、しっかり個別活躍の「時期」に移っているようだ。ジャニーズと同じ戦略ですね。この時までユナがセンターだとは知らなかった。彼女は30歳。それでも、卒業する気配がない。何故日本のアイドルは、こういう形を作れないのか。インタビューは、韓国版ビッグイシューの転載。韓国版も欲しい、さぞかし写真満載なんだろうけど、無理だろうなあ。 「私の分岐点」は詩人・伊藤比呂美さん。摂食障害の過去を語っている。 特集「平和を照らす」では、3人の写真家に写真の持つ力を語ってもらっている。それと同時に幾つかの写真も掲載する。「DAYS JAPAN」が不幸な形で無くなった現在、彼らの主張を出せる場は限られていのではないか?写真には、他にはない、想像力を喚起する力、その他大きな力があると共通して語っている。その通りだと思う。 池内了さんが「ウイルスとの共生」の一例として「ヒト・ヘルペス・ウイルス(HHV)」を疲労度調査に転用出来ると提案している。人はほとんどの人が6種類ぐらいのHHVを子供の時から共生している。帯状発疹は免疫力が弱まった時に出てくる。そういうウイルスの戦略を利用して、疲労度を測るために、PCR検査をしようという提案である。非常に興味深い。 「パブリック 図書館の奇跡」(エミリオ・エステベス監督)も是非観てみたい。 世界一あたたかい人生レシピ、久しぶりだよー、読みたかったよー。喧嘩して5年もあっていない友だちとどう連絡とったらいいのか、という相談。Hさんの回答は、もう見事のひとことなんだけど、枝元なほみさんが、居酒屋でおもむろに大将に断って友だちに食べさせるブツを提案しています。それは「干し納豆」。 材料は、納豆ワンパック、塩小1/2、片栗粉小2-3、青紫蘇5枚とシンプル。 (1)納豆と塩(または添付のタレ)を混ぜる。片栗粉も半量混ぜて、ザルなどの上にオーブンペーパーを乗せて、そのまま天日で4ー5日、時々上下を返しながら干す。乾いたら片栗粉の残りをまぶす。 (2)青紫蘇も洗って水気を抑え、広げる。こちらも天日で1-2日パリパリになるまで干す。袋に入れて上から揉んで細かくして、納豆と混ぜる。 酒に合うこと請け合いだし、話のきっかけには確かに良いかもしれない。 久しぶりのビッグイシュー、読み応えあって、やっぱり素晴らしい!
2020年07月28日
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「高精細画像で甦る150年前の幕末・明治初期日本」東京大学史料編纂所プロジェクト編 洋泉社 ブクログレビューで存在を知りました。ありがとうございます。今までの幕末写真集と一線を画していて凄い。(映画「相棒」などでよく見られる)デジタル技術を駆使した写真集でした。写真を拡大・加工して、写真の隅にある部分を一般写真まで大きく鮮明にすると、思わぬ情報がどんどん入ってくるという写真集。 結果的に、愛宕山から築地方面を望んだ一枚の写真から、当時の江戸の撮影者の意図しない情報を引き出すことができた。御茶ノ水から神田川下流を見た写真から秋葉原辺りの街並みも見えた。京都の清水寺山門から、はからずも当時の京都の街並みをハッキリと見えた。 他の発見としては、落書きも所々写っていて、おもしろいくらいに、みんな相合い傘を書いていた。江戸時代には、もうこれが一般的だったのかもしれない。ということは、昔も今も、政治とか暮らしのことよりも、男女がくっついた離れたということの方を世間様は知りたかった、知らせたかった、ということなのか。 その他、発見したところ。 人物写真やお寺などを写した所謂記念写真・観光写真も多いのだが、わたし的に最も面白かったのは、遠景写真。 ・武家屋敷には、所々2-3階建ての物見所があること。 ・多くは寄棟造。その次に切妻造が多い。入母屋造はない。 ・大通りや橋には、必ず番所があった。いったい何を見張っていたのか。橋では交通料を取っていたらしい。 ・また、要所要所に必ず半鐘があった。 ・隅田川両国橋・日本橋もあった。思ったより、狭くみすぼらしい。しかし、よく考えれば車は通らないのだから、あのぐらいの大きさでよかったのだ。 ・流石にこの頃は左官職は、絶滅危惧職種ではなく、ほとんどのお屋敷は左官の手が入っている。海鼠(なまこ)壁は、目路が縦横に入っているのはほとんどなくて、斜め格子模様がほとんど。愛宕山からの武家屋敷のそれは蒲鉾のようななまこではなくて、三角山の鋭い漆喰を盛り付けているが、武家屋敷は全部これなのか、確かめられなかった。横浜の洋館も、結局壁は海鼠壁を採用していて和洋折衷していた。 ・屋根は漆喰で固めている家が案外多い。台風対策だろうか? ・東京大空襲で焼け落ちる前(笑)の、浅草寺五重の塔、本堂の写真もあった。 ・無造作に置かれた大八車や、寺の前に置いている棺桶(ちょっと小さめの樽のように見える)も、興味深い。
2020年07月22日
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「地形図でたどる長野県の100年」長野県地理学会 信濃毎日新聞社 図書館の新着コーナーで見つけました。こんなのが我が県でも作られたら良いのだけど、残念ながら長野県独自企画らしい。是非、全県で作られることを願って紹介したい。 県民ならば発見は山ほどあるだろうけど、ほとんど長野県を訪ねたことない身では、「軽井沢の都会化は目を見張る」「信州ワインの産地は昔は桑畑だったんだ」「完全な荒地がレタス畑へ」「大正元年地図には有名な古墳も表記がない」という感想ぐらいしか出てこない。地図の本ではあるが、文章は半分ぐらい占める。皆さん語りたいことが山ほどあるらしい。 (内容紹介) 日本で近代的な測量に基づく地形図が誕生して100年。当時と現代の地形図とを見比べて、その変貌から長野県各地の歩みを読み解くユニークな近現代史。軽井沢の別荘地や志賀高原のスキー場、安曇野や八ヶ岳山麓の農業地帯、長野市街地の大変貌、千曲川流域の災害地帯まで、かつて何が、どこに、どのようにあったのか。そして今、どのような姿なのか、なぜそう変化したのか…。新旧紙地図から地形や地図記号を頼りに歴史の世界を案内する。 ●内容 【1章】開発 日本最初の高原リゾート誕生 スポーツのメッカになった高原 溶岩地形に築かれたスキー王国 世界へ飛躍したスキーの村 原野とため池が巨大観光地に 地元の熱意でロープウェイ実現 街道の難所 ルートの変遷 進化を重ねた急勾配への挑戦 千曲川の治水で豊かな田園に 出作りの村は観光へとシフト 地域に風穴開けた恵那山トンネル 豪雪の地は“魅惑の秘境”に 自然災害と共存している村 恐れと 恵みと 信仰の山 三六災害の「暴れ天竜」克服 【2章】発展 ワイン特区はかつて桑園だった ため池にみる水確保の歩み 山麓開発と観光の様変わり 扇状地に行きわたった命の水 長大な大地を潤す「西天竜」 「レタス王国」へと成長した村 日本有数の果樹生産地を実現 大地がブドウ、レタス大産地に 標高1,000m 高冷地農業地帯 先駆者が導いた「くだものの里」 丘陵地に立地する新工業団地 変化しながら地域をリード 「ものづくりのまち」は世界へ 「工業の安曇野」をけん引 初の多目的ダムとリフレッシュ 開発と保護 ビーナスラインの今 真田の城下町 復活にかける 悲願の温泉引湯でリゾート化 地形的ハンディ 乗り越え発展 五郎兵衛用水は今も息づく 製糸の街 蔵の街が迎えた転機 城下町から商都、文化都市へ 製糸時代の栄光に活路を探る 【3章】変容 人口減少が進む中山間地の今 ヒノキで栄えた木曽谷の集落 絶景の急傾斜地に根付いた暮らし 上田が私鉄のまちだったころ 城下町小諸が描く街の未来像 門前町から県都へ 進化の歩み 扇状地は商業集積の最前線 中信2都市間に拡大する街 交通の要地から発展した街 高速道と新幹線で大きく変貌 古代からの往来の要地は今 信州の交通革命を象徴する地 リニア新幹線が新たな転機に 麻づくりの里 往き交った峠道 湧水が育む特産ワサビと養魚
2020年07月21日
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「キラキラ共和国」小川糸 幻冬舎文庫 守景鳩子さま、はじめまして。 あなたからの手紙、確かに受け取りました。何故か、2冊の本の2巻目の最終章に、私宛のたよりが入り込むという形で。 神様が気を利かせたのか、鳩子さんと蜜郎さんとの初キッスも初えっちもなくて、2巻目の最初から入籍していたことになっていたのには、少し笑いました。わたし、そんなに弱くないです。 はるちゃんと、夫のこと、あなたならば任せることができると、真から思いました。安心して天から3人のことを見守ることができそうです。此処には万年筆も便せんもないので、こんな形で返事を書くことをお許しください。 はるちゃんのことを、こんなにも愛してくれて、蜜郎さんの強いところも弱いところもちゃんと理解してくれて、それでいて自立していて、ひとの気持ちを汲みとって代書するという力までお持ちで、とっても素敵な女性だったので、ホント嬉しいです。キラキラの法則、私も少しだけ、手を添えさせてください。 ご近所さんたち、バーバラ婦人、男爵さん、パンティーさん、も楽しい方たちで嬉しいです。天から見ると、男爵さんまだまだ此方に来そうにないので、代書書いてないのは正解だと思います。ナイショですけど。 本を読んでいると、美味しそうなものばかりが出てきて、無い腹がグゥと鳴りました。うらやましかったです。 新しい生命を授かることを祈っています。 美雪
2020年07月20日
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「対決!安倍改憲」高田健 梨の木舎 図書館の新着コーナーで見つけた本。よって後書きは4月8日であり、ギリギリ新型コロナウィルスについての国会対応への意見を入れている。この3年間の改憲策動へのまとめともなっていて紐解いた。 今回のコロナ禍は「今後の市民運動の重大な転機になるに違いない」とは書いているが、ざっと読んだところ、高田健さんは常に運動の最前線・ど真ん中に居て10年後を見通すことはできていない、と感じた。もっとも朝令暮改で明日のことも見通せない某首相と比べたらよっぽど世の中を見ているとは思う。それは「欲」がないからだ。純粋に、日本の将来を見て改憲させてはいけない、とそれだけで運動してきたからだろう。 高田健さんは、この3年間の情勢を「奇跡的なたたかいだ」と評価する。国会内の議席数の圧倒的な不利な状況下で、改憲発議をさせなかったのは、結局は地道な集会・署名・共闘組織の構築と、野党共闘と、世論の力なのだ。私も同意する。 しかし、基盤は弱い。21年の改悪発議タイムテーブルまで、まだまだ油断は出来ない。あと数年間は今までの運動を強くすること以外には無いのだろう。高田健さんは、東北アジアの平和・共生を見越して、韓国の市民運動との共闘に大きく力を入れている。 著者は戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表。 第一章に総論。 第二章ー三章、「週間金曜日」連載レポート。 資料として、 (1)自民党「改憲4項目」条文素案全文(2018年) (2)〈日本知識人の声明〉韓国は敵なのか(2019年) (3)〈韓国知識人の声明〉東アジアにおける平和の発展のために(2019年)
2020年07月19日
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「万葉学者、墓をしまい母を送る」上野誠 講談社 上野誠さんについては「万葉集から古代を読み解く」で手に取ったことがある。その語り口の優しさで悪い印象はなかった。その御母堂が身罷り、葬儀を司ったという。さぞかし、古代から現代にかけての貴重な知見を得たに違いないと思い紐解いた。 実は上野誠が葬儀に関わったのは御母堂だけではなかった。1973年から、祖父、祖母、父、兄、母と見送っている。でもまあ一般家庭とほぼ同じペースかもしれない(私も考えればよく似ている)。著者と私は同じ歳。ただし、福岡の旧家と岡山の庶民とは格式が違う、ということもわかった。焼香の順番であんなにも頭を悩ますとは!しかも、墓は二階建て人が5ー6人立ったままで入れる大きさだ(1930年建立)。まるで巨大古墳の石室の如し。上野家の格式の高さ、如何ばかりか。 さて、数々の葬式に出た著者は、最初の祖父の葬式(13歳)が1番格式高く、後の万葉学者として大いに「学び」を持った。 ・死者に対して愛情と畏怖ふたつ持つのは何故なのか? ‥‥突き詰めれば、このひとつについて興味深いことを語っている(詳しくは本書を読んで欲しい)。これを深めたのは著者の「古事記」「日本書紀」の知識だろう。万事、業者に任せる現代では、なかなか体験できないこと(湯灌、衣服の焼却、茶碗割り)を解説する本書は、古代学・民俗学知識の開陳かのようだが、本人の体験に基づくこれらは、そうではなくて優れてエッセイ文学である。 ところが、格式あった巨大墓は、たった62年で墓終いをして霊園墓に移る(1992年)。ここで私は墓にも流行り廃りがあることを改めて思い知らされた。霊園墓は企画墓であり、案内図を見なければたどり着けない。墓のサラリーマン化。それは即ち戦後昭和の日本そのものだろう。だとすれば、令和の時代に、墓の姿はまた大きく違ってゆくだろう。何が変わって、何が変わらないのか。そういうことにも、私は想いを馳せた。 古代学・民俗学・墓学(?)も入っているが、やはりこれはエッセイであり、一介の学者の家族史なのである。だとすると、当然介護学(?)も入ってくる。本人は「自慢話」というが、私も多かれ少なかれ体験した「あるある話」である。 人によっては「お母さんの貯金が1000万円もあったのだから、施設の3ヶ月移転7年間の闘いなんて楽な話だろう。俺はもっと苦労している」「葬儀の外注化・簡素化は嘆かわしい」というかもしれない。もちろんもっと苦労している方は山ほどいる。未だにきちんとした葬儀をしている地方もあるだろう。しかし、著者の書きたかったのはそんなことではない。 学者らしく「私と葬儀の関わり方」一覧表を作っていて、5人の葬儀の移り変わりを見せている。葬儀だけでいえば、私は喪主を3回していて、彼は一回だ。家族葬は、私は遂に選択できなかった。あんなに格式あった彼の家族の葬儀は、兄上の時は一挙に都会風の家族葬になっている。これは良くも悪くも「社会のあり様の変化」のお陰である。と、著者は言う。ホントに良くも悪くも。 ひとつ気になったのは、危篤状態にも関わらず3ヶ月ルールで御母堂は転院させられている。私の父の時はなかった。著者はこれが普通だと思っている。私の場合が特別なのか? 最後の方で著者は万葉学者らしく「挽歌の心理」と一章を設ける。さらに最後の方では、「死と墓をめぐる心性の歴史」についても考えを回らす。東アジアには、薄葬と厚葬思想が交互に現れるという。そういえば、古代の薄葬令から現代の上皇の決断まで、薄葬の伝統は確かにあり、巨大古墳から庶民的石墓の厚葬だけの歴史ではなかった。大伴旅人は薄葬主義の竹林の七賢に学んで「この世にし楽しくあらば」の歌を遺している。この歌については機会があれば、また書きたい。
2020年07月17日
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「「勤労青年」の教養文化史」本間良明 岩波新書 1950年代に20代だった「勤労青年」の叔母は、日本文学全集や百科事典などの蔵書を遺していた。戦争で学校に行けなかった彼女の心のうちを知れるかと思い紐解いた。 映画「キューポラのある街」(1962)において、ジュン(吉永小百合)は、最終盤、やっと全日制高校に行ける目処がついたのに敢えて夜間高校に行くことを決める。「これは家のためっていうんじゃなくて、自分のためなの。たとえ勉強する時間は少なくても、働くことが別の意味の勉強になると思うの。いろんなこと、社会のことや何だとか」 著者は、62年当時は、これが大衆に大いに支持されたことを指摘する(キネ旬二位、映画評論一位)。教養主義とは何か。著者の説明は以下のようなものである。 「さまざまな困難を乗り越えて、働きながら学び、実利を越えた何かを追求する」 「読書を通じた人格陶冶」 「文学・思想・哲学等の読書を通して人格を磨かなくてはならない」 つまり、試験でいい点をとったり、良い就職先にありつくことではなかった。 これは現代の学生には、全く支持されないと、著者はいう。特に小百合の言う「実利を超越した勉学・教養」という主題に共感した(著者の受講生の)学生は、皆無だったと指摘する。著者は、その背景に「格差と教養」をめぐる時代背景があるのだ、と論を進める。 悪い予感が当たった。 著者は肝心の「教養」を持ちあわせてはいない。或いは、誤った「教養」を持っている。 京大出身の社会学者である著者は、ホントに勤労青年の「人格陶冶」への渇望の意味がわかったのだろうか。社会現象として解説しただけではないか。もちろん、これを全面的に展開しようとしたならば、小熊英二の「1968」ならぬ「1958」が必要になるだろう。無名の個人の思想変遷にはまで筆を進めなくてはならない。そのボリュームを覚悟して欲しかった。 昔は若者は健気に頑張った。でも、困難や時代の推移で、今は完全に廃れている。寂しいよね。 そんな内容を書くのが、「教養」が求めていることではない。「教養」は、人は如何に生きるべきか、を求めているだろう。 今ホントに教養主義は、廃れているのか? 地方は昔と同じように疲弊している。 労働環境は昔と同じように展望がない。 世界の文明はますます危機に瀕している。 青年はホントに「実利を超えた勉学・教養」を求めていないのか?現代青年の教養に対する意識調査は、著者はひとつも紹介していない。 現在無数のサークルが日本に存在しているが、それは教養主義とリンクしていないのか? 全国的な「勤労青年」の学習組織も存在しているが、著者はなぜ完全無視したのか? 叔母さんは、結局花道と茶道で免許皆伝を取った。そうやって人生に折り合いをつけたのだと思うが、広く地域と結びつかなかった。その頃は既に、地域の組織は衰退を始めていたからである。
2020年07月11日
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「はしっこに、馬といる ウマと話そう2」河田桟 カディブックス 「ウマと話そう」の第二弾ということになっているし、前回の「馬語手帖」がウマ語入門だとしたら、コレは応用編ではないか、と思って手に取ると肩透かしを食うかもしれません。例文は一切ない。詩のようなエッセイと、数限りない愛馬カディの成長してゆくスケッチが載っているだけです。 でも、とっても腑に落ちる。ヒトとウマに限らず、相手と意思を通わせるのに、もはや文法や例文や特殊な単語は必要ありません。こんなありふれた書き方は嫌なんだけど、 愛さえあればいい。のかもしれません。 河田桟は、元々カディを乗り回すために仔馬を引き受けたわけじゃありません。 ‥‥暗闇のなかで、ゆいいつ、ウマのいる方向から風が吹いてくるのを感じた。のだそうです。 彼女は途中で死を意識するような病を患っているから、「ちから」では上位に立てません。 けれども、そんなことは無視してはしっこにずっと馬といる(お世話すること含む)と、やがて「身内」になったそうです。 ウマは「なにも起こらない」おだやかな状況に、 幸福を感じる生き物です。 その幸福な日常にあなたがいる。 というその事実が、ウマにとっての身内意識を つくってゆく気がします。 (略) あなたがウマを見ているあいだ、 ウマもあなたを見ています。 ウマにとっては「見る」こと、 「見られる」ことが、そのまま馬語なのです。 (82-86p) ヒトの赤ちゃんならば、こうはならないのかな、 と赤ちゃんを観察していて思いました。 なんとか言葉でコミニュケーションをとろうとする。 お母さんも、しょっちゅう話しかける。 こうやってヒトは幸福を学んでいくのでしょうか。 与那国馬は小さな種ですが、200キロはあるそうです。 油断するとケガします。 「ちから」への畏れを持つことは大切です。 でも「ちからの感触」を知ってはじめて、 わたしたちは、力の外にでることができるのだと、 河田さんは言います。しかも、 ‥‥それにしても、これだけ「ちから」がありながら、 ヒトに従うウマって、いったいどういう生き物なのか と言っています。ホントにそうですね。 ヒトが馬語を話すために 避けては通れないプロセスがあります。 ウマは常にこころとかたらだの言葉が一致しています。 残念ながら、ヒトはそうではありません。 自分のこころとからだの言葉を一致させること だから、 ウマと馬語で話す練習は 自分のこころとからだにとって 素晴らしいエクササイズになるはず、と河田さんは 提案します。答え合わせは簡単! 「ウマに通じない」イコール 「自分のこころとからだの言葉が一致していない」 半分のページは、河田さんが描いたウマのスケッチです。じっと見ていると、カディを見分けることができるようになるかもしれません。
2020年07月10日
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「なに食べた?」伊藤比呂美+枝元なほみ往復書簡集 中公文庫 毎日つくって食べて子育てして、男のことで悩んで、それなのに仕事をもってひとり立ちしている女性たちの日常を、親友へのFAX通信という形で見せている。完全ふだん使いの言葉なので、覗き見している感覚になる。あゝこういう「生活」もあるのか。 お2人のことは、よく知らないということがわかった。伊藤比呂美は、池澤夏樹編集「日本文学全集」の「日本霊異記」現代語訳を読んだことがある。奔放な性にまみれた説話集を見事に取り出していた。枝元なほみは、毎回買っている「ビッグイシュー」で悩み相談を受けながらオリジナル料理も提案するという連載を持っていて、明るいお母さんという印象を持っていた(←彼女は独身ということは今回初めて知った)。印象じゃ女性はわからないということがわかった。 「カンボジア、行きたいな、でも行けないな。ごめんね。あんなにその気になったのにさ。 今おなかすいて(うそだ、すいてなかった。口さびしかっただけ)すりゴマ食べた。おいしかった。(これはほんと)」(ひろみ73p) 伊藤比呂美の本音が続いているように見えるけど、これも彼女の一面だろう。そうでないと、九州でAさんと別れたあと、カリフォルニアでBさんと暮らしている事の説明がつかない。枝元なほみも、2人の男と仕事の間で右往左往しているようなんだけど、ずっと東京で料理を作り続けていて、行間から匂ってくるのは、やはり自立した女性でした。 かっこよくないけど、かっこいい。 あ、この本は「出会い系サイトで70人と実際に出会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」を読んで唯一読んでみたいと思った本でした。花田菜々子さんが、コーチングでお世話になったゆかりさんにお勧めした本。「ゆかりさんに感じた強さややさしさがこの本と似ている。大人になっても日々悩んだり苦しんだりする。けれども、ふたりで一緒に笑ったり泣いたりすることで、生きるっていいな、と思わせてくれる。」とコメントしている。働く女性は、美しい、ってことかな。 以下、つくってみたいと思った伊藤比呂美さんのレシピを紹介。 ・チキンの照り煮 鳥モモの皮を裏にして弱火でじっくり焼いて脂を出す。脂は捨てて、ざっとフライパンを洗って、改めてならべて、みりん、酒、醤油、八角、生姜、蓋をして煮込む。最後に蓋を取って、強火にして、照りかえらせる。 失敗をしたと思っても、あとから「いいにおい」かがして「いい色」になる。八角を入れるとぷんとにおいに乗って、日常から足を(ほんの半歩ですけど)踏み外せる気がします。生姜だけだと、馴染みすぎてそうはいかない。 ←この辺りの表現が詩人たる所以だろう。
2020年07月08日
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「証言 沖縄スパイ戦史」三上智恵 集英社新書 2018年、私は映画館で97作を鑑賞し、年末にベスト10を選んだ。その第一位に選んだのが、三上智恵・大矢英代共同監督ドキュメンタリー作品の『沖縄スパイ戦史』だった。陸軍中野学校出身の工作員が、沖縄北部で15-6才の少年を集めてゲリラ部隊をつくった。1人百人を殺した少年兵もいる。その他スパイリストが作られて、住民同士の監視が行われて殺し合いがなされたことも語られた。関係者が少なくなった現在になって、ようやく口を開き始めた人たちがいた。 映画作品も大ショックだったが、本書もかなり貴重な証言があり、しかもいつでも参照できうるように記録されたことは重要である。日本人が日本人を殺す。この745頁にも渡る新書は、映画で語られた証言を補い、新たな証言者を加えている。ドキュメンタリーとこの新書、あい補い合うものだと思う。唯一の地上戦・沖縄で何が起きたのか、を知ることは、日本国民が「いまここにある危険」を知ることでもあるだろう。 どう紹介していいのかわからない。要約などできない。沖縄南部まぶいの丘の沖縄戦争祈念館には、異例ともいえる「証言だけが展示された部屋」がある。戦後の国民は一家全滅や集団自決の証言を読んで「戦争がやってくると、こんなことになるのか」と知るはずだ。かつて私はそうだった。けれども、沖縄県民でさえ知らされていなかったもう一つの沖縄の悲劇が、ギリギリのところで、その証言が間に合った。 三上智恵は「はじめに」で、「軍隊が来れば必ず情報機関が入り込み、住民を巻き込んだ「秘密戦」が始まる」と警笛を鳴らす。「2015年から与那国島・宮古島・石垣島などに新たな陸上自衛隊基地が作られる一連の流れの中で、あたかもこの黒いピースがあちこちでよみがえり、繋がりはじめているように感じている」とも書いた。なるほど!と思ったが、そのことを展開するのが、この本の仕事ではない。スパイ養成学校だった陸軍中野学校がつくった少年兵は、敗戦で中断されたけれども本土でも組織されていた。そのことの「意味」を、私たちは咀嚼しなくてはならない。圧倒的で膨大な事実の前に、私は消化不良を起こしながら、我慢して噛み締めた。
2020年07月04日
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「図書 2020年7月号」 7月号が届いた。私はコレ以外の雑誌も読んでいるが、紹介できないのは、ひとえにAmazonで取り扱っていないからである。私は読んだ本は基本的にメモ代わりに記録している。ただ、『図書』は自社本の宣伝記事はあまり載せていないことで特異な宣伝誌ではある。ホントは、他に紹介したいのは、集英社「青春と読書」丸善ジュンク堂書店「書標」フリー雑誌「縄文ZINE」そして「ビッグイシュー」と「通販生活」。 今月は、ほとんどの記事に「新型コロナ」がなんかの形で言及されている。生活の変化が、自分の中で咀嚼されて「言葉」になるまで2ヶ月以上要するということなのかもしれない。 文筆者・切通理作が古本屋を始めているらしい(「古本屋は、無限の世界とつながっている」)。長々と書いて最終段落に 「コロナ禍で古本屋が東京都の休業要請の対象となった。「不要不急」に古書が含まれるという行政の認識には異を唱える声が上がっているし、私もそれはまさに過去と現在の分断であると思う。しかしそれ以前に、こんな形で古本屋が注目されることに、驚いているというのが正直な気持ちだ。世の中の方からは相手にされなくても、ささやかな心の自由を得たつもりでいたのだが‥‥このうえは、「不要不急」呼ばわりされた側として、1日でも長くこの世に居座っていきたいという気持ちも芽生えつつある」 「異を唱える」ところで紹介を止めようと思ったのだが、そうすると、この批評家の咀嚼した中身から出てきた「言葉」を歪めてしまうと思い長く引用した。東京にはいろんな人がいる。 もちろん、岩波書店の本も紹介される。「孤塁 双葉郡消防士たちの3.11(吉田千亜著)」。金平茂紀は、コロナ禍の下、消防士たちの記録が意味を帯びてきていると書く。被曝し汚染されたことをもって、一部住民や社会から差別されたエピソードが記されているからだ。東電の所長や作業員をヒーロー扱いする映画が作られる一方で、こういう「事実」もある。 新連載もあった。コロナ禍のコの字もなかった。「あかちゃんトキメキ言行録」と題して、ホモ・サピエンスが最初に発する「言葉」は何か、を考察している。歴史的実験としては、ヘロドトス「歴史」にあるらしいが、それは置いておこう。筆者の子ども「智ちゃん」について4pかけて書いているのが興味深い。通例は赤ちゃんは母を意味する単語を最初に発するらしいが、智ちゃんは如何に?この連載を始めたのが、言語学者でも人類学者でも文学者でもないところがミソかもしれない。数学者・時枝正が書いていた。 文学者・高橋三千綱の「帰ってきたガン患者3」では、5週間で4回の手術をした71歳の「自業自得の(←失礼)」男の生活が語られる。去年の7月のことなのに、なんと明るく語ることか。 韓国語翻訳家・斎藤真理子は、連載4回目にして、やっと韓国の話に話題を振った。日本の2人の詩人(後藤郁子・茨木のり子)のつくった2つの詩について。さりげない言葉が生きている。 民俗学・赤坂憲雄の「コロナという災禍のなかでは、見えない棄民政策が推し進められています」「水俣から福島へ、そしてコロナ禍にあえぐ日本へと、まちがいなく見えない政治は繋がっています」という言葉は重い。 今号は読み応えあった。雑誌というものは、普通1-2読んだ記事があれば良しとする。1/3読めれば御の字だ。今号は1/2読めた。ライター・橋下麻里の「かざる日本 9」は今号はガラス特集で、前半は世界と日本のガラスの歴史。後半は薩摩切子について詳しく解説していた。勉強になった。 もう少し付き合ってもらう。俳人・長谷川櫂は、「人間はなぜ死後の世界を妄想するのだろうか」と問いを立てる。「死んだらどうなるのだろうか」ではない。こういう問いなら、なんとか自分なりの答えを出すことができる。私もなんとか納得いくものだった。 「人類で多彩で豊かな文化は死後の世界という幻想の上に築かれている」 「人間が死後の世界を妄想するのも、言葉の虚構の力によるのではないか」 「もし地獄がなければ地球がまだ残っていたかどうか、世界は今よりもっと陰惨だったにちがいない」 論理展開については省略する。是非読んでもらいたい。
2020年07月01日
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「前方後円墳の時代」近藤義郎 岩波文庫 この戦後考古学の記念碑的な労作(1983)が、今年1月に岩波文庫に入っていたことを最近気がついた。弥生時代から古墳時代にかけて、階級社会の成立を、文献資料の「ぶ」の字も使うことなく、考古資料のみで書き上げた名著。 噂には聞いていたが、正に名著だった(←大事なことなので繰り返しました)。ホントに緻密に作り上げた歴史書だった。 近藤義郎先生(1925-2009)には、一度もお目にかかったことはなかったけれども、唯一「先生」と呼ばせて貰っている考古学者である。尊敬している学者は数人いるけれども、「先生」と呼ぶには理由がある。韓国を旅して、釜山と普州の大学で研究者とたまたまお話した時に「岡山から来た」というと、2人とも「あゝ、近藤ソンセンニム(先生)のいらっしゃった岡山ですね」と言ったのである。後に私は、戦中に大陸から掠奪した考古学遺物の返還運動を近藤先生が行っていたことを知った。その他、現代の市民を巻き込んだ遺跡発掘・保存運動の先駆けも果たしていたことも知るようになる。更には、吉備祭祀の中心を為す特殊器台が大和政権祭祀の中心を為し、それが埴輪に変化したことを最初に突き止めたのが近藤先生だった。私の関心の中心は、学べば学ぶほど、先生の周りを回っていた。 あんまり語ると長くなるので、(もう既に充分長いが)歴史書の中身は読んでもらうしかない。40年前の書なので、専門的には物足りないところもあるかもしれない。だが、素人の我々には、それでも多々発見があった。専門家にとっても、論旨の作り方は、おそらく重要な刺激になると思う。文献資料(「古事記」「魏志倭人伝」等)を一切使うことなく、それだけでなく他考古学者の研究成果をもほとんど引用することなく、自ら発掘した考古資料を中心にしてここまで緻密な歴史書を書いている本を、私は他に知らない。 思えば、私が「古事記」を以て倭国統一の歴史を語る新書(例えば「出雲と大和(村井康彦)」)を信頼していないのは、先生の影響である。古事記から弥生晩期を語るのは、現代時代小説を以って戦国時代を語るよりもはるかに歴史学を侮辱する行為だ、と私は思う。 以下は詳しい目次である。本の構成と大体の内容は、それで類推できるはずだ。そのあとに、本を見事に要約した下垣仁志氏の解説を更に私的に要約する。その他完全に私的学習メモも置く。ホントに無視してください。 第一章 弥生農耕の成立と性格 一 はじめに 二 農耕技術の体系的採用 三 前期水田 四 集約農耕 五 分割耕作 六 東日本への農耕の波及 七 不均等発達の始まり 第二章 鉄器と農業生産の発達 一 鉄器化の進展 二 灌漑水田の普及 三 土地生産性の向上と共同労働の増大 第三章 手工業生産の展開 一 余剰の形成 二 男女分業 三 縄文社会の分業と交換 四 交換の不均等的拡大 五 分業生産の在り方 六 集団間交易 第四章 単位集団と集合体 一 単位集団 二 単位集団の構造 三 単位集団の「自立性」 四 集合体 五 集合体と単位集団 六 「自立性」と共同体規制 第五章 集団関係の進展 一 氏族共同体とその急速な集団分岐 二 氏族と部族 三 氏族・部族の規制力の強化 四 北部九州首長墓の示すところ 五 高地性集落と武器の発達 六 大和における強大部族連合の成立 七 首長と成員 第六章 集団墓地から弥生墳丘墓へ 一 弥生集団墓地 二 弥生墳丘墓の成立 三 祖霊祭祀 第七章 前方後円墳の成立 一 成立期前方後円墳 二 弥生墳丘墓と前方後円墳 三 成立期前方後円墳の三つの特質 四 前方後円墳への飛躍の条件 五 古墳発生の意義 六 中国王朝の役割 第八章 前方後円墳の変化 一 首長墳の系列的築造 二 部族連合の首長墳 三 前方後円墳の変化 第九章 部族の構成 一 首 長 二 墳丘併葬 三 「陪 塚」 四 中・小墳 五 成員と隷属身分 第十章 生産の発達と性格 一 農業生産 二 玉作り 三 塩生産 四 朝鮮渡来集団と生産の発達 第十一章 大和連合勢力の卓越 一 古式小墳をめぐって 二 各地部族連合の弱体化 三 九州と関東 第十二章 横穴式石室の普及と群小墳の築造 一 副葬品と埴輪の変質 二 横穴式石室の導入 三 横穴式石室の普及 四 群小墳の被葬者 第十三章 前方後円墳の廃絶と制度的身分秩序の形成 一 家父長層の把握 二 横穴式石室墳にみられる諸階層 三 前方後円墳の廃絶 四 厚葬の廃止と仏教寺院 注 参照文献 解説は先生の業績を3点に分けて紹介したあとに、作品解説に至る。 第一章。 集約性を指向する未熟な本格的農耕として出発。地域間・集団間の不均等的発達が始まる。 第二章。 鉄刃装着の鍬・鋤の普及による耕作技術の進歩、用水路の堀削、田植農法などを通じて、遅くとも弥生中期末から後期には灌漑水田の経営の実現。他方で、集約性と生産性が高まった結果、地域内部/間の不均衡が拡大し、集団内では分割耕作=個別経営相互の矛盾が拡大するとと同時に、共同体規制が強化された。 第三章。 農業だけでなく、金属器・石器・木器生産も男性主導で家父長制形成の萌芽へ。分業生産農業不均衡発展は、分業とその産物の交換を主導する首長の規制力の強化に繋がる。 第四章。 私的所有を指向し始めた単位集団(家族体)と、用水権・耕作権の帰属先であり私的所有に共同体規制をくわえる集合体どの矛盾が、生産力と社会を伸展させる不断の契機となる 第五章。 このように展開する諸集団が!血縁的同祖同族関係や物資の交流をつうじて重層的に編成される。血縁的集団は、短期のうちに分岐を繰り返し、各地の小宇宙で家族体ー氏族共同体ー部族という集団関係を形成した。代表首長の権限の強化。部族間の平和的交流と武力的対立関係をつうじて、部族的強制力の強化と部族間の優劣・上下関係が進行した。 第六章。 集団墓地から弥生墳丘墓へ。埋葬は、祖霊に由来する前首長の霊威を鎮め(=魂を「揺り動かして生き返らせ復活させる」)継承する儀礼へ。 第七章。 前方後円墳の成立。大和連合を盟主とする各地部族連合との擬制的同祖同族結合が、不可避的に大和連合の祖霊を頂点とする祖霊の重層化に繋がった結果、首長霊を鎮魂し継承する新たな祭祀型式として創出された。これは墳墓祭祀の集団性が脱色され集団成員が疎外化されてゆく第一歩だった。 第八章。 これは次第に変節して、首長の世俗的な権威誇示の側面に圧倒されてゆく。 第九章。 部族の構成。 第十章。 生産の発達と性格 第十一章。 5世紀代に大王墳が突出していくのと対照的に、5世紀後半には畿内全域と西日本各地の首長墳が急速に縮小。自律性の喪失と従属的関係に傾斜。そのあとの叙述は私の関心外のため省略。 後の批判されたところ。 ・家族体ー氏族共同体ー部族ー部族連合という単純なピラミッド的階層は、単純すぎる。←モデルは常に後世から「修正」される。 ・「擬制的同祖同族関係」「首長霊継承祭祀」も、明確な考古学的根拠を欠く。←だからこそ、考古学にはロマンがある。 しかしながら、「本書をこえる体系的な弥生・古墳時代論は、いまだ現れていない」それは「日本古代史において石母田正の『日本の古代国家』(岩波書店1971)が果たしてきた役割に類似できる」(238p)←おそらくその通りだと思う。 本編私的メモ。 ・「岡山県津島遺跡の前期水田は、洪水における一部の切断流失、ついで砂質シルト層の全面的な堆積におおわれて潰滅した。(略)これら洪水埋没のとの闘いから見ても弥生農耕がその当初から、集団が多大の力を投入してその保護と管理にあたる経営であったことは明らかである。」 ・田植え法は、先進諸地域によっては早くも中期から始まる。「水田の拡大は、日本の気候的・風土的条件ー主に水の問題ーに加えて河川統御の未発達とため池用水網の未熟という歴史的条件のもとでは、どうしても苗代育苗の方法を採用せざるをえなかった」(低湿地帯以外は温度調節のために湛水で成育させなければならない。梅雨時期の集中豪雨による氾濫の危険が過ぎ去るまで苗代田で安全に管理する必要があった)施肥も、青草や刈敷を緑肥として本田や苗代に踏み込む現在の方法と同じことがされていた。水稲栽培の初期から根株のすき込みなどをして施肥として活用していた。それが、単位面積における生産性の向上に結びついていた。 ・結果、「遅くとも弥生中期から後期にかけて、人口増に発する集団的・社会的関係の発展を牽引車・土台として、河川流域平野の壌土地帯の新しい開発は、鉄器化、なかんずく鉄刃装着の鍬・鋤の普及、それによる開田と耕耘の技術的進歩、ならびに用水路の人工的堀削と小規模の流路の統御、田植農法による水の「解決」と災害回避への努力、大足による代つくりと施肥による生産性の向上、これらがもたらした水田条件の良好均質化と品種の淘汰の結果としての、石包丁から鉄鎌への収穫法の転換等々、相互に関連する種々の技術的進歩に支えられ、あるいはそれらを促進・発展させながら、拡大していった」 ←この緊張感ある高貴溢れる文章が500ページ超続く。漢字は多いが、決して理解不能ではなくむしろやさしい。これを観て、ホントに弥生中期・後期(2千年前)には、日本の田舎とほとんど変わらない水田風景が広がっていたことを知るのである。日本人はすごい。文字を持っていない。文明化されていないというのがなんだというのだろうか。しかし、先生はこの生産性向上が必然的に共和制から王制に急速に進んだ原因だということを明らかにする。 ・楯築の発掘は近藤先生の代表的な仕事であるのにもかかわらず、抑えられた筆致で表現されている。「集団墓地の均等性の中に台状墓・墳丘墓が出現したこと自体」被葬者は吉備出身。埋葬の「隔絶の過程」は「集団首長の卓越化の過程」。それは「首長の特別身分化=祭られる対象としての神霊化」への歩みでもある。 ・青銅器祭祀は「集団が働きかける自然=大地や稲や太陽や水などの背後にあると観じた霊に対するもの」。祭祀を行うのは巫女であるにせよ、やがて首長が集団内の力を背景に祭祀全体を司るようになる。やがて祖霊が自然の霊ともに観念される。首長は呪的霊力の保持者になってゆく。よって青銅器祭祀が山腹や海に埋納されたものであるのに対して、祖霊祭祀は墳丘墓に埋納された。自然神への祭りは無くならないが、自然神の呪霊は祖霊に重なった。器台の大型化・装飾化・呪化は、神々との共食儀礼にもまして首長霊との共食儀礼が重大な関心事となったことを示す。最初期は墳丘墓上で飲食は行われて、後に穴を穿ち墓上に置く。置くことで集団に長く記憶としてのこる。集団成員にとって重要な儀式であり、真庭市中山集団墓地遺跡では一角からのみ特殊器台形土器が出た。 ←解説の「前首長の霊威を鎮め(=魂を「揺り動かして生き返らせ復活させる」)継承する儀礼」の具体的展開を期待して読んでいったが、一切展開がなかった。何故? ←これら表現の根拠に、(注)において、西郷信綱「詩の発生」石母田正「日本の古代国家」守本順一郎「日本思想史(上)」土橋寛「古代歌謡と儀礼の研究」を書いている。ここだけ、参考文献が異様である。つまり「ブツ」がなかった証拠である。先生の「直感」に支えられた記述であり、だからこそ重要な部分かもしれない。
2020年06月30日
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「前方後円墳 巨大古墳はなぜ造られたか」岩波書店 昨年5月の刊行。おそらく現代で、最高で最新の前方後円墳について書かれた本だと思う。残念だったのは、かなりの専門書であり、読者を選んでいること。前方後円墳体制の始まりを中心に読ませて貰った。 よって、下記のメモはいつも通り専門用語いっぱいなので、無視してくださってOKです。何故メモするのかというと、WEB上にすぐ検索できる形で保存していると、旅先や講演で参照する時に便利なんです。(←)で書いているのは、私の問題意識。いつか「質問したいこと」の候補や発見です。 因みに 「日本はいかにして統一されたか」 「そんなん決まってるだろ!大和政権が戦争をして勝ったからだ」 と思った貴方。 それは、無数の考古遺物によって否定されているのが、現代の理論的到達点です。松木武彦さんの所で、少しだけ言及しています。 「前方後円墳とは何か」和田晴吾 ・前方後円墳の数は約4700基(帆立貝形墳500基含む)、前方後方墳は約500基。 ・様々な形の弥生墳丘墓がつくられた(地域ごとの政治的なまとまり)が、「特定の地域を越えて広がったのが前方後円形と前方後方形の墳丘墓であった」 ・弥生墳丘墓の変遷概念図(25p)を根拠にして、溝を渡る通路としての陸橋部が帆立貝形のように広がり、それがやがて儀礼の場として長大化した。円墳形の変遷も、奈良県橿原市瀬田遺跡によって空白期が埋まったとして「都出1979」の説が再確認できた。前方後円墳の形の起源は壺ではなかった。 ←まるで「これで形の起源は説明できた」と主張している。私は大いに不満だ。周溝のある墳丘墓は、中国地方にはほとんどない。瀬戸内にある弥生末期の前方後円墳形墳丘墓は、既に帆立貝形だったり陸橋部が長かったりしていて、その変遷と合致しないからである。一挙にこの学者への信頼度が下がった。この本のキモともいえる部分がたった数行で処理されていること自体にも、不満を覚える。 ・古墳時代の墳丘祭祀の復元については、参考になるところがある。しかしながら、最初期の祭祀について一言も言及がないのには不満がある。 (吉村武彦) ・大山古墳(仁徳天皇陵)の建設日数と金額の試算(大林組1985) (1)建設用工具は鉄製および木製のスキ・モッコ(もち籠)・コロ(移動の時の下に入れる棒) (2)労働者数はピーク時で最大2000人、牛馬は使用せず。最初と最後の頃は1日1000人程度 (3)作業時間は1日8時間、1か月に25日の労働。 (4)賃金をどう計算したのか、不明。 こういう前提条件で、以下の試算になった。 工期15年8か月(現代工法では2年6か月) 作業員数は述べ680万7千人(同、2万9千人) 総工費は797億円(同、20億円) ←これから考えると、全国第四位岡山県造山古墳も10年以上かけたのか?そのそばの作山古墳は途中止めになった。作りかけて10年以内に何が起きたのか? ←奴隷として極限まで働かせたのか?兵士の閑散期労働として活用したのか?公民の閑散期労働だったのか?はっきりしないが、後者の方がリアル。 ←史上初の大規模墳丘墓である楯築の王の場合、死ぬ数年前(170年ごろ?)から準備する余裕はあったのか?ないとすると、死体は長いこと腐るまま木棺の中に置かれたままだったろう。大量の朱は、その為に必要だったし、小型の孤帯石はしばらく木棺の上に置く為に必要だったし、埋める際には焼いて砕いて土に混ぜたのも、科学的に必要だった。悪霊として蘇らぬように最大の用意をしたのだろう。孤帯石埋葬が他遺跡から出てこないのも、事前に墓を準備していなかった特殊事情によるものかもしれない。後は、それを真似て特殊器台が登場する。孤帯紋様の秘密とは、その辺りに無いか?←私の知る限り、こういう視点の研究書はないはず。 「古墳と政治秩序」下垣仁志 近藤義郎「前方後円墳の時代」の解説を書いた学者なので、悪く言いたか無いが、一般読者に判らせようという気がない。中身は重要なことを書いている気もするのだが、周りくどく書いている気もする。専門は「理論考古学」らしい。道理で。 ・前方後円墳体制を支持する立場から、登場期よりも、400年の間に変化していった部分を分析することで政治体制を推測する。 「国の形成と戦い」松木武彦 松木さんは、生存する現代学者の中で最も信頼する方です。重箱の隅をつついたり、難しい言葉を難しく捏ねる学者が多い中で、最も全体像から世界を見ることができる稀有な考古学者だと思う。比較的文章も優しい。 ・倭国乱とは(1)青銅器から墳丘墓という、列島社会の祭祀の全面的刷新(2)近畿の中心化の確立、という2つの歴史的帰結を導いた社会の大変動であった。 ・青谷上寺地での109体の人骨大量遺棄事件は、2世紀。倭国乱か、その直前の時期。 ・2世紀に長い行軍ができる大規模な戦闘組織や、それを支える兵站体制が整っていたと見るのは難しい。近畿の軍事的卓越も考えにくい。 ・3世紀に入ると、特定勢力による軍事的卓越の痕跡を残さぬまま、受傷遺体や防御的居住がほとんど見られなくなるという考古学的事実は、魏志倭人伝の通り、2世紀後半の緊張や競り合いが、根本的な決着をつけられぬ矛盾を残したまま、相互の妥協と協調の中に抑え込まれたことを意味しよう。このことが、日本の社会統合の特性、とりわけ地方の組織化のあり方に重大な影響を持った。 ←大いに支持する。考古学者からこのようにはっきり書いてくれるとホントに、私が作った仮説ではないにせよ、心強い。つまり、倭国は外国のような大戦争をすることなく統一されたのである。 ・前方後円墳を首位とする古墳の築造、鏡の授受、銅鏃の授受は、別々の枠組みで行われていた。これが、この後どのように相互に構造化され、王権を形作るか。 ・外国との緊張関係を利用して、大和政権は政権になった。つまり、圧倒的な武力で、列島統一を果たしたわけではない。 ←明治維新も似ている。これが日本という国の伝統ならば、コロナ禍という「外圧」は、日本を変えるチャンスなのかもしれない。もっとも、東日本大震災でさえ変われなかった日本でもある。 文献学からみた古墳時代を吉村武彦が述べているが、省略する。 「加耶の情勢変動と倭」申敬てつ 金海(キメ)の大成洞古墳群には、私は四回は行った。ここに展開される、金海と日本との比較分析は、まだ流動的だが、とても重要だ。残念ながら、弥生末期の土器と金海良洞里古墳群との比較はなかった。 「前方後円墳が語る古代の日韓関係」 韓国の前方後円墳については、面白い論点はあるが、省略する。 対談は羊頭狗肉に終わった。
2020年06月29日
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「弥生から古墳へ」金関恕、佐原真、田中琢、大庭脩、佐々木高明 同朋舎 日本史の最大のミステリは、「日本はいかにして統一されたか」だろうと思っている。戦後、考古学が何千万という状況証拠を積み重ねてきたが、未だ決定的なブツは出ていない。これさえわかれば、卑弥呼の居所なんて些細なことだ。本書は、その決定的な「時期」を縦横に語った記録ではあるが、当然そのことは語られていない。 先に博物館図録の安価物をネットで見つけたものだから、弥生文化博物館編のコレはてっきり図録と思い取り寄せたら(250円)、しっかり単行本でした。元価格は2500円。中に線引きが多くて安いのも納得。でも満足です。 94年、弥生文化博物館開館3周年、近つ飛鳥博物館開館記念シンポの記録で、高名な学者ばかりが出ています(ホントにみんなスーパースターばかりなんですよ。今気がついたけど、五人とも、いまや全員故人になっていますが)。内容は以下の通り。 「皆の中の1人から皆の上に立つ1人へ」佐原真(国立歴史民俗博物館副館長‥‥当時) 「弥生時代から古墳時代へ」田中琢(奈良国立文化財研究所所長) 「卑弥呼の王号から武の官号へ」大庭脩(近つ飛鳥博物館館長) 「首長制社会からクニへ」佐々木高明(国立民族学博物館館長) 金関恕(弥生文化博物館館長)をコーディネーターにして、5人でシンポジウム。 この中で、佐原真は私を考古学に引き込んだ張本人です。別に、直接お話した事はなくて、文章を読んで講演を聞いて一挙にファンになっただけなんですが。人生はわからないものです。山極寿一に先に接していたら、もしかしたら私は人類学オタクになっていたかもしれない。 佐原真の何を読んで?というのは長くなるので省略するとして、改めて佐原真のエンタメ性を再確認しました。難しいことをわかりやすく話すだけでなく、それを周囲にも影響させる。考古学の講演で、オペラを歌うなんて、佐原真だけです。会場が大阪堺という場所柄もあって、全面関西弁の講演やシンポになりました。その空気まで全部再録していて、稀有なシンポ記録でした(高価なのが玉に瑕)。最近は、普段使いの言葉で、高度な研究成果を話すシンポは一度も聞かなくなりました。それは佐原真が居なくなったからかもしれません。01年ぐらいに聞いた鳥取妻木晩田遺跡国指定記念シンポで、膵臓癌の闘病明けから復帰したばかりの痩せ衰えた、けれども相変わらず会場を沸かせた氏の姿は、忘れられません。 ここで、佐原真はとても重要なことを指摘しています。要点は以下の通り。 ・銅鐸と土器に、同じ絵と紋様がついている。よって銅鐸は、有力な個人のものではなく、村びと共通の祭として使われたものです。 ・中国の殷・周の青銅器紋様には、いろいろな秘密が込められていて、一般の人々にはわからないようになっています。 ・古墳時代の直弧文は、支配者の紋様と考えてよさそうです。 ・弥生時代の終わりには、技術の分裂がありました。即ち一般の人々が使うものと身分の高い人が使うものに分かれました。土器も、簡単なものと、非常に手をかけた土器があります。 ・青銅器時代(銅鐸祭祀)が何故終わったか、ということは、だから「皆の中の1人から皆の上に立つ1人へ」の動きの中で成されました。 ←直弧文の前段階と言える弥生晩期の楯築遺跡の孤帯紋様は、だから支配者だけの秘密だったのか?そういう視点は初めて貰った。 ←弥生時代の銅鐸祭祀は、中国の伝統を受け入れないで始まったということか。(極めて日本的な祭だった) ←銅鐸祭祀の終わりの時期は、埋納時期がはっきりしないために謎になっているのだが、銅鐸と同じ紋様の土器の編年を調べるとはっきりするのではないか?どうしてそういう研究成果が出ないのか? ←楯築の孤帯紋様が、実質大和政権支配者紋様の始まりなのだから、この秘密を探ることで、大和政権祭祀の秘密は明らかになるはずなのだが、未だにはっきり言及した研究が出てこない。←私の仮説はあるのだが‥‥。
2020年06月27日
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「馬語手帖 馬と話そう」河田桟 〈馬語ってどんなもの?〉 (略)ウマは群れで生きる草食動物です。いちばんの危険は肉食動物につかまって食べられること。そのために、どんな時でも仲間同士でサインを送りながら暮らしています。ほんのちょっとしかサインも見逃さず、なにかが起これば、すぐに仲間に教えてあげれるように、そうしてできあがったのが、馬語です。馬語とは、しぐさ、声、動き、立ち位置、間合い、スピード、リズムなど、すべての要素があわさったものと言えるでしょう。(15p) ペットを飼ったことのある人ならば、解る部分は多いかもしれません。私は無いけど、初めて韓国に降り立った時の事を思います。周りは漢字・英語ましてや日本語がほとんど無い記号のようなハングルだらけの世界。けれども、10語ばかりの言葉を知っていれば都会での3日間のフリー旅はやり過ごすことはできたのです。「これいくらですか?」「お願いします」など。一つでも言葉を交わせれば、向こうは大きく心を許してくれます。 そうやって、何十万年間、ヒトは異民族・異種と心を交わしてきたのかもしれません。 これは人間と馬との関係ではなく、ヒトとウマとの関係の本です。 池澤夏樹「終わりと始まり2.0」で紹介されていたので、紐解きました。さすがです、見事な視点。与那国島にある出版社だそうです。インターネット時代だからこそ出来る書籍ですね。与那国島には、野生の馬がたくさんいます。 単純な〈言葉〉だけでも33あります。それを間合いや、状況でさらに会話にしていけば、充分コミニュケーションが取れるでしょう。 馬乗りを趣味にしている人以外でも、動物との関係で、参考になりなること多々。私は更に、人間とのコミニュケーションでも参考になると思いました。よく考えたら、人間は生涯4回以上自らの言語を変化させます。(1)赤ちゃんの時(2)幼児語(3)壮年以後(4)認知症を患って以降。 ‥‥どうでしょうか?特に認知症の方との間合いの取り方や、リズムの違いは、最近もつくづく思い知らされました。これを間違うと、日本語を話しているはずなのに全然話が通じません。 いちばんの単純な〈言葉〉は耳だそうです。 ・少し開く→くつろいでいる ・横にねかす→無気力、争いません、従順になります ・ピクピク動かす→どうしよう!、大丈夫かな? ・後に寝かす→なんだよお前、それ以上来るなら攻撃するぞ ・後にピタリつける→蹴ってやる、噛んでやる 面白いのは、 ・はぁ〜(ため息)→人間と同じ
2020年06月22日
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「出会い系サイトで70人と実際に出会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」花田菜々子 河出書房新社 この題名と、世の評判を聞きかじって、私が予想した内容は以下のものだった。 「エッチ目的の出会い系サイトを逆利用して、自己実現を図ったアラサー女子の読書案内」 ‥‥まぁ女子の気持ちには興味ないけど、読書は好きなので参考になるかもね、と少なくとも私は読み始める。 ところが、花田菜々子はおそらく確信犯的に「出会い系サイト」という単語を使っていた。ホントはエッチ目的のサイトではない。勘違いさせるのは計算づくである。そう思ったのは、彼女が「ヴィレッジヴァンガード」の元店長で、あのポップカルチャー商品が溢れかえる店内で目立つためのPOPを作っていたと知ったからだ。 彼女は強(したた)かで頭がいい。もちろん彼女は最初から計算づくでサイトに入ったわけではなく、あの1年間は離婚と退職で揺れていて、精神的に参って、武者修行のためにアウトプットがインプットにもなり得るこんな無茶なことをしたのだろう。その意図はホントだと思う。その数年後だから、自分の中で、咀嚼・消化してキチンと読ませる作品に産み直している。多分誰にでも出来ることじゃない。 読んだ印象は、当初の予想とは全然違った。彼女の意図は上記の通りで、それは「綱渡り」的に成功した。私が参考になったのは、読書案内ということではない。 POPは、商品を手に取らせる手段である(流通スキルの基本)。手に取らせた後に買わせるのは、デザイン(文体)と品質(構成)である。リピーターを作るには、品揃え、商品配置の工夫、欠品を出さないことだろう。ちょっと読めば、硬派だけど読みやすい文体、事例豊富なことがわかる。特に、読書好きにはたまらない事例が満載だ。なるほど、ヒットするワケだと思う。 一方私は、彼女とは違う味の愉しみ方をした。現代人のSNSを利用したコミュニティの構築のあり方に、いろんなヒントを貰った。私は幾つかのコミュニティに参画しているけれども、参考になることが多々あった。 ・ともかく目立つこと。勘違いさせる(ウソはいけない)。 ・世間に人材は必ずいる。SNSは、それを拾うことができる。 ・直接会うこと。或いは連絡が取り合えるツールを持つこと。 ・話題を引き出すこと。 ・興味を持たせるには、斜め上からの提案をしてみる。或いは「貴方が素敵」+「この事例も素敵」=「この事例は貴方に寄り添う」作戦で言ってみる。 ・ウィンウィンの関係を持つこと。 どれもがとても難しいけど、出来うることだし、必要なことだ。
2020年06月19日
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「地球の歩き方 ガチ冒険~地球の歩き方社員の旅日記~ 」(地球の歩き方D-Books) 冒頭に「※この本の中身は地球の歩き方男性社員4人の自己満足のための、ただただ適当な旅日記が収録されています。ガチ冒険というタイトルですが完全に名前負けで、この本は危険な旅や命を落とすような旅など、ガチで冒険している内容は含まれておりませんのでご了承ください。」と断りを入れている。 正にその通りで、高野秀行さんのような旅行記を想像したら肩透かしを食う。でもご安心ください。電子書籍で99円という安さだ。ちょっとした、バックパッカーあるあるを愉しみたい人にはうってつけの暇つぶし用の文章です。 ちょっと嫌味な書き方をしました。 後書きを読むと、後の書籍化を念頭においた電子書籍らしい。「誹謗中傷は親が悲しむのでおやめください」と書いているので真正面から建設的な批判を書きます。 (1)これを読んで、「俺も、あたしも、バックパッカーしたい!」となるかどうか、というと??マークがつく。 (2)今、ほとんどのゲストハウスの利用者は女性の方が多いか、それに迫っていると思うのだが、著者4人は揃ってジェンダー意識が低いと思われる男ばっかり。下痢エピソードから始めたり、男女混合ドミトリーで着替え見放題だったと書く無神経、等々。少なくとも女性の著者は、半分以上にするべきだろう。「歩き方」社員に女性正規は居ないのか?もしそうならば別の問題が発生する。 (3)旅は計画し始めが、1番楽しい。そのエピソードに、一章をとっていない。 (4)写真が少ない。あっても、つまらない写真ばっかり。1番衝撃的なのは、ゲストハウス前の車に大岩が落ちて潰れている写真なのだが、コレこそもう少し突っ込んでコメントが欲しかった。 (5)かなり、インドに偏っている。彼らの経験がそこに偏っているから仕方ないのかもしれないが、バックパッカーとはインド旅行者のことじゃないよ。もっとアジアと西欧、北欧に目配りして欲しい。 (6)元の発想が居酒屋での会話なので仕方ないのかもしれないが、中年オッさんの旅自慢に堕している所が多々ある。 (7)結局、こんな「野郎」たちが、残念なことに現代日本出版で「唯一の」バックパッカー用の旅ガイド本を作っているのかと思うと、ほとほと悲しくなる。
2020年06月14日
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「終わりと始まり2.0」池澤夏樹 朝日新聞出版 30年以上続いた朝日新聞の月イチコラム加藤周一「夕陽妄語」の跡を継いだのは、池澤夏樹だった。その第二弾。加藤周一については、私は人生をかけて登らなければならない山だと思ってる。池澤夏樹については尊敬すべき先輩という認識だ(←迷惑千万だろうけど)。この連載も、早いもので、もう10年以上経った。 今回、池澤夏樹はいろんな場面で怒っている。第一弾は半分ぐらいが文化の話題だったのだけど、第二弾は8割が時事問題になった。むべなるかな、と思う。 以下、彼の言を要約して、時にそのままメモする。()内は新聞発表年と月。←を附して私の感想も述べる。 ・自民党の憲法草案には民主国家として克服したはずの問題がゾンビーのようにうごめいている。ゾンビーと名付ければ退治もできる。(13.05) ←いい考え。この春、私は官邸を「伏魔殿」と呼んだが、それだと手出しができない。それよりも「ゾンビー内閣」と呼べば、「退治の対象」になるじゃないか。 ・古代の日本人は罪は汚れとなし禊(みそぎ)によって洗い流せるとした。しかし恥は洗い流せない。福島第一の崩壊は東電にとって究極の恥だったはずだ。東電も自民党も恬然として恥じることを知らない。(13.08) ・もうしばらく社会主義者でいることにしよう。(13.11) ←へぇ社会主義者だったんだ!知らなかった。 ・憲法解釈についての安倍政権のやりかたは明らかにオフサイドだ。それどころか彼らは衆に恃(たの)んでゴールポストを担いで動かしている。そんなサッカーがあるか!(14.07) ・ロンドンの「不服従のオブジェクト」に刺激をもらい、池澤夏樹は、バンクシー並みにステンシルを装着して国会前の路上に落書きをすることを夢想する。もちろん(軽犯罪法)違法だ。しかし、「アート」でもある。「若い人よ、動け、闘え、笑わせろ」(14.09) ・←私が池澤夏樹を青くさいとおもうのは、112pの、例えば「(左から改憲する提案として)米軍基地否定の条文を実現すれば、押し付け憲法論を払拭できる」と主張するところである。彼は一方で辺野古ではなく馬毛島に嘉手納基地を移設しろとも本気で言っている。加藤周一は、もう少し常識を持っていたのだが。(15.04) ・2015年6月の段階で、池澤夏樹は安保法案の動きに対して、砂川判決で司法は安保に対して口出ししなくなったので司法は機能しない、立法府も小選挙区制で政治にウンザリした国民が投票率を下げ、全国民の24%の票を集めた自民党が絶対多数になり、議員は党の方針に逆らえない者ばかりと、機能しなくなった。今の日本は行政府の独裁だと喝破する。しかし、さすがに憲法学者が3人とも意義を唱えた。果たして強行採決を阻めるか、と結ぶ。「死にかけの三権分立」(15.07) ← 結果は知っての通り。事態はそこから変わらないどころか、更に酷くなっている。嘘と隠微と誤魔化しの行政府。 ・「安保関連法が成立した。(略)9月半ば、国会議事堂前のデモの中に身をおいて、みなの勇壮活発でどこか悲壮なシュプレヒコールに伍しているうちに、自分たちは日本国憲法から追放されて難民になるのだと覚った」(15.10)←加藤周一と違い、この人は行動する。行動する知識人は危うい、けれども信頼に足る。 ・「馬語手帖 ウマと話そう」「はしっこに、馬といる」(河田桟 カディブックス)馬と人間の関係ではなく、ウマとヒトの関係を描く。「河田さんは絶対に言わないが、これは愛ではないか」因みにカディとは、与那国の言葉で風のことだそうだ。(16.01) ・2011年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁からのがれられるかと思った。5年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想「災害ユートピア」にすぎなかったように思われる。(16.02) ←私たちは、コロナ禍の後にも、同じ想いをするのだろうか。 ・「日本文学全集」を作って不思議に思ったのは、奈良時代から平安時代まであんなにたくさんいた女性の歌人や作家がある時期から急に姿を消したことだ。(略)分水嶺は応仁の乱だった。(略)憲法が変わっても今もガラスの天井がある。唯一の例外は文学だ。芥川賞を例にとると、ここ5年の受賞者は男性が6名、女性が7名。(略)文学はこの方面で社会を牽引し、古代に回帰させている。(17.01) ・イラク戦争について、ブッシュは任期の最後に「大統領の職にあった中で、最大の痛恨事はイラクの情報の誤りだった」と言った。実際は情報ではなく判断の誤りだ。それでも彼は反省したからまだまし。開戦の日に「アメリカの武力行使を理解し、支持します」という声明を出した小泉元首相はこの件について今もって何も言っていない。外務省もこれに触れない。日本の官僚は過去を検証せず、責任を取らず、文書を公開せず、重大な局面で記録さえ残さない。あるいはこっそり破棄する。(17.04) ←言わずも無だが、今の政府は正にコレ。 ・ビッグデータの主体は、自身にも自分の正体はわかっていない。生まれたばかりの怪物だから。(略)コンピュータとネットワークに騎乗したホモ・サピエンスは何か別のモノに変身しつつ逸走している。手の中にたづなはない。ただしがみつくばかり。(17.05) ・2017年10月末、池澤夏樹はマダガスカル行きを止める。ペストが発生したためである。23日までに1912名の患者が出て124名が死亡した。実は2015年彼は南スーダンにも取材旅行に行くつもりだったが、内戦が激化してやめた。ホントは自衛隊も撤退すべき酷い状態だったのは2年後に判明する。そしてこのように書く。 「2011年の3月11日、福島第一原子力発電所が津波で崩壊し、大量の放射性物質が大気中と海中に放出された。日本にいた多くの外国人が退避し、訪日を予定していた人たちはそれを取りやめた。危険という意味では、状況は今のマダガスカルやしばらく前の南スーダンと変わらない。日本がどう思っていたかはともかく、外からみればあれはそういう事態だったのだ」(17.11) ←日本人は井の中の蛙だとよく言われる。国際的感覚がない。しかし、コロナ禍の中でこの文章を読めば、2011年のあの時「外人は大袈裟だ」と感じた私たちの感覚が、実は的外れだったことが「実感として」掴めるのではないか。
2020年06月10日
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「神々の至宝 祈りのこころと美の形」古代出雲歴史博物館編 Amazonで古代出雲歴史博物館を検索したら、なんと2007年の開館記念企画の図録(現場でも欠品で手に入らなかった)が古本で出品されていた。しかも、信じられない低価格。これからは定期的にチェックしようと決心する。 開館記念なので、とてつもなく豪華だ。 (1)国宝だらけの「宗像大社 沖ノ島」神宝 (2)「熊野速玉大社」の神像と神宝 (3)「春日大社」の舞楽 (4)祇園「八坂神社」の神宝 (5)「伊勢神宮」の遷宮と神宝 (6)「出雲大社」「佐太神社」「日御崎神社」その他島根県の神宝 巻頭論文に上田正昭(古代考古学と文献歴史学と両方の橋渡し的な学者)。 それぞれの神社祭祀の、それなりに詳しい概略と、巻末に遺物説明がある。 巻末論文は3つ。 特に私的に注目は、沖ノ島宝物。1978年に学術調査成果が公表されて以降、研究が進み、さらには特別展示も何回かあったが、その図録を見たのは今回が初めて。写真にせよ、遺物を見たのもほとんど初めて。概略がわかったのは大きい。(巻末の文献紹介を見る限り、企画展があったのは、03、06年に九州で二回開催されただけのようだ) 沖ノ島全景の写真も興味深い。長門からも、筑前からも、対馬からも、等距離の沖ノ島の位置。古代からの聖なる島。私も韓国行きのために何回も玄界灘を渡った。フェリーはともかく、高速船ビートルの時に波が3m以上あると、生きた心地がしなくなる。あの海を、例えば準構造船で渡っている時に沖ノ島の丸い島影が見えれば、そりゃあ神様!って思うわ。大切な宝物も惜しげもなく捧げようと思うわ。 祭祀は四段階で推移する。特に興味深いのは、古墳時代前期後葉から中期中葉にかけての第一段階「岩上祭祀」である。神様が降りる磐座(いわくら)の上に祭壇を設ける。鏡や刀剣、玉類が捧げられた。非常に保存が良い。1600年間近く置かれていたとはとても思えない。信仰の強さの塊りのような展示物だ。 八号遺跡出土、古墳時代(6C)の瑪瑙(めのう)玉は、国内産ではない。瑪瑙の宝物を見たのは、私は今まで出雲大社宝物館の瑪瑙勾玉だけ。ホントに不思議な輝き。盗掘を受けた残りらしい。と、いうことは盗掘はあったのか?しかし、古墳盗掘のような大掛かりなものではなく、1人の不心得者が服の間に忍ばせる規模のモノだったろうと想像できる。 仁木聡氏の巻末論文は、この図録でもっとも考古学的な論文だった。吟味する必要があるだろう。 ※古本の値段は表紙に少し折があるくらいであとは新品同様の美品でしたが、250円(送料込で600円)でした。反対に言えば、いくら中身の価値が高くても希少品でも、処分しようとすれば二束三文でしか売れないか、嵩張るのでそもそも引き取っても貰えない可能性があるということです。私の家には、おそらく今まで数十万円かけた「図録」があるはずです。けれども、それは財産どころか、私が死ねば迷惑になるゴミにしかならないということでしょう。ざっと「読んで、見て」仕舞うだけの図録ではもったいない。基本的には「私だけが役立つように記録する」必要があるとをひしひしと感じました(万民に役立つように記録するのは、時間的にも能力的にも無理)。そうして記録したものは、web上で公表できるものは積極的に「アウトプット」するべきです。それが私のモチベーションに繋がる。
2020年06月08日
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「入り海の記憶」古代出雲歴史博物館編 平成27年(2015年)古代出雲歴史博物館企画展図録である。Amazonで購入。購入して分かったが、92点の主な展示品のうち、私の目的の弥生遺物は5点しかない。圧倒的に多いのは、近現代の遺物であり、次は江戸時代のモノ ‥‥(また失敗した!)。 つまり、松江の宍戸湖に代表される干潟を含む入海の歴史を回顧しようとする試みの企画展なのである。733年に編纂された「出雲国風土記」にも宍戸湖は記述されている。多様な動植物が生息していた。そこから話が始まるので、縄文・弥生時代の記述は少ない。 砂洲などで外海から隔てられた入り海は、干満差が少ない日本海側に多く発達して、天然の漁港、内水面交通の拠点として機能し、近世において新田開発で消滅したものも多い。 扱われる遺跡は島根県約10カ所、鳥取約3ヶ所、石川6ヵ所、新潟4ヶ所である。 私はやはり奈良時代の「出雲国風土記」から入海の景観を解説した所が参考になる。その景観は、弥生時代でも大きく変わらなかっただろう、と思うからである。例えば宍戸湖の秋鹿郡には、マイルカ、サメワニ、ボラ、スズキ、コノシロ、クロダイ、シラオ、ナマコ、エビなどが獲れていたと書いているのである。出雲の入海(神門水海)では、ボラ、クロダイ、スズキ、カキ、又淡水所ではアユ、サケ、マス、イグイなどが獲れていた。 ‥‥イルカはどう料理したんだろ?まぁイルカは実際は鯨の小さい種というから、鯨の味がしたと思う。 参考になるページは少ないが、そこを読むだけでもかなり疲れた。同じ値段なのに、先に読んだ「古代出雲の壮大なる交流」の4倍はあろうかという情報量があり、いったいこれは何の違いなのだろうか? ‥‥敢えて言うまい。
2020年06月07日
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「古代出雲の壮大なる交流」島根県立古代出雲歴史博物館編 島根県立古代出雲歴史博物館の図録は、例外的にAmazonで購入できます。私の関心は弥生時代なので、日本の代表的な弥生(を含む)博物館の存在する出雲はこれまで何度も旅しています。あゝ今年は春の旅に行けなかったなあと思った時に、あ、通販で買えばいいじゃないと思い直して検索して買ったのが、この2冊(他は又後で)です。 通販の悪いところですが、目次が付いてなかったので、表紙だけを見て買ったのですが、主には古墳時代と律令時代の遺物の紹介でした(反対に言えば、だから今まで購入していなかったのを、買った後に気がついた。博物館現場で確かめていたんですね)。 でも、遺跡巡りに飢えていた現在では、とても新鮮な読書体験となりました。古墳・律令時代から弥生時代を見るという視点です。 出雲は「国譲り」の舞台です。いわば、大和政権にとっては、前政権であり、セオリーから言えば無視すべき存在であるのに、記紀の歴史書含めてかなり詳しく描かれている。 何故か。 図録は「出雲は、むしろ積極的に大和政権を支えていた」と書いている。けれども図録はその理由をきちんと説明できていない。遺物説明は、奥歯にものが挟まったような書き振りで、根拠に薄い。 つくづく、その場に居て学芸員に質問したかった。図録にも、出来不出来はある。今回は、特にフラストレーションが溜まるものだった。 根拠のひとつ。 相撲の起源、野見宿禰(のみのすくね)が出雲出身だった。相撲は、生死をかけた格闘技であり、出身地ということは、出雲はそういう「勇士」を出すパワースポットだったという認識があった、ということでもあるだろう。相撲の起源は、高句麗・舞踏塚古墳壁画にあるように激しいもの、つまり「拳法」のようなものだった。‥‥現代でも、柔道・空手は軍隊に応用されて殺人のための訓練に使われている。有用な「兵力」となっていた可能性は高いだろう。とは、図録は全然書いてはいない。ましてや、「出雲軍」が大和政権の中では最も精強な軍隊だった、というようなことは書いてはいない。ましてや、その起源が大陸にあったということも書いてはいない。 根拠のひとつ。 山陰系土器の移動ルートを見ると、古墳時代前期にやっと北播磨からのルートが認められるが、初頭では伯耆から現在の出雲街道を下って龍野市から海ルートで大和に至る道しかなかった。‥‥というか、その道が確立していたので、「兵力供給ルート」は存在した、ということは図録では書いてはいない。 根拠のひとつ。 石枕という遺物がある。石棺に備え付けられる、霊魂の宿るところである。特徴的なのは、いろんな石枕の習俗は、東は京都・兵庫を流れる由良川水系を大きく超えない。豪族の交流域を示すものとして注目される。石枕は、弥生時代からあるので、その交流域を詳しく見れば地域交流の目論みが立つかもしれない。‥‥それが大和政権の豪族支配にどう影響したかということは、一言も書いていない。 大陸から流れ着いた拳法の達人がやがて大和政権の将軍になってゆく物語を幻想した。
2020年06月06日
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「神話と文学」石母田正 岩波現代文庫 コロナ禍だからというわけでもないのだが、本棚から途中挫折本を見つけた。20年前の1月、岩波現代文庫創刊の時に衝動的に買ったもの。 20年前から私の問題意識は、日本の英雄伝説を歴史学の側面から読み解くというものだったと、今更ながらに再確認。「古事記」「指輪物語」や「十二国シリーズ」を読んだのもその流れなのだが、改めて進捗がない。けれども、あれから20年、私も少しは進歩はしたと見えて曲がりなりにも読み通すことはできた。 石母田正の本書は、戦後の歴史学を牽引し続けた著者の「中世的世界の形成」の前段階にあたる。「古代に英雄時代は果たしてあったのか」という論争を引き起こしたことでも有名である。石母田が、唯物史観やヘーゲル哲学を積極的に論文に引用したことから、「彼の論考はもう古い」という「石母田読まずの石母田語り」の青学生が多く居ることも承知している。「丸山真男読まずの丸山真男語り」が多く居るのと同様ですね。今回一通り読んでみて、壮大な構成と強烈な個性、そして一点突破の指摘の鋭さは、論文発表から70年以上経った今でも色褪せていないと思った。 日本の古代は、ギリシャのそれとは違い、「民衆の精神や感情や生活を体現しているような叙事詩」としての英雄伝説を持たなかった。散文詩になったのは何故か。「古事記」編纂の時期に、なぜか貴族階級が「階級的であると同時に民族的で」なかったからである(←難しいよね。易しく説明できません)。 「我が国の古代貴族の文学は、散文的英雄(神武天皇)と浪漫的英雄(ヤマトタケル)を形成し得たが、叙事詩的英雄は、若干の断片的歌謡(神武東征物語の歌謡群)にかすかにその存在を記録したのみで、ついに物語として創造し得なかった」139p‥‥()内は、私の注。 石母田の「英雄時代」は、十分に深められないまま現代に至っているという。宜なるかな、と私は思う。石母田は大和王朝が圧倒的な武力で他を圧倒して、それを貴族階級が支えた、だから統一王朝が出現したと考えているようだ(その割には貴族階級にその記憶がない)。私は、古墳時代はその可能性はあるかもしれないが、邪馬台国から大和王朝に至る統一は「そうではない」可能性があると思っているし、実際唱えられている。その考古学的発見については、石母田は知る由もなかった。 文学を歴史的に読むとは、こういうことなのか、ということを知った読書体験だった。
2020年06月03日
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「図書 2020年6月号」 新型コロナウィルスを話題の中に取り入れた寄稿者は、16人中4人(も?だけ?)居た。表紙の解説を書いた林修さんは省略するとして、3人の論者の言は全て素晴らしいので順に紹介してゆく。宮本憲一、斎藤真理子、藤原辰史である。 公害学の権威・宮本憲一氏は巻頭言で以下のように警笛を鳴らす。簡潔にして的を得ている。 新型コロナウィルスは、この社会のシステムの欠陥を明らかにした。被害の特徴は公害と似ている。公害は年少者・高齢者・障碍者等の生物学的弱者と社会的弱者に集中するので、自主自責に任せず社会的救済が必要である。金銭賠償で復元できない不可逆的絶対的損失を発生させないためには予防が第一である。新型コロナウィルスの被害も公害と同じようだが、予防が難しい。しかし同じく予見の難しい自然災害の予防で取られる「事前復興」対策が検討されてよい。まずは公衆衛生を軸とする医療体制の改革であるが、根底は被害を深刻にした東京一極集中の国土と文明の変革である。(1p) 宮本氏は、この後ペストと大火の後に行われたロンドン都市再建計画を紹介し、また、リニア新幹線計画をまず白紙に戻せと提案する。 翻訳家・斎藤真理子氏は、1949年に発表された林芙美子の「骨」という短編を俎上に乗せる。『晩菊・水仙・白鷺』(講談社文芸文庫)所収。戦後の最貧困の中の生活を描いた「結核小説」である。 老齢リウマチの父親、結核で寝たきりの弟、7歳の娘、自らも結核持ちで売春を始めた未亡人の4人家族が、お互い傷つけあいながら生活をする。熱心な従軍作家だった林芙美子が、戦争に負けた日本の男を丸裸にして晒す。そんな「刺身の断面」のような作品らしい。 斎藤氏は、今までは「最悪の場合に恐慌をきたさない危機管理のため」にこういう小説を読んできたという。しかし、それも現代では結核は克服出来ているという安心感があったからだ。これからは林芙美子に危機管理の役割を求めない、という。 「私たちは、これから何年かけて何を経験するのかもまったくわからない世界の前に立っている」からである。 歴史学の藤原辰史氏は、ずっと赤坂憲雄と往復書簡の連載をしてきた。今回の騒ぎで環境がすっかり変わったことを嘆きつつも、赤坂憲雄が東日本大震災の後に、東北とどのように向き合ったのか感じながら過ごしたという。何故ならば、それが歴史学者の自分にも迫っているから。 「第一次世界大戦のあと、(略)世界への変革の環境がこれほど整っていたにもかかわらず」何故それが第二次世界大戦に結び付いたのか。 「思考する人間たちがあれほど優れた作品を残しているのに、どうしてこの程度の社会しかいま存在しないのか」 「こんな時代は、この世の生を狂い歌う叙事詩を聴きたいのですが、残念ながらその名手であった石牟礼さんはあの世にいて、私はあのような狂気を歌う能力を持ちません。ただひたすら、未曾有のパンデミックと大失業時代に直面して、これまでの社会の矛盾が白日のもとに晒されたいま、当時を体験した人びとの声を聞き、それをまとめていくことしかできません」 アフター・コロナのあとに資するため、藤原さんは「未遂に終わった改革」の屑拾いをするらしい。私たちにできることはなんだろう。
2020年06月03日
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「年収90万円で東京ハッピーライフ」大原扁理 太田出版 初めて彼を知ったけど、全然意外な生活じゃない。というか、極めて似た生活をしている。彼のように、洗いざらい書いて紹介する機会も意思も余裕もないし、ちょっと書くのだったら差し障りがあるので秘密にするけど、かなり似ている。それに、彼も言っているけど、何も彼と同じ生活をする必要はさらさらない。 でもだからこそ、私と違って若くてストイックな彼の生活の中で、参考になるところはある。以下はそのメモ。 ・起床したら白湯を読みながら、ブログ更新とメールチェック30分。←短い! ・朝一番の飲み物。白湯。冬は生姜のすり下ろしとたまに蜂蜜。夏は濃い目のセイロンティー、ミルク。快便のもと。 ・17時ごろ夕食。腹6分目で調子良い。←ストイック! ・ものすごく好きって、周りから見たらウザい。でも意外とそこに才能が隠されていたりもする。 ・人間やりたいことはわかんなくても、やりたくないことだけは意外と迷わないんですね。 ・中学環境は荒れていた。周りでは、ブロック殴り殺し事件、いじめ自殺もあった。彼も酷いいじめに遭う。死の一歩手前までいく。登校拒否の同級生の家に避難生活。←これは全く似ていない。よく生きていたな。小説にできるぞ。 ・親の極貧生活(トイレットペーパーにマヨネーズつけて食べた等々)聞いて「世の中の不公平等」を知る。 ・コンビニの廃棄弁当食べたら、翌日如実にだるい。朝うんこ出ない。現代人、食べることを蔑ろにしていないか? ・しかるべき時にちょうど出てくる欲や野心。それは例えば「本を書きたい」ということ。 ・手間暇かからないで、健康も欲しい。それで粗食(玄米菜食)になった。 ・小松菜は常備菜。軽く湯にくぐらせて、ごま油と醤油で炒める。冬は根菜(人参、大根、生姜)をすり下ろしたのを冷蔵庫に入れて2-3日持たせる。色とりどり。 ・いじめられていた時もそうだったけど、何も感じないことにした方が、その場は圧倒的にラクなんです。だけど、これを続けていくと、物事は見えないとこから壊れていく。ジンマシンが出て、あのとき辞めてホントによかった。←そう言えば、ジンマシンがいつの頃からか出なくなった。以前の仕事辞めた時と期を一にする。今気がついた。 ・地球の人口約73億人の中から、この「お金」は、私を選んで来てくれた。なんかありがたいことだなぁ。 ・家賃2.8万、共益費1500円、固定費(ネット含む)1.5万、食費1万、その他。月6万で生きていけるが、たまの贅沢で7万。それで週2日のバイトにした。たまのライターの仕事や、バイトは貯金へ。 ・結果、読書と散歩が趣味になる。自然の中をあるくって、本100冊分のすごい情報量があると思う。 ・隠居生活をして、つくづく実感するのは、平和=退屈なわけではないということです。退屈は人の心の中にしかありません。退屈する人は、どこで何をしようが、いくらお金を持っていようが退屈するんです。 ・人間って、個人的な単位では想像も共感もできるけど、全体的な単位ではよくわかんないように、頭が出来ているんじゃないかと思う。全体主義屋さんはそういうとこに付け込むんですよね。これは怖いことです。 想像力はどうしたら身につくか。 1番手っ取り早いのは、本を読むこと。自分が体験し得なかった人生を擬似体験するのが目的なので、ビジネス書とかじゃなくて小説が良いです。 ・全体主義屋さんに付け込まれてしまう根本的な原因は、人間が何かに頼らなきゃいられないという弱さを持っていることです。(略)誰もが、自分自身の手で、心の中に伽藍を建てるしかないんです。(略)100人の他人からの「いいね!」より、自分ひとりの「いいね!」が勝るようになればしめたもの。
2020年05月30日
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「日報隠微 自衛隊が最も「戦場」に近づいた日」布施祐仁 三浦英之 集英社文庫 ジャーナリストの矜恃ここにあり! 大まかな推移は、「はじめに」で三浦英之さんが3pでまとめている。 それを更にまとめると、 2012年南スーダンに自衛隊が平和維持活動(PKO)で派遣される 2016年7月、大統領派と副大統領派の、首都ジュバでの大規模な戦闘が発生する。 当時、日本政府は「政府軍と反政府軍との間に散発的な発砲事案が生じている」と発表。 憲法9条は、海外での武力行使を厳しく禁じている。よってPKO派遣の原則は「現地で戦闘が起きていないこと」であった。政府は奇策を打った。南スーダンの事実を加工して「戦闘」を「衝突」と言い換えた。 「戦闘」か「衝突」か、国会やマスコミが不毛な議論を繰り返している時に、朝日記者の三浦さんは南スーダンに飛び込む。 一方、日本ではフリージャーナリストの布施さんが、情報公開制度を駆使して、政府の内部資料によって政府の嘘を次々と暴いていった。 そして、やがて追い詰められて、翌年7月現職の防衛大臣稲田朋美、事務次官、陸上幕僚長という国防トップ3の辞任に発展し、PKOは5月に撤収した。 2人のジャーナリストの共闘は、SNSという新しい時代のツールによって成し遂げられた。 事実とは何か。権力とは何か。(13-15p) この書で、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞。 これら簡単な経緯は、連日報道されていたので多くの方が今だに覚えていることだろう。本書を読む意義は、それを再確認することではない。 真実は細部に宿る。 「結論ありき」の為に、防衛省全体で事実を隠微した経緯。自衛隊への「駆けつけ警護任務付与の実績つくり」のために、国会で言葉遊びをすればやり抜けると思っていた稲田防衛大臣以下官僚、もしかしたら官邸も。南スーダンの現実に「臭いものに蓋をする」仕組み。国内では通用しても、自衛隊をあのまま南スーダンにおけば決定的な戦闘が起きて、隊員の命を脅かしていた。PKO現場では通用しない「平和ボケ」した対応。公文書に対する態度。不都合な真実を隠微する体質。‥‥は布施さんが詳細に描いた。 その間をぬって、三浦さんの、下手をすれば兵士に連行されるような取材や、悲惨な耳を覆いたくなるような戦争被害者の声が綴られる。そして現場の写真を見る。百聞は一見にしかず。 「戦争の最初の犠牲者は真実である」(アイスキュロス) これらの細部を読み終わった私に去来するのは、これは3年前の出来事じゃない。今現在、官邸で起きていることだ。ということだ。しかも、この「失敗」を正しく学んで、この伏魔殿は、さらに分かりにくく強力な「隠微」を完成させたようだ。新型コロナの相談目安が厳しくて何人も人が亡くなっているのに、それは「誤解だった」と言って責任逃れをする大臣も出てきた。もはや、滅多なことでは新しい議事録などは出てこない。(←書評なので、日々変化する時事問題を評するのは反則かもしれないが、本書から連想される事柄を言わないのは又違う気もしている。それに、ここで書いたことは一年後に読んでも当てはまることだと確信している) 私たちは、私たちのアンテナを鍛えなくてはならない。
2020年05月12日
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「宮部みゆき全一冊」新潮社 これも図書館閉館間際借り出し本。作家生活30周年記念本。たくさんのロングインタビューがある。しかし、字が小さい!初めて知る話が満載なのに、この読みにくさは、なんなんだ!本の厚さのわりには、情報量が半端ない!私的には高価なんだけど、買って置くべきかなぁ。 私は彼女の文庫本を90%以上は読んでいる。私と彼女は同世代。戦争とか、学園紛争とか、海外体験とか、特殊な職業に就いた経験とかはない。それでもこんな豊かな物語を構築できる。彼女の中に何があるのか。それを知ることは、私自身の可能性に気がつくことにもつながるだろう。それが、私が彼女を読む最大の理由である。 以下マイメモ。 ・最初に買ったミステリの参考書はトリフォーの「映画術」(23歳)。 ・宮部が認める映像化No.1は、韓国映画「火車HELPLESS」。「作品に対するアプローチが原作と全然違いますし、映像も素晴らしく美しくて、悲しい。ヒロインも素敵です」(←当然中居主演の「模倣犯」は無視されている) ・直木賞「理由」は、「小説で「NHKスペシャル」をやろうと」始めたらしい。 (←しかし、単行本デビューから10年で傑作ばかりをかっきり30冊出版している。信じられない。私は93年ぐらいから03年ぐらいまで、毎月1冊は文庫本を買って読みつないでいて、終わりがなかった覚えがある。彼女の新作文庫本で、未読の作品は2つぐらいしかない。それが私の自慢) ・私もインタビュアー同様「理由」(98)から「模倣犯」(01)へは、飛躍があったと思っていたが、本人は同時並行で執筆していて、「理由」はレプリカントのような犯人を空白で抜いて描き、「模倣犯」は徹底的に犯人像を描いたことで、バランスをとっていたらしい。この頃から、心の闇を描く宮部みゆきの焦点が絞れてきた。 ・「この辺りから、人はなぜ幽霊を見るのか、幽霊が必要なのかってことを繰り返し書き始めているんですよ。ストレートに言えば、なぜ人間には解釈が必要なのか。幽霊のような、ありえないものを出してまで、なぜ現実を解釈する必要があるのか。それって実は、人間はなぜ物語を必要とするのか、ということにつながっていきますよね。「理由」はそれを、自分でも明確に意識した出発点だと思います」 ・自ら、杉村三郎シリーズの最初の長編三作は、「(彼が私立探偵になるまでの)助走」だと宣言している!書き始めから、やもめで子煩悩の私立探偵になることは構想されていた! ・「三島屋変調百物語」の聞き手は「シリーズ全体で三人から四人、三島屋の縁者の中で交代させていこうかと」 ・「大極宮」というエッセイにも登場する、宮部みゆきが所属する事務所の優秀なマネージャーのような方が、このインタビューの3年前に亡くなられていたらしい。宮部も凄いショックだったけど、私にもショック。宮部よりも2歳下。なくなる前に闘病しながら、宮部に「私が、宮部みゆきの作家生活で二度と思い出したくないもの(略)を全部持っていきます」と言ってくれたらしい。私が知っているのは、連載中に行き詰まって中断を余儀なくさせた時にこの女性と相談したこと。その他、おそらくいろんなことが、宮部みゆき本人でなければ、この女性しか知らないことが多々あったに違いない。そんなことを言って亡くなってくれる近しい人がいるのは、ホントに涙が出て止まらなくなることだと思う。 ‥‥ここまでが、223p中のたった27pの中から「厳選して」メモしたものです。あとメモするべきな所は膨大なものがあるし、それに私の感想を加えると、一冊の本が必要になってくる。更には本書にはおまけとして、自作朗読CDまで付いているという。恐ろしいことに彼女の声はアナウンサーにしてもいいぐらいの質なんです。やっぱり買うしかないのか。 ‥‥ところで、私は今日還暦を迎えたようです。 信じられない。
2020年05月11日
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「ニッポン神様ごはん」吉野りり花 青弓社 〈長い前振り〉です。本の書評を読みたい方は〈さて、本題です〉からお読みください。 何故、この本を読もうとしたか、そこから始める。 私の住む〈ムラ〉では、〈ムラ〉を遠くまで見渡すことの出来る一画に大木があり、その下に神様を祀っている。村の鎮守ではない。言わば氏族鎮守である。この〈ムラ〉には、同じ苗字を持つ家が二十数軒存在する(親戚関係ではない)。それを数グループに分けて、お盆前と秋祭りの後に幟を立て、境内の掃除をし、お供えをする係りを数年交代ごとに回している。ということを、私は父親が亡くなって初めて知った。お供えものは、信心も無い私が適当に前日にスーパーで買って揃えたのだが、海のモノ(イカの燻製)、山のモノ(ピーナツ)、お米、お神酒(お酒缶)である。この公でない祭は果たしていつまで続くか。しかし、止めればこの祠一帯は、あっという間に荒れ果てるのは目に見えてはいる。おそらく世の中の小さな祭はそうやって、二千年近く続いて来たのではないか。だとすれば、お供えの中味はともかく、構成要素は二千年前の形を遺しているのかもしれない。 岡山県倉敷市には、楯築遺跡という弥生墳丘墓がある。弥生時代最大級の墳丘墓であり、この墓の周りに立てていた特殊器台が後に箸墓古墳にも使われ、やがて埴輪になったという意味で、日本古代史上もっとも重要な遺跡のひとつである。言いたいのは、この特殊器台が、「神様ごはん」のもとになったと本書で解説している「直会(なおらい)儀式」の、王墓祭祀での最古形式で最大の器物だということだ。特殊器台とは何か。単に液体を入れる大きな壺を置く器台のことなのであるが、それが、弥生中期から晩期にかけて巨大化されて儀式化されて行き、模様と大きさ共に非常に特殊な器台になった。遂には弥生の王の中でも、もっとも影響力のある楯築の王の時に、その器台を使った儀式が完成されたとみなされている。儀式は直会(神人共食)儀式だったのか?液体は酒だったのか?どんな儀式だったのか?全てはナゾではあるが、全て明らかになれば、当時の祭とは政治とイコールだったのだから、大和王朝の祭に直結する古代統一の秘密が知れるということである。何かヒントがあればいいな、と愚考したわけだ。 〈さて、本題です〉著者の吉野りり花さんは学者ではなく、旅ライターだった。よって、不足している部分(神饌の作り方、細かい儀式等々)はあるが、綺麗なカラー写真と、それを担う人々の生の声と写真があり、堅苦しくなく、まぁ面白い本でした。 神饌(お供え)は、基本的にやはり海の幸、山の幸、お神酒、米(または餅)で構成されていて、しかも基本的に直会儀式が伴うものであった。そういう意味で、日本の神撰は、わが〈ムラ〉のお供えから、日本最古の神社と言われるような所のお供えまで、二千年近く依然統一されている気がする。 しかし、「ものすごい発見」はなかった。とても残念である。 マイメモ。 ・平安中期「延喜式」の神饌は、既に農産物から海産物まで多種多様。少なくとも6世紀の記述あり。 ・明治「神社祭式」で神饌品目を「和稲、荒稲、酒、餅、海魚、川魚、野鳥、水鳥、海菜、野菜、菓、塩、水等」と決めている。これ以降「熟饌(調理済)」から「生饌」に変わった。 ・京都貴船神社の若菜神事「若菜がゆ、酒、水、ごはん、塩鯛、トビウオ、アジ、椎葉餅、ぶと団子」 ・岡山吉備津神社75膳据神事「桧の葉を敷き詰め、御物相のごはん、海のもの(鯛、アジ、昆布、海苔)と山のもの(春は筍、エンドウ、秋は大根、生姜、キノコ、栗)菓子、鏡餅、御神酒、熨斗」運ぶのは、天狗面、獅子頭、お幣、鳥籠持ち、盾、鉾、弓、大太刀、小太刀、五色旗、御幣物、剣、等々続き、神饌担当はみんな紙製マスクをつける(←これは出雲神事にもある。決して言葉を発してはいけないと云うことだろう)。←楯築遺跡に最も近い神饌。参考になるとすれば、マスク。神事は元は夜中だった可能性がある。 ・奈良県奈良パークホテルで古代料理ランチあり。「蘇、すわやり、古代米粥、唐菓子、麦縄、まがり餅、ぶと」平安時代からの変更はほぼ無し←いつか食したい。 ・福岡県宗像神社の古式祭(12.15に近い日曜日、午前6時、千円で誰でも参加可能)
2020年05月09日
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「季語うんちく事典」新海均編 角川ソフィア文庫 これも図書館閉館間際に借り出したもの。少し読んで買って置いておくことを決定。何故ならば、人会う予定がある時に話題作りに便利だから。 例えば、今の季節、何故かベンチで会話が途切れたりする。足下にタンポポが咲いている。「タンポポって、どうしてタンポポと云うか知ってます?」56pを事前学習しておけば、上手くいけば10分は稼げる。 「母の日はどうして広まったかご存知ですか」始まりは、アメリカウェブスター1907年でした。1人の少女が、母の死を悼み、母が好きだったカーネーションを教会の友達に配ったことが始まりだと言われています。やがてそれが広まり、少女の母が亡くなった5月の第二日曜日を「母の日」として制定したのが、時の大統領ウィルソン。1914年のことです。 更に私などは森鴎外「椋鳥通信」にこんなことも書いてあった、と「つい」話すかもしれない。「1909年6月5日発行の雑誌。5月9日にニューヨークでは母の記念日と云って、子のある女が皆白い石竹の花を持って歩いた、と雑誌に書いていたらしいよ。2年後にはかなり広まっていたんだね」日本には大正時代に伝わったと云うようだけど、さすが森鴎外、発祥2年後にはちゃんとアンテナを立てていたんだね。 なんて、話し出すと「何?このもの知り顔は!」と、まぁドン引きされる可能性は高いでしょうね(^^;)。 母の日のきれいに畳む包装紙 須賀一恵 夏は「アリ地獄」見ながら、子供とお話できたら良いな。
2020年05月08日
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「秦の始皇帝 焚書坑儒を好しとして」吉川忠夫 集英社 実は始皇帝にはあまり興味はない。「焚書坑儒」で本の題名を検索したときに、もっとズラズラッと書名が並ぶかと思いきや、まともな学術書としては本書しか出てこなかったのである。「十二国記シリーズ」の感想を書くに当たって参考にするべく取り寄せて紐解いた。 因みに、「紐解く」という言い方を私は多様するが、その謂いは古(いにしえ)の書物が竹簡であって、紐を解いて読み始めたことに由来する。始皇帝34年(BC213年)、丞相李斯は「太古の五帝の理想政治が、新しい始皇帝の政治を妨害している」として「『詩経』『書経』ならびに諸子百家の著述を全て提出させて一括焼却するべきだ」と献策した。かくて陝西省渭南県カイタイハに於いて焚書を断行する。翌年には始皇帝を批判する方士や儒学者460余名を坑儒(殺し)てしまった。そのときに焼かれたのも竹簡であって、おそらく何日も火は消えず、生涯をかけて守り究めてきたはずの学者にとっては、身を焼く想いであったろうと想像する。 この本には、そのときに焼却処分になった書物の題名や、免れた書物のこと、またはその前後のエピソードを一巻かけて書いているのかと思いきや、ほとんどは始皇帝の一代記であって、小説やマンガではなくて学術的に正しいことを書いてはいるのだろうが、私の期待するものとは違った。 但し、少しだけは明らかにしている。例えば儒教の基本書物である書経の運命。泰山の麓の90歳にもなろうとする儒学者が、土壁の中に書経を塗り込め、後に取り出したときに数十巻が不明になっていたので、儒学者が暗唱していた文言を娘に伝えて後世の学者に遺したと言う。そういう訳で、現代の我々は書経の中身を知ることができる。書経は、それで良かったかもしれない。他の書物はどうだったのか?一切わからない。 わからないことは、想像出来るということでもある。 あまりダラダラ書いても仕方ない。とりあえず、参考になったと言っておこう。
2020年05月03日
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「図書2020年5月号」 「こぼればなし」(いわゆる編集後記)では、神保町の岩波本社周辺にもたくさんあるバックパッカー向けのゲストハウスの窮状について述べている。データとして京都簡易宿泊所連盟の調査を紹介している。 ◎ こうした状況を反映し、売上見込みも大幅に落ち込んでいます。2月段階でマイナス80パーセント以上が14パーセントを占めていましたが、三月の見込みになりますと39パーセント、ほぼ4割の宿が売上八割減を予想しています。 ◎ 今後の事業継続については、42.9パーセントが継続すると回答する一方で38.6パーセントが廃業を、18.6パーセントが事業転換を検討中と回答しています。(64p) 廃業を決めているのが39%という数字は、現在はもっと上がっているだろう。こんなんで、来年オリンピックを迎えれるのだろうか。今号の苅谷剛彦氏の「人類の危機と人文学への期待」は、医学や科学だけで解決できないことが増えることを予想している。社会科学、倫理や道徳、文化や歴史や文学の力が必要だと説く(9p)。 この前NHKのE TVで「緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分」を観た。ハラリ氏は歴史学者(『サピエンス全史』著者)である。ウィルスと人類との関わりをもっとも理解している人だろう。彼が「民主国家は平時に崩壊しない。崩壊するのはこのような時」と訴えた。傾聴に値する。歴史書を多く読んできた我々の慧眼が問われている。 図らずも、三回に分けて近代モダン語を語って来た山室信一氏は「エロとグロのあとにくるもの」として「ファシズム」が来たと説明する(63p)。現代のとことではなく、昭和初期の分析ではあるが、これも傾聴に値する。 笑い話もある。高橋三千綱が「ある日、突然食道狭窄症に襲われた」という自虐気味の文章を書いているが、全然突然じゃなくて、何度も生死を彷徨うようなガンを乗り越えてきても、やはりさまざまな欲望はやめられないのだということを淡々と書いている。この人は生き延びたが、こうやって無頼派作家は死んでいくのだな、と知らされた(32p)。 翻訳家・斎藤真理子の「黄色い本のあった場所」後編も興味深かった。つくづく「黄色い本」つまり「チボー家の人々」は、戦後女子にとっては特別の位置づけがあるのだな、と感じた(40p)。 「図書」は価格:¥102 Amazonあわせ買い対象商品。 ご注文合計額が¥2,000 (税込)以上の場合、購入いただけます。
2020年05月02日
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「感情ことば選び辞典」学研 岡山県の図書館もついに閉まるので、 何か「面白い」(興味ある・興奮する・痛快な・夢中になる・愉快な)本はないかな、 と本棚を眺めると、以前ブクログのレビューを見て「密かに」(暗々裏・隠密・極秘・内緒・内々・内密・秘密・秘め事・腹蔵・人知れず・人目を忍んで・人目を憚って・胸に秘めて・目をかすめて)目をつけていた 本書を見つけました。 「嬉しく」(有頂天に・悦楽に酔いしれて・快哉を叫んで・会心の笑みを浮かべて・歓喜して・感激して・歓楽に浸り・喜悦の色を浮かべて・嬉々として・恐悦至極に存じて・狂喜して・驚喜して・享楽して・欣快に耐えず・欣幸の至りで・欣然として・御機嫌に・上機嫌で・随喜の涙を流して・爽快に・痛快に・同慶の至りで・法悦に浸り・満悦して・愉悦を感じて・浮かれて・感涙にむせんで・小躍りして・心が弾んで・天にも昇る心地して・はしゃいで・胸がときめいて・胸を弾ませて・冥利に尽きて・めでたく・喜ばしく・うきうき・うはうは・ほくほく・わくわく・ハッピーに・ラッキーと)なってカウンターへ。 ←さすがに「煩わしく」(億劫に・面倒に・厄介に)なってきました。以下の類例は、厳選して紹介します。 閉館前日に借り受けることができました。 借り受けて「わかる」(解する・合点する・承知する・氷解する・味解する)のですが、 「感情キーワード一覧」を見ると 私自身は類似語を ほとんど「思い」(思案・所思を披露する・想起する・連想する)つかない。 自分の語彙の無さを、ほとほと「嘆く」(慨嘆する・嗟嘆する・嘆じる)ことに相成りました。 いつもは〈あまり〉感情表現を使わずに、〈主には〉、こういう「曖昧表現」を使って〈誤魔化し〉ていることも「わかり」(悟得し・納得し・腑に落ち)ました。 でも、〈せっかく〉借り受けたのだから、知っておけば役に立ちそうな言葉を以下にメモします。 ・「明るい」快活に・通暁して・朗らかに・からっと ・「妖しい」蠱惑する・凄艶な・妖美な・コケティッシュ ・「安心」安堵する・気丈夫な・息をつく・愁眉を開く ・「かっこいい」傑出した・秀麗な・まばゆい・見目麗しい ・「かわいい」いたいけな・可憐な・愛くるしい・いとしい ・「気持ち」気色・気味・心地・雑感・私情・至情・思いの丈 ・「志」志操・篤志・微意・芳志・ウィル・モラール ・「好き」好感を持つ・嗜好・贔屓・お気に入り・目がない ・「正しい」厳正な・至当・正大・フェア・まっとう・まとも ・「楽しい」一興・歓喜・興じる・充足した・命の洗濯・慰み ・「普通」通常の・平均的な・凡々たる・凡庸な・月並み・人並み ・「珍しい」希世な・希代の・類まれな・珍無類の・未曾有な ・「悪い」腹黒い・不埒な・あくどい・あるまじき・もってのほか
2020年05月01日
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「韓国 現地からの報告」伊藤順子 ちくま新書 珍しい韓国の同時代史である。伊藤順子さん、「中くらいの友だちー韓くに手帖」という雑誌を編集、翻訳業も担っている。「82年生まれ、キム・ジヨン」の巻末解説も書いた人である。嫌韓の立場でもなく、韓国を無駄に褒めもしない「中くらい」の立場を保っている、と見えた。在韓日本人。 日本のワイドショーとウェブは、主に嫌韓寄りだ、と私は思慮する。特に徴用工とレーダー照射問題が報道されていた2018年-19年はそうなり、ともすると伊藤順子さんの主張は左寄りに見えるかもしれない。しかし、全て読んだら分かるが、伊藤さんは一貫して変わらない。世の中が変わったのである。 特に強調しているのは、韓国で起きていることと、日本での報道の「ズレ」である。 曰く。 ・2014年のセウォル号沈没事件では、韓国は過激なデモや警察の弾圧が日本で報道されたが、韓国人は1年間常に寡黙にずっと哀悼していた。 ・朴槿恵退陣を求めるロウソク集会で、韓国全土で200万人が結集したと聞き、日本の一部は「韓国の民主主義が羨ましい」と話題になった。伊藤さんは「日本の安保法制のデモと比較しているのだろうが、悲観することはない」という。政策やイデオロギーデモならば意見は割れる。今回は、韓国国民の「愛国心」に火がついたのである、と。「政権の腐敗を正す」。そういう時に燃えるらしい。(←そういう腐敗の時でも20万人デモさえ、日本は起こらないだろうとは私は予想する) ・因みに、大統領退陣を求めるロウソク集会で、韓国人は何に怒っていたのか?ちょっと時系列を紹介する。 (2016年10月24日) JTBCテレビが崔順実のPCを入手して「秘腺」(外部相談役→司令塔)の証拠を明らかにした。 (10月29日)光化門広場で大統領退陣を求めるロウソク集会3万人。 (10月31日)崔順実緊急逮捕。 (11月4日)朴槿恵第二回謝罪会見。第二回ロウソク集会、20万人。 (11月26日)全国で200万人が退陣を訴える。 つまり、ムーダン(巫女)のような存在が大統領の「司令塔」だったことに、若者は民主主義の危機を感じ、老人たちは父親の朴正煕元大統領に申し訳ないと思ったのである。ところが、この韓国人の気持ちは莫大な日本の報道の中からは、ほとんど伝わってこない(と、私は感じる)。 ・徴用工問題で「反日デモ」「日本製品不買運動」が起こった、と日本では大きく報道された。しかし、最大で1万5千人である。しかも、徴用工の時の主張は「反日」ではない。「反アベ」だったのである。しかも、徴用工と従軍慰安婦は、担う団体は、まるきり別系統。日本は一緒くたに「反日」としているが、それにも「ズレ」があると伊藤さんは言う。 ・「従軍慰安婦問題」と「徴用工問題」を伊藤さんなりに条文に沿って整理しているが、この視点は、日本人はどのくらい共有しているのだろう。日本人の誰が関連条文、政府公式発言をしっかり読んでいるのだろうか。ワイドショーとウェブが一色に染まって、私はキミ悪さを覚える。 全てではないが、伊藤さんの主張には大いに同意する。特に、韓国人は日本人が思っているほど反日ではない。私も何十回と韓国を旅して、何度もそう思った。 以下、説得力を持たせるために私の体験を具体的に書くが、長くなるのでスルーしてくださって結構です。 2012年8月11日、私は長い韓国旅行をしていた。前日は慶州の安宿に泊まった。前日は韓国大統領が、大統領として初めて独島(竹島)に上陸したと言うことで、携帯の日本のSNSは大騒ぎをしていた。 朝4時に起きた。オリンピックのサッカー韓日戦が始まっている。まだ0-0だ。ところが、日本のパスが全然通っていない。そして向こうのFWが神懸かった様な個人技で一点獲ってしまった。その後もいいところなし。0-2で終る。韓国のチャンネルは4局でやっていて、全部実況の声が違っていた(日本は一つ)。慶州の田舎では、流石に終わった後も外は騒がしくはならなかった。 慶州でいいことなんて一つも無い!ということで、6時50分発のバスで引き上げることにした。大邱に行って陜川のバスがあればそれに乗り、古墳群を見るためである。 そしたら、長距離バスの中の朝のニュースは、八割がサッカー、一割は大統領独島訪問、他はオリンピックニュースだった。この割合は、バス待合所やホテルのテレビでもずっとそうだったか、むしろ独島訪問は無視されていた。 韓国人にとっては、独島(竹島)は愛国心発露の象徴ではあるが、今回ばかりはサッカーによって完全に消し去られた。 そのあと、ずっと私は韓国の田舎を15日ほど旅したのであるが、韓国語が拙い明らかな日本人の私を差別したり、嫌ったりされたことは一度もなかった。むしろ、たくさんたくさん親切してもらった。道を丁寧に教えてもらうこと数えきれず。日本人と分かると、むしろ「こんな田舎によくきた」と見知らぬ私を、家や、絵の工房や、合唱の練習場に引き入れ、コーヒーをご馳走してくれたことが三回もあった。人と場所は、勿論違う。日本人は、果たして外国の通りすがりの旅人にそんなことをするだろうか。 ところが、日本に帰ってきた時に、例外なく先ず聞かれたのが、「韓国大丈夫だった?」のひとことである。この2週間、日本人は在韓反日(私のような旅人へ)の心配よりも、在日嫌韓(韓国嫌いへ)の嵐が吹き荒れていたのだと合点した。 日本人は韓国人をわかっていない。私もまだわかっていないことを本書を読んで痛感したが、少なくとも日本人の韓国認識には大きな「ズレ」がある。 〈後書き〉で、伊藤順子さんは旧正月をあけた後の韓国の新型コロナウィルスのことに触れている。2015年に、韓国の社会がMERSウィルスでパニックになったのは情報公開がきちんとされなかったかららしい。この時、朴槿恵政権は2016年春の国会議員選挙(4年に一回)で、事前予想を大幅に裏切って大敗をする。今年の4月に、また国会議員選挙があるのは巡り合わせであるが、その結果に注目してほしいという(伊藤さんは2020年2月に原稿を書いている)。「日本人はそこから学ぶべきことがあると思う」。 結果は文在寅政権の大勝だった。 初期からの対応、情報公開、「公平で公正な社会」への理想。それがどれだけ実現したのかは、どこかで伊藤順子さんにまた語ってもらいたいが、結果は出た。翻って日本はどうだろう。 韓国は、いろんな意味で「注目すべき隣人」だと思う。
2020年04月29日
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