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「きのう何食べた? シロさんの簡単レシピ2」講談社・編 映画観ました。テレビの延長を見てもなぁ、と思っていたのだけど、なかなかでした。大画面で2人のやり取りを見ていると、言葉にしていない想いがどんどん伝わってきて、日本を代表するLGBT映画になったと思う。というわけで、公式ガイド&レシピを見た。 単なるレシピ本かと思っていたら違いました。半分は、西島秀俊×内野聖陽×よしながふみ、のスペシャル鼎談(ていだん)を中心にした映画ガイドだったんです。それは、それで嬉しかった。 映画館も圧倒的におばさん比率が高かったけど、本書の中身も圧倒的にイケメン写真の掲載率が高い(あ、そもそも登場人物の8割はイケメンだった)。本作品は男性誌に掲載されているのに、ホントに読まれている層は違うのだな、と認識した。でもこれが逆転しないと、世の中変わらない気がする。 鼎談でピックアップしたいのは、映画中料理で最も印象に残った料理は、2人とも声を揃えて キャラメルりんごのトースト! とさけんだところ。映画では2人とも素のリアクションをしているそうです。「うわっ、これおいしい!」(西島秀俊)「これまでいろいろなものを食べてきましたが、人生のベスト10に入りそうな勢いです!」(内野聖陽) ‥‥ということで、此処に掲載している様々なレシピはMyレシピに取り込んでおくことにして、キャラメルりんごのトーストのみ、此処に書き写します(←親切でしょ)因みに、表紙は高級魚が手に入って作ったアクアパッツァ。 材料 りんご‥‥4個 砂糖‥‥150g トースト‥‥2枚 バター‥‥適量 バニラアイス‥‥適宜 シナモンパウダー‥‥適宜 りんごは皮をむかずに芯を取って、薄いくし形に切っておく。大きい鍋に砂糖を入れ、中火でキャラメル色になるまで焦がす。水は不要。 かなり焦げ茶色に焦げてくるまで辛抱してからりんごを入れて、木べらで返しながらりんごの水分で炒め煮する。 りんごを入れる際、キャラメルがはねるので気をつけて。 弱火にし、時々蓋をあけてりんごを返しながらじっくり火を入れて、くったりと全体がキャラメル色に煮詰まったら火を止める。 タッパーか瓶に入れて冷蔵庫で保存。 食べる時には、トーストにバターを塗って、レンジで温めて直したりんごのキャラメル煮をのっける。 お好みでバニラアイスをのせて、シナモンパウダーをふる。 (シロさんのワンポイントアドバイス) 保存性は落ちるが、りんご4個に対して砂糖は100gぐらいまで減らせる。砂糖は濃い茶色になるまで焦がした方が、キャラメルの風味がよく出ておいしい。
2021年12月14日
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「いのちの停車場」南杏子 幻冬舎文庫 紐解いたのは映画を観て、ラストにどうしても納得いかなかったからです。原作を読んで確かめてみたかった。ラストまでは大変素晴らしい作品でした。吉永小百合は少し年寄りすぎる気はしたけど、それさえ目をつむれば、広瀬すずも松坂桃李も西田敏行も田中泯も、それぞれの患者もたいへんな熱演でした。観客は年寄り層を中心に大勢詰めかけロングランになった。もしかしたら、私の思い違いかもしれないとさえ思った。 以下ラストについてのみ書きます。ネタバレです。 主人公咲和子(吉永小百合)の父親(田中泯)は神経性の異痛症になり、治療不能、死ぬような痛みに襲われるようになる。願うのは、「積極的な安楽死」。まともすぎる医師である咲和子は当初は当然断る。それは殺人であり、法に触れるという意識もある。でも、父親の冷静な度重なる懇願と、金沢に帰ってずっと終末医療に携わってきた咲和子に、心変わりが訪れ、父親の願いを(点滴の投与という形で)受け入れることにするのです。 映画では、訪問介護専門のまほろば診療所の所長(西田敏行)にだけは真実を話すけど、情熱を持って続けてきた診療所も辞め、父親と2人になるところで終わるのである。 私はこのラストはダメだと思った。 いくら診療所を辞めても、ことが公になれば、必ず「元まほろば診療所医師」ということで、せっかく軌道に乗ってきた診療所に大きな迷惑をかける。そんなこともわからない咲和子さんなのか?私は納得できない。 原作の方は、いろんな面でそのリスクに免責を与えていました。 ひとつは、所長含めて同僚にもしっかり説明していた。安楽死場面に(第三者の見届けという理由で)2人も同僚を呼んでいる。 ひとつは、1962年に出た高等裁判所の特別に安楽死を是認しうる6つの要件を紹介し、咲和子さんがそれを全てクリアする様に段取りをつけたことである。 ひとつは、父親がさあこれから点滴投与を行う直前に死亡するというハプニングが起こる。よって、おそらく咲和子さんは殺人罪が問題になるようなことはないだろう。 しかし、それでも咲和子さんは警察に連絡をするということで、小説は幕を閉じる。「積極的な安楽死」を、是非とも認めるべきだ、論議の一石を投じるべきだ、という作者の強い想いがそういうラスト描写になったと思う。 映画は、あまりにもラフ過ぎた。成島出監督という好きな監督なのだけど、尺の関係か、裁判所判例も一切出てこない。私はやはり映画は、お勧めできる作品になっていないと思う。 小説は、それでも警察に連絡する時点で、診療所に迷惑をかけると思う。それでいいのか?と思う。 理論的には、「積極的な安楽死」について、実は私はなんとも言えない。私は、過去3度も、臨終場面で「消極的な安楽死(延命治療をしないことで死亡すること・合法)」を直ぐには選ばなかったことで、後々まで後悔している。未だに、私は良くなかったという想いだけはあるけど、どの時点で、何をするのが1番Bestだったのか分からないでいる。 思えば、私の最初の選択から13年経つけど、昨日のように後悔の念が起きる。 安楽死問題、とても難しい課題である。
2021年12月14日
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後半の4作品です。 劇場版「きのう何食べた?」 安達奈緒子脚本は、実にストレートにLGBTの生活問題に切り込む。原作通りの自然体なのではあるが、それをまともに扱ってきたマンガがないために、思った以上に見応えがある。しかも、大画面で見ると、シンさんとケンジの心の動きが手にとるようにわかる。 ぶり大根食べたくなる。 STORY 小さな法律事務所で働く弁護士・筧史朗(西島秀俊) は、同居する恋人の美容師・矢吹賢二(内野聖陽)の誕生日プレゼントとして京都旅行を提案。賢二は大喜びで旅を満喫するが、旅行中のある出来事をきっかけに、二人は互いに本心を明かせなくなってしまう。そんな中、仕事帰りの史朗は見知らぬイケメン(松村北斗)と賢二が親密な様子で歩いているのを目撃。動揺する史朗は、賢二にその青年のことを聞くことができず悶々とする。 キャスト 西島秀俊、内野聖陽、山本耕史、磯村勇斗、マキタスポーツ、松村北斗、田中美佐子、田山涼成、梶芽衣子 スタッフ 原作:よしながふみ 監督:中江和仁 脚本:安達奈緒子 主題歌:スピッツ チーフプロデューサー:阿部真士 プロデューサー:佐藤敦、瀬戸麻理子、齋藤大輔 企画監修:神田祐介 音楽:澤田かおり 撮影:柴崎幸三 照明:赤羽剛 美術:井上心平 2021年11月21日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「リスペクト」 今年秀逸のドキュメンタリー映画「アレサ・フランクリン」のゴスペルコンサート場面をクライマックスに配した、アレサの半生を描いた作品。 黒人シンガーとして、2018年に没するまで第一線で活躍しながら、その生涯を描いた作品は作られなかった。今何故アレサか?もちろん亡くなったから、というのもあるかもしれないが、それよりもミーツーと事件は反差別運動「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」が関連していると見るべきだろう。 夫や父親との葛藤、少女期の妊娠、等々のドラマを見てから、72年のライブの冒頭の神に捧げるゴスペル詩を聴けば、見事に彼女の人生を言い表していたのだとわかる。正に、ドラマとドキュメンタリーは、コインのうらおもて。 見どころ 「ソウルの女王」と称されるアレサ・フランクリンの半生を描く伝記ドラマ。世界的なスターへと上り詰め華やかな活躍を見せる一方、私生活では苦悩の多かった彼女の姿が描かれる。監督はドラマ「ウォーキング・デッド」などに携わってきたリーズル・トミー。アレサを『ドリームガールズ』などのジェニファー・ハドソンが演じ、数々の名曲を熱唱する。そのほかオスカー俳優フォレスト・ウィテカー、『最凶赤ちゃん計画』などのマーロン・ウェイアンズ、『ボディカメラ』などのメアリー・J・ブライジらが共演。 あらすじ 子供のころから圧倒的な歌唱力で天才と称され、ショービズ界の華として喝采を浴びるアレサ・フランクリン(ジェニファー・ハドソン)。しかし輝かしい活躍の裏では、尊敬する父(フォレスト・ウィテカー)や愛する夫(マーロン・ウェイアンズ)の束縛や裏切りに苦しんでいた。ぎりぎりまで追い詰められた彼女は、全てを捨て自分の力で生きていこうと決断する。やがてアレサの心の叫びを込めた歌声は世界を熱狂させ、彼女自身も自らへの「リスペクト」を取り戻す。 2021年11月23日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「グレタ ひとりぼっちの挑戦」 2018年、彼女がたった1人で選挙期間中の1人ストライキを始めた時、「◯◯効果とか◯◯曲線とか知らない政治家やジャーナリストが多すぎる」と15歳が嘆いていた。未だに知らない大人の1人として(既に名詞を忘れている)、私はもはや危機感のない大人。 彼女はベジタリアンになり、飛行機に乗らない。しかしそれが必要だと一言も言わない。むしろ、欧州気候変動会議で議長が大仰にグレタを迎えた後に、わずかな改善策を得意気に提案した時に、失望してイヤホンを外すことで、見事に示していた。そうなんだ、割り箸を使わないことで環境問題に「責任を果たした」と思っている、我々大人が間違っているのである。大切なのは「今すぐ」「政策を変える」ことであり、そのように「子供が大人になるのを待つことなく」政府に「それを強制する」ことである。具体的には「化石賞」をとるような日本政府を「変える」ことこそが「我々の責任」なのだ。それをこの時16歳のグレタに教えられた。 (解説) 傷つくことを恐れず、 正面からNOと言う。 科学を信じて、 新しい時代を生きよう。 それがグレタのめざす道。 greta 環境問題、 SDGsへの関心が高まる今、 観てほしい注目の映画! 2018年8月。15歳の少女グレタ・トゥーンベリはスウェーデン・ストックホルムにある国会議事堂前で学校ストライキを始めた。気候変動対策を呼びかけるため、一人で座り込み、自作の看板を掲げてリーフレットを配りながら通行人の質問に答える。毎週金曜日にストライキをすることから「Fridays For Future(未来のための金曜日)」と名付けられた運動は次第に注目を集め、世界中の若者たちがグレタの考えに賛同していった。たった一人で始めたストライキは、数か月のうちに国内外へ広がるムーブメントになった。 本作は、グレタが気候行動サミットで世界に訴えたスピーチの1年以上前から彼女に密着。犬や馬と戯れるくつろいだ姿や、アスペルガー症候群を持つグレタが重圧に悩み、葛藤する姿を映し出す。気候問題に関する知識と覚悟を持ち、国連総長アントニオ・グテーレスやフランスのマクロン大統領、ローマ教皇など世界のリーダーらと議論を重ねていく様子を、スウェーデン人監督ネイサン・グロスマンは最も身近なところで捉える。 強いメッセージと行動力で、環境活動家のリーダーとして若者から熱烈な支持を得る一方で、反感や偏見を持たれることも少なくない。本作は、彼女の考えを最も正確に色濃く反映し、これまで誰も知らなかったグレタの素顔を知ることが出来る貴重な映像の記録。2020年のヴェネチア国際映画祭やトロント国際映画祭などで高く評価され、コロナ禍の世界20か国以上で公開された。グレタは何のために闘うのか。私たちはパンデミック後の世界でその思いにどのように向き合い、生きるべきか。爽やかな余韻の中に深く思いを巡らせること必至のドキュメンタリー。 グレタ・トゥーンベリ 2003年、オペラ歌手の母・マレーナ、俳優で作家の父・スヴァンテの長女として生まれる。現在18歳で、妹のベアタと4人家族でストックホルムで暮らす。2011年に学校の授業で環境問題に関する映画を見た後、摂食障害になるほどショックを受け、それ以降、塞ぎこむことが増えた。後に、アスペルガー症候群と診断される。彼女は菜食主義者になり、飛行機での旅行を断るなど、生活習慣を変えた。気候問題に関しての独学を続け、2018年には学校ストライキをはじめ、彼女の活動が世界に波及すると、グレタは世界各地の会議に出席。大物政治家などの大人たちを相手に動じることなく厳しく批判し、気候変動の具体的対策を打つよう訴えつづけている。グレタの「Fridays For Future(未来のための金曜日)」と名付けられた運動は、南極大陸を除くすべての大陸で広がった。米タイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に史上最年少で選出され表紙を飾り、2019年、2020年と2年連続でノーベル平和賞にノミネートされている。 Comment 小さな国の小さな女の子が本気で考えて、そして行動して、自分の言葉に責任を持って、 大人たちを冷静に見つめた結果、世界を変えた!でも彼女にとってはこれからでしょうね。。 LiLiCo(映画コメンテーター) 彼女はヒーローでも政治家でもない。彼女はグレタ。自分の信じる道をしっかりと生きている。私たちはどうだろう? 彼女の目から見える世界を少しでも体感できるこの映画と出会えてよかった。それがドキュメンタリーの美しさだと思う。 伊藤詩織(映像ジャーナリスト) 生きれる未来がほしい。と立ち上がったグレタ。ゆるぎなくて聡明なスピーチの数々の裏では沢山の葛藤があったんだと知りました。 子供からティーンへと成長していく彼女を支える家族の姿にも感動です。ぜひ、家族、友達とみてほしい作品。 小野りりあん(気候アクティビスト) グレタに違和感や嫌悪感を持つ人にこそ、この映画を見て欲しい。彼女の考えがはっきりとわかるはずだ。 そして、この深刻な気候危機を前に、彼女だけに戦わせてはならないということも。危機解決の責任は私たち大人にある。 斎藤幸平(経済思想家) 初めは知らないことがあるのは当然。知らないことを知ろうとする。そう心掛けて生きてきた。自分にできることは何か。 私も行動に移した一人だ。彼女の挑戦をきっかけに、世界に変化が訪れることを願っている。そして、もっと変わりたいと思った。 中島沙希(モデル・「EF.」共同創設者) 世界の気候変動ムーブメントを一変させた彼女の等身大の姿。怒ってるグレタしか知らない人に見てほしい。 江守正多(気候科学者) 本質を突くグレタさんの言葉は、「地球を将来につないでいくために何をすべきか」と私たちに問い掛ける。 市民一人ひとりに世界を変える力があると、行動で示してくれると同時に、「荷が重すぎる」とまで語った葛藤を乗り越えた、 一人の少女の成長物語でもある。 根本かおる(国連広報センター(UNIC)所長) 地球の危機に立ち向かう行動に人生が変わってしまうほどの決意をした人達が世界中にいる、僕もその一人だ! そしてその背中を押してくれたのは間違いなくグレタさんだ! 武本匡弘(NPO気候危機対策ネットワーク代表) 2021年11月28日 シネマ・クレール ★★★★ 「ディア・エヴァン・ハンセン」 エヴァンのやったことは許されないってことが一点。 鬱病の原因は夫々、しかも深刻なことが多いのに、全員、一つも深刻な原因が出てこない。ってことが一点。 歌の中で、「ずっと闇の中でも、助けがなくても、君は1人じゃない」ってことを、何度も何度も「歌で」語りかける映画なんだということはわかるけど、これを観た病人にホントに救いになるのだろうか?この映画の狙いは、結局はそこなんだろ?いや、そうじゃない。これはエヴァン・ハンセンのような、比較的「軽い?」病人に対する、家族の在り方を示した作品なのか?それにしても、これが刺さる人たちはどれくらいいるのだろうか? (←そのあと、「(周りは全然だったけど)私は刺さった」という方の感想を聞いた。確かに、あれは美談じゃない。それを描いたことは良かったのかもしれない) ゾーイも、エヴァンも、優等生の振りをしている彼女も、みんな最低に見える。だから最後はみんな赦しあったのか? エンドロールで、エイミーアダムスってわかったけど、ずっとそっくりさんだと思っていた。あんなにブクブク太って、彼女に何があったのか? STORY 家でも学校でも居場所のない高校生エヴァン・ハンセン(ベン・プラット)は、ある日自分宛てに書いた手紙を同級生のコナーに持ち去られる。その後コナーは自殺し、手紙を見つけた彼の両親は、文面から息子とエヴァンが友人だったと勘違いする。彼の家族をこれ以上悲しませたくない一心で、思わずエヴァンはコナーと親友だったとうそをつく。彼らに聞かれるままに語ったありもしないコナーとの思い出は、人々を感動させSNSを通じて世界中に広がっていく。 キャスト ベン・プラット、ジュリアン・ムーア、ケイトリン・デヴァー、エイミー・アダムス、ダニー・ピノ、アマンドラ・ステンバーグ、コルトン・ライアン、ニック・ドダーニ スタッフ 監督:スティーヴン・チョボスキー 脚本・製作総指揮:スティーヴン・レヴェンソン 楽曲・製作総指揮:ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール 2021年11月30日 MOVIX倉敷 ★★★
2021年12月13日
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11月に観た映画は全部で8作品。2回に分けて紹介します。 「由宇子の天秤」 誰もが正義を振りかざす時代になった。 権力を持ったものや、富んだものだけが、「振りかざす」わけではない。SNSの時代には、誰もが全世界に「正義」を発信できる。その象徴的映像が、由宇子が弱った相手に振りかざすスマホ録画という武器である。女から突きつけられて、男は逃げることも、暴力を振るうことも、捲し立てることも出来ずに、微かに本音を喋る。決定的瞬間をドキュメンタリー監督は撮るわけだ。 しかし、それは由宇子をも撃つ。これの一部始終を例えば、エリの父親が告白記として出せば、たちまちのうちに由宇子は、矢野教諭の家族と同じ目に遭うだろう。 登場人物みんな善人で、みんな嘘をついている。でも、そうじゃない方が珍しいのが今の世の中である、と製作者は呟いているかのようだ。当然天秤は。AかBかを明らかにしない。由宇子のスマホが最後に自分を録画しようとしているのが、その象徴だろう。 (解説) 息もつけないほどの緊迫と衝撃!日本公開を前に、すでに世界中の映画祭を席巻中! 一体何が真実なのか?そして、「正しさ」とは何なのかー?. ドキュメンタリーディレクターの由宇子は、究極の選択を迫られる。 女子高生いじめ自殺事件の真相を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子が、父から聞いた「衝撃の事実」。由宇子は、究極の選択を迫られることになるー。 超情報化社会を生きる私たちが抱える問題や矛盾を真正面から炙り出した衝撃作は、世界三大映画祭の一つであるべルリン国際映画祭をはじめ、瞬く間に世界中の映画祭を席巻! 先の読めない巧みな脚本、観る者を釘付けにする役者陣の熱演、そしてラストに観客が突きつけられる究極の問いかけに驚嘆と絶賛の声が止まらない。監督・脚本は、デビュー作『かぞくへ』が高く評価される春本雄二郎。さらに、長編アニメーション『この世界の(さらに いくつもの)片隅に』の片渕須直がプロデューサーとして参加している。 今年、日本映画界の「台風の目」となること間違いなしの『由宇子の天秤』がついに日本公開となる! 主演・瀧内公美の圧倒的存在感、日本映画界を支える役者陣の熱演が光る! 主人公の由宇子を演じるのは、『火口のふたり』でキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞に輝き、本作でラス・パルマス国際映画祭最優秀女優賞に輝いた瀧内公美。正義感溢れる自立した女性がやがて思わぬ窮地に追い込まれていく様を、圧倒的存在感で見事に演じきった。 そして脇を固めるのは『佐々木、イン、マイマイン』の河合優実、『かぞくへ』の梅田誠弘、バイ プレイヤー光石研ほか、日本映画界を支える実力派の役者陣が集結した。撮影前に丹念に リハーサルを重ねることで生まれた、様々な立場で生きる人たちの息遣いがスクリーンに焼き 付く。記憶に残る熱演の数々を、ぜひ見逃さないでいただきたい。 (ストーリー) 3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子は、テレビ局の方針と対立を繰返しながらも事件の真相に迫りつつあった。そんな時、学習塾を経営する父から思いもよらぬ「衝撃の事実」を聞かされる。大切なものを守りたい、しかし それは同時に自分の「正義」を揺るがすことになるー。果たして「「正しさ」とは何なのか?」。常に真実を明らかにしたいという信念に突き動かされてきた由宇子は、究極の選択を迫られる…ドキュメンタリーディレクターとしての自分と、一人の人間としての自分。その狭間 で激しく揺れ動き、迷い苦しみながらもドキュメンタリーを世に送り出すべく突き進む由宇子。彼女を最後に待ち受けていたものとはー? 2021年11月8日 シネマ・クレール ★★★★ 「エターナルズ」 うーむ、せっかく宇宙規模のこれ以上ない設定を作ったのに、それと地続きを宣言しながら、またもや神様世界を作ってしまった。 なんでもあり。 それにシャン・チーやアベンジャーズ にあんなに出まくりだったマ・ドンソクは、不在の間セナは大丈夫だったの?(←勘違いしていました) シャン・チーの腕輪との関係は? 破壊と誕生を繰り返すことで、神さまに似たものを作るのだとしたら、地球を破壊することは一旦置いといて、それってかなり人間的な発想なのだけど‥‥。 なんかどう見ても子供騙しみたいに思える。 (←多分また見ると思う) STORY ヒーローチームが不在となった地球で、人類の行動が新たな脅威を呼び起こしてしまう。そんな中、7,000年にもわたって宇宙的規模の脅威から人類を見守ってきたエターナルズと呼ばれる10人の守護者たちが、数千年の時を経て次々と姿を現す。散り散りになっていた彼らは、人類滅亡まで7日しかないと知って再結集する。 キャスト ジェンマ・チャン、リチャード・マッデン、アンジェリーナ・ジョリー、サルマ・ハエック、クメイル・ナンジアニ、リア・マクヒュー、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ローレン・リドロフ、バリー・コーガン、マ・ドンソク、キット・ハリントン、 スタッフ 監督:クロエ・ジャオ 2021年11月11日 MOVIX倉敷 ★★★ 「アイの歌声を聴かせて」 AI特区の村を、荒唐無稽にならないぐらいに詳細にさりげなく設定していて、その上にたった青春物語になっていて、心に響くアニメだった。 エンドロールを見るまで、詩音が土屋太鳳とは全く想像していなかった。透き通る歌声、良かった。 「最後に秘密は明かされるんだよ」 という少しうまく行き過ぎ物語で、何故か天才肌の学生がいるところも「竜とー」と同じ。20年前には想像もしなかったアニメが今は普通に展開される。これから20年したら、いったいどんな社会になるんだろう?技術的には似たような人形ロボットがいるんだろうか? 見どころ 『イヴの時間』シリーズや『サカサマのパテマ』などの吉浦康裕が監督・原作・脚本を務め、女優の土屋太鳳らがボイスキャストに名を連ねたアニメーション。学業優秀でスポーツ万能、何かと言えばミュージカル調で歌い出す主人公が、転校先の学校で周りの人たちを幸せにしていく。ボイスキャストは土屋のほか、福原遥、工藤阿須加、興津和幸、小松未可子、日野聡などが担当する。 あらすじ 高校生のシオンは転校初日、クラスで孤立するサトミに「わたしが幸せにしてあげる」と宣言し、ミュージカルのように歌い出す。変わり者だが勉強もスポーツもでき、明るいシオンは、すぐにクラスに溶け込む。そして、ところ構わず歌い出したり、突飛な行動で周りを騒動に巻き込んだりしながら、サトミやクラスメートたちの心を動かしていく。 2021年11月9日 イオンシネマ岡山 ★★★★ 「梅切らぬバカ」 映画館は、久しぶりに賑わっていた。ただし、お年寄りばかりで。みんな家族には何かを抱えて、或いは抱えさせて、日常を過ごしているのだ。 何も問題は解決していない。 お母さんとの「共倒れ問題」は継続中である。 地域コミュニティとの不和は、解決していないどころか、拡大中で映画が切れてしまった。もう少し脚本は、先を描いても良かった。 それでも、クスクス笑いが漏れる良い映画だったと思う。自閉症の世界は、私たちにはよく見えない。でも、早急な結論を出さずに、お隣さんのようにじっくり付き合うように腰を据えれば、未来は見えてくるんじゃないだろうか? 見どころ 女優の加賀まりこが自閉症の息子の将来を案じる老いた母親を演じるヒューマンドラマ。地域社会から孤立し、息子と二人きりで生きてきた母親が、息子の自立を模索する。お笑い芸人で『間宮兄弟』などの俳優としても活動する塚地武雅が息子を演じるほか、渡辺いっけいや森口瑤子、斎藤汰鷹、林家正蔵、高島礼子などが共演。監督を『禁忌』などの和島香太郎が務める。 あらすじ 占い師の山田珠子(加賀まりこ)は自閉症の息子・忠男(塚地武雅)と二人で暮らしていたが、ある日、忠男の通う作業所で知的障害者のためのグループホームへの入居を勧められる。珠子は自分の死後の忠男の人生を考え、忠男の入居を決める。しかし、環境の変化に戸惑った忠男は、ホームを抜け出した際に、ある事件に巻き込まれてしまう。 キャスト 加賀まりこ(山田珠子) 塚地武雅(山田忠男) 渡辺いっけい(里村茂) 森口瑤子(里村英子) 斎藤汰鷹(里村草太) 徳井優 広岡由里子 北山雅康 真魚 木下あかり 鶴田忍 永嶋柊吾 大地泰仁 渡辺穣 三浦景虎 吉田久美 辻本みず希 林家正蔵(大津進) 高島礼子(今井奈津子) スタッフ 監督・脚本 和島香太郎 製作代表 松谷孝征 エグゼクティブプロデューサー 市井三衛 槙田寿文 小西啓介 プロデューサー 本間英行 根津勝 矢島孝 深澤宏 共同プロデューサー 杉本雄介 音楽 石川ハルミツ 撮影 沖村志宏 照明 土山正人 2021年11月16日 シネマ・クレール ★★★★
2021年12月11日
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「白い記憶」あすなひろし なんてことだ。 この作家を知らなかった。週刊少年チャンピオンに時々載っていた、ちょっと気取ったマンガがあることは知っていた。その時は、私が読むのには、少し幼すぎたのだ。まるで、少年マンガの萩尾望都だ。青年の哀しみを、シリアス、SF、時代もの、コメディ、とあらゆる切り口で描き、枠線こそはきちんと囲んでいるが、その中の一本の線は触れると血が滴るほどに厳しい。 ストーリーは、ページ数もあって、あまりにも早急に結論を描きすぎるが、必ず深い余韻をもたらす。こんなの、もし現代にマンガで描こうとしたら、この画力ならば、編集者が数巻の長編にしなかったら読者が許さないだろう。ところが、全て20p程の短編なのである。 少年がわかる話ではないのに、この頃は少年マンガ誌しかなかったから仕方なかったのか?あまりにも早く産まれすぎたのか? 大人になって、「あすなひろし訃報」を知ったのは何時だったか。皆んなが惜しんでいたので、私はてっきり30歳ぐらいで夭折したのかと思っていた。wikiで調べると、1941年広島生まれ、1959年デビュー、83年「白い記憶」のあとは寡作になり、2001年肺がんで死去とある。享年60歳。超ベテランだったのだ。絵の線の鋭さは、私が少年漫画界最高峰と認識している坂口尚に匹敵する。描いている背景は、60年代から70年代のリアルな街の風景なので、もうなんか、絵画を見ている気分になる。 朝日ソノラマでたくさん出ていたのは記憶していたけど、今やそれらは全て絶版である。今回、Kindleのキャンペーンでグダグダ物色していたら、たまたま本書が今だけの安売りをしていたので、マンガはあまりダウンロードしたくないけど、クリックした。そしたら、この衝撃である。数日後、あと4冊ほどクリックした。暫くは、時々扱いたいと思う。
2021年12月10日
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「バカ売れPOPが面白いほど書ける本」中山マコト 中経出版 別にPOPを作るために読み始めたわけではない。毎月作っているミニコミ新聞の、毎月作成時間の半分をかける割り付けの、その1/3から1/2の時間を占める「見出し」のために、もっと効率的に効果があり、時間短縮になるヒントがないかと、紐解いたのである。 だから、スーパーで売らんがための細かい技術はサラッと流す。 結局ここで言っているPOPの真髄は、この本の表紙にあるのだろう。 この長たらしい題名をそのまま載せるのではなく、中心に大文字、2色強調、太文字フォントで「バカ売れPOP」と書いている。「バカ売れ」文句は中山マコトの創作専売特許のようだ。 何の目的のために どういう文句で 何を強調して 何処に持ってゆくか 「パッと見て」「オッと思わせ」「ピンときて買う」 そのためには10の法則があるという(使えそうなのは⚫︎印しています)。 ・書き写す ⚫︎ストーリーで落とす「40ヵ国のハチミツ食べ歩きました」 ⚫︎トレンドキーワードで落とす「号外!特売セール実施!」「有名人の名前」 ⚫︎数字で落とす「おつりの額」「記号♨︎」 ⚫︎生の声を使う「顔と名前」 ・蘊蓄で落とす ⚫︎商品に自ら語らせる「吹き出し」 ・用途から発想する ・ネガティブな言葉を使いこなす ⚫︎見慣れない文章で落とす「パソコン文字風 コンニチハ。オイシクナリマシタ」
2021年12月08日
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「中野のお父さん」北村薫 文藝春秋 おや、北村薫さんいつの間に蘊蓄エッセイはやめて、またもや日常推理を描きだしたんだ?と思って紐解いた。まさしく小説、しかも探偵役は還暦定年間近の国語教師。文学の蘊蓄はハンパない。娘は出版編集者。これって、お父さんのモデルは北村薫本人じゃないか? 気楽に読める短編が8篇。 でも、一作目「風の風車」が「おやおや」と思う(←多分私だけ)。 完全ネタバレになるけど、あと7篇あるので許してください。(というわけで気になる人はここ以降読まないように!) 出版編集者の美希が、新人文学賞の候補に残った人に連絡したら「応募していませんよ」の返事。調べたら、2年前に同じ題名で応募して落ちたと思ったのですっかり諦めていたとのこと。だとしたら、何故今ごろ落ちたはずの作品が2年たって、しかも新人賞最有力候補として出てきているのか? この謎を、美希のお父さんは少し話を聞いただけで簡単に解いてしまう。状況証拠を詰めれば、確かにそうなるわな、と読者も納得する。私の問題にしたいのは、その内容だ。 2年前の投稿はプロットだけの推理小説だった。舞台は娘の職場(大学事務局)にした。2年後、娘がそれにディテールを足して、お父さんの名前で再投稿したというわけだ。 ここでハッと気がつくのは、北村薫、デビュー当時は覆面作家だったことだ。昔から話題だったのは、女子高生の会話や心理が生々しくて、絶対正体は若い女性だよね、とみんな思っていたということである。本も2冊出た段階でやっと性別と年齢が明かされてみんなビックリした。高校の国語教師だという。「まぁ先生なら正体伏せても仕方ないかな」とみんな思ったという顛末。しかし、デビュー当時、本当に北村薫は「1人だけで」書いていたのか?という疑問が、ここを読んでむくむくと湧いてきた。 「風の風車」のように、全体的ではなくても、最初の頃は娘か女子生徒かに相当の助けを借りた可能性は高いのではないか?「◯◯ちゃん、悪いんだけど、今度の作品の詳しいプロットを書いたんだけど、これに肉付けしてくれないかな」 ‥‥‥‥いや、ないか。最初の2冊はそれで誤魔化せるかもしれないけど、そのあと延々と北村薫は「若い女性を主人公にして」作品を作り続けた。ちょっと誤魔化しきれないだろう。それに、連載冒頭に、そんな重要なネタバレ素材は使わないだろう。でも、一つ言えるのは、北村薫の登場人物として「女性編集者」の出てくる確率は、物凄い高いのである。今でも徹底的に「取材」しているのではないだろうか? 本書には、編集者あるある体験が満載だ。 曰く。 ・撮り直しが効かない写真にNGが入る。それをどのようにすり抜けるか。 ・挿絵の一部分だけ向きが変わっている謎。 ・雑誌を作っていると、定期購読してくださる方々の存在が、本当にありがたい。お一人お一人、手を握って御礼申し上げたくなる。と美希は呟いている。←女性編集者が本当にしてくれるならば、定期購読したい雑誌はあるぞ。いや、本気で。 楽しかった。
2021年12月08日
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「図書 2021年12月号」 さて、何時も私に謎解きをくれていた司修さんの表紙は今回が最後。最後までさっぱり予想がつかない「物語」を内包していた。ちなみに今回の表紙解説の題は「「四月バカ」という証明カード」でした。 最後といえば、毎回私にインスピレーションをくれた畑中章宏さんの「らしさ」についての考察は今回で最終になった。最終回は「日本らしさ」。オリンピック解説者の言葉に始まり、志賀重昂、柳田國男、坂口安吾、ブルーノ・タウト、宮本常一の言葉を紹介しながら、民俗は「日本らしさ」に抗しながらも、呪縛されていっていることを明らかにする。それはここ数年のオリンピックにおけるテレビ番組の「日本万歳」論調に、私たちが日々感じていることでもある。民俗学は、それらのことを一定整理して答えに導くことが仕事のはずだけど、「日本らしさ」だけは、あまりにも荷が重すぎるのか(そもそも私自身が40年間答えを求め続けている気がする)、論が散漫になっていた。 「人物から見た世界歴史(2)」では、冨谷至さんが「韓非子」を取り上げて、現代の質問者らしき人がどうしたら理想的な政治ができるか、問うていた。主には法治主義を主張する韓非子。4ページにわたり彼の哲学のやさしい解説になっているのですが、1番解説して欲しいことをたった4行で済ませていたのはいただけない。即ち、 ‥‥ただ、かかる過程で(韓非子の説に)欠落していったもの、それは個別の人間の固有の独立性、後の時代にいう「人権」であった。 円満宇二郎さんの「漢字の動物園(3)」は、冬の鳥。鳥の漢字は難しいモノが多い。白鳥。難しい漢字の別名は検索しても出てこなかった。鴨はわかる。なんとアヒルは真鴨を家畜化したものらしい。「家鴨」と書くのである。さて、難しい漢字の筆頭は「鷦鷯」。冬の季語として有名らしい。読める人は手を挙げて!いや、私も知りません。別名「ショウリョウ(漢字が登録されていない)」。成句に「ショウリョウ林に巣くうも一枝に過ぎず」がある。「鷦鷯が林の中に巣をかけても必要なのは一枝だけである」転じて「人は皆、その定まった分に応じて満足する心がなければいけない」となる。「荘子」より。それだけ小さな鳥なのだそうだ。因みに、鷦鷯は「ミソサザイ」と読む。 長くなりました。自分の覚えのために書いているので、飛ばし読み全然OKです。
2021年12月05日
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久しぶりに総社市福山登山を敢行した。ブログ検索したら、最後の登山は2005年4月になっている。流石にその後も登った記憶があるから、おそらく10年以上上っていない気がする。と思ってTwitter検索してら、2012年にも登っていた。1234段(合ってるよね)のショート低山登りです。二回休憩取って、往復約1時間半だった。かなり体力が落ちている。でも、最初に登った時のような長時間(2時間ー3時間)、死ぬほど大変だったような気はしない。直ぐにこの時間は短縮出来そうな気がする。やはり、人は変わるのである。15年前からいえば10キロぐらいは減量できているのが大きいかもしれない。また、当時は古墳群や野の花に興味深々だったけど、いまはコケに目がいってしまう。人は変わるのである。それから、頂上近くの大岩の不自然な「穴」は、下の古墳群のための石室のための加工跡だと確信した。あそこで、大岩の加工があるとしたら、それしか考えられない。だいぶ離れているみたいだけど、急坂なので、問題ないはずだ。何かの理由で加工途中で終わったのだろう。だとすると、6世紀の人の手のあと。こういうこともこの15年間で類推できるようになった。人は変わるのである。登ってから5日経ったたけど、未だふくらはぎがパンパン!
2021年12月04日
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11月28日造山第二古墳の現説(現地説明会)に行ってきた。とーっても久しぶりの現説、もしかして2年以上ぶり?コレは北側から見た造山古墳。普通の小山にしか見えない。 内容はバリバリの古墳時代の、それも陪塚(ばいちょう)の周辺を掘ったら、埴輪列が出てきたというだけの説明会なのだけど、それでも楽しい。造山古墳は、日本第4位の5世紀前半の巨大古墳。最近、駐車場にやっとビジターセンターが出来たので、ずっと行きたいと思っていたのである。遺物が並んでいるわけではない。 しかし、説明板がとっても「責めていた」!! 楯築遺跡は帥升の墓という説をとり「吉備の王は日本の代表であった」との説を強調している。 「大和は邪馬台国で、吉備は大和に次ぐ投馬国という大国であった」いやあ、私もその可能性はあると思うけど、言い切っていいの? その他の説明も責めている。(作成は岡山市教育委員会だよね‥‥) 大和は東、吉備は西を統べる王だったのではないか? なかなか‥‥。 まぁここら辺は私之関心外なので‥‥。 コレが現説の略図。 造山第二古墳の全体像 発掘自体は単純なので、テープの一分ほどの説明のエンドレスだった。 今回の発掘で第二古墳の埴輪列だということがハッキリした、ということが一点。 しかしながら、あまりにも埴輪列が墳墓から離れている。この間の平地に何かあるのではないかということが一点。それは来年の話らしい。 右端が第二古墳、左端が現説場所である。 ここから少し行くと、直弧文の墓のあった千束古墳がある。3、4年ぶり?再来年完成の、整備事業之真っ最中でした。
2021年12月03日
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「デューン 砂の惑星(上)」フランク・ハーバート 酒井昭伸訳 ハヤカワ文庫 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画(Part1)を観て、どうしても読みたくなって買い求めた。思った通りだった。私の生涯ベストの一つである「指輪物語」に追いつかの如くの「ファンタジー」だったのである。 私がファンタジーに求めるものは二つ。物語の最初から、既に「世界」は完璧に出来上がっていていなくてはならない、というのが一つ。もう一つは、物語の奥の奥に、必ず答えの決まらない「問いかけ」が用意されていること。そしてラストに、ファンタジーだからこそ許される答えを僅かに提示すること。まだ3部作の最初を読んだだけだけど、一つ目は見事にクリアした。 時は、地球の西暦で教えられる。標準年10191年。0を一つ間違えているわけではない。これも、映画では冒頭に出てくるけれども、原作では「後世」に作られた本の一節で初めて知らされるのに過ぎない。遠い未来の話は、殆ど遠い過去の話とイコールだ。 「汝、人心(ひとごころ)を持つがごとき機械を造るなかれ」『オレンジ・カトリック(OC)聖典』より ‥‥つまり人間社会はAIの洗礼を既に受けて、新しい段階に入っているらしい(著作の頃はまだAI概念は不確かだったけど)。 砂の惑星は、「香料」を産出するがために、あらゆる争いのもとになっている。冥王サウロンの「ひとつの指輪」の如き存在なのかもしれない。 主人公ポールは、やがて砂の惑星の民から救世主と呼ばれる。物語の冒頭から、それは決定しているかの如く描かれる。ある時は、「クウィサッツ・ハデラック」と言われ、もう一方の情報では「ムアディップ」と呼ばれる。一方では彼は、アトレイデイス公爵の跡継ぎとして砂の惑星アラキスに降り立ったポール・アトレイデイスなのである。重要な公爵暗殺劇も、物語の冒頭から「後世の」「ムアディップ伝」の中で語られているから、映画で筋書きがわかっていた私以上に、本書読者には驚きが無い展開である。私にとっては、映画ストーリー以上に最初に展開を種明かしをしている物語の構造に、驚きを禁じえなかった。おそらくこの「構造」こそが、「砂の惑星」の魅力なのだろうと、今は思う。 102世紀の世界ではあるが、魅力的な機械が散見する。トンボのような羽ばたき機は砂上に飛ぶのだとすれば確かに合理的であるし、身体中の水分を殆ど外に出さない循環型スーツも、あり得るテクノロジーである。そして、砂の惑星の主とも言える砂蟲の圧倒的な存在感。ここから宮崎駿が王蟲を創造するのは遠くはなかっただろう。 映画は2部作と思いきや、殆どこの3部作のうちの上巻のみで終わった。とすれば、映画も3部作なのか?そんな情報はどこにもないし、次が作られる保証さえなかったはずだ。本作のヒット如何に関わらず、どうやらPart2の制作は決定したようだ。とりあえず、それだけが「見える未来」である。 (得るに時あり、失うに時あり、保つに時あり、棄るに時あり) 『OC聖典』に含まれる、〈伝道の書〉からの引用だ。 (愛しむに時あり、悪むに時あり、戦うに時あり、和らぐに時あり) (462pのレディ・ジェシカの呟きである)
2021年12月02日
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「カムイ伝第二部(犬戯けの章)」21-22巻 小学館ゴールデンコミックスとしては、22巻として話の途中で終わる。 望月藩は、領主のかかっている病を生類殺生の罰とした。それが「お犬さま」騒動に発展する。次の将軍綱吉の時代に江戸で起きた騒動が、その十数年前にここ、日置領の隣のいち地方で起きる。そのために領主の早死にを招き、望月藩を「実質」支配下におき結果的に佐渡守の野望は近づくという展開である。単行本段階では、特筆すべき大きな進展はない。 酒井忠清と佐渡守の野望は、どうなるのか? 竜之進、正助、カムイをはじめとする登場人物たちの運命には、一切決着はついていない。 おそらく、この時期マネージャーの白土三平の弟が病死をして、画の岡本鉄二も病にかかったのか、続かなくなったのかもしれない。もしかしたら、マネージャーの仕事は、作品構成にも影響を与えていたのかもしれない。全ては藪の中である。 この後、数年後に刊行された「カムイ伝全集」において、白土三平はコミックス未収録の回と結末らしきものを足して無理矢理終わらせたみたいだ。それが第二部の終わりと言われているが、構想としては、完全なぶつ切りだろう。途中止めと考えてもいいようだ。続きは絶対ムリと私は確信していた。2009年の「カムイ外伝 再会イコナ」は、絵もストーリーもぼろぼろだった。未完のままで、作品全体を評価するしかないのである。 最後まで読んで、私の感じるのは、以下(1)から(3)の3つだ。 一般的に第二部は失敗作と言われる。第一部のような、革命書としての勢いがない。テーマは家族小説のようになって縮小した等々。そうではない。赤目プロのトラブルにより、綻びは大きかったが、第一部に匹敵する、壮大なテーマがあり、大きな構造があり、神話伝説・女星シリーズを経て勝ち取った白土三平の成熟があった。確かに作品の完成度は高くない。けれども、白土三平が12年近くもかけて描いた意図は正確に汲み取って、我々の財産にするべき内容だと、私は思うのである。 (1)最初の構想こそは、白土三平による「弱い者から見た革命物語」だったのかもしれない。いや、「革命」という概念を持っていたかは相当怪しい。北海道に逃れて、そこでカムイがアイヌ蜂起に合流したとしても、それは「負けた戦」だったからである。しかし、第一部の終わりごろから、それは無理に思えてきた。戦後当初言われてきた、労働者による革命社会は、どうも簡単に実現しそうにはない。そこで、舞台を北海道にする構想を全て諦めて、アイヌ由来のカムイを、人類史の神話伝説と絡めてカムイ(神)とする物語を構想し直した。一種のユートピアをつくってゆく方向に持ってゆこうとしたのではないか。本来の第三部は、そういう物語だったのではないか?第二部の中に、ユートピアは幾つかその萌芽がえがかれる。無宿溜(スラム)、苔丸や竹間沢が主導する影衆、島原の乱、正助が主導する黒鍬衆等々。それは一種の労働組合、生産組合、そして政治結社である。それらが有機的に結びついた時に、江戸封建制度の中にあっても、「風」としての「カムイ」を仲立ちにして、もしかしたらユートピアは出現するかもしれない。その時、白狼カムイをはじめとする自然は、唯一人間社会と共存するのかもしれない。しかし、それは遂に描かれることはなかった。 (2)一部の評者が言うように、第二部では白土三平の教育論、ジェンダー論が頭をもたげる。白土三平の主張は一般的なそれとは一線を画していることに注目したい。源之介や鞘香や加代や一太郎、音弥または将軍家綱の運命は、貧困、裕福な家庭関係なく、子供の成長には何が必要なのかを示しているだろう。基本的には彼らには「夢」が必要なのである。それだけが人間をして動物から区別させる基準だから、と白土三平は考えていたのかもしれない。しかし、そういうテーマ「だけ」になってしまったという評価には、私は大いに異を唱えたい。また、その「夢」は、「自由」に対する大人を含む「人間」の闘いと結びついて、大きなテーマに合流する構想だったのかもしれない。 (3)現代こそ、マンガで壮大な大河物語は成立するようになった。しかし、1960年代にそれが可能だと思った漫画家は1人もいなかった。白土三平と手塚治虫をのぞいては。その「忍者武芸帖」に引き続いて白土三平というパイオニアが描き始めた大河物語は、約35年かけて、起承転結の起承までしか辿り着いていない。しかも文芸ではない、エンタメとして存在していたし、完成したとすれば人類に対する大きな貢献となっただろう。未完ではあるが、私のみるところ、「カムイ伝」に匹敵する大河物語はまだ存在していない。 (99年6月〜12月連載)
2021年11月30日
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「カムイ伝第二部(歯ッ欠けの章)19-21巻」 ここでは、第二部冒頭で元日置城を追われた猿山の下っ端・歯っ欠けの城への帰還、並びに猿山順位一位になるまでの顛末が描かれる。 猿の階級社会は、もちろん人間社会にそのまま当てはまるものではない。しかし、白土三平は、少なくない情熱を持って、かつて体格も風格も力さえ無い歯っ欠けが、運と経験と蓄えた知恵と敏捷さを持って、幾たびかの生命の危機を乗り越え命を長らえ、人間社会の贈り物(ラッパと鍵手)で、猿山の頂点に君臨する様を見るだろう。次の章では、しかしその英雄も死んでゆく。 それはほとんど「神話」の世界である。集団から追われた者が、いくつかの試練を乗り越えて「英雄」として帰還する。「人間」の周辺にある「自然」において、白土三平はお金が介在しないでも、神話は成立することを証明する。それは、やはりカムイ伝の一つのテーマだろうと思う。また、それはまだ描かれない人間社会における「英雄物語」(この括りそのものが第一部にはなかった。神話伝説シリーズを経て白土三平が獲得したものだろう)の前振りを(それはカムイが担う予定だったのかもしれない)示すものだったのだろう。 これは最早、70年代の若者が期待した「階級闘争」の物語ではない。白土三平は、最初から「革命」を描くつもりはなかったのかもしれない。封建制度の確立・完成が始まった17世紀後半を時代に選んだ時点で、それは明らかだったのではないか?もし描けば、それは「革命の失敗」を描かざるを得なかったからだ。実際に第一部は、そういう流れになった。ホントは「周辺の者」「弱い立場の者」に寄り添った、理想的世界を描きたかっただけなのではないか? また、正助の息子一太郎が、忍びの世界の悪しき掟の歯車になっていたのを、いつの間にか抜け人カムイが「抜け」させていた。甥と叔父貴で、既に信頼関係と師弟関係はできている。一太郎はこうやって、カムイの全ての技を受け継ぐような流れになっている。ここで思い起こすのは「影丸伝」や「サスケ」の構造である。心なしか、一太郎の面影は若い頃のカムイにソックリだ。白土三平の父親、岡本唐貴は息子に自分と同じ名前(岡本登)をつけた。それは、白土三平にかなりの影響を与えたと思う。本当は甥に、やがてカムイと名乗らせるつもりだったのではないか?そうやって、人は死んでも、想いだけは繋げて行く。 白土三平の理想の世界は、 創業者が亡くなっても、 想いはつながれて行く 結社の世界だったのではないか? しかし、おそらく三男の弟が死んだ時に、 何故だか知らないが、 白土三平はその夢を諦めたのではないか? まるで、妄想だし、事実もないけど、 白土三平研究者は、そこら辺を是非追及してほしいと思う。 それとは別に、佐渡の守の野望の一端は、日置山にある鉱山の採掘権を一手に引き取ることが明らかになった。膨大な金の蓄積は、その後の「野望」のために使われる予定だったのかもしれない。その中で、島抜けの日陰人、湯宿の主・喜太郎の数奇な運命も描かれる。が、これは第二部の物語の彩りでしかない。 (97年3月〜9月に連載)
2021年11月29日
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「カムイ伝第二部17-19巻(丹波崩しの章)」 白土三平(本名・岡本登)が、誤嚥性肺炎のため10月8日に亡くなった。89歳。また、『カムイ伝 第二部』の画を担当した弟の岡本鉄ニも4日後の12日、間質性肺炎のため亡くなった。白土三平の業績は、此処で一言では語れない。とても残念ではあるが、人はいつかは死ぬものである。ただ、何を遺したのかは、きちんと語られなければならない。 未完に終わった「カムイ伝」は、まだ正統には語られていない。特に第二部は、甚だ不十分である。それで、過去、浅学菲才を顧みず第二部を章ごとに評してきた。それを無理矢理終わらせたい。 最後の三章について述べてゆきたい。先ずは「丹波崩し」の章(17巻〜19巻)。 ここから、暫く舞台が江戸から日置領に移る。つくづく「カムイ伝」とは、日置領が本当の舞台だったのだ。江戸時代全体を描かなければならないので、時には江戸がずっと描かれるが、やはり白土三平の描きたかったのは、一地方の、名もなき「人民」だったのである。 冒頭、笹一角(草加竜之進)はアヤメと一緒になる為に、日置領に帰り全てを打ち明ける。 「武士が百姓から寄生する姿を見極めたから、武士を捨てた」ことを改めて告白する。この後しばらくして竜の進は医者になるために長崎に向かうのであるが、文武両道の知識人という立場で歴史に関わってゆくのだろう。彼の第一部の志は少しも変わっていない、こともここで明らかになった。 (竜之進とアヤメと苔丸) 竜之進は、正助とカムイの要請で、日置の非人部落のキギスと相談して「皮の工業製品」の商品化、流通の中立(なかだち)をした。ここでも、第一部から壮大な伏線が回収されつつある。「歴史の流れは遅いようで、時にはとてつもなく早く走ることもある」という白土三平の思想の一端が明かされる。ここでも白土三平は、日本における近代ギルド(職業別組合制度)の成立を、少し時を進めて動かしているが、現代日本でもひとつの地域やお店で「先進的な取り組み」は、必ず行われているのだから、当たり前の描写でもあるのだ。 そして「あの」望月佐渡守が行方不明だった鞘香を連れてきた。薬漬けにして‥‥。ここで初めて明らかになるのであるが、二部始めに行方不明になった、錦丹波の娘・鞘香と百姓娘・加代は、佐渡の守によって、一方は岡場所に売られ、一方は大奥の腰元候補に育てられていたのである。それでも、女性は自ら闘って自らの運命を切り開こうとする。そこには、武士も百姓も関係ない。2部を通して、子供たちの成長並びに女性の生き方の選択が、人々の縁の中で描かれているのも、大きな特徴であろう。 錦丹波は武士を捨てざるを得ない状況になり、加代と鞘香は再会するものの、加代は鞘香を助ける為に大奥へ、鞘香は運命の悪戯で岡場所の首領になるようだ。竜之進とアヤメは長崎に渡り、第一部から百姓の庄屋だった竹間沢が、なんと佐渡の守のもとでの日置領代官になる。そろそろ物語は終盤に近づいている気がする。 酒井忠清と佐渡の守の「野望」は、基本的には将軍職の「実質的な乗っ取り」にあることは、この長い物語で明らかになっているが、この段階ではその方法までは明らかになっていない。しかし、丹波崩しの目的は、単に日置一万石の領主になることではないことが、佐渡の守から言われる。それは果たして何か?それは次の章で明らかになるのだろう。 なお、この書評において再三、弟の岡本鉄二の死亡が第二部ぶつ切りの原因だと書いていたが、病気はあったかもしれないが、鉄二は今年まで存命だった。ここでお詫びと訂正をしたい。第二部終了の決定的な契機は、三男の弟の急逝だったのかもしれない。 (1996年1月より97年2月まで連載)
2021年11月28日
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総社市の「まちなか美術館2021」の企画、まち歩きマップで旧商店街をぶら歩きした。約30数年ぶりにこの辺りを歩いた。いろいろ努力していて、素晴らしい。 「えがきや」という、駄菓子屋を改良した小屋に入った。駄菓子店かと思いきや、アニメの本物の色紙、しかも手塚治虫、ちばてつや、安彦良和等々大物が10数枚飾ってあって、山本一二という有名アニメーターの原画ペラペラまで置いていて、彼らの風景原画(「もののけ姫」もあった!)まで置いていた。 「此処はなんなんですか?」 「アニメスタジオなんです。私の妹が、手塚プロに長いこと行っていて、今は岡山と東京に2箇所拠点を作ってやっているんです(妹さんは「色指定」らしい)」 「あの、映画のエンドロールに最後延々と出てくるアニメスタジオのひとつが此処なんですか?」 「そうです。「天気の子」とか(今度「鹿の王」も手伝ったらしい)」 妹の娘さんが、出てきて少し説明してくれた。 デジタル時代といえども、全て転送できるはずもなく、転送便を駆使しながらも、こんな小さな家でアニメの下請けをしているようだ。こういう小さなスタジオが、日本のアニメを支えていると思うと、もうびっくり感動!(中の風景は流石に撮影不可でした) 井手屋という立派な建物。 その手前に六枚橋という、小さな小川の跡と橋があった。 伏流水があるのか、綺麗な苔が生えている。 30年前にはもうなかったけど、豪商跡というのが至る所にあり、やはり頼山陽ゆかりの家の跡もある。彼は、この山陽道を通って、至る所に寄宿していたのだろうか。 元警察署の「まちかど郷土館」に久しぶりに入る。山陽道を今の道に合わせて詳しい地図を作っていた。両宮山古墳は山陽道かと思いきや違っていた。丸山古墳の辺りだとわかる。総社市を。すぎて、川辺を渡って、福山に繋がる今の道を歩いていたのだ。 総社市唯一の明治洋風建築らしい。木造かつ西洋という括りで、日本の洋風建築は、世界的に見てどうなのだろうか? 2階からの風景。 一般の家も趣がある。 昔住んでいた頃は気がつかなかったけど、古くて良い建物がたくさんある。 最後はこの古家を改造して運営している珈琲屋(焙煎が主みたい)に入った。 テーブルは小さな2人掛けが二脚のみ。隅々まで気の行き届いた店で、3人も働いていた。やっていけるのか?お客は来ていたみたいだけど。ドリップコーヒーは300円だった。 こういう休日も良い。
2021年11月27日
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11月20日、去年に引き続き日本平和大会がオンラインで開催せれた。平和大会・感想(というよりは、大会メモ)を載せる。 重要と思えるところは、太線にした。 ・全体集会では現段階の各地の平和運動の特徴がよく分かりました。 ・辺野古基地反対運動のよく整理された動画は興味深かった。コロナ禍のもとの運動の困難さ、その中で、未だ軟弱地盤改良工事が一割も行っていない現実は、本土ではまだまだ知られていない。本土と沖縄との連帯がますます必要だと感じた。 ・オスプレイ反対運動での、神奈川と青森との報告は、たびたびオスプレイが目撃されている岡山でも他人事ではなく、こちらも運動の強化が必要と感じた。 特別集会1.アジアの情勢を中心とした国際会議だった。 アン・ライトさんの話は、翻訳欄の仕組みがなかなか分からず、バタバタしてしまった。イ・ジュンキュさんの話は、論文調の話でなかなか頭に入らなかった。話し言葉で話して欲しかったし、図表も欲しかった。ベロさんは、ボソボソとした喋り方がキツかった。 川田忠明さんの国際認識。 「台湾有事はあるか」基本的に、中米共に政府幹部は「無い」と言っている。注目すべきことは「偶発的な衝突が戦争にエスカレートする危険はないのか」ということだ。これに説得力ある答えがないと、改憲を煽るネットウヨにも、本気で心配している情報リテラシーが無い庶民にも説明できない。結果的に、川田さんは「絶対ないとは言い切れないが、ない可能性のほうが高い」と説明しているとみた。フィリピンに金で懐柔しようとしている等。 東南アジアは1988(中越海戦)以来、軍事衝突はない。外交努力があった。ヨーロッパは多くある。日本に求められるのは、外交力の増強である。日本の自主的な外交の欠如。コレはとても説得力あった。これを暴いて、国民的な合意に持ってゆく。
2021年11月26日
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「世界ピクト図鑑」児山啓一 ビー・エヌ・エヌ出版 著者もまさかオリンピック開会式でピクトグラムがあそこまで注目されるとは予想していなかったろうが(21.8.15発行)、時期に合った出版です。 あるようでなかった図鑑。著者の最大の趣味は、街歩きや空港待ち時間でのピクト採取らしい。よって、同行の妻や仕事仲間からは「つまんないやつ」という評価らしい。でもお陰で、ざっと数えること1200~300の世界のピクトが一堂に会することになりました。いやあ趣味です。男の趣味です。いつか、マツコの番組に出てほしい(いや、もしかしてもう出てる?)。私も旅の時にはマンホール写真を撮るのを常にしていたのだけど、外国はその愉しみがないんですよね。ピクト集めを趣味にしようと決心しました。 序章ではピクトの歴史を概説。起源はヒエログリフ=象形文字、楔形文字、中国の甲骨文字と言われるけど、ピクト形象は一挙に近代から始まる。1920年オーストラリアの社会学者オットー・ノイラートが発案したアイソタイプ(ISOTYPE)と言われています。その後、国際基準は主にISOとUICの流れに分かれます。しかし残念ながら厳密な国際基準はできていない。反対に言えば、お国柄で少しずつ違いがあります。形が同じでも色が違う。構図が同じでも、絵が違うなどなど。だからこそ面白い。 例えばお国柄。礼拝堂のピクトがあるのは、やはり空港に多い。ジャカルタ、チューリッヒ、香港、ロンドン。イスリム用だけではなくて、ローマにはカトリック用もある。 例えばゴミ箱。分類用ゴミ箱は、多くは紙、プラスチック、金属に分かれ、色は派手さがあって色々。 例えば横断歩道や歩行者道路。これはお国柄が最も表れている。誰を渡らせるか(学童か大人か)、どういう格好か帽子や髪の形等々で様々。しかも、当初紳士と女の子が歩いていた歩行者専用道路は、やがて宇宙人みたいな抽象化に向かったりする。歴史もあるのです。 お国柄でいうと、表紙の右上端にあるピクトはわかるだろうか?サンフランシスコです。当初私は、サーフィン可能地域かと思っていました。なんとコレは「津波避難」のピクトなのです。 私の最も行く韓国のピクトで私も覚えがあったのは、地下鉄の優先席。妊婦、障害者、赤ちゃんを抱いた女性がよくわかるようにいつも特等席を用意していた。誤って座って、物凄く怒られたことがある。通訳案内のピクトがあることを初めて知りました。売店や靴磨きもボランティアでやっているのだそう。今度尋ねてみよう。
2021年11月25日
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「コケはなぜに美しい」大石善隆 NHK出版新書 私はこのコケの本を手に入れるまでに約10年以上の月日をかけている。ずっと苔のことが気になっていた。常に私たちの身の回りに居るのに、どの種ひとつも、名前さえ知らない苔たち。古代からどのように生きてきて、今どのように生きているのか、それさえも知らない。それなのに時々ハッとするような美しさを見せる。 図鑑を手に入れて、その名前ぐらいは知らなくてはならない。でも、それはかなり難しいのではないか?と思ってきた。一度展示会場で見たけど、何処がどう違ってこの種になったのか、さっぱりわからなかった。机上の学習では心許ない。かと言って重たい図鑑を持って外を歩き回るほどの時間は持てない。と思いながら10年が過ぎた。 一念発起。やっとキッカケとなる本を手に入れた。入門編の記述が豊富で、入門図鑑になりそうな本書が、電子書籍で安く手に入ったのである。 序章は苔の歴史。後は、都市、庭園、農村、里山、高山に分けての美しい写真を交えながらの代表的な苔の解説。これだとスマホ片手に、都市、庭園、農村までは直ぐに確認出来そう。 苔愛好者には悩みがあるそうだ。 苔観察は、普通の道で立ち止まり、こそこそ塀や街樹を見たり、しゃがんだりする。明らかに不審者である。それを避けるための動作が更に不審者ぽくなる。 更には、半日のコケ観察会で数メートルしか移動しなかったことは「あるある」だそうだ。 こういうマイナーな苔の立ち位置は、長年の遺跡愛好者の私には既視感ある立ち位置で、好感を持った。やはりお付き合いしたい。 ホモ・サピエンスの歴史は20万年しかないが、苔の歴史は藻類が進化して誕生したと言われる。4億5千万年前である。約2250倍もの差がある。この可憐な小さな生命が、そんなにも大先輩で、そんなにも長い間の風雪に耐えているかと思うと、光り輝いて見える。 苔に、諸星大二郎「生物都市」のような集団意識があったならば、地球の数億年の歴史はどう見えるんだろうか。 実は、本書を手に入れて約4ヶ月。何度か市中観察を敢行したのであるが、確信を持ってお名前が判明した苔はいない。なぜならば、まだルーペなどないので、細かい観察が出来ないことと、いくつかの苔は胞子を見ないことには見分けがつかないからである。 苔は、大型植物の「雑草」と競争したら負けは決まっている。それではどうするか。重要な戦略は、雑草が芽吹く前に芽吹くのである。立春(2月初め)が、苔の勢力拡大の時期らしい。その時に、私はさまざまな苔の名前を知ることになるだろう。 そうは言っても、名前判明の目星は付いている。 街の中で、コンクリートの隙間にモコモコと生えているのはホソウリゴケ。その他コンクリートにはハマキゴケ、ヘラハネジレゴケがいる。白い苔はギンゴケだろう。荒れ地にぽつんぽつんと生えてゆくのはヒョウタンゴケ。かもしれない。 街路樹に生えるのは、ヒナノハイゴケ、コゴメゴケ、コモチイトゴケなどがいる。 庭の中の代表選手は、ウマスギゴケである。春から初夏に雄株と雌株の胞子体の違いが顕著になるので、楽しみ。それを侵食してゆく背の低いコケはハイゴケだろう。暗がりにいるのはオオスギゴケの可能性が高い。農村にもいる、晩冬から芽吹くのはコバンチョウゴケかもしれない。 早く君の名を聞いて、本格的なお付き合いをしたいと思っている。
2021年11月24日
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「美しき小さな雑草の花図鑑」大作晃一・写真 多田多恵子・文 山と渓谷社 「雑草という名前の植物はない」と言ったのは、先先代の天皇だが、雑草専門の図鑑というのは、ましてや総てカラー写真の図鑑は、寡聞にして私は見たことがなかった。もちろん「野の花図鑑」ならば、ネジバナも露草もスミレも、タンポポも踊子草も必ず載っている。しかしながら、日々目にして、それでも何十年も名前も正体も知らずに、我が庭に堂々と蔓延(はびこ)っている黄色や紫色の「ちょっと見には綺麗な」花は、今まで2冊ほど野の花図鑑を持っていたのだが、遂には分からなかった。大きな図鑑を紐解けばわかったのかもしれないが、その頃は写真を撮って調べに行くほどの気力もツールもなかったのである。 実は、2年半前に「山と渓谷社」がキャンペーンでprime reading に本書を下ろしてくれていた(今は外れている)。私は勇躍して直ぐにダウンロードしたのである(日常図鑑は電子書籍が圧倒的に便利)。そしたら、想定以上に綺麗な図鑑だった。バックを真っ暗にすることで、花の形や色が、くっきり写っている。ただダウンロードしてわかったのは、花の種類が150種弱しか扱っていないのである。もちろんカタバミ、大イヌフグリ、屁糞葛、葛、等々有名な草花もたくさん入っている。良いところは園芸種や山野草を掲載してなく街中で目にする「雑草」に特化してセレクトしていることなのだが、ちょっと気持ちが削がれて、これをもって散歩に行く時間がなくなり、そのままになっていた。 今年、我が家の庭は大きく荒れた(今年だけではないか‥‥)。少し以上に大きくなった雑草を抜くのが遅くなった。そしたら、つくわつくわひっつき虫が。私は勘違いしていたのだ。 「おや、この花は萩の花ではないか。いつのまに種がきたのだろう。萩の花は万葉集で最も扱われている花で、小さいけれど風情があるなあ‥‥」大間違いだった。私は初めて「雑草の花図鑑」を紐解いた。実もちゃんと載っている。間違いようがない。 「荒れ地盗人萩(あれちぬすびとはぎ)」でした。何が万葉集か!!外来種ではないか!しかも、このひっつき虫、一つの実は5連ぐらい連なっていて、くっつくと一つ一つが分かれ、しかも普通の虫よりもさらにひつこく、普通にはたいたぐらいでは少しも落ちない。しかも、本格に雑草切り(大きくなると、ちょっと抜けなくなる)をしたら、全身に無数にくっつくのである。「荒れ地盗人萩‥‥」絶対に名前を忘れないぞ! また、可憐に小さな黄色い花も同時に咲いている。よくみると筒状の黄色い花がブーケのように集まっている。ところが、花の季節が終わると、茶色く花火ように実が成り出した。この茶色い花びらの閃光の一つ一つがひっつき虫である。花は無数になっていたので、これとも格闘しなければならない。 「小栴檀草(こせんだんぐさ)」である。熱帯アメリカからやってきた。お前の名前、覚えたぞ! あといくつかの憎らしい雑草の名前もわかってきた。 それから、初夏にいつも庭の片隅で、ひっそりと紫の六弁の花を咲かせ、ひっそりといなくなる花の名前もやっと判明した。「庭石菖(にわせきしょう)」という。君の名前も忘れないようにしよう。
2021年11月23日
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「メランコリア」とその他の詩 池澤夏樹 書肆山田 古代、詩は謳われるものだった。 必ず長詩であり 物語だった。 「日本文学全集」の編集を終えて 池澤夏樹にまた詩の季節がやってきた。 このように始まる。 メランコリア 1 失踪 ある日、アンナがいなくなった 愛が失われたからではなく 何かが彼女を迎えにきたから 私はアンナを探した 何日もこの大都会を歩いて探しつづけ 遂に彼女の新しい家を見つけた しかし、私がそこに行った前の日に アンナはそこを出ていた 手掛かりはあった 後を追えと言わんばかりのメモが‥‥ 「次の新月の晩 ラトヴィアのリガのグランド・ホテルのコーヒーハウス」 私は待った 私は行った そこにまたもや本人ではなく 手掛かりだけを見いだした‥‥ 「今年の夏至の日 赤道が横切る首都 大統領官邸の前」 行ってみると、アンナの残り香が漂っていた そういうゲームが始まった いつもドアのところに出てゆく姿がちらりと見える 走っていって外を見ても 街路には誰もいない ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そうやって12の詩(物語)が謳われる まるで「エレニの旅」のように 人生と世界と歴史が交差する 私はこの本を 全面再開した県立図書館の 新書コーナーの棚で見つけた 未だ誰も紐解いていない歌が 何処からか聞こえてきた
2021年11月22日
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ずっと来たかった、岡山県瀬戸内市のハンセン病療養施設だった長島愛生園に行った。 旧事務本館(歴史館)。長島のハンセン病(らい病)の歴史と実態と問題点を過不足なく展示していて、素晴らしい博物館だった。 1930年(昭和5年)竣工。この年、この長島に国立療養所第一号として、長島での「らい病」患者隔離政策が始まる。2003年に歴史館として開館。職員施設だったこともあり、美しい造りになっている。 もっとも人がいた頃の長島愛生園の島のジオラマ。それにしても、こんなにも住宅でひしめいていたのだとビックリする。この人たちは、一生、日本と接点を持たずに死んでいった。 「らい病」と長島の歴史を過不足なく説明。特に、万民を分け隔てなく接していた一休宗純が、気に入らなかったとは言え、兄弟子の「らい病」死を「仏罰だ」と切って捨てたというエピソードはショック。それほどまでに、「らい病」は嫌われた病気だったということか。 十坪住宅。劣悪な環境を改善しようと患者の結婚した人たちの住宅を「寄付」で建てる運動が、戦前に始まっている。しかし、条件は結婚カップルは断種手術をすること。この住宅が147棟建てられた。 十坪住宅への寄付を募る文章(昭和10年)。 この島に隔離することが、国の為になるとハッキリ書いている。「祖国を浄化させるため」「(隔離する事で)20年経たずにらい病を根絶できるだろう」そのための住宅問題の解決である。 その他見たもの。 夢の国に行くかのように誘う長島のパンフ(戦前) ビックリ! 90年代まで使われた投票箱。 無数に開いている穴は、投票用紙を蒸気で「除菌」するためである。 これがつい最近まで、最も公的な場所で行われてきた事である。 ハンセン病を学ぶことは、差別とは何かを学ぶこと。無関心が差別を生むのだ。 ‥‥この「教訓」が、非常に大切だ。 全文を書き写す。 「ハンセン病に対する偏見と差別は、国が政策を誤ったことにより助長されてきました。 しかし、それを容認してきたのは国民一人ひとりです。 「無関心」は、誤解と偏見を生み、差別につながります。 現在も様々な差別に苦しんでいる人たちがいます。 その人たちに関心を持ち、正しい理解の輪を広げることこそ、ハンセン病問題から学ぶべき大きな教訓です。」 「様々な差別」としてパネルでは、「障害者への差別」「外国人への差別」「同和問題」「ハンセン病問題」「病気への差別」などを挙げている。確かに全てまだ未解決の問題だと思う。 その他の展示物 そのあと、外へ出て少し回った。コロナ禍のもと、全て歩けない。これは収容桟橋。収容者用の桟橋は、職員用とは別になっていた。 収容所(回春寮)。入所すると、ますこの建物に収容される。現金などの全ての持ち物が没収される。 そして入浴。 監房跡。開園と同時に設置されたらしい。逃走したもの等を収容。懲戒権は所長に与えられていた。昭和28年になって、やっと廃止。 何故か園内では、NHKラジオ放送が延々流れていた。 使われていない公衆電話。 とおもいきや、上に各施設内内線電話表があった。むかしは頻繁に此処が使われていたのか。 「人間回復の橋」長島大橋(1988年開通)。 そこから観た虫明の美しい海。牡蠣筏が無数に浮いている。
2021年11月20日
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今月の映画評「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」 今月は、現在公開中の007シリーズの最新作にして、ダニエル・クレイグ主演最終作の紹介です。今ならばアマゾン・プライムでシリーズ全てが見放題配信。特にクレイグ初主演の「カジノ・ロワイヤル」(2006)だけは見て欲しい。今回と、それは見事に「対」になっているからです。 クレイグのシリーズは、今までをリセットしてボンドが007になるところから始まりました。しかも、凡ゆる面でシリーズがリセットされています。髪は初めて金髪になり、若返ったことで激しいアクションが売りになりました。マティーニはシェイクが好みだったのにこだわらなくなり、女性とも必ずしもベットインせず、女性を対等に扱っています。しかもシリーズ全体は続きものになりました。幾人かが数作品に出演して消えていきます。 そして、なによりも特筆すべきなのは、2人の女性です。「カジノ」においてヴェスパー(エヴァ・グリーン)との愛と裏切りを経ることで非情なスパイとなったボンドは、本作冒頭では、それでも007を辞めてまで一緒になったマドレーヌ(レア・セドゥ)が裏切ったと思い、直ぐに別れます。ヴェスパーのことがあったからです。でも本作は、そこから物語が始まる。そして、ボンドの恋に決着がつき、凡ゆる不可能なミッションをこなしてきたボンドに最大の試練を与えます。最終作にして、リアル路線の集大成、もちろん各国をまたにかけた贅沢なロケとアクションも健在でした。大画面で見納めを。(2021年米国キャリー・フクナガ監督作品、公開中) ※アマプラでシリーズ見放題と言っても、最新作は当然映画館でしか観ることはできません。アマプラのこともあり、急いでレビューを載せました。本当はシリーズ全体を解説しないと意味が通じないところが多数あるのですが、「エヴァ」とは違い、人口に膾炙している作品なので強行しました(←県労会議事務局長がファンということも後押し)。
2021年11月19日
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「東大式時間術」布施川天馬 扶桑社ブックス フォローしているレビュアーの「夏に出たばかりなのに、Kindleで1/3の499円になっていた」との情報についポチッとやってしまった私です。ええ、期間限定安売りに弱い私です(^ ^;)。 実は、Kindleでマンガとか短編小説とか雑誌とかは読んできたけど、学術書(?)は初めて。良いアプリではないか。マーカーした部分は、長文でも全部一覧で読めるし、コピーさえできる。滅多に、欲しい本が安くならないのが玉に瑕ではあるが、これからはちょっと注目してゆこう。 本書自体は、他の人も指摘しているのだけど、他の時間管理術と比較してあまり目新しい事は書いていない。それでも、自分に参考になる所が無いはずはないのであって、マークしたところを一覧として置いておけば時々見返して自戒できる。 著者のプロフィールは「1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれ、幼少期から貧しい生活を余儀なくされる。大学進学を考えたときに金銭的な事情や地理的な事情から、無理なく進学可能な大学が東京大学のみに絞られたため、東大進学を志すようになる。高校三年生まで吹奏楽部の活動や生徒会長としての活動をこなすが、自主学習の習慣をほぼつけないままに受験生となってしまう。金銭的余裕がなかったため、オリジナルの「お金も時間も節約する勉強法」を編み出し、一浪の末、東大合格を果たす。」というものだそうだ(コピーしました)。 なかなか今時の若者の真面目なレビューは読めないでいたけど、彼はマンガ「約束のネバーランド」「進撃の巨人」を「こういう風に読めば役に立つ」と勧めている。曰く「クリティカルシンキングの見本」「日本では扱いにくい民族差別問題を考えることができる」のだそう。「人狼ゲーム」も「思考による情報整理と、人を納得させるための論理構成力や話術などが鍛えられるゲーム」と評価している。ゲームは知らないけど、マンガは実に正当な読み方をしていて、日本の未来は明るいのかな、と少し思えたのである。
2021年11月18日
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「僕の姉ちゃん」益田ミリ 幻冬舎文庫 「これは、僕と、僕の姉による つかの間の、ふたり暮らしの記録です。」 そのようにナレーションがあって、僕(杉野遥)と、僕の姉(黒木華)による連続ドラマ全10話を、アマプラで観た。 面白い。それで、つい買ってしまった。 マンガだけで読んだ方には悪いけど、私の脳内は、既に姉ちゃんは黒木華で、「僕」のまともなツッコミを平然と受けてやがておもむろに語り始める黒木華のドヤ顔が再生されている。もはや黒木華はちょっと気弱な新人サラリーマン弟を「フッ」と弄る、恋遍歴が少しだけあるアラサー女史にしか見えない。マンガだと行間の姉ちゃんの思考はかなりの想像力が必要なのだけど、黒木華の圧倒的な演技力のお陰で、無表情な顔の裏側で、頭が高速回転しているのがありありと見える。 1巻目はソファーと台所机しか出てこないけど、私などは2人の住む家は東京郊外の一軒家、両親は長期海外旅途中で、庭の風景も知っている。なんか得した気分。 まるで、マンガをお勧めしているのか、ドラマをお勧めしているのか、不明な文章ではあるが、吉田善子脚本・監督は、原作の台詞をほとんどそのまま採用しており、ドラマをしみじみ反芻するにはピッタリの本です。‥‥やはり、ドラマを勧めているのかもしれない。
2021年11月17日
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「諸星大二郎の世界」コロナブックス 平凡社 漫画家のムック本に興味を持ったので、大好きな諸星大二郎を紐解いた。2016年発行。極めてオーソドックスな構成。大きな特徴は真ん中にひっそりと挟まれていた。 前半は、諸星作品を「古代」「民俗」「東洋」「南方」「西洋」「日常」に分けて、有名作品の原画を配し、そこに有名評者の短評を載せている。特に松木武彦(古代)と畑中章宏(民俗)の2人の評は、私がファンということもあって学ぶこと多かった。終わりは、山岸涼子対談、略年譜、主要作品解説、全335作品初出誌&単行本データと普通の構成ではある。 そして、真ん中に諸星大二郎が育った町、東京都本木町の再訪記が載っている。特別なことは書かれていない。普通の下町であり、今はほとんど面影もない。通っていた小学校は卒業直後に火事で木造校舎が焼けたそうだ。だから「ぼくとフリオと校庭で」はあんなに郷愁に満ちていたのか?「95の質問」で東京で1番好きな所と書いた「(お化け煙突が見える)荒川土手」も歩いたようだ。それを含めて、60年代の帝国書院地図が載っていた。まだ田んぼが多く、紡績工場跡もある。一度この地図を基に、西新井駅経由、大師前で降りて、大師の山門の仁王像を眺め、興野神社に寄り(作者家宅跡は分からないだろうから諦めて)本木小学校は寄り、最後に荒川土手に出てみたい。諸星大二郎に決定的な影響を与えた景色かどうかは、行ってみないとわからない。 もう一つ圧巻だったのは、仕事部屋の本棚を、写真だけでなく、活字の資料として、1000冊近く、すべて一覧にしてくれていたことである。畑中章宏さんが取材しているのだが、「まるで学者の書斎か研究室を見るようである。考古・民俗・歴史・宗教・美術・日本・東洋、西洋まで広範囲にわたるこの書棚の主は、本の配列を十分に記憶し、必要な本を、すぐに取り出すことができるだろう」と述べる。ざーと眺めただけでもくらくらした。一冊たりとも、簡単に手に入れたり、簡単に読み通せる本は置いていなかった。
2021年11月16日
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「ポーの一族 秘密の花園2」萩尾望都 小学館フラワーコミックス 実は、ついこの前知ったのであるが、「一度だけの大泉の話」の3人の主要登場人物の1人、増山法恵氏が6月に亡くなっていた。公になったのは10月7日である。彼女の死亡と、本書の内容との関係はないが、この作品に関して、私は知りたい一つの「秘密(謎)」がある。 話は1889年に移る。Amazon紹介文より。 エドガーは目覚めたアランを連れてアーサーの館を離れ、アーサーはますます病重く死を迎えようとしていた。そんなおり父と再婚相手との娘・セスが現れアーサーの看病をすることに・・・? アーサーの過去、パトリシアとの秘めた初恋の行方、そして目覚めたアラン。全てが絡み合い運命が1つの結末をつむぐ。 「秘密の花園」の章、完結巻。 前巻の感想で、明らかにしないといけない謎は3つあると書いた。以下は完全偏見に満ちた私的解釈です。 (1)メリッサの幽霊?が囁いた「ひとつだけお願い」の意味はなんだったのか? →エドガーは明確に言わなかった。それでも、エドガーがわざわざ後見人にアーサーを推薦したという事は、そういう事なのだろう。そもそも、メリッサ(アーサーの死んだ母親)の存在をエドガーは、一切不思議に思っていない。幽霊という存在も、ポーの一族の亜流なのかもしれない。 (2)アーサー卿は何故、誰によってポーの一族の仲間になるのか? →私は、エドガーがアーサー卿を仲間にしたのだとしたら、精神的な主従関係が出来てしまいおかしいと思っていた。ポーの村の村長(!)クロエまで呼んで準備したとは思わなかった。 (3)語られていない時代を埋めるという理由以外に、この時になって新しい物語を作り始めたのは何故か? →去年の12月に前巻を読んだ時には、単に「直ぐにポーの一族を終わらせたくない」という理由だと勘繰っていた。「大泉の話」を読んだ後に思うのは、「秘密の花園」全体が、「大泉の話」を執筆し、刊行し、その反響の中で描かれたということである。もちろん、萩尾望都は、描き始める前に、全ての構想と台詞を決めていた筈だ。萩尾望都の性格上、大泉とこの作品がリンクしないと思う方がおかしい。全体の問題意識は、10月15日に記されたという萩尾望都の「前書き(表紙見返しにあり)」がそれだと思う。 「‥‥アーサーが望んでいた愛は夢のように現れては消えていく。彼は人間として生きたいのか、エルフになりたいのか。己の罪、己の贖罪を告白し、アーサーは子供時代の無垢な花園に帰っていきます‥‥」 私は、アーサーの運命が、「大泉の3人」の運命のように思えてならない。萩尾望都は、どの時点で増山氏の訃報を知ったのか、私は知りたい。というのは、この全2巻、構想はこの上ないほどにしっかりしていて、緻密で凄いのだけど、人物の線が時々不安定に感じられる。「大泉」の反響の中で、萩尾望都の精神的負担があったとも思えるし、訃報に接していたならば、また違った動揺があったとも思える。15日段階では、おそらく城マネージャーから確実に知らされていたはずだから、この「前書き」はそういう意味でも重要だとだと思うのです。まあ、私の妄想ですが‥‥。 ミーハー的には、2000年段階でアーサー卿も、ファルカも、ブランカも未だ消滅していないのが確認された。オービンさえ出てきた。彼が一生をかけて書いた「はるかなる一族」という本は、ポーの一族を脅かすほどの影響を持っていないことも確認できた(そもそも100歳のオービンは、目の前にアーサー卿がいるのに気がついていない)。 次はとうとう「本題」に移るのだろうか? 今までで最速のレビュー(名目上の発行日の11月15日記入)になった。
2021年11月14日
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「ザ・ビッグイシュー vol.418」2021年11月1日号 表紙は「スタートレック」ではない。40年ぶりに再結成した「アバ」である。それは置いとて‥‥。 特集「公共 遊 間」のリード文は以下。 木漏れ日が心地よい日、公園や広場に腰を下ろし、ぼーっとしたい気分になりませんか。 「用がないなら、外に出よう」と誘うのは、笹尾和宏さん(水辺のまち再生プロジェクト)。笹尾さんは「私的に自由にまちを使う」PUBLIC HACK(パブリックハック)を呼びかけます。そぞろ歩き、外朝ごはん、公園でディナー……。公共空間の「独り占め」はダメですが「勝手に使うことは何も悪くない。まずやってみることが大事、一度やってみれば、適切な形にチューニングできる」と話します。 ステイ・アウトサイドの達人たち。くにたち0円ショップ(鶴見済さん・はらだゆきこさん)、東京ピクニッククラブ(太田浩史さん・伊藤香織さん)、日本チェアリング協会(伊藤雄一さん)にも取材。野宿を楽しむ、かとうちあきさん、広場「グランドプラザ」について山下裕子さんから、それぞれエッセイが届きました。 外気や自然を感じながら、あなた自身の自由を楽しみませんか。 特に笹尾和宏さんの「PUBLIC HACK」のお勧めは面白かった。実践はかなり微妙だけど、経験して行く中で、例えば岡山市の柳川の歩道の空きスペースで「ディナー」を開くことは可能かもしれないと、思うようになった。本を紐解いてみたい。 くにたち0円ショップもかなり魅力的だ。ツイッターをフォローしてみた。 対テロ戦争に参戦した元海兵隊員に取材した大矢英代さんの記事を読んだ。 「死者93万人、総額8兆ドル(約900兆円)」という20年間で、対テロ戦争で犠牲になった人の数と税金を、他に使っていたらどんなことができたろう?この問題意識は、元海兵隊員の想いであり、大矢英代さんの想いであり、私たちの想いでもある。 相変わらず、わかりやすい文章を書いていた。
2021年11月13日
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「総選挙結果をどう見るか」石川康宏 日本平和大会プレ企画 2021年11月6日 というのがあって、zoom視聴をした。 かなり自分流のメモなので、此処に出すことは躊躇われたのではあるが、 選挙結果を考えるための一つのたたき台としては意義があるのではと考え直して、公開する。 視聴しながらのメモなので、正確ではありません。文責はKUMA0504にあります。 野党共闘 野党共通政策 政権構想 大きく後退したわけでは無い 後退した要因。 (1)新政権が「菅政権を切り捨てた」かのようなポーズが、うまく浸透した。 (2)国会審議拒否 メディアと結託 「自民が変わるのでは無いか」幻想 (3)立憲・共産の批判に対して、野党側に充分反論できなかった (維新が安保自衛隊天皇制のデマ宣伝をくりひろげる) 「共産党も政策の自衛隊の段階的な政策・相違をわかりやすく伝える工夫が必要」 維新のこれからはもっと分析必要 野党共闘は接戦見ても効果あった。 支持者が政策や政権構想を腹から語れるようになるのには、未だ時間が必要。参院では、運動の時間確保を。 これからの運動。 これからは政権批判と共に、維新批判を。 市民の合意に基づく段階的な政治改革を共産党自身が独自に伝える努力を 有権者の半数近くに響いていない 展望。 岸田政権にすぐに幻滅が始まる 気候危機対策 ジェンダー 女性比率9.7% 市民生活に直接支援なし 投票を呼びかける側の言葉がどれだけ胸に響くか、が問われている。 自分の言葉で、自分として語る これからは、私の意見について「語り合える場」をたくさん持つ必要があるのでは オール沖縄と自民党との得票差が初めて逆転した。 改憲勢力2/3超えた。しかし参議院でのねじれはある。 来年の選挙で2/3以下であり続けることが大切 相手の矛盾を突こう。 連合の集票力は? 現場現場で仲間に引き入れる努力を 私自身は選挙に向けて50-60は講演会で話をした 維新の脅威対策を。 ・吉村知事は総裁選挙で空気を変えた ・年柄年中テレビで出ている。 ・空中戦だけでなく地方議員が増えて、彼らにノルマ、ドブ板選挙をやらせている。 彼らのことをきちんと伝えることが必要。 ・自公政権に影響はわからない。彼らの関係は固い。維新の人気は見かけ上は反自民党である。でも自公政権に入らない。、是々非々で行くだろう。彼らは野党共闘を分断する役割。 ・2012の維新との違い。 この時は野党共闘分断ではなかった。今は松井はアベスガを。支えることを自覚的任務と捉えている。
2021年11月12日
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「文藝別冊 萩尾望都」河出書房新社 内容が特別なのを最近知って、思い切って買ってしまった。買って良かった。思う存分色ボールペンを引けた。ムック本では異例だと思うが、2010年発行、2016年で15刷を数えている。 特別とは何か。 一万字ロングインタビュー、てばてつや、安彦良和、青池保子、羽海野チカ、永井豪、里中満智子、山岸涼子、小松左京、恩田睦、三浦しをんなどの、心のこもった漫画家生活40周年記念のマンガ手紙や寄稿、そして幻の短編作品3つと、デビュー作、デビュー前の未完成初期作品2つももちろん凄い。凄いが‥‥ それよりも決めてとなったのは、両親と姉と妹の家族インタビューがあったことである。ご存知のように、萩尾望都作品は、親からの抑圧を作品として昇華することで結晶化されてきた。「残酷な神が支配する」なんて、「メッシュ」なんて読むと、特にお父さん(現在は故人)はどんなに酷い親なのか、と想像していた。いや実際には漫画家として(我々としては)大成功しているのに80年ごろまで「仕事を辞めろ」とずっと言われ続けていたわけだから、事実としてかなり酷い親なのではある。 それで、両親のインタビューを読むとちょっと空気が違う。望都の名前からして二つも三つも意味がある。おいおい、私の親は私の名前由来でこんなに語れないぞ。そして父親は家庭では「もとこ」母親は「もーちゃん」と呼んでいるから調子が狂う。普通は母親が子供の頃の思い出を詳細に語るのは普通だ。ところが、古い九州男児の父親が異様に望都の子供の頃のエピソードを語る。曰く「(ボロ長屋に住んでいた頃、床に穴が開いていたので)その穴からカエルが時々顔を出すのです。もとこは、それを飽きもせず長い間、じっと眺めていました。もっとも、もとこはそれをカエルではなく、亀だと思っていたようですがね」等々、娘のことをよく観察している。もちろん、娘の才能を理解しきれない、等々いろいろ問題はあるのだけど、愛情いっぱいに育てたことは確かだろうと感じたのである。 結局、傑作の出来不出来は環境のせいではなくて、その人の才能(努力)なのだろう。両親や姉妹の証言を読んでも、幼年から萩尾望都の絵の才能は抜きん出ていたんだな、と改めて思った。 萩尾望都の仕事部屋や本棚、盟友・城章子マネージャーのインタビューなど、他にも貴重な記録が多くあった。
2021年11月11日
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「豆腐百珍 百番勝負」花福こざる イースト・プレス お、面白い。 個人的にツボ。何故ならば、この約5年間、豆腐はほぼ毎日半丁づつ食べてきたから(何故か?スーパーの特売品・毎週3パック86円を買っているから)。健康に良いし。でも流石に同じ食べ方では飽きる(めんつゆかけて七味振るだけ)。クラシル見れば試せるけど、めんどくさい。それでモチベーションあげるために選んでみた(←電子書籍半額セール)。 お、面白い。 天明2年(1782年)発行。田沼意次の時代。天明の大飢饉が始まった頃。当時としては大ベスセラー。わかる気がする。作らなくても、読んでいるだけで楽しい。江戸庶民の生活も垣間見れる。おそらく作ったら、もっと楽しい。全てが美味しいわけじゃなく、明らかに不味いものから、微妙ーなものから、う、美味い!!!と思わず唸るものから、「こ、これは!」と突然「美味しんぼ」の山岡が(全く説明もなく)登場するものから、様々な豆腐百珍が描かれている。 お、美味しい。 電子書籍なので、作ってみたいと思ったものは、ブックマークして持ち歩いている。ブックマークは1/10ぐらい。ほんの少し目先を変えたものがあまりにも多い(高野秀行によると、それこそが日本式の特徴らしい。つまり日本文化の大道‥‥本質よりも目先)し、不味そうなものも多いので‥‥。いつもは20秒でパッと作るんだけど、ちょっと丁寧に水切りして、田楽味噌を作って塗ったり、賽の目に切って炒り豆腐をやったりして‥‥。美味しいです。続巻、本来マンガはメモリ食うので出来るだけ避けているんだけど、「買います!」
2021年11月10日
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「移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議」高野秀行 講談社文庫 高野秀行さんの本を読んだのはこれで10冊目。高野ファンを公言して3年。早くあと10冊(著書の約2/3)は読みたい。それでだいたいその人の全貌がわかると私は思っている。本書は高野秀行の「視野と方向性」がわかる好著だった。 東日本大震災の直前、高野さんは日本に207万人もいるという在日外国人の「ふつうの姿」を知ろうと、食事風景の取材を始める。それまでの約20数年間、高野さんはアジアや各地の辺鄙な場所に行っては冒険と地域の人々と交流をしてきた。普通の姿を知るならば、食べているところが1番である、と私も旅をして覚えがある。その時に人は他所行きの服を脱ぐのである。ただし、高野さんには他人には無い能力がある。それまでに培ってきた人の懐に飛び込む会話術と語学力、そしてアジア新聞役員だったときの情報収集力である。 雑誌の連載ということもあって、本来なら深掘りするべき発言や行動もサラッと流してはいるが、重要な一言も食べながら聴けたようだ。 高野さんと一緒に、私も様々な外国の「ふつうの姿」に出会ってゆく。 以下、気に入ったところ。気になったところ。 (ぐだぐだと長くなっています。想いがあっち行ったりこっち行ったりして、上手くまとまらなかった) ⚫︎イランは黒いベールで覆われている。そのベールをパッと剥がすと、色鮮やかで繊細で人間味あふれた世界が広がっているのである。 ⚫︎南三陸町ではフィリピン人が最も多く15人いた。9人が家を流され、1人が行方不明。悲しいこともいっぱいあったのに久しぶりのフィリピン料理パーティーに集った女性たちの明るいこと。コミュニティが機能している。 「美しいものは何もかも流された。」「残ったのは私だけ。1番美しいものが残った」 ⚫︎題名の「移民」とは「日本に移り住んだ外国人」という意味で使っているが、この言葉をネガティブに捉える人もいる。アジアでは反発は少なく、ヨーロッパ人には拒否する人もいる。最大の政治問題だから敏感になっているのだろう。 ⚫︎以前、他の本のレビューで「中国人は冷めたご飯を嫌うからオニギリがないのだ」と書いたら「でも弁当はあるのではないか」と質問された。此処で解決した。中国人が冷めた弁当を嫌いというのは徹底されていた。学校の教室には「保温器」が置いていたのである。(←中国・韓国のコンビニにも弁当はあるが、必ずレンチンするのだろう。そういえば台湾の駅弁は決して11時前には売り出さないし、時には列車の中で販売していた。インドの弁当も午前10時ごろ嫁さんが作って、それを職場まで運ぶ職業があり、それがテーマの映画もあった)←冷めても美味しい弁当というコンセプトは、もしかしたら世界で日本のみなのかもしれない。 ⚫︎ムスリムが最も日本人と共存しにくいのは、一日5回の礼拝でも、ベールの義務でもなくて、食べ物の禁忌(例えば豚‥‥調味料に入ってもダメ)だろう。(←先日、イオンのエレベーター横の陰で午後5時過ぎ、ベールを被った女性が敷物を敷いて北西を向いて礼拝をしていた。凄いと思った)魚の方が規制が少ないので、ムスリムは寿司好きが多いらしい。 ⚫︎ 「日本人は神様いないでしょ?だから壁にぶつかったときにダメになっちゃう。自殺しちゃう。僕たちは神様いるから、壁にぶつかってもなんとかなるって思えるんだよ」あるムスリムはそう言った。←在日外国人の敬虔な信者は無宗教の日本人をそう評価しているのかもしれない。事実は、そうとは言えないとのだけど、ちょっと見には説得力ある。 ⚫︎ロシア聖教の生活を初めて知る。古式かしこきキリスト教という感じ。 ⚫︎「ボルシチは作るのに三、四時間かかる」「で、作ったら毎日食べるのに、日本人は次の日に別のものを食べたがる。三日目くらいが1番美味しいのに」←外国人は日本食が簡単だと複数外国が言う。曰く魚を焼くだけ、納豆や豆腐刺身はそのまま、しかし、毎日品を変えてつくるとは思っていない。これは見事な文化の違いである。←高野さんは更に、「日本人は外国の食べ物を日本式に作り変える」と指摘する。日本式ローストビーフ、日本式カレー‥‥。「本質を変える暇があったら目先を変えたい」。正に!これこそ、加藤周一のいう雑種文化が正に現代も生き生きと根づいている証だろう。 ⚫︎「ロシア人というだけで仕事がない」「日本語の一級検定を持っていても、ミニストップでもユニクロでもネイルサロンでも雇ってくれない」←今は少し事情が変わっているかもしれない。 ⚫︎「ニュース見ても分かると思うけど、朝鮮族は普段はおとなしくしていても、カッとなると激しいんですよ」←この辺りは、私は思い当たるところがたくさんあるけど、日本人は、特に嫌韓の人たちは理解しようとしない。 ⚫︎ 「キューリもトマトも味がしない。『なんだ、こりゃ?』って思いましたね。私は実家では近くの畑から取り立ての野菜を食べてましたから、なおさらです」(朝鮮族の男の言葉)←最近学んだが、朝鮮族系中国人のいたところは満州であり、そこは地球の中で土地が肥沃な地域である。野菜の味が変わって当然かもしれない。 ⚫︎高野さんは2012年の単行本後書きで、「外国人差別は激減した」と書いたが、2015年の文庫版後書きで「間違いだった」「今は自賛史観、手前味噌史観が大流行りだ」と嘆く。←その間に何が起きたかというと、別に世の中が変わったわけでなくて、オリンピックが決まったからだろうと、私は推測する。「日本人は成熟したなんで書いたが、全然まだだった」と高野さんは書く。←この意見に対しても、Amazonレビュアーの中には社会学者の論文の不備を突くかのようなことを指摘して、高野秀明は偏っている、と攻撃していた。高野秀明は単なる旅ライターに過ぎない。自分の体験してきたことに、感想を書いているのに過ぎないのに、何を息巻いているのかと、私は思った。しかも、高野さんの意見は目先のことに惑わされない。本質をついていることが、多いとさえ、私は思うのである。
2021年11月08日
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後半の3作品です。 「最後の決闘裁判」 1360年から1386年までの中世フランスの歴史劇を重厚に見せる作品。 てっきり、藪の中的な展開になるのだと思っていたら、ル・グリ視点でも十分「同意なしの強◯」であるとわかる映像。3人に分けた理由がわからない。 カルージュは、いわば戦うことしか能がない騎士バカ。ル・グリは実務型の野望家。その2人は若い時は友人同士だったことは確かなのだろう。しかし、領地を奪われていって、最後は憎しみ合いしか残らない。 マルグリットは、その中で野望もなく、確かに子孫を残すためだけに旧家に嫁いだ美しく聡明な女性という位置付け。 そんなに驚く設定も、驚く展開もない。 何がみんなを感心させているのか、わからない。 STORY 中世のフランスで、騎士カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、夫の旧友であるル・グリ(アダム・ドライヴァー)から暴力を受けたと訴える。事件の目撃者がいない中、無実を主張したル・グリはカルージュと決闘によって決着をつける「決闘裁判」を行うことに。勝者は全てを手にするが、敗者は決闘で助かったとしても死罪となり、マルグリットはもし夫が負ければ自らも偽証の罪で火あぶりになる。 キャスト ジョディ・カマー、マット・デイモン、アダム・ドライヴァー、ベン・アフレック スタッフ 監督:リドリー・スコット 脚本:ニコール・ホロフセナー、マット・デイモン、ベン・アフレック 原作:エリック・ジェイガー 上映時間 153分 2021年10月26日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「燃えよ剣」 新撰組は、滅びざるを得なかった。万が一幕府主導の新政府ができたとしよう。テロ集団の新撰組の何処に居場所があるだろうか?近藤勇の思惑と外れて、日本で1番のチャンバラ集団を目指していた土方歳三にとっては特に居場所はなかった。 そんなことを思わせないほどに、見どころを数分で済ませて、次から次へと進んでいく場面。 岡田准一の殺陣は素晴らしかったし、京都の街並み、リアルな殺陣、山崎丞の諜報、山南の進退は少し異常だし、徳川慶喜の解釈には?がっくし、ええじゃないかは要ったのか疑問だけど、総じて見応えあった。 田舎のバラガキ時代を尺を取ってじっくり見せてくれたのがとても新鮮でした。 それにしても、土方歳三という男、1862年から1869年まで、たった7年間でバラガキ→試衛館幹部→浪士隊副長→新撰組副長→臨時隊長→日本を代表する幕府方兵士→五稜郭隊長という役割を一流で駆け抜けた。こんな男はもう現れないかもしれない。 STORY 江戸時代末期、黒船来航と開国の要求を契機に、天皇中心の新政権樹立を目標とする討幕派と、幕府の権力回復と外国から日本を守ることを掲げた佐幕派の対立が表面化する。そんな中、武士になる夢をかなえようと、近藤勇(鈴木亮平)や沖田総司(山田涼介)らと京都に向かった土方歳三(岡田准一)は、徳川幕府の後ろ盾を得て芹沢鴨(伊藤英明)を局長にした新選組を結成する。討幕派勢力の制圧に奔走する土方は、お雪(柴咲コウ)という女性と運命の出会いを果たす。 キャスト 岡田准一、柴咲コウ、鈴木亮平、山田涼介、尾上右近、山田裕貴、たかお鷹、坂東巳之助、安井順平、谷田歩、金田哲、松下洸平、村本大輔、村上虹郎、阿部純子、ジョナ・ブロケ、大場泰正、坂井真紀、山路和弘、酒向芳、松角洋平、石田佳央、淵上泰史、渋川清彦、マギー、三浦誠己、吉原光夫、森本慎太郎、高嶋政宏、柄本明、市村正親、伊藤英明 スタッフ 原作:司馬遼太郎 脚本・監督:原田眞人 音楽:土屋玲子 撮影:柴主高秀 照明:宮西孝明 美術:原田哲男 録音:矢野正人 編集:原田遊人 衣装デザイン:宮本まさ江 上映時間 148分 2021年10月31日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「DUNE/デューン 砂の惑星」 良くあることではあるが、冒頭タイトルから「part1」と表示しているので、最近の鑑賞者は「騙された」と思っているかもしれない。 しかし、話の筋自体は、基本的にはポールが目覚めて砂の惑星の救世主となるのは、決定していていて、しかも既にPart2になる映像はそこかしこに『予知夢』として流れていて、それを見て「話か単純だ」「ネタバレ満々」と不満に思う最近の鑑賞者はいるに違いない。 しかし、それは『直ぐに答を欲しがる』現代人の病というべきだろう。ラストで『予知夢』はそのまま「現実」として現れないことが、現れている。ポール自身はそのことを知っているから、命懸けで戦ったのである。 香料自体の正体がよくわからない。普通の香料ではなく、幻覚剤のようでもある。覚醒剤のようでもある。しかし、この下の「ストーリー」では『抗老化作用のある秘薬「メランジ」』と言っていて、ソレ映画の何処に解説していたの?その他、原作を読まないとわからないところが散見するのは確かに欠点。 しかし、それを含めて10000年を過ぎた年代は、人間の文明が始まって1万年後の世界を描いたということであり、その世界は「皇帝が支配する宇宙」という設定。宇宙の秘密はまだまだありそうではあるが、武力が支配を決定するそして民族の抵抗者が反撃する世界観は、もはや古い、とも思える。それを如何に崩すか、これから見ものという気がする。 映像的には大満足であり、これを見た後には原作を読めばさらにイメージしやすいはずだという期待感があり、原作を読みたいと非常に思ってしまった。ファンタジーは大好きです。 惑星の経済、水変換の仕組み、トンボ型飛行艇の理由、兵士以外の民の生活等々、気になるところは多数。黒人やイタリア系等の多国籍映画にわざとしているのだが、この辺りは監督の狙いだろう。続きが作られることを切に望む。 STORY 人類が地球以外の惑星に移り住み宇宙帝国を築いた未来。皇帝の命により、抗老化作用のある秘薬「メランジ」が生産される砂の惑星デューンを統治することになったレト・アトレイデス公爵(オスカー・アイザック)は、妻ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)、息子ポール(ティモシー・シャラメ)と共にデューンに乗り込む。しかし、メランジの採掘権を持つ宿敵ハルコンネン家と皇帝がたくらむ陰謀により、アトレイデス公爵は殺害されてしまう。逃げ延びたポールは原住民フレメンの中に身を隠し、やがて帝国に対して革命を決意する。 キャスト ティモシー・シャラメ、レベッカ・ファーガソン、オスカー・アイザック、ジョシュ・ブローリン、ゼンデイヤ、ジェイソン・モモア、ハビエル・バルデム スタッフ 監督・脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 脚本:エリック・ロス、ジョン・スペイツ 原作:フランク・ハーバート 2021年10月28日 MOVIX倉敷 ★★★★
2021年11月07日
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10月は「たった」6作品しか観れなかった。 「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」 最後は何処からかウサギのぬいぐるみが現れると思っていたんだけど‥‥。 スマートでタフでヒューマンな、スパイ映画として、ちゃんと楽しめるエンタメ映画を10数年も演じてくれたダニエル・クレイグに感謝。 次はどうやって、「ジェームズ・ボンド」がリターンしてこれるのか見て期待。 観たはなから忘れる。 でも面白かった。 それで良いんだと思う。 でもどうしてあの敵役は日本趣味になったんだろ。 実は後でじわじわと傑作だったと思うようになった。 今月半ばに「今月の映画評」に、上と全く違う感想を書きます(^^)。 ストーリー 諜報(ちょうほう)員の仕事から離れて、リタイア後の生活の場をジャマイカに移した007ことジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は、平穏な毎日を過ごしていた。ある日、旧友のCIAエージェント、フェリックス・ライターが訪ねてくる。彼から誘拐された科学者の救出を頼まれたボンドは、そのミッションを引き受ける。 キャスト ダニエル・クレイグ、レイフ・ファインズ、ナオミ・ハリス、ロリー・キニア、レア・セドゥ、ベン・ウィショー、ジェフリー・ライト、アナ・デ・アルマス、ダリ・ベンサーラ、デヴィッド・デンシック、ラシャーナ・リンチ、ビリー・マグヌッセン、ラミ・マレック スタッフ 監督・脚本:キャリー・フクナガ 脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、スコット・Z・バーンズ、フィービー・ウォーラー=ブリッジ 製作:バーバラ・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン 2021年10月6日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」 ホントに彼らのファンならば、途中で歌を絞られるインタビューなど挿入するな、と言いたいかもしれない。しかし、ほとんどリアルタイムでは彼らの音楽に触れてきていなかった私にはちょうど良い入門編だった。 「マイガール」など耳に覚えのある曲は数曲あったけど(これが黒人音楽台頭の中で歌われたとは思いもしなかった)、多くは、ハーレムで生きることや、信仰の歌、人類愛の歌、抵抗の歌など、今を辛く生きている黒人に向けて歌った歌が歌われた。 19歳のスティーヴィー・ワンダーがピアノなど無視しているのに見事に弾きこなす。スライの自由な服装に観客が反応する。当時の黒人の置かれた状況、開催当日アポロ11号の着陸の日であったけど黒人の反発、さらにはそれを批判した歌や批判するパフォーマンス、様々なインタビュー、50年後の人々のインタビューなどが、入れ替わり立ち現れる。とても、一度見ただけでは、理解しきれない程の情報量が映し出される。今年最高のドキュメンタリーである。 (解説) 50年間封印されていた音楽フェスの頂点、ついに解禁! ウッドストックと同じ1969年の夏、160キロ離れた場所で、もう一つの歴史的フェスティバルが開催されていた。30万人以上が参加したこの夏のコンサートシリーズの名は、「ハーレム・カルチャラル・フェスティバル」。このイベントの模様は撮影されていたが、映像素材はその後約50年も地下室に埋もれたままになっていた。誰の目にも留まることなく――今日この日まで・・・・ 才気に満ち溢れた若きスティーヴィー・ワンダーの勇姿、1年前に非業の死を遂げたキング牧師に捧げる、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズの、会場を異次元に導く歴史的熱唱、ウッドストックでもベスト・アクトの一つと称された当時人気絶頂のスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの圧巻のパフォーマンス、そして後世に語り継がれ、聴くものの人生を変えたニーナ・シモンのメッセージ・・・この約50年間、ほぼ完全に未公開だったことが信じられない、音楽の頂点を極めた貴重すぎる全てのシーンがハイライトと言える。この2021年に世に出るべくして出た、今年最も心躍り、感動的かつ重要な、時空を超えた最高のドキュメント! スタッフ 監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン 出演 スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ザ・フィフス・ディメンション、ステイプル・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン、ハービー・マン、デヴィッド・ラフィン、グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップス、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、モンゴ・サンタマリア、ソニー・シャーロック、アビー・リンカーン、マックス・ローチ、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモンほか 2021年10月17日 シネマ・クレール ★★★★★ 「総理の夫」 原作から少しづつ変えて、政策的にもジェンダー的にも大きく後退する脚本にしていた。脚本家、プロデューサー、監督共に、どうしようもない旧守家でした。 増税法案は自民党そっくりのものに変わっていて、原作では茶番の後に総理を辞めないことに決意したのに、辞めることにするなんて! 普通今の時代ならば、産休取って、普通に復帰を選ぶべきでしょ?何考えてんの? 中谷美紀の女性総理はぴったりの配役だけに、男の論理がまだ製作陣にいることがわかりガッカリ。 STORY 少数野党の党首を務める凛子(中谷美紀)を妻に持つ、鳥類学者の相馬日和(田中圭)。もし総理大臣になったら不都合はあるかと凛子に尋ねられた日和は、それを気に留めることもなく野鳥観察の出張に向かう。電波の届かない孤島で彼が10日にわたって野鳥観察をしている間、凛子は日本史上初の女性総理大臣に選出される。突如、総理の夫となってしまったことに戸惑いつつ、妻を全身全霊で支えようとする日和だが、夫婦の愛と絆を試されるような問題が次々と降りかかる。 キャスト 田中圭、中谷美紀、貫地谷しほり、工藤阿須加、松井愛莉、木下ほうか、長田成哉、関口まなと、米本学仁、国広富之、寺田農、片岡愛之助、嶋田久作、余貴美子、岸部一徳 スタッフ 原作:原田マハ 監督:河合勇人 脚本:松田沙也、杉原憲明 音楽:富貴晴美 製作:鳥羽乾二郎、村松秀信、西新、佐藤政治、今村俊昭、渡辺章仁、與田尚志、岩野裕一 エグゼクティブプロデューサー:福家康孝、柳迫成彦、三輪祐見子 企画・プロデュース:谷戸豊、橋本恵一 プロデューサー:山本章 共同プロデューサー:小久保聡、大森氏勝 キャスティングプロデューサー:福岡康裕 宣伝プロデューサー:小沼賢宜 撮影:木村信也 照明:石黒靖浩 美術:黒瀧きみえ 録音:日下部雅也 編集:瀧田隆一 装飾:鈴村高正 VFXスーパーバイザー:赤羽智史 衣裳:遠藤良樹 ヘアメイク:百瀬広美 スクリプター:杉本友美 選曲:長澤佑樹 音響効果:松井謙典 助監督:木ノ本豪 制作担当:赤間俊秀 2021年10月12日 MOVIX倉敷 ★★
2021年11月06日
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Myツィッターでのツイートのほとんどは、私はブログのリンクを貼った上で20字から120字ほどのブログの内容の紹介に終始している。ブログを週に5-6回更新しているからツィッターもそれぐらいツイートしている計算になる。 ブログの文章さえ作れば、あとはほとんど事務作業であり手間はかからない。ブログの文章は好きで書いているのだから苦にならない。よっていつのまにか16年以上(ツィッターを使い出したのはこの10年ほど)続いている。 言いたいのはそのことではない(益子徳一オジいサンみたいに回りくどい言い方になってしまった)。 ツイートすれば、何故かブログの「閲覧」計測器が20ほど回る。基本的にツイートに「いいね」は付かない。それでも、ツイートにはリンク先を「触る」ような機能?がついているのかもしれない。仕組みはわからない。まさか20人、無言のツィッター経由のブログ読者が居るとは私は、夢夢思ってはいない。 私は「ブクログ」という読書サイトにも登録していて(kuma0504で登録)、最近ブックリストという機能ができたので、もうこの2ヶ月でセッセセッセと10数回自分や気に入ったレビューの「リンク」を貼ってきた。それによって、もしかしたらリンク先のレビューを見た人はいるのかもしれないが、いわゆるそのレビューに「イイネ」をポチッとしたのは、1-2人なのである。ブックリストという紹介そのものに「イイネ」をポチッとしたのは総数100以上あるのに、である。 もはや日本人における「イイネ」は、「こんにちは」の挨拶程度なのだろう、と私が考えてもおかしくはない。ブックリストには、「是非リンク先を読んで欲しい」と書いているのに、「イイネ」しながらそれ以上リンク先に進まない。もし本当に読んだならば、気に入らない人以外は、その労力の証に「イイネ」するものだと私は思っている。 何が言いたいのか。 「今の人たち」は老若男女、140字ぶんしか読む気が無いのだ。いや、140字は多すぎる。せめて100字分しか読まない。 リンク先まで読む人は、そのうちの多く見積もって2/100!! 当たり前だろ! もっと先に結論言えよ! そういう声さえ聞こえる気がする。 何でみんなそんなに結論を急ぐのか? 詩人の宮尾節子が11月2日のツィッターで言っていた。 ハロウィーンの渋谷で化け物に変装した若者が、インタビューに答える。「僕のように何もわからないものが、一票を入れてはいけないような気がして」となりの化け物もウンウンと頷いている。物凄く気持ちがわかる。まともだと思う。でもそのまともが参加しないことによって。政治が暴走するのが悲しい。 ツィッターで内田樹さんが選挙分析で面白いことを書いていた。(21.11.1) 朝一の原稿書きは明日締め切りの1500字。選挙結果について書きました。最大の問題は戦後ワースト3という低投票率です。「なぜ人は棄権するのか?」。 僕の仮説は「教育の成果」というものです。子どもたちは学校で「先生が出した問いに正解する」ことが知性の運用だと刷り込まれます。 先生は問いを出した後、少し子どもに考えさせてから正解を開示します。子どもたちは問いと正解を「セット」で記憶することを求められる。問いを出されて正解を知らない場合には「黙ってうつむいている」のが正しいマナーです。誤答するより沈黙の方が「まし」と教えられる。 会社に入っても同じです。上意下達的組織では、上司の出す業務命令の適否について下僚には異議を唱える権利はありません。勤務考課についても異議を唱えることはできません。現場で遭遇した想定外の事態についても自己裁量で判断することは禁じられています。 「どうしていいかわからない場合は何もしないでフリーズする」というのが日本社会が子どもたちに刷り込んできたマナーです。 選挙は「誰に投票するのが正解かわからない」選択です。正解がわからない場合には誤答するよりうつむいて黙っている。棄権者たちはそのマナーに忠実なのだと思います。 今回選挙は、SNSでバズったところは成果を得た。良くも悪くも。 だから、「今の人たち」はテレビよりもSNSを「見て」いるのだ。けれども、深くは絶対見ない。バズらないと、炎上しないと、見ない。 そしてわからない時は、「うつむいて黙っている」つまり棄権する。そして、それが自公政権を長続きさせる。 何が言いたいのか? 「イイネ」した人のうち80/100ぐらいは、 リンク先を追え! そうじゃなければ「イイネ」するな!! いや、ホントに言いたいことは、そんなことじゃないんだけどね。 投票率が上がれば、野党共闘が勝利する。その明確な根拠が以下である。
2021年11月05日
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「図書2021年11月号」 面白かった記事は以下。 ⚫︎柳広司「うすねこやなぎいろ 3」 いろいろ世の中を批判して(愚痴って)いるのだが、その過程で柳さんはデジタル化時にテレビ買い替えを止めたことが判明。しかもネットニュースも見ない。もうまるで京極夏彦「オジいサン」そのままなのだが、ネットで調べると現在54歳ということが判明した。まぁこんな人もいますよね。 ⚫︎栗田隆子「ゆるみゆく身体を抱えて 2」 「図書」に連載をもつような方は、まかり間違っても生活保護を申請するような方では無いと勝手に思っていたが、ここにそんな方がいた(実際には障害者年金をとった)。コロナがそれを加速したことは間違いない。 ⚫︎土井隆義「意図せざる出会いの豊かさ」 映画と原作の「あのこは貴族」を読んだ社会学者の考察が面白かった。学者も認めている。現代は、このような「ハプニング」が無い限りは、「違う階層」が出会わないようになっているのである。いつのまにか、ホントにいつのまにか‥‥。
2021年11月03日
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「オジいサン」京極夏彦 中央公論社 72歳、独り身、子供なし、現在は無職、公団住宅に住む年金暮らしの益子徳一の心のうちを、ほぼ徳一の呟きだけで作られた一冊である。京極夏彦にとっては稀覯作なのではないか?一章目の題目は「七十二年六箇月と一日 午前五時四十七分〜六時三十五分」という体(てい)で付けられており、ご丁寧にも見開きの毎頁左下には5時47分を示したアナログ時計の絵と共に「七十二年六箇月と一日」と記されている。 ‥‥そうなのだ。益子徳一はアナログ人間で、2009年現在、地デジのせいで、田中電気の先代から買ったテレビが「見えなくなる」ことにどうしてもガッテンがいかない。いや、頑固な老人なわけではなく、得心がいかないことに従いたくないだけなのだと徳一は思っているのだが、どうもそれが「頑固だ」という事を理解していない老人なのである。徳一は几帳面な男だ。目が覚めたとき几帳面にも枕のカバー代わりの手拭いを替えたのはいつか、想いを馳せてしまう。ついでに加齢臭について呟き‥‥。そもそも何故そんなことを枕元で考え始めたかというと、自分が「オジいサン」と呼ばれた日がいつか、つい考え始めたからである。想いは次々と代わり、一分以内にはおそらく二つ以上のことをつらつら考えていたはずだ。 ‥‥いや、認知症というわけではない。その証拠に一つひとつ記憶を辿っていけば、ほら思い出した。四日前の水曜日だ。そこまで思い出したのが六時五分。目が覚めてから十八分。 ‥‥長い。一分が長い。一時間が長い。それなのに一日は短い。すぐに陽が暮れる。一年はあっという間に過ぎ去ってしまうというのに、四日前の出来事がまるで何年も前のことのようである。昔のことはよく思い出せるのに。近くが霞み、遠くが明瞭なのだ。 ‥‥やはり益子徳一、認知症一歩手前か‥‥ という感じで、一冊延々と綴ったのが本書である。これを書いた時、京極夏彦46歳。まるで自分の体験を書いているかのようではあるが、これは紛う事なき「創作」なのである。いつものように装丁の組版も京極夏彦が担当し、フォントの大きさから、ページの最終行にどの文句がくるかまで、綿密に「計算」して文章を作っている。それに乗って、私も若いのにまんまと自らが老人になったような気分になって‥‥、いやその割にはあまりにも既視感ありありではないか。徳一と私と似たようなところが次々と出てくる‥‥、いやいや、未だ私は地デジの何たるかは知っていたぞ、いやあれはもう十二年前だから当たり前か、そうではなくて、ホラ、スマホをプラスチックケースの箱だという徳一を諭すことができるし、カセットテープは燃やせるゴミだということも検索して直ぐにわかったぞ、まぁ時代が12年もあとなんだからそんなに威張れないか‥‥、いや‥‥、いやいや、いかん、私も枕元で既に一時間近くこんなことを書いてるぞ‥‥
2021年11月02日
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「怪獣8号」(〜4巻)松本直也 集英社ジャンプコミックス 映画「シン・ウルトラマン」や「大怪獣のあとしまつ」にタイアップした企画であるのは間違いないのだけど、それ以上にオリジナル性ある新しい怪獣漫画。最新巻(4巻)まで一気読み。 松本直也さんは、ぽっと出の新人だと思っていたが、ウィキで調べると2005年デビューの16年選手だった。前回は魔界もので、魔界世界視点の人間(女子高生)との交流を描いていたようだ。 本書は巻末に制作協力として「背景美術 小岩井治(おさプロ)」「仕上げ 桜二朗」「銃器デザイン マントヒヒ・ビンタ」という「プロ集団」の参加がクレジットされていた。これは最初から「ヒットさせるのが前提」「映像化が前提」の「コンテンツ売り」の作品だと私は推測する。(←編集者の仕事はコンテンツ売りだと今年学習した) だからといって必ずしもヒットするのかはわからないのが、本音でマンガ読みをする読者がウヨウヨいるこの世界のシビアな所なのだけど、コレは成功していると思う。ジャンプ編集者頑張りましたね。 4巻まで出て、リアルな現代技術世界を描きながら、ファンタジーな世界観を構築している。原作者はクレジットされていないので、これは松本直也さんの世界観なのだろう。 強い怪獣の「何か」が中年男に取り憑いて、怪獣討伐隊に参加するという「デビルマン」オマージュのストーリーから、何故取り憑いたのか、何故怪獣が襲撃する世界になっているのか、何故突然強力な怪獣が次々と現れるようになったのか、人間はこの世界にどのように対応してきたのか、してゆくのか、という「謎への問いかけ」を、この4巻までに出し尽くしたと思う。あとはこの謎の解答編を展開するまでだ。絵はプロ集団がバックアップして、まるで映画を観ているよう。キャラクターがアニメ寄りだけど、これは仕方ない。 4巻目で、隠しに隠していた、主人公が実は怪獣8号だったという設定。怪獣10号の討伐と引き換えに、それが防衛隊に知られてしまう。当然主人公だから、このまま殺されるわけないとは思うが、これからはステージが変わるだろう。「ウルトラマン」になるか「デビルマン」になるか、愉しみ。
2021年11月01日
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若い方へ 選挙には行きません。 時間がないから ではありません。 よくわからないからです。 そう言った貴方へ でも投票してみてください のお薦めです。 私だって 日本がこれから何処へ行けばいいのか きっちり答えられません でも一度も欠かさず投票してきました。 企業に忖度したり 人のお願いに折れたことは 一度もありません。 これぞ、という人に入れてきました。 秘訣があります。 ネットで 政策の比較表を見つけてください。 ひとつで良いので 自分の気持ちに1番ピッタリ来る政策を持つ 候補者(小選挙区)と政党(比例区)を 決めてください そこに投票します そこが当選しなくても良いんです 政策が結果的に正しくなくていいんです これから数年間 投票した候補者が約束通りに動いたか 投票した政党が約束通りに動いたか その政策が 正しかったのか 間違っていたのか 少しずつ少しずつ 検証してみましょう たったひとつで良いんです 次の選挙の時に 答えが見つからなくても良いんです 私でも未だ見つからない答えがあります 貴方は若いから きっと見つかります。 その過程で だんだんとぴったりの候補者、政党が 見つかってゆきます。 大変かもしれません。 でも間違っていいんです。 貴方は若いから きっと直ぐに確信持って 選ぶことが出来るようになります。 そんないい加減な選び方 邪道じゃないか! と貴方は言うのですか? 民主主義は多数派が政策を決める 正しい政策はそこにある そこに行き着く「行き方」を教えて欲しい と貴方は言うのですか? 周りの大人にいろいろ聞いてみてください 邪道じゃないし、 民主主義はそんな簡単ではないです。 むしろ 直ぐには答えが見つからない このやり方こそが 民主主義の大道なのです。
2021年10月31日
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「ザ・ビッグイシュー vol.417」2021年10月15日号 特集は「土と微生物と」でした。 (ホームページより) 「水の惑星」地球は、「土の惑星」でもあります。土があるからこそ地球は命を育む星になりました。地球上の12種類の土を探し求め研究してきた藤井一至さん(森林総合研究所)は、食卓の食べ物の95%が土に由来すると言います。たとえば「朝食は“チェルノーゼム”で育てた小麦パンに、北欧の“ポドゾル”でとれたブルーベリー・ジャム。お昼はアジア熱帯雨林と“強風化赤黄色土”が育む香辛料(ウコン)を使ったカレーライスと“黒ぼく土”でとれた野菜サラダ……」というように。 一方、土の中には植物の生育を助け、医療薬ともなる無数の微生物が棲んでいます。土壌微生物研究者の染谷孝さん(佐賀大学名誉教授)は、「蛍光顕微鏡で観察できるようになって、土壌1g 中に100億個もの細菌の存在が判明。しかし、その99%は未知」だと言います。 枝元なほみさんからは“土と微生物”についてのエッセイと料理が届きました。 さて、地球には「たった」12種類の土しかないのか?というのが衝撃的。しかも、土の色は茶色や黒が常識ではなかった!! ノルウェーならば白、アフリカ中部ならば赤、インドネシアは黄色と答えるのだそうだ。 しかも、しかも三大肥沃土壌は世界の(日本ではない)一部に過ぎないという。 まだまだ世界は謎に満ちている! しかも、細菌の世界まで踏み込むとさらに謎に満ちている。 ちょっと読んでみたくなった。 「土 地球最後のナゾ」藤井一至 光文社新書 「土壌微生物の世界」染谷孝 築地書館 浜矩子さんが岸田内閣の経済政策をバッタバッタと切っている。曰く「アホダノミクス」! 池内了さんが「うまいものは別腹」というのは、科学的根拠がある、ということを説得力持って説いている。つまり「脳の命令」であり、一定身体は耐えられるそうだ。身体に悪いのは当たり前なので、それがフリーパスポートにはならないけれど。 やっぱ、ビッグイシューは面白い。
2021年10月30日
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小池共産党書記長が倉敷駅前に街頭宣伝に来たので聴きに行った。 立憲民主党の柚木みちよしが野党共闘で挨拶していた。 以前は消費税減税は間違っても言わなかったのに、コロッと消費税は5%にと言っていたのが印象的。 DVで離婚寸前の橋本岳をなんとしてでも落とし、LGBTは生産性が無いとのたまった杉田水脈の比例当選を落とすために、なんとしてでも柚木みちよしさんには勝ってもらわなくてはならない。 そして小池さんの主張の中では、 「岸田首相は成長と分配の好循環と言うが、問題は分配の中身が歪んでる。アベノミクスの9年で、大富豪の資産は6兆から24兆の4倍、内部留保を133兆積み増した。ところが、働く人の実質賃金は22万円減った。庶民の暮らしを底上げし経済を良くする、この道に切り替えよう」「命と暮らしを守る政権」へ、というのが1番心に残った。
2021年10月29日
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「ミステリという勿れ」(3-8巻)田村由美 小学館フラワーコミックス この数年続きが気になって仕方なかった本シリーズをやっとまとめて読めた。前回、ホームズにおけるモリアーティ的なガロさんの陰謀で、広島の旧家の遺産相続争い(?)に引っ張られた整(ととのう)くんの活躍から(3巻〜)8巻まで一気読み。 ドラマとかでもそうです。証拠を出してみろとか言うのは、たいてい犯人です。無実の人はそんなこと言わないと、僕は常々思っています。(3巻) 僕は常々思っているんですけど、そういう古い掟とかルールは、別に天から降ってきたわけじゃ‥‥‥‥人がつくったものは、人が変えていいんだと思います。だって、人は間違うから。(3巻) 僕は常々思っていて、ドラマなんかの爆弾犯はどうして、予告どおり、表示どおりの時間に爆発させるんだろうって、表示よりちょっと前に爆発する様に仕込んでおけば、大勢を巻き添えにできるだろうに‥‥「できるだろうに」ってことはないけども。(4巻) 広島編の広島弁はかなりの「本格」です。映画「虎狼の血」でさえ使わないような‥‥てっきり作者は広島出身かと思いきや、4巻のおまけで、声優の佐々木望監修と書いていた。何故か感心した。 5巻冒頭で指導教授の天逹先生が映画「ビリーブ 未来への大逆転」を大プッシュしていた。筋と全く関係ないが、嬉しかった。その先生が「人に会い、人を知りなさい。今のうち。」「ただし、犯罪が絡むようなら逃げてくださいよ」という素晴らしいアドバイスを整くんにしていた。もしかして、ここでこのシリーズのテーマが出たんじゃない? 6巻は、よもやよもやのまるまるガロ編。今まで疑問だったところのピースが埋まり、また、新しいピースが付け加えられた。大長編の予感! 僕、常々考えているんですけど、どうして自動車だけ、事故が仕方ないと思われているんでしょう。(7巻) 6巻で、大長編が始まると予想したのだけど、7巻は、また別物語でした。でも整君の過去が少しわかって嬉しい。天逹先生の正体、もしかして6巻の謎のカウンセラーかと疑っていたんですが、その気配なし。7巻は純粋に天逹ゼミの「別企画」なのか? それで8巻でとうとう大長編が始まるかと思いきや、またもや大鬼蓮美術館編の中篇。でもここでライカさんの秘密が明かされる。そして遂にガロさんが整くんに近づいた。 これは「絶対テレビドラマに向いている」と言ったのは、もはや遠い過去の、1巻目の感想の時。「僕は常々思っているんですけど」という台詞は絶対流行る。何でここまで遅くなったのかは知らないけど、来年の1月にドラマ化が決まった。主人公整くんには菅田将暉というピッタリの実力派が決まっている。 ここで時間切れ。 9巻以降はドラマが始まってから読みます。 おまけ 僕 いつも思うんですけど、血液が水より濃ゆいのは当たり前で、そのまますぎて、もっと他に水じゃなくて何かたとえるものがなかったんだろうかって‥‥(3巻) 僕は常々思っているんですが、もし家にいて家事と子育てすることが、本当に簡単で楽なことだったら、もっと男性がやりたがると思う。でも実際はそうじゃない。ということは、男性にとってしたくない、できないことなんです。(3巻)
2021年10月28日
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「ヴィラ・マグノリアの殺人」若竹七海 光文社文庫 若竹七海の葉崎市シリーズ第一弾。ジャンルとしては「コージーミステリ」というものらしい。でもこれホントにコージーなの?喫茶店や古書店を舞台に、悩みを抱えた客の謎を、店主のお婆ちゃんや若い女性が解いていくものではなかったの? 作者本人がカッパノベルズの初版でコージーミステリを説明しているらしい(「解説」より)。 ‥‥小さな町を舞台とし、主として誰が犯人かという謎をメインにした、暴力行為の比較的少ない、後味の良いミステリ‥‥これが「コージー」らしい。更にこの作品を説明して「重苦しい情念の世界も、鬼面人を驚かす類の大トリックもありません」と断ったうえで「舞台は海沿いの閑静な住宅地」で、「それぞれ一癖ありそうな住民たちが、ご近所に降って湧いた謎の死体に右往左往する、犯人さがしのミステリ」と説いている。 この定義は若竹七海さんの視点で語っているので、眉唾です。殺人死体は2体登場するし、決して後味の良い感動作でもない。ラストエピソードまで読むと、なかなか「黒い情念」もある。しかも私はこのトリックに辿り着けなかった。もっとも、ほとんどのミステリでは辿り着けないんだけど‥‥。因みに「深夜の散歩」をして午前三時まで読みきれなかったからと言って、ラストの種明かしを先に読むようなことは私はしません。 それでも、 10軒の住宅の住民の、特に女性から発せられる辛辣な言葉の数々 双子の麻矢と亜矢が無邪気に悪意を持って2人交互に喋りながら重要証言をする、見事な仕掛け 刑事の聴き取り、レストランで住人同士の会話、密かに行われる密謀、共犯者?アリバイ?被害者の正体?そして意外な犯人‥‥ やはり徹夜してでも一気に読むべきだった。 諦めて睡眠は取ったのだけど、 時々仕事に支障をきたしてしまった。 葉村晶シリーズにちょくちょく出てくる作家・角田港大が重要な役割を持って登場していた。更には葉村らしき人物がたった1行だけ登場する(台詞も作品への影響もなし)。よってレビュー界隈ではその話題で持ちきりという、まぁありがちなサービスもある。 10月初めの台風の日から始まる3日間を中心にしたミステリ。決して季節を狙ったわけではありません。年間10冊は若竹七海を読もうシリーズの7冊目。
2021年10月27日
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「深夜の散歩」福永武彦 中村真一郎 丸谷才一 創元推理文庫 最近創元推理文庫で復刊してくれたそうだが、私は昭和53年版の講談社「決定版 深夜の散歩」の感想を書く。よって文庫版にはあるという福永・中村対談は読めてはいない。 たいへん面白かった。 紐解いたのは、本来、純文学畑の福永武彦・中村真一郎・(丸谷才一)が、大衆文学のミステリを縦横に語っているからである。もっとも、福永・中村は「モスラ」(61)の脚本も担当していたのだから、エンタメに興味がなかったわけではない。たまたまエンタメを書かなかっただけに過ぎない。主には「エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン(「ミステリ・マガジン」の前身)」1958-1963年連載から編集。 福永武彦は探偵小説を紐解くことを「深夜の散歩」と称する。 ‥‥ヴァレリー・ラルボーというフランスの作家は、読書を「罰せられざる悪徳」と呼んだが、探偵小説の場合には、そんなにたかをくくってはいられない。いい気になって歩き廻っていると、そのうち夜が白々と明けてくる。罰はたちまち下って、あくる日一日中眠くてふらふらする。上役には叱られる。恋人には笑われる。と分かっていても、真犯人を掴まえるまでは、散歩の途中でやめられないというのが、因果なところだ。‥‥ 都筑道夫君は、読書の限界時間は午前三時と言い、もしそれで終わらなかったら、平然と「終わりを先に見てしまい、安心して寝ます」と答えた。飛ばしたところは、翌日、改めて読むそうだ。 心配性の椎名麟三君は、必ず最後の部分を読む。そして安心して読み始める。それを精神分析すれば、(1)犯人がわからないで、実存主義的不安に苛まれるのが怖い(2)著者は犯人が誰かわかっているのに、読者の方は皆目わからない、というのは著者から馬鹿にされているのも同然、負けず嫌いの椎名君はだから終わりから読む。←気持ちは物凄くよく分かるが、それを言っちゃおしめーよ、的な所ではある。 赤鉛筆片手に、トリックから、動機から、いちいちマークして読み進むのは中島河太郎先生らしい。 福永武彦自身はどう読むか。随時、仕事の合間に休んで読む。仕方ない。つまり我々と同じということらしい。 という冒頭から面白い。 ところが、残念なことに私はホームズとルパンを各一冊しか読んだことがない、人も驚く海外ミステリ初心者。福永武彦は、クリスティー「ゼロ時間へ」ブランド「緑は危険」クリスティー「死が最後にやってくる」‥‥と、まるで人をして読んできたような気にさせる軽妙な紹介に満ちている。もちろんラストは明かさない。他にもロンドン警視庁について一席ぶったかとおもいきや、なんとチャンドラーのマーロウ探偵を悪し様に言い、パリ警視庁のダックス警視、メグレ警部までに及ぶ。こうやって読んでいくと、ハリウッド俳優みたいに、詳しくないのに知ったような気になる。 実は「獄医立花登シリーズ」のタネ本を探す意図もあったのだが、当時の海外ミステリを縦横に語りながら、獄医どころかほとんど医者は出ていないのを確かめた結果になってしまった。藤沢周平の獄医シリーズは、もしかして完全オリジナルなのか? 未だ「ミステリ」というよりも「探偵小説」と言った方が通りが良かった時代の、「探偵小説は文学じゃないのか、どうなのか」というような問題意識が評者の中に時々芽生えていた時代の、もう深夜の隠れた趣味のような、教養の塊の3人の評論集だった。
2021年10月26日
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「嵐を呼ぶ少女と呼ばれて」菱山南帆子 はるか書房 菱山南帆子さんの半生記(と言ってもたった27年間)です。 1989年東京都八王子市に生まれる。中学1年の時から、イラク戦争反対などの市民運動を開始。現在、福祉施設職員として働きながら「許すな!憲法改悪市民連絡会」「戦争をさせない・9条こわすな!総がかり行動実行委員会」のメンバーとして活動。 彼女の半生を読むことで、21世紀から徐々に始まった日本の市民運動の内実を見た気がする。 高校生まで(←「から」ではない)の、正に嵐を呼ぶ「怒涛の市民運動人生」が先ず語られる。 ・小学5年のとき、学級崩壊児童を叱る担任の差別発言を「批判して」、学級の女子半分で「100日間戦争」を起こす。 ・ただ1人「君が代」を拒否する。 ・小学六年生、夏休みの自由研究は東村山のハンセン病隔離施設「多摩全生園」だった。 ・自由な校風の和光中学を親の反対を押し切って選ぶ。学園長は丸木正臣。 ・03年冬、中学一年、13歳の時、日比谷野外音楽堂「イラク戦争反対」集会に参加して感動、3月、学園前で2回戦争反対の手作りのビラをまく。 ・連日アメリカ大使館前に大人と共に座り込む。 ・有事法制反対三万人集会で発言した。 ・13枚目のビラで「子どもを政治から遠ざけないで!という訴えは、同時に『子どもは政治から遠ざからないで!』と言い換えてもいいと思います」と書いた。 ・04年初めて沖縄へ。以降何度か通い詰める。東京の新千円札が沖縄では機械に通らない、等々の「発見」。←私が30代で気がついた事を彼女は14歳で気がついている! ・06年、高校生反戦行動ネットワーク結成。←この頃、高校生が元気だ、ということを聞いたような気がする。彼女だけでなく、高知などさまざまな息吹を聞いた。 高校の終わりから大学生の終わりにかけて、精神的に疲弊して閉じこもる(足踏み時代)。反対に言えば、そこで初めて「小市民」生活、地に足をつけた生活を経験した。でも彼女がそれで終わるはずがない。、 ・2011年、大学3年の春、3.11が起きる。 ・5.3憲法集会で復帰。「許すな!憲法改悪市民連絡会」(代表・高田健)に参加。 ・秘密保護法の反対運動を経て、2014年9月に「1000人委員会」と「9条壊すな!実行委員会」が合同して集団的自衛権容認反対の「総がかり行動」に発展する。 ・SNSの活用、ショートコール、街宣の宣伝、街宣での歌つくり、お花見街宣、ブックカバー宣伝「憲法集会へ行こうよ、パレード」、国会包囲行動に向けての自主CM、街宣お芝居、山手線一周街頭宣伝、さまざまな工夫を、凝らしている。←これらの知恵を是非どこかにまとめて共有してほしい。 ・2015年、8.30 10万人集会、安保法強行採決という画期が現れる。←10万人集会はSEALDsが主催したと勘違いしている人がいるが「総がかり行動実行委員会」が主催したのである。主催者側の貴重な記録。 この頃の彼女の活動は、高校生の時の一人で突っ走るものと全く違っていて、「市民の運動を組織する」ことを体現していた。SEALDsのように、いっときの花として終わるものではなかった。それは高田健らの代表たちの指導もあったが、菱山さんたち若者が運動を引っ張っていた局面も確実にあったと思う。加藤周一が望んだ「老人と若者が手を結ぶ運動」がここで実現している。しかし未だ東京の一部の実現でしかない。 彼女は安保法の戦いの局面で「国会に突入しろよ!」という輩を止める立場に立った。2019年の米国選挙のトランプ陣営のホワイトハウス突入に見るように、それは何も生まれないのは明らかなのであるが、こういう声は必ず起こる。「急がば回れ」彼女たちはまだ26歳だったのだけど、大人でよかった。怪我人を出さない戦い。それを実現したのは、彼女たちの大人の戦いに依るところが大きい。 「これは政治風土との闘いだ」 風土は一年や二年で変わるものではない。けれども、人為的なものであるから、急速に変わることもあり得る。 政治風土の特徴とは、政治に対するタブー視、個人としての主体的な意見を持とうとしないこと。そして怒り下手、表現下手。 「私たちの街頭宣伝活動はこのような政治風土とがっぷり四つに組み合う格闘技です」←鋭い指摘だと思う。 本書は4年以上前の本だ。この時から既にスローガンになっているが、彼女たちの活動は「野党共闘」を実現させた。これからも、ニ歩前身一歩後退は起きるかもしれないが、着実に彼女たちの運動は前進しているという印象を受けた。
2021年10月24日
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「僕の姉ちゃん」吉田善子監督・脚本 黒木華(ちはる)と杉野遥亮(順平)との、両親が海外赴任している間のいっときの二人暮らしの話。原作益田ミリ。4コママンガらしい、クスッと笑えるエピソードを重ねながらも、今時の若人の本音と頑張りが実によく見えるシリーズ。 黒木華の「弟よ‥‥」から始まる上から目線の説諭が的を得ていてクスクスしてしまう。順平のいじられキャラが、またハマってる。 あっという間に10話(約5時間)を観てしまった。 (解説) 年の離れた姉弟が束の間の二人暮らしをする日々を描いた益田ミリの人気漫画「僕の姉ちゃん」を、テレビ東京にて実写ドラマ化! 原作は、雑誌『anan』で長期連載中の「僕の姉ちゃん」(マガジンハウス刊)。姉・白井ちはるを黒木華、弟・白井順平を杉野遥亮演じます。追加キャストとして久保田紗友、若林拓也、平岩紙、渡辺大知、遊屋慎太郎、片桐仁、監督・脚本を吉田善子、オープニングテーマにハンバート ハンバートの「恋の顛末」、エンディングテーマにOKAMOTO’Sの「Sprite」が決定したことは既報の通りですが、本日9月24日(金)から!ついにAmazon Prime Videoにて、全10話一挙配信します! 先日解禁した予告動画だけでも反響の大きかった本作。本編では、黒木華演じる姉・ちはると、杉野遥亮演じる弟・順平の、かわいくてやさしい世界を存分にお楽しみください!姉・ちはるの数々の名言もきっと心に刺さるはず!思っていても普段は口に出せないような気持ちを、辛口のちはるが徹底的に代弁してくれます。 そして、映画や舞台で主演を飾る豪華な共演者にも注目!これまで解禁したキャストに加え、第33回サンダンス映画祭短編部門グランプリを受賞した『そうして私たちはプールに金魚を、』やWOWOW『FM999 999WOMEN'S SONGS』での主演が記憶に新しい湯川ひな、映画「あみこ」で主演を務め、数々の作品で独特の存在感を放つ女優の春原愛良、所属する劇団「阿佐ヶ谷スパイダース」の「桜姫」で主演を飾り、日本舞踊家の家元として今年2月に三代目藤間紫を襲名、女優と日本舞踊家の二足のわらじで活躍中の藤間爽子も出演しています。 その他にも一つ一つ考え抜かれた衣装に、美術に、音楽…隅々まで作りこまれている『僕の姉ちゃん』。一度入り込むと抜け出せない素敵な世界が広がっています。読んだ人の心を掴んで離さない原作と、実力派揃いのキャスト、作りこまれた演出が生み出す『僕の姉ちゃん』をお楽しみください! 2021年10月12日 Amazonプライム ★★★★
2021年10月23日
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「明治大正京都追憶」松田道雄 岩波書店同時代ライブラリー 本書を紐解いたのは、あるサイトで、私が斎藤美奈子「挑発する少女小説」レビューで「女の子には、男の子よりも「未来」がある気がする」と書いたら、某氏からコメントを貰ったから。 「(松田道雄に関して私への)お薦めは「明治大正 京都追憶」そうそう思い浮かべたのが「私は女性にしか期待しない」でした、、、」 コレでてっきり本書に「私は女性にしか‥‥」の言葉があると思ったのに、いくら読んでも出てこない。あとでもう一度考え直したら、「私は女性にしか‥‥」は、松田道雄のほかの著書の「題名」でした。うーむ、勘違い‥‥‥‥という経緯で読み始めたのですが、確かにお勧めされるだけあって「私好み」の本でした。ありがとうございました♪ 1908年(明治41年)、生後六ヶ月で京都に移り住んだ松田道雄は幼年、少年時代を京都に生活した。著者の「京都」「(明治大正)世相篇」である。そういう意味では、先に読んでいた「一〇〇年前の女の子」のテイさん(明治42年生まれ)と似通っている。ところが私は、テイさんほどは感銘を受けなかった。 「あとがき」に書いているように、松田道雄さんは自らの記憶だけで本書を書いているわけではない。京都は昔から日本有数の都だけあって、新聞や書物が多く残り、また子供時代の友だちから多くの証言をとって自らの記憶を調査・補強して執筆していた。それが悪いということではなく、むしろ学術的価値の高い「記録」になっているのではあるが、テイさんのように、日本人の「心性」にまで落とし込んだ「証言」とまではいかないのである。あくまでも明治大正の世相史という気がする。一方で「一〇〇年前の女の子」はヘタをすると、弥生時代まで想像できるような言葉に満ちていた。 京都だけあって、現代の明治建築遺跡巡りの本や、大人の明治大正世相の証言は数多くあるが、子供目線からの証言は、初めて知った。奇しくも、2年前秋の京都旅で、私は松田道雄の母校・蛸薬師町の明倫小学校旧正門跡を眺めている。しかも、その元になった明倫舎は、つい最近読んだ心学の石田梅岩の弟子・手島堵庵(1718-1786)が開いた心学講舎である。何かの縁か‥‥。それはともかく、コレはおそらく非常に貴重な本だと思うのであるが、ヘタをすると絶版になりかけている。 ただ、都会の自分史の調査はどのようにしたら良いのか、ここに素晴らしい手本がある気がした。高度成長期直前・直後に生きた私の幼年時代のちょっとした町の記録と私の人生は、このように調べたら書けるのかもしれない。 また、京都に住んだことのある人にとっては、興味深く、懐かしいだろう記述が非常にたくさんあった。 以下、面白かった所をメモ。 ・茨城の祖父母が京都見物で驚いたのは、京都女の立ちション姿。「花売りおばさんが、急に路上で塀に背を向け、膝を曲げずに上半身を深く屈した」。小水だけを集めるのに、町にたごを配置したためだろうと松田は推測するが、直に見たという記述はない。大正・昭和の頃には廃れていたのかも知れない。 ・仲小路の細い路地に住んでいた頃、様々な売り子などの声が聞こえたという。雲水の「オーオー」「やっこ、はらいまひょ」、または「いさぎ(ハゼ科の魚)、か、ひうおー(鮎の稚魚)」「はったいのこ、いらんかいなあ」「きんぎょう、きんぎょう」「やーきー、丹波ぐりー」修理屋も、たくさん通ったらしい。瀬戸物の割れたのを継ぎ合わせる商売、こうもり傘、下駄や雪駄の修理、すいかけ屋さんはふいごを鳴らして炭を真っ赤におこす。これは幼い松田も見ていた。←全て今は廃れた職業。 ・浴場では石鹸以外にも糠袋を使っていた。日本髪の人は、固練りの白粉をしっかり首筋から胸にかけて擦り込んでまた湯船につかった。お灸の後に丸い和紙を貼って湯船に入る人も。男湯には刺青の人も多くいた。←刺青の銭湯での姿は、私もほんの20年前まではよく見た。立派な人、途中までの人、色々だった。 ・明治45年ころ、同年代3歳の友だちが疫痢で一晩で死んだ。何の病気か?松田道雄宅は小児科医だったので、食品管理は厳密になった。買い食いは厳禁だったという。 ・河鹿(かじか)は売っていた。河鹿を飼うのが流行っていた。生きたハエを餌にするので、祖父は近所の子供からハエ十匹を一銭で買っていた。鳴き声を競わせることもしていて、大正に衰えていた声比べを復活させる動きもあったらしい。その頃には既に京都に売る店は二軒か三軒しかなかったらしい。←鈴虫と同じ趣味の世界。けれども、川の水が清くなくなって廃れたのだろう。 ・大正2年、烏丸通に面して、蛸薬師と錦小路の中間に、松田小児科診察所を開業。 ・新開地の仲小路と、洛中では、子どもの遊びが違っていた。歴史ある歌があり、昔からの歌が使われた。「鬼になって苦しんで、だいこの汁などねぶりゃんせ」「京の京の大仏っあん、れんこ、れんこ、誰のとなりに誰がいる」‥‥。 ・小学校の休み時間の遊び方も、その時代の特色がある。←そういう意味では、我々の時代のドッジボールや相撲、追いかけっこなどもやがては歴史になってゆくのだろうか。他にも色々遊びを発明したような気がするのだけど、今は思い出せない。 ・小学生生徒対象の小さな店や屋台があった。たばこ屋の中には文房具と玩具(小さくて安いヤツ、バイ、メンコ、ドン、行軍将軍、日光写真、花火、ピストル、紙煙硝、ビー玉、南京玉、紙風船等々)。子どもは親しみを込めて「おおたけはん」と呼んでいた。屋台店は入れ替わり立ち替わり現れる。虫屋、杉てっぽう屋、夏には水中花を売る店、金魚釣りの店、竹とんぼ屋、カツオムシ屋(鰹節にわく一センチほどの黒い甲虫の背中に軍艦の絵を貼り付けると、軍艦が自動的に動いているように見える。虫ごと軍艦一隻が一銭だった)←昭和30年から40年の初め、我々の小学校の近所になかた屋という名の文房具屋があった。帰り道には「あかざわ屋」という玩具売り店があり、ここにはいつもお婆ちゃんがいて10円や20円の商売をしていた。毎日の小遣いを握り一生懸命考えて買っていたのが懐かしい。時々路上屋台が来てクッキーを上手く削れたら商品がもらえるという商売等々色々来ていた。 ・大正6年、松田道雄の活動写真を見た記録(母親の家計簿)がある。「拳骨」や帝国館で「鉄の爪」等のパール・ホワイト嬢が主人公の話。男女平等で、松田道雄の思想はこういう所からも育ったようだ。←岡山の活動写真は1919年ごろから始まっている。岡山は少し遅れたということか。 ・加茂川でゴリ釣りを覚える。ゴリとは河川に棲むハゼの様な魚。護岸用の隙間の石から釣る。あっという間に百匹近く獲ったらしい。他にもエビ、どじょうなどがとれた。←羨ましい。私は食用になるような魚を取ったことがない。唯一はアメリカザリガニだろうか。 ・京都の商家には私設の望楼が多い。火事の行方を確かめて、商品を速く土蔵に入れるためだが、大文字を見る場所、凧をあげる場所、火事の見物をする場所でもあった。 ・松田道雄の母親は2年間だけ詳細な家計簿(婦人の友社発行)をつけた。その内訳はとても興味深い(220p) ・大正8年(1918年)11月、京都に「流感」が流行った(←スペイン風邪とは何故か記入していない)。父親は小児科医なので、子どもへの感染防止に骨をおったし、仕事も忙しかった。この時、下京だけで毎日4、50人が死んだ。学校は休校。予防には烏天狗の嘴の様な形をしたマスクをかけた。おまじないも流行った。白豆三粒、小豆三粒、南天の葉三枚を入れた欝金(ウコン)の袋を腰に下げる、というものらしい。父親は薬を使う。去痰剤にセネガ根の浸剤を使っていた。←スペイン風邪の重要な証言だろう。
2021年10月22日
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「地図帳の深読み 100年の変遷」今尾恵介 帝国書院 地図の専門出版が世に問う「深読みシリーズ」で、地図の歴史的な読み比べが出た。今年8月に発行された時から紐解くのを愉しみにしていたが、感想は「少し残念」というものだった。 100年前の地図というと、全て旧字体でしかも印刷技術は発達していないから文字が潰れているものも多い。それなのに、前作と同じレイアウトを使い、1ページの1/6ぐらいしか使わない地図が多用されていた。これだと、目の悪い私なんかそれだけで見る気が半減した。地図にある豊富な情報が読み取れないのだ。昔の地図は今回の倍ぐらいは総て拡大するべきだったと思う。 それでも、面白かったところ。 ・関東大震災直前とその後区画整理された後の東京・新大橋辺りの地図の比較(25p)。 ・台湾台中辺りの昭和9年の地図。サトウキビを収穫するため鉄道が発達している(55p)。←旅した時にこの辺りが栄えていた理由がわかった。 ・台湾に今も残る日本式地名の意味(高雄、松山、板橋等々)。台湾の親日の現れというだけではない。その前の地名は、当時の宗主国清朝が与えた。その現地読みの漢字化が屈辱的だった。高雄の前は「打狗(ターカオ)」。←そういうことは、日本人はきっちり知っておかないといけない。だから、一方で韓国の地名は戦後直ぐに元に戻ったのであるし、韓国民にとっては日本人に三十数年間強制された地名(ソウル市内だけでも青葉町、大和町、並木町、弥生町等々多数)は屈辱だったに違いない。(57p、106p) ・沖縄・嘉手納基地の大正8年の地図を初めて見た。銃剣とブルドーザーで接収された土地は野原や畑だけではなかった。数千人の生活を保つ大きな町が2つもあった。(68p) ※ ここで、本書の記述を少し超えてSNSで知り合った方からのリクエストに応えたい。165p、167pの二つの岡山県南地図は本書では珍しく大きな縮尺で、細かい所まで確認できる。地域の産業の変遷が、地図から読み取れる例として使われているのではある。質問されたことに答えるとともにもう少し詳しく解説したい。 先ず令和3年の地図に特産品として「弁当」が載っている。「弁当の特産品って何?」某さんの指摘では何のことかわからなかったが、弁当と言えばどうせ駅弁のことだろう、だとすると祭り寿司かなと想定して紐解くと、何と弁当産地は大きな町のない田舎、むしろ山の中ではないか!笠岡在住の詳しい友人に質問したが、初めて聞いたという。「昔は下駄の産地だったらしいです(←これは私も初耳)」とのこと。全然違いますね。もしかしたら教科書の誤植である可能性があります。 県南の児島地区は干拓地なので、塩害の関係で塩に強い産業が発達した。それが、昭和9年の地図に綿花、綿糸、染料、花ござ、真田紐、除虫菊が記入されている理由になっている。最近の干拓地ではなく、戦国から江戸時代にかけての非常に大掛かりなもので、500年の歴史がある。 それどころではない。実は、岡山県の人口の大半を占める県南地の平野部分のほとんど(現在の岡山市・倉敷市の大部分)は、岡山県にある三本の三大一級河川の土砂でできたものなのである。古く弥生時代前期に遡れば、この平野部分は全部海だった。「吉備の穴海」とも言い、遠浅の海が続いていた。この500年こそは人口干拓だったが、3000年かけての長い干拓地だった、とも言える。だからこそ、2000年前に吉備国が栄えた。1000年以上かけて岡山平野という大きな穀倉地帯が現れたのである。源平合戦の時は、遠浅の海を巡って様々な悲劇が繰り広げられた(←すみません、省略します)。 閑話休題。 塩害に強い綿花から綿糸や染料へ産業が広がり、現在は学生服(シェア7割)、ジーンズ(厚手織物の技術の継承)に移りました。 一方の流れとして、児島の由加神社お土産の真田紐から厚手織りの小倉織、足袋、ジーンズに変遷して行く。ここには書いてないが、厚手織物として帆布の生産も高い。それを使ったトートバッグは多くの商品が出回っている。ジーンズは児島だけでなく、離れた井原も生産地だ。 また、倉敷から大原孫三郎が出現してクラボウを世界的な企業にしている。だから、大原美術館もできた。 真田紐から麦わら帽子が発達して、現在もシェアは高い。祖母が長いこと、麦わら帽子の原料の組紐みたいな材料つくりを内職でやっていた(50年前)。除虫菊生産も塩害の関係だろう。近くの玉島に古くて大きな線香の工場があるのを知っている。つい最近まで存在していたけど、最近行っていないなぁ。 塩害の関係で、イグサの生産量は高かった。その関係で現在も備前畳表は生産量質共に高い。 ‥‥こう書くと、改めて3000年にわたる土地を活かした産業への、庶民の「工夫」が、我々の生活を作っているのだな、と感じた。
2021年10月20日
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昨晩、十三夜の月に現れた「月の輪」。少しわかりにくいですが、よく見てください。 月の輪古墳という名称もあるように、 幻想的なこの景色に 何かを想う人々が多くいた ということなのだろう。
2021年10月19日
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「愛憎の檻 獄医立花登手控え(3)」藤沢周平 文春文庫 藤沢周平は海外ミステリのファンということで知られている。獄医者という、犯罪者を取り締まる側にも被害者にもならぬ、人間として接せざるを得ない立場に主人公を置くという秀逸な設定は、海外ミステリから題材を採ったのではないかと当たりをつけていろいろ検索した。見つけ切らなかった(最近の「プリズン・ドクター」という海外ドラマはある)。70年代までのミステリで、そういう小説が有ればぜひぜひ教えてもらいたい。 違う設定で考えると、日本の時代小説にはお手本がある。山本周五郎「赤ひげ」である。底辺にいる市井の人々と、修行中の医者との組み合わせである。ただし、立花登には赤ひげはいない。ほとんど仁術は行わない。立花登は、弱い者の立場に立つ普通の医者であり、たまたま柔術の達人なので、危ない橋を自ら渡るのである。 お陰で、本書には6篇もの短編があるが、全てあっという間に解決している。文春文庫版の表紙にはそのうちの一編「片割れ」の一場面が描かれているので少し紹介すると‥‥。 登の獄医の非番の日、叔父夫婦が出かけているので羽根を伸ばしていると、急患がやってくる。見るからに人相の悪い男の刀傷の手当だった。その後、登は牢獄で破傷風の男の手当てをする。見ると同じような刀傷で日にちも一致しているし、男の片割れは今は逃走中だという。だとすると、人相を見た登と従姉妹のおちえの身が危ない。登はあの手この手を使い、男の片割れを割り出す。襲ってきた片割れと登は対決をするのだが、思いもかけない事実が‥‥。 表紙の右側にいる娘がおちえである。いっときは不良娘とつるんだり、叔母に習って登を呼び捨てにしたり、どうしようもない小娘だと登も思っていたのだが、1巻目で危機一髪を救って以降かなりしおらしくなる。表紙のように登の指示に従って湯桶や焼酎を持ってくるなど、前は考えられなかった。未だに登は小娘と思っているが、ふと大人の(美人の)顔を見せたりする。この辺りがエンタメ藤沢周平の上手いところ。 犯罪者にはそれぞれの人生があり、藤沢周平は行間にそれらを埋め込む。蓋し、何度読んでも退屈しないのは其の為である。
2021年10月18日
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今月の映画評「82年生まれ、キム・ジヨン」 2年前、日本で韓国文学が異例の数十万部を売り上げました。「キム・ジヨンは私だ」という女性の声が後を絶ちません。親戚付き合い、父親の男女差別、就職、痴漢行為、等々、今まで見過ごされてきたジェンダー問題が見事に浮き彫りになっていました。 例えば、韓国独特の「ママ虫」という言葉があります。「専業主婦」のことを男性や独身女性が「我々は頑張っているのに、彼女たちはいい身分だよな」というニュアンスで使われているようです。子供のために仕事を辞めて頑張っているキム・ジヨン(チョン・ユミ)は、そうやってひとつづつ、少しづつ傷ついていました。そうして彼女に「憑依」という現象の多重人格が現れ出した、という所から映画が始まるのです。 映画では、現代の話に焦点が絞られていたし、コン・ユが理解ある夫になっているので、原作ほどの説得力はないかもしれません。 それでも、これを観た男性の映画仲間は「あの時の夫のあの一言はないよね」と憤っていました。この言葉を見逃すか、見逃さないかに、男性のジェンダー感度がかかっていると言っても過言はない、と私は思います。(←甘いかな) ものすごい決定的なドラマがあるわけではありませんが、それでも女性には大きな共感を持って迎えられたようです。最後は原作にはない救いがあります。原作を豊かに膨らませた部分もあります。これが映画的な作法でしょう。これは鑑賞者が試されている、そういう作品です。 (2020年韓国キム・ドヨン監督作品、レンタル可能)
2021年10月17日
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